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リレー小説「魔法少女忌譚修」(第13話−10/12)
2025-11-15.・映画館にあったフライヤー(チラシ)で存在を知り、「面白そうだな」と思って観に行ったインド映画『KILL 超覚醒』が期待通りの面白さでホクホク顔な焼津です、こんばんは。
「インド映画」と聞くとどうしても「歌いながらダンスするシーン」を思い浮かべてしまう人もいるでしょうが、この作品にダンスシーンはない。全体的に映画の撮り方もインド映画というよりハリウッド映画に近く、人によっては「今のインド映画ってこんな感じなのか!」と衝撃を受けるかもしれません。あらすじは簡単に書くと「寝台列車に乗り込んだ30人以上の強盗集団、手際良く制圧して金品を奪っていくつもりだったが、軍の特殊部隊に所属する主人公がたまたま車内にいたせいで計画が狂い出す」っていう、いわゆる『ランボー』みたいなワンマン・アーミー系のアクション物です。
寝台列車という空間的に狭く、脱出が困難な舞台で40人もの強盗たち(途中で車外にいた連中が合流する)相手にひたすら濃密なバイオレンス劇を繰り広げる。雑な形容になりますが、『ダイ・ハード』と『ジョン・ウィック』を混ぜたような作品です。というか実際に『ジョン・ウィック』の監督がハリウッド・リメイクする話が進んでいるらしい。主人公が「超覚醒」してからが見所で、強盗どもを容赦なくブッ殺す展開がとにかく爽快。ムカつくことに強盗集団(どうも全員親族らしい)は仲間思いな連中で、警備兵や人質は平然と殺害するのに味方が殺られると大声で叫んで泣き喚く。『忍者と極道』の極道よろしく「たった数名の人質を殺したくらいで……血も涙もねえ!」と慟哭する。まぁ背景として貧富の差っていう問題があるんだけど、それでも「勝手なこと言いやがる」という印象は拭えない。「薄汚ねぇ強盗一族の血を絶やしてやるぜ」と言わんばかりに獅子奮迅の活躍を見せる主人公に「いけーっ役立たずの狛犬!」と声援を送りたくなります。無双系っちゃ無双系だが、主人公のアムリトもボロボロになりながら闘うのでだいぶ痛々しい。「カッコいい」というより「痛そう」な暴力満載なので、スタイリッシュ・アクションを求める人にはキツいかもしれません。逆に「スタイリッシュ・アクションにない『痛み』を望んでいる」方にはうってつけ。内なる蛮性と獣性を解き放て。
しかし、こんなに面白いのに初日のレイトショーはガラガラで、私含めて観客は7人くらいしかいなかった。圧倒的に知名度が足りてないです。この調子だと来週あたりからほとんどの映画館で上映回数減らされそうだし、気になる人は早めに行った方が吉。ちなみにインドではこういう武装強盗団を「ダコイト」と呼ぶらしく、昔監督の乗っていた長距離列車がダコイトに襲われたことが脚本の発端になっているという。監督本人は寝こけていて、襲われたのも隣の車両だったから被害はなかったそうだが。
・作家の西澤保彦さん死去、64歳…「異分子の彼女」で日本推理作家協会賞(読売新聞オンライン)
ショックで情緒おかしくなるわ……「西澤保彦(にしざわ・やすひこ)」は1995年、『解体諸因』という様々な解体(バラバラ)事件を扱った連作集でデビューしたミステリ作家です。デビュー前に何度か鮎川哲也賞に応募したらしいが、結局賞は取れず講談社から無冠の出発となった。『七回死んだ男』という「ループ物」みたいな設定の長編で名前が売れ始め、「SFやファンタジーで見掛けるような特殊な設定を使ったミステリ」、いわゆる「特殊設定ミステリ」を書きまくります。私がミステリにハマったのは1996年で、5冊目の『人格転移の殺人』が出たあたりから追いかけ始めたんですよね。刊行ペースが速くて、年に4冊くらい出るから結構大変だった。
多作家で一編一編の仕上がりが軽めだったせいか、正直ミステリ界の本流からはそんなに評価されていない人でした。2023年に「日本推理作家協会賞」を獲っていますけど、それ以外だと「センス・オブ・ジェンダー賞」というSF寄りの賞しか貰っていない。中には力作もあるんだけど、いまひとつブレイクし切らない……という感じで、『七回死んだ男』や『腕貫探偵』などの例外を除いて作品数の割に語られる機会が少なかった印象があります。『猟死の果て』(後に『殺す』と改題)や『彼女はもういない』(後に『狂う』と改題)など、胸糞悪くなる猟奇ミステリも手掛けており、個人的に「櫛木理宇」の小説を読むと西澤(猟奇サイド)を思い出したりする。
シリーズ作品もいくつかあり、中でも「超能力者問題秘密対策委員会(チョーモンイン)」という「超能力を悪用した犯罪を取り締まる」ことに特化した組織が出てくる“神麻嗣子の超能力事件簿”シリーズは当時結構盛り上がっていましたが、あまり売上が伸びなかったのか8冊目でパタッと刊行が止まってしまった。「ドラマ化とかアニメ化が決まって再開しないかなぁ」と夢見てたのに。シリーズ4冊目に当たる番外編『夢幻巡礼』が好きだった。警察官なのに連続殺人鬼という「奈蔵渉」が語り部を務める異色作。この奈蔵がシリーズのラスボスになる……と思ってたのに、対決するところまで話が進まなかった。
ファン人気が高いのは“匠千暁”シリーズ。初期は“タック&タカチ”シリーズとか言ってたけど、複数の出版社を転々とするうち「もう“匠千暁”シリーズでいいだろ」という感じになっていった。デビュー作の『解体諸因』から続くシリーズで、酒好きの大学生(時系列バラバラだから卒業後のエピソードもあるけど)が様々な事件に遭遇する。「無人の山荘になぜか大量のビールがあった、それを飲みながら『なぜこんなところに大量のビールがあるのか』を推理する」という『麦酒の家の冒険』みたいなバカバカしい話(一つの謎に対して複数の推論や解釈を展開するという「多重解決」に取り組んだ作品なので、ミステリとしては真面目)もある一方、「高瀬千帆(タカチ)の過去を掘り下げる」『スコッチ・ゲーム』や「匠千暁(タック)の過去を掘り起こす」『依存』みたいなシリアス長編もあります。シリーズとしては6冊目の『依存』が白眉で、それ以降は下火な印象。そして10冊目の『悪魔を憐れむ』を最後に新刊が出なくなってしまった。チョーモンインの方と違ってこっちは『依存』でシリーズの核心を描き終わっていたから続きが出なくなったこと自体はそんなに残念じゃなかったが……。
単発作品も良作が多いけど、あれもこれもと言及していったらキリがない。個人的に好きな一冊に触れて〆ましょう。『黄金色の祈り』、「黄金色」と書いて「きんいろ」と読ませます。主人公はかつて中学校の吹奏楽部に所属していたが、ある年、部で人気がある少女の使っていた楽器(アルトサックス)が紛失する。状況的に誰かが盗んだと思われるが、犯人も楽器の行方も判然としないまま卒業。やがて母校たる中学校は廃校になるが、その校舎の天井裏から白骨死体と消えたアルトサックスが発見される。この事件を小説のネタにしようと、吹奏楽部の元部員たち相手に取材する主人公だったが……とにかく読んでいてイヤな気分になる、「イヤミス」の走りみたいな作品です。ノベルゲームの選択肢をひたすら間違え続けていくようなストーリーなんですよね。主人公が抱える「根拠のない自己評価の高さ」を他人事と割り切れない人ほど深い傷を負う。青春の愚かさを訥々と綴っている。タイトルの「黄金色」は管楽器のイメージであるとともに「スポットライトを眩しく浴びる人生」を指しているが、主人公自身の青春は至ってどどめ色。「アメリカに留学」「女子校の講師」「35歳で作家デビュー」と、主人公の履歴がそのまま西澤保彦に当てはまっているあたりも味わい深いです。きっと西澤保彦も自意識と向き合って書いたのだろう。それだけにひと際胸を抉る出来です。
評判はいいけどタイトルのせいでいまいち気乗りしなかった『腕貫探偵』シリーズもそろそろ崩そうかな……このシリーズ、ほとんどの作品がKindle Unlimited対象なので、面白いかどうかはわかりませんが「西澤保彦の本は読んだことない」って方がお試しでチャレンジしてみるのにちょうどいいと思います。
・「NEEDY GIRL OVERDOSE」TVアニメ化、PV&キービジュアル公開 制作はYostar Pictures(コミックナタリー)
最近のゲームに疎い私でも知ってるくらい人気なソフトなのでアニメ化は楽しみ……だが、これ製作サイドで揉め事が発生していて絶賛係争中なんですよね。NGOの発売は2022年、低価格のインディーゲームだからというのもあるがなんと300万本も売り上げている超ヒット作です。企画を立てたのは「にゃるら」というクリエイターで、シナリオも手掛けているから「NGO開発の中心的な人物」と見做されているが、開発に必要な資金と人材(エンジニア)を集めるためパブリッシャー(販売元、書籍で喩えると「出版社」に当たる存在)へ企画を持ち込んだ――という経緯がある。このパブリッシャーが「株式会社ワイソーシリアス」で、「開発に必要な出資を行い、様々な面倒を診た」ということで現在NGOの権利を持っています。ワイソーシリアスには「WSS playground」というインディーゲームを販売するレーベルがあり、NGOはそこから出ています。
NGOは一度延期もあったりしたけど何だかんだで完成し、売れ行きも好調でめでたしめでたし……となりかけましたが、ディベロッパー(開発者)であるにゃるらやディレクターの「とりい」が「ゲーム発売後にWSSからの発注で様々な作業を行ったのに、その対価が払われていない」と抗議する声明をアップロードしたのです。詳細不明ですが、お互い弁護士を介して遣り取りするような状態に陥っており、誰がどう見ても「関係が悪化している」としか言いようのない有様です。揉めているのが明らかになったのは今年からなんで、恐らくアニメの企画は両者の関係が拗れる前から動いていたのでしょう。少なくともアニメ制作陣はディベロッパーやパブリッシャーと揉めておらず、板挟みになっている模様。
にゃるらはアニメの脚本と監修も手掛けていますが、現在は制作陣から抜けているためアニメの公式的な宣伝活動には参加していないし、現時点でNGOの権利はWSSにあるためアニメに関する報酬も支払われないという。WSSが「にゃるら氏より「NEEDY GIRL OVERDOSE」原作チームからの離脱の申し入れがあり、当方はこれを受諾いたしました」とコメントしているのに対し、にゃるらは「nyalraを外さないとアニメを中止にする」とWSSが宣言したせいでイベント出演やインタビュー活動などができなくなった、と主張しており、見事なくらい両者の言い分が食い違っている。WSSのプロデューサーは「ヒロインを5人出す」という案に反対して1人に絞るよう説得したり、当初2021年の6月5日に発売する予定だったのに「もっと凄いものにしたい」と言い出したにゃるらのために6月1日という本当にギリギリのタイミングで延期の調整をしたりと、NGOの開発にも深く関わっている人物なので「あんなに一緒だったのに 夕暮れはもう違う色」という歌詞が脳裏をよぎっていってしまう。
ゴタゴタに関しては目を背けたいレベルでヒドいが、アニメそのものは出来が良さそうなので普通に期待しています。ちなみにシナリオ担当のにゃるらは熱狂的な美少女ゲーム好きで、特に「瀬戸口廉也(唐辺葉介)」の影響を深く受けている。刷り部数が少なかったこともあって所有者がほとんどいない小説版『CARNIVAL』も当然のように持っている。ちなみに私もまだコレ持っています。まどかマギカがヒットした頃、瀬戸口のところにもオリジナルアニメの企画が来たらしいが、結局実現しないでポシャったらしい。瀬戸口ファンのにゃるら作品がアニメ化したんなら、それはもう瀬戸口作品がアニメ化したようなものではないだろうか?(グルグル目)
・斜線堂有紀の『ミステリ・トランスミッター 謎解きはメッセージの中に』読んだ。
映画『恋に至る病』の原作者「斜線堂有紀」による短編集。5つの短編を収録しており、すべて「小説推理」という雑誌に掲載された作品であるが、相互に繋がりはないから好きな順番で読んでも構わない。「頭から順に読む」ことにこだわらない人はいきなり2編目の「妹の夫」から読み出してみてもいいでしょう。
斜線堂有紀は作品数の多い作家で、「名前は見たことあるけど、詳しいことはよく知らない」という方もおられるだろう。経歴としては「第23回電撃小説大賞」の「メディアワークス文庫賞」を獲って2017年にデビューした小説家で、どちらかと言えばライトノベル寄りの立ち位置というか「ライト文芸」方面の作家であったが、2020年に刊行した『楽園とは探偵の不在なり』がミステリ系の各種ランキング上位に食い込んだ影響もあってミステリ方面でもそれなりに名が売れている。ペンネームも島田荘司の『斜め屋敷の犯罪』にあやかって中学生の頃に考案したもので、好きな島田荘司作品は『ネジ式ザゼツキー』だから「場合によってはペンネームがネジ式ザゼ太郎になっていた」と冗談めいたコメントも残しています。インタビューによるとデビュー前から「メフィスト賞や講談社ノベルス系、それこそ倉知淳先生とか」が好きだったが、体系的にミステリを読んでなかったのでデビュー後に勉強した、とのこと。ちなみに映画化した『恋に至る病』の原作も『楽園とは探偵の不在なり』と同じく2020年刊行なので、だいたいそのへんからブレイクし始めた感じです。
このまま勢いで好きな斜線堂作品について語りたくなるが、長くなるからやめておこう。話を『ミステリ・トランスミッター』に戻し、各編のあらすじと感想を書いていきます。
「ある女王の死」 … 数十年に渡りヤミ金業界の女王として君臨していた「榛遵葉(はしばみ・じゅんよう)」が死んだ。何者かにナイフで刺されて、殺されたようだった。73歳、老齢と言っていいトシでありながら見た目は若々しく、「ヤミ金の女王」というイメージに反して気品のある佇まいをしており、現場に到着した刑事は戸惑う。彼女はチェスが趣味で、現場には対局途中とおぼしき盤があった。刺される直前まで犯人とチェスを指していたのだろうか? 何であれ、恨みを買うことの多い稼業だから、すぐに容疑者は浮かび上がってくると思われたが……現場にあった金庫を開錠し、刑事たちが中身を確認するシーンの直後に時代が遡り、榛遵葉の来歴が綴られる。15歳、つまり60年近く前に両親を金貸しの苛烈な追い込みによって喪った彼女は、父と母を死に追いやった金貸し「真壁」の情婦兼右腕となることで生き延びる。やがて真壁のすべてを奪って彼を自殺に追い込み、「女王」としての道のりを歩み出す。非常に我慢強く執念深い遵葉さんが、己の命までも駒にして何事かを成し遂げる、そういう物語です。あっと驚くような仕掛けはないし、派手なトリックが繰り出されるわけじゃないが、ちょっとしんみりしてしまう話。本来なら数百ページかけて書くような「女王の一代記」を40ページちょっとにまとめているため、タイパ重視の人にとってはオトクかもしれない。濃縮還元的に想像を膨らませられる人向けで、ザッと斜め読みして単純にスカッと気晴らししたい人には向かないかな。
「妹の夫」 … 数百光年先までワープする技術がようやく確立された未来。単独有人長距離航行のパイロットに選ばれた「荒城務」は遙かなる宇宙の彼方、太陽系の外へ向けて旅立った。まだ結婚して3年も経っていない妻を残して。ウラシマ効果によって二人の間に流れる時間はどんどん食い違っていく。じかに会うことは、今生でもうないだろう。辛い覚悟とともに銀河鉄道の片道切符を手にした務は、「一方通行でもいいから地球で過ごす君の姿が見たい」と自宅にカメラを設置するが、それに映し出されたものは……と、2編目はいきなりSFになります。「ある女王の死」に「三河」という刑事が登場するから、今後のエピソードにもちょこちょこ顔を出すんじゃないかな……とか想像していたがそんな次元の話ではなかった。具体的な年代は記されていないが、「翻訳機の発達によって英語が必修科目ではなくなった」と書いているくらいだから数十年後どころではないだろう。そんな世界で「翻訳家」という仕事をしている務の妻「琴音」は迷う彼の背中を押す。このまま『ほしのこえ』みたいな切ないストーリーになるのかと思いきや、家に残してきたカメラによって「妻が殺害される光景」を見せつけられる。カメラに映っていた犯人の顔は「妹の夫」だった、とここでタイトルに繋がります。正直「ワープしてる場合じゃねぇ!」という状況ですが、動き出したプロジェクトを務ひとりの判断で止められるはずもなく、ワープは強行される。ワープ終了後、急いで地上ステーション本部と通信して事件を伝えようとするが、肝心の翻訳装置が壊れていてお互いの言葉がわからない。務は身振り手振りで「妻が殺された、犯人は妹の夫だ!」というメッセージを送ろうとする。「翻訳」が機能しない状況でのアンジャッシュ状態を描いた一編で、読み口としてはミステリというよりコメディに近い。東野圭吾のブラックユーモア短編集(『怪笑小説』や『毒笑小説』)に収録されていてもおかしくないノリ。オチがどうこうというより、ラストシーンの書き方に斜線堂有紀の作家性が滲み出ていて好きです。
「雌雄七色」 … 大ヒットドラマ『虹の残骸』を手掛けた脚本家「水島潤吾」へ、息子の「潤一」が送ったメール。それは潤吾に捨てられた母「水島一花」が遺した七通の手紙を読むよう要求するものだった。紫色から赤色へ、虹のグラデーションを描く封筒。かつての潤吾が「雌犬」と罵った女は、いったい何を告げようとしているのか……メールや手紙で構成される、いわゆる「書簡体形式」の短編小説です。ただメールや手紙の内容が表示されるだけで、潤吾が実際にこれらを読んだのかどうかは最後までハッキリしない。読者の想像に委ねられている。タイトルの「雌雄」は虹のことを指しています。検索すれば出てくると思いますが漢字の「虹」は龍(あるいは蛇)の一種で、虹(こう)がオス、霓(げい)がメスで、雌雄合わせて「虹霓」と呼ぶ。ハッキリと見える虹、気象用語で言うところの「主虹」がオスの虹で、その外側にうっすらと見える「副虹」がメスの虹、つまり霓です。ミステリでは「エピソードの順番によって意味合いが変わってくる」仕掛けは珍しくない。映画になりますが『メメント』が有名だろう。仮に「A」と「B」、ふたつのエピソードがあるとして、Aに「B本編では説明されない重要な情報」を入れて、Bに同じく「A本編では説明されない重要な情報」を入れることで「AとBどちらから読んでもビックリする物語」を作ることができます。たとえば、Aに「タカシ(Bの主人公)とマユミ(Bのヒロイン)は兄妹だけど血が繋がっておらず、タカシは近々マユミにプロポーズする予定」と書いて、Bの方に「アユム(Aの主人公)は立ち居振る舞いが男っぽいけど女性で、タカシに好意を抱いている」と書く。こうするとA→Bの順で読んだ人とB→Aの順で読んだ人で物語の印象が丸きり変わってくる(Bに「マユミがタカシの部屋に泊まった」みたいな記述があった場合、Bから先に読んだらその時点では特に気にならないがAの後だと意味深に感じてしまうし、Aに「アユムがタカシに馴れ馴れしく接する」とか「アユムはマユミに嫌われている」という描写があっても、Bを先に読まないと「マユミはアユムにタカシを盗られるんじゃないかと警戒している」ことがわからない)わけです。この「雌雄七色」も「手紙を読む順番」が重要なわけですが……こうまであからさまに「読む順番が大切ですよ!」とアピールされたら仕掛けわかっちゃうよね、という。仕掛けがわかっても構造が面白い作品ではあるので、いっそ構造分析と割り切って読むのも手です。
「ワイズガイによろしく」 … 時は1968年、ケネディが暗殺された年。シチリアにルーツを持つギャングスタ、「シャックス・ジカルロ」はニューヨークで謎めいた忠告を受けていた。明日強盗に行くとき、東からではなく西から回って向かえ。なぜ襲撃計画のことを知っているんだ? 訝りながらも「こいつは嘘をついてない」と直感で悟ったシャックスは助言に従い、ルートを変更したおかげでトラブルに巻き込まれることなく難を逃れた。以前もシャックスは謎の声に導かれて目的を果たしたことがあり、「あれは幻聴じゃなかったのか」と驚きつつ謎の声を囁く謎の男に「賢い男(ワイズガイ)」というあだ名を与える。その後も、まるで未来を知っているようなワイズガイのアドバイスに従うシャックスだったが……タイトルが一瞬「ズワイガニによろしく」に見えた。というわけで4編目は海外を舞台にした、翻訳小説風のエピソードです。「ラベンダーの香り」ならぬ「トマトグレービーの香り」が漂う中、『時をかけないギャング』が迎える結末とは? 読んでて真っ先に連想したのは『無職転生』の「ヒトガミ」ですね。主人公が人生の岐路に差し掛かるたび夢の中に現れて予言のような忠告を残していく存在。シャックスはワイズガイのおかげでいくつかの危機を切り抜けるが、やがて「ワイズガイの助言に従った結果、危機に陥る(危機自体は助言のおかげで切り抜けられる)」というシチュエーションに直面し、「このままワイズガイを信じていいのか?」と迷い始める。これも分類上はSFになるのかな。非情な冷血漢でありながら「血の掟」は絶対遵守のギャングスタ、シャックスに魅力を感じたおかげで楽しく読めた。とにかく頻繁にトマトグレービーが出てくるのでパスタを食べたくなってしまうのが唯一の難点。
「ゴールデンレコード収録物選定会議予選委員会」 … 1977年、無人宇宙探査機ボイジャー号に載せられた金色のレコード。それは宇宙人に向けて地球人類の文化とメッセージを伝えるために作られた、ファーストコンタクトを祈るボトルメール。当然、その収録内容をどうするかを巡って侃々諤々の議論が交わされた。収録内容、特に写真に関しては「一般から公募で集めよう」という話になり、かくして「ゴールデンレコード収録物選定会議予選委員会」が編成されることに。日本から招待された委員会メンバーのひとり、「御竈門玖水(みかまど・きゅうすい)」に強烈なキャラクターに圧倒されながらも委員長の「カール・セーガン」は会議に臨むが……カール・セーガンは実在の人物で、「核の冬」や「テラフォーミング」といった用語を普及させた人です。御竈門含む12人の委員会メンバーとセーガンが円卓を囲んでプレゼン大会を開催する、「セーガンと円卓の奇人たち」といった趣のエピソードです。概要としては、各メンバーが持ってきた写真を見せて「ゴールデンレコードにこれを収録するべきだ」と主張し、その根拠を解説、他のメンバーが疑問点や問題点を指摘して「本当に収録するべきか否か」を話し合う。ちょっと『ダンガンロンパ』っぽい雰囲気のあるコンペティション小説です。メンバーが持ってきた写真には大抵何かしらの粗があるんで、そこを突っついて落とす――というのが基本的なムーブとなる。正直かなり地味な内容で、バランスを取るために御竈門のキャラを濃い目にしている。濃すぎてちょっとしつこい印象もありますが、『都市伝説解体センター』を凄く小規模にしたような感じでなかなか面白い。御竈門玖水の再登場を願いたくなるが、今のところこの作品にしか出ていないみたいだ。
まとめ。「謎解き要素がある」点では共通しているが、一編ごとにタッチを変えてバラエティ豊かなムードにしているミステリ系短編集。個人的な好みとしては「ゴールデンレコード収録物選定会議予選委員会」>「妹の夫」>「ワイズガイによろしく」>「ある女王の死」>「雌雄七色」といった順になるが、一番下の「雌雄七色」もハズレというほどではない。ちなみに発表順で並べ替えると「雌雄七色」→「妹の夫」→「ある女王の死」→「ワイズガイによろしく」→「ゴールデンレコード収録物選定会議予選委員会」になります。
2025-11-06.・いまひとつ「目玉」に欠ける秋アニメ勢ですが、個人的に『私を喰べたい、ひとでなし』と『アルマちゃんは家族になりたい』と『嘆きの亡霊は引退したい 2期』と『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』と『グノーシア』の5本を毎週楽しみにしている焼津です、こんばんは。
『私を喰べたい、ひとでなし』、公式略称「わたたべ」は「女が女に巨大感情を向ける」という時点で広義の「百合」に属する作品であるが、恋愛要素はほとんどないため普通に伝奇スリラーとして観ても問題ない内容になっています。主人公「八百歳比名子(やおとせ・ひなこ)」は幼い頃に交通事故で両親と兄を亡くし、自身も体に深い傷を負って真夏でも袖の長い服装をしている少女。「死にたい」「早く家族のところに行きたい」と願いながらも、「比名子だけは生きて」という言葉が忘れられず、辛うじて命を絶たずに済んでいる。そんな彼女の前に現れた、潮の匂いがする、海のように深く青い瞳を持った少女「近江汐莉(おうみ・しおり)」。彼女は「人魚」の妖怪であり、妖怪に好かれる匂いを放つ比名子を「私のもの」「誰にも渡すつもりはない」と宣言する……という、『うしおととら』と『アトラク=ナクア』を混ぜたような伝奇ストーリーです。
主人公が死にたがりとあって話の雰囲気が暗く、友人「社美胡(やしろ・みこ)」の明るさで中和しようとした結果、妙に気合の入ったキャラソン「太陽、なってあげよっか?(はぁと)」が作られるという珍事態が生じている。美胡ちゃんの過去エピソードを知っている原作読者はあまりの温度差に「お、おう……」と絶句するしかない。メインストーリーが暗すぎて作者もしんどいからかコミカルなパートも結構混ぜられているわたたべ、実は初期の構想だともっとコメディ寄りの漫画だったらしい。比名子が死にたがっておらず、汐莉の知能がもっと低い感じ(でも正体がグロいのはそのまま)でドタバタする内容だったとか。単行本でも初期汐莉が「くらーい!」と本編の展開にツッコミを入れるおまけページがあったりします。「人喰いの妖怪」という本来なら恐れ慄いて然るべき存在を、「死にたがり」ゆえむしろ歓迎する……という倒錯に本作の妙味がある。
原作は7巻でひと区切り付けて、新キャラをチラ見せしつつ8巻から新章開始――という流れだからアニメも恐らく7巻で終わりだろうけど、原作の最新刊が11巻なんで2期やるほどのストックがまだ貯まってないんですよね。新章に入ってからキャラが増えるんで是非2期もやってほしいが、現実的には難しいだろうな。百合系のアニメで2期が来ることってほとんどないし……あの名作『やがて君になる』や、「キマシタワー」の語源である『ストロベリー・パニック』さえ続編は作られていない。始祖『マリア様がみてる』と中興の祖『ゆるゆり』だけが特異点と化している。今は新鋭わたなれ(『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』)が突破口を開いてくれることを祈るしかない。
『アルマちゃんは家族になりたい』はAIエンジニア「神里エンジ」とロボット工学者「夜羽スズメ」がタッグを組んで製造した少女型兵器「アルマ」がふたりを「おとうさんとおかあさん」と認識して疑似家族関係を展開する、ほのぼのファミリー譚(メカ要素あり)です。原作者は「ななてる」、以前「天城七輝(てんじょう・ななき)」というペンネームを使用していましたが「ななてる」というあだ名の方が浸透したため15年くらい前に切り替えた。特に何かと戦うことを想定しているわけじゃないのに兵器として作られているあたりよくわからない作品ですが、アルマちゃんが可愛いので全て帳消しである。やはりアニメ界はロボ好きが多いのか、そんなに予算が潤沢とも思えないのに謎なくらい作画が凝っていて見応えがあります。タイトルで観る気がしない、という方も騙されたと思って冒頭数分だけでも鑑賞してほしい。
『嘆きの亡霊は引退したい 2期』は1期目から1年、分割にしてはちょっと掛かったな……という雰囲気で始まった2期目です。原作小説の書籍版4巻あたりからスタートしている。原作は地の文が多く、みっしりと字が詰まっていて読み応えがあるのですが、情報量が多すぎるせいでアニメ版はだいぶ削っています。原作ファン的には「端折り過ぎだろ」と思う箇所がなくもないが、アニメのテンポを考えると仕方ないかな……と受け入れています。別にヒロインというわけではないけど、やたら不憫な目に遭うせいで印象に残る「ティノ」が相変わらず可愛い。あとクライたちに執着するせいでどんどん厄介事に巻き込まれる「アーノルド」、原作では活躍シーンが省略されまくっているのですが、アニメスタッフが「可哀想」と思ったのかちょっとカッコいいカットが盛り込まれていましたね。
原作4巻の内容が終わって現在5巻の範囲に差し掛かっていますが、クライの義妹「ルシア・ロジェ」やスマート姉妹の兄「アンセム・スマート」というアニメではちょっとしか出番のなかったストグリメンバーがいよいよ本格的に活躍するので原作ファンとしてすごく楽しみです。ちなみにストグリのメンバーはもう一人存在する(幼なじみではなく途中参加なので回想シーンには出て来ない)けど、登場するのは3クール目かな……1クール目が1巻から3巻まで、同じペースで進行するなら2クール目は4巻から6巻までかな、と予想していたが2クール目の5話(通算18話)で細部を端折りまくって5巻の半分くらいエピソードを消化していたから7巻まで終わらせるつもりと思われる。7巻は「武帝祭」という天下一武道会みたいな催しを描くエピソードなんで、あそこで終わると収まりがいいんですよね。原作の9巻と10巻は前編と後編みたいな関係であり、8巻はその前振りに当たるエピソードだからまとめて3クール目にしてほしかったし。ただ、欲を言うなら2期で原作4〜6巻のエピソードをやって、7巻(武帝祭編)は劇場版として上映してほしかった。「嘆きの亡霊(ストレンジ・グリーフ)の前に立ちはだかったのは……嘆きの悪霊(ストレンジ・フリーク)!?」みたいな予告まで妄想していましたよ、私は。
『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』は『エアマスター』や『ハチワンダイバー』の「柴田ヨクサル」による漫画が原作。当然「石森プロ」や「東映」の許可は取っています。子供の頃から仮面ライダーが大好きで、「大きくなったら仮面ライダーになる!」と誓ってストイックな修行の日々を送っていた主人公「東島丹三郎」。しかし40歳になり、いい加減「己は仮面ライダーになれない」という現実を受け容れようとしていたところ、ショッカーの戦闘員に扮した「ショッカー強盗」なるものが世間を騒がせる。偽物とはいえショッカーをブチのめせることに歓喜する丹三郎、しかし事態は彼の予想を超えて激しく変転する……という、イカレているようでいて「ライダーとは何か」「ヒーローとは何か」を巡るアツい物語になっています。
故・大迫純一の「闘いとは、拳を叩きつけることではない。強さとは、負けないことではない。勝利とは、敵を倒すことではない」という言葉を思い出す。40歳という今更生き方を変えるのも困難になった年齢でようやく運命と出会うことができる、ってあたりは牧野修の短編「翁戦記」(『忌まわしい匣』所収)を少し連想する。邪神復活に備えて古代(縄文時代)から現代日本に転生した戦士たち、しかし復活のタイミングが数十年ズレたせいで戦士たちは盛りを過ぎ、すっかり爺になってしまった! 老衰で亡くなる仲間も出てくる中、いよいよ待望の邪神が目を覚ます……という『幻魔大戦』のパロディみたいな伝奇小説なんですが、老いさらばえた体で必死に強大な敵へ立ち向かっていく切なさに涙を禁じえないマイ・フェイバリット転生譚です。さておき『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』、アニメは演出が凄まじくて原作の良さを何倍にも増幅しています。あの「島本和彦」も悔しがるクオリティの高さ。是非リアルタイムで味わってほしい。
『グノーシア』は「プチデポット」という4名のスタッフで構成されるインディーデベロッパー、簡単に言うと同人サークルみたいなところが作ったインディーゲームを原作にしたアニメです。比較的近い例で言うと『天穂のサクナヒメ』、あるいは『真月譚 月姫』や『ひぐらしのなく頃に』みたいな感じ。最近は『8番出口』も実写映画化したし、インディー発のゲームが表舞台でメディアミックスされるのも珍しくなくなってきました。次はアクおど(『アクアリウムは踊らない』)あたりかしら? ともあれ『グノーシア』は2019年にPlayStation Vitaで発売され、その後ハードを変えながら販売され続けている。いわゆる「人狼ゲーム」をベースにしたADVです。
人狼ゲームについて解説すると長くなるので詳細は省きますが、要するにミス研とかがよくやる「犯人当てクイズ」をゲームにしたようなノリ。対人要素が強く、麻雀みたいに面子を集めないと遊べないところがネックで、『グノーシア』はそのへん工夫して「一人で遊べる(CPU戦のみの)人狼ゲーム」として構築している。プレーヤーは宇宙船という脱出不可能な環境の中で、乗員に紛れ込んだ「グノーシア」と呼ばれる「生前の人間そっくりに振る舞うがもう人格はとっくに死んでおり、人間を皆殺しにすることを至上の命題とする怪物」を暴くための「議論」に参加することを強制される。果たして主人公は生き残れるのか……と、こんなシチュエーションです。アニメ版は1話目をチュートリアルと割り切って進行し、「やり方はわかったね? じゃあここからが本番だ」という形で2話目がスタートする。2話目のタイトルが「ループ」なのでネタバレもクソもないが、もう一度開始地点へ戻って「議論」に再チャレンジします。「えっ? でも1話目で誰がグノーシアか判明してんじゃん、即終了では?」と疑問に思うかもしれませんが、そこからもいろいろと波乱があるワケだ。原作知識があっても「誰がグノーシアか」はアニメスタッフの匙加減次第なんで原作ファンもアニメ勢と一緒に頑張って推理するしかない、という面白い状況になっています。ミステリ要素の強い作品はアニメ化が難しいとされているが、こういう方法で切り抜けるのは新鮮で素直にワクワクしています。
・『みなみけ』5期のサブタイトル決定、『みなみけ これから』
あの『みなみけ』5期が遂に実現とは……思わず「“幻想(ユメ)”じゃねえよな…!?」の顔になってしまった。調べてみると「TVアニメ新シリーズ製作決定」というニュースは去年の七夕に出ていて、私も見たはずなんですが完全に忘れていました。『みなみけ』は「桜場コハル」による南家の三姉妹を中心にした日常マンガで、2004年に連載開始ですから今年で21年になる。「この物語は、南家三姉妹の平凡な日常を淡々と描く物です。 過度な期待はしないでください」という前置きも懐かしい1期目のアニメが2007年放送で、2期目が2008年、3期目が2009年に放送され、4期目はちょっと間が空いて2013年。5期目の放送が来年だとしたら13年ぶりであり、「ちょっと」どころではない間の空きようだ。
日常マンガだからストーリーらしいストーリーは特になく、レギュラーキャラもほとんど増えないので1巻どころか10巻くらい飛ばしても問題がない。私も読んでない巻が結構あるけど平然と「ヤンマガweb」で最近のエピソードを摘まみ読みしています。単行本も一時期持っていたけど、置いていた場所が悪かったせいでヤケがヒドくて処分してしまったな。『みなみけ』のアニメ化が始まった頃はまだそこまで「原作再現」にうるさくなかった時代で「原作とはだいぶ絵柄が違うけど、まぁいいか」と割かし寛容に受け止められていましたが、オリジナル要素をブチ込んだ2期目(おかわり)だけは非常に評判が悪く、未だに『みなみけ』ファンの前でおかわりの話をすると機嫌が悪くなるほどです。4期目(ただいま)は作画がだいぶ良くなっており、絵柄もかなり原作に寄せたファンにとって理想の仕上がりになっている。正直、1〜3期は今観るとキツい部分が幾許かあるのですが、4期に関しては現代のアニメと比べてもそこまでギャップがなくて満足の行く出来栄えです。なんだかんだ1期目の印象が強いので、久々に4期目を見返すと「ここまで作画良かったっけ?」ってビックリする。
願わくば5期目(これから)も4期のクオリティに並ぶか、追い越す仕上がりになってほしいものだ。ちなみに私の好きなキャラは一貫して「内田ユカ」。可愛くて性格も良いのにアホで幸薄そうなところがたまらない。Youtubeで無料配信も始まっているし、放送までワクワクが持続しそうだ。
・TVアニメ『千歳くんはラムネ瓶のなか』、第6話以降の放送は「制作上の都合および本編クオリティ維持のため」延期、12月に再開予定
万策尽きちゃったか……チラムネこと『千歳くんはラムネ瓶のなか』は分割2クールでの放送を予定しており、1〜3月の間に休んで4月から2クール目を開始する段取りになっていましたが、この調子だと2クール目を無事始められるかどうかも怪しくなってきたな。やっぱり人手不足なんでしょうね。今アニメは海外市場での売上が凄くて、円安の影響もあるだろうがもはや国内よりも海外の稼ぎの方が大きい(2024年は国内1.6兆円に対して海外2.1兆円)から「とにかくどんどん作って海外に売りまくろう」と現場は人材の奪い合いになっているそうです。穴埋めで流す番組が既存の映像を使い回した総集編とか声優が出演する特別番組とかじゃなく、まったく関係ない『うーさーのその日暮らし』の再放送というのが現場の限界を証明している。
『千歳くんはラムネ瓶のなか』の原作を出しているレーベルは小学館の「ガガガ文庫」、ここのアニメはお世辞にも予算が潤沢と言えず、過去には『俺、ツインテールになります。』で悲惨な作画崩壊を引き起こしていた(作品そのものは愛されていて原作は大団円&完結後も記念本が出ている)。レーベルのカラーを変えた大ヒット作『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』も、1期目は露骨な低予算アニメで事前に期待する人はほとんどいませんでした。『やはり俺の〜』が当たったことで流れが変わり、2024年に『負けヒロインが多すぎる!』という突然変異みたいな良質アニメが放送されて「ようやくガガガアニメ=ラノベ原作アニメの中でもひと際『う〜ん……』な出来という呪縛から解き放たれたのか」と思っていたのに……。
1クール目は全13話の予定でしたが、11〜13話に関してはどうなるか今のところ決まっていません。過去の例で言うと、2011年に『魔法少女まどか☆マギカ』が東日本大震災の影響で11話と12話(地域によっては10話も)の放送が延期になったり、2012年に『ガールズ&パンツァー』が制作の遅れから2回も総集編をやって11話と12話の放送が間に合わなくなったりしています。もう少し近いところでは2021年、『マギアレコード』の2期目がたった8話しかなく、明らかに制作が遅れたであろう4話分を「Final SEASON」と言い張って翌年放送している。2024年、つまり去年には『ささやくように恋を唄う』が「制作上の都合」から「特別編」と称し2週連続で総集編を流し、遅延した11話と12話を半年後の年末にまとめて放送しています。似て非なるケースとして未だに語り草なのが『レガリア』というオリジナルアニメ、2016年に夏アニメとして放送開始しましたが、「本来意図していたクオリティと相違がある」という理由で一旦放送を中止し、作り直したうえでまた1話目から放送するという異例の対応を取っています。チラムネに関してはガルパンやささ恋の状況に近い感じですかね。
チラムネの制作会社は「有限会社feel.」、あの「すべてのロボットアニメは道を譲れ!!!!!!」というコピーで顰蹙を買った『JINKI:EXTEND』が初の元請作品である。地上波の限界を攻めた『ヨスガノソラ』やきらら系の中で「もっとも汚い」と言われた『おちこぼれフルーツタルト』を手掛けているが、『ヒナまつり』みたいな作品もやっています。最近だと『Summer Pockets』がなかなかイイ感じだった。今年はサマポケに加えてチラムネと同じクールに『ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん』もやってるからキャパオーバーしちゃったのかな。私自身はアニメ観てなかった(原作は途中まで読んでる)けど、ラブコメ系ラノベ作品の中でも特に期待されていた一本だけに今の状況は心配である。正直、今のアニメ界は「作り過ぎ、アニメスタッフは無限に存在するわけじゃないんだぞ」という状況なんだろうけど、落ち着くのはまだまだ先なんだろうな。
・芦花公園の『極楽に至る忌門』読んだ。
乱暴な書き方をすると、いわゆる「因習村」を舞台にしたホラー。もう少し丁寧な書き方をするなら、「民俗学的な要素を取り入れつつ自業自得な末路を迎える人々の姿を描く連作短編集」。四国の山奥に位置する架空の村で祀られている、「ほとけ」なる謎の存在を巡って登場人物たちがヒドい目に遭う。
著者の代表作である「佐々木事務所シリーズ」のスピンオフに当たる作品ですが、既刊を読んでいなくても別に問題はありません。佐々木事務所シリーズには車椅子姿ながら「最強の拝み屋」「最後の手段」「最終兵器現人神」と畏怖される人物「物部斉清(もののべ・なりきよ)」が登場するのですけど、その物部さんですらどうすることもできずに匙を投げてしまった……という最悪のケースを綴ったのが本書なんです。『呪術廻戦』で喩えると「五条悟」が事態の収拾を諦めて帰っちゃった感じ。だから佐々木事務所シリーズを先に読んでおくと「マジかよ、あの物部さんでもどうにもならないのかよ……」という絶望感を味わえるものの、「匙を投げた=あまり活躍しない」ということでシリーズ知識が要らない作品に仕上がってもいる。一個一個のエピソードが短いこともあってかコミカライズ版も連載されており、そちらから入るってルートもあります。シリーズ本編は結構バトル要素が強くて、冗談抜きで領域展開ばりの異能を駆使するキャラとか出てきます。1作目の『異端の祝祭』は言うなれば「ウィッカーマンとかホルガ村をブッ潰しに行く話」だし。
収録されている短編は「頷き仏」「泣き仏」「笑い仏」「外れ仏」の4つ。「頷き仏」は平成15年、友人の里帰りに付き合って舞台となる村に足を踏み入れた青年の物語。チュートリアルみたいなエピソードなので、これを飛ばすとワケがわからなくなる。友人の祖母は村八分みたいな扱いを受けており、村民たちの態度は「よそよそしい」の域を超えていた。それとなく理由を聞いた友人に対し、祖母は「頷き仏をね、家に近づけたのよ」と謎の返答をする。その言葉を耳にして俯く友人。いったいこの村で何が起こっているのか? 友人が姿を消した後に何処からか電話が掛かってきて、「ととをくうちょるんですよねえ」と意味不明なフレーズを投げかけられる。このフレーズが印象的で、読み終わった後も頭蓋にこびり付く。直接的なグロい描写とかはないんだけど、とにかく厭らしさに満ちています。この時点では物部斉清は登場せず、代わりに「津守日立」という別の拝み屋が出てくる。要するに、津守が下手を打って、その尻拭いとして斉清さんが出陣することになるも、時すでに遅し――ってのがこの本の大枠となっています。なんとこの「頷き仏」、試し読みとして全文丸々ダ・ヴィンチWebに掲載されているので、気になる人は今すぐ無料で読むことができる。私の感想文なんか読んでいる場合じゃないぜ!
続く「泣き仏」で「てんじ」なる化物――「猿神」の一種――に関する説明が入り、少しずつ村に棲まう異形の正体が見えてくる。3編目の「笑い仏」でようやく斉清さんが降臨し、「きた!斉清さん来た!これで勝つる!」と喜んだのも束の間、関係者たちが愚か過ぎてせっかく伸ばされた蜘蛛の糸をフイにしてしまう。ホラー系のノベルゲームで「最悪の選択肢をチョイスしたルート」を覗き見るような暗い愉悦とともに、奈落へ向かって真っ逆さまに墜ちていく人々を傍観する以外に道はない。そう、これは「バッドエンドになることが分かり切っている」タイプのホラーなんです。救いはありません。
ラストの「外れ仏」は単一のエピソードというより、物語全体のエピローグに相当する章です。「ほとけ」として祀られているはずの「てんじ」がなぜ人々に災いを為す厄神と堕してしまったのか、種明かししていく。ミステリであれば解決編なんですが、もう解決もクソもない有様ですからね。事件関係者が全員死亡した後で等々力警部に真相を話している金田一耕助のような、途方もない虚しさが漂う。超常的な現象が起こる話ではあるが、「イシュタルの冥界下り」と絡めて儀式の実相を解釈していく流れなど、謎解き部分の魅力はしっかりしている。たとえば一編目の「頷き仏」、一見するとよくあるお地蔵さまみたいだが、普通のお地蔵さまに比べてどこか俯きがちで、まるで首肯しているかのよう。しかし、その本当の意味は……といった具合に「謎が解けることでゾッとする」仕組みになっています。さっきも書いたけど「頷き仏」はダ・ヴィンチWebで全文公開されているから気になった人は読んでみてください。ちなみにカドブンのサイトでも同様に全文読めます。
怖いというより「胸糞悪くなる」系統のホラーです。避けられたはずなのに、ことごとく選択を誤って悲惨な結果に辿り着く。それもこれも、生きているうちに「極楽へ行くこと」を望んで、そのためならどんな犠牲を払っても構わない――などと欲深く振る舞ったからだ。果たして外道どもは望み通り極楽へ到達することができたのだろうか? それは……しんでみなくてはわからないですねえ
2025-10-27.・「最近の小説は長文・文章系タイトルばっかりでうんざり!」みたいな意見がありますが、来年発売予定の『蒼焔の魔女』はたった5文字なのでそういう風潮を真に憂いている人は是非買ってあげてほしい焼津です、こんばんは。
1・2巻同時発売なので出版社的にも相当気合を入れているタイトルです。こういう勝負球は普通「〜前世では喪女でしたが異世界に転生後は天災美少女として過酷な世界を生き抜いてやろうと思います〜」みたいな説明調の副タイトルを付けるものですけど、潔くメインタイトルだけでレッドオーシャンと化したラノベ市場に挑んでいる。実はWeb版だと「〜幼女強い」っていうサブタイトルがあったんですけど、書籍版ではそれすら削っています。書籍化の際にタイトルが短くなるのは結構珍しいケースですよ。『貧乏騎士に嫁入りしたはずが!』という作品は書籍化の際にタイトルが『貧乏騎士に嫁入りしたはずが!? 〜野人令嬢は皇太子妃になっても熊を狩りたい〜』となり、メインタイトルが略しにくいのでサブタイトルの方を略して「野人令嬢」と呼ばれるようになった……という面白いエピソードもあります。
というか、e-honの「小説・エッセイ」新刊予約案内を眺めていればわかりますけど、今や「短くて非文章系タイトルの小説作品」ってだいぶ減ってきているんですよ。著名な文学賞を獲った作家とか、映画化作品を連発している人とか、強固なファン層を築いたシリーズを書き続けている人とか、一部のベストセラー作家を除いて「タイトルを見ただけではどんな内容なのかよくわからない作品」を新刊として出すことはどんどん難しくなっている。私見ですけど、「キュレーション的な役割を果たす存在」が年々弱くなっているんだと思います。少し前までは新聞に広告が載ったとか、雑誌の書評で取り上げられたとかで一気にグーンと売上が伸びましたけど、最近はそこまで効果がない。無論、「テレビで紹介された」とか「ネットでインフルエンサーがオススメした」とかで跳ねて重版連発する作品もありますけど、割合としてはどんどん減ってきている。「いい本を出せば誰かが見つけてくれる」「その『誰か』は影響力のある存在である」という幸運に頼ることは宝くじが当たることを期待するような状況となっています。
「『紹介』が期待できない以上、自分自身(タイトル)でアピールするしかない」というセルフプロデュース的な思考の帰結が長文・文章系・副題で補完タイトルの定着なんです。とはいえ、『義妹生活』みたいに「短いタイトルで副題にも頼っていない」ヒット作だってありますし、本当に今の風潮がマズいと思っているのであれば『魔女と傭兵』とか『魔王2099』とか『楽園ノイズ』とか『あそびのかんけい』とか『サンバカ!!!』とか『異世界落語』とか『王国へ続く道』とか『悪魔公女』とか『未遂同盟』とか『炒飯大脱獄』とかを地道に布教し続けるしかないです。私はもう慣れたので別にどっちでもいいです。
・21作品の権利を返還へ…ビジュアルアーツ、受賞作品の展開が長期にわたり進行できず謝罪(Game*Spark)
あまりにも異例の事態なので騒ぎが大きくなっていますね……「何が問題なの?」と首を傾げている方のために順を追って解説します。
まず、ビジュアルアーツは今から20年くらい前に「キネティックノベル」というジャンルを流行らせようとしました。いわゆる「ノベルゲーム」の「ゲーム」部分ではなく「ノベル」部分を強化しようという試みで、ゲームみたいに時間を掛けて大作をリリースするのではなく、書籍を刊行するような感覚で中短編規模のノベルゲームをどんどん出そうとしたんです。『planetarian〜ちいさなほしのゆめ〜』や『神曲奏界ポリフォニカ』といったラインナップがありましたけど、「パッケージ販売せずダウンロード販売のみにする」といった方針がまだ時代的に早過ぎたせいもあって普及せず、ポリフォニカの主戦場がライトノベル市場に移ってからは自然と「忘れ去られた実験」となっていきました。
しかしそれから十数年経ってDMM(FANZA)やSteamなどが定着したことによって業界がダウンロード販売に活路を見出すようになり、ずっと放置していた「キネティックノベル」という概念を復活させるべくビジュアルアーツは積もっていた埃を払い、「今度こそ流行らせてやる!」と息巻いた。その一環として始めたのが、今回問題となっている「キネティックノベル大賞」です。ビジュアルアーツが「小説家になろう」の「ヒナプロジェクト」やpixiv、ニコニコ動画と四社合同で開催している新人賞であり、「小説部門」「イラスト部門」「音楽部門」の3つに分かれています。小説部門の応募方法はなろうに小説を投稿する際、「キネノベ大賞」という応募キーワードを追加するだけという、なろうやカクヨムではよくあるアレです。受賞作は、確約ではないが書籍化を検討し、ゲーム化やアニメ化も視野に入れて展開すると豪語しています。
2020年頃にスタートした企画なんですが、実はその10年ほど前にもビジュアルアーツ主宰で「キネティックノベル大賞」というのをやってました。『僕僕先生』の「仁木英之」が『不死鬼譚きゅうこん 千年少女』という作品で賞を獲っていますが、仁木ファンでも「ああー、あったな、そんなの」って反応になるレベルなんで反響の度合いに関してはお察しいただきたい。その後もう一回ぐらい開催されたけど、第2回の受賞作はどれも書籍化に至らず立ち消えになりました。斯くの如き経緯から10年ほど前に一度死んだ賞ながら、なろうと手を組むことでリブートしたわけです。Web小説賞の習いとして募集期間は短く、だいたい2ヶ月間隔で締め切っている。最後に開催された「第12回キネティックノベル大賞」の応募受付期間は「2024年11月1日11時00分〜2025年1月31日23時59分」で、リブートしてから最初に開催された「第1回キネティックノベル大賞」が「2020年7月1日(火)〜8月31日(月)」。「第12回」だから10年以上ずっとやっているような錯覚に陥るが、実際は5年も保たなかった賞なんですよね。
具体的な面子は「過去開催受賞者」のページで確認してほしいが、小説部門は1回につき4、5人くらいの受賞者を出しています。ただもう第10回あたりからヤバくなってきたのか「大賞」と「優秀賞」がナシで「佳作」のみ、第11回に至っては「イラスト部門のみの開催」。「ここ(キネティックノベル大賞)で賞獲ってもなかなか書籍化されない」という悪評が投稿者の間で出回るようになって、人が近寄らなくなった末に「22個もの受賞作に書籍化の権利を返す」(上記リンク記事のタイトルでは「21作品」とあるが、数えてみたら22個あった……いい加減な記事だなぁ)という前代未聞の事態に陥りました。
まったく全然書籍化されない、というわけではなく書籍化された作品もいくつかあります。たとえば第1回で「大賞」を獲った『聖女様はイケメンよりもアンデッドがお好き?!』は『ホーリーアンデッド』のタイトルで書籍化しており、今月末に3巻も出る予定。ゲーム化もしていますが、「話の途中で終わっている」ため気になっている私も「完結してからでいいか」と放置しています。さておき、第1回の受賞作4つは既に全部書籍化されていますが、第2回以降からなかなか書籍化の話が進まず今回の件で取り消しになった作品が出てくる。数えてみたが、第10回までの受賞作はちょうど40作。22作に権利を返したということは、残りの18作は書籍化されたのだろうか? 気になって公式サイトを確認したが、11作品しか確認できない。仕方なくリスト作って1個1個照合していきました。
第2回で「大賞」を獲った『根暗なクラスメイトの胸を間違って揉んだら、いつの間にか胃袋を掴まれていました!』は『根暗なクラスメイトが俺の胃袋を掴んで放してくれない』というタイトルでゲーム化されて今年発売されてました。ゲームだけで書籍化はしないのかな? 『転生社畜の領地経営』『だんまりさんとケッペキ君』『2度目の異世界は周到に』『TSエルフさんの酒飲み配信』『転生したら火魔法が使えたので人気パン屋になったら、封印済みの魔王が弟子入りしてきた』『悪役令嬢シルベチカの献身』の6作は返還リストに挙がっておらず、既に書籍化の話が進んでいるのか、今回の発表がある前に個別で返還しているのか、作者と連絡がつかないのか、それとも単にビジュアルアーツの担当者が書き漏らしただけなのか……よくわかりません。というか返還リストに載ってる『宵越しのレベルは持たない〜サキュバスになった彼女にレベルを吸われ続けるので、今日もダンジョンでレベルを上げる〜』、受賞者ページで見掛けなかったから首を捻っていたが、別のサイトでは「第10回キネティックノベル大賞の佳作」として表記されていた……まさかとは思うが、公式サイトの結果発表で書き漏らしていたのか……!? だったら全受賞作は40作じゃなくて41作になるじゃん! 公式サイトの情報がアテにならないの、マジで困るからやめてほしい。
こういう賞を獲ると「よそで書籍化したりコミカライズしたりなどの商業展開を行わない」という条件で契約を交わすことになるので、ひどいケースだと4年くらい書籍化されないまま拘束されていた勘定になります。応募規定等が書かれているページに「書籍化に関しては、株式会社ビジュアルアーツより出版に関しての提携を行っている出版社へ推挙し、株式会社ビジュアルアーツのタイトルとして発刊致します」と表記されており、つまりビジュアルアーツ自身は出版部門を持っていないが付き合いのある出版社に口利きして書籍化してもらい、「ビジュアルアーツ」のブランドで出す――という形式をこれまで取っていたわけです。ハッキリとは書いてないが、この「提携を行っている出版社」ってのは昔「VA文庫」とかを出していた「パラダイム」のことだと思います。検索すると「発行元:株式会社ビジュアルアーツ」「発売元:株式会社パラダイム」と表記してるページも出てくるし。受賞作だけビジュアルアーツで決めて、書籍化にまつわる諸々の作業はパラダイムに丸投げ、ってのを繰り返していった結果、パラダイム側が「思ったより受賞作が売れないし、これじゃ割に合わないよ」と音を上げたのではないか……と邪推しています。ビジュアルアーツがテンセントに買収されたから不採算部門として切られた、という噂もある。恐らく明確な事情は詳らかにならないだろう。
受賞者の一人だった「年中麦茶太郎」(既に過去何度も書籍化の経験がある作家)は「この告知をやってもらうところにこぎ着けるのに苦労しました(無効は告知しないでもみ消すつもりだった)」と言及しており、ビジュアルアーツの闇は深い……と痛感した一件でした。一応賞金は支払われたみたいだが、拘束されていなければよそで書籍化できていたかもしれない、ということを考えるとまだ尾を引きそうである。
・篠田節子の『青の純度』読んだ。
直木賞作家である「篠田節子」の最新長編、後述する「参考文献騒動」で話題になっているが、まずは付帯的な情報から。本作は“小説すばる”という雑誌に2023年から2024年にかけて連載され、今年の7月に単行本としてまとまった。アート系の出版業界で「やり手の編集者」として名を馳せている主人公が、取引先の不祥事に巻き込まれる形でポストを逐われ、有り余った時間を「ある画家」の取材旅行に費やす――という話です。大衆人気がありながらも芸術界からは黙殺された「ある画家」をフラットな視点で再評価しよう、という程度の軽い気持ちから始めた企画だったが、取材を進めるうち次第に雲行きが怪しくなっていく。あれだけ一世を風靡した画家なのに、今や所在不明になっているのだ。果たして彼はまだ生きているのか? という具合にサスペンスたっぷりのストーリーが紡がれている。
ジャンピエール・ヴァレーズ――イルカたちが躍る深い青を湛えた海の絵、「ハワイアンアート」で90年代の日本を熱狂させたフランス人の画家。芸術界からは「インテリア絵画」と一蹴され、侮蔑を浴びるどころか「無視」に近い対応を取られた。彼の絵を取り扱っていた会社の詐欺的な商法が社会問題になり、「口にするのも恥ずかしい存在」として時代に埋もれていったが、そういう経緯を顧みず虚心で向き合ってみれば「なかなか良い絵ではないか」と有沢真由子は静かな感動を覚えていた。世界的に評価され、資産的な価値もあるけど「インテリアとしては飾りたくない」名画。芸術的な評価は一切なく、資産として見ればクズ同然だけど「部屋に飾っておくことで日々の活力を得られる」アート。いったいどちらが本当の意味で「価値のある絵画」なのか。そういう切り口からヴァレーズの再評価を試み、「ハワイ在住」とされている彼に直接会うべくハワイへ降り立った真由子だったが、あっちこっち聞き回っても彼の所在をハッキリと知っている者はどこにもいない。かつて「上客」たちを招いたという豪邸も今は人手に渡っていた。住所がわからないどころか目撃情報すらなく、生死不明という事態に彼女の疑念はどんどん高まっていく。かつて日本で大きなブームを起こし、いつの間にかふっつりと消えた画家、ヴァレーズ……彼はいったい何者なのか?
90年代を知っている人ならヴァレーズのモデルはすぐに思い至るでしょう。そう、「クリスチャン・ラッセン」です。私もラッセン絵のマウスパッドを持っていました。1000円か2000円の市販品で、数年使っているうちにすっかりボロボロになったからもうとっくに捨てましたけどね。鑑賞するうえで特に教養を必要とせず、ズブの素人がパッと見ただけで「なんかイイ!」と感激させるオーラがあった。絵そのものの魅力もさることながら「サーフィンが趣味」ということで「日に焼けたガタイのイイ金髪イケメン」ってキャラでも売っており、アーティストというよりは今で言う「インフルエンサー」に近い人物。秋葉原や日本橋で異性に免疫なさそうな男性に声をかけて言葉巧みに高額な絵を売りつける女性、いわゆる「エウリアン」がラッセンの作品を多く取り扱っていたこともあり、ラッセン本人はそこまであくどい商売をしていなかったにも関わらず「悪質商法」のイメージがこびり付いてしまったせいで表舞台から姿を消しました。私も大学時代にアキバへ通ってエロゲ買ってたからエウリアンには何度か声かけられたけど、本当にしつこいんですよね……連鎖的にラッセンへの印象も悪くなってしまった。ちなみに『エウリアン桃子』という「エウリアンのヒロインがエイリアンと戦う」ギャグみたいな設定の漫画もあり、「ラ・ラ・ラ・超変身(ラッセン)!!」と叫ぶシーンから当時のクリスチャン・ラッセンの扱いをお察しいただけるかと。
「マリンアートで一世を風靡したアーティストのスキャンダラスな真実」を暴く物語なので、誰がどう見てもモデルはラッセンとアールビバンなんだけど公式サイドは明言を避けています。ラッセン本人も、さすがに生死不明じゃないけど暴行事件で逮捕されて保護観察処分を受けた身だから、充分スキャンダラスな経歴を持っていますが……現実のラッセンに関して詳しく知りたい場合は『評伝クリスチャン・ラッセン 日本に愛された画家』などを読んだ方がいいかもしれません。現地で調査するうちヴァレーズには「日本人の妻」がいたことが判明し、主人公はその妻と接触することに成功しますが、まぁ見るからに怪しい人物で物語は彼女を軸に進行していく形式となります。ハードカバーで400ページ近くとなかなかのボリュームだけど、後半200ページはぐいぐい引っ張ってくれる内容で飽きさせない。派手過ぎず、納得感のあるエンドに辿り着く、という点で読み応えのある一冊に仕上がっています。
で、問題はここからです。上記した『評伝クリスチャン・ラッセン 日本に愛された画家』の著者「原田裕規」が「明らかに自分の著書の記述を下敷きにして書いたと思われるのに、参考文献にすらタイトルが挙がっていない」と抗議したのです。原田裕規は『評伝クリスチャン・ラッセン』以外にも『ラッセンとは何だったのか?』や『とるにたらない美術 ラッセン、心霊写真、レンダリング・ポルノ』という本を出しており、「日本でラッセンについて深く調べようとしたら必ず通過する存在」と申しても過言ではない(そもそもラッセンについて真面目に論じている人がほとんどいない)から参考文献に名前が挙がっていないのは確かに不自然です。しかし、本書の著者である篠田節子も直接ハワイへ赴いて取材をしたらしいので、「現地で調べたり聞き取ったりした内容がたまたま原田氏の著述と一致した」可能性も否定し切れず、問題が拗れているんです。出版した集英社は「弊社刊『青の純度』につきまして」という声明文を発表し、「原田氏の著作は読んでいない」「独自に取材した内容をもとに執筆されました」と原田サイドの訴えを否定して徹底抗戦の構えを見せている。あくまで予想ですけど、「モデルはラッセンです」と認めてしまうとラッセンが訴訟を起こしかねないので、そのへんをボカすためにタイトルに「ラッセン」が入っている本は参考文献として記載できなかった(作者は「これぐらい大丈夫だろう」と楽観したけど出版社が「このままだとヤバいかも」とビビって誤魔化しに入った)んじゃないかな……何せ暴行事件で逮捕されているぐらいなのでラッセンの性格は「温厚」と言い難い。いっそ本人から許可取って表紙にラッセンの絵を使うぐらいのことをやっていればもっと話題になっていただろうけど、到底許可が取れそうではなかったのだろう。
「クリスチャン・ラッセンがモデルなのは明白だけど、明言すると訴訟を起こされかねないし、許可を取ろうとしたら莫大な使用料を要求されそう(というか内容的にそもそも許可取れなさそう)だからギリギリのラインで濁している系スリラー」としてなかなか面白い一冊でした。今回の騒動で興味を抱いた人は書店で取り扱いがあるうちに読んでおくといいかも。電子版は最悪配信停止になる恐れがありますから物理書籍版で。
・拍手レス。
東出裕一郎さんが令嬢モノで新刊出すみたいですね。別名義で気づかなかった〜
「東(とん)出(で)」で「とんでー」みたいですね……言われたら「ああー」ってなるけど言われなかったら絶対に気づかなかった。
天啓の虚とか無底の王とか他の告知だけされて実体のない本がそれなりに存在する笠井潔ですが、たしか御年76歳だったような。もう個人的には矢吹駆フランス編だけでも完結出版してもらえたら満足です。
フランス篇はあと『魔の山の殺人』と『屍たちの昏い宴』で完結ですね。『天啓の虚』とか『無底の王』はもう存命中に出そうもない雰囲気。連城三紀彦も亡くなった後に未改稿の連載作品が刊行されてたな……。
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管理人:焼津