2006年11月分


・本
 『甦る男』/イアン・ランキン(早川書房)
 『ベルカ、吠えないのか?』/古川日出男(文藝春秋)
 『DOGS/BULLETS CARNAGE(1)』/三輪士郎(集英社)
 『銀の犬』/光原百合(角川春樹事務所)
 『底なし沼』/新堂冬樹(新潮社)
 『どんがらがん』/アヴラム・デイヴィッドスン(河出書房新社)
 『ミーナの行進』/小川洋子(中央公論新社)
 『死の泉』/皆川博子(ハヤカワ文庫JA)
 『冬の旅人(上・下)』/皆川博子(講談社)
 『総統の子ら』/皆川博子(集英社)
 『匣の中の失楽』/竹本健治(講談社)
 『マルドゥック・ヴェロシティ(1〜3)』/冲方丁(早川書房)

・ゲーム
 『妖刀事件』体験版(ライアーソフト)


2006-11-30.

・どうも『はるはろ!』の発売時期が本格的に不明となってきた模様。げっちゅ屋の発売日変更情報によると「2007/02/23 → 2007/予定」、つまり来年のいつに出るか分からないって状態ですね。本当に発売されるのか不安になってきた。『陰と影』といい『俺たちに翼はない』といい『霊長流離オクルトゥム(仮)』といい『クルイザキ(仮)』といい『末期、少女病』といい、なんで当方の期待しているソフトに限ってこう……そういえば『緋色梵鐘(仮)』ってどうなってるんだろう。

森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』特集ページ

 「片想い小説の旗手」とか、あんまり誉め言葉じゃない気もする称号を与えられた著者の最新作。連作長編で、アンソロジーに載っていた一編だけは読んだことありますが、味のあるユーモラスが文章が心地良く、なかなか面白かったのでかなり期待しております。恋愛小説なのになぜか天狗とかも出てくるけど。今年は森見の本が2冊も出て実に嬉しいかぎりだ。

・冲方丁の『マルドゥック・ヴェロシティ(1〜3)』読了。

 『マルドゥック・スクランブル』から3年、「待望」という二文字では表せ尽くせぬほどに焦らされた挙句、「三週連続刊行」という正に満を持しての刊行となった続編です。かつては理想的なパートナーシップを結んでいたのに、あることがキッカケで袂を分かつことになったウフコックとボイルド……と、前作でチラッと触れられる程度に留められていた、その「あること」の一部始終を描く。話自体は過去に遡っていますが、内容としては前作を包含する仕様になっており、やっぱり先に『〜スクランブル』を読んでおいた方が良さげ。こっちは若干文章に癖がありますし、冲方の作風に慣れてから取り掛かるのがベターです。

 マルドゥック・スクランブル09――それは楽園から悪徳の都へと帰還を果たしたクリストファー博士が、肉体改造によって尋常ならざる力を手に入れた兵士たちを戦闘ユニットとして組み上げた証人保護プログラム。擬似重力を発生させて地面だろうと壁だろうと天井だろうとどこでも同じように歩き回るボイルド、持ち主に意思に応えて手袋でも銃でもありとあらゆるものに変身できるネズミのウフコック、全身を硬化させて強固な壁もパンチ一つで打ち砕くジョーイ、異常なまでの肉体再生能力で致死的なダメージからも回復できるハザウェイ、義腕を介しての雷撃でベアリングを掃射するラナ、眼球こそないが脳とリンクしたワームをばら撒くことで全方向・広範囲の視界を得るクルツ、透明化して人知れず襲い掛かる軍用犬のオセロット、顔を完全に作り変えることで別人になりすますレイニー、周囲の音声を細大漏らさず拾い且つ特定の相手だけに聞こえる声でレポートできるワイズ、昏睡状態のようでいてネットと接続し膨大なデータを収拾・処理するウィスパー、事務所に留まり通信等の後方支援を担当するイースター、そして能弁なるリーダーのクリストファー。十人と二匹によって構成された集団は、類希なる能力とチームワークで様々な事件を解決に導いた。しかし、彼らの前に異形の敵「カトル・カール」が立ち塞がったとき、巨大な陰謀は既に動き始めていて……。

 いかなる軌道を経てボイルドは埋まることなき「虚無」を得たか。「天国へ向かって伸びる階段」を象徴とする悪徳の都・マルドゥック市を舞台に加速する暴力と錯綜する謎。答えを求めて徘徊し、気づけばいつしか暗黒の河を渉っていた「眠らない男」。余分な感情は一切排したほとんどト書きに近い文章で、一人の人間が焦げついていく過程を綴っています。とにかく最初はこの文章が読みにくい。「/」「=」「――」と体言止めの連打は、たとえば「朝食=サンドイッチ。皿に積まれた一つを取る――BLT=ベーコン/レタス/トマト。赤/緑/肉色。三種の彩り。目にも鮮やか」みたいな感じで、「悪文」「手抜き」「ふざけてる」と否定的な意見も漏れ聞こえてきます。けど、これって非常に情報が凝縮されていますので、慣れてくると文章を読んでから頭に映像を描くまでのタイムラグが限りなく0に等しくなり、えらくスムーズに楽しめるという不思議。特にアクションシーンの盛り上がりは桁違いです。研ぎ澄まされ、切り詰められたテキストがソードオフショットガンさながらにズガンと炸裂。好みの差はあるでしょうけれど、これはこれでなかなか得がたい疾走感です。

 まだ「虚無」へ落ちる前のボイルドが自らの過去に悩まされつつも、現在の相棒であるウフコックに救われ、人とネズミの種族を超えた友情が形成されていくあたりは、後の展開を思って切なくなるくらい胸に染みてくる。前作を読んだときはウフコックに魅力を覚えながら萌えるレベルには達していなかった当方も、まだ確固たる決意を築いていない頃のウフコックはウブで可愛らしすぎてたまらず、胸がキュンキュンしました。ボイルドも基本が無感動な人だから大袈裟なことを言ったりしないんだけど、それでも掛け替えがないと断言できる熱心さでウフコックのことを想っている様子がほんのり温かい。そんなボイルドも「運命の女」と出会って、物語がますますノワール色を濃くしていくあたりも甘く、それでいて苦い。

 登場するキャラクターは「スクランブル09」「カトル・カール」ともども満遍なく良かった。特殊な能力を持った連中が「集団」として機能し始める序盤にロマンを感じることしきりの序盤、快進撃を続けてきた彼らが難敵カトル・カールに幾度となく苦しめられる中盤、破滅の響きが止め処なく高まっていく終盤、すべてにおいて存在が輝いています。ボイルドの師匠となって捜査活動のイロハを叩き込むフライト刑事とか、特殊能力を持たない一般人にも強烈な個性を保持する奴がいて楽しい。余談ですが、敵が襲撃してきてすかさず誰かが「カトル・カールだ!」と叫ぶシーンは『ばいばい、アース』の「飢餓同盟(タルト・タタン)だ!」を思い出したり。カトル・カールの面々が放つも異形っぷりは飢餓同盟に負けず劣らずだから尚更。語彙が貧弱というか決まった言葉を機械的に繰り返すしかない(「しゃぶってやるぜ! しゃぶってやるぜ!」とか「いくよいくよいくよ! いくよいくよいくよ!」とか)も似てるし。更に「銃に銘が刻まれている」というのも「剣に刻まれた銘」を連想させる、っていうのはさすがに余談が過ぎるか。それにしても毎回敵集団の名前が美味しそうなのはどんなもんだろう。

 前作で悪役を務めていたキャラが「虚無」に覚醒する前の時期を題材に採るということで、『スターウォーズ』のエピソード1〜3に相当する位置づけ。「悪役を美化してるんじゃないか」という意見も聞こえてきそうな面があり、文章のとっつきにくさを脇においても前作のファンすべてが迎合できる内容ではないかもしれません。個人的にはボイルドとウフコックがまだコンビを組んでいた短編作品から入ったこともあって、ボイルドに「悪役」ってイメージは元よりなかったんですが。ただ、すべての謎が収束する解決編がやや性急だったかと。単に説明だけで終わらせている気がして勿体ない印象を受ける。おかげで最終決戦は前作以上に物足りなかった。冲方の性格なのか、面白いネタを隠しておいたりしないで序盤だろうと構わずブチ込んでくるせいもあって、3巻のラストよりも1巻や2巻に印象的なシーンが散見されてしまう。相変わらず手加減のできぬ作家ですね。

 単純な好悪のみで判断すれば「前作の方が好き」という一言でまとめられますけれど、作者のやけくそスレスレな試行錯誤が実を結んでいる箇所もあって、「これはこれで」と消極的に肯定したい心理もあります。「速度変化(ヴェロシティ・チェンジ)と加速(アクセラレーション)の限界値(クリティカル)を同時に突破して爆心地(グランド・ゼロ)に至る」のがコンセプトであるとすれば、たとえ唯一解でないにしても、少なくともこれが妥当ではあったと認めたい。まあ、理屈は抜きにして、三週間ずっと「発売はまだか!」とジリジリして一寸も退屈することなく三冊全部を貪り読んだ事実を考えれば、「待望」の二文字にあたう作品であったことは疑いの余地なしです。やがて破断する絆とはいえ、それが確かに結ばれていたものだと力強く語りかけるストーリーがありふれた失恋ソングを超越できているかどうかは、各人の目で検証していただきたい。

 最後に。やっぱり一番のインパクトを残していったセリフは「おお、炸裂よ(エクスプロード)――!」。自分が心のどこかで「ボイルドは犠牲者」という構図を望んでいたかもしれないことが暴かれた一言でもありました。


2006-11-28.

・田丸浩史の『ラブやん(7)』読んだー。

 エビって、おい……エビせん摘みながら読んでいた当方は ど う す れ ば い い ん だ (もはや懐かしいネタ)。

 いつも通り主人公が低く安定しているヲタギャグマンガです。この頃しぶとさというか、生命力が幾何級数的に増してきた気もする。ここまで行ったらもう非モテでもロリ・オタ・プーでも人生なんとかやってけるんではないでしょうか。むしろ毎度の如く振り回される周囲の方が悲惨なような。

・竹本健治の『匣の中の失楽』読了。

 幻想と衒学、二種の趣味に彩られた異形の大作。今だと「匣」という字で即座に連想されるのは『魍魎の匣』だろうと思いますが、十年ちょっと前、当方が新本格ミステリに熱狂していた頃は間違いなくこれを指し示していたものでした。一応解説しておきますと「匣」は「はこ」と読み、意味は確か「小さな箱」のことだったかな。ミステリの分野で「三大奇書」と呼ばれる『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』の系譜に連なるアンチ・ミステリであり、これを加えて「四大」とする向きもあります。新本格好きになっておいてこれを読まない奴はもぐりでしょう。そして当方は残念ながらもぐりでした。「美味しそうなものほど後回しにする」という性格が祟って、三大奇書すらまだどれも読んでいません。不明を羞じ入る次第。

 すべては匣の中で起こったさかさまの事件だった――友人の死体を発見し、警察に通報するため階下に降りてみればさっきまでそこにあったはずの靴が一足なくなっていたという倉野の証言から、「第一発見者が訪れるまで、殺人者は現場となった建物のどこかに隠れ潜んでいた」という状況が導き出されたものの、なぜ犯人が自ら望んで「密室」に留まっていたのか、納得できる推論は浮かび上がらない。その後も、探偵小説の「密室」という定義を嘲るかのような奇怪な事件が発生する。死体のない密室、死体が突如として出現した密室、死体とはまったく関係のない密室。何もかもが捩れて、さかしまの模様を描く。ナイルズの執筆する長篇『いかにして密室はつくられたか』が事態を写し取りながら、事態を混濁させる。現実を蝕む虚構と虚構を侵す現実。いくつもの不連続線を越えた先に待ち受けるものとはいったい何なのか……。

 一章を読み終わって二章に差し掛かると、「これまでの内容は作中作でした、現実では殺人なんて起こってません」と明かして読者を鼻白ませたのも束の間、密室からの人体消失という事件が起こってビックリさせつつ三章に突入するや、「実はこれも作中作でした、けれど一章の殺人事件は現実に発生しています」と宣言。恐ろしくひねくれた入れ子構造のストーリーになっているわけです。「メタ・ミステリ」という言葉は本書のためにあるようなものではないでしょうか。入れ子構造とは言ってもただ単に章が改まるごとに階梯が上がっていくのではなく、一貫して「奇数章にとって偶数章はフィクションであり、偶数章にとって奇数章はフィクションである」というルールが存在している点がミソ。言わば本書は「奇数章版」と「偶数章版」と二つのラインに分かれた現実があり、それぞれで細かな設定が異なっていてパラレルワールド的な関係に陥っている。いったい何が現実なのか、そもそも現実とは何なのか……といった混乱に苛まれること請け合いです。

 まだ二十代のときに書いた作品だけあって、かなり粗削りと言いますか青臭い若書きズムに満ち溢れています。まず無用なくらいに難解な語彙を多用するし、比喩表現もいちいち大仰。「羸弱」と書いて「かよわ」と読ませたり、「セピア」をわざわざ「烏賊墨」と書いたり、「飲み残していたコーヒーを、毒杯を呷(あお)ったソクラテスのように嚥(み)くだし」みたいな比喩が頻発したり、やりたい放題。かてて加えて異様な量の薀蓄が詰め込まれていて、その該博な知識は奔流となって押し寄せる。密教の真言だの物理学のトンネル効果だの化学の構造式だの、多様というよりもはや野放図です。事件を解体するために薀蓄があるのではなく、薀蓄を組み上げるために事件が先行してきたのではないかと錯誤しました。そして、何より記号めいたキャラクターたち。本格ミステリ群へのお定まりの批判として「人間が描けていない」というのがありますが、本当に描けていない。区別がつきにくいことこの上なし。人間関係を把握するのにも苦労することしきり。更に彼らは友人が死んだ割に悼む様子や弔う風情をほとんど欠いていて、「現実」をテクストのように読み下し、多分に自己満足の孕んだ「推理」を開陳することに腐心します。これがまた牽強付会もいいところと言いますか恐ろしく浮世離れしていて、現実味を喪失すること夥しい。ミス研でやる推理クイズだとしたらまだしも、知人の亡くなった事件を考えた上でこの珍回答とは、不謹慎の域を越えて肌寒いです。ただ、悪趣味ではありません。現実と虚構の淡いを揺蕩う危うい筆致によって、どこか明晰な悪夢として世界が切り拓かれることなく巧妙に閉じ込められている印象を受けました。

 当方の持っている物差しでは計り切れない部分があり、率直に「オススメ」と推す気にはなれない。歯応えを感じるどころかまったく歯が立たないですよ。凄い作品ではあるのだけれど、人に読ませるのは躊躇われる。今読むとちょっと辛いところとてなきにしもあらずだし。とりあえず、麻耶よりも京極よりも清涼院よりも先駆けて30年も前にこんなものを生み出した竹本健治という存在には畏怖を禁じえません。背後関係を洗うためにもいずれ三大奇書には手をつけなくては。そういえば、これへのオマージュに『匣の中』って本があったっけ。そっちも発掘しなきゃ。


2006-11-26.

・皆川博子の『総統の子ら』読了。

 自分は死なない。確実に死ぬ。二つの相反する思いは裏表になって、今日は生き延びたと思い、明日は死ぬだろうと思う。

 タイトルは言うまでもなくヒトラー・ユーゲントを指しています。1930年代から1940年代まで、戦前・戦中・戦後を舞台に、主要人物である二人の青少年の視点によって紡がれるストーリーは「青春」と呼ぶにあたわぬほど血腥く泥臭い。ポーランド侵攻、フランス侵攻、ソ連侵攻、ノルマンディー戦、そしてバルジ戦。血と泥と肉片と臓物と脳漿を浴び続け、祖国と総統のために身命を懸けて戦い抜く覚悟を辞さなかった若者たちが迎える敗戦の耐えがたき苦さ。「戦いに負けるというのは辛いものだ」という当たり前の言葉が嫌になるくらい染み渡ってくる大作です。いえ「大作」と言うのは誇張でもなんでもなく、もう本っ当に長ぁーい。来月刊行予定の文庫版も上下二分冊どころか上中下三分冊。入魂の一作といった風格が漂います。

 第一次世界大戦の敗北により結んだ苛酷なヴェルサイユ条約、冗談としか思えないハイパーインフレ、追い討ちを掛ける世界恐慌と、「敗戦国」の陥った苦境を背景にヒトラーとナチスがいかに台頭し、ドイツが戦乱へ傾斜していったかを連綿と綴る第1章からして既に重いものの、「ナポラ」という言わばナチスのエリート校で二人の少年が友情を深め合い、青年SSのヘルマンに同じ憧れを抱く流れは学園青春物語としての様相も濃い。

 ナポラを卒業した少年カールが武装SSに入隊し、ヘルマンが特別行動隊(アインザッツグルッペン)に加わる第2章や第3章では少年や青年の初々しさがなくなり、どんどんヘヴィな展開に入っていきます。涙も凍りつくロシアの戦場で狭苦しい戦車に乗り込み進撃するカール、占領した街や村に潜むパルチザンを「洗浄」するため女子供の区別もなくユダヤ人に対しての射殺命令を下すヘルマン。ろくな武装も持たせず「とりあえずウォトカでも飲ませとけ」な感じで酔っ払わせた兵士たちを弾除け代わりにずらーっと並べてひたすら人海戦術で迫り来るソ連兵、処刑待ちの時間を恐れるどころか「しゃさつってなぁーに?」とさっぱり理解していなくて退屈を紛らわすため銃声をBGMにお遊戯を始めるユダヤ人の子供たち。生々しくやりきれない怖さが終始淡々と綴られていて気が滅入ることしきり。後半は収容所暮らしの描写が延々と続けて「悲惨」の一語に尽きます。

 読みながら「彼らはこう生きるしかなかったのか、他に選ぶ道はなかったのか」と何度となく自問しても、「……たぶん、なかったんだろうなぁ」と痛感せざるをえない雰囲気に満ちていて、「第二次世界大戦の光と影」というより「第二次世界大戦の陰と影」って印象を得ました。あらゆる物語で常に悪役を担ってきたナチスドイツ、その若き尖兵となったヒトラー・ユーゲント師団を彼ら自身の経験した地獄を通じて浮き彫りにする試みは、硬質な文体とも相俟って息苦しいほど切実に成し遂げられています。

 反面、当方みたいにナチスドイツの造詣が浅くて「髑髏部隊ってなんか聞き覚えがあるなぁ、聞き覚えしかないけど」な人間には戦記的な説明がみっしりと詰まった文章には辟易するところも多く、読んでいてかなり疲れました。紛うことなき力作です。しかし、いささか力作すぎる。目を吸い寄せる引力はあるにせよ、気楽に読み通せる内容じゃないです。押井守作品の帯にあった「敗者の記す歴史に真実が宿ることはない」という言葉の裏の意味を汲み取るような一冊でした。あと、時系列的には『死の泉』よりも前の話ですが、ちょっとだけリンクするところもあって既読者ならニヤリとするかも。


2006-11-24.

ヤキモチなおさななじみ

 これは来たかも。「嫌いなもの」が「よっちゃん(主人公)に近づく女」となっているのに(*´Д`)ハァハァ。いやぁ〜、可愛くて嫉妬深い娘って本っ当にいいもんですねぇ(水野スマイル)。ただ「よっちゃん」だとどうしても例のイカ野郎を連想してしまう罠。

・冲方丁の『マルドゥック・ヴェロシティ2』読み終わり。うちのあたりではまだ3巻売ってません。

 さすがに2巻目となると独特な文体にも目が慣れてきてまったく違和感を覚えずに読み通すことができた。マルドゥック・スクランブル−09の敵となる「カトル・カール」が遂に襲来してバイオレンス方面は盛り上がる一方。他方で運命の女/破滅の女(ファム・ファタール)との関係も進展。事件の全容も徐々に見えてきたし、ボイルドを語る上で重要なキーワードとなる「虚無」についても触れられて、更には『マルドゥック・スクランブル』との意外な接点も出てきたから俄然興奮がヒートアップ。弥が上にも3巻への期待が膨れ上がろうというもの。個人的に一番気に入ったのは序盤のスラップスティックな捜査活動かな。

――あらゆる場所に、じゃらじゃらと銀色の腰蓑を鳴らすフライト刑事が出現。ベルトいっぱいにぶら下がった手錠――まるでカーテンレール。いかれたお巡りに誰もが唖然となる。
 血走った目のフライト刑事。「近頃こいつを全部使い切るまでは眠れないんだ。今すぐ俺の知りたいことを喋るか、血反吐と一緒に吐くか、今すぐ選べ」

 これは笑う。警死庁も真っ青だ。

・拍手レス。

 某氏の件「何やってンのよォーッ!」と叫びましたとも。(号泣)もう…何年新作にお目にかかってないのか…
 報せ自体は嬉しくないこともないんですが……死なない程度の食糧だけを与えられている俘囚さながらの心境。

 まさにあンたァーッ! こンなところで何やってンのよォーッの状態ですよ。
 待ちに待ってコレですからねえ。ホント、嬉しくないこともないんですけど……うーん。


2006-11-22.

・いまTYPE-MOONの告知を見たばかりで顎かっぽーんとなってる最中の焼津です、こんばんは。視える、視えますよ、「あンたァーッ! こンなところで何やってンのよォーッ!」と一斉に小池叫びするファンの姿がありありと。

・皆川博子の『冬の旅人(上・下)』読了。

 長大かつ壮大な歴史ロマン。西洋史という点では『死の泉』と共通していますが、ドイツが題材だったあっちに対し今回はロシアが焦点。『死の泉』に比べるとミステリ要素やサスペンス要素はぐっと減っていて、代わりにロマンの要素がかなり濃厚になっています。前世紀および前々世紀という隔たりが生み出す遠く遥かな薫りもさることながら、終始一貫して主人公の一人称で綴られることもあって、より没入度の高い一作に仕上がっているかと。

 たった一枚の悪魔(ディアーヴァル)が、少女を帝政ロシアへと誘った――骨董商を営んでいた実家の納戸、そこで見つけた西洋画はロシアの画家によるもので、青年の姿をした悪魔を写し取っていた。彼は幼い川江環の魂を恍惚に導き、果てしない情念を焚き付けて海すら渡らせた。江戸が東亰に変わってまだ十年ちょっとという頃、北の大地露西亜はロマノフ王朝の時代にあって、しかし国民たちの燻る憤懣に軋んでいた。聖像画を学ぶため牢獄のように息苦しいフェヴロニア女子修道院に寄宿したのも束の間、環は「妹の夫と姦通した」という謂れのない誹謗を受け、放逐の憂き目に遭う。強制帰国の直前、エルミタージュで知り合った画学生ヴォロージャに救い上げられ、十七歳の少女は逃亡者としてこの地に留まる道を選んだ。そしてペテルブルグから西シベリアに移り、後に「怪僧」として名を馳せるラスプーチンと出会う。十九世紀末から二十世紀初頭にかけ、革命という名の波に揺れる巨船・露西亜。異邦人として、「旅人」として、革命の波間に漂う水妖ルサルカを幻視しながら魂の彷徨を続ける環だったが……。

 ヒロインが例によって曖昧気味なのは皆川博子の作風なんだろうか? ロシアの伝承に登場する水妖ルサルカが幻覚をもたらし、ところどころで夢と現実が混濁するストーリーはやや幻想小説的な趣を匂わせる。序盤は女学院が舞台で、学年ごとに制服が色分けされていたり、スール制度ならぬ崇拝制度があったりと、学園小説っぽい面白さも味わえますが……残念なことにすぐ退学となってしまいます。以降は「豚宮殿」と呼ばれる安宿に身を置き、困窮の中をヴォロージャやソーニャといった仲間とともに凌ぎつつ絵画の制作に勤しんでみたりするものの、またすぐに舞台変更となる。なんとヴォロージャがシベリア送りになってしまう。それも「名前の似た政治犯と間違われて」という、とんでもない冤罪で。主人公とソーニャは彼に付いていき、辿り着いた村でラスプーチンと邂逅。物語が本格的に動き始めます。

 主人公は野望や野心といったものとは無縁で、西洋画を描きたくて渡露したにも関らず「画家として名を成したい」とは思っていません。だから、最底辺から這い上がって歴史に刻まれるような名作を残すとか、そういったサスセス・ストーリーじみた展開は排されています。「旅人」という明らかに傍観者としての存在を意識させるタイトルが付されているだけあって、本書は「何かを成し遂げる」ことをあえて避けているかのように淡々と月日を流れさせていく。途中「絵を描きたい」という衝動がごっそり抜け落ちて、何も創作しようとしないまま過ごす日常がだらだらと長く続いたりしますが、その頃の主人公が抱く心情は非常に生々しい。当方自身が気分屋というか意志薄弱で物事を貫徹できないタチだからか、いっそう感情移入してしまいました。目標に向かってまっすぐ歩けない、かと言ってすっぱり諦めることもできずぐじぐじと愚かしい思考を弄ぶ、あのなんとも危ういシーソーゲームが嗚呼胸に痛い。紙上を埋め尽くす「人生の方向音痴」ぶりに目頭が熱くなった。

 終盤に差し掛かると「わたしはもう死んだ」「いまは余生」という表現が頻出し、奇妙に穏やかな雰囲気に包まれる。情勢はキナ臭く、革命の臭気が強まっていくなかで、なおも「何かを成し遂げる」ことができず人生の道をさまよい続けた川江環は長い長い旅を終えることができたのだろうか。「永遠に旅をする」ことは「永遠に道に迷う」ことに似ていると考えさせられた一編でした。歳を取るにつれて幻覚が薄れていくことを逆に寂しく惜しむ気持ちに触れたりと、そこかしこに「成長」の陰影がくっきり出ているように思われます。

・拍手レス。

 川上稔の次回作は1月にハードカバー上下みたいですね
 まさか『連射王』が来るとは、って感じです。

 『潮風〜』が出る前に群青はやるべき。何故?あのスゴイ終わり方と言ったら(ry
 まずは僕僕を発掘しないと……

 ホントだ、『Dies Irae』、春変更か_| ̄|○ソンナコッタロウトオモッタゼ さておき、皆川
 博子ですか。ナチス独逸をよく題材にしてらっしゃる方ですね。死の泉とは趣向が異なりますが、
 『総統の子ら』なんていかがでしょう? 或いは薔薇密室

 現在『総統の子ら』を半分ほど読み終えました。『薔薇密室』、『伯林蝋人形館』も一気呵成に読む予定。

 『Dies Irae』、公式サイトでドラマCDの告知がきましたね。ゲームの前にドラマCDて;
 わー、本編より先にサントラばっかり発売してたゲームを連想しちゃいそう。


2006-11-20.

新海誠監督の『秒速5センチメートル』予告編第2弾、配信開始

 前回出た予告編は一分足らずで短かったけど、もう何十遍と繰り返し見たんだか覚えておりません。暇なときはあれと『Dies Irae』のデモムービーをひたすら視聴していた時期もあったほど。そういえば『Dies Irae』、発売は最短でも来年の4月ってことになるみたいです。「冬発売予定」の表記もいつの間にか「春発売予定」に変わってますし……。

・「燕尾服」と「園児服」って響きが似てますね。というわけでののたんの抱き枕カバー園児服verが出るそうですよ。

 まったく無関係な前フリだったけど左様なことがどうでもよくなるインパクトで激しくボディを打ちのめす魔性のロリがリンク先にて。てか、「第3弾」ってもうそんなにのの抱き枕つくってたのか……グッズ類にはあまり興味ないんでチェックが疎かになってました。今回はいささか行き過ぎな気がするにせよ、ののたんの姿を見ているとこう、思わず真冬でも野外に佇んで「寒うない」と言い張りたくなるほど震えるぞハート燃え尽きるくらいにヒートです。原作のエロゲーは2作とも未だやっておりませんが。

・皆川博子の『死の泉』読了。

 我が血は、汝が血
 汝が血は、我が血
 我が肉は、汝が肉
 汝が肉は、我が肉

 二人の手は、黒衣を脱ぎ去る。裸体があらわれる。脇腹のところで、老いたからだと若いからだは、溶け合っている。老いた右手と若い左手が、わたしの首に鎖をかける。先端に獣の牙がさがっている。
 清らかなソプラノではない。鵞鳥のような声で、双頭の聖職者は歌う。

 我が命は、汝が死
 汝が死は、我が命

 助けてください、ああ、神様。わたしが今いるのは、どこなのですか。

 架空の作家ギュンター・フォン・フュルステンベルクによる海外小説 "Die Spiralige Burgruine" を、これまた架空の訳者・野上晶が翻訳したという体裁で書いているミステリ。戦中戦後のドイツが舞台で、文庫本だと650ページにもなる長編ですが、描く対象が絞られているせいか分量の割には壮大という印象はありません。濃密かつ繊細。美と愛と悪の詰まった幻想を、揺らしすぎると音もなく砂礫と化して毀れ落ちてしまうのではないか……と不安になるような危ういバランスで積み上げています。

 レーベンスボルン――「生命の泉」を意味する施設はナチスの産院兼孤児院であり、私生児を身籠った女性が頼れる数少ない場所でもあった。シュタインヘリングのレーベンスボルンでミヒャエルを出産したマルガレーテは、寄る辺なき身上の不安からSSの医師クラウス・ヴェッセルマンの求婚に応えてしまう。美しいものをこよなく愛するクラウスは天使の歌声を持った少年エーリヒと、彼が兄と慕う少年フランツを養子として迎え入れる。ふたりはドイツ人ではなく、「北欧系の金髪碧眼」を欲したナチスの手によって攫われてきたポーランドの子供たちだった。

「一度だけ、あなたに聞いてほしい。ぼくのかわりに、おぼえていてください」フランツは言った。「ぼくの名前は、タデウシュ・オルブリフスキーです」……でした、とフランツは言いなおした。「いまは、フランツ・ヘルガー……もしかしたら、フランツ・ヴェッセルマン……だけど」
「ポーランドに、帰りたいの?」
「ぼくは、忘れることにする。エーリヒは、もう、自分の名字も忘れてしまった。アンジェイという名前も、ぼくがときどき思い出させてやらなければ、忘れる。なぜ二つの名前があるのか、エーリヒには分からない。彼の名字は、ぼくは知らない。いつも、アンジェイと名前で呼んでいたから」

 終戦を間際を控えた1945年、激しくなる一方の戦火は「ヴェッセルマン一家」の絆を引き裂き、またマルガレーテの心の平衡を崩していった。老いたる者と若き者が腰部で癒着した「双頭の聖職者」を幻視する日々。夢うつつのなか、「黒いカメロット」で彼女は何を目撃するか……。

 ぐねぐねとうねってどこまでも果てがない迷宮を思わせる眩惑的なストーリー。本編は「生命の泉(レーベンスボルン)」「ミュンヘン」「城」と大まかに三つの部に分かれており、第一部「生命の泉(レーベンスボルン)」で語り手を務めるマルガレーテは二部以降になると精神を蝕まれ、晩年の虎眼先生並みに曖昧となってしまいます。「フランツ、フランツぅ」「ギュンターにございます! フランツではありませぬ、フランツでは!」 ともあれナチスドイツには疎い当方でも聞き覚えがあるほど悪名高いレーベンスボルンが題材に取り上げられ、そこにボーイソプラノやカストラートといった「至上の音楽」の要素を絡めつつ、更には「腰で繋がった二人の人間」を初めとする半ばバイオホラーじみた人体実験の黒い影を伸ばしてみせる。凝りに凝った絢爛な意匠。いつしか国産小説であることを忘れ、本当に海外モノの翻訳みたいに感じられてきます。出版元が翻訳ミステリで有名な早川書房ってのがまた、ハマってるんですよねぇ。

 さすがに長大すぎて途中でダレる場面はあったし、終盤はちょっとドタバタしてて落ち着きがないように感じられましたけど、「歌う城壁」のイメージから流麗に物語を紡ぎ出してみせる冒頭といい、引き裂かれた「一家」がまるで運命に導かれたかのように廃墟と化した古城に集結していく過程といい、作者の意気込みがしっかり噛み合って空転を起こしてはいません。これが初めて読んだ皆川作品となりましたけど、他のも是非着手いたしたく。というか今まで皆川博子の小説を読んだことがないという事実に自分自身驚きましたよ……中学生の頃からずっと知っててちょくちょく著作を買ってもいた作家なのに。


2006-11-18.

ケロQの『陰と影』、ページの最終更新が「05.11.17」。なんと不更新一周年ですよ。もはや笑うしかない心情の焼津です、こんばんは。むしろ『陰と影』が『俺たちに翼はない』『霊長流離オクルトゥム』あたりと併せて発売されたら嬉しさと引き換えに死亡フラグが立ってしまいそうなので、もうずっとこのままでもいいかなと諦めモードに入ってきたり。

lightの新作『潮風の消える海に』

 『僕と、僕らの夏』『群青の空を越えて』と、売上の面ではいまひとつ伸び悩んでいるシナリオライターながら、堅実丁寧な作風によって強固なファン層を築き上げることを得意とする早狩武志の新作についてようやく詳報が出たよー。

 タイトルは『潮風の消える海に』。『群青の空を越えて』の路線というか、ちょっとニュアンスが似通った題名。壊れたヨットを直して航海しようというストーリーです。パッケージ版が3150円(たぶん税込)ということからして規模は小さめと思われる。ぽよよんろっくの絵柄と重なって爽やか青春ムードを放っています。が、「ヨットで旅立つ」というとニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』を連想してしまって結末に不安を抱く人間がここにひとり。

 ダウンロード販売を視野に入れた実験的ソフトのようで、パッケージ版の発売は少し遅れる模様。それでも現物が手元にないと安心できぬタチの人間でもある当方はおとなしく待つつもりです。というか僕僕も群青もまだやってないから別に急ぐ必要はないのだった。

・小川洋子の『ミーナの行進』読了。

 『博士の愛した数式』でブレイクした著者の最新長編。これ自体も谷崎潤一郎賞を受賞したりと、そこそこ話題になっています。昭和四十年代、大阪万博が終わって少し経ったあたりの一年間を回想形式の一人称で綴っている。もとが新聞小説だったせいか一つ一つのエピソードの独立性が高い構成となっており、一個の長編小説として読むとやや散漫な印象も受けますが、エッセイ集みたいな感覚で面白おかしく気軽に読み通せる心地良さがありました。

 1972年3月、母が東京の洋裁学校に通うことになり、私は岡山を出て伯母の嫁いだ大阪の家に厄介になることとなった。ハンサムな伯父、物静かな伯母、片言の日本語が耳に優しく響くドイツ出身の祖母、厳しいけどテキパキと家事をこなす老齢のお手伝いさん、寡黙な庭師。そして病弱で色白で物語を好む美少女の従妹ミーナ(美奈子)と、庭で飼われている偶蹄目カバ科コビトカバ属のポチ子。気管支が弱いせいで排気ガスを苦手とする彼女は、なんとポチ子の背に乗って登校していたのだ。座椅子に正座し、俯くことなくキッチリと前を見据えて、のそのそと歩くポチ子とともに行進するミーナ。たったの一年だけど、いろんな思い出の詰まった芦屋での出来事が鮮やかに思い出される……。

 中学に上がったばかりの少女が見たこと感じたことを楽しく鮮やかな筆致で描くノスタルジックな長編。淡いロマンスも織り込まれていますが、恋だの何だのには発展しません。ドーンと派手な大事件が勃発してそれがメインになったりするタイプのストーリーじゃなくて、せいぜい「小事件」といった規模のアクシデントがぽつりぽつりと起こる程度の割合平和な話です。ヒロインのミーナが「病弱色白美少女」なんてキャラ造型しているせいもあってなかなか油断できないところはありますけど。作者も作者でまた不安を煽るような書き方しますし……とはいえ露骨にお涙頂戴の展開に走ったりせず、独特の温かい雰囲気を壊さないよう配慮されていましたから、無理矢理読者を泣かせるような強引な展開はなかった。まあ、すべてが楽しくて微笑ましいことばかりじゃなく、伯母が酒と煙草に溺れているようなところもあったりなど、幾分軋んだ雰囲気を漂わせている部分も見受けられます。単純に「心温まる」という一言では括れない本。ただそういった箇所はほとんど意図的に避けられたりボカされたりサッと流されたりで、直接的に抉り出されて問題提起されることはないからいろいろ想像で埋めていく必要がある塩梅。テーマとかは別段うやうやしく扱われておらず、無造作にそこらへんに転がされている感じです。あとは読み手がそれを拾うかどうか。

 ある一家の裕福でいてユーモラスな暮らしぶりを、付き合いの薄かった親戚というストレンジャーの視点を借りて淡々と描き出している。舞台となる1972年はミュンヘン・オリンピックの年であり、例のテロについても言及されております。他にも時事ネタはありますが、なにぶん当方の生まれる前の話ばかりなんで馴染みや懐かしさはなかった。「散漫」と書いてしまったものの、タイトルである「ミーナの行進」は全体を象徴していてイイ具合にイメージが湧いてきますね。大仰に「感動」の帯を付けて触れ回りたくなる要素はないにせよ、ノスタルジーが嫌いでない人なら堪能できること確実。個人的には伯母の「誤字探しが趣味」ってエピソードがお気に入りです。電撃文庫の作品渡したら嬉々として赤ペン入れまくるのではなかろうか。


2006-11-16.

・来月出るロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズの新刊、タイトルが『スクール・デイズ』だそうな。すわ「スペンサー VS. 言葉様か……!」と妄想を逞しくしてしまった焼津です、こんばんは。けどスペンサー・シリーズは読んだことないので具体的なイメージが結べなかった罠。

・アヴラム・デイヴィッドスンの『どんがらがん』読了。

 河出書房新社の叢書“奇想コレクション”の一冊。訳文の向こう側に苦心惨憺する翻訳者が透けて見えるような、かなり文体にクセがある作家の異色短編集です。編者も異色作家として知られる殊能将之。というかこの人って最近新作を出してませんね……「年に一冊」という契約で執筆活動をしているとかいう話を漏れ聞いたことがありますけどどうなっていることやら。ともあれ本書は表題作含む16編を収録しており、どれも10ページから30ページ程度の比較的短いものばかり。表題作の「どんがらがん」が一番長くて70ページ弱あります。SF要素ありミステリ要素ありファンタジー要素あり怪奇要素あり幻想要素ありと色とりどりではあるものの、一編ごとにくっきりとジャンル分けされているでもなくややゴタ混ぜ感の漂う仕上がり。

 「どんがらがん」は異世界を舞台にしたファンタジーで、大雑把な背景は「流浪の王子が祖国を救う呪法求めて当て所なき旅を続ける」ってな具合。一見シリアスのように思えますがそうしたノリは一切なく、始終ひたすらスラップスティックな調子で綴られる。山鉾(ジャガーノート)と呼ばれる大砲、通称「どんがらがん」を引きずって世界各地を脅して回り、食糧を奪って生活する集団に目をつけた王子。オチはまんまドリフですが、シニカルな滑稽味がうまく利いていてサラリと読めます。オチがついた以降も淡々としていて良かった。

 「ゴーレム」「物は証言できない」「さあ、みんな眠ろう」「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」「ラホール駐屯地での出来事」と冒頭を固める5編は代表作っぽい位置づけにあるだけあって濃厚に特色が滲み出ており、かつ充分に面白い。けど個人的に気に入ったのは「眺めのいい静かな部屋」と「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」の2つ。「眺めのいい静かな部屋」は老人ホームを舞台にしたストーリーで、前半こそ動きが少なくてのんびりしていますが、後半の畳みかけが実に鮮やか。ラスト一文には思わず背筋がゾッとしました。痺れるくらい巧い。「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」は奇抜なネタを分かりやすい方向にまとめた一作ですが、読めば読むほどにタイトルの付け方が絶妙。独特の語り口が変に心地いい「グーバーども」や、後ろに固めて収録された3編「ナポリ」「すべての根っこに宿る力」「ナイルの源流」がもたらす変幻自在の眩惑感もなかなか捨てがたいです。

 肌に馴染むか、好みに合うか――で言えば馴染み切れないところがあるし、必ずしも好みとは言いかねますが、少なくともいくつかの編に関しては確実に「読んで良かった」と思える次第。なんかこう、よく分からないままズルズルと引き付けられてしまう魔力と言いますか、どうにも理解しがたいくせして変に病み付きな雰囲気でコーティングされていますよ。


2006-11-14.

・桜場コハルの『みなみけ(3)』を読んだー。

 この淡々とナンセンスな空気がたまらないなぁ。そして相変わらず登場人物の顔の区別がつきにくいなぁ。今回は新キャラの四兄弟がどっと出てきた分、いっそう判別困難に。しかし読んでいて妙に楽しい雰囲気は据え置きであり、安心して堪能できる。貪るように読み耽りました。自分でもなぜこんなにハマるのかよく分かりません。みなみけの魅力はさても面妖。

・新堂冬樹の『底なし沼』読了。

 恋愛小説等、感動要素をウリにした作品を手掛ける「白新堂」とは別に、悪趣味なギャグとバイオレンスでファンを魅了する「黒新堂」。二つの顔を持つ作者ですが、本作は言うまでもなく後者です。このタイトルで純愛とか癒し系とかはありえません。デビュー作の『血塗られた神話』が闇金融モノで、その後もいくつか闇金融を題材とした小説を書き続けただけに一時期は「新堂冬樹=闇金融小説」という図式が成り立っていましたけれど、マンネリ化を避けるためかここしばらくは鳴りを潜めて他ジャンルの作品を精力的に出していました。だから今回のネタが闇金融絡みというのは随分久しぶりな印象があり、『無間地獄』でハマった身としてはそれなりに期待するところもあった次第。

 債権二重取り立て――闇金融でつくった借金をきちんと返済したにも関らず、借用書を取り戻すことも破棄してもらうこともなく放置している致命的な迂闊者たちに「借金は返したってぇ? おいおい、どこに証拠があるんだよ! 俺は借用書持ってんだからな!」と再度の取り立てを行う悪辣なシノギ。蔵王にその道を選ばせたのは、良心的な金貸しだった父を裏切って破滅に追い込んだ幾多もの債務者たちへの憎悪だった。「現」だろうと「元」だろうと、債務者など全員ゴミ。決して親父と同じ轍は踏まない。一片の慈悲もなく、借金地獄から這い上がってきた元債務者たちをふたたび底なし沼に叩き落して沈める悪鬼の如き蔵王。堅気でありながらヤクザさえも一目置く彼は、かつて三千五百万の債務を負っていた日野という結婚相談所の経営者をターゲットとして捕捉するが……。

 返したはずの金をまた取り立てる、もはや借金取りというより詐欺や恐喝の範疇に踏み込んだ犯罪行為をメインに据えつつ、大金を取るか取られるかの激しいコンゲームが繰り広げられる。新堂特有の、容赦ない暴力描写とスラップスティックなギャグが混濁した笑えて笑えないストーリーに仕上がっています。強面のヤクザが「あいつ、窓から逃げたのか!?」「馬鹿っ、スパイダーマンじゃねぇんだ!」みたいな遣り取りしてて噴いた。ただ、キャラクター配置といい、物語の展開といい、はっきり言ってパターン化した内容になっており、過去作品群のコラージュと言いますか……ぶっちゃけ焼き直し臭いところがあるのは確かです。あくまで「新堂の持ち味」と取るか「マンネリ」と取るか、ファンでも意見が分かれるであろう部分。久々の闇金融モノだけあって、当方は割合普通に楽しめました。

 主人公の行動原理が「デカい金を稼ぐこと」であり、そのためには一切良心なんてものは持たないし、たとえ自分の命が秤に掛かっていても保身なんて考えずに己のメンツを貫き通す、ほとんど「死にたがり」と言っていい人間になっているおかげで黒いながらも爽快。ストレスを感じることなく読み進められます。黒新堂恒例の頭のイカれた連中やゴチゴチの武闘派も目一杯登場して、後半の血みどろバイオレンスは結構盛り上がる。既刊にはもっと過激なのもあるから新堂作品としてのイカれ具合は比較的やや低めですが、それでも前半とのギャップがすごくて面白いです。五指切断した手をあの有名な猫耳ロボットに喩えるなどと、無造作なブラックジョークもあちこち仕込まれていたり。

 正直に書いてしまえば新鮮さは皆無だけど、最後に誰が笑うか分からないサスペンスフルでコンゲーム的なB級バイオレンスとしては充分に堪能できました。「泣けた!」とか「感動した!」みたいなのも嫌いじゃないけど、やっぱりたまにはこうした話が無性に味わいたくなるし、読み終わった後に無闇なほどばっちりと精神の安定感が得られるなぁ。

・拍手レス。

 臓器たんに会えると聞いてやってきました。
 ではまず扇子を使って切腹作法を学ぶところから始めましょうか。

 是非とも「萌える解体新書 ”もえかい”」を
 副タイトルは「たーへる・あなとみぁ(はぁと)」で。

 十二国記>お、遅ー!?いやなんにせよ早く既刊を読んで生殺しに!蛇の生殺しに!
 実は『屍鬼』もまだ。小野不由美は『バースデイ・イブは眠れない』と『呪われた十七歳』しか読んでなかったです。

 十二国記は続きを書いてくれれば文句なしなんですがね……
 最新刊からもう5年も経ってますな……ゆっくり読もう。

 俺もあんな姉ちゃん欲しいよ…
 とっても同意。

 自作詩集、講談社から書籍化が決定したらしいですよ
 楽しみに待つとします。


2006-11-12.

『マルドゥック・ヴェロシティ1』を読み終わった焼津です、こんばんは。

 ウフコックがウブでかわええ。詳しい感想は3冊全部読み終わってから書くとして、雑感。今回は文体が硬質でかなり切り詰められた調子になっており、場面によってはほとんどト書きに近かった。「/」や「=」や「――」の連発、それに体言止めや助詞止めの多用による文末の省略など、慣れないとひたすらムズムズします。会話文のテンポはいいので、一旦馴染むとスルッと抵抗なく目に入ってくるんですが。慣れたら慣れたで異様なくらいの疾走感が味わえるという利点もあります。けど正直前作の文体の方が好みでした。

 ボイルドとウフコックがコンビを組んでいた頃を描く過去編ですが、前作『マルドゥック・スクランブル(1〜3)』を踏まえた内容となっているので感覚的には続編っぽい。こっちから読み出すというのもそれはそれでアリだけど、文体のとっつきにくさもあるし、未読の方には『〜スクランブル』3冊を先にオススメしたいところです。

姉ちゃんの自作詩集発見した(⊂⌒⊃。Д。)⊃カジ速≡≡≡⊂⌒つ゚Д゚)つFull Auto)

 笑いすぎて死ぬかと思いました。最初は日記っぽく綴っているくせに、だんだんポエム魂が目覚めてきたのか途中から超人じみた弩級のセンスが迸って飛び散って止まらなくなる。異常にテンポが良く、また滑らかに脈絡を殺す手際も実に心得ており、毎回オチをつけることも忘れない。たとえば「愛」という一編。

ラブ・・・v
アイアイアイアイ暴走中!
とめらんないよ 超特急!!
乗りたい? だめー
フツーにだめー

 「だめー」と断った挙句「フツーにだめー」と更にダメを押す。これ、スレを風靡しただけあって変にハマるものがあれます。他にも「フレグランス・ド・フラワー」「ファンタジー・ラブモード・フィフティーン・ソロモン・ユビワ」「KATUO!KATUPO!KATHUPO!」など、何かがブチ壊れたとしか思えない言語感覚が素晴らしい。天然でやっているなら凄まじい。また背が高いことがコンプレックスになっているのか、片想いの相手らしき人物の「背が小さい子が好き」という発言に「アリでも観察してろ」と微黒い返答を記したり、そのセンスは留まるところを知らない。メルヒェンとダークな情念が融合したブレーキレスのアドゥレセンスがあらゆる編に詰まりまくってます。なんかもう自由極まりないんだけど、この領域にまで到達するとひたすら清々しくて脱帽です。おお炸裂よ(エクスプロード)。

振り向くときがつく
いろいろあったね
でも忘れちゃったよ
大人になるとわすれちゃうね
さみしいね
てをつないでくれた
お母さん、お父さん
一回だけ起こって泣いた
先生
いつも一緒に笑って泣いた
友達
今日からはひとりぼっちだ
そして、昨日みたいに
きみが笑う
私を見てわらうんだ
この声がこだましますように
大人になっても聞こえますように

 この「こだま」という詩とか、中にはスッと胸に迫る佳編も混じっていて素直に堪能。ラスト二行が最高です。いやあ、おかげで休日が楽しく過ごせました。


2006-11-10.

・今更“十二国記”にハマり始めた焼津です、こんばんは。どうせチャイナ風の異世界にやってきた平凡な女子高生が美少年侍らせてハーレムつくっていざとなればイヤボーンする話だろーとタカをくくっていただけに、しょっぱなの『月の影 影の海』からしてえらくハードな展開の連続でイイ意味で裏切られた心地。終盤がやや呆気なくて物足りなかったものの、そこは次の作品に期待というところでしょうか。既刊をガンガン崩していこうかと思います。

・さて、待望の『剣嵐の大地1』『マルドゥック・ヴェロシティ1』を無事に購入できたことですし、これらを読み終えるまではサイトの更新をお休みさせていただきます。

 ……というのは冗談。で、それとは関係ないんですが、箱入りソフトカバーの新レーベル講談社BOXが「大河ノベル」とかいう企画を立ち上げて、西尾維新に来年の1月から12月まで丸一年間連続して『刀語』なるシリーズを計12冊刊行させるって話を今更知って驚きました。講談社BOXと言えば『化物語(上)』は値段が高いくせに装丁が安っぽいので回避……しようかと思ったのに、案外評判がよろしげだったので結局『零崎軋識の人間ノック』と併せて買ってしまった。ああ汲めども尽きぬ物欲よ。『刀語』は実際手に取ってみて「あんまりにも阿漕な売り方だ」と判断したらスルーするつもりですが、なんにしろ凄い企画ですね。たとえ200ページの本を12冊だとしても2400ページになりますし。やってやれないことはないにしても、ここまでギチギチだと作家も出版社も大変なんじゃないかなぁ。

・あと一気に本買いすぎで当方の財布も大変なことになってきましたから来週の『妖刀事件』は見送りにします。


2006-11-08.

“氷と炎の歌”の特集ページ

 こんなんあったとは知らなかった。『剣嵐の大地1』のカバー絵も載っていて、割と評判が芳しくない様子ですが個人的には結構好みだったり。まあたとえ白地に黒字でポツンとタイトルや作者名が書かれただけのカバーだろうと迷わず買う儲なんですが。都内ではもう売ってるみたいだから、こちらは明日明後日あたり店頭に並ぶかな。

焼肉万歳の『雛見沢怪奇ナビゲーター 罪穢』、プレー開始。

 買ったことをすっかり忘れそうになっていました。このソフトは同人ゲームである『ひぐらしのなく頃に』を原作とした同人ゲーム。公式との繋がりはなく、純然たる二次創作となっています。舞台となるのはもちろん雛見沢村、ただし「村の一部にダムがつくられた」という少し原作とは違った状況で話が進んでいく。前原圭一たち部活メンバーが登場する昭和パートと、「わたし」がコックリさんの焼き直しじみた流行り遊び「オヤシロさま」を通じて時空を越え、その昭和パートに没入する平成パート、この二つから成ります。まだ始めて一時間ちょっとなので詳しい内容が分かってませんが、かなり演出に力を入れてるソフトですね……結構「ヒィィッ!」となるシーンが多かったです。ただ、現段階では演出の凝り具合に頼った「鬼面人を驚かす」的な印象が強く、じわじわと利いてくるような怖さなり面白さなりが待ち構えているかどうか、予測し切れない。ビクビクしながらもプレーを続行しようかと思います。

 ちなみに。日常シーンは淡々としているっていうか、良くも悪くも原作ほどはっちゃけたノリではなく、そこそこに楽しい塩梅。あとやっぱり原作を意識したつくりになっているので、オリジナルの方を先にやっておくとよろしげ。

・光原百合の『銀の犬』読了。

 妖精など、ケルト神話の要素群をベースにした異世界ファンタジー。旅の楽人(バルド)オシアンとその連れである少年ブランが、行く先々で「祓いの楽人」としての務めを果たす様子を連作形式で綴っている。収録作は「声なき楽人」「恋をうたうもの」「水底の街」「銀の犬」「三つの星」の5編。あとがきによると続きを書く予定もあるそうだから、このままシリーズ化するみたいです。オシアン(オシーン、またはアシーンとも)というのは常若の国(ティル・ナ・ノグ)に住む妖精の女王ニアヴと恋仲に陥った人間の男で、彼女と交わした約束を破ったために二度と常若の国へ行けなくなり、ニアヴにも会えなくなってしまった……という伝承が残っている。作中では詳しく言及されていませんが、ググってみるとケルト版「浦島太郎」って感じのエピソードでした。主人公のオシアンがこれと同一人物みたいに匂わされているものの、シリーズ1冊目となる本書ではまだまだ謎のままにされています。

 祓いの楽人――それは天に選ばれたもの。理から外れたモノをあるべきところへ返す楽の技を極め、あらゆる楽人よりも優れた才を持ちながら、決して私利私欲のために楽の音を使ってはならないと厳しく宿命づけられた存在。苛酷であり、務めの最中に命を落としてしまう者とて少なかったが、それでも彼らは自らの務めを果たすべく各地を放浪していた。声が出せない代わりに竪琴の演奏で荒ぶる天変地異や妖魔妖精の類、そして未練を残して彷徨う死者の霊を鎮めて回るオシアンもまた、祓いの楽人の一人。愛用の竪琴と身の回りの世話を焼く少年ブランだけを旅の道連れに、今日もまたあるべきモノをあるべきところへと返していく……。

 音楽系の退魔師といった風情の主人公。が、人間に悪さをする妖魔や悪鬼であろうと、よっぽど度を超さない限りはその場から退かせる程度で強引に討ち滅ぼしたりはせず、かなり穏健なムードが漂っています。話のメインとなるのは「未練を残して彷徨う死者」と「それにまつわる生者」の二つ。なぜ、死者である彼/彼女はこんなにも未練を引きずっているのか? という謎を解くため生者から事情を聞き出し、事態に決着を付けるってのが基本構成になっております。「水底の街」だけは例外で、「やり直したい過去に遡って、今度こそはうまくやろうとしたのに……」という、一種のタイムスリップものやループものみたいな趣向。これはこれでなかなか面白かったり。

 文章面ではしっとりとしてやや重厚さを窺わせる反面、キャラクター間の遣り取りは軽快で、ほとんど少女マンガに近いノリです。そこにちょっと戸惑ったりもしましたが、物語の一つ一つに謎を仕込んでサプライズを発動させる、ミステリじみたつくりが興味深くて惹き込まれました。たとえば表題作にもなっている「銀の犬」は、「なぜ主人に絶対服従であるはずの番犬が主人である若妻を噛み殺してしまったのか?」という謎が軸になる次第。他にも「三つの星」は王様、王妃、騎士の三人がすべて死に至った顛末について死者たる本人たちから聞き出すという試みがスリリングでワクワクさせられました。

 ケルト神話に精通していなければ楽しめない、というほどマニアックな代物ではありません。実際に疎い当方でも楽しめました。ほんのりミステリのテイストが味付けされたファンタジー。読んでいてなんとなく連想したのは森谷明子の『七姫幻想』。個人的に気に入った話はやはり「三つの星」ですね。三角関係(*´Д`)ハァハァ。

・拍手レス。

 こんなサイトになりたかった・・・。
 頑張ったり頑張らなかったりを繰り返したらこんな具合になるかと。

 ここまで煮詰めて…書かないのは下手でしょう。
 今はちょっと他に書きたいのがありますので……

 つまり、膵臓たんは作者に忘れられる訳ですね。
 フーゴと同じくらいには覚えておくつもりです。

 脾臓たん可愛いよ脾臓たん!(;´Д`)ハァハァ
 どうでもいいですけど脾臓たんは人ごみとか嫌いそうだから、外出時はどこかの妹みたいにバッグに入り込んで付いて行こうとする予感。

 女神アテナは、大神ゼウスの頭部から生まれたそうですよ
 相変わらず神話はやりたい放題ですね。

 あんた以外に誰も書かんし書けん
 いつか当方の志を軽々と凌駕する益荒男が現れると信じています。

 兄貴……ここまでやっておいて打ち切りだなんて、生殺しだぜ!
 「俺たちの臓器ハーレムは、これからだ!(第一部・完)」

 残念無念 まぁ、SSとはそういうものですが(諦観
 そういうものですね。当方にも再開や本格始動を願うSSの思い当たりがごろごろと……


2006-11-06.

・拍手のお礼画面を「臓器たんといっしょ!」のキャラ紹介verに変更した焼津です、こんばんは。だいたいがwikipediaやgoogleの検索結果と、かなり前に見た健康番組の受け売り。あとこれでもうそろそろ臓器たんネタは打ち切りにいたしたく。

・古川日出男の『ベルカ、吠えないのか?』読了。

 (略)お前は襲う。やすやす、狩り倒す。トナカイの内臓をむさぼると、そいつの胃袋の中にはたっぷり苔がある。トナカイは「トナカイ苔」と呼ばれるコケ植物を主食にしていた。その胃袋は、だから緑色をしていた。お前はそれを鮮血で濡らして、まるで赤いソースをかけて味わう。肉と、血と、野菜だ。完璧な蛋白質と、ミネラルと、ビタミンだ。究極の一皿だ。お前は満腹になって、吠える。それはシベリアの大地に、こだまする。まるで純血の狼の遠吠えだった。お前の半分の血。
 純血?
 お前はそんなものに興味がない。

 書き下ろし長編。第133回直木賞の候補作に選ばれたが、受賞は逃した。「ベルカ」は犬の名前であり、つまりこれは犬の物語です。常に誰かに向けて語りかけているような文体で綴られていて、リズム感はメッチャあるんだけどときどき脱線する。それでも気づけば元のレールに戻っているという力技の連続。古川作品はこれが確か6冊目になるのでさすがに慣れてきましたが……それでもこの異様な速度と切り口には肌がピリピリしますね。

 二十世紀は戦争の世紀であり、軍用犬の世紀だった――軍用犬は人間たちが繰り返す戦争のために大量生産され、その最前線において大量消費されてきた。ときに戦場で互いに殺し合う彼ら、何十万頭にも及ぶイヌたちの中には同じ血脈の流れに位置する「血族」同士であるものもいたが、決してそれを理解することはなく、ただ訓練された通りに任務を遂行し、血を流し、死んでいった。「大主教」と呼ばれる老人は、焼け焦げたイヌの頭蓋骨を地球儀に収め、ロシアに一つの裁きをもたらそうと動き始める。間を置かず引き起こされる抗争。その渦中において、一人の少女――日本ヤクザの娘が大主教に攫われる。ロシア語を解さない彼女はひたすら日本語で悪態をつき続けて人質生活を送った。やがて、イヌたちと出会う。ヒトを襲い、街を破壊するための技術をひと通り余すところなく叩き込まれる軍用犬、その候補生たる仔犬たちと……。

 ガール・ミーツ・ドッグス。「個性的な肥り方をした少女」が、言葉の通じない軟禁地で、特別言語を介する必要もなく意を交わすことができる(指令を伝える言葉がロシア語だとしても)イヌたちと遭遇してあれやこれや。な現代パートとは別に、太平洋戦争時に日本軍が占領したアメリカの島で、撤退する日本兵に連れて行ってもらえず島に取り残され、アメリカ側の捕虜となった軍用犬たちとその系譜を約50年のスパンで以って描くパートがあり、つまり「現在」と「過去」の両サイドを交互に埋めていく形で物語がズンズン紡ぎ出されます。古川節が唸って熄まぬその軽快な筆致は時に、ざっくばらんな調子で国際情勢を抉り出す。

 役立たず、と毛沢東は思った。
 むしろフルシチョフ、と毛沢東は思った。おい、ニキータ……お前の核は、背面の脅威だ!
 そしてフルシチョフもまた、なに暴走してんだよ毛(マオ)、と思った。
 核戦争が勃発しちゃったらどうするの? まいったなあ。こっちはてきとうに「米ソ協調路線」とか謳って、大戦に発展しかねない芽だけは摘んでるのに、もう。馬鹿。
 フルシチョフは口には出さないが、あのね、と思った。うちとアメリカにだけ世界支配させておけば、いいの。
(中略)
 核技術の援助を全面的に打ち切り、中ソ決裂も、まあいいや、としたのである。
 ごめんな毛(マオ)。

 ざっくばらんすぎ。国家間の対立がまるでただの喧嘩みたいだ。他にも「フルシチョフ臭」だの、自由極まりない言語感覚で戦争の世紀/軍用犬の世紀/二十世紀をやけに楽しく埋めていく。しかしながらイヌたちは人間に翻弄されつつも人間を尻目に生き、走り、戦い、交尾し、子を成し、子を育て、遠からず死に、世代交代を果たす。めまぐるしく。種を残すことができぬまま散る命も多いにせよ、多産で且つヒトよりも短く濃い一生を駆け抜ける彼らは、錯綜する家系図とともに戦争と戦争の狭間で入り組んだ歴史をつくる。自らは知ることもなしに。文字通り「戦争の道具」となることに何の疑問も持たず、ただただ調教され訓練された己の身を武器に変えて、ヒトもイヌも、父祖を同じくするものもしないものも、分け隔てなく殺し尽くし制圧する任務に精魂傾けます。そのひたむきさは熱くもあり、どこか冷え冷えとしたものがある。まるで「道具」となることを本領とする、侍さながらの武士道、葉隠。「侍」の原義が「そばにいる」だということを思えば、「ヒトに寄り添う」という生き方を選んだ彼らがそう映るのも、当然かもしれませんが。

 読む前から連想していましたが、実際に読んでみて連想するのはやっぱり『鉄コミュニケーション』。「ヒトに寄り添う」、その生き方が罪だとして、イヌたちはヒトと訣別することができるのか? イヌのサーガ、イヌのブシドー、イヌのハードボイルド……二十世紀の世界を鍋にして、各種様々な戦争・紛争・抗争・闘争で出汁を取り、ジャンルの垣根も知らぬげに何もかもミソもクソもぶち込んで煮込んで溶かし込んだ軍用犬のクロニクル。彼らは生きた。疾走した。そこにいた。そして、どこかにいる。軽くも硬質な文体がやがて吠声に変わり、読み終わってなおつきまとってきます。

 うぉん

 個人的に怪犬仮面あたりのエピソードが好み。

・あと三輪士郎の『DOGS/BULLETS CARNAGE(1)』読んだー。

 犬繋がり。うぉん、うぉん、うぉん。やや荒廃した近未来の海外都市を舞台にしたスタイリッシュ・アクション漫画で、5年前に出た短編集『DOGS』の続きというか本編というかまあそんな感じっぽいです。読んだ記憶はあるけど出てきたキャラで覚えていたのは眼帯と翼ロリだけだった。『DOGS』は連作形式で一話完結が基本だったから一冊だけでも割合楽しめたけど、こっちは長編のつくりになっていて、要するに展開が遅い。まだ全体像がよく見えません。でもくっきりした線と明暗が目立つ絵柄は健在どころか更に磨きが掛かり、より鋭くカッコ良く仕上がっているから満足度はそれなりに。戦闘シーンのパースとか、もはやスタイリッシュというよりフェティッシュ。ただ偉そうなことを書くと、人物絵に比べて銃や刀とかのマテリアル絵にあまり色気が感じられないような……ときたまチグハグな印象を受けます。

 2巻はまた5年後、ってことにならんよう来年あたりに出てほしいものですけど、ひとまずは待つとしますか。


2006-11-04.

・日間アクセス数が普段の10倍になっていて素でビビった焼津です、こんばんは。もし臓器たん絵とか期待された方がおられたら申し訳ありません。うちは読書感想を中心とする字ばっかりのしがないサイトです。

・イアン・ランキンの『甦る男』読了。

 リーバス刑事シリーズ第13弾。原題 "Resurrection Men" 。前作『滝』でも触れられた「死体盗掘者(レザレクショニスト)」と掛けたタイトルになっており、「更正する男たち」という表面上の意味とは別に「墓を掘り返して死体を盗む者ども」ってニュアンスも持っています。50歳を過ぎても独断専行型で協調性が薄く、どんどんダメ人間の様相が強くなっていくリーバス警部、なんと今回は警察官用の更正施設に送られてしまう。理由は「捜査会議の最中に上司へ向かって紅茶のマグカップを投げつけたから」。いくらカッとなったからって大人げないよリーバス、と微苦笑を誘われながら読み始めた次第。

 タリアラン警察学校――ここには新人警察官の教育を行う務めとは別に、「辞職させるには忍びないが、もう少し周りと仲良くして欲しい、素行に問題がある刑事」を再教育するという、一種の更正施設じみた面があった。ジル・テンプラー主任警視にマグカップを大胆スローイングした酬いとして捜査陣から放逐されたリーバス警部は、同じ要領で上司に噛みつき「反抗的」の烙印を押されて叩き込まれた不良刑事たち五人と出会う。揃いも揃って独断専行型な連中を一つにまとめるべく、教官のアーチー・テナントは「迷宮入りした事件の再捜査」という珍しい試験を課した。エリック・ローマックス――犯罪者を始めとする訳有りの人間を匿い、逃亡の手助けをする「逃がし屋」を営んでいた男が他殺体となって発見された事件。その名前に、リーバスは動揺する。彼にとってリコ(エリック)の事件は、決して語りたくない「古傷」となっていたのだが……。

 「死体の盗掘(レザレクション)」と呼ばれる、古い事件の捜査を追体験する教科に参加させられたものの、個人的な事情から口を閉ざし、再捜査をさりげなく妨害して秘密を暴かれまいと努力するリーバス。一方、「リーバスの弟子」として認定されつつある女性刑事シボーンは、リーバスが「紅茶事件」を起こしたせいで外された美術商殺害の線を追う。対象となる事件が一つに限定されず、話が進んでいくうちにそれぞれの関係や全体像が見えてくる、非常に入り組んだプロットが特徴的なのはこれまでと一緒。ただし、良く言えばゆったりのんびりとした足取り、悪く言えばダラダラとかったるい調子に陥りがちだったこれまでに対し、今回は割と早い段階から読者を「おっ」と驚かせて感心させる工夫が凝らされています。おかげで進展の少ない前半さえもスリリングな気分を味わうことができて退屈しませんでした。

 リーバスを含む不良刑事六人組に「ワイルド・バンチ」というあだ名をつけ、「マイルド・バンチ」とからかってみたりなど、事件捜査を抜きにして楽しめる穏やかな雰囲気が漂っているあたりは良かった。酒浸りの中年たちをちょっとした遣り取りで面白おかしく魅力的に演出してくれる。はっきり言って、今まで読んだリーバス・シリーズの中でも一、二を争うほどのワクワク感を提供してくれたかもしれない。リーバスとシボーンが別々に頑張って、ふと何かの折に接触した際にもたらされる、特殊な連帯感が妙に心地いい。四六時中くっついて減らず口を叩き合うコンビ刑事モノも楽しいけれど、こういう「たまに協力し合うだけ」のコンビってのも興味深いです。いわゆる凸凹コンビではなく、凸凸コンビないし凹凹コンビ。ふたりの性質が似通っているから一緒に行動させるより、分けて行動させた方が物語に映えてくる。

 終盤で複雑な謎を解きほぐしていく手腕が鮮やかなことは今更書くまでもありません。不祥事からストーリーを起こし、ダメな老犬たちの主に酒が入った微かな絆に繋げ、そこから宿敵との何度目になるか分からない顔合わせへ結び付ける、まこと抜かりない話運びが心憎い。このシリーズは読めば読むほどハマってきます。まだ何冊も読めるのが残ってるってことが無性にありがたい。

・拍手レス。

 つまりダイの大冒険のハドラーがトゥーハートなわけですね。
 古橋版デモベもトゥーハートでした。

 まったくなしとは酷いツンデレですねwwww早くデレデレしてくださいw
 いやあ、ない袖は振れませぬゆえ。

 臓器ってどこまでが臓器なんでしょうね……脳に脱出されても大丈夫なのかしら
 脳は出したら話がややこしくなりそうな気が。

 10月29日の読書感想、「ローリンズ・ストーンズのTシャツ」ってなってます
 ぐぐったら大量に出てきたので、ミスでなかったらすみません

 直しました。検索は誤字も引っ掛けるのでアテにならんことありますね……

 臓器たん関連で来ましたが、テキストのフェイト感想がよかったです。特に黄金王と士郎の共闘辺りが!
 今読み返すとかなり恥ずかしい……でもあのふたりが共闘する展開はホント見たかったです。


2006-11-02.

ファイルつくって臓器たんネタを格納した焼津です、こんばんは。苦し紛れに書いたネタがこうもウケるとは、世の中ホントに分からないものだ……

ライアーソフトの『妖刀事件』、体験版をザッと一周プレー。

 公開開始当時からいまひとつイメージの掴みづらい印象があったこの新作、体験版が出たとのことでやってみました。シナリオは睦月たたらのピン、原画は天原埜乃という今回がエロゲンガーとしては初仕事になる人……って、ひょっとして、あのごく希に更新がある「カギリミノイド」の天原埜乃!? うわー調べてみるまで全然気づかなかった。確かに見れば見るほど画風はあの人のだ……かれこれ4年くらい、日を置きつつも通っているサイトだけに仰天しました。自分自身、なぜすぐに気づかなかったのか不思議なくらいです。「天原埜乃」と「エロゲー」を結び付けて考える発想が根底からしてなかったせいだろうかなー。

 で。ライアーは毎回SLGとか、妙に凝ったゲーム要素を織り込む傾向のあるブランドだけど、今回は普通にただ選択肢を取っていくだけのノベルゲーですね。文章が『水月』みたいに縦書き表示で、最初は戸惑いと読み辛さを感じたものの、じきに慣れた。渋谷の街を舞台にして、連続殺人事件に巻き込まれてしまった主人公の災難と危難を綴るサスペンスタッチのストーリー。夜道でばったり死体と遭遇して、突き刺さっていた妖刀に魅入られたりとか、なんかひと昔前に流行ったノリですねー。良く言えば懐かしい、悪く言えば古臭い。が、最近はこういうのに飢えていたせいもあって結構心惹かれるものがあります。

 テキストは良さげ。取り立てて目立つほどの特徴はないにせよ、読みやすいし、日常シーンの遣り取りもくどすぎない。シリアスシーンに入るとややくどいというか、ちょっともっさりした印象を受けましたが。CGは色使いが特徴的で好悪の分かれそうなところ。当方個人に限れば至極好み。そりゃもともと原画さんの絵柄のファンですから……名前見るまで記憶が一致しなかったにしても。立ち絵は表情変化くらいであまり大きな動きがなく、それはちょいと寂しかったです。キャラクターはやっぱりメインヒロインの美也が良かった。主人公との微妙な距離感が面白く、ついつい主人公に「いいぞ、もっと押せ」みたいな声援を送りたくなる。シナリオはだいたいの構図が分かるところまで進んでくれたけど、あそこからどこまで話が広がっていくのか読み切れません。メインヒロインが3人ってことからして、そんなに長い話ではなさそうですし。かと言って短くギュッと凝縮されているかどうかも、まだまだ不明。公開されているCGを見た感じではヒロインが陵辱されたりと容赦のない展開もありそう。あと殺し愛とか。でもヒロインに刀が刺さっている絵やヒロインが刀を持っている絵はイメージイラストかもしれないので、殺し愛シチュに関してはあるともないとも言い切れませんね。

 多少ハードな展開があっても大丈夫というかむしろバッチコーイな人間ゆえ、割と期待をそそられるところはあります。とはいえ、「よし、買おう」と思い切るだけの決め手らしい決め手もなくて迷う。「妖刀」だからって剣戟モノを期待するのは的外れっていうか、アクション方面にはあまりこだわってない気がしますし。しばらく考るとしよう。

・今月の予定。

(本)

 『剣嵐の大地1』/ジョージ・R・R・マーティン(早川書房)
 『マルドゥック・ヴェロシティ(1〜3)』/冲方丁(早川書房)
 『零崎軌識の人間ノック』/西尾維新(講談社)
 『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION(1)』/八房龍之介(メディアワークス)
 『夜は短し歩けよ乙女』/森見登美彦(角川書店)

 先月の『ラギッドガール』に続いて今月は“氷と炎の歌”の新刊と『マルドゥック・ヴェロシティ』全3冊を刊行なんて、ひょっとしてハヤカワは神ですか? 当方内部においてここ数年間もっとも熱いファンタジー“氷と炎の歌”、シリーズ最大の盛り上がりを見せると噂される第三部『剣嵐の大地』が今月からようやく開始となるわけです。滾らないわけがありませぬ。1冊3000円近くで全3巻を買い揃えるとほぼ9000円になりますが、それがどうしたというのでありましょう。1エロゲ分だと思えば安いものだ。ヴェロシティはスクランブルの前日譚に当たる、ウフコックとボイルドがまだコンビを組んでいた頃の話みたいですね。そういえばその時期を題材にした短編が何個かあったけど、あれらはいつまとまるんだろう。人間ノックは先月からの延期分。スパロボのマンガ、詳しいことは実のところ何も知りません。単に八房龍之介が描いたんなら買っとこうかー、なノリ。宵闇も終わっちゃいましたしね。何食わぬ顔して再開しそうな気配もある終わり方でしたが。『夜は短し歩けよ乙女』は雑誌掲載されていた連作短編集をまとめたものかと思われます。けどこれは12月発売って説もあるので今月手に入るかどうかは怪しいところ。あ、そういえば『きつねのはなし』もまだ買ってなかったんだった……。

(ゲーム)

 『妖刀事件』(ライアーソフト)

 上の感想で述べた通り、確定とまで行かないにしても気になってる一本。実はあともう一つ気になっていたソフトがありましたけど、そっちは体験版をやった感じ好みに合わなかったので、今月はこの『妖刀事件』を買うか買わないかの二択となりますね。

・拍手レス。

 ヒャッホイーイ!続きキタハ−
 続けちゃいました。

 さすがだ……俺、あんたに一生ついてくよ…
 さすがにもうこれ以上続ける気力はありませんが……あしからず。

 あなたこそ神だと思った>臓器たんといっしょ!
 そしてチェーンソーでバラバラにされ臓腑をブチ撒ける、と。

 パイレーツオブカリビアン・デッドマンズチェストで、敵ボスが宝箱の中に心臓を隠しておりました。
 そうでしたか。西洋あたりでは割とポピュラーなネタだったりするのかな。

 「のび太の魔界大冒険」かと>魔王の心臓
 見たはずなのにさっぱり覚えていない自分に唖然。というか来年リメイクするんですね。

 九門克綺の「心臓たん」もどっかにいたりするでしょうかね?
 きっと克綺が朴念仁な分だけ感情豊かな……いやあるいはもっと朴念仁な心臓かも。

 自分の臓器とエッチするエロゲ …なんて壮絶なオナニーゲーなんだろうw
 まぁ世の中には脳腫瘍がヒロインのエロゲーもありますし。エッチはなかったけど。

 そーいや神林長平の小説で胃が逃げ出す話があったのを思い出した
 神林ってあんまり読んでないですけれど、なんか何でもありな印象が。

 貴方は神である。断言できる。
 そしてチェーンソーでバラバ(ry

 頼みます!更新が遅くなっても構いませんから心臓たんの連載を、何卒、何卒お願いします! by九重
 更新を休んでまでの連載はさすがに……ポツポツと何か書くかもしれませんが。

 体内彼女!ww 焼津さんがタッキーを超えた……まさに究極の自己愛。
 人呼んで器官性愛者(オルガニスト)。

 やった!臓器たんの続きがっ
 喜んでもらえたなら幸いです。

 シリーズ「体内彼女」。筋肉たんと一緒の主人公は、多分マッチョに憧れる貧弱な坊やとかだ。
 筋肉や骨は擬人化して書き分けるのが死ぬほど辛そう。


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