それは、宇宙を侵す愛
−第1話 思いつき−


 ドクター・ウェストの「思いつき」は、いつも必ず致命的である。
 例外はない。

 キッカケは小さな「種」だった。
 部品漁りにアーカム・シティの閉鎖区画へ立ち寄った彼が「今宵は収穫ナッスィング! ブーシット! ブゥゥゥゥシィット!」と罵っているとき、ふと足元にある小石程度の何かを蹴り飛ばした。
「ん? 何であるか?」
 小石にしては異様な感触。気になって足を止め、腰を屈めた彼は黒くツヤツヤ光る「種」を拾い上げた。ひどく硬そうな外見に反し、綿のように柔らかく、微かな温もりを発している。
 どくり。挟み上げた指を押す力。「種」は──蠢動していた。
 その有り方は「種」というよりも、「卵」に近かったかもしれない。
 常人ならばここで「気持ち悪い」と投げ捨てるところだろうが、あいにくと彼はドクター・ウェストである。
 「あの」ドクター・ウェストなのだ。狂科学者(マッド・サイエンティスト)の名をほしいままとし、一度気になったら墓を掘り返し死体を盗んででも研究に取り組む外道。彼にとって法とはロウではなくテーマ。従うべきは万人の決めた掟ではなく、身体の内側から湧く歪んだ好奇心。知的というより痴的。やりたいことをやるだけ。子供すら呆れる幼稚な衝動に背中を押され、研究の意味など遥か後方へ置き去りにしてひたすらアクティヴに行動する。
 間違っても常人の枠に収めようなどとは考えない方がいい。
 品性の崩壊した顔でニヤリと笑い、ポケットに仕舞いこんだ。
 拾っておけばきっと、何か面白いことに出会えるだろう、と。そんな「思いつき」に誘われて。
 どくり──白衣に触れ、禍々しくうねる「種」。
 闇夜に輝く月の下、狂える科学者の哄笑が尾を引き、やがて消えた。

 躾と懲罰は切っても切れない関係にある。
 さる紳士は語る。
「教育というものはあれさ、『いかにして従順さを刷り込むか』。この一点に懸かっている。懸かっているとも。言うことを聞けば飴を、聞かなければムチを与えることで、子供に『命令には従った方が得策だ』と学習させるのだよ。もし相手がそれでも従順であることの意義を理解できないようなら──犬にも分かるぐらい、簡単な、実に簡単な、そう! 圧倒的とも言える暴力を見舞ってやればいい。乗馬鞭でも火掻き棒でも何でも構わん。『最悪』を教えろ。そうすれば自然と子供は『最悪』を避けるべく努力を払い、こちらの指示に耳を澄ますというものだ。澄ますというものだよ。はは、はははははは、ははははははははは……!」
 床に這いつくばって鼻血を垂らすウェストが思い出したのは、この講義だった。
 ブラックロッジの空に浮かぶ要塞、「夢幻心母」。その一室であるドクター・ウェストの研究室。組織の雰囲気からは微妙に浮いた、非呪術的器具が所狭しと部屋を埋めている。
「うう……ぐ……」
 鋼鉄の地面を掻き毟り、身体を震わせてなんとか立ち上がろうとする彼を、一本の足が無造作に押さえつけた。
「が……ッ!」
 苦い呻き。胃の腑から込み上げる酸っぱいものを、喉の動きで必死に堪える。
「博士、またオイルの質が悪くなっているロボ。こんな不味いものを飲ませるなんて、つくづく娘想いがなってないロボ」
 緑髪の少女がウェストを見下ろし、嘆息する。
 端整な顔が軽く傾いた。釣られて、腰の下まで長く伸びた髪が揺れる。
 傾きのせいで耳がピンと垂直に立った。それは人間の耳に似て非なる形。ナイフのように細長く鋭利で、丸みとはまったく無縁。顔を挟んでV字を描くその器官は、見方によれば魚影とも捉えられる。
 裾の長い黒スーツに身を包んだ彼女の足は細く、到底大の男であるウェストを押さえていられるものには見えない。彼が背筋を利用して起きあがれば、あっさり外してしまえそうだ。
 なのにウェストは呻きを漏らしたまま、一向に立ち上がらない。
「お、重い、重いのである。なんだか前よりも重くなっている気がするのである」
「気のせいロボ」
「太ったのであるか?」
 容赦なく蹴られた。それなりのガタイが鞠のように弾んで壁に激突する。
「装備を増やしたわけでもないのにエルザが太るかロボ。ありえないことを口走るのもほどほどにするロボ」
「生みの親に鉄壁とのキスを強要するのもほどほどにしてほしいのである! 娘甲斐のない奴め!」
 口元を押さえつつ、よろよろと立ち上がる。その目は怒りというよりも、悲哀の色に濃く滲んでいた。
 果たして反抗期なのであろうか。ここのところエルザの素行は悪化の一途を辿っている。元を正せばウェストによって生み出されたアンドロイドなのだが、生みの親である彼が「面倒くせぇである」の一言でかの有名なロボット三原則の組み込みをスルーしてしまったのがすべての元凶と言える。始めのうちはそれなりに従順だったものの、次第に次第に命令違反じみた行動が増え、遂には「誤差」で片付かないくらいに気持ち良く背き出した。
 「ジュース買ってこい」と硬貨を渡せば問答無用で殴られたあげく硬貨を瞼の上に乗せられ、「そこのレンチ取って」と頼めば脳天に向けて手渡され、「チャンネル変えてもいいですか?」とお伺いを立てれば「駄目ロボ」と一蹴(この場合本当に蹴る。視線を画面に固定したままアリキック)。
 軽んじられ、手荒に扱われ、今や彼の背中には年頃の娘を抱える父親特有の悲哀がべったりと付着していた。マスクとトミーガンで統一化された没個性集団の構成員たちにすら「大変ですねぇ」と同情されたり、「実はうちも……」と相憐れんだりしている始末。
 泣きたい気持ちを必死に抑えるウェストの脳裏に浮かぶのは、ひとりの男だった。
 大十字九郎。奴との関わりが深まるにつれ、エルザのぞんざいさは急速に駆け上がっていった。
(何もかも奴が悪い! 具体的に何が悪いかと言えばエルザが奴のことを「ダーリン」と呼んで懐いているあたりである! 最初はまじめに戦っていたエルザも、ここ最近はすっかり馴れ合っている有り様! 大十字九郎も大十字九郎で「またかー」とあっさりあしらいやがるし! 本来ならば「たまァ取ったらぁ!」「取れるもんなら取ってみぃ!」とか殺伐した関係であるべきなのに、「あははー」「こいつぅ」って『ネクロマンティック』のラストみたいなほのぼのした遣り取りに終始! そのうち我輩の首を切り落としてキャッチボールでも始めかねない勢いなのである!)
 ウェストの内部で怨念が膨れ上がり、「大十字九郎憎し」の想いで顔が怒りに染まる。
 残念ながらウェストの観察はいささか主観的すぎ、実際のところ九郎の心情は「またかー」というより「またか……」、「こいつぅ」というより「こ、こいつゥゥゥ!」だったのだが、無論知るべくもない。
「今度からオイルは上物を揃えておいてほしいロボ。もう安物にはうんざりロボ」
 肩を竦めて言い放たれるや、途端に怒りが萎み、おろおろとした仕草でしどろもどろに答える。
 情けないの一言に尽きた。かつての自信はどこへ消えたのか。彼はもはや「内弁慶」ならぬ「外弁慶」と化していた。
「しかし、しかしであるな、エルザ。うちの部署は大十字九郎のアホタレめに破壊ロボをやられまくってもうだいぶ予算が……」
「破壊ロボが破壊されていたら世話ないロボ」
 鼻で笑われた。
 さすがにウェストもカチンと来る。
「おい、エルザ。破壊ロボを愚弄する気であるか……?」
「別にそんな気はないロボ。あれでも一応はエルザの兄弟ロボ」
 「あれでも」「一応」──
 ウェストの肩がぴくりぴくりと二度震えた。
 敢えて言及するなら、ここで誤解が発生していた。エルザは別段破壊ロボに向けて蔑意を込めたわけではなく、単に「自分と同じアンドロイドではないけれど」程度の意味合いで言ったに過ぎなかった。つまり、形状やコンセプトの差異を念頭に置いたわけで、性能は度外視している。
 ウェストには自ら「天才」と吹聴しても誰にも否定されないだけの頭脳を有している。「まあ、紙一重と言うしな」というからかいの言葉も、結局は彼の才能を認めたうえで生まれたものだ。「人格」と「知能」を別個にして見れば、彼は紛うことなき天才である。
 だが、「人格」の方が「知能」の足を引っ張った。どこまでも引っ張った。彼は意図的とすら映るほど思い込みが激しく、一度「こうだ」と決め込んだらいかなる人物の忠告も耳に入らない。さすがにかの大導師マスターテリオンが相手ならばいくらかの譲歩は見せるだろうが、逆に言えばそれほどの大人物を持ち出さない限り、彼に翻意させることは難しかった。
 非常に短く言えば、憤りによって彼は「容赦」という情を忘れた。
「我輩のことを悪く言うのは許せるが、『作品』まで嘲笑うようでは我慢ならないのである。ここはひとつ、お仕置きが必要と判断し──」
 足を開き、上半身を沈ませた。
「──ナノ秒の遅滞もなく実行に移すッ!」
 非戦闘員のウェストは体術に優れていない。マギウス・スタイル、即ち超人となった大十字九郎でさえ手に負えないエルザを力任せで御せる道理は皆無。
 元より、彼は娘に打擲をくれる趣味はない。体罰は断固として反対だった。
(確かに躾と懲罰は分かちがたいものかもしれん、ウェスパシアヌスよ。だがそれは我輩の信念に反する! 反する以上は抗う!)

 ウェストはエルザに向かって飛び込むのではなく、むしろ大きく飛びのいた。

 エルザの表情が緊張する。彼の真意を悟ったのか。追うように跳躍した。
 だが、遅い。距離を詰めるための最低必要時間は、ウェストに充分な余裕を与える。彼は既にポケットへ手を突っ込んでいた。
 非暴力手段を用いて彼女を無力化すること。それは彼女がアンドロイドである以上、簡潔明瞭だ。
 強制的に電力供給を遮断する。機械の身体を持つ彼女にとって、電力は血と同じ。断たれればもう動くことは叶わない。ドラ○もんがうざったくなれば、の○太は尻尾を引っ張る。伝統の技とも言える。
 もちろん彼女もそのことは重々承知していた。強制停止を食らえば、ありとあらゆる「お仕置き」が実行可能となってしまう。生みの親の人格を部分的に継いでか、彼女も彼女で思い込みの激しいところがあった。
(このまま眠らされたらどうなるか分からないロボ! ひょっとしたら目が覚めたときにはAIが破壊ロボの方に移されているかもしれないロボ! 『どうであるか、エルザ──自分が破壊ロボになった気分は!』『さあ、その姿でデモンベインと戦ってくるのである! お前が「ダーリン」と慕う甲斐性なしペド探偵の鬼械神とな! 奴め、きっとお前がエルザであることも気づかず両断したり撃ち抜いたり散々なことをするに違いないのである!』とか黒いことやられる可能性はとても否定できないロボ! 博士は顔からして狂っているし、『お仕置き』とやらも相当狂っていてエゲツないに決まっているロボ!)
 勝手に妄想を炸裂させて死にも勝る恐怖を覚えた彼女は、それこそ死に物狂いの形相でドクター・ウェストに迫る。
 さすがにこれほど鬼気を迸らせてくるとは予想できず、ついウェストはうろたえてしまった。
 狼狽の結果は指先に反映され、うっかり彼はポケットの中にあるリモコンを掴み損ね、代わりにあの「種」を摘み上げてしまった。
 どくり。黒き種子が脈動する。
「──はッ!?」
 取り出した時点で間違いに気づいたが、遅かった。
 飛びすさることで稼いだ距離も、エルザの突進によって失われつつある。「殺してでも博士を止める!」と苛烈な決意を漲らせる猛進に、さしものウェストもチビった。
「ひぃ、ひぇぇぇぇ!」
 恥も外聞もない。ウェスパシアヌスへの反論もとっくに忘却し、鼻水を垂らしながらぶんぶんと腕を振り回した。
 スポッ、と。
 まるで一連のイベントが予定調和であったかのような滑らかさで、ウェストの手中から「種」が飛び出す。
 狙ったわけでもないのに、放たれた「種」は過つことなくエルザの眉間に吸い込まれていく。
「あ──」
 僅かな衝突音さえ、無だった。
 見えない穴でも開いていたのか。文字通り、「種」はエルザの眉間、更にその奥へと「吸い込まれて」いった。
 違和感に驚いたエルザは攻撃を中止。繰り出そうとした拳をピタリと止めた。
 しかし、だからといって突っ込む勢いまで殺すことはできない。
 タックルの要領で肩を張り出し、立ち塞がる障害物──ウェストの身体を軽々と跳ね飛ばした。
「ぐふぅ!」
 悲鳴とともに気絶。呆気なかった。
「こ、これはいったいなにロボ……?」
 眉間をわさわさと撫でつつ、即座に自己診断プログラムを起動する。頭部に重点をおいて異常な動作が見られないかどうか調べるが──
 何の前触れもなく、そのプログラムが停止した。
「強制終了……!?」
 彼女の内部を「Emergency」のアラームが吹き荒れる。正体不明の何かが彼女のハードへ侵入し、今まさにソフトまで侵蝕せんとしていることを、否応なく理解させられた。
 実行すべき対策は、ない。侵蝕は短い時間で劇的に進み、彼女が対策を思考することさえ許されない。
「博士!」
 頼みの綱であるウェストは目の前でだらしなくのびていた。弛緩した表情は、何かイイ夢でも見ていそうで腹が立つ。駆け寄って叩き起こそうとするが、気づけばもう足も動かなくなっていた。
 ドクター・ウェストの最高傑作、エルザ。
 彼女はたったひとつの小さな「種」を相手に、どうしようもなく抵抗を奪われ、無力化していた。
(博士はいったい何を──)
 疑問さえ凍りつく。
 どくり。
 発熱する機械の深奥。母胎と呼ぶにはあまりに規格外な狭所に収まった「種」が蠢く。
 そして。
 異形の種子が、誰にも聞こえない歌を囁きながら──芽吹いた。

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