「麻雀飛龍伝説 天牌」
   /作画:嶺岸信明、原作:来賀友志


 1999年から“週刊漫画ゴラク”にて連載を開始し、瞬く間に巻数を積み上げ、麻雀漫画最長不倒距離の記録を樹立した作品です。タイトルは「てんぱい」と読む。麻雀用語の聴牌(テンパイ、あと一個必要な牌が来たらアガれる状態)をもじったもの。「天が齎した牌」とか「天に届く牌」といった意味でしょうか。天意云々を語る場面はありますが、詳しいことは不明。麻雀漫画というと竹書房の“近代麻雀”、いわゆる「近麻」が有名ですが、最多巻数記録を誇るのは日本文芸社というトリビア。当方が持っている『天牌』1巻は2012年3月10日発行で18版(初版は1999年11月10日発行)ですから、メチャクチャ刷られている、というほどではないにしろ平均すれば年1回以上は増刷されている勘定となります。詳しい算出方法(本編のみなのか、外伝や列伝も含むのか、コンビニ本等の廉価版は考慮しないのか)は知らないが「累計で600万部を突破している」との情報もある。麻雀漫画としてはかなり有名な部類ですが、ジャンル自体がマイナーだから漫画好きであっても麻雀に興味のない人だとまったく知らないかも。当方も『咲―Saki―』で麻雀に関心を向けるまでは「古本屋で山ほど棚に差されている漫画」という印象しかなかった。手に取ったことさえ一度もなく、「これを全巻読んでいるのって、いったいどんな人なんだろうな」ってチラッと思ったりもしましたが、まさか将来自分がその立場に回るとは。因果は巡るものです。

 さすがにアニメ化はしていませんけれど、実写版(Vシネマ)が制作されたり、ゲーム版が発売されたりと多メディア展開も果たしています。知名度は低くない。ただ、あまりにも話が長いってこともあり、「読み始めてみよう」と決意するにはちょっとばかり勇気が要ります。振り返ってみますと、麻雀のルールを知らない人さえ聞いたことがあるキメ台詞「あンた、背中が煤けてるぜ……」でお馴染み『哭きの竜』は全9巻と意外に少ない巻数でまとまっている。十数年後に外伝も出ましたが、そちらも全9巻であり、両方とも単体としては二桁に達していません(ちなみに『哭きの竜』の正式な題名は『麻雀飛翔伝 哭きの竜』。ちょっと似てる? 牌よ、竜に告げよ)。『天牌』以前のレコードホルダー『哲也―雀聖と呼ばれた男―』は全41巻、『カイジ』で有名な福本伸行の『天―天和通りの快男児―』は全18巻、『天』のスピンオフで未だに鷲巣麻雀が終わらない(そのせいでアニメ版も半端なところで最終回を迎えた)『アカギ―闇に降り立った天才―』の最新刊は26巻、連載300回を突破した『むこうぶち 高レート裏麻雀列伝』の最新刊は33巻です。これらに対し『天牌』は、現時点で本編の最新刊が64巻、外伝が23巻、列伝というサブキャラのエピソードを集めた番外編が1巻の計88巻(皆伝というガイドブックもあるが、それは除外する)ですからね……挑むとなると怯んでしまう。既刊を積み上げた様子はさながらバベルの塔。置き場がなくて床積みしていた『天牌』に足が当たってタワーの崩落する悲劇が何度発生したことか。この巻数の多さで勘違いされることもありますが、『天牌』は上述した通り1999年開始、時期的には『Kanon』発売のちょっと前に走り出した作品だから長期連載漫画としてはそんなに古くない部類に入ります。『アカギ』どころか『兎―野性の闘牌―』よりも後発です。『むこうぶち』は同時期開始。ちょっと前にコミカライズ版が発売された『病葉流れて』も原作は1998年刊行、『天牌』はまだ始まってすらいなかった。麻雀漫画以外を例に挙げますと、『ONE PIECE』の連載開始が1997年で今度出る新刊が67巻だから、外伝を抜きにしてもワンピより早いペースで巻数を重ねている計算になります。いくら途中から大ゴマ連発になるとはいえ、化け物じみている。

 以下、大まかなストーリーを説明しつつ感想を述べていきます。ネタバレを防止するような配慮はないので未読の方はご注意を。

 最初に全体の見取り図を書いておきます。『天牌』は複数のストーリーラインが同時に進行するタイプの漫画ゆえ、厳密に「○巻から×巻までが△△編」と言い切るのが難しい作品ですけど、だいたいの目安として巻数を表記します。

 「開幕編」(1巻)→「学生選手権編」(2巻〜5巻)→「横浜編」(6巻〜8巻)→「四川編」(8巻〜10巻)→「元禄杯編」(11巻〜13巻)→「赤坂決戦」(14巻〜18巻)→「長野編」(19巻〜25巻)→「王様ゲーム編」(25巻〜29巻)→「伊豆編」(29巻〜33巻)→「頂上決戦(新宿編と渋谷編)」(34巻〜48巻)→「大阪編」(49巻〜52巻)→「第二次赤坂決戦」(53巻〜61巻)→「京都編」(62巻〜)

 まず1巻目、すべての始まり。作者がベテランコンビということもあって作風やアウトラインは既に固まっていますが、今と比べたら絵柄がだいぶ違います。主人公・沖本瞬の髪型もまだボサボサになってなくて坊や臭さが残っている。よっちん(伊藤芳一)はなんかやけにチャラい。連載が長期に及ぶかどうか不透明な時期とあって進行も手探り状態。馴染みの雀荘が潰れてしまったせいで新たな根城を求めることになった瞬が、初めて入った店にて「麻雀職人」黒沢義明と出逢い、彼から様々な心得を伝授されてステップアップしていく……って過程をショートエピソードの連続で綴っている。この黒沢は瞬の師匠に当たる存在となり、後に「赤坂決戦」と呼ばれるエピソードで卓を囲んで熾烈な闘牌を繰り広げることになります。そして「赤坂決戦」を最後に本編から退場する(生死不明)。『天牌外伝』は黒沢を主役に据え、瞬と出逢う前の日々を綴ったモノ。当然、瞬は出てこない。外伝は1話か2話程度で終わる単発エピソードの寄せ集めで、本編みたいに何巻も費やして描く長期エピソードはありませんが、本編キャラの何人かがちょいちょい顔を出す(外伝キャラが本編に出てくるパターンもある)のでファンには嬉しい内容となっている。本編に比べてあまり殺伐としていない点も読みやすい。当方は外伝から先に読んだ(正確に書きますと、最初に「赤坂決戦」のエピソードをコンビニ本で読んでから『天牌外伝スペシャル』という外伝のコンビニ本を読み通し、それからようやっと本編に復帰した)クチなので本編の展開にはショックを受けました。第1話の時点で瞬は24歳、現役大学生。「よっ 沖本 卒業以来だから2年ぶりか」「バーカ 瞬はまだ卒業しちゃいねえよ」って遣り取りから察するに、ストレートで入ったけど留年し続けてるんでしょう。第4話で学生証も描写されていますが、ボカしているためハッキリとは読み取れない。大学名は「昭和大学」か? 入学が平成一桁で生年が昭和、ということはだいたい昭和50年前後の生まれと思われる。1999年に始まった漫画だから、作中の時期を同様に1999年(平成11年)と仮定すれば1993年(平成5年)に入学、1974年(昭和49年)に生誕ってところかな。1巻は背景に「5月」という表記のあるシーンがあるうえに瞬の誕生日は「8月16日」っぽいので、もうちょっとすれば25歳になるはず。実際に7巻では「25歳」と言っていた。『天牌』は進むにつれてだんだん年月の経過が曖昧になってくるし、作中の年代を特定させるような描き方もしていないので、あくまで参考程度ですが。黒沢義明、伊藤芳一、谷口隆といったツワモノたちとの邂逅を経て、「麻雀で生計を立てる」決意を固めた瞬。彼は学生証を破り捨て、「誰とやっても勝ち切る それが俺の今の課題!」と「そのとき電流走る」みたいな背景をバックにキリッと豪語します。本来瞬は麻雀が純粋に好きな青年で、イカサマをやるような奴やマナーが悪い奴、酒飲んで酔っ払ったまま麻雀する奴、麻雀牌や麻雀卓を粗末に扱う奴が嫌いなんですが、そういう奴らを避けるのではなく真っ向から叩き潰してのし上がってやろうと気炎を吐く。明らかにキレかかった表情で「俺を怒らせたらどんなことになるか覚えとけよ!」と、仲間が泡噴いて倒れても気にせず打ち続ける「うじ虫ども」の住まう雀荘を睨みつけるシーンで1巻を終わり、2巻へ続く。このあたりは「成長ストーリー」とまでは行かない、まだ「方針決定」の段階に留まりますね。そこそこ面白いけど、本格的な闘いはまだまだこれからってところです。

 2巻目は単発ストーリー積み重ね路線から長期展開路線へと切り換わっていきます。入星祥吾、影村遼などといった重要キャラが顔を出してくる。入星はかつて麻雀裏プロのナンバー1と囁かれていた男で、影村はその入星に弟子入りしたがっている青年。2巻の時点では依然として瞬が主人公扱いされていますが、ある程度話が進んでくるとよっちんや遼が準主人公的な存在としてメイン枠に食い込み始めます。そして瞬はだんだん範馬刃牙や丹波文七みたいな「名ばかり主人公」の位置へ追いやられていくことに……さておき、2巻では名目ともに主人公の瞬。脅しで背中にナイフ刺されたまま「たとえ殺されたって 牌を裏切ることは出来ない!!」と叫んでツモ宣言する描写は『アカギ』や『凍牌』を連想させる。博打が絡むせいか、麻雀漫画は何かと血腥くなりがちですね。が、それも前半だけ。後半からは一転してシリーズ最初の山場である学生選手権に向けて話が動き出します。正確に書くと「第6回全日本学生麻雀選手権大会」。2巻から5巻までを「学生選手権編」と呼んだりします。まず本選ではなく予選から始まる。この学生選手権、東京を含む全国5つの地区(東京地区、神奈川地区、北海道地区、四国地区、あと一つは不明だが関西圏っぽい)で予選が行われ、各ブロック20名ずつを選出して合計100名で本選をスタートさせる運びとなっている。予選は「参加者100名が各自半荘4回打ち、トップ5が本選出場」を4回繰り返して20人選出という形式です。瞬たちは4回ある予選の4度目、つまり最終日に参加することになって、「たった一度きりのラストチャンス」を掴むべく奮闘するが……イカサマするような奴は出てくるけど暴力描写がグッと薄くなり、同時に麻雀要素も濃さを増す。面白くなってくるのはここからですね。ラストの「ベタ降りなんて猿でも出来ることじゃないか」が印象的。ちなみにこの巻からヒロイン(ゆか)が登場しますが、刃牙で言うところの梢江みたいな存在と認識していただければ宜しいかと。あるいはヒカ碁のあかり、テニプリの桜乃。『天牌』はかなり男臭い漫画ゆえ、女性キャラの出番や見せ場はほとんどありません。恐らく読者の需要自体がない。あと、この巻は海輝が「そうさ 先生はぼくのウルトラマンさ」と言っているところに少し時代を感じた。時期的にはガイアをやっていた頃か。

 3巻目、予選を突破し瞬とよっちんは本選へ進みますが、たまたま裏ドラが乗ったおかげで辛うじてトップを捲ることができた瞬、同級生である後藤正也(いかにも地味なキャラで、最初は単なる数合わせだと思っていた奴ですが、こいつは後々暗黒面に目覚めることになる)を容赦なく追い落として「自分さえ良ければ……それがお前の正体かよッ」と責められたよっちん、ともに沈んだ表情であり、お祝いのムードなど微塵もない。一方、危なげなく勝った遼は水商売風の女性(根本智美)を相手に淀みないスケコマシぶりを見せつける。ヒモは女が生命線、しかし生命線は時として切れることがあるものだ。「俺とタメの勝負が出来る奴は 座った瞬間に全身に電流が走るもんなんだよ」と嘯く遼。『アカギ』の矢木といい、雀ゴロの世界では電流が標準装備なのか? 落ち込む瞬たちを励ますように麻雀道を教授する黒沢、しかしこのときに放った「隆を見てみろ こいつの技術はすでに一流 しかしそこ止まりだ」という残酷な言葉が隆を激しく傷つける。雀ゴロ生活から足を洗って田舎の酒屋を継いだらどうだ、と諭す黒沢に「ざけんじゃねえぞ!」と叫ぶ隆。以降の展開は外伝を先に読んでいた身としては少々辛い。黒沢を見返すために危険なレートの賭場へ乗り込み、ひと皮向けてやろうと足掻く隆だったが、たまたまそこにやってきた瞬と成り行きで真っ向勝負を繰り広げるハメに。当初は先行するもののやがて態勢が崩れポロ負けに転落、打ちのめされて「もう麻雀やめる……っ」と泣いて田舎に帰るかと思いきや、まだ諦め切れずに「四川」という雀荘で打ち続けている。雀ゴロから足を洗ったら、兄貴と慕う黒沢から離れることになる……そのことを惜しみ続けた隆はしかし、4巻目の冒頭で黒沢と対話することにより、ようやく未練を断ち切って人生をやり直そうと決意する。が、その矢先に……新宿の路上で起こった悲劇、これが後の「四川編」へと繋がります。

 ショッキングな出来事から幕を開けた4巻目は学生選手権本選の開始。本選は全国から勝ち抜いてきた100名に半荘4回打たせ、上位の成績を収めた8名が準決勝に進出。ふたつの卓に分かれて同じメンバーで半荘2回を戦い、それぞれ上位の2人ずつ、計4人が決勝戦へと昇り詰める。決勝戦も半荘2回です。団体戦メインの『咲―Saki―』と違って個人戦だから大会の進行も早いですね。第2話で大会の説明、第3話で大会の開始、第6話で準決勝スタート、第10話で準決勝終了、次巻からいよいよ決勝戦……と、小気味良いテンポでサクサクと進んでいきます。5巻目がいよいよ学生選手権のラストですが、始まって早々に瞬の出場資格が取り消される。瞬は3ヶ月前に大学から除籍処分を受けているので「学生」には当たらない、というのが表向きの理由。本当はただの私怨です。大会を協賛している「全日本麻雀競技審査会」所属の稲垣「名誉」8段が3巻で瞬にコテンパンにのされたため、難癖をつけて失格に追い込む。ゴネれば大会自体が中止になるかもしれず、麻雀を愛する瞬は大人しく失格を受け入れます。友であるよっちんに後を託して。決勝へ進むはずだった瞬が消えたため、繰り上げで横浜代表の長谷沼が出場となる。阿部徹男、長谷沼譲二、影村遼、そして伊藤芳一の四者が鉾を交える決勝戦は『天牌』最初の山場であり必見。「14牌中13牌が他家のアタリ牌」という状況など、見所目白押し。半ば辺りでは次巻以降に展開する「横浜編」のキーマン・河野も登場します。ふてぶてしいだけでまだ狂気はさほど感じない。一方、稲垣と同じ全競審の7段・市居淳平は瞬にとって黒沢に次ぐ第二の導き手であるけれどかなりの食わせ者で、大会参加者の名簿コピーをこっそりとヤクザに横流しする小悪事に手を染めている。名簿流出は11巻以降で描かれる「元禄杯編」への布石ですね。

 学生選手権が一段落した6巻目からは新展開、「横浜編」に突入します。7巻目も引き続き「横浜編」であり、8巻目まで食い込んだところで終結する。コンビニ本の『横浜代理戦争編』は総集編。6巻の第2話「ゼロの関係」から8巻の第2話「敗者の姿」まで、全21話を収録しています。「四川編」への布石となる挿話も挟まれているため、総集編だけ読むと「余分なエピソードがあって話わかりにくいな」と混乱するかもしれない。『天牌』は複数のストーリーラインが並走して物語を紡ぐ構成となっており、便宜上「○○編」「××編」と分けることはできても、キッチリと独立していない部分があります。だから結局、総集編を漁るよりも1巻から順々に読む方がベター。わかりにくいながらも『天牌』がどんな雰囲気の麻雀漫画であるか如実に伝わってくるエピソードなので、ここから読み出す選択もそれはそれでアリです。さて、横浜編は沖本瞬と影村遼というちょっと珍しい組み合わせで繰り出します。学生選手権でよっちんの指を折った一心会のヤクザ・河野高志にリベンジするべくハマへ降り立った二人。遼は「野蛮なイケメン」といった風貌のジゴロというかスケコマシで、女について「股を広げりゃどいつも一緒 まぁ銭の保険のようなもんだからな」と事もなげに語る。いかにも無責任で誠意の欠ける発言ですが、やがてこいつは女絡みのトラブルでヒドい目に遭う……が、それはまだ先の話。出会い頭にいきなり「よっちんのお返しだ」とばかりに河野の左手小指をへし折る瞬、相手がヤクザでも躊躇いなしとは、こいつもだんだん凶暴になってきたな。しかし河野のイカレっぷりは瞬をも凌駕しており、「痛みを抑える取っておきの方法」と称して自ら小指の横、左手薬指をボキッと折ってしまう。痛みの上書き、というか、痛みの上塗りじゃないか。折れた指をベロベロ舐め回した途端に河野は強くなり始める。追い詰められる瞬。辛くも初日は乗り切りますが、本番は仕切り直しての翌日の対局。「エンドレス勝負」と称し、瞬たちが指定された金額(それぞれ2000万)まで勝つか負けるかしないと決着しない無茶苦茶なルールを数に恃んで押し付けてくる。断れば「迷惑料」を払わされる。かくして二人は不眠不休の麻雀を打つことに……不眠不休で麻雀というシチュエーションは『牌王伝説 ライオン』の2巻目にもあったな。あっちは確か100時間耐久麻雀だったか? コーヒーに睡眠薬盛ったりと汚い真似してくる河野を真っ向から捻じ伏せるべく、瞬は「先に席を立った方が負け」というルールを追加させて最後の勝負に挑む。これ、トイレに関してはどうなんだろう……ジョボジョボ漏らしながら続けるつもりだったのかしら。「ツモ!」と雄々しく宣言している卓の下でハッピシャワーリミットブレイク、みたいな。河野は散々見苦しい真似をした末に敗北しますが、惨め極まりない河野の姿を見た長谷沼が「麻雀を打ち続ける限り いつかは俺も あんな姿になっちまうのかな…」と呟いて余韻を残したところで横浜編は〆。物語は雪崩れ込むように「四川編」へと切り換わります。

 8巻目からはファン人気の高い「四川編」が本格的にスタート。四川編は長々とネタを仕込みに仕込んだ末に始まるため、厳密にどこからが四川編なのかを決めることは難しい。麻雀自体が始まるのは8巻の第3話「エネルギーの喪失」からですが、現裏プロナンバー1の三國健次郎が登場する「奇跡のラン」(7巻の第8話)あたりはもう四川編に入っていると言ってもいいんじゃないかって個人的に思います。4人が卓を囲む「血染めの赤」(8巻の第2話)は突然停電し、遼以外の面子が闇の中で目を煌々と光らせ、謎のオーラを噴出させつつ口からエクトプラズムみたいな吐息を漏らしている描写に笑う。圧倒的闘気。アニメで人気の『咲―Saki―』はかなり演出過剰気味で、ほとんど伝奇バトルの様相を呈していたため「これ本当に麻雀物か?」と目を疑ったが、冷静に考えると『天牌』も演出はあちこちハリキリまくってるんでやってることそんなに変わらないな。「流れ」とか「運気」とか、ややオカルトがかった要素もある。「運量」なる謎のパラメータも存在するし、「指先に念を篭める」「牌に魂を注ぎ込む」「妨害電波を飛ばす」といった抽象的行為が駆け引きの要になる局面もあります。「感性」や「超感覚」などで次ヅモを見抜く特殊能力も当たり前になってくる。麻雀漫画はある程度突き詰めると運命論じみてきますね。

 さて、まずは四川編に至る経緯をお浚いしましょう。通称は「四川編」ですが、公式では「四川決戦」「四川死闘牌」「四川弔激闘史(実写版タイトル)」などと表記されている。「四川」は雀荘の名前です。中国系の経営で、客層もメインは華僑や華人。黒沢義明の弟分(おヒキ)である谷口隆がここへ打ちに来て、たまたま居合わせた影村遼が店長に「負けが込めば人相上サマに走るタイプだぜ」と無責任な忠告をした結果、「あいつはイカサマ野郎だ」という噂が駆け巡って、金を巻き上げられた若者が何の確証もないのにナイフで隆を刺し、死に至らしめてしまう。弟のように可愛がっていた隆を濡れ衣で殺された黒沢の怒りは収まらず、彼の汚名を雪ぐ弔い合戦として「四川」での勝負を提案する。打ち手は黒沢義明、入星祥吾、三國健次郎、そして影村遼の4名。勝負は黒沢と入星のトップサシで半荘10回勝負、つまり1位を取った回数の多さで競う。「半荘10回」は最大数であって、最小数は半荘6回。逆転不可能なほど差が開いたら、その時点で勝敗は決する。入星が勝てば黒沢は5億円を払い、谷口隆殺害の件に関してはこれ以上掘り下げない。黒沢が勝てば、隆をイカサマ野郎と疑った奴ら全員を隆の故郷である富山に行かせて土下座、殺害した当人は半年間毎日墓磨きをさせる。こうした条件でスタートしますが、実力がほぼ拮抗していると見られる黒沢、入星、三國の3人に対して明らかに劣る遼は蟻地獄に落ちた昆虫の如くもがき苦しむ。妙なオーラを滲ませつつ「遼の次ヅモは北」と確認している黒沢たちの様子はまるでサイキッカーである。リスペクトしている入星から「そこに北はあるんだよ」と理解困難な「共通の見解」を示され「何をこいつら言ってやがる 分からねえ まるで分かりゃしねえ」と冷や汗を滴らせる遼を誰が笑えるだろうか。『咲―Saki―』阿知賀編のアニメ版で限界突破した園城寺怜の額に「トリプル(三巡先を視る能力)」の天眼が輝く演出を観たとき、「やりすぎだろ、もう麻雀じゃねえ!」と爆笑したが、遼以外の面子は普通に天眼が実装されているような気がする。だいぶ先ですが54巻には「瞬の天眼が上家の捨て牌をサラリと洗った」という文章が本当に出てきます。最近は平然とテレパシーで会話してるし、もはや人外魔境の領域だな。外伝には匂いや指紋から個々の牌を識別するウルトラガン牌雀士まで姿を現す始末。黒沢や入星にも引けを取らない三國の「冷たすぎる」打牌は「卓上を凍らす」と形容され、室内で突然に吹雪が吹き荒んだりする。そう、彼こそは裏社会最強の代打ちと名高い氷の貴公子・三國健次郎、人呼んで「氷のK」――「どうしたんだ 入星さん」「ふるえてるぜ」と『凍牌』ネタを連想してみたり。『むこうぶち』にも「氷の男」日蔭ってキャラがいたな。麻雀と氷って相性がいいのかしら。一応解説しておきますと、三國が得意とする「氷の打牌」は「ギリギリの読みで暴牌スレスレの危険牌を通して周囲をヒヤッとさせる」ってな意味。それはそれとして四川編、半荘10回戦は全部描くには長すぎるからか、4戦目と5戦目は端折られています。6戦目の途中まで綴ったところで「つづく」となる。

 9巻目は半荘10回戦の6戦目を引き継ぐ形でスタート。あまり詳しく描かれず、すぐに7回戦へ移る。この時点で入星と黒沢は2勝ずつ。残りは最長4回、最短でもあと3回は打つ必要がある。この巻では横浜編で河野からカッ剥いだ金を遼に渡すため瞬が、勝負の行く末を己が目で確認するために華僑の首領・王(ワン)が、雀荘「四川」へと足を運ぶ。王は隆殺害事件の真実を隠蔽しようとしている男です。殺害犯がお偉いさんの親類なので、事件を迷宮入りさせるべく動いている。遼は絶不調からは立ち直っているものの、相変わらずの不調。切る牌の選択を間違えて和了を逃す。「俺の麻雀の稚拙さが一人の人間を殺そうとしている」と泣き出す遼。そして泣き止んだ頃に瞬が到着。遼の他に師匠である黒沢と、以前に「天三荘」というガラの悪い雀荘で助けてくれた恩人・入星が闘っている場面を目撃する。点と点が結びついて線になってゆく展開に読者も興奮すること請け合いです。四川編の裏ではよっちんに追い落とされたことを未だ根に持っている後藤正也が「ククク…」と黒い笑いを漏らしながら暗黒面へ堕ちてゆく。正也の外道邁進劇は次巻にて。四川編は白熱の後半戦を迎え、死に体の遼は辛うじて一度だけトップを取るものの、三國ともどもそろそろ気力の限界。卓上で展開する次元を超えた闘牌に付いていけなくなった二人は9戦目から互いにツモ切りマシーンと化すことを誓い合う。9戦目が終わり、入星、黒沢、ともに3勝。三國と遼の二者が和了を放棄した今、10戦目にて闘いの終止符が打たれることは約束された。四川編、次巻にて閉幕です。

 10巻目は四川編のクライマックスとあって、体温を上げながら読んだ。「全ては煮詰まっている」と確信した入星と黒沢は10戦目を1局オンリーの勝負で済ませることで合意に達する。なぜか? その答えはあまりにも単純でした。黒沢、天和。入星、地和。天地乖離す開局の和(エヌマ・エリシュ)。まさしく天と地を分かつ麻雀の到達点、混沌が終わり秩序が生まれる創世のアガリオンへと二人は辿り着いていたのだった。「我が天和こそが原初の荘厳」。かくして聖牌戦争の様相すら呈した四川死闘牌編は終結です。天和が成立すれば当然ながら地和は不成立なので、黒沢の勝ち、入星の負け。負けたら死ぬ覚悟だった入星は、事前に王と約束した通り己の鼻をナイフで削ぎ落とそうとする。元禄杯編を先に読んでいたので、削ぎ落とさないことは知っていた。王のお目こぼしによって存える入星。緊張の糸が切れたせいか、遼は椅子に座ったままハッピーシャワーリミットブレイク。要するにお漏らししています。あれを掃除するのって四川のマスターだよな……「遼! 拭イテカラ帰レヨ!」とぶつくさ言う姿が目に浮かぶ。四川編そのものは3話で終了、ここからしばらく後日談というか繋ぎのエピソードが続く。まず瞬に難癖をつけて選手権決勝への出場を取り消した「名誉8段」稲垣正夫へのお礼参り。金を賭けての勝負には応じないだろうからと、脱衣麻雀対決を申し込む。「ゲーセンで定番の」と言っているけど、最近はもう脱衣麻雀ってほとんど見かけないな……今ゲーセン行っても置いてある筐体はオンライン通信型の対戦機ばっかりですね。勝負の結果は言うまでもなく稲垣たち全競審側がボロ負け。しかしオッサンたちの半裸姿なんて見ても嬉しくないよ……何が悲しくて美女や美少女以外の相手と脱衣麻雀を打たねばならんのだ。と虚しくなった矢先にサービスシーンが。よっちんが家庭教師をしている少女・田浦静香に逆恨みの王者・後藤正也が襲い掛かる。ギリギリのところで未遂となりますが、このことによって静香は深い心の傷を負い、よっちんと田浦家の関係にも亀裂が走ります。静香の弟・海輝に勇気を与えるため麻雀日本一を目指していたよっちんは、麻雀が原因で起こったトラブルから静香を傷付けてしまった皮肉に懊悩する。次巻から伊藤芳一と影村遼、ふたりの彷徨が始まるのを尻目に、瞬は天辺を目指してひたすら翔け昇る。ここあたりからよっちんと遼の主人公属性が強まってきますね。反面、瞬の存在感は徐々に薄れていくことに……。

 11巻目は四川編の後日談を語りつつ次の「元禄杯編」に向けて動き出す。「選抜学生麻雀大会」と銘打たれた元禄杯は学生選手権に参加した学生たちを招いて行うため、参加者一同は「選手権絡みの大会」と思い込んでいるようですが、実はまったく無関係。全競審の市居が横流しした名簿をもとに波城組の盛岡、つまりヤクザが起こした大会なんです。目的は、麻雀好きの学生たちを裏レートの雀荘に誘導して金を搾り取ること。大会は単なる人寄せであり、メインは大会終了後の「誘いかけ」にあります。なので湘南白虎隊のような雀ゴロは呼ばれていない。ちなみに「元禄」は大会を行う雀荘の名前。元禄杯の裏では横浜編の河野も再登場しますが、あっさり黒沢に潰されます。河野のザコ化が止まらない。瞬は河野のお礼参りを密かに恐れている節がありますが、果たして再登場はあるのか。ヤクザ主催の似非大会は12巻目13巻目の第1話まで続き、あとは盛岡との遣り取りをちょっとだけ描いて、最後に元禄杯の裏で語られていた遼のエピソードを締め括りに掛かる。遡ること2年前、生まれ故郷の佐賀で遊び回っていた(族のヘッドだった、という設定もある)遼は、知らなかったとはいえヤクザの娘に手をつけしまった。なのに責任も取らずに相手をフって、傷心した女は身投げ。一命は取り留めるものの半身不随となり、かくしてヤクザから仇として付け狙われるハメになった。一度は追っ手をかわして逃げ切りましたが、「そろそろ場所を移そう」と考えたその日に念願の四槓子(以前成就しかけたが、追っ手から逃れるために卓を放棄した)決めて運気を使い尽くしたのか、遂に捕まっちゃいます。拉致されてどこぞの雪山に連れてこられた遼は、拘束された状態のまま首から上を残して生き埋めに。命乞いしたり逃げ出そうとしたり、必死で生き足掻こうとする姿が健気です。横浜編が絶頂期で、四川編以降は一貫してボロボロにされていますね。よっちんも精神状態が壊滅的、黒沢は肺や肝臓のダメージがひどくて血を吐いてるし、全体的に物語が破滅や崩壊を窺わせる方向へ舵を切っていく。四川編後の黒沢は死期が近づいて過剰に感覚が研ぎ澄まされてきたのか、なんと「牌が透けて見えた」なんてことを言い始める。一人ガラス牌モード。『こんぼく麻雀』で言うと綾菜のイカサマ技(あれ〜?透けてきた〜♪)ですね。あの技、最初は便利かと思ったがじきに使わなくなった。『こんぼく麻雀』の二人打ちはツモでもロンでも遣り取りする点数が変わらず、互いに有効牌が来やすいプログラムになってるから放銃回避しても結局ツモられちゃう。無理矢理でもいいから萬子の染め手でLPを回復させつつ清一色か混一色でさっさと和了る、というのが『こんぼく麻雀』二人打ちモード鉄板の攻略法です。と、麻雀エロゲーの豆知識はこのくらいにしておきましょう。遼が雪山に埋められるってことは、作中はもう冬なのか? 1巻が5月くらいだから、もう半年以上は経過していることになりますね。学生選手権、横浜代理戦争、四川死闘牌、元禄杯と大まかに4つの闘いがあったのだから、実に濃密な半年間ではあります。

 14巻目は前半が遼の生還、後半が「赤坂決戦」の開幕。吹き荒ぶ雪、四川編の三國が幻視させた「凍てつく打牌」さながらの光景を実体験している遼は既に瀕死です。顔がほとんど雪に埋まりかけている。前情報が何もなければ「このまま死ぬんじゃないか」とハラハラするシーンですが、たまたま近くを車で通り掛かったチンピラたちに救出されて無事生き長らえる。しかし、失った代償は大きかった。指の細胞が壊死してしまい、何本か切断することになってしまったのだ。目を覚ました遼は変わり果てた両手を見て狂乱、「死なせろ 死なせてくれーッ」と嗚咽を漏らす。絶望に暮れる遼を拾い上げたのは長野のヤクザ・仲邨組。ってことは、あの雪山は長野近辺ということか……麻雀で長野県っていうと、どうしても『咲―Saki―』を思い出しますな。主人公・宮永咲の通っている清澄高校は所在地が長野県って設定なんです。ともあれ、数奇な運命に導かれての逗留は20巻より顎を開く「長野サバイバル死闘牌」へと繋がっていくことになります。ちなみに『天牌』のヒロイン・ゆかも長野出身。つか、遼が世話になってる仲邨組っていうのが正にゆかの実家です。当のゆかは大物プロデューサーに見初められ、芸能界への道が開け始める。そんなことは露知らず、彼氏の瞬は師匠である黒沢の最期を看取るために赤坂の雀荘「天狗」に向かう。赤坂決戦、もしくはもう一度「天狗」を舞台に行われる闘牌と区別するために第一次赤坂「天狗」決戦と呼ばれる、『天牌』で一、二を争う激闘がいよいよ火蓋を切ります。対戦するのは黒沢義明とその弟子・沖本瞬。これに菊多賢治と新満正吉が加わる。菊多は三國と同じ黒流会の代打ちで、滅多に出てこない秘蔵っ子。幼い頃受けた父親の虐待によって左脳と右肺に重い障害を抱えているが、引き替えとして「右脳一本で渡ってきた」と囁かれるほどの超感覚を保持するに至っている。三國にとっては種違いの弟でもある。一方、新満は黒沢の師匠に当たる男で、黒沢が唯一負け越している相手。昭和元年生まれ、特攻隊の生き残りであり、「死を凌駕した」絶対感覚を得ている。元特攻隊の雀士というと『ワシズ』にも隼ってキャラがいたな。『アカギ』では鈴木と名乗っている奴です。赤坂決戦は半荘1回のみという取り決めの短期決着戦ですが、闘牌の濃密さは四川編にも匹敵するか、あるいは超越するか……ってレベルです。約4冊かけて半荘戦を丸ごと描くなんて真似、他だとなかなかできませんよ。『アカギ』はある意味もっとすごいけど。当方が初めて読んだ『天牌』のエピソードがこれなので、何度読み返しても感慨深い。

 15巻目16巻目17巻目はずっと赤坂決戦で、18巻目の途中でやっとピリオド。最大の活躍が「親番のときに超人たちの魔手を掻い潜って聴牌したまま流局まで凌ぎ連荘したこと」程度と、前半はあまり見せ場がなかった(当方も初読時は「なんだか地味だな、この主人公」と思った)瞬、長き雌伏の末にようやく起動する。一度はハコ下に追い込まれる(赤坂決戦はトビ終了なし)ものの、諦めずに和了を目指し、トップの新満を直撃。一度アガリ牌が来たにも関わらず見逃ししたため「勝負を放棄するのか?」と入星に疑われたが、「オーラスで役満をツモればトップに立てる」状況を作るために新満からの直取りを狙い、事前のロン発声を耐えたのでした。「麻雀は我慢のゲーム」と申しますが、赤坂決戦は特にその要素が色濃く出ていますね。他家のアタリ牌を引いてしまって、ツモ切れば即アガられてしまう……という場面でその牌を止め、更には自分の手に吸収してみせるなど、我慢の果てに実を結ぶ聴牌の数々がとてもアツい。熱気でムンムンします。さて南4局、長かったようで短かったような半荘戦のオーラス。エンジン不調で特攻を完遂することができなかった新満(ちなみに上述した『ワシズ』の隼は発煙筒を焚いてエンジントラブルを装い生還した)は「今度こそ敵艦の土手っ腹に大穴を開けてやろう」と意気込む。黒沢もガード重視の態勢を解いて和了を目指す。気力の限界が近づいている菊多も勝つ意欲を失わない。無論、瞬も。四者の意地がぶつかり合う最終局、その先に待ち受けるものとは……是非、御自身の目で見て確かめて欲しい。これを最後として黒沢は静かに退場し、以後本編に顔を覗かせることはありません。

 『天牌』は長すぎるせいでどうしても読み出すキッカケを掴むのに苦労しますが、もし迷っているのであれば当方みたいにいきなり赤坂決戦のところから読み出すってのも一つの手です。コンビニ本だったら『赤坂決戦(上・下)』と2冊にまとまっていて手軽。単行本だと14巻から18巻まで、5冊一気に買えばよし。ただし決戦の裏で語られるよっちんや遼のエピソードは、「いきなり読み」だと残念ながら事情を把握しかねることでしょう。『天牌』という漫画を気に入ってしまえば、結局頭から読み直すことになります。レイプ未遂事件を引き起こした正也は大学にも出てこなくなり、そのまま消えるかと思いきや、なんとヤクの売人にまで落ちぶれていた。正也に守りたいものを壊されたよっちんは寄る辺を失い、元禄杯を主催していた波城組・盛岡の誘いにホイホイ乗って高レートの裏麻雀へ足を踏み入れてしまう。そこで出てくるのが津神元、入星にも匹敵すると噂される男。いいように弄ばれたよっちんは「もう一度俺と闘いたければ渋谷中の雀荘をシメてこいや」と命じられます。かつてない敗北感と恥の意識に苛まれ、よっちんは黒沢に鍛え直されたいと願うも、果たされない。「俺は墜ちているのか それとも昇っているのか」。長野で日々を過ごす遼は義手を誂え、ふたたび立ち上がってやろうと目に光を灯らせる。三者三様の青春(正也は青春という域を超えてるのでさすがに除外)。ここで運命は分岐し、学生選手権でまみえた若者たちはそれぞれの道を歩み出す。またいつか、どこかの卓で牌を交わす定めにあろうと予感しながら……「第一部・完」って表記がデカデカと刷られてもおかしくない物語の区切りに達しました。さあ、『天牌』はここからが長い。まだ全体の1/3も消化していないのだ。より一層気を引き締め、「どんなに積まれたって読んでやらあ」と覚悟して以降の巻に挑むべし。

 19巻目は繋ぎ巻の印象が強い。本格的なエピソードはまだ動き出さず、淡々と前フリをしている段階です。遼は億単位の金を巡る麻雀対決に参加することとなり、よっちんは渋谷制覇のために雀荘を荒らして回り、瞬は「いつまでも立ち止まっているわけにはいかないんだ」と念じて更なるステップアップを目指す。個人的にちょっと好きなキャラである長谷沼が再登場したことは嬉しかった。落ち目のところを黒沢にボコられて再起不能になった河野は現在行方不明、「知らないところでもう消されちまっている」かもしれないとか。よっちんは連勝に次ぐ連勝で同卓のチンピラを怒らせ、袋叩きにされてしまう。路地裏のゴミ捨て場に倒れながら黒沢と出逢った頃を思い出すよっちん。よっちんと黒沢の出逢いは『天牌外伝』の「サマ返し」というエピソードで語られています。イカサマを見破るためにイカサマの技術を徹底的に覚えろ、って話。『天牌』の登場人物はガラの悪い連中も混ざっているからちょいちょいサマ(イカサマ行為)が飛び出しますけど、重要な場面でペテンを仕掛けるってのは意外と少ないですよね。ちなみに『天牌外伝』の1巻は本編19巻と20巻の間に発売されており、「赤坂決戦」が終結した後に始まったような印象を受けますが、初出情報見るに第1話は「四川編」をやっている頃に掲載された模様だ。ついでに書くとガイドブック『天牌皆伝』は22巻と同時発売、番外編『天牌列伝』は43巻と同時発売です。

 20巻目、いよいよ新章「長野サバイバル死闘牌」開局。面倒だから以後は単に「長野編」と表記します。冒頭3話は対局者の紹介で、実際に打ち始めるのは第4話から。半荘10回の勝負で、トータルラスがトップに6億、3着が2着に2億払う順位ウマ。遼が世話になっているヤクザは2億円しか持ってないので、ラスを引くと支払い不能とあり、きっとえらいことになってしまいます。遼以外の打ち手は、横浜の暴力団「一心会」に所属する打ち手・奥寺一政。一心会は河野がいた組です。奥寺も四川編の後、11巻くらいでちょっとだけ出てましたね。組に大きな損失をもたらした河野は消され……てしまったのではなく、なんと組でも所在が掴めないとのこと。これは再出演フラグか? 弟分の尻拭いをするため、奥寺は長野の対局に参加することとなる。家族を人質に取られたような状態なので、負けたらすっごくピンチだ。残りの2名は「新宿を中心に薬(ヤク)の裏売買をやってるブローカー組織」の打ち手と、波城組(元禄杯を主催した盛岡やよっちんに渋谷制圧を命じた津神元のいる組)の打ち手。後者は新キャラで北岡静一という青年。「麻雀くらいネットでやれば済むこと」とボヤくところから察せられる通り、もともとはオンライン麻雀の打ち手です。アーケード機『麻雀熱闘倶楽部』(元ネタはコナミの『麻雀格闘倶楽部(マージャンファイトクラブ)』、2002年稼動開始なのに谷口隆がまだ生きており、作中の年代が捩れてしまっているが、細けぇことはいいんだよ)で全国1位を誇るプレイヤーだった。詳細については外伝2巻収録の「ネットチャンピオン」を参照のこと。前者は既存のキャラですが、出てきたとき「ええっ!?」と絶句しました。後・藤・正・也。レイプ未遂犯、まさかの本筋復帰です。そういやこいつヤクの売人やってたな……登場した回のタイトルが「噛ませ犬」で、開局時に「伊藤よ 俺はいま 6億もの金を託されようとしている」「クク……おまえに勝ったんじゃねえのか 俺は……」と内心で呟いているから、「負けフラグ立てすぎだろ……こいつもう死ぬんじゃね?」と心配させられました。それにしてもまだ伊藤を恨んでいるのか、後藤よ。さすがは逆恨みの帝王、生半なことでは許さないな。始まってみると意外に好調で、2連続逆転トップを飾る。バカな……暗黒面を全開にしたゴットーマサはここまで強かったのか。今後はゴットー様と呼ぶことにしよう。死の淵から甦った効果なのか、兎並みの危険牌察知能力を獲得した遼は他家への放銃を回避して立ち回るものの、なかなかトップが取れない。立ちはだかるゴットー様の壁。果たして乗り越えられるや否や。だんだんネタキャラめいてきたとはいえ、東大法学部の現役生(ただし大学に行ってないので除籍間近)で、レイプ未遂の前科があって、紙幣を破り捨てることができる神経を有していて、ヤクをやりつつヤクを売るアウトサイダーぶりと、ゴットー様のキャラは立ちまくっている。『天牌』最大のダークホースとなりうる可能性すら秘めています。秘めたまま結末を迎えそうな気もする。ダークホースライジング。伝説が、壮絶に、終わる。あ、よっちんは渋谷の「非武装雀荘」で瞬と打ってます。ふたりが同じ卓を囲むのは元禄杯以来か。ゴットー様が放つ負のオーラを浴びてよっちんの性格も徐々に荒み始め、瞬との馴れ合い会話を拒絶する。「こいつと会ってから俺の人生は狂い始めてる」と認識してるが、どう考えたってよっちんの人生を歪めたのはゴットー様じゃないか。逆恨みもいいところ……ハッ、もしやこれは感染すれば激しく理不尽な逆恨みを引き起こすゴットーウイルスの初期症状が発現しているのか。

 21巻目、飽きてきたので表記を後藤に戻します。で、その後藤は3連勝を飾ったのも束の間、「精神攻撃は基本」とばかりに義手を外した遼から何本か指が掛けた「本物の手」を見せられてビビるなど、化けの皮が剥がれ始めます。4回戦は3着、5回戦は初のラスを引く。トータルではまだ余裕があるにせよ、このままでは噛ませ犬街道一直線だ。粘れるか後藤。一方、よっちんは思わぬところで遭遇した瞬により渋谷制覇を頓挫、「奴には勝てないのか」と敗北感を噛み締めながら波城組の盛岡のもとを訪ねる。警戒して銃でお出迎えする盛岡、なんだか妙にピリピリしている。よっちんの渋谷制覇が無理めと判断した盛岡は、代わりに全競審の市居を殺せと指示する。学生選手権の名簿を横流ししてもらうなど、波城組の役には立っていたが、最近どうも鼻についてきたので処分したいらしい。よっちんは返事をしませんが、無言で放つ鋭い目つきがまるですべてを語っているよう。22巻目も長野編は続く。波城組の代打ちナンバー2という呼び声も高い割にさして目覚しい活躍をしてこなかった北岡が遅まきながらイグニッション。波城組ナンバー1の津神元に「7戦目までは遊んで、ラストの残り3戦だけで勝て」と指示されていたため、これまではずっとのらくらと三味線を弾いてきたのであった。「200のビハインドは覚悟してた」北岡だったが、遊んでいてもトップとの差は150に満たない。物足りなさげな表情ではあるが、ここから一気に捲りに掛かる。8回戦南1局、北岡の親番で連荘して場棒を3本積んだところで22巻は終わり。

 23巻目もまだまだ長野編は継続、24巻目でやっと闘牌がフィニッシュし、遼が「東京へ帰ろう」と心を固める25巻目の第1話で完結。「サバイバル」ってくらいだし、誰か死ぬんじゃないかと危惧しましたが、遼はトップを取って6億獲得、奥寺は2着で2億獲得し人質も殺されずに済み、北岡は3着で2億の払いとなりましたけど首位を奪ってからのワザチョン(わざとチョンボしての失点)で転落だから本質的な勝者、トータルラスを喰った後藤は6億の払いですがもともと勝つ必要のない闘い(仲邨組と縁を作るために卓を囲んだだけ)だったので特に責任を取らされることもない。収まるところに収まった感じです。誰も死なないだなんてヌルい、と不満を覚える読者もいるかもしれないが、個人的にはホッとした。裏で描かれていたよっちんの市居殺しも完了。物理的に殺したわけじゃなくて、借金漬けにして身動きを取れなくしたって話ですけどね。市居は麻雀強いけどギャンブル狂であっちこっちの賭け事に手を出してはたびたび負けるからいっつも金欠状態に陥っており、いずれ種銭作りのために波城組の情報をどこかに売るかもしれない恐れがあって、それを回避するためにあらかじめ釘を刺しておいた――ってな事情。20巻から25巻までに及んだ長野編を振り返りますと、後藤の3連勝が過ぎたところからちょっと地味というか薄口な展開になりましたけど、勝負を決するラストの10回戦に入ってからはさすがに盛り上がりましたね。しかし、後藤が途中で何かドラッグ(シャブ?)打って神経を研ぎ澄ませたときは「お前は印南かよ!」とツッコんでしまった。印南さんのヒロポン魂は後藤に受け継がれたのだ……当方は『哲也』を通読していませんが、たまたま読んだマガジンに載っていたのがちょうど印南登場回だったせいで激しく印象に残っています。あと、25巻は第4話「無駄の積み重ね」で新満が瞬にプレゼントとして贈った大理石の黒沢像(恐らく新満の手彫り)がシュールで笑った。この像は読者が存在を忘れかけた頃に誰かの手によって破壊されそうな気がするな。そして砕けた像の欠片をアカギの墓みたいにみんなで少しずつ分け合うの。

 26巻目からは更なる新章「赤坂王様死闘牌(キングデスバトル)編」がお目見えする。「天狗」の程近くに建つ「KMビル」が舞台となります。マンションの一室で賭場を開く、いわゆる「マンション麻雀」だ。『むこうぶち』にもよく出てくる。打ち手の一人目は「よく鼻くそホジってるオッサン」というイメージの市居をカタに嵌めて悪堕ちコースを猛スピードで直進中のよっちんこと伊藤芳一、二人目は「兄である三國を超えるため黒流会以外のところで打ちたい」とやってきた菊多賢治(言わずもがなであるが、「赤坂決戦」に参加した人)、三人目は波城組ナンバー1との呼び声が高く「俺なら9連続ラス喰らったって 残り1回で勝ち切れる自信はある」と豪語しひと晩で10億の金が動く賭場から帰ってきた(これに参加するため長野には行かなかった)津神元、四人目は同じく波城組のナンバー2・北岡静一……の予定でしたが、沖本瞬との勝負で抜けられなくなって、代わりに「津神と北岡が出てくるまでは波城組トップと見做されていた」中釜清蔵がやってきます。中釜さんの容姿はかなり当方好みだ。『天牌』や『むこうぶち』はオッサンの描写に魅力があってたまらない。なんか微妙な位置付けだしあまり勝ちそうな気もしなかったけど、これで当方は中釜さんを応援することに決めました。「俺は起家でラス親だ!」と吼えてダブル役満をツモる中釜さんの雄姿に期待しよう。「赤坂王様死闘牌編」――以下単に「王様ゲーム編」と記すことにします――は要するに「浮き頭の命令は何でも聞かないといけない、ただしトータル浮きの奴は免除」というルールを適用した麻雀です。王様ゲームっつーか、ギアスゲームって感じですね。極端な場合、「死ね」と言われたら本当に死なないといけない。ある意味で小学生レベルのゲームである。「じゃあお前は先生に死ねって言われたら死ぬんだな!?」と喚く小学生があらゆる時代において全国各地に偏在する不思議。

 さておき、26巻の時点では「半荘5、6回」と大まかな回数しか決めずにスタートした王様ゲーム編でしたが、27巻目で4回戦が終わって「次で最後にしようか」と提案され、結果としては半荘5回戦という形に収まります。加えてトータルトップ時の命令もここで確定。中釜がトップだったときは、沈んだ奴(トータルでポイントがマイナスになった奴)は波城組の賭場でしばらく働いてもらう。既に波城組についている津神は今の2倍くらい組のために働く。菊多の条件は「俺の許しがない限り 一年間は麻雀が打てない」。よっちんは「沈んだ奴には死んでもらう」。津神は「沈んだ奴は3人いるギャラリーのうち誰か1人を1ヶ月以内に殺す」、津神がマルエー(一人浮き)の場合は「三人仲良く死に化粧」。観戦者は一切リスクを負わずにただ見ているだけだけど、それってなんかズルくねぇ? みたいな発想らしい。王様ゲームの発案者はギャラリーの盛岡であり、勝手に高みの見物を決め込んでいた彼は自業自得と申しましょうか。突然降って湧いた死の危険に半端なく焦り出す盛岡マジざまぁ、です。死か、殺人か、奉公か、禁麻か。28巻目も王様ゲーム編は続き、29巻で決着。ゲーム自体は28巻でほぼ終わって、ちょっとだけ食い込んだ形になりますね。『天牌』はこういう「ちょっとだけ食い込む」パターンが割とある。横浜編も8巻に食い込んだし、元禄杯も13巻に食い込んだし、長野編も25巻に食い込んだ。なんという食い込み漫画。王様ゲーム編を通して読むと、当方贔屓の中釜さんは大活躍って表現するほど目立った見せ場はなかったものの、良い具合に拮抗していて満足。一人沈みに陥って「ギャラリー1人を誰か殺害」っつー命令押し付けられそうになったよっちんの襟首掴んで「津神に謝れ」と強要、自らも必死に津神を掻き口説いて命令の撤廃を求めます。目の前で親しい奴を殺された経験がある中釜さんは「人の死」を易々とは看過できない。元とはいえ波城組ナンバー1だった男の頼みを無下に断ることもできず殺害命令をなかったことにする津神。「アンタもそろそろ麻雀卒業したほうがいいな その甘さが必ず仇になっちまうぜ」と中釜に対する忠告を残して去っていく。長野編に続いて今回も死者ゼロとは、さすがに当方も「ぬるくねえか?」(『天牌』で観戦者が打牌への非難としてよく口にする言葉)って気がしました。これが『凍牌』だったら今頃凄まじい死体の山を築いていますぜ。

 王様ゲームの裏でも瞬や遼のストーリーが紡がれています。赤坂へ向かう前にちょっと時間を潰すつもりで歌舞伎町の雀荘に入り、そこで瞬と打ち合うことになって抜け出せなくなった北岡は、瞬に対して「勝てない」という意識を持ち始める。あと2、3回で手仕舞いしよう、と考えた矢先に店へ警察が踏み込んでくる。瞬と卓を囲んで有り金毟られた男が腹いせに通報したのだった。仲良く一緒にしょっぴかれる瞬と北岡。北岡は組の名前を出すことでさっさと釈放の算段を立てるが、瞬はしばし迷っている風情。が、だんまりを決め込むと長く出てこられない(=麻雀がしばらく打てない)と勘案してか、入星に連絡を取って釈放してもらうよう働きかけてもらう。一つ恩をつくってしまった瞬、入星と付き合いのある医者から「生体検査を受けてほしい」と頼まれ、断るわけにもいかず病院へ。そこで久々に遼と再会、ふたりが顔を合わせるのは四川編以来となります。具体的にどの程度経っているかは不明。長野編あたりを境として、『天牌』の時間経過は本格的に曖昧になってきます。学園物と違って季節に絡んだ行事も全然ありませんからね。ほとんどのキャラがいつ見ても似たような格好ばかりしているし、季節感というものが皆無に等しい。2、3巻あたりで半袖を着ていて、4巻以降ずっと長袖なところを鑑みると「1巻:春、2巻〜3巻:夏、4巻〜10巻:秋、11巻〜25巻:冬」ぐらいが妥当かしら。王様ゲームやってる期間はまだ春前かな。この読みが当たっているとしたら、瞬が黒沢たちと出逢ってからまだ一年程度しか経っていない勘定となりますぜ。選手権の本選から数えるとほんの半年だ。濃密すぎる。んで、遼と久闊を叙した後、瞬は脳波チェック等を受けるため杏天堂病院へ検査入院することとなります。ここで美人女医の宇田川が登場。同棲していたゆかが芸能界に行ってしまったから、今度はこの人がニューヒロインとなるのか? 入院中、妻に暴力を振るって病院送りにした凶暴チンピラ男と成り行きから院内で揉み合いになり、恨みを買って「ブッ殺してやる」と脅された瞬。彼の身を案じた医師は「熱海にワシの別荘がある」からと、一旦避難することを勧める。東京に未練はなかったのか、あっさりと勧めに応じ、遼とは入れ違いに東京を出て行きます。美人女医も同行。かくして瞬の「ドサ回り」とも「ぶらり旅」とも揶揄される地方巡行が27巻より幕を切る。東京に舞い戻った遼は横浜編と長野編でガッポリ稼いだ金をもとに全自動麻雀卓を5台も購入、因縁の雀荘「四川」へと贈ります。「色々と店(ココ)にも迷惑かけた」と語りますが、きっとこれは四川編終了後ジョバジョバお漏らししたのに後始末もしないで帰ったこと……ではなく、自分の不用意な一言で谷口隆殺害事件を引き起こしてしまったことを指しているんでしょうね。全自動卓の見返りとして「奥の1卓は俺専用にいつも空けてて欲しい」と依頼する。今後「四川」が遼の根城となるのかしら。と思っていたが、後の巻では智美をママにして歌舞伎町に新しい雀荘(正確に表記しますと、部屋を雀荘っぽい雰囲気に改装したマンション麻雀)を立ち上げます。なんとまあ遼が非合法とはいえ店持ちの身になるとは。

 29巻目、熱海にやってきた瞬はとりあえず現地の手頃な雀荘でひと通り打ってみた後、もっと高いレートの場所を求めて港町・網代に向かいます。一応書いておきますと、熱海も網代も静岡県の地名です。網代は熱海の南に位置し、更に南下すると伊東へ到達する。熱海のところでもチラッと名前が出てきましたが、伊東は網代の次に瞬が向かう場所です。なのでこのへんの章を「熱海編」とか「熱海・網代・伊東編」とか「伊豆編」と呼びます。うーん、この中では「伊豆編」が一番しっくり来るかな。簡潔だし。公式は「網代潮流闇闘牌」やら「修羅暗黒裏闘牌(ダークサバイバル)」やらと中二臭い名称を持ち出してきますが、覚えにくいからか実際に使っている人はまったく見かけなかった。「賭場の隣は海だから勝ちすぎても負けすぎても重石つけられて魚の餌」と囁かれる物騒な網代の港へ足を運んだ瞬は意外な人物と再会します。木村礼治、渋谷の「非武装雀荘」で卓を囲んだ男。組同士の抗争から追われる身となり、懸賞金まで付けられ、全国あちこちを逃げ回っている。現在は「村木」というバレバレな偽名を使用中。あらましを書くだけでも死相が浮かんでくる野郎だな。思ったより死人が続出しない『天牌』だが、なんぼなんでもこいつは死ぬんじゃね? 礼治、おめえ、木村れるぞ。網代闇賭場での麻雀は30巻目で終了、賭場の存在を嗅ぎ付けた日本清竜会という組のヤクザたちが踏み込んできてお金を没収。どうもヤーサンたちには黙って開いていた賭場らしい。ついでに清竜会傘下である室戸川組の車を襲って元若頭を半身不随に陥れた賞金首・木村もゲット。早い伏線回収となった。清竜会本部へ向かう傍らで瞬の生い立ちについても触れられます。瞬の母親は、まだ幼かった時期の瞬に英才教育を施し、その類稀なる記憶力を開花させたのであった。瞬は過去に行った対局のデータすべてをエピソード記憶化して打つ特徴があり、それは母親が為した熱心な教育の賜物である、と説明されます。常人を遥かに凌ぐ異様な数のシナプスに支えられた強靭無比の記憶力。入門書を数秒間パラ読みしただけで麻雀のルールを覚えてしまうほどの把握力こそが、強さの秘訣だったのです。「でも確か1巻では全員の捨て牌を正確には記憶してなかったよね」とか言ってはならない。長期連載するかどうかも分からなかった頃なんだから、そこまで設定を作り込んでいるわけないでしょう。宮永咲の4連続プラマイゼロ能力だって短期集中連載(『咲―Saki―』は最初に3回だけ載って、好評だったから本連載が決まった)ゆえ手早く読者にインパクトを与えるために作られたような設定ですし。ちなみに瞬の生まれ故郷は新潟の佐渡。これについては横浜編でもちょっと言ってました。そのとき一緒にいた遼の故郷は九州・佐賀。佐渡と佐賀で、なんとなく覚えやすい。

 31巻目は日本清竜会編であり、連続30人抜き耐久麻雀が執り行われる。とばっちりで拉致されてきた瞬に危害が及ばぬよう自分の腹に匕首を突き立てた木村。「この坊やの右腕を叩っ切っちまえ」という言葉を聞き、「瞬は関係ないだろう」と主張して制止するために自ら腹を召したわけですが、「チッ ワシはホンマは血ィが嫌いなんや」つって親分が退席したところを見るにただの脅しだったみたいですね。早まったか。まだ息のある木村を救うため、女医の宇田川に木村のケータイでコーリング(瞬もケータイは持っているが、杏天堂病院へ検査入院した際に置き忘れた)。するとそこには瞬と会うため熱海にやってきた入星が同席していた。ふたりは伊東、日本清竜会の総本山へ赴くことになります。まんまとホームにやってきたカモを易々と帰らせるわけもなく、清竜会側は「麻雀やりたくてうずうずしてる連中」30人強と東風戦で打って、瞬がトップを取ったら卓を囲んだ3人は脱落、次の3人が補充される耐久レースを申し込むっつーか強要する。負けたらその時点で木村と宇田川を置いて帰らないといけない。「木村の死」というタイムリミットが刻一刻と迫る中、30人抜きの麻雀は厳しい。輸血と応急処置は済ませたが、木村の命はあと3時間くらいしか持たないと診断する宇田川。「俺にも手伝わせてくれるか」と申し出た入星のおかげで所要時間はほぼ半分に短縮できる形となった。あとは勝つだけです。余談だが、清竜会本部に入星がやってきた際「い 入星」と書かれていたおかげで彼の苗字が「いりぼし」と判明。ふりがななかったから、今までずっと「いりぼし」なのか「にゅうせい」なのか判断に迷っていた。冷静に考えると「にゅうせい・しょうご」じゃ響きに迫力が出ないし、ほぼ確実に「いりぼし・しょうご」であると見做して良かったはずだ。入星と言えば、元弟子の尾崎留次も登場。一瞬、話の流れが掴めなかったが「ああ、王(ワン)に借りを作って助けた弟分か」と思い出した。こいつのことがあるから入星は王に逆らえず、四川編で黒沢と打つことになったんです。『天牌』はなにげないように見えていろいろと過去の巻と繋がっている部分があるのが面白い。伊東という地名でよっちん(伊藤芳一)のことも連想したが、王様ゲームに敗北したよっちんはもうボロボロの精神状態。こうなったらいっそ底の底まで墜ちてやろうとばかりに、なんと背中に刺青を彫る決意まで固めちゃった。よっちん……お前、モンモン背負ってヤクザになるつもりなんか? それにしても『天牌』はヤクザなのかそうじゃないのか、線引きの曖昧なキャラが多くて混乱するな。作中によく出てくる「代打ち」って言葉はヤクザの代理として麻雀を打つ雀士や雀ゴロを指すものであって、ヤクザそのものを意味してはいないけど、ヤクザに雇われている時点でヤクザと似たようなものだと言えなくもない。そもそも代打ちなんて稼業、実在したかどうかも眉唾な代物ですが……料理漫画は何でも料理で解決するように、仕立て屋漫画は何でも衣服で解決するように、スポコン漫画は何でもスポーツで解決するように、麻雀漫画は大半のことを麻雀で解決する構造になっているから仕方ないのですが、考えれば考えるほど謎が多い職業だ。少なくとも平成の世ではこんな仕事成り立つまい。北岡静一なぞ、ネット麻雀のチャンピオンからヤクザの代打ちに転身であり、露骨に時代の捩れが見えてシュール。

 32巻目も以前として30人抜き麻雀が描かれる。吸血麻雀ならぬ輸血麻雀で、1リットル近い血液を抜かれた瞬はフラフラ。しかし「横浜(ハマ)でエンドレス麻雀打(ぶ)たされた時と同じだ――だったらイケるぜ!」とでも言うかのように、判断ミスを犯しながらも徐々に態勢を立て直していく。他方、「俺はある意味選ばれし人間だと思っている(キリッ)」な入星さんが跳ね満で和了った直後に親倍振り込んだときは、逆転フラグだと分かっていても少しカッコ悪いと思った。入星さんの言動はときどき妙に笑いのツボへ入ってしまうことがある。極北は何と言っても「そこに北はあるんだよ(迫真)」です、北だけに。「30人抜き」という条件を見たときは「すげー長く掛かりそうだな、5冊くらい消費するか?」と思った耐久レースだったが、この巻で終わりが見えてきます。よっちんがアルタ前で田浦姉弟とばったり出くわす第8話「海輝との再会」時点で残すところあと6人。入星が先に勝って、瞬のラストバトルを観戦しに行ったところでこの巻は終わり。アルタ前で海輝たちと再会し、和解も果たしたよっちんでしたが、彼の背中にはもう刺青が完成していたのでした。今更パンピーには戻れない。完全に裏目ってる……ところで、刺青を彫り出してからこの再会まで半月掛かっているみたいですが、王様ゲームからはどれくらい経っているんだろう。静香の髪が伸びて薄着になっている様子を見ると季節はもう夏に差し掛かっている? 遼も歌舞伎町にマンション雀荘をオープンしてるし、時間はそれなりに過ぎているはずです。しかし瞬や遼など、メインの何人かはずーっと同じ格好のままで変化なし。服装が完全に記号化してきていますな。『天牌』もこれでようやく半分、巻数的には折り返し地点です。

 33巻目は「伊豆編」が完結。瞬はドラ切って立直かけて裏ドラ単騎のチートイを一発でツモって逆転……という、若干超能力者じみた和了で勝利します。これで瞬たち一行(瞬、木村、入星、宇田川)は無事解放される運びとなりましたが、「俺はある意味選ばれし人間だと思っている(キリッ)」な入星さんによってプライドをボロ屑にされたチンピラの怒りは収まらず、立ち去ろうとする入星さんを背後から銃撃してしまう。こいつはだいぶ前から不穏な目付きで入星さんを見ていたからやるだろうな、とは予想していた。嗚呼、ここで入星さんの命運は尽きたか、とハラハラしたものの、直前に瞬がタックルしたおかげで射線は心臓を逸れ、弾は右肩を貫通していった。2巻で背後から刺し殺されそうになっていた瞬をあわやというところで助けた入星さん、今度は逆に助けられました。血が嫌いな組長は再登場することなく、入星が杏天堂病院のベッドで安静にしているシーンに移り、「伊豆編」は割とあっさりした形で終わりを迎える。ここから次の章に向かっていくわけですが、今度の前振りは長い。33巻の後半はずっと前振りで、34巻もまだ前振りが続き、35巻になってようやく決戦への参戦メンバーが決まります。と言っても「波城サイドはこいつとこいつで決まりだろうな」って始めから分かっていたようなもんだし、ちょっと引き延ばしてしまった感がありますね。

 さて、34巻目から動き出す新章、公式は「裏社会代打ち頂上血戦」とか「裏社会闘牌戦争」とか書いてますが、端的に「頂上決戦」でいいと思います。「頂上決戦」はふたつのバトルを同時に進行させるため、たびたび視点を切り換えて並列的に描いていく形式となっている。一方は渋谷の非武装雀荘で行われる「渋谷編」、もう一方は遼が経営するマンション麻雀「智美」で繰り広げられる「新宿編」。渋谷編は新宿を縄張りとする黒流会と赤坂に事務所を構える波城組が中間地点の渋谷で衝突するから「東西決戦」という表現も為されますが、関東代打ち集団と関西代打ち集団が鎬を削る『天』の「東西戦」に比べるとスケールは小さい。まず頂上決戦に至る経緯を整理しましょう。発端は遼の経営する「智美」、遼はマンション雀荘を開く際に「四川」の客を引っ張ってきているので、客層は中国人がメインとなっている。バックに付ける組を黒流会にするか波城組にするか迷って、最初は入星や三國との繋がりもあってか黒流会に打診しますが、「客層が中国人寄りだとチャイナマフィアとかが絡んできて、金では解決できないトラブルが生じる恐れがある」と三國が断るように指示。ちょうど波城組のナンバー1・津神元と麻雀を打っていた遼は断りの電話を好機とばかりに、波城組へケツ持ちを頼む。その際に「黒流会って波城組より弱いんじゃね?」みたいな挑発をして逆鱗に触れ、対抗するふたつの組織が遂に直接対決に向かっていく。一方、「智美」のせいでギャンブル狂になって金を巡るトラブルから刃傷沙汰に発展させてしまう中国人が増えてきたことを憂慮する華僑集団の首領・王老熔(ワン・ロウヨウ)は「智美」を潰そうとするが、バックの波城組がこれに逆襲して事態が拗れます。「面倒事は麻雀対決で片付けようぜ!」が共通見解の『天牌』ですから当然、そうなったら代表者を選出しての対局でウッドボールだ。波城組は最強の代打ちである津神と、すべての発端である遼を、王たち華僑側はみんな大好き入星さんと、入星さんが黒沢の推薦をもとに選出した星野源八を派遣して勝負に望みます。本編初登場となる星野は山谷の雀荘「いこい」を引き継いだ男で、過去に殺人の前科があったりしますが、詳しいことは外伝2巻収録「孤独の闘牌」と3巻収録「時の止まる雀荘」を参照すべし。

 35巻目ではまず渋谷編の闘いが描かれる。場所は先述した通り、非武装雀荘。よっちんが瞬と打って負け、渋谷制覇に挫折した因縁の地です。瞬と木村が出逢った場所でもある。ルールは、互いの組が10億の所持金を用意して、トップに1億、2着に5000万の順位ウマをつけて金の遣り取りを行い、所持金が尽きた時点で終了、負けた組の代打ちは二人とも現役引退。なお半荘ごとに誰を出しても構わない。波城組はメンバーを選出済(北岡とよっちん、中釜さんは控え)ですが、黒流会は小手調べとばかりに八角五郎と山田陽一を出す。こいつらはずっとモブだと思ってました。ちゃんと出番が用意されているキャラだったのか。ガイドブックの『天牌皆伝』によると八角は石川県出身の日本刀コレクターで腕前も師範級、山田は宮城県出身で「二十歳の時、友人の借金のカタに乗せられたマグロ漁船で、船員らの給料1億8千万円を麻雀で総取りした逸話を持つ」そうな。前者はともかく、後者は『天牌』というより『ワシズ』らへんにお似合いのエピソードだな。途中で盛岡が様子を見に顔出してきますが、よっちんをダークサイドに引き入れたことを非難されて「チンチンぶら下げた男ってモンは 自分のことは自分で責任取らにゃあね」と涼しい顔で言い返します。さっすが自分発案の王様ゲームで「やべえ、俺まで殺されるかもしれない」とビビって部屋から逃げようとした盛岡、言うことが違う。同じ台詞を今どこで何をしているか分からない逆恨みの虎・後藤正也に言ってあげてください。後半で「智美」パートもチラッと出てきますが、4時過ぎの約束だった津神が5時を過ぎても現れない。まさかバックれたのか、ってところで入星と星野、星星コンビが到着。7時に始める予定だから、あと2時間以内に津神が来ないと入星たちスターズの不戦勝となってしまう。時間にルーズなのか、宮本武蔵戦法なのか、それとも王の手下に消されてしまったのか。焦る遼を尻目に、結局この巻じゃ津神来訪せず。出番はケータイで中釜さんと会話したシーンだけです。ページ数にして2ページ、コマ数にして3コマ。この巻から読み出した人は登場人物紹介の「津神元 孤高の博狼牙」という項目を見て「麻雀を打ちに来ないとか、孤高すぎるにもほどがあるだろ……そもそも博狼牙って何だよ、『銀牙』の必殺技(抜刀牙)かよ」と呻くこと請け合い。そんなこと言ったら表紙を飾ってる瞬も「なにが『王者の牙』だよ」って感じですが。今回彼は津神と同じく2ページ3コマしか出てこない。「網代で安斉さんたちにお礼を言ってからブラリ旅に出るわ」とまた東京を離れていく。34巻あたりからほとんど出番なかったし、もはや「主人公」という肩書きが形骸化しつつあります。

 36巻目、約束の時間(午後7時)ギリギリになってやっとこさ津神到着。なぜか菊多も一緒に連れてきています。『天牌』はギャラリーが解説役を務めることが多いので、メタ的な意味で言えば解説要員として連れてこられた形になりますね。津神自身の思惑は別として。「注文した料理の出てくるのが遅くてな」とだけ説明して謝りの一言もない津神、それどころかカッカする遼に向かって「頭を冷やせ」とばかりに水をぶっかける。このおかげで遼は冷静さを取り戻すことができましたが、津神の態度はひどいものがあるな。かくして新宿編の対局も始まります。しかし、第8話「隠された役満」は「もしサイコロの出目が6・6の12なら入星は天和、6・5の11なら津神は3巡目に四暗刻ツモ」って長々と解説した挙句、実際は6・4の10だったためどっちも成立せず、「こうして誰一人隠された役満の悪戯を知ることなく… 勝負は開始された」とナレーションするものだからポカーンとした。丸々1話使って実現しない役満の解説をするって……この漫画もだんだん引き延ばし方が『範馬刃牙』並みにヒドくなってきました。そういやこの巻って本編に瞬が一切登場しない。主人公とは何だったのか。続く37巻目も瞬の出番は少なく、ほんの5ページほどしか出てこない。「関西のほうにでも足を伸ばしてみたいと思います」と安斉さん(網代の漁師、刺青をしているスキンヘッドの巨漢)に告げてカモメの舞う空を見上げるだけ。この巻の見所は遼と入星の出逢いが語られるところと、36巻から出陣してきた三國が氷の打牌を見せ付けるところか。遼は故郷である佐賀から流れてきてほどない頃に新宿コマの前で入星と遭遇したそうな。佐賀には戻ることのできない体だと横浜編でも漏らしていた(詳しい経緯は13巻参照)が、何度も書くところを見るといずれ佐賀編やるつもりなのか。「葉隠決死闘牌」みたいな。そして佐賀編が終わったら“魔法の国”「長崎編」が……って、『新本格魔法少女りすか』ネタはまだ通じるのだろうか。

 38巻目では不調のよっちん(ツモあがりしても捲れない状況で国士十三面テンパイ、自ら和了牌を引いてしまいフリテンに……『凍牌』では「国士ツモ? そんなゴミ手を和了る堂嶋じゃねえ!!」とフリテン十三面に受け、リーチ掛けてたKからロンあがりしていましたが、「現物以外でもロンあがりできないかどうか」は事前の取り決めによるみたい)が外され、代わりに“熟練の黒獅子”中釜さんイン。「きた!釜きた!」「ミドル釜きた!」「これで勝つる!」と内心喝采する当方。しかし中釜さんも不調で伸び悩む。あかん、これじゃ熟練の黒獅子どころか熟成黒毛和牛だよ、美味しく召し上がられちゃう。よっちんが外れたときに三國も退席したけど、モブかと思っていた八角や山田が予想を超えて頑張ることもあり、この時点では黒流会側がリードしています。中釜さんの焦り顔がちょっと萌える。一方、新宿戦は遼以外の面子が活躍している状態です。四川編のときほどボロボロではないけど、遼にあまり成長がないように思えて仕方ない。「左手の親指のお告げ」でときたま兎並みの危機回避能力を発揮する遼ですが、親指さんは眠ってたり反応が遅かったりで役に立たないことがちょいちょいあります。あれ便利すぎるからちょっとは封印されていた方が盛り上がるってことは確か。39巻目に入っても中釜さんの空回りは止まらず、40巻目で一旦よっちんと交代しますが、静香から「海輝が手術中に薬物性ショックで呼吸停止した」という電話が掛かったきたこともあって、もはやよっちんは麻雀を打てるようなコンディションではなかった。圧倒的なラスを引き、波城組は8億5000万の負け。黒流会があと一回ワンツーを取れば即決着となってしまう。「こんなくだんねぇ世界に やはり坊やはいるべきじゃないと 神様が判断なさったんだよ」と諭す三國に、「でも… でも俺は……」「その神様を殺してでも この世界にしがみつきたかった」と血を吐くようなセリフを残し、よっちんは非武装雀荘から去っていきます。入れ替わりにやってきたのが菊多賢治、三國の異父弟です。中釜さんは津神に連絡して新宿にいた菊多を渋谷へ向かわせてもらったのでした。不穏な空気の中で睨み合う菊多と三國。遂に兄弟対決実現か……ってなところで視点が新宿に切り換わり、この巻は終わり。まとめて読んでいるからいいものの、リアルタイムで追っていたとしたら展開の遅さにちょっと焦れたかもしれません。長期連載の宿命とはいえ、密度の希薄化が目立ってきました。ちなみに瞬は39巻で大阪に到着して、40巻は出番なし。そろそろ本気で存在を忘却しそうな勢いである。

 41巻目、体が丈夫でないため長時間の対局に臨めない菊多は黒流会・波城組両者の10億円を巡る闘いには興味を示さなかった。逆転するまで最低でも半荘13回必要だなんて、体が丈夫でも面倒臭い。かくして中釜さんは素直に負けを認め、残りの1億5000万円を黒流会へ差し出した後、部下と一緒に土下座して「見苦しい戦いで 申し訳ありませんでした」と陳謝します。なんという熟練の土下座。「そこまでやって貰わなくても……」とにやけ顔で声を掛ける八角を尻目に、三國へ北岡・菊多コンビとの半荘3回短期決着勝負を受けてくれるよう頼み込む。先に土下座することで断りにくい雰囲気を作るとは、さすが『どげせん』のニチブンコミックス。このままスピンオフとして『麻雀拝跪伝説 中釜伏伝』をやってほしいものだ。約束通り今後一切牌を握らずに土下座だけで難局を切り抜けていく中釜さんの活躍に乞うご期待。かくして中釜さんが身を引いたことで渋谷編は第一部・完、骨肉相食む第二部、兄弟血闘牌のフェーズへ移行します。遂に始まる三國と菊多の一騎打ち(四人打ちだから八角と北岡もいるけど)。果たしてどちらが勝利を手に収めるのか。一方その頃、瞬は大阪ミナミで雀荘を探していた。彼は無事に雀荘を見つけて本編に復帰できるのか? ハラハラドキドキの展開ですね。ちなみに42巻目は瞬の出番ナシです。43巻目でやっと雀荘を発見し、活き活きと麻雀を打ち始めます。闘牌描写は細かくて読み応えあるけど、話そのものは膠着してほとんど動かなくなるから、このへんはあんまり感想書くことがない……。

 43巻と同時発売で『天牌列伝』という番外編が出たことは上の方でも書きましたが、具体的な収録内容は、フリーの雀士だった入星さんが黒流会と付き合うに至った経緯を綴る「全てを掻っ攫う腕」、北岡静一の高校生時代を描く「俺の人生」、三國が菊多と出逢ったときのエピソードを紡ぐ「菊多との出会い」、入星さんが黒流会の代打ちを引退して三國に委ねるまでの顛末を語る「超一流の博徒」の4つです。気になったのは「菊多との出会い」。菊多は字が読めず、麻雀の入門書に目を通すことができなかった……とありますが、ガイドブックの『天牌皆伝』には「父親の暴力によって生死を彷徨った幼少の頃より、文学に目覚め、国内外の小説、随筆、詩文、哲学書を読みあさる。好きな哲学者はキルケゴールとニーチェ。英語、フランス語、ドイツ語は原書で読みこなす」と書いてあり、「どっちだよ! 極端に違いすぎるだろ!」とツッコミたくなった。赤坂決戦のところで「言語と計算をつかさどる左脳がやられてる」と言及されているし、皆伝の方がデタラメなのかと思いきや、後の巻でクロノス(農耕神)がどうのこうのとギリシャ神話を引き合いに出して突然語り始めたりする。その割に「字も読めなかったお宅に」という記述も前後して現れる……うん、あれだ、CDブックとかカセットブックとか使ったんですよ、きっと。どれも短い話なので正直物足りないが、こういうサブキャラにスポットを当てた番外編はどんどん描いてほしいところ。それにしても北岡とその仲間たちは顔が老けすぎで全然高校生に見えないな。まだ瞬の方が高校生と言っても通じる気がする。コンビニ本の『天牌列伝スペシャル 超一流の博徒編』は『天牌列伝』に外伝のエピソードである「出会い酒」「サマ返し」「孤独の闘牌」「再戦」を加えたもの。単行本未収録のレア作品とかは含まれていないので、わざわざ探してまで買う必要はありません。ただし「本編だけ読んでいて外伝等に関してはまったくノータッチだなぁ」という方にはちょうどいい一冊かも。

 44巻目、頂上決戦の片方である新宿編が遂に終結します。それにしても第1話のタイトル、「オーラスの攻防」とありますけど、これって43巻の第2話のタイトルでもあるんですよね……『天牌』は原則1巻あたり10話収録で、第1話が長かった1巻だけ7話収録、赤坂決戦の牌譜を巻末に載せた18巻だけ9話収録となってますから、計算すると427話目になる。いい加減、題名を考えるのが面倒で「丸被り上等!」って気分になってきたのでしょうか。ちなみに第10話「自動卓のイカサマ」で『バード』の「蛇」を連想した。全自動卓で天和を決める狂気と執念のバイニン(商売人の略、麻雀で生計を立てている玄人のこと)です。フラグ立てまくりだったから入星さんが敗北することは目に見えていましたが、まさか死ぬとは。失策の代償として入星の処分を命じる華僑の裏ボス・王老熔(ワン・ロウヨウ)、入星たちの勝負に見惚れて王からの電話を無視するくらいだった見届け人は内心嫌そうだが、命令とあれば断れない。しかし、入星に迫るもう一つの凶影があった。臼田、伊東で入星の右肩を撃ち抜いた日本清竜会の元組員。組を飛び出して、シャブを打ちながら「奴のタマ奪ったる」と息巻いている――尾崎から連絡があった直後、ズドンと背後から臼田の銃撃が。今度はタックルしてくれる瞬もいなかったので心臓を撃ち抜かれてしまう。奇しくも倒れた場所は、5巻で谷口隆が刺された路上。この傍らに黒沢が座ってたっけ、ああ、瞬にも会いたかったな。末期の思いに耽る入星さん。天に輝く星々を掴むような素振りとともに「もう一度強くなりたかった…」と願って、静かにこの世を去ります。生死不明の黒沢と違って明確に死が描かれましたから、今後どう転んでも再登場の目はありません。2巻で登場し、「困ったときの入星さん」とばかりに方々で活躍した一種の便利キャラでしたが、既に現役引退の身。今もなお現役の博徒であり続けている津神との差が出てしまいました。これで瞬は師匠に当たる存在をまたしても喪ったことになりますが、大阪でぶいぶい言わせている彼はそのことをまだ知る由もなかった。久々に物語が大きく動いた巻ながら、伏線回収が早すぎてポカーンなところがないでもない。『天牌』は長い時間をかけてゆっくりと丁寧にネタを仕込む漫画のイメージでしたが、それがちょっと怪しくなってきたか。

 45巻目は形だけの主人公となりかけていた沖本瞬が「大阪編」の要となる雀荘「ステップ」へと辿り着く。本当に辿り着いただけで、「ステップ」では他人の麻雀を観戦しているのみでしたが……続く46巻目は渋谷編が大詰めを迎えます。菊多の体力を考慮して半荘3回という約束だった兄弟闘牌は2回戦を終え、残すところあと1回。これまでのポイントを計算すると、一位:三國、二位:菊多、三位:北岡、四位:八角。全体としては僅かに黒流会側の浮き。よっちんや中釜さんが不調だったせいでいまひとつ盛り上がりに欠いた前半戦と違い、菊多が加わる後半戦は進めば進むほど緊張感が増して面白くなる。正直、入星と津神のたった一度の対決を切り取った新宿編よりも白熱しているくらいです。ハッキリ言って「頂上決戦」は巻数使いすぎでダラダラしている印象が否めないけど、それに耐えただけの甲斐はあるな、と思わせてくれます。あと、大阪にいる瞬は「ステップ」のマスターであり「牌のマジシャン」とも呼ばれている鳴海弘富の目を意識しすぎて思うように打ち回せず「震えんばかりの恥ずかしさ」を感じるのでした。「舞い上がっちゃってますね、あたし」から「あたしって、ほんとバカ」への流れるようなコンボ。成長しすぎてチートキャラになりかけていた瞬を使いやすい様に一旦後退させるつもりなのかしら? ラブコメでよく見受けられる、二人の仲が進展しようとするたびに邪魔が入ったり勘違いが発生したり相手を怒らせたりして「イケそうな雰囲気」が掻き消え元のもどかしい関係にリセットされる……という「話を延々と続けるための同パターン反復」が『天牌』でも生じているのではなかろうか。当方はああいう賽の河原積みラブコメが好きじゃないんですが……しかし『天牌』のキャラはあの世に行っても石の代わりに牌を積んでそうだな。死亡退場キャラが全員登場する『天牌地獄篇』はちょっと読んでみたい。「閻魔だろうと天魔だろうと悪魔だろうと 麻雀で博徒に敵う道理などない」とか言い出しそうだ、入星さんあたりが。

 47巻目で渋谷編の最終3回戦は南入。この巻は南3局まで進みます。激しい火花を散らす闘牌は依然として見応えあるが、ストーリーは相変わらず動かない。強いて書けば瞬が「ステップ」で「やって無駄な麻雀はしてもしゃぁないやろ!」と叱責されて落ち込んだことと、よっちんが黒沢の行き着けだったバー「雅」で呑んだ暮れていることくらいか。それにしても八角はここに来て妙な存在感を放ち始める。流れを変えるために牌を交換させようと八萬を丸呑みする暴挙に打って出ます。対戦相手が津神だったらたぶんボディブロー入れて無理矢理吐かせるだろう。でも「汚ねぇな」と言って結局交換させる。それと、テンパったところで雀頭にしている南を三國が切って、散々迷った末にポンして二向聴に戻すシーン。「八角が動いた」のコマで見せる形相がほとんど顔芸に近い迫力を放っていて圧倒されました。まとめると47巻は八角が目立つ一冊だった。48巻目で渋谷決戦は遂に決着。どっちが勝つか最後まで分からないギリギリの展開です。もったいぶってもしょうがないのでバラしますが、最終的に菊多が和了って1位。黒流会の敗北となりました。これで八角と三國は現役引退しなければならなくなった。「俺達のどこかに 麻雀に対する慢心があったんだろうな」と認め、潔く雀荘から出て行くふたり。折りしも出た直後に電話が掛かり、入星の死を伝える報せが……34巻発行から約3年、非常に長期間に渡って繰り広げられた新宿・渋谷の「頂上決戦」、これにて閉幕と相成りました。いくら2つのパートに分かれているからとはいえ、15冊も費やすとは並大抵のことではありません。ぶっちゃけ「長すぎる」という感は否めない。当方はまとめて読んだからそんなにダレなかったけど、展開遅くてリアルタイムで付き合うのはちょっとキツいかもしれませぬ。さておき、これで一つの大きな区切りがついて、ずっとはみごにされた状態だった瞬の「大阪編」が次巻から本格的に動き出します。加えて新たな山場、「第二次赤坂『天狗』決戦」へ向けての蠢動もゆるゆると開始する。英気を養って乗り切りましょう。

 49巻目から沖本瞬が主役に復帰、本当の意味で「大阪編」始動となります。大阪に到着したのが39巻ですから、かれこれ10巻以上、約2年の雌伏を経て舞い戻った勘定だ。これは丹波文七呼ばわりされても仕方がない。まだ小手調べの段階とはいえ、なかなか本調子にならない瞬。幾多もの修羅場を切り抜けてきたとは思えない、まるで1巻当時の頃に遡ったような有様です。ひょっとして『天牌』にはループ構造が仕掛けられていて、知らないうちに世界線を越えてしまったりエントロピーを凌駕したり「おっと、千日手だ」と邪神が介入したりするのだろうか。瞬には是非とも飛龍となって無限に続く既知感(ゲットー)を超越し流出位階へ到達してほしいものだ。「Amantes amentes(麻雀を愛する者に正気なし)」。戯言はともかく、国士無双を聴牌しておきながら他家のアタリ牌を引いた途端即座に降りを選択した「ステップ」のマスター・鳴海の打ち回しに瞬は戦慄を覚えます。国士を警戒して満貫やハネ満を降りた経験なら自分もある、だがダマの嵌張待ちを警戒して親コクを降りるだなんて……「これが… これが牌のマジシャン 鳴海さんの正体なのか…!」と、今にも「バルバルバル!」って擬音が付いてきそうな大ゴマを連発して驚愕を強調。にしても第8話「牌のマジシャンの正体」、丸々1話消費して南3局の攻防を描いていますが、6ページ使って国士聴牌、5ページ後に他家のアタリ牌を掴む、2ページ間を置いてから降りるための牌を摘む(見開きで2ページ使用)、5ページ後に他家が和了り、残りの2ページで「これがッ! これがッ! これが『牌のマジシャン』だッ!! その牌を切ることは死を意味する!」との説明が入るわけです。合計22ページ。今に始まったことではないとはいえ、ページ使いすぎではなかろうか。そのぶん闘牌の流れがしっかり分かるから当方みたいな初心者にはありがたいが……で、「牌のマジシャン」鳴海は煮え切らない態度を示す瞬に叱咤の嵐を浴びせかけます。「ほら出たで 俺 俺 俺… アンタは麻雀と一緒でいっつも自分のことばっかりやろ」「瞬さんはなぁ 溢れる才能の持ち主や そやけどその才能がゆえに 力なき者たちを置き去りにして行く奴や思うで」「その見せかけの謙虚な態度は 自惚れた自信の裏打ちから来るもんに過ぎへんでぇ」「つまり見下しや」ともうボロクソ。確かに瞬は横浜編の頃だとヤクザ同然というかヤクザそのものである河野の指を躊躇わずにへし折る向こう見ずな凶暴さがあった(遼から「狂気を秘めている」と見られていた)が、黒沢がいなくなって、代わりに入星に面倒診てもらうようになったあたりから途端に大人しくなってしまった。それが何というか嫌らしい謙虚さを湛えている面がありました。主人公批判とも取れるような鳴海のセリフによってこの巻は終わり。一種の繋ぎ巻ではあるが、空気がガラッと換わるおかげもあって久々に新鮮な感覚で楽しめました。ちなみにこの巻では中釜さんもチョイ役で登場、出てきて早々津神に水をぶっかけられてします。津神もよくよく人に液体をBUKKAKEるのが好きな男だな。きっと地元じゃ「ぶっかけの元」と呼ばれているのだろう。『特攻(ぶっこみ)の拓』みたいなノリで。「“退屈(ひま)”過ぎて 身体もろとも“化石(アンモナイト)”になっちまうぜェ…」 !?

 50巻目は瞬と鳴海の対局、そして半年に一度程度の割合で開催される麻雀大会「ステップ杯」が大阪編の読みどころとなっています。学生選手権の準決勝に出場した京都代表の小林が再登場。ぶっちゃけ「……誰?」と首を傾げました。まったく記憶に残ってなかったので4巻を読み返したら、確かに「京都の小林がブー麻雀仕込みの早仕掛け」って書いてありますわ。こいつが再登場するなら、いずれ北海道編の折には阿部が顔を見せるかな。「北へようこそランララン♪」と激しいステップで歓迎する阿部を想像すると胸が熱くなるな。カニがいっぱい、ホタテいっぱい。東京の方では第二次赤坂決戦の下ごしらえが淡々と進む。三國と八角を引退に追い込んだとはいえ10億円も取られてしまった波城組は損失を補填すべく次なる闘いを望むが、津神に怖気づいたのか黒流会の人間は逃げ腰で交渉決裂。代わりに遼が持ち寄ってきた「華僑の王(ワン)によるリベンジ戦」へ食指を伸ばす。現金10億円と新宿の賭博利権をかけた勝負。津神は乗り気になります。これで次章も津神続投となることはほぼ確定した。また津神は車中で弟分とおぼしき組員に「津神さんにも若い頃は師匠とかいたんすかね」と訊かれ、「よく喋る京都弁のおっさん」の存在を明かす。直後に場面が切り換わり鳴海が出てきて「津神の師匠筋=鳴海?」と読者に印象付ける。後の巻でも「十何年ぶりやろか マスターがこないに本気で麻雀教えとるのを見るんは… あの男が去ってから…」と思わせぶりなセリフが出てきます。この巻では新キャラもヒアカムザニューチャレンジャー。マカオのギャンブル市場を席巻したという華僑組織の切り札、菊多曰く「血の臭い」がする「大陸の禽獣」、荘志雲です。国外からやってきた名有りの雀士はこいつが初かしら。51巻目では荘志雲が加槓からの嶺上開花で数え役満を達成するというどっかの麻雀漫画みたいな華々しい和了を見せつけます。別に荘が嶺上使いというわけではありませんが。

 52巻目でステップ杯は決着、辛くも瞬が優勝を果たし、「ステップ」に出入りする権利を得ます。鳴海の「ヤマ牌層理論(寄せ麻雀)」を吸収し、己の欠点として指摘された一本調子な「無味無臭の手牌」を乗り越えるべく研鑽を重ねる瞬。その頃、三國から「人生の勝ち負けは長いスパンで見ろ」という趣旨の言葉を掛けられて救われたよっちんはバー「雅」に顔を出し、大学を辞めて実家の京都に戻ることを決意したとママに伝えます。引越しの準備をしている最中に呼び鈴が鳴り、扉を開けてみるとそこには海輝の姿が。すわ亡霊か(余談ですが外伝には夭折した青年の幻影に悩まされるエピソードがある、13巻収録の「忘れえぬ友」)、と身構える当方。無論そんなことはなく、無事に手術が成功して目が見えるようになった海輝くんなのでした。サザエさんやドラえもんやコナンくんほどではないが、もう時間の流れが相当曖昧になっているから前に会ったときからどの程度経ったかハッキリしませんが、伸び盛りの海輝がそんなに大きくなっていないところを見ると、学生選手権の決勝から数えてもせいぜい1、2年くらいしか経っていないんじゃないかと思います。海輝の無事を確認できたことで晴れ晴れとした気持ちのまま東京を去ることができて、よっちんは静かに涙を流す。いざ京都へ。京都代表の小林、よく喋る京都弁のおっさん(鳴海?)、京都に帰るよっちん……露骨なほど「京都」を暗示して、62巻以降の「京都編」への布石をしっかり打っていますね。それはさておいて波城組と華僑組織の対決、舞台は赤坂の雀荘「天狗」と決まった。波城組の赤坂事務所の隣ビルです。以前の赤坂決戦をやったときも、最中によっちんが波城組へ出入りしてました。あのとき盛岡が声を掛けなければ、不思議な磁力に引き寄せられて、よっちんは黒沢最後の半荘を見届けていただろうに。そんなこんなで用意が整った「第二次赤坂決戦」、面子は波城組の津神と、津神がスカウトしてきた山谷の雀荘「いこい」のマスター・星野、大陸から派遣された刺客である荘志雲、そして誰のためでもなくただ己のためだけに闘う幻妖の怪物・菊多。波城組を離れた菊多は、華僑側を信用させるため荘と度胸試しのロシアンルーレット対決をしてみせます(回想シーン)。『アカギ』の市川といい、ロシルー好きなんだな、代打ちは。市川と言えばスピンオフの『HERO』にも出てきて驚いた。まさか奴がアカギより長生きするとは。しかしまあ、なんとも異色の組み合わせだ。第一次赤坂「天狗」決戦に参加した奴は菊多だけという状態です。学生選手権編が終わるまでの時期に登場した『天牌』初期メンバー(瞬、黒沢、よっちん、隆、入星、遼)がまったく絡まない長期エピソードはこれが初となります。

 53巻目から「第二次赤坂決戦」は開戦の狼煙を上げます。このエピソードは「頂上決戦」ほどではないけども相当長く、実に61巻目まで9冊にも渡って続く。頂上決戦が新宿編と渋谷編の2つに分かれていたことを考えると、単体の対局を描いた話としてはこれが最長ということになるかもしれません。53巻はまだウォームアップの段階で、本格的に熱が入ってくるのは54巻目から。1戦目の南2局でいきなり菊多がトぶ(第一次はハコ下有りでしたが、第二次はトビ終了有り)という予想外の展開もあって事態は混迷の度を深めていく。菊多が格下なのか、それとも何か企みがあってのハコ割れなのか。55巻目では津神が緑一色聴牌に漕ぎ着けながらもアガり逃す。開局からずっと津神にイイところナシ。こんなんで大丈夫なのか? と観戦している中釜さんは不安を面に過ぎらせますが、「9連続ラスだろうと最後の1回で逆転可能」と嘯く津神のことだ、心配には値しない。決戦の合間に津神の過去も明かされ、10年前の大阪で「ステップ」に入り浸っていたことが判明する。瞬と津神の間に、か細いながらも縁が生じ始めた。その津神は菊多を指して「妨害電波を出し続けている」と言い出す。やべぇ、それどこの月島(『耳をすませば』の月島雫、ではなくて『雫』の月島兄妹)だよ。麻雀対決と見せかけて毒電波とかメグマ波のぶつけ合いになるのかよ。とち狂ってやがる。そのうち彼方から自殺波動が飛んできて、対局中に点棒を耳の奥へ突き入れて自害する奴が出てくるんじゃないか。「麻雀って、わからないなあ!」。もともと近い要素があったとはいえ、『天牌』もどんどんサイキックバトルに等しい領域へと駆け上がっていきます。瞬は普通に「天眼」とやらを駆使し始めているしな。100巻超える頃には『幻魔大戦』みたいになっているかもしれない。天麻牌戦。

 56巻目57巻目では劣勢だった津神が巻き返してくる。ついでに大阪時代のこともチラッと回想する。「晃(鳴海の息子)は津神に殺されたんや」と「ステップ」の常連客は漏らすが、詳しい経緯は未だ説明されない。どれだけ引っ張るつもりなのか。「関西規模の麻雀選手権」で何かあったらしい。決戦の裏では黒流会の山田陽一(マグロ漁船帰りの新鋭)が津神を斃すべく、黒沢の師匠格である新満正吉に「俺の麻雀を鍛え直して欲しい」と懇願します。この際に「津神から根こそぎ運を吸い取られた入星さん」という言い回しが平然と出てくるのはさすが『天牌』だ。運量という謎のパラメータをまるでエネルギー資源のように奪い合う世界観が周知の事実と化している。一定量の運を溜めてゲージが満タンになれば全体効果系の超必殺技とか撃てるようになったりするのかしら。よっちんはツモるときに腕を十字交差させてスペシウム光線ぶっ放ちそう。瞬は飛龍の拳で躱して撃退。津神にけんもほろろな対応を取られて決戦に参加できなかった遼は北岡と組んで薄利多売のギャル雀(低レートで、店員が露出度の高いメイド服を着たギャルばかりの雀荘)を流行らせている。「ギャル雀で客集めして、女の子に入れあげた客をクラブやキャバクラに誘い込む」という、元禄杯のときの盛岡みたいな真似で稼ぐふたり。遼は全国制覇を目標に据え、「東京の地固めが済んだら次は関西へ飛ぶか」とわざわざ見開きで北岡に囁きかける。西へ……それが世界の選択か、と嘯きたくなるほどの共時性です。どうせなら『北へ。』ってことでみんな北海道に行って大槍絵の少女たちと麻雀打ってほしかった。北へ行こうランララン♪

 58巻目、感想がふざけすぎてきたのでネジを巻き直して少し真面目な内容に戻します。第二次赤坂決戦は波城サイド(津神と星野)と華僑サイド(荘と菊多)の代理抗争で、賭けている物は10億円の現金と新宿の賭場利権。ルールはトビ終了ありの半荘戦で、トップの所属する陣営が勝ちと見做し、先に3勝したサイドが優勝になります。つまり最低でも半荘3回、最高でも半荘5回の勝負となる。58巻の時点で3回戦が終わっており、1回戦は星野(波城サイド)の勝利、2回戦と3回戦は荘(華僑サイド)の勝利となっています。波城サイドは1勝2敗、次も華僑サイドに負ければそれで決着となってしまう。土俵際に追い詰められた形となりましたが、窮地に追い込まれれば追い込まれるほど強くなるのが津神元という男、4回戦は破竹の勢いで和了を繰り返し、ダントツ1位のまま南入。南2局を迎えたとき、津神:74600、星野:8600、荘:8400、菊多:8400という大差。親番で連荘し、2本場において98900点と、圧倒的な魔王ぶりを見せ付ける。人外めいた支配力を誇示して「悪魔に魂を売っちまったら 大概のことは叶えられるってことよ」と嘯く津神。10年前の大阪で鳴海晃とともに「第6回関西麻雀選手権大会」に出場した津神は、僅か1800点の差で晃に敗れ優勝を逃す。東と北のシャンポン待ちから残りたった1枚の北を「ここに北があるんだよ」とばかりに引き当て、リーヅモチャンタドラ8の親三倍満を炸裂させたことが勝因となった晃。彼の強運を奪って自らの物とする……ただそれだけのために、津神は大会副賞である福井旅行で赴いた東尋坊の崖から晃を突き落とした。運気が実在し、定量化でき、遣り取りも可能――その信仰が津神元を殺人者に変貌させたのであった。まるで『電波的な彼女』『幸福ゲーム』です。「これで運量値はみーーーーーんな俺のもの!」 いや、運気欲しさに犯行に及んだ、というのは当方の勝手な解釈であって津神自身は動機について一切語っておりません。少なくとも晃を殺すことで自分が強くなれるとは確信していたみたいですが。悪魔に魂を売ったことで手に入れた「魔法」を他の3人に掛ける津神。ほとんどが無駄ヅモという事態に苦しむ一同。翻って津神はほんの6巡でテンパイし、カンからの嶺上開花で親満を成就させる。「津神の魔法って…… まさか自分以外の全員の手を止めてしまうってこと……」「はたしてこの時点でリャンシャンテンに到達している者さえいなかった(ナレーション)」 『咲―Saki―』の天江衣(場の支配によって他家をイーシャンテン地獄に陥れる)も大概チートだと思ったが、津神も相当だな。4回戦は結局津神がトップで両陣営ともに2勝2敗。遂に最終戦へ縺れ込みます。自動卓のサイコロを回す前に「4・6の10」と予言する菊多。見事的中し、起家は菊多に決まりました。すげぇな、これも電波で出目を操ったのか? 「それほど起家が好きか」と訊ねる津神に対し、菊多は「ククク… ちーちゃんは大好きだ」「アンタに 延々と続くラス親を与えたかっただけだ」と言い切ります。この言葉が意味するものとはいったい……。

 59巻目では瞬が「ステップ」の姉妹店である「ウェスト」へ手伝いとして派遣されます。京都の土を踏む瞬。「ウェスト」を任されている天堂忍は「都落ちというか東京を捨てて来た男」、『天牌外伝』9巻の「再戦」に登場したキャラです。二度に渡って黒沢と対局し、ボロ負けしてホームレス暮らしの辛酸を味わった奴ながら、「いつかまた再戦する」という熱い思いを胸にサバイブしてきた。しかし肝心の黒沢はもう……天狗決戦の方は東場が終了して菊多、星野、津神、荘の順。菊多と星野がトップ争いを繰り広げ、津神の影はやや薄くなる。60巻目、ラスに甘んじていた荘がトップ目である星野が切った和了牌をあえて見逃し、山越しで津神を直撃する。卓上での借りを返す、ただそれだけのために。直撃された瞬間「なにィ」と叫び、「初めて津神の顔が怨色を帯びていた」とナレーションが入って、一気に小者っぽくなっていく津神。この巻では南3局まで進み、次巻はやっとオーラスを迎えます。また、山田陽一の「遠洋マグロ漁船に乗り、賭け麻雀で船員たちから1億8千万円を毟り取った」という『ワシズ』っぽい例のエピソードも語られます。皆伝では「友人の借金のカタに乗せられた」と書いてましたが、本編では「度胸試しで乗った」というふうに変更されてますね。もう『天牌』は細かいこと気にしちゃダメな漫画と分かってきましたので特に追及しない。

 61巻目、長かった第二次赤坂「天狗」決戦もいよいよ最終戦のオーラスへ突入。ラス親は津神、15000点のラスです。味方の星野は37300点でトップ、つまり安い手でもいいからさっさとアガって星野の1位を確定させれば津神たち波城サイドの勝利となる。ぶっちゃけ流局でも構わない。なので中釜さんも「もう津神の手などどうでもいい」と冷淡な本音を晒したりする。10巡目を過ぎてどうにかテンパった菊多だがアタリ牌はなかなか引けず、最後の望みは海底牌に託された。粛々とツモる菊多。が……ダメっ……! 海の底に映る月を撈うことは叶わず、非情な流局のときが訪れた。これで星野はトップ確定、波城サイド勝利――のはずだった。が……ダメっ……! とっととノーテンを宣言すれば良かったのに、津神は手牌を開けて「テンパイ」とバカ正直に主張、場棒を積んで南4局1本場を開始しちゃいます。本来起こりえるはずのないワンチャンス、菊多の「延々と続くラス親」が意味していたものはこれだったのだ。「いくら自サイドが勝ったからって、己がラスで決着なんてヤダ! ヤダもん! アダムカドモン!」とダダをこねているわけです。こっから先はマジで笑えますから自分の目で確かめてください。「孤高の博狼牙」なるよくわからない二つ名を頂戴するほど強キャラであったはずの津神、まさかの敗北を喫しました。「孤高の博狼牙・津神元」が「津神ィィッ! てめェさっきの二本場はなんだ!!」に転落。ノーテン罰符喰らうだけでトびかねないところまで追い詰められた池田華菜と違って、無駄なテンパイ宣言したせいで負けた津神、その敗因は明らかな驕り。「まさに… バベルの塔だ」と嘲りの滲む相貌で解説する菊多。そんな菊多にブチキレた津神は扼殺してやろうと首に手を回すが、「静かに帰りましょうや」と荘に太腿を撃ち抜かれ、「俺の…俺のことを忘れるなよ」と捨てゼリフを残して去っていきます。入星さんの「そこに敗北はあるんだよ」という声が聞こえてきそうなほどうら寂しい背中。個人的に津神はあまり好きなキャラじゃなかったからさほどショックでもないが、後藤正也や河野高志のレベルにまで堕ちるとは想像だにしなかった。ダークホースセッティング。伝説が、壮絶に、終わった。しかしこれ、哀れなのは山田だよな。津神に勝つため、自分の命さえ擲つ覚悟で修行を重ねたにも関わらず、肝心の津神が三國の異父弟である菊多に負けちゃうだなんて。屠竜の技を磨いてしまったというか、ある意味ちょっとしたランボー状態。『ヤマダー 怒りの牌とお喋り』。渋谷決戦に引き続いて10億の負債を発生させてしまった波城組、さすがにもう金の用意がありません。しかし案ずることはない、こんなこともあろうかと、中釜さんは準備良く黒流会の三國と密約を交わしていたのだった。もし津神が負けたときは黒流会から10億円を借りる、代わりに渋谷決戦で出した「三國と八角の現役引退」という条件は撤廃する。かくしてブリザードプリンスの三國、現役復帰と相成りました。弟の菊多は限界を超えて妨害電波を放出したせいか三國の前で倒れてしまい、杏天堂病院に担ぎ込まれる。久々に宇田川先生も出てきます。一方その頃、瞬とよっちんは京都にて偶然の再会を果たしていた。まだ前フリ段階ながら、新章「京都編」がホイッスルを吹きます。

 62巻目はずーっと前フリが続くからあまり書くことありません。「ウェスト」の譲渡を求める会社が出現し、従わなければ賭博の件をチクッて警察動かすぞと暗に脅してきます。で、まあ、「なら麻雀勝負で白黒つけようか」って話になります。だって『天牌』だもの。「ウェスト」を乗っ取ろうとする新興チェーン店は、ご想像の通り遼と北岡のコンビが後ろで糸を引いています。瞬、よっちん、遼、この三者が一堂に会するのは学生選手権以来か。63巻目で「京都闘牌戦争」が勃発、「戦争」とは言うものの、現時点では「ステップ」の姉妹店である雀荘「ウェスト」を巡っての争いというごく小規模なもの。打ち手は「ウェスト」側が天堂と瞬、「ウェスト」を乗っ取ろうとする関東勢が遼と北岡。「関西対関東」の様相を示していますが、実は4人全員が東京からやってきたクチです。しかも全員に黒沢義明との縁がある(北岡は外伝の「ネットチャンピオン」で黒沢と打っている)。ルールは3トップ先取した側が勝ち、ただしパートナーがラスを引いた場合その回は無効となる(犠打による勝ち抜けを防ぐため)。打ち合いをするさなかに遼から入星の死を告げられ動揺する瞬、信じまいとするが「日本清竜会の臼井」という心当たりのある名前を挙げられて信憑性が増す。1回戦はオーラスで予想を覆す天堂の国士ツモにより「ウェスト」陣営の勝ち、まずは1勝です。ところで、瞬がトイレで入星さんを悼んで合掌するシーンにて「八角さんからも葬式の連絡来たかもしれないが 携帯も持ち歩かぬ身じゃな…」と思考していますが、瞬って1巻の時点で仲間と連絡を取り合うためにケータイ購入してましたよね。伊豆編のところで病院に置き忘れていたけど、入星さんが届けて、一旦東京に戻ってからふたたび網代を訪ねにいく電車の中で宇田川に電話を掛けていた。持ち歩かなくなったのは大阪編に入ってからみたいだが、どうしてなんだろう……謎だ。

 これを書いている時点で最新刊の64巻目は第2回戦の開始から終了までをとっぷり描き、第3回戦の序盤をちょろっとだけ描く。合間に山田のエピソードも挟まれる。組の意向を無視して接待打ちに回らず勝ちまくり、町工場の社長を自殺(未遂?)に追い込んでも顔色一つ変えない、新たな化け物となりつつある山田。八角に対しても舐めた口を利くなど、増長の色が垣間見えてきた。京都戦は入星の死というショックから立ち直った瞬が第2回戦で猛烈な勢いの和了を見せ、遼をトビ寸前の淵まで追いやる。自ら「飛びありでいいだろ」とルールを追加してしまった遼、余計なこと言っちゃったな。最終的には北岡が振り込んで決着、またしてもウェスト側の勝ちで2勝。早ければ次の第3回戦が最終戦となります。この巻ではよっちんも観戦者として駆けつけます。北岡とは渋谷編以来、遼とは学生選手権の決勝以来です。なので遼が義手を付けていることも知らないんですよね。「あれ? こいつ右利きじゃなかったか? なんで左手で打ってるんだ?」と疑問を抱くところで64巻終了。対局中のトークでかなり久々に後藤正也の名前が出てきましたが、今どうしているか知っている奴はいないみたいで、依然として消息不明。遼が「長野の仲邨組」と名前を挙げても瞬は無反応だったが、瞬ってゆかの名字や出身地を知らないんだろうか……それとも「ナカムラ」が咄嗟にゆかと結びつかなかっただけか?

 最後に、総評みたいなものを軽く。学生選手権、四川編、第一次赤坂決戦といった割合初期のエピソードはどれも面白く、ストーリー・闘牌描写ともに白熱の限りを尽くしましたが、長野編あたりを境に話の冗長化が進み、無闇矢鱈な大ゴマ(というか見開き)の連発が増えたように思います。頂上決戦以降、面白いところはすごく面白くて盛り上がるけど、ダレるところは凄まじくダレて盛り上がりに欠く、という両極端な作品になっていきます。麻雀漫画として最低限の面白さは維持している(闘牌の描写自体は丁寧だし、むしろ水準以上の出来を常にずっとキープし続けている)にせよ、第二次赤坂決戦のあたりはハッタリが行き過ぎて半ばギャグになっており、オカルトを通り越したスーパーナチュラル化が懸念される。いずれ『念力密室!』ならぬ『念力麻雀!』になってしまうのではないかと危惧してしまいます。全盛期と比べるのは酷だと理解していますが、まだ持ち直せる範囲であろうと期待を抱いている。何にしろ、これだけ長大なスケールを持った麻雀漫画は他にない。100巻突破してもなお衰えぬ勢いを保ってほしい。個人的に好きなキャラは波城組の中釜清蔵です。雀士的には渋谷編以降まるでイイとこナシだったけれど、土下座して菊多と三國の対戦をねじ込んだり、驕り高ぶった津神の遣り口に不安を覚えて黒流会と密約を交わし波城組の崩壊を堰き止めた手際など、陰ながらのファインプレーが光る。しかし津神はどうなるんでしょうね、ホント。そのうち負け犬軍団(ルーザーズ)などと称して後藤や河野、臼田とともに再登場しそうな予感がします。


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