「てのひらを、たいように」
   /Clear


「アリョーシャ……」
「なんでぇセリョージャ、シケた声出しやがって。ウォトカでも切らしたのか」
「そうじゃねぇ」
 ぐずっ、とセルゲイは鼻を鳴らした。
「おい、知ってたかよ。ニッポンにはなぁ、てめぇの娘より若ぇツラして、うちのボロ部屋の壁よりも薄くて平べってぇ胸を張り付かせた女がいてな……夜な夜な台所で『もうちょっと……もうちょっとでAなのに』って呟いてるのさ」
「セリョージャ、お前のロシアン・ジョークは面白くねぇんだよ」
「ジョークじゃねぇ、これはマジな話だぜ。俺はこいつを知ったとき、ションベンさえカチカチになっちまう寒さで、凍ることのねぇ熱い涙が溢れてくるのを止められなかった……」
 声を詰まらせるセルゲイを無視し、アレクセイは足元のケースを蹴った。
「それよりこの蟹をどうすんのか決めようや」
「ああ、この前と同じようにコリアへ売ろう。ニッポンはいま水産庁がうるせぇからな……」
「だな。……セリョージャ」
「あんだ」
 気の緩んだセルゲイを、アレクセイの暗く粘つく瞳が射抜いた。
 虹彩に縁取られた沼の底で冷たい炎が淀む。
「ニッポンじゃ肉付きの悪い胸は既に当り前となってるんだぜ……『大きいことはいいことだ』の時代は終わったんだ。アメリカのゴイスバデーに対抗した『もうナイチチじゃない』の宣言に次ぐ、『国民総中乳』を謳った高度オッパイ成長期……爆乳景気だ魔乳景気だと騒いで、果てが巨乳崩壊だ。二次元の胸は泡のように膨らんで弾けやがったんだよ。もう誰も両手で鷲掴みして余るデカパイなんて信じていねぇ。仰向けになったら何の凹凸もなくなる荒野を『つるぺた(・∀・)イイ!!』って連中は肯定しやがるのよ。『二次元なればこそ平面であれ』とまでほざく。呆れるぜ、つい昨日まで『ふかふかのマシュマロに顔を埋めて窒息死するんなら本望だ』と言っていた猛烈胸スキーが『ゴリゴリの洗濯板に頬擦りしたい、癒されたい』と惰弱に満ちた妄言を吐くんだからな。挙句、パッケージなんて ょ ぅ ι゙ ょ だらけ、見えない文字で『ふくらみかけが食べごろです』とプリントしているようなもんさ。技術を信じ、未来を信じ、飽くことなく邁進した乳肉への情熱も執念も今や跡形なしだ……『失われた乳念』って奴さ」

 というわけで本ゲームは誇り高き血を継ぐ喫茶店のマスター・佐倉穂波が、名前の一部「穂」とナイチチ遺伝子、そして己の信念を娘である穂(みのる)へと託していく大河ストーリー『穂穂の奇妙な冒険』の第一部にあたります。嘘です。穂波=リサリサなのでむしろ第二部です。

「あの女の目……牧場のウシでもみるかのように冷たい目だ。残酷な目だ……『かわいそうだけどあしたの朝には搾乳器で激しくしぼられる運命なのね』ってかんじの!」

「そのふたつの胸の間に生じる真空状態の圧倒的平面空間はまさに歯車的貧乳の小宇宙!!」

 冗談はそのくらいにして、普通の紹介。この『てのひらを、たいように』、略すと『ひらたい』になるのは「俺たちはとんでもない思い違いをしていたのかもしれない……このタイトルはヒロインのほとんどがナイチチだということを指している可能性が高いんだよ!」とキバヤシごっこをするまでもなくナイチチストの間ではよく知られているが、ジャンルは一種の青春恋愛モノ。夏休みの少し前、7月の初めあたりから物語の幕は上がる。無気力少年の春野明生は旧家の娘にしてクラスの女王的存在・蓮見まりあ率いる一味からイヤガラセを受けているのだが、なんでそんな目に遭うのか皆目見当がつかない。だが無気力なのでどうでもいい。気がつけば幼馴染みの佐倉穂や吉野美花とも一緒に遊ぶどころか挨拶することさえなくなっている。その疑問とも向き合う気力が湧かない。ダラダラと過ぎていく夏。ある日、登校中の公園で夏森永久という少女と出会う。彼女は明生のクラスにやってくる転校生だったが、彼女自身の言によれば「明生ちゃんの友達」で、小さい頃は自分と明生と穂や美花の4人で一緒に遊んでいたと云う。しかし、明生にその記憶はない。穂にも、美花にも。「人違いじゃないのか」と流そうとする彼らに、「人違いなんかじゃないよ」と言い募る永久。やがて、彼らの記憶の淵から甦るものが……。

 幼少時に失った記憶を取り戻し、「約束」を果たすため奮闘する少年少女の姿を描いた、あるひと夏の物語。キーワードは「友達」。「喪失した記憶」という題材には正直言って「またかよ……」とウンザリしそうになるが、おーじによる柔らかな絵柄の美麗CGと、そこそこテンポが良くて読み易いテキストのおかげで割合楽しくプレーすることができた。友達がおらずひたすら無気力な毎日を送る序盤はあまり楽しくないものの、記憶を取り戻して一人称が「僕」から「俺」に変わり、かつての友達との仲を修復していく段に入るとムードがだいぶ明るくなってくる。ギャルゲーないしエロゲーは一対一の会話が多くなりがちだが、このゲームでは「4人」がひとつの単位となっているせいもあり、ワイワイガヤガヤと4人で一緒に群れて騒ぐ日常シーンが多い。そのにぎやかさが途中で投げ出さず長期間プレーし続けることのできた原動力だったように思う。しかし、にぎやかはにぎやかだが、とにかくこのゲームのシナリオは長い。初周はルートが固定されているのだが、それを「ひと回り」するのにしっかり声聞きながらやってたら13時間はかかった。「ひと回り」すると選択肢が増え他のルートも選べるようになり、更に7時間プレーを重ねてやっと「てのひらを、」編が終わる。都合20時間はかかったことになる。

 それでこのゲーム、「START」を選ぶと「てのひらを、」とだけ出ているロゴをクリックさせられることからなんとなく察することができるが、ある程度の条件を満たしてクリアすると残りの「たいようを」が出てくる。これが要は第一部と第二部にあたるてのひら編とたいよう編なのだが、ジョジョみたいに世代交代するわけではなく、単に主人公が変わって別の視点から同じ物語を追っていくっつー形式になっている。これもこれで割と長い。10時間は要った。

 「長い」に加えて思ったことがもうひとつ、「判定が意外に厳しい」。選択肢は数が少ないのだが、いや少ないからこそちょっとの間違いでバッドエンドに突っ込んでしまう。これが即死モノ(選んだ途端にバッドエンド行き)の選択肢なら直前に戻ってやり直せばいいが、中にはすぐバッドエンドに向かわず少し間を置いてから×となる時間差モノもあって、直前に戻ってもどうにもならないことがある。自分がどこを間違えたのか分かりくく、ああでもないこうでもないと手間取ることがしばしばあった。

 そろそろシナリオについて言及する。

 さて、てのひら編は春野明生を主人公に佐倉穂、吉野美花の二友人と仲直りした後、いよいよメインキャラの夏森永久を焦点に据えたストーリーに入っていく。永久が「さとり」の末裔であることは薄々察していたが、彼女が能力を持っているのかいないのかは主人公たちの記憶が完全に戻っていないため、プレーしているこっちも「どっちなんだろ?」といった具合に考えを決定することはできなかった。んで、まあ、あれやこれやとあって最終的にああいう展開になるわけだが……ここらからネタバレ込みで書くとする。

 んー、いくらか強引な印象は受けるけど概ね良しといったところかな。「友達」のために戦う、といったノリなので多少熱くはあるし盛り上がりもするが、如何せん普通の少年少女ばかりなので「機知と機転で危機と危険を掻い潜る冒険活劇」とは行かず、爽快感は薄め。主人公たちがあっさり死を決心するあたりもテンション下がった。「友達が理不尽な理由で死なねばならない」という現実を「そんな世界は願い下げだ!」と否定するために戦おうってのに、「やっぱりここはそんな世界だ」と認めてすべての現実を己ごと否定してしまうのは、戦線放棄というよりそもそも戦う覚悟ができていなかったんじゃないかと。更に最終日あたりでは「大人と戦っている」というより「町中に溢れるゾンビから逃げ回っている」みたいな感じになってしまい、むしろ呪われているのは町の人たちの方じゃないかと思ってしまうくらいだった。敵の存在を安っちく変質させてからクライマックスに突入するのはなんだかな……これじゃ「子供と大人の戦い」って図式になっていない気がした。

 事態の解決策となるのが処刑された歴代「さとり」の想いで、一日だけ咲く芙蓉の花と同期して放たれるというのは良かった。芙蓉の花が咲くその瞬間にたまたま能力者の永久が居合わせた、という「偶然」は御都合主義的ではあるが、偶然にでも頼らなければ少人数の「子供」である明生たちは大人数の「大人」たちに勝てなかった……という流れは個人的に納得が行く。また殺された「さとり」たちは初潮前という掟から子供ばかりであり、「悲しむことさえ知らない」想いがただの「悲しみ」以上に大人たちの心を占めていくのもキレイだ。キレイすぎて呆気なくはあるけれど。

 てのひら編では4回しか立ち絵付きで出てこなかった速見順哉、彼がたいよう編の主人公となるが、プレーしてみるとイメージと若干違っていた。真顔で冗談を言うタイプだったとは……。たいよう編はヒロインがふたりで、シナリオの分量はてのひら編の半分程度。位置付けはアナザー・ストーリーってなところで、がっこの自由課題として「さとり」の伝承を調べていくうち、町の「真実」に気づく。テキストについて言えばてのひら編の方が巧かった気はするが、ノリなんかはこっちもそこそこ好み。特に、

「そっか、二人きりか……」
「そう二人きりだよ」
「……襲うなよ」
「なんで、あたしがにいちゃんのことを襲わなきゃいけないのよ」

 のあたりは笑った。

 ただ、話の展開はてのひら編以上に強引。まず出発点である「さとり」伝承の調査、これに対する態度からしておかしい。主人公たちはどうも町に伝わる「さとり」伝承を「昔本当にあったこと」として捉えている。500年前の、それこそ「まんが日本昔ばなし」に収録されそうな話を。いやあれ終わったっけ? 言い換えれば京極夏彦系の妖怪小説みたいな話。いくら文書として残っているからって、頭から「さとり」の存在を信じたりするとは思えない。そりゃあちょっとは真実が混ざっているかもしれないが、普通は伝承が「まったくのつくり話かもしれない」とあらかじめ考えたうえで調べ出すだろうし、ストーリーにしたってそのまんまではなくより暗喩的に解釈しようとするのではないか。

 自由課題のレポートなんだから、あえてフィクションと知りつつ「昔本当にあったこと」として考えているんじゃ……と最初は思っていたのだが、それだと後半に入ってから思考がぽんぽん滑らかにシフトしていく事態に説明がつかない。フィクションだと思っていなかったからこそ、ああやって簡単に思考が飛躍していったはずだ。というか、正直言って順哉の推理(?)はなんぼなんでもアクロバティックが過ぎる。てのひら編の展開に合わせようとしているのは分かるが、さすがに無理筋だ。

 「さとり」の家系だの「埋葬の儀」だのといった要素は「憑き物筋」とかみたいな一種の差別的因習の表れで、心が読めるとか人を操るとかいうのは全部でっちあげ、町の人たちは魔女狩りと同じ愚を犯しているんじゃないか……という考えを持つ奴が少なくとも一人はいて良かった気がする。てのひら編のキャラたちはこれに近いことを考えていたように思うが、突き詰めてはいなかった。だから、主人公が変わってより外部的となるたいよう編ではそのへんを突っ込んでいくんだろうな、と期待していたのに。

 詰まるところ問題点は一般人であるはずの主人公たちが、あまりにもすんなりオカルトな事態を受け容れてしまうことか。てのひら編の対処に比べ、たいよう編はそのへんがいまひとつに感じられた。最終的には受け容れるんにしろ、それまではもうちょっと常識的な見方に固執して欲しかった。

 このへんでネタバレ終わり。

 プレーしていて楽しかったのはてのひら編もたいよう編も同じだが、たいよう編はいくらか不満の残る出来だった。残念。キャラクターは両編とも魅力的な面子が揃っていたが、全体的に性格が幼く見える。天然ボケの永久、ワガママDQNの美花、最年少な元気少女・凛、この三人は特にそうで、穂と更紗は多少マシだが、「怒りっぽい」「なんかズレてる」といったトコから幼さが露出してしまう。とはいえ、あくまで当方に限ればこの「幼さ」は決して悪くなかった。永久の天然っぽさや更紗のズレっぷり、美花・穂・凛の元気良さはやってて和んだしね。美花は素でDQNというヒロインとしてはアレな奴だが、なんか憎めず可愛く見えてしまうのが不思議。好きなキャラのランクは永久>穂波>まりあの順。永久のあのなんとも言えない声は立て続けに聞いていると洗脳されてしまいそうだった。あのへらへらした笑顔もたまらない。穂波さんはやはりあの若々しさ。明生とヒロインの誰かとの間にデキた子供が次回作の主人公になってもそのまま立ち絵が使い回せそうだ。そして恐らく乳に懸ける執念はヒロイン一かと。まりあはもうちょっと見せ場があっても罰が当たらなかったのではないか。ちなみにABの方で補完があるかと思ったらなさそうな気配。無念だ……当方は百合が苦手なので『まりあ様がみてる』みたいなのは期待していなかったが、『まりあック・スクランブル』とでも名付けるべき熱い後日談は是非とも目にしたかった。

 結論を言えば当方は気に入りました、このゲーム。テキストは淡泊なので派手な萌えや笑いを期待する向きには合わないかもしれないが、「恋愛モノの前半、ひたすら内容の乏しいダラダラした日常が続くトコが好き」という人にはこの薄味加減とのんべんだらりムードが美味しく感じられるであろうと思われます。現に当方がそう。シナリオ面に関してはストーリー展開に少し引っ掛かるものを感じたせいで完全に盛り上がり切らなかったものの、期待に添うくらいの面白さは示してくれた。「友達」という絆、「友達」と口にする気恥ずかしさ、「友達」と思うだけで湧いてくる力、「友達」という言葉に篭った泣きたくなるほどの懐かしさ。そういった要素群はキチンと込められている。手放しでは賞賛できないが、誉められるところは確実にあった。

 余談。腹を割って書けばおーじが原画じゃなかったらたぶんやってなかった、このゲーム。『MoonLight』が「そこそこ良いけれど地味」「廃校という設定が活きていない」といった感想だったので、W2もT3もスルーしていた。これも実はしばらく迷った末に購入を決意したのだが、踏み切って良かったと安堵した次第。おーじ絵の見事なナイチチっぷり、そしてその中でこそ映える普通の乳。当方は軒並みナイチチ、軒並み巨乳というのよりも「ナイチチの中に巨乳」「巨乳の中にナイチチ」ってなふうにギャップを強調するノリが「オゥイェー」です。ヒロインの魅力は個性そのものではなく、周囲との緊密な関係性の中にこそ生まれる。乳に限らず。ただ、立ち絵はどれも素晴らしいクオリティだったのに対し、イベントCGは玉石混淆といった具合にバラつきがあり、玉多めではあるけれど、少し残念ではあった。あとあまり関係ないけど、画面中にいくつも波紋が疾走して「過去の光景」なCGが表示される演出は面白かった。


>>back