攻府市。
炎と単車を操る暴走集団「機馬軍団」──超自然の特殊能力「攻撃力」に加え、異常に頑丈な身体、更には硬い結束を持ち、常勝不敗を誇る猛田の攻校生たち。
彼らが支配するこの地域に、激しい熱を伴った災厄が足を踏み入れた。
「草薙京? それに、八神庵だと……?」
「総長、間違いありませんよ。攻校生の中でも、あれだけ強烈な奴らはそうそう見当たりません」
「そうか……しばらく海外に出てまんま、戻ってこねェと思ってたけどよ……帰ってきやがったのか」
ボッ──
口の端に咥えていた煙草が尋常ならざる熱に苛まれ、軽快な破裂音とともに飛び散った。 機馬軍団総長・山県掠は表情一つ変えず、プッと口内に残留した煙草のカスを吐き出す。
「あいつら、こっちに一ッ言も言わず言わせず襲いかかってきまして、数に恃む暇もなく──」
「十人が全滅、か」
呟きと同時に、彼の体内を駆け巡る血液──溶岩のごとき「熱血」が猖獗を極めた。
四方に放される炎熱が、凶獣へと変貌した顔を彩る。
人間ストーブを目の前にしながら、少しも汗を浮かべることなく、冷たい眼差しを宿して眺める今福。
彼に向けて、山県が暴虐の笑みを示す。
「面白ェ。草薙と八神のふたりなら相手に不足なし。存分に仇を晴らしてやろうぜ──戦争上等、だ」
世界に股をかけて勇名を轟かせた二強ファイア・スターター、草薙京と八神庵。
弐年弐組の25名と壱年参組の7名、このうち10名を失った機馬軍団が、「狩り」の猛攻へと打って出た。
ふたりに関する情報を少しでも掻き集めようと、速攻の限りを尽くす族群。
だが、案に相違して、彼らの前に立ちはだかるのは予想だにしなかった不気味な敵の数々だった。
「畜生、化け物がッ!」
広瀬拘史。機馬軍団親衛隊長にして「コロシの広瀬」の異名を取る凶人。
彼が、憎々しげに吐き捨てた。
眼前で展開する光景は地獄絵図といって差し支えない。
電柱は折り砕かれ、電線が蛇のごとく這い回る地面。死屍累々と積み重ねられた人体は、機馬軍団の麾下にはあらねど、同じ猛田攻校に通う攻校生たちだった。誰もみな、指一本動かすことできずに沈黙している。「頑丈」がウリの攻校生だけに、辛うじて息はあった。
何をしていたというわけでもない。ただそこに居合わせていただけで、根こそぎ全滅させられた。邪魔、と言わんばかりの横暴な豪腕によって。雑草を刈り取るような気軽さだった。
「こっちは草薙と八神のペアだけでいっぱいっぱいだってーのによ……こんな化け物まで出てきやがって!」
ゆらり。
声に反応したのか。泰山が動くような迫力を滲ませ、歩み寄ってきた。
整えることをまったく知らない髪が、ぼうぼうと燃え盛る炎のように揺らぐ。
軋間紅摩。
人ならざるモノの血が混じった軋間家の当主。退魔を稼業とする人間どもを数多く屠ってきた、レッド・ライオン。「先祖還り」を起こした彼の戦闘力は、攻校生の尺度からいってもバカバカしいくらいに甚大だ。
到底敵う相手ではない。
理性の訴えを聞き届けながらも、広瀬は赤い鬼神を真っ向から睨み吸えて、ニヤッと凶悪に微笑った。寒気を感じるくらい、全身が熱くなっていく。
唇に微笑、心に火炎。
「コロシの広瀬」がいま、その異名を存分に発揮する。
「やれやれ、せっかくの休暇が台無しだな」
黒の短髪。鋭い目つきをした男が、肩を竦めた。白手袋を着用した両手が左右に大きく開かれる。「やれやれ」を端的に体現する仕草だった。
隣には金髪の女性が黙々と控えている。
ひと目見て、油断のならないコンビと分かった。まったく緊張している素振りがないのに、隙を見出す余地が皆無。相当の手練れ、駒井と睨んだ。
「休暇」とか言ってはいるが、彼らの身を包む青い衣装は明らかに何かの制服であり、所属を表すものだった。それがどんな所属であるか、知識を有していない駒井と秋山には読み取ることが不可能だったが──
「先輩、軽率に仕掛けちゃダメっスよ」
「おい、後輩のくせに差し出がましーこと言ってんじゃねェよ。殺スぞ」
罵りつつ、目は男たちから離さない。
忠言されるまでもなかった。
侮れば秒殺される。
それだけは分かった。
「外人、テメェが何を知ってやがんのか、良ければよ……んにゃ、悪くても力づくで吐かせてやるぜッ!」
血を沸騰させる情熱が自然現象をねじ曲げ、炎を召喚する。
駒井姫太郎。童顔ゆえ「コマ」「コマ先輩」と親しまれている彼だが、その性格は機馬軍団の誰よりも苛烈であり、一度「燃え」出したら消火剤を持ち出しても消し止めることはできない。特攻隊長を任じられるだけの資質はあった。
螺旋の炎が足に絡み付くや、即座にリズミカルなステップで疾走を開始。
アスファルトの地面を穿ちながら迫撃する。
蹴りならではの威力で以って繰り出されるその業。
「炎撃蛇獄脚」。
進路に立ち塞がるありとあらゆるものを破砕し燃やし尽くす、無敵の突進だった。
「やれやれ……」
それを目撃してなお、男は動揺を見せない。余裕すら覗く。
「君は勘違いをしているようだ」
白手袋──発火布で編まれたそれを、軽く宙に掲げる。
「吐かせるのはこちらだし、吐くのは君たちの方だ」
東方軍司令部所属、ロイ・マスタング。
銃撃の名手であるリザ・ホークアイを引き連れ、攻府へやってきた国家錬金術師。
「焔の錬金術師」と畏怖される彼が、その指先を擦りつける。
火花が、散った。
「光栄──という言葉で良いだろうか」
スーツを着こんだ糸目の男が、髪をなでつける。
隔離街──常軌を逸した闘争の末、世界から遮断された閉鎖世界。その限定された区画のほとんどを統べるマフィア、「無限蛇(アンリヒカイト・ヴィーパァ)」のトップを占める三頭の一。「外」との公益を任されているギース・クレメンスや、「蛇」の実行部隊長として働くデザード・グレイブに比べ、表に出る機会が少ない男。
アズラーン・ヴァイプハウスト。
慇懃無礼を態度で示しつつ、向かいの女性を観察していた。
肩より少し長い程度に伸ばされたブロンドの髪。美しい色合いであり、整った顔立ちをこれ以上になく飾っている。凛々しく、溌剌とした印象を与える容姿だった。
だが、しかし──
これが「伝説」と称された念火能力者(パイロキネシスト)だろうか?
年頃はまだ若く、少女の域に留まるものと見える。実際、かの「伝説」が打ちたてられたのはほんの数年前だ。そのとき「幼い少女」と伝え聞いていたから、さほど加齢しているはずもない。
「ほんの数年前」なのに、既に「伝説」として確立した事件。たったひとりの少女が、CIAの下部組織「ザ・ショップ」を世間の明るみに晒し、滅亡へと追いやったあの事件の裏に、凄絶な闘争があったと言われている。
それは「伝説」の名に値する、血戦に次ぐ血戦だったらしいが──
本当にこの少女なのか?
目を眇め、疑いの眼差しを送るアズラーンに、少女は柔らかく微笑み返す。見る者を魅了する、蠱惑的でありながら爽快なスマイルであった。
「疑う必要はないわ。あたしがチャーリー・マッギーその人よ、アズラーンさん」
暴君と恐れられるマフィアを目の前に置きながら、綽々の態度。
繕っているのではなく、あくまで自然な落ち着きに、アズラーンも疑いを消した。
「悪かった。見たものをすぐに信用できぬ愚かな慎重さを詫びるとしよう」
針の細さだった目が、ゆっくりと開かれて行く。
「ついでに、もうひとつ謝りたい。貴女を、『伝説』と尊称される貴女をこれから抹殺することを。『あれ』はどうしても必要なのでね。邪魔されたくない」
「あら、謝る必要はないわ。無理だから」
なおもにこやかな笑みを浮かべる彼女に、アズラーンの右手から生まれた火球が投げ込まれる──
「『あれ』に関しては神凪家の仕切りよ。あんたたちの出る幕じゃないわ」
凛、と宣言する黒髪の少女。清楚な雰囲気を漂わせながらも、何ものにも曲がらず屈せずといった強い意志を持つ瞳でふたりの男を見据えている。
「なんだよ、神凪一族の奴らまで出張ってきやがったのか」
「攻校生とやらは存外呆気なかったが……こいつらなら少しは歯応えがありそうだ」
額に白いバンダナを巻いた短髪の少年は困惑気味に首を振り、赤毛で異様に前髪を垂らした妖しい少年が対照的な笑みを見せる。
草薙京と八神庵。攻校生十人を瞬殺し、機馬軍団総員から追われる身となったふたりのファイターが、肩を並べて立っていた。
「神凪一族の炎術師──話には聞いてるぜ。破邪の炎を操る制裁集団。古の時より日本の陰にあって魔を狩り続け、遂には『最強』の二文字を冠されるに至った一族とか何とか。古臭さじゃうちといい勝負だな」
「草薙一族──あんたも破邪の炎術師の家系ね。どちらかと言えば格闘術に重きをおいた古武術の一派だったと思うけど。で、そっちの八神は草薙の分家で合ってるかしら?」
「とっくに袂を分かち、敵対関係にあるが……そんなところだ」
庵は笑み消さぬまま、それでいて物憂い仕草で頷く。
「そ。分かった。それはいいとして、その敵対関係にあるおふたりさんが仲良く手と手を取り合ってここまで足を運んできたのは『あれ』狙いなわけでしょ? ふん、渡さないわよ。『あれ』は使い方次第で世界がどうにかなるよーな、相当危険な代物なんだからね。神凪がじきじきに回収し、管轄に置く。あんたたちはさっさと帰ってくれて結構なの。邪魔だし」
「ね、姉様っ」
とても説得に聞こえず、むしろ焚き付けているようにしか聞こえない少女の発言を、後方に控えていた可憐な顔つきの少年が嗜めた。
「そういう刺激的な言い回しはしない方がいいと思う……」
「は? なんであたしが自分より弱い連中に気を遣ってやらなくちゃならないのよ。冗談じゃないわ」
ニコリともせず、澄ました顔で堂々と言い放った。
刹那──
スッ、と四人を包む気温が下がり、幾分涼しくなった。
それは嵐の前の静けさであり、時限爆弾が起動する直前の静寂だった。
イヌ科の匂いがした。神秘の混じった、怪の匂い。
「「あれ?」」
声が重なり、目と目が合う。
お互い、自慢の嗅覚でそれぞれが「普通」じゃないことを悟った。
「おまえ、人間じゃないね?」
「そういうあなたも、人間じゃないんでしょう?」
静華の問いに、意味内容をそっくりそのまま、口調だけ変えて少女が返す。
奇しくも揃って長髪。腰まで伸びた黒の滝が、少女と静華を不完全気味の左右対称に仕立てあげていた。年頃と雰囲気は違うので、どちらをどちらと取り違えることもないだろうが──
(こいつの歳は、絶対に見た目通りじゃない)
静華は直感する。鋭利とさえ言える嗅覚が長命種独特の「匂い」まで嗅ぎ取り、確信を与えていた。
「何者だい? ぷんぷんと匂ってくるよ、イヌ科の体臭がね──」
同族でないことは分かっていた。自分と同じ人狼族ならば、もっとすんなりと匂ってくるものだが、この少女はどうにも鼻に付く。物腰にはまるで悪い印象を覚えないが、存在の本質が危険に思えて仕方がなかった。
「わたしはようこ。いぬがみだよ。知ってるかな?」
犬神。
知っているかどうかでいえば知っていたが、どのくらい知っているかという点では……あまり知らなかった。そう呼ばれる半人半妖の怪が山中を主として棲息し、「犬神使い」の人間と契約して使役されているとは聞き及んでいるが、何分人狼族との交渉はない。
「で、あなたは?」
質問させたからには質問すると、明瞭かつシンプルな考えに基づいてようこが訊く。つぶらな瞳が静華を見上げてくる。
(なんか、こいつ)
ふと思った。
弟の嫁に似ている気がする、と。
「──あたしは静華。人狼族だよ」
「じんろー。それって、おおかみに変身する人間のことだよね?」
「そうだ」
「おおかみって、いぬに似ているよね?」
「うん? まあ、な……」
正直、犬と狼を同一視されるのは気持ちのいいことではなかったが、広くイヌ科で捉えれば、「似ている」と言っても差し支えはない、と自分に言い聞かせた。
「だからあたし、おおかみって苦手」
言いながら後ろに下がり、避けるような素振りをした。
「は? いやちょっと待て、話がどこからどこに繋がった?」
「あたし、いぬが苦手なの」
あっけらかんとした返答が静華の疑問を氷解させた。
なるほど、イヌが苦手ならオオカミも苦手だろう、と。
しかしそれは新たな疑問の始まりでもあったのだ。
「おい、おまえ犬神なんだろ?」
「うん」
「なのにイヌが苦手って……」
「苦手なものはしょーがないの。人間がきらいな人間もいるんだから別にいいじゃない」
有無を挟ませない断言に、静華もそれ以上の追及を諦めた。
オ○Qみたいにイヌが苦手な犬神っていうのも、この世には存在する。珍奇であるが、存在するものは仕方ない。そう結論付けた。
「ここね、アラストール」
ビルの屋上から攻府の夜景を見晴るかす少女がひとり。
長い黒髪を靡かせる彼女の顔は幼く、しかし、表情は決然として引き締まっている。
呟きと思えた彼女のセリフは、実のところ語り掛けであった。
「ああ。感じるぞ──『あれ』の気配だ」
答える声は胸元から──少女の首にかけられたペンダントと思しき物体から響いてくる。サイズからいって、スピーカーが仕込まれているようにも見えない。如何なる振動を利用してか、言葉が発され、紡がれていく。
「早くした方が良い。時間が掛かれば、“紅世の徒”も駆けつけてくるだろう。『あれ』の希少性を勘案すれば、“王”クラスの連中が出張ってこぬとも限らない」
「わかってる」
ペンダントからの声に答えて、こくりと律儀に頷く。
少女は髪の色と同じ黒のコートに身を包んでいた。風を含んでバタバタとはためく裾を押さえ、地上を見渡している。
「それで、今は飛んでいるの? それとも降りているの?」
「分からぬ──気配は確かにするが、探し出すのは容易ではないらしい」
少女は視線を転じ、天空を仰ぐ。
夜の帳を背景に星々が瞬き、冷たく柔らかな光で目を癒す。
ぽつり、と呟いた。
「“天壌の劫火”──だよね、アラストール?」
「ああ。我の真名だ」
ペンダントが首肯した。もちろん、声のニュアンスだけで。
この世の「歩いて行けない隣」──紅世。
そこに住まう者たちを“紅世の徒”と呼ぶ。
“天壌の劫火”アラストールもまた、そのひとりだった。
「それがどうした?」
「うん。なんとなく、思い出して……」
言い淀む少女。
その心情を、数瞬後に察した。「あれ」も天壌を征く劫火のひとつなのだから、彼女の想いも複雑なのだ、と。
「気に病むでない。『あれ』は誰かが討たねばならんだ。その誰かが、今回はたまたま我らだった。それだけの話だぞ」
「うん──」
それでも少女の顔は晴れない。黒コートと黒髪に覆われた全身が、今にも宵闇に溶けていきそうで、アラストールはなおも喋り続けた。
「成長しすぎたのだ。『あれ』は何度も成長しては死に、また生まれ、成長し直す。止むことのない円環に囚われた生命だ。そろそろ末期も近く、何を思ってかこの島国まで辿り着いたが、あまりに存在の力が強すぎる。死と再生の過程が始まる前に“徒”が奪いにくれば、間違いなく世界の均衡は覆されるのだ」
アラストールの説得に、少女は頷く。
“紅世の徒”は本来この世にあるべき存在ではない。異世界の住人である。紅世に生まれた彼らは紅世にあるべきなのだが、彼らは自らの故郷を好まない。猟場だ、餌場だと称し、人々の暮らすこの世界へ侵入してくる。
彼らがすることは「存在の力」の奪取だ。元よりこの世界に存在しない彼らは、現界するために元からいたモノの存在を奪わねばならない。それも命あるモノであり、彼らに近しいモノ。大抵は人間である。人の存在そのものが持つ力こそ“徒”における生命活動の根幹であり、彼らが振るう異能「自在法」の源泉でもあった。
彼らが人間以外を狙うことはあまりなく、その伝で言えば「あれ」が狙われる道理はないが──さすがに、別格なのだろう。「あれ」は人間にあらず、人間を超えた存在力を放っている。古代の世から弛まず生き、弛まず死んできた「あれ」を鳥獣の類に収めるべきではない。
敢えて称するなら、「神獣」。
“徒”が「あれ」を絡め取ったときは、この世の終わりとなるかもしれない。
それは少女の使命が、何より誇りが許さなかった。
この世に仇なす“徒”を討つ、フレイムヘイズとしての誇りが。
「っらァッ! とったぜ、この野郎が!」
血反吐がこみ上げるのも構わず、広瀬拘史が叫ぶ。
満身創痍の彼が握る小さなライターから火の線が伸びていた。
広瀬の攻撃力、「火鞭」。
鞭であり縄である火線が軋間紅摩の身体に幾重にも巻きついて拘束する。
ごっ──
紅摩の筋肉が小山のごとく盛り上がった。
縛り付ける火鞭を紅赤朱の凶撃で以って弾き飛ばす。
火鞭には軋間紅摩を縛するだけの能はなかった。
しかし一瞬だけ、味方に必要な「隙」を与えるだけの役割は見事に果たした。
紅摩の巨身へ向かってひとつの影が疾る。
「遊びは終わりだ!」
八神の最凶、庵。
オロチの力をも継ぐ彼が理性の限界一歩手前で踏み止まり、蒼白く紫がかった炎を紅摩へ叩き込む。
禁技、八稚女。
だが、巨身はそれでも動じない。直立不動の様を見せ付け、己を連打する庵に手を伸ばす。
それを──逆に掴んだ。
「京ォッ!」
「庵ィッ!」
草薙京が、威力を限界にまで高め上げた炎の剣を抜き放つ。
これぞ、大蛇薙。
「喰らい──やがれ!」
草薙の浄火が軋間家当主の暴虐を焼き払った。
「ナフサ、パーム油、亜鉛、リン、ガソリン、重油──ひと通り中尉が揃えている」
リザ・ホークアイが両手で開けている鞄を、ロイ・マスタングが覗き込んでいる。
「で、それをどうするんですか?」
「錬成するんだよ、ナパームを」
いともあっさり言ってのける。
「錬金術は等価交換が原則でね。無から有を造り出すことはできない。その点、君たちの『攻撃力』とやらは原理が何だかさっぱり不明なのに都合良く無茶な現象を起こせるものだから便利というより気持ち悪いが、とにかく材料さえ揃っていればどうにかなる。これはつまり、錬金術を学習すればどんなに料理が下手な人でも楽々クッキングというわけで──」
「大佐、無駄口が多いですよ」
「……そういうことで、私はナパーム錬成に取りかかる。だから、ヴァイプハウスト氏に突っ込んで行って倒す役目は君に任せるよ」
ポン
ロイの白手袋が、腕を組んで傍観していた駒井姫太郎の肩に乗せられた。
「はぁ?」
「言ったろう? 錬成というものは集中力がいるんだ。いっときに面倒な錬成をふたつ同時にするなんて、よほど困ったときじゃなければ御免こうむりたい。攻撃と補助は分担した方が効率的だ」
ポン、ポン、と気安く叩いた。
「ざけんなよ、なんで俺がんなことしなきゃなんねーんだよ!」
「……あ。もしかして、先輩」
「あん?」
「怖いんですか?」
ピタッ
秋山の一言は覿面に効果を表し、駒井の動きを止めた。
「おい、誰が、何を怖いって?」
「先輩が、あの『半焦げジジイ』を」
「テメ、くそつまんねェ冗談を言ってっとマジで殺スぞ」
「冗談って決め付けるんなら、早く──やっちゃってください」
ビッ、と指差す方向に「半焦げジジイ」が迫ってきていた。
アズラーン・ヴァイプハウスト。隔離街のマフィアが、なぜか攻府で半身大火傷を負ってうろついているところ、ばったり駒井たちと遭遇。
で、現在彼らを追ってきている、と。
「ロイ公、テメェが変なことすっからあのイカレ親父が向かってきたんじゃねェかよ」
「私は救急車を呼ぼうとしただけだよ。間違えて警察に通報してしまったが。それに、君が『おい、生焼け。部分白髪が煤で真っ黒けなってるぜ』とか言って大笑いしたのも原因の一つとは思うがね。ともあれ、手伝ってくれたら『あれ』のことも詳しく教えよう。それで手を打たないか?」
「あれ」──火の鳥。
エジプト神話由来の霊鳥で、英語読みは「フェニックス」。火の中から生まれ、火の中へと死に行き、火の中で新生して再び飛び出すそれは輪廻転生を地でいくモノとして錬金術界からも熱い視線を送られているという。
等価交換に則り、不死なるモノを材料として錬成すれば、永遠不滅のモノを生み出したり、既にあるモノへ不変の属性を付加することも夢ではない。
軍が動くほどの貴重種。そして、攻府にもたらされた災厄の種。
「火の鳥だか焼き鳥だか知んねーけど、情報収集やってこいって言われたもんなァ……手ブラで帰ったら重さん怒るだろーし」
頭を掻き、なおも懲りずぶつくさと文句を吐く駒井が──振り向いた。
「しゃあね。殺るか」
覚悟を決めて、脚部に炎を宿らせる。ロイが「羨ましい」とうっかりこぼした、等価交換もクソもない気合による召喚。
ここへ更にナパームを加えて、あの生焼け中年にぶち込むわけだが……
(ナパームナパームって軽く言ってっけど、んなもん使ったら俺たちごと吹っ飛ぶかもしんねーじゃねェか)
ロイ公のアホめ、と心の中で罵る。
だが、ここで取り止めて「臆病者」の謗りを受けるのは何が何でもイヤだった。秋山に「怖いんですか?」と言われ、無言のリザに責めるような目で見つめられることを思うとムカムカしてくる。
怯まぬ男であろう、と。
機馬軍団へ入隊したときに思ったはずなのだ。
(山さん……)
総長である彼の志に胸打たれ、進んで特攻隊長になった。
この足さえあればどこまでも行ける。戦場だろうと地獄だろうと、たった一人で危地へ赴くことも厭わない。
「……こちとら特攻してナンボの特攻隊長だ。ナパームも、ジジイも、まとめて料理してやっぜ!」
「私は機馬軍団の中にあって、かつ副総長でありながら火を遣うことができない。これには内心、忸怩たるものがあるが──」
今福重春はうっそりと瞼を上げ、三白眼を晒す。
「こと走行に関しては総長さえブッちぎることができると自負している」
獰猛な二輪の獣を股ぐらの下に飼い慣らし、相対する高崗陸也を睨めつけた。
レベリオンとやら。ウィルスの感染により新生した人種。攻校生をも超越する化外の者。
沈黙する彼もまた、機乗の身である。
ドッドッドッドッドッ、と。
自らは語らず、両脚に挟んだ震える機馬身に闘争欲の多寡を告げさせる。
「是非もない、ということか」
視線を落とすが、元より会話を楽しむつもりはない。
駆ける。それが目的。
拳の暴力が今福の取り柄ではない。
スピードこそが彼の血液。走れる道はすべて戦場であり、道なき道さえタイヤの下に踏みつける。
引き裂き、引き摺り、跳ね飛ばし、轢き殺す。
唸る愛馬は無二の戦友であるとともに唯一の武器であった。
轟音。
高崗がハンドルを握って、伏する獣を起こし──道路に出て疾走を開始した。
見逃す今福ではない。
愛機を優しく撫で、翻って烈しく活を入れる。
駆動系、電装系、エンジン、メーターが歓喜の振動にシンクロした。
咆哮の排気を撒き散らし、アスファルトと摩擦するタイヤが残虐な哄笑を上げる。
重力の軛から解き放たれたような浮遊感。
魂だけが飛んでいきそうな──そんな感覚を乗りこなす。
上回る速度がぐんぐんと、紐を手繰るみたいに高崗の背中を引き寄せる。
今福の攻撃力、「機馬術」。
「ビスの一本まで分解しろや──」
その真価を発揮せんと、両手を放した。
「はぁっ!!」
綾乃が炎雷覇を掲げ、袈裟懸けに斬り下げた。
「やっ!」
ひと呼吸置いたシャナが放つ贄殿遮那の一閃。逆袈裟に決まった。
「………っ!」
物一つ言わず耐える山県の胴体に、「×」印の創傷が刻まれた。
「総長!」
機馬軍団を構成する攻校生たちの悲痛な声。
総長が──あの山県掠が負ける?
「……心配すんな」
山県が喘いだかと思うと、×字に切り裂かれた傷口から鮮やかな赤が飛沫いた。
血だ。しかし、ただの血ではない。
山県の攻撃力──「熱血」。
彼の身体に流れる血液は炎に等しい。
故に、触れることは毒よりも危険。
事実、手に降りかかった「燃える血」に綾乃とシャナが悲鳴を上げていた。
蛋白質の焦げる匂いが部屋中に漂い出す。
「くぅ……なんのこれしき……!」
「負けない……!」
それでもなお刀を取り落とすことのないふたりは、少女でありながら紛れもなく戦士としての資質を持っていた。
「たとえ俺が斃れたとしてもよ──」
喘鳴を堪え、ニヤリと凶笑する。呼吸困難と大量出血に苦しむ者には見えぬ、不逞の態度であった。
「俺の血が、斃すからな」
そう。それが機馬軍団の常識だった。
総長である山県は血が戦闘単位である。彼の身体が倒れても、彼の血が戦い続ける。敵に制裁を求め、野生の本能を衝き動かすバーニング・ブラッド。
敗北など、ありえない。
死んでも凝血しない──その気迫が、血圧のボルテージを青天井に突き上げ、こぼれる火を燃え盛らせていく。
溶鉄のそばに寄るよりも致命的な災禍と化し、周囲のものを何であろうと、触れるまでもなく燃え上がらせ、溶かす。
もはや、歩く火山だった。
それは幾度も火の中で生まれ変わる不死鳥。
数限りない死を経験したが故に死に近しく、数限りない死を経ながら生き長らえる故に死に遠く。
誰よりも死を知りながら、本当の意味では誰よりも死を知らない。
無価値の無垢に彩られた空の華。
その生き血を飲む物は、過たず不死を叶える。
古から連綿と伝えられてきた伝承。
弓矢は効かず、撃ち落とすことはできない。
全身は燃え盛る炎であり、触れることもできない。
いつまでも絶えることなく続いてきた風聞はいつしか伝承の域を越え、神話の世界へと到達していた。
神位にもっとも近く、同時にもっとも遠い。
聖邪を極めた存在。
血のみならず、肉を、羽根を、眼球を、内蔵を、骨を手に入れたならば、世界を制することさえ夢ではない。
「炎」に由来する、最大にして最強の信仰。
その肉体を欲し、彼の者が降り立つ地、攻府を目指し有象無象の輩が押し掛けることは必然であり、自明の理であった。
砂糖の塊にたかる蟻の群れ。
人蟻。
犇めき合い、血と炎をぶち撒け、瀕死に陥りながらなおも立ち上がり、闘志を漲らせて戦い続ける、百鬼夜行諸々の行い。
まるでそれは
まるでそれは地に打ち放たれた花火のよう──
炎が炎を殺す。
逃げ場所はない。
赤猫どもの狂宴は火蓋を切って落とされた。
戦場を駆ける凶風は熱く染まり、火勢を更に更にと煽って疾り抜ける。
闘志こそ何よりもの燃料。
研ぎ澄ました殺意こそ信管。
己が信念を炸裂させ、絢爛業火に燦たらしめよ。
そして勝利を誇れ。
敗れし者の末路は松明か蝋燭。
燃え殻、燃え滓を省みる者はいない。
終わるな。
命を翳せ。
罪は浄めずともよい。
奏でるべきは魂の灼ける音。
瞋恚を胸に、いざ、不死なる鳥を討て。
『煉獄楽団』
攻府は、焦土と化す──
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