リーバス警部シリーズ


 日記の内容を抜粋。


2006-01-15.

・イアン・ランキンの『血に問えば』読了。

「軍隊は人を殺す訓練をするだけで、民間人に戻る前にそれを白紙に戻す作業は何一つやらない」

 イギリスはエジンバラを舞台にした刑事小説。リーバス刑事を主人公にしたシリーズとしては14冊目に当たる。ポート・エドガー校で起きた発砲事件は三名の死者と一名の怪我人を出した。うち一人は学園に侵入したリー・ハードマン──元軍人の男。彼はこめかみを撃ち抜いて自殺したのだった。事件は終着したかに見えたが、犯行の動機や経緯が判明しないかぎり民衆は納得しない。リーバス刑事はハードマンと同じく軍歴を持っており、その共通点から管轄が違うにも関わらず捜査の協力を要請される。事件を探るリーバスの行く手には軍部の影が立ちはだかり、捜査に横槍を挟む。また銃撃事件とは別に発生した火災で焼死者が出ており、直前その家にリーバスが訪問していたこと、彼が両手に火傷を負っていることから嫌疑が掛かり、いつ停職処分を喰らっても不思議ではない状態に陥った。それでもなおハードマンに己の身を重ね、没頭していくリーバス。彼が辿り着いた真相とは……。

 「孤高の刑事」という類型的なヒーロー像を、あくまで格好良くないタッチで描いています。両手がうまく使えないので「孤高」と言いつつ周りに助けられてばかりですけど。タバコすら一人では満足に吸うこともできないので様にならないことしきり。身内から疑惑の視線を向けられてものらりくらりと追及を躱して捜査を続けるリーバスのふてぶてしさが面白かったです。最初は単純に見えていた事件がだんだんと根深い代物であると判明してくる展開は堂に入ったもので、原稿用紙に直せば900枚は行く長さを苦痛に感じさせることもなくスラスラと読ませるくらいテンポが良い。もっとこう、リーバスやハードマンの抱えた「心の闇」みたいなものへ分け入っていくハードでダークでヘヴィな内容を予想していましたが、「元軍人」的な暗い部分を覗かせるシーンはいくつかあったもののハードボイルド式にあっさり流しているせいで大して尾を引かない。読みやすい反面、パンチの弱さが不満として残る。話も風呂敷を広げた割には畳み切っておらず、やや消化不良なムードが漂っていますし。

 リーバス刑事シリーズを読むのはこれが初めてであり、感触としてはまずまず。最近刑事小説に飢えていたので、多少の物足りなさはあったにせよ充分楽しめました。一応ポケミスの頃から注目していたシリーズなんですけど、「表紙の区別が付かない」「側面がなぜか黄色い」「そもそも売ってる本屋が少ない」というポケミスには若干程度の苦手意識があって、なかなか手に取る機会がありませんでした。そこにきて版型の変更と表紙のイラスト付与。旧来のファンには不評にしても、個人的には購入に踏み切るキッカケとなりました。他の作品もポツポツと読んでみることにします。


2006-10-25.

・イアン・ランキンの『黒と青』読了。

「おれは計算ずくで危険を冒していたんだ、ジャック」
「新しい計算機を買えよ」

 今やイギリスを代表する警察小説となりつつあるらしいジョン・リーバス刑事シリーズ第8弾。原題 "Black and Blue" 。由来はローリング・ストーンズのアルバムとのことですが、北海油田がストーリーの焦点となってくるので、石油の「黒」と海の「青」をイメージしたタイトルかなぁ、と勝手に思っていたり。現在リーバス刑事シリーズは15作目まで邦訳されていて、本書はちょうど真ん中に当たるわけですが、実はこれがランキンの長編作品としては初めて邦訳されたもの。最近になってようやく初期作の翻訳が始まったけれど、まだシリーズの3作目から6作目までが日本語では読めない状況です。

 “バイブル・ジョン”――1960年代にスコットランドを震撼させた連続絞殺魔。結局逮捕されぬまま、誰とも知れぬ「彼」が起こした事件は迷宮入りしたが、20年以上も経って同じ手口による強姦殺人事件が立て続けに発生した。目撃者の証言によれば犯人は20代の青年。もしそれが本当なら前回の事件のときには生まれているかいないかの年頃で、“バイブル・ジョン”とは別人……つまり模倣犯であると見做せる。マスコミが付けたあだ名は“ジョニー・バイブル”。果たして“バイブル・ジョン”と“ジョニー・バイブル”には何か繋がりがあるのか? 椅子に縛られたまま墜落死した男の事件を捜査する傍らで絞殺魔の謎を密かに追うリーバス警部。だが彼は「スペーヴン事件」と呼ばれる、殺人容疑で投獄された男が無罪を訴えて獄中死した冤罪疑惑事件と深く関っていた。バツイチで男やもめ、日々酒に溺れ、マスコミに周辺を嗅ぎ回られ、上司や同僚と衝突しては孤立化していく毎日。一匹狼の矜持とともに不屈を貫いて真相へ辿り着かんとするが……。

 ロック・ミュージックを好み、五十を過ぎてなお反骨精神が盛んな皮肉屋の中年刑事を主人公にした警察小説。複数の事件捜査が同時進行する、いわゆる「モジュール型」のストーリーです。現代に甦った絞殺魔の事件、背後にギャングの影が見え隠れする事件、そして主人公本人が疑惑の対象である事件。「すべての事件はある人物の陰謀だった!」とか、そこまで劇的な展開にはなりませんが、話が進んでいくにつれ事件同士の関係が少しずつさらけ出される構成となっております。状況設定を説明して盤面を整えるまでが前半部に当たり、そのため序盤は展開がややかったるい。主人公のリーバスも飲んだくれでやさぐれているし、最初のうちはあまり好感が持てなかった。北海の油田施設があらゆる事件の焦点である、と判明してきてからは一気に面白くなります。特に、とある事情からジャック・モートンというリーバスの昔のパートーナーがそばに付くようになってからは、打てば響く軽快な遣り取りが続いて楽しく読めた。やはり警察小説は一匹狼よりもコンビの方がテンポは良くなるかと。それに後半は、アメリカの警察小説みたいなド派手な銃撃戦こそなかったものの、五十歳越したリーバスが「年寄りの冷や水」と揶揄されそうな活躍ぶりを存分に見せてくれた。喝采を上げることしきり。

 そして、本作品における絶妙なスパイスとなっているのが“バイブル・ジョン”。あとがきによれば実在の事件らしいんですが……なんとこの絞殺魔、割合早い段階で視点人物として登場してきます。自分の起こした事件から25年くらい経って改心したのかどうか、それは不明ですが、“ジョニー・バイブル”という模倣犯がヤンチャして世間を賑わせていることを知り、「こりゃあ、ひとつヤキでも入れてやんなくちゃな」とばかりに犯人捜しを開始する。モンホンの絞殺魔による模倣犯追跡。まるで『ハサミ男』みたいな興趣が盛り込まれているわけで、もちろん読んでるこちらとしてもワクワクしないわけには参りません。リーバスと“バイブル・ジョン”、先に“ジョニー・バイブル”を見つけ出すのはどっちだ。

 皮肉屋と言っても決してニヒルな造型ではなく、大泣きしながら深夜の公園で友人と殴り合いを繰り広げる、人間臭いというかまだ青臭いところの残っているリーバス警部が個性的で好感度大。猪突猛進で自分勝手、規則を破ることを屁とも思わぬふてぶてしさ――しかし、断酒を決行しようと必死で煩悶しているあたりの描写を読むと、なかなか憎めない。全体の構成も細部の描写も巧みで、いかにもシリーズ中期らしい脂の乗り切った風情があります。つい先月に文庫版で上巻下巻が刊行されましたから、そちらの方が当方の読んだポケミス版よりもお求めやすし。今後はまだ翻訳の進んでない初期作を後回しにして、だいたい出揃っている中期作や最近作をターゲットに据えて読み漁ろうと思います。


2006-10-29.

・イアン・ランキンの『蹲る骨』読了。

 リーバスだって若いころには無茶をした。ある女の子に捨てられたとき、その子の両親に電話して、彼女が妊娠していると告げたものだ。あきれたことに、セックスすらしていなかったのに。

 リーバス頭おかしいよリーバス。少年時代のどんなヤンチャ話を聞かせてくれるかと思ったら「わたしのおなかにはあの人の子供がいるんだから……!」の逆パターンかよ。「彼女のおなかにはぼくの子供がいるんだからな……!」って、虚偽だろうと仮に真実だろうと捨てゼリフとして締まらないにもほどがあるよ。そういった具合で爆笑せずにいられなかった本書はリーバス刑事シリーズの第11弾。原題は "Set in Darkness" 。相変わらず分厚くて500ページくらいあります。普通ポケミスの本っていったら200〜300ページが相場なのに。

 十七世紀後半に建てられ、その世紀末に増築された「クイーンズベリ・ハウス」の増築部分を取り壊し、新議会にまつわる建造物をつくるという計画――二年後の秋に完成予定で、現在は工事の真っ最中であるクイーンズベリ・ハウスへ、リーバスたちPPLC(議会関連保安委員会)の一行は見学に訪れた。楽しくもなんともない、できれば誰かに押し付けたいような義務的なツアー。かつて病院として使われていた建物を見て回ったリーバスたちは、地下室で思いも寄らぬものを発見する。塞がれた壁の向こうに埋められた死体。ミイラ化してはいたが、ローリング・ストーンズのTシャツを着ていたりと、どう見ても百年前やら二百年前やらの代物には思えなかった。更に現場の近くで議員に選出される可能性が濃厚だった有力立候補者が殺され、リーバスは二つの間に何らかの関連が存在するのだろうと睨む。一方、シボーンは四十万ポンド(約一億円)もの預金を口座に残したまま墜落死した奇妙な浮浪者の身元を割り出そうとしていて……。

 二十年ほど前のミイラ化した死体、殺害された議会選挙の有力立候補者、そして大金を抱えて謎の死を遂げた浮浪者。一見関係なさそうな三つの事件が絡み合い、徐々に一つの構図を描き出していくまでの過程を重厚な筆致で綴る警察小説。8作目から11作目と、かなり間を飛ばして読んだせいでシリーズの状況変化にいろいろと戸惑わされたが、独断専行の捜査で上司に嫌われるリーバスの性格は相変わらずなんで、割と安心して読めました。今回はリンフォード警部という、出世を約束されたキャリア組の坊やが登場。こいつがまた嫌な性格をしています。退職間際でアル中すれすれのリーバスを軽んじ、事あるごとに当てこすりを言い放つ。けど結構マヌケなところがあるので憎み切れないというか、皮肉屋中年のリーバスとの応酬が読んでいて楽しくさえある。やはり刑事モノは二人一組での掛け合いがなくっちゃ面白くない。

 舞台となるエジンバラの情景や登場人物の機微をねちねちと執拗な文体で描写して気温や体臭まで伝達してこようとする作風も、これが3作目ということもあってだいぶ慣れてかったるさを覚えなくなってきたというか、むしろハマってきました。刑事という職業柄過去を探り回る性質が切っても切り離せず、「過去に生きる」という感覚がどうにも抜けないリーバスの、時折ついつい追憶に耽ってしまう心理が雰囲気とマッチしてより深い没入を促してくれる。ゆっくり時間を掛けて進行するくせに結末がややあっさりしているのは拍子抜けだったけれど、安定した面白さが享受できる良作に仕上がっています。リーバス刑事のダメっぽい部分も含めて魅力を覚えるようになって参りましたよ。


2006-10-31.

・イアン・ランキンの『滝』読了。

 昼間の飲酒は格別である。パブの中では時間が止まり、外界も存在しなくなる。パブにいる限り、死を忘れ、年を忘れる。黄昏の店内から日光の降り注ぐ外へよろめき出て、忙しげに午後の道路を行き交う人々を見たとき、まばゆい真実に気づく。よく考えれば、何百年も人間は同じことをしてきたのではないか。意識の底に空いた穴を酒で埋めてきたのだ。

 依然としてリーバスがつらつらとダメ人間的な思考を垂れ流しているシリーズの第12弾。原題 "The Falls" 。作中に「フォールズ」という地名が出てくるところから来てますが、かのホームズとモリアーティ教授の決闘地「ラインバッハの滝」を連想させるせいか「これがリーバス刑事シリーズのターニング・ポイントになるのでは」と推測する向きもあったみたいです。そこまで劇的な転換はありませんけれど、リーバスの心境が変容を迎える部分がいくつかあり、加えてやっぱりボリュームがたっぷりでなかなか読み終わらずしっかり楽しめる一冊になっています。

 銀行家の娘フィリッパが失踪した――姿を消さねばならない事情もなく、自発的なものというより、何かの事件に巻き込まれた可能性が高いと警察は睨む。直前に痴話喧嘩を繰り広げていた恋人のデイヴィッドへ容疑が集中するなか、フィリッパのパソコンを調べていたシボーンは、「クイズマスター」と名乗る人物が彼女にメールを送っていたという事実を掴んだ。失踪後なおも暗号文めいたメールを送ってくるクイズマスターとコンタクトを取ろうと策を凝らすシボーン。一方、リーバスはフィリッパの実家があるフォールズへ赴き、そこで発見されたという小さな棺――中に釘打ちされた人形が入っていた――を調査する。やがて彼は数年おきに各地で発生している失踪・変死事件が「小さな棺」を共通項にして結ばれていることに気づき、そこから連続殺人鬼の影を炙り出していくが……。

 アーサーズ・シートという丘で実際に発見された棺をモチーフにして書かれた長編。死体盗掘者(レザレクショニスト)や死体解剖者にまつわる伝承も物語に絡んできて、進めば進むほど失踪したフィリッパの安否に対する不安が募る。が、ランキン作品は非常にスローペースで悠長な語り口が特徴であり、100ページ経っても200ページ経っても事件に大した進展が見られない。300ページぐらいでようやく本格始動してくる有り様。作風に慣れてないと痺れを切らすこと請け合いです。

 そんなわけで、リーバス刑事シリーズをまだ一冊も読んでいないという方にはオススメしにくい作品。先にいくつか読んでから着手する方が良さげです。シリーズの肝である「警察内部に働く隠微な力関係」といった要素が今回はとても濃厚に描写されており、事件捜査の裏で刑事たちそれぞれの秘めた思惑が陰湿にぶつかり合って息苦しいほどの軋轢を生み出す様子は読み応え大。チームが一丸になって難解な事件を解き明かす、みたいな熱血刑事ドラマとはまた違った興趣が、寒々として煤けた印象のある街エジンバラに馴染む。死体を盗掘して解剖者に売り捌いていた男が絞首刑に遭うや今度は自分が切り捌かれる番になるなど、スコットランドのブラックな歴史が話に影を落として不穏さを漂わせるあたりも良い。反面、インターネットを介してクイズをするっつーネタの位置づけがちょっと中途半端というか、活かし切れていなくて浮いてしまっている感はありました。

 ストーリーに関してはちぃとダラダラしすぎな印象が拭えなかったですけれど、リーバス刑事シリーズを読んでいく過程でこれを外すことはできないな、と思わされる一冊でもあった。酒に溺れ、退職の時期が迫りながらも刑事を辞めた後のビジョンを持てないでいるリーバスが、虚しさに溺れることなく現実と対峙していこうとする、なけなしの強さに心打たれることしきり。リーバスたんはちょっと、いやかなりダメな子ではあるものの、ひどくいとおしげに感じられる刑事だ。


2006-11-04.

・イアン・ランキンの『甦る男』読了。

 リーバス刑事シリーズ第13弾。原題 "Resurrection Men" 。前作『滝』でも触れられた「死体盗掘者(レザレクショニスト)」と掛けたタイトルになっており、「更正する男たち」という表面上の意味とは別に「墓を掘り返して死体を盗む者ども」ってニュアンスも持っています。50歳を過ぎても独断専行型で協調性が薄く、どんどんダメ人間の様相が強くなっていくリーバス警部、なんと今回は警察官用の更正施設に送られてしまう。理由は「捜査会議の最中に上司へ向かって紅茶のマグカップを投げつけたから」。いくらカッとなったからって大人げないよリーバス、と微苦笑を誘われながら読み始めた次第。

 タリアラン警察学校――ここには新人警察官の教育を行う務めとは別に、「辞職させるには忍びないが、もう少し周りと仲良くして欲しい、素行に問題がある刑事」を再教育するという、一種の更正施設じみた面があった。ジル・テンプラー主任警視にマグカップを大胆スローイングした酬いとして捜査陣から放逐されたリーバス警部は、同じ要領で上司に噛みつき「反抗的」の烙印を押されて叩き込まれた不良刑事たち五人と出会う。揃いも揃って独断専行型な連中を一つにまとめるべく、教官のアーチー・テナントは「迷宮入りした事件の再捜査」という珍しい試験を課した。エリック・ローマックス――犯罪者を始めとする訳有りの人間を匿い、逃亡の手助けをする「逃がし屋」を営んでいた男が他殺体となって発見された事件。その名前に、リーバスは動揺する。彼にとってリコ(エリック)の事件は、決して語りたくない「古傷」となっていたのだが……。

 「死体の盗掘(レザレクション)」と呼ばれる、古い事件の捜査を追体験する教科に参加させられたものの、個人的な事情から口を閉ざし、再捜査をさりげなく妨害して秘密を暴かれまいと努力するリーバス。一方、「リーバスの弟子」として認定されつつある女性刑事シボーンは、リーバスが「紅茶事件」を起こしたせいで外された美術商殺害の線を追う。対象となる事件が一つに限定されず、話が進んでいくうちにそれぞれの関係や全体像が見えてくる、非常に入り組んだプロットが特徴的なのはこれまでと一緒。ただし、良く言えばゆったりのんびりとした足取り、悪く言えばダラダラとかったるい調子に陥りがちだったこれまでに対し、今回は割と早い段階から読者を「おっ」と驚かせて感心させる工夫が凝らされています。おかげで進展の少ない前半さえもスリリングな気分を味わうことができて退屈しませんでした。

 リーバスを含む不良刑事六人組に「ワイルド・バンチ」というあだ名をつけ、「マイルド・バンチ」とからかってみたりなど、事件捜査を抜きにして楽しめる穏やかな雰囲気が漂っているあたりは良かった。酒浸りの中年たちをちょっとした遣り取りで面白おかしく魅力的に演出してくれる。はっきり言って、今まで読んだリーバス・シリーズの中でも一、二を争うほどのワクワク感を提供してくれたかもしれない。リーバスとシボーンが別々に頑張って、ふと何かの折に接触した際にもたらされる、特殊な連帯感が妙に心地いい。四六時中くっついて減らず口を叩き合うコンビ刑事モノも楽しいけれど、こういう「たまに協力し合うだけ」のコンビってのも興味深いです。いわゆる凸凹コンビではなく、凸凸コンビないし凹凹コンビ。ふたりの性質が似通っているから一緒に行動させるより、分けて行動させた方が物語に映えてくる。

 終盤で複雑な謎を解きほぐしていく手腕が鮮やかなことは今更書くまでもありません。不祥事からストーリーを起こし、ダメな老犬たちの主に酒が入った微かな絆に繋げ、そこから宿敵との何度目になるか分からない顔合わせへ結び付ける、まこと抜かりない話運びが心憎い。このシリーズは読めば読むほどハマってきます。まだ何冊も読めるのが残ってるってことが無性にありがたい。


2007-01-02.

・イアン・ランキンの『血の流れるままに』読了。

 初めの問題は、警察官としての仕事だけが自分の日常生活に外枠と中身を与えていることだ。それだけが自分に働く予定をもたらし、朝起きる理由となっている。自由時間が何より嫌いだし、日曜日の休みを嫌悪している。働くために生きているのであり、ほんとうの意味で生きるために働いているのだ。

 根っからの刑事、そのくせ集団行動が苦手で足並みを揃えることができず、いっつも一匹狼として独断専行してしまうジョン・リーバス。そんな彼の登場するシリーズ第6弾です。原題は "Let It Bleed" 、例によってローリング・ストーンズの曲に由来する模様。代表作『黒と青』の前作で、大長編傾向が顕著になる寸前の作品でもあります。ポケミスとしてはそこそこ分量のある方ですが、以降のシリーズ作品と比べるとやや短い。そのため読み応えという点では若干の物足りなさが残る。とはいえ内容はスマートにまとまっており、「冗長すぎる」などの謗りもある他作品より目を通しやすい一冊であることは確か。ジョン・リーバスのシリーズを読み始めるなら本書から、と薦めてみるべきだろうか。

 市長の娘、カースティ・ケネディが失踪した。それがすべての発端だった――のかもしれない。「カースティを誘拐した」と告げる電話に色めきたった警察はハリウッド映画ばりのカーチェイスを繰り広げた末に、車から降り立った二人の若者を追い詰める。袋の鼠と化した彼らは状況を悲観してか、リーバス警部の目の前で川に身投げして自殺してしまう。車や男たちの住居から娘は発見されず、依然行方不明のまま。二人が本当に誘拐犯だったのか、単なる便乗犯だったのか、それすら定かではなかった。一方、出所したばかりの元受刑者ウィー・シュグは切り詰めたショットガンを手に小学校に押しかけ、区議員トム・ギレスピーが見てる面前で自らの頭を吹き飛ばした。何かの抗議めいているが、ギレスピーは「何も言わずにただ撃った」と証言する。二つの(あるいは三つの)自殺事件。リーバスが真相を探るうち、上層部からの圧力が掛かる。無理矢理休暇を取らされたリーバスは、それでもなお捜査を進めるうち、やがてスコットランドの黒い闇へと行き着くこととなるが……。

 ごめんなさい、さっき「スコットランド」を「ストッコランド」とタイプミスしてしまいました。「黒い闇」だけに黒ストっ娘だらけの素晴らしい国を夢想しちゃったりして本当にごめんなさい。さて、非番も何のその、「刑事」という生き方しかできない主人公が違法スレスレの捜査を展開する長編ミステリです。冒頭はいきなりカーチェイスから始まってスピーディに進行しますが、その後は派手なアクションもなく、ひたすら地道な捜査活動が続く構成となっております。しかし、一見関係がなさそうだった事柄が結びついていって徐々に複雑な全体像が浮かび上がってくる過程を含め、「激しい銃撃戦」や「襟を掴んでの殴り合い」にも負けず劣らずのダイナミックな面白さで楽しませてくれる。警察内部の人間関係もストーリーに影を落とし、二重三重の錯綜が興味をそそって退屈させません。

 今回はリーバスの一人娘、サミーの出番が多くてシリーズファンにとっても嬉しいエピソードに仕上がっています。他の作品では名前だけ出てきて実際に登場するシーンがなかったりとかで、結構やきもきさせられていましたし。反抗的な娘と常に対立する位置を取ってしまうリーバス。登場人物の一人が「リーバスは相手の反応欲しさに、喧嘩を吹っかけるのが好きだ」「合意よりも対立のほうが、あなたにとっておもしろいからよ」と言及していて、彼が執拗に皮肉げなセリフを吐いたり常に一言多かったりする性格の根幹をズバリと指摘しています。彼とて娘が可愛くないわけではなく、ことあるごとに「ここは幼い頃の娘をよく連れてきた場所だ」と追憶に耽ったりしている。帰郷するサミーを出迎えに駅まで行ったのに、声を掛けることができなくて向こうから気づいてくれることを祈ったりと、ちょっとキモい親父ではありますが一匹狼らしからぬナイーブな姿にほろりとする回想シーンもありました。

 酒を飲んでいないときは、なかなか眠れない。そんなときは暗闇を凝視し、暗闇が何らかの形になるようにと念じる。そうすれば何かがわかってくるのではないかと思うのだ。生きることの意義を考えようとするが、若いころの悲惨な陸軍の経験、失敗に終わった結婚、父親としても友人としても恋人としても失格者だった自分を思ううちに、最後は涙があふれてくる。

 ベッドではうまく寝付けないので椅子に座ったまま眠るのが習慣となっている彼の侘しさが胸を衝く。「悲惨な陸軍の経験」については、知りたい気持ちもあり、知りたくない気持ちもあり。当初抱いていた「カッコいい一匹狼の刑事」というイメージにはそぐわない、有体に言って情けないところも多いキャラですけれど、読めば読むほど愛着が深まってきます。抑制の効いた雰囲気で、あまり過激な展開がないせいもあって地味な印象のシリーズではあるものの、未訳の第3作から第6作も早く日本語版が出て全部読めるようになってほしいなぁ、と願うばかり。


2007-01-11.

・イアン・ランキンの『首吊りの庭』読了。

 リーバスは彼女がテーブルに戻ってくる頃合を見計らって、ドアを開け、外へ出た。自分のものとは思えない足で、なんとか歩いて自分の車まで戻った。
 家まで車を走らせる間、泣いていたわけではない。
 泣いていなかったわけでもない。

 スコットランドはエジンバラを舞台に、刑事ジョン・リーバスが活躍するシリーズ第9弾。原題 "The Hanging Garden" 。解説によればザ・キュアというロックグループの曲名から来ているそうで、ほぼ直訳。ちなみにあの有名な「バビロンの空中庭園」も「ハンギング・ガーデン」と言う模様。原作の刊行順では『黒と青』の次に当たる本作、内容としてはシリーズのかなり重要な位置を占めています。いきなりこれから読み始めたり、これを読み飛ばして後の作品に手を付けたりといったことは正直オススメしません。うっかり読み飛ばしてしまって今更読んだ当方が保証します。

 ……できれば保証しかたなかった orz

 1944年、ナチスの武装親衛隊がフランスの村で大量虐殺を行った――村の男たちの首にロープを掛けて木に吊るし、住民たちを押し込んだ教会を爆破し、機関銃を掃射して生み出した死者数は、あまりにも多すぎて厳密な数字が出せなかった。生存者は幼い少女を含む僅か四名。虐殺の指揮者とされるヨウセフ・リンツテク中尉は終戦後に姿をくらましたが、事件から50年も経った今、スコットランドに住むジョゼフ・リンツなる老人がその中尉と同一人物ではないかという疑惑が持ち上がる。大戦期の戦犯を調査する仕事を回されたリーバスは老人と顔を合わせ、会話を重ねるが、彼が虐殺を指揮したという確証はどうしても得られない。決して告白せず、しかしはっきりと意見を述べて(自分自身かもしれない)リンツテク中尉を擁護するリンツ。一方、リーバスが歴史の闇を洗っている頃、現代のエジンバラではギャングどもの抗争が過熱し始めていた。見え隠れするチェチェン・マフィアや日本ヤクザの影。麻薬と娼婦。戦犯調査とギャング捜査、二束のわらじを履いて忙しく駆け回るリーバスを襲う悲劇とは……。

 戦犯、ギャング、悲劇。更には自傷癖のある娼婦を救おうと尽力する展開など、今回も盛り沢山のストーリーラインが用意されています。毎回毎回複雑なプロットを組むのが好きなんですねイアン・ランキン。さて、先に以降の作品に目を通してしまっているせいで「悲劇」が具体的にどんなもので、どういう決着をしたか既に分かってしまっているだけに個人的な衝撃が薄らいでしまったものの、それでもやっぱり読んでてズーンと来ました。来ると分かっていても重い。シリーズ読者にとっては読み逃せない代物ながら、これを「好き」と言い張れるファンがいるのでしょうか。ギャングの若々しいボス、トミー・テルフォードの存在感をはじめとして目を惹く箇所は多く、話に熱中しやすいことは確かですが。

 重いながら、今回良かったところはリーバスの娘サミー(サマンサ)が幼い頃の姿が断章形式で挟まれて若き日のリーバスがついでに拝めること、それとあまり触れられてこなかったリーバスの従軍時代のエピソードが明かされることですね。リーバスが英国陸軍の空挺部隊に所属していてSASに志願したことや、その試験に落ちたことは他の作品でも書かれていましたけれど、「そもそもなぜSASに志願したのか?」という経緯が綴られていて興味深かった。一匹狼として悪名を轟かせつつも内面は繊細なリーバス、今回あるシーンで非常に動揺し、支離滅裂な言動を取って錯乱します。普通の刑事小説なら省くか、ボカすかするこうした場面をきっちり描いちゃうあたり、作者も容赦がない。

 複数の軸が交錯して入り乱れる構成で、ちょっとまとまりの欠く印象もあり、いまひとつ腑に落ちないところのある結末でしたが、本作を通してより鮮明にジョン・リーバスが持つ輪郭を浮かび上がらせることは成功していると思います。「刑事小説」というより「ジョン・リーバス小説」って感じ。なのでシリーズ未読、「刑事小説をお求め」な方には薦めかねます。本書以前のシリーズ作品を先に読まれたし。


2009-01-16.

・イアン・ランキンの『紐と十字架』読了。

 今のところ海外の刑事小説でもっとも愛好している“ジョン・リーバス”シリーズ、その記念すべき第1弾です。本国での刊行は1987年ですが、邦訳は遅れに遅れて2005年。“ジョン・リーバス”シリーズは初期作がほとんど翻訳されておらず、現時点で3作目から6作目までの4冊が未訳のままとなっている。初期作の評判がそんなに良くない、というのも理由の一つらしいんですが、やはりシリーズファンとしては評判を別にして読んでみたいものです。さて、本書の原題の "Knots & Crosses" 。ほぼ直訳ですが、厳密に訳せば「結び目と十字架」。主人公であるリーバス部長刑事(この頃はまだ警部じゃなかったのか……と驚かされる)のもとに結び目のある紐や十字架が封入された差出人不明の封筒が届く、というところから来ているタイトルですが、「Noughts & Crosses」――つまり9つのマス(囲←こんなの)にNought(○)やCross(×)を書き入れて先に三目並べた方が勝ちという、誰もが暇潰しで誰かとやったことのある遊びの名前をもじった題名でもあるのです。

 エジンバラで連続する少女誘拐事件――犯人は攫った少女に暴行を加えるでもなく、ただ絞殺し、死体を遺棄して回るだけだった。性犯罪目的ではない無差別殺人に対し有効な方策を採ることができず、後手後手に回る警察。部長刑事のリーバスは、自分のもとへ届けられる謎の封筒が事件と関わっていることなど、少しも考えていなかった。被害に遭う少女が4名に達した頃、「おい、この封筒、事件と前後して送られてきてないか?」と、遂にリーバスの同僚が疑いを向ける。「紐と十字架」の意味するものとは? やがて事件は思いも寄らぬ展開を見せ……。

 何にビックリしたかと言えば、やはりスタイルの違い、この一言に尽きますね。20年くらい続いているシリーズですから最新作と初期作で違いが出るのは当然ですけれど、読んでいて別のシリーズかと思う場面が何度もありました。訳者のおかげもあって、文章はそんなに違和感がない。如何にもランキンらしい言い回しが頻出する。が、「刑事小説であり警察小説であり捜査小説」と三位一体のスタイルを確立している最近のリーバスものに比べ、この作品は「とりあえず、ミステリっぽい構成をした小説」という域に留まっている。率直に書けば、リーバスが事件を捜査しない。いや、ちゃんと刑事の仕事はこなしているんですが、「何としても事件を解決に導いてやろう」というような熱意は感じられないし、そもそも捜査パートがほとんど端折られています。『黒と青』以降のリーバス・シリーズは捜査パートと私生活パートの割合が半々程度(調べたわけじゃなく、あくまで印象として)なのに、『紐と十字架』はリーバスの私生活や秘められた過去といった部分に紙幅の大半を費している。後に繋がる伏線もないし、何だか単発モノみたいだなぁ……と狐につままれた気分で読み進めて行ったら案の定、当初の予定ではシリーズ化するつもりがなかったそうです。幾多もの事件が複雑に絡み合う、みたいなこともなく、単独の事件が一直線に進行して結末を迎えるのですから随分とシンプル。ジョン・リーバス最大のトラウマが明かされる点ではファン必見の内容ながら、刑事小説・警察小説・捜査小説として読むと「なるほど、邦訳が遅れたわけだ」と納得せざるをえない仕上がりでした。

 シリーズものは1冊目から順に読む方が良い、ってな思考は常道であり当方も基本的にそういった主義を保持していますが、ことリーバス・シリーズに限っては初期作を飛ばして『黒と青』や『血の流れるままに』あたりの代表作を先に読んだ方がイイかな、と主義を曲げてみます。ある程度シリーズに馴染んできてから手をつければ本書も興味深く読めるはず。ランキン節は健在だし、決して悪い出来じゃないんだけれど……ぶっちゃけ、ここから読み始めていたらハマらなかったかもしれません。ちなみに、ベッドで本を読んでいるうちについ眠り込んでしまった、という描写を目にして「ああ、この頃はまだベッドでちゃんと寝れたんだな」としみじみ。椅子に座ったまま侘しく眠りに耽る姿を見ずに済んでちょっとホッとしました。


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