「CROSS†CHANNEL」
   /Flyingshine


 日記の内容を抜粋。


2003-10-11.

『CROSS†CHANNEL』、プレー開始。

 体験版の範囲をザーッと読み飛ばして、そのちょっと先までプレーしました。んー、今のところ感触としてはイイ感じ。漫才のセンスに関しては相変わらず微妙だけど、話は面白くなっていく。細かいところで「お約束」のレールから足を踏み外しており、先が読みないムード濃厚。見た目がアレ似のミキミキも良いですが、順調に冬子の方へ転んでいます。当方、実に展開に流され易い。プレーヤーと言いつつ、なんだか話の方が当方を操作しているように思えてならない。制作者の狙い通りに反応している予感がして悪寒。

 とりあえず「体験版→製品版」と順番を踏んだ当方の現段階における感想としては、体験版の範囲を超えてからが面白い──といったところです。例の「生きている人、いますか?」までは非常にかったるいと申しますか、いまいち主人公のテンポが肌に合わなくて退屈でしたけれど、それ以降はだんだん状況が分かってきたおかげで主人公のテンポや対人距離感について飲み込めてくる。まだ今のところは主人公が感情移入の対象というより観察対象の珍獣といった存在に近く、こいつに対してどういった見方を適用すべきか決めかねています。森博嗣のキャラみたいにただ眺めて楽しむというのも一興ですが、さてはて。

 物語はまだまだ枠すら見えてこないから、楽しみといえば楽しみ、不安といえば不安。一応期待しながら進めるとします。明日からは集中的にやれそうなので、ガンガンやるつもりです。


2003-10-12.

『CROSS†CHANNEL』、黙々とプレー中。

 「お約束」を愛し、「お約束」を憎む、すべての人々へ……

 「王道」という言葉があります。歩き易い道。「少年と少女が出会って恋に落ちる」とか、「悪は正義によって滅ぼされる」とか、「熱血と根性があれば問題はどうにかなる」とか、誰が最初に築き、誰が確立させたか、ハッキリとは分からなくとも数多くの創作者によって踏襲され研鑚され効率化した物語の黄金パターンです。

 王道は安直にして鉄板。パターンを踏むだけという安易さでありながら、キチンと踏んでいれば外すことはありません。ある意味では完成されたスタイルを指す言葉でもありますが、かと言ってマイナスの意味が込められていないかというとそうでもない。「学問に王道なし」なんて言うくらいで、「受験生のための模範解答」みたいな扱いをされることもしばしばです。

 でも、王道は廃れない。少年漫画雑誌を開けばインクと紙の匂いに混じって王道の香りが濃厚に漂い出します。王道は滅びない。王道を王道たらしめ、強固に守り抜いている要素の数々を、たとえば「お約束」と呼びます。

 「お約束」は単純明快な代物で、物語を簡潔に細分化したり統合したりする。法則性、規則性。「こうなったら、こうなる」という掟。格闘技における型と同じです。物事に対する取り組みや対処がある程度決まっている。特に「主人公が記憶喪失」という「お約束」。あまりにも使い勝手が良いせいで、あらゆるジャンルにおいて使用されています。エロゲーだけでも記憶喪失の主人公が何人いるのか、いちいち数えられません。他にも、「朝、幼馴染みの少女が起こしに来るが、なかなか起きない」「転入生はなぜか直前に主人公と出会っていて、『あー、さっきの!』と叫んでいるうちに隣の席へやられる」「ハードボイルドの探偵は後頭部を殴られて気絶する」「『まだ生まれたばかりなんだ』と前線で仲間に自分の子供の写真を見せる兵士は死ぬ」「実行前に詳細を説明された作戦は高確率で失敗する」「事件の証言者はどうでもいいようなことを覚えていて、実はそれが伏線だったりする」「ホラー映画の警官は殺されるために出てくる」「超科学古代文明の遺跡があって、謎を解いて隠し部屋に入ると、古代人の遺したメッセージがホログラフィで再生される」など、枚挙に暇がない。

 「お約束」はそれが「お約束」として認識されているのがポイントである。「一回もリロードしてないのに弾撃ちすぎだよ!」とツッコミの余地があるところも「まあ、そんなの『お約束』だし」と流せる強靭さがある。定着してしまえば、言葉の誤用が正しい意味として認められてしまうように、誰かが「なんでどいつもこいつもエロゲーの主人公は前髪で顔隠れてんだよ!」と疑問の声を挙げたところで様々な論議の末、「お約束」に帰着する。「お約束」の無難さはちょっと攻撃されてくらいでは揺らがない。

 「お約束」がもたらす効果は一言で書けば「安心」。軍事行動の才能はあっても人付き合いにちょっと難のある筋肉質野郎がバツイチで仕事に燃えているタフな女性と車が爆発したり無数の銃弾が飛び交ったりテロリストに囚われたりアメリカの危機を救ったりする冒険の末に抱き合ってブチュゥゥゥ、なハリウッド・アクションは「またかよ」と思いつつもビールを飲みながらリラックスして楽しめる。多少セリフを聞き流してもトイレ行ってる間にシーンが変わっても、「お約束」を汲み取るだけでその穴を埋めることができるから、大して集中力が要りません。「先が読めない」ことを重視する人にとって「お約束」は忌むべきものですが、「ハッピーエンドじゃなきゃ見たくない」という人にとっては「お約束」が何よりも心強い味方となります。

 逆に「お約束」の弊害は「退屈」。集中力が要らないせいで、なまじ集中していると先が読め過ぎて退屈になってしまう。王道とは行き慣れた通学路・通勤路みたいなもので、「お約束」はその中途にある各種のポイントに相当します。横断歩道、ガソリンスタンド、書店、マクドナルド、公園、知り合いの住むアパート、なんかよくわからん看板。見慣れているから、覚えていても特に意識もしません。初めて行く道のような緊張感や不安もなく、目的地へ辿り着くことができる。迷うことはありえない。けれど、風景を楽しむ気持ちも起こらない。注意してよく見れば、行き慣れた道でも新鮮な発見が……というような文句もありますけど、そもそも行き慣れた道なんて「注意してよく見」ようとする気自体が湧きません。人とお喋りをしたり、つらつら考え事をしたりでもしなければ暇が潰せない。どんなにぼんやりしていても気づけば会社に到着している自動性はある種の安心感の表れである一方、ぼんやりとかでもしなければ道を歩く気もしないという退屈感情の表れでもあるのではないかと。そんなことをつらつら考えながら帰り道を辿った午後。

 行き慣れた道にある入ったことのない路地へ気紛れで足を踏み入れる「ちょっとした冒険」がひどく新鮮に感じられるみたいに、「こうきたから、こうくるだろうなぁ」という予想をスカされるのもまた新鮮な体験です。「朝、幼馴染みが主人公を永眠させようとチェーンソーをぶち込むが、主人公はなかなか死なない」とか。言うなれば「お約束」外し。あえて「お約束」を逸脱することで面白味を誘おうとする試みです。ライトノベル板のイヤ展スレ(「こんな設定(展開)はイヤだ!」スレ)はその種のネタの宝庫。最近は行ってませんけど。現行はpart18ですか。上に書いた「なかなか死なない」みたく、ただ単に「お約束」を逸脱しただけでは「うわぁ、こんなんイヤだ!」と拒否反応が起こってしまいますが、その逸脱具合が絶妙だったときは大ウケが狙えます。イヤ展スレも大部分のネタは普通にイヤなのばっかりですが、たまに「お約束」をぶち破っていながらも激しく読みたくなるネタが出てきます。しかし、そういうネタを意識して出すのはかなり難しい。「お約束」を絶妙に逸脱するためには前提として「お約束」を知り、それをなんとかして迂回しなければならない。このあたりは技術と、何よりもセンスが重要になってきます。

 長々と無駄話を書いてしまいましたが、『CROSS†CHANNEL』は「お約束」を踏襲し王道を渡っていく安心感をプレーヤーに与える面と、その王道から脇に逸れていくことで先の読めない不安感をプレーヤーに与える面があり、そのへんのバランスがとても巧妙でえも言われぬ心地良い刺激を生み出しています。バランスがいいというのではありません。むしろアンバランスです。けど、そのアンバランスさがイイ。「お約束」のもたらす安心と退屈が眠気を喚び、「お約束」外しのもたらす不安と刺激が眠気を吹き飛ばす。不規則なマッチポンプが「早く先を知りたい」という衝動を昂ぶらせ、ひたすらのめり込んでしまいました。テキストが肌に合わないとか、主人公に感情移入しにくいとか、ほとんどのキャラに魅力を感じないとか、そんな諸々のことがどうでもよくなっていく。当方がプレーを通じてストーリーをコントロールしているのではなく、ストーリーがプレーを通じて当方をコントロールしているような錯覚に駆られました。

 「お約束」外しは、受け手が「お約束」の何たるかを知っていて初めて機能する。『CROSS†CHANNEL』が「お約束」と肩を組んだり突き放したりしているのを見て喜ぶのはひとえに当方が「お約束」を愛し、憎んでいるからです。「お約束」ゆえの安心と退屈へ愛憎を抱いているからこそ「お約束」を守り、「お約束」を殺すクロチャに魅せられる。イヤ展スレがバカ一スレ(「バカの一つ覚えな展開」スレ)とは表裏一体で、ときたまネタが交差することもあるように、「お約束」と「お約束」外しは排反事象ではない。「お約束」を逸脱すること自体がひとつの「お約束」になっている、というパラドックスもあるくらいですから。

 クロチャ、まだコンプには遠い地点だと思います。物語も全体像が見えてこない。それでも「お約束」を愛し、「お約束」を憎む、すべての人々へオススメしたいという気持ちは強い。誰がやっても面白いってゲームじゃないけれど、「お約束」への愛憎を自ら意識している人には「 や ら な い か ? 」とジッパーを下ろしシュリンクを破りたくなる心境。


2003-10-13.

・ともあれ『CROSS†CHANNEL』、割と進んできました。いま送還している最中。もう少しで終わりそうな気がするのですが、さてはて。

 このソフト、人間を「壊れ物」として捉えたり、強力無比の「怪物」をほぼ無条件に設定したり……などといった無造作な感覚に抵抗を覚える人には恐らく合わないかと思われます。具体的に指せば上遠野浩平や舞城王太郎や佐藤友哉や西尾維新やうえお久光あたり。狂気と倦怠、強靭と脆弱が入り混じるストーリーは当方にはとても面白い。「お約束」を認識してメタ的に「お約束」を外しに来る小技も心憎い。逸脱という行為は要するにパロディと似たようなものなので、従来の学園青春エロゲーに馴染んでいれば馴染んでいるほどこのソフトがいかにズレているか明確に分かり、普通の学園青春エロゲーが好きだからこそ、結果としては逸脱三昧のクロチャが楽しめる。「好きだけどイジメたい」「好きだからイジメたい」という感情と同じく、様式美に固まった単純な学園青春エロゲーが好きだけど、好きだから、こうも「普通」をボロボロにいてこますクロチャが面白い。

 主人公を含め、あらゆるキャラは既存の感覚で言えば魅力的と言いかねる部分が多く、あまり萌えない。けれどとても愛らしい。多岐的かつ多面的に描き込まれていく彼、彼女らはそれでも厚みを増すことがなくて、むしろ詳細が描かれ情報を増えるごとに薄っぺらく空疎な存在に映ってくる。最初は主人公の性格に馴染めず「感情移入できない」と思っていた当方ですが、プレーを重ねていくにつれだんだんモノの見方が主人公の方へ寄っていくのを実感して肌寒くなりました。そういった構成があまりにも巧妙で、もはや罠と形容したくなる。主人公の目を通したキャラたちの姿は薄くて遠くて隔たっていて手の届かないモノに見える。ごくふつうに魅力を感じることはできない。従来ならば「お約束」として透明に近い存在であるべきの主人公が、曖昧とはいえ確実に何かの色を持っているせいで有色不透明のフィルターがかかり、一種の萌え阻害装置として機能してしまっている。クロチャに出てくるキャラは人間性よりも「壊れ物」としての性格が強い。「どうにかすれば壊れてしまう物」特有の愛らしさが、不思議な感情を芽生えさせます。繊細な飴細工とか、ピラミッド状に組み立てられたトランプとか、梱包材に入ってるビニールのぷちぷちとか、あんなの。壊したくて壊したくないジレンマです。壊さなかったときの安心感と壊したときの愉悦感を等分に味わえるという点で、クロチャはなにげに欲望充足能力が高い。

 まー、そんな表現しにくい感覚的なところは置いといて、個人的に当方は「曜子たん(*´Д`)ハァハァ」+「冬子たん(*´Д`)ハァハァ」です。体験版やったときはミキプ○ーンにハマりそうな予感を得ていましたが、やってみると意外にこのふたりがスマッシュヒット。是非このふたりには深夜の校舎で曜子=姉様、冬子=鷹弘という具合の『アトラク=ナクア』ごっこをしてほしい。実のところ当方は太一と曜子に「こんな初音姉さまは嫌だ!」スレにおける奏子と姉様のイメージを重ねつつプレーしています。支配権が姉様から奏子に移った後の感じで。

 最後はどう締めてくれるのか、と期待しながら終わりに向けてガンガンやってこうと思います。


2003-10-14.

・で、『CROSS†CHANNEL』、コンプリート。

 「FLOWERS」というのがやけに引っ掛かる……と思ったら、クロチャと同日に『フラワーズ』というゲームが発売されているからでした。思い至ってスッキリ。聞いた話によればこの『フラワーズ』、『うそ×モテ』ネタとおぼしきギャグが仕込まれていたとかで、たぶんそれが記憶にこびり付いていたんでしょう。

 だいたいの感想は昨日と一昨日に書いた分で足りていて付け加えたいこともあまりないんですが……ネタバレ込みで少しだけ書きたいことがあるので背景色でライティング。

 ループ構造の物語は過程がパラレルってる分、結末までマルチ方式を採択してしまうと収拾がつかなくなりますから、どうしても一本道の大団円って仕組みになりがちです。このC†Cも例に漏れず、個別エンドに似たものはあってもハッキリ個別エンドと太字で書けるものはありません。個々のキャラクターに魅力を感じた人にとっては不満を感じるところではないでしょうか。

 主人公はプレーヤーの欲望を映す鏡としては不完全です。「そこだ、そこで怒涛のエロに走れ!」と多くのプレーヤーが望むであろう場面に身を置いても実行率は半分程度、「このヒロインと添い遂げたい」という想いも一切考慮せず、彼なりの思惑でサクサクと送還してしまう。とにかく操作が利かない。勝手に暴走するし、勝手に自制する。気分屋で、終始彼のペースで話は進んでいく。行動原理や信念信条に関してはほぼ固まっているから、プレーヤーが重要な決断を下す場はそんなになくて、ただ「どっちのジュースを買おうか」程度の、「その時々の気分」に介入できるくらい。駒としての主人公ではなく、主人公としての主人公であって、物語の支配権はプレーヤーにではなく黒須太一の方にあり、「主人公としての主人公」という性格を有する黒須太一はマルチ・エンドを拒否している。「その時々の気分」があるせいで物語は幅を持ち、多少のパラレル性を許されていますが、最終的に太一が目指す目標はあくまで「孤立」であってそれに関しては変更不可能。彼に殺戮や諦念といったトライ・アンド・エラーはあっても、宗旨変えだけは起こりえない仕様になっている。もっと太一が無色で透明なキャラクターだったら、曜子ちゃんや冬子やミキミキと退廃的で爛熟した閉鎖生活が送れたかもしれず、それはそれで残念ですけれど、あまりにも我を貫く太一が愛しい当方としてはこの構成を肯定していく方針です。

 正直に書くと最後まで太一には感情移入し損ねた観があります。C†Cは理屈に拠らず感情だけで描く部分や、逆に感情に拠らず理屈だけで書く部分が多く、ひどく不安定でいびつな印象を受けますが、これはやはり太一のモノの見方が相当アレな具合として設定されているからでしょう。あくまで太一の主観的な世界を読む限りでは濃厚な不安と乾いた黒い笑いばかりが目立ちますが、「他のキャラにとって太一という人間はどう見えるのか」と考えながらやっていくと、却ってクリアーに映る場面が結構あります。感情移入する楽しみとは別に、あえて対象化して感情移入しない楽しみってのもこのソフトにはあると思います。太一を壊れ物として見るか怪物として見るか珍獣として見るか人間として見るか太一として見るかは人それぞれにしても。

 結論としては「主人公が愛らしい物語」。満足いく面白さでした。余談ですが、「ハラキリ冬子」や「ハラキリ丸」が「桐原」をもじったジョークというだけでなく、裏に隠された意味があると分かったときはあまりの黒さに仰け反りました。さすがに笑えない。

 あと「群青色」って表現はツボに入りました。そんなこんなで半ば衝動買いだったC†Cもアタリで良かったです。


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