それは、宇宙を侵す愛
−第5話 莢の歌−


 何を考えているの?
 無垢の表情をした少女が、邪な神に訊ねました。
 たくさんの貌を持つ神は、たくさんのことを言いました。
 色とりどり。雑多で数え切れないくらいの理由と理屈。
 それを耳にして少女は思いました。
 ああ、何も考えてないんだ、と。

 九郎の狂気は濁流となってアル・アジフの身に押し寄せ、記述が制約する事柄の一切を洗い流していった。
(か、書き換えられる──!?)
 ありえない事態だった。彼女を構成する記述すべては永遠不滅を実現させるため玄妙に綴られた詩句であり、プログラムである。その内容が書き換えることは致命的だ。新たな記述と古き記述が矛盾し合えば、彼女の存在自体が危うくなる。
 こうしたことは当然憂慮されており、防護機能が施されているのだが──「改訂不可」「添削無用」の原則は沈黙し、ただ『アル・アジフ』と呼ばれる書物が変貌していく様を傍観している。
「バカな! このようなこと、妾は認めぬ!」
 慌てて止めようと意識を体内に集中させるが、感染は猛進と呼ぶに相応しい勢いで記述という記述を蹂躙する。彼女の伸ばす見えざる手をも呑み込み、書き換えんとしてきた。
 愕然とする。狂気を超越したはずの身が、狂気に侵されていく現実に。
「認めちまえ、アル。そうすれば楽になる。やっぱり『アル』なのに幼女ってのはおかしかったんだよ。だからさ、これは無理矢理の変更じゃなくて……そう、あるべきものをあるべきところへ返す、ごくごく自然な成り行きと思えばいい。カエサルのものはカエサルに、餅は餅屋に。生まれ変わるっつーより、生まれ直すんだ」
 その充実した笑みは、既に魔の領域へ踏み込んでいた。「一緒に堕ちよっ♪」と楽しげな光さえ浮かべている。手元を見れば、執拗にチャックを上げ下げするジェスチャーを示していた。
「やっぱり、他人のチャックを下ろすのって、ドキドキするロマンだよな……俺的に紐パンの紐を引っ張るよりもグッとスウィート」
「や、やめ! その怪しい手つきをやめんか!」
「怖がるなって、ちゃんと挟まないよう優しくアップダウンしてやるからさ……」
 もう、悲鳴も届かない。忘我して意識を遊ばせている。目も虚ろになっていた。
 彼が見たものは狂獄の夢。フリフリのロリータ服でありながら半ズボンの少年を傍らに置き、ともに魔を断つ鬼械神デモンベインを駆って大空を飛び行く光景。周囲の人間がアルを見て少女と勘違いしているのを横からニヤニヤしつつ見守り、「女装」という言葉の持つ甘美な響きを愛し、アル・アジフが一生成長しないことを随喜の涙流して喜ぶ、終わりなき旅路。
 もちろん邪悪との戦いも考えているが、それは些事だ。
(アイキャッチを入れてCMの間に戦闘が終わったことにして、本編のほとんどはアルとのイチャイチャに費やしちゃえばいいや。俺とアルの偽スールごっことかな! 逆十字のロザリオを渡したりなんかして!)
 なぜかアニメ化のことを考慮しながら、明日へと繋がる妄想の翼を雄々しくはばたかせる。脳内では深緑の制服をまとった彼が「ごきげんよう」と微笑み、同じ制服に身を包んだアルが「お姉様……」と瞳を潤ませていた。ふたりとも♂と考えると砂の味がしてくるヴィジョンであった。
 事態に対し、ダンセイニは──

「てけり・り」

 特に何もせず、傍観していた。
 彼は雌雄の区別についてあまり興味がないらしい。アルと九郎の騒動はいつものことだ。叫び合うふたりをぼんやり眺めて和んでいる。
 そうこうするうちに書き換え作業も終盤を迎えてきた。
「くっ、早い! 普段のボンクラぶりが冗談であるみたいに早い!」
 アルの焦りは高まる。汗が頬をよぎった。
 本気汁を噴き出さんばかりに本気を極めた九郎の書き換え速度は神速に達しており、桁違いというかデタラメだった。しーぽんのプログラミングにも匹敵する、驚嘆の電撃侵攻。疾風にして迅雷。ラディカル・グッド・スピードの中の人もきっと誉めてくれるだろう。
 あとほんの数秒。
 目をつむっていても待てる時間に、彼女は「彼女」でなくなってしまう。
 本気で血の気が引いてきた。涙目にもなる。
「我が主っ! 汝はそんなにも妾を、女である妾を否定したいのかっ!」
「違う。そうじゃない」
 キッ、と眦を決して言い放つ。その真摯な表情は、状況を鑑みると却って不謹慎に見える。
「俺はただ、『アルたん』であるお前よりも『アルきゅん』であるお前を愛してしまった。肩車をして、堪能できるのが太腿だけなんて物足りないんだ。せっかくの逸材をそれだけしか味わえないなんてもったいない。お前が『アルきゅん』なら、首筋に当たる不思議な感触は最初ふにふにと柔らかく、でも俺が歩き出して振動を与えるたび、徐々に徐々に硬くなっていくんだろうな、って。その熱。その重み。その突き刺さる実在……お前は顔を赤らめて呟く。『お、下ろすがよい。ここはなんだか……落ちつかぬ』──もちろん下ろしてからも落ちつかせてなんてやらないわけだが! ああ、こんな薔薇色の夢想が止まらないんだ。それだけなんだよ」
 すべてを吹っ切った笑み。吹っ切りすぎて、僅かな哀愁さえ漂っている。
「行くぜ、アル。俺らは俺らのセカンドステージへ! そこにはきっと幸福が……」
 バンッ
 唐突にドアが開き、九郎の言葉を遮った。
 驚きによって狂気の感染がストップ。アルが♂と確定する一歩手前で、九郎の身体が凍りついた。
 入ってきたのは、
「やっほー、ダーリン! 元気してたロボ? そろそろ周りが阿鼻叫喚の地獄絵図な状況に耐えられなくて貧乳魔道書の慰めにも耳を貸さず部屋中にペンキぶち撒けながら引きこもっている頃合と推測して引き返してきたロボ。というわけで安心して正常に見えるエルザだけを頼りに斧を持って……世界を敵に回して……」
 セリフは途中で尻すぼみになり、そのまま消えてしまった。

 目と目が合う。
 ダンセイニの単眼とエルザの機眼が、不視の直線で繋がれる。
 そのときふたりにとって、お互いの他はみんな背景となった。
 目に入るけど見えていない。狂える九郎も、現在進行形で巻き込まれているアルも、重要度の低い情報となって上滑りしていく。
 刹那の間に理解が生まれ、交感し、共感し、もう何も言葉はいらないくらいの緊密な関係が、そこに築かれた。
 ふたりを結ぶもの。
 芽吹きながらも、それ以上成長することができず、モラトリアムに苦しんでいた「種」の紡ぐ唄。
 救いを求める声が、応えてくれる者を見つけた──

「あの機械人形、中にあるのは──『種子』か! しかも既に芽吹いておるな!」
 スルーされながらも、アルは取り残されることなく経過を悟った。
 アトナック=ナチャを仕舞い、蜘蛛糸の拘束から九郎を解き放つ。
「九郎、先の件は釘バットで兆回撲殺してもなお飽き足らぬ不遜事だが、今はそれどころではない! 業腹とはいえ出血大奉仕のつもりで許そう! だから──あやつを討て!」
 しかしながら、九郎は事態をよく呑み込めていなかった。
 疑問符をぷかぷか浮かべた間抜け面で、視線をアルの方へダンセイニの方へと行ったり来たりさせている。
 じれったそうに足踏みした。
「ええい、早く行動せぬか! あれはここにあってはならぬものだ! 行け、九郎! あれは、ヒトの世がヒトの世であるために滅ぼさねばならん!」
 解説を端折って命令するばかりなので九郎にも反応しようがない。
 おいおいアル、もっと詳しく言えよ、と視線をダンセイニから逸らした瞬間。
「てけり──」
 ダンセイニが、およそ想像しえない速度で俊敏にエルザへ駆け寄った。
 まるでそれはオレンジ色の津波。
 居合わせた三者、誰もが対応する暇なく。
 魔的に伸縮した触手がエルザの額にぶちこまれた!
「り!」
 奪取。
 宿主のエルザが生命体ではなかったせいで根を張ったまでは良かったものの、そこから先へ進むことができずに困り果てていた「種」が、ようやく救世主の来訪を目の当たりにした。
 抵抗する理由はなく、あっさりエルザの身体を放棄してダンセイニの軟体へ移る。
「しまった、ダンセイニが!」
 自らの迂闊さにアルは歯噛みする。「彼」がすぐそばにいることを忘れて「討つ」「滅ぼす」などと過激なことを口走ってしまった。
 この、異常すぎるくらいの俊敏さ。彼女に協力せんとするためのものではなく、自分の同類を守るため必死になった結果だと──理解せずにはいられかった。
 己の軍門に下った邪の眷属とはいえ、何も魂まで売り渡したわけではない。ダンセイニが望むならば、記述の主たるアル・アジフに逆らい、あくまでショゴスとしての「情」に基づいた行動を優先することも不可能ではない。
 彼は、アル・アジフよりも──彼女が守ろうとする人類よりも、宇宙と次元を越えて漂着した「同類」を選んだ。
 それが、事態の単純明瞭な結論である。
「ロボ〜」
 強引かつ速攻な「手術」はエルザの機体に過負荷を及ぼた。
 くてん、と崩れ落ちる。
 全システムがダウン。復旧の目処は暗い。あまりにも急ぎすぎた処置が、彼女の活動に必要な擬似生命素子を「持っていって」しまったのだ。
 そんな様を尻目に、ダンセイニは部屋から遁走。
 アルが追及の探索魔術を飛ばす暇もなく、アーカム・シティのどこかへと逃走していった──
「エルザッ、このドラ娘がっ! 我輩をほっぽいてこんなところに来るとは何事であるかっ! 視界がムチャクチャなもんだからここまで来るのにえれぇ苦労したのである! 早速生みのペアレントたる我輩がじきじきにお仕置きするついでに迸るダメ探偵の大十字九郎にも目にもの見せてくれ……あれ?」
 遅すぎる客が、ダンセイニと入れ違いで部屋に入ってくるのを、九郎は胡散臭い目で見遣り、アルはスルーして舌打ちした。
「まったく、大変なことになったぞ。早くダンセイニの奴を見つけ出さなければ、この世界が──」
「それよりアル」
「なんだ」
「続き、しちゃうぜ?」
「んな!? はっ、しまった、忘れてた!」
 せっかくのチャンスにも関わらず、九郎との魔力通路を塞ぎ忘れたアルに対して。
 核スイッチ並みの最悪が、ポチッと発動した。

 「種」を起点とした一連の騒動が、九郎たちの闘争において大きな転換をもたらす結果となった。
 あとの祭りとなった頃にようやく駆け付けたドクター・ウェストが、我が娘の惨状に「エ、エルザァァァァ!?」と涙と鼻水を垂らしてすがりつき、失認状態という逆境を跳ね返してなんとか科学と根性で修理したまでは良かったものの、復旧したエルザは「種」によってもたらされた情報のほとんどを喪失していた。
 これにより、ウェストは「手術」を受けることが不可能になり、「あの腐れネバネバモンスターを捕らえて元の人間に戻るためならば」とあっさりブラックロッジを裏切り、覇道の陣営に寝返った。
 夢幻心母の奥で以上の報告を受け取った大導師マスターテリオンは、なぜか面白そうに頬を歪めたという。エセルドレーダことナコト写本は黙々と彼の伸びた爪を切っていたためにノーコメント。

 こうして九郎たちはウェストを味方に迎え、九郎がショタコンとなり、アルが性転換した状況のまま魔を断つ激烈な戦いへと身を投じていった。かなり狂って混沌とした状況だったが、戦い自体はつつがなく進行し、アンチクロスの歴々を撃破していった。喜ぶ覇道家秘密基地の中で、大画面に表示された九郎(♂)とアル(♂)が抱き合う姿に瑠璃はそっとハンカチで涙を拭ったとか。マコトは号泣。ビーカーで掬えそうなくらい泣きに泣いた。あわや首を吊りそうになったところをチアキとソーニャの尽力によって阻止され、「ロリっ娘は星の数ほどおるんやでぇ、元気出しぃや」「股間さえ見なければいいんですよ、股間さえ見なければ」と慰められたが、実のところ新しい趣味に目覚めつつあったりした。ついでに覇道家のメイドたちから次々と腐女子が続出(カミングアウトと言うべきかもしれない)する事態にウィンフィールドが頭を痛めたが、そこまで来るとさすがに余談である。

 教会のライカはどもり口調ながらもふたりを祝福。視線が明らかに遠くへ向かっていたが、責めるようなことは口にしなかった。もちろん、ジョージとコリンを奥に隠しておくことは忘れない。野獣へ堂々と餌を晒すブレイブ・マインドは、いかな彼女であっても持ち合わせていなかった。もっとも、ふたりは勝手に部屋から抜け出して九郎たちとこっそり会っていたわけだが。仲睦まじい九郎(♂)とアル(♂)の様子に思わずお互いを意識し合うようになったとかならないとか、このへんは憶測の域である。「……間違いないよ」と意気込んで(気のせいかウキウキした表情で)答えるアリスンを、リューガが悲しい目で見つめてパプ〜と哀愁のハーモニカを鳴らした。

 ちなみに復調したエルザは九郎が衆道を歩み始めたことにショックを受けながら、「自分も性改造すれば……」という発想に思い至り、ウェストへそのことを要求。もちろんウェストは話を蹴った。「冗談じゃねぇである! エルザ、お前はもっと自分に自信を持て! 持って持って持ちまくれ! 持ち腐れるほど持って持ち歩いて持ち運んで自慢するべし! お前はどこぞのエクストラにも負けず劣らず退かず媚びず省みず、な最高の人造人間! ウーマン・オブ・ウィメン! 『女の中の女』ではただの胎児に過ぎんから敢えて英語である! つーか我輩たちが普段何語を喋っているのかは疑問だがツッコミ不可! 某イタリア人の『根堀り葉堀りってよぉ』発言に根堀り葉堀りツッコミを入れるのも禁止ぃー!」といつも通り最初と最後で話題が違ってきているシャウトによって煙に巻き、嘆願を有耶無耶にした。それにしても恋敵が性転換してしまった彼女の心境は複雑である。時折まだアルが同性であると思い込んでしまい、妙な勘違いが起こったりする。この前は偶然着替えの最中であるところに押しかけてしまい、スラリと細くてしなやかで、しかし少女とは決定的に違うタイプの骨格と筋肉から成る裸身をバッチリ目に留めてしまい、絶句した挙句にドギマギしてしどろもどろの弁明をする始末。微妙にアルを異性として意識しつつもあるらしいが、それが新しい恋かといえば、どうなのだろう?

 エンネアの死を悲しむあまり一度アルを失うハメとなった九郎も、そんな周りに支えられて再起し、ブラックロッジへと立ち向かった。その姿に胸を当たられたアルは「変態だが……何よりも素晴らしい、我が主だ。よくぞ諦めなかった」と再臨。輝くエルダー・サインの光芒が、彼らふたりの関係を揺るぎなきものと認める象徴だった。
 そして遂にアル・アジフは己のジェンダーが男として固まったことを進んで受け入れるに至った。「これも悪くないと、思えるようになってきた」と微笑む彼の横顔に背徳の香りはない。そんな少年の頬を、九郎の掌がいとおしげに撫でる。アルはくすぐったそうに身をよじり、抱きすくめる腕から逃れようとするが、やがて押さえこまれ(中略)熱い吐息がこぼれて、薄く平らな胸の(中略)と、潤む瞳が見上げ(中略)鎖骨に舌を這(中略)して互いに見せ合(中略)「巨(以下略)。
 ふたりは日溜りに遊ぶ猫となって、戦いの合間合間に充実した幸福を味わい、手に手を取り合って日々を軽やかに過ごしていく。たとえこの手を離しても、この気持ちばかりは離さないでおこう、と強く願いながら。

 C計画、Y計画を経てマスターテリオンとの宿命的闘争に打って出た九郎とアルは、デモンベインとリベル=レギスが壮絶な一機討ちを繰り広げるさなか、驚愕の事実を耳にする。
 ダンセイニが、ウェストと入れ替わる形でブラックロッジに寝返っていたこと。
 そして、現在進行形でマスターテリオンの計画に組み込まれていることを。

「てけり・り……」
 よろり。
 常日頃から大混乱の渦にあるアーカム・シティも、ブラックロッジたち魔術師のつくり上げた終末的光景の中にあっては、一層の混乱を極める運びとなる。街に絶望し、両手と肩に持てるだけの荷物を負って振り返ることなく逃げ去っていく人々。街の外も似たようなものだと、諦念の念も明らかに閉じこもる人々。街はまだ死んでいないと信じ、他者と自らを救うために駆け回る人々。ある区画が重い静寂に沈んでいるかと思えば、ある区画は行き交う人波がぶつかり合って渋滞の様を現している。
 その人の群れを逃れるように、陰から陰へと這い進んでいく異形の姿があった。
 ダンセイニである。
 大十字九郎の探偵事務所から脱出した後、彼は隠れ場所をブラックロッジに求めた。異形を恐れることなく、あくまで打算的に利用することを優先する秘密組織は、油断ならない目つきで彼を観察しながら、「せいぜい役立ってもらおう」と冷酷に迎え入れた。
 まず最初に与えられた仕事は、借金の切り取り。ブラックロッジの息が掛かった金貸しのもとへ送り込まれ、強面の人間パートナーを付けられたダンセイニは「てけり・り」と凄み、債権者を半分狂気に陥れながらも無事焦げ付きかけたカネの数々を回収していった。それがある日、ひょんな経緯から人間の領域を超えた医学知識(元より優れていたその要素に、「種」の抱えていた情報が追加)を有していると知られ、モグリの医者として働くことになった。文字通り暗い穴倉に潜り、次々と運び込まれてくる怪しげな患者たちを、もっと怪しげな手法によって治療する彼は、いつしか黒きショゴス──ブラック・ショゴスと呼ばれるに至った。
 ブラックロッジの支配がそのまま続いていけば、闇の名医として名を馳せ、法外な料金と引き換えにどんな手術をも成功される伝説のサージャンとなっていたかもしれない。だが、アウグストゥスを筆頭としたアンチクロスの造反により、ブラックロッジの勢力図は塗り替えられた。ダンセイニの所属は大導師派に当たり、マスターテリオンの死によって立場は次第に悪化。やがて見切りをつけた彼は穴倉を捨て、新たなるサンクチュアリを探して旅に出た。
 魔の眷属であるダンセイニにとって魔力の欠乏は栄養の不足に等しく、ブラックロッジの庇護を失ったことで日に日に衰弱していった。飢えと渇きに苦しむ彼は、いつしか魔力供給以外の手段で解決するべきかどうか悩み始めるようになる。即ち、血肉を溶かし貪り喰らうこと。人間はコミュニケーションの相手でもあるが、食料と見做すこともできる。
 ──この「種」のためなら、どんなことだって……
「てけり・り」
 そっと、いとおしげに身を震わせる。温かく半透明なボディの真ん中に埋められた「種」は羊水に泳ぐ胎児となってたゆたう。
 同胞にあらず、されどこれまでの生においてもっとも彼に近い命。言わば「同類」。
 永い、本当に永い時の果てに出会った初めての同類を目にし、彼は名状しがたいほどの執着を覚えた。所有の観念が根付いていない彼ゆえ、決して自分の「もの」にしたいと願ったわけではない。ただ、仄かに響いてくる歌が忘れていたはずの感情を呼び戻し、それまでの暮らしを捨ててしまっても構わないくらいの衝動が込み上げてきた。
 歌にはショゴスの本能を揺り動かす効果があったのか。それとも、ダンセイニ特有の感受性が作用しているのか。
 どちらにしろこの気持ちと、この「種」を失いたくはなかった。
 それだけは確かだった。
「ここにいたのね」
 本気で人間を襲う算段を立て出した頃、彼の前に現れた少女がひとり。
 蒼い瞳と黒装がよく映える長い髪。ナコト写本、マスターテリオンより「エセルドレーダ」の名を与えられた魔道書だった。
「お腹を空かせているの? そう。なら、私の顔をお食べ──冗談よ。そんな浅ましい表情、しないでくれる?」
 言い置き、掌に魔力の明かりを灯す。明かりは液体のごとく流動し、ダンセイニの身体へ入っていった。沁み込む熱とともに、激しく苛んでいた飢渇が薄れていく。
「さあ、これで当分は大丈夫。あとは然るべきところに向かいなさい」
 彼女が伝えた「然るべきところ」こそナイアガラだった。なんでもそこには邪神とその眷属を守護する霊気に包まれ、魔道書の記述たる彼でも現世に留まり続けることができるという。
 真剣に話に耳(?)を傾ける一方で訝ってもいた。恐らくブロックロッジに属する魔道書であろうが、それがなぜ自分に援助を施すのか。もう既に組織を離れ、何の関係もなくなった一ショゴスでしかないのに。
 少女は冷たい笑みで以って答えた。
「保険よ。万が一、億が一に備えて潜ませておく策。気高きマスターがヘボの大十字九郎などに負けるなど考えたくもないし、私だってあのプッツン薄紫髪ごときに後れを取るつもりはないけれど、策の一つや二つ、用意しておいても損はしない。遠大にして冗長な計画はマスターの好むところよ。ふふ、私たちを倒してもまだあなたがいるってことを知ったらあのふたり、どんな顔をするかしら? 想像するだけで楽しみ」
 荒涼たる笑顔を空間に焼き付けながら、自らの姿を消していく。
 否、彼女は最初からそこにいなかった。現れたのは、彼女を象った幻影に過ぎない。
「──要するにこれって、イヤガラセなの」
 その一言を最後に、編まれていた像が霧散する。一陣の魔風が轟ッ、と吹き過ぎていった。
「てけり・り」
 その余韻を味わうこともなく、ダンセイニはきびす(?)を返す。何かを噛み締めるよりも早く、安息の場所へと辿り着きたかった。
 マスターテリオン。当然のごとく彼との面識はなかったが、今まで伝え聞いてきた話を綜合し、加えて先の少女を鑑みるに、よほどの魔人であるらしい男。彼ならば、この「種」が開花し蹂躙する世界でも何ら苦痛を感じることができるのかもしれない。
 他愛のない思考を巡らせながら、活力に満ちて軽くなった身体を悠々と引き摺っていく。
「てけり・り……」
 ゼリー状の身体に収まった「種」へ囁きかける。出会ってからずっと、今この時もなお、か細い声で歌い続けている芽吹きかけの命を慈しんで。
 ──だいじょうぶだよ。きっとたどりつける。
 どことも知れぬ器官の働きが、ダンセイニに穏やかなビジョンを思い描かせる。
 それは人の目にとって、地獄と形容しうるもの。
 凄惨な光景に郷愁さえ甦らせながら、「種」に向けて慰撫の蠕動を送る。
 ──なにがあっても、まもるから。

 アーカム・シティからアメリカ全土へ、のみならず地球上の世界すべて、果てには宇宙全域にまで拡大していった暗黒の陰謀に、かつて味方であったショゴスが一枚噛んでいた。悲痛な事実に心を軋ませながら、それでもふたりは勝った。マスターテリオンとエセルドレーダが宇宙の闇へと消えて行き、満身創痍のデモンベインが無重力空間を慣性で漂うなか、守りたいモノを守るための最後の誓いを立てた。
 ダンセイニの想いを、討ち破る。
 それが、宇宙に住まう生命たちの平穏と引き換えにしても叶えたいであろう彼の純愛と知っていながら、心を決めた。

「彼はナイアガラにいる」
 どのくらい長く漂流していただろう。
 漆黒をまとった邪悪なモノが、傷だらけのデモンベインに搭乗する九郎たちに囁きかけてきた。空気の振動による音(オト)ではなく、魂そのものに呼びかける音(ネ)。
「お前は……! そんな、この手で確かに滅ぼしたはず!」
「おやおや──」
 暗闇がニタリ、と笑う。血の一滴までも凍りつかせる最恐にして最狂の表情。激戦を踏破した九郎たちでなければ、見ただけで気をおかしくしていたかもしれない。
「ワタシがキミたちごときに滅ぼせる存在と思ったら大間違いってヤツさ。まったく見当違いも甚だしい。ヒト風情が、ない知恵絞ったところでワタシをどうにかできるものか。滅べども滅ばぬワタシのすごさをキミたちはもっと思い知るべきです。邪神ヤバイ、邪神超ヤバイ、って」
「減らず口はよせ、“千貌神”。妾とてあれが貴様の末端に過ぎぬことは分かっておる。もちろん、ここにいる貴様もだ。貴様らは個体というより群体。それぞれは個別に行動しながら、根源で意志が繋がっている。『黒い旅団』め。秘密組織と見做せばブラックロッジなど足元にも及ばぬ。宇宙でもっとも穢れ、もっとも狂った陰謀家よ」
「おやおや──本当におやおや、だ。男の子になっても相変わらず『妾』かい? 染み付いた一人称は抜けないもんなんだねぇ」
 嘲弄がチクリチクリと肌を刺す。不快感を堪えて、アルは訊ねた。
「それより、『彼』と言ったな? もしかして……」
 真空の向こうから「然り」と頷く気配が伝わる。
「ダンセイニ君。もともとはキミの寝台として召喚されたショゴスだったね。まったく、アレをベッド代わりに使おうなんてキミはどうかしてるよ。よくあんな生暖かい身体の上に眠れるもんだ。オマケに反旗まで翻されちゃってさ。これこそ正に『オンドル、裏切ったんディスかー!?』って。プッ」
「剣は剣でもそのネタはお門違いだっての。それに、自分でかまして自分で笑うなんて案外寒いな」
「失敬失敬。ワタシは寒いギャグが好きでね。ほら、たとえば、ヒトとして過ごす一生とか。あれは最高に寒い冗談だ」
「いいから言えよ。てめぇ、何を知っている? 俺たちに、何を言いたいんだ?」
 苛立たしげに声を荒げる九郎を、闇の双眸が見つめる。
「キミたちの選択が見たい。キミたちがともに時を過ごし、僅かながらも『気持ち』とやらを通じ合わせたダンセイニ君の最初の──恐らく最後でもあろう──恋を、バッサリ情け容赦なく斬って捨てることができるのかどうか……」
 哄笑の波動を寄せる暗黒に、九郎とアルは揃って沈黙を返す。
 重く硬い決意を乗せ、どんな言葉よりも雄弁な沈黙を。
 邪神はそれを読み取ることができただろうか。
「で、ナイアガラだと? 地球に潜んでいるのか?」
「もちろん。アレが花を咲かせるのにもっとも適した星といえば、キミたちのあの故郷をおいて他にないだろう」
 言われてみればもっともだが、時空を超えた戦いの果てにアメリカ大陸へ逆戻りでは、なんとなく締まりのない気がした。「幸福の青い鳥は最初から家の中にいたのですよ」みたいな。
「にしてもナイアガラって……滝か?」
「彼らは元をただせば水棲のモノだよ。永く遠い旅路を隔てて、ほとんど忘れられかけているけれども。キミたち、彼がなんのために始終ナマあったかい粘液をネバネバ放出していたと思うんだい? 乾燥したら生命活動を維持できなくなるからに決まってるじゃないか。ありゃ仕方なくやってるだけだよ。何も好き好んで淫獣ぶってるわけじゃないさ」
「だったらミシシッピでも何でもいいんじゃないか。なぜわざわざ滝なんて棲みにくそうなところに……」
 九郎の挙げた疑問──燃える漆黒は朗々と引用口調で述べた。
「『ナイアガラ──ここはかの“這い寄る混沌”ナイアルラトホテップに由来する地である。「ガラ」とは東洋の言葉で「肉を取った後の鶏の骨」を意味し、ダシを取るためのものとして重用されている。つまり滝は“這い寄る混沌”の一形骸であり、滝壷へと雪崩れ込む水はイイ具合にダシが取れていて──』」
「なんだ、それは」
「『クトゥルーと歩くアメリカ 第3巻「旧支配者篇」』。民明書房刊」
「そこの出版社はてめぇ以上に信用できねぇ」

 迷いはしなかったのだ。
 ダンセイニの想いが本気であり、九郎たちを殺してでも貫こうとしていることを知るがゆえに、手加減などしなかった。真剣に、戦った。
 絶死を告げる魔の触手。ダンセイニが放つ乾坤一擲。相手がただのヒトであれば、容易に殺傷することは可能だったろう。
 しかし、対する九郎は魔人。アルは魔道書。デモンベインは鬼械神。
 その身が満身創痍とはいえ、勝負になるはずもなかった。マスターテリオンとエセルドレーダの駆るリベル=レギスと比べれば、あまりにも卑小なスケール。
 雄々しき鬣を烈風に靡かせ、咆哮挙げて迫り来る戦鬼──ショゴスの身では為す術など皆無。
 たとえそこが旧支配者に由来し、霊的な守護のある土地柄であろうが、戦いは一方的に終わった。

「渡すがよい、ダンセイニ。その『種』が花咲かせることを、妾たちは許さない」
「てけり・り……」
 ナイアガラのそば。地に伏して瀕死の喘ぎを吐き出しながら、ふるふると身を震わすダンセイニ。
 否定──敗北がどうしようもなく確定した今になっても、渡す気はないらしい。
「在るものを、その在りようが悪だ狂気だと決め付けて断つことは妾たち──ひいては人類のエゴだ。種の正義はあくまで種の中でこその正義であり、他種にとってはエゴに過ぎぬ。外道にありて外道を殺し外道を征く妾たちを憎悪しても構わない。妾たちはすべての悲しみと憎しみと怒りを肯定する」
 宣言した。それは「魔を断つ剣」そのものが魔であると認め、「無垢なる刃」という謳いに矛盾する言説であった。
 だが、そもそもからして「無垢」など、見方次第でどうとでもなる。あの午睡で脳髄の地獄を体験した九郎は、一つの「見方」がさほど磐石ではなく、いつ何かの機会で簡単に瓦解しかねない危ういものと知った。
 自分たちの握る刃は、誰かにとって赦しがたい「穢れの刃」なのかもしれない。
 真実は無数にあって、どれもが真実ではない。
 明瞭なのは、己の身に宿った「信念」のみ。信念が指し示す輝きを道として歩み行くこと、その一点。
「悪く思え、ダンセイニ。正義は疑うためにある」
 深い悲しみ。自分への憎しみ。自分への怒り。それでもなお曇らぬ眼。
 逸らさず、まっすぐに見据えた。
 的はひとつ。
 ダンセイニの抱く、半ば芽吹き、土なるモノを求めて息づく「種」に狙いを定め、魔術を発動させる。

 閃光が、ダンセイニの一点を撃ち抜いた。

 かに見えた。
「な……!?」
 少年は目を見開き、口から高い驚きの声を出した後、絶句。
 宙に浮かぶ魔法陣が、アルの魔術を無効化したのだった。「種」は依然としてダンセイニの身中に留まっている。
「あっぶなー。でもギリギリで間に合ったっぽい?」
 狂気の悪夢が詰まった「種」を守護した者。それは、
「エンネア!? お前、あのときに死んだんじゃ……!」
「いわゆる『ふっ……待たせたな』『い、生きていたのか!』のパターンだったりして」
 直前のシリアスムードを台無しにしてニッカリと笑う少女はエンネア。
 アンチクロスが一、『獣の母』ネロ。
 赤橙のポニーテールを下げ、震えるショゴスの前に堂々と立ちはだかった。
「もうっ、一度やったんだから二度目で驚いちゃダメだよっ! 九郎もまだまだしゅぎょーが足んないねっ!」
 ビシッ、と人差し指を立て、左手を腰にやって前屈み。
 「だ・め・だ・ぞ☆」的お姉さんスタイルだった。
「はあ、善処します……」
 思わず九郎も呆けて返答する。
 その間抜け面を楽しそうに眺めて、エンネアは囁く。
「じゃ、そーゆーわけでコレは持ってくから」
 ズボッ
 遠慮のない手つきで一気にダンセイニから「種」を摘出した。
「てけり!?」
「この子だって生まれてくるくらいの権利はあるって思わない? と言ってみてもさぁ、そのまんま地球に放ったところで『人類を守る』って言う九郎ちゃんたちは承服しないだろうし。あたしが責任持って育ててあげる」
 あっけらかんと明るい言い回し。
 軽い調子で言うだけ言って、「これで問題ないでしょ?」という目つきまでしてみせる。
「バカな……それは命を侵し、種を犯し、星を冒すことが存在意義として宿命づけられた生命だ。放てば地球外だろうがどこかの惑星を犠牲にして開花したあげく、『種』を宇宙に撒き散らし、またいずれ地球へ累を及ぼすことになろう。見逃すわけにはいかぬ。禍根は、妾たちの剣が立つ!」
「アルちゃん。存在意義なんて、誰が決めたの?」
 問い返すエンネエの瞳は楽しげで、静かで、深い湖の色を湛えてどこまでも真摯だった。
「──ふたりには聞こえないかな? この『種』が弱々しい力を振り絞って出す声が。途切れ途切れの声が紡いでいる、歌が。この子はただ交わりたいだけだよ。『おかす』ことを望んでいるわけじゃない」
 その両足は地面から離れ、空中を歩き始めている。
 滑らかで、あまりにも自然な足取りに、一瞬アルも九郎もそれがスカイウォークと気づかなかった。
「この子は愛を知っている。ダンセイニに、いっぱい愛されたから。性交でもないし、コミュニケーションだってふうにも言えないけど、ふたりは確かに愛を交わしたんだ。注ぎ、注がれ、育まれていくことを。この愛がヒトにとって狂った愛で、宇宙に満ちていくことがヒトの目に『侵す』ように見えるんだとしても……この子は負けないよ。ヒトの愛は強いけど、この子の愛だって何よりもずっと強いんだもの──」
「ま、待てっ!」
 ようやく異変に気ずき、慌てて追おうとするアルに、にっこりとスマイルを振り撒く。心を奪われそうな清々しさだった。
「できるだけ、あたしがヒトと折り合えるカタチで育ててあげる。無理に歪めることはしないけど、他の命と衝突してばっかなのは悲しーし。この子も、今までいろんな紆余曲折を経て進化してきた末裔なんだから、もっともっと変わっていくことができるよ」
「バカを言うでない! それが他種族と『折り合う』など……ヒトが神になるようなものだ!」
 少年が、「ありえない」と否定する意志をありったけに込めて絶叫する。
「あなたがそれを言うの、アルちゃん──?」
 愉快そうな。
 本当に愉快そうな、幸福の笑顔で遠ざかっていく。
「──覚えていて。『変化すること』は誰にも止められないの。運命も因果も越えられる。ずっと越えられなかった概念も、いつかは越えられるようになる。この子だって、ただ咲くばかりが能じゃないよ。きっと──手放したない愛のために頑張れる。成果が出たらそのときは、また会えるかもね」
 切々と訴えかけるエンネアを、アルも九郎も捕らえることができない。
 どんなに追っても、どんなに疾っても追いつけない。
 今は越えられないモノ。
「不安になるのは後でいいから、今はただ、信じる道を歩き続けて、ふたりとも」
 遠く遠く、青くて黒いソラの向こうへ消えていく、小さな小さな少女。
 その姿を、為す術もなく、ひたすらに焦がれるような目で見守った──

「我が主よ」
 エンネアを取り逃し、肩を落としたアルが呟く。
「これで、いいのだろうか」
「んなもん、分かんねーよ、俺にも。あいつならどうにかしそうな気もするけど、後々になってもンのすげぇ厄介事の種になったりしそうだし」
 ぐしゃぐしゃと髪を掻き回して苦笑してみせた。「困ったもんだぜ、なあ?」と同意を求める眼差しに不安はなく、「後味の悪い」ことをしないでホッとしたようにも見える。彼はエンネアという少女を、口ぶり以上に信用しているようだった。
「そうか。そう、よな……」
 アルの目がダンセイニに向く。
 魔力の充填が終わって傷も修復され、瀕死の状態から脱出した軟体を、震えまい震えまい、と堪えるようにぶるぶると小刻みに振動していた。
「すまなかったな。謝って、謝れるものではないが……」
 滅多に見られない、ショゴスの深い悲しみように掛けるべき声が見当たらない。
「ダンセイニ」
 優しさを装うことなく、淡々と九郎が言葉を練る。
「泣きたいときが、泣き時だ」
 そのセリフに、ダンセイニは──
 危うく枯れる寸前まで、粘液を噴出し続けた。

 

 邪神との終わりなき闘争のどこかで。
 彼らはまた、巡り会うかもしれない。
 うたを歌い、うたを聞き届ける獣の少女と。
 その傍らで可憐に咲き誇る、一輪の希望に。

「ひさしぶり。ながかったけど、やっとあえたね──ダンセイニ」

 そして彩りに満ちた声が連なり、久遠の海に沈みて浮かぶ星々の下に流れる。
 大気なき真空に沁み透り、溢れ出して、無の統べる静寂を駆逐する。
 萼は楽となり、歌歓へと変ずる花冠を支えた。
 すべてを楽しませ、すべてを歓ばす、音の莟。
 常闇を震わせ、光の歩みを追い越す、韻の華。
 灼然と苛烈に輝く階が心の芯から伸びて蕾を裂かす。
 凛然と清冽に冴える節が肺の胚より搾られ花を咲かす。
 醸し漂わすは鼻腔と鼓膜をくすぐる芳潤なる貴。
 濃密な甘い香りを孕んだ波に邪悪は酔い噎せるだろう。
 細き喉、滑る舌。
 威風堂々と快なる凱歌を奏で怪異祓う。
 微風悠々と燦たる讃歌を調べ暗黒戒む。
 数え切れぬ想いに深く根を広げ、妙なる曲を織り紡ぎ、悦を湛えて葉が揺らぐ。
 莢からこぼれた旋律は時を越えて清かにそよぎ、永劫の向こう側へ響き渡っていく。

Fin


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