【註】 ネタバレし放題につき未プレーの方はご注意を。


G戦場のメリー・クリスマス


「とりあえず夢幻心母をクリスマス仕様にデコレートすることにした」
 ずずっ、と軽く茶を啜る音。
「は?」
 事務所が静寂に包まれる。
 金瞳青年の言葉を補足するように、横の少女が口を挟んだ。
「──ついては手伝ってほしいのですが、大十字九郎?」
「いや、さ……いきなり人の事務所にズカズカと入り込んできて茶を所望してだな、呑気に寛いだ挙句そんなこと言われても、その、対応に困るんだが……」
「九郎、よいから早くふたりを摘み出せ。目障りもここまで来ると犯罪と言うより他ないわ」
 困惑する俺を睨みつつ、苦々しい口調でアルが吐き捨てる。
 12月。冬が深まりゆく中でクリスマス・シーズンを迎えたアーカム・シティは、まさしく祭典の熱気に覆われていた。猫も杓子も「Xmas」。恋人の有無がこれ以上ないほどに明暗を隔て、道ゆく人々の表情も満ち足りた幸福か世を恨む嫉妬の二色に塗り分けられている。
 無論、俺は前者なのだが──
 ちらっ、と横目でアルを盗み見た。
 不機嫌な表情で、両手に抱えた紅茶にふぅふぅと息を吹きかけている。白い湯気が小さな顔の前で踊った。
「アル・アジフ。戦いはもう終わったのだから、そう剣呑な態度を取る必要もないでしょう?」
 冬でも相変らずひらひらしたゴスっぽい衣装に身を包んでいる少女──エセルドレーダが、こぽこぽと湯飲みに茶を注ぎながら言う。
 注ぎ終わると、機械のように正確な間隔で吐息を吹きかけ、冷ます。そのまま飲むのかと思いきや、テーブルの元の位置に戻した。隣から青年──マスターテリオンの手が伸びて、さも当然といった表情で掴み、口をつけた。
「ふう──ちょうどいい温度だ、エセルドレーダ」
「イエス、マスター」
「お前は茶を冷ます息さえ惜しむのか……」
 そうやって呆れる俺をよそに、隣に座ったアルが身を乗り出してエセルドレーダに噛みついた。
「ああ、確かに邪神どもの陰謀は阻止できたし、ブラックロッジの破壊活動もこの世界ではほぼ『なかったこと』になっている。戦いは終わっていると見做しても差し支えなかろう。──だが、それで妾が何もかも水に流すとでも? 本当に信じておるのか、ナコト写本?」
 細目で睨みつける。相手の対応次第では即座に討って出ようと、周囲に示威的な魔力を漲らせている。冬の乾いた空気に静電気の火花が迸った。
「ええ。信じているけど、何か?」
 が、「ナコト写本」と呼ばれた少女──エセルドレーダは眉一つ動かさず、涼しげな表情でアルの敵意を受け流した。その口振りには余裕すら滲んでいた。
「そうか。ならばミソスープで顔を洗って出直すがよい。妾も九郎も貴様らと馴れ合うほど暇ではない。まったく、何が悲しくてかつての仇敵と聖誕祭を祝わねばならんのだ」
 憤然とした表情でテーブルを叩く。湯飲みの水面が揺らいだ。
「というか、質問していいか?」
「なんだ、大十字九郎。遠慮なく言うがいい」
「じゃ、言うけどさ……仮にもブラックロッジを結成したお前が、どういった経緯でクリスマスを祝う気になったわけよ?」
「ふむ?」
「いや、だって、黒魔術バリバリの秘密結社がそんなことしようってのはどー考えても悪い冗談としか……」
「関係ない」
「は?」
「教義など関係ない。祝いたいから祝うだけだ」
 強気に断言した後、金瞳青年──ブラックロッジの大導師マスターテリオンは再度茶を啜った。傍らのエセルドレーダがそっとしなだれかかるのを、片腕で抱き締め、更に言葉を継いだ。
「そもそも余は何も信奉していない。余にとって信仰とは目的ではなく手段であり道具に過ぎなかった。堕落と腐爛に魅入られし群集を効率的に操るための、な。『法の言葉はテレマ』と説き、『汝の欲するところを行え』と繰り返したのはあくまで打算。陳腐だが分かり易く、何よりもただ肯定的で、実質としては何も示さず個々の欲望を背中押ししただけだ。余が為すべきことは信仰の埒外にあり、信ずるべきものは唯一絶望のみ。絶望が運命という形を伴って余を生かし続ける、その実感以外に確かなものはなかった」
 奴の傍らで、空気が凝った。
「──敢えて言うなら、絶望こそが余の宗教であった」
 金の瞳が、俺を凝視する。暗く淀んだ光が漂う瞳。「絶望」の色を如実に表したソレが、俺の奥底を睨み据えようと粘りつく。
 隣から少女の白い腕が伸びて、マスターテリオンの病的なほど青白い手と重なった。十本の指が絡まり合い、ふたりの絆を視覚化する。エセルドレーダは目を瞑り、指先に伝わる何かを逃すまいとしているようだった。
 金瞳の輝きは昏く、夜の沼に沈んでいく月光を思わせる。
 しかし──どんなに絶望を称えていようと、その光は死んでいない。生者の色として、確かな質感とともに留まっている。
 絶望は死に至る病と誰かが言ったが、目の前にいるこいつはむしろ──絶望を糧にしてその精神を生き長らえさせた。そのことを今更ながら痛感させられる。
 幾千年も幾世界も狂うことを許可されず、正気のまま絶望し続けることを強いられた魂が目の前にある。舌を噛んで血を流しながら、痛みをよすがに意識を繋げる縛囚のように、憐みを拒むほど必死な生。想像するだけでも鳥肌が立つ概念だったが、俺は湧き上がる寒気を喉元で抑えて、彼の瞳を見据えた。
 すぐそばの「絶望」を直視する。目を逸らさない。
 俺もまた、絶望の片鱗を知った身だからこそ。
 今は違うが、昔──ここの世界とは関係のない「昔」で、俺と奴は敵同士だった。血には血、鉄には鉄で報いる仲。分かり合えぬ者として刃を向け、憎悪を研ぎ澄ませ、存在を根源から否定してやろうとした。殺す以外の術を思いつかなかった。押し潰すことが後腐れない最良の手段だと信じていた。俺は無知で不寛容だったし、奴は真実を知り過ぎていたせいで運命に対して寛容過ぎた。行き違いは避けられなかったと、今でも断言し得る。選択の余地は用意されていなかった。
 結果としては、お互いこうして死なずに済んだ。それが幸運なのか皮肉なのか、よく分からない。分からないが、奴の体験した絶望をほんの少しでも共有するに足る関係だと、思っていたりもする。奴の方はどう思っているか、不透明だが。
 言葉はない。要るのは、言葉によって交換できる情報ではない。
 だから俺たちは必然的に見詰め合う形となった。
「───」
「───」
 あれ?
 気のせいだろうか。
 なんか、マスターテリオンの顔がやけに近くに来てるような──

 ぐいっ

「………」
 エレルドレーダが無言で俺の顎を押した。
 ぐいっ
 そのうえ、後ろから髪を引っ張られる感触までも。
 顎を下から突き押され、髪を下方に引き降ろされた結果、見事に俺の顔が仰向く。
「──だああ! 何すんだ、お前らは!」
「それは妾のセリフだ、九郎!」
「………」
 アルは叫び、エレルドレーダは無言でぐいぐいと押し続けた。細腕の割にえらく力が篭もっている。
「って、いったいなん──」
 殺気。
 いや、高まりすぎて殺意すら孕んだ嫉妬の念。
 絶妙なコンビネーションで俺を引き剥がした少女ふたりが視線に険悪なモノを滲ませ、俺を射抜く。「険悪」とは言ったが、一方でなんつーか見た目相応の可愛らしさが感じられるような……殺意混じりだけど。
「まったく、顔に磁石でも仕込んだのかと疑うくらいに吸い寄せられていきおって……あのまま放っておいたらどうなってたか、考えたくもない」
「ええ。その点については完璧に同意」
 視界の端で激しく頷くエセルドレーダの姿が見える。
「えーと……」
 どうやら気のせいではなく、本気で「ぶちゅー」と行きそうな塩梅になっていたらしい。
 その様を想像し──サブイボ天国。
 アルの言う通り、「考えたくもない」って気持ちになった。
「ふ──気にするな、大十字九郎」
 微かな笑みを浮かべ、マスターテリオンが発言する。
「そういった展開は既に経験済みだ。もっと凄い分も含めて、な」
「『気にするな』って言っときながら余計気になることを言うんじゃねー! あ、いや、でもマジで詳しい説明はやめてくれ。な? な?」
 こいつの絶望の真に恐ろしいところは、ループの中であらゆる可能性を試し記憶しているがゆえに膨大な人生実験データを持ち合わせていることだ。俺が絶対に歩む気のない「可能性」であっても、ある程度信憑性の高いデータとして言い切ってしまうことができる。
 「今度の大十字九郎はどういった調子だ」と意気揚々乗り込んだら事務所で餓死していたとか、そんなのは茶飯事だったらしく、「とにかくアル・アジフと遭遇させるまでのパラメータ管理が大変だった」とよくボヤいていやがる。
 俺が極度のオッパイ星人と化して「貧乳魔導書なんて('A`)イラネ」とアルをポイ捨てしたこともあるという。それを語られたアルは「う、嘘だ! 嘘だ嘘だ! ううう嘘に決まっておる! 嘘以外の何物でもない!」と涙を眦に溜めながら真っ赤な顔で机をバンバン叩いた。ただでさえ動揺しているそこにエセルドレーダが「可哀想なアル・アジフ……相手が大十字九郎だと、胸がないのは首がないのと同じなのね」と憐みを込めた視線を送ったものだから、落ち着かせるまで実に多大な労力を要した。
 今ここでマスターテリオンによる「余と貴公の801な関係(inパラレルワールド)」について一席ぶたれたら俺の精神は尋常ならざる被害を被ること必至。できれば口を閉ざしていてくれることを願う。
「大抵は貴公が総受──」
「だから言うんじゃねぇ! 不吉な二文字をチラつかせるな!」
 予想を越え、「余と貴公」で収まらないところがイヤすぎた。
 エセルドレーダは無表情ながら僅かに眉根を寄せて不快感を表しており、マスターテリオンがチラつかせた二文字の意味を読み取れなかったアルは場に取り残されてきょとんとしている。あいつの知識が少年レーベルに偏っているのは幸いだった。
 しかしこの調子なら、マスターテリオンは俺の制止を無視して懇切丁寧な解説を加えて初心者にも分かり易い噛み砕いた話を滔々と語り出すだろう。良くも悪くも用意周到にコトを運ぶくせのある男だ。今はよく分かっていないアルも、話を聞くうちすぐに内容を理解し、青くなったり赤くなったり大変なことになる。下手すると掛け算の世界に目覚めかねない。あるいは「ウホッ!いい魔術師……」「契約(や)らないか?」の世界。
 そんな魔導書はイヤすぎる。
「んで、『夢幻心母をクリスマス仕様にデコレート』ってのはどうなったんだよ」
 ため息をついて、俺は冒頭の話題を引っ張り出した。場の流れを変えるためだ。
「ああ。もうイヴまで日が少ない。早めに作業を終えねば間に合わんが、何せこの世界のブラックロッジは少人数。悪事を控えた結果、収入が下降して会計は火の車──雇う人員は減りに減り、主要陣以外は消えてしまったのだ。余とエセルドレーダ、逆十字の面々、ドクターウェストとその機械人形……せいぜい10人強だ。夢幻心母もあとどれだけ飛ばせるか分かったものではない。浮遊する基地というのは存外金を喰うものでな」
「だからってあんなもん街のど真ん中に落としたりするんじゃねぇぞ……」
 浮力を失った夢幻心母の末路を思うと、冗談みたいなクライシスが脳裏に上映される。邪神が器として選んだ「可能性」も存在するくらいだから相当禍々しいものではあるはずだ。きっとグランド・ゼロは閉鎖区画となっちまうだろう。
「猫の手でも借りたいのだ。無償で引っ張り出せる人材ともなれば、貴公くらいしか思いつかない」
「おい、いつの間に俺が便利屋としてお前の想起セットに組み込まれたんだ?」
「便利屋? 違うな、大十字九郎。余と貴公は──戦友(とも)であろう」
 絶句した。一番そのフレーズを言いそうにない奴が、あまりにも易々と口にしたからだ。
 外れそうになる顎を必死で噛み合わせる。
「と、戦友だぁ!?」
「違うのか?」
 心外──態度はそう言っていた。どうも、さっきのセリフは本気だったらしい。
 だが、よりによってマスターテリオンに戦友呼ばわりされるとは……俺、悪い夢でも見てんのかなぁ?
「ふひゃ?」
 咄嗟に手を伸ばしてアルの頬をつねる。すべすべして柔らかい。そして、何より確かな熱。疑いの余地は霧散した。
「夢じゃないのか……」
「痛いわ、うつけが!」
 乱暴に跳ね除けようとするアルの手を避けながら、俺は前方の青年と向かい合う。絶望の色を網膜の奥に隠し込み、涼しげに見つめてくる。
「なんか変なこと企んでる気がすっけど……まぁ、いいや。協力してやるよ、マスターテリオン」
 どうせ仕事がなくて暇だしな──という部分は伏せておく。
 横目で見ると、アルは不服そうに頬を膨らませていた。反射的に突付いて空気を抜く。
「にゃっ! ……つつくでない!」
 怒ったアルに噛みつかれそうになり、慌てて指を引いた。
「──恩に着る」
 俺とアルの小さな騒動を眺めていたマスターテリオンは簡潔に答え、すっかり中身が冷めたであろう湯飲みを戻した。
 すかさずエセルドレーダが温かいお茶の入ったものと取り替える。わんこそば級の熟練した手つき。俺との会話中、ずっとタイミングを見計らっていたらしい。無駄に凄い。
 彼女の好意を無碍にせず、それを飲み干したところで、獣の匂いがする青年は颯爽と立ち上がった。
「では行こうか。我らが城、夢幻心母へ──」

「で、あれはなんなんだ?」
 アーカム・シティ上空。自動制御の破壊ロボ(飛行ver)に乗り込んだ俺は、夢幻心母のてっぺんに刺さっているモノを目にして突っ込まずにはいられなかった。
「イルミネーションには最適であろう」
 無線を通じてこともなげに言い放つマスターテリオン。奴とエセルドレーダは別の機に乗っている。
「最適っつーか……あれ、一応は鬼械神(デウス・マキナ)だろーが」
 天に浮かぶ島を思わせる夢幻心母に突き刺さった、キラキラと黄金色の輝きを撒き散らす球形の機体──確か、アウグステトゥスとやらのレガシー・オブ・ゴールド。大きさで言えばデモンベインを上回り、レーザーをぶっ放す豪快さもなかなかだったが、どうもうだつのあがらなかったヤツだ。
 ハナっから間抜けなシルエットとはいえ、さすがにこんな扱いだと笑う以前に同情が先行してしまう。
「ふ……余の筋書き通りだったとはいえ、彼奴が船頭となって裏切りを敢行したことは数知れない。たまにはその恨みも晴らしたくなるものだ」
「恨み云々は別としてもあまりイイ趣味には見えねぇ……」
 ただでさえ怪異なる外観を持った夢幻心母。そいつにレガシー・オブ・ゴールドを乗っけた様はグロテスクとしか言いようがない。
「常日頃から腹を丸出しにしている男に趣味なぞ求めるな、九郎」
 俺の膝の上でアルがもぞもぞと動く。有人飛行を重視してないせいか、ロボの内部は狭く、密着を余儀なくされている。改めてアルの体温が高いことを実感しつつ、キャノピの向こうに広がる景色へ目をやった。
 視界が限定されているため下方は見えない。飛び込むのは灰色がかった暗い空と、場違いな浮遊建造物。更にもっと場違いな鬼械神。クリスマスのおめでたさが微塵も漂っていない。
「お前は本当に祝う気があるのか……」
 頭を抱えたくなったが、狭いのでやめておいた。
 代わりに暇潰しとしてアルの枝毛探しをする。細く透き通った髪に指を滑らせ、黙々とチェックしていったが、いくらやっても枝毛なんか見つからない。不自然なまでに整った毛ばかりだ。キレイだが、なんかつまらない。
 ふたたび視線を外に遣る。目標地の夢幻心母にだいぶ接近していた。レガシー・オブ・ゴールドも肉眼で細部を確認することができる。
「そろそろ到着だな」
「ああ」
 淡々と通話する俺とマスターテリオン。
 ……レガシー・オブ・ゴールドの顔あたりに、縄で縛り付けられて身悶えしながら何か喚いている浅黒男が映ったが、あえて見なかったことにした。
「あんまりではないかっ……! ストレスの果てに脱毛まで経験したこの私が窓際どころか窓の外などっ……! 悪の組織とはいえ、して良いことと悪いことがあるはずだろうっ……! クズどもっ……! 大導師もクズだが、奴の口車に乗って私を放逐したアンチクロスどももクズっ……! かくなる上は弁護士と相談して訴訟の用意をっ……!」
 幻聴ということにした。
「のう、九郎。あいつが一番福本節に馴染むとは思わないか?」
「だから聞こえないふりしてンだっつーの!」

「悪ぃ悪ぃ、遅れちまったぜ! 待ったかよ?」
「イや……オレもいマ来たとコロだ」
「はん? おい、手ぇ出せよカリグラ」
「あッ……」
「冷てぇじゃねぇか、嘘つきやがって……どんだけ待ったんだよ」
「ほんノ、10分カそこラだ」
「へっ──まぁ、そういうことにしといてやらぁ」
「……あノ、クラウディうス」
「あん?」
「こ、こレ……」
「おいおい、カリグラ、いったいなん……え?」
「ドウ、かな?」
「マジかよ……いまどき、モノホンの手編みセーターだと?」
「お、おレ、編ミ物は得意ジャないけド、頑張っタ……」
「つかよ、これ、プレゼントなわけ?」
「う、ウン」
「俺に?」
「ウン……」
「ジョークじゃねぇのか? お前が、俺にクリスマス・プレゼントを渡す──なんてよ」
「メ、迷惑だっタラ、そノ……」
「迷惑?」
「え、ア、そノ、」
「バカ、んなわけあるかよ……嬉しいぜ」
「……エ?」
「う、嬉しいっつったんだよ! 二度も言わせるな、バカ!」
「ご、ごメ……」
「謝んなよ! ったく、そんなに萎縮されっとこっちが渡し辛くなるだろ」
「渡シ辛く……?」
「……ほらっ!」
「え? アノ、これッテ……?」
「いいから開けろよ、ほら!」
「ウ、ウん……」
「モタモタすんな、早くしろ……待ってると恥ずかしくなるだろーが
「え? ナンて?」
「は・や・く・し・ろ、っつーの!」
「ワ、ワかった……あっ」
「やっと開けたか」
「こレって……指輪?」
「──説明しろとか言うなよ。見たまんまだかんな」
「でモ、でモ、クラウディうスはオレのコとを『バカ』っていつモ……」
「そーゆートコがバカなんだよ。気づけって……俺の本心くらい」
「本心……」
「おいおい、この期に及んでわざわざ言わせるつもりかよ」
「ウン……言っテ」
「ちっ。マジかよ」
「クラウディうス……」
「カリグラ……俺、さ。本当はその、お前のことを……」
「オれのコとを……?」
「す、好……き、ってあああ! 言わせんなよ! 察しろよ! 死ぬほど恥じーんだからな、バカ! 唐変木! マザファカッ!」
「クラウディうス、オレも、おマエのことガ好キだ」
「……! い、言われなくたって……!」
「嬉しイ……」
「……ん。俺もだよ」
 そして二つの影が、祭壇の炎に照らされながら重なり合っていき──

「といった具合にカップルが盛り上がる環境も整っている。まさしく一分の隙もない」
「カップルっつーか、男×男じゃねーか!」
 奥の間まで一気に進んだ俺たちを待ち構えていたのは、甘ったるい会話と、暑苦しいまでの抱擁──アンチクロスのクラウディウスとカリグラが愛を確かめ合っているその現場だった。
 俺は、こんなものを見るために足を運んだわけじゃない。
「ふむ。妾にとって未開拓のシチューエーションだが……小柄と大柄という組み合わせはなかなか」
「お前も『なかなか』とか言うな!」
 妙に冷静な目で、興味深くふたりを観察しているアルが少し怖かった。
「だが九郎、チビとノッポは相互補完的な関係に……」
「少なくとも野郎同士の『相互補完的な関係』には聞く耳持たねぇ。いいからお前は黙っていて、俺がツッコミを入れてから喋ってくれ……」
「どうした、やけに疲れた表情をしておるな」
「そりゃ、あんなものをいきなり見せられたら消耗するぜ」
「満足したか、大十字九郎?」
「しねぇよ!」
 親しげに肩を叩こうとしたマスターテリオンの手を弾いておく。ここはキッパリと「801ダメ、ゼッタイ。」の姿勢を貫いておかないと後が怖い。
「不気味なくらい幸せそうなあいつらについて言及するつもりはない……したくもない。勝手にすればいい。けどそれ以前の問題として言わせてもらいたい」
「なんだ」
「あいつらの頭上にあるアレは、なんだ」
 しっかりと抱き合い、こころなしか互いにまさぐり合っているように見えるクラウディウスとカリグラから目を離し、上へ上へ視線をズラしていくと、そいつにぶち当たる。
 柄の長い傘みたいな、物体。
「ツリーだ」
「やっぱそう言うんじゃねぇかと思ったんだよ! 予想通りでイヤだ!」
 柄に当たる部分は赤黒い腸。ピンと真っ直ぐ棒のように伸びていて、そいつの本体を支えている。本体は道化服を着込み、蛙じみた仮面を付けた上半身──アンチクロスの魔術師・ティベリウスだ。下半身はどこにも見当たらず、スカートのように広がった裾からは腸と背骨しか出ていない。死してなお活動を続ける、不死身の男──オネエ言葉の両刀使いが、ぷるぷると小刻みに震えながら一本足(一本腸というべきか)で突っ立っている。
 耳を澄ませば、何かぶつぶつと小さな呻きとも呟きともつかぬ声が聞こえてくる。
「……あ〜ら、アリスンちゃん。あなたったら、本当は魔法少女だったの。魔術の才能を活かして、街の平和を守るために東奔西走? 可愛いわネェ、でも知ってる? 魔法少女というのはね、触手に犯される運命にあるのヨォ。おとなしく暴食されなさい。液という液にまみれて穴という穴で暴飲なさい……」
 明らかに常軌を逸していた。仮面は死人の肌みたいな色合いだ。
「恋人同士が待ち合わせ、ゆったりと語らうにはツリーの存在が欠かせぬ。だが、ブラックロッジたるもの、市販のモミの木なんぞで満足してはならない。外道には外道らしいロマンがある。そこで、余が考え出したのがこの屍ツリー。ティベリウスに手伝わせ、完成させた。ただ、ティベリウス自身はあまり乗り気でなかったようでな……仕方なく、少しばかり『あっち』の世界に放置して精神を壊した。おかげで聞き分けが良くなった」
「……あいつに同情する日が来るなんて、考えたこともなかった」
 足が萎えて跪きたくなる。ぐっ、と力を入れて堪えた。もうだいぶ「おうちかえりたい」の気持ちが濃度を増している。
 ふとアルが気になって周りを見渡すと、少し離れた位置で椅子に座り、片手に皿、片手にフォークでケーキを食べていた。目は相変らず激しい抱擁を行うクラ×カリに釘付けとなっている。
 というか、いつの間に椅子が? あとケーキも。
「クリスマス・ケーキはつくれる人材がなかったゆえ、注文で済ませた」
「はあ……まあ、妥当な判断だな」
「『ひよこ館』のケーキだ」
「マスターテリオン、そのネタがどれくらい通じると思っているんだ」
「ふふっ」
 謎微笑を浮かべるマスターテリオンに、横合いからケーキを刺したフォークが伸びる。エセルドレーダだ。「あーん」の一言もなく、ごく自然に口が開き、流れるような動作で食べさせられる。気味が悪いくらい絶妙のコンビネーションだった。
「お味はいかがでしょう、マスター」
「ああ、評判通りだ」
 その会話を耳にしながら、アルへ視線を戻す。
 皿は空になっていた。
 いや、別に「あーん」を期待していたわけじゃないけど……期待していたわけじゃないけどっ!
「うまかったぞ、九郎」
 満足げな顔ですたすたと寄ってくる。
 癪に障ったので、言った。
「頬にクリームが付いてるぞ」
「え?」
 咄嗟に頬へ手をやったアルに、重ねて言う。
「違う、そっちじゃない。こっちだ」
 と、顔を寄せ──
「あ……」
 ぺろっ
 舐めた。舌先にきめ細かい肌の感触が伝わる。
「ったく、子供じゃないんだから行儀よく食えよ」
「う、うん」
 微かに顔を赤らめ、動揺を示すようにカクカクとぎこちなく頷く。もちろん、頬にクリームなどなかったことには気づいていない。
「卑しいな、大十字九郎。そんな真似をせずとも、貴公の分も切り分けてやろう」
 マスターテリオンが芝居がかった動作で目を遣ったさきに──

 ティトゥスがいた。
 刀のよく似合う魔術師──「サムライ」の印象が強すぎて、たまに奴が魔術にも通暁していることを忘れそうになるが、歴としたアンチクロスの一員だ。
 しかし、いつもと異なるところがある。
 エプロンだ。いつもの服装の上にエプロンを羽織っている。
 たったそれだけのことで、奴は「サムライ」から「割烹着の女将」に近い何かへ変貌している。鬼神じみた殺気ではなく、所帯じみた温かみを発している。
「………」
 細められた目に、ごく僅かな緊張の色が映った。
 奴の目の前にはテーブルがあり、一つのケーキが置かれていた。立てられた蝋燭の火がゆらゆらと身動ぎし、薄暗闇を弱々しく照らし出している。
 すっ──
 静かに手が腰へ伸びる。柄に指先が触れ、軽く握られた次の瞬間。
 銀光が疾走った。肉眼でギリギリに捉え得る、一瞬の光。
 音もなく滑り出した刀身は、音もなく鞘へ戻っていく。
 ゆらゆらと揺れる炎はそのままに──皿の一角が落ちた。
 ティトゥスはそれを掴んで、予備動作もなく水平に投げつける。
 ──こちらに向かって。
「おわっ!」
 反射的に突き出した手がタイミング良く皿を掴んだ。
 まじまじと眺めてしまう。ケーキだけでなく皿まで扇状に切られており、その切り口は鮮やかすぎて、まるで皿が最初からこういう形だったようにさえ見えてしまった。
 とんでもない奴だ──と再確認せざるを得ない。
 結局こいつとは生身で戦わなかったが、こんな鬼紛いのサムライ魔術師と渡り合えた執事さんは本当に人間だったのか疑いたくなった。
「それにしても才能の無駄遣いだな……」
 という呟きは耳聡く拾われたようで、即座に「否」と返答される。
「刀身にクリームを付けず、炎を揺らさず、それでいて全体の形を保ったまま皿ごと切るのは意外に難しいものだ」
「いや、意外以前に不可能だっての、普通は」
「ケーキを切るというのも、なかなかどうして奥が深い……」
 目を瞑り、感じ入ったように押し黙るティトゥス。
 追及する気が失せたので、ケーキを食べた。甘くとろけるクリームが舌をくすぐり、「うまい」と無意識に言ってしまった。
 ちまちまと食べる趣味はないのでふた口で片付けた。
「九郎、『行儀よく食え』と言ったくせに汝は口元中べったりになっておるぞ……」
 肩を竦めて呆れを示した後、さっきのお返しとばかりに近づいてくる顔をスウェーで躱す。
「同じ手を流用して通じると思ったのか、アル」
 悪戯っぽく微笑んでから、付着するクリームを指でこそぎ取った。
 そのままアルの口に突っ込──もうとして足が滑った。仰け反りすぎたみたいだ。
「おわっ」
 腕を泳がせ、バランスを取ろうとする。
 と──振り回した手の、クリームの付いた指が何かをかすった。
 目で追う。

「あ」

 マスターテリオンの顔。
 偶然触れた鼻の頭に、しっかりとクリームが乗っていた。
「マスター!」
 エセルドレーダが驚きの声を挙げる。当のマスターテリオンは平然とした表情で「ほう……」と呟きを漏らした。
「わ、悪ぃ」
 とりあえず謝って、ハンカチか何かを取り出そうとしたが、あいにくと俺はそんなものを携行していなかった。
 クリームを鼻に塗られたマスターテリオンは、率直に言って──間が抜けていた。当人はそれほど気にならないのか、拭うどころか眼球を動かすことすらしない。あまりにも反応が薄すぎて不気味だ。
「──!」
 きっ、と抗議するように怒りの視線を飛ばしたエセルドレーダは、口を動かそうとして思い直し、マスターテリオンに向き直った。汚れを拭く方が先決と判断したのだろう。
「エセルドレーダ」
 黒手袋が鼻に触れようとしたそのとき、マスターテリオンが口を開いた。
 呼び声に、彼女の動作が静止する。手が空中に固定された。
「はい」
「舐めてくれないか」
「イエ──」
 肯定しようとして、躊躇いを見せた。
 場所が主の鼻とはいえ、もともとは俺の口元に付いていたクリームだ。
 つまり、微量ながらも俺の唾液を含有している!
 いや、別に強調する必要もないが。
 何かと俺に対しての敵意を募らせているエセルドレーダにとって、大いに迷うところだったのだろう。
 マスターテリオンはそれ以上強要する言葉を掛けず、じっと彼女の反応を待っている。
「………」
 口を出そうにも何と言ってよいか分からず。
 俺とアルは固唾を飲んで成り行きを見守った。
 ──結論から言うと、エセルドレーダの逡巡は3秒で終わった。
 鼻に伸ばした手を引き戻し、主の肩に両手を掛ける。マスターテリオンの腕が腰に回って持ち上げられる。両腕をまっすぐ突っ張ったエセルドレーダはマスターテリオンの顔よりも上のところまで来ると、ゆっくり肘を曲げ、「おずおず」の形容が当て嵌まる仕草で顔を近づける。小さく開いた口から、震える舌先が覗く。同じくらいに震えている瞳の光。俺の位置からは僅かに見えるのみの赤い舌が、鼻に付着したクリームと接触する。上下する。何度も、丁寧に、繰り返し──舐める。ときどき吸う。
 なんだか見ていてドキドキしてきた。アルも顔を逸らしたいような、穴が空くほど見つめたいような、微妙な表情で頬を赤らめている。
 やがてキレイに舐め終わったエセルドレーダは身体を降ろされる。
 足が震え、よろめいた。生まれたばかりの仔馬みたいに。
 それでも顔をまっすぐ上げ、気丈な無表情を保とうとする。
「終わり、ました……マスター」
 ぽろっ──
 不意に雫がこぼれた。
「え……」
 自覚がなかったのか、目を見開いて驚愕を表す。大きく開かれたせいで、雫はぽろぽろと勢いを増してこぼれ続けた。
「あ……う……」
 嗚咽を噛み殺そうと懸命な顔をするエセルドレーダ。涙は一向に止まらない。
 ──そんなにイヤだったのか。
 居たたまれない気持ちで立ち尽くす。
 すいっ、と流れるような動作でアルが近づき、肩を抱いた。ぽんぽんと柔らかく叩きつつ、何やら慰めの言葉をかけている。
 次第に落ち着いてきたみたいで、泣き声は本格化する前に小止みとなり、すんすんと鼻を鳴らす音を最後に辺りは静寂を取り戻した。
「では、次に行こうか」
 何事もなかったように言い放ち、さっさと奥へ向けて足を運ぶ男がひとり。
「なあ、九郎。あいつを一発殴ってみたくないか?」
 静かな怒りを秘めた声。
「お前の気持ちは分かる。でも、エセルドレーダの気持ちは──」
「──行きましょう」
 やはり何事もなかったように、しかし兎じみた赤い目を擦りながら主の跡を追っていく。
 残された俺たちはとりあえず溜め息をついて、ひと呼吸置いてから移動を開始した。
 夢幻心母の奥へ。

「ふはははは! 諸君、メリー・クリスマス!」
 まず目に入ったのは死神高校生みたいなオレンジ髪だった。
 通路を進んで数分が経過した頃。曲がり角の付近で胡乱な目つきをしたオヤジがサンタクロースの扮装をして待ち構えていた。御丁寧に、袋とプレゼント箱を持って。
「うわあ……怪しさ大爆発」
 素直な感想を漏らす俺の元へ、滑るような足取りで近づいてきたサンタ──ウェスパシアヌス。昔はどっかの実験施設の所長で、そこから成り上がってアンチクロスに入ったんだとかどうとか。
 胡散臭くエセ紳士めいた物腰、やたらクドく反復する口調が人間としての信頼度をこの上もなく損ねているオッサンだ。だって、なんか手つきからして怪しいし。暇があったら指パッチンとかしてそう。
 いつものスーツを脱ぎ去り、赤と白のもこもこした衣装で身を包んだ中年はニヤニヤと厭らしい笑みを満面に浮かべた。こぼれんばかりのイービル・スマイル。「この笑顔には暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています」と但し書きを付けたくなる。
 絶対何か魂胆があるな、と深読みせずにはいられなかった。これで邪心がなかったらむしろ詐欺だ。
「大十字九郎、君はいい子にしてたかな? ん? いい子にしてたかね? なに、安心したまえ。たとえ君が飛び切りの悪い子だったとしても私はプレゼントをあげよう。あげようではないか」
「はあ……」
「何せね、何せだよ? 私は教育というものにひどく関心がある。人間の性格や態度がいかに形成されていくのか、散々研究したものでね。結果としてある程度は好きなように人格形成を誘導できるようになったんだよ。ああ、なったのさ、はは!」
 実例に当たる男をひとり、脳裏に思い浮かべる。
 誘導してあれか、とツッコミたくなったが、ウェスパシアヌス・トークは瀑布のごとき勢いに満ちて言葉を差し挟む隙間がない。
「でね、でだ。そのノウハウを活かせば、どんな悪い子でもプレゼントに相応しい『いい子』に仕立て上げることは可能、そう、可能なんだよ。まったくもってね。信じられないかね? 構わん、疑いたまえ。疑ってくれて結構だ。大いに疑うがいい。疑念とは信心への回り道だ。まあ、疑う前にまず──試してほしいものだがな」
 せかせかはきはきと一方的にしゃべくり、ずいっと手に握った箱を差し出した。
 なぜか手袋を嵌めておらず、裸の手でがっしりと箱を底から掴んでいる。
「……俺に?」
「ああ、開けるがいい。開けるがいいさ、開けてみたまえ」
 せっつくように言われ、しぶしぶ手を伸ばす。箱ごと掴もうとすると、「おっと!」と静止された。
「なに、わざわざ手に取る必要はない。その必要はないのだ。君はただ蓋を開ければいい。それだけでプレゼントは君のもの、君のものだよ」
 言われてみれば箱はラッピングされておらず、じかに蓋を開けられるようになっている。
 ピンと来るものがあった。
 ははあ、つまり、これは──ビックリ箱か。そのぐらいの悪戯はやりそうだ、このオッサン。
 念のため魔術のセンサーを伸ばし、探りを入れてみる。呪的ないし魔術的な反応はネガティヴ。中に何が入っているかまでは読み取れなかったが、そうひどいものが詰められているようでもないみたいだ。
 んー、まあ、変な魔術が掛かっているわけでもないってことだし、そんなに大した仕掛けじゃないだろうな。引っ掛かってやるのも一興かもしれない。
 いくらか肩の力を抜いて、ふつうの速度で蓋を開けた。紙製のようで、軽い。
 さあ、何が出るのか──と身構えて待ったが、無反応。
「あれ?」
 予想が外れてしまった。
 じゃあ、なんなんだろう?
 と箱の中を覗き込むと──拍子抜けしてしまった。中身は空っぽだったのだ。
 そう、空っぽだ。空気以外に何も入っていない。正真正銘の空箱。
 しかし、なんかおかしい。空箱は空箱でも、ただの空箱ではない。
 なぜか底が空いて、そこからウェスパシアヌスの掌が──

「祝え、オトー」

 ぽつり、と。
 声に合わせて呪力が膨れ上がった!
「うわあああ!」
 絶叫して仰け反る。
 ついさっきまで俺の顔があった空間を、膨れ上がった呪力がバクンッと強烈な顎で掠め取った。瘴気が辺りの空気を汚す。つん、と鼻の奥に刺激臭が侵入して噎せ返りそうになる。
 しばらく、背を反らした姿勢で固まっていた。
「むう?」
 髪の毛一本の差──正にギリギリで、回避することに成功した。
「残念だな。いやいや、まったく残念だよ、これは」
「な、な、な……!」
 もう少しで俺を食い殺そうとしたオトー──ウェスパシアヌスの有する人面疽「三皇帝」の一つが、主の失望に満ちた声と合わせて空気の抜けた風船のように情けなく萎んでいく。しゅぽんっ、と間抜けな音を立てて消えた。
 冗談でもなんでもなく、あと一瞬タイミングがズレていたら俺の顔は失われるところだった。醜い顔を隠すため特製の銀仮面でも被って正体不明の魔術師役を演じたりする「ありえた未来」が高速で脳裏を過ぎっていく。イヤだ。仮面の魔術師なんてティベリウスとかぶるじゃないか。
 とか、呑気なことをたらたら考えてる場合じゃなかった。
「なにすんだぁぁぁー!」
「なにって、なにかね、大十字九郎。私はやりたいことをやるようにやったまでだ。言ったろう? 悪い子はプレゼントに相応しい『いい子』に仕立て上げる──つまり、このミミックと化したオトーへの供物にすると。いやまったく、教育に精通すればするほど人格形成の操作は『ある程度』の域に留まってしまうと嫌ほど分かるのでね。悪い子を矯正していい子と同列扱いにするのは骨だ。とてもとても手間暇がかかってしまう。ならば、悪い子に関しては教育方針を変えるよりも、存在の有無そのものを変えてしまった方が早いのさ。早いのだよ、はは! 捕食されるとなればいい子も悪い子も大差ない。そういう意味では私は非常に平等で、かつ教育熱心なんだよ。教育に見切りをつけて効率化・合理化するのに熱心なのだ、熱心すぎて冷酷と取られることが多いがね」
「理屈になってねー話を得意げに垂れ流すな! 結局あんな人格破綻シスコン餓面ライダーが野に放たれたのはてめぇの責任だってことが割合はっきりしてきたじゃねぇかコンチクショウ!」
「ふむ、あいつか。あいつのことかね。あいつに関してはなかなか『いい子』になってくれたと思うがなぁ」
「どういう基準でだ!」
「都合良く動いてくれるという意味でね。彼のコンプレックスは直線的で扱い易い。それはともかくとして、だ。私はこのガルバ、オトー、ウィテリウスを使った『三皇帝ボックス』によってアーカム・シティの『いい子』どもを乱獲するChristmasのChild hunt計画──即ちC†C計画を企画・立案……」
「すんな! ──ええい、もうヤメ! ヤメヤメ! こんな悪ふざけに付き合っていられるか! 俺はもう帰るぞ、マスターテリ──あ?」
 噛み付くべき相手を見出すことができなかった俺は、思わず間抜けな声を挙げてしまった。
 気がつけば、すぐそこにいたはずのマスターテリオンがどこにも見当たらない。
 奴だけではなく、半泣きから立ち直りつつあったエセルドレーダやアルの姿まで見えない。
 いつの間にか、俺はこのウェスパシアヌスとふたりっきりで通路に放り出されていた。
「え? あれ? おい、みんなどこにいったんだ?」
 他に術もないので、仕方なく傍のオッサンに尋ねる。
 ウェスパシアヌスはひょいと片眉を上げ、口の端を捩じった。
「おやおや、大十字九郎──仮にも探偵を名乗る君が、そんな簡単なことさえ見落としているのかね? 観察すらろくにできない有り様なのかね? そこまでヘボいのかね? 笑ってよろしいかね? ほう、よろしいと? ならば笑わせてもらおうか。笑ってやろう。はははははははははは!!」
 呵呵大笑。グーパンチで顔の形を変えてやりたいという衝動を必死で堪え、ふたたび周りを見渡す。
 ──と。
「これは……」
 隠し通路か?
 斜め背後あたりの壁に妙な波動を感じる。うっすらと弱い波で、気をつけていなければ察することもできないくらいだが、確かに違和感として存在している。
 歩み寄り、肉眼からではただの壁にしか見えぬ箇所へ手を遣る。
 ずぶり──なんて音は鳴らなかったが、しっかり手首まで壁の向こうに埋まった。
 俺が橙髪中年に捕まっている最中、他の奴らはこっちを通っていった、のか?
 なんのために?
 それと、この先には何が?
 振り返ると、相変らずニヤニヤと邪悪な表情で嗤っているオッサンがひとり。
 ──無駄だ。こいつに訊いたって役に立つ返事はもらえない。既遂の悪事はベラベラ立て板に水で喋り散らすだろうが、達成以前の物事に関しては貝の如く真相を閉ざしのらりくらりと愚にも付かぬことばかり放言しそうだ。
 ままよ、と隠し通路に向かって全身を突っ込ませた。
 恐る恐る進んだところで罠があったら発動することに変わりはない。問題は、どれだけ機敏な動作で罠を掻い潜れるか──
 壁を抜ける。ほんの一瞬だが、その間は何も見えなくなる。
 闇。通り抜けた後も、依然として視界は回復しない。どうやら光源がないようだ。八方が混じり気のない闇に覆われている。
 空間を把握できない。手探りで進むよりもまず、目を闇に慣らすべきか。
 思案を破るように、閃光。

 ──最前の嫌な予感はまさしく的中し、無数の魔力が矢となって襲い掛かってきた!

「おおおおおおおお!」
 慌てず、突入時の勢いを利用して駆ける。
 閃光が明かりとなって周囲を照らしている。認識という認識を視覚に注ぎ、ほんのコンマ数秒の内に空間を捉え切る。
 思ったよりも広い。壁を出た先は通路ではなく、直接室内に繋がっていたようだ。俺のいる側を除いた三方の壁にいくつかの人影が見える。短身と長身。ざっと数えて6、7人か? チラッとアルの顔が見えたが、他に誰がいるのかまでは気を回している暇がない。
 室の中心に向かって走った。統計学的に見ると部屋のど真ん中にこそいかなる弾も当たらないスイート・スポットがあるとかなんとか、偉い人が言っていたような気がする。
 耳の横、鼻の頭、頬、眼前、脇腹、胸先、肩、股の下、足元──魔術の矢が身体のすぐそばをいくつも掠っていった。皮膚が裂かれて細かな血が飛沫くが、直撃はない。
 目的地、つまり部屋のど真ん中に辿り着くや、何の前触れもなく照明が灯った。暗闇に慣れつつあった目を光が刺し貫く。
 両手で目を覆い、眩んでいるところにつかつかと足音が近づいてきた。
 ゆっくり瞼を上げて、歩み寄る者をじっと見つめる。
「──アル」
「すまんな、九郎。どうやらこの魔術クラッカーは少々危険すぎたようだ」
「クラッカーに安全面での不備あり、か。チェックしておけエセルドレーダ」
「イエス、マスター」
「わーい、くろー! メリクリー、のいっぽてまえー!」
「ダーリン、あれだけの十字砲火を凌ぐなんてすごいロボ。高確率で人間をやめているとしか思えない動きだったロボ」
「ちなみに我輩としてはクリスマスとクロスファイアをそこはかとなく掛けてみたところ遺憾なことに『ク』しかあっておらず、『これはこれで!』と誤魔化したいのであるが、ぶっちゃけどうよ? 大十字九郎」
「ふんぐるい」
 がやがやと好き勝手なことを言いながらフレンドリーに近づいてくる連中への苛立ちを隠し切れず、とりあえず目についた緑髪の顔面崩壊マッドサイエンティストへ腰の利いたフックをぶち込んだ。我ながら蒸気機関のピストンみたいに力強く感じられる拳が脇腹に突き刺さり、「げえっ」と呻くキ○ガイを持ち上げて臓腑を深く深く抉った。
「ドクターウェスト──キドニーはいただきだ」
「ごぱっ」
 いくらか溜飲の下がった俺は白目剥いて涎を撒き散らし痙攣する狂博士を下ろしながら、他の連中に向き直る。
 アル、マスターテリオン、エセルドレーダ。この3人はいいとして、残りの3人──エンネア、エルザ、ルルイエ異本まで揃っているのはどうしたことやら。
 ひとりひとりツッコむのも面倒なので、まとめて言うことにした。
「お前ら、その格好はなんなんだ……」
 ひと口に説明するのは難しいので、まずは分かり易く乱暴に言い切ってしまおう。
 室内にいる7人(俺の足元で気絶しているウェスト含め)は全員がサンタクロースの扮装をしていた。ちょうど、ついさっきのウェスパシアヌスみたく。プレゼント袋までは用意されていなかったが、こうも一斉にコスプレされると壮観というよりゲンナリだ。
「どうであるか、九郎よ」
 アルはエセルドレーダと横並びになって己の格好を強調している。
「いや、どうってお前……そりゃサンタじゃねぇだろ」
 赤と白の混じったサンタクロースの衣装──を意識したらしき紛い物の服。
 いつものアルの装いと同じく、ヒラヒラしたフリルやリボンが服のあちこちを飾っている、どっからどう見ても少女趣味としか言えない代物だった。敢えて言えば「サンタ・ゴス」とでもなるのか。それとも「サンタ・ロリ」? 帽子まで装飾の範囲に含まれているのだから徹底している。こんなものを白髭生やした本物のサンタが着ている光景なんぞ、想像するだにグロテスクで眩暈がする。
 けど、今着ているのはアルだ。実年齢はともかく見た目はロリだ。正体は味も素っ気もない古書だが人間化すれば愛くるしく美しい幼女だ。似合うと言えば似合う。無問題と言えば無問題だ。ここは一つ「可愛いネ☆」で流してしまえばいいのかもしれない。いや「☆」は勘弁してくれ。
 しかし、その隣にいるエセルドレーダ。彼女も、多少の意匠違いはあれどヒラヒラのフリフリという点では概ねアルの着ているものと同じだった。やっぱり本物のサンタはこんなもん着用しないだろう。ただ、アルとの大きな違いがあり、それは、要するに──アルが「サンタ・ゴス(白)」であるとするならばエセルドレーダは「サンタ・ゴス(黒)」、ってことだ。
 赤と黒。ルーレットみたいな色合いの退廃的で物憂い衣装は、いくら帽子を付けたからって「サンタ服」と言い張るのは無理があった。アルの方にはまだ「サンタ・リスペクト」とこじつけられる要因が豊富だったが、スタンダールもかくやといったコーディネートにサンタの面影を見つけるのは雛の雌雄判別並みに難しかった。
 まあ、それもいいとしよう。難しいとはいえ不可能ではない。こじつけ臭くてもまだ救いがある。
「──けど、お前らはさすがに強引だっつーの!」
「ロボ?」
「いあ?」
 変な語尾のアンドロイドと焦点合ってないオッドアイ少女が同時に疑問符を浮かべる。
「説明しろ! いやするな! やっぱり聞きたくない! サイバーパンクと錬金術の風味を混ぜ合わせて三日寝かせたような近未来オカルト装甲サンタ服と、紫と黄色がぐねぐね交錯しているところにオリエンタルムードを足して神秘的に仕上げようとして失敗したと推測されるサイケデリックなサンタ服に関する詳細説明を笑って受け容れる余地が俺の脳には存在しないんだよ!」
 ひと息に叫び、さすがに呼吸が苦しくなった。
 ぜいぜいと喘いでいると、横合いから飛び出してきたエンネアが腕に巻きついてきた。
「あたしは? 似合う? 似合う?」
「──な!? は、離れんか!」
 アルが必死な顔つきで引き剥がそうと力を入れるが、エンネアは俺にしがみついて離れない。どうも相当巧妙な絡み方をしているようで、くっつかれている俺自身、どうやって剥がせばよいのか分からなかった。害意はないみたいだが、ちょっと極められている状態だ。
「似合うっつーか……」
 一言で表せば、「ボンデージ・サンタ服」だろうか。カラーは赤と白に尽きており奇抜さを狙っていないが、革やビスが交じり、猿轡に目隠しまでしているとなると異様としか思えない。頭にちょこん、と乗ったサンタ帽の愛らしさが却って悪趣味に見えた。
「似合う? 似合わない?」
「それとは別に質問だが、猿轡を噛んでいる状態でどうやって喋っているんだ?」
「ふっふーん、それは企業秘密につき、知りたければまずはあたしを誉め殺すところから始めてみようかっ!」
「始めずともよい。終われ」
 嫉妬に満ちた魔術の波動。
「ヤだねっ」
 それを跳ね返そうと、俺に抱きつきながら魔術の構成を編むエンネア。
 まったく、こいつらは顔を合わせるたびに喧嘩が起こるな……
「いや、魔力合戦はやめとけっての」
 逃げるのではなくむしろ向かっていき、タックルする要領でアルにエンネアをぶつけた。
「ふみゃ!」
「ふぎゅ!」
 両者がもつれ合って倒れこんだ。
 それほど勢いよく突っ込んだわけでもないし、怪我はないだろう。痛いことは痛いだろうけど。
「うん、ちょっとひどかったが、まぁなんとかなったな」
「貴公も思い切ったことをするな」
 涼しげに言い放つマスターテリオン。
 わざわざ解説したくもないが、奴も当然のようにサンタ服である。他の連中みたいな工夫は凝らしておらず、ごくシンプルな格好だ。
 ──腹のところが全開になっている以外は。
「そんなに自信があるのか、腹部」
「腹筋は一度さらすと病みつきになる」
 ワケの分からないことをほざきつつ、ファサァッと前髪を掻き上げた。
「ヘーイ、そこな大十字九郎! D†CROW! ルック我輩! この並びなき大天才、むしろ天才の域を超えて遥か彼方の領土へ進出する越境的超天才のドクターウェストを見るのである! 見なければ損というか折角ここまで来たのに元も子もない! 今夜の我輩はちょっとばかりでなく凄いから、ひと目見るや邪神もきっと悶絶」
「さっき見たからもういい」
「見て!」
「死んでも無視する」
「プリィィィィズ!」
 キ○ガイの咆哮に背を向け、いまだ「きゅぅ」とノびているアルを拾い上げる。
「じゃ、俺たちもう帰るから」
「待て大十字九郎」
 さりげない足取りで出口に向かう俺を静止したのはマスターテリオンだった。
 半眼で睨みつけ、「まだこれ以上何か用が?」と無言で伝えてやる。
「座興ごときでそうかりかりするでない。貴公を呼んだ理由はこれからが本番だ」
「本番……?」
「そう。クリスマスと言えばサンタクロース。この点について意義はなかろう?」
「まあ、な」
「故にこのような扮装を為した。いかなる角度から眺めても余はサンタにしか見えまい」
「腹以外はな」
「しかし、それだけでは足りない。まだ必要なものはある。何か分かるか?」
「……?」
「仕掛けは別にある」
「仕掛けだと?」
「ああ。つまり、だ。サンタクロースには橇とトナカイが欠かせぬ。そして、余にとっての『橇とトナカイ』と言えば、」

「──リベル・レギスをおいて他にない」

「な──!」
「分かったようだな。それが貴公を呼んだ真の理由。ブラックロッジの新たなる計画は、鬼械神によるサンタの降臨。下界──アーカム・シティへのプレゼント配布だ」
 絶句する俺を尻目に、マスターテリオンは滔々と説明を続ける。
「ブラックロッジの鬼械神──即ち、ティベリウスのベルゼビュート、ティトゥスの皇餓、ウェスパシアヌスのサイクラノーシュ、クラウディウスのロードビヤーキー、カリグラのクラーケン、アウグストゥスのレガシー・オブ・ゴールド、ネロのネームレス・ワン、余のリベル・レギス。以上8機の中で飛行可能の機体はサイクラノーシュ、ロードビヤーキー、レガシー・オブ・ゴールド、リベル・レギスの4機。だが、この4機の中で更に『サンタ・橇・トナカイ』の三性格を持ち、『聖夜』の化身たる資格を持つのはリベル・レギスのみだ。他の3機はシルエットが魁偉にして怪異。到底子供たちが『サンタクロースだ!』『かっけー!』と目を輝かせるようなモノではない。特にレガシー・オブ・ゴールドなど、目にした少年少女が夢を失い未来永劫トラウマに悩まされる羽目となる。アウグストゥスはどうあっても参加を許されない」
 かなり私怨混じっている気もするが、まあ、確かにあいつの鬼械神はベルゼビュートに次いでキモい。
「必然として使える鬼械神はリベル・レギスのみ。だが、余ひとりでプレゼント配布を行おうとも、アーカム・シティは広い。とても一夜では終わらぬ。そこで──貴公のデモンベインに参上願いたいのだ。1機よりも2機の方が効率は良い」
「あー、言いたいことは分かった。で、だ。そんなことに協力したら俺は姫さんに殺されかねない。『ウィンフィールド、殺っておしまいなさい』の一言で俺は知覚するだけの余裕も許されずに死ぬ。マジで」
「──要するに、断ると?」
「そういうことだ」
 マスターテリオンは軽く頷くと、踵を返した。その後にエセルドレーダが付いていく。
 ……どうやら話も終わったみたいだし、さっさと帰りたいところだが、どうにも気になることがあった。聞く必要はないが、このまま黙って帰途に就くのも後味が悪い。
「なぁ、『プレゼント配布』って言ってたが、いったい何を配るつもりなんだ、お前ら?」
 声が届くかどうかギリギリの距離。マスターテリオンは足を止め、振り返った。
「……破壊と死と絶望?」
「ぼそっ、と小さな声の割にメチャクチャなこと呟きやがったな、おい! なんなんだよ、その疑問形の発言は! さして主義主張もなく『とりあえずやっとこっかな』ってノリでんなもんを撒き散らすつもりかよ!」
「しかし、『ヨブ記』によれば彼らの神とは気紛れに奪いて気紛れに与えしモノと……」
「いや、神とサンタさんは別物だから! 全然違うもんだから! フツー混同しねぇから!」
 もうどうしよう、教会からライカさんを連れてきて懇々と説明してもらおうか──
 もぞもぞ、と腕の中でアルが動いた。
「九郎──」
「あ、目ぇ覚めたか。でも話は後な、今はあのバカたちを思い留まらせる方法を、」
「汝、まだ気づかぬのか?」
「え?」
 気づかぬ、って何にだ?
 理解し損ねた俺の顔を見て、ふぅ、と溜め息をつく。
「……マスターテリオンの言ったことなど口から出任せだ。そもそも考えてみろ、『飛行可能の機体』という条件に拘る必要などない」
「なんで?」
「うつけ。たとえ単体では飛べぬ機体であっても、他のものを利用すればいい。飛行可能の機に便乗するなり、あのキ○ガイ博士に乗降可能の飛行物体をつくらせるなりして」
 アルの言葉に、混乱を誘発される。
「あっ──え? じゃあ、一体どういう──」
「考えるまでもないぞ、我が主。答えはとてもシンプルだ。妾はナコト写本を泣き止ます際に聞き出した。呆れるほど簡単なことだ」
「もしかして──」
 考えにくい、けれどもっとも簡単で、分かり易い解答。

「あいつらは俺たちを誘う、その口実が欲しいというだけでもっともらしい理由をでっち上げた──のか?」

「ま、似たようなことぞ」
 言って、身軽な仕草で腕から抜け出したアルが俺の横に立った。
 問うように顔を見上げる。
 ──いや。
 わざわざ問い掛けることもない、とばかりに確信に満ちた表情。
 たまらず首を振った。「やれやれ」といった気分だ。
 記憶を撒き戻す。

(──すぐそばの「絶望」を直視する。目を逸らさない。──)

 つまりはそういうことだ。答えなんて、ここに来る前から出ていた。
 「教義など関係ない。祝いたいから祝うだけだ」と言っていたし、詰まるところ奴は心底クリスマスという契機を祝いたいだけで、問題は祝い方がよく分からないってことなんだろう。「絶望こそが余の宗教」なんて嘯く奴にとって、「祝う」ということはきっと想像を越えた未知の概念に違いない。
 かつては知っていたものの、既に半ば失われた行為。今となっては満足に思い出して反復することもできない。だからこそ、あんなに間抜けでグロテスクなデコレーションに走ってしまった。ジョークでもなんでもなく、奴は必死なんだ。
 ついさっきの遣り取りに至るまで。
 倦怠に蝕まれた精神が、揺り篭から這い出そうともがいている。
 それを手助けするのか、見捨てるのか、見守るのか、何をするのかは──俺の選択だ。
 手の一本くらい、差し伸べてもバチは当たらないよな。
「まー、あれだ。こうなったら俺があいつらの骨の髄までクリスマスの何たるかを叩き込んでやりゃいいわけだ」
「地虫の如き極貧探偵が『クリスマスの何たるか』をどの程度知っているのか、妾も興味深いな」
「し、してねぇぞ! 『みんながみんな料理をいっぱいつくっていっぱい残すから今夜は残飯天国(ざんぱら)だ!』って喜んでポリバケツを漁ったりとかは!」
「どうだか──」
 笑う魔導書と焦る俺。ふたりで並んで、通路の奥に消えていった背中を追う。
 あいつは戦友(とも)だなんて、気恥ずかしいセリフを平気で言う神経はないけど。
 顔から火が出るような思いを堪えて言ってやろう。
 水臭いのはなしだ。
 クリスマスは目前。
 せいぜい楽しいパーティをみんなで考えて、みんなで実行してやろうじゃないか!
 声をかけて。肩を叩いて。笑って。少しぎこちないけれど。
 俺たちは4人で並び、同じ方向を目指した。
 すべてはMerry Christmasのために──

(了)

 

オマケ:教会のクリスマス・イヴ

 ぱぷ〜
「やあ、ジョージ、コリン、アリスン!」
「あ、リューガにいちゃん!」
「来たんだね!」
「……(もじもじ)」
 顔に傷痕の走る青年を、3人の子供たちが取り囲んでまとわりつく。
 リューガと呼ばれた青年は少しも邪魔に思う素振りもなくハーモニカをポケットに仕舞って、子供たちを構い始めた。
 遂にクリスマスが訪れた街は目眩むほどのイリュミネーションに包まれ、輝きの洪水が夜の闇を片隅へ追いやっていた。ここ、孤児の集う教会内においてさえ、ささやかなクリスマス・ツリーに飾りが施されて、テーブルには精一杯のご馳走が並べられている。
 普段でさえ明るい子供たちは、今や誰にも抑え切れないくらいにはしゃぎ、有り余る喜びをパワーに変えて撒き散らしていた。
 青年はそれを力強く受け止め、剣呑な傷痕とは裏腹の慈愛に満ちた笑みを顔に浮かべる。傷持てるがゆえに辿り着いた、傷なき者には知れぬ優しさが、傷痕さえも柔和な造作に見せていた。
 手は子供たちと戯れ、目はあたりをきょろきょろと見回している。
 彼には探している人がいた。唯一で、掛け替えのない肉親。
「あ」
 泳ぐ視線が、やがてひとりの人物を捉えた。
「姉さん──」
 青年はそちらに向かって歩き出す。
「リューガ──」
 彼の言葉に答えたのは金髪眼鏡のシスター。片手にロザリオを握りつつ、まじまじと青年の全身を見つめている。
 青年──リューガはサンタクロースに扮していた。襟や裾に白をあしらった真っ赤な服。「サンタ」という共通認識項がなければヤバい人にしか見えないが、ここは混沌とともに繁栄を謳歌する街アーカム・シティで、時はクリスマス・イヴ。ストリートにも同じ扮装の者が溢れ、室内で家族や知人を前にサンタぶっている人間は数知れず。彼の姿も、今ばかりは少しも場違いではない。
 接着剤で付けた白髭を引っ張り、照れた口振りで呟く。
「メリー……クリスマス」
 腰のあたりで子供たちも口々に叫ぶ。
「メリー・クリスマス!」
「イェー!」
「……メ、メリー・クリスマス」
 そんな光景を目にして、シスター──ライカのロザリオを握る手から、ちょっとだけ力が抜けた。
「ええ──メリー・クリスマス」
 微笑む。弟を相手にこれほど優しい気持ちになれたのは何年ぶりだろうか、と思いながら。
 髭をいじるのをやめたリューガは、依然としてまとわりついている子供たちの頭を撫で、ライカの笑顔に負けないくらい朗らかに声を上げた。
「そうだ、プレゼントを上げようか」
「プレゼント!?」
「マジ!?」
「ほんとう!?」
 期待通りの成り行きに、3人は残らず歓声を挙げ、ますます強い力でリューガにぶつかってくる。
 その勢いをいなしながら、リューガは肩にしょっていた白い袋を下ろした。
 袋の口に手を突っ込み、ごそごそと中を探る。
「なにかなっ、なにかなっ」
「メタトロン人形(1/60)とか?」
「……(わくわく)」
「ははっ! ちゃあんといいものを用意しているぞぅ」
 おどけた声を出すリューガに、きゃあきゃあ言いながら群がる子供たち。
 あまりにも平和で、平和すぎて──ライカは涙腺が緩むのを禁じ得なかった。
 おお、主よ──
 神へ祈りを捧げつつ、涙をそっと拭き取ろうと眼鏡を外したとき。
 リューガの取り出したものが目に入った。
「ほーら、これがプレゼントだっ!」

 ──手斧だった。

「ぎにゃー!!」
 絶叫とともに眼鏡を取り落とした。
「わー、『サンタが殺しにやってきた』だ!」
「殺されるー!」
「きゃー!」
 悲鳴を挙げながらリューガを離れ、逃げ惑う子供たち。
「逃げても無駄だぞぅ!」
 手斧を片手に、笑って追いすがるリューガ。
 一瞬にして地獄絵図と化したクリスマス風景に、ライカは呆然と立ち竦んだ。
 リューガ、あなたはまだ──人としての心を取り戻していなかったの?
 やがて沸々と、身の内から怒りが込み上げてきた。
 自分を的にするならまだいい。何度でも止め、何度でも許そう。
 だが! 子供たちを狙うなら。無力な者たちを己の欲望のままに蹂躙しようというなら。
「──リューガ、お前は敵だ」
 乾いた声。
 意識が研ぎ澄まされていき、ライカの精神が臨戦態勢へと変化していく。
 そのことにリューガは気づかない。子供たちも。
「待てー、待って、俺の斧の餌食になれぇ!」
「やだー!」
「いやー!」
「あははー!」
 彼らは飽きもせず追いかけっこをしていた。
 ──彼女がそのときもっと冷静だったら、違和感を覚えていたはずだ。
 きゃあきゃあ言いながら逃げ回っている子供たちが妙に楽しそうな顔をしていたこと。
 みんなそれぞれで足の速さが異なるはずなのに、ずっと固まって走り続けていること。
 大人の足を持っているのに、リューガがいつまで経っても子供たちに追いつけないこと。
 脅す口調が怖すぎず、気抜けしすぎない程度のふざけた調子に保たれていること。
 何より、手斧の輝きがやけに軽薄でピカピカしていること。
 詰まるところ、ライカはリューガがメッキの斧で子供たちを追い回している「遊び」を捉え損ねたのだ。眼鏡を外し、涙で視界が曇っていたために。
 子供たちはひと目見て斧がただのオモチャであると分かったし、袋の中にちゃんと斧とは別のプレゼント箱が入っているのを見ていた。
 距離を置いていたライカは、その存在を知ることができなかった。
 そしてそれが致命的だったのだ。
「あはは、今日はこれぐらいにしてやるか」
 自分は汗ひとつかいていないが、そろそろ子供たちが疲れる頃だろうと判断したリューガは足を止めた。
 子供たちはちょうど別室に逃げ込んだところだった。斧を戻して、本来のプレゼントを持っていってやるとしようか。
 ふと姉の方を向いて、彼女がやけに怖い顔をしているのを見て取ると、頭を掻いた。
「ごめんごめん、姉さん。余興とはいえつい悪ノリしちゃ──」
 ネタバラシは遅すぎた。

「変・神」

 湧き上がる怒りの強烈さゆえ、周囲の情報をシャット・ダウンしていたライカはそれこそ聞く耳を持たなかった。
 瞬時にして術式を解放し、「アーカム・シティの守護天使」と謳われる姿──メタトロンに変貌してリューガを急襲する。
 彼がその攻撃を躱したのは、長く修羅場を経験していたがための本能。見るよりも早く、感じるよりも速く回避行動を取っていた。
 脇を豪風が駆け抜けていき、サンタクロースの衣装がズタズタに引き裂かれる。もし直撃を食らっていれば絶命と言わずとも、ただでは済まなかっただろう。
「姉、さん……?」
 信じがたいものを目の当たりにして、リューガの思考と感情が凍り付く。
 振り向いた先に、純白の破壊者がいた。
 ずっと昔。
 忘れたい過去。
 赤い記憶。
 遥か後方へ置き去りにしてきたはずの存在が、彼を追いかけるように時を超えて現出した!
 悪夢を見る心持ちで、リューガは呟いた。
「まだ、そうなのか──姉さんは俺を未だに断罪するつもりなのか」
 凍りついた心の中で活発に蠢くモノがある。
 ──憎悪。かつて愛と呼ばれたモノのなれの果て。捨てたつもりでいた感情が甦り、彼の全身を支配する。
「誰が為の罪だと思っている──! 姉さんに──貴様に裁く資格などあると思っているのか!」
 純白に抗するには漆黒を。

「変・神」

 闇より引き出した暗い情念をまとい、ふたたび復讐の堕天使が地に舞い降りる。
 白と黒に隔たれた天使は互いに人の形を伴い、幾度と知れぬ対峙に身を置いた。
「姉さん──愛し合えないなら、せめて殺し合おう」
「私に殺意はない。リューガ──否、サンダルフォン。お前は死ぬ以上に苦しみ、後悔の中で真実を知れ」
 ふたりは構え、互いの動向を探り、力を溜めた。解き放つ瞬間を待って。
 扉の隙間からこっそり覗いている3人は、揃いも揃って溜め息をついた。
「はぁ〜、また喧嘩だよ……」
「ライカお姉ちゃんとリューガお兄ちゃん、そんなに仲悪いのかな?」
「喧嘩するのは仲がいい証拠っていうけど、あれは度を越してるよね……」
 呆れ返る傍観者たちの存在には目もくれず。
 聖なる夜もまた、ふたりは教会の破壊に勤しんでしまうのだった──


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