レザボア・キャッツ


 さんさんと陽が降り注ぐ街道をひとりで歩いていた。
 昼。散歩に出るついでにちょっと買い物をしようと寄り道した結果、思ったよりも時間が掛かってしまった。良い買い物をすることはできたのだが。
 待っているであろう相棒のことをつらつらと考えながら、事務所の入っている建物に向かう。
 昼なお薄暗い廊下を通り、狭く、やや勾配のきつい階段を上がっていく。
 事務所の前に辿り着き、鍵を引っ張り出そうとポケットに手を突っ込んだところで、苦笑した。いや、鍵は掛けてないんだった。
 前はひとりで事務所を開いていたから、出かける際は必ず戸締りをしていた。今はひとりじゃない。相棒──アル・アジフがいる。あいつだったら、どんな曲者が事務所に侵入してこようと、楽々撃退できるような気がする。
 気がするんじゃない──本当に撃退してしまうんだった。
 先の冬、何を思ったのか、こんなしょぼい建物のシケた事務所に侵入したコソ泥がいた。そのときも今日みたいに俺が出かけていて、相棒のアルが残っていたのだが、コソ泥は入ってくるなり怪しい素振りを見せたせいで、アルの奴はろくろく声もかけずに得意の魔術をぶっ放して事務所から摘み出したのだった。
 よりにもよって、窓ガラスをぶち破って。
「放り出すんならドアからにしてくれ! お前、ガラス代がいくらすると思ってるんだ? 具体的に何食分だと思ってんだコンチクショウ! 飯を抜くかクソ寒い事務所で暮らすかの二択を俺に迫りやがるんですか!?」
 と詰め寄ったところ、アルは平然として言ったものだ。
「五月蝿いわ、虚け。戯けたことをぬかす暇があったらさっさと稼いでこんか。穀潰しが」
「お前が言うかぁぁぁ?」
 ……正直、黙ってコソ泥に漁られていた方が良かったかな。貴重品なんてないし。
 苦笑を深めつつ、俺はドアを押し開けた。

 ボタボタボタ
 片手で抱えていた紙袋を取り落とし、中身が床にぶちまけられた。柔らかい食料品も混ざっているから、いくつか傷んだものもあるだろう。
 しかし、そんなことが気にならないほどの光景が、目の前に広がっていた。
 事務所の中には四人の少女がいた。
 アル・アジフ。俺の相棒。千年の時を生き抜き、ヒトの容をとった最強の魔導書。
 エセルドレーダ。ナコト写本──五千年の月日が刻まれた最古の魔導書であり、アルと同様ヒトの容を模している。かつての仇敵マスターテリオンの相棒……と言うよりは従者か、まあ、そのようなものをやっていた奴だ。
 エンネア。こいつはいろいろと説明しにくいが……まあ、縮めて言えば、パッと見では無邪気そうな少女でいて実はスゲェ危ない奴ってとこか。
 エルザ。耳がとんがっているが、和製エルフでもなんでもなくて、実のところアンドロイド。ドクター・ウェストという真性■■■■が生み出した、奇蹟のようなロボットだ。その言動には「奇蹟」と呼ぶに相応しい荘厳さはないが。
 以上、こんな感じである。
 別にこの四人がいることは構わない。アルは俺の相棒だし、マスターテリオンと争っていたのも今は昔だからエセルドレーダを敵と見做す必要はないし、エンネアもよく分からん奴ではあるが特別俺に害意はないみたいだし、エルザも、製作主のドクター・ウェストとは金輪際関わりたくないところなんだが、本人はまあいてもいいか、といった感覚である。
 問題なのは、四人がやっていたことだ。
 俺は最初見た瞬間、奴らが何をしているのか分からなかった。分からなかったものの、あからさまにヤバイ状況だとは直感した。

 まず目に入ったのはエセルドレーダ。彼女は上半身を起こし、足を伸ばした姿勢で床に座っていた。座っていると云うよりも、横になっていると云った方が近いだろうか。左の肘で身体を支え、右腕を真っ直ぐピンと伸ばしている。
 直線を描いた腕の先、右手に何かが握られていた。
 冷たい銀の輝きを帯びた銃。蒼く冷徹な意志と、狙いを過たぬ正確さを匂わせたそれは、リボルバー・イタクァ。六連式で、ロック・オンした相手をある程度追尾するホーミング能力が備わった魔銃だ。
 小さな手にイタクァをしっかりと握り締めたエセルドレーダは、その銃口を己の前に立つ者へと向けている。きつい視線を真っ直ぐに照射しながら。端整な横顔が、怒りによるものか、微かに歪んでいた。

 エセルドレーダの前にいる奴は、アル。右足をエセルドレーダの腹に乗せ、踏みつけることで地面に押さえている。左手は腰に当て、右手は斜め下に向かって伸ばしている。アルの手にもまた、握られているものがある。
 華美でありながら武骨を極めた銃。赫く兇悪な意志と、立ち塞がるものすべてを貫き徹す頑是無さを漂わすそれはオートマチック・クトゥグア。撃ち出される弾は「銃弾」という規格に収まりきらないほどの威力を持ち、強固な結界さえも打ち破る、見た目通りの強烈さを持った魔銃であった。
 エセルドレーダのイタクァと、アルのクトゥグア。それはお互いの顔に銃口を向け合っていた。静止画として見ればこれから絡み合う予定であるかのように見える二本の細い腕が、永久に交わることのない「ねじれ」を空中に生み出していた。
 アルの顔を見る。エセルドレーダよりもはっきりと、憤怒の表情を浮かべていた。無い胸を逸らし、寒々しいフラットな形状をこちらに見せつけている。
 今すぐにでも殺し合いを始めようとしているかの如き情景に混乱を禁じえなかったが、事態はそれだけに収まっていないのだからもう実に大変であった。

 エルザ。高性能で、変な語尾を除けばほとんど人間と同じようにしか見えない彼女は、アルとエセルドレーダから十歩ほど離れた位置……俺が三歩ほど歩み寄れば「よっ」と肩を叩けそうなところにいた。
 しかし、気安く肩を叩けそうにない理由が、彼女に対してもあった。
 彼女もまた、その目を向けているふたりの少女型魔導書同様、しっかりと兵器を持って立ち尽くしていたのだから。
 『我、埋葬にあたわず』。超絶■■■■科学者・ドクター・ウェストがつくり出したエルザ用の砲兵器。普段は棺桶じみた容器に収容し、どこからともなく呼び出すのだが。
 ……あ、よく見れば窓をぶち破って床に食い込んでいる棺桶が。
 ピィピィ
 なんか窓から入り込んできたっぽい白い鳥が棺桶の端に止まって、ちょこちょこと動きながら穏やかな鳴き声をあげていますよ? うわあかわいいなあ。
 だが、俺は穏やかではない事態を直視するため意識をそちらから引き剥がし、非常な現実に再び焦点を当てた。
 ディグ・ミー・ノー・グレイヴ。さっき言った『我、埋葬にあたわず』の読み方だが、とにかくエルザはそれを持ってアルとエセルドレーダのふたりに照準を合わせている様子だった。
 直撃すれば「怪我しちった、てへ」程度ではすまされないほどの威力はあるが、魔導書のふたりであれば魔術障壁を張ることで防ぐことは可能だろう。
 けれども、ちょっとでも隙を見せればもう一方が魔銃をぶっ放すかもしれないという緊張状態のせいで、ふたりに魔術障壁を張り巡らす余裕はないっぽい。
 この緊張状態が爆発して三者が撃ち合えば、エルザ以外は無事に午後のティータイムへ戻るなんてことは不可能だろう。死滅は免れても、復活までに長い時間を要するはずだ。

 あ、それと最後にエンネア。こいつは無視してもいいっぽい。
 三者から離れた事務所の奥で、俺の椅子にどっかり座って俺の机に無造作に足を投げ出している。湯気の立つカップを手に持ち、興味深そうな面持ちでアルたちの方を見やっていた。
 漂ってくる香りからして、あのカップに淹れられているのはコーヒーか……なんて分析している場合ではなく。
 こ、これは……。
「約一名を除いていきなり修羅場ってるー!?」
「あー、おかえりぃ、くろう〜」
 ズズッ
 事務所の奥でエンネアがコーヒーを飲みながら「よっす」と片手を上げる。
 状況にそぐわぬ明るい仕草が、「ああ、いつも通りだなぁ」と安心させてくれる一方で、目の前の殺伐としたシチュエーションと、このエンネアの明るい笑顔、どちらかが夢であるような非現実感に囚われた。
「九郎!?」
「大十字九郎……」
「ダーリン!」
 三人の顔が一斉にこちらを向いた。誰もが軽い驚きを表している。
 口を開いて、言葉を続けようとしたとき。
 カチリ
 トリガーを引く小さな金属音が鳴った。
 引いたのは、アルか、エセルドレーダか。判別はつかなかった。
 カチッ
 一刹那の後、すぐにもう一つのトリガー音が鳴った。
 ……緊張の糸はぶっ切られた。
 二発の銃声が、事務所内に響き渡った。

 

エンネアの御伽噺

 むかし、むかし。具体的な数字を出すと今から五十分くらい前のこと。
 あるところに……要するには大十字九郎の事務所に、四人の女の子が集まりました。
 女の子たちのうちふたりは魔導書で、ひとりはロボット、ひとりは■■■でした。
 四人は特に仲良しというわけではありませんでしたが、争い合う理由もとうになくなったとのことで、それなりに交流をして馴れ合うようになっていました。
 永年甲斐甲斐しく主の世話を焼いた実績があるだけにコーヒーの淹れ方が上手なエセルドレーダは、勝手を知ったる他人の家、とばかりにコーヒーを淹れてみんなに配りました。
「コーヒーなんぞ、妾にだって美味しい淹れられよう」
「コーヒーは燃料にならないロボ。でも折角だからいただくロボ」
「わ〜い☆」
 三人はなんだか微妙な反応を見せましたが、無愛想な主に慣れきったエセルドレーダは少しも気にすることなく席につきました。
 四人はコーヒーを飲みながら談笑に耽ります。でも、共通の話題があるようであんまりない四人の話はなかなか弾みません。
 エルザが「今日博士が……」と言おうとすれば、
 アルは「あんな■■■■の話なんぞ聞きとうない」と遮り、
 エンネアが「博士って、ドクター・ウェスト? あいつあんまり知らないんだけど、そんなに凄い■■■■なのー?」と訊き、
 エセルドレーダが「ただの■■■■です。それ以外の何者でもない」と完結させる。
 そんな調子です。

 無定形だった四人の話題は次第に形が決まってきました。
 アルのマスター・大十字九郎と、エセルドレーダのマスターテリオンです。
 このふたりは四人の誰もが知っていて、誰もが少なからぬ興味を感じています。
 ようやく話が弾んでくると、口数の少ないエセルドレーダも次第に饒舌になってきました。いかにマスターテリオンが素晴らしいかを強弁するのです。

 曰く、「お洗濯に失敗して服の繊維を縮めてしまったのに、マスターは縮こまるわたしを一瞥して『よい、気にするな』といってその服を着たの。信者たちはマスターを見て一斉に『ギャランドゥだ!』『ギャランドゥ……』『ギャランドゥ!(ギャランドゥ)ギャランドゥ!』と合唱せんばかりの勢いでざめわき出したわ。でもマスターは信者たちを一喝して『我は聖書の獣!』と叫ばれた。『法の言葉は意志(テレマ)なり、ギャランドゥもまた意志(テレマ)なり』と無理矢理な主張で黙らせてしまった。それ以来ずっとギャランドゥなままなの」
 こんな話にも敵愾心を煽られるのか、アルも負けずと強弁します。

 曰く、「九郎は阿呆のように見えて実際阿呆な奴だが、この前は感心なことに妾を遊園地に連れて行ってくれよったわ。なんだ、その、妾はあのようなところに出かけるのは初めてだったが、遊園地には妙なしきたりがあるのよのう。魔導書はアトラクションに入る前に書物に戻って、入った後に人の姿となり、場合によっては出るときにも書物に戻らねばならないらしいぞよ。面倒臭かったが、九郎がどうしてもと頼み込むから聞いてやったわい。はて、そういえば『なぜ今日連れてきてくれたのか』と訊ねたら、『アーミティッジの爺さんが新しい新聞とったから』と言っておったが、あれはどういう意味だったのだろうかな」
 とこんな調子で微笑ましく、エンネアはにこにこしながらコーヒーを飲むのでした。

 さて、そろそろ本題です。
 アルとエセルドレーダの話はだんだんと「大十字九郎とマスターテリオン、どちらがより良い主か」という方向に流れていきました。
 しかし、恋する乙女の盲目的主張は自然に平行線を描きます。
「マスターは無愛想に見えるけど優しいわ」
「ふん、九郎は『優しさ』を取り除いたら何の能も残らないくらいの男だ!」
 と相手の主張を認めることなく、自分が言いたいことだけを言います。
「マスターの■■■は普通のとは比べ物にならないくらい大きいわ」
「なにを、九郎もなかなか尋常ではない大きさぞ!」
「っていうかさぁ、アルちゃんは平均的な大きさって知ってんのぉ?」
 エンネアがときどき混ぜっ返して議論は泥沼に堕ちていきます。
「ロボー……」
 取り残されたエルザは寂しそうな瞳で両手の人差し指と人差し指を突っつき合わせます。さすがに高性能なロボットだけあって、寸分の狂いもなく人差し指と人差し指はぶつかり合います。たまに一方の爪がもう一方の爪と指の間にざくっ、と入って「ロボッ!」と呻いたりはしますが。
 ああ、涙目になってます、困り眉です。なんとも愛らしいですね。
 そんなロボ子を無視してふたりの議論はやがて険悪な空気を孕み、もはや血を見なければ終われないほどヤバげなムードが盛り上がってまいりました。
 そこで機を見るに敏なエンネアはスマートな提案をします。
「じゃあさー、ロシアン・ルーレットで決着つけなぁい?」

 なぜ「マスター、好き好き大好き」話からロシアン・ルーレットが出てくるのか、さてもの邪神も「面妖よのう」と唸るような事態をふたりはすんなり受け入れます。
 忌憚なく申すところ、エンネアはこのふたりが根っからのオバカだと思いました。
 エンネアはオバカさんが大好きです。
 オートマチックのクトゥグアではただ単に頭を撃ち抜くことしか出来ませんので、それはテーブルに置いといて代わりにリボルバーのイタクァを出します。
 チキ
 シリンダーを振り出し、銃弾を一発だけチェンバーに装填します。
 もちろん銃弾に魔術はちゃんと施されているので、人外もしっかり逝ける威力です。
 シュルン、とシリンダーを回転させつつエンネアは叫びました。
「んじゃ、始めよっか! アルとエセルの『はじめてのロシアン・ルーレット』! どちらか一方にとっては『最期のロシアン・ルーレット』なんだけどっ!」
 頭に血が昇っているふたりはエンネアのさりげない忠告を聞き流します。
 先に取ったのはアルです。ネクタイを締めて玄関から出て行くサラリーマンのように気負いのない動作でイタクァを受け取り、こめかみに当て、銃爪を引きます。
 カチン
 セーフ、です。アルは無事生き延びました。
 引き続いてエセルドレーダ。彼女は徐行しない車が跳ね上げる泥水をサッと飛びのいて避けるサラリーマンのように華麗な仕草でアルからイタクァを取り上げると、銃口をこめかみにくっつけ、銃爪を引きました。
 カチン
 これもまたセーフ、です。
 あとは同じようなことが繰り返されました。
 奇数回はアル。
 偶数回はエセルドレーダ
 四度目の空転の後、アルにイタクァが回って、いよいよ五発目が……

 カチン
 最後の、セーフ。
 アルは勝ち誇った笑みを浮かべ、銃身を掴んで銃把をエセルドレーダに向けます。「さあ、受け取るがよい」と無言の重圧をかけます。
 対するエセルドレーダの顔は心なしか青ざめています。
 「いつも無表情、でもマスターの前でだけ……きゃっ(はあと)」というキャラクターの彼女もさすがにこれはヤバイと知ったのか。
 二分の一のアウト率で引いたアルも大したものというか、神経ぶっといなぁ、ですが、百パーのアウト率で銃爪を引くのはただの自殺志願者です。「オートマでロシルー(ロシアン・ルーレット)やろうぜ!」と言い出す脳天パッパラパーと大して変わりません。
 アルの差し出すイタクァの銃把を、エセルドレーダの手が握りました。震えているように見えたのはエンネアの気のせいでしょうか?
 湧き上げっているであろう恐怖を表情にほとんど出さないまま、エセルドレーダは銃口を己のこめかみに突きつけます。
 まさか続行するとも思ってなかったようで、エルザは慌てて「やめるロボ! 若い身空でそんなことしちゃいけないロボ! 死んで花実が咲くものかロボ!」と止めに入ります。
 いやあ、全然若くないのですが。
 それで、アルの方はというと、引き止める素振りなんかちっともなくて、むしろエセルドレーダをせせら笑っている様子です。ちゃんちゃらおかしいみたいです。小さなお臍で茶を沸かしそうです。
「はよう引かんかい。ふん、なんだ、マスターも腑抜けなら魔導書も腑抜けか」
 嘲笑が、エセルドレーダを衝き動かしました。

 ズイ
 真っ直ぐに、何の躊躇いもなく、銃口をアルの顔に向けました。
「!」
 驚きながらもアルは右手の甲でイタクァを弾き、射線を逸らします。
 エセルドレーダは表情を殺したまま、ふたたび銃を向けようと手を動かしますが、もちろん黙ってそれを許すアルではありません。
「この、戯けぇ!」
 蹴りました。蹴り飛ばしました。ヤクザキックです。
 実年齢が千歳とはいえ、見た目はか弱い少女です。それがよりによってヤクザな蹴りです。
 アブドゥル・アルハザードも冥界で泣いていることでしょう。
 倒れるエセルドレーダを睨みつけつつ、アルはテーブルを探ってもう一つの魔銃を引っ掴みます。クトゥグア。「オートマなんでロシルーに使えないや」とエンネアが無造作に置いていた分です。
 アルは仰向けに倒れたエセルドレーダの腹部へストンピングを降らせますが、エセルドレーダは「ぐ」と呻いただけで堪えると、左肘を立てて上半身を起こしました。
「ナコト写本ッ!」
 右足でエセルドレーダの腹を踏んづけたまま、アルは叫びます。
「アル、アジフ……」
 エセルドレーダも掠れた声で相手を呼びました。
 そして、ふたりの少女の細っこい腕が宙を交錯し……それぞれの持っていた銃を、それぞれの顔に向かって突きつけました。
 静止。時間さえ凍りついたように、ふたりは固まりました。
 一触即発です。
「ふたりとも、やめるロボ!」
 エルザの叫びに続いて、何やら凄く重そうなモノが事務所の窓を突き破る音がしました。  見れば、黒っぽい棺桶が床にめり込んでデン、と存在を主張しています。
 エルザは棺桶の蓋を開け、中から丸っこいフォルムのメカを引っ張り出しました。
 『我、埋葬にあたわず』。収束した波動で一気に何もかもを吹き飛ばすことができるかと思えば、拡散した波動で複数の標的を自動追尾しつつ撃ち落すことのできる、なんだか悪い夢を見てるような超級レーザーガンです。サイズもなかなか大きいです。
 それを、銃を突きつけあっているふたりに向かって照準し、割と必死な口調で訴えました。
「さあ、ふたりとも銃をおろすロボ。さもないとこの『我、埋葬にあたわず』をぶっ放すロボ。下手するとふたり仲良く跡形もなく消えるロボ。それがイヤなら銃を捨てるロボ」
 アルとエセルドレーダの様子を見てみましょう。
 まったく頓着していません。エルザの声が聞こえていないようです。
 なんだかふたりの世界に入っちゃってます。「先に撃て、死ぬのはお前だ」みたいな空間です。もう「世界には自分と目の前のこいつしかいない」って感じでもあります。
「ロ、ロボー」
 物の見事に無視されたエルザは泣きそうになります。
 そもそも彼女、ここにいる意味ってあるんでしたっけ?
 緊張状態はどれくらい続いたのでしょうか。エンネアは座る場所を大十字九郎専用の椅子に移し、自分でコーヒーのおかわりを淹れて、ふたりの決着の行方を観戦することに決め込みましたが、待てども待てども開戦の狼煙は上がりません。
 そろそろ退屈しそうだなー、などと思っていたとき、ようやく合図が出ました。
「約一名を除いていきなり修羅場ってるー!?」
 おわり。

 

 アルが頭を仰け反らせた。エセルドレーダの身体が弾んだ。
「があ!」
「けうぅ……」
 アルが一歩二歩と後ずさ……って、イタクァとクトゥグアにしてはなんか演出がすごく地味のように見えたのだが。
 なんか、ふたりのダメージも思ったより少ないっぽいし。
 アルは腰が抜けたようにストンと膝を着くと、そのままズルズルと倒れ込んだ。
「あー、大丈夫だよ、九郎。どっちも催眠魔術を施しただけの、一種のダミー弾だから。いまごろふたりともあっちの世界にトリップしちゃってると思うけど」
 エンネアは明るく言ってのける。なるほど、道理で平気な様子をしていたのか。
「何があったのか知らんが……マジでビビっ」
 たぜ、という続きの言葉を打ち消したのは、俺の三歩前方で発した緑の光。
 『我、埋葬にあたわず』が発動していた。
「だあああ!? なんでお前まで撃ってんだよ!!」
「あわわ、ついうっかりロボ」
「ついうっかりですむかぁぁぁ!!」
 ふたりはすっかり気絶しているようで、ピクリとも動かない。
 こんな状態で魔術障壁なんか呼び出せるわけがない。
 俺が疾走ったところで、『我、埋葬にあたわず』を破壊することも、ふたりを助けに行くことも叶わない。打つ手なしだ。
 絶望する俺をよそに、『我、埋葬にあたわず』の砲口から強い光が放たれ──倒れ伏すアルとエセルドレーダに向かっていった。
 不意に影が。ふたりの間から疾走り、『我、埋葬にあたわず』のレーザーに真正面からぶつかっていく。
 黄土色のゼリー塊。うねる触手。見た目に反して機敏。

「ダ……」

「ダンセイニィィィィィィ!」
 ダンセイニ──アルが呼び出したショゴスが、光に飲まれた。
 途方もない熱量が、ダンセイニのゼリー状の体を圧倒していく。
「てけり……」
 沸騰するようにゼリーが泡立ち、やがて、弾けた。
「……り……」
 それは断末魔か。
 ブワンッ
 熱波が四方に散った。
 両腕を顔の前にかざし、耐える。
「くそ……くそ、くそ、くそっ! ダンセイニッ! ダンセイニィィィ!」
 喉が嗄れるほどの勢いで叫んだ。応えはない。腕を下げ、ゆっくりと目を開ける。
 いまだ倒れたままのアルとエセルドレーダを中心に、事務所のありとあらゆるところに、ダンセイニの破片……断片……かけらが、飛び散って付着していた。
 腕が妙にヌルヌルする。
 持ち上げて、見る。
 黄土色のゼリー塊が、腕の至るところにこびり着いていた。
「ダンセイニ……」
 呟く俺を無視するかのように、ゼリー塊はボトリと床に滑り落ちた。
 呆然とする。
 なぜ、紙に戻らないんだ?
 今までアルの呼び出したモノが敵に打ち倒されることは何度かあったが、その際はいつも紙に戻り、少しの修復期間を置けばまた呼び出せるようになっていた。
 だのに、ダンセイニは己を部屋中にぶち撒けたまま、一向に元に戻る気配がない。
「そ……そんな……そんなっ!」
 そんなバカな話があるか、あってたまるものか!
 両手で顔を覆った。

(てけり・り)
 あの、何を言っているのだかよく分からない声が耳に甦った。
(てけり・り)
 うねうねと気持ち悪い動きが網膜に甦った。
(てけり・り)
 うっかり触ってしまって、思ったより温かかった感触が掌に甦った。
(てけり……)
 あの断末魔が。

「う……うあ……あああああっ!」
 喉の奥から自然と嗚咽が漏れた。止めることはできない。
 俺は膝をつき、ただ溢れるがままに任せ……
「くろう……」
 エンネアの声。
 肩に、手の乗る小さな圧力がかかった。
「あれ……ダンセイニが……」
 その言葉に、覆っていた手をどけて前を見る。

 ズルズル
 ズルズル
 ズルズル
 ズッ……

 床を這う黄土色のゼリー塊。その数は無数。粘着質な音を立て、移動している。
 塊が向かうのは、ダンセイニが『我、埋葬にあたわず』の砲撃を喰らった地点。
 進みながら、隣の塊と合流し、大きく膨れて、また隣の塊と合流し……
 気がつけば、ひとつの大きなゼリー塊が誕生していた。
 それはもちろん。
「……! ダンセイニ! ダンセイニ! ダンセイニィッ!」
 がばっ
 俺は無我夢中で抱きついた。
 両腕、腹、胸、顔の全体にぶよぶよと生温かくも柔らかい感触が押し付けられる。
「てけり・り」
 輝かんばかりの美声が、耳元で囁かれた。

 

後始末

「争う理由がなくなったからってさ、遺恨というか、根っこに『こいつ嫌い』って思う感情はなかなか消えないでしょ? そういうのはズパッと発散させちゃえばいいんだよ」
 つまり、エンネアの企みはそういうことだった。
 なんとなく馴れ合うムードが流れ出したアルとエセルドレーダだったが、どうも前の戦いで引きずるものがあって最後の一線を越えられず、中途半端な仲になっていた。
 それをもどかしく思ったエンネアが、「いっそふたりとも怒りをぶつけ合わせちゃえば」と考え付いて、今回のレザボアな一件を画策したんだとか。
「弾が一番最後に来るように回すのは簡単だったけど、問題はエセルドレーダが最後に行動するかに掛かっていたんだよね。最初に銃を引っ掴むのはアルの方だってのはふたりの性格からして予想できたし、エセルドレーダに『生か死か』を持ち込むとこまでは楽だったの。あたしの睨みからして、エセルドレーダは『マスターを残して逝けない』と躊躇うだろうし、アルが『はよう引かんか』と強要するだろうことは確実だったのよ。でもね……アルの押し方次第ではエセルドレーダが引いてた可能性もあるんだよね。まあ、それならそれでアルもエセルドレーダの侠気、というか魔導気? みたいなのを認めるんじゃいかなー、と思ったり思わなかったり」
 こんなことをしれっと言ってのけ、少しも反省する様子を見せなかったのだから頭が痛い。
 エンネアの目論見通り、ふたりの仲が急に進展したかというとそうでもなくて、まだお互いの腰が引けたままのような付き合いが続いていた。エンネアの企ては効果がなかったのかもしれないが、まあ、ふたりの仲が壊れることも途切れることもなくすんだようだし、よしとしようかな?
 それに何より……俺はあの騒動の中でかけがえのない思いについて気づくことができた。
「な、そうだよな、ダンセイニ……」
「な、汝ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 妾ととも生き、妾とともに戦い、なのに妾を捨て、よりによってショゴスに走る気かっ!?」
「じょ、冗談に決まってるだろ、おい、アル、やめろ、その手を下ろ……」
「てけり・り」


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