嗤う導魔衛門


「ふふふ、わたし、エセルえもーん」

 空白。
 視界が白く染まっていき、脳内の時間が停止した。
 カチリ、コチリ。秒針が時を刻む音がやけに大きく響く。
 ……新しい酸素が巡ってくるにつれ、視界は色を取り戻した。
「ナ、ナコト写本!? お主、何を言っておるのだ!?」
「えーと、どう反応していいんだか分からないんだけど」
 うららかな午後の事務所。エセルドレーダはノックもせずに扉を開け室内に入ってくるや、開口一番に意味不明なセリフを吐いた。
 すわマスターテリオンの謀略か、と意気込んで立ち上がった俺とアルの腰が砕け、思い切り脱力感を味わう羽目となった。
 へなへなと腰を下ろしつつ、俺はエセルドレーダに尋ねた。
「……で、何の用なんだ」
「わたしは真実に気づいてしまったのよ」
 なあ、これって会話になってないよな?
 頭痛に悩まされながら、辛抱強く重ねて尋ねる。
「で、何の用なんだ」
「すべては邪神の企てたことだったのよ」
 えーと、それは知ってるけど……
 輝くトラ(中略)したことにより、俺たちはアーカム・シティでの平穏な日々を取り戻した……はずだったんだが。
「あのことならもう終わったであろうが」
 アルが素っ気なく言い返す。
「違うわ。あれは終わりじゃなくてむしろ始まりだったのよ」
 自信たっぷりにエセルドレーダは断言した。
「何が言いたいのだ、ナコト写本。はっきり言うがよい」
「つまりね、わたしは知ってしまったの。……わたしが魔導書ではないことを」
「へっ?」
「はぁ?」
 意味の取れない言葉。
 栓を開けっ放しにしたコーラのごとく、気の抜けた返事をするアルと俺。
「今さら何をぬかすか。お主はバリバリの魔導書であろうが」
「それが邪神の謀略だったってわけよ」
「わけよ、って……」
「幾度もの永劫をマスターとともに生き抜いたわたしでさえ、今の今まで気づけなかった。実に巧妙に仕組まれた罠。あなたたちが知らなくてもおかしくはないわ」
 なんだか俺たちを置き去りにして、エセルドレーダの話は前へ前へ進んでいく。
「で、お前が魔導書じゃないってんなら、いったい何だって言うんだ? 実は人間だったとか?」
「真逆! どこの世に五千年も生きる人間がいるというのだ!」
「ええ、そう。わたしは人間ではないわ」
 勢い込んで反論したアルの言葉に、あっさりと同調するエセルドレーダ。
 毒気を抜かれたのか、アルは黙って腰を下ろした。
「ふん、じゃあなんだと申すのだ、ナコト写本。阿呆の戯れ言はあまり聞きたくないが、聞いてやろうではないか。さっさと申せ」
「ヒトを阿呆とは酷いことを言うわね。それにその尊大な態度。ここまで育ちが悪かったなんて」
「ほっとけ! それにお主はヒトではなかろうが!」
「そうね」
 さっくり頷く。
「ふう、なんだか疲れてきよったわ……」
 心なしか、アルの身体がぐったりとしているように見える。
 それを横目に、俺は訊いた。
「で、もう一度聞くけど、魔導書じゃないってんなら、いったい何なんだよ」
「ロボット」

 即答。
 ふたたび視界が白く染まっ
「阿呆かお主は!」
 ていくのをアルの叫びが遮った。
「ロ、ロボットだぁ?」
 唐突すぎてわけが分からない。
「ええい、紙魚でも湧いたのか!」
 どんっ
 テーブルに踵落としを食らわせながら、アルが吐き棄てる。
「どうでもいいけどアル、足を乗せないでくれ」
「はん!」
 魔導書が黙殺。
「いいえ、わたしはまったくもって正気よ。正気でもって気づいたの。自分が、人よりつくられし存在……ロボットであることに」
 言って、笑みを浮かべる。
 柔らかく、温かみのある笑顔で、とても今までのエセルドレーダと同一のモノとは思えない。
 さながら悪夢を見るような面持ちで、「へええ」と気の抜けた返事をしてしまった。
 アルの方はというと、返事もしたくないのか紅茶を啜っている。
 視線もエセルドレーダから外し、遠くを見ていた。足は依然テーブルに乗せたままだ。
「実はね、一冊の書物を読んだの」
「書物?」
 本が本を読むというのもおかしな話だな。
「書物とな? いったい何を読んでそのような妄念に駆られたのやら」
 視線をエセルドレーダに戻しつつ、アルが尋ねた。
「これ」
 即座にエセルドレーダが本を差し出した。
 それは。

 青。
 蒼。
 藍。
 アオく、ずんぐりと丸みを帯びたマヌケ面のキャラクターが、白い球体状の手をアッパーカットのように突き上げ、怪異なる微笑みを浮かべてカバーの大部分を飾っている。傍らでは眼鏡をかけた情けない雰囲気の少年が吸盤のついた小さなプロペラを頭に乗せてふらりと飛んでいる。
 上部には「てんと○虫コミッ○ス」とあり、その下にデカデカと本のタイトルが記されていた。
 これって……
「『ドラ○もん』じゃねぇか!」
 日本では国民的なマンガとして有名な一作。知名度が高いおかげでパクリネタをかましても大抵通用するので、汎用性の高い作品ではあるが、版権の問題からいささか扱いが難しいことでもよく知られている。
「これを読んで、自分がロボットだと?」
「イエス。わたしは22世紀からやってきたゴス型美少女ロボット・エセルえもんだったの」
 ゴス型って。しかも自分で美少女とか言ってるし。
「遂に紙が腐り始めたか……」
 同類ゆえか、アルの言葉には非常に強い憐憫が篭っていた。
 それにしてもテーブルに乗せた足はいつどかすのか。
「わたしがなんでも出来たのは魔術ではなくて秘密道具のおかげだったの。考えてみれば魔術はいろいろと制約が多いし、ああまでうまくやれるのは不自然だったのよ」
 物凄い牽強付会だなオイ。不自然なことをこなすからこそド凄い魔導書なんだろうが。
「しかし、『ドラ○もん』ってんなら四次元ポケットはどうなるんだ?」
「………」
 気のせいか、エセルドレーダは見下すような(実際には身長の関係で見上げているのだが)目で俺を見ていた。周りの空気までも、軽蔑を孕んだように冷ややかなものとなっていた。
「……卑猥」
 ぽつっ、と呟いた。
「え?」
 聞き返すや否や、ぷいっ、と横を向く。
 卑猥って……。
「……だああああ、そういうことか、そういうことかよ!」
 納得した。納得したが、それは違うだろうが!
「マスターのあれだけの大きさのモノを易々と飲み込めるのは前々から妙とは思っていた。でも、わたしに四次元ポケットが付いていたのだと考えれば、説明はつくわ」
「あんまりついている気がしません、はい」
「こ、こらー! お、お主はなんてことを言っておるのだ!」
 遅れてエセルドレーダの言ってる意味が分かったアルは真っ赤になって怒鳴った。
 ようやく足をテーブルから下し、憤然と立ち上がる。
「慎みがないにもほどがあろうぞ!」
 アルは片頬を歪めて腕を組むや、のんびりと紅茶を啜るエセルドレーダを糾弾する。
 いや、っていうかいつの間に茶が? 用意した覚えはねぇぞ。
「じゃあ、聞くけどアル・アジフ。あなたは少しも疑問に思わなかったの?」
 ことり、とティーカップを置いた。
「はぁ!?」
 赤くなりながらも、はっきりと疑問の声をあげるアル。
「あなたも大十字九郎を易々と受け入れることができたのでしょう?」
「………!」
 もはや言葉を失ったのか、頬を紅潮させたままアルはぱくぱくと口を開けたり閉じたりした。
 いや、あれはどう考えたって「易々と」と形容できるようなもんじゃなかったぞ。
 というツッコミを入れるのも気恥ずかしくて黙っていたら調子付いたのか、エセルドレーダは席を立って歩み寄り、ぐぐっ、とアルに顔を近づけた。
「ふの!?」
 思わずのけぞってしまうアルに向かってなおも言葉を重ねる。
「おかしいでしょう? わたしとあなたみたいに小柄な体躯の者が、マスターや大十字九郎のようにひと回りやふた回りは大きい人のモノを、余すところなく、悠々と、咥え込めるだなんて」
「はいはい、そこ、いい加減に猥談はやめような」
 それに、「余すところなく」って、無茶苦茶余っていた気が……。
「……確かに」
 ああ、そうだよな、アル。って。
 え?

「確かに、変だ」

「だあああああああ!? あっさり詭弁じみた口車に乗せられてる!?」
 そんなバカな!
 お前は仮にも外道の叡智をてんこ盛りした魔導書だろうが、訪問販売員や実演販売員以下の安っちいコトバ・マジックに引っ掛かんなよ!
「おいアル! なに巫山戯た話をまともに聞いてんだ! 気を確かに持て! このままだとおまけでもう一本付いてくる高枝切りバサミを売りつけられるぞ!」
「アル・アジフ。確かに真実を知ることには様々な痛みやショックを伴うわ。高枝切りバサミや布団圧縮パックや怪しい牛皮七点セットをついうっかり買ってしまうどころの話ではないわね、クーリング・オフも利かないし」
 エセルドレーダは手を頬に付け、ふう、とため息をひとつした。
「でもね、あなたは仮にも『最強』を謳っているのでしょう? それを反故するの? ダンボール箱に詰められた仔猫みたいに怯えていてはダメ。ダメダメよ。あなたはアブドゥル・アルハザードの意志を継ぎ、正しく真実に気づかねばならない」
 エセルドレーダの笑みは懐柔するように甘かった。
 反対に俺の気持ちは苦かった。
「耳を傾けるな。どうせマスターテリオンが仕掛けたくだらん悪戯だっての」
「九郎……」
 アルの弱々しい瞳がこちらを向く。
 燃えるように赤かった顔は、もはや蒼白に変わっていた。
「大十字九郎の言葉を信じてばかりでいいのかしら? 何もかもについておんぶにだっこなんて、そんな姿勢で『最強』を謳えるの? 主に拠りかかる生き方が、あなたにとっての幸せなの?」
「アル!」
「妾は……」
「両の目をしっかり開けなさい。見ていたい夢は閉ざしなさい。あなたが見るのは真実だけでいい」
「妾は、妾は、妾は……」
「しっかりするんだアル!」
 強く肩を揺さぶるが、俺の声は届いていない様子だった。
 アル? どうしちまったんだよ、おい! こんなバカバカしい冗談を真に受けているのか?
「アル、アル!」
「あなたは魔を断つことができても、真実まではどうすることもできない」
 勝ち誇るような笑みがエセルドレーダを飾った。
 アルがゆっくりと口を開く。

「妾は……ロボット?」
「そうよ」
「妾は、ロボット……」
「ええ」
「妾はロボット」
「イエス」
「妾はロボット!」

 らわろぼっと、ろぼっと、ぼっと……
 叫んだ。
 響いた。
 谺した。
 俯けていた顔を上げる。ぶわっ、と髪が跳ねる。
 まるですべての迷いを吹っ切ったかのような晴れ晴れしさが、そこにあった。
「はっ!」
 跳躍んだ。
 ズパッ
 風切り音を立ててトンボ返り。難なく着地してポーズを取り、朗々とした声で見栄を切る。
「妾こそは未来の天才科学者、アブドゥル・アルハザードがつくりしヒトガタ! 千年の永きに耐え、遂には最強の領域にまで達した美少女ロボット! どんな夢でも叶えてみせる無敵で素敵で知的に外道なマシーネン! デウス・マキナと同じ刃金の身体と鋼鉄の精神を持つモノなり!」
「ようこそ、すばらしき新世界へ、アルえもん。でも最後の『ナリ』は余計よ、コ○助とかぶるから」
「ああ、清々しい気分だ……これが、これこそが『すべてを知る』ということか」
「イエス、同志。あなたは今こそ真実に辿り着いたのです。コングラッチュレーション」
 へー、そう、ふーん。
 なんだか、ひどく無関心な自分がいた。
「わたしがゴス型ならば、あなたは白ゴス型」
「ナコト写本……」
 アルの唇をエセルドレーダの指がそっ、と押さえて、言葉を遮った。
「水臭い呼び方をしないで。わたしの名前はナコトえもん」
「ナコトえもん……」
 ああん? さっきまでエセルえもんとか言ってなかったか?
「わたしとあなたは科学の子、人類の叡智の結晶。十万馬力や百万馬力は当り前、蒸気機関が湯気を噴き、灼熱の動力炉が轟々と猛るように唸りを上げる。混沌の代わりにナノ・マシーンが這い回り、ほとんど生物の領域に達し、やがては超える。向かうところ敵なし、正に天下無敵の金属体よ」
「ナ、ナコトえもん、ひょっとして『カタカタ、ピー。計算結果ガ出マシタ』とか言って細い穴開きの紙を出したりすることもできるのか? 妾はあれがいっぺんやってみたくて」
「簡単よ、そういうステロ・タイプでロースペックげなマシーンの真似ならすぐにでもできるわ。コツはカタカナで喋ること。でもあまり長いと読みにくいから短めに、漢字も交えて。それと、今まで魔導書のページを出すのと同じ要領でパンチを入れた紙も出せば、ホラ、コノ通リ」
 言いつつ、エセルドレーダの指先から「細い穴開きの紙」とやらが出てきた。
 カタカタカタ、ピー。
 御丁寧に効果音付きだ。
「おっ、おおっ、おー!」
 子供のように浮かれ、はしゃぐアル。
 よかったな、アル。
 投げ遣りに思いやってみる。
「家事手伝いにはいささか不安が残るところだけど、夜伽をさせたら適うものなどないわ。生命の限界もなんのその、エレクトリカルな刺激で何度でも萎えた穂軸を甦らせて夜の二十四時間耐久マラソンを走り続けるのよ。ゴールなんてないわ」
 うわあい、それはたのしみだなあ(棒読み)。
 もういい、お前らは好きに戯れていろ、俺はダンセイニと遊んでいるから。
「なあ?」
「てけり・り」
 うねうねと黄土色のゼリー塊が震える。これはきっと肯定の証だろう。
 さて、どんな遊びをしようか……。

「ちょぉぉぉぉっと待つのであーる!」
 ギャイーン
 開け放したドアからギターの音が響いてきた。
 あーあ、よりにもよってイヤな奴が混ざりにきやがった。
「この、超、大、天、才! ドクタァァァァァァァァァウェェェェスト! を差し置いてロボ談義とは実に寂しいではないか。お邪魔しにきたのである」
 入口のドアをトントンと叩き、叫ぶ。
「九ー郎ちゃんっ、あーそーぼっ!」
「でえええい! 普通に喋ってても聞こえるから大声出すな! つーかお邪魔すな! 本当に邪魔だ! 帰れ、顔面崩壊サイエンティスト!」
「おおう、なんだか誉めてるんだか貶してるんだかな言葉で歓迎ありがとうHAHAHA!」
「貶してしかいねぇ。当方に■■■■をもてなす用意なし! いいから、渇かず飢えずさっさと警官どものとこ行ってエルロイも真っ青な手厚い歓迎を受けてきやがれ」
「残念ながらこのドクター・ウェスト、マゾの気はないのである。ポリースに手錠と警棒で責められて『畜生、いつか必ずロック・ユー!』と悦に入る趣味はナッスィング。ただ単にアイダホの大地で鍛えられたこの身体が打たれ強いだけである」
 知るか。
「五月蝿い■■■■だな、ナコトえもん」
「まったくとんだ■■■■だわ、アルえもん」
 なんだか息が合ってるな、お前ら。
「ふん、この世界でロボットを語るからには欠かしてはいけないものがあるのであーる! それこそ、この大天才たる我輩の血と汗と涙と尿の結晶、全知全能を傾けた集大成! 愛しき強き荒々しき戦いの女神、闘神の娘、その名も高き……エルザァァァァァァ!」
 ギャリギャリギャリギャイーン
 ■■■■がギターを掻き鳴らす。
 そして。

「博士うるさいロボ」
 げし
 入口に留まっていたドクター・ウェストを、一本の足が蹴り倒した。
「おぅち!」
 びたん、と地面に這いつくばったドクター・ウェストを踏みつけ、一つの影がズカズカと室内に侵入してきた。
 ドクター・ウェストが生み出した奇蹟、「ロボット三原則」のアシモフも草葉の陰で泣くアンドロイド。
 エルザ。
 いつも通り、トンファーを手にしていた。くるくる回して弄んでいる。
「ダーリンどこロボ?」
 きょろきょろ。右手で庇をつくって部屋中を見回した。
「ぬぁぁぁぁぁぁ!? 踏んでる、エルザが踏んでる! この、生みの親である我輩を! 反抗期か!? いかん、いかんぞエルザ、孝行心の大切さについては昔、孔子という奴が……」
「博士だまってるロボ」
 ドヅッ
 バカデカい棺桶が五月蝿い■■■■を沈黙させた。
「さてロボ」
 なんにでもロボをつけんと気がすまんのか。
「ダーリン、久しぶりロボ。元気してたロボ?」
「ダーリンはよせ、それに久しぶりって三日前に会っただろうが」
 路上でドクター・ウェストと鉢合わせになって、ボコボコにした際に。
「言葉の綾ロボ。細かいこといちいち気にしてたら大きくなれないロボ」
「俺はもう充分に成長してるっつーの」
 天国の父さん、母さん、丈夫に生んでくれてありがとう。
 と、今は亡き両親に感謝を捧げることで現実逃避を図ったが、果たせなかった。
「ところで博士はああいったけど、さすがにエルザは尿が結晶化してなんてないロボ」
「え? ああ、すまん、あいつのセリフはデフォで聞き流す仕様になってるんだ」
「万が一、ダーリンにスカトロ趣味があったらどうしようかと思ったロボ」
「ねぇ、そんな趣味はねぇ!」
 嘘っぽく聞こえるかもしれないが、一応強く主張しておいた。
「これ、そこのクズ人形、何しに来よったのだ」
 険を込めた声色で尋ねるアル。自分がロボットだと思い込んでるせいか、エルザに変な敵愾心を抱いているようだった。
「ふぅぅ〜ロボ」
 溜め息にも語尾がいるのか、お前は。
「クズはどっちロボ。『秘密道具』とか『四次元ポケット』だなんてありもしないものを信じるなんて度し難いロボ。よっぽど頭の中身がスクラップになってるロボ」
「な、に……!」
「………!」
 部屋の隅から隅までに闘気が張り詰めた。じりじりと焦げるような緊張感が漂う。
 えーと、俺、そろそろ逃げた方がいいかな?
 迷っている隙にエルザが言葉を続けた。
「『ドラ○もん』なんて所詮は弱者の思想に過ぎないロボ。科学の道を舐めてるロボ。科学はもっと地道でもっと延々としてもっと厭々としたもんロボ。何十年もの研究が一瞬にして白紙になりかねない、そんな殺伐としたムードがいいんロボ。『ドラ○もん』如きに目を輝かせる女子供はすっこんでるロボ」
「言わせておけば……!」
「秘密道具の制裁を受けるがいいわ、エルザえもん」
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
 書き文字じみたプレッシャーが部屋を包んだ。
「変な名前で呼ぶなロボ。お前たちにはしっかりロボットのなんたるかを叩き込んでやるロボ。授業料はダーリンに支払ってもらうロボ」
「お、俺が!?」
「主に身体で払ってもらうロボ。ぽっ」
「『ぽっ』じゃねぇ! つか、『主に』ってことは他にも何か払わせる気かよ!」
「そのへんについては契約書の隅にちっこく書いとくロボ」
 うわあ、詐欺臭ぇ。
「さておきそっちのバカどもは覚悟するがいいロボ。……『我、埋葬にあたわず』」
 いきなりぶっ放した。
 緑のレーザー光線がアルとエセルドレーダのふたりに襲い掛かる!
「はん!」
「ふふ」
 キィィィン
 ふたりはそれぞれ片手を掲げ、余裕で魔術障壁を張った。
「秘密道具が一、」
「ひらりマ○ト」
 なぜか交互に喋る。
 レーザーは障壁に沿って逸れ、窓ガラスを突き破ってお外へ抜けた。
 砕け散るガラス。光り輝くレーザー。広々とした青い大空。
「わああ、キレイ……虹みたい、って、んなわけあるかぁぁぁ! お前ら、俺の事務所を破壊するんじゃねぇぇぇ!」
「今度はこっちの番よ」
「来るロボ!?」
 連中は悲しくなるくらいこっちの話を聞いてなかった。
「秘密道具が二、」
「空○砲」
 アルとエセルドレーダが手と手を重ねる。
「「どかん」」
 斉唱するや、ふたりの手に圧縮された空気が集結し──
 ばぼうッ
 砲弾と化した大気がエルザに襲い掛かった!
「ちぇすとーロボ!」
 咄嗟にエルザは近くのものを盾にした。転がっていたドクター・ウェストだった。
 着弾。
「けばぶっ!」
 奇怪な悲鳴を挙げて吹っ飛ぶドクター・ウェストの下を匍匐するような低い姿勢で潜り抜け、エルザはアルとエセルドレーダのふたりに肉迫した。
 ひゅんひゅん
 両手のトンファーが唸る。曲線的な軌道を描き、宙に読めない文字を刻む。
「ほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらーロボ!」
「くっ!」
「たぁぁ!」
 げいんげいんげいんげいんげいんっ
 エルザの猛攻にシールドを展開して凌ぐふたりだが、徐々に押されて後退する。
「ここは……」
「二手に分かれるぞ!」
 叫んで、ふたりは左右別々の方向に散った。
 どっちを追うべきか、エルザは一瞬迷ったようだが、跳躍が控え目だったアルの方に迫った。トンファーを振り下ろす。
「めぇぇぇんロボ!」
「けやぁ!」
 キシィン
 両手にシールドを張りつつ、アルは真剣白羽取りの要領でトンファーを挟んで掴んだ。
「甘いロボ」
 カチッ
 トリガーを引いた。途端にバチバチッ、と白光が生じる。
 確か電気ショックだったか、あれ?
「くああ!」
 シールドで防ぎきれなかったのか、両手をトンファーから放し、よろめいて尻餅をつくアル。
「もらったロボ」
 すっ
 トンファーを頭上の高くにピンと掲げ、
「ふしゅっ、ロボ!」
 一気に振り下ろすエルザ。
 スイカ割りでもするように、一切の容赦なくアルの脳天目掛け……ってさすがにこれはやばくねぇ?
「アル!」
 叫んで止めに入ろうとした俺を、横にいた影が静止した。
「手出しは無用よ、大十字九郎。それにあの娘はもうアル・アジフではなく、アルえもん」
「え? は? お、お前、いつの間に!?」
 俺の質問を無視してエセルドレーダは魔術を唱え、見えない衝撃をエルザに叩きつけた。
「かふっ!」
 アルの脳天に一撃を加えようとしていたエルザが吹っ飛び、壁に向かって行く。叩き付けられる直前にくるっ、と膝を抱え込むように丸まった。
 とんっ
 壁を蹴り、エセルドレーダの方へ、つまり──俺の方へ宙を疾走してくる。
「いつの間に背後を取ってたロボ? 視界には入らなかったロボ」
 俺と同じような質問。今度はエセルドレーダもちゃんと返答した。
「秘密道具が三、」
「と、通りぬけフー○」
 よろよろと覚束ない足取りで立ち上がりながら後を継ぐアル。
「……って、単に床ぶち抜いて階下を移動してこっち来ただけじゃねぇか!」
 床に空いた大穴を見つけて頭を抱えた俺は、思わず説明的な口調で叫んでしまうのだった。
「とにかく喰らえロボ」
 エセルドレーダの首筋にトンファーの先端を送り込む。
 慌てず騒がず、エセルドレーダは俺の襟をむんずと掴み、
 え?
 ぶんっ
 全身を覆う浮遊感。
 重力の支配を強制的に外された俺は、元気良く空中を飛んでいた。
 まっすぐ、エルザに向かって。
(目算:ランデヴーまであと一秒ほど)
「ダーリン、何するロボ!?」
 いや俺の意志じゃねぇって。
「秘技、人間ロケット」
 ポツリ
 エセルドレーダが呟いた……ってもう全然秘密道具関係ねぇだろこれ!
(目算:ランデヴーまであと○.五秒くらい)
『あぶないぞ! 飛行物体、急には止まれない』
 なんだか変な標語がふっと浮かんでは消えた。
 俺とエルザはお互い、どうすることもできず、そのまま──
(目算:ランデヴーまであと○.一秒)
 ──ぶつかるしかなかった。

 ブチュウウウ

 怪異なる衝突音、というかこれは……。
「───!?」
 唇を覆う柔らかい感触、触れるのは鋼の冷たさではなく、意外にも肉の温かさであった。
 唇と唇が、重なり合っていた。
 無論、俺とエルザの。
「………!!」
 エルザの目が見開かれ、その瞳にぎょっとした表情の俺が映り込む。
 時間の流れがとてもゆったりと引き伸ばされて行った。
 ぶつかっただけでは飽き足らず、更に余ったエネルギーがぐいぐいと俺とエルザの頭を押し込み、えぐるようなキスを強要する。その一瞬一瞬が、確かに知覚される。
 やがて唇との接触が痛いくらいになったころ、身体の他の部位も衝突を開始した。
 肩と肩、胸と胸、腰と腰、脚と脚……二枚の紙をぴったり重ね合わせるようにぶつかり、それでもなお余ったエネルギーがモーメントを生んで……俺たちはもつれ合うように絡まって落下した。
 ドンッ
 衝撃で息が詰まり、目の前に星が回った。
「う〜、ててて」
 ゆっくりと戻っていく視界に、エルザの姿が映った。
 俺を組み敷くように馬乗りしていた。
「………」
 呆然と、唇を指で撫でている。目は見開いたままだ。
「………」
 つられて俺も黙り込む。
 静寂が耳に痛かった。
「……た、ロボ」
「え?」
「ダーリンにキスされたロボ」
「え? は? いや、待て待て待て」
 今のはどう考えたって純然たる事故だろーが。俺の作為なんて一片だに介在する余地はありませんでしたよ?
 そりゃあ、まあ確かに、
「柔らかかったな……」
 とは思ったが。
 あれ?
 今、俺、言葉に出して……?
「ダーリン……」
「いや、待て! 熱い吐息を出すな! 握り拳を口元に寄せてふるふるさせるな! 涙目になって俺を見るなぁぁぁぁ!」
 言われてそっ、と視線を外すエルザ。
 いや、なんとか冷静になってくれたのか。
 と楽観的な見方をして胸を撫で下ろすのも束の間。
 すっ……
 滑るように飛来したエルザの手が、俺の手を握った。
「もう、離さないロボ……」
 ぎゅっ
「いでででででで! ち、力込めまくってんじゃねぇよ!」
「このままお持ち帰りさせてもらうロボ」
 ぐいっ、と引っ張られて股の間から抜け出した俺は、そのまま脇に抱えられた。抵抗の余地は一切なし。流れるような一連の動作であった。
 すっくと立ち上がり、立ち竦むアルとエセルドレーダを無視してエルザは部屋の戸口へすたすたと歩いて行く。
「おいおい、俺は弁当じゃねぇっての! テイク・アウトするなって!」
 じたばた暴れるが、エルザの膂力は並大抵ではなく、ちっとも逃れることができない。
「はあ……アル、なんとかし」

 人間は、あまりにも巨大な恐怖と直面したとき、言葉を失う以外に手立てがない。

 噴火寸前の活火山の如く、怒りのマグマを今にも爆裂させようとしているアルの姿を前にして、俺は言語を始めとする一切の意志表現行為が不可能になった。
 ただひたすらに、恐怖のままに、身体をうち震わすのみ。
「汝等、そんなに世界の終末を目撃したいのか、そうかそうか」
 ゆらりゆらり、自らの怒りを持て余したように身体を左右に揺らし、アルはぶつぶつと呟いた。
「まさか九郎がそんなクズ人形に惹かれるとは思わなんだな、なに、千年生きた妾にも世界はまだまだ不思議をいっぱい隠し込んでるということか。なるほど、痛感されられたわ」
 言葉とともに、膨大な量の魔力がアルへ一点集中していく様がよぉぉぉぉぉっく見えた。
 嫌になるくらいはっきりと、まざまざと、勘違いの余地をまったく抜きにして。
「然るべき滅びを与えよう。今日、この時点、この場所でもって世界を一つばかり終わらせてやろうかのぅ?」
 ギラッ
 視線が鋭い刃となって俺の心臓をぐりぐりいじり回した。
「ひぃぃ」
 情けない悲鳴が口の端から勝手に漏れる。片手で押さえるが、空気の漏れるようなひゅーひゅーした音は喉の奥から奥から次々に漏れ出てくる。
「嫉妬は醜いロボ」
 ボソッ
 エルザの無造作な一言。
 なあ、「火に油を注ぐ」ってよく言うよな? あれを更に強調したいときは「火にガソリンを注ぐ」とか言ったりするわけだが、そんな表現すら生温いときはどうすればいいんだろう?
 教えてアル先生!
「クズ人形、多量のニトログリセリンをどうもな。ここまで来ると怒りも心地良いものよ」
 やっぱり教えてくれなくても良かった。
 後悔する俺をよそに、いよいよアルに集う魔力は尋常の域を外れていく。
 あたりが暗く淀み、窓の景色が異様にねじ曲がったうえ、なんかバチバチ放電現象まで発生し始めた。ここはもう異界ですか。春も山も愛も日常もすべて死にましたか。
「秘密道具が終、地球○壊爆弾」
 一人で全部言った。いつの間にかエセルドレーダの姿はなくなっている。
 逃げた?
「愛とは打ち倒して蹴散らして勝ち取るもんロボ。こっちも容赦なんてしないロボ?」
 ぎゅぃぃぃぃぃん
 俺を降ろしたエルザが『我、埋葬にあたわず』を操作し、光を集約させる。部屋が一層暗くなった気がした。
 注意がこちらから外れた機を逃さず、俺は脱兎の勢いで逃げ出した。恥も外聞もなく、必死だった。
「死ぬがよい」
「それはこっちの台詞ロボ」
 言い合う声を背にして、破壊された窓に向かって身を投げた。ぐんぐんと近づく地面に受身を取る準備をする。
 彼方で、閃光と爆音が炸裂した。
 重い振動が心臓にまで響く。
 なんとか無事に受身を取って着地した俺は顔を上げ、もくもくと黒煙を吐き出す己が事務所に目をやった。
「はぁ……」
 目を逸らし、ため息。その微かな喘ぎを掻き消すように、事務所の方から新たな爆音が鳴り響く。
 なんというか、とても予定調和的な結末に辿り着いてしまった自分が不憫だった。あの爆発から逃れられただけでも不幸中の幸いではあるが、しかし、俺が何をしたというのだ?
 秘密道具をせしめて悪用したわけでもなく、アルがエセルドレーダのムチャクチャな話を真に受けて、そこにタイミング悪しく■■■■とホンマモンのロボットがやってきて、アホらしい口喧嘩の末に戦闘モードに入り、事故でその、エルザとぶちゅーっ、と。
 いや、事故だっての、事故! なのにアルの奴、それを変に勘違いしてブチキレやがって……。
「ああ、畜生! ど う す れ ば い い ん だ ……」
「安心なさいな、大十字九郎」
 背後からの突然の声にびっくりしつつ、慌てて振り向いた。そこにいたのは無論のことエセルドレーダ、それに……。
「ら・ら」
「……ルルイエ異本?」
 金と紫のオッドアイ少女が、いつも通りの異装でエセルドレーダの横に立っていた。
「いえ、この子はわたしとアルえもんの妹──ルルえもんよ」
「あん・あん・あん」
「妹なら『ルルミ』じゃねぇのかとか、いろいろツッコミどころはあるが今はあっさりスルーしたい気分だ」
「この子はオイルの底の底、比重が重すぎて空間すらねじ曲げるほどの怪異を孕んだ部分を使用されただけに、対人コミュニケート機能は不全気味なの。その代わり対神ネゴシエイト能力は超一流、どんな邪神だってナシつけて召喚してみせるわ」
「とっても・かみさま」
 法悦境に片足を突っ込んだような表情でオッドアイ少女は呟く。
「ってか、邪神なんて召喚されても人類的にいろいろ困るんだが」
「ふふ、大丈夫。ヨグ=ソト、否、『どこで○ドア』は条件が厳しいから使わない。アルえもんとエルザえもんの決闘を鎮圧するに足る程度ですませるとしましょう。さ、ルルえもん、いきましょう」
「いあ・ふにゃ○ふにゃ○」
 すたすたすた……
 脇を通り抜けていくふたりの少女を止める気力は、もはや俺には残されていなかった。

 爆音は一昼夜に渡って響き続け、その音が止むまで俺は公園のベンチに座ってぼんやりと鳩に餌をやっていた。

 

後日談

「九郎、ドラ焼きはどこだ?」
「あー、はいはい」
 うららかな午後の事務所。俺はアルとエセルドレーダ(本人にはアルえもん、エセルえもんと呼ばないと怒られる)と一緒に茶を飲んでいた。
 机の引き出しからドラ焼きを掴み出し、ふたりの前に置く。
「ふう、これがあってこそ茶を飲んだ気にもなるというもの」
「ええ、そうね」
 不思議とババ臭く見えるふたりを眺めつつ、ぼんやりと手元のドラ焼きを弄んだ。
 あの日。激しい爆発の連続によって事務所はビルごとグチャグチャにされたが、戦いに決着はつかなかった。
 エルザは退いた。
「ダーリン、また来るロボ!」
「二度と来んな!」
 そして、エセルドレーダはいつの間にか馴染んだように復旧した事務所へ来るようになっていた。
 今日はマスターがどうしたのと、アルを相手に茶飲み話に耽る。
 不気味なくらいにふたりが打ち解けたのは嬉しいが、なんともいえない気分である。
 それと、たまにエセルドレーダが連れて来るルルイエ異本が、出された茶にもドラ焼きにも手をつけず、それどころかソファに腰掛けることすらせず、ただ石像のように固まってじっと虚空を直視しながらぶつぶつ何かを唱えている様は夢に見そうなほど怖かった。
 できれば連れて来て欲しくないのだが、エセルドレーダは俺の言葉に耳など貸さず、しっかりと手を繋いでオッドアイの少女を引っ張ってくるのであった。たぶんイヤガラセなのだろう。
 エセルドレーダが帰ると、アルは押入れの中に引っ込む。
 復旧の際にわざわざ自作した押入れであり、一日をそこに収まって過ごすのだ。
 なんだかなぁ。
「って、思わないかダンセイニ?」
「てけり・り」
 ベッドのお役御免となったゼリー塊生物がふるふると蠢いた。
 そこに──
「大十字九郎、勝負するのであーる!」
 ギャイーン
「ダーリン、また来たロボ!」
 表通りから伝わる近所迷惑な騒ぎ声。
 俺はため息をつき、振り向き、一瞬迷った後、押入れに声をかけた。

「アルえも〜ん」


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