「紙葉の家」
   /マーク・Z・ダニエレブスキー(ソニー・マガジンズ)


 2月に読み、「今年の残りでこれを超える本に出会えるだろうか」と考えたが、どうしてもそういった状況を想像することができなかった。

 一ページから圧倒され、読み終わる頃には「凄い」以外の評価を思いつかなかった。それ以外のすべての言葉を根こそぎ奪われたような気分だった。

 ザンパノという孤独な老人が遺した原稿、そこには実在しないフィルムについての論文が延々と綴られている。断片となって部屋中に散らばっていた原稿を掻き集め、綜合し、一つにまとめようと試みる青年・トルーアントは、原稿を読み進むにつれ、周りの現実が崩壊していくような感覚に襲われる。「五分半の廊下」を覗いたら、世界はもう優しい顔をしてくれない。闇の中に潜む、視界の端の曖昧な対象のように不鮮明な存在が、黒い爪と暗い牙を振るって鉤裂きの傷を刻み付ける。病んで行くトルーアントの結末は。

 「この紙葉をめくるもの、一切の希望を捨てよ」。『神曲』のパロディめいたキャッチコピーが帯に躍っているが、これがなかなか冗談ではない。「外側よりも内側の壁の方が長い」という、あからさま過ぎて矛盾というより単に狂気じみているシチュエーションをもとに、スティーヴン・キングばりのモダン・ホラー性を煮詰めていく……と、これだけならまだ普通のフィクションで済んだ。けれど、この「内側の冒険」を描いた「ネイヴッドソン記録」なる非在のフィルムに陰影と残響を施すため、わざわざ実在・架空の資料を取り混ぜて膨大な補足と脚注まで付したザンパノ、その文章を更に補強するためあれこれと補注を加えながら、ついでに急速におかしくなっていく日常を書き留めるトルーアント、このふたりの熱情と狂気が物語に異様な厚みを持たせる。

 補注が物語をおっぽり出して独自のストーリーを展開し、紙の中の文章は縦横無尽・傍若無人に散らばり、辞書のようなこんまい字で書かれている箇所があるかと思えば、一ページに1、2行、ひどいときには10字も載せない箇所もある。計算し尽くされ狙い澄まされた混沌。読むことを一つの「体験」と呼びたくなる、そんな一冊。


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