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リレー小説「魔法少女忌譚修」(第13話−10/12)


2025-03-30.

マンガ大賞2025、大賞作品は売野機子「ありす、宇宙までも」(コミックナタリー)

 おっ、知ってる漫画だ。『ありす、宇宙(どこ)までも』は宇宙飛行士を目指す少女が主人公の青春漫画です。主人公「朝日田ありす」は両親が英語と日本語、両方喋れるバイリンガルの子として育てようとした結果、英語も日本語も中途半端で周りとの会話が困難な「セミリンガル」になってしまった。会話に難儀するだけで、地頭は悪くない、だから何にだってなれる。そう指摘されたありすは、問題を克服して「宇宙飛行士になる夢」を目指そうと決意する――という、「夢に向かって努力する」頑張り屋な少女を描くシンプルな物語だ。「マンガワン」というアプリで配信されていて、「これの1話目を読んだらSPライフ(漫画を読むためのアイテム)あげるよ」というミッションがあったからSPライフ欲しさで「じゃあ1話だけ」と読み出したところ、止まらなくなってしまった。売野機子作品はどことなく「通向け」という印象があったけど、これは個性を出しつつエンタメ要素もしっかり押さえていて読みやすい。協力者となる少年「犬星くん」との距離感も絶妙で、ラブコメに頼らず話をまっすぐに盛り上げてくれる。とにかくありすの直向きさが可愛くてオススメです。まだ3巻が出たばかりであまりストックが貯まってないが、これもいずれアニメ化するんじゃないかな。

Leaf、Key設立メンバーと振り返る「90年代美少女ゲーム界」最前線──『ときメモ』に挑んだ『ToHeart』、伝説の名曲『鳥の詩』制作秘話、時代を変えたKeyの「泣きゲー」etc……あの時代の“熱狂”に迫る(電ファミニコゲーマー)

 「下川直哉」と「折戸伸治」の対談という非常に貴重な記事です。今は「Key」の方で有名だけど折戸はもともと「Leaf」に所属していたんですよね。折戸のLeaf時代は私もよく知らないので興味深く読ませてもらった。下川が「TYPE-MOONの奈須さんやニトロプラスの虚淵さん」と具体的な名前を挙げているが、このふたりがLeafの『痕(きずあと)』をプレーして「アダルトゲームってこういうのもアリなんだ!」と衝撃を受けた話はあまりにも有名です。さすがに時間が経っているからか二人とも結構ぶっちゃけており、下川が「鳥の詩」に対して「腹立つわ〜」「うちから出て行ったあとに当てとるな〜」「いい曲すぎて悔しかったですね」とコメントしているのは微笑ましい。Leafを立ち上げて3作目の『雫』が当たるまでは「生活的にかなり苦しかった」とコメントしているのはまぁそうだろうな、と。『DR2ナイト雀鬼』や『Filsnown』の頃からLeafに注目していた筋金入りのオタクは葉鍵好きの中でもかなり少数派でした。対談の中でも語っているが、『DR2ナイト雀鬼』なんて2500本出荷して700本しか売れなかったそうだ。当時はWindows95が上陸する前で、エロゲーの売上が下降気味になっていた「谷間の時期」だからというのもあるのかもしれない。

 「『同級生』や『ときメモ』のような、青春っぽいもの」というコンセプトで制作されたのが『ToHeart』だというが、驚くことに開発がギリギリで「社内でテストプレイして意見を交わしたり」するようなこともなかったという。バクチみたいな制作体制で唖然とする。そういえば下川はホワルバ2も丸戸史明にだいぶ好きにやらせていたけど、当時から割とこういう放任主義だったんだな。折戸は代表曲である「鳥の詩」について語っているが、当初予定していた歌手は「Lia」じゃなく、別の人が歌うはずだったけど急遽キャンセルになって、「ロサンゼルスのスタジオでレコーディングをすることは決まっていた」からたまたまスタジオにいたLiaが歌うことになったという……エロゲーのシナリオでも「御都合主義」と言われそうな展開だ。ちなみに「鳥の詩」はフルだと6分くらいあるんですが、ゲームのOPでは3分程度に縮められたショート版が使用されており、更にTVアニメでは1分半に編集されたバージョンが採用されているので、人によって「鳥の詩」のしっくり来る長さはバラバラだったりする。私はやっぱりゲームで使われたショート版が一番馴染みますね……。

 ほか、面白いトピックは「下川は若い頃に結婚式場でバイトして、式の進行に合わせて照明変えたり音楽流したりしてたおかげで『どういう曲をどういうときに流せば人は泣くか』の感覚が掴めた」とか「Steamは審査が厳しい」「審査を担当する人によっても基準が変わってくる」とか「『3Dキャラの踊るシーンで胸が揺れている』と指摘されてボーン(骨組み)を外して再審査の依頼をしたら『まだ揺れている』と返ってきた(目の錯覚?)」とか、いろいろあるので是非目を通してみてほしい。

『BanG Dream! Ave Mujica』、最終回に当たる第13話「Per aspera ad astra.」が放送されました。

 マイゴとムジカのライブ回であることは次回予告の時点で判明していましたが、本当に最初から最後までずっとライブ! 開始前の掛け合いとかMCとかムジカ特有の寸劇もありますけど、それ以外はひたすらずーっとライブシーンです。なんと途中CMすらナシ、ぶっ続けでやっています。本来ならCM入れる枠にまで本編を押し込んでるから最終話だけ27分ある(いつもは24分弱)。スゴい真似するな、本当に……感覚としてはほとんどFILM LIVE(ライブシーンだけで構成されたバンドリの劇場版作品)です。ムジカはこれまでライブのことを寸劇含めて「マスカレード」と呼んでいましたが、もう仮面外しちゃってるし「仮面舞踏会」という形式にこだわらなくてもいいかな、ということなのか今回は「ミソロギア(神話)」と称している。「私の神話になって(はぁと)」→なった。

 尺の限界まで詰め込んだ曲は5曲。構成としてはマイゴの曲を2つやって、それからムジカの曲を3つやって終わり。1曲ずつ交互にやるのかな、と予想していたけど、あまり頻繁に舞台が切り替わると没入できないからかシンプルに「ライブを見せる/ライブで魅せる」内容となっています。マイゴがやった曲は「聿日箋秋」と「焚音打」。一曲目、「聿日箋秋(いちじつせんしゅう)」は祥子を想って歌ったと思われる新曲。「聿」は筆、「箋」は紙……祥子に毎日付箋でメッセージを送っていた日々を振り返り、わかれ道の先でまた交差することを願ってこれからも歌い続けると決意表明する歌だ。ギター勢の愛音と楽奈が向き合ってギターを弾いた後に背中合わせになるシーンがいいですね。燈が歌っている後ろをトコトコ歩いて定位置に戻る楽奈も地味に好き。「ここ好き」ポイントはイントロで映される「MyGO!!!!!」のロゴと、ギターヘッド視点から見た愛音ですね。ファンサしてたせいでコーラスに入るのが遅れて慌ててマイクに向かう愛音をジト目で見るそよや呆れた顔をする立希もスゴくイイ。MVも公開されているが、「新しい風に吹かれてた」でCRYCHIC解散の悲しみから足踏みしていた燈の手を愛音と楽奈が引っ張っていくところが最高。二曲目の「焚音打」は「たねび」と読ませる。発表済みの曲ですが、アニメでやるのは始めて。こちらはマイゴのメンバーに向けて歌ったような曲ですね。「『焚き』つけられない」「『燈り』火」「ほ『らあな』」「『そよ』ぐはずのない風」「『ア』ン『ノ』ウ『ン』」とメンバー全員の名前を歌詞に織り込んでいる。隙あらば目立とうとファンサに励む愛音の姿に呆れる立希が相変わらずイイ味を醸しています。新曲の「聿日箋秋」はシングルが発売される予定ですが、カップリングとして「掌心正銘(しょうしんしょうめい)」なる新曲も収録される模様。「曲名の読みがクイズみたい」と言われるマイゴの中でもっとも読みやすい曲名ではなかろうか。

 視点が切り替わり、今度はムジカのミソロギアへ移る。マイゴとは大きく異なる広々とした会場「G-WAVE」。MyGOの13話でムジカが「Ave Mujica」という曲をやったところですね。Ave Mujica、アニメのタイトルでもあってバンド名でもあって曲名でもあるのでややこしい。私は詳しくないのでただの受け売りだが、構造的に「Kアリーナ横浜」(キャパ2万人)がモデルとなっているらしい。4月にそこで合同ライブを開催予定だからその兼ね合いもあるのかな。演奏した曲は「八芒星ダンス」と「顔」と「天球(そら)のMusica」、なんと全部新曲です。「八芒星ダンス」は繰り手のいなくなった操り人形みたいなパフォーマンスからいきなりド迫力の曲が始まる。「八芒星」はサーカスのテントの「放射状の天井」を表しているらしいが、「ベツレヘムの星」のイメージも混ざっているようだ。比較的短い曲なのですぐに終わるが、これまでライブであまり激しいパフォーマンスをしていなかったモーティス(睦)が結構積極的に動いていて明瞭な「変化」を感じます。まさかギター回しまでするような子になるとは……あとにゃむが猫のポーズを取るところ、一時停止してよく見ると髪先の影が瞳に掛かって猫の瞳孔みたいになっているのがわかって「細かい!」と唸った。歌詞が聞き取りづらいので、字幕表示できる環境の方は一度聞いた後に字幕見ながら聞き直すのがベター。「顔」は初華の舌打ちから始まる挑発的・嘲弄的なソング。何せ「顔」、シンプル過ぎていくらでも意味を汲み取れるが、英題は「Alter Ego」(別人格)とかなりストレートな曲名になっている。海鈴のプリケツがやたらと印象に残る一曲だが、モーティスキックが前半のラーナキックと照応している演出が心憎い。睦ちゃん、習い事でバレエやってるおかげもあって体幹は抜群なんですよね。森みなみは母親として睦ちゃんを愛することはなかったけど、その才能を見抜いて「将来役に立つこと」はしっかりやらせていた。いろいろと複雑な気分になる事実だ。

 ラストを飾る「天球のMusica」……の前に挿入される寸劇。「人間に捨てられた人形たち」が「欺瞞に満ちたパラディースス(楽園)の騎士」になっています。「忘却の女神」と化したオブリビオニスとそれに忠誠を誓う4人の騎士。「黙示録の四騎士」をイメージしているのかしら。ムジカ再結成に乗り気ではなかった祥子を担ぎ出す他の4人という10話の内容を脚色したような筋立てだ。満を持して始まるトリ、「天球のMusica」はムジカの代表曲であり集大成とも言われる「Ether(エーテル)」を意識した一曲というか、ほぼ「Ether」のアナザー版ですね。「人は忘れてく」「いつかは消えてく」と歌詞だけ見ればかなり後ろ向きな諦念を湛えた曲のように思えるが、奏でられる音は美しく、「それでも」「だからこそ」という非常に前向きな意志が漂っている。「Ether」の「決して忘れてはいけない」という歌詞に対して否定的な曲のようにも感じられるが、作詞したDiggy-MO'が語るところによれば「Ether」は「巡り巡る輪廻と因果を魂が悟り、次第に一面のハイライトに溶け込んで、やがては消えていくイメージです」なので、イメージとしては「永遠」だけど「不滅」ではない、忘却と消滅の果てに合一が訪れる……という「宇宙規模の巨視で見下ろす輪廻」になっています。月や星といった天上のモノ、遥かな存在に比べれば地上のアレコレは風に吹かれて舞う塵芥の如きモノでしかないが、砂粒のような己でも手を伸ばし続ければ「星の鼓動」を享受することができる。BanG Dream(夢を撃ち抜く)というプロジェクト名に相応しい、総決算めいた曲に仕上がっていて普通に感動してしまった。晴れ晴れとした顔で歌い上げる初華に惚れ惚れとする。「女神を守る騎士」を女神の方こそが守護している、という倒錯を暗示するとともに閉幕(カーテンフォール)。

 締め括りはマイゴの挨拶。ライブ終了後、センターを奪取すべく行動した愛音のせいで燈と手を繋げなくなった立希が「お前なぁ……」という顔をするところも好きです。愛音ちゃんは部外者なのに巻き込まれまくって可哀想だったから、これくらいの役得はあっていいよね。手繋ぎバンザイのシーンで端っこだからと片手だけ挙げて済ませているそよりんも本性隠す気ゼロで笑っちゃった。いろいろ激動しまくった結果、「睦とモーティスに尺を喰われまくって海鈴とにゃむが割を食った印象が強いな……あとまなちゃんの扱い……」という感想に落ち着いたAve Mujicaであるが、最後に最高のライブが見られて満足――と余韻に浸りかけていたところで「It's MyGO!!!!!」「Ave Mujica」アニメ続編シリーズの制作が決定というニュースで何もかも吹っ飛びましたわ。来てほしいとは願っていたが、もう少し時間が掛かると想像していただけに最終回のタイミングで発表してくれたのは超嬉しい! 想像でしかないが、It's MyGO!!!!!放送時はまだAve Mujicaしか予定がなくて、放送後の手応えから急遽続編が決まったのではないか。国内だと「そこそこ」止まりながら、中国語圏で異様なくらいヒットを飛ばしましたからね。「向こうでは二次創作が盛ん過ぎて、まるで東方プロジェクトみたいになってる」って話もありますし。羽丘に転校してきたばかりの愛音ちゃんが話しかけたクラスメイト3人組にまつわるネタまであるというんだから凄まじい。

 「続編シリーズ」という表現から察するに、恐らくIt's MyGO!!!!!やAve Mujicaと同じくTVアニメとして放送する予定だと思います。ガルパンや『プリンセス・プリンシパル』みたいな劇場版連作の可能性もあるが、それなら「続編劇場化」って書くだろうからたぶん違うでしょう。クール数については、1クールか2クール、少なくともそれ以上ってことはないはずです。仮に2クールだとしても分割になるでしょうね。バンドリのTVシリーズは「Ave Mujica」が5期目に相当するので、ひとまず通算6期目が確定したことになります。無印バンドリが1〜3期目、MyGOが4期目、Mujicaが5期目という内訳で、6期目がマイムジの続編なわけだから「マイムジ系列の長さが無印とほぼ並ぶ」勘定になります。「ほぼ」と書いたのは、バンドリのTVシリーズは基本的に1クール13話構成なのですけれど、無印の1期目はOVAとして水着回に当たる第14話が制作されているため他より1話多いからです。告知動画を見ていただければわかりますが、OVA「遊んじゃった!」はガールズバンド要素がキレイに消え失せていて「バンドリにもこんな時代があったんだ……」と驚くこと請け合い。Roseliaの設定が固まっていなかった頃に作られたのか、今視聴するとかなり違和感があって逆に面白い。しかし、これで「マイムジの続編」が2クール以上だった場合は明確に「無印よりもマイムジ系列の方が長くなった」ことになるな……「プリティーリズムよりもプリパラの方が長くなった」みたいな現象だ。

 古くからのファンは「無印バンドリの続き」を熱望し、「ムジカが終わったら再び香澄たちが主役の4th Seasonをやってくれ!」と祈っていたわけで、そういう人たちは「マイムジの続編」と明言されて嘆いているかもしれません。なお「無印」「マイムジ」と呼び分けているが、バンドリのTVシリーズは一貫して「同一世界の物語」をやっているから両者で大きく設定が異なるというわけではない(制服のデザインをマイナーチェンジしたり舞台となる校舎の設備を新しく作ったりなど、細かい部分でリファインしているところはある)。ただ、無印は「ポピパ」こと「Poppin'Party」のメンバーが主役みたいなポジションだったのに対し、マイムジはポピパのメンバーがカメオ出演的にチラッと出てくるシーンこそあるものの完全に脇役に回っており、作品としてのムードが全然違います。「キラキラドキドキ」がモットーだった無印に比べ、マイムジは露骨に「ギスギスドロドロ」だったし……いや、無印も結構すれ違いによってギクシャクするシーンが多くて「ギスギス」なところはあったし、マイムジもラストはちゃんと「キラキラ」してたから完全に塗り分けされているわけじゃありませんが。

 しかし、冷静に考えると無印バンドリの1期目が放送されたのって2017年ですからもう8年前、3rd Seasonすら2020年で5年くらい前です。マイムジから入ってきた新規層が旧作に興味を抱いてサブスク等で視聴する流れも発生していますが、「4th Seasonを制作するよりも素直に『マイムジの続編です』と謳った方が反響は大きいだろう」とブシロ側が考えるのは至極当然のことだ。なので既存ファンを納得させるために「つれづれポピパ」というポピパにフィーチャーしたショートアニメを作ることで埋め合わせしてるんだと思います。「つれづれポピパ」、それに全52話のショートアニメ(実質ピコシリーズの新作)、トドメに「マイムジの続編」と、ブシロは社運を賭けてバンドリ!プロジェクトを推しまくっている。今はそのことを寿ぐとしよう。まだまだ大ガールズバンド時代は終わらない……!

 続編が来るのは早くて来年の秋頃、順当なら再来年の春頃かしら。告知PVは内容について細かく触れていないが、「ぜんぶ……自分のために、自分の想いを書いてきたっ……」という燈とおぼしきセリフ(モノローグ?)と「…わかってる。ムジカにふさわしい歌詞、絶対、書くから」っていう初華(初音)っぽいセリフが出てくることを考えると、「燈と初華(初音)」を対比させる狙いでマイゴとムジカが引き続き主役ポジションに収まることが予想される。年度を跨ぐと細かい設定の擦り合わせが大変になるから燈たちは高校1年生のままじゃないでしょうか。後述するが「ムジカが9月に解散して10月に再結成した」という無茶なスケジュールになっているのも、続編のストーリーを押し込むために「本当は年明けくらいに再結成って流れにするつもりだったけど年内へ前倒しにした」んじゃないかと疑っている。新キャラや新バンドは出てくるかもしれません。

 そして何より気になるのが「北欧ロケ敢行」、PVに映っている街はヘルシンキ(フィンランド)、オスロ(ノルウェー)、ストックホルム(スウェーデン)で、「北欧三国のどこか」ではなく「北欧三国のすべて」が舞台になる可能性が高まってきました。バンドリはこれまでぽぴどり(劇場版)でグアムに行っていますし、愛音はイギリス留学の帰り、祥子はスイスに行かされそうになるなど「海外」を意識した展開があったが、TVシリーズでここまで大掛かりにやるのはもちろん初だ。ちなみに8話の珈琲店で出てきたバイト店員「若宮イヴ」は「母親がフィンランド人」という設定なので何らかの形で絡んでくるかも。一番扱いが気になるキャラは「sumimi」の「純田まな」ですが……初華のパートナーなのにろくな出番がなく、「尺キツいしこの子は続編の方でどうにかしよう」って途中で放り出したんじゃないかと邪推してしまう。合同ライブにも出演するくらいなんだからもっと優遇してほしいぜ。「森みなみ」とか「豊川清告」とか「豊川定治」とか、そのへんはもういいかな……「豊川の恐ろしさ」なんていうフレーバーを掘り下げるくらいなら燈ちゃんの幼なじみの「みおちゃん」とかを出してほしいです。あともうAve Mujicaみたいなライブ感重視の展開は控えてもらえるとありがたいかな……話の前提を何度もひっくり返されるのはさすがにしんどかったですから。

 余談。MyGOの頃から「作中の日付設定ってどうなってるんだろう?」とずっと気になっていたので、この機会に少し整理してみます。MyGOの1話目、愛音が羽丘に転入してきたとき教員が「もうすぐゴールデンウィークですが」と言っているから4月の終わり頃と推定できます。で、MyGOだとこれ以降は日付を特定できる明確な手掛かりがほとんどありません。7話のライブでもポスターに書かれているのは開催時間だけで何月何日なのかはまったく書かれていない。具体的な日付を書いちゃうと「えっ、このときのポピパやアフロって〇〇してたんじゃない?」ってガルパとの矛盾が生じてしまいかねない(マイムジで描かれている年はアフロの解散話が出ていた時期だからそのへんかなりセンシティブだ)から、辻褄合わせの労力を省くために割愛しているんだろう。日付考証って地味な割にひたすら手が掛かりますからね。

 MyGOの10話を機にキャラがみんな夏服に衣替えしているので、9話までは春――5月頃だったと推定される。で、衣替えした10話からが夏で、概ね6月頃。最終話の13話、Ave Mujicaのマスカレードにてようやく「7月25日(土)」と日付が明示される。カレンダー的には2020年がベースか。にゃむが「お披露目ライブ」と言っているので、この日がムジカの正式なデビューと見做していいだろう。祥子が「初華」に「全部、忘れさせて……」と電話したのが5月の下旬くらいで、6月中にメンバー集めが終了し、そこから1ヶ月くらい掛けてデビューの準備をしていたことになる。Mujica1話目は通学シーンがないことを考えるとまだ夏休み期間中、8月の終わりぐらいかもしれない。2話目は通学シーンがあるので9月になっていると思います。で、Ave Mujicaの解散が9月20日。曜日は書かれていないが2020年ベースと考えれば日曜日ですね。そして最終回で描かれたMujicaのミソロギア(ライブ)は10月18日(日)。解散から4週間後、つまり5話〜13話は一ヶ月足らずの間に起こった出来事ということになります。5話でモブが「ムジカ解散してから一ヶ月くらい経つよね」と言っていたことや6話で海鈴が「あれから一ヶ月」と発言していたことを考えると辻褄が合わないし、ライブの準備(段取りの打ち合わせ・会場の手配)やチケットの販売期間を考慮するとミソロギアの日付設定は本来もっと後ろ、12月か翌年の1月ぐらいにするつもりだったんじゃないか? でも急遽続編が決まって、「途中でクリスマスの話を入れたいから新作の話は11月スタート、Ave Mujicaのアレコレは10月で終わったことにしよう」みたいなことを考えた結果タイムスケジュールがおかしくなってしまった……というふうに解釈しています。

 どういう事情であれ、日付が明示されちゃった以上マイムジのアニメは「愛音が羽丘に来てからざっくり半年間に起こった出来事を綴っている(当然ながら回想シーンは除く)」ことになります。内容が濃すぎて1年くらいは経過している気分になるなぁ。愛音と燈たちが知り合う前の中学生時代については日付を特定できる材料がほぼなく、大雑把に季節単位で捉えるしかない。祥子がバンドを始めるキッカケになった「月ノ森音楽祭」の具体的な開催時期は不明ですが、月ノ森に入学した「倉田ましろ」が「自分を変えたい」と願ってバンド(Morfonica)を組み、ファーストライブが不首尾に終わって「バンドってもっと楽しいものだと思ってたのに……」と不貞腐れあわや解散の危機!となるもなんやかんやで乗り越えて絆を結び直し月ノ森音楽祭でライブ、今度は大成功――って流れを考えるとそれなりに日数が経過しているはずなので、4月の終わりか5月のはじめ頃だと思われます。なので瑞穂(祥子の母親)が亡くなったのも、祥子が燈たちと出会うのも、同じく春頃。何せ「春日影」という曲があるくらいだし、CRYCHICの主な活動時期は春。最初で最後のライブを開催してから間もなく解散してしまうので、夏や秋や冬の思い出がまったくありません。初音の養父が亡くなって単身上京し、「純田まな」と出会って「初華」名義で「sumimi」というユニットを組んでアイドルデビューをするのもこの春。春は出会いと別れの季節とはいえイベントが集中し過ぎている……!

 Morfonicaがライブの予定をいっぱい詰めた夏休みに向けて「夏モニカ計画」を発動させる様子を描いた『BanG Dream! Morfonication』というスピンオフ作品があるのですが、「CRYCHICが解散した後の夏」だと思って観ると当時とは異なる感触があって味わい深い。後編の開始1分あたり、背景にそよと睦がチラッと映っているシーンがありますけど、どんな会話してるか想像すると少し胃が痛くなる。祥子も中等部を卒業するまでは月ノ森に在籍していたことになるが、その間そよに付きまとわれて相当鬱陶しかっただろうな……羽丘に行ったの、学費の問題もあるだろうがそよと顔を合わせなくて済むからという面もあったのでは?

 中学を卒業して高校に進学したところで祥子と燈は再会を果たすも、話しかけようとする燈を祥子が拒絶してしまう。そんな傷心の燈に話しかけてきたのが変な時期に転入してきた愛音だった――という形でMyGOへ繋がっていく。振り返ってみるとCRYCHICが解散した後の夏から冬にかけては空白だらけですね。解散しているんだから書くことないだろ、と言われたらそりゃそうですけど。あと祥子のクソ親父介護生活は中3の春から高1の秋まで、だいたい1年半続いたことになります。最後の方は初華(初音)の部屋に転がり込んで放置していたから実際はもっと短いか。

 整理すると、「CRYCHICはひと春しか保たなかった(最長でも1ヶ月ちょっと、短いと1ヶ月足らず)」「MyGOは愛音が動き出してから『なんで春日影やったの!』まで1ヶ月掛かっていないくらい」「『そよさんとCRYCHICやりなよ』から詩超絆のライブまでも1ヶ月掛かるか掛かってないかくらい」「『全部、忘れさせて……』からMujicaのデビューまでは2ヶ月くらい、だいたい1ヶ月程度でメンバーを集め、残り1ヶ月を準備期間に費やした」「Mujicaのデビューから解散までは2ヶ月足らず、解散から再結成までは1ヶ月足らず」って感じになる。爆速で解散した印象のあるAve MujicaよりもCRYCHICの方が短命だった(準備期間も含めるとMujicaは3ヶ月くらい保った)んだな、とわかったりして面白い。

 マイムジのストーリーはガルパから半ば独立しているためクロスする要素はあまりないが、実は作中の時期って月ノ森で「音楽祭を中止にしよう」って騒動があった頃なんですよね。昨年の音楽祭で行われたモニカのライブ(祥子が目を輝かせていたやつ)が歓声や手拍子で騒がしかった、という理由で理事長が一方的に中止を宣言してしまう。納得できないモニカの面々は中止撤回に向けて署名活動を主導します。最終的に中止は撤回され、月ノ森音楽祭は無事開催されるのですが、それがアニメの何話目あたりに当たる出来事なのか、辻褄合わせが大変だからかハッキリしていません。開催時期は春のままみたいだから、MyGOの1話〜9話の間だと思われる。あるいは愛音の転入より前にあった出来事かもしれない。ガルパでは年度ごとの出来事を「シーズン」という単位で区切っており、「戸山香澄」たちポピパのメンバーが高校1年生だった頃(アニメの1期目)がシーズン1、高校2年生だった頃(アニメの2期目や3期目)がシーズン2、そしてマイムジの出来事がシーズン3に該当します(ただしCRYCHICの結成・解散はシーズン2の時期)。月ノ森音楽祭中止騒動はシーズン3のはじめあたりに位置している。なおアニメの2期目と3期目は正確には「2nd Season」「3rd Season」と表記するのですが、バンドリファンの間だと「3rd Season」と「シーズン3」の意味が明確に違うためややこしい。改まった場以外ではなるべく「2nd Season」や「3rd Season」という表記を使わないようにするのが無難です。

 シーズン3の大きな出来事として、冒頭でも少し触れたが「Afterglowの解散騒動」がある。アフロの面々が高校3年生になったこともあり、将来や進路のことを見据えて高校在学中に有終の美を飾ろう、という話になります。アフロはプロバンドではなく幼なじみが集まって作ったアマチュアバンドなので解散したかしてないかの境目がかなり曖昧なんですが、一時ほぼ解散スレスレの状態に陥って、そこから再結成する――というのがシーズン3での大まかな流れです。再結成絡みのエピソードをやっていたのが衣替えの後だったんで、MyGOの10話あたりですね。MyGOが大変な時期に実はアフロも大変なことになっていた、という事実が明かされる(アフロの解散騒動を本格的に追及したのはMyGOの放送終了後だった)。ただ、先述した通りアフロはアマチュアバンドですから、「再結成」というのも内々の話であって対外的には「そもそも解散していない」ことになっています。もしあの夏、アフロが正式に解散を告知していたら立希ちゃんの情緒はとんでもないことになっていただろうな……。

 ちなみにガルパはソシャゲの常としてバレンタインや水着やハロウィンやクリスマスといったリアルの季節に因んだイベント、いわゆる「季節イベント」がちょくちょく開催されるのですが、このへんの時系列処理に関しては曖昧というかパラレルというか「それはそれ! これはこれ!」という扱いになっています。たとえばお花見イベント、「桜が咲いている時期はまだイギリスに留学中だったはずの愛音が平然と顔を出している」という明確な時空の捻れが生じている(てか、夏にようやく「MyGO!!!!!」というバンド名が決まったはずなのに「マイゴのみんな」が花見に来ていること自体おかしい)が、細かいことを気にしちゃいけない。だって、そんなこと気にしてたらムジカ(再結成後)の水着イベントなんてシーズン4にならないと拝めないことになるぞ。みんなも見たいでしょう、ムジカの面々が無人島に漂着して水着姿でサバイバルするトンチキイベントを……! 念のため書いておくと、いくらガルパでも「無人島に漂着してキャスト・アウェイする」なんてピコみたいなエピソードはありません。パスパレのメンバーがTVの企画で無人島に行ってサバイバル生活を送るイベントがある程度。同じブシロのレヴュースタァライトのソシャゲにはマジでありましたけどね、「舞台少女漂流記」という無人島漂着イベントが。トンチキと見せかけてシリアスな遣り取りがあったり、ちゃんとオチも着いたりとなかなか印象深いイベントでした。

・アマプラで『ソウX』観ました。

 「ソリッド・シチュエーション・スリラー」(密室などの「限定された環境」における極限状況を描くスリラー)と銘打たれた“ソウ”シリーズの10作目。アメリカでは2023年に公開されたが、日本での公開は2024年。“ソウ”シリーズは2004年にスタートしているので、去年はちょうど20周年でした。シリーズを公開順に並べると『ソウ』→『ソウ2』→『ソウ3』→『ソウ4』→『ソウ5』→『ソウ6』→『ソウ ザ・ファイナル』→『ジグソウ:ソウ・レガシー』→『スパイラル:ソウ オールリセット』→『ソウX』になります。「えー、そんなにあるの? 順番に観るのダルいな……」と感じる方もおられるかもしれませんが、実のところ『ソウX』からいきなり視聴しても大まかなストーリーは理解できます。「なんか『皆さんご存知の』みたいな雰囲気で知らんキャラが出てきたな……シリーズファンなら『おおっ』ってなるところなのか?」と首を傾げてしまうシーンもあるだろうけど、むしろシリーズ知識ない方が先の展開読めなくて却って面白い可能性が高いです。

 死病に取り憑かれ、余命幾許もない男「ジョン・クレイマー」。絶望する彼は、癌患者の集いで知り合った「ヘンリー・ケスラー」からブラック・ジャックじみた闇医者「セシリア・ペダーソン」を紹介されて「本当にそんなウマい話があるのだろうか?」と半信半疑ながらも手術を受けるため遠路遥々メキシコへと向かう。麻酔を掛けられ、意識を取り戻した頃にはもう「手術」は完了していた。これで生きながらえることができる――喜びを隠し切れないジョンは多額の手術費を払い、後日セリシアへのプレゼントを手に施設へ向かうが、そこはもぬけの殻と化していた。「手術の様子」として見せられた映像は既製品のDVDに過ぎず、頭に巻かれた包帯を解いてみれば開頭の痕跡どころか頭髪を剃った形跡すらなかった。全部詐欺だったんだ! 怒髪天を衝く勢いでキレたジョンは「協力者」の手を借りて詐欺犯一行の所在を突き止める。ジョン・クレイマー、彼こそはアメリカ各地で猟奇的な「ゲーム殺人」を繰り返すイカれたサイコ・キラー「ジグソウ」だったのである……!

 というわけで『ジグソウ 怒りの詐欺師皆殺し』なエピソードです。シリーズ全部観ている人だと「過去にも似たような話(重箱の隅をつつくような「契約違反」を指摘して保険金を払おうとしない悪徳保険会社のクソ社員どもを抹殺するエピソード)あったな……」って思い出してしまってあまり新鮮味は感じない。さすがに10作もやってるとマンネリな部分が出てくるのは仕方ないです。相変わらずジグソウの仕掛けるゲームは悪趣味極まりなく、「痛そう」度は過去イチのレベルに達しているかもしれません。良く言えば原点回帰、悪く言えばワンパターンな展開。シリーズの熱心なファン、特にジョン・クレイマー(トビン・ベル)が好きな人、あるいはシリーズの知識がほとんどない人は楽しめるが、半端にシリーズを知っている人だと「またこれか……」ってノり切れないタイプの映画です。

 「で、そもそも“ソウ”シリーズってどんな映画なの?」という問いに答えるためシリーズ全体を振り返ります。ネタバレ全開なのでこれから観る予定の人は飛ばしてください。公開順に行きますと、『ソウ』(2004)――シリーズの始まりなのでとりあえず押さえておいた方がイイです。殺人鬼「ジグソウ」について細かく説明し、ラストでその正体が末期癌患者のジョン・クレイマーだと明かす。ジグソウは残酷なゲームを仕掛けるが、絶体絶命というわけではなく「助かる道筋」は一応用意している。ただそれが「脚を切り落とす」といった過酷な手段であるというだけ。正体を晒したジグソウが「ゲームオーバー」と告げて去っていくところで1作目は終わる。ちなみに『ソウX』は時系列的に1作目と2作目の間に位置するエピソードなので、内容準拠で言うなら『ソウX』というよりも『ソウ1.5』だ。『ソウ2』(2005)はジグソウが警察に追い詰められて一時は拘束されるが、なんやかんやで捜査官の裏をかいて罠に嵌める。ジグソウの協力者である「アマンダ・ヤング」が初登場するエピソード。“ソウ”シリーズ、主犯はジグソウ(ジョン・クレイマー)なんですけれど協力者やら後継者やら模倣犯やらが次々と出てくるのでだんだん収拾つかなくなっていくんですよね……そういう混沌ぶりが楽しめる人向けのシリーズではある。

 『ソウ3』(2006)、このへんから話が入り組んでくるのでなるべく短期間で一気に観るか、メモ取りながら視聴した方が吉です。残虐(ゴア)シーンのグロさもエスカレートしてくる。ジグソウは病状がかなり進行し、もうまともに身動きが取れない状態に陥っています。協力者のアマンダが実行犯として動き回るが、最終的に二人とも死亡する。アマンダに関してはいくつか謎が残り、だいぶ後になって回収されることになります。これ以降は「ジグソウの死後」に当たるエピソードで、ジョン・クレイマーは回想シーンか時系列的に過去に当たるエピソードにしか登場しなくなる。『ソウ4』(2007)はジョンの遺体を解剖するシーンから始まり、胃の中から彼の「遺言」を収めたテープが発見される。登場人物の中にジョンの遺志を継ぐ「ジグソウの後継者」が混じっている、という展開なんですが、4作目でだいぶ登場人物も増えてきたため情報を整理しないと誰が誰だかわからなくて混乱すること請け合い。『ソウ5』(2008)はゲームの生還者となった刑事がとある人物を「あいつ、ジグソウの後継者じゃないか?」と疑って捜査する話。ジョンの元妻である「ジル・タック」がジョンの遺品を受け取るシーンがあるものの、中身が何なのかは見せない。3以降はこんなふうに勿体ぶる描写が多いです。「後継者気取りのあいつ」は『ソウX』にも出てくるが、久しぶり過ぎて名前覚えてなかった。『ソウ6』(2009)はアマンダにまつわる謎、ジルが目にしたジョンの遺品といった伏線が回収されていく。『ソウ ザ・ファイナル』(2010)は「ジグソウの後継者」を巡る争いに区切りがつくエピソードで、「だいぶ話が複雑になってしまったしこれ以上続きは作らない」というアメリカ側のコメントを信じて日本の配給会社が「ザ・ファイナル」と銘打った結果「終わる終わる詐欺」になってしまった。3D映画として公開されることを前提に作った作品なので「臓器が画面に向かって飛んできたり凶器の先端が画面に迫る」グロシーンが多い。真の後継者はいったい誰なのか――曲がりなりにも「完結編」として作られた一本なので、シリーズの締め括りに相応しいラストを迎える。同時に「ジグソウの後継者がどうのこうのって話にもう付き合わなくていいんだな」ってホッとします。

 『ジグソウ:ソウ・レガシー』(2017)は7年ぶりに制作されたシリーズ8作目。「人気があり過ぎて終われない」というヒットシリーズ特有の悲しみを背負うハメになりました。ジョン・クレイマーの死後から10年以上経ったというのに、またしても「ジグソウ」を彷彿とさせる猟奇的事件が発生する。生前のジョンと付き合いがあった後継者による犯行か、それともジョン本人とはまったく接点のない模倣犯によるものか? 一応「仕掛け」も用意されていて“ソウ”シリーズらしい出来にはなっているが、ジグソウの「語られざる後継者」が新たに生えてくるという「もういいっつってんだろ!」な展開にゲンナリします。『スパイラル:ソウ オールリセット』(2021)は当初2020年に公開される予定だったが、コロナ禍のせいで1年遅れて2021年に公開された。「オールリセット」と謳うだけあってこれまでの“ソウ”シリーズの設定はほとんどストーリーに絡んでこない。「ジグソウの後継者」云々にいい加減ウンザリしていたのでそこは良かったですけど、要は「ジグソウの手口を真似た模倣犯」のエピソードなので二次創作感が強い。“ソウ”シリーズは基本的に悪人を標的にして、しかし「必ずしも相手を殺すわけではない」点で仕掛人とか闇狩人とかブラック・エンジェルズとかとは方針が異なる(相手が壮絶な覚悟を示せば生き延びられる選択肢は与える)のですが、『スパイラル』は「ゲーム」というより「処刑」のムードが強くて単なる「邪悪な仕掛人」になっている印象。というより後継者を自負している連中は「拷問して処刑するためにゲームをやってる」パターンが多く、「死期を目前にしたジョンが神か何かのように人々へ試練を与える」という純粋な狂気に比べて傲慢さが鼻に付くんだよな。

 で、話を戻して『ソウX』(2023)。「やっぱり“ソウ”シリーズといったらジョン・クレイマーだろう」と割り切って後継者だの模倣犯だのが出てこない過去編にしているわけです。協力者のアマンダや、後に後継者候補に名乗り出る某キャラも出演しますが、『ソウ・レガシー』みたいに「新たな後継者」が生えてくることもなくファンサービスに特化した内容になっている。10作もある長期シリーズながら、実はジョンがゲームマスター然として振る舞うエピソードはコレが初なんですよね。これまでのエピソードではどれも変則的な役割を演じていたので、意外とこういう審判めいたポジションでストレートにゲームを運営する様子は描かれてこなかった。シリーズの設定をよく知らない新規の人も、「『イコライザー』や『ビーキーパー』みたいな『舐めていたオッサンがヤバい奴だった』系譜の映画なんだな」と思えば楽しめるかもしれない。かなりグロいシーンがあるので、そういうのを受け付けない人はやめた方がいいですが……。

 まとめ。シリーズ作品なので初見の方はどうしても「入りにくさ」を感じてしまうだろうが、グロ耐性さえ備えているのであれば問題なく観れる内容なので気軽にチャレンジしてみてください。ところで続編の『ソウ11』は今年9月に公開予定だったのですが、「ライオンズゲートとプロデューサー陣が対立している」せいで製作が進まず、公開予定がキャンセルになってしまったらしい。『ソウ11』、最初の公開予定は2024年9月で、そこから2025年9月へ延期となっていたのですが、今や「未定」という有様に……内容どうこうではなく経営レベルの揉め事が原因だそうで、残念な話だ。Xは生存者がいるから、11で「〇〇の逆襲」みたいなエピソードをやるのかな、と想像していたのに。あと、「ジグソウの後継者」は生死不明を含めて現在5人くらいの候補がいるので、全員集めてバトルロイヤルを開催したら一部のファンは喜ぶかもしれない。いや、どう考えてもシナリオがまとまらないというか面白い話にはなりそうもない、っていう致命的な欠点があるのですけれども。

・拍手レス。

 キルコ知らなかったので読みに行ったら面白かった。読み切りならてはの勢いがいいけど、連載も見たかったですねー

 やられ役のホストもそこそこ強そうな感じが出ていて良かったし、いろんな連中とのバトルを描いてほしいなぁ、って思います。


2025-03-23.

・マンガワンの10周年企画で配信された読切「太刀んぼ キルコ」が百合版『刃鳴散らす』だったので軽率にシェアしたい焼津です、こんばんは。

 格差拡大に伴う治安の悪化であらゆる都民が武装し、「刀狂」と呼ばれるようになった東京で、生活費のために金を賭けた野試合を繰り返している女流剣士「キルコ」、人呼んで「太刀んぼキルコ」。3歳の頃から刀を振るっていたと豪語する彼女はある日、歌舞伎町で凄腕の少女剣士と出会い――っていう殺し愛な百合ソード・アクションです。「刀狂」あたりの言語感覚は森橋ビンゴのデビュー作『刀京始末網』を連想させる。なにぶん読切なので主人公とヒロインの因縁が始まったところで終わっていて物足りないが、連載に繋がるかもしれないので一応注視しておこう。

『BanG Dream! Ave Mujica』第12話「Fluctuat nec mergitur.」、構成上次回(最終回)でムジカとマイゴ両方のライブを行う必要があるので諸問題は今回でほぼ片付くはず……と固唾を飲みながら見守りました。脚本はシリーズ構成を担当している「綾奈ゆにこ」、It's MyGO!!!!!だとあの「なんで春日影やったの!」の7話を手掛けた人です。それ以外だと1話、3話、13話もやっている。Mujicaは1話で「後藤みどり」と共同して脚本を書いているが、単独でやるのは12話が初です。

 冒頭、空港に乗りつける豊川家の車。自家用機で着の身着のままスイスへ向かうことになった祥子。タラップに足を掛けようとした彼女の脳裏にこれまでの日々がよぎる。運命に抗おうとするたび濁流に呑み込まれてきた……今日もまた呑み込まれるのか? 短い葛藤の末、スイス行きを拒否して脱走。さすがに人目のある場所で女子高生を取り押さえて無理矢理飛行機に乗せるわけにもいかず、棒立ちで見送る豊川家の使用人たち。あそこで力尽くを選んでいたら通報されて未成年者略取で逮捕されかねないから仕方ない。結局豊川の抑圧って「祥子が大人しく従う」ことが前提で成り立っているから、祥子が母親譲りのじゃじゃ馬っぷりを発揮したら止められる立場の人間がいないんですよね。そしてOP、曲が「KiLLKiSS」ではなく「Georgette Me, Georgette You」! 普段はEDで流れる曲です。「もう終わったのか、早かったな……体感2分だ」とボケたくなるが、単にOPとEDを入れ替える特殊演出ですね。同期のアニメ『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』も、EDがコミカルなのでシリアスな引きだと雰囲気が合わないからたまにやっています。

 Aパート、細かい経緯をすっ飛ばしてフェリーに乗って島へ向かう祥子。なんとかフェリーの運賃くらいの手持ちはあったらしいが、残金が「雀の涙」になってしまった彼女をたまたま通りかかったタクシーが乗せてくれる。豊川家と関係のある運転手らしく、三角家の現状についても言及。一家は本土に引っ越ししてもう島にはいないらしい。ただ、最近になって姉の方が帰ってきた、と……結局「本物の初華」とは再会しない流れですが、やっぱりこれ当初のプランだと養父じゃなくて「双子の妹の初華」が亡くなっていたんじゃないかな。定治から斡旋されたとおぼしき別荘の管理に従事していた初音に、どういう距離感で接していいかわからず「初音さん」と他人行儀な呼び方をする祥子の姿が切ない。初音自身の口から「定治の隠し子」「初華のフリをして近づいた」「祥子との思い出はひと握りしかない」事実を確認して驚きつつも、祥子が欲していたのは「『初華』を演じる初音の音楽」なので大筋としては問題ない。躊躇う初音の手を引っ張って東京行きのフェリーに連れていくシーン、「獣道だよ!」という叫びがまんま二人の将来を現していて笑ってしまった。

 祥子はフェリーの甲板で「いい加減うんざりですわー!」と叫び、バンドをやりたいからバンドを組むのだと腹を決める。祥子はプライドが高いから人前で大声を出すようなはしたない真似は普段しないのですが、燈と一緒に歩道橋にいたときと、初音と一緒にフェリーに乗ったときだけ大声で叫んでるんですよね……祥子と初音、まだまだ分かり合えているとは言えない二人ですが、祥子も少しずつ心を許しつつあるのではないか。そして深夜の豊川邸で定治に向かって豊川家から出ていくことを宣言、さりげなく「お父様のこと、よろしくお願いします」とクソ親父を押し付けていくのには噴いた。清告は娘に頼らず自力で立ち上がってもらうしかないので、祥子がどうこうしなければならない問題じゃないのは確かですね。戻ってきた初音のマンションのロフトで天井を見上げながら初音の淹れるコーヒーを待つ。漂う香りを嗅ぎながら「この匂い……嫌いですわ」と呟く祥子。祥子ちゃんは大の紅茶党だし、やっぱりコーヒーは好きじゃなかったんだな……居候の身だから初音に対して「コーヒーは嫌い」と言いづらかっただけで。MyGOでも回想含めて何度か「羽沢珈琲店」に行くシーンがありますけど、コーヒーを頼んだことは一度もなかったはず。「こんなふうに祥子ちゃんは今後も周りに本音を隠してやっていくつもりです」と示すカットなのだろうが、飲み物の好みくらいは素直に打ち明けた方がいいよ! まぁ初音ちゃんの性格的に打ち明けた直後「さきちゃんに嫌いなコーヒーをずっと飲ませてたなんて……!」とショック受けてコーヒーメーカーを捨てて紅茶セットに差し替えそうな怖さがあるから言いにくいんだろうけど……いつか「コーヒーよりも紅茶が好き」という言葉を深刻にならないで受け止めてくれる日が来るといいな。

 Bパート、RiNGに集まっているメンバーのもとへ向かうシーン。途中で「すべての元凶」とも揶揄されるモニカの面々とすれ違いますが、「ごきげんよう」と挨拶するだけで立ち止まりもせず歩み去っていく。祥子にとって「運命共同体」のシンボルであったモニカも、もはや「憧れ」ではなく「敬意を払って通り過ぎるだけの先輩バンド」になった。反射的に「ごきげんよう」と返してしまったが、なんで挨拶されたのかわからなくて戸惑うモニカが微笑ましい。集結したムジカのメンバーに対し「運命を甘んじて受け容れる必要はない」と語った祥子は「わたくしが神になります」と豪語する。変なクスリでもやったのか? と問いたくなるが、バンドリはこれまでも「私の最ッ強の音楽で、ガールズバンド時代を終わらせる!」と宣言したような子もいるから変人度はそこまで高くないんですよね。「神」という発想は唐突に出てきたわけではなく、10話の「今夜私の神話になって」へのアンサーでもあるだろうし。祥子が影響を受けたモニカの「倉田ましろ」も、ピコのネタですけど黒歴史ノートを「大魔姫あこ」こと「宇田川あこ」に拾われる回(ふぃーばー!の第10話「漆黒のラヴィアンノート」)があって、ノートを読んだあこが感化されて「我こそが神!」と叫んでいました。この画像見るとなんだかんだ祥子ちゃんはましろちゃんと魂が共鳴する部分あるんだな……と感じてしまう。ムジカピコでのゴッド・ウォーズ開戦を心待ちにしています。

 利用できるものは何でも利用してバンドを存続させようとする、「高松燈」たちマイゴの「一瞬一瞬を積み重ねて一生」とは違う形の、どこかで壁にブチ当たって破滅しそうな危うさが醸し出される「人為的な永遠」に向かって船出するムジカ。何度も壁が立ちはだかるなら、悉く壁をブチ壊せばいい。そう嘯くかのようにオブリビオニスの眼差しは揺るぎない。やっと豊川祥子が「光と闇が両方そなわり最強に見える」つよつよ令嬢になってくれた。ライナスの毛布みたいに執着していた母親の形見(お人形)を豊川邸に置き去りにしていくカットは象徴的。でも燈ちゃんの付箋を集めたノートは持って行ったので、過去への未練ありありなのがわかって可愛い。初音はバンドメンバーだから手放すつもりはないけど心の本命は燈のまま。忘却したのではなく、忘れたフリをしているだけ。でも頑張れば初音もいつか燈のことを忘れさせることができるかもしれない。それにしても「人間になりたいって、こういうことですのね」と泣いた子が「神になります」と決意するの、ほぼ「理紗が望むなら、僕は人をやめて、神にでもなんでもなろう」の『CARNIVAL』だな……あれはゲームだと決意するところで終わっていて、続編となる小説版で「その末路」について触れられるのですが、小説版は電子化されておらずプレミアが付いていてスゴい価格になっているっていう。しがらみすべてを忘却し、無慙無愧の荒野を征くと吼えたところでOPの「KiLLKiSS」が流れるの、曲のイメージが反転する感じで好きです。

 「豊川の恐ろしさ」とやらが何なのかはわからない(弦巻家と一緒で細かいところまで設定していないと思う)が、要点として押さえるべきなのは「親族一同に初音という隠し子の存在が知れ渡ったら定治が失脚する→連鎖的に祥子も生活が危うくなるかもしれない」という部分だけ。だから祥子が大切な初音は身動きが取れなくなったわけですが、「わたくしの生活が危うくなろうと一向に構いませんわ!」って覚悟を決めた祥子が「初音の件をバラしますわよ」とお爺様を脅せば圧力なんて屁でもなくなるんですよね。全身にダイナマイトを巻いて「自爆するぞ!」と叫ぶような交渉手段ですけど、致命的な弱みを握られている以上、定治は破れかぶれの孫娘に譲歩するしかない。清告が豊川から追い出された時点で交渉材料となる初音の存在を知らず、仮に知っていたとしても当時の祥子では自爆上等のネゴシエーションをする覚悟がなかった。でも疾風怒濤の日々を経て、怒りと信念を胸に理不尽へ立ち向かっていく「錨」を得た。そう考えるとマイゴよりも迷子しまくったムジカのあれこれは無駄じゃなかった……のかもしれないが、やっぱり相当変なアニメですよ、『BanG Dream! Ave Mujica』。「箱庭から出られないのなら箱舟にすればいい」ぐらいの飛躍で片付けにきている。「結論は最初から決めていたけど、そこに至るまでの過程はライブ感重視で詰めていった」せいで何とも形容しがたい味わいに仕上がった。監督のインタビューを読むかぎり「神の如く横暴に振る舞うお嬢様」こそが本来の祥子像であり、彼女が完璧に開き直るまでの紆余曲折を描いたのが『It's MyGO!!!!!』と『Ave Mujica』、ふたつのアニメ作品だったってことになる。

 問題のほとんどが解決しないまま「一応の結束」によって再開を目指す、綻びだらけのバンド「Ave Mujica」にまつわる物語は今回でほぼ決着と捉えていいのかな。最終回は予告で「ムジカとマイゴの新曲やるよ」とアピールしているので、ストーリー部分は正味10分程度しかないだろう。初音の生い立ちに関しては本人と祥子のみが知り、睦とモーティスの件も有耶無耶(解離性同一性障害にも程度がいろいろあって、投薬が必要なケースもあれば地道なカウンセリングで何とかなるケースもあるのだが、そもそも睦は正式な診断を一度も受けていないから程度に関しては語りようがない)になって、海鈴のトラウマ云々はさして掘り下げず、にゃむが睦に対して複雑な想いを抱いていることは他のメンバーにとってはどうでもいい。バンドリにおけるプロバンドはある程度「ビジネスライクな関係を受け容れつつ絆を育む」という要素があるのですけれど、バンドリーダーが「すべてを支配する神になってメンバー全員を束縛し、死ぬまで人形遊びを続ける」という極端な結論に至るのは初であり呆然とした。こういう変な方向に突っ走っちゃうの、ある意味「後ろに向かって全速前進!」な倉田ましろと同じタイプなのかもしれない。

 ムジカの行く末はさておき、とりあえず目先の問題としてsumimiの解散は防げそうな雰囲気で良かった。相方の「純田まな」はずっと蚊帳の外に置かれていて、「初華がピンのアイドルではなくsumimiというユニットを組んでいたストーリー上の意味は何だったのか」はよくわからなかったが……sumimiがあることでムジカ解散後に「アイドル『初華』の帰る場所」を用意できる、というのはあるが、これまでのストーリーを振り返ると初華(初音)がピンアイドルでも充分話は成立する(むしろ初音がまなのような明るいアイドルを演じることで本人とのギャップが際立つ)気がするんだよな。ひょっとしたら最終回でいきなりまなちゃんをメインにした新バンドが生えてくる可能性もある? 「妹の方の初華」を脇に措いても、サブキャラ掻き集めればもう1バンドくらいは組めそうなんですよね。純田まな、燈ちゃんの幼なじみ「みお(池本みお?)」、初華とアンサンブルしたらしい「はなこ(きだ はなこ?)」、りっきーの姉「椎名真希」、にゃむと同じオーディションに参加していたハードランディング所属の「御家林さくら」、この5人が新バンド結成するオチ、確率として0.001%くらいはあると思います。

 最終回に当たる第13話のタイトルは「Per aspera ad astra.」、「苦難を乗り越えて星を目指す」という大方の予想通りになりました。アニメ化した漫画『彼方のアストラ』でも使われていたラテン語の成句で、割とあっちこっちで見かける言葉ではある。FGOのプレーヤーだと「ロムルス=クィリヌス」の宝具「我らの腕はすべてを拓き、宙へ(ペル・アスペラ・アド・アストラ)」で印象に残っているかもしれない。ハッピーかどうかはともかく希望の灯が見える終わり方になりそうで良かった。最後の最後で卓袱台返しになりそう、という不安がゼロでもないけど……次回予告にチラッと映っていたノリノリで体を左右に揺する睦ちゃんがとりあえず楽しみ。ちなみに他のメンバーの様子をポツポツと映すところで睦ちゃんの「その後」もチラッと描かれていたが、ベースは睦ちゃんだけど受け答えの速度が微妙に良くなっていて、「どこかボンヤリした感じ」はなくなっている。今後は失言もあまりしなくなるのかな。そう考えると少し寂しい。あと迷惑をかけた立希に謝ろうと話しかける初音に「浮気ですか? 出るとこ出ますが」と威嚇する海鈴が面白過ぎた。「これを浮気と呼ぶ辺りやっぱ海鈴ちゃんにとってこれ求愛行動だったんだ」と指摘するコメントがあってツボに入った。立希と初音、クラスメイトというだけで特に接点がなかったけど、仲良くしようとしたら海鈴が邪魔するんだな……とわかって修羅場好きには楽しかったです。

「ふつつかな悪女ではございますが」アニメ化!監督は山崎みつえ、制作は動画工房(コミックナタリー)

 やっぱりアニメ化するのか。原作の人気があるうえにコミカライズの評判もいいから時間の問題、と感じていたファンも多いだろう。

 原作は「小説家になろう」で5年ほど前に連載を開始したWeb小説だが、書籍化に伴って現在は公開終了となっている。悪役令嬢モノっぽいタイトルながら、転生ネタではなく入れ替わりネタ。5人いる妃候補のうち、もっとも評判が悪く「どぶネズミ」と蔑まれている女性が秘術を行って妃候補のトップ――「胡蝶」と謳われる主人公と魂を入れ替えてしまう。かくして皇太子の寵愛がもっとも厚かった主人公は、誰からも冷たい目で見下される「どぶネズミ」として生きていくことに……と、あらすじでは主人公が悲劇のヒロインみたいだが、何せファンから「鋼様」と呼ばれたメンタル強者の主人公、この程度ではへこたれない。主人公の元の体は病に冒されており、「それでも妃候補としての務めを果たさねば」と血の滲むような努力を重ねてきたのである。魂入れ替えの犯人はまさかここまで病苦が激しいとは思わず七転八倒。一方、主人公は健康な身体を手に入れたことでウキウキ気分。周りに何と思われようが気にせず人生を謳歌します。

 2巻でひと区切りついて3巻から新展開が始まるので、1クールならたぶん2巻までの範囲をやって終わりでしょう。原作は来月出る最新刊が10巻、ストックは充分なので2期目、3期目も余裕だ。とにかく主人公が明るく前向きな性格で、イケメンに靡かず己の意志を通すタイプだから男性読者が読んでも気持ちいい。悪役の子もそんな主人公に絆されていくんでシスターフッド小説としても充分イケる内容。スタジオは「動画工房」だし、断然期待してしまうな。いや、動画工房でも「アタリの動画工房」と「ハズレの動画工房」があるので不安がゼロというわけじゃありませんが……ハズレの筆頭格は『幼なじみが絶対に負けないラブコメ』、作者がアニメの出来に絶望して酒浸りになったという。

 動画工房というスタジオ、昔は『恋姫†無双』とかエロゲー原作アニメを手掛けていたのですが、2011年の『ゆるゆり』あたりから「日常モノや萌えアニメ」の分野で評価されていくようになりました。作画が丁寧、且つコミカルな演出も得意としている。最大のヒット作は2023年の『【推しの子】』。3期も決まっているが、この調子ならファイナルシーズンとなる4期までやるんじゃないかしら。

とよ田みのる「これ描いて死ね」TVアニメ化 相&ポコ太を描いたティザービジュアル(コミックナタリー)

 原作は好きだけど、「とよ田みのる」の絵柄はあまりアニメ向きじゃないから大丈夫かな……と心配する気持ちが強い。『これ描いて死ね』は簡単に言うと「令和版『まんが道』」。漫画好きの女の子が、「漫画って自分で描くこともできるんだ!」と気づいて創作の道のりを歩み始める。漫画研究会を立ち上げ、少しずつ同志が集まって来る展開は「青春部活モノ」のテイストが強い。しかし、元漫画家である漫研顧問の過去を描くシリーズ「ロストワールド」も読み応え充分であり、「部活モノ」だけでは括れない面白さがある。「ロストワールド」は1話目だけネットで公開されているので興味のある方はどうぞ。

・澤村伊智の『アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿』

 映画『来る』の原作『ぼぎわんが、来る』でデビューした「澤村伊智」によるミステリ連作集です。「アウターQ」というマイナーなWebマガジンの周辺で巻き起こるいくつかの事件を描いている。オカルトというか超常現象みたいな要素も一部入っていますが、どちらかと言えば「人間の悪意や作為」が主眼に据えられています。例によってヤンチャンWebのチケットが余っていたので消化するためにコミカライズ版を読み始めたところ内容に引き込まれ、「続きが読みたい!」となって原作に手を伸ばしちゃった。原作は7つの短編から成っており、コミカライズは5つ目のエピソードに差し掛かったところなので、漫画で読みたい人はもうちょっと待ってコミカライズが完了してからまとめて目を通した方がいいかもです。

 エピソードによって視点人物は微妙に変わるが、「主人公」と言って差し支えないレベルでよく登場するキャラクターは「僕」こと「湾沢陸男」。Webライターとしてカツカツの生活を送っている27歳、そろそろ従来の路線から脱して新機軸の企画を立てねば……というところで街に潜む怪しい「謎」を追うことに……という具合に怪異の類を「取材」のために解き明かしていく形式です。冒頭一発目、「笑う露死獣」は読者に「こういう路線ですよ」と伝えるためのウェルカム・ドリンクみたいなもので、作りはシンプルながら「謎」の答えを探り当てるために街のあっちこっちを回る感覚がADVゲームじみていてなんか懐かしくなります。私はプレーしたことないけど『都市伝説解体センター』がこんなノリなのかな、と思ったり。公園の土管に書き込まれた謎の落書き、通称「露死獣」の真相とは? 胸糞の悪いオチで、「この本は基本的にスカッとする話じゃありませんよ」と丁寧に教えてくれます。

 2編目は「歌うハンバーガー」。「わたし」こと「守屋雫」が視点人物となるエピソードで、湾沢くんは脇役に回っている。かつては「新世代フードライター」と持て囃された「わたし」だったが、現在は拒食症に悩まされ、仕事も減る一方だった。こんなんじゃダメだ、焦る「わたし」はアウターQで「見るからに入りにくい雰囲気を放つ『怪しい店』の取材」という企画に乗り出すが……という具合で、焦点となる「怪しい店」の店名が「シンギン・ハンバーガー」だからタイトルが「歌うハンバーガー」。全体から見るとこれが一番マシというか、比較的ホッコリするエピソードなんですが「ハッピーエンド」とは言い切れない部分もあってモヤモヤした感想が残ること請け合い。

 3編目、「飛ぶストーカーと叫ぶアイドル」。ライター稼業が軌道に乗った「僕」こと湾沢陸男は「やれることを増やしたい」という理由で撮影の手伝いを始め、ある日地下アイドルのライブを撮影することになった。かつて大きなグループで活動していたものの、握手会に来たファンに襲撃されて怪我を負い、「卒業」を余儀なくされた少女。名義を変えて地下アイドルとして再出発することを決意した彼女だったが、ライブの最中にまたしても事件が起こって……新キャラとして「地底アイドル」と自虐する「練馬ねり」が登場、ステージ上で料理を作ってそれを食べながら酒を飲むパフォーマンスが売りという、説明されてもよくわからない子です。ぼざろで喩えると「SICK HACK」から追い出された「廣井きくり」みたいな……いや、あっちほど酒癖は悪くないけど……今回は探偵役もねりちゃんが務めるので、湾沢くんの影は薄い。どちらかと言えばねりちゃんの顔見せという性格の強いエピソードかな。

 4編目、「目覚める死者たち」。花火大会の夜、歩道橋で起こった将棋倒しの事故――被害に遭った一人である湾沢陸男は、あれが「怪談のネタ」として語られていることに何とも言えない居心地の悪さを感じていた。実話怪談である以上、実際にあった事故がネタにされるのは当然と言えば当然かもしれない。だが……消化し切れないモヤモヤを抱える中、歩道橋の近辺で奇妙な「謎」がいくつか散らばっていることに気づき……一つ手前のエピソードに登場した「地底アイドル」練馬ねりが再登場、「謎」自体は解き明かされるが、主人公が歩道橋の事故で目撃した「ピアスだらけの赤い髪の青年」に関しては特に追及されなないまま終わる。作中に描かれている事故は「兵庫県明石市の歩道橋事故」がモデルで、当時「金髪のヤンキーが暴れていた」という噂が流れましたが、結局デマということで立ち消えになりました。むしろ人命救助に奔走していたのでは? という説もあったので、そういう事実が反転するオチなのかな……と思ったら特にそんなこともなかったという。

 5編目、「見つめるユリエさん」。湾沢の先輩に当たるライター「井出和真」が友人の依頼を受けて「肖像画に描かれた女性」の身元を割り出そうとするエピソード。視点人物は井出の友人、「ぼく」こと「浅野将太」です。夢に何度も同じ女性が出てくる――「ぼく」が遭遇した怪現象は、その女性にそっくりの絵が家の中から見つかったことである程度は道筋がついた。20年ほど前、親が蚤の市で買って、引っ越しの際に物置に放り込まれていた肖像画。子供の頃の「ぼく」は、絵に描かれた女性を密かに心の中で「ユリエさん」と呼んでいた……という感じで「ユリエさん」のモデルになった女性を特定しようとする話です。湾沢くんも脇役として登場する。結論を書いてしまうとモデルは無事に特定されます。ただ、めでたしめでたし……とはならない。素直に解釈すればバッドエンドなのだろうが、人によっては「ここからハッピーエンドに持ち込むことも可能」と前向きに受け取れるかもしれない。際どいラインに位置しているエピソードだ。

 6編目、「映える天国屋敷」。前後編の前編に当たるエピソードなので、これだけではストーリーが完結しない。タケコ・インターナショナルという巨漢女装タレント(モデルが誰かは言うまでもない)の番組に出演したことでバズりまくって仕事が激増した湾沢陸男、彼は「東京都青梅市に奇妙な家がある」ということで忙しいなか取材に赴いた。自殺未遂の末に記憶を失い、一人でひっそりと奇怪なオブジェを作り続けている男性「羽山誠太郎」。変人と言えば変人だが思ったよりも物腰が柔らかく「自分が作ったものをみんなに見てほしい」と語る姿に感銘を受け、羽山邸を「天国屋敷」と名づけアフターQで大々的に取り上げる湾沢だったが……という感じで、物語は終幕に向けて加速していきます。湾沢くんに悪意はまったくなく、「みんなもコレを見て感動してほしい」と率直に思って紹介したのですが、それが予想もしなかった惨事を引き起こしてしまう。そして次のエピソードへ続きます。

 最終章は「涙する地獄屋敷」。タイトルで察することができると思いますが、「映える天国屋敷」と対を為すエピソードと申しますか前後編の後編に当たるエピソードです。大惨事によって一転、「天国屋敷」は「地獄屋敷」に変貌した。金を取って営業していたわけではない羽山さんを責めづらかったのか、非難の矛先は紹介記事を書いた湾沢に向かう。記事を掲載したアウターQにも迷惑を掛けてしまった……自責の念に駆られる湾沢だったが、羽山邸で起こった「惨事」がただの事故ではなく何者かが意図的に発生させた事件なのではないかという疑いが深まり、真相を究明せずにはいられなくなる……という具合に「解決編」的な内容を綴っています。前編で張られていた伏線、のみならずこれまでのエピソードに埋設されていた伏線まで回収され、本書の総決算めいた結末を迎える。単なるキャラ立て要素だと思っていた部分が真相の一部だったと判明するなど、驚きに満ちたネタバラシである。事件解決後は、これまでのエピソードの「その後」についても少し触れている。そのまま劇的な展開もなく、しんみりとした雰囲気で閉幕となります。

 まとめ。収録されている短編は雑誌に掲載されたモノと書き下ろしの2種類あり、雑誌掲載された方はエピソードの完結性が高く、書き下ろしの方はエピソードの連動性が高い仕組みになっています。「全体のオチ」がついたから『アウターQ』はこれで完結、ということなのでしょうが、その気になれば続編をやれないでもない雰囲気だ。是非ともシリーズ化してほしい、と願うほど特色の強い作品ではないが、もし続きが出たら買っちゃうだろうな……と感じるところはあります。正直、湾沢くんに関してはもうそんなに興味がないんだけど、練馬ねりに関しては掘り下げが欲しい。彼女は如何にして地底アイドルなるものに成り果てたのか、オリジンを辿るのもいいし、そのへん無視して今後も事件に巻き込まれ続ける形式でもいい。著者インタビューによると「切羽詰まって数秒で思いついたキャラクター」らしく、道理で3話まで影も形もなかったんだな……と納得しました。この口ぶりだと続編の構想とかはなさそうだけど、それはそれで別の新作を楽しみにしようかな。

・映画『Pearl パール』を観ました。

 『X エックス』というホラー映画の続編。といっても時系列的には『Pearl パール』の方が過去なので、いわゆる前日譚(プリクエル)に該当します。観る順番としては『X エックス』→『Pearl パール』、『Pearl パール』→『X エックス』どちらでも構わない。ぶっちゃけ『X エックス』を先に観ていると逆算で『Pearl パール』の大まかな展開がわかっちゃうし、『Pearl パール』を先に観ていると『X エックス』の核心を最初から知っている状態で臨むことになるので、どっちのルートを選んでもメリットとデメリットがあるんですよね。そもそもショッキングなシーンが見所の映画なんで、ストーリー部分に関してはそこまでネタバレに対して神経質にならなくてもいいのかもしれませんが……。

 1918年、第一次世界大戦中のアリメカ。テキサスの農場で鬱屈した日々を送っている女性「パール」は、ずっと「ここではないどこか」に憧れていた。ミュージカルが大好きな彼女は、ダンサーになって欧州へ渡り、喝采を浴びて華々しい生活を送る日々を夢見ている。しかし現実は厳しい。ドイツ系移民の生まれということもあって時節柄差別が厳しく、農場で働く以外に仕事の当てはない。また、病気で車椅子から離れられない父親を介護しなければならないという問題もある。パールは既婚者だが、夫は欧州の戦場に出征中で、最近は便りも途絶えて安否不明。若さを持て余してどこにも行けない現実に絶望するパール。彼女の鬱憤はやがて、凄惨な形で爆発する……。

 ネタバレを避けて語るのが難しいから前作含めてネタバレ全開で綴っていきますが、『X エックス』で大暴れした殺人鬼の老婆「パール」がいかにしてサイコキラーとして覚醒したかを描くエピソードです。『X エックス』のヒロイン「マキシーン」を演じたのは「ミア・ゴス」という女優なんですが、実は殺人鬼ババアの「パール」も一人二役で演じていた。特殊メイクがスゴいせいもあって言われないと気づかないレベルなんですが、そうした流れもあって『Pearl パール』の主演も引き続きミア・ゴスです。もはや「ミア・ゴスの怪演を眺めるためのシリーズ」と申し上げても過言ではない。ハッキリ言ってしまうとヒロインがひたすら鬱憤を溜め続けていく前半は退屈なのだが、遂に臨界点を超えてブチギレてしまったときの表情が凄まじくて「うっ」となる。死体をバラバラに斬り刻んだり腐った肉に蛆が湧いたりといったグロい描写もちょこちょこ出てくる映画ながら、そうしたゴアシーンよりも「ヒロインの顔」の方が何倍も怖い。子供が観たらトラウマになりそう。とにかくミア・ゴスの演技力と表現力が図抜けていて圧倒されます。外の世界へ飛び出すことを夢見てオーディションを受ける場面、残念ながら失格となってしまうのですが、嫌だ嫌だと顔を真っ赤にして泣き叫び駄々をこねる演技が迫真すぎて殺人シーンよりもショックを受ける。『X エックス』の殺しまくりっぷりに比べると殺害人数が少ない(片手で足りる程度だ)からスラッシャー映画としてはやや拍子抜けの部分もあったが、「悪夢を見そう」度は本作の方が上です。

 パールは殺人鬼だし、「やむにやまれぬ事情で殺した」というほどでもないので本来なら同情に値しない人物のはずなのだが、ミア・ゴスが全身全霊で演じ切った結果うっかり「かわいそう」と思ってしまう瞬間が何度かあります。抑圧的な態度で接する母親には怒りを覚えちゃうし、「こんな家庭環境で幸せな未来を思い描けと言われても……」なところがある。なんとか彼女が幸せになる道はなかったのか、とありもしない希望を探し出そうとしてしまう。最終的には怖さよりも切なさが勝つ映画。三部作の完結編『MaXXXine マキシーン』はアメリカだと既に去年公開済み、日本では今年の6月6日に公開予定です。『X エックス』の6年後を描く。舞台は1985年のハリウッド、実在の殺人鬼「ナイト・ストーカー」がストーリーに絡んでくるらしい。当然、主演はミア・ゴスです。


2025-03-16.

・アニメやってるし続編も始まったし……ということで久々に読み返していた『ユーベルブラット』を最終巻(23巻)まで読み切った焼津です、こんばんは。ユーベルブラットは0巻からスタートするので、23巻が最後だけど冊数としては24冊目になります。電子版を購入するときこのへんで混乱しがちなので注意しましょう。

 「聖なる槍」を手に旅立った14人の勇者たち――3人は旅の途中で命を落とし、残る11人が「闇の異邦(ヴィシュテヒ)」に足を踏み入れた。生きて帰ってきたのは7人。彼らは言う、「4人の若者が闇の異邦へ寝返ろうとしたので、やむなく誅伐したのだ」と。かくして生還した7人は「七英雄」と讃えられ、帰ってこなかった4人は「裏切りの槍」として唾棄されることになった。しかし真実は異なる。「七英雄」こそが怖気づいて敵前逃亡した臆病者たちであり、「裏切りの槍」と貶められた者たちはたった4人で目的を果たして戻ってきたにも関わらず、かつての仲間たちによって嬲り殺しにされ手柄を奪われた哀れな犠牲者だったのだ。「裏切りの槍」の1人であり、帝国最強と謳われた剣士「アシェリート」は「ケインツェル」という偽名を名乗り、変わり果てた姿となって「七英雄」への復讐を遂げるべくサーラント帝国に舞い戻ってきた……という、大枠としては復讐譚に当たるダーク・ファンタジーです。0巻には「裏切りの槍」の名を騙る4人の偽者が登場し、偽アシェリートに対してケインツェルが「俺こそが本物のアシェリートだ」と明かすシーンが見せ場になっているのですが、尺の都合かはたまた話が複雑になるからか、アニメ版では0巻の内容がバッサリとカットされてしまった。アニメから入った方は是非とも原作の0巻に目を通してほしいところです。ケインツェルが帝国に戻ってくるまで20年も掛かった理由についても言及されている。

 さて、私はユーベルブラットをリアルタイムで読んでいたのですが、途中までは素直に楽しんでいたのに途中から「う〜ん……」な感じになって、最後の方は半ば惰性で付き合っていました。今回読み返してわかったんですけど、この漫画、まとめて読むと面白いんですよ。でも完結まで14年くらい掛かっているので、リアルタイム勢だと何度も読み返すような熱心なファン以外はダレ気味になってしまう。「七英雄」を血祭りに上げていくペース、だいたい3人目くらいまでは程好いリズムでサクサク進むんですが、4人目に当たる「レベロント編」から長くなってくるんですよね。レベロントにはたくさん子供がいて、そのへんのエピソードにもそこそこ筆が割かれるし。なかなかレベロントが倒せないなー、と思いながら見守っていると、殺したはずの3人目(グレン)がなぜか蘇って、しかも皇帝の座を狙うレベロントと争い始める……という七英雄同士の戦争、「英雄戦争編」へもつれ込んでいく。2人死んで5人になった「七英雄」がふたつの陣営に分かれるのだが、レベロント側に付いた奴が誰だったか思い出せなかったので再読なのに新鮮な気分で楽しめました。この「英雄戦争編」に差し掛かって、復讐要素がだいぶ薄まってしまったからリアルタイムじゃテンションが落ちてしまったんですよね。これじゃケインツェルの復讐が「サーラント帝国戦記」の添え物になっちゃうな、って。「七英雄」が勝手に味方割れを始めたことで「ケインツェルにとっての戦い」に対する落としどころを見つけやすくなった(戦争前の時点だと「いくら私怨があるからって帝国にとって重鎮である七英雄を殺しまくれば平和が乱れてしまうのでは?」という問題があった)けど、反面でケインツェルの存在感も減ってしまった憾みがあります。

 最終決戦ではこれまでのキャラがドワッと出てくる定番の展開に突入。初読時には忘れていた連中もまとめ読みのおかげで「ああ、こいつか」とわかるからテンションがブチ上がりました。アニメの1話目に出てくる伊藤健太郎声の僧兵長(ラシェブ)とか、結構終わりの方まで生きているからアニメでの再登場を心待ちにしている。あと初読時だと活躍していた印象のあるマスコット役「ピーピ」が思ったほどは出番なくて「記憶が美化されていた……!」とビックリしたり。ヒロイン?と言っていいのかどうかわからないけど出番は多い「エルサリア」も、私の中ではもっとラブコメシーンの多いイメージだったので「この漫画、女の子を差し置いてこんなにオッサンばっかり次々と出てくる話だったっけ?」と戸惑うハメに陥った。ぶっちゃけ初読時はオッサンに対する関心が薄かったからだんだん見分けつかなくなっていったんだよな……さすがに再読では見分けがつきました。サブキャラだけどレベロントの息子(四男)「バラント」がイイ味出している。家族を殺したケインツェルは憎いが、道を誤った家族が悪いのだからグッと呑み込むしかない……という辛いポジション。準レギャラーキャラだと「ロズン」も美味しい成長を遂げています。ロズンは0巻から出ているキャラなんで、アニメ派はケインツェルに向ける複雑な感情がわかりにくいと思いますが……。

 続編となる『ユーベルブラットU 死せる王の騎士団』が出ているから大まかな結末はバレバレだろうし書いてしまうが、ケインツェル(アシェリート)の復讐は無事完了して「七英雄」全員を葬り去ることができました。「裏切りの槍」の汚名を雪ぐこともできたし、もう心残りはない――と自身含む14人の墓(「七英雄」は憎い仇だったが過酷な旅をともにした仲間ではあった、ということで一緒に弔っている)から立ち去るシーンで「Ende」。英雄戦争のゴタゴタもあって帝国の体制は盤石とは言えず、再建を図っているさなか「死せる王の騎士団」と名乗る新たな敵が現れて……というのが今連載しているUです。アニメ化に合わせてか去年始まったばかりで、まだ2巻分くらいしかストーリーが進んでないからどういう話になるか現時点ではよくわからない(風呂敷が畳めなくなることを恐れたのか「闇の異邦」関連にはあまり踏み込まなかったので、今度こそ踏み込んで欲しい気持ちはある)が、ケインツェルたちの「その後」を拝めるとあってワクワクが止まらない。なんとか打ち切られずに続いて欲しいものだ。

・久々にFantiaの正田崇・Gユウスケのページをチェックしたら第零神座の『事象地平戦線アーディティヤ』が止まって第五神座『Dies Entelecheia』が始まっていた件。

 どうもアーディティヤが行き詰まってしまったので一旦ペンディングして、空白の多い第五神座を先に埋めることにしたみたいですね。第五神座は「輪廻転生(サンサーラ)」がテーマで、インド神話がモチーフになっている点で第零神座と共通しているから内容的に連動させる必要もあったようだ。神座シリーズのファンからすると「すべてのはじまり」であるアーディティヤも興味深いが、第四神座(Dies irae)と第六神座(神咒神威神楽)を繋ぐエピソードである第五神座の方が早めに埋めてほしい箇所だったので、アリと言えばアリかもしれません。アーディティヤ自体、大元の『Dies irae PANTHEON』では隠しエピソード的な扱いだったらしいし。ただ、第五神座は空白が多い=書かないといけないことが膨大なので、埋め切れるのかどうかが心配になるところだ。『黒白のアヴェスター』は比較的順調に進んで2年程度で連載が終わったが、『事象地平戦線アーディティヤ』は難航したみたいで連載から3年経ったところで中断(全5部構想で、第3部の途中まで進んでいた)。アヴェスターのゲーム化など他の作業も重なって忙しかったんだろうけど、この調子だとEntelecheiaも順調に進んだとして連載完結は2027年頃、少し掛かれば2028年、難航すれば2029年か2030年くらいになりそうだ。アーディティヤの方も、再開が決まったとしてもそこから完結まで2、3年掛かるかもしれない。もう正田信者のほとんどは長期戦を覚悟しているだろうし、腹を括って待つしかないですね。

「勇者のクズ」TVアニメ化、勇者とマフィアの現代異能バトル 制作はOLM(コミックナタリー)

 えっ、あの8年くらい前に1巻が出たけど打ち切られて2巻が発売されなかった『勇者のクズ』がアニメ化!? めちゃくちゃビックリして調べたけど、どうも原作ファンの漫画家が打ち切られた後に自腹で(原稿料貰わないで)辛抱強くコミカライズを続けた結果、2022年にリイド社で商業化し、人気に火が点いてアニメ化まで到達したらしい。す、すごい話だな。これに伴って原作の小説版も再書籍化される模様だ。まさかこんなミラクルが起ころうとは。原作者の「ロケット商会」は『勇者刑に処す』という作品が当たって今年アニメ化される予定なんですけど、この勢いなら『魔王都市』までアニメ化しかねないな。一度打ち切られた作品がアニメ化&再書籍化するの、夢があっていい……是非『Fランクの暴君』『剣と炎のディアスフェルド』あたりも再評価されて続きを出してほしいぜ。

『BanG Dream! Ave Mujica』第11話「Te ustus amem.」、遂に「三角初華」と名乗っていた少女の正体が明らかになる回でした。

 本名は「三角初音」、父親は豊川祥子の祖父である「豊川定治」で、母親は島で豊川家の別荘を管理していた女性。つまり「お爺様の隠し子(婚外子)」という一部のバンドリーマーによる予想が当たった形になります。ただ、「本物の三角初華」は双子ではなく父親の違う妹、異父妹でした。「なぜお爺様は初音を娘として認知しなかったんだ?」という疑問は、「清告だけではなく定治も婿養子だった」という事実が判明したことで氷解。お爺様がお父様に対して辛辣な対応をしていたのは自身の立場もそれほど盤石ではなかったからだったのか……。

 母と結婚した養父(この人の姓が三角)は悪い人じゃなかったみたいだが、「自分とは血の繋がりがない」ことで蟠りを抱いていた初音。そんな中、豊川の別荘へ避暑に来た祥子と妹の初華が仲良しになる。初音と祥子は叔母と姪の関係に当たる(JOJOの杖助と承太郎の関係に近い)が、初華は血縁的には完全に他人なので特に問題はない。だが、定治の隠し子である自分と祥子が親密になったら要らぬ騒動が起こるかもしれないから、という理由で接触を躊躇う初音。しかし、「本当は自分がそうなっていたかもしれない豊川の子」への興味は押し殺せず、祥子を見に行って、顔が似ていることから初華と誤認されてしまう。素性を探られたくなかった初音は初華のフリをして祥子と遊ぶうち、彼女に魅了されていく――島へ来たときに祥子が持っていた人形を初音が知らなかったこと、「瑞穂(祥子の母親)と会ったことがある」と指摘されて焦ったような顔をしていたこと、思い出話が微妙に食い違っていたこと、虫捕りに行ったときと星を見ていたときで服装が違うこと、過去にちりばめていた伏線が一気に回収されました。自分の複雑な生い立ちを知らない祥子と一緒にいるときだけ、初音は「かわいそうな子」ではなく「人間」でいられる。でも昼間に行くと妹の初華とカチ合う可能性があるので、夜の間しか逢うことができなかったという……「太陽」の初華と「月」の初音。たぶんバンドリに合流する前の設定では初華と初音は双子で、「亡くなった初華になりすましている」という真相だったのではないかと思われるが、「あまりに重すぎる」って理由でナーフされて「異父妹で存命中」に変更されたのではないだろうか(特にソースとかはなく、単なる私の妄想です)。

 「同じ男(定治)の血を引く者」でありながら「豊川の子」としてお姫様のように過ごしている祥子を妬みつつ惹かれていく初音の心情はそれこそ「Odi et amo.」で、妹のフリをしながら接しているうちに自分の本当の気持ちが何なのかグチャグチャになってしまって本人でもよくわからなくなってしまったのだろう。そんな初音の人生は養父の死をキッカケに暗転する。海の事故で帰らぬ人となり、「姉だから」という理由で気丈に振る舞っていた初音は妹から「パパが違うから悲しくないんだ!」と責められる。その言葉に傷つきながらも、「事故で急に亡くなったというのに、妹みたいに動揺して度を失ったりしないのは、本当に悲しくないからなのでは?」と自分自身に対して懐疑を向けてしまう。「悲しみ」に自信を持てない彼女が「ドロリス(悲しみ)」と名乗っていた皮肉な構図。島に居場所がないと感じた初音は貯めていた小遣いを握って船に乗り、遠路遥々上京する。このへんで気になるのは「初音や初華は学校をどうしていたのか」という問題。初音が「初華」と名乗ってTVに出演するほど活躍していれば、妹はもちろんのこと小学校や中学校で一緒だった子は当然気づいて騒ぎになるはずなのに……過疎地の島だから『のんのんびより』の旭丘分校みたいに小中合同で生徒が数人しかいなかったのかな?

 顔が良いからか上京早々にスカウトされた初音は、妹の初華が「東京へ行ってアイドルになる!」と祥子に夢を語っていたことの辻褄合わせとして、「三角初華」と名乗ってアイドルを目指す。つまり初音自身は別にアイドルに憧れておらず、「デビューすればさきちゃんと再会できるかも」という期待から芸能界入りしたことになる。sumimiの活動で疲れたような顔をしていたのもアイドル稼業そのものに対するモチベが低いからだろう。というか時系列的に初音が「初華」としてデビューするのはCRYCHIC解散前なので、まだ中学生だったはず……まさか中学校を中退してアイドルになったのか? 小卒アイドル? いや、花咲川女子学園に通っているんだからそのへんは定治が手を回して権力で卒業扱いにしたか、あるいは本土の中学校に転校したのかな。バンドリは日本なのに飛び級の子もいる世界だから、学歴設定に関しては割とユルめです。祥子に対して「同じ歳の姪」とハッキリ明言しているので少なくとも年齢詐称はしていないはず。

 そこから先が少し入り組んでいますね。スカウトされて、「純田まな」とユニットを組むことになったが、未成年なので保護者の許可が必要になる。事務所の社長に「豊川定治の婚外子」であることを明かし、定治が手を回したことでまなとのユニット「sumimi」は同時に大々的に取り上げられる。デビュー前、大きなビルの落成式で祥子の父親である「豊川清告」を見かけ、祥子ともう一度会いたい一心の初音は洗いざらい己の出自を告白してしまう。清告は「初音を豊川の子として認知すべきだ」と定治に訴えるが、豊川本流の血筋でない定治の婚外子を迎えることなど他の親族が許さない、そんなことをすれば定治が失脚し、孫娘の祥子も路頭に迷う恐れがある……と突っぱねられる。このへんの遣り取りは清告から直接聞いたのだろうか? で、直後に清告が追い出される。

 厳密なタイムテーブルはわからないが、だいたいの流れとしては「瑞穂(祥子の母)が病により逝去→消沈する祥子、月ノ森の講堂でモニカのライブを睦と一緒に鑑賞→バンド、ですわ!→吹奏楽部のそよを勧誘、帰り道で燈と邂逅→椎名真希(立希の姉)から立希を紹介してもらい、CRYCHIC結成→同じ頃に初音の養父が事故死→初音は単身上京し、即スカウトされる→事務所の社長に素性を明かし、まなとのユニット『sumimi』でデビューすることが決定→デビュー前のイベントで清告と会って定治の婚外子であることを打ち明ける→祥子にデビューが決まったことを伝える(連絡先をいつ交換したのか、祥子が妹の初華と連絡先を交換していない確信があったのか、など細かい疑問点はあるがひとまず無視)→CRYCHIC初ライブを開催、初華も駆けつける→ライブ終了後、清告から『もう一緒に暮らせない』と連絡が来る→CRYCHIC解散、ほぼ同時期にsumimiもデビュー」、こんな感じだろう。燈ちゃんはもともと芸能人に興味がない、ってのもあるだろうけどsumimiがデビューしてメディアに大きく取り上げられていた頃はCRYCHICが大変な時期だったから初華の顔や名前も全然覚えてなかったんだろう。清告は娘が組んだAve Mujicaというバンドに「娘の血縁者がいる」ことを知っていたことになるが、その後酒に溺れたこともあってどうでもよくなってしまったのだろうか。

 初音の主観では「初音の処遇を巡って対立した」ことが原因で清告は豊川家から放逐されたことになっているが、瑞穂が亡くなっていたことも知らなかったくらいだし、168億の詐欺事件も十中八九把握してないだろう。なので視聴者からすると初音の主観が正しいのか間違っているのか判断しがたい。「168億事件は口実だった」と定治本人が認めないかぎりこの件は決着しないでしょう。事実はどうあれ、初音視点では「自分の迂闊な行動がもとで清告が豊川家から追い出され、父親を見捨てられなかった祥子も家を飛び出し、没落令嬢さながらの苦労をするハメに陥った」ことになる。いや……やけに祥子の境遇に詳しいけど、ずっと監視してたのか……? まずそこが怖いんだけど。sumimiとして忙しく活動する傍ら、プライベートの時間を姪っ子のストーキングに費やしていたなんてファンが知ったら失神してしまうだろう。

 祥子に対して愛憎入り混じる気持ちがあったとはいえ、辛い目に遭ってほしかったわけではない初音は罪悪感を抱くことになり、罪悪感ゆえに盲目的な愛を捧げることになる。なんというか、『プリンセス・プリンシパル』の「委員長」を思い出しちゃったな……スパイ養成所に送られ、成績優秀だったものの幸せな思い出がろくになく、ミッションをサボってドロシーと一緒にいった移動遊園地の記憶だけが唯一の拠り所だった子。「あのとき初めて遊園地に行ったのよ。楽しかったなぁ……今でも夢に見るのよ、あなたと遊んだこと、笑ったこと」 空虚に苛まれ「自己」を保てず滅んでいく、心弱き者。「自分の醜さ」から目を背け続けてきた初音はもう薬物に依存するような調子で祥子に依存しているのだろう。ちなみに上京後、初音が学業をどうしていたのか語られていないから明瞭ではないが、花咲川に入ったということは最低限受験はしているはずだ。芸名はまだしも戸籍をイジって「三角初華」にしてしまうと本物の初華に累が及んでしまうので、恐らく学籍上は本名の「三角初音」になっていると思います。特別な事情があれば通称使用も許可されるだろうが、初音の事情では無理だろう。同級生の立希や海鈴は「三角さん」としか呼んでいないし、他のクラスメイトも「初華」ではなく「sumimiの初華」と呼んでいるので、「本名と芸名が違う」ことを知りつつ大して気にしていないのだろう。バンドリの既存バンドであるRASこと「RAISE A SUILEN」のメンバーも本名とバンドネームは別(たとえば「チュチュ」の本名は「珠手ちゆ」だが、彼女を本名で呼ぶキャラはほとんどいない)です。

 とはいえ、本名「三角初音」が妹である「三角初華」を騙って「初華」という芸名でデビューし、ムジカでは「ドロリス」というバンドネームを使うというバンドリ史上もっともややこしい子になっていることは確か。クラスメイトの海鈴がうっかり「初音」という本名をバラしてしまうだけで瓦解しかねない、薄氷の上で成立している仮面生活です。20分近く使って「初音の一人芝居」という形式で真相を明かした後、物語は定治が「初音、帰りなさい」と言ったポイントへ戻ります。これ以上祥子と初音の独断を座視できなくなった定治は「祥子をスイスに留学させる」という強硬手段に打って出る。「短い夢が終わった」ことを悟った初音は荷物をまとめ、故郷である島へ戻る。祥子は軟禁状態で家から出られず、初音は既に東京から去った。復活した直後にメンバー2人が欠けて機能不全に陥ってしまったムジカ。危機的な状況なのに「こういうのやめてほしいんですよ、トラウマなんですよ!」と叫ぶ海鈴の味が独特すぎてシリアスなムードが吹っ飛んでしまった。というかなにげにsumimiも解散の危機じゃないかコレ。最近はまなちゃんもソロの仕事が増えてきてるみたいだから解散してもやっていけるだろうけど、いきなり辞められたら戸惑うなんてものじゃないでしょ。どういう結末を迎えるにしろ、初音はいっぺんキチンとまなちゃんに謝った方がいいのではないか。

 さておき初華(初音)の秘密が明かされたことで、後は「祥子が初音を受け容れるかどうか」と「定治の妨害をどうやって乗り越えるか」、問題はふたつに絞られました。お爺様がスイス留学という強硬手段に出たの、「他の豊川家の連中の手前仕方なく」ということなんだろうが、「むしろ今までのムジカの活動は容認していたんだ」ってビックリしますよね。豊川本流の血を継ぐ祥子が「弄られて垂れ流す」とか「code 'KiLLKiSS' uh……」とかやってるのはOKだったんだ……大ガールズバンド時代だからか?

 残りあと2話、捻らずに考えれば「瑞穂に似てじゃじゃ馬」な祥子が豊川邸を脱走し、単身でか他のメンバーを率いてかはわからないが島に向かって初音を迎えに行く。身を引こうとする初音を説得して島から連れ出し、定治や清告としっかり話し合ったうえで自分の意志を押し通す。拗れたら豊川の家から出ていくことになるかもしれませんが、それはもうCRYCHICのときにやってるから「うまく交渉して豊川家に居残りつつムジカを続ける」方向で調整するのではないかな。「子供たちが大人の権力に立ち向かう」というのは昔のアニメでよくあった展開だが、「大人の権力」をあまり詳細に描いても面白くならないので大雑把に「音楽の力でねじ伏せる」感じになるんじゃないかと思います。CRYCHICの卒業式を終えた祥子にとって大切なのは過去ではなく「これから」なので、初音が嘘つきまくっていたこともそこまで致命的じゃない。詰まるところ祥子が「初華と名乗る初音」を選んだのは「初華が昔馴染みだから」ではありません。MyGOの春日影にショックを受けてRiNGから飛び出した祥子が見上げた街頭ビジョン、そこにあった「星」が初音だったからです。あとはそこをどう初音に納得してもらうかですね。ギリギリ尺に収まりそうだけど、まなちゃんは最後まで蚊帳の外になりそうなのが不憫だな。「全国のど自慢大会5連覇」という過去が明らかになったまなちゃん、祥子と同じタイミングで島に上陸して初音を取り合ったら修羅場好きの私としては大興奮なのだが、果たしてあと2話という限られた尺の中でまともな出番が用意されているだろうか。

 今回ほぼ初音の一人語りだったので「どこまでが真実なのか」不明瞭であり、極端の場合だと「初華ちゃんなんて最初からいないよ?」なイマジナリー妹のパターンもありえるんだよな……初音が「初華」という役を演じていただけっていう。睦/モーティスと被るからさすがにそれをやるのはクドいだろ、普通に「本物の初華」が出て来るんじゃないか、と思いますが。本物の初華は「東京でアイドルになりたい」という夢をとっくに見なくなっていて普通の中学生になっているのかもしれません。自分の名前を騙っている姉をどんな気持ちで見ているのかが気になるところだ。

 次回第12話のタイトルは「Fluctuat nec mergitur.」、パリの標語として有名な「たゆたえども沈まず」という意味の言葉だ。風が吹いたり波が来たりして揺れることはあるけど、決して沈まない。久しぶりに希望の見える題名です。原田マハの小説にこの言葉を元にした『たゆたえども沈まず』という本があるし、少し違うが白川道の小説にも『漂えど沈まず』という本がある。『病葉流れて』というシリーズの6冊目だ。Ave Mujicaという病葉はいったいどこへ流れ着くのか。

・三枝零一の『魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】』読んだ。

 2001年に始まって2023年に完結した(後日談含む短編集も含めると2024年に完結した)『ウィザーズ・ブレイン』の作者「三枝零一」が放つ24年ぶりの新シリーズ第一弾である。『魔剣少女の星探し』がメインタイトルで『十七【セプテンデキム】』は1巻のサブタイトル、主人公「リット」が所持する魔剣の銘です。この調子だと2巻や3巻も魔剣の名前がサブタイトルになるのかしら。SF色の強かった前作に対し、今回はファンタジー色が強めで、ややSFっぽい雰囲気が残っている感じ。「魔剣」を始めとするオーパーツじみた技術が存在する世界で主人公たち「魔剣少女」が壮絶なソード・アクションを繰り広げる。

 2000年以上続いた「魔剣戦争」が、遂に終結――少し前まで英雄と崇められた「魔剣使い」は、今や無用の長物と化していた。彼・彼女らは「廃剣令」によって居場所を失い、大国の威光が届かない聖地「セントラル」でのみ存在が許されている。南の国「オースト」からやってきた少女「リット・グラント」は、亡き母との誓いを果たし「天下一の魔剣使い」となって己が名を世界中に轟かせようと、意気軒昂セントラルの門を潜った。しかし、立ちはだかる現実は厳しかった。もはや魔剣使い同士が刃を交えて強さを競うなど、時代錯誤も甚だしい。片っ端から決闘を申し込んでも断られ、勝ち負けどころかマッチメイクすらできない。仕方なく「ギルドに所属して犯罪者捕縛や魔獣退治の依頼でもこなそう」と考えるが、戦争終結からこっち、食い詰め者となった魔剣使いが各地から押し寄せているセントラルでは「腕が立つかどうか」ではなく「信頼できるかどうか」が重要視されており、紹介状の一つも持たぬ少女なんてどこも門前払い。仮に誤チェストしてしまった場合「誰が損害を補償するんだい!」という問題に発展するため、紹介状などそう簡単には書いてもらえない。天下一になるどころか明日の生活さえ危ぶまれる窮地に立たされたリット。途方に暮れかけていたところ、東の国「エイシア」のお偉いさんが賊に襲われている場面に遭遇し、これ幸いと撃退したところあれやこれやの末「神前決闘裁判」に出場する運びとなって……。

 天下一の魔剣使いとなるべく旅立ったのに肝心の戦争が終わってしまった! というトホホな状態から始まるソード・アクション・ファンタジーです。主人公のリットちゃんは好戦的で、決闘を拒む相手に「鍔迫り合いだけ! 鍔迫り合いだけでもいいから!」と懇願するお茶目なところもあって可愛いです。助太刀したにも関わらず賊の一味と間違われお偉いさんの護衛と剣を交えるハメになり、つい勢いで相手の腕をへし折ってしまって、彼が出場する予定だった決闘裁判に代理で参加することになったリットちゃん。決闘相手は巨漢だと聞いていたのになぜか細身の美少女が出てきて混乱するハメに。なんてこたぁない、この子も出場する予定だった男をブチのめしてしまったせいで代理参加する運びとなっていたのである。ドキッ!代理だらけの神前決闘裁判、ポロリもあるかもよ!(胸に差した一輪の花がポロリと散れば決着というルール)

 さて、本書の読みどころは何と言っても魔剣使いたちによる剣戟シーン。特にリットちゃんの殺陣はかなり映像向けなので「はやくアニメ化しねぇかな」と読んでて気が急いてしまう。リットちゃんが操る魔剣「十七(セプテンデキム)」はその名の通り17もの刃を重ねて構築された大剣であり、あまりのデカさに鞘に納めることなどできない。腰に提げることも背負うことも不可能。じゃあどうするのかと申しますと、重力制御のような魔法を使ってセプテンデキムを宙に浮かせているんです。抜き身のまま、ふよふよとSTGのオプションみたいにリットちゃんに追随するセプテンデキムくん、想像すると微笑ましいようなちょっと怖いような。狭いところを通るときにちょっと傾ける描写も出てくるのが細かいです。リットちゃんはこのセプテンデキムくんを遠隔操作して戦うわけですが、本体も後方主人面してただ突っ立っているわけじゃなく、鍛え上げた体術を駆使して敵をブチのめさんとする。つまり蹴ったり殴ったりしながら魔剣を薙いだり斬り下ろしたり、という実質タッグマッチのような塩梅になっているのだ。血の滲むような努力によってセプテンデキムくんの制御は完璧になっているから、その刃を足場にして跳躍したり、自分自身を野球のボールみたいに打ち出して特攻(ブッコミ)をかけたりすることもできる。アクロバティックすぎて「お侍様の戦い方じゃない……」ってなるけど、リットちゃんはサムライじゃないから別にいいか。感覚的には「ファンネル使いながら接近戦を挑むモビールスーツ」であり、まるでロボットアニメでも観てる気分になります。頭の中で響いていたBGMは『装甲悪鬼村正』の「BLADE ARTS V」だ。

 リットちゃん以外にも、「自分より強い方とお付き合いしたい」と願って北の国「ルチア」からやってきたレイピア状魔剣「山嶺(モンストゥルム)」(重さを任意で変更することによりブギポのモービィ・ディックみたいに当たったときの威力を操作できる)の使い手「クララ・クル・クラン」や、かつてとある「結社」に所属していたが今は独自の目的を果たすために短剣型魔剣「全知(オムニシア)」(他人の魔剣の制御を奪い取る、ただし固有の権能までは奪えない)を駆使して暗躍する「ソフィア」といった魔剣少女たちが登場します。冒頭120ページくらいは3人の魔剣少女を順々に紹介する形式となっており、雰囲気がちょっと群像劇っぽい。ソフィアちゃん曰く、魔剣戦争よりも前(つまり2000年以上前)に「最初の魔剣使い達」が「七つの厄災と魔物の軍勢」と神話的な争いを繰り広げ、魔剣の力でそれらを「聖なる門」に封じ込めたという。「結社」と呼ばれる集団は「聖なる門」の封印を解いて「七つの厄災と魔物の軍勢」を世界に呼び戻そうとした。既に「結社」は崩壊したが、その残党どもが諦め悪く計画を続行しようとしている。あまりにもスケールが大きくて俄かには信じがたいリットちゃんであったが、問答無用で追われる立場になってしまい、否応なくクララやソフィアとチームを組んで戦うことになります。

 主人公の目標は「最強の座」に到達することで、この点に関しては単純明快なんですが、成り行きで「世界滅亡」を防ぐ戦いに巻き込まれ、「ならず者」として追い回されることになってしまうなど、思い描いていた英雄譚とは全然違う方向に突き進む。崩壊したとされる「結社」の規模は想像を超えており、2000年続いた魔剣戦争すら「聖なる門を封印するために使用されている魔剣を各国が消費するよう仕向ける」ために「結社」が引き起こした壮大な陰謀劇だった――という凄まじさ。人里離れた山の奥で育てられたリットちゃんには咀嚼することすら難しい。リットちゃんの「グラント家」は十七(セプテンデキム)という規格外の魔剣を継承しながらも、規格外すぎるがゆえに開祖以外誰も使いこなせないという窮状に直面し、没落の末にリットちゃんの母の代で廃嫡してしまったという悲しい経緯を持つ。廃嫡した後にリットちゃんという初代以来の使い手が現れ、なのに魔剣戦争すら終わってしまったというのだから皮肉な話だ。こういった事情から「リット・グラント」はリットちゃんが勝手に名乗っているだけであり、グラント家なるものは現存していない。一般的にイメージされる「家」のイメージもなく剣の修行に明け暮れ続けた娘の人生を想って「ごめんなさい」と謝る母と、「いえ、あなたの娘として生まれて幸せだった! あなたの夢と願いは必ず果たします!」と誓うリットちゃんの件は何度読んでも泣ける。やがて「結社」の残党によって「聖なる門」の封印は解かれ、その向こうから「災い」がやってくる。食い詰め者とはいえ魔剣使いが集まる街なので易々と「災い」に屈することなく名もなきモブたちが抗う展開はアツいが、神話級の事態にあっては焼け石に水。世界の命運は三人の魔剣少女に託されることとなります。

 訳有り魔剣少女のスクワッドが成り行きで世界を救う! という、ウィズブレと比較して割とストレートというか痛快娯楽活劇なノリで「三枝零一らしさ」はやや希薄ですけれど、冒頭に出演したチョイ役の魔剣使いが意外な活躍を見せたり、諦めそうになった主人公を在りし日の母の言葉が奮起させて立ち上がらせたりなど、丁寧に盛り上がる要素を積み重ねていってドカーンと見せ場を演出してくれます。まだまだ壮大な物語は始まったばかりってムードなので続きが楽しみだ。作者の呟きからすると2巻目の原稿を執筆中みたいで、3巻への布石を着々と打っているみたいだから売上面で厳しいことにならなければまだまだ「先」があるはず。ただ、あとがきで他の小説も書きたいというようなことを語っているので10巻以上続く長期シリーズにはならないかもしれません。理想としては3つくらいシリーズを並行して展開してもらいたいところだけど、三枝零一にそこまで求めるのはさすがに無茶と申しますか……とにかくこの『魔剣少女の星探し』を円満完結するところまで持って行ってほしいものです。

・映画の『ビーキーパー』を観ました。

 「ジェイソン・ステイサム」主演作品。そのうち配信されるだろうな、とは思っていましたがこんなに早く配信が来るとは予想していなくてビックリしました。アメリカで公開されたのは2024年1月だからもう1年以上も前なんですけど、日本公開はかなり遅れて2025年1月、ほんの2ヶ月前です。監督は「デヴィッド・エアー」、ブラッド・ピッドが戦車に乗る映画『フューリー』とかを撮った人。旧『スーサイド・スクワッド』の監督でもあるのでアメコミファンからの評判は宜しくないが、あれに関しては「自分のコントロールの効かないところで全然違うものにされてしまった」と語っているから監督自身にとっても不本意な出来だったようだ。脚本は「カート・ウィマー」、あの『リベリオン』の監督と脚本を務めた人で、一部のマニアの間では有名。この映画はカート・ウィマーのドイツに住んでいる伯母が特殊詐欺の被害に遭ったことが企画の発端ということで、詐欺犯どもに対する怒りが漲っている。「悪党は死ね!」 それ以外のメッセージ性はほぼなく、スカッと単純明快に楽しめるアクション映画に仕上がっています。

 かつては「養蜂家(ビーキーパー)」と呼ばれる超法規的な任務に従事する秘密工作員だったが、引退後の今は田舎で普通の養蜂家として暮らしている男「アダム・クレイ」(偽名、経歴は抹消されており本名不詳)。しかし、納屋を貸してくれる隣人「エロイーズ・パーカー」が特殊詐欺の被害に遭い、自身の資産のみならず管理していた慈善団体の預金まで奪われたことに責任を感じて自殺したことをキッカケに、「因果応報」の化身として最前線に舞い戻ってくる。俺はビーキーパーだ、群れを守るために邪魔なモノはすべて排除する――という典型的な「話し合いではなく暴力で解決する」タイプの話です。要は『ジョン・ウィック』『イコライザー』を混ぜたような映画。パーカーさんをハメた実行犯は古巣に連絡して即座に特定、悪しきコールセンターにガソリンを撒いて焼き払う爆速ぶりが気持ちいい。30分もしないうちに拠点の一つがバーニングしてるんだから笑ってしまう。ホント、脚本から伝わってくるカート・ウィマーの怒りが凄まじい。後は元締めの連中を殺しに行く展開へ突入するのですが、押し寄せるライブ感はハッキリ言って漫画の『タフ』級なので細かいツッコミどころは無視してエンジョイしましょう。「なんで引退したのに権限が生きているの?」など、養蜂家(ビーキーパー)なる組織の実態がふわふわし過ぎなほどふわふわしている。「アダム・クレイはもう組織を抜けた身だし消しちゃおう」と安易に追っ手を差し向けて返り討ちにされ、ビビって静観の構えに徹する途中の展開といい、組織としてあまりにもグダグダだ。すべてはステイサムが無双するための舞台装置と割り切ろう。あと、ところどころで蜂蘊蓄が挿入されるノリは村田真哉原作漫画っぽいな、と思いました。

 製作費が4000万ドルほどと比較的低予算で作られた映画だけに大作感はなく、「ちょっとここの絵はショボいな」と感じる箇所もあったが疾走感が抜群なおかげもあって退屈せずに最後まで観ることができた。今のハリウッド映画、コロナ禍のときに離れた観客があまり戻ってなくて、ストリーミング配信による自宅での視聴へシフトしちゃった人が多く、興行収入やDVD・BDの売上が下降気味らしくて「大作映画」そのものが減っているらしいんですよね。日本の映画館でも海外実写映画の存在感が弱くなり、ランキングの上位はアニメや邦画が占める傾向になってきている。ほぼ毎月のように海外実写映画を浴びていた身からすると寂しい状況だ。話を戻してビーキーパー、世界的にスマッシュヒットを飛ばしたこともあって早くも続編企画が動いている模様です。監督のデヴィッド・エアーは今ブラピ主演の映画 "Heart of the Beast" (元特殊部隊所属のブラピが飛行機事故でアラスカの荒野に放り出され、引退した軍用犬と一緒にサバイバルする話らしい)の撮影で忙しいらしく、「プロデューサー」というポジションで『ビーキーパー2(仮)』に関わるらしい。新たな監督は「ティモ・ジャヤント」、インドネシア出身の若手でホラー方面が得意、ゴア表現に定評があるそうだから続編はグロい描写増えるかも。『ビーキーパー』と似た路線のアクション映画『Mr.ノーバディ』の続編『Mr.ノーバディ2』(今年8月にアメリカで公開予定)も手掛けており、うまくいけばこのまま続編請負人として重宝されるか? 脚本はカート・ウィマーがそのまま続投です。なので組織のグダグダぶりも恐らくそのままでしょう。撮影開始は今年の秋からということで、早ければ来年の春くらいには公開されるかしら。

 まとめ。ストーリー面はかなり粗いけど「ステイサムが無双するだけでスカッとする」層にはうってつけの1本。ちなみにエアーとステイサムのコンビは "A Working Man" という新作にも携わっており、こちらも「引退した元特殊工作員が誘拐された家族同然の少女を取り戻すため巨大な人身売買組織と戦う」という『ビーキーパー』系の映画です。アメリカでは今月28日公開予定なんですが、邦題がないことからわかるように日本での公開予定は不明。下手すると劇場公開ナシで配信や円盤のみかもしれないな、これ。



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