「Dies irae 〜Acta est Fabula〜」
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 完成へ漕ぎ着けるまで実に6年近くの月日を流離ってきた『Dies irae』というソフトの数奇な足取りは07年版およびクンフトの感想を参照していただくとして、まず真っ先に結論を申し上げると紛うことなき傑作でした。まさしく「完全版」と謳うに相応しい内容であり、ノベルゲームとしての『Dies irae』はこのファーブラを以って無事終幕に辿り着いたのだと断言しえます。2007年のクリスマス・シーズンに始まった陰湿な悪夢が丸2年後のクリスマスでやっと祓われて浄化したのだと思うとまこと感慨深い。「既知感(ゲットー)の破壊」なるテーマは今回追加された螢ルートおよび玲愛ルートで見事達成されました。それにしても「既知感」だの「スワスチカ」だのと、作中の設定がこれほど現実世界に流出したエロゲーも珍しいであろう。おかげでいっそ余計なほど本編の内容にのめり込んでしまった。「学園伝奇バトルオペラ」の響きに胸を躍らせて早4年半。待ち続けてよかった、焦がれ続けてよかった、自分の想いが報われてよかった……掛け値なしに涙で視界が滲んだ。喜びのあまり、コンプ後は激しい虚脱感に苛まれる次第でしたよ。

 『Dies irae』の概要や、各キャラクターへの言及はクンフトの感想でだいたい済ませていますので、今回は章ごとのストーリーを重点的に語っていきたい。まず、付帯的というか周辺的な事柄から。Acta est Fabula(以下ファーブラ)は大別して「パッチ版」と「製品版」があり、更に製品版は「完全版(初回版)」と「完全版(通常版)」と「アペンド版(Scharlachrot Grun)」の3つが存在します。完全版の初回版と通常版の違いは特典書籍「白本」が付いているかいないかだけで、ソフトそのものは一緒。07年版やクンフトの有無に関係なく、単体で起動することができます。ゆえに、これからDiesを始めるという人は初回版にしろ通常版にしろ、とにかく完全版を購入すれば宜しい。パッチ版は07年版のユーザーIDでユーザー登録していないとネット認証用のプロダクトIDを入手することができず、また07年版をインストールしておかないと起動することができません。アペンド版はクンフト(die Wiederkunft)がインストールされている状態でないと起動しません。アペンド版には「本製品のみでは、ゲームをプレーすることができません」とかなり目立つ帯が巻かれていますので、完全版と取り違えて買ってしまうことはまずないでしょうが、一応値段を見て確認した方がいいです。完全版(初回版)は12390円、完全版(通常版)は9240円、アペンド版は5040円、すべて税込。またファーブラは、パッチ版であれ製品版であれネットに繋いで認証することが不可欠となっております。いわゆるアクティベーション。アンチウイルスソフトが常駐していると認証画面自体が出なかったりすることもあり、ちょっと面倒臭い。当方はパッチ版で認証してコンプした後にパッチ版をアンインストールし、代わりにアペンド版を入れ直しましたが、何らかの形で認証が生きていたのか再度プロダクトIDを求められることはなかったです。

 初回特典であり製品版の目玉とされていた白本について。あまりの重さに持つ手がぷるぷると震えてくることもあって少々読みにくいが、07年版ショップ特典テレカのイラストが大きい絵で印刷されているなど見所は多い。何より、用語集は必見。ここだけは縦書きのため右開きで、巻末から読み始める形式となっております。縁のギリギリまで印字されているところもあり、ちょいと見辛いが、エレオノーレが半身火傷を負って獣殿に永遠の忠誠を誓った経緯など団員の過去に関する事柄のほか、本編では説明することができなかった言葉の意味や裏設定も載っていて充実した内容です。できればこれ、新書サイズかB6判くらいのパンフレットにして気軽に読めるモノにしてほしかったな。やはり白本が重くて、読み耽っているうちに指が痛くなり、手もぷるぷるしてくる。

 攻略順について。攻略制限があるみたいで、初周は香純ルートか螢ルートのどちらかに固定されています。2周目から選択肢が増えてマリィルートに進めるようになり、マリィルートをクリアすることで玲愛ルートが開放される。推奨攻略順は香純→螢→マリィ→玲愛、間違っても香純ルートを後に回さないでください。螢ルートを最後にクリアするんならまだしも、香純ルートをオーラスに持ってくると後味が悪くなっちゃいますよ。バッドエンドがなくなった完全版において、あれが実質的なバッドエンド……とまで囁かれるくらいですから。

 章構成について。Diesはすべてのルートが全13章構成となっています。うち6章までが共通ルート、7章から13章までが個別ルートですが、螢ルートは香純ルート派生、玲愛ルートはマリィルート派生なので個別に入ってすぐ展開が大きく変わるわけではありません。螢ルートは9章の学園戦を境に香純ルートとの違いが顕著になっていき、一方玲愛ルートは8章あたりから早くも変化が出始める。ちなみに、07年版にあったルサルカBADエンドは条件を満たすと玲愛ルートのイベントとして見ることが可能。内容は概ね07年版と一緒だが、拷問を始める前の遣り取りが異なる。玲愛ルートでルサルカ寄りの選択肢を選ぶとルサルカに関連したイベントが発生し、スタッフロール後にもちょっとしたオマケが出てきます。あくまでオマケなので、ルサルカ専用エンドとかルサルカ個別ルートとかいったものは望まぬ方が吉です。

 エッチシーンについて。香純と螢と玲愛が2つずつ。マリィは1シーンのみだが、2連戦でコトに及ぶため実質的には他のヒロインたちと同じ扱いと言える。ルサルカはHシーンが3つもあるが、CG枚数自体は差分抜きで4枚とそんなに多くない。リザがカインに犯されるシーンは07年版と一緒でひとつだけ。螢とエッチすることが螢ルートに分岐する条件なので、螢ルートに進むと自動的に2つのHシーンを見ることになるが、香純と玲愛に関しては1回目のHシーンが省略されるケースもある。1回目のHが済んでいるかどうかで、2回目の文章が変化する(CGはそのまま)。エロが主体のゲームではないから実用度は低いけれど、個人的に螢とのHが興奮しました。イくときのセリフにたまらず胸がキュンとした次第。

 じゃあ、そろそろ章ごとのストーリー紹介に移りましょう。もちろん、ネタバレを避けるなどという配慮はございません。未プレーの方は注意してください。

(共通ルート) PROLOGUEChapterTChapterUChapterVChapterWChapterXChapterY
(香純ルート) ChapterZChapter[Chapter\Chapter]ChapterXIChapterXIIChapterXIII
(螢ルート) ChapterZChapter[Chapter\Chapter]ChapterXIChapterXIIChapterXIII
(マリィルート) ChapterZChapter[Chapter\Chapter]ChapterXIChapterXIIChapterXIII
(玲愛ルート) ChapterZChapter[Chapter\Chapter]ChapterXIChapterXIIChapterXIII

(PROLOGUE)

 起動するとタイトル画面の表示もなく強制的に始まるメルクリウスの一人語り……07年版からやり続けているプレーヤーからすれば毎度恒例のウザ行事です。少し内容が違うものの、Dies関連で一番最初に公開された2006年のムービーでもあの演説が収録されていました。ゆえ、ファンにとっては既知感の塊となっています。右クリックや左クリックで飛ばすことができませんから多くのプレーヤーが仕方なく耳を傾けるのですけれども、強制スキップしたりスキップ設定を「全て」にすることで無理矢理飛ばすことは可能です。またタイトル画面でctrlキーを押しっぱなしにしておけぱロゴが迫り上がる5秒程度の時間を省略することができます。それはそれとしてこのプロローグ、web体験版が公開された2007年2月から何度やり直したことだか分かりません。ベルリン陥落の夜を背景にして、単なる脇役として出てきたヴァルター・ゲルリッツやマルコ・シュミット――こいつらがメインキャラと錯覚しそうなほど再プレーを重ねたものでした。ヴァルター・ゲルリッツ曹長は螢ルートでも屍兵の一人として登場しましたね、セリフはなかったけど。エレオノーレがシゲルのルーンを象った炎で煙草に点火するムービーは何度見ても格好いい。この頃はシュライバーにしろエレオノーレにしろ、まだ演技が嵌まりきっていない印象を受けます。

 メルクリウスとラインハルト、黒円卓の双首領が天摩する魔方陣を組み上げ、ベルリンの民、愛すべき自国の人々を犠牲とすることでスワスチカが開放され、イザークによる聖櫃創造の試運転が始まるのですが、「城」に関することはプロローグの時点じゃあまり深く触れられておりません。07年版では「城」ではなく冥府か何かって設定になっていた気がするものの、ハッキリ言ってよく覚えていません。公式サイトでダウンロードできるボーナストラック〜1945〜はこのプロローグに関する補足となっています。エレオノーレが声を張り上げて「ベルリンのスワスチカを開け!」と命を下し、水銀と獣殿のふたりが別れ間際の会話に耽る。一回聞いただけでは分かりにくい内容だが、何度か繰り返し聞いて咀嚼しておくと本編がより楽しめます。具体的には、螢ルートでベアトリスがエレオノーレに噛み付いた理由がまさにあれなわけですし。ともあれ、ベルリン陥落編が終わると時間は現代に移り、青木ヶ原の樹海でトリファと螢が対面する。ここで日付に注目。2006年11月29日――そう、Diesの「現在」は2006年なんですよ。そしてクリスマスの日に獣殿が降臨するかどうかを巡って激しい戦いとなる。つまり、本来ならその時期(2006年12月25日頃)に発売する予定だったんでしょうね。

(ChapterT L'enfant de la punition / 共通ルート)

 章題は「罰あたりっ子」、ポール・フェバールというフランスの作家による怪奇小説の原題です。マリィの諸設定は概ねこの作品をモチーフとしている。司狼と大喧嘩を繰り広げ、半死半生の傷を負いながらも驚異的な早さで回復した蓮が香純とともに刀剣博物館に行き、そこでボワ・ド・ジュスティス――マリィの宿るギロチンと出会う。恐らくこの時点でカドゥケウスが発動したものと思われます。あの博物館はベアトリスが死んだところでもあり、序盤しか出てこない場所ながら何かと因縁深い。夜ごとの悪夢、街で多発する首狩り殺人、そして諏訪原市に足を踏み入れる黒円卓の魔人たち。刻一刻と不穏な気配が募っていくが、まだこの時点で藤井蓮の愛する日常は壊れていません。ただ見えないところに罅が走っていて、今にも砕け散らんとしているだけです。

 学園伝奇バトルオペラの1章目にしてはやや地味だが、剣道場で部活に励む香純の姿など、ちゃんと「学園」要素をこなしていこうとする姿勢が窺えてほんのり微笑ましい。先輩のケータイメールとか、今見ても可愛いな。で、その先輩(ゾーネンキント)は別枠としても、ベイ、ルサルカ、トリファ、螢と黒円卓の残留組は大方出番が得られていますが……名前だけ出てきてハブにされてしまっているリザが少し可哀想か。あの人一応、「怪しいけど騎士団員かどうかはハッキリしないキャラ」という位置づけでしたからね。

(ChapterU Xenophobia / 共通ルート)

 章題は「外国人嫌い」の意味。「未知への恐怖」とも書いてありましたね。2007年に公開された第1弾体験版に収録されていたのはこの章まででした。「ああ、そういえば、私と卿は前にもこの話をしていたな」然り。然り。百億回も繰り返した。――という、ファンの間では割と有名なやりとりが冒頭で繰り広げられる章。07年版に対する不満や、完全版への渇望を互いに言い募るたび「ああ、そういえば、私と卿は前にもこの話をしていたな」「然り。然り。百億回も繰り返した」と茶化して言い合った日々が懐かしい。蓮視点ではトリファと出会って玲愛先輩の住処である教会を尋ねに行くイベントが何気に重要。なんてったって教会は諏訪原市における黒円卓の本拠地ですからね。教会内を探索しようとすると「それ以上いけない」って神父が止めにきます。「礼拝堂に行く」を選んだときの先輩がごっつかわええので、教会探索の選択肢は滅多に選びませんけどね。唐突な「結婚して」の威力はデカい。玲愛先輩は不思議ちゃんに見えて意外と結婚願望が強く、自分のルートにおいて蓮を「結婚詐欺師」と罵るのもそうした事情が絡んでいます。

 教会を辞す際の神父との遣り取りで一瞬トリファの暗黒面が覗きますが、この時点では奴があれほどまでに狂った内面を持つとは読み切れなかったなぁ。帰宅後、この2章目最大の見せ場となるイベント「騎士団員との遭遇」が蓮を待ち受けている。まだエイヴィヒカイトを身に付けておらず、ベイにただただ一方的にボコられるだけの内容なんですが、07年版のときは「他の戦闘シーンよりもここが一番面白い」という声が割とあったものです。クンフトやファーブラから始めた人にとって、「ベイが蓮をボコボコにするところが上限値だった」なんて到底信じられないでしょう。しかし実際、当方が07年版でもっとも執拗に再プレーした箇所はここでした。その一事をもって07年版の体たらくを察していただければ幸いです。しかし、「この街、地図から消しちまうぞ」を最初に聞いたときはオーバーだと感じましたが、今となっては本気で消しかねない連中と分かっているだけに笑えない。最終的には「この星、宇宙から消しちまったぜ」レベルだしな。

 ベイの独擅場と化した感の強い後半ながら、ルサルカや螢といった女性キャラクター勢にも見せ場はあります。というか、主にこの章でルサルカ人気が跳ね上がったのだと思われる。そしてへたる、じゃない螢(ケイ)もこの章ではまだ「冷徹な女剣士」で通る強そうなムードを発しています。6章あたりから徐々に崩れていくんですけども……ラスト、月乃澤学園にふたり揃って転入してきて蓮の平穏な日常はとっくに崩れ去ったのだと自覚するところで〆。今やり返すと素直に「懐かしい」と思えて満足感が込み上げてくる。何せクンフトが出るまでの約20ヶ月間、ずぅっと物語の時計が止まっていた気さえしましたから、何度も何度もプレーし直しても「懐かしい」という感覚には終ぞ至らなかったものです。

(ChapterV End of Nightmare / 共通ルート)

 章題はそのまんま「悪夢の終焉」。「自分が悪夢を見た夜に首狩り魔が出現する」ことを知った蓮が不眠モードに突入するものの、最終的に「もう悪夢に怯えなくていい」ってなることから来ています。Diesファンにとっては、とりもなおさずファーブラこそが「悪夢の終焉」を告げたソフトなんですが……2007年の第2弾体験版に収録されていた章であり、ファーブラの体験版もここまでが収録範囲でした。まず冒頭で学生服着ているルサルカに質問タイムを設ける。ずらっと一気に選択肢が並んで、順々にクリックしていくと次に進む……というのは確かパラロスでもやっていたっけ。懐かしい。ルサルカが何度か言葉を濁すこともあって蓮にあまり詳しい情報が伝わらず、要領を得ないまま対話終了となる。が、コンプした後で読み返すと、ルサルカが言いにくそうにしていた部分も察せられるから面白いな。昼日中を歩くヴィルヘルム、という珍しい光景が拝めるのもこの章。螢との会話はゾーネンキント周りの設定を飲み込んでからじゃないと理解しにくい。香純ルートをやり終えてからもう一度読むと内容が頭に浸透してきます。また、ヴィルヘルムが近くにいることに気づきつつ、蓮に対しては「ヴィルヘルムの居場所なんか知らない」と答えている件で「ルサルカは嘘つきである」ことをさりげなく印象付けています。あと、何と申しても「わたし、もう昔とは違うんだよ。今ならザミエルにも、シュライバーにも、マキナにだって負けやしない」という小物臭さプンプンな発言が笑えますね。ファーブラのムービーが公開されるまではまさか本当にルサルカがマキナと戦うハメになるとは予想だにしなかったなぁ。バトルの結果は言うまでもありません。

 共通ルート前半の軸となる「首狩り魔」の正体がやっと判明しますが、「ムービーに出てくる首狩り魔らしきCGの服装が香純」「首狩り魔ボイスのファイル名が香純だった」などの手がかりから第1弾体験版の時点で首狩り魔=綾瀬香純という真相を見抜いている人は少なくなかった。ベイとルサルカとの交戦を挟んだ後、螢の口から「殺し役」云々といった理屈で香純が死女化した経緯が語られます。が、あとあとの章になって螢の解説が微妙に間違っていたことが判明する。殺し役たる香純が通り魔殺人を繰り返し、その魂を蓮に捧げることで蓮を強化していく――みたいなことを言っていましたが、蓮の聖遺物であるギロチンに宿った魂はマリィのみであり、マリィの魂は単体で獣殿の総軍(ヴァルハラ)に匹敵する巨大さなので「経験値稼ぎ」する必要はなく、香純が奪った魂はすべて博物館のスワスチカに注ぎ込まれたらしい。メルクリウスがカドゥケウスの術式で香純を首狩り魔に変えたのは第一のスワスチカを開くことと、蓮に後戻りできないシチュエーションを作ることが目的だったのでしょう。実に陰険で厭らしい。バラバラ死体の付近で香純のケータイが見つかる→「ああ、蓮……来たんだ」と生首を手に提げた香純登場→「さあ、これこそが序幕の終幕」と、怒涛の流れで恐怖劇のボルテージが上がっていきます。香純からギロチンの異能を奪い取り、自分の物にするのが蓮側の勝利条件ですが、「どういう形であれ香純を傷つけたくない」と攻撃を放棄し、無抵抗主義で近づく蓮。彼に対して「いやだよ、そんなの。嬉しくないよ」と心情を吐露する香純。バックで掛かる「Walhall」。共通ルート屈指の名場面であり、香純最大の見せ場と断じても差し支えない。07年版のひどい有様に落胆した当方でさえ、一連のイベントを見返すだにたまらず心が震えたものでした。なんだかんだで2年も待ち続けたのは、ひとえにここがあまりにも素晴らしかったからです。

 「俺たちの日常をぶち壊した連中に、それがどれだけ高くついたか、思い知らせる」ことを決意したところで落着。2章までの選択肢で香純寄りのチョイスをしておくと、最後に選択肢が出てきます。「大事な女だから」を選ぶとお風呂場でのエッチシーンに雪崩れ込む。このお風呂場は割と取り逃しやすいイベントなので、なるべく初周時に取っておいた方が良い。ただエッチしちゃうと自動的に香純ルートしか行けなくなるため、螢ルートへ分岐するためには再度3章に戻ってやり直さないといけなくなる。だから最初は「家族みたいなものだから」を選んでおいて後でエッチシーンを回収した方が楽かも。

(ChapterW ODESSA / 共通ルート)

 章題は「オデッサ」、Organisation der ehemaligen SS-Angehörigenの略で、敗戦後のドイツにおいて元ナチス党員たちの国外逃亡を手引きした組織の総称。『ジャッカルの日』で有名なフォーサイスの作品に『オデッサ・ファイル』というこれをモチーフにした長編があります。ナチスの逃亡支援組織には蜘蛛(ディー・シュピーネ)と呼ばれるものもあったとか。形成(笑)と嘲笑されつつも一部のコアなファンに愛されているシュピーネさんが綺羅星の如く参上し、流星のように儚く退場する章。他の章でもシュピーネさんの名前は上がりますが、厳密な意味で出番があるのはここだけです。いかにも噛ませ犬というかヤラレ役の雑魚といった風貌をしており、過たず三下の雑魚として死ぬ。BeforeStoryで見せたベイへの上から目線はいったい何だったのか。未だに片付かない疑問であります。“この男は駄目だ――”はシュピーネさん自身に捧げるべき言葉。螢のエイヴィヒカイト講義も4章の見所であり、平然とした顔で拳銃を取り出す螢にビックリする。たぶん、あの銃もシュピーネさんが調達したものなんでしょうね。きっとそうに違いない。あと螢が顔に似合わず時間にルーズな性格であることが判明するなど、少しずつヒロインっぽさを晒し始めます。でもまだまだ仮面を被っている段階。そんな螢は螢として、校内放送を利用して「彼は我々全員の花嫁だ。あまり仲睦まじくされていると、嫉妬してしまいますよ」とほざくシュピーネさんが最高のキモさを発揮していて和む。

 シュピーネが香純を攫い(後で芝居だったと明かされますが)、蓮を懐柔して取り込もうとするものの手段が最悪なせいで失敗し、なし崩しでバトルに突入。形成(笑)が相手とはいえ、未だ形成位階に達していない蓮は苦戦を強いられる。「異能バトルでもっとも面白いのは初戦、まだ力の使い方が飲み込めていない段階で四苦八苦するあたりだ」という意見があります通り、いくらシュピーネごときに翻弄される展開といえれども、蓮はまだ立ち上がったばかりの雛に過ぎないので、眺めていて非常にハラハラさせられます。形成位階に昇った以降はだんだんインフレの度合いが激しくなっていくし、相手も不死英雄(エインフェリア)とかになっていきますから、純粋にスリルを味わえる戦闘シーンもこの章だけと言っていい。「こいつは何だ? どういうことだ? 俺は確かに常識的な世界から脱却しようと誓ったが、ここまでなのか、こっち側は」と驚く蓮の悲嘆がストレートに伝わってきます。シュピーネは糸使い系で本質的には戦闘要員じゃないからバトルそのものは比較的単調な部類だけど、声優の怪演も相俟って終始異様なアウラを立ち昇らせる。「下種な悪役」が好きな人ならたまらないでしょう。当方もその一人です。

 それだけに、あまりにもあまりな早期退場が悔やまれる。蓮に断首されながらも生き延びるというイイ意味で虫ケラめいた驚異的なしぶとさを見せつけるものの、神父に踏み潰されてあっさり散華。第二のスワスチカを開く要員となりました。ここで神父を出し抜いて逃亡したシュピーネが「私は誰にも見つからないッ! いつまでも、どこまでも、地の果てまで、永劫の彼方まで、逃げ続け隠れ続けるッ! それが――私の平穏(かつぼう)なのですよッ!」と完全ステルスの創造位階に到達することを夢想しましたが、夢想のまま終わったぜ。モデル的に逃亡・潜伏は十八番だと思いますが。そういや「十八番」で思い出したけど、ファーブラで誰か「じゅうはちばん」と発音してなかったか? ところどころ読みに疑問符のつく箇所があるんですよね、このゲーム。「妙なる調べ」が「みょうなるしらべ」だったり、「勲」が「くん」だったり。「求道」も用語集に掲載された位置からして「ぐどう」らしいのにみんな「きゅうどう」と読んでいる(確かめたところ、クンフトでは「きゅうどう」だった箇所もファーブラでは「ぐどう」に直ってました、すみません)。メルクリウスの「共に死のう。永遠に死のう」も「ともにしのう。とわにしのう」だと思っていたのに「ともにしのう。えいえんにしのう」となっていました。そこらへんはちょっと残念。

(ChapterX Holiday / 共通ルート)

 章題は「休日」、ただそれだけ。マリィの生い立ちを綴るところから始まり、蓮とマリィと香純が過ごす平和な休日を描く、ごく短めの章。箸休めというか、インターミッションに相当します。朝起きたら全裸のマリィが形成されていたなんていう、ベッタベタのラブコメみたいな展開が待ち受けていて「ああ、なんだか普通のエロゲーみたいだなぁ」とほのぼの。私服のマリィがお目見えして更に和みます。最後にエリーこと本城恵梨依が初登場し、「おい司狼んトコにツラ出せや、殺人犯」(意訳)と告げ、暗雲の到来を予感させたところで終わり。本当に短いので、あんまり語ることがないなー。1章の回想を除けば司狼がDies本編に登場するのは次の6章以降ですが、蓮と盛大な喧嘩を演じた末に行方をくらました彼がその間何をしていたか? ってことはドラマCD第1弾『Wehrwolf』でチラッと言及されています。つっても司狼とエリーがトリファ、ベイ、ルサルカの3名に遭遇してその魔人ぶりにビビったっつー程度の話なんで、別に聴かなくても支障はない。ただ、司狼の決め台詞?である「女の陰でバトルの解説なんかしてる男は、死んでいいだろ」を耳にすることができるのは今のところ『Wehrwolf』だけでして、聴いておいても損はない。

(ChapterY King of Hollow / 共通ルート)

 章題は「窪地の王」、地階に存在するクラブ「ボトムレスピット(底なし穴)」でトップの座に君臨している遊佐司狼を指したものかと。馳星周の『虚(うつろ)の王』を英訳したらこんなタイトルになりそうだが、さすがに関係ないでしょう。2007年当時は「ここを境に突然つまらなくなった」と語り草だった問題の章。クンフトやファーブラでは「そしてヴィルヘルム・エーレンブルグは考える」から先が一新されています。獣殿と神父の問答を冒頭に置いた後、エリーに誘われてボトムレスピットへ足を踏み入れた蓮が司狼と顔を合わせ、聖槍十三騎士団の概要についてレクチャーされる。公式ページを見ていない人はここで初めて敵の素性を知ることになります。もっと詳しい説明は香純および螢ルートの7章以降にて行われる。タワーの麓でベイや螢に遭遇する直前に選択肢が出てきますが、初周では一個しか表示されず、とりあえず一周してからでないともう片方の選択肢は出てきません。この6章で香純・螢ルートかマリィルートか玲愛ルート、いずれかに分岐するものの、5章までに必要なフラグを立てておかないとほぼ強制的に香純・螢ルート行きとなります。マリィルートと玲愛ルートには「攻略しよう」とあらかじめ意識してフラグ立てていかないとなかなか入ることができない。構造的に、Diesは香純・螢ルートへ入りやすくなっているのです。これに関しては旧版から変わらない伝統である。マリィルートへ行こうとして失敗したときの、ぶおーんと司狼のバイクがやってくる音(これが聞こえると香純・螢ルート確定)に何度イラッとしたことか……。

 07年版では「眼を開け。肌で感じろ。古い目玉は抉って捨てろや」っていうベイのセリフを最後として急速に正田節が薄れていきましたが、シナリオが刷新されたおかげでクンフトやファーブラではそうした憂き目に合わず済みます。「痛ぇか? 痛ぇだろ――嬉し涙流せやオラァッ!」で本当に嬉し涙をこぼしそうになったのは当方だけでないはず。ちなみにベイが「ただの人間相手にタイマンで、これ(※形成位階)使うのは三十年ぶりくらいだよ」と述べていますが、2006年の約30年前なら1970年代、ベトナム戦争の頃であり、用語集に「櫻井鈴(二代目カイン)は1970年のベトナム戦争時にヴィルヘルムと遭遇」とありますから相手は櫻井鈴でしょうか? 鈴は当時カイン化することを拒んでいて、この遭遇による危機感からやむなく偽槍を継承したらしく、一応「ただの人間」に該当しないこともない。何にしろ、「欲しいものほど手に入らない」という業を抱えたベイのことですから、きっと中途半端な形でふたりのバトルは打ち切られたんでしょうね。話を戻して6章、シナリオが書き直されて格段に良くなったのはベイVS司狼よりも蓮VS螢です。平然とした顔で殺法を駆使する螢に嫌悪感を覚える蓮、正義のヒーロー気取りなカッコイイ言動を繰り返す蓮に憎悪を燃やす螢――両者の「相容れなさ」がうまく表現されている。落下しながらパンチとキックを応酬したり、水の上に立ったりとデタラメなバトルが展開するが、螢が緋々色金を形成するところで最高潮の盛り上がりを見せ、旧来からのファンの目頭を熱くさせます。トリファの狂気度、ラインハルトの脅威度も倍増して絶望感アップ。香純・螢ルートに分岐すると司狼のバイクが駆けつけて蓮を救い上げ、マリィ・玲愛ルートでは助けが見に合わず、ラインハルトに挑んだ蓮がギロチンを砕かれて敗北する。07年版ではバイクに2ケツしてくっちゃべるシーンやギロチンを砕かれる描写がなかった。特にマリィルートでは、立ち向かうどころかラインハルト出現のオーラに当てられた蓮がコロリと一発で気を失うションボリ加減でした。

(ChapterZ Death Indra / 香純・螢ルート)

 章題は「死の雷」、「インドラ」はヒンドゥー教における雷霆神で、仏教だと「帝釈天」です。カインは生きる屍で、かつて取り込んだベアトリスの雷撃を操る能力を受け継いでいる。そのことを指しての「デス・インドラ」と思われます。リザがトバルカインを起こすため不定形状態の彼(彼ら?)とまぐわう。「死体と性交する淫婦」たるバビロン・マグダレーナの本領発揮だが、ハッキリ言ってそんなにエロくない。「そろそろエッチぃシーンでも入れておくか、申し訳程度に」くらいの意図しか読み取れません。どうでもいいけど『ネクロマンティック』って確かドイツの映画でしたね。一方、忠誠心の有無を疑われた螢はルサルカと契約を交わし、彼女の魔術によって胎へ蠍を埋め込まれる。もし黒円卓へ叛意を示せば、蠍が呪となって宿主を殺す。術者であるルサルカが死んだ場合は解除され、また蠍は子宮に宿るため男の精で沈静化させることも可能。要はHシーンの布石です。この章は前半のテキストが07年版とほぼ一緒で、カインを連れたリサがボトムレスピットに乗り込む場面以降がリニューアルされている。エリーの声質が微妙に変化しているので、耳のいい人なら「ここ、収録時期が違うな」と察知することができるかも。バトルの描写がちょっと綿密になっただけで、展開自体はさほど変わらない。せいぜいがとこ司狼とエリーのダブル銃撃CG(07年版では未使用だった)見れて嬉しいかな、ってくらいでしかない。カインの一撃で瀕死となる螢に「弱ぇ」という感想を抱いた刹那、猛烈な既知感を覚えた。捕虜となった螢を蠍の呪いが襲い、ここでじかに鎮めるか、セックルして精液で鎮めるか、を選ぶことにより香純ルートか螢ルートに分岐。香純ルートでは螢とエッチせず、神父が橋でリザを殺害するシーンにて終了。螢ルートでは螢とエッチした後に橋の場面に移り、雨に打たれるリザが出てきて「ああ、また神父に殺されるのか」なんてつらつら思ったところでいきなりエレオノーレ爆誕。熱気と爆風で雨雲を消し飛ばすとか、今までの敵とは格が違う。彼女がリザを粛清したところで終わり、「螢ルートではこんな早くから三騎士が出てくるのか」とワクワクさせます。

(Chapter[ Pied Piper / 香純・螢ルート)

 章題は「笛吹き」、「ハーメルンの笛吹き」に倣ってルサルカが学園生たちをスワスチカに呼び寄せる。「ChapterX Holiday」と同じく戦闘シーンの存在しない、インターミッション的な章。エリーが香純を拉致ってくる、螢がシャワーを浴びる、油断した蓮を気絶させて螢がボトムレスピットから逃げ出し、夜の街でルサルカのパイドパイパーに誘われた香純と会ってそのまま学園に向かう……大まかな流れは香純ルートも螢ルートも一緒だが、香純ルートでは螢のシャワーを盗撮するCGや、学園で贄どもを相手に乱交に耽るルサルカのCGといった、いわゆるサービスシーンが含まれており、螢ルートでは代わりに螢とエリーの会話、螢とマリィが一緒にお風呂に入るシーンの盗聴、香純の提示する6択といったイベントに差し替えられています。ベイが神父の意図を理解して香純を攫うことに同意するのも螢ルートの特徴。香純ルートではルサルカが香純を拐かします。香純ルートだと、マリィにまともな出番が用意されているのはこの章までですね。以降は完全に空気と化します。設定的に仕方ないといえども、そこが改善されていないあたり惜しい。

(Chapter\ Muss Murderer / 香純ルート)

 章題は「大量殺戮者」、長い期間を通じて犯行に及び続ける連続殺人者(シリアル・キラー)と違い、短時間に大勢の人間を殺戮した犯罪者を指す。よく間違われますが「マスマーダー」が「大量殺戮」であって、「マスマーダラー」とerを付けなければ「大量殺戮者」の意味になりません。Slaughter(虐殺)も同様に「スロータラー(Slaughterer)」とerを付けなければ「虐殺者」にならない。英語の授業は苦手だったのに、中高生時代ずっとミステリばっかり読み耽っていたせいか、こういうことには細かい性分となってしまいました。学園を舞台にした殺戮とバトルが繰り広げられ、ようやく「学園伝奇バトルオペラ」の本分を果たすのですが、残念なことに全編を通じてここの戦闘シーンが一番つまらない。前半は改稿されたおかげで少し良くなりましたが、肝心の後半が07年版そのまんまなので非常にガックリした。「クンフトは木村あやかが仕事休んでいた時期だったし、ひょっとするとファーブラで書き直してくれるかも……」と期待しましたが、叶わぬ願いでした。

 とにかくルサルカと蓮のバトルが緊張感なくて萎えるし、「シルバーアクセで傷が!」はそういう設定だと理解した後でも実際に見ると冷めちゃう。愚痴だらけになってしまうからこれ以上述べるのはよしときますが、ホント、ここさえもう少しまともになっていれば文句なく「完全版」と呼べたでしょうに。ファーブラにおける数少ない、「本気でどうにかして欲しかった心残り」の一つです。あと、細かい理屈はマリィルートで解説されるが、神父が手を打って大隊長の出陣を封じたおかげで今後三騎士が出てこないことが確定化。三騎士不在ってのも、香純ルートが地味だと言われる理由の一つですよね。

(Chapter] Pallida Mors / 香純ルート)

 章題は「青褪めた死面」、リザの聖遺物ですね。カインと同化した影響なのか、リザが死んだ後でも消失していません。07年版に比べてほとんどの章が改良されたファーブラですが、この香純ルート10章に限っては劣化……というより、縮小化しています。07年版では諏訪原市の地図にスワスチカの位置をポイントし、「8つを線で結ぶとナチスの象徴……つまりハーケンクロイツが出てくるんだよ!」「な、なんだってー!?」と分かりやすく解説してくれたのですが、クンフトやファーブラではそれがなくなった。また、タワーの戦闘で窓の外に放り出された蓮が創造位階に指先を掛けるところで「諦めるのかね」とメルクリウスが話しかけてくるシーンが挿入されていましたが、これも改稿版だと削除されています。なので唯一、ここだけがイベント量減って短くなっています。メルクリウスが出てこなくなったのは正解としても、地図は残しておいて欲しかったな。

(ChapterXI Speculum Sine Macula / 香純ルート)

 章題は「曇りなき鏡」、「マリアの純潔」を意味するラテン語らしいが、さっきぐぐって知ったばかりなのでよく分かんね。この章には香純とのエッチシーンが用意されていますから、そのことを暗に指しているのかも。3章でエッチしていた場合、純潔ではなくなるのですが。というか、ここでエッチしちゃったらゾーネンキント(処女宮)の設定はどうなるわけ? 07年版では「あなたの痕跡を彼女から消すために、儀式を一つ要しました」とフォローしていたが、新規シナリオでは特に触れられていない。謎だ。

 残されたスワスチカの一つ、遊園地に向かったけれど、敵が攻めてこないのでただ普通に香純と遊んでいるだけ……と見せかけて、密かに香純が螢や神父と接触しています。神父の口車に乗せられ、やがてホイホイと自ら窮地に陥ることになる香純。ゆえにかつては「バカスミ」とユーザーから痛烈に罵られたものでしたが、クンフトで書き直されたシナリオでは結果としてその選択が蓮に勝利をもたらす形となっており、「余計なことしかしない、名ばかりの日だまり」から見事「ここぞという場面でサポートする蓮たちの太陽」へ昇格することに成功していきます。

 07年版では確かカインの槍を突き刺すことでスワスチカを開放していたと記憶していますけど、それがパッリダ・モルスに変更となって、レーベンスボルンで生まれ幼くして死んでいった子供たちが遊園地を徘徊し、ようやくDiesの一角を成す大きな設定――レーベンスボルンにまつわるエピソードが姿を現し始めます。詳しいことは次の章にて。

(ChapterXII Skeleton in the closet / 香純ルート)

 章題は「戸棚の中の骸骨」、「家庭に隠された醜聞」とか「内輪のみが知る恥」という意味です。どんな家だって他人に知られたくない骸骨(スキャンダル)を戸棚に秘めている――みたいなニュアンスでしょうか。語源に関しては諸説あるらしいが、どうもハッキリしない。蓮の死体遺棄に関する過去が明かされた後、いきなり「泉」の子たちが唱和するイベントが始まって、初見時はおしっこチビりかけました。あそこは軽くホラー入ってますね。ちなみに07年版では泉、つまりレーベンスボルンに関してはほとんど触れられず、従って「香純はツヴァイ・ゾーネンキントの枝に当たる」ことが系統立てて説明されることもなかったので、「玲愛だけでなく、香純も聖櫃になることができる」という設定が強引どころか無茶苦茶に感じられたものでした。反面、幼少時の蓮が香純の父親(と言っても香純と血の繋がりはない)によって虐待じみた研究の対象とされていて、そんな蓮を救うために司狼が香純の父親を殺害し、死体を蓮が遺棄することで秘密を共有した――っつー過去に関しては07年版の方が詳しいと申しますか、ファーブラでは実にサラッと流されていて具体的な描写がないので、そのへんの経緯が新規のプレーヤーには分かりにくいかもしれません。

 泉に隠された裏の歴史と、綾瀬家に隠された裏の事情を重ね合わせて「スケルトン・イン・ザ・クローゼット」で結び付けているわけですが、それならもっと綾瀬家について語ってほしいところだった。泉に関しては過不足なく描写されており、問題ない。イザークとヨハン、リザが生んだ双子について書かれていますが、イザークはともかくヨハンに関して深く言及しているのはこの章のみであり、そういう意味でも香純ルートはまず真っ先にやっておくべきと断じられる。イザークのイラストがパッと見どこかのフルメタル・アルケミストを連想させますが、Gユウスケは別にそうなるよう狙って描いたわけじゃないとのこと。「玲愛の祖父」だから最初は成人男性として描いたものを、正田崇の指示で少年に直したら、自然とああなってしまったとか。

(ChapterXIII Holyark / 香純ルート)

 章題は「聖櫃」、本来は聖体(聖餐用のパン)を収める櫃のことだが、Diesでは魔城(ラインハルト)の流出を補助する装置とされている。聖櫃たるゾーネンキントが8つのスワスチカを聖遺物とすることで「産道」を開き、異空間に存在する魔城を流れ出させる。ラインハルトは聖櫃の助けなしに単体で流出位階に達することはできないらしい。玲愛は真正ゾーネンキントなので聖櫃としての役割を果たすと死亡してしまうが、香純は劣化ゾーネンキントであるため流出補助という役割を果たせず、せいぜい魔城からいくつかの魂を取り返すことしかできないが、おかげで聖櫃化しても死亡することはない。ただ、ノーリスクというわけではなく、「スワスチカの使用=悪魔との契約が成立」と見做され、死後の魂は永劫魔城に囚われるハメとなります。香純ルートがバッドエンド扱いされるのはひとえにそのせいだ。

 遂に最終章、まずはトリファ神父の回想で幕を上げます。彼がまだ聖餐杯になる前、たぶんまだ東方正教会の双頭鷲(ドッペル・アドラー)に在籍していた頃なんでしょうが、サイコメトラーとしての絶望を味わっていた時期に黒円卓の初期メンバーと出会う。やがてラインハルトという名の眩しい光に目を灼かれ、その輝きを恐怖するあまり逃げ出すが、じきに「逃げ出したこと」を後悔することになる。1939年12月24日――本編の67年前に当たりますが、このへんはドラマCD第2弾『Die Morgendammerung』を参照のこと。モルゲンデンメルング(黎明)は香純ルートだったらまだともかく、他のルートをより楽しもうとするなら絶対に欠かせない内容であり、香純ルートを終わらせたくらいのタイミングか、あるいはマリィルートの10章目が済んだあたりで是非とも聴いておいた方が宜しい。でないとエレオノーレがベアトリスに執着することや、ヴィルヘルムとシュライバーの間に存在する確執などが実感し辛いです。

 シュライバーがトリファの逃げ込んだ先である孤児院の子供たちを射殺した、という設定は07年版からあったが、詳細な経緯は描かれていなかった。そのときに死んだ子供たちの魂を取り返す、ってのも変わってないけれど、「私の懺悔を……聞いてください藤井さんッ」とほざいていた07年版に対し、クンフト以降は「許しなど求めない、救われることなどあってはならない、未来永劫、どこまでも、歪んだ聖道を歩み続ける」と自罰的な狂気(せいぎ)に取り憑かれており、いっそう神父の悲壮さとおぞましさが強化されています。「この世に神がいないなら、自分が神になるしかない」という倒錯した信仰心が痛々しくも懸命で胸に迫る。「頭のおかしい人」で括れなくもないが、狂った渇望を守り抜く形でしか生き長らえることができなかった事情を察するにつけ、なんだか肩入れしちゃう不思議。このトリファはDiesにおける一つの要ということもあり、全ルートに渡ってちゃんと見せ場が用意されているなど、なにげに待遇の良いキャラクターです。

 神父以外でも香純と玲愛の会話が追加され、ベイVS司狼、蓮VS螢という6章の因縁を清算する二重バトルもしっかり書き直され、全体として格段に面白くなっている。特に螢はかわしまりのの熱演も相俟って心情を吐露するセリフがすごい。心を揺さぶられます。「私はもう、一秒だって聖遺物(こんなもの)に触ってたくないッ!」と絶叫、緋々色金涙目。神父と蓮のラストバトルも、神父を斃す道筋が07年版よりもちゃんと付いていて納得できました。神父の渇望も切実さが増した。というか、神父関連の描写が厚くなったせいでクライマックスは蓮よりも神父の方に心が行っちゃったよ。子供の「泣かないで」と懇願する声、「憐れみ、だと?」とショックを受ける神父、ずれる神槍の矛先、一瞬のタイムラグを逃さず疾走して斬首の閃きを放つ蓮、咄嗟に躱そうとする神父の手を掴んで「逃げないんでしょ?」と囁く玲愛――と、一連の流れが決まりすぎていてゾクゾクします。今度こそは狂気(せいぎ)に逃げず、真に斃すべき敵へ立ち向かおうと決意して散る末路にも少しだけ痺れました。これが玲愛ルートの布石になるとは、さしもの当方とて気づかなかったですけどね。

 07年版では螢との決着がついた後、彼女を殺すか殺さないかで選択肢が出てきて、殺すと第八を開くことができずバッドエンド、殺さないと彼女の自死を以って第八が開き、蓮の魂が帰還するって寸法になっていました。そして海の見えるお花畑で笑顔の香純が現れ、ハッピーエンド。この、まったく脈絡がない「海の見えるお花畑で笑顔の香純」がひどく取って付け臭くて落胆を覚えましたが、書き直されたシナリオでは双首領たちの高笑いとともに「しょせん総ては一時凌ぎにすぎぬ」と言い切り、とても不穏な空気を漂わせたまま幕となっています。いや、確かに07年版のエンディングは疑問だったが、ここまでハッピーエンドを否定するのってどうよ……こぼれんばかりの、螢が「本当の太陽」と形容した香純の笑顔を見事に描き切ったGユウスケの立場はいったいどうなるんだ。自分のルートはこんなだし、螢ルートだと蓮以外の男と結婚してるし、マリィルートでは生き残るけど玲愛ルートでは死んじゃうし、つくづく香純は不遇なヒロインと言える。病院屋上のシーンは香純最後の見せ場なのに、「私、藤井君のこと、好きになっちゃったみたい」と死ぬ間際に呟く螢が全部もってっちゃった。狡い、狡すぎるよ、螢。

 確認のために一応2007年版もやり返したが、「十一年前に第一のスワスチカが開放されて以来」とか「聖餐杯卿」とか根本的な誤りを含んだ記述が何食わぬ顔で紛れていてゲンナリした。11年前に死んだベアトリスが第一を開く遠因となっていることは確かですが、実際に開放されたのは本編第3章においてであり、また聖餐杯の敬称は「猊下」です。逆に、「私の名はヴァレリアン。ヴァレリアの名前は擬似人格であり、聖餐杯が男性性の中にある女性性であるために、女性名を名乗るという呪術的儀式に過ぎない」というセリフは「ハイドリヒ卿の陽中陰(アニマ)に引きずられている」程度の説明しかなかった改稿版よりも分かりやすい。擬似人格云々は旧設定なので、厳密には違うんでしょうけれどね。えっと、他は特に見るべきところもないです。「そうか、ロンギヌスを呼び出す瞬間を狙っていたのですね……!」の一言だけで済む、なんの仕掛けもない戦闘描写。自殺して己の命でスワスチカを開く理由がいまいちハッキリしない螢。一面の菜の花を背景にして笑う香純の意味不明さ。今まで辛くて再プレーできなかった箇所もファーブラのおかげで余裕綽々落ち着いて眺めることができるようになりましたが、それでもやはり、「これはナシだろ……」と黒歴史認定せざるをえない。ファーブラから入って新たにファンとなった人は07年版へ怖いもの見たさ的な興味を抱くのかもしれないが、最終決戦直前の緊迫したシーンで「やあ」と気さくな挨拶をするトリファに出会いたくなければ回れ右するがよろし。07年版の個別ルートがつまらないかどうかは人にも拠るでしょうが、中二病成分が壊滅的に欠乏している、ということだけは断言できます。

(Chapter\ Einherjar / 螢ルート)

 章題は「エインフェリア」、北欧神話における「死してヴァルハラへ向かう英雄の魂」のこと。殺し殺されては蘇り、戦争と饗宴を永遠に続ける不死者です。作中では「戦争奴隷」「不死英雄」などのルビとして使われている。獣殿の魔城に魂を取り込まれてなお自我を保つことができた者だけがなれる身分であり、言ってみれば獣殿の「爪牙」に当たります。自我が保てぬ場合、「鬣」――湧き出でる髑髏のような量産品になってしまう模様。ベルリン陥落時に「あの三人以外では、今のあなたに随伴することなど適わぬか」とメルクリウスが嘯いたのは、当時の黒円卓でエインフェリアになれる資格を持っていたのがエレオノーレ、シュライバー、マキナだけだったことを指しているが、07年版の頃はまだ「城」に関する設定が煮詰めきれていなかったのか「特異点」としか表現しておらず、そのへんが少々曖昧になっていた。

 香純ルートと同じく学園戦の章ですが、蓮に同行するのが司狼ではなくエリーと、この時点からして異なります。また香純を攫ったのがルサルカではなくベイになり、蓮と直接戦闘する必要のなくなったルサルカが後方支援に回った結果、蓮VSカイン、螢VSベイと目新しい組み合わせになります。香純ルートでは司狼がいたからベイは螢を後回しにしたんでしょうね。もしルサルカが負ける前に司狼との決着がついていたら、螢を粛清してスワスチカを開くつもりだったのでは。ともあれ、創造位階で身体能力が劇的にパワーアップしたベイが新曲「Rozen Vamp」をBGMに螢をボッコボコにするわけで、旧来のファンは「あれっ、創造位階なのにベイが強そうだ!?」と魂消ることでしょう。香純ルートにしろマリィルートにしろ、ベイの大まかな死の原因は「創造を使ったせい」ですからね。「創造位階のベイ」ってのはなんとなく弱いイメージがあったんです。それが夜の不死鳥と化して大暴れするんだから滾るわ。ベイがもっとも強くなるのは玲愛ルートの対シュライバー戦ですが、あれは格上が相手だったこともあり、後手後手を強いられ苦戦していた印象が強い。「ベイがもっとも強そうに見える」のはあくまで螢ルートの学園戦。決着の仕方があっさりしているのは残念というか物足りないが、「欲しいものほど手に入らない」「必ずと言っていいほど邪魔が入る」というベイ特有の不運をこの上なく現しておりますゆえ、これもこれで悪くない。しかし結局、全編通してベイと蓮が本格的に戦うシーンはなかったわけで、蓮とベイがガチバトる「第三の学園戦」も見たかったが、そういうこと言い出すとキリがなくなるのでやめておこう。

 赤騎士(ルベド)のエレオノーレに続き、白騎士(アルベド)のシュライバーと黒騎士(ニグレド)のマキナも参戦。「凶獣は歓喜した」の一文に「むしろ歓喜するのはこっちだ!」と猛りました。「双方退け。ここでこれ以上の流血に意味はない」というマキナの未使用ゼリフも遂に消化されました。もうちょっと後ですが、シュライバーの「泣き叫べ劣等。今夜ここに神はいない」も螢ルートで無事に消化されています。

(Chapter] Vanalgand / 螢ルート)

 章題は「破壊の杖」、シュライバーの魔名である「フローズヴィトニル」の異称です。聖遺物の名前が「暴嵐纏う破壊獣(リングヴィ・ヴァナルガンド)」なので、シュライバー本人と聖遺物の両方を意味しているのかもしれない。ちなみに彼の創造位階も「フェンリスヴォルフ」であり、やはりフローズヴィトニルの異称。シュライバーが無邪気にルサルカへチューしたり、ルサルカを凶器にして一般人殺害したり、弾が無尽蔵に湧いてくる銃で全方位射撃したりと、やりたい放題。ルサルカはまともな戦闘シーンどころかまともな絶命シーンすら描かれることなく「断末魔の悲鳴をあげている」の一文で退場してしまいます。螢ルートのみに関して言えばシュピーネをも上回る小物ぶりであり、なかなか哀れな末路なので素直に黙祷させてもらおう。

 さて、章題から推察できますように、この章でもっとも活躍するのがウォルフガング・シュライバー。白騎士(アルベド)のエインフェリアです。屋上で螢と「なるほど、これが副首領閣下の方術なのね。恐ろしくなる、本当に」の遣り取りを交わし、2回目のエッチ(イくときのセリフがありえなくて笑った)をした後、スワスチカが既に開いた学園へシュライバーが攻め込んでくる。一度開いたスワスチカに用なんてないはずなのだが、シュライバーの知性は壊れていて、昆虫程度の判断能力しか持っていない。だから「斃しても無駄」だというのに蓮たちを血祭りに上げようとする。活動位階であるにも関わらず視認困難な超速度で飛び回るシュライバーの凄さもさることながら、「Thrud Walküre」をBGMにして創造の詠唱を揃って口ずさむ蓮と螢の演出がカッコ良すぎて燃えた。まさに「愛と勇気のヒーロー」を地で行くノリだな。二人掛かりの攻撃に対抗すべくシュライバーが暴嵐纏う破壊獣(リングヴィ・ヴァナルガンド)を形成する場面にも心が躍る。活動位階でさえ宇宙速度に達するらしいが、形成位階になると更にスピードアップ、ついでに慣性を自在に殺す能力も付与される……のかな? 「慣性の法則、物理常識を無視した逆走」と書いてるくらいだし。

 本気を出す一歩手前、形成位階であっても充分驚異的な力を発揮するシュライバー相手に3人掛かりでも苦戦を強いられる蓮、螢、司狼(こう書くと「連携しろ」と読めるな)。「視界を塞ぐ」「意表を衝く」という二段階の作戦でどうにか一撃を喰らわせることに成功しますが……そう、マリィルートで司狼が言っていたセリフ。「一撃もらってから本領発揮」するのがシュライバー。虎は傷ついてからが本物である、と藤田和日郎も言っていた。用語集によると彼の創造位階は2種類あり、1つは本人が意識して使うバージョン、もう1つは無意識でオートに発動するバージョン。前者はバイクと融合して「人機一体」なビジョンとなるが、「『触れられたくない』が渇望なので、触れられると世界観が崩壊する」ため少しでも攻撃されると即死亡。創造位階で逆に弱体化する、という点ではベイに似ている。もう一つの無意識バージョン、自分の意思で使うことはできないものの、「一撃もらう」ことがスイッチとなって発動します。眼帯が外れて空洞の眼窩を覗かせ、短かった髪が長くなっていき、街娼時代にそっくりの容姿へ変貌していく。ファンの間ではこの真・創造を「アンナ化」と呼んでいます。シュライバーは女として育てられたので、本名が「アンナ・シュライバー」なんですよね。ちなみにルサルカも「アンナ」が本名。マリィルートで「僕を殺したな」とキレたのはそういうこと。「アンナ化」することで具体的にどういう効果が出るのか、螢ルートでは説明されません。なぜなら、創造(ブリアー)した途端に聖餐杯――ヴァレリア・トリファの手でほんのり僅かに私怨交じりで粛清されてしまうのですから。あの瞬間ビックリするとともに盛大な肩透かしを喰らってズッコケました。形成でさえ苦戦したのだから創造になられちゃ勝ち目はない、と理屈じゃ分かってるんですけどね……釈然とせんかったわー。

 開き終わったスワスチカで戦いを仕掛ける、というシュライバーの態度はあたかも独断専行のように映りますが、「三騎士はハイドリヒに不利益を齎さぬよう彼の意思が常に反映されており、勝手な振る舞いに見えても何らかの伏線になっている」と説明されている通り、順当に解釈していけば「敵の強化」を望む主のためにマリィルートでエレオノーレが担った役――つまり蓮の刃を鍛える砥石として早急な襲撃を実行した、ということになるのではあるまいか。もしも神父が邪魔しないで真・創造の暴走状態に移っていれば蓮以外は確実に皆殺しとなり、仲間を摘み取られた蓮が憤怒とともに“座”へ接続してフィナーレを獲得していたかもしれない(余談だが「“座”へ接続」と書くとパラロスみたいだな。「アクセス、水銀(マスター)。モード“アインファウスト”より、フィナーレ実行」みたいな)。それでもなお斃せなかっただろうから、神父の奇襲的粛清は妥当かな。白騎士(アルベド)処刑が許されたのは「ベアトリスの魂形成による復活(および白騎士化)を信じたエレオノーレが加担し、マキナも反対しなかったこと」と「依然聖餐杯に指揮権があり、且つ聖餐杯のトリファは双首領お気に入りの玩具であること」が背景にあるんでしょうね。「逆臣かわいいよ逆臣」という双首領の心理が透けて見えて実に気持ち悪い。

(ChapterXI Covenant / 螢ルート)

 章題は「契約」ないし「誓約」、櫻井家の一族を縛る偽槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)のことと、カインを斃したくない螢が蓮と条件付きの約束を結ぶこと、たぶんこの2つを指しているんじゃないかと思います。偽槍を巡る顛末はマリィルートで既に読んでおり、目新しい情報はさしてなかったが、この章は冒頭にベアトリスと戒が出てくること、前評判高かったのに螢ルートが抹消されたせいで07年版では使用されなかった「背面手繋ぎCG」がちゃんと組み込まれていること、この2点が素晴らしかった。最終決戦に臨む用意を整えるだけの内容で、シナリオとして語るような事柄はあまりない(双頭鷲という組織が気になるが、これに関してはドラマCD第3弾で言及する気配)のだが、夕暮れのシーンで蓮と螢のお互い素直になれないくせして妙に通じ合っている遣り取りを見ていると、「既知感(デジャヴ)が消えた……」っていう想いがせり上がってしみじみしちゃいます。ああ、なんだか螢が普通にヒロインっぽいよ……07年版をプレーした頃はこんな螢の姿、想像することもできなかった。感慨深いとしか言いようがありません。

(ChapterXII Fortes fortuna juvat / 螢ルート)

 章題は「運命は強き者を助ける」、ラテン語の格言だそうです。言葉通りの話なんで、解説不要ですね。出だしの文章はデモムービーにも使われた「カインの中の人たちが抱く嘆きと願い」です。それに応える獣殿が言う“アレ”は、螢ルート12章でボス役を務めるトリファ神父のことに他ならない。神父が「双首領お気に入りの玩具」というのは前述しましたが、メルクリウスもラインハルトも「傍から眺めていて面白いもの」に弱いんですよね。見ていて楽しいから、つい介入を手控えてしまう。結果として己の首を絞めることに繋がったりしますが、「第三帝国の死刑執行人」と呼ばれたラインハルトは自分自身を絞首刑に掛けるのも辞さない精神なので、いざその時が来ても「しまった、油断した……!」と悔いたりせず、泰然自若たる態度で無意味なほど大物としての器を見せつけます。彼の姿勢をメルクリウスは「負けたがり」と評すが、女神に殺されたがっているお前が言うな。ともあれ、双首領曰く「最後の前座」、どのルートであれどうにかしないと先に進めない黄化の枠――トリファ神父の打倒が目標となるこの章。トリファ戦は言うまでもなく、その前段階に当たるカイン戦もなかなか見応えありです。カインが創造位階というのは公式サイトにも書いてあることなので発売前から存じておりましたが、07年版、クンフトと、2作続けて詠唱なしだったため、固有の創造が何なのか分からず終いでした。螢ルートでは9章の学園戦で創造を発動させてますが、これはベアトリスの物なので、「固有の創造」には当たりません。ひょっとしてカインは斃した相手の創造を奪うラーニングめいた奴が「固有の創造」で、普通の必殺技っぽい能力は持たないのか? と考えたりもしましたが、どうやら違ったようです。この章で、いや、この章だけでカイン特有の創造位階がお披露目される。

 詠唱では禍々しくも読み辛い文言がつらつらと並ぶが、原典は「大祓詞(おおはらえのことば)」。天津罪とか国津罪とかのあれ。ちょうど『朝霧の巫女』最新刊が出た頃だったのでタイムリーでした。言葉の見た目や発音はおどろおどろしいものの、実際に「天津罪」でぐぐってみると拍子抜けすること請け合い。スサノオが高天原で犯した諸々の罪(これに怒ったアマテラスが岩戸隠れする)になぞらえているとか何とか。「黄泉から帰還したイザナギが川で穢れを濯いだときに、鼻からスサノオが生まれる」→「高天原で乱暴狼藉(天津罪)を働いたスサノオが千座置戸という罰を受け、穢れとして放逐され下界を流離うことになる」→「最終的に穢れが行き着く根の国底の国(黄泉)には、彼の母親であるイザナミが待ち受けている」という「黄泉で生まれ黄泉に流される」穢れのサイクルを「地獄(ラインハルト)を発端にして始まり、子々孫々劣化不死英雄(エインフェリア)となって流離い、やがては地獄(魔城)に還る偽槍の呪い」で表現したのかもしれぬ。穢れっつーか、端的にまとめると毒系統の創造です。初代は範囲こそ狭いものの全方位に穢れを振り撒き、二代目は穢れに指向性を持たせることで射程を伸ばし、三代目(櫻井戒)は穢れの対象を自分自身に絞って毒の濃度を高めている。狭い範囲、つまり己の血筋(および姻戚)に「カインの呪い」を継承させようとした初代、さっさと誰かに押しつけたい、一刻も早く呪いから解放されたいと転嫁を祈った二代目、呪いは自分の代で終わらせる、妹(螢)は決して巻き込まないと終結を誓った戒。それぞれの特色が出ています。リビングデッドという属性のせいかほとんどセリフがなく、キャラクターらしいキャラクターを持たなかったカインがドロドロに溶け合った悲憤と悔恨と愛慕を叩きつけてくることに少しばかり感動した。そして「直系と契った者もカインとなる資格がある」ことを知り、「ああ、だから螢ルートでだけカインが本領発揮するのか」と納得しました。このルートに限っては蓮も他人事じゃないですからね。しかしどういう理屈か知らんが、ヤッたかどうかを知覚できる櫻井パワーって何かヤだな……たぶん、蓮と螢が平和なif世界で出会って結ばれたとしても、祖父や伯母や兄貴には「お前らヤッたな! キシャーオ!」とバレバレなんだろう。つか、なにげに兄貴もこの場面では本気の殺意ぶつけてたりするんじゃないか。ぶっちゃけシスコンっぽいし。四代目のベアトリスがトールトーテンタンツ・ヴァルキュリアを唱えるシーンは普通に行けば山場なんだが、紫電で逆光状態になるカイン(偽槍を背中に回している絵)が間抜け過ぎて萎えた。ちなみに上でスサノオの名前を挙げたが、スサノオは話によって性格がバラバラなため「多重人格(神格?)」とまで言われることがあり、レギオン的な意味でトバルカインとの繋がりを窺わせる面もあるが、そもそも大祓詞とスサノオの結びつき自体が不明確なので勘繰りすぎかもしれない。

 螢と神父の対戦は概ね予想通りの推移。蓮のギロチンでも傷がつかなかった玉体なんだから、螢の緋々色金ごときでどうにかなるわけがない。諦めの悪い螢ですから「同じ箇所を繰り返し攻撃すれば……!」と息巻きますが、当然、狙いを一箇所に絞っていたら簡単に対処されてしまいます。「まったく、本当に単調な攻撃だ」「どうやらあなたの愚直さを侮っていたらしい」「このままでは永遠に不毛な真似をしかねない」と遠回しに(むしろストレートにか?)螢をバカにする神父。魔道の師父でさえ「侮っていた」というくらいですから、螢の粘着ぶりは成長とともに磨かれていった特質なのでしょう。神父を斃す方法は3つある、と自ら解説したところによると「1.マキナの一撃必殺」「2.総軍に匹敵する魂をぶつける」「3.創造を使う瞬間に生じる綻びを衝く」。1はマリィルートで実演されました。3は香純ルートで。2は結局実現しなかったため可能性に過ぎませんが、香純ルートの神父が「もし蓮が総軍に匹敵する魂(マリィ)の力を引き出すことができていれば斃せた」と示唆しており、マリィルートの神父も蓮の一撃に悪寒が走ってギロチンを回避しています。螢ルートでは3が採用されますが、誰でも思いつく攻略法を更にひと捻りして突破するクライマックスが心憎い。この期に及んで「そうか、ロンギヌスを呼び出す瞬間を狙っていたのですね……!」だったら壁を殴っていたかもしれない。でも、個人的には、師父であるトリファを斬り裂いて討ち伏せた螢よりも、斃される神父の方が印象に残った。「背筋を走る悪寒と戦慄に、トリファは後退しかけるが踏み止まった」の一文を読んで、「ああ、逃げなかったんだな……負けたけど」と目が潤んだ次第。

「否、否否、断じて否――!」
 認めぬ。許さぬ。この身は永劫の徒刑囚。
 邪なる聖道を歩み続けることこそ我が信念であり我が誇り。
 たとえ何者であろうとも、この歩み止めることなど許さない。

 敗北すると理解してなおも足掻き、手遅れになってさえ「後悔などしていない」と言い張る切ないくらいの強情さ。「永遠に不毛な真似をしかねない」がブーメランとなり、鋭い軌跡を描きつつ返ってきて、彼の首を刈り落とします。トリファが砕け散ったことでラインハルトが本来の肉体(うつわ)に帰還し、神槍の矛先を螢に向け射出するところで12章は幕。あくまで予想に過ぎないが、もし07年版のときに螢ルートが実装されていたら、この神父を斃したあたりで終わっていたんじゃないか……そんなふうに思わせるほど、しっかりとした盛り上がりのある章でした。結果論的に言えば、螢がもっともヒロインらしく活躍したところ。次の13章はいろいろなキャラに見せ場を用意した分、螢の影が薄くなっています。それでつまらないかと申せば、断じて否ですが。

(ChapterXIII Nemo ante mortem beatus / 螢ルート)

 章題は「誰しも死の前に幸福を得ることはできない」もしくは「人は死すまで幸福になれない」、2章でトリファが「そんな戯言、欠片も信じられない」と吐き捨てていた言葉です。やっぱりラテン語の格言。その人が真に幸福であったかどうかは、その人が死んでみるまで分からない――幸福だ、不幸だと思っても最後にどんでん返しが来るかもしれない。生きている間は結末が分からないので、幸とも不幸とも断言しかねる。「読んでいる本が面白いかどうかは、読み終わってみるまで分からない」みたいな感覚でしょうか。ただ、Diesの世界には死後(魔城)があるので、意味合いがちょっと変わってきます。「ラインハルトの魔城に吸収されることで、初めて幸福になれる」――ヴィルヘルム、エレオノーレ、シュライバーあたりが抱く修羅の価値観ですね。これを否定している。つまり神父、「私は俗物なのですよ」と嘯いてごまかしていますが、2章目の時点で早くも獣殿に対する叛意をチラつかせていたわけです。

 13章、言うまでもなく最終章です。8つのうち7つまでのスワスチカが開き終えて聖餐杯も受け取り、まだ完全体ではないとはいえ、それなりの形で再臨することに成功したラインハルト。出てきて早速「殺し合え」「それをもって第八を開く贄とする」とありえない要求を突きつけてきます。必死の思いで戦い抜いてきた蓮や螢に対して「蠱毒れ」と同士討ちを命令するとは、なんという傲慢。グラズヘイムの毒壷(コロッセオ)はてっきりメルクリウスの趣味かと思っていたが、案外ラインハルトの意向が働いていたのかもしれないな。「誇り高きドイツ軍人の卿ら――今日は些か殺し合いをしてもらおう」 騒ぎ始める死霊たちに「私語はよせ」と放たれた聖槍の一撃が額に突き刺さり、そして待ち受けていたかのように鳴り響くGötterdämmerung。各自に配布される聖遺物。『ナチス・ロワイアル』……映画化されたらきっと『イングロリアス・バスターズ』よりも反響大きいだろうな。寝言はさておき、「お前は何を言っているんだ」状態の蓮と螢を尻目に淡々と受け答えするベアトリス。さすが腐っても(実際にカインの四代目として腐りかけていたが)ヴァルキュリア、伊達に11年も前に首領閣下を仏契(ぶっち)めようと計画したわけじゃない。肝の据わり具合は概算してシュピーネの5000倍くらいだ。

 ベアトリスのおかげでペースを崩さずに済んだ螢と蓮、彼らが三分割で一画面に表示される演出は王道ヒーロー路線でカッコイイ。是非これをワイドスクリーンでやってほしかった。このままラストバトルに直行しそうな勢いだが、そうは三騎士(一人欠け)が許さない。エレオノーレとマキナの介入で3人はバラバラに引き剥がされてしまう。エレオノーレとベアトリス、マキナと蓮、因縁の深い組み合わせ同士に。あれ? そうすると螢が残りますよね。余った彼女の相手をするのは……「歓迎しよう、レオンハルト」 ラインハルト様でしたァーッ! えっ、なにこれ。新種の罰ゲーム? あまりにもパワー格差があるため獣殿も余裕綽々、戦うどころかヴェヴェルスブルグ城の解説を滔々と垂れる始末です。「登城を認められた騎士は百を超える」と言い、ズラズラと並べられた名前の中にはルーデル、あのハンス・ウルリッヒ・ルーデルも挙げられているが、これは「現実のヴェヴェルスブルグ城に登城した」という意味でグラズヘイムにルーデルがいるわけじゃないんだろう。ルーデルって82年まで生きていたし。螢に「くだらない」と面罵されても激昂せず、「確かに私もカールもつまらぬ男だ」とあっさり認めてなお考えを改めない獣殿はマジでタチが悪い。ちなみにエレオノーレがあの場に居合わせていたら「くだらない」の「くだ」を発音したぐらいで螢の顔は跡形もなく消し飛んでいただろう。エレ姐の愛は厳しすぎて「殺し愛」を超越している。長年会いたがっていた上司と部下の顔合わせが恐ろしいほど殺伐としているのもむべなるかな。エレ姐と再会したベア犬は惚気ているのか糾弾しているのか分からない調子で噛み付きます。いろいろ言ってますが、だいたいのニュアンスは「わんわんお! わんわんお!」で通じる。創造詠唱でベアトリスのブリュンヒルデに対し「Leb' wohl,du kühnes, herrliches Kind!(さらば 輝かしき我が子よ)」とヴォータンで応えるエレオノーレとか、戦っている最中なのにイチャイチャしまくりですよこの二人。もうここだけ「雷速剣舞・戦姫変生」じゃなく「壁破ラブラブ炎驚剣」ってした方がいいんじゃね。二人の掛け合いが微笑ましくも遠き日の残影に思えて胸が痛くなり、浸りきって陶然としました。つくづく、Diesはファーブラで「酔えるオペラ」になってくれました。07年版のオペラ性に関しては「ブドウジュースみたいで、まるで酔えない」と酷評して、我ながら口が過ぎたと反省しましたが……だって、マキナの詠唱が「自由を!」の一言でしたからねぇ、アレ。その後に展開されたバトルは「おおおおああああああああっ」「!」「せっ」「む……」「グゥア!」「くっ」「この……」「っらああああああッ」「ぬぅん!」「ぐお……」「がはあっ」「むおおおおッ」「うおおおっ?」「くっ」「ツァアアアアアラトゥストラアアアアアアッ」(地の文を省略して引用すると本当にこうなる)。どこがバトルオペラやねん。内心噴飯ものだったが、書き写しているうちになぜか楽しくなってくるあたり救いようがない。しかし07年版をやり直すと「先輩すみません」「俺は、また間に合わなかった」「急いで急いで、それでも……それでも俺は、こんなにもノロマだ」に腹が立つな、どうしても。

 蓮VSマキナはマリィルートで充分に描かれたから他のルートでは省略されるんじゃないかと危惧したが、そんなことはなく、こちらでもちゃんと描かれていて安心した。「染み付いた習性は拭い去れん。毒壷(ここ)にいる者は誰であれ殺したくなる」な毒々マッキーにゾクゾクする。内容的にマリィルートのそれと被る部分もあるが、蓮の出自をより深く暗示するセリフの数々が興味深かった。「俺はとある鋼鉄の中に――」「そしておまえは――」「カール・クラフトの血が満ちたフラスコの中だ」というマキナの言から察するに、07年版では「賢者の石」とされていた蓮の正体、ファーブラではどちらかと言えばホムンクルスに近いモノとされているのかな? 錬金術における人造人間、ホムンクルスは『ファウスト』(時よ止まれ――の元ネタ)にも登場するらしいし、これで繋がった……気がしないでもない。「俺はおまえの当て馬だよ、兄弟」というセリフは07年版にも似たようなの(あっちは確か「踏み台」)があったんで噴いた。一応、マキナ周りの設定は大雑把にできていたんだな。感心したところで視点はふたたびベアVSエレに。「嫌がる部下を引きずり回し、付き合わせるのは慣れている」「ええ、黄昏だろうとなんだろうと、お付き合いしますよ」な息ピッタリ感を見るにつけ、「はて、なんでこのカップルが争っているんだろう?」と疑問が湧いてきたり。痴話喧嘩? 痴情の愛と平和を守るため〜。ベアトリスが黒円卓への忠誠を失ったキッカケがボーナストラック〜1945〜におけるエレオノーレの言葉だと判明するなど、ファンには嬉しい驚きだったが、ファーブラから入った方だとベルリン・スワスチカの話題は分かりにくいかもしれませんね。結果としてサウンド・ドラマのほとんどが伏線だったわけで、07年版から追い続けてきたラスト・バタリオンの一人として存分に役得を堪能させてもらった。ともあれ、髪を下ろしたエレオノーレは実に艶やかであり、ついうっかり見蕩れてしまったベアトリスの気持ちも分かる。図星を突かれた姐さんが「よりにもよって、恋などと……」「私の忠を――侮辱したことだ」とブチキレて赤騎士(ルベド)のテーマミュージックが流れ出すシーンが熱い。たまらなく孤独で、熱い魔王。ここに限ってはベアトリスよりもエレオノーレを応援したくなってしまう。「そーだそーだ、エレ姐さんのチューをバカにすんじゃねぇぞベア公! 姐さんのチューはベロチューどころか骨まで鋳溶かすホネ鋳だぞコラァ!」と、抜き放たれた激痛の剣(レーヴァテイン)に快哉を叫んだ。「誰も近寄れない炎(ローゲ)、それを与えた槍(ヴォータン)、あなたこそが馬鹿娘(ブリュンヒルデ)だ!」の指摘にハッとしつつも、「負けるな、姐さん……!」と本題を忘れて肩入れしちゃった次第。もう少しで決着というところで視点が変わり(Diesは戦いの最中でも結構コロコロと視点が切り替わる。頻繁すぎてうざったく感じることも多いが、「あるバトルの結果が別のバトルに影響する」という仕組みになっているので仕方ない)、忘れかけていた螢VS獣殿戦へ。

 名前だけとはいえヴァルター・ゲルリッツ曹長が再登場したことは微かに嬉しかったし、いきなりマルセイユを召喚して偏差射撃させるのにも驚いたが、「偶発的な自傷」が発生してラインハルトにダメージが通るって……サトリの化け物かよ! このへんはさすがにちょっと無理矢理な気がしました。蓮とマキナの創造対決や、「ハイドリヒ卿の駒(モノ)であること――それのみが私の総てだ! 救いなど請わん! 助けなど求めん! 彼の傍に侍る以上、脆弱さなど許されん!」「なぜなら私は、彼と永劫、共に行きたい。彼と一つになる怒りの日(ディエス・イレ)こそ、私のヴァルハラ……!」と乙女オーラをフルスロットで噴出するエレオノーレ、本性を現したメルクリウスに激怒して銃を乱射する司狼など、同時展開する他の場面は良かったです。それだけに、ラインハルトの活躍がいまひとつ。彼が本気出したら終わっちゃうから仕方ない面もありますが……にしても、エレオノーレとマキナとラインハルト、全員相手に向かって「立てい」と言ってるんですね。初回プレー時は気づかなかった。

 ぶつぶつ言いながらも蓮にしがみついて離れない螢に和みながら、いよいよ最終決戦へ。長かった13章もそろそろ大詰めを迎えます。「俺に惚れなきゃ、意味がねえだろッ!」と吼えるツンデ蓮たんが男のくせに可愛い。俺の練炭がこんなに可愛いわけが……あるな。そしてラインハルト・ハイドリヒとカール・クラフト、双首領の睨み合いから一転して視線がこちらに向くシーンにゾッと肌が粟立つ。まさしく蛇に睨まれた蛙の心境。「ここで今、この男を――」というセリフはムービーだと互いの対決を暗示しているように見えたが、実は蓮の処遇を巡っての遣り取りだったと明かされるプチ叙述トリック。ファーブラのムービーはこの手のミスディレクションやレッドヘリングが割と仕込まれていますね。シュライバーの創造詠唱も、あれが玲愛ルートで本気出すシュライバーと見せかけて螢ルートで瞬殺されるシュライバーだったし。メルクリウスの「女神(マルグリット)以外に私を殺せるものか」も獣殿に言ったのかと思ったら蓮に対してでした。メルクリウスと言えば、スワスチカを握り潰して「死んだかな、ゾーネンキント」ってこともなげに呟いたときばかりは蓮にシンクロして「おおおおォォッ――てめえェッ!」な気分に陥りました。メルクリウスの外道さ加減は留まることを知らない。この章は最後の最後で遂に姿を現す櫻井戒もかっちょよくて痺れます。神槍と偽槍の対決、本来なら成り立たない真贋勝負ながら、獣殿が劣化しているおかげでギリギリ成立してて燃える。ラインハルトが残す「努、忘れるな」が「ゆめ、わすれるな」ではなく「つとめ、わすれるな」と読まれていたのは腰砕けだったが、決着がつかずに訪れる結末にしてはなかなか良いテンションだった。エピローグは黒円卓の企みを潰すために蓮・螢・司狼、そしてバックアップのエリーが二十年間戦い続け、これからまた新たな戦争が始まりそうな場所に香純の娘(ゾーネンキント)が乗った飛行機が通りかかろうとしている……ってなあたりでEND。メルクリウスの次なる計画に巻き込まれてバビロン化してしまった香純がなんとも可哀想だが、このまま『Dies irae2』が作れてしまうシチュエーションが何とも美味しい。主要キャラが死なず、戦いの道を歩み続ける一方でそれなりの幸せを掴んでいる、中庸的な意味合いでのグッドエンディングだ。螢の一枚絵にもしみじみとした感慨の念が込み上げてくる。2年の時を経て、我々はやっとここに辿り着けたのだな、と。

(ChapterZ Sakrament / マリィ・玲愛ルート)

 章題は「秘蹟」、洗礼など神の恩寵を授ける儀式のことです。ラインハルトがマリィのギロチンを破壊し、彼女の脇腹を槍で突くことによって穴を開け、そこから蓮の感情が流れ込むようにし、また彼女の渇望が覇道に転じて流出へ至れるよう促した――この行為を指して「サクラメント」と呼んでいるのかもしれない。07年版も同じタイトルだったが、そっちは何を意味しているのか不明確だったな。まさかこの章にあるエッチシーンを指して「サクラメント」と呼んだのか? 6章で獣殿に挑みかかって敗北した蓮は囚われの身となり、教会の地下室に転がされる。扉が開き、差し込む光を背に立っているのは……「A.氷室玲愛」「B.ルサルカ」のどっちかです。07年版のBは即座にバッドエンドへ直行する残念ルートでしたが、ファーブラではむしろ「喜べ、真ルートは近い」のシグナルです。Bを経由してからでないと、確か玲愛ルートの真エピローグは見れないんじゃなかったっけ。で、Aの場合は更に「1.玲愛が蓮を性的に襲うが手コキだけで終わる」「2.玲愛が蓮を最後までヤッちゃう」の2パターンに分かれ、前者だとマリィルート、後者だと玲愛ルートに向かう。この章における両ルートの違いはあまりなく、せいぜい玲愛ルートだと最後に先輩が家出するくらいです。本題はあくまで蓮とラインハルトの面談、そして蓮の感情が流入したことで幾分か人間臭くなったマリィ、この2つです。羞恥心が備わったマリィは神秘性が薄れて「普通のエロゲキャラ」になってしまった感も拭えないけれど、人間臭さが欠如していたそれまでのマリィにどうしても好感を抱けなかった当方としてはむしろ大歓迎。こういうヒロインっぽいマリィを一番最初の、2006年に公開された紹介ページを閲覧したときに希望したものでした。なので個人的には「変化」というよりも、旧来のイメージに復した感触さえあります。

 獣殿との問答は、07年版とそんなに変わっていない気がする。確かめたわけじゃないので、定かではありませんが。ただ、「諏訪原=スワスチカinシャンバラ」という脱力必至のネーミング暴露はなくなっていますね。「ダジャレかよ!」と散々不評だったので仕方なくお蔵入りにしたのか、あるいはもともと無理矢理こじつけただけだったのか。ともあれ、マリィルートでは先輩が教会に残ったまま、玲愛ルートは教会から出奔した状態で次の章に移ります。

(Chapter[ Nachtzehrer / マリィルート)

 章題は「ナハツェーラー」、吸血鬼の一種で、その影に触れたモノを呪い殺すという伝承がある。ゆえに、Dies本編では「食人影」と表記されています。ルサルカが使う、エイヴィヒカイトとは別系統の魔術(とはいえ、授けた黒幕の正体はやっぱりメルクリウスだったりする)。エロゲーだと『吸血殲鬼ヴェドゴニア』にも「ナハツェーラー」と名乗る老人風の吸血鬼がいました。催眠術の名手で、二つ名は「人形使い」。設定上は結構重要な位置づけだったのに、これといって格好良い活躍シーンがなかったため、敵幹部「三銃士」の中でもっともザコい奴と見做されています。漫画版ではラスボスでしたが、そもそもヴェドゴニアの漫画版は内容が別物すぎて「なかったこと」にされていますから、ファンの前でそれを口走ってはいけません。「漫画版ヴェドゴニア」なんて禁句ですよ、禁句。「漫画版Dies irae」はどうも単行本が発売中止になったみたいなので、禁句以前に幻です。

 07年版との最たる違いは、「魔城グラズヘイムは今日も地獄です」なイベントがあること、それに「ツキガクの制服を着たマリィが学園に潜入する」ってイベントがあること。制服を着たマリィなんて未知すぎて仰天しました。噂によると制服着た立ち絵自体は2007年の頃からあったとか何とか。共通ルートの閉幕とともにコメディライクな日常イベントがごっそりなくなるDiesだけに、制服マリィとイチャイチャするのは「最後の清涼剤」といった趣です。蓮がマリィとイチャついている頃、司狼とエリーはボトムレスピットでルサルカと遭遇。さしたるバトルも経ず二人とも食人影(ナハツェーラー)に呑み込まれる流れは07年版と同じ、っつーかテキストやボイスもだいぶ使い回されていて、心底デジャヴりやがります。よって前々からのファンにとっては、魔城と制服マリィの他は特に見所がない章と言える。

(Chapter\ Kreuzung / マリィルート)

 章題は「交差点」、英語でいうところのクロッシングですね。『ミラーズ・クロッシング』なんて映画もあります。たくさんの登場人物が一箇所に集まる話だから、そういうタイトルになったのだろうか。一言でまとめると、「病院戦」です。07年版のときと同じく、スワスチカの一つである病院を舞台にしてバトルが展開する章ですが、推移がかなり違う。蓮がカインと戦っているところに螢が現れ、次いでザミエルが一瞬でリザを焼き尽くして降臨、というのが07年版の大まかな流れでしたが、新シナリオではまず「蓮VSトバルカイン」という組み合わせ自体が発生しない。院外で蓮と螢が戦う一方、院内でトリファとリザの「偽装夫婦対決」もブチかまされる。「あなたなんかに、自分の気持ちが誰のものかも分からないあなたなんかに、私を否定させはしない」「産んで捨てるだけならば、そこらの雌犬でも可能なことだ」と罵り合って「家族の絆」を破断させる件、教会組(玲愛、リザ、トリファの3人)が好きだったユーザーにとっては辛いでしょう。当方も辛かった。辛かったが、ようやく外面をかなぐり捨てたリザが見れてゾクゾクいたしました。残留組(ベイ、マレウス、クリストフ、バビロン、シュピーネ、ゾーネンキント、トバルカインの7名)の中で、カインと並んで「何のために出てきたのかよく分からないキャラ」視されていたリザがメキメキとキャラ立ちし始めるんだから、ファンとして嬉しくないわけがない。

 螢と蓮のバトルは「見苦しい。貴様の負けだ小娘」と一喝するエレオノーレの横槍によって中断。ほんの一文、「一瞬、本当に一瞬で、何かに叩き潰されていた」であっさり無力化されている螢が切ない。ごらん、あれが螢の墓。兄ちゃん、なんで螢すぐボコられてしまうん? 07年版では割と威勢良くエレオノーレに歯向かっていた螢ですが、シナリオ書き直しの影響でエレオノーレが恐ろしいほどバッキバキに強化されていて、口応えが即座に死に繋がりかねない緊張感を孕んでいます。おかげで螢も生意気な口を利くどころじゃなく、「この場の指揮権はあなたにあります、ザミエル卿。私はそれに従うのみで、自分の意を持ちません」とすっかり言いなり、微妙に態度がブレている。すなわち「いいなり!けいぶれーしょん」だ、ザミエル卿があまりにも怖すぎてお漏らししそう。「能無し」「頭の足りないお嬢さん」と味方であるはずの黒円卓からもボロボロな評価を受けます。もうやめて! 螢の株価はストップ安よ!

 病院のスワスチカをリザでこじ開ける点は07年版と一緒だったが、かつては奥義扱いされていた「広がり続ける爆心」をまるで通常技のように使いこなし、エレオノーレは逃げる蓮を追う。ヒイイッ、なにこの赤騎士、ホンマモンの化け物じゃねぇか! 勝てるわけがねぇ! と絶望しかけたところで仲裁役の黒騎士マキナが推参。「そんなことより、おまえは自分の首を心配しておけ」という素っ気ない一言がまさか伏線になっていたとは、誰が予想しえるだろうか。地味に敗北フラグ立てていることに気づかないエレオノーレなのでありました。

 ちなみに旧版ではこの章、なぜかメルクリウスが介入してきて蓮の創造を手助けし、もうちょっとでエレオノーレの首筋にギロチンをブチ込めそうになった瞬間、「…………間に合ったか」とマキナが乱入して彼女を救ったりします。今からは考えられない展開だが、それはまあいいとして、介入時に発したメルクリウスのセリフ。

「ザミエルの『狩りの魔王』は、文字通りの魔弾の射手です」
「ゆえに、放たれた時点で敗北は必定。全てが終わります」
「誤解があるね、ツァラトゥストラ」
「時が牢獄と化すのだよ」
「嘆かわしい。だがこれもまた予想されえたことであり、また必然だ」

 なんで一つのシーンでこんなに口調がブレるんだ……?

(Chapter] Nigredo Albedo Rubedo / マリィルート)

 章題は「黒化、白化、赤化」、黄金錬成(ゴルデネ・エイワズ)の錬成過程です。Diesではこれに「黄化」と「翠化」が加わって五色となる。ラインハルト・ハイドリヒが現世に復活するうえで欠かせない役割であり、それぞれ黄化=聖餐杯(トリファ)、翠化=ゾーネンキント(玲愛あるいは香純)、黒化=マキナ、白化=シュライバー(螢ルートではベアトリスがこの候補となる)、赤化=エレオノーレと対応しています。作中では「黒騎士(ニグレド)」「白騎士(アルベド)」「赤騎士(ルベド)」と表記されることが多く、大隊長である彼らを総称して「三騎士」と呼ぶ。かつては07年版において「三雑魚」扱いされた大隊長たちながら、徹底的に加筆修正されたおかげで昔日の面影はほとんど残っておりません。特に白騎士ことシュライバーは狂気の度合いが深まって、より一層戦慄させてくれる。

 とはいえ、この章自体は07年版とだいたい一緒なので劇的に面白くなっているわけじゃない。ルサルカも玲愛に向かって「テレジア・ヒムラー」とか古い設定を口走っちゃっています。用語集で「ルサルカはイザークの父親をヒムラーと推測している」とフォローされていたけど、正直ちょっと苦しい気がする。「復っ活――とでも言やァいいのか、この場合はよ」な司狼にイラッと来るし、「手抜きはここらでやめにするわ」と嘯くベイの演技がむしろ手抜きっぽいのに悲しくなるが、「てめえ、ふざけやがってシュライバァァ……!」のところはベイの悔しそうな感じが十二分に滲んでいて好きです。特に「ふざけやがって」の部分。音割れしているのが残念ですけど。つか、このへん録音状態がちょっとヒドいですよね。音が掠れていて聞き入りにくいところもあるし、録り直しは無理でも、もう少し綺麗に音量調整して欲しかった。

(ChapterXI Ghetto der Ewigkeit / マリィルート)

 章題は「永劫の既知感(ゲットー)」、『Dies irae』では「ゲットー=既知感に満ちた世界」とされていますが、本来の語義は「ユダヤ人強制居住区域」。ナチス政権下では「絶滅収容所」を指すこともあります。現在だとスラム街の意味合いで使われることが多く、正田崇がシナリオを手掛けた『Paradise Lost』の「隔離街」も一種のゲットーですね。冒頭、「既知世界とはメルクリウスの渇望が流出した世界で、つまりメルは神、いわゆるゴッドではないか」とDiesの根幹設定を揺るがしかねない気化爆弾がいともサラッと投下されます。ちょっ、それ、メチャクチャ重要なネタじゃないかよ。『Paradise Lost』と同じく「神に挑む者たちの物語(ただし神は出てこない)」路線かと思ったら、「不幸せの青い鳥は、なんと身近なところにいたのです」とメーテルリンクなオチ。言い換えれば「ラインハルトー! 後ろ、後ろーっ!」であり、まさかのドリフでした。よし、この章からルビは聖槍十三騎士団(ザ・ドリフターズ)に変えろ。「ゆえ 神は問われた なんだチミは」「愚問なり 無知蒙昧 知らぬならば答えよう」「そうです わたすが変なオジサン――」 いかん、ついバトルオペラ調のコントを想像してしまった。

 平凡で穏やかな学園生活を送る夢から覚めた螢――公園に佇んでいますが、要するに野宿したことになるのかこれ。ダンボールハウスで軍服姿の螢が新聞紙に包まれてすんすん鼻を鳴らしながら寝転がっているところを想像して胸が締め付けられました。エロ同人誌だったらまず確実に不逞の輩が襲ってくる場面ですね。まあ眠っているところを散々嬲られた挙句、螢が気づいた瞬間に即火柱オチでしょうが。螢とカインに続いて司狼、蓮、神父も公園に集結。ここに来て5人も集まっちゃうとは、なんだかシュールな絵面だ。確か07年版だと螢と司狼が喧嘩し始めたところで蓮が仲裁に入るんだったっけ。螢VS司狼のバトルは削除されて、代わりに神父VSカインが挿入されますが、もちろんこの組み合わせじゃ決着などつきませぬ。蓮と司狼が神父を排除しようとタッグを組み、神父は持ち前の悪辣さで切り抜ける。マリィとのエッチシーン、初めて出てきたイザーク視点と、なかなか盛り沢山の章ではあるが、一にも二にも注目すべきはヴァレリア・トリファ。「邪なる聖者」が遺憾なく薄汚い屑っぷりを発揮します。

 真相を知っている身からすると「私を馬鹿にするな、聖餐杯!」という螢の激昂が滑稽で仕方ないが、それはそれとしてカインの真の正体(07年版ではただ「螢の兄」とされていた)が開示される。その驚愕すら塗り潰すかの如き勢いで「あなたの? 彼の? 彼女の憎悪? 断罪? 笑止。私が科す私への罰。それに勝るものなどない」と神父の狂気(せいぎ)が疾走していく。響き渡る「ローエングリン」の調べが実に禍々しく心地よい。ふたりのバトル(とすら呼べない代物であるが)に乱入した玲愛に向けてトリファは聖槍を放つ(何度見ても卑猥だよな、このムービー)が、これは誤射でも血迷ったのでもなく、最初から狙っていたこと。玲愛の子宮と魔城グラズヘイムを繋ぐ産道をロンギヌスの槍で断つことにより、玲愛からゾーネンキントとしての資格を剥奪して次のゾーネンキント――すなわち香純に交代させることが神父の目論見だったわけです。香純ルート9章で大隊長の出陣を封じた方法はつまり、「玲愛に向けての聖槍射出」。一つ疑問が片付いてスッキリ。07年版では(いい加減この「07年版では」の文字列も打ち飽きてきたが、汲めども尽きぬ恨みが我が身を衝き動かすのだからしょうがない)策略もクソもなくあっさりと諦めてハイドリヒに聖餐杯を明け渡したトリファだが、クンフト以降はすっかり粘り強くなって常に小賢しく立ち回り、あの手この手で「歪んだ聖道」を突き進むべく奔走します。蓮たちを教会に向かわせて、「ツァラトゥストラとの雌雄を決する戦い」を求めるマキナを足止めさせようと――聖餐杯の天敵たる一撃必殺(デウス・エクス・マキナ)を封じ込めようと画策したものの、リザに「あなたはもう人の心が読めなくなっている」と悲しまれた神父は一点、マキナが「ツァラトゥストラと互いに全力で戦える状況が整うまでは、対決に消極的である」ことを見抜けなかった。かくして策は裏目に出て、もっとも来て欲しくない場面で天敵を招き寄せるという窮地に陥る。螢ルートでも「第八が開く前に戦うのは本意でなかった」と語っている通り、マキナはなるべく最後まで蓮と戦おうとしないんですよね。

 一応主人公なのにこの章では存在感がとても薄い蓮、到着した途端に爆発炎上し、もぬけの殻どころか烏有に帰した教会跡地で生首ルサルカと遭遇します。香純ルートでは自ら首を刎ねた相手だけに、奇遇というか何というか。ルサルカ自身はとうに死んでますが、シュライバーの魔術で遠隔操作され、生首は軍歌を歌わされる。クンフトではルサルカの音声が収録できなかったためかシュライバーのみが歌っていたが、ファーブラではルサルカとシュライバーのふたりがデュエットしています。些細な変更点だが、ちょっぴり嬉しい。視点が戻ってまたトリファ……うん、ぶっちゃけマリィルート11章の主人公は神父だよね。彼最大の見せ場にして最高の散り場。勝てるはずのない大隊長ふたりを前にして、なお諦めずに足掻き抜く「屑の意地」が眩しい。同時に、マキナの強大さもキチンと表現されているもんだから、ノリはほとんど最終章のそれ。クンフトでいっぺんやってファーブラで再度やり直しましたが、相変わらず震えました。

 カインを燃やし尽くされ、希望を失ったはずなのに、絶望を忘却して駆ける螢。瞋恚の炎と化して突っ込んできた彼女を完璧実力主義者のエレオノーレは認め、まるで妹に対する姉のように――螢にとってのベアトリスのように――接するあたりは螢ルートを終えた後だと感慨深い。出番は少ないが、「人の形をした災厄」「殺戮の意志に凝り固まった昆虫」と評されるシュライバーも素敵。そして何より、第七が解放されてグラズヘイムを諏訪原市に創造し、魔軍出陣の準備を敷き始めるラインハルトも存在感抜群です。なまじ07年版のマリィルートを再プレーした直後だけに、各幹部の存在密度アップはクンフトをやったとき以上に濃く感じられる。クンフトとファーブラでゲットーを超越する面白さを獲得してくれたことは無上の喜びであるが、それとともに今更07年版をやり直しても別段古傷が痛まず、過去を過去として受け止められるようになってきたことを祝いたい。ああ、まさしく当方の疵は癒され、厨二病の血を流す聖痕へと変じたのだ。感想を書くためにやり直すだけでまさかここまでテンションが上がってしまうとは意想外でした。

(ChapterXII Ring des Nibelungen / マリィルート)

 章題は「ニーベルングの指環」、ドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」をモチーフとするリヒャルト・ワーグナー作のオペラです。ワルキューレ(ヴァルキュリア)が出てくるなど北欧神話にインスパイアされた部分が多く、三騎士と首領閣下でやけに北欧神話絡みの用語(ヴァルハラ、エインフェリア、グラズヘイム、ニブルヘイム、ムスペルヘイム、ミズガルズ等々)が目立つのはこれのせいかもしれない。最終決戦一歩手前の地点であり、シリアス展開に次ぐシリアス展開で伝奇バトルオペラの高速道路を驀進する本編に辛うじて割り込むことができた、最後のインターミッションです。司狼と蓮に弄られて拗ねる螢(私、頑張ったもん。頑張ったんだから)や、蓮が他の女と仲良くしている様子を覗き見てヤキモチを焼くマリィ(なんで、赤く、なるの?)など、リアルで世界がヤバいにも関わらずこれでもかと言わんばかりにほのぼのしていて脱力させられる。しかし、まさかここでの遣り取りが13章での伏線になってくるとは、さすがに予想できた人ゼロなのでは。あと、さりげなく司狼が「一蓮托生」と言っているが、再プレーするとこの四字熟語が意味深に思えてくる。

 玲愛が怯えながらもラインハルトと対峙し、微かな勇気を振り絞って己が想う勝利条件を突きつける場面――先輩ファンたちは歓喜したに違いあるまい。今度こそ「先輩すみません」「俺は、また(以下略)」はないだろうと確信して。ちなみに、彼女がゾーネンキントとして起動する際に斉唱された詞はマーラーの交響曲らしい。この第5楽章はグレゴリオ聖歌の「怒りの日(ディエス・イレ)」の旋律を用いているそうな。あのシーンはいささか唐突というか、なぜタワーに降下した三騎士と首領閣下、そして副首領閣下が壺中天に呑み込まれた玲愛の紡ぐ詠唱に参加しているのか、初見だと混乱してしまう。空間的に隔たった状態で術が行使されているんだもんなぁ。ここに関しては、ちゃんと儀式の段取りをつくっている07年版の方が良かったかな。あくまでここだけを切り取れば――であり、07年版の個別シナリオを肯定する気は毛頭ありませんが。

 完全体になる直前のラインハルト自らが出陣し、「愛すべからざる光(メフィストフェレス)」の魔名が決して誇張ではないと証明してみせる。願いを叶える代わりに魂を貰い受け、地獄(ヴェルトール)に繋ぎ止めて奴隷(エインフェリア)として酷使する。まさに悪魔。共通ルートの回想でメルクリウスが獣殿をまんま「悪魔」と評していたが、その言葉が今になってようやく意味を成した。Diesは設定が込み入っていて、一度やっただけではピンと来ないロングパスが山ほどあります。それを再プレーするたびにほじくるのがファンの楽しみ。

(ChapterXIII Dies irae / マリィルート)

 章題は「怒りの日」、すべての人間を墓より蘇らせた神が各々の罪を糾し、天国行きと地獄行きに仕分けるというキリスト教の終末思想。いわゆる一つの「最後の審判(ドゥームズデイ)」です。日本風に直せば「蓮舫の日」か。「黒円卓の団員ってこんなに必要ですか? シュピーネさんはそこらへんの殺人鬼で代用できますよね?」 時事ネタ書いたらすぐに風化しちゃうだろうとは思うが、気にしない。ラインハルト・ハイドリヒの流出位階が「混沌より溢れよ怒りの日(ドゥゾルスト・ディエスイレ)」で、対する蓮の流出位階が「新世界へ語れ超越の物語(レースノウェア・アルゾ・シュプラーハ・ツァラトゥストラ)」なので、07年版およびクンフトのタイトル『Dies irae Also sprach Zarathustra』は両者の対決を暗示していたわけです。その割にみんなタイトルを言うときはDiesの方ばっかりで、Zarathustraは半ば忘却されかかってますけどね。

 さあ、最終章。マリィルートのトリを飾るだけあって、この章は長い。11章も充分長いと思ったが、明らかにそれ以上だ。エレオノーレ、シュライバー、マキナ、三騎士全員を斃したうえでラインハルトとの決着もつけなくてはいけないのだから、分量が嵩むのは当然のことだ。一連の最終決戦は容量にして200KBに及ぶらしいが、締め切りに追い詰められた正田崇は創造位階を駆使して僅か4日で書き上げたのだとか。エロゲーのシナリオライターには「1日で100KB生産した」なんて人もいますから、1日平均50KBというボリューム自体は特筆して驚くべきことじゃないが、それでもやっぱりあのテンションを保って4日間とは凄い。それより遥かに少ないこの感想文でさえ、優に倍以上の期間が掛かっています。いやそんなこたどうでもいい、さっさと本編の話に移ろう。

 まず前哨戦としてエレオノーレ対螢、司狼対シュライバー、蓮対マキナの三局面が描かれます。マリィの流出が螢や司狼のバトルにも影響を及ぼすため、ほぼ同時進行で頻繁に視線を切り替えながら綴られていくのだが、面倒だから以下の感想は時系列に沿うんじゃなく、各戦闘ごとにまとめて書いていくことにする。各戦闘、組み合わせ自体は07年版と一緒です。しかし、改稿のおかげで内容はまったくの別物となっている。螢は聖遺物であった緋々色金が第八スワスチカを開くための贄にされたため、エレオノーレ戦で偽槍――ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌスを獲物として用います。「偽槍の呪いは櫻井の血筋を狙い撃ちする」という設定がある以上、螢のカイン化は充分想定されていた事態ですが、なんとも絶好のタイミングで引き継いでくれたものだ。07年版における戦闘は「創造により炎と化した螢が乾坤一擲で斬りかかる→エレオノーレの頬にちょびっと火傷をつくる→『私の顔に、貴様炎だとお!』と激昂してドーラ列車砲を形成→即座に創造を使って『広がり続ける爆心』で螢を呑み込む→焼け爛れ瀕死の重態となった螢を嬲るべく意味もなく形成して列車砲の砲塔に引っ掛ける→執念で砲身に潜り込み、創造を発動して内側から爆破する螢→列車砲が瓦解したエレオノーレは断末魔の叫びを張り上げて死亡」でした。慢心とか油断ってレベルじゃねぇぞ。信じがたいほどのザコエル・ツカエンタウア。今やると逆に面白くなってくるくらいですね。書き直されたシナリオでは、「頬にちょびっと火傷をつくる」程度のことさえも至難。何せ全力で聖遺物を顔面に叩き込んだら、頬の軽傷と引き換えに聖遺物の方が砕けるくらいですからね。「周囲に発生している火炎流は、赤騎士(ルベド)が手足を動かす際の単なる追加効果なのだ」とか、もうラスボスでしょそれ。あまりの強さに寒気がするぜ。カイン化した螢も覚悟決まった表情しててカッコイイです。CGをよく見ると胸の位置が少し変な気もするけれど、「偽槍の呪いで垂れている」と解釈すればいいのか? 垂乳根のぉ〜ヴェヴェルスブルグぅ〜ロンギヌスぅ〜。マリィルートだとドーラ列車砲を形成するところまでは行くものの、結局使わずに死にます。「マリィの覇道が流出した影響から9章で付けられた首の傷が開いた(「そんなことより、おまえは自分の首を心配しておけ」という伏線の回収)」「時間停止によって螢が投擲した偽槍を躱すことができなかった」「偽槍は砕けたが、中に仕込まれていたスルーズ・ワルキューレ(ベアトリスの聖遺物)が傷口を貫通してトドメを刺した」と、都合3つの勝利フラグを重ねてようやく討ち取れたのだから、07年版とは大違いだ。でも3種類あったドーラ列車砲ムービーのうち、2種類しか使われなくなりましたね。実は07年版だとドーラ列車砲が形成されるムービー、2パターンあったのですよ。

 司狼対シュライバーは、決着の付け方が「ほぼ一発で終了」という呆気なさであることは07年版と同じ。シュライバーが本気出す前に終わったし、司狼が物凄くパワーアップするわけでもないので、不満はやや残ります。でもダラダラしていた戦闘描写が切り詰められて読みやすくなっている点や、「攻撃を受けないのだから防御力は貧弱かもしれない」とシュライバーの脆さを補足する説明が加えられた点、そして「誰も追いつけない」はずのシュライバーに接近して一撃かましてやることができた理由がちゃんとできた(マリィを通じて蓮の渇望が流出し、三騎士全員の時間が停止、更に螢と司狼は疾走の加護を得られた)点は評価したい。死にゆくシュライバーが繰り広げる一人芝居も迫真の演技。冷静に「なんで一人芝居やり始めてんの」と考えちゃえば間抜けに映るシーンながら、ここは素直に中の人の演技力を堪能すべし。三騎士最後の一人、マキナは暴威を底上げされたおかげでますますターミネーターっぽくなりました。

「……一撃だ」
「一撃……?」
「ああ。一撃だ」
「伝えておこう。これが俺の“創造”」
「機械仕掛けの神(deus ex machina)。幕引きの一撃」
「俺の一撃は、当たった瞬間あらゆるものの幕を引く。すなわち……」
「一撃で……」
「そうだ」
「俺の拳は、どんなものでも一撃で破壊する」

 ――07年版の遣り取りを引用(例によって地の文は省略)してみましたが、なんつーか……「お前ら一撃一撃うるさいっちゅーねん」というありきたりのツッコミしか湧き上がらない。「一撃……?」と言った後にもういっぺん「一撃で……」とほざいている蓮が阿呆みたいだ。これは「練炭」と蔑称されても仕方ないだろう。07年版はエレオノーレ戦もシュライバー戦もイマイチだったが、つまらなさのランキングで言ったら間違いなくマキナ戦がトップでした。「一撃必殺」の脅威を感じにくいうえ、毒壷云々といった蓮との因縁もまったく語られない(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンはツァラトゥストラを成長させる踏み台として作られた、という程度の設定しかない)から、盛り上がりに欠けること夥しい。決着も、蓮がトドメを刺そうとしたところで獣殿が不意打ちの神槍を放って貫き、本当に「一撃で」終了。そんな具合ゆえ、マキナは三騎士の中でもひと際存在感に欠く男であった。改稿版では蓮達が流出に至った影響で「ゼロの停止(流出によって生まれた新世界が「時が止まればいい」という渇望によって0秒の状態で停止している)」が起こり、マキナの「一撃」を無効化したため泥臭い打ち合いに変ずる。「ゼロ停止」はいくら何でも屁理屈が過ぎると思うけれど、蓮とマキナが真っ向からぶつかり合うバトル自体は熱い。

「おまえにハイドリヒが斃せるのか!?」
 あの黄金を、墓の王を、たかが女の情を誉れとするおまえごときが斃すと? 笑止――
「俺の望みは俺の力で完遂する。他力など頼らん」
 ゆえに、ゆえにならばこそ――ここで斃れるわけにはいかんのだ。
 それを無視すると言うのなら。
 一度終焉を逃して宙に浮いた我が英雄譚(ヴォルスング・サガ)を、おまえが引き継ぐと言うのなら。
「敗北(なっとく)させてみろ、この俺を――」
 己こそが修羅の繰り返しを終わらせると、ここに示してみるがいい。
「させんがなッ!」

 ああ……臭い、まことに中二臭い。当方はこういうマキナ戦が読みたかったのだ、と痛感させられた。マキナは戦法が単調すぎて異能バトル的な面白みこそ薄いものの、愚直とも言えるマッチョな肉弾戦を仕掛けるあたりが男臭くてなかなか嫌いじゃない。やはり彼もまた、完全版で大いに株を上げたキャラクターの一人と言えよう。

 プレーしているこちらも長丁場でヘトヘトになりますが、三騎士を斃し切ったところでようやく現れるのがラインハルト・ハイドリヒ、「黄金の獣」であり、黒円卓の首領閣下――平たく言えばラスボス。蓮は仲間たちとの絆(レギオン)を信じて光の階段を駆け上る。流れる主題歌をBGMにして主人公とラスボスの流出合戦。正田崇が気に入って何度も飽かず見返したことにより仕事がほぼ丸一日止まってしまったとまで言われるこの場面、テンションは最高潮ながらも、熱血アニメじみたベタベタなノリを受け付けない人はキツいかもしれない。が、「私はこの時だけを求めて、無限の牢獄(ゲットー)に耐えてきたのだ」に共感して激しく燃え上がりました。「私は総てを愛している」「ゆえに総てを破壊する」「涙を流して、この怒りの日(ディエス・イレ)を称えるがいい!」というラインハルトのセリフに快哉を叫びそうになる。07年版ではあんなに安っぽく小物っぽかった獣殿がこんなに立派なラスボスになって……と目尻に浮かぶ涙をハンカチで拭った次第。「皮肉なものだな。時間を操り、誰よりも速いはずの卿が、いつも間に合わない」とユーザーの傷に塩を塗り込むような嫌がらせを口にしていたかつてとは大違いだ。

 「究極に近くなるほど陳腐になる」という言い訳めいた理屈をもとに、だんだんお互いの攻防が大雑把かつ単調なものになっていく。「異なる法則の鬩ぎ合い」と字で書くと凄そうだが、イメージし辛いこともあって「なんだかわからんがとにかくよし」な気分に陥る。やがてイザークを不要と断じ、産道ごと破裂させて流出を早める獣殿。その蛮行は「臨界突破」なる結果を生み出し、ふたりを事象の彼方――世界の理から外れた「特異点」へと連れ去る。ちなみに今、誤変換で「特異天」と出た。誤字なのになまらカッコイイ、ルビは「シンギュラリティ・スカイ」で一つ。さて、特異点に待ち受けているのはメルクリウス。ここで彼の正体が言及されるのは以前のバージョンと同じだが、設定は変わっている。「アベル殺しのカイン」を仄めかしていた07年版、それよりも率直に「既知世界の神」と暗示する完全版。正体を知ったラインハルトの穂先がメルの方へ向こうとする瞬間はあったものの、結局「今はもうそういうタイミングではない」と断念して蓮との一騎打ちに専念します。07年版はここで吸収した魂のうちマキナだけが獣殿に従うことを厭い、「一撃必殺」の権能をあえて振るわなかったため、槍は蓮に当たったものの斃し切れず敗北。蓮は見事勝利したが、しかし達成感など微塵もなく、「謝ることは出来ないが、ツァラトゥストラ。卿の勝利は称えよう」「勝利万歳(ジークハイル)!」と来るもんだから、ホント散り際までムカつく野郎だった。あれで当方はラインハルトが嫌いになりましたよ、あまりにも斃し甲斐がない。完全版でも賛否はあるでしょうが、少なくとも07年版マリィルート最終章のラインハルトを見て好きになれる人はほとんどいないと思う。で、その完全版では斃すに至るプロセスで玲愛先輩が絡み、「それが私の勝利です」と自信を込めて宣言。ゾーネンキントの力を行使した玲愛は既に生き残る目がなくなっているものの、一矢報いて終わったのだから、旧来のファンは大いに救われた心地がしたのではないか。少なくとも当方は救われた。ラインハルトが遺す最後のセリフ、「勝利万歳(ジーク・ハイル)」も空々しさがなくなり、ラスボスたる風格を崩さぬまま逝ったものだから「斃し甲斐のある存在」と認め直しました。

 マリィルートは正田自身が「皆殺しルート」と語るだけあって死人が多いです。黒円卓のメンバーは当然の如く全滅し、真っ当に助かる主要キャラは蓮と香純だけ(マリィとメルは判定に困るが)っつー寂しさ。蓮がラインハルトを唯一打倒するルートなのでバトル物としての爽快感は全シナリオ一だが、犠牲の大きさもトップだ。屋上の打ち上げも落とし所が分かるだけに物悲しい(「うるさいわね。ていうかあなた、面識もないのに馴れ馴れし――」「うわ、寒いわ。寒いわそのノリ」「ここはもう都合よく、十年来のツレみたいにしとけよ」は玲愛エンドの伏線みたいで噴いたが)。「世界を包み込んだマリィは、いずれメルクリウスみたいな触覚を作るかもしれない」という救いを残している点が僅かな幸いと言えましょう。07年版ではメルが神じゃなかったので「この世界もまた神の用意したカード、私の戦いは続く」と若干サタナイルを彷彿とさせる終わり方だったが、改稿版は「私の戦いは終わった、あとは宛てなき放浪に身を窶すのみ」となる。なにせマリィに「フリンなんだよ。いけないんだからね」とフラれたんだもの、お前の悪巧みに散々不快な想いをさせられた側としては「ザマァ」の一言に尽きるだろうぜ。メルクリウスが敗北らしい敗北を迎えるのもこのルートだけですね。07年版だと急にですます口調になったりしてキャラクターのブレが激しかったメルクリウスだが、ファーブラでは終始一貫してウザキモい奴でいてくれたので、心置きなくm9(^Д^)できます。

(Chapter[ Memento mori / 玲愛ルート)

 章題は「死を想え」、ハイドリヒ卿の座右の銘です。ラテン語で、本来は「人はいつか死ぬのだから、今を楽しく生きよう」という意味を持っていましたが、キリスト教では「人はいつか死ぬのだから、現世でのあらゆる享楽は虚しい」とほとんど逆転しています。公式ページのKampfformに引用されているイザヤ書の記述と「死の舞踏(トーテンタンツ)」の画像は両方ともメメント・モリ関連。ちなみに「死の舞踏」はフランス語だと「ダンス・マカブル」であり、パラロスでも使用していた(デモムービーで確認することができる)ので、恐らく正田崇がもともと好んでいる意匠なのではなかろうか。玲愛は「人間、誰だっていつか絶対死ぬんだから、そんなにじたばた恥さらすなよって、そういう意味」「大人しく、死ねっていう意味」と受け取っており、彼女が「死を想う」ことが不死創造(ゴルデネ・エイワズ)の要にもなっている。

 事態の推移は途中までマリィルート8章「Nachtzehrer」と概ね似通っているが、香純の部屋に入ってエリーの仕掛けで電話が爆発した次のシーンで突如ルサルカが訪ねてきたため、蓮がボトムレスピットに直行せず、展開が大きく変わっていきます。つまり、蓮は諏訪原タワーに向かって先輩と会い、待ち呆けとなった香純、エリー、司狼の3人は強襲してきたヴィルヘルムに喰われてしまう。玲愛の目論見では「ベアトリス殺したの、ヴィルヘルムかもよ」と煽って螢とベイをぶつけるつもりだったらしいが、螢が慎重に行動したため出目が狂った次第。この章はやっと「夕暮れの展望台から街並みを見下ろす玲愛」という未使用CGが表示され、「ヴァレリア・トリファは俺が殺す」も消化された、言わば過去の清算とも評すべき章なのだが、すぐにトリファなんてどうでもよくなるのでホント「消化しただけ」という感じではある。上辺だけながらも友好的に接してくるルサルカが少し印象的。

(Chapter\ Non omnia possumus omnes / 玲愛ルート)

 章題は「私たちは皆、すべてのことができるわけではない」、ラテン語の格言。個々人で技術や知識や能力の差があるため、誰かができることであっても、他の誰かができるとは限らないわけです。つまり「みんながみんな、同じことができるわけじゃない」というニュアンスを孕んでいる。裏返して肯定的に捉えれば「それぞれにそれぞれの役割がある」と受け取れなくもない。ルサルカの回想を皮切りにしてドッと未知が溢れ出す、ファン待望の章。魔女狩りであやうく処刑されかけていたルサルカ(当時の名前はアンナ)が謎の告解師に導かれ、本当の魔女となってしまうわけですが、話を聞く前から告解師の正体がメルクリウスだってことはバレバレですね。Diesが推理小説だったら『メルクリウスのせいにしよう』とか『メルクリウスに聞いてみろ』とかいうタイトルになっていたかもしれない。あるいは『怪人二ー十面相』。さて、本編は8章のダイレクトな続き。「さよなら」と言い合って別れたはずの蓮と玲愛ですが、どうやら別れがたかったらしく、未練タラタラで展望台に留まっていたそうな。日が落ちて、スワスチカが開くまで、ずっと一緒に居合わせていたんだとか……ええ、ハッキリ言って無茶苦茶です。夕暮れ時に「さよなら」と言う遣り取りは2007年にサンプルシナリオとして既に公開されていたから変更できないし、ボトムレスピットのスワスチカを開いたベイは夜行性だから夕暮れ時には合わせられないし、事情は察せられるのだが、かなり苦しいよな。死体が現場に残っていないせいで香純たちの落命を信じることができず、なんとしても現状を否定しようと荒れる蓮。そこに螢がやってきて「私もベイに用がある」と蓮を連れ出し、玲愛は一旦家に帰ることにします。

 家、というか教会では微睡みから覚めたリザが「O Tannenbaum(もみの木)」を口ずさみ、「すごいな、私。涙なんか出てる」と嗚咽交じりに笑う。周りが濃すぎるせいで存在が霞みがちなリザ、見せ場こそ少ないけれど、声優の演技は相当良い部類に属します。さて、リザのもとを尋ねてきたのはトリファ神父。香純ルートでリザを殺し、螢ルートでもエレオノーレの出陣が遅ければリザを殺していたところで、マリィルートでも互いに詰り合った仲。不吉な取り合わせであり、何か悪辣なことをやってくるのではないかと警戒しましたが、頼みの綱(香純)を殺されて計画が破綻してしまった神父はむしろ憑き物が落ちてしまったようで、「これが私の聖餐杯」と飲み干したワイングラスを握り砕くことで不退転の覚悟を示す。神父が立ち去った後、入れ替わりに入ってくる玲愛。一旦蓮と螢のシーンを挟んでから曾祖母と曾孫の会話が始まります。学生時代のエレオノーレについても触れられますが、これがまた「早起き勝負に勝つには寝なければいい」という結論に達して3日も不眠を通すなど、愛すべきアホらしさ。やっぱりエレ姐は話が話ならヒロインになれていたキャラだ。一方、本当にヒロインだった螢はヒドい。愛しい人を喪って自分と同じどん底に落ちてきた蓮を「だって……」「すごく興味あるんだもん」とメッチャ楽しそうに祝福しやがります。舌なめずりせんばかりに「いいから、素直になりなさいよ。恥ずかしがることないじゃない」と囁きかける姿は到底ルート持ちのヒロインとは思えません。彼女がネチネチした性格であることは既に知っていますが、それにしてもこれはな……「先輩に死を想わせているこのクソ馬鹿ども、俺が残らず地獄に叩き込んでやる」と蓮が想うのも無理ないわ。

 ベイがふたりのバトルにインタラプトする、というところでまた視点が変わって教会へ。玲愛に己の過去を話し、神父同様ワインを飲み干し、グラスを叩き壊してからトバルカインを召喚するリザがカッコ良くて震えます。カインはそれまでのルートだと不吉の象徴として扱われていましたが、ここで初めて「希望の槍」として輝きを放ち始める。鳴り響く「Thrud Walküre」が螢ルートの余熱を伝えてくれるようで痺れた。当の螢は雑魚みたいにプチッとやられちゃいますが。城を統括するイザークは髑髏の群を巨大な手に変えて螢を掴み上げ、ベイが杭で串刺しにしてトドメを刺す。正田は好きなキャラほど虐め抜くそうですが、だとすれば螢への愛は真性だな。あと、イザークの無双を見て魔城(ヴァルハラ)って要するに超巨大な「がしゃどくろ」なんじゃね? という感想を抱いた。この章でパキュンしちゃった螢は以降、実に最終章に至るまでまったく出番がありません。香純ルートやマリィルートで目立ちすぎた反動でしょうか。そんな螢はさておき、状況の変化からトリファとリザ、のみならずルサルカまで手を組み、ラインハルトとメルクリウスの計画を阻まんとするっつー異例の展開に突入していきます。もう未知が止まらない。

(Chapter] Sol lucet omnibus / 玲愛ルート)

 章題は「太陽は遍く総てを照らす」、やっぱりラテン語の格言。総てを愛すがゆえに総てを分け隔てなく呑み込むゾーネンキントの業を指しているものかと推測します。イザークの地獄めぐりツアー、開始。「La Divina Commedia」はダンテの『神曲』の原題(直訳すると『神聖喜劇』)で、つまり地獄篇(Inferno)をモチーフにしている様子です。マキナが待ち構える毒壷世界(ミズガルズ)、エレオノーレが憤怒する灼熱世界(ムスペルヘイム)、シュライバーが紛れ込んだ妖精世界(アルフヘイム)の三番勝負です。獣殿への叛旗を翻したトリファ、リザ、ルサルカ、そして玲愛それぞれが自らに相応しき地獄へ挑む。「ルサルカの創造は『触れた相手を停止させる』、なら単純なスピードがベイ以下のマキナはナハツェーラーで捕らえて斃すこともできるのでは?」と議論されたことがあり、本人も「わたし、もう昔とは違うんだよ。今ならザミエルにも、シュライバーにも、マキナにだって負けやしない」と発言していたから、ひょっとして勝ち目もあるのでは……となけなしの希望を込めて見詰めたルサルカVSマキナ。バトルになりませんでした。「一撃必殺」という身も蓋もない能力のせいでいまいち活躍の場を欠いていたマキナですが、腐っても大隊長、ルサルカ如きの覇道には屈しません。創造位階以上には「覇道」と「求道」の二種類があり、覇道は自分を中心とする広範囲結界、求道は自分自身にのみ作用する個人結界――と捉えておくと分かりやすいかも。覇道は効果範囲が広いものの、他人を巻き込む分だけ威力が落ちる。特に創造位階が相手で、しかも格上とあっては余計に効き目が薄くなり、悪くすると「創造の崩壊」へ繋がる。ベイが螢ルートで敗北した原因は、「薔薇の夜」という覇道型創造がエレオノーレ、マキナ、シュライバーの三騎士介入によって崩壊しかけ、創造の立て直しに専念したせいで螢が放った渾身の一撃を躱し損ねたことにあります。ともあれ、「俺を縛るならあと二十万は魂を持ってこい」とマキナはあっさりナハツェーラーの緊縛を破ってしまう。ちなみにシュライバーでも保有する魂の数は十八万程度なので、ルサルカがあと二十万もの魂を都合するのはまず不可能と申したって差し支えない。負けるべくして負けたわけだ。先に行く者の足を引っ張りたい、水底に沈めて止めてしまいたい、と願うルサルカの渇望は煎じ詰めれば「待ってほしい」や「置いてかないで」の念に行き着く。見た目は少女、中身は老婆、されど渇望は幼女並み。『「わたし、歩くの遅いのよ――!」 みんな、歩くの速すぎるのよ。』で不覚にもときめいてしまった人は1人や2人でないでしょう。ルサルカのフラグが立っていた場合、後の章で最期のシーンが出てきます。生きて生きて生き抜いて、駆けて駆けて駆け抜けて、気になる男の愛した刹那(えいえん)になりたかったと吐露する彼女は淫蕩にして一途、邪悪にして純真なダークヒロインとして逝きます。散々ヒドいこともしたんだから当然の報いだろうけれど、「もし彼女がヒロインだったら……」という夢想くらいならしてもいいはずだ。

 ムスペルヘイムで繰り広げられるのはエレオノーレとリザの「女の喧嘩」です。マリィルートから引っ張っていた「イザークの父親は誰か?」という疑問もここで概ね解消される。葉巻の火種一つで消滅してしまうトバルカインがげに哀れだが、エレオノーレとの喧嘩に一歩も引かず、頬に平手を食らわせたリザの胆力は見物だ。個人的にはリザよりもエレオノーレの肩が持ちたくなるが、エレ姐の近視眼ぶりを少しでも修正するためにあのパァンは必要だったと思う。エレ姐も60年前に「この腐れビッチが!」とパァンできる性格だったら大隊長なんかになっていなかっただろうに……賢しい正論を振りかざしている暇があったらもっと率直に嫉妬を剥き出しにしてれば良かったんですよ、ザミエル・乙女タゥア。アルフヘイムに足を踏み入れたのは玲愛。「地獄を知れ、テレジア」というイザークのセリフからして凄惨な地獄絵図が待ち受けているのかと思いきや、香純ルートのエンディングと見紛うような穏やかさに満ちた花畑。空が青く、雲は悠々と棚引いている。そして10人の子供。Gユウスケが「10人は多すぎるだろ」と判断したのか、CGで描かれているのは7人だけですが、トリファ神父が死に追いやった子供たちなので10人です。差分でほんのワンカットとはいえ、街娼時代のドレスを着たシュライバーがお目見えするのは嬉しいサプライズ。彼はアルフヘイムが「親に殺される」という業に支配された薄桃色の地獄であることを明かします。磔にされたトリファ本来の肉体、60年前の出来事を再現するように子供たちを射殺していくシュライバー、ショックで掻き消えた玲愛と入れ替わりに現れる、聖餐杯を捨てて本来の肉体に帰還したヴァレリアン・トリファ。いくらサイコメトリー能力があるとはいえ聖餐杯を失ったトリファは雑魚同然であり、凶獣シュライバーの顎から逃れ出でる法などなく。いとも容易く胸を貫かれ、致命傷を負う。トリファ、このまま死んでしまうん? と不安になりかけた刹那、トリファのテーマ曲である「ローエングリン」がスタート。持ち前のサイコメトリー能力を活かし、シュライバーの住処は妖精界(アルフヘイム)ではなく死界(ニブルヘイム)だという事実を突きつける。親に愛され親に殺された子供の行き着くアルフヘイムに、シュライバーの居場所はない。なぜなら、「あなたは、誰にも愛されていない。愛されてなど、いないんだ!」 最初は絶体絶命の窮地に陥ったトリファを憐れんだが、このへんで逆転してシュライバーが気の毒になってきた。腐敗度は黒円卓でも一、二を争い、螢およびベアトリスの声を演じたかわしまりのも「うぎゃー」となったともっぱら評判の神父、底意地の悪さではメルクリウスしか対抗馬が見当たりません。トリファとシュライバーの精神的な鬩ぎ合いは圧巻の一言に突き、07年版の玲愛ルートがこれを最終章に据えていても展開的には満足していただろうな、とすら感じられるほど。追い詰められたシュライバーは真の渇望を曝け出し、眼窩から血を迸らせて「荒ぶる狼のポーズ」初公開。遂に白騎士(アルベド)の狂乱祭りが開催されました。

 ここから先は怒涛の展開。イザークの精神攻撃でボロボロになった蓮を救うため、彼の体を一時的にジャックしたマリィが創造を発動。ベイとバトルになりそうになったところでシュライバーの横槍。相変わらずのヴィルヘルム・クオリティ。トリファは黄金の獣に言上して果て、マリィ蓮はシュライバーと交戦しつつ玉座の間にもつれ込む。ラインハルト、エレオノーレ、マキナ、シュライバー……メルクリウス以外の黒円卓幹部が揃った場所。スワスチカが開き切らず、誰も完全体でないとはいえ、悪夢に等しい状況です。切り抜けるため、マリィの代わりに力を欲した蓮が手にしたものは創造位階の別バージョン。己をどこまでも加速させる求道型創造だった「刹那美麗・序曲(アイン・ファウスト・オーベルテューレ)」を覇道型に切り替えて完成させた「涅槃寂静・終曲(アイン・ファウスト・フィナーレ)」、これは自分が得た加速と同じ率の停滞を相手に押し付ける、二乗の強制静止創造です。たとえば蓮が通常の10倍だけ加速すれば、範囲内の敵は通常の1/10に失速し、結果として速度100倍のアドバンテージを得ることになる。マリィが蓮の体を動かしていたときでさえ形成時の3000倍、形成時の速度は不明だが、活動位階の香純が時速600kmくらいで疾走していたので仮に「形成時の速度」を600km/hで計算したとして、涅槃寂静・終曲発動時の蓮は最低ラインでも54億km/h、秒速62500km計算間違い、秒速150万kmで駆け回っているも同然。亜音速とか超音速とかいう生温い次元ではない。主観速度とはいえ、光速の1/5以上逆だった、光速の5倍ですよ。よくこれで互いの会話が成立するものだと呆れますね。いっそ城ではなく、太平洋上で戦えば良かったのではないか。

 あまりにもチートすぎる能力なので蓮が一方的に三騎士を瞬殺するかと思いきや、そうはならず、束になって掛かってくる大隊長にさしもの覚醒蓮も苦戦する。割といいところまで行くのだが、「先輩を助ける」という本来の目的を思い出して城から離脱する蓮は傍目から見れば「敗走」と映ることでしょう。先輩こそ取り戻せたものの香純や司狼たちの死を知ってしまい、憤怒と絶望に苛まれる蓮。涙を流し、変わり果てた蓮を抱きしめて「私一人を諦めれば、みんな戻ってくるかもしれないよ」と呟く玲愛――デモムービー通りのシーンが表示されて、〆。黒円卓が相当な難敵であることを改めて思い知らされる章であった。

(ChapterXI Xenogenesis / 玲愛ルート)

 章題は「異種発生」、ぐぐってもよく分からなかったが「世代交代」という意味もある模様。2章の「Xenophobia」を意識したタイトルと思われ、ベイを先駆けとして黒円卓の面々が己の業を打ち破っていく流れ、そして「未知発生の兆し」を指しているのではないかと考えてみる。玲愛のエッチシーンがあったりします(7章でエッチ済かどうかでテキストが少し異なる)が、この章の主人公はヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ。「吸血鬼になりたい」という渇望を抱き、「願ったものほど取りこぼす、死ぬまで奪われ続ける」という業に苛まれる悲運の戦鬼。ラインハルトに拝謁する栄誉に浴し、白騎士の座を懸けてシュライバーと決闘することを許された彼はまさに絶頂期へ差し掛かっている。香純ルートで司狼と殺り合えたことも彼なりに本望だったらしいが、本章はドラマCDの過去編からずっと引きずってきた忌まわしい因縁の糸を断ち切る点で一線を画している。渇きを癒し、飢えを満たすため、夜の不死鳥は「始まりにして終わりの戦場」へ向かう。

 その頃、ヴィルヘルムの内側に取り込まれた司狼、香純、エリーの3名は彼が暮らしてきた過去を見聞きし、血の噴水が湧く最奥にて彼の聖遺物――ベイの姉であり母であるヘルガ・エーレンブルグを模した「闇の賜物」、ヴラド3世の血液と遭遇します。ヴラド3世はドラキュラ伯爵のモデルになった歴史上の人物で、他のフィクションでもたびたび引き合いに出されます。一応ネタバレなので名前は出しませんけども、某エロゲーに出演もしていたり。ちなみに日本だと「ヴラド・ツェペシュ」と表記されることが多いのですが、「ツェペシュ」は「串刺し公」を意味するルーマニア語。これをトルコ語にすると「カズィクル・ベイ」になります。厳密には、カズィクル・ベイをルーマニア語に訳してツェペシュになったみたいですが。ヴィルヘルムがヘルガを殺した時点ではエイヴィヒカイトを習得しておらず、従って彼女の魂もバンクしていないのですが、記憶を元に再現されているんだとか何とか。要するにイミテーション・ラバーなので、多少ヴィルの願望が混じっているかもしれませんが、恐らくだいたいあんな感じの人だったんでしょう。愛情狂いで近親相姦上等のモンスタームッター、そりゃ子供の性格も歪むわ。

 オランダの民謡を口ずさみつつニブルヘイムから精神を引き揚げていたシュライバー、そこに訪うヴィルヘルム。ふたりの遣り取りは『Die Morgendammerung』の焼き直しであり、中途半端に破棄された因縁を再生して清算すべく徐々に緊張感が増していくあたり、旧来のファンにはたまらないものがあります。互いに名乗り合い、「総てにおいて、誰よりも早く、何よりもハイドリヒ卿に忠誠を誓った、あの人の白騎士(アルベド)。一番最初の、獣の牙だァ!」「ハッ、夢見てんじゃねえぞ、そりゃ俺のことなんだよォォオオ――!」と吼え合う凶獣と吸血鬼。これこそが当方が求め焦がれていたDies irae。宿命の対決、遂に来たれる黄金の夜明けです。「お宅のお子さん、イジメられてるよ」という司狼の一言に激怒して鬼女化したヘルガ(闇の賜物)も影響して過去最高純度のパワーを振り絞るベイですが、相手が相手だけに熾烈な削り合いを強いられる。ベイがもっとも「強くなる」のは玲愛ルートですが、ベイがもっとも「強そうに見えた」のはあくまで螢ルート。やはり格上相手の喧嘩はキッツい。「音速など四桁は超えている」ってどんなジョークだよ。ザッと計算しても秒速3000km超――雷の速さ(秒速150km)余裕で凌駕してるじゃん。ベアトリスが追いつけるわけないわ、これ。相手のエネルギーを吸い、吸った分だけ自らを強化する吸精月光を備えた覇道型創造「薔薇の夜」を持つヴィルヘルムだからこそ乏しいなりにも勝機を見出せるのであって、「平団員ではベイとほぼ同格」という扱いをされているベアトリスではまず勝ち目がない。

 薔薇夜さえ決まれば勝ち、というほどヌルい敵ではなく、ボロボロになりながら瀕死のザマでようやく一発入れてやるベイ。「あばよ、くたばっちまえ(アウフ・ヴィーターゼン)……ああ、最高だ。てめえにずっと言ってやりたかった」と震える声で言い放つベイは心底嬉しそうだ。あらゆる攻撃を回避できる、という触れ込みのシュライバーですが、メルクリウス印の既知感アタックは躱せなかった模様。司狼がここまで出しゃばるのか……と少し興ざめしたが、何はともあれ「シュライバーを斃した」と悦に入るヴィルヘルム、恐らく黒円卓入りして以降最大の歓喜に包まれて絶命します。実は一撃当てたもののシュライバーは斃し切れず、かてて加えて司狼には聖遺物まで奪われて、マリィルートのルサルカとほぼ同じ惨状を呈しているのですが、本人は気づかなかったんだから幸福ですね。シュライバーは実際的な勝利を掴んで白騎士の座を安泰なものとしたし、司狼は復活できたしで、三方一両損どころか三方一両得な結果で収まりました。最後は首領閣下が司狼に「さあ、己が役目を果たすがいい」と呼びかけて〆。12章が司狼中心の章となることを予感させて幕を閉じます。

(ChapterXII Homo homini lupus / 玲愛ルート)

 章題は「人は人にとって狼である」、やっぱりラテン語。本来は「人の敵は人」みたいなニュアンスですが、この場合の「狼」は言うまでもなく遊佐司狼のことを指しているんでしょう。マリィがメルクリウスを見限り、蓮が司狼を見限ることができずに「喧嘩の続き」を演じてしまう矛盾と相克の章です。また、13章で行われるラインハルトVSメルクリウスの伏線でもある。

 残された最後のスワスチカは学園。ここを第八として開かないかぎり、蓮たちはラインハルトの座す魔城へ辿り着くことはできない。しかしスワスチカを開こうにも、もう黒円卓の残留組は全滅している。三騎士は既に獣の爪牙だから、もうとっくの昔に魂を捧げ終えており、スワスチカで死んでも特別何も起きない。ルサルカの魂は使用済だし、神父の魂も「しばらく休め」と伝えているからわざわざ使わないだろうが、魔城にはまだリザの集めた魂がバンクされているはずなので、その気になればこじ開けることもできるだろうが、ラインハルトたちはあえてそれをしない。なぜなら、親友同士である蓮と司狼を戦い合わせて、どちらかを贄として捧げさせるつもりなのだから……螢ルートでも「殺し合え」「それをもって第八を開く贄とする」と指図していたくらいですから、ラインハルトの選択としては突飛なものではありません。螢ルートのときはあっさり突っぱねたけど、今度ばかりはそういかない。同士討ちを強要された蓮一行の運命や如何に。

 司狼の狙いとか、バレバレ以前に当然至極の内容であって、お互い手札を晒し合っているのにどうすることもできず、口先で罵り合い、手足で殴り合い蹴り合う応酬を心削りながら延々と進めていく。蓮と司狼の関係をクローズアップしすぎて玲愛がほとんど空気になっているが、ヒロインが空気化するのはDiesじゃ日常茶飯事であり、気にする必要はない。ほぼ密着した状態での肉弾フェスティバルゆえ戦術もクソもなく、これっぽっちもバトルになっていない泥臭さ満点の血みどろ闘争。譲れない信念と絆のために、傷つけたくない存在を自ら打ち壊さんばかりに攻撃するふたり。相手を助けたい、何とか救いたいと願うがために、揃って相手を力ずくで屈服させようとする矛盾。強固なるがゆえにどちらも容易に折れず、事態は完全に泥沼化していきます。昭和の青春ドラマまっしぐらです。クサすぎて噎せそうな熱血ぶり。ルネサンス山田(司狼の声優)が迫真の演技を繰り広げてくれます。正直、ルネ山キャラとしてはジューダスに劣ると感じていた司狼ですが、ここに来てやっと「司狼には司狼の良さがある」と思えた。もう司狼を要らん子呼ばわりさせんよ、というくらいの熱の篭りようだ。物の強度を測るとは、とりもなおさず「それがどれだけの力を加えれば壊れるか」という証明であります。蓮と司狼は、両者の絆が「壊れない物」であることを確かめるかの如く力を加え続ける。あたかも、「どこまでやっても壊れないだろ、俺らの腐れ縁」と見せ付けるように。不滅の友情がどんな結果をもたらすか、薄々感づきながら、決してそれを是とせず足掻き抜く蓮の折れなさはなるほど、ラジオで正田崇が述べた通り精神異常者の領域だ。

「てめえらがっ、てめえらのみたいなクズの集まりが――揃いも揃って、何こいつを値踏みしてやがるんだァ!」
「ふざけんじゃねえぞ塵屑(ゴミクズ)共がッ! とっくに死んで腐りきった蛆まみれの頭でこいつを測るな、ブッ殺すぞォォオオオ――ッ!」

 主人公にあるまじき柄の悪さ満載なセリフを叩きつける蓮がとても印象的でした。「許さない、殺してやる、斬首にかける一体も逃さない、微塵に刻んで鏖す」と地の文で豪語していますが、冷静に考えるとそれってアルフヘイムの子供たちとかも斬首刑ってことスか……蓮たんさりげに悪鬼羅刹だな。

(ChapterXIII Acta est fabula / 玲愛ルート)

 章題は「喜劇は終わり」、もとは初代ローマ皇帝の尊厳者(アウグストゥス)オクタウィアヌスが臨終間際に残したセリフ「Plaudite, acta est fabula(喝采せよ、芝居は終わった)」です。ベートーヴェンも臨終の際に「Plaudite, amici, comoedia finita est(拍手を、友よ、喜劇は終わった)」と発した伝説があるそうな。Diesの設定だと「アウグストゥスもまた私だ」「ベートーヴェンも(以下略)」となりかねないから恐ろしい。さすがにそれはなかろう、と思うが否定し切れないという。何せ「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、なにゆえ私を見捨てたもうや)」というイエスの叫びすらメルクリウスに向かって放たれた疑惑すら湧いてくる世界だもんな。

 ともあれ、最終章だけあって盛り上がりは桁違い。イベント絵が可愛いイザークの流出講座に次いで描かれる、大隊長三番勝負からして灼熱の燃え上がりを見せ付ける。三騎士による三重詠唱……何だよそれは、脳汁がドバドバ溢れて止まらないじゃないか。創造創造また創造と、三界連鎖するバトルオペラに戦う前からテンション値MAXです。己の時間停止がまったく通用しないことに驚愕するフィナー蓮へ向かって「これが、私達の全力だよ」と嘯き、「鳴けよ。貴様の慟哭はぬるすぎるのだ」とのたまうエレオノーレがザミエりすぎていて怖い、魔王はここにいた! 「核に等しい熱量が爆発した」と書いてあるのに蓮もマキナもシュライバーも耐えているわけで、もはや核爆弾持ち出したって三騎士を斃せるかどうか怪しい次元に差し掛かっているな。マリィルート同様、女神の抱擁を受けて至高の超越が流れ出して三色の大隊長を次々と屠っていく決着シーンは、BGM(アインザッツ)も相俟って心揺さぶられる仕上がり。「おまえ達は逃げたんだ」と指摘する蓮に対し「僕は永遠だ! 逃げたんじゃない! 誰もついて来れないだけだ!」と叫び返すシュライバー。まるで泣き喚く子供だ。彼は「触られたくない」という渇望の裏に隠れた真の渇望を自覚し、「抱きしめて……」と囁いて斬首される。泣き疲れた末、添い寝されて眠りに就く幼子のように。一見安定しているかのように映ったエレオノーレも、バトルの最中にチラッとリザのこと(死者しか抱けぬ者)を思い出して密かに激昂したりしていたわけで、実際のところだいぶ不安定だった。「私の忠を、侮辱するな!」が「私のチューを侮辱するな!」と聞こえるのは単なる空耳か、それともエレ姐さんの乙女ヂカラゆえか。葉巻銜えて苦笑しながら刎頚される姿を想像するにつけ、つくづく「ぎぃいいああああああああああああああああああ!」が断末魔だった奴と同一人物だなんて信じられなくなります。マキナはふたりに比べて随分と呆気ない逝き方をしますが、敗因となったのが自ら斃したルサルカであり、ここぞというタイミングで物の見事に足を引っ張られた皮肉が面白い。07年版マリィルートで描かれた蓮VS獣殿は「不本意な殺され方をしたマキナのストライキ」、つまりわざと創造を使わずラインハルトの足を引っ張ったことが決定打になったので、それを考えに入れれば二重の皮肉とも言える。自分が斃した者のせいで斃される……まさか、正田崇はこうした構図の再現さえ狙っていたのか? 恐ろしくなる、本当に。

 ラインハルトとの闘いは「では、いざ参らん。新たなる祝福の天地へ」や「私はこの時だけを求めて、無限の牢獄に耐えてきたのだ」にデジャ・ヴを催すが、「破壊の愛を纏う私は何だという?」「私は何を壊すために存在するのだ?」と問い掛けるラインハルトによって事態が少しずつズレ始める。「破壊の光は、閃光であった頃のラインハルト・ハイドリヒには戻れんのだよ」「くくく……私も友に壊されたのでなあ」と述懐する彼は、徐々に「ラスボス以外の何か」へと変貌していきます。アイン・ゾーネンキントたるイザークの協力も得て、一行はライトハントルの過去――彼が閃光であった時代に逆行する。実はこの過去編、サントラCD『ein jagen Nachtmusik』に収録されたボイスドラマ「Anfang」ほぼそのままの内容。なので「Anfang」を先に聴いているとラインハルトと一緒に既知感を味わいつつ、すべてが一転する後半で仰天できます。ゲシュタポ時代のラインハルトをイベントCGで見れたことも含めて嬉しい仕様だ。「ゲッベルス」が「ゲッペルス」と表記されているのは気になったが、それはそれ。「総て野垂れ死ぬ。ならば私も、かく野垂れ死ねばいい」「飽いていればいい、飢えていればよかろう」「そんな生物はな、生まれてきたことが過ちなのだ」と、破壊の光(メフィストフェレス)を否定する閃光(人としてのラインハルト)。蓮のギロチンで胸部を貫かれ、己の死を粛々と受け容れんとする態度に一瞬納得しかけたが、黄金の獣は「我儘の極地」とも言うべき流出位階に達した身。「否、断じて否だ」とふたたび覚醒し、いよいよ禁断の領域、破壊と超越の戦争へと物語は舞台を移す。獣殿の総軍VS“座”の蛇――夢の頂上対決だ。いっつもみすぼらしいボロ布を纏って「舞台に上がる服がない」と言わんばかりだったメルクリウスが正装(というか軍服)を着用してラインハルトの前に立ち塞がります。あたかも生まれて初めてリクルート・スーツに身を包んだニートを目撃したような気分。ああ、本気で働く気になったんだな、メル……随分と立派になっ

「ああ、邪魔だぞ」
「まだ死ぬわけにはいかんのだ。ここで斃れる終わりなど認めん」
「おまえはもう要らんぞ、ハイドリヒ」

 まったく立派になってない!? つか、ニート時代よりも性格が悪化してる――! なんてこった、就活(たたかい)とはこれほどまでに心を荒廃させるのか。ウザいとかキモいどころじゃない、こいつぁ反吐を催す極悪だ。つい「おまえらはもう要らんぞ、サブライター達」と傲岸な顔つきで述べるlightの代表を連想してしまった。「不完全版をでっち上げ、lightを延命させる一翼を担った。ああ、褒め称えよう愛し児よ」「だがそこまでだ。これより先は正田の独り舞台でなくてはならぬ。用済みの脚本家には退場願おう。それが私の――“会社”の意思と知れ」 ユーザー目線では「もう要らんぞ」ではなく「最初から要らんぞ」ですけどね。それが我らの――“儲”の意思と知れ。さておき、ラインハルトのDies iraeとメルクリウスのActa est fabulaがぶつかり合う山場、本来ならもっと燃え上がるシーンなんだろうが、珍妙な顔して魔軍の中に混ざっているシュピーネや「アクタ・エスト・ファアアブラッ!」の発音がおかしくて笑ってしまう。だいたい、使う技からして無茶苦茶だ。流星群だの、超新星爆発だの、グレート・アトラクターだの……それに怯まず「愛が、足りんよ」と嘯くラインハルトもどうかしてるぜ。宇宙の中心で愛を謳う獣殿。あまりにもスケールが大きすぎてバトル物として純粋に楽しむのは難しいが、舌戦というか、お互いの渇望(わがまま)を押しつけ押し通そうと高らかに主張するふたりが微笑ましくも熱い。内容よりも状況を重視するならば、Diesで一、二を争うほど燃えるお膳立てと言っていい。ただ一点。「斬首にかける一体も逃さない、微塵に刻んで鏖す」と憎悪にまみれ憤怒に浸かった蓮の宣言はどうなった、とツッコミたくなる。全部メルクリウスとマリィに丸投げかよ。八方丸く収まる選択かもしれないが、あれだけ吼え猛った主人公にしては少々締まらない結末だ。

 で、その蓮を勝ち取った玲愛は祖父であるイザークから「幸あれ」と祝福されます。イザークの笑顔がまた良い、たまらん。他のルートではイベントCGの一つも出なくて存在感が希薄だった彼だが、玲愛ルートでメキメキと頭角を現しましたな。やってることは物騒ながら、徹底したファザコンぶりに安らぎすら感じる。正田が「子供が生まれたGユウスケへ捧げるつもりで書いた」という気持ちも分からなくはない。分からなくはないが、ハッキリ言って捧げられても困るだろ。玲愛、神父、シュライバー、イザーク、そして黄金と水星の関係など、玲愛ルートの隠しテーマは「家族」(隠してない表のテーマは「絶望」)ですけれど、感動するには少々剣呑すぎるわ。一方、ラインハルトとメルクリウスの全宇宙規模な闘争も終結し、砕ける寸前の状態で漂流するメルクリウスが「こんなところで死ねない、せめてもう一度やり直したい」という渇望を流出させ、話をループさせんとしている。07年版で「永劫回帰はループではない」と説明していたこともあり、ずっとそれに囚われていたが、結局ループという解釈で良い模様。なぁんだ。訪れたマリィに「君と過たず出逢うため、ただそれのみを渇望して私は回帰する理を流れ出させた」と超ストーカー理論を語るメルに苦笑しつつ、「君と出逢う。ただそれだけが、唯一私の愛した既知」「この終わりに辿り着くまで……何度でも感じたいと思った刹那の記憶なのだから」という発言で、「ああ、やっぱりメルクリウスと藤井蓮は父子なんだな」と納得した。彼が代替として「時間が止まればいい」なんていう渇望を抱えた蓮を生み出したのも、天秤役として「たった一度の特別な死こそが望み」なんていう渇望を抱えたマキナを生み出したのも、そういうことかと。永劫の果てに回帰を放棄し、女神に抱かれて散る旧秩序の主。形としてはメルクリウスの敗北だが、実質的には奴こそが大勝利を遂げたわけで、なんか妙に悔しい。メルを完膚なくやっつけた、と請け合えるのは結局マリィルートだけか。

 マリィが全宇宙を抱きしめたことで既知感も魔軍も存在しない新しい時空が創世され、そこで玲愛は失ったはずの友人たちと出会う(なぜかちゃっかり螢が混ざっているのは、マリィルートで司狼が言った「ここはもう都合よく、十年来のツレみたいにしとけよ」をメタ的に叶えたからか?)ものの、肝心の「誰か」がいない。“座”と繋がっていた蓮はメルクリウスともども除去されてしまったのです。蓮のベースとなった魂は第二次世界大戦時の人物なので、2006年前後である現代にひょっこり顔を出すのは不自然。ゆえに、最後まで玲愛は蓮と再会することがないまま閉幕となる。ルサルカのフラグが立っているとエピローグの後に蓮のベースとなったロースト、じゃない、ロートス・ライヒハート、そして人間としてのラインハルト・ハイドリヒが登場して補足説明を加えるスペシャル・エピソードが観覧できるけれど、「日本に行け」と助言されるだけで具体的な再会の目処は立たないままだ。マリィが包んだ世界は輪廻転生システムを採用している可能性があり、ロートスは来世で玲愛と出会う……のかもしれない。詳しいことはたぶん、サントラCD第2弾に収録されるボイスドラマ「Zwei Wirklichkeit」で触れられるはず。

 

 

 最後に総論。と行きたいところですが……長々と、延々と、これでもかとばかりに語って参りましたから、今更付け加えて書き綴るようなこともさしてありません。「黒円卓ってのはもっとこう、『渇望の騎士団』であるべ(き)」とこぼした2年前の我が願いが、紆余曲折を経て無事果たされたことをただただ喜びたい。もう涙を流して称えるしかない。表面上では「現実的に考えて厳しいよね」と諦めたフリをしながら、心の奥底で「Diesの完全版を拝むまで死ねない」という渇望に爪を立てられ、「ちがう(ナイン)、ちがう(ナイン)、ちがう(ナイン)、ちがう(ナイン)!」と激しく07年版を否定し抜き、気がおかしくなりそうな想いを「捨てれば楽になれる」と自覚しながらそれでも捨て去ること叶わず、2年間ずっとライナスの毛布よろしく保持し続けていた狂儲(ファン)としての己がようやく報われました。焦がれに焦がれ、待ちに待った末に叩きつけられた不完全版で打ちひしがれ、絶望に暮れた2007年の師走――あの冬、あの一年が決して無為でも徒労でもなく、より深くより高くより永くDies iraeの世界へ飛翔し続けるための発条(バネ)として機能したのだと、多少無理矢理にでも思い込みたいところだ。

 難を言えば、開発があまりにも長期に及んだせいで全体のバランスが取れず、絵柄や音声の収録状態にバラつきが目立つのは率直にヒドいと思うし、地味に誤字や誤読が多いのは痛い。「学園伝奇バトルオペラ」なのに学園要素は前半ほんの僅かに存在するのみで、後半に至ってはそもそも日常描写自体が圧倒的に不足している。おかげで主人公とヒロインが相思相愛になる過程が充分に書き込まれているとは言いがたいシナリオになってしまった。またバトル物としても、敵をひたすら強く設定したせいでサクッと斃すことができず、七転八倒した挙句に反則じみた理屈でやっと斃せるような内容だからスカッと爽快に燃えるとは述べづらい。イヤボーンや「俺TUEEEEEE!」という安易な無双を避けたかったのは分かるが、主人公がちゃんと活躍して敵を斃す場面が意外と少ないことには不満が残る。ベアトリスや戒といった、本編ヒロインを喰う勢いで魅力を発揮したキャラの出番が限られていることも残念と言えば残念だ。ドラマCDで詳しく言及されるらしいから、ひとまずそっちに期待といったところ。それから07年版から使い回されているシナリオのうち、香純ルート9章の学園戦はなんべんやってもつまらない、あそこも書き直して欲しかった。あとシュピーネさんの出番が07年版からほとんど増えていない。てなふうに、文句を言い出せばジャカスカ湧いてくる。粗は結構あります。それでもやっぱり、自分はこのゲームが好きだなぁ、と再プレーするにつけ実感いたしました。感想を書くためにやり直したのか、やり直すついでに感想を書いたのか、判別がつかないほどハマった次第。今となっては「不完全版」と罵った2007年版もそんなに嫌いじゃないです。あくまでネタとして、ですが。

 世間的には恐らく毀誉褒貶、賛否両論の対象でしょう。仕方ないと嘆息するに足る面はわんさかあり、批難をいちいち否定することもできない。しかし過去の経緯さえ不問にして良いならば、いえ、過去の経緯すら視界に含めてなお個人的には殿堂(ヴァルハラ)入りすること間違いなしの一本です。今度こそ、「狂い損」にならずに済みました。好きなキャラは……多すぎて絞り切れない。どいつもこいつもホントに魅力的だ。そして正田崇の次なる新作に早くも期待を募らせている当方は、つくづく懲りない愚者だと思う焼津なのでした。


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