鳥は痩せるか死ぬしかない


 

「カズムが『堕落』したよ」
 隣の、少し離れたところに腰を下ろしたシンギ。
 彼の言葉を聞いて「やっぱり」と思った。
 そう。やっぱり――飛べるわけがなかった。
 これまでの同胞と変わりなく、カズムもまた荒海の波間に消えていったわけだ。
 分かり切った結末ではあった。
 けれど、黙っていることには耐えられなかった。
「ねえ」
 シンギに訊ねる。
「それ、誰から聞いたの?」
 首を振り、彼は顔を上向けて「ふう……」と長い溜息をする。
「……誰かから聞いたわけじゃない」
 沈んだ声色で、意味が汲み取れた。
「じゃあ――見たの?」
「ああ。俺の目の前で落ちていったよ」
 「実験」には決まって付き添いが加えられる。
 カズムの実験に、シンギは付き添った。
 ――いや、付き添わされたんだろう。
「でも、カズムってあんな体だよね……どうやって実験したの?」
 言葉を選ぼうかどうか迷って――やめた。
「『神官』たちが寄ってたかって放り投げたとか?」
 自分で言いながら、胸がムカムカしてくる。
「いや。カタパルトを使って打ち出したんだ。オモチャみたいに飛んでったよ」
 顔をしかめる。
「あいつも必死で翼を動かしていたけど、ほんのいっとき浮いただけで……あとは一直線に……」
「無理に思い出さなくてもいいよ」
 声を詰まらせるシンギに近づいて、そっと背中を。
 ――背中から突き出した、白い大きな翼を撫でる。
 わたしの背にも生えている、鳥人の翼。
 嗚咽で小刻みに震えていた。
「あいつらも成功なんか期待してなかったんだ。実験の雰囲気からも分かったよ……!」
 拳で床を叩く。
「『今度はちょっと面白そうだな』、って本当にその程度で熱意も何もない……」
 顔を両手で覆う。指の隙間からこぼれる水滴。
 それを掬うと、熱いほどのぬくもりがあった。
「カズムは単なる暇潰しに崖の上から放り出された……奴らがほんのちょっと笑うためだけに殺されたんだ……!」
 それなことは当たり前。
 とっくに慣れたはずのことだった。
 けど、カズムと一番親しかったシンギは溢れる涙を拭いもせず、何かを呪い続けている。
 実験を。
 神官を。
 この施設――「鳥籠」を。
 わたしたち「鳥人」の境遇を。
 そして――何よりも、救いをいっぺんとてもたらそうとしない神様を。
 もっとも、そんなものが本当にいるのか。
 わたしには甚だ疑問であるけれど。
 だいたい、誰か、いつ、どこで神様ってのを見たって言うんだろう?

 「鳥籠」――わたしたちの住む施設。
 それは「鳥人計画」の巣だ。
 わたしたちを監視し、ことあるごとに命令する神官たち。
 わたしたちの教育係というのを務めている「先生」たち。
 彼らから聞いた話を総合すると、そういうことになる。
 なんでも、神官や先生は「教会」という組織に所属しており。
 そこではもう何百年も前から大掛かりな試みに取り組んできたらしい。

 グレート・プロジェクト。
 それは三つの段階に分かれている。
 鳥人計画は二番目――真ん中の段階に当たる。
 最終目標である「天使計画」の前段階であり、現時点での進捗度は六割程度。
 計画を昇り終えるのに少なくともあと二、三百年は掛かるとかなんとか。
 本当だろうか。胡散臭い。
 けど、教会には第一段階の「人獣計画」は百年の試行錯誤を重ねてどうにか完了させた実績がある。
 だから、気長で悠長としか思えないそんな話にも上層部は業を煮やさず、継続を命じる。
 現場(ここ)での作業も滞りなく続けられている。
 神官たちは基本的に信仰のために日夜寸暇を惜しんでいる。
 ――まったく、なんでそこまで意地になるのか。
 わたしにはよく分からない。

 つまるところ、天使計画は
 ――人工の天使をつくり上げよう
 という、狙いがシンプルすぎて無邪気でさえある代物だ。
 神様が、いつまでたっても本物の天使を派遣してくれないから――
 数百年前、焦れた教会の人々が「じゃあ俺たちでつくっちゃおうぜ」みたいなことを言い出した。
 それをみんながみんな賛成したという、笑い話みたいな発端。
 だけど、その後何百年にも渡って計画を諦めずに執念深く成果を積み重ね。
 幾多もの犠牲を強いてきたことを考えれば、笑えない。
 計画は、「まず最初に人間と他の動物を合体させよう」ということから始まった。
 天使は人間に似ているようで人間ではない別の生き物。
 ならば、人間をベースにしていろんな動物のパーツを付けたり混ぜたりすればできるんじゃないの?
 という発想に基づいている。
 何千、何万人という人間の体を切り裂き、その何十倍もの動物たちを切り貼りして、ほとんどの素材を死に至らしめ。
 ようやく教会は合成獣(キメラ)を開発する技術を手に収めた。

 そうして計画は次の段階に進む。

 天使は空を飛べる――なら鳥に近い姿をしているのだろう。
 よし、じゃあ合成獣技術を活かして鳥人をつくろう。
 まず飛行能力を獲得させたうえで、人工天使の素材にしようじゃないか。
 そうして幕を上げた天使計画に、わたしとシンギとカズムは巻き込まれた。
 みんな孤児院で暮らしていた、身寄りのない子どもだった。
 人獣計画のときも、そういう境遇の子が大量に「消費」されたと聞く。
 拒否権なんてもちろんなかった。有無を言わさず攫われた。
 麻酔薬を打たれて意識をなくしている間にキメラ手術が施術され、目が覚めた頃には翼が生えていた。
 肩甲骨のあたりに、大型の鳥の翼を移植されたのだ。
 神経も繋がっていて、麻酔が完全に切れる頃には自分の意志で動かせるようになった。
 それはとても気持ちの悪い感覚だった。
 激しい異物感。耐え切れず嘔吐したことも数え切れない。
 今はもう、慣れてしまったけど。
 「鳥籠」には似た経緯で鳥人にされた子どもたちで溢れ返っている。
 施設のどこを見ても翼、翼、翼。
 抜けた羽根が床を埋め尽くし、掃除係はいつも往生する。
 翼がないのは教会の連中――神官や先生といった大人たちばかり。
 ゆえにここでは、翼のあるなしで「大人か子どもか」が判別できる。
 まるで標識だね。

 シンギはそんな標識を隠そうともせず堂々と晒しながら、グラウンドで黙々と走り込みをしていた。
 たまに広げて、あえて風の抵抗を調べてみたりする。
 足は緩めない。常に走り続けている。
 先日のカズムの死を頭から振り払うように、じっと前を見据えて。
 わたしは木陰に座りながらそんな彼の様子をぼんやり眺めている。
 ――「鳥籠」は四方を高い塀に囲まれた、まるで刑務所みたいな場所ではあるが、中の拘束は比較的緩い。
 脱走や暴力事件さえ起こしたりしなければ、大抵のことは小言で済まされ罰則もない。
 先生たちによる授業が終われば建物の外に出て、敷地内で自由に遊び回ることも可能。
 それどころか、擬似貨幣による私物の遣り取りといった経済活動まで行われている。
 ささやかな「子ども社会」が形成されていて、少し微笑ましくもある。

 が、脱走は許されない。脱走は死を意味する。

 脱走を図って捕まった子どもは問答無用で二十四時間以内に強制的に実験をさせられる。
 暴力事件を起こした場合も、ペナルティとして実験への日取りを早められてしまうともっぱらの噂。
 実験――というのは、西側の塀を出てしばらく進んだ先の崖で執り行われる。
 正真正銘の、断崖絶壁。
 ここから飛び降りたら絶対に死ぬと、誰もが悟る高度。
 神官たちは子どもが嫌がろうと抵抗しようと構わず飛び降りさせる。
 翼を移植されて鳥人になったその子が飛行能力を持っているかどうか、確かめるために。
 今まで飛べた子は一人もいない。みんな、みんなみんな、みんなみんなみんな落ちた。
 神官はそれを「堕落」と呼び、神への愛が足りないのだ、と。
 まるで実験の失敗が当人の問題であるかのように語る。
 教会にあやまちなし。
 間違いを犯すのは、いつも実験体の方――というわけ。
「堕落したら天国に行けませんよ」
 と先生は子どもたちを脅しつけ、少しでも実験の成功率を上げるべく努力させる。
 今シンギがやってるみたいな、ひたすら運動を重ねるのも、その一つ。
 贅肉を搾り出し、翼を動かす筋肉を鍛えることで飛行能力を得られるのではないか、と考えるわけだ。
 「鳥籠」において体重や身体の管理は深刻である。
 外界の少女たちが悩むレベルの比ではない。
 「太る」ということが、即座に堕落と直結しかねない恐怖を孕んでいる。
 誰も彼もが強迫観念に取りつかれ、過剰なまでの運動を行ってしまう。
 だから、ここの子たちはほんの一握りの例外を除いて痩せぎすの体をしている。
 わたしもそう。

 カズムは例外の一人だった。
 彼には手足がなかった。切り落とされたのだ。
 少しでも体重を減らすことで、翼への負担を軽減させ、飛べる可能性を増やす――
 そういうコンセプトで、キメラ手術のついでに四肢も切断されてしまったわけだけど。
 成功の可能性が増すなんてこと、本人だって信じてなかった。
 とりあえず試しておく――それだけの、思いつきじみた理由でカズムは手足を奪われた。
 そして崖の先にある空へ向かって助走することもできないからと、カタパルトで無理矢理打ち出されてしまい。
 ――堕落、した。
 させられたのだ。
 付き添いで見ていたというシンギの心痛は計り知れない。
 あえて知人の堕落を見せることでプレッシャーを掛け、実験への熱意を高めさせようとする。
 それが教会の策であることが分かっていても、何の慰めにもならない。

 わたしの視線の先で。
 シンギはただ走り続け、己を鍛え続けている――

 また違う例外もある。
 神官たちが鳥人の少年少女を性欲の捌け口とすることを、教会は黙認している。
 彼らが好んで選ぶのは他と比べて肉付きの良い子ばかりであり。
 「鍛錬が足りない」と難癖をつけては、慰み者にする。
 子どもたちが必死になって運動に励むのは堕落への恐怖ばかりでなく、性的な虐待という危機もあるからだ。
 昔、それを逆用することで神官に取り入り、実験からお目こぼしを受けようと考えた子がいた。
 まるで鳥人とは別の種族みたいに丸々とした体つきの彼女は、神官たちのいいオモチャとして散々に弄ばれた挙句。
「飽きた」
 という単純極まりない理由で、崖からの飛行を強要された。
 結果は――言うまでもない。

「イリア……」
 囁き声に伴って、人間ひとり分の熱がおずおずと身を寄せてくる。
 夜。翼があるせいで仰向けになって寝ることができない鳥人の常として、わたしはうつ伏せで横たわっていた。
「……いいよ」
 いまだ遠慮の残る手つきで触れてくるシンギに許可を与え、唇を合わせ。
 ――愛を交わし、睦み合う。
 神官たちも、こうした異性交遊を止めようとはしない。
 人工の鳥人同士が交配することによって、「生まれつきの鳥人」が生まれてくるのではないかと期待しているらしい。
 「成功例」に関しては、まだ聞いたことがない。
 翼が邪魔で、あまり激しい情事の行えないわたしたちはゆっくり、ひたすらにゆっくりと互いの愛を確認する。
 いずれ来る堕落の日に怯えながら、わたしたちが正気を保っている理由。
 刹那の愛に溺れてさえいれば、破滅だって怖くない――そう思わせるのが教会の罠だったりするのかもしれないけど。
 だからといって、今更シンギとの仲を断ち切る気には到底なれなかった。
 彼の手に肌を触られながら記憶の川を遡行する。
 激変する環境に心が付いていけなくて、自分の内面に閉じこもることにばかり腐心していた過去のわたし。
 めげずに何度も声を掛けて、頑なな精神を開いてくれたのは他でもなくシンギだった。
 彼は、ひとりぼっちでいようとする人間を見つけると、仲良くせずにはいられない性格なのだ。
 気を失っている間に手足がなくなって、代わりに翼を付けられる――
 鳥人の子の中でもいっそうひどい経験をして、当然のように鬱屈を抱えたカズムの心も。
 シンギは根気強く接していって、解きほぐした。
 カズムのお喋りは闊達でよく知恵が回り、言い合いになるとわたしはいつも負かされていた。
「手も足もある君らには分からないことだろうけどね」
 なんていう皮肉げな表現さえ、嫌味にならない文脈で出せるほど彼はわたしとシンギに友誼の念を抱いてくれた。

 そんな小憎らしいカズムも今は失われて、わたしたちはふたりぼっちだ。

 この状態でもつらいというのに。
 ――ひとりぼっちになることなんて、耐えられるだろうか。
 そんなことを考えていると、背後からシンギが。
「明日、俺が実験をすることになった」
 と。
 何事もない口調で言い出すもんだから、驚いて翼が跳ねてしまった。
「うぷっ」
 前屈みになっていたわたしのお尻。
 それを両手で掴んでいたシンギは噎せて咳をする。
 翼に顔を覆われてしまったのだろう。
「きゅ、急にそんなこと言わないでよ、びっくりするじゃない」
 首を捩じって後ろを向き、抗議。
「君の過激な反応にも充分びっくりさせられたよ」
 やれやれ、と肩を竦めんばかりのシンギに反省の色はない。
 彼を睨みつけてやる。
 わたしの気持ちを知っていて、そんなに軽々しく死を口にできるというのか。
 ――できる、のだろう。
 他でもなく、わたしの気持ちを知り抜いているからこそ。
 しばらく拗ねたふりをしてじゃれ合ってから切り出す。
「じゃあ、わたしが付き添う」
 当然の権利だった。
 他の子が付いていく予定になっているとか言い出したら、崖へ行く前にここの三階から叩き落してやる。
 シンギは何も言わず、ただ笑って頷いた。

 翌日。
 わたしたちはこの施設に来た日以来、初めて塀の外に出て、実験場の断崖へ向かった。
「うわー、たっかいなぁ……海面があんなに遠いや」
 死を――堕落を目前にしながら、崖の下を覗き込むシンギの口調はふざけてるくらいに穏やかだった。
 立会の神官たち三人に囲まれたわたしは、手枷を嵌められたままそんな彼をじっと見ている。
 手枷は、もしわたしが暴れたときの配慮。
 こういう場面で付き添いが「逃げて!」と実験者に脱走を促すことはままあるらしい。
 実験者と付き添い人――二人が協力して暴れると神官たちも手を焼く。
 飛行実験で手足を縛って行うのはやりづらいから、実験者を拘束するわけにもいかず。
 付き添いの方を、何かがあってもすぐに取り押さえられるようにしておくわけだ。
 背後には神官が控えている。
 一人だ。手枷を付けた子どもを取り押さえるのに、人数はいらないってことだろう。
 あとの二人はシンギを見張る要員。彼には手枷がないから一人多いわけ。
 実験を開始する間際で騒ぎが起こるのはしょっちゅうらしいから、手馴れた配置。
 焦りも何もない飄々とした足取りで、当の警戒されているシンギが戻ってくる。
 飛行に移る前に、いったん助走に入る。
 これまで鍛えてきた足の成果を、虚空に向かって伸びる滑走路で示す――
 ぶらぶらと首や手を振りながらスタート位置に戻ってくるシンギ。
 彼の態度は自然体で、緊張なんてまったくなしに全身を弛緩させているように見える。
 それを罠だと――神官たちは気づけない。
「―――」
 目線で合図を送ってきた。
 今だ。
 わたしは思いっきり、背中にある一対の翼を跳ね上げる。
「ぶっ!?」
 顔を襲ってきた異様な感触に、後ろの神官が硬直する気配。
 手枷のせいでうまく腕を振れないことに難儀しながら、わたしは走り出す。
「貴様っ!?」
 他の神官たちがわたしに注意を逸らし、いざ捕縛しようと動き出した瞬間。
「せいっ!」
 死角に潜り込んだシンギが、鞭のように撓って太腿へ巻きつく蹴りを放つ。
 細くとも、絞り込まれた筋肉によって生み出される脚力は鈍い痺れをもたらす。
 彼が黙々と体を鍛え上げたのは、説かれた教えを従順に守ったからではない。
 反撃の牙を研ぎ澄ますためだ。
「シンギ!」
 膝を突く神官の横を通って走る。彼のもとへ辿り着く。
「イリア!」
 彼の大きな叫びに、負けず劣らず大きな頷きを返す。
 わたしたちは並んで、一緒に逃げ出した。
「なっ!?」
 最後の神官は追ってこない。
 驚愕の一音とともに足を止める。
 なぜなら、わたしたちの逃げた先は――
「一、二の、三、で跳ぶぞ!」
「うん!」
 青――濃すぎる青しかない、晴れ渡った空。
 崖から逃げるのではなく、その舌先へ。
 わたしとシンギは駆けていく。
「よし――」
 崖の突端が視界に飛び込んできて。
「一!」
 その突端さえも見えなくなって。
「二の!」
 足元から地面がなくなる寸前。
「三!」
 コンマ一秒のずれもなく、揃って跳躍した。

 堕落? 天国に行けない?

 くだらない。
 そんなものが怖いわけじゃない。
 わたしはただシンギと一緒にいられたら、それでいい。
 彼がいるなら行き着く先が地獄だろうとなんだろうと。
 そこを楽園に変えてやる。

 要は心中。
 だけど。
 離れ離れになって、別々の実験で死んじゃうようなことを思えば。
 ……これはあまりにも幸福すぎる。
 ついでに――ついで扱いすると思いっきり罵倒されそうだけど。
 今から行くところに、カズムが不敵な面構えで待っていていれたら……尚更ありがたいな。

 ――迎え撃つ風の勢いが強烈で、息が止まる。
 ――――落下の速度はどんどん上がっていく。
 ――――――でも決して羽ばたいたりしない。
 ――――――――この翼は飛ぶためじゃなく。
 ――――――――――まっすぐに風を切って。
 ――――――――――――愛へと身を捧げて。
 ――――――――――――――墜ちゆくしか。
 ――――――――――――――――能のない。
 ――――――――――――――――――片翼。

 

 黒々とした海面が、何もかもを受け容れるとばかりに視界いっぱいに広がり。
 やがて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もなくなった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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