「ベル・カント」
   /アン・パチェット(早川書房)


 帯にはこんな文句が踊っていた。

 この世には、銃より強いものがある。

 大理石模様のカバーにはタイトルと音符が浮かんでいる。「ベル・カント」。その書名と存在を、店頭で初めて知った。先の文句の下には更に2行、こう続けられている。

 突然の暗闇。テロリストに占拠された官邸。
 やがて、人質と犯人たちの間に奇妙な心の交流が生まれていく。

 これを読んで即座に思い出したのはストックホルム症候群の話である。あまり詳しくないので説明は省くが、ともかく、「人質とテロリストが馴れ合ってしまう」といったストーリーはそう珍しくもない。出てくるテロリストをあくまで絶対的な「悪」にしようとするなら話は別だが、「彼らもまた人間なのだ」という流れで書いていけばごく自然に物語は人質と犯人、相互の理解なり共感なりを要求するようになる。差し当たって思い浮かぶのは『スペーストラベラーズ』か。銀行強盗の映画。三人組(だったかな?)を憎めない連中として描いている。

 「強盗とか誘拐犯とかテロリストとかは完璧に悪人で凶悪でサイコでテンパってるんだよ!」というノリに飽きてくると「人質と犯人の奇妙な絆」にスポットを当てた作品に面白みが感じられるようになる。マンガやドラマでいきなり銀行強盗が出てくる話のなんと多いことか。それらの中に登場する犯人どもは大抵切羽詰っていて銃をぶっ放している。警官隊の突入が躊躇われる。んで、たまたま人質の中に知人がいたりいなかったりそもそも自身が人質であったりする主人公が、知恵と勇気と主に運で立ち向かい勝利する、と。位置付けとして「銀行強盗」はザコです。『北斗の拳』に出てくる髪染めモヒカンみたいなもんです。なんか変な経緯から奇妙な力を得てしまった主人公が「よし、試し射ちだ」とばかりに成敗する、手っ取り早い標的。怪しげな外国人からこっそり買った銃でパンパン弾く河原の空き缶。ランク的にゃあ、ヒロインに絡んでくる不良と大差ない。だって、銀行強盗と戦うシーンで千発の銃弾と脇腹の血飛沫とスローモーションと白い鳩を使うアクション映画はないでしょう。銀行強盗の弾なんて主人公に掠りもせんのです、ふつーは。ランクを上げるためには「銀行強盗」を改して「武装強盗団」と呼ばれるくらいはならにきゃダメ。「団」だから実績とかもありそうな感じ。と脇に逸れてきましたが、確か『金色のガッシュ!』を読まなくなったのは銀行強盗が出てきた回あたりだったと思います。

 南米。日本のエレクトロニクス産業における最高峰「ナンセイ」の社長、カツミ・ホソカワの誕生日を記念してパーティが行われた。場所は副大統領官邸。工場の誘致が目的というだけあって、パーティは盛大なものが企画された。その気がないホソカワは話を断ろうとしたが、かの伝説的オペラ歌手──ロクサーヌ・コスを招じると聞いて考えを改めた。無類のオペラ好きである彼にとって、コスの歌声は抗い難かった。かくして行われたパーティ、ロクサーヌ・コスの紡ぐ旋律とピアノの音がやみ、いざ会場が拍手に包まれようとした瞬間、官邸の明かりが消えた。戸惑う暇もなく、人々は乱入してきたテロリストたちによって銃を突きつけられる。「大統領はどこだ」 彼らは大統領を攫い、国に対して様々な要求を叩きつけるつもりでいた。だが、大統領は欠席していたのだった。見たいドラマがあるから、と……。折角の計画が頓挫し、大量の人質を抱えたまま立て篭もる羽目となったテロリストたち。賓客であった人々は、銃口に怯えつつ、床に伏せた。心休まらない状況の中、不意にひとりの様子がおかしいことが発覚するが……。

 終始淡々とした筆致で、緊迫した場面でも仰々しくサスペンスを演出することなく、一定のリズムで物語を綴っている。最初は場違いに思えるくらい、穏和な文章。しかし、立て篭もりから間もなくして発生するトラブルから人々の思考や行動に変化が生じ、政府とテロリストの話し合いが平行線を辿って事態が長期化していくにつれ、慣れやだれといったモノまで出てくる。毎日を忙しく過ごしていた人が、本当にひょんなことから有り余る時間を手に入れてしまい、「どうしたものかな」と途方に暮れる。あまりにもすることがないので、周りのものを観察することでしか暇を潰すことができない。そうして「よく見る」ことで、今まで見えなかったものが見え、見ているつもりだったものが別の形として現れるようになり、半ば忘れかけていた「世界」そのものと直面する。その過程で自分を見つめ直し、周りのほとんど他人である人々を眺め、ときに交流し、ときに交流しないながらも意識の触手を伸ばす。同じ境遇の者たち。やがてはテロリストさえ、同じ場所にいて生活していることから人質たちの輪に片足を突っ込んだり全身で飛び込んだりしてしまうようになる。あんまりにも暇で、あんまりにもだるくて、既存の状態にこだわり続けることができず、関係の再構築が行われてしまう。生まれ変わるほどではないにしろ、分度器で計れないほどには変化した人々による「世界」や「自分」、「関係」の再発見がだらだら連ねられてとページを埋めていきます。ひねもすオペラ・ショー。日常と非日常の間に境界線などなく、時間の流れはとても緩やかで、空気は優しく、音楽は人種と言語の壁を越えて精神に豊穣をもたらす。遂には人質もテロリストもみんな仲良く陽光降り注ぐ庭で笑いさざめくまでに至る。

 陽光が射し、草木が生い茂り、人声の響く庭で、物語はようやく結末を迎える。エピローグの後、余韻をあまり残さずに閉幕。

 かのペルー日本大使公邸占拠事件を題材にして書かれたこの本は、「言葉と音楽」を底流に、「なんだかよくわからんが嬉しいしこれでもいいかな」というポジティヴな諦めや、「お祭りが楽しくて家に帰りたくないや」という幸福に満ちた逃避願望を微かに匂わせつつ、ストーリーを進行させていきます。キャラクターひとりひとりの輪郭は簡素でありながらくっきりと明瞭で、個性や魅力といったものが感じられ、急展開が少なく変化に乏しい物語を苦痛に思うこともなく読み通すことができました。

 個人的にはアルゲダス神父とベアトリスの絡みが良かったです、はい。


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