第一景 修羅場の門ホットゾーン


 刀子さんの嫉妬深さが伝説級であることを認めるにやぶさかではない。

 特に、文壱の刃を首筋に突きつけられている今においてはその激烈さを痛いくらい実感する。むしろ刃が皮を切ってちょっぴり肉に当たっているから現実問題でマジに痛い。
「刀子さん、あの、提案なんですが……怒ってばかりいても健康にも精神衛生にも良くないですし、ここはひとつ深呼吸でもして落ち着いてみませんか?」
「あら、双七さん、心外ですわね。私が怒ってるだなんて、そんなわけないでしょう。うふふ、いやですわね。勘違いなさらないでください。私、怒ってなんかいませんよ」
 にっこり、と破顔一笑。
「そう──これっぽっちも」
 ぐっ
「これっっぽっちも」
 ぐぐっ
「これっっっぽっちも」
 ぐぐぐっ
「──怒ってなんかいませんよ。ええ、本当に」
 なら笑顔で愛刀を寄せるのはやめてください。「これっぽっち」というたびに少しずつ、コンマ・ミリ単位で押し込まれてくるので正味な話、ちびりそうです。これはいったいどこの拷問法ですか。一乃谷流に尋問のマニュアルでもあるのですか。
「あ、あははは、勘違い、ですか。それなら良かった、うん、良かったなぁ」
 刃が一向に引き戻される気配がないことを考えれば全然良くないんだけど、へらへらと愛想笑いをしてしまう。
「けれど、私が怒っていると思うだなんて……双七さん、やはり心当たりがおありでして?」
 心当たりも何も、今現在あなたによって殺される寸前なわけですよ? この状況を見れば誰だって一乃谷刀子という人物が憤怒の念に駆られていると思いますって。
 と、言いたいのだけど、笑顔の中で唯一笑っていない目に睨まれているとそんな言葉も凍りついた。下手な回答をすれば死に近づくだけだと本能が直感する。俺の寿命はもう秒読み段階に入っているのかもしれない。
 胸の奥で心臓がでんぐり返っている。汗が額といわず頬といわず顔全体を伝っているのが肌の感覚で分かる。熱い。悪寒が絶えず背筋を走り抜けていく。ひどい風邪に罹ったような心持ちだ。
「被疑者・如月双七、落ち着いて供述しろよ。焦って迂闊なことを口走ったらそれはもう大変なことになるぞ」
 生徒会室にただひとり居合わせた上杉先輩は助け舟を出す様子もなく、憐れみに満ちた表情でこちらを眺めていた。
「どう大変かって、具体的に言うと後始末が大変。スプラッターな現象は狩人の野郎でなれてっけど、お前の場合は甦らないからいろいろと片付けなきゃならんものが多いしなぁ」
「後始末って……ちょっと待ってください! 先輩ってば、いざってときに俺の存在を抹消する気満々?」
「ああ」
 あっさりと首肯され、言葉を失った。
「んなもん、当たり前だろ。この生徒会から殺人犯を出すわけにはいかんだろーが」
「ってか殺人犯を出したくないなら殺人自体を止めるよう努力しましょうよ! さっきから傍観して余計なこと言ってるばっかりじゃないですか! 先輩からも刀子さんを説得してください!」
「ごめーん、無理ー。こうなった刀子はオレにゃ止めらんない。ああ、ホント、力が及ばず申し訳ねーな。先に謝っておく」
 合掌。先輩の眼差しはまるで地面に落ちた蝉を見るかのように濃い諦めが混じっていた。
 見放された。
 そのことを落胆する暇もなく、顔を鷲掴みした手が強制的に向きを変えさせる。女性の小さな手だが、有無を言わせぬ力が篭もっていた。
「どこを見ているのかしら双七さん? 今は私とお話しているんですのよね?」
 にこやかに、恫喝的に、同意を求める声。「はい」と答える以外、術はなかった。
 もはや注意をよそに逸らすことも叶わない。生きて退室するためにはまっすぐに刀子さんと向き合って対話し、文壱を収めるよう説得する必要がある。
 吐き気がするほどのプレッシャーを、悪寒に耐えながら腹に呑み込む。ゆっくりと呼吸する。喉を動かしすぎるとさっくり切り裂かれてしまいそうな恐怖感があって、息苦しかった。
 こんな、絶体絶命のシチュエーションに陥るハメとなった経緯を思い起こそうとする。

「はーい、御本人を連れてきましたよー」

 ガラガラと戸を開ける音がして、女生徒が入ってくる。
 銀髪碧眼、細くて小柄な身体。明らかに日本人離れした容姿。
 端整な相貌には秋の涼風よりも取り澄ました笑みがふわりふわりとたゆたっていた。
 考えるまでもない。元凶はこの腐れロシアン同級生だ……!

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