アニメ版『Dies irae』の7話以降、新規の人向けにダラダラ解説(2017年11月23日〜2017年12月28日の記事)


第6話「黄金の獣」第7話「スワスチカ」第8話「約束」第9話「母の罪(アイ)」第10話「不死英雄(エインフェリア)」第11話「自滅因子」


(7話目/第6話「黄金の獣」/2017年11月23日)

 すまない……今回ばかりは原作ファンでも解説しかねる部分がある……本当にすまない。

 1クールアニメとしては後半戦突入になる7話目です。アニメ版Diesは全18話構成(13話から18話は配信の予定)だからまだ折り返し地点にも来ていないが、「あと6話……これを含めてあと6話でひとまず終わるんだ」と自分を元気づけないと素面でコレの解説なんて不毛な作業は続けられそうにない。「そろそろアニメが始まる時期か。正直クオリティはあんまり期待できないけど、せめてあのへんとかあのへんはアニメならではの演出でうまく描いてほしいな」と願っていたことが遠い過去のように思える。今は「原作の名シーンは一切再現しないで、全部オリジナルにしてとっとと終わってほしい」とばかり念じている。

 アバンは司狼の独り語り。特定の誰かに話しかけているわけじゃなく、画面の外、つまり視聴者である我々に向かって説明するタイプの独り言です。デッドプールみたいな感じですね。10年前の出来事、「血まみれのバタフライナイフを持って佇む幼司狼」についてはいずれ説明があるだろうから細かい解説は避けますけど、「かつての蓮は虐待に等しい扱いを受けていて『このままだと蓮がヤバい』と判断した司狼が反抗できない蓮の代わりにその『虐待者』を刺し殺した」というのが大まかな筋です。状況を事故に見せかけたうえ、死体の発見が遅れて検視も困難だったことから司狼の殺人は表沙汰になっていません。この時以来、司狼はことあるごとに既知感に悩まされるようになる。そして「既知感ブースト」が掛かっている間はどんなことをしても自分が死なない、たとえ「絶対に死ぬだろ」という目に遭っても奇跡的に生き残ってしまうことに気づく。アクション映画のヒーローが雑魚どもから銃撃を受けても一切被弾しない、あの「主人公補正」みたいな現象が必ず発生する。スターを獲ったマリオにも似た無敵モード。それを幸運と捉えず、己は物語を掻き回すために都合良く使われるスプーン、「神の玩具」なのだと見抜く。

 司狼は過去のバイク事故の後遺症でアドレナリン出っ放しの興奮状態が常時続くようになっており、スペック的にも「並みの人間じゃ歯が立たない」強さですが、あくまで「ヤンキー漫画のラスボス」レベルであって魔人や超人の域には達していません。なのにエイヴィヒカイトという大量破壊兵器級のパワーを持った連中とやり合えるのは既知感ブーストのおかげ。事前に相手からどんな攻撃が来るかは予測できないが、いざ攻撃されると「あ、これは前に避けたことがあるわ」と「気づき」、致命的なダメージを被らない。司狼から具体的な働きかけをしているわけじゃないにしろ、この既知感ブーストはほとんど因果律干渉に近い。理屈は違うが、『とある魔術の禁書目録』の上条当麻ばりに相手の優位を無効化してしまう。スワスチカが開くほどに司狼のデジャ・ヴは激しくなっていく=既知感ブーストが掛かりやすくなるため、「一般人枠なのに後半に進むほど強くなっていく」という奇妙な性質を持っています。

 「司狼、この馬鹿野郎!」が韻を踏んでいてフフッとなってしまうAパート。「はい論破」みたいな調子で「はいデジャ・ヴ」とヴィルヘルムの攻撃を躱す司狼とか、戦闘パートは相変わらず緊張感も躍動感もなくて萎える。ちなみに苛立ったヴィルヘルムが踏み潰したサングラスはカールツァイスの特注です。背中から黒いウニみたいなトゲトゲが生えてくるヴィルヘルムの姿はギャグアニメすれすれだけど、これが彼の聖遺物「闇の賜物(クリフォト・バチカル)」であり、全身からトゲトゲが生えている状態が彼の形成です。トゲトゲ生やしたままだと生活に不便なので普段は仕舞っている。「闇の賜物」はヴラド3世の血液、第0話でトリファとアンナ(ルサルカ)が遣り取りしていたブツがコレです。トゲトゲは杭と茨のイメージを重ね合わせたもので、生物であれ非生物であれ刺した相手から血液やエネルギーを吸い取る。要はドレイン系の能力です。ヴィルヘルムは「本気を出すに相応しい相手」にしか形成は見せないため、発動するのはベトナム戦争ぶり。このときの相手は櫻井螢の叔母に当たる「櫻井鈴(レイ)」。本編には出てこないキャラだが、果たしてアニメじゃ出番があるのかしら。

 「痛ぇか? 痛ぇだろ――嬉し涙流せやオラァッ!」というヴィルヘルムのセリフは、「先述したバイク事故の後遺症で司狼は痛覚を失っており、そのせいで恐怖も感じにくくなっているが、『闇の賜物』のドレインは肉体のみならず霊質まで傷つけるため直撃せずとも激痛が走る。久々に味わう痛みに司狼はスリルを覚えて喜ぶ」という背景設定が頭に入ってないと意味不明の煽り文句になってしまう。こういう「基本設定を知らないとセリフのニュアンスがまったく伝わらない」箇所が山盛りなので、「このアニメ、ホントにアカンな……」と今回も頭を抱えてしまいます。

 蓮と螢のドラゴンボール風超高速バトルも、作画や演出がまったく追いついておらず真顔で眺めるしかなかった。原作で好きだったセリフ(「ええ、誇らしいわよ。だって私にはそれしかないもの」や「ここならスワスチカも近い」「首を持って行ってあげる」など)がカットされたことに安堵してしまう出来だ。欄干ではなく水面に立っている螢の周りでグツグツと沸騰する描写があるのは、彼女が火炎系の能力者だから。バラしてもいいと思うからバラすけど、彼女の「創造」は「自分自身を炎に変える」です。その際、髪の色も黒から赤に変える。おかげで2007年当時は「フレイムヘイズ?」とか「炎髪灼眼のケイ」って弄られまくったが、これも今の世代には通じないネタだろうか。私は未だに]の劇場アニメ化を諦めていないが……ともあれ、螢の聖遺物は「緋々色金(ヒヒイロカネ)」。櫻井家に代々伝わる秘伝の金属で、鋳造するにはジエメイさん的なモノが必要。形成のときと創造のときで形状が異なる。螢はこの聖遺物を完全に呪具として認識しており、可能なら一秒でも早く手放したいと願っています。

 螢との戦闘中に突然ラインハルトの視線を感じた蓮はその凄まじい圧に狂乱。もはや螢など眼中になく、形振り構わず逃げ出そうとする。鈍い螢は首領閣下の視線に気づかず、愚直に蓮を追いかける。視線の主から逃れるために「この粘着女」と内心罵っている螢を突き飛ばし、脱兎の勢いでダッシュする蓮はトリファに遮られる。聖餐杯ことヴァレリア・トリファの魔名は「クリストフ・ローエングリーン」、その意味は「神を運ぶ者」。名の通り、黒円卓において神に等しい存在を連れてくる形になった。

 Bパートは情報収集しているスーパーハッカーなエリーにガイドされながらバイクでヴィルヘルムの猛攻を躱し続ける司狼。観ていて「ヴィルヘルム、糞エイム過ぎる……」と言いたくなるが、既知感ブースト掛かってるときの司狼は針の穴に糸を通すどころか駱駝を通す勢いの精密さだから当たり判定はほぼ消えていると考えていい。その気になれば音速を超える速さで走れるヴィルヘルムがバイクに追いつけないのは、カーブが多いからかしら。シュライバーなら慣性も重力も殺せるけど、ヴィルヘルムはそのへんの小回りが利かないのかもしれない。「運が良いで片付けられる話じゃねぇぞ」とボヤくヴィルヘルムのカットはちょっとカッコいいと思ったが、ダバダバと走る姿があまりにもヘボくて悲しくなる。FateHFのスプリンターなクー・フーリン兄貴と比較する動画が脳内再生される始末。

 トラックのタイヤを撃ち抜いて横転させ、液体窒素ブッシャー! はもう笑うしかない展開だ。原作だと水筒のような容器に入れてぶっかけていたが、「いくら何でも携行可能な量で全身凍りつくわけないだろ! ふざけているのか!」と鬼のようにツッコミが集中したせいでスケールアップしました。凍りついたヴィルヘルムをロードキルして粉々にするつもりだったものの、砕けたのはコートだけ。上半身裸のヴィルヘルムはラインハルトの顕現を感じ取り、苦笑。彼はラインハルト大好き勢なので御前に馳せ参じたいのは山々であったが、恰好が恰好だけに「今回は失礼しよう」と去っていきます。ヴィルヘルム、育ちの悪さを自覚しているだけあって、ここぞという場面では礼儀や礼節を重んじる男だ。

 理由さえあればテレジア(玲愛先輩)も殺すのか、と問いかけるトリファに「先輩をお前らと一緒にするな!」と激昂する蓮。もう気づいている人がほとんどだと思いますのでバラしますが、玲愛先輩も黒円卓のメンバーです。生まれた時点で聖槍十三騎士団の一員となることが周囲によって決定されており、本人の意思など完全に無視されている。抗おうとしても強大過ぎて爪の一つも立てられない連中を見て育った玲愛はすっかり意気阻喪し、何も余計なことは考えないよう心を閉ざしています。その閉ざした心に踏み入ってきたのが蓮や司狼や香純であり、蓮たちもまた玲愛先輩は何を考えているのかわからない不思議ちゃんだけど世界の滅亡を願うような人じゃない、と確信している。そもそも玲愛先輩は滅ぼすというか「打って出る」タイプではなく、性質的には「死守する」タイプの人間です。生まれつきなのか環境によって築かれたものなのかは不明だが、「自分の身を捧げることで何かを守る」ことに躊躇いがない。心を閉ざすのやめたらメチャクチャ濃い情念が溢れ出す人だ。

 トリファ演じる成田剣のボイスは依然として素晴らしく、目を瞑って聴き入っていると「ひょっとしてこのアニメ、名作なのでは?」と錯覚しそうになる。冗談抜きでアニメDiesは「目を瞑っている方が面白く感じられるシーン」多いんですよ……何でアニメ化したんだろう? 蓮の啖呵に「悪くない」と答えて顕現するラインハルト。発揮できるパワーは本来の数十分の一程度だが、ただそこに存在するだけでエコーズACT3じみた威圧(プレッシャー)を周囲に与える。原作では「天が落ちてきた」と形容されている箇所だ。名乗っておきながら「曰く悪魔のような男らしいよ」と他人事のような口振りで言うの、メッチャ好きです。本気を一度も出したことがない男特有の胡乱極まりないセリフだ。押し潰されそうになりながらも、蓮はプレッシャーを跳ね除けて「あいつはここで倒すべきだ!」と全身を真っ黒に染めて背中から刃を生やす。原作だとアレは形成位階の上、創造位階――それも特定の条件を満たしたときだけ発動する「通常とは別バージョンの創造」なんですが、アニメだと「形成の別バージョン」になるのか? このへんは原作ファンでもよく分からない箇所なので解説できません。すまない……。

 立ち上がるのかと思ったら四つん這いのままラインハルトに向かっていく蓮オルタ。ゴキブ……いや、「ハイハイするデビルマン」と化した主人公に爆笑し、一旦再生を止め、自分の部屋へ行き2時間眠った。そして………目を覚ましてからしばらくしてあれが夢じゃないことを思い出し……泣いた。その後に行われるラインハルト総軍との戦争映画っぽいバトルは「作画と演出が追いついてない」点に目を瞑れば完璧だった。実際、あそこの発想は面白かったと思う。表現が全然届いてないだけで……人型になったせいで城というよりは巨大ロボのようになっているグラズヘイム、良い意味でも悪い意味でも存在感がありすぎて「あれがラインハルトの聖遺物なの?」と勘違いする人も出てきそうですが、ラインハルトの聖遺物は最後に出てきた槍です。城(というかロボ)はラインハルトの「創造」、北欧神話におけるヴァルハラ宮を再現した「死者の軍勢を詰め込んだ空間」であり、彼の取り込んだ魂が戦争奴隷(エインフェリア)として死んだり生き返ったりを繰り返している。人は死んだら終わり、じゃ悲しいから、「死後も生きられる世界」を作ろう――という考えを根底に据えて構築されている。本来なら短時間しか維持できない「新たな宇宙」であるこの空間を、イザークという団員の「創造」によって永続的に稼働できるようにしています。城の主はラインハルトだが、維持・管理しているのはイザーク。アニメでもたぶん「ラインハルトが指示を出してイザークが操縦している」感じじゃないかな。

 城は「何百万もの遺骸から成るがしゃどくろ」でもあるので人型になること自体は原作ファンにとっても既知だったが、戦車や戦闘機、戦艦まで総動員するのはさすがに未知でした。大戦期に亡くなったナチスの軍人は4、500万人と言われるから、半数近くはラインハルトの城に呑み込まれた勘定になる。「アフリカの星」と呼ばれた撃墜王マルセイユもその中に混ざっていて、原作では元気に偏差射撃していた。ルーデルは大戦後も生きていたからいないと思うけど、臨終の間際に黒円卓の誰かが回収に向かった可能性もなくはない。シュピーネあたりが回収していたら今頃は急降下爆撃の準備をしているところかも。一般兵のほとんどは髑髏兵と化していて見分けがつかないが、一応個々に名前は残っているらしい。原作では「ヴァルター・ゲルリッツ曹長」だけ確認できた。見分けがつかないことは重々承知で「アニメにも曹長出ているかな?」とつい探してしまう。

 総軍の総攻撃に翻弄されながらもどうにかラインハルトのところまで辿り着き、ギロチンをブチ込む蓮。完全体でない、FGOで言うところのシャドウサーヴァント程度に留まっているラインハルトの髪一本すら断てず、あっさり敗北。ふんわり落ちていくマリィの胸にズブッと槍が突き刺さったところで「つづく」。あの槍がラインハルトの聖遺物、大戦中にヒトラーが探し求めたことでも有名な「ロンギヌスの槍」です。Diesにおける正式名称は「聖約・運命の神槍(ロンギヌスランゼ・テスタメント)」。「どこが聖遺物だよ」ってアイテムばかりのDiesには珍しい、正真正銘の聖遺物だ。「新時代の幕開けとなる救世主の脇腹を刺した」という逸話があり、その再現として「新時代の幕開けとなる女神の胸を刺した」わけですが、原作ではもっとこう、婉曲というか比喩的な意味で刺す描写だった。映像にすると見も蓋もない絵面だな。ともあれ、マリィはこの一刺しで「痛み」を知った。痛覚を失った司狼がヴィルヘルムの杭に刺されて「痛み」を思い出したように。痛みを知らぬせいで感情の起伏が乏しく、「首を刎ねられて死ぬこと」にも無関心だった彼女に、ようやく情動が芽生え始める。ここからマリィはヒロイン街道を一直線に驀進していく。たぶんアニメで人気が一番出るのはマリィなんじゃないかな。このルートだと香純はもう出番あまりないはずだし、螢は掘り下げる尺がなさそうだし、玲愛も最後の方に見せ場があるかどうかといった雰囲気。

 アニメの描写だと不完全体のラスボス相手にまったく歯が立たず全然いいとこナシで負けたふうに見える主人公ですが、設定的には「ラスボスのプレッシャーを前にすることで蛇が脱皮するような急成長を遂げ、『このまま行けば不完全体くらいは倒せる』ってところまでパワーアップしている」ことになっている。ラインハルトはそのことを面白がっているが、トリファの方は計画が狂いそうだと内心ヒヤヒヤしています。螢は状況のインフレに付いていけなくなってきて、バトルアニメに付き物の「驚き役」になりつつある。彼女は11年前にベアトリスの後継として団員になったばかりで、「ラインハルトが持つ力の片鱗」を見るのはこれが初めて。「本当の恐怖」を知った螢、ヒロイン的な意味ではここが彼女のスタートラインになるわけだが、さっきも書いたように残りのエピトードで彼女を掘り下げるのは難しそう。アニメでもドッカンドッカン人気が出て幻の「螢ルートアフター」開発に弾みがつく未来を夢見ていましたが、この調子だと夢のままで終わるかな?


(8話目/第7話「スワスチカ」/2017年11月30日)

 解説回、というよりラスボスによる圧迫面接回。アニメはこれまで説明らしい説明をしてこなかったから、ようやく「大まかな設定」がわかったという人も多いだろう。実はゲームでも本編中の解説はここに至るまでそんなに多くなかったのだが、公式ホームページに用語集をはじめとした解説が載っていたおかげですんなり飲み込めていた。「いきなり本編をプレーしても訳が分からないから、まず公式ホームページに掲載されている情報をあらかじめ全部頭に叩き込んでおけ」が新規プレーヤーに対するお決まりのアドバイスだったので、当時も「どんだけ不親切なんだよ、このゲーム……」と呆れられたものでした。

 胸を刺され、海に沈んでいくマリィ。開いた傷口を窓にして、契約者である蓮の感情が流れ込んでくる。「ラインハルトの槍に刺される」がストーリー分岐の重要なポイントであり、刺されないと蓮の感情がマリィの心に入ってこないため、ふたりの結びつきは深まりません。すなわちラインハルトは蓮とマリィをくっつけるキューピッドでもあるのだ。放っておくと世界を滅ぼしかねない災厄のキューピッドだが。

 海溝に沈んでいく描写はイメージなのか、それとも市街地の付近にあんな海溝が本当に存在するのかはよくわからない……マリィがハッとなって目覚めるとそこはラインハルトの城の中、彼と手を取り合って踊っている最中であった。鳴り響くBGMは「Dies irae」、モーツァルト版のレクイエムです。これ聞いてヴォルフガング・クラウザーのステージを連想する人はたぶん30代か40代だろうな。城の中では天下一武道会みたいな戦いが連日催されていますが、そればっかりだと飽きるのでたまにこうした舞踏会も開かれています。

 「破壊」の業を持つラインハルトに貫かれたことでマリィは聖痕を刻まれ、痛みを知り、その心に感情らしい感情が芽生える。ラインハルトが海に落ちればすべての水を黒く染める墨(覇道)だとすれば、マリィは決して溶けることのない宝石(求道)だったが、彼女の殻にヒビが入ったことで宝石は徐々に溶け始める。そして彼が有する城の本質――殺して取り込んだ魂を「死んでも蘇る」存在に変える軍勢(レギオン)――に恐怖と嫌悪感を覚え、自分や蓮がこれに呑み込まれる未来を拒絶します。ラインハルトは世界が「ちょっと撫でただけで壊れてしまって二度と治らない」脆い存在によって構成されていることを嘆き、「たとえ自分がどんなに激しく愛して壊しても元通りになる」強靭な存在へ作り替えようとしている。それは「すべてを自分の一部に変える」ことであり、彼の宇宙においては軽傷が治るような軽率さであらゆる魂が無限に再生する。失われることは決してない。無限コンティニューが可能な、誰もが檀黎斗を超えた世界。「なくしても戻ってくるということは、つまり価値がないって事だろう」という蓮の価値観とは絶対に相容れることのない、「必死」という概念が消え去った世界です。

 Aパート、眼鏡を掛けた左道鉗子風というか『キリングバイツ』の祠堂零一みたいなおっさんが出てきたが、綾瀬博士! 綾瀬博士じゃないか! 2007年版のときはセリフもあったのにクンフトやファーブラではいるのかいないのかよくわからないことになっていた綾瀬博士! 生きとったんかワレ! いや死んでるけど。てなわけで蓮の出自もちょびっと明らかになった。簡単に言うと蓮は人工生命体、ホムンクルスの一種です。マリィと契約してすんなり聖遺物(ギロチン)を扱えるようになったのも「そういうふうに作られたから」である。

 そんな蓮が目覚めると、どこかの(ぶっちゃけ教会の)地下牢に幽閉されていた。手枷を付けて拘束され、マリィもラインハルトのお城にお出かけ中なのでギロチンを出現させることができない。ガチャガチャやっているところに玲愛先輩が颯爽登場。「こんばんは、藤井君。早速だけど結婚して」と幻聴が聞こえるのは玲愛先輩が公式サイドで弄られまくっているせいだろうか……アニメの回想シーンでは黒円卓の団員に怯える幼気な玲愛ちゃんの姿が映されているけど、ここ数年のネタで他の団員たちに毒舌を飛ばしまくってるイメージが強いせいか「いくら冬だからってその恰好で表歩くってどんなセンスしてるの?」とツッコミを入れないことに違和感を覚えてしまう。唐突な「抱いて」要求は彼女が「処女宮」としての役割を担っているからで、貞操を失えばひょっとして儀式に支障を来せるのでは……と考えたからです。実際は処女を維持する術式が掛けられており、あそこで蓮を相手に励んでも膜は何事もなかったように復帰する仕組みとなっている。そう、彼女は『かすみ遊戯』のかすみや『吸血殲鬼ヴェドゴニア』のモーラといった処女膜再生ヒロインの系譜に連なる一人なのだ。

 牢から出てきた蓮はトリファに導かれ、大円卓の広間に向かう。そこに着席したラインハルトが出現し、圧迫面接スタート。ラインハルトの席に刻まれた「N」みたいな字はルーン文字の「ハガル」、デザインによっては「H」みたいに見えるものもある。元は雹を意味し、転じて「突然の災害」や「予期できぬ崩壊」、そして「神々の黄昏(ラグナロク)」を指し示す。アニメでは割愛されていますが、「副首領閣下の席(13)はハイドリヒ卿(1)と近すぎるから、6あるいは7の席に座るといい」と事前にトリファから忠告されています。6は玲愛先輩の席。蓮が腰掛けた「F」のような字が刻まれた席は7番目で、蓮と因縁浅からぬ相手だったりする。アニメでは掘り下げる余裕もないだろうしバラしてしまうが、CV.安元洋貴の陰気な髭面をした「ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン」です。「ベルリッヒンゲンというのはあくまでも称号」であり、本名はまた別にある。ラインハルト同様実在の人物をモデルにしているので、聖遺物が判明すれば「ひょっとして……?」と見当が付く人もいるかもしれません。

 落ち着いた物腰でゆったりと喋るラインハルトに「あー、これはとてもいい諏訪部ですねぇ」と和んで話を聞き流していた人のために要点をまとめますと、「1.自分(ラインハルト)は既知感(デジャ・ヴ)を破壊するため行動している(蓮と喧嘩した司狼と重なる部分がある)」「2.メルクリウスはやべぇ奴」「3.どうも自分は生まれるべき世界を間違えたみたいなので、今ある世界を破壊して『自分が居るべき世界』を作り上げる」「4.この街は生贄儀式のために我々が設計して作った」「5.残された戦場は6つ、総大将である自分を打倒したければすべて攻略せよ」、こんな感じ。しかし「残された戦場は6つ」たって、このアニメ、TV放送だとあと4話しかないんですが……1話に1つのペースでも追いつかねえぞ。

 重要なキーワードの一つである「スワスチカ」もやっと話題に上りましたね。スワスチカはサンスクリット語で「卍」を意味し、ナチスドイツのシンボルである鉤十字(ハーケンクロイツ)はこれを元にしている。Diesにおいては「ある団員」の聖遺物であり、土地に根差した8つのポイントを開放することで「都市規模の魔法陣」を成立させる。ポイントの開放条件は「大量の魂を生け贄として捧げること」。病院や学校といった「犠牲者を集めやすい場所」はともかく、公園みたいに「数百人単位の生け贄を調達することが難しい場所」ではシュピーネのように「大量の魂を保有しているエイヴィヒカイトの術者」を散華させる方が効率的なので、黒円卓は単なる虐殺よりも戦争(バトル)によるポイント開放を奨励している。そしてポイントを開放するたびに「ある団員」の体へ負担が掛かるため、儀式は焦らず少しずつ進めていかないといけません。あまり急ぐと「ある団員」の体が耐え切れなくなって、儀式そのものが破綻する恐れがある。

 上記の如き事情から黒円卓は敵役である蓮に対し「少数の団員で」「毎回違う場所で」「一定の間隔を置いて」バトルを仕掛けねばならない、という制約を課せられています。ポイント開放が手柄として数えられる以上、「メンバー全員で取り囲んで袋叩き」じゃ誰の手柄なのかがハッキリしなくなるし、うっかりひとつのポイントで複数の団員が落命したら完全な無駄死にになってしまう。そもそも彼らにとって「儀式の遂行」こそが至上命題であり、「蓮とのバトルに勝つこと」は必須じゃなくそんなに重要でもありません。いざとなれば「内ゲバでポイントを開放する」という手段が残されていますからね。蓮の不利は「相手の数が多いこと」よりも「逃げようが立ち向かおうが、勝とうが負けようが、お構いなしに儀式が進行してしまう」状況そのものにある。スワスチカから離れた場所で団員どもを始末する、というのが最善手ながら、この時点だと蓮はスワスチカを構成する急所の位置を知らず、たとえ知っていても団員どもをおびき寄せる口実がない。儀式の要である玲愛先輩を攫って「来なきゃ殺す」と脅す手段も、本気でやるつもりがないことはバレバレだろうから無意味。控え目に言っても絶望的である。

 身勝手な説明を述べるラインハルトにキレ気味で「未知を見せてやるよ。ただしその頃には、あんたは八つ裂きになっているだろうけどな」的な啖呵を切る蓮。ラインハルトはマリィを返却し、高笑いを上げながら城に帰還します。人間臭くなったマリィは蓮に対して肌を見せることに羞恥心を覚え、ラブコメのヒロインみたいなことを言い出す。可愛い。が、このくらいはまだ序の口。マリィがヒロインとして真価を発揮するのはこれからである。問題は、アニメだとそれを描き切る尺がなさそう、ってこと。香純は回想シーンに辛うじて出番があったけど、螢はいよいよ画面にも映らなくなってきた。今進んでいるルートは○○○だから、大きな変更がなければ次回はアレがああなって、当然その流れがアレもああなるから……うーん、どう考えても「俺たちの戦いは(以下略)」エンドですよね。螢はろくな見せ場がないままになりそう。

 蓮とマリィのイチャイチャを覗き見する女神ストーカーの高笑いとその盟友の高笑いが唱和したところでEND。次回のタイトルは「約束」。原作通りならマリィの新しいコスチュームが見られるはず。楽しみだ。


(9話目/第8話「約束」/2017年12月7日)

 アバンは教会、「夜が明けたら開戦」と告げる神父。8つあるスワスチカのうち2つは既に開かれたが、これに関しては誰の功績とも認められない。残り6つはそれぞれの団員で手柄争いして開け――「何なら同士討ちしても構わない」と暗に仄めかしています。とりあえず5つ目のスワスチカまで、つまり3つ開くことを許可する。「同日に開くのはなるべく避けろ」と注意しているのは、スワスチカを聖遺物としている「ある団員」――まどろっこしいからもう書いてしまうけど、ヒロインの一人である「氷室玲愛」への負担を極力減らすためです。彼女は「ゾーネンキント(太陽の御子)」の二つ名を持つ団員であり、直接的な戦闘力は持っていないが、「土地そのものを聖遺物化することで都市全体を生け贄の祭壇に変える」能力を持っています。

 ゾーネンキントはラインハルトにとって無限のエネルギーを供給するエンジンであり、同時に彼のポテンシャルを引き上げる増幅器でもある。実のところ、ラインハルト単体ではエイヴィヒカイトの流出位階に至ることはできない。「城」は非常に強力な創造ですが、エネルギーをバカ食いするため普通だと短時間しか展開できず、「永続展開」が前提となる流出の座には達せません。創造から流出に昇ろうとするなら、その過程でゾーネンキントたちの補助が必須になります。「たち」と書いたのはゾーネンキントが一人じゃないからです。ラインハルトの「城」にはアイン・ゾーネンキントである「イザーク」が既に組み込まれており、「創造の永続展開」はもう可能になっている。そこから更に上を目指すため、黒円卓の連中は玲愛先輩を「追加のゾーネンキント」として覚醒させようとしているわけです。ゾーネンキントは生まれつきの資質に左右されるものであり、「在野の才能ある子を鍛えればゾーネンキントにできる」というものではない。黒円卓はまず「完璧な資質を持ったゾーネンキント候補」が生まれるのを待たねばならなかった。玲愛が生まれたとき、周囲が感激して「テレジア(神の贈り物)」という洗礼名を与えたのはこういった経緯があるから。この場合の「神」は何を指すのか? を考えると真相にまた一歩近づきます。

 城ではエレオノーレがラインハルトに謁見中。0話のときにはなかった火傷が顔にできています。フライフェイス――原作発売当時はブララグのバラライカを連想する人が多かったけど、今の世代だとまた別の誰かになるのかな。あの火傷は類人猿作戦(オペレーション・エンスラポイド)という暗殺計画によってラインハルトが殺された、というニュースを聞いて動揺したエレオノーレが不注意で負ってしまった怪我です。冷静さを保てなかったことに落ち込みながら入院していたところ、死んだはずのラインハルトがお見舞いに来て少女漫画顔負けのセリフを吐いていったものだから、彼女はすっかり心酔してしまった。本人は忠勇烈士のつもりですが、周囲には「恋する乙女だ……」とモロバレです。ちなみにエレオノーレさん、処女だからマジで乙女だったりする。この後の「年万処女かよ、終わってんな」という司狼のセリフが流れ弾として飛んでくるワケダ。

 ラインハルトが言っている「第五」は5番目のスワスチカのこと。要するに、3番目と4番目のスワスチカは現地の団員たちが開くところを傍観して、5番目は大隊長であるエレオノーレが直々に赴いて開け、と指示している。「大隊長3人の帰還」に必要な目安が第五までの解放であり、それ以前に大隊長が出陣することは不可能じゃないにせよ、ちょっと無理する形になる。「叩き直せ」はギロチン=刃物の連想から、鍛冶のイメージで「気概は悪くないが明らかに戦力が足りていない藤井蓮をお前の炎で炙って鍛えてやれ」と命令しています。エレオノーレが炎使いだと知らない人は「根性を叩き直せ」みたいなニュアンスと捉えたかもしれない。まったくの間違いでもないが、こういうイメージやニュアンスのズレがしょっちゅう起きてしまうのがこのアニメの辛いところだ。

 Aパート、久しぶりに香純が登場。6話目以来だから3話ぷりか。パンを咥えてテレビ画面に見入っている姿が可愛い。これまでしょっちゅう叫んだり騒いだりしてきたせいで「喧しい」イメージのある香純ですけど、静かにしているとき、というか穏やかな表情を浮かべているときは普通に美少女なんですよね……「特定のルートの、それもかなり後半にならないとヒロインらしい見せ場がない」せいでアニメではポテンシャルを解放する目はなさそう。「学校なんか行ってる場合じゃねぇ!」と私服に着替えた香純をエリーがバキューンと拉致。「スタンガンであんなふうに綺麗に気絶しない」みたいなツッコミは野暮か? ボトムレスピットに連れてこられた香純は攫われたことよりも今まで連絡がなかったことに怒り散らしている。このへんのシーンはエリーの下半身がエロくてドキッとしました。パンツ見せるのはやりすぎな気もしたが……エリー、ルートによってはかなり長い付き合いになるので割と人気のあるサブキャラです。彼女からの情報でスワスチカの場所も判明。既に開いた博物館と公園を除けば、病院、学校、教会、そして遊園地とタワーと市民会館……え? 市民会館?? 何それ??? 原作には存在しない施設に戸惑いました。

 お着換えを思案中のマリィ可愛い。からの制服マリィ! 2007年版では実装されず、2009年のクンフトやファーブラでやっと実装されたこの服装、古くからのファンは見ているだけで泣ける。ふたりが学校に行くと、生徒たちは催眠物エロゲーみたいなハイライトの消えた瞳で規律正しく操られていた。手の施しようがなく途方に暮れる蓮へ「そんなことより膝枕しようぜ!」と提案するマリィ。寝てる場合か! って感じだけど、この状況じゃ相手が動かない限り打つ手ないんですよね。蓮が使っている聖遺物(ギロチン=マリィ)は究極進化すれば神すら断つ刃であるものの、こまごまとした術は使えない。逆にルサルカは戦力的にそこまで強くない(螢よりは強いがヴィルヘルムほどではない)んですが、器用にいろんな技を駆使することができる。学校のアレもルサルカの仕業だった、はず。もうだいぶ記憶が朧げになっているが。

 仲良し4人組にマリィを加えて仲良し5人組になろうぜ! と豪快にフラグを立てる蓮たち。あ、タイトルの「約束」はここのことだと思います。結局、この回で学校が襲撃されることはありませんでした。代わりに黒円卓の魔の手が伸びたのはそう、治安の悪いクラブ「ボトムレスピット」。エリーがスワスチカの予想地に「市民会館」を挙げていたのは嘘で、本当は彼らの根城であるクラブこそスワスチカの一つだったのだ。迎え撃つ気満々の司狼とエリー。そして、またしてもスタンガンで眠らされる香純。ちなみにエリーは大人びて見えるが実は香純とタメです。

 ボンキュッボンの形態に戻って踊り狂っているルサルカ。ああ、OPの謎ダンスはこれだったのか。ホール中の人間が爆ぜて死んでいく様子はブラックなギャグアニメといった趣。殺し尽くしたところでロリ形態に戻る。ルサルカが普段ロリ形態で過ごしているのは「魂の加齢」を少しでも遅らせようとしているからです。メルクリウスを除いた黒円卓メンバーの中で最高齢のルサルカは第0話の時点で既に200歳近く、現在はもう250歳を超えています。魔女であっても生き続けることが辛くなってくる歳であり、気を抜くと老け込んでしまうので魂の若さを保つために頑張ってロリっ娘ぶっている。健気なババアだ。彼女の「創造」はチェイテピラミッド姫路城……ではなく「拷問城の食人影(チェイテ・ハンガリア・ナハツェーラー)」。エリザベート・バートリーの書いた日記をベースとする「血の伯爵夫人」が聖遺物なので、エリちゃんの居城たるチェイテ城の名が付いています。効果は「停止」、物理法則も何もかも無視して「影」が触れた物の動きを止める。止め方は任意で操作できます。たとえば首から上だけ動けるようにして、会話は続けられるようにする、とか。地味な能力だが同格相手だと「影を踏んだだけで終わり」なので厄介です。格上相手の場合は出力の違いでレジストされちゃいますけど、それでもある程度は動きを止められるので「足を引っ張るのが得意」という自己紹介はドンピシャだったりする。

 ルサルカは術式の一種であり使い魔のようなものである「食人影(ナハツェーラー)」を使って殺した人間の肉を貪り食いましたが、魂は「気に入った人間しか食べない」というマイルールがあるため、ボトムレスピットで吸収した魂はエリーと司狼だけ。あとはすべてスワスチカを開く贄として捧げられた。割と呆気なく殺されたように見える司狼とエリーですが、直前に「(香純に何かあったら)後が怖い」という遣り取りがあったことから察せられるように、「ここでただ殺されてオシマイ」というわけではない。「後」のことを心配するくらい余裕があった。殺される瞬間すらデジャ・ヴを感じて「つまらない奴だ」と見下してくる司狼にルサルカは得体の知れぬ不安を覚える――というのが原作の流れでしたけど、アニメの反応は煽り耐性/Zeroな瞬間湯沸かし器で、ただヒスっているようにしか見えなかった。

 本当は一番槍となって第三のスワスチカを開く気満々だったヴィルヘルム、ルサルカに先を越された苛立ちを背後のトリファに向けます。この日ずっとトリファに尾行されていたこともあり、「下手に動くとシュピーネみたいなことになりかねない」と警戒していたのです。ヴィルヘルムは脳筋チンピラなので小賢しい陰謀を張り巡らせるような計略は好まないのですけど、勘がいいというか鼻が利くタイプなので陰謀の匂いを嗅ぎつけることは得意。神父がラインハルトに対してあまり忠誠心を抱いていない、それどころか叛意さえ秘めているのではないかと疑っています。

 Cパート、警戒するヴィルヘルムにネタバラシをするトリファ。アイン・ゾーネンキントのイザークには「ヨハン」という弟――ツヴァイ・ゾーネンキントがいた。ゾーネンキントとしての資質が兄に比べて遥かに劣っていたため、儀式に体が耐えられず自壊した……ように見せかけて母親であるリザがこっそり逃がしていたのです。彼の血脈は途絶えておらず、孫に当たる人物がこの諏訪原市にいる。「ヨハンの孫」は玲愛ほどでないにしろ、ゾーネンキントとしての資質を一応は有している。それこそが、神父の「企て」の要。

 次回のタイトルは「母の罪(アイ)」、リザ・ブレンナーが本性を見せる回です。原作でも地味キャラの一人として見られていたリザがようやく目立つようになってきたあたりだ。声優の演技はいいので、そこだけは期待している。


(10話目/第9話「母の罪(アイ)」/2017年12月13日)

 ただでさえ初見の人に対して優しくないアニメ版Dies、今回はより一層わかりにくい内容になっているため解説に力が入ります。

 まず前提となる知識ですが、第三帝国には「レーベンスボルン」という機関がありました。日本語にすると「生命の泉」って意味です。第0話では単に「泉」と呼んでいたな。もともとは母子家庭などを支援する福祉施設でしたが、ナチスの優生政策によって「理想的なアーリア人を作り上げる」ための機関としてSS隊員にアーリア人女性を斡旋したり、生まれた子供を親元から引き離して「純粋培養」しようと目論んだり、果てには各地から条件に合う子供を攫ってきたりなど無茶苦茶なことを仕出かしていました。真偽のほどはともかく「怪しげな人体実験を繰り返していた」系の噂は昔から絶えず、Diesでも「レーベンスボルンの最奥に人工的な超能力者を生み出す極秘プロジェクトがあった」という設定になっています。

 リザ・ブレンナーはその責任者(「ムッター」はドイツ語で「母」を意味する)でしたが、スーパーアーリア人を覚醒させるという画餅じみた計画はまったく捗らず、数千人もの子供を死へ追いやってしまった。ろくな喜びも知らぬまま死んだ(というか殺された)子供たちを生き返らせるため、メルクリウスの口車に乗ってサラブレッドを産み落とす忌まわしい屍かn……ゴホン、「ゾーネンキント計画」に加担しました。アイン・ゾーネンキントの「イザーク」とツヴァイ・ゾーネンキントの「ヨハン」はリザ本人が生んだ息子(双子)です。リザはこのうち「父親に似ていた」イザークを計画に捧げ、「父親に似ていない」ヨハンは死んだことにして逃がす、という選択をした。そして数十年経った今、イザークの孫である「氷室玲愛」を見殺しにすることで宿願を果たそうとしています。「子供たちを救うため」と称し、幼少期から母親代わりとして育てた曾孫を生け贄にする、彼女の「矛盾した母性」をトリファは身勝手だと嫌悪している。リザは何というか基本、「流れに逆らえない」タイプなんですよね……エレオノーレ曰く「いつも状況に輪姦(まわ)されるだけの風見鶏」。

 トリファも別口で「子供たちを死に追いやった」罪悪感から黒円卓の計画に加担しているが、その子供たちが死んだ理由も黒円卓由来なのでラインハルトに対する忠誠心はなく、むしろ叛意を秘めています。加えて「肉親の情」にまつわる懐疑を悩みとして抱えており、「この愛は肉体に引きずられたものではない」と自らの狂気(せいぎ)を証明するためにリザの罪(あい)を否定せんとその行く手を阻む――って書いても原作未プレーの人には何のこっちゃでしょう。このへんは「トリファの過去」と「トリファの聖遺物」が明らかになってからでないと解説しようがありません。現状言えることは、彼の心はもうだいぶ壊れていて、「相手が何を想っているか」が把握できなくなってきている……「打算」は読めても「共感」を得ることができないせいで大幅にズレてきている、ということです。

 とりあえず、アニメ視聴組にとっては「なんかエロいコスチュームしている巨乳のシスター」って印象しかないリザにも結構えぐい過去が横たわっていることだけ把握してもらえればいいです。死者を操る彼女の聖遺物「蒼褪めた死面(パッリダ・モルス)」はレーベンスボルンの秘密計画で犠牲になった赤ん坊たちの顔の皮を重ね合わせて作ったもの。「死人を愛する」リザの業を象徴しています。「生ける屍」たるトバルカインとまぐわって朽ち果てる寸前の体に形を与える描写がそのへんを補強する材料にもなっていたが、さすがにアニメでは削られたな。

 OP明け、顔は出てこなかったけど「ロートス・ライヒハート」という、これまた解説に苦労するキャラが登場します。簡単に言うと「藤井蓮の原型に当たる人物」なんですが、行き当たりばったりとも言える過去の経緯からキャラデザが蓮に似ているのに設定上は「蓮とは全然違う見た目」ということになっている。これは原作未プレーの人どころか原作をプレーしている人でも混乱してしまってなかなか理解しにくい部分です。まず、2007年当時に「ナチスっぽい軍服を着た蓮」のイラストがあったんですよ。これは単なるコスプレというか「もし蓮が黒円卓の団員だったら」ってifを描いた半ばネタに近いイラストで、このときには手袋や腕章に聖槍十三騎士団のマークも入っていた。しかし、2009年になって「藤井蓮の原型に当たる人物」が設定へ追加された際、「新規にキャラデザを起こしたり新しいイラストを描く余裕がない……だいたい、いきなり新キャラ画面に出してもプレーヤーは『誰こいつ?』って戸惑うだけだろ」みたいな理由で「ナチスっぽい軍服を着た蓮」をロートス・ライヒハートと言い張ってしまった。このとき手袋や腕章からマークが削られています。古参のファンにはイラストを使い回していることがバレバレで、「ああ、『※画像はイメージです、実際とは異なる場合があります』ってことなんだろうな」と苦笑されました。

 制作サイドはロートスを「そういうキャラが存在した」程度の扱いで留めるつもりだったのかもしれませんが、ロートスさん、意外なほど人気が出てしまって遂には彼とアンナ(ルサルカ)のウェディング姿を大写しにした感謝キャンペーンパッケージまで作られることに。もはやキャラデザを変更するわけにもいかず、新規の人に質問されるたび「ロートスは蓮の元になった人物で、見た目は全然違うんだけど、プレーヤーに分かりやすいよう蓮と似たようなキャラデザになっていて……」と苦しい言い訳みたいな説明をするハメになった。蓮は作成される過程でメルクリウスの因子が混入(水銀汚染)したため、見た目どころか魂の表層部分がロートスとは異なり、「視覚に頼らず魂を直接見抜く魔人たち」である黒円卓の団員であっても関連性を見出すのは至難。ロートスと面識のあるルサルカが蓮を見てもハッとならないのはこういったややこしい事情があるからです。「なんでドイツ人のロートスが日本人に?」というのは単に儀式を行う地が日本だったからローカライズしただけでしょう、たぶん。

 ロートスが「戦友」と呼んだ髭のアニキは黒円卓第七位「ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン」、通称「マキナ」です。ゲッツ云々は本名ではなくゲーテの戯曲から来ており、人間時代にはまた別の呼び名があったんですが、「最後の団員」を決めるための儀式を経て聖遺物と合一した結果、その頃の記憶はほとんどなくなっている。儀式っつーか「最後の一人になるまで殺し合え」っつーバトルロイヤルを強制されたわけで、回想の中にちょこっとだけバトル描写が混ざっています。詳しい経緯はドラマCD『Todestag Verloren(トーデスターク・フェアリーレン)』で語られている。マキナが最後の一人として生き残って黒円卓の第七位に収まり、負けたロートスはメルクリウスが素材として回収しました。勝者でありながら「最期を奪われた者」であるマキナは見失った己の命日を取り戻すため、辛うじて残っている戦友の記憶に縋って決着の時=敗北(なっとく)を求めている。原作ファンは「ロートスとマキナがまだ普通の人間だった頃の、何てことない穏やかな遣り取り」にホロリと来ますが、アニメから入ってきた視聴者にそのあたりのニュアンスを読み取らせるのは無理ゲーかと……。

 屋上でのマリーとの会話を経て、Bパートから「病院戦」に突入。エリーの父親が院長をやっている「本城総合病院」はスワスチカの一つであり、入院患者や当直職員のおかげで24時間いつ襲撃してもほぼ確実に目標を達成できる、黒円卓にとってコンビニみたいなポイントです。病院のスワスチカを開くために訪れた、玲愛先輩の家族であり、自身も一緒に晩餐を囲んだ仲であるシスター・リザを「先輩を悲しませないために」蓮は止めようとしますが、リザに帯同してきた螢によって足止めされてしまう。螢は以前の戦いで蓮との決着がついていないことを不満に思っているし、そろそろ何か手柄を上げなきゃと焦ってもいる。建物の外とはいえ一応は敷地内だからここで蓮を倒すことができればリザに先んじて病院のスワスチカを開くこともできる。直接的な戦闘力を持っておらず、聖遺物「パッリダ・モルス」でトバルカインを操らないと戦えないリザは「自分の身を護ること」が不得手なので蓮を迂回したが、「蓮を殺せばいちいち病棟に向かってチマチマ殺戮しなくてもいい」と判断した螢は建物の外に留まった。つまり、病院戦の第一段階はパッと見だと「蓮と螢のバトル」ですが、黒円卓的には「リザと螢の競争」です。ちなみにこのとき一瞬だけ映っているヴィルヘルムは遊園地で第四のスワスチカを解放した。一般人を虐殺するだけの簡単なお仕事だったせいで遣り甲斐を感じられず、フラストレーションが溜まったまま次回へ出番を持ち越し。きっと「殺り甲斐」さえ感じられるなら相手は誰でもいい、というテンションで登場するはずです。

 前回の話を覚えている人は、「そういえばラインハルトが城で赤毛のフライフェイスに向かって『第五はお前の手で開け』みたいなことを言っていたな」と思い出せるかもしれません。Diesにおいて「第五のスワスチカ」は後半戦突入を意味するターニングポイント。ラインハルトもトリファも揃って「第五」を意識していたのは、これが解放されて更に「ある条件」を満たすと「首領と副首領に次ぐ幹部、『大隊長3人』の降臨する目処が立つ」からであり、大隊長が降臨すればどうなるかと申せば「監督権の移譲」です。トリファは聖餐杯として諏訪原市での儀式を取り仕切るトップに据えられていますが、これはあくまで大隊長たちが帰還するまでの一時預かりであり、彼らがやってきたらお役御免になる。なので第五が解放されるタイミングに合わせて「企て」――儀式の妨害を試みようと暗躍しており、トリファの叛意を知ってて泳がせているラインハルトはチェスでも指すように大隊長(エレオノーレ)を派遣し「妨害の妨害」を図りました。ラインハルトは割と「生きてるだけで舐めプ」なところがありますが、興が乗っているうちは手を抜かない性格だ。病院戦の第二段階は表面上「リザとトリファの口喧嘩、突然のエレオノーレ出現」に見えますが、実際は「トリファとラインハルトの腹の探り合い」です。

 不完全体ながら降臨したエレオノーレは「図星を指されて泣きながら切りかかる螢」があまりにも無様だったことからドカンと一発叩き伏せます。エレオノーレと螢は直接面識がありませんが、螢が姉のように慕っていた黒円卓の先代第五位「ベアトリス」はエレオノーレが妹のように可愛がっていた存在ですから……マリみて風に表現すると「妹の妹」ですね。ベアトリスを死なせた件についてエレオノーレは現地組の団員を皆殺しにしても構わないくらい腹を立てており、任務優先で感情を抑えているとはいえ、ぶっちゃけ敵である蓮よりも味方に対して当たりがキツい。小競り合いしている場合じゃなくなった現地組の命運や如何に。

 来週は病院戦の締め括り(ガールズトーク)とルサルカのアレとヴィルヘルムのアレかな。

 最後のエレオノーレが連れてた巨人、「あれいったい何なんだろうな……?」と訝っていましたが、脚本の正田崇曰く「あれは活動と形成の中間くらいのもんです。持ってる魂をオーラ的に具象化しているけど武器化まではしていない。理屈的には蓮がマリィを出してるときと似たようなもん」だそうです。「つまり全然本気でバトる気はない舐めプ技だけど、アニメ用に強さを可視化する目的でやってます」とのこと。エレ姐のモノホンの聖遺物はクソでかいし作画も大変だろうからアニメでは出てこないかもしれません。


(11話目/第10話「不死英雄(エインフェリア)」/2017年12月21日)

 エインフェリア――訳によっては「エインヘリヤル」だったり「エインヘリアル」だったりしますが、これは北欧神話における英雄、それも「勇敢に戦って死んだ者たち」を指す言葉です。栄えある死を遂げた戦士たちの魂は戦乙女(ヴァルキュリア)たちに迎えられ、北欧神話の主神・オーディンの館である「ヴァルハラ宮」に召し上げられる、という伝承ないし信仰。ヴァルハラでは毎日戦いが繰り広げられ、死んでも時が経てば蘇り、ひとしきり宴に耽ってからまた戦いに明け暮れる。来たるラグナロクの日まで延々と戦い続ける修羅道じみた世界、それを模しているのがラインハルトの「城」です。「創造」としての正式名称は「至高天・黄金冠す第五宇宙(グラズヘイム・グランカムビ・フュンフト・ヴェルトール)」。第7話「スワスチカ」で行われていた舞踏会が「宴」に相当します。

 大隊長と呼ばれる3人の幹部、エレオノーレとシュライバーとマキナはこの「城」に上がってラインハルトとともに特異点へ向かうため、地上に肉体を置いてきて魂だけの存在になった……つまり、既に彼らは人間としては一度「死」を迎えています。死してラインハルトの軍勢に加わり、彼という黄金の獣を構成する一部、即ち「爪牙」となった者たちを北欧神話になぞらえて「不死英雄(エインフェリア)」と呼ぶわけです。肉体を捨て、魂を物質化させている彼らはただでさえ殺されにくいが、万一殺されたとしてもすぐに蘇るし、かなり深甚なダメージを受けても時間が経てばまた復活(ポップ)する。永劫戦い続けることを宿命づけられており、ノリノリで暴れているエレオノーレやシュライバーはともかく、嫌々従っているマキナは「不死英雄」よりも「戦争奴隷」と呼んだ方がイメージとしては近いかもしれない。

 アバンで槍を打っているのは櫻井螢の曾祖父「櫻井武蔵」。私は螢の祖父だと勘違いしていましたが、よく設定を読んでみると螢の叔母、「櫻井鈴」の祖父でした。この解説記事のどこかでも誤って「螢の祖父」と書いていたかも……すみません、訂正します。日本の片隅で脈々と鍛冶師の家系を保っていた櫻井家は第二次世界大戦中に友好国のドイツから依頼され、ラインハルトの聖遺物「聖約・運命の神槍(ロンギヌスランゼ・テスタメント)」、つまり「ロンギヌスの槍」を複製するために鎚を取ることとなりました。「史実としての聖槍騎士団」はヒムラーがトップで、Diesでも一応表向きのボスはヒムラーということになっている(このためルサルカは氷室玲愛の「氷室」はヒムラーから来ているのではないか、と勘繰ってたりする)んですが、霊的な資質を持たないヒムラーに真打であるロンギヌスの槍を扱うことなどできない。しかしそれでは恰好が付かないからと、ヒムラーでも使えるような複製のロンギヌスを作成することになりました。このプロジェクトの責任者がエレオノーレで、櫻井武蔵を日本から招いたのも彼女です。黒円卓からすれば「ガワだけ似せた模造品を作ってくれればそれでいい」程度の軽い気持ちだったんですが、武蔵殿は手抜きや手加減のできない性格だったみたいで、かなり精巧に「ラインハルトの聖遺物と化したロンギヌスの槍」を再現してしまって、死者の魂を取り込んで群霊(レギオン)を作るという性質まで真似してしまった。とはいえ完全再現とは行かず、櫻井武蔵作の偽槍(正式な名称は「黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)」)が取り込める魂は「櫻井家の縁者」だけ。偽槍は櫻井家に連なる者へ強大な力を与える代わり、贄としてその肉体と魂を貪り、擬似的な不死英雄(エインフェリア)を生み出す。ドラクエの「呪われた装備」を家系レベルに拡大した超迷惑アイテムである。

 櫻井戒と螢、ふたりの兄妹は呪縛の末端に位置している。戒は「櫻井家の宿命」としてトバルカインの呪いを拒まなかったものの、妹である螢には引き継がせたくない、と強く願っている。そこをトリファに付け込まれてしまったのが死因っちゃ死因。ベアトリスは櫻井兄妹を酷な運命から解き放とうと、11年前にかねてより温めていたラインハルトへの叛逆計画を実行に移すも、聖餐杯であるトリファに思惑を見抜かれ粛清されたんですが……トリファが直々に手を下したわけではなく、博物館にいたベアトリスの元へ差し向けられたのは彼女が救いたかった櫻井戒本人で、その手には呪われた偽槍が……と、割合複雑なドラマが背景にあります。アニメ視聴者から「なんかゾンビみたいで気持ち悪い」「ただのモンスターにしか見えない」と思われているかもしれないトバルカインは、運命に翻弄された人々の悲しい末路なんです。ちなみに、「大戦中に日本人鍛冶師がドイツから依頼を受けてロンギヌスのレプリカを作った」という噂そのものは実在するようですが、本当に作成されたかどうかは定かではない。櫻井家が背負うことになった魔名、「トバルカイン」は聖書に登場する鍛冶の始祖で、「ロンギヌスの槍はトバルカインが隕鉄を鍛えて作ったもの」とする伝承もあったり。

 Aパートはトリファとリザの会話から幕開け。エレオノーレの放つ炎で病棟が燃え始め、「悠長に会話してる場合じゃねぇ!」ってのにのんびり言葉を交わしているの、「誰も!! 消防車を呼んでいないのである!!!」感が漂うな。リザが唐突に自分の目玉を潰したのは、有視界内でしか操縦できないトバルカインを遠隔操作するため、「己の眼球をカメラアイとして移植した」わけですが……もっとこう、ハッキリ抉り取ってくっつけるぐらいじゃないとアニメ視聴者には伝わらないのでは? 規制とかそっち絡みの制約か? 聖餐杯となる前のトリファがリザと穏やかに過ごしている姿は原作ファン的にかなりクるというかだいぶ涙腺が緩んだけど、「聖餐杯」の意味するところを知らないうちは「神父、イメチェンしすぎ!」としか思わないかも。リザが離脱した後にトリファが漏らす「これは……」という呟き、臨戦態勢に入っているトバルカインが不意に漏らした紫電で「ある可能性」に思い至ったことを表している。ベアトリスが死亡し、櫻井戒がトバルカインとして崩壊した11年前、結果を見届けたトリファは後始末をリザに任せた。彼女が具体的にどう「始末」したのか、この瞬間になってやっと理解したのです。

 視点が切り換わってエレ姐たちのところへ。エレ姐ことエレオノーレは射程の長さもさることながら感知能力もズバ抜けており、現世に出現すると同時に病棟内でトバルカインに随伴していたリザを「捕捉」していて妙な動きをしたら即殺す気でいます。ちなみに魔術に長けているトリファは隠形の術で感知から逃れている。リザと会話したくないエレ姐は螢を向かわせ、自身は蓮の力を測るために「可愛がり」を開始。聖遺物を「形成」すらしておらず、かなり手加減して攻撃していますが、それでも当てる気満々で砲撃している。エレ姐の魔名は「ザミエル・ツェンタウア」、オペラ『魔弾の射手』でカスパールに魔弾の製法を教授した悪魔の名前と、ケンタウロス(英語読みだとセントール)のドイツ語読みを合わせたもの。最初は『魔弾の射手』をモチーフにしたキャラクターだと思われていたが、大幅なシナリオの修正に伴い『ニーベルングの指環』モチーフに変わった。このため初期はファンの間で概ね「ザミエル」と呼ばれていたが、シナリオ修正以降は「エレオノーレ」呼びが主流になりました。「エレ姐」は自然発生気味な愛称だが、今の世代だと「タマ姉たまんねぇ」は通じないかな……。

 射程が違いすぎて逃げ回ることしかない蓮は「このままだとジリ貧だ」とイチかバチか「ギロチン(マリィ)ならあの炎さえも断ち切れる」と信じて特攻します。何とか断ち切れたおかげで絶命する事態は免れたものの、精根尽きたのか、余熱でこんがり焼かれて気絶しちゃいました。蓮を倒す必要はないが、「殺しちゃダメ」とも厳命されていないエレオノーレは気絶した蓮をどう扱ったものか迷う。かつて彼女は軍人であったものの、今は敬愛する首領のため、首領の胡散臭い友人が仕掛けた神話的な歌劇の一幕を担わねばならない立場にある。敵である蓮も「英雄」として振る舞ってくれないと困るわけだ。女神(マリィ)の助けが入る、という展開も英雄譚に相応しい流れだとして受け容れるが、肝心の女神(マリィ)はラインハルトに匹敵する(本気を出せば凌ぐ)凄まじいポテンシャルを持ちながらも「戦う覚悟」が定まっていない、ただ「蓮と一緒にいたい」というふんわりした理由で立ち塞がるのみ。マリィに触れたエレオノーレの首がズレて「オイオイオイ」「死んだわエレ姐」になるが、これはマリィが生まれつき持っている性質に過ぎず、「殺そう」という確かな敵対の意志を抱いて攻撃したわけじゃない。殺意なき刃などエインフェリアの不死性によって容易くレジストされてしまう。「殺すつもりで戦うこと」の異常さを痛感したうえで超克してもらうため、そして蓮が目を覚ましたときに戦意を燃やせるようにするため、徹底的にマリィをボコるエレオノーレ。ちなみにマリィは一定以上の出力で攻撃されると現世に留まることができなくなり、特異点――「黄昏の浜辺」まで退避することになります。あらゆるものを滅する「絶対殺すパンチ」を喰らってもただログアウトするだけで済む。ぶっちゃけ不死英雄よりも不死度が高い。

 目を覚ました蓮が「なに俺の女ボコってんだ、殺すぞ!」と吼え、マリィが「俺の女」という言葉を噛み締めた上で「わたしの男ボコってんじゃないわよ」と女神らしからぬセリフを吐く、この流れは原作で読むと名シーンなんですが、終始ダイジェスト気味のアニメでは「積み重ねてきた二人の絆」があまり可視化されていないせいで原作ほどの威力を発揮しないのが残念です。ともあれ、蓮はマリィとの絆が深まるほど強くなっていく。マリィとあまり会話していないルートだと、成長が頭打ちになってしまってとても大隊長と張り合える強さにはなりません。ドラゴンボールのように光弾を投げつけてくるエレオノーレが「時間切れだ」と病院全体を吹き飛ばそうとした瞬間、リザはトバルカインを遠隔操作して蓮を屋上から香純の病室まで直送する。絵にするとギャグアニメだわ、これ。そしてリザ本人は望み通りエレオノーレの炎――「無限に広がり続ける爆心」に飲まれ、スワスチカを開く人柱となりました。香純を抱えて逃げる蓮は己の渇望、「時が止まればいい」を創造位階まで引き上げ、「周りの時間が止まっているように感じられるくらい超加速する(空気抵抗などの物理法則も無視する)」ことにより無限爆心から逃れる。追撃をかけようとしたエレオノーレに「任務は終わっただろ」と至極もっともなことを言って止める髭面のCV.安元洋貴。ふたりの大隊長が降臨する絶望的な光景、アニメでは巨大ロボみたいなアレのせいでシュールな景色になってしまっている……。

 炎に呑み込まれたけど常時展開している無敵バリアのおかげで傷一つ負わなかったトリファは蓮たちのところまでのんびり歩いてきて「同盟」を申し込む。第五のスワスチカが開き、遠からず第六のスワスチカも開かれるであろう状況において、トリファはもうお払い箱……というより、聖餐杯としての本来の役割、「明け渡し」を果たさねばならないところまで追い詰められている。そうなる前に長年ずっと温めてきた計画を実行に移そうと蓮たちに摺り寄ってきます。トリファが立てた計画の根本部分は非常に簡単で、一言で説明できるくらいだが、その意味を解説するとすごく長くなってしまうのが困りもの。事態がどう転ぶのか不明な部分が多いまま計画を進めなくてはならなかったため、あまり綿密ではないと申しますか「臨機応変」という名の出たとこ勝負な感じだったりする。だからルートごとに立ち回りが変わっていくのが面白く、外道のくせしてファン人気が高い。

 エレオノーレとマキナの会話で最後の大隊長「シュライバー」の名前が出てきました。ハッキリ「教会」と言っているので、放送版の最終話は教会戦にて幕引きとなりそう。あと1話か……この3ヶ月、辛かったりしんどかったり「逆に面白くなってきたわ」と開き直ったりしてきましたけど、それもいよいよ終わりです。再視聴することはたぶんないと思うが、そんなアニメでもいざ終わるとなれば寂しく……ならねぇんだな、これが。ただただホッとする。久々にDiesの話題で盛り上がれたことは楽しかったけど、「本当に2010年代のアニメなのか?」と疑ってしまうこの出来はどうにかしてほしかったし頭がどうにかなりそうだった。ファーブラからもうかなり経ってるから辛うじて耐えられる(原作とアニメは別、ってハッキリ割り切れる)ものの、「ほぼ一日中Diesのことを考えていた頃」にこんなもん観せられたら正気保てなかっただろうな……アニメに合わせて原作もやり直していますが、「これだけ面白い話をよくぞああまで」と負の感動すら覚えます。しかし、それでもなお、2007年の「怒りの日」よりは遥かにマシなんだよなぁ……。


(12話目/第11話「自滅因子」/2017年12月28日)

 TVで放送されるエピソードとしては最後のものになります。残りの6話はネット配信で流す予定。具体的な配信の時期についてはまだ公表されていないが、関係者の口ぶりからするとスケジュールは概ね決まっている模様。果たしてアニメから入ってきた人の何%が配信版まで付き合ってくれるのだろうか……。

 タイトルの「自滅因子」はいわゆるアポトーシス、たとえば木々が冬を迎える前にわざと葉を枯らせて散らすとか、手を構成する際に隙間の細胞をわざと死なせることで型抜きするように指を作るとか、「生存のための死、創造のための破壊」をもたらす因子です。黒円卓の団員たちは超人的な力を持ち、普通では考えられないくらいの長寿を実現させているが、それはあくまで身体面であって「魂や精神の疲弊」までは防げない。だんだんと「長生きすること」に耐えられなくなり、行動が雑になっていって、自暴自棄というか愚かな振る舞いをし始めるようになる。

 第4話「蜘蛛」で散華したシュピーネも本来ならもっと慎重に事を運ぶタイプなのに、蓮に交渉を持ちかける手順が大胆を通り越していっそ破滅的なほど大雑把になっていた。一般市民を嬲り殺しにすることで優越感を覚えていたシュピーネはしかし、「いずれ幹部や双首領が再来する日が訪れる」ことに怯えてストレスを貯め込んでいました。小物であるがゆえ恐怖に対して敏感で、ツヴァイ・ゾーネンキント「ヨハン」の消息を掴んだり、綾瀬博士ともどもホムンクルス(蓮)の培養に注力したりなど黒円卓の誰よりも(メル除く)広くアンテナを張り巡らせて準備していたが、小物であるがゆえ真正面から脅威と向き合って冷静さを保ち続けられる鋼のような理性は持てなかった。蓮との交渉に失敗し、聖餐杯に裏切られた彼の末路は「破れかぶれになった小物の自滅」と表現しても差し支えない。黒円卓の団員たちはみな、多かれ少なかれこうした「ともすれば雑になりかねない」自壊衝動と戦っている。

 黒円卓の連中は「もうイヤだ!」って自壊したところでせいぜいスワスチカが開くだけだが、もしこの世に「神」と呼べる存在があったとして、彼ないし彼女が「もうイヤだ!」と死を願ったとしたら……? 神は「自分が死ねば理――法則を制御する者がいなくなり、世界が亡ぶ」と知っているから軽率に自壊することはない。だが、万能に等しい力を有するがためその願いは叶えられ、やがて「自分を殺せる存在」を生み出す。神によって造られた神殺し、至高に死を貢する装置、それが「自滅因子」です。黒円卓の首領「ラインハルト・ハイドリヒ」はDies世界の神(もう書いてしまってもいいだろう、メルクリウスのことだ)が生み出した自滅因子である。「女神(マルグリット)以外に私を殺せるものか」と嘯くメルクリウスは「自滅因子と相討ちになって死ぬ末路(ノーマルエンド)」を回避すべく足掻いています。蓮はそのための道具。「女神(マリィ)によってもたらされる、満足のいく死(ハッピーエンド)」を手繰り寄せるために造られた神(メルクリウス)の聖遺物(ホムンクルス)です。

 「死にたいと願っているが、ラインハルトに殺されることは『望む死のカタチ』ではない」ので、メルクリウスは聖槍十三騎士団の副首領に身を置きながら蓮やマリィ、そして司狼に惜しみない助力を送っている。たとえば蓮はメルクリウスの本体が存在する場所、「神座」に接続することでチートじみたブーストを獲得します。具体的には、体が黒色化して全身から刃が生えた異形の姿になる。アニメだとあっさり出てきたけどアレ、原作では特定のルートでしか拝むことのできない非常にレアなスタイルです。

 アバン、香純パパが香純ママ(リザ・ブレンナーの孫に当たる)へプロポーズするところから始まる。香純ママ美人だなオイ。エロゲーだったら確実にこのママのエロシーンも用意されているはずなんだけどなー、おっかしーなー、立ち絵すらないなんてなー。ともあれ、香純パパに引き取られて綾瀬家にやってきた幼少期の蓮くん。「なんかヤベーとこに来ちまったな……」と危機感びんびん物語でたまたま通り掛かった司狼を「自滅因子」にしてしまう。神の聖遺物たる蓮にも自滅因子を作り出す力はありますが、さすがに神クラスの権能はなく、司狼もラインハルトほどのぶっ壊れにはならなかった。

 何にせよ、この時点で司狼は常人として歩む運命から外れてしまった……と書くとなんだか巻き込まれた被害者みたいに思えますが、そもそも本当に「たまたま通り掛かった」のか怪しいところがある。これはDiesというよりDiesを内包する“神座万象”シリーズとしての設定なんですけど、司狼の声優(前田剛)がボイス当ててるキャラは必ず「神の交代劇」に何らかの形で関わるよう仕組まれている節があり、「神のオモチャ」と揶揄したメルクリウスこそが「●●●のオモチャ」である可能性が否定し切れない。とはいえ司狼も●●●として覚醒するまでは普通に「その世界の住人」として振る舞うだけであり、偶然にせよ狙ったものにせよ今回割り振られた役が自滅因子だったというだけのこと。自滅因子は「宿主(ホスト)の願いを、宿主自身が行えない方法で叶える」ことが本領。「自滅」という言葉のせいで後ろ向きなイメージを抱いてしまうが、役割としては「破壊者」であり、「障壁を壊して状況を打開する」面が大きい。ラインハルトも「マリィに聖槍を突き立てることで、決して海に溶けることのない宝石を『海さえ呑み込む宝石』に変えた」が、これはメルクリウス自身には出来ないことです。司狼もまた、「蓮自身には出来ない方法」で蓮を救ってみせた。

 血に汚れたチェイテ城(ルサルカの内面世界?)を歩みながらメルクリウスの長口舌に付き合わされる司狼は、やがて「人間時代のルサルカ」を見つける。ルサルカの本名は「アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン」、実在した農婦、「ドイツで最後に魔女裁判を受けた人物」がモデルになっています。モデルになった女性は処刑を待たずに獄死しましたが、こちらの世界のアンナさんは獄中で「魔法使い」と出遭い、「なっちまえばいいじゃん魔女に」と唆されて脱獄、以降200年以上に渡って好き勝手やってきました。殺した人間も相当な数に昇りますが、悲しいことにエイヴィヒカイトの使い手としては収容できる魂のキャパがそこまで大きくないせいで後進の大隊長たちに追い抜かれてしまった……「現在(いま)のわたしは烈海王にだって勝てる!!!」と豪語した鎬昂昇のノリで「今ならザミエルにも、シュライバーにも、マキナにだって負けやしない」と吼えていたルサルカさん、原作では実際に大隊長と戦うルートもありましたが、結果はお察し。

 スワスチカが5つも開いたことで「産道」を宿す玲愛は産みの苦しみに悶え始める。無駄にマウントを取ろうとした挙句、忍び寄る自壊衝動に怯えている内心を見透かされ見下され逆上するザ・小物なルサルカさん。ぶっちゃけ小物度で言えばシュピーネさんとドッコイドッコイだったりする。おかげでシナリオライターは「このババア、なんでメインヒロインを食うほど人気があるんだ……?」と長年理解に苦しむハメに。そんなルサルカの内部で自身を「形成」(恐らくメルクリウスが手引きしたものと思われる)して彼女の聖遺物「血の伯爵夫人(エリザベート・バートリー)」を奪い取る司狼。普通、他人の聖遺物を奪取して自分のものにすることはできないんですが、司狼は蓮の自滅因子であるため、蓮の「あらゆる聖遺物(ただしロンギヌスの槍等、一部の例外は除く)を操る」特殊な性質もコピーしているため可能です。「血の伯爵夫人」を奪ったことで拘束具である鎖や拷問器具をオプションとして使えるようになった司狼はそのままヴィルヘルムと交戦。ヴィルヘルムの「創造」は簡単に説明すると「夜状の結界を展開し、生物であれ無生物であれ範囲内にいるモノすべてにエナジードレインを仕掛ける」という代物。ゲーム風に言うなら全体デバフ&自己バフ、周囲からエネルギーを吸うことで本来なら短時間しか展開できない創造位階を長めに維持し続けられる、割と燃費のいいタイプです。ただしデメリットがあり、この状態のときは「吸血鬼の弱点」がそのまま再現されてしまうせいで「対吸血鬼攻撃」を喰らうとクリティカル判定になる。ある意味で形成位階のときよりも死にやすくなっているという、あからさまな欠陥を抱えた「創造」なんですが、そもそも創造は本人の渇望(ヴィルヘルムの場合は「昼など要らない」「体内に流れる血液をすべて入れ替えたい」「俺は忌み子じゃなく真祖の吸血鬼なのだ」)に根差しているから自由にカスタマイズすることはできません。

 ヴィルヘルムの背中から生えてきた少女は彼の実姉にして実母の「ヘルガ・エーレンブルグ」ですが、あれは本人の魂を形成しているわけではなく、彼の聖遺物「闇の賜物」がヘルガを模しているだけ。「闇の賜物」はヴラド三世の血液に過ぎず、ヴラドとしての人格は残っていない。加えてヘルガを殺したときはまだエイヴィヒカイト習得前だったので本人の魂はとっくに霧散済、性格や言動は「ヴィルヘルムが記憶しているヘルガ」の再現となっています。保護者まで出してきて戦る気満々のヴィルヘルムくん、いきなり乱入してきた大隊長「シュライバー」に瞬殺されて呆気なく散華する。シュライバーは第0話でドレスを着てヴィルヘルムと戦っていたキャラなんですが、髪型も変わっているしピンと来ない人もいるかもしれません。「産道」を有している玲愛がヴィルヘルムの「創造」に巻き込まれて死の危機に瀕したため呼び出されたわけであり、結局は軽率に「創造」を展開したヴィルヘムルの自業自得です。戦闘狂なのに、設定上「狙った獲物を取り逃がす」という業を負っているせいで「強敵と相見え、凶笑を浮かべながら勝利する」みたいな展開書けなくて二次創作の方々が苦悩するヴィルヘルムくん、今回もシュライバーのせいで寸止めを喰らって絶頂できないまま絶命しました。はい、第六のスワスチカ解放。残すところはあと二つ、学校と展望タワーです。第0話の冒頭でラインハルトと睨み合う蓮が展望タワーの屋上にいたことを覚えている人は「第七が学校で、タワーが第八、つまり第0話のアレは決戦直前のシーンか」と察したことでしょう。

 ヴィルヘルムが散り際に幻視した美少女は「クラウディア・イェルザレム」、初恋の女性であり番外編『Dies irae 〜Interview with Kaziklu Bey〜』のヒロインです。吸収できる魂の量が許容限界に達し、魔人としての成長が頭打ちになっていたヴィルヘルムはあるとき戦場で自分と同じアルビノの女性を見つける。「量でダメなら質で補う」方向に切り換え、「俺にとってのみ至高へ変わる魂」と見定めたヴィルヘルムはクラウディアを傍に置き、絆を深めていき、「彼女の魂を奪ったとき、己はより高次の段階に進めるのではないか」と考えるが……原作本編に比べてシナリオ量が短く、プレー時間もあまり掛からないので「アニメで原作に興味を持った」「ヴィルヘルムのことが気になる」という方は本編すっ飛ばしていきなりこっちからやり始めても問題ありません。クラウディアもさることながらベアトリスが可愛い。

 降臨した最後の大隊長であるシュライバーにいきなり愛の告白をキメるルサルカ。彼女は昔のシュライバーがやけに「アンナ、アンナ」と親しげに呼びかけてくることから「あいつ、わたしに気があるのでは?」と思い込んでいましたが、これは単なる勘違い。シュライバーが街娼として客を取っていた頃の名前が「アンナ」で、ルサルカの本名も「アンナ」だから、過去の自分を投射していただけ。ルサルカのことはまったく興味がない。なので「愛している」とほざきながら瀕死のルサルカに平然とグーパンを叩き込んだりする。そもそもシュライバーは人間よりも昆虫や機械に近く、思考を経ずに単なる反応で行動しているから支離滅裂なセリフを吐くのはしょっちゅうです。質問に対して反射神経だけで答える、あのゲームを常時やってる感じというか、botがセリフを自動的に生成するのと一緒というか。バトルキャラとしてはスピードタイプに分類されます。とにかく動きが速く、音速突破くらいは当たり前。重力も慣性もすべて無視して疾駆し、必ず「相手よりも速く」行動する。向こうの攻撃はすべて回避し、絶対に当たらない。「相手が光速で動くならシュライバーは光速を超える」とまで言われるくらいで、もうムチャクチャです。そのぶん防御力はゼロに近い紙装甲であり、「とにかく一発当てれば勝ち」ということになってるんですが、「光速を超える」相手にどうしろと……更にコイツ、まだ切り札を隠し持っていますからね。たぶんアニメじゃやらないだろうけども。

 てなわけで視聴者全員が「えっ、ここで終わり?」な場面で地上波放送はENDになりました。ファーブラ発売当時のテンションだったら口汚く罵っていたかもしれませんが、もうだいぶ時間が経っているせいもあって「うん、知ってた」程度の反応にしかならない……「Diesってどう考えてもTVアニメには向かないし、結果は見えているよな」と思っていましたが、本当に見えていた通りの結果に落ち着いた。アニメがこんな出来で原作購入してプレーしようと考えてくれる人がいたらスゴいというか、ファンの一人としてただただ頭が下がる想いでいっぱいです。この有様で来年にDiesのソシャゲー(『Dies irae PANTHEON』)なんて配信できるのだろうか……? 配信できたとして半年もしないでサービス終了にならないだろうか……? 不安しかないが、待つことしかできない。

 第12話以降の配信が始まったらまた解説を再開するつもりですが、ひとまずはこれにて終了です。お疲れさまでした。


(第0話)(第1話〜第5話)


>>back