2025年5月〜6月


2025-05-30.

・ふと気になって「漫画やアニメに出てくる『戦うメイド』」の系譜について調べてみた焼津です、こんばんは。もともとは5月10日が「5月(メイ)」「10日(ド)」で「メイドの日」だったから、それに合わせての記事だったけど長くなって推敲に手間取り気が付けば6月近くになっていた。まあいいか。

 そもそも日本では90年代頃になるまで「メイド」という概念そのものにあまり馴染みがなく、70年代や80年代だと「家政婦」や「お手伝いさん」のイメージが強かった。『はいからさんが通る』で女形(おやま)の「藤枝蘭丸」がメイド服姿になるような展開はあったものの、「メイド=英国式のお手伝いさん」という認識が強固で「メイド」そのものが記号として機能する段階には達していない。和田慎二の『超少女明日香』に登場する「砂姫明日香」も和服姿のお手伝いさんである。余談だけど変身前の明日香(チンクシャ形態)可愛いよね……「特殊な能力を持った家政婦」というと筒井康隆の『家族八景』に登場する「火田七瀬」あたりも該当するだろうか。「一つの家庭に留まらず、様々な家庭の内情を覗き見るヘルパー的存在」として「流しの家政婦・お手伝いさん」という設定が受け入れられ、『家政婦は見た!』というドラマも80年代からスタートしたが、「流しのメイド」は奇異に映るのか少なくとも目立つ範囲には出没していません。

 80年代はエロアニメの名作『黒猫館』に登場するメイド「あや」が一部で人気を博すが、あくまでキャラ単独の人気でありブームには結びつかなかった。メイドが「属性の一つ」としてフィクション方面に普及していくのは90年代以降である。1995年頃に倉田英之がP天こと“PC Angel”に「あくまで“メイドさん”なのである。“お手伝いさん”ではいけないのだ!!」という文章を寄せており、逆に言えばその時点では「メイド」という用語がそこまで市民権を得ていなかった、という証明になっています。大きな転機は『殻の中の小鳥』が発売された1996年。これ以前にも「メイドキャラ」自体はポツポツと存在していた(『河原崎家の一族』や『夢幻泡影』など)が、「属性としてのメイド」を前面に押し出してヒットしたことにより様相が一変する。

 今や完全に「埋もれた作品」扱いとなっている『殻の中の小鳥』(および続編『雛鳥の囀』)だが、当時の人気は凄まじく、1991年から始まったガイナックスの育成ゲーム『プリンセスメーカー』シリーズに「メイド」というアルバイトが加わったのも『殻の中の小鳥』発売より後、1997年発売の『プリンセスメーカー〜ゆめみる妖精〜』からである。『殻の中の小鳥』以前は「メイドの出てくるエロゲ」はあっても「タイトルにメイドと冠したエロゲ」は存在しなかったが、『殻の中の小鳥』以降はどんどんリリースされ、エロゲ界が「メイド特化のソフト」で溢れ返る事態になっていく。ヒロインの着る衣装を選択できる『Piaキャロットへようこそ!!2』は開発中に制服デザインの雑誌投票を行い、「メイドタイプ」が1位になって採用されました。1998年、イベントでブロッコリー主催のPiaキャロ2のコスプレショップが開かれ、これがアーキタイプとなっていわゆる「コスプレ喫茶」や「メイド喫茶」、今でいう「コンカフェ」という業態に結びついていく。つまり『殻の中の小鳥』はメイド喫茶の間接的な祖でもあるのだ。肝心の中身が「メイドという名目で集めた女性たちを調教して高級娼婦に作り変える」というもので、ヒロインたちは専業メイドではなく「メイド服を着た高級娼婦」だから外聞が悪すぎてエロゲ以外の分野では語りにくい、という致命的な欠点を有しているが……今はそうでもないが、昔のエロゲにおいて「メイド」とは概ね調教や開発の対象であり、現代的な感覚からすると剛速球のセクハラを受けているものが多い。

 ここまでが前フリで、ここからが本題です。こうして「お手伝いさんではなくメイドさん」が属性の一つとして定着していく中、「戦うメイド」が新たなヒロイン像として勃興してくる。個人的に「元祖戦うメイド」は『わくわく7』の「ティセ・ロンブローゾ」だと思っている。「戦うメイドさん」で「目隠れヒロイン」で「自動人形(オートマータ)」で「変形機構」があって「気弱なドジっ娘」という、1996年に突然現れたことが今でも信じられないマスターピース的な存在だ。ティセたんを見ると「メイドは後ろではなく前、股のあたりで手を組む」という様式美が90年代にはもう確立していたんだな、と実感する(このポーズ、一説によると「雇い主の物をこっそり盗んでいるんじゃないか」という疑惑を持たれないために手を見えるところへ置く習慣から来ているらしい)。しかし、『わくわく7』本体がそこまで大きくヒットしなかったため、ブームに繋がるほどの影響力は持たなかった。おかげでティセたんも今やすっかりオーパーツ化している。1998年には「西野つぐみ」によって『戦うメイドさん!』という、メイドロボットがエッチな騒動を引き起こすコメディ漫画が描かれているが、これに関してはさっき「戦うメイド」で検索したらヒットした……というだけで、私は全然知らない作品だった。こんなんあったんだ。今はKindle Unlimitedで全巻読めるみたいなので興味のある方は読んで感想を教えてください。

 「ブームの走り」に当たるのは「柴田昌弘」の『サライ』と「介錯」の『鋼鉄天使くるみ』だろう。生体兵器の護衛メイド「神薙サライ」が活躍する『サライ』はアニメ化していないため知名度はやや低いが、後述するように“東方Project”に影響を与えて「十六夜咲夜」という「戦うメイド」を生み出す一因となっています。「鋼鉄天使」と呼ばれるメイドロイド「くるみ」がドタバタ騒動を繰り広げる『鋼鉄天使くるみ』は1999年にアニメ版が放送されており、「メイドキャラがメインのTVアニメ作品」としては業界初となる。ただしWOWOWでの放送、つまり地上波ではやっていなかったから同時代のアニメ作品と比べたらややマイナーな存在だ。

 1999年というと川上稔の『閉鎖都市・巴里』の上巻が刊行された年(下巻は翌年2000年の刊行)で、そこに「ロゼッタ・バルロワ」という自動人形のメイドが出てくる。彼女は人為的に最強を創造する「アティゾール計画」によって生み出された兵器なのですが、「自動人形を無理に兵器化しようとすると耐え切れず自殺してしまう」ため、「人を殺すために生まれた」にも関わらず「己が兵器であることを物語終盤になるまで気付かない」というキャラクターになっています。戦う覚悟さえ決めれば最強間違いナシだが、本人は争い事を嫌う性格であり「兵器にならなければ、という義務感」と「他者の命を奪う兵器に対する忌避感」が鬩ぎ合って葛藤をもたらす。「戦うために作られたけど戦ったことはないし戦いが好きでもない、そもそも自分が兵器であることすら知らない」という複雑な最終兵器型「戦うメイド」だ。2000年には同人エロゲ『月姫』が頒布され、後に商業化するサークル「TYPE-MOON」が世に出ます。エプロンドレスの「翡翠」とエプロン割烹着の「琥珀」、双子メイド姉妹が人気を博した。設定上は戦闘力を有さないのだが、『月姫』の格ゲーである『MELTY BLOOD』ではそのへんを無視して戦っています。琥珀さんの仕込み箒がイカれていて好き。TYPE-MOON的に本式の「戦うメイド」は『Fate/stay night』に登場した「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」のメイド「セラ」と「リーゼリット」、いわゆる「セラリズ」なのだけどサーヴァントほどの戦闘力はないから地味なんですよね。

 エポックメイキングとなったのは2001年にアニメ化された『まほろまてぃっく』だと個人的に睨んでいる。かつては秘密組織に所属する戦闘員であったが活動限界が近いことから引退し、メイドとしての余生を送ることになった女性型アンドロイド「まほろ」をメインにストーリーが展開していく作品。これも『鋼鉄天使くるみ』同様当時の地上波では流れなかったが、制作が「GAINAX」と「シャフト」、監督が『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の「山賀博之」なのでアニメファンの間ではかなり話題になった。私もレンタルビデオ屋で借りて観たものです。オープニングを観てもらえばわかりますが、「可愛いメイドさんが派手なアクションを繰り広げる」ギャップが衝撃的である。同時期にアニメ化された『花右京メイド隊』は、初期こそ「お色気モノ」の印象が強いけど途中から戦闘シーンが目立つタイプの作品に。メイド服&ポン刀の「剣コノヱ」は今見てもカッコええな……「可愛い系」戦うメイドのエポックメイキングが『まほろまてぃっく』の「まほろ」だとすれば、「カッコいい系」のエポックメイキングは『BLACK LAGOON』の「ロベルタ」だろう。眼鏡でお下げ髪という大人しそうな見た目に反し、作中のキャラから「狂犬」呼ばわりされる元ゲリラ。「では皆様、御機嫌よう。」とカーテシーしつつ手榴弾をスカートの中からゴロゴロ転がすシーンのインパクトは未だに忘れがたい。ロベルタが出てくる単行本1巻が発行されたのは2002年――つまり、2001年から2002年にかけて「戦うメイド」の下地は敷き終えられた……と言っても過言ではないだろう。2003年にアニメ化された『まぶらほ』には「MMM(もっともっとメイドさん)」というメイドによって構成される軍隊みたいな武装集団が登場し、「ミリタリー系の戦うメイド」、要するに「メイド服を着た女性兵士」のイメージも固まっていきます。

 ここから先は数が増え過ぎて網羅的に把握するのは困難になる。作品単位で見ると2003年発売のエロゲ『モエかん』が「戦闘メイド」という要素を取り入れて「萌え&燃え」な路線を切り開こうとしたっぽいが、ハッキリ申し上げて「グランドフィナーレがない物語」というか「広げ過ぎて畳めなくなった風呂敷」である。「萌えっ娘カンパニー」というふざけた通称を持つ超国家級企業の社員で、元は特殊部隊所属の凄腕だったのに現在は失脚し、南海に浮かぶ孤島「萌えっ娘島」――「護衛メイド最終訓練工程試験連絡洋上訓練所」と御大層な名称を付けられているが、実態としては成績下位の落ちこぼれメイドが送られてくる僻地――へ左遷されてしまった主人公が、様々な訳有りメイドとともに恋ありバトルありエッチありの熱い日々を過ごす。こういう内容なのに、メイド以外の要素にも筆を割き過ぎたせいでメイドたちの印象が薄くなっている(かつての上司である主人公に対しクソデカ感情を抱いている強面の男「飯島」とか、個人的には好きなんだけど「こんなやつにまで熱意を注いでいたら話がまとまらなくなるのは当然だろ!」ってキャラがゴロゴロいる)し、「ナーサリークライム」という頂点的な存在を設定しておきながらメンバー全員が出てこない(特に「火気のナーサリークライム」は出番どころか設定さえろくに明かされておらず、何かの雑誌にキャラデザがちょろっと載った程度である)し、エロシーンを増やすためか陵辱ルートまで用意されていて雰囲気ブチ壊しになるし……ある種の歪んだ情熱が篭もっていて他には出せない味を醸していることは確かだが、とにかくバランスが悪いのです。

 萌えっ娘カンパニーの抱える特殊部隊、かつて主人公が所属していたものの現在は(表向き)解散しているヒューミント系情報課「PIXIES(ピクシーズ)」、名称だけでキャラとかは出てこないシギント系情報課「FAIRIES(フェアリーズ)」、血の逆十字をエンブレムに掲げて不出来なメイドを粛清する「ALICE IN CHAINS(アリス・イン・チェインズ)」、本部(LAB)直属ながら「誰も見たことがない、そのエンブレムを目にした者は必ず死ぬから」と怪談みたいな扱いを受けている「NIN(NINE INCH NAILS)」、12億人いるメイドの頂点に立つ12人によって構成される社長直属の精鋭「N GIRL(ナンバーガール)」と、ざっくり5つも存在するんで「設定が! 設定が多すぎる!」と頭を掻き毟りたくなる。5人いるヒロイン(移植版だと1人追加されて6人)のうち、ストーリーの根幹に関わってくるのはメインの「リニア」と秘書の「霧島香織」くらいで、香織は明らかに掘り下げ不足だったし、何なら他に掘り下げるべき子がいる(ALICE IN CHAINSの頂点、Alice Firstとか……過去に暴走したため本編では封印中)ので本当『モエかん』について語り出すとキリがなくなります。

 今更新規にプレーする人も少ないだろうからバラしますけど、『モエかん』の黒幕は萌えっ娘カンパニーの支配者であり創始者、「金気のナーサリークライム」である「霧島差異」です。作中で「魔王」とも呼ばれている。彼は「木気のナーサリークライム」である「榊千尋」と恋人だったが、金気と木気は相剋関係にあり、経緯は不明ながら千尋を殺してしまう。復活不能の状態に陥った千尋を救うため、差異は木気と相生関係にある「水気のナーサリークライム」である主人公を利用しようと画策し、未成熟な幼体であった彼を覚醒させるが差異の金気は水気に対して相生関係、水気が強まり過ぎて世界中に「ノアの方舟」ばりの大洪水が起こる。混乱によって核戦争が勃発、そのドサクサに紛れて差異は萌えっ娘カンパニーという超巨大企業を立ち上げ急速に千尋再誕計画を推進しようとするも、木気の復活を恐れた「土気のナーサリークライム」である「極東日没」(土気と木気は相剋関係)が動き、主人公は敗北(相性問題で水気は土気に勝てない)。力の弱まった主人公を極東日没の目から隠すため、左遷を装って本編の舞台である島(土がほとんどない)に匿う……という、ストーリーを理解するうえで重要な情報が本編をやっただけではわからない作りになっているんですよ。つくづく惜しい一作だった。『モエカす』というファンディスクも出たけど、余計に風呂敷が広がっただけ。でも一紗(本物)vsかずさ(偽物)の一戦は好き。「勝ったら名前をくれてやる」という条件で交戦し、敗北を悟った一紗が「私の名前はやるよ……」「ただし私はあんたの命はもらう!!」「朝霧かずさっ!!!!!」「その名前!!地獄で名乗るが良い!!!!」と叫んで犠牲覚悟の特攻をかましてくるシーンは何度反芻したことか。『モエかん THE ANIMATION』というOVAは今でもあちこちで配信中。今観る価値があるのかと訊かれると、うーん。

 『モエかん』に参加した原画家の一人「2C=がろあ〜」がイラストを描いた『お・り・が・み』も一応「戦うメイド」かな。主人公の「名護屋河鈴蘭」(孤児院育ちで、あちこちの家を転々としているため姓が何度か変わっている)は借金のカタとして自らを外道集団「魔殺商会」に売り渡し、メイド服纏って様々な無理難題をこなすことになる。軍人口調(「〇〇であります」)の眼帯ポン刀斬撃ホリックメイド「白井沙穂」が好き。「斬っていいでありますか?」「斬っていいでありますか?」 眼帯メイドというと『モエカす』に出てきた「N12」も好きだなぁ。バカデカい銃器を振り回すタイプの子で、複数の一枚絵が用意されるくらい優遇されていたにも関わらず暴走したAlice 3rdに一瞬で消し飛ばされ「えっ? 今ので死んだの!?」って唖然とした。世間的に有名な眼帯メイドキャラというと『一騎当千』の「呂蒙子明」あたり? あれのアニメ化が始まったのも2003年からなので『モエかん』や『お・り・が・み』と同時期か。

 2006年には「SIMPLE2000シリーズ」の一作として『THE メイド服と機関銃』がリリースされる。メイド型ロボット「ユウキ」が過去に遡って開発者である博士を護衛する、メイド版『ターミネーター2』だ。税抜2000円の低価格ソフトなのにコンプリートワークスという攻略本と設定資料集を兼ねたブックが発売されるくらいコアな人気があった模様。プレーしたことはない。同じ2006年に始まったライトノベル『メイド刑事』がドラマ化まで行っているが、アニメ化はしていないため知名度が高いのか低いのかいまいちよくわからないポジションに位置している。『悪役令嬢転生おじさん』の「上山道郎」による『ツマヌダ格闘街』は「メイドのヒロインが主人公に格闘術をレッスンする」という異色の漫画で、全20巻とかなりのボリュームになったがアニメ化には至らなかった。

 単に「戦うメイドが出てくる作品」はたくさんありますが、「メイドがメインの作品」に絞るとアニメ化まで行ってるのはそんなにないんですよね。せいぜい『小林さんちのメイドラゴン』、『うちのメイドがウザすぎる!』、『君は冥土様。』くらいかな。『仮面のメイドガイ』は「メイドと言い張る仮面の男」がメインキャラなので「戦うメイド」の範疇に含めていいかどうか迷うところだが、「フブキ」や「メイド小隊」、「メイド忍軍」も出てくるからアリっちゃアリか。アニメオリジナル作品だと『アキバ冥途戦争』が「メイド喫茶が任侠映画ばりの抗争を繰り広げる」という異色作で話題になったが、あまりに異色すぎたのか後には続かなかった。「戦うメイド」を前面に押し出すとギャップというよりギャグになってしまう、という根深い問題が横たわっており、コメディ方面ならともかくシリアス方面へ舵を切ろうとすると事故ってしまいがちだ。『君は冥土様。』もヒロインの「雪」が可愛いからカバーできている部分はあるけど、「幼い頃に両親を殺されたうえで拉致され、ひたすら暗殺者としての教育を叩き込まれてきた(なので情操の発育が不十分だし、殺人に対する忌避感も薄い)」という洒落にならない重さの生い立ちを知ってドン引きする人が後を絶たない。ほとんど『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』の「アイン(エレン)」がメイド服を着ているような存在なんです、雪さん。というかエレンがメイド服着るシーンあったな、確か。

 メイド単位、つまり「戦うメイドが話のメインというわけじゃないけど出てくることは出てくる作品」まで追うとなると多過ぎてもはや手に負えない。代表的なところや個人的に印象深いところに絞っていくと、“東方Project”の「十六夜咲夜」は外せないだろう。2002年の『東方紅魔郷』から登場したキャラで、二次創作が盛んなこともあって元のゲームをプレーしたことがない人でも咲夜の容姿や能力を知っているレベルに達している。というか私も東方は原作一つもやったことがない。買ったことはあるけど、封すら切らないまま積んでる。彼女のキャラデザは『サライ』に登場する「ナッジ」というメイドが元ネタだと思われるが、もはやネタ元より有名になってしまった。アニメだと2005年に放送が始まった『灼眼のシャナ』のサブキャラ「ヴィルヘルミナ・カルメル」も作品の知名度が高いだけに割と有名かしら。ヴィルヘルミナ単体が話題になることは少ないからいまいち測りにくい。格ゲー方面だとサムスピの「いろは」、時代設定的にはメイドじゃないかもしれないがプレーヤーからは「メイドキャラ」として認識されている。かなり露出度の高い衣装で、今見ると「時代を先取りしすぎだろ……」と絶句します。「ヘッドドレスっぽいカチューシャを付けておけば多少衣装が奇抜でもメイドキャラとして認識できる」という事実を証明したキャラでもありますね。メイドコスの格ゲーキャラというと『カオスコード』の「セリアU改」が好きだけど、衣装がメイドっぽいだけでメイドキャラでは全然ない。

 世間的にはそれほど有名じゃないけど個人的に深く刺さっているのが『終わりのクロニクル』の「Sf」や「八号」、Sfは「大城・至」というキャラに仕える自動人形のメイドで、主人の言うことをあまり聞かないタイプなのだが、至自体が相当なひねくれ者なので「割れ鍋に綴じ蓋」感がすごい。八号は当初敵として登場するが、そこから味方になるタイプのメイド。サブキャラなので活躍するシーンは少ないが、その少ないシーンでガッツリと印象を残していく。それと2005年発売のエロゲ『ひめしょ!』に出てきた「ミシマキョーコ」、元メイドであってメイドキャラではないのだが作中で「メイドとは貴人のそばに侍る者、すなわちサムライであり武芸を嗜むのは当然のことである」と「メイド=侍」理論を唱えて度肝を抜いた。「侍女」と書いて「サムライレディ」と読ませる、みたいなノリ。『ひめしょ!』は主人公「ヤガミコハル」の母親も元メイドで、功績著しかった彼女が褒美として王様の寵愛を望み、その結果主人公を身籠った……という設定だからこの「メイド=侍」理論がストーリーの根幹に関わっており、単なる与太じゃなくなっているんですよね。

 2010年代はリゼロこと『Re:ゼロから始める異世界生活』に登場した鬼の血を引く双子メイド、「ラム」と「レム」が人気キャラとして君臨している。特にレムの方は人気キャラなのに途中で寝たきりになってしまうせいで、「もしスバル(主人公)があのときレムと一緒に逃げ出していたら」というifストーリーまで書かれている始末である。「メイド=侍」理論じゃないけど、メイドという存在は基本的に「高貴な存在に仕える使用人」というポジションなので「護衛として戦闘力を備えている」って解釈が一般的で、リゼロもそこから大きく外れてはいない。戦うメイドの種類は「1.護衛目的で戦闘力を備えている」「2.護衛以外の目的で戦闘力を備えている」「3.前職が軍人や暗殺者だった(ロボの場合は兵器として作られた)のでたまたま戦闘力を備えているだけ」の3つに大別されます。ほとんどの場合は1で、たまに3がある程度、2に分類されるメイドは「戦うメイドが普遍化していて殲滅や暗殺に特化したメイドもいる」という『モエかん』みたいな世界を除くと少々珍しい。『メイド刑事』の「若槻葵」は「潜入捜査を主軸とする特命刑事で、メイドというのは表向きの顔」だからこの珍しい2に該当するが、「護衛以外の目的で戦闘力を備えているメイド」って「それはメイドの皮をかぶった別の何かでは?」という疑問が立ち上ってくる存在なんですよね。メイド同士が争う『アキバ冥途戦争』も2に該当するだろうが、アレは「メイド喫茶に勤務する店員」をメイドと呼んでいるので最初っから「メイドっぽい何か」である。

 2000年代頃は「メイドさんが戦闘力を備えている」ことにある種のギャップが生まれることでブーム化した「戦うメイド」であるが、2010年代に差し掛かると属性として一般化し、「メイド=侍」理論よろしく「メイドさんが戦うのは当たり前だよね」という倒錯した認識が浸透していって「戦うメイド」という表現が徐々に陳腐化していったように思える。「戦闘に不向き」という理由からさほど多くなかった巨乳メイドも、大陸から流入してきた『アズールレーン』の「ロイヤルメイド隊」により見慣れた景色となってしまった。属性として普及した一方、「そば付きのメイドが実はメチャクチャ強い」という本来サプライズであった事柄がサプライズではなくなり、2020年代以降は「戦うメイド」や「戦うヒロインのメイドコス」が話題に上る機会は減少していったと感じています。いないわけではないが、「珍しくない」から話題になりにくい。最近『SAKAMOTO DAYS』のソシャゲにメイド衣装の大佛が実装されて個人的にかなりグッと来たのだが、ビックリするほど話題になっていません。『アンデッドガール・マーダーファルス』の「馳井静句」も、20年くらい前ならもっと語られまくっていたのではないだろうか。プレーしていないからよく知らないが『ゼンレスゾーンゼロ』に「ヴィクトリア家政」という派閥があって「戦うメイド」がいっぱい出てくるらしく、気になっている。特にリナさんこと「アレクサンドリナ・セバスチャン」は糸使いみたいな動きでメチャクチャにカッコいい。それと、今度『ヒロイン?聖女?いいえ、オールワークスメイドです(誇)!』という作品がアニメ化されます。「乙女ゲームの世界を救う聖女ヒロインに転生する」という転生モノの一種なんですが、主人公の「メイドになりたい!」って気持ちが強すぎて世界を救うことよりもメイド道を邁進することに全力を注ぐ、戦いたくないタイプの「戦うメイド」です。一周回ってロゼッタ・バルロワの時代が来てしまったか……?

 単なる思い付きですけど、2010年代から「なろう系」が台頭し、それまでメイドキャラが担当していた領分を「なろう系によく出てくる奴隷ヒロイン(ロクサーヌやラフタリアなど)」が侵犯するようになって、「戦うメイド」の存在感も薄れていったのではないでしょうか。もちろんなろう系にもメイド物はある(『MAIDes―メイデス―メイド、地獄の戦場に転送される。固有のゴミ収集魔法で、最弱クラスのまま人類最強に。』とか)し、奴隷ヒロインが主人公のメイドになる展開もままありますが、「言うことを聞いてくれそうな存在」という幻想が「包容力のあるメイドさん」のイメージから離れて「可哀想な境遇から救い出してくれた主人公を崇敬している奴隷ちゃん」にシフトしつつあるのを肌で感じている。いつか「戦うメイド」がふたたび熱い視線を向けられる日は来るのだろうか……そんなことを思いつつ、「朱雀院都子」が出てくる『-KATANA Project CompleteBox- 煌花絢爛』の箱を撫でている。この“KATANA”シリーズ、気になっていたけど放っているうちにどんどん新作が出て手を伸ばしづらくなっていたんですよね。ちょうどいいタイミングでCompleteBoxが発売されてよかった。

 ふう、書きたいことを書き散らすことができて満足した。最後にマイナーな「戦うメイド」ものを紹介して締めくくろう。2006年に「May-Be Soft」から発売された『メイドさんと大きな剣』です。どちらかと言えばエロ重視な作風のMay-Be Softにしては珍しく「大剣使いのメイド」をメインに据えたエロゲであり、開発者が『アルカナハート』の「フィオナ・メイフィールド」にハマったのか? と首を傾げたくなるが、実のところ『アルカナハート』よりもこっちの発売の方が先である。当時は『Fate/stay night』が記録的なヒットを飛ばしていて、各社が慣れない「燃えゲー」や「バトルもの」を作ろうと試行錯誤していた時期でした。「小柄な少女がデッカい武器を構える」ギャップに萌える(燃える)層は昔から存在しており、エロゲでも『吸血殲鬼ヴェドゴニア』(2001年)の「モーラ」(武骨なスレッジハンマーを振り回して戦う)という先例が存在している。発売当時の感覚からすると『魔法少女リリカルなのは』(2004年)の「フェイト・テスタロッサ」や『魔法少女リリカルなのはA's』(2005年)の「ヴィータ」あたりが代表格だろうか。『ストライクウィッチーズ』や『艦これ』も大まかに言えばこのジャンルに属しているだろう。現在もひっそり脈々と流れは続き、『アサルトリリィ』という異形の大輪を咲かせていたりします。「三枝零一」のライトノベル『魔剣少女の星探し』には「17の刃を束ねた」という大剣「十七(セプテンデキム)」が出てくるから、このジャンルの最先端と言っていい。

 閑話休題。公式自ら「このミスマッチがたまらない。」と謳った『メイドさんと大きな剣』は物珍しさもあり、「萌えと燃えとエロ全部取り」な内容を期待していたユーザーもいたのですが……蓋を開けてみると「メイド同士の模擬戦」が延々と続く、バトルものとしてはいささかしょっぱい代物でした。作中に「メイド連合協会(MAID UNION SOCIETY、略してMUS)」というメイドを育成する組織が存在しており、このMUS自体は別に武装組織ではなく普通にメイドを育てる機関で、表向きには「オールワークス」(全ての作業をこなせるメイド)が最上ということになっているが、実はオールワークスよりも上に「アナザー・ワン」なる超法規的な武力を持つ特別階級メイドが存在している。アナザー・ワンは主を守護するために大剣を所持することが許されています。なんでメイドが帯剣するの? メイドとは別にボディガードを養成すればいいのでは? って疑問も湧くが、この作品は「奉仕の心は捧士の心」と「メイド=侍」みたいな理論を取り入れているのでそこは無視しよう。銃やナイフや格闘術ではなくわざわざ大剣を所持するということは「大剣で示威する」ことが狙いなのか? それとも「大剣でないと下せないモノ(人外の化物など)」とやり合うことを想定しているのか? という根本的な疑問点に関してかなりフワフワしているのが問題なんです。つまりアナザー・ワンを「秘められた存在」であるかのように語りつつ「アナザー・ワンはシンボルとして大剣を帯びる」(当然だがメチャクチャ目立つ)、この明らかな設定的矛盾が解消されていない。あの未完の大作『モエかん』ですら粛清メイドや殲滅メイドは仮面やマントで容姿を隠しているというのに、メイ剣のメイドたちは思いっきり素顔を晒しているし。いや、冷静に考えるとマントや仮面で容姿を隠すメイドって何だ? それってメイドの必要ある?

 一応、アナザー・ワンに対抗しうる存在として「ビスクドール」と呼ばれるメイド型の戦闘アンドロイドが登場するのですが……このビスクドールは対アナザー・ワン兵器として開発されたものであり、MUSを敵視する「環家」が送り込んできた刺客で、メイド型なのもMUSへの当て付け(「女中ごときが守護騎士を気取るなど烏滸がましい」というメッセージを篭めている)らしい。つまりビスクドールや環家はMUSにとって「本来の敵」ではない……と思われるのだが、環家に関しては詳述されないので争いの根本がよくわからないんですよね。「錬金術や呪術や魔剣の研究に耽っていて何か悪い事を企んでいそうな連中」という漠然とした情報しかない。これまで「大剣」としか書いていなかったからイメージしにくかったであろうが、『メイドさんと大きな剣』には「聖剣」や「魔剣」といった伝承レベルの常軌を逸したアイテムが次々と出てくる。具体名を挙げると「バルムンク」や「カラドボルグ」などだ。伝承上の剣そのものではなく、科学技術で再現したレプリカだったりするが、中には喋る魔剣――いわゆる「インテリジェンスソード」――も出てくる。「いったい何と戦うためにこんな凄まじいものを持ち出してきたんだ???」と疑問符で頭がいっぱいになってしまう。チンピラや強盗を撃退するなんてチャチなもんじゃない、明らかにドラゴンとか魔王とか華悪崇を斃す域の戦力だろ。超必殺技というか、Fateの「宝具」に相当する絶技が存在するんですけど、その名称がなんと「メイドのミヤゲ」――ギャグじゃねぇか! って叫びたくなるものの「街の一区画は軽く吹っ飛ばせる」威力なのでちっともギャグではなく、リアクションに困る。そんなブロックバスターメイドを輩出していったい何をしようとしているんだ、MUS……。

 つまるところ『モエかん』みたく話が膨らみ過ぎて収拾がつかなくなるのを防ぐためにビスクドール以外の敵を出さないようにしたけど、そのせいで「メイドさんが大剣(聖剣や魔剣)を所持する」ストーリーに説得力を持たせることができなくなってしまった悲しいゲームなのです。無理に理想を追い求めず現実的なところで妥協して発売に漕ぎつけたのは、翌年に未完成状態で売り捌いて「怒りの日」を引き起こした『Dies irae』とは対照的だ。惜しいところもあるし続編を期待した人も多かったけど、開発元であるMay-Be Softはもう10年以上新作を出しておらず、実質的に解散状態なので『メイドさんと大きな剣2』が発売される可能性も既にありません。全ては過去、終わったことだ。

 シナリオゲーを期待した人にとってはガッカリする出来に終わった『メイドさんと大きな剣』であるが、コミカルな掛け合いによってキャラクターを立てることには成功したし、一定程度の人気は獲得しました。ヒロインみんな可愛いし、エロシーンも多いので、シナリオのツッコミどころに目を瞑れば満足できないこともない。過剰な戦力を持ちながらやってることが模擬戦ばっかりで緊張感に欠けるのが難点ですが、2006年当時の水準からすれば戦闘シーンの演出もかなり頑張っている部類である。コンセプト上仕方ないこととはいえ主人公が「女の陰でバトルの解説」に終始するキャラになってしまったから、「主人公が戦わないと燃えない」人には不向きなんだけど……一応、主人公も「護られてばかりじゃダメだ」と奮起してメイドさんと肩を並べられるくらい強くなるエンディングも用意されていますが、「主人公が強くなる」ことが主題ではないからオマケみたいなものである。うーん、「戦うメイド」って先述した通り「護衛目的で戦闘力を備えている」パターンが多いからメインキャラに持ってくると「主人公がメイドに護られがち」になってしまい、見てて歯痒い感じになっちゃうので大成しにくいのかな。ロベルタみたいにサブキャラポジションの方がウケる傾向にありますね。

劇場版「BanG Dream! FILM LIVE 2nd Stage」 劇場版「BanG Dream! ぽっぴん'どりーむ!」 の配信が決定

 しれっと配信されてるからビックリした。『BanG Dream! FILM LIVE 2nd Stage』は2021年、『BanG Dream! ぽっぴん'どりーむ!』は2022年に公開された映画で、円盤にはなっていたけどネット配信されておらず気軽に観ることが難しい作品だったんですよ。MyGOやAveMujicaでバンドリに興味を抱いた層が視聴したくてもなかなか視聴できず、布教するうえでネックになっていました。私は劇場で観たけど久々に再視聴したかったのでこれはありがたい。『FILM LIVE 2nd Stage』はライブシーンだけを集めたストーリーのない映画なんで特に予備知識は要らないが、『ぽっぴん'どりーむ!』の方は3rd Seasonの最終回からそのまま繋がっている話なのでアニメの1期から3期に目を通しておいた方がいいです。ぽぴどりの後も『CiRCLE THANKS PARTY!』(ガルパ配信5周年記念アニメ)があるけど、「香澄を主人公にしたバンドリアニメ」という点ではぽぴどりがクライマックスみたいなところがありますからね。たくさんいるキャラの見せ場を用意しようとして取り留めない内容になっているところや、「トラブル発生! どうしよう!」→「みんなで力を合わせて乗り越えよう!」という展開がちょっと強引な部分はあるが、「キラキラを追い求めて香澄たちはここまで来たんだなぁ」と感慨深いモノが込み上げてきます。ジークアクスのせいで「キラキラ」の意味がちょっと変わって聞こえてるのがアレだな……いや、当時も『キラ☆キラ』のせいで違うニュアンスが混入してたけど。「本当にクソッタレなお茶でした。ごちそうさまです。ファック」

20年以上前にデビュー後、音沙汰のなかった「幻の作家」の新作がミステリー界の権威ある賞を受賞→授賞式で本人現れ「まさかあの?」「実在したのか…」

 『崑崙奴』、日本推理作家協会賞を獲ったのか。『火蛾』でデビューした年かその翌年くらいに顔出しでインタビュー受けていたから「実在していたのか……」と驚く感覚はないが、そのインタビューで言っていた「次回作は『崑崙奴』」の達成に20年以上掛かったのはさすがにビックリしましたね。ちなみに日本推理作家協会賞は現存する最古の「新人賞ではないミステリ専門の文学賞」で、団体の名前が「探偵作家クラブ→日本探偵作家クラブ→日本推理作家協会」と変わっているので賞の名前もちょこちょこ変わっていますが、面倒なので過去の受賞作も「日本推理作家協会賞受賞作」で通すことが多い。10年ほど前までは双葉文庫が日本推理作家協会賞受賞作全集と銘打って受賞作をアーカイブしていましたが、売れなくなったのか最近はもう刊行されていません。私もこの全集を揃えようとしていた時期があったけど、既に持っている受賞作が大半を占めることに嫌気が差して評論系以外はあまり買わなくなってしまった。たまに「なんでこれが?」と首を傾げるような作品が混ざることもあるが、基本的に「これは納得」という力作が選ばれる傾向にあるので一時の直木賞よりは信頼感の抱ける賞です。最近は翻訳部門も追加されたみたいだが、本屋大賞の翻訳小説部門と一緒でそんなに話題にはなってないな……。

『よなよなかちかち。〜今夜オタクくんチでエロゲやろうぜ!〜』、第7話は『行殺新選組 ふれっしゅ』

 『よなよなかちかち。』はオタクの主人公がバイト先の同僚であるチャラ男にエロゲをプレゼンする……といった体裁で過去の名作エロゲを紹介する、わかりやすく書けばエロゲ版『邦キチ!映子さん』です。読者の共感を得るためかあまりマニアックなタイトルは選ばないが、『奴隷市場Renaissance』という「こういうタイプの漫画で取り上げるとは思わなかった」作品もラインナップに含まれています。『奴隷市場』というタイトルで「陵辱系のヌキゲーかな?」と思ったら濃厚な歴史ロマン物だったという……Renaissanceはシナリオを追加してフルボイスにした、いわゆる「完全版」です。

 『行殺新選組 ふれっしゅ』も2000年に発売された『行殺新選組』にシナリオとボイスを追加した完全版です。新選組の隊士たちを美少女化するという、今ではそんなに珍しくない設定となってしまった「女体化モノ」であるが、四半世紀前の当時においては衝撃的な発想であった。リンク先でも触れられているが、女体化モノのブームを引き起こした『恋姫†無双』すら2007年の発売だ。正直、斬新すぎて広く受け容れられていたとは言い難い。「女体化モノ」である以前に単純にエロかった『恋姫†無双』と比べ、『行殺新選組』はあまりエロで勝負しないタイプのソフトだったから「コアな人気」に留まった……って面もある。

 『よなよなかちかち。』、エロゲオタにとっては思わず「懐かしい」とこぼしてしまう漫画なんですけど、ほぼ内容紹介に終始していて邦キチとか同じ路線の作品に比べるとプレゼン要素はやや弱いかな。「この漫画ならでは」の切り口がないというか、公式から許可取ってゲーム画面を引用していることもあって「あまりネタ元をイジれない」(disってると受け取られかねないような際どい表現が使えない)事情があり、そのへん少し窮屈です。などと言いつつ、「次はどんなタイトルを取り上げるんだろうな〜」と素直にワクワクしていたりもする。知名度の高い名作よりも「個性的な作品」をチョイスする傾向にあるみたいだし、それこそ『モエかん』とか『るいは智を呼ぶ』とか『Rumble 〜バンカラ夜叉姫〜』とかやってくんないかな〜。『Rumble 〜バンカラ夜叉姫〜』は恐らく現行OSで動かすのが難しいだろうけど……『とんがりギャルゲー紀行』という本で田中ロミオが『既知街』とかと一緒に取り上げたほどのタイトルなので、システムだけ改修した現行OS対応版を販売してほしいところだ。

「悪役令嬢の中の人」アニメ化企画始動、コミカライズは完結 悪役令嬢の復讐劇(コミックナタリー)

 最終話(エピローグ)読んだら最後に「アニメ化企画、始動」と出てきて驚いた。『悪役令嬢の中の人』は「小説家になろう」連載作品で、本編は既に完結しており、たまに番外編が掲載される状態です。書籍版も刊行されている。人気がブレイクしたのは「白梅ナズナ」作画によるコミカライズの影響が大きいだろう。表情の描き方が抜群に巧く、原作の魅力を何倍にも増幅させています。「メチャクチャ面白いからアニメ化してほしいな〜でも完結しちゃったから望み薄かな〜」と思っていたところにこの報せなので超嬉しい。現代日本人が乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまう……という導入自体は非常にありふれたものだが、そこから思わぬ方向へストーリーが転がっていく。「こういう転生モノって『元の悪役令嬢の魂とか意識』はどうなってるの?」という疑問を抱いたことのある方も多いでしょうが、それに対する一つのアンサーとして物語が機能しています。内容的に1クールでキッチリとラストまで駆け抜けられるだろうから、あとは制作スタッフに恵まれることを祈るばかりだ。

・映画『ベイビーわるきゅーれ』視聴。

 2021年に公開された「阪元裕吾」監督の実写映画。同監督の『最強殺し屋伝説国岡』と同じ世界が舞台になっており、本作のラストでも「京都からやってきた殺し屋」云々と国岡の存在をほんのり匂わせる描写があるものの、ストーリー的な繋がりはなく独立した作品として観ることができる。国岡を演じていた「伊能昌幸」が別の殺し屋の役で登場して瞬殺される、というシーンがあることを考えるとクロスオーバーさせるつもりはないみたい。内容は「殺し屋と殺し屋のふたりぐらし」って感じで、女子高生の間は生活に関する諸々を組織に全部やってもらっていたから殺し屋稼業に専念することができた「深川まひろ」と「杉本ちさと」が、「もう高校は卒業なんだし自立して」と組織の寮から追い出されてふたりで力を合わせて生活することになる……という、一言でまとめるなら「世知辛いノリの『リコリス・リコイル』」です。

 表の顔を持つために殺し屋だけじゃなくバイトもしろ――組織の連絡員から言われ、仕方なくバイト探しをするまひろとちさと。高額報酬に慣れているちさとにとって低賃金かつ周りに合わせないといけない正業の数々は苦痛でしかなかった。まひろに至っては面接すらろくに通らず、無職の日々が続く。そんな中、ヤクザの連中と揉めたことで、一銭にもならない抗争へ身を投じるハメに……という、非日常色が強いストーリーにも関わらず生活感がすごい変な映画です。まひろやちさとの社会不適合ぶりもさることながら、「バイトの先輩」と接するときの面倒臭さが生々しくてリアルにストレスが溜まる。一方でヤクザの凶暴さは常軌を逸しており、リアリティがあるかどうかで言えばあんまりない。でもなんか生々しい。筆舌に尽くしがたい「何か」がある映画で、魅力を伝えるのが難しいんですよ。

 ただ、アクションシーンは爽快感があって単純に観ていて気持ちいい。「アクションシーンだけでストーリーは作れない」んだけど、アクションシーンを盛り上げるのはやっぱり「そこに至るまでのストーリー」であり、アクションシーンのみ切り取って観ても面白くはありません。人見知りでバイトの面接もまともにこなせないような社不丸出しのまひろが、「どうせこいつらとは今日でお別れだから」なターゲットたちに対しては物怖じせずに向かっていけるの、なんか説得力があってアクションシーンの迫力を倍増させる。この映画を観て「よし、私も殺し屋になろう」と思う人はまずいないだろうが、それはそれとして肩の力が抜けるというか元気が貰える作品でした。

 2023年に続編の『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』、2024年に3作目の『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』が公開されており、更に『ナイスデイズ』と連動するテレビドラマ『ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!』も去年放送されています。とりあえず『2ベイビー』は近々観るつもり。『ナイスデイズ』と『エブリデイ!』は配信しているサイトが現在U-NEXTのみなので検討中。ちなみに阪元裕吾の監督作品に『ある用務員』というのがあり、そちらにも女子高生の殺し屋コンビが出てきて、しかもキャストがまひろ役・ちさと役の人と同じなんですが「あくまで別人」という扱いです。設定上の繋がりはないが「まひろとちさとのプロトタイプ」と見做せなくもないし、観客側が勝手に「『ある用務員』のスピンオフが『ベイビーわるきゅーれ』」と受け取るのもアリっちゃアリ。


2025-05-23.

・FGOの「冠位戴冠戦:Saber」が始まり、早速クリアしてグランドセイバーを「アストルフォ(セイバー)」にした焼津です、こんばんは。

 最初は無難にアルトリアにするつもりだったけど、選択画面でアストルフォの顔を眺めているうちに“癖”を抑え切れなくなって選んでしまった……後悔はしていない。とりあえずこの機会にレベルも110まで上げておいた。今後グランド鯖を誰にするか、決めているのはライダー(牛若丸)くらいで、他についてはまだ若干迷っている。たとえばアーチャーは「浅上藤乃」を考えているけど、そうするとアサシンを「両儀式」にしたくなるよなぁ……って具合に「兼ね合い」も視野に入ってくるし。各クラスごとに最低2騎は候補がいるのでギリギリまで検討を重ねることになりそう。

 で、早速フレ冠位とともにグランド剣トルフォで武蔵ちゃんをしばき倒してますが、“癖”の域を超えた強さで唸ってしまった。1ターンは無理だけど2ターンか3ターンで最高難易度も周回できています。それはそれとして奏章Wもそろそろクリアしないとな……だいぶ後半に差し掛かっているのでもう一息、のはず。

正義のマントを覇王≪はお≫って参上!『魔法少女イナバ』連載開始

 読切で掲載されて話題になった短編漫画を連載化したものです。読切の続編ではなく連載向けに作り直した感じ。1話目の大まかな流れは読切版とほぼ一緒ですが、後半の展開が異なるので「読切で読んだんだよな」って人も連載版を読もう。荒れた家庭で育ち、『魔法少女イナバ』というアニメ番組だけが心の支えだった女性「城戸兎衣(キド・ウイ)」が「私も魔法少女としてか弱き人々を照らす光になろう」と決意して自作のコスプレ衣装を身に纏って自警活動を繰り広げる、つまるところ「絵柄の可愛い『劇光仮面』」だ。「困っている人を見過ごさない」という正義感が行き過ぎているせいで社会に馴染めず、バイトを転々としている。彼女の静かな狂気を淡々と描いており、「バイト中はコスプレ禁止!!」と言われて真顔で「あの…すみません」「コスプレではなく“変身”です」と返すシーンは何度見ても怖い。アニメのイナバは明るい性格の女の子だからそれを模倣して「明るい言動」を行っているという、主人公の空虚さというか「内実のなさ」が切ないです。人格を有さない、純粋な「光」として闇夜を駆け抜けようとしている兎衣ちゃんの生を見届けろ。

・ネットフリックスの『新幹線大爆破』を視聴。

 1975年に公開された東映の映画『新幹線大爆破』のリブート作品……という体で配信された、ストーリーとして続編に当たる映画です。つまり内容的には『新幹線大爆破2』と題すべき作品なのだが、それだと新規の層が食いつかないだろうから、とリメイクみたいな振る舞いをしていたわけだ。『シン・新幹線大爆破』みたいなクソダサいタイトルになるよりはマシだし、「ストーリーとして続編に当たる」だけでオリジナル版を観てないと内容が理解できない、というほどでもありません。「かつて『ひかり109号』に爆弾が仕掛けられる事件があった」程度の設定を呑み込んでおけば充分であり、いきなりリブート版から視聴し始めてもOKです。

 新幹線車両センターとしては最北端に位置する「盛岡新幹線車両センター青森派出所」、車掌の「高市和也」(草g剛)は修学旅行で見学に来ている高校生たちに新幹線の案内をしていた。何の変哲もない、いつも通りの日常業務。それが新青森発東京行きの「はやぶさ60号」に乗り込んでから一変する。「はやぶさ60号に爆弾を仕掛けた、時速100km未満になると爆発する」という電話がJR東日本に入り、デモンストレーションとばかりに貨物列車が爆破される。この脅迫は本物だ――確信したJRはすぐさま他の列車の運行を取りやめ、はやぶさ60号のために線路を空ける。パニックを引き起こさないため当初乗客には爆弾の件を知らせなかったが、政府からの命令で乗客たちに脅迫の事実を知らせることになり、案の定パニックが発生する。脅迫者の要求は身代金1000億円。しかし「受け渡し方法についてはそちらに一任する」などと、本気で受け取るつもりがあるのかわからないようなことを言い出す。高市たちは乗員と乗客の命を守るため、必死に救助案を捻出するが……。

 警察と犯人の駆け引きが目立っていた1975年版に対し、こちらは草g剛演じる車掌が獅子奮迅の大活躍を見せる内容になっていて、同じ趣向の映画でありながら受ける印象はだいぶ異なる。最初から犯人グループの姿を描いていた1975年版と違い、こちらはかなり後半の方になってようやく脅迫犯の正体が判明する構成です。警察の出番は少ないし、必然的に駆け引き要素も少なくなっているので、クライム・サスペンスというよりはディザスター・ムービーに近いノリだ。視聴者のほとんどが納得できないであろう犯行動機といい、いわゆる「人間ドラマ」めいた部分はかなり弱く、1975年版のノリを期待するとガッカリするかもしれませんが、「新幹線映画」としては明らかにリブート版の方へ軍配が上がる。「ギリギリのタイミングで線路を切り替えてすれ違わせないといけない」場面で車体を擦るシーンとか、スリル描写が濃厚で純粋にハラハラする。映画好きや評論家は高倉健や千葉真一や宇津井健の熱演が光る1975年版の方を評価するだろうけど、大半の視聴者はリブート版の方が「面白かった」と感じるでしょう。私もコレの後で久々に1975年版を観て、いい映画だとは思ったけど「さすがに50年前の映画を今の水準で観るのはキツいな」と溜息が出ました。国鉄の許可が下りなかった(それどころか上映を中止するよう働きかけてきた)せいもあり、指令室のセットがショボかったり車窓の風景があからさまにハメ込みだったり、正直「現実を忘れて没入する」映像にはなっていないです。

 今回はJR東日本の協力もあって映像的にはかなり説得力のあるものに仕上がった(反面、犯行を模倣されたくないからであろうが爆弾設置の手順に関しては不明点が多く、犯罪モノとしてはリアリティの欠ける話になっている)。「脅迫犯との駆け引き」を削って救助計画の方に尺を回したのも、「視聴者の観たいモノ」を鑑みれば英断であろう。パニックに陥る乗客の様子は紋切り型でちょっとウンザリしましたけど……雑なトロッコ問題の提起といい、ホントにこの監督(樋口真嗣)は人間ドラマに興味がないんだなぁ、と逆に感心するレベルに達している。これがネトフリ資本じゃなく邦画だったら恋愛要素とかも強引に入れてきてもっとヒドいことになっていたかもしれない、と考えたら「この程度で済んでよかった」と捉えるべきか。止められない新幹線、そしてそれをどうにかするために奮戦する現場の作業員たちを映すカメラは活き活きとしていて、「撮りたいモノを撮ってる」感はちゃんと伝わってきます。樋口真嗣ならたぶんこのネタやるんじゃないかな、と与太で言っていたことが実現したときは笑ってしまった。

 タイトルそのまんま、新幹線がコナン映画ばりに大爆発するシーンで盛り上がりたい! という人にオススメ。リアリティよりも「カッコ良さ・見映えの良さ」を重視しており、「緻密な犯行計画」だの「重厚な人間ドラマ」だの「深いメッセージ性」だのには期待しない方が吉。『新幹線大爆破』に一度も触れたことがない人は、とりあえず2025年版から観て、気になるようだったら1975年版も観る――ぐらいの気持ちで軽く挑めばいいと思います。


2025-05-14.

・定期的に余り気味になる「チャンピオンクロス」と「ヤンチャンWeb」のすぐ無料チケット、期限切れで消滅するのも勿体ないしちょうどいい使い先ないかな……と探して発見した『アイドルミーツアイドル!』『スカベンジャーズアナザースカイ』が面白かったのでオススメしたい焼津です、こんばんは。

 『アイドルミーツアイドル!』は令和の地下アイドル「愛ヶ沢なも」がタイムスリップし、憧れの昭和アイドル「四方井琴乃」に出逢う――というタイトルそのまんまなストーリー。琴乃は「謎の引退」によって消息不明になっており、「なぜ人気の絶頂にあった琴ちゃんが芸能界から去っていったのか?」を巡るミステリでもあります。令和の世において「会いに行けるアイドル」は珍しくないが、昭和だとアイドルというのは「テレビで観るモノ」であって生身のアイドルと顔を合わせる機会はそうそうない。これがブレイク後なら「詰んだ」としか言いようがないけれど、幸いなことに琴ちゃんはまだ駆け出しで人気もあまり出ておらず、なもは多少不審がられながらも近づくことができた。「自分もアイドル志望」と打ち明け、流れで琴ちゃんの後輩になることに……てな感じで、今のところ「未来を知っているアドバンテージ」はあまり活かされていないが、「天束朝美」という別のアイドルの未来に関して何か知っているみたいで、次回あたり「この物語が歴史改変モノなのか否か」がハッキリすることになりそうだ。

 『スカベンジャーズアナザースカイ』は「第一種猟銃免許」を所持しているという漫画家「古部亮」によるガンアクション。タイトルで「『スカベンジャーズ』という漫画かゲームがあって、それのスピンオフなのかな?」と思ってしまったがそんなことはなく、あくまで『スカベンジャーズアナザースカイ』という題名のオリジナル作品です。略称は「スカスカ」。分類上は「異世界探索モノ」になるのかな。「ブラックパレード」と呼ばれる異界に送り込まれ、様々な「お宝」を持ち帰ってくる収集隊(スカベンジャー、世界中から集められた身寄りのない少女たちによって構成される部隊)の活躍を描く。『リコリス・リコイル』と『アサルト・リリィ』を混ぜたような話で、ノリとしては「現代ダンジョン攻略」に近い。固有の用語が多くて読み出した直後は混乱するかもだが、細かい部分を無視して「ブラックパレード=一種のダンジョン」と解釈してもらえればグンと読みやすくなる。

 童顔の女の子たちが重傷を負いながら激しいバトルを繰り広げるという、非常にチャンピオンらしいテイストの作品で、血腥いのが平気な人であれば引き込まれるだろう。モシンナガンを「モ神様」と讃えるキャラが出てきたりと、個性的な面子が多くて読み飽きないし、進むにつれて異能バトルめいた側面も強化されていく。「ブラックパレードから帰還すればあらゆる負傷は治る」が、負傷したこと自体が「なかったこと」にはならないので深刻な後遺症に悩まされる……と、設定がややシビアなのでバトルにも緊張感が生まれている。そしてもし、帰還できなかった場合は……いや、言うまい。過酷な環境の割に女の子たちの関係がギスギスしてないのは「いい子」以外は訓練課程で間引かれるから――などといった闇の深い設定もあり、クソみてえな組織に叛旗を翻す造反者たちも蠢いていて勢力図は混沌としている。深見真とかアサウラが好きそうだな、と考えながら読んでいたら3巻の帯で推薦文を書いていたのがまさにアサウラで噴いた。「殺伐としたブルアカ」という形容に笑いつつ納得してしまう、「いま個性的な漫画が読みたい」アナタにイチ推しの力作です。

『魔剣少女の星探し』、「カクヨム」で書き下ろし短編シリーズ「魔剣少女の星探し特別編」開始

 宣伝目的で書き下ろされた番外編で、時間軸としては本編より前だから本編未読でも大丈夫です。1巻の冒頭で主人公の一人(『魔剣少女の星探し』はファンタジー版『三匹が斬る!』なので主人公が三人いる)「リット」が年齢を聞かれて「先月、十五に」と答えていましたが、特別編の1編目「魔剣少女と旅の酒場」では「再来月には十五に」と発言しているので約3ヶ月前ですね。彼女は故郷である南方王国(オースト)から大陸中央の「セントラル」に向けて移動しており、徒歩だったため出発から到着まで1年くらい掛かっているのですが、本編はこの「リットちゃんの一人旅」に関してはバッサリとカットしていて詳細が綴られていなかった。だから既読者にとっては嬉しい内容である。

 内容としては「旅人である主人公が旅先でならず者たちに遭遇して懲らしめる」というシンプルなもので、ごく単純に痛快さを堪能できる仕上がりになっています。2編目、「魔剣少女と迷い猫」は二人目の主人公「クララ」のエピソード。「十二頭のゴーレム馬が曳く鉄道馬車」という劇場アニメでもないかぎり映像化されないだろうな……という代物がいきなり出てきて笑ってしまう。こちらも本編より前の出来事で、クララが迷い猫とおぼしき黒猫を拾ったことがキッカケで街をゆるがす騒動に巻き込まれる、といったもの。クララのムチャクチャな強さが伝わってくる活劇譚です。3編目の「魔剣少女と大演劇」は「ソフィア」が主人公、やはりキャラ紹介の色合いが強い。成り行きで演劇の女優をするハメになったソフィアは、舞台の上でアドリブを演じることになり……「悪役を成敗する」話が続いたので、少し趣向を変えた感じ。明日も4編目を更新予定とのことで、楽しみに待っています。

TVアニメ「対ありでした。」ティザーPV公開、作中で「ストリートファイター6」とコラボ(コミックナタリー)

 PVの最後にキャストが表示されるのですが、「長谷川育美」「市ノ瀬加那」「下地紫野」と「月姫リメイクじゃないか!」って面子で噴いた。月リメでは長谷川育美がアルクェイド、市ノ瀬加那が翡翠、下地紫野が秋葉を演じています。さておき『対ありでした。』はお嬢様学校で周囲の目から隠れて格ゲーに熱中する少女たちを描いた漫画で、かなり早い段階(単行本の2巻が出た頃)にアニメ化が決定したのですが、発表が早すぎたのか放送まで4年以上も掛かる状態になってしまった。あまりにも音沙汰がないので「話がポシャったのか?」と疑った時期もありました(2023年にドラマ版が放送されたときもアニメ版の進捗はまったく明かされなかった)けど、やっと今年中に放送することが決まったようです。

 で、『対ありでした。』の作中には『ストリートファイター』シリーズをモデルにしたとおぼしき架空の対戦格闘ゲーム『Iron Senpai』シリーズが登場するんです。主人公たちがプレーしているのは『Iron Senpai4』、通称「π4」です。ただし作中の設定では「現在女子高生の主人公が小学生の頃にπ2が大流行していた」ということになっているので、『ストリートファイター』シリーズの年代と『Iron Senpai』シリーズの年代が完全に一致しているわけではありません。とはいえ誰がどう見ても「元ネタはストリートファイターだな」と分かる内容だっただけにカプコンの許可とかどうなるのか不安な部分だったが、ドラマ版同様「コラボ」という形で凌ぐようだ。ストXだったドラマ版に対し、アニメ版では最新のスト6が採用される模様。アニメで『Iron Senpai』が観れないのはちょっとショックというか、「谺ァ!」が幻になりそうな事態に動揺している。

 『Iron Senpai』には「鋼先輩」という「リュウ」に相当するキャラが登場するのですが、ストーリーの途中でアップデートにより「谺」という新たな必殺技が追加される。一種の当て身技で、多くのプレーヤーからは「使いにくい」と判断されて評価を得られないのですが、鋼先輩使いの「夜絵美緒」は何とか使いこなそうと試行錯誤する……という展開があるんです。しかし、スト6のリュウには当て身技が存在しないんですよね。そもそもスト6は2023年発売なので、2020年に連載を開始した『対ありでした。』に取り入れられるわけがない。このへんの擦り合わせに時間が掛かってアニメ放送の時期が遅れたのかな。対戦時の駆け引きが肝ですから、格ゲーパートに関してはアニメでだいぶ変わる可能性もある。原作者「江島絵理」の前作『柚子森さん』にも、内容は違うが「谺」という名称の奥義が存在しており「よっぽど気に入ってるんだな」というネーミングだし、「あんなに使いにくい技をうまく使いこなしている!」という感動に結び付く要素なので、何とか残してほしいが……「対ありコラボ」としてスト6に谺相当の技が追加されでもしないかぎり厳しいだろうな。

・今野敏の『任侠梵鐘』読了。

 “阿岐本組”シリーズ第7弾。タイトルに必ず「任侠」と入るので“任侠”シリーズと呼ぶ向きもある。今野敏の作品は多くが共通の世界を舞台にしており、「阿岐本組」というのも他のシリーズでちょくちょく登場します。ヤクザなのだが構成員はほんの数名という小所帯で、あまりにも規模が小さいため指定暴力団にはなっていない。組長の「阿岐本雄蔵」も若い頃はいろいろ悪事を働いたらしいが、今は高齢ということもあって大人しくしている。小さなシノギでほそぼそと稼ぎつつ警察から睨まれている、どこにでもいるような「ケチなヤクザ」そのものの阿岐本組だが、昔気質で義理人情が大好きな阿岐本はことあるごとに厄介事に首を突っ込んでしまう……という、今となっては珍しくなりつつある任侠コメディです。話の展開はパターン化しており、「阿岐本のところに『潰れかけの〇〇があって何とかしたい』という相談が持ち込まれる」→「『時代の流れには逆らえないが、何とかしてやりてぇ』と立て直しに乗り出す」→「何とかなる」、これをひたすら繰り返します。これまでのシリーズ作品は『任侠書房』『任侠学園』『任侠病院』『任侠浴場』『任侠シネマ』『任侠楽団』と、タイトルだけ見ればだいたいの内容がわかる仕組みとなっている。

 淡々とした調子で読みやすく、ユーモアもあって面白いのだが、「ヤクザを美化している」と受け取られかねないためかシリーズ2作目の『任侠学園』以外は映像化しておらず、今野作品としては「有名じゃないけどマイナーというほどでもない」微妙な位置づけに収まっている。シリーズ累計で95万部と、あと少しのところで100万部に届かないあたりも絶妙だ。阿岐本組、みかじめ料とか取っているわけでもないみたいだし、普段何をして生計を立てているのかよくわからない不気味な集団と化していて得体の知れないところはありますが、少なくとも『忍者と極道』みたいに派手な真似はしていないのであまり細かいことを気にしなければエンジョイできる小説です。平たく言ってしまえば「ヤクザ版の『水戸黄門』」なんですよね。

 『任侠梵鐘』はまた例によって「潰れかけの寺を立て直す」みたいな話なんだろう……と思って読み出したが、今回は少しバターンから外してきています。まず、阿岐本のところに来る相談が寺じゃなくて神社絡みなんですよ。毎年神社の境内でお祭りがあって、神農系、いわゆる「テキヤ」が屋台を出していたのですが、暴対法の絡みもあって「今年はテキヤを入れない」と断られてしまった。神社の神主はテキヤに対して割と好意的な人だったので、急に掌を返してきたことに戸惑っている。今更「出店させろ」と迫るつもりもなく屋台に関しては諦めているが、せめて事情が知りたい……兄弟分から相談された阿岐本は舎弟に命じて神主のところへ話を聞きに行かせる。こんな感じの導入で、今までのシリーズ作品と違って「明確なトラブル」がなく曖昧模糊とした雰囲気でストーリーが進行していく。神主から事情を窺うと、「住民団体の方で『テキヤを排除すべき』という活動が盛んになっていたため逆らえなかった、最近はお寺の方にも住民からの抗議が来ているらしい」というような話を漏らす。流れで寺にも話を聞きに行ったところ、「鐘を撞く音がうるさい」と騒音問題に発展していて……。

 寂れた寺ではあるが別に潰れかけというわけではなく、今回は「立て直しに尽力する」という「いつものアレ」ではないんです。なので「ビジネスとしてのお寺」にスポットを当てるような内容を期待していた人にはガッカリかもしれませんが、話がどこに向かって転がっていくのかなかなかわからなくてワクワクします。寺の和尚もことあるごとに「国が滅ぶよ」と大袈裟なことを言い出すオッサンでキャラが立っていて面白い。ちなみに今野敏とは関係ないが「ビジネスとしての神社」にスポットを当てた『氏神さまのコンサルタント』という完結済み漫画があるので、興味がある方は読んでみてください。

 パターンを外してきているけど、仕上がりとしては「安定の今野敏」で満足度が高い。若い読者からすると「あまりにも淡々とし過ぎている」って不満が生じるかもしれませんが、歳とってくるとこれぐらいサラッとしている方がちょうどいいんですよ。『マル暴甘糟』の「甘糟達夫」も登場するので、“マル暴”シリーズと合わせて読めば面白さが増す……んだけど、問題は“マル暴”シリーズってそんなに面白くないんですよね。マル暴(組織犯罪対策係)の刑事なのに気弱な青年で、ハッキリ言って弱腰。だけど憎めないキャラクターのおかげでヤクザも気を許してしまう……というコメディながら、あまり設定を活かし切れていなくて盛り上がりに欠ける。“任侠”シリーズ以外の今野敏コメディでオススメなのは『膠着』、「くっつかない糊」という失敗作を「くっつかないからこそ売れる!」と営業マンが奮闘するお仕事小説です。


2025-05-06.

・ようつべで配信している『うまゆる ぷりてぃ〜ぐれい』、アニメ版シンデレラグレイに合わせての配信みたいだからシングレキャラをメインに展開していくのかな……と思ったら2話目の「八つ橋村〜名探偵セイちゃんの事件簿〜」で早くもシングレ要素が消失していて笑ってしまった焼津です、こんばんは。単なる『うまゆる』の2期やんけ。

 「セイちゃん」こと「セイウンスカイ」は芦毛なので、「最低でも1人は芦毛が出ていればOK」というゆるゆる判定みたいです。ウマ娘のセイウンスカイは「普段ボンヤリしているのにここぞという場面で鋭い観察眼を見せる」というキャラだから探偵役に抜擢されたのだろう。ちなみに中の人(鬼頭明里)は『虚構推理』のおひいさま(岩永琴子)を演じている。「八つ橋村」の元ネタはもちろん『八つ墓村』なのだが、『八つ墓村』は何度も繰り返し映像化されているため複数のバージョンが存在します。探偵役の「金田一耕助」を演じた俳優も何人もいるし、何なら金田一が出てこないバージョンの『八つ墓村』すらある。金田一役に関しては数多くの映画に出演した「石坂浩二」が印象に残っている人も多いというか、現在流通している「金田一耕助のビジュアルイメージ」を確立させたのが石坂浩二である。ボサボサ頭にチューリップハット、羽織袴に下駄という格好。「高倉健」の金田一耕助とか、ボサボサ頭じゃないしジャケット姿でサングラスを掛けている。「中尾彬」の金田一耕助は予算の都合で現代劇ということもあってジーンズ姿、なんと「ヒッピー」のイメージを強調しています。

 本編以前の出来事だからあまり知られていない設定だが、金田一耕助は若い頃に渡米して阿片に溺れながらフラフラしていた時期があり、「ヒッピーの先駆け」と言えなくもないからそのへんのイメージを拾ったのだろう。サンフランシスコにいた頃に殺人事件を解決し、その際知り合った「久保銀蔵」というパトロン的な存在の働きかけもあって自堕落な生活をやめて日本に戻り私立探偵になった……という流れです。「サンフランシスコの殺人事件」は設定のみで具体的にどんな事件だったかは触れられていないが、山田正紀によるパスティーシュとして『僧正の積木唄』が書かれている。「アメリカ帰り」ということもあってか、実は石坂以前だと「実写版の金田一は洋装」というイメージが強く、原作準拠の和装な金田一像が定着したのは70年代以降、「市川崑」監督の映画版がヒットしてからである。ちなみに石坂版の金田一はトランク片手に移動するシーンが目立つけど、あれは映画オリジナルのキャラ立てで原作にはない要素だ。

 「じゃあこの八つ橋村は石坂浩二版のパロディなのか?」といえばさにあらず。なぜなら「石坂浩二が金田一耕助を演じた実写版の『八つ墓村』」は存在しないからです。CMの「たたりじゃ〜」が流行語になった映画版『八つ墓村』の主演は「渥美清」。原作者の「横溝正史」は興行上の理由とはいえ金田一役の俳優がイケメンばかりであることに不満を感じ、金田一役に渥美清を推した……という経緯がある。ならなぜ同時期にやっていた金田一映画では石坂が出演していたのかというと、配給が違うからです。「野村芳太郎」が監督した『八つ墓村』は「松竹」で、市川崑監督の石坂金田一シリーズは「東宝」。先に映画化が決まったのは『八つ墓村』の方なんですが、製作を巡って角川と松竹が揉めたため「他の作品は松竹以外で映画化しよう」と角川が金田一シリーズの企画を東宝に持ち込み、東宝とはあまり揉めなかったおかげで話がスムーズに進んで『八つ墓村』よりも先に『犬神家の一族』が完成して上映されることになった。遅れて公開された『八つ墓村』も大ヒットしましたけど、角川と松竹の対立は根深く、その後松竹配給の金田一映画が作られることはなかったので麦藁帽を被った渥美清版金田一は一作こっきりとなってしまった。そして当時は映画化権を松竹が握っていたこともあり、石坂浩二版『八つ墓村』も幻となりました。

 要所要所にアイキャッチが入る演出から察するに「古谷一行」のドラマ版『八つ墓村』が元ネタでしょう。映画の公開後に「横溝正史シリーズ」と銘打った連続ドラマが放送されており、2期目の第1作として放送されたのが『八つ墓村』です。古谷版の金田一も石坂版のイメージを踏襲しているので、パロディだとどっち由来なのか区別が付きにくい。なお頭掻いてフケを飛ばす癖は耳をいじる仕草に緩和されている。ぷりてぃ〜ぐれいの前期に当たる無印の『うまゆる』には「謎解きは朝食の前に」という『謎解きはディナーのあとで』のタイトルパロディ回があって、各ウマ娘が著名な探偵のパロディをするシーンが混入していた(トウカイテイオーが江戸川コナン、メジロマックイーンが杉下右京、アグネスタキオンがガリレオこと湯川学、マチカネフクキタルが古畑任三郎)んですが、なぜか金田一パロはなかった。まさか続編で直球の金田一パロをやるつもりだったからあえて出さなかった……? どっちにしろ『うまゆる』の制作陣にはミステリオタクが潜んでいると考えられる。

 最後に「あれ? 『うまゆる』? 『うまよん』じゃなかったっけ?」と首を傾げた方向けに解説しておきますと、ウマ娘のショートアニメは『うまよん』と『うまゆる』の2種類あってそれぞれ別シリーズです。私もたまにどっちがどっちだったかわからなくなって混乱する。整理しますと、『うまよん』は「サイコミ」に連載されていた「熊ジェット」の作画による4コマ漫画が原作で、2020年にアニメ化されました。「原作」と書いたものの「絵柄を熊ジェットに寄せている」程度の意味合いで、エピソードはすべてアニメオリジナル。全12話。円盤特典として更に12話制作されたらしいが、私はBlu-ray BOX買ってないので観たことありません。翌年2021年に熊ジェットがCygamesを退社し、『うまよん』の原作が連載終了。更に翌年の2022年に始まったショートアニメシリーズが『うまゆる』です。絵柄が熊ジェット寄りではなくなっているが、ノリは概ね『うまよん』と一緒なので「『うまよん』の続編」と受け取っているファンが多い。全24話。TVアニメとして放送された『うまよん』と違い、ようつべでの配信主体ですので今でも公式サイトの「EPISODES」から視聴することができます。『うまゆる ぷりてぃ〜ぐれい』はその2期目に当たるが、「ゴールデンウィーク中の施策」という扱いなので全4話と非常に短く、ファンは3期目の到来を待ち望んでいる。

ALcotの新作『Clover Memory's』、2025年末に発売予定

 今頃知って驚いた。ファンディスクを除くと7、8年ぶりの新作ですね。「ALcot(アルコット)」は2003年に設立されたエロゲブランドで、20年以上の歴史を誇っているがアニメ化した作品とかはないのでエロゲ好き以外にはそれほど知られていない。ネタ的な意味では『幼なじみは大統領』というソフトで「イリーナ・ウラジーミロヴナ・プチナ」、あだ名「プーちん」のヒロインを出したことでごく一部に知られている。あと姉妹ブランドが出した『死神の接吻は別離の味』に「なんで? 普通、兄って妹で童貞を捨てるものじゃないの?」という迷言があり、いっときミーム化していたこともあった。

 ブランドデビュー作が「双子の少年と双子の少女が二組のカップルを作る」という異色のゲーム『Clover Heart's』、ブランド10周年を記念して制作したソフトが『Clover Day's』、そしてこの『Clover Memory's』がブランド20周年記念作品であり、ALcot最終作という位置付けになるみたいです。クローバーに始まりクローバーに終わる、ALcotらしい締め括りと言えよう。『Clover Heart's』はちゃんとクリアした(主題歌のサビは今でもたまに口ずさむ)けど『Clover Day's』は10年以上積んだままで、いい加減インストールしないとな……と思ってはいるが、仮にインストールを済ませてもクリアするまでの時間と集中力を捻出するのは難しいだろう。積んでいた『Summer Pockets REFLECTION BLUE』をアニメ化がキッカケでこないだようやくインストールしたけど、30分くらいプレーしたところで放置しちゃっているし。むしろ昔はなぜゲームにあそこまで集中力を発揮することができたんだろうな……。

 発売までに『Clover Day's』をクリアすることができたら『Clover Memory's』の購入も検討したいと思っているが、恐らく難しいでしょう。「低価格ゲーだからすぐにクリアできるはず」と慢心して購入した『終のステラ』すらクリアできず、話が思い出せなくなってきたのでまた最初からプレーし直しているレベルですよ、こっちは。う〜ん、やっぱロミオの文章は心地良いな……。

 ちなみにALcot本体は『Clover Memory's』で解散ですが、姉妹ブランドの「ALcotハニカム」は解散せず継続の方針とのこと。今年のエイプリルフール企画として発表された『なぜ、うちの妹はかわいくないのか?』もハニカムの方で制作中らしいが、本当に完成するかどうかは未知数のようだ。見守るしかない。

百合ダークファンタジー「お前ごときが魔王に勝てると思うな」TVアニメ化(コミックナタリー)

 えっ!? 原作小説の書籍版がもう5年以上刊行止まってるからてっきり打ち切りかと……調べたら今月末に電子版で最新刊(5巻)を出すみたいですね。書籍版の正式タイトルは『「お前ごときが魔王に勝てると思うな」と勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい』(Web版は『「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい』と更に長い)、一種の追放モノです。追放された主人公が女の子で、追放後に出会うヒロインも女の子、というのが若干変わっているところか。「反転」と呼ばれる「使えない」能力のせいで蔑まれ追放された主人公が通常は装備不能な呪いのアイテムを「反転」させたことで一転して無双の存在に……っていう出だしの展開そのものはありふれているが、途中から思いも寄らぬ「モノ」が出てきて物語は更に「反転」します。要するに、人気を取るために当時流行っていた(今ではさすがに下火になりつつある)追放モノのフォーマットに則って書き出しただけで、「作者のやりたいこと」は別にあったと判明する小説です。少なくとも「気ままに暮らしたい」というタイトルから連想されるようなざまぁ系スローライフではない。

 コンセプトが個性的なこともあってなろう系にしてはやや読みにくい部類に属し、マニアックな人気に留まっていたからアニメ化するとはさすがに想像していなかった。電子版は1巻が0円で購入できるし、2巻以降も安いので「個性的な作品、上等!」とガッツのある方はアニメ化前に目を通してみるのも一興です。カクヨムだと「グロテスクな描写多め」というタグが付くくらいグロが目立つ内容だし、正直アニメ化してもメチャクチャ人気が出るとは思えないが、コアな人気は獲得できるかもしれないな。

要チェックですわ〜! コミックシーモア×「BanG Dream!」シリーズコラボCMの制作秘話に迫る(コミックナタリー)

 『BanG Dream! Ave Mujica』テレビ放送時に流れたコミックシーモアのふざけたCMに関するインタビューという、ある意味で物凄く貴重な記事だ。とても公式とは思えない、昔のニコニコユーザーがネタで作った雑MADみたいなCMを3本も制作しているのだが、あの「雑な感じ」はわざと出しているとのこと。あまり完成度が高いと本編のイメージが毀損されかねないので、あえて「1.5次創作」的なクオリティに留めているらしい。「い、今すぐ要チェックですわ〜!」が若干音割れしているのも狙ってのもの。「手の込んだ雑MAD」と判明したからといって「だから何?」な部分もあるが、マイムジの新作アニメでもあんなCMが流れるかもしれないので今のうちに警戒しとこう。

・澤村伊智の『頭の大きな毛のないコウモリ』読了。

 「澤村伊智異形短編集」と銘打たれている通り、あちこち(主に『異形コレクション』)に掲載されたホラー短編をまとめた本です。巻末には「自作解説」も収録されている。「一見バラバラのようでいて、最後にひと繋がりの話だと判明する」タイプの小説ではありませんから、自作解説以外は好きな順番で読んでも構いません。では収録されている作品の紹介と感想を書いていきましょう。

 「禍 または2010年代の恐怖映画」 … 関係者から「呪われた映画」と噂される『禍』の撮影中、次々と現場で怪現象が巻き起こる。作品をPRするSNSのアカウントには「みんな死ぬよ 誰も帰れない」と謎の短文が投稿され、恐怖のボルテージが高まっていく中、それでも撮影は止められない……「8月9日公開予定なのにストーリーの開始時点が6月30日で、まだ撮影が終わってない」と、もうその段階で充分ホラーである。映画は撮影したら終わりではなく、ポスプロ(ポストプロダクション)と呼ばれる編集やCGの追加などを行う後作業が必要なんですけど、撮影終了まで待っていたら間に合わないから撮影と並行して編集等を行う……という、全然「ポスト」じゃない状況で笑ってしまうしかない。作中作の『禍』自体が「『呪われた映画』を撮影中に怪現象が起こる」という話なので、これはフィクションなのか、それともフィクション内フィクションなのか……と読んでいてクラクラします。異常に気付きながら誰も止められない、破滅の谷底へ向かっていくようなホラー映画ホラーだ。

 「ゾンビと間違える」 … 「本物のゾンビ」が発生するようになった近未来、疑心暗鬼に陥った人々の間で「ゾンビと間違えて」ただの人間を殺してしまうアクシデントが続発する。ゾンビの脅威があまりにも凄まじかったため、倫理と道徳はすぐに崩壊した。「ゾンビと間違えたんなら、しょうがない」「むしろ、ゾンビに間違われるような振る舞いをする奴が悪い」 そんな空気が醸成され、邪魔な人間は「誤殺」しても構わないムードが出来上がっていった。家に引きこもって暴力を振るうニートの兄を「ゾンビと間違えたい」と相談しに来た幼なじみに対し、僕は……という末法めいた世界を描く一編。凝った内容の多い本書の中で、もっともストレートでわかりやすい話に仕上がっています。非常に密度が高く、読み終わって40ページもないことに驚く。本書のベストを選ぶとしたらコレかな。

 「縊 または或るバスツアーにまつわる五つの怪談」 … 数年前に開催された、落ち目のアイドルを目玉に据えたバスツアー。そこで発生した怪現象について5つの視点で掘り下げていく、証言形式のホラー。「藪の中」みたいに証言の内容が食い違い、「誰が信用のできる語り手で、誰が信用してはならない語り手なのか」を考えながら読み進める必要がある。と言ってもそんなに複雑な内容ではなく、一人の言っていることを鵜呑みしないでおくだけでいい。最後まで読んでも謎は残るが、ゾッとするような仕掛けがあって背筋が冷たくなります。

 「頭の大きな毛のないコウモリ」 … 2018年、とある認可保育園において乳児の母親と保育士たちとの間でトラブルが発生した。保護者と保育士が遣り取りした交換日記から、トラブルの詳細について掘り下げていく……という、いわゆる「往復書簡形式」で送る怪異譚。最初は冷静な文章を綴っていた保護者が徐々に常軌を逸した記述をするようになり、かと思えば急に正気に戻ったかのように振る舞う、緩急のついた内容です。表題作であるがページ数は少なく、30ページもせずに終わる。試しにどれか一つ読んでみよう、ぐらいの感覚ならコレから読み始めることをオススメします。

 「貍 または怪談という名の作り話」 … タイトルは「やまねこ」と読む。ホラー作家が知人から聞いた怪談について語る内容で、登場人物をイニシャルで表記しているのだが、読み進めるにつれて「これ、人間関係からいっても『〇〇〇〇〇』のことじゃないか?」と気づく仕組みになっています。『〇〇〇〇〇』知らない人ってまずいないですからね。でもそれとストーリーに何の関係があるんだ、と困惑する中、淡々とオチに向かっていく。悪趣味と言えば悪趣味で、人によっては面白さがまったくわからないタイプの話かもしれない。

 「くるまのうた」 … 明確な繋がりを示唆しているわけではないが、一人称が「ぼく」のホラー作家なので「貍」と同じシリーズの作品だと受け取っていいかもしれない。古いHDDをチェックしていたときに見つけた原稿、それは「移動販売車」にまつわる都市伝説について言及したものだったが……という、ただ「不思議な出来事があった」と語るタイプの話ではなく、都市伝説のルーツを辿ろうとするタイプの話で若干謎解き要素もあります。こういう都市伝説ハンターみたいなの、もっと読みたいですね。

 「鬼 または終わりの始まりの物語」 … 「わたし」が「あなた」に向けて語るパートと雑誌編集者の「昌」を主人公に据えたパート、ふたつの視点が交互に進行していって最後に真相が明らかになる、という形式。つまりホラー版「あなたの人生の物語」。物語のスケールが大きく膨らむのを楽しむ小説となっています。

 「自作解説」 … これに関しては一番最後に読みましょう。

 まとめ。気を抜いたところで襲い掛かってくる、この意地の悪さがたまんねぇな、って一冊。短編としての仕上がりがもっとも良いのは「ゾンビと間違える」だが、路線として好きなのは「くるまのうた」。「都市伝説の謎を追う」系のストーリーはやっぱりワクワクするものがある。澤村伊智の作品を読んだことがない、という人も気軽にチャレンジしてみてほしい。


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