2025年3月〜
2025-03-09.・迫稔雄の最新作『げにかすり』、ヤンジャン!アプリなら全話無料キャンペーン開催中、3月19日まで
『げにかすり』、どんな漫画かと言うと『嘘喰い』の作者によるボクシング物です。これ以上の予備知識を入れないで1話目から読んで欲しい。「全話無料ったって、まだ5話じゃん」と思うかもしれませんが、1話あたりのページ数が多いので5話全部合わせると200ページ以上、単行本1冊分くらいのボリュームがあります。切りどころを考えると4話目で1巻を終わらせて、2巻は5話目からって構成になるかな。読むならまさに今ってタイミングだ。あと同一人物なのかスターシステムなのかよくわからないがオッシーこと「緒島ケン太」そっくりのキャラも2話目に出てきます。『嘘喰い』ファンは要チェック。
・Interview: Director Kodai Kakimoto on Ave Mujica and Its Unique Direction(Anime Corner)
「Anime Corner」という海外のアニメサイトに掲載された、『BanG Dream! Ave Mujica』の監督「柿本広大」のインタビュー記事です。読み応えのあるボリュームですが、比較的平易な英語で綴られているため機械翻訳に掛ければだいたいの内容はわかります。企画の経緯などについて言及されており、興味深い。国内のインタビュー(これとか『メガミマガジン』とか)でも語っていますが、もともとMyGOとMujicaは「シリアスなバンド物をやりたい」という思いから出発したプロジェクトであり、初期の段階ではバンドリから完全に独立したワールドとなる予定だったそうです。途中でバンドリに合流することが決定し、キャラデザ含め一部の設定は作り直すことになった。合流前の設定だと「もっと辛辣なキャラクターや展開」だったそうで、あれでもだいぶギスギスが軽減されているんだ……と衝撃を受けます。特に初期案の祥子は「かなり嫌な子」だったらしく、どうやってもバンドリのキャラにならないので相当作り直した模様。
また当初のプランではMyGOとMujicaに分かれておらず、全26話の一貫した2クールアニメとして構想されていて、4話目まで脚本作業も終わっていたとのこと。10人の少女たちの思惑が交錯してふたつのバンドが生まれていく過程を同時並行で描く群像劇みたいな作りにするつもりだったらしい。現状の「全13話の1クールアニメをふたつやる」方針に決まった後もMyGOを先にやるかMujicaを先にやるかはしばらく迷ったが、リアルバンドのメンバーの集まり具合やスケジュールの都合もあってMyGOを先行させることになった。過去の『BanG Dream!』は「担当声優をイメージしたキャラクターデザインにすることで演じやすくする」工夫もしていたけど、マイムジに関しては先にキャラクターデザインを固めて、それからキャスティング作業を始めたというのでアプローチの仕方がだいぶ異なるみたいですね。それとクールが分かれたことでMyGOの問題が先に解決し、Mujicaの問題にMyGOメンバーが助力する展開になったが、初期の構想ではCRYCHICを忘れ去りたい祥子がその面影の残るMyGOを忌々しく思い、もっと激しくMyGOメンバーを敵視する展開になるはずだったらしい。そのルートだとレインボーライブの「速水ヒロ」みたいなポジションのキャラになっていたかもしれない。
MyGOの5人に関しては「詩の才能はスゴいけどコミュニケーション能力に難がある」燈を中心に詰めていったと語っています。燈の才能を見出して舞台に引っ張り上げる「温かい手」の持ち主である祥子、燈の才能に惚れ込んでメロメロになってしまう立希(それにしたってこの表情はメロメロの度が過ぎるだろ!)、燈の才能に気づかない(忌避感から目を逸らしてしまう)そよ、どちらにも転びうる睦……という配置。これを見ると初期段階では立希とそよがもっと対立するような関係として考えられたのかな。実際にキャラクターを動かす段階に入って感情の掘り下げが行われたが、みんな思ったように行動してくれないせいで苦労したそうである。プロット段階では順調に進むのに、シナリオ起こしの段階に入って「しまった、こいつはこの状況じゃこう動かない! こっちに行ってしまう!」と発覚するのは割とあるあるだ。「虚淵玄」も同じような現象に悩まされたことを過去のインタビューで語っている。だから、極端なクリエイターだとプロットを一切組まないこともあります。代表格は「菊地秀行」、初期はキチンとプロット組んでたらしいが途中から「作者も先の展開を知らない方が面白く書ける」という理由で荒野を突っ切るようなスタイルになっていった。MyGOもMujicaもだいぶライブ感のあるストーリーなので「初期のプロット通りには進まなかったんじゃないか」と疑っていたが、やっぱりそうだったんですね。MyGOのインタビューでも脚本の人が「9話の時点で『本当にこの子たちバンドが組めるのか?』と制作陣も心配になった」って明かしてたもんな。
「Ave Mujica」というバンドのコンセプトは既存のゴシックメタルバンドである「Roselia」との差別化を図る狙いもあったと語っています。「仮面を付ける=本音を隠す」というのも「扉は開けておくから」(Neo-Aspect)なロゼリアと対比する意味合いがあるんでしょう。これまでのバンドリは「信頼によって絆や友情が生まれる」という前提を崩すことができず、どうしても話がワンパターンになってしまうウィークポイントがありましたけど、「問題を解決できないまま、心に闇を抱えたまま繋がるバンドもあっていいのではないか」とアンチ成長ストーリーを謳うことで幅を広げようとしている。とにかく各キャラが好き勝手に動くせいか、「迷路の出口を探しているような感じ」とコメントする監督に笑ってしまった。
もっとも扱いに苦労したのは? と訊かれて「若葉睦ですね」と即答しているのにも笑う。初期段階では「モーティス」という人格が存在しておらず、「もうひとりの登場人物」として後からシナリオに追加したことを述べている。そのせいで既に書き上がっていた4話までの脚本を書き直すことになったみたいだから、モーティスはムジカのライブ感を象徴するキャラと見做していいのかもしれません。またバンドリの新作アニメを手掛ける機会があったら何をやりたいか、という質問に対してはRAS(RAISE A SUILEN)と返答している。ゼロからバンドの立ち上げに関わったので愛着があるらしい。他の候補としてはロゼリアの新作を挙げている。ロゼリアの劇場版アニメはガルパのシナリオをベースにしているので、オリジナルもやってみたい、と。最終的には「全部のバンドやりたい」と語っていますが。
しかし英語のインタビュー記事が出てくるのはビックリしたな。ムジカは英語圏でもジワジワ人気が広がっているらしく、いろいろとふざけ倒している英語圏の公式アカウントも盛況だ。グアムが舞台だったぽぴどり(バンドリの劇場版)みたいに、今後は海外で展開する話もあったりするのかな。愛音が逃げ帰ってきたせいで「魔境」扱いになっているイギリスを舞台にした新作ストーリーとか観てみたいかも。
・「さわらないで小手指くん」2025年TVアニメ化、スポーツ強豪校の“マッサージラブコメ”(コミックナタリー)
なにっ、最初はスポーツドクターを目指していたのに最新エピソードではなぜかエムバペ似の黒人男性にメンズエステの指導をしている小手指くんがアニメ化だと!? 初期の頃はよくあるちょいエロ系のお色気漫画で、肉体に関する何らかの悩みを持っているアスリート女子高生たちへマッサージを施して問題解決していく……という軽めのラブコメだったのだが、主人公のマッサージ技術が「人を殺さない北斗神拳」みたいになっていってどんどん常軌を逸していくため、ラブコメというより『揉み払い師』的なお色気ギャグになってしまった一作だ。キメ技の一つに「だんちゅう」という胸の中心にあるツボを突くのがあるんですが、「ドゥルルルル ピンッ!」と最後に乳首を弾いてフィニッシュする。乳首弾く必要ないだろ! と総ツッコミが入るシーンです。途中から見せ場で急にカラーページになる演出も盛り込まれており、その演出が派手なことから「パチンコカラー」とも形容されている。
キービジュアルでは5人の女の子が映っているが、進むにつれてどんどん女の子が増えていくのも小手指くんの特徴で、正直もう何人の子に施術したのか思い出せないくらいだ。「そんなに女の子の肌に触れて、年頃なのに小手指くんはムラムラしないのか?」という疑問を掘り下げるエピソードもあるのですが、少なくともアニメの1期目ではそこまで進まないだろう。「小手指くんの血流(性欲を意味する隠語)問題」は結構重要で、中には股間を触られながら「施術中に勃起しないかどうか」確認される場面すらある。そこまでやると逆に小手指くんへのセクハラになってしまうだろ……という別の問題も発生し、いろいろとセンシティブな漫画である。ゆえにアニメ化は困難と思われていましたが、講談社もよっぽどタマがないんだろうな。最近始まった講談社系のちょいエロラブコメの中では『それがメイドのカンナです』っておねショタ漫画も好きなのでゆくゆくはアニメ化してほしい。
・『BanG Dream! Ave Mujica』は第10話「Odi et amo.」でようやくバンド再結成……するのだが、こんなに連帯感が欠けたまま復活するバンドがあっていいのか!? とブッ魂消る内容でした。
今回はライブシーンを入れるため尺がキツキツでOPとEDはカットされています。Aパートの出だしはにゃむにオーディション参加のオファーが来たけど断ったため、最終的にsumimiの「純田まな」が採用された劇の上演。まなちゃんが断頭台の露と消える、劇中劇にしてもなかなか攻めた内容の導入だ。CMを挟んだ後、にゃむがRiNGで「キんモ」と発言したシーンから再開。楽奈同様「モーティスが睦を演じている」ことを即座に見抜いたにゃむ、彼女は森みなみから「睦は演技の化物」と聞いているので「二重人格者ではなく『自分が二重人格だと思い込んでいる子』」だと受け取っており、「内面が壊れている」点も含めて「若葉睦」なのだと捉えている。だから睦の状態を病気とも思っていないし、治療が必要とも考えていないので態度がドライになるんですね。それに対してそよはモーティスがいろいろと限界なのを悟り、タオルを投げ込むような勢いで彼女を店の外へ連れ出す。モーティスは睦ちゃんについて「勝手に落ちた!」と叫んでいますが、監督のインタビューを要約すると「本当に助けるつもりがあるなら奈落に飲み込まれないよう防ぐ手立てはいくらでもあったのに、それをしなかった時点でモーティスに『このまま睦ちゃんが消えてくれた方が都合が良い』と願って座視する気持ちがあったことは確か」なわけで、初華みたいな「明確な殺意」こそ抱いていないものの、「未必の故意」ぐらいは存在していたことになります。睦ちゃんを心配して後を追う燈ちゃん、燈ちゃんの後を追う(前にちゃんと楽奈ちゃんにも確認を取るほど抜かりない)愛音ちゃん、「お前も追いかけるんだよ!」とばかりに海鈴を連れ出す立希ちゃんと、バラバラに動いているようでいて連帯感のあるMyGOメンバーにジーンと胸が温かくなる。それに引き替えMujicaメンバーの寒々しさよ……誰も! モーティスを心配していないのである!
祥子に「Ave Mujicaやろう!」と誘って袖にされた(祥子からすると「それどころじゃねえですわ」という感じだろう)初華、自宅の真っ暗な風呂場でシャワーを浴びるシーンはシンプルに「病み」を表現している。真っ暗な風呂場でシャワーを浴びる人間なんて、よっぽど電気代を節約したい人間かメンタルがヤられてる人かの二者択一ですよ。ロフトに上がり、抱き枕かマネキンかわからないが「何か」に廃棄予定だったオブリビオニスの衣装を着せて同衾するシーン、病んでる子が好きな私でも素直に気持ち悪いと思いました。これスリラー映画でサイコキラーが行きずりの女を殺して死体に母親の遺した服を着せるシーンの演出だろ! 祥子が泣くほど感動した燈の歌詞に打ちのめされ、「このままじゃ燈ちゃんに取られちゃう」と危機感を募らせる初華は新たな歌詞というか激重ラブレターを自主的に紡ぎ始める。誰がどう見てもラブレターなのでさすがに投稿を躊躇うが、どこからともなく現れたにゃむがスマホを取り上げ勝手にアップロード。例の「スマホの画面を見せられて絶望の色を顔に浮かべる初華」はこのシーンだったのか……海鈴の行動力に当てられたのか「熊の場所」へ戻るためMujica復活の意志を固めたにゃむは初華から聞き出した豊川邸へ一緒に乗り込む。初華、やっぱり豊川邸の住所を把握していたけどあえて近寄らなかったんだな。インターホン越しにお手伝いさんが初華の顔を見て「お入りください」と告げたことから豊川家の関係者である可能性も高まった。ヘッセの『デミアン』を読んでいた祥子のところへ突入した二人、初華が縮こまって居心地悪そうにする中、にゃむは「人生よこせって言った責任を取れ」と迫ります。祥子は「知りませんわ」と例によって逃避癖を発動させようとするものの、夜に一人、燈の付箋に綴られた文章と向き合って「やはり自分で蒔いた種なんだから何とかせねば」と決意する。最終的に祥子の心を動かすのがMujicaメンバーではなく「昔の女」である燈の言葉だというのがホントにもう……。
外堀が埋まったことで「正しい答えではない」と知りながらも義務感から祥子はMujica再結成を承諾し、「病めるときも健やかなるときも」共に在ることを誓うよう強いる。初華の「はい……」は声の湿度が凄まじく、「帰りにゼクシィ買お(はぁと)」ぐらいのことは考えてそうだ。そこからトントン拍子で復活ライブへと話が進んでいく。TGWコネクションを使えないから大きなハコは押さえられず、RiNGでライブを行うことにした面々。「シャンデリア、頑張ってみたけどちょっと難しくて」と凛々子さんが伝えるように、最速で武道館まで行った商業バンドが復活の狼煙を上げるにはこぢんまりとした規模に留まってしまう。MyGOの13話やMujicaの1話に比べるとどうしても「ハコの小ささ」を意識せずにはいられず、劇っぽい演出をするにはやっぱりある程度の空間が要るんだな、と実感しました。ハッキリ言ってこれまでのMujicaのライブに比べてスケールはショボいのですが、フロントマンである初華が歌い出せばそんな些事は吹き飛ぶ。どれだけハコが小さくても、普段あんなに情けない弱々な姿ばかり晒している子でも、パフォーマンスの力で覆してみせることが可能なのだ。メンバーそれぞれ人間的にダメな部分がたくさんあって、不和だらけでまとまりのないバンドであっても、演奏が素晴らしければ蔽い隠すことができてしまう。「音楽の力」を露悪的に証明する演出であり、何もかもMyGOの10話「ずっと迷子」とは正反対だ。客席に背を向けてまでメンバー同士見つめ合って気持ちを通じ合わせるMyGOに対し、Mujicaのみんなはバラバラで誰かが誰かを見ても目と目が合うことはない。「さきちゃんを独占したい! 這い上がれないから引きずり下ろしたい!」と欲望剥き出しのドロドロソングを圧倒的な歌唱力で歌い上げる初華は祥子に熱視線を向けますが、白けたように無表情な祥子は「音楽へ奉仕するマシーン」に徹して初華の激重感情をのらりくらりと躱す。初華が視線を送っているときは俯いて決して目を合わせようとせず、初華が視線を前に向けてからようやく顔を上げて複雑そうな面持ちで表情を窺う。「なんだかわからないけど初華を本気にさせてしまいましたわ……因果応報なので諦めますけど、できれば逃げ出したいですわ……」という祥子の心の声が聞こえてくるかのようだ。
燈の詩(うた)が心の叫びであるように、今回の初華の詩(うた)も心の叫びではあるんですよね。それが相当独り善がりというだけで。「人間になりたい」と切実に願った燈に対し「今夜私の神話になって」とねっとり絡みつく初華、対比にしても差があり過ぎてエグい。「CRYCHICや昔の女(燈ちゃん)なんて忘れて私を見て!」と金切り声で訴えるような歌詞なのに、メロディはCRYCHICを彷彿とさせる綺麗で温かみのある雰囲気……「忘れたくても忘れられませんわ」というのが祥子の「答え」でしょう。あまりにも高度なすれ違いで唖然とする。叫んでも叫んでも愛が谺しない。この「Imprisoned XII」のPVでも祥子は寄り添う初華に気持ちを向けることはなく(階段から足を踏み外しそうになったとき抱き止めたくらい)、悲しいくらいに一方通行だ。泣いてるのを見てハンカチ差し出す初華に目もくれず出口へ向かおうと駆け出す祥子の視野狭窄ぶりにはちょっと笑った。タイトルの「XII」は聖書モチーフで「十二使徒」かな? と思ったがタロットの12、「吊された男(ハングドマン)」を指しているんじゃないかという説もある模様。OPアニメにもハングドマンっぽいカットがありますもんね。
初華が気持ち悪い矢印を向けている最中、「アテフリでいい、でも完璧にやれ」と言われていたモーティスの内面にも変化が訪れていた。「睦ちゃんなんていない方がいい」と思って奈落へ墜ちていくのを座視してしまったけど、やっぱり「ギターは睦ちゃんだけの物」なんだ……と己の中にある譲れない一線を再確認し「我、死を恐れる勿れ」とばかりに自ら奈落へ身を投じる。そして奈落の底の底、深海のような場所で消えかかっていた睦ちゃんへ抱きつき、笑ったまま涙を散らして共に消滅します。モーティスが本当に欲しかったのはギター(「生存」の象徴)ではなかった。睦ちゃんに気持ちを受け止めてほしかった。ただ存在を認めてほしかった。一言でまとめると「ほめられたいよ」だろう。残された一本のギターは滄溟の暗闇へ静かに沈んでいく。「ふたりが交わって一つになる」のではなく「共に消える」演出なのは、ギターを弾き始めた「若葉睦」は睦ちゃんでもモーティスでもない、ふたりの要素を受け継いだ「新たな存在」なんだ――と告げているかのようで切なくなった。タイトルの「Odi et amo.」(私はあなたを憎みながら愛する)は「若葉睦」に対してアンビバレントな感情を抱く「祐天寺にゃむ」を指すものであると同時に「祥が好き」な睦ちゃんと「祥子ちゃん嫌い」なモーティスがコインの裏表であることを示し、そして自己嫌悪と自己愛の狭間で揺れ動く若葉睦自身をも表しているんだろう。監督インタビューで8話の「もう一回祥とCRYCHICやりたい」と発言していた頃の睦は「半分寝ているような状態」だから意識朦朧としていて理性があまり働いていない、と語っていましたけど、愛憎半ばするにゃむの言葉を聞き「心はそういう未整理なマーブル模様であってもいいんだ」と納得して目を覚ましたのではないか。つまり10話のライブ以降の睦は「長い夢から醒めた睦」という意味で「覚醒睦」と呼んでいいのかもしれません。これから彼女は一人で冴え冴えとした現実を生きていく。身代わりになってくれるモーティスはおらず、「もう逃げられない」。まぁ仮にモーティスが完全消滅していたとしてもムジカピコでは何事もなかったように復活するんだろうけど。
いやー、しかし「もっともエモーションが高まるポイントでライブに雪崩れ込む」というのがバンド物の鉄則だというのに、感情的な盛り上がりを無視して欲望と野心と責任感だけで再結成したバンドが粛々とライブに臨むの、あまりに無茶苦茶すぎる。こんなの『ギャグ漫画日和』のネタか何かとしか思えない。こんな性急すぎる流れで幕の上がったライブに乗れるわけが……と思っていたのにいざ始まるとパフォーマンスの力で殴られて「初華の歌すっげぇ」となるから観ているこちらの情緒はグチャグチャ。みんな心はバラバラなのに演奏だけは素晴らしく、「才能のゴリ押し」を見せつけられている気分。でも祥子にとってはあの音もあまり合わなくて燈の歌声もグズグズだったCRYCHIC解散ライブの方が涙を流すほど幸せだったんだよな……って想って心が引き裂かれる。それはそれとして「Crucifix X」のくるくる回る海鈴と睦が好き。Crucifixって知らない単語だから調べてみたけど「イエス・キリストが磔にされている十字架」、よく教会にあるアレを指しているみたいです。「X」は「斜め十字架」をイメージしているんだろうか。「歯車」という歌詞からするとタロットの10、「運命の輪(ホイール・オブ・フォーチュン)」を指している可能性もあるが。なんか女子高生のガールズバンドアニメなのに荊冠を被って十字架背負って裸足で頭蓋骨(ゴルゴタ)の丘を目指すような話になってきてるな。この人を見よ(エッケ・ホモ)だよ。でも磔刑になるのは祥子だけで、他のメンバーは「あなたはそこで待っていなさい」と命令された靴屋みたいに怒りの日まで放置プレイ喰らいそう。
与太はさておき。ハコは小さくなったけど、小さくなったおかげで却って程好い距離感になり「Ave Mujicaはこれぐらいの狭さでやっていくのがちょうどいいんじゃないかな」って気がしました。ホント人間的にはアレだけどフロントマンとしての才能は抜群なので、ハコが小さかろうと大きかろうと初華が喉を振り絞るだけで容易に領域展開できてしまう。今回は過去イチ感情篭めて歌っているから祈りと呪詛が絡み合ったようなスゴい曲になってるんですよ。「狂おしいほど」って漏らしている人が本当に狂おしいんだからたまらない。狂おしいんだけど狂い切れない(睦への害意も発露させず踏みとどまった)んだよなぁ。しかし、上からの圧力で復活を阻止されているムジカが比較的小規模とはいえ勝手にライブなんかやっていいのか? と疑問に感じていたらスーッと豊川定治(祥子のお爺様)の車がインサートして「あっ、やっぱり大丈夫じゃなかった」という場面、定治が初華に対し「初音(はつね)、帰りなさい」と呼びかけたことでTLは混沌の渦へ叩き込まれました。どさくさに紛れて「三角初華=比良坂初音」説を唱えている人までいるのは噴いた。髪の色からすると「柏木初音」の方が妥当だろ。
ようやく初華の抱えている「秘密」の一端が明かされましたが、つまり初華の本名は「初音」ってこと? 確かに学校のシーンでも「三角さん」か「sumimiの初華」としか呼ばれていないので、「初華」が芸名という可能性はありましたが……いや、MyGOのキャラ紹介で「本名は三角初華」とハッキリ書いているし、昔からの知り合いである祥子が「初華」と呼んでいるので、「初音」が本名で「初華」が単なる芸名というのはおかしいんですよね。お爺様の反応といい、彼女が「スキャンダラスな出生の秘密を抱えた豊川家の関係者」であることはほとんど確定的だろう。ここのところ大人しくなっていた「初華双子説」論者も息を吹き返しており、考察勢は混沌を極めている。双子片割れ死亡説の場合、三角初華と三角初音の双子姉妹で、祥子と一緒に遊んだ初華が既に亡くなっていて初音が「初華」という芸名を使っていると考えれば、MyGOのキャラ紹介以外は平仄が合う。一方、双子両方生存説の論者も「10話でオブリビオニスの衣装が膨らんでいたのは詰め物じゃなくて双子のもう一人(本物初華)が着ていた」と主張しており、もうワケがわからない。というか、見分けがつかないほどそっくりな双子だったら定治が瞬時に「初音の方」と見抜くのは変(車内に初華がいるとかならともかく)なので、もし一卵性双生児だとしても初華の方は亡くなっていると思います。
次回第11話のタイトルは「Te ustus amem.」、「(私の亡骸を)焼かれてもあなたを愛したい」。ローマの詩人「プロペルティウス」の詩に出てくる言葉です。「死がふたりを分かつまで」ではなく「死がふたりを分かつとも」であり、「死後強まる念」めいた不穏なニュアンスを感じる。冒頭で断頭台の露と消えた相棒のまなちゃん同様、正義の柱(ボワ・ド・ジュスティス)の刃が落ちてくるのを待つ身になった初華(初音)。予告カットが既存絵ばっかりで新規カットが一枚もないの、「初音に関する秘密すべて明かします」と宣言しているかのよう。事情を明かした定治が「こういうわけでムジカの復活は認めん」と立ちはだかる壁になるんだろうが、音楽への情熱を失いただ流されるままになっている祥子がキチンと己の欲望に向き合い己の意志で立ち向かって、諦めて身を引きそうになっている初音の手を掴み「貴女が嫌だと抵抗しても、私が必ず貴女を奪って行きますわ!」と本当の意味で初音を「選ぶ」エピソードになってほしい。祥子ちゃんは詰まるところ「手の温かいメフィストフェレス」ですからね。
2025-03-03.・深夜アニメなのに昼ドラ度が加速している『BanG Dream! Ave Mujica』の第9話「Ne vivam si abis.」、想像以上に混迷を極めた状況になって一度観ただけでは理解し切れず翌朝再度視聴しました。
簡単に言うと、ここ数話ずっと影の薄かった「三角初華」が遂に行動する回です。アバンは移動中の車で楽しそうに話しかける「純田まな」の言葉が一切耳に入らない様子でMyGOのアカウントをチェックする様子が描かれている。うっすら漂っていた「SNS監視ガール」のイメージがこれで確定的になってしまった。というか相棒の情緒をここまで狂わせている豊川祥子に対してまなちゃんは怒る権利があると思うよ……OPが明けてAパート、過去のライブ映像を観ながら睦のギター演奏をコピーしようと励んでいるモーティス。ギターというアイデンティティを奪われそうになっている睦はモーティスにやめるよう訴えかけるが、存在が懸かっているモーティスは頑として抵抗する。ここの会話で睦がなぜムジカではなくCRYCHICをやり直したいのかが判明します。CRYCHICやってた頃の祥子(いわゆる「光の祥子」)は楽しそうだったが、CRYCHICを忘れるためにムジカに打ち込んでいた時期の彼女(「闇の祥子」)は苦しそうだった。祥子に苦しんでほしくないからCRYCHICをやってほしい……つまり、睦ちゃんが本当に欲しいものはCRYCHICではなく「光の祥子」。CRYCHICはあくまでそのための手段に過ぎない。根本的な要件を理解しないまま久々に羽丘へ登校した祥子は燈と愛音に頭を下げ、「睦のためにCRYCHICを復活させてくれないか」と頼み込む。MyGOに迷惑をかけるつもりはないと言い切るが、燈ちゃんは掛け持ちなんて器用な真似できると思えないし無理なんじゃないかな、というのが率直な感想。
もうこの時点ですれ違っているのが辛すぎるな……睦ちゃんは「光の祥子」とキャッキャウフフしたいだけなのに、無理矢理CRYCHICを再結成させようとすればするほど祥子は曇る一方になってしまう。「睦のためならどんな苦労も背負い込んでやろう」と決意したことで祥子ちゃんはどんどん「光の祥子」から遠ざかっていく。皮肉としか言いようがない。モーティスがムジカ再結成のためにアテフリ(楽器を演奏しているフリ)猛特訓してるのを「睦がCRYCHICやり直すためにギターの練習してる」と勘違いして「邪魔しちゃ悪いですわ」とばかりに顔を会わせずに去っちゃうの、さすがに脚本の悪意を感じたよ。祥子をいじめることに余念がない。
祥子のCRYCHIC復活要望に絶賛戸惑い中の愛音は熟慮する間もなくSNSを通じて初華からメッセージを受け取る。呼び出されて向かった先は羽沢珈琲店。りっきーの好きなバンド「Afterglow」のメンバー「羽沢つぐみ」の家で、MyGOのときも何度か出てきた場所です。来店と同時に出迎えて愛音を驚かせた銀髪の子は「若宮イヴ」、先週睦がカラオケで歌っていたパスパレのメンバーの一人です。フィンランドからやって来た日本文化好きの女の子で、「ブシドー」を愛するあまりガルパピコでは「ブシドー!」が鳴き声になってしまった。ちなみに祥子が好きなバンド「Morfonica」のメンバー「二葉つくし」もここでバイトしています。初華との密会にドキドキ気分な愛音であるが、観てるこちらは違う意味でドキドキさせられる。CRYCHICの元メンバーだった燈ちゃんはMyGOの現メンバーだから、MyGOの一員である愛音は何か知っているのではないか……と藁にも縋る想いで連絡した初華だったが、幸か不幸か大ビンゴで愛音の口から「祥子ちゃんCRYCHIC続けたいんだって〜」と告げられます。細かい説明を抜きにして伝えたせいで祥子がメッチャ乗り気でCRYCHICを復活させようとしているようなニュアンスになってしまい、ショックを受けた初華はアイドルがしちゃいけない表情で愕然とする。とにかく今回は初華の「顔」がいろいろと印象的なエピソードだ。
一方、にゃむは本来志していた演技の道へ踏み込もうとオーディションに臨むが、フラッシュバックする睦の姿に委縮してろくに演技もできない。舞城王太郎の短編「熊の場所」がふと脳裏をよぎりましたね。「熊」(概念的なもので、他の何かに置き換え可能)に遭遇した者は、咄嗟に逃げ出しても構わないが態勢を立て直してすぐに「熊の場所」へ戻らないと、その後一生「熊」の恐怖から逃げ続けることになる。にゃむにとっての「熊」が睦であり、「熊の場所」がムジカなのだろう。立希はCRYCHICを復活させようとしている祥子とムジカを復活させようとしている海鈴の間に挟まれてどう振る舞えばいいのかわからなくなってきている。海鈴との会話も噛み合わずもどかしいが、そこにやってきた初華が「私、Ave Mujicaやるから!」と宣言したせいでますますワケがわからない事態に。CRYCHICの元メンバーである立希に「さきちゃんは渡さないから!」と威嚇する意図だったのであろうが、文脈がわからない立希と海鈴はただただ戸惑うばかり。まともな……まともなコミュニケーションが一切行われていない!
ムジカを蘇らせることで祥子との縁を取り戻したい初華は事務所の偉い人に頭を下げて再結成を懇願するが、「事務所の一存じゃ決められない」「上から止められている」と、何らかの(TGWグループの?)圧力が掛かっていることを仄めかす。「それじゃ私の……」と何か言いかけていたところから察するに、初華も豊川家の関係者なのか? 豊川家とは別に三角家も何かの権力者で圧力を掛けてきた可能性もあるが、今更三角家云々を盛り込む余地もないだろうし素直に「豊川家の関係者」と考えた方が良さそう。瑞穂(祥子の母)の葬儀に参列していなかった(それどころか亡くなったことも知らなかった)こと、祥子から瑞穂の話を持ち出されてドキッとしていたことを考えると、スキャンダラスな「出生の秘密」が絡んでいるような気もするが……5話で祥子の祖父が「あれ(祥子)は瑞穂に似て意外とじゃじゃ馬だからな」と言及するセリフがあったことを考えると、瑞穂が清告以外の男と駆け落ちして産んで、島の三角家へ預けられた子? って考えたけど、祥子の誕生日が2月14日であることを考慮すると、仮に初華がプロフィールを偽っているとしても年子設定にするのは無理がある。他に「清告の隠し子」とか「祥子のお爺様が島の愛人に産ませた私生児」とかいろいろ考えたが、いずれにしろバンドリでそこまではやらない……と思いたい。あと考えられるのは清告の旧姓が「三角」で、実は父方の従姉妹同士とか、あるいは初華が歳の離れた清告の妹(つまり祥子にとっては同い年の叔母)ってパターンか。先述の「じゃじゃ馬」発言といい、瑞穂は周囲の反対を押し切って清告と結婚した節がある。それで元々お爺様は三角家を快く思っていなかったけど、168億の事件が起こったせいで本格的に縁を切ろうとしたのではないか。祥子と連絡が取れなかった時期、真っ先に候補として挙がるはずの豊川邸を初華が訪問する気配まったくなかったの、「三角家の人間は豊川邸の敷居を跨げない」からなんじゃ……ただの妄想に過ぎないが、他のメンバーは大なり小なり親や兄弟について触れるシークエンスがあるのに初華だけは家族に関する話題がまったくなく、絶対出自に何かあると思うんですよね。ちなみに初華の故郷とされている島は香川県の「小豆島」がモデルという説が囁かれている。さておき、諦め切れない初華はムジカ時代の衣装について問い質し、「あの衣装は廃棄予定」と無情な答えを得る。倉庫を漁って見つけ出したオブリビオニスの衣装袋には「廃棄」の判子が大きく押されており、初華は唇を噛んで落涙しながら袋を抱き締める……絵面が完全に「捨てられた犬」のそれで胸が苦しくなった。
Bパート、にゃむは本業である配信活動も休みがちになり、移り気な大衆は「にゃむち」を見放しつつあった。しかしムジカ復活に賭ける情熱もなく、しつこく誘ってくる海鈴を追い出してしまう。他方、ギター特訓のために海鈴のアパートへ通っているモーティス。上達こそしているものの技術面は睦に及ばずダメ出しされて不貞腐れる。その帰り道、気が緩んだのか支配力が弱まっているのか、睦が意識を取り戻す。睦は燈の家に向かい、星を見るため連れ立って移動する二人はプラネタリウムの近くで初華と遭遇。祥ちゃん好き好きトリオが期せずして集まる形になり、修羅場好きの私は大興奮です。燈に作詞ノートを見せられ、同じ作詞担当のボーカリストである初華はそこに篭められたメッセージを正確に読み取って動揺する。睦から「ムジカはCRYCHICを忘れるために作った代用品だった」という残酷な事実も告げられ、もう初華ちゃんのメンタルはボロボロ。「この詩は違うね、CRYCHICじゃない。今の燈ちゃんの、MyGOの詩だよ」と牽制を入れてCRYCHIC復活を阻もうとするの、あまりに弱々しい抵抗でかわいい。相変わらず失言癖の抜けない睦ちゃんは「初華黙ってて!」の一言で会話を打ち切って蚊帳の外に置き、初華を激昂させる。「私からさきちゃん盗らないで!」と叫ぶシーンの初華、まさかバンドリでこんな形相が拝めるとは思わなかったですよ。投げ飛ばされた睦がゲームみたいな吹っ飛び方するのは笑ってしまった。ハッと正気に戻るシーンでさっきの激昂や突き飛ばしは初華の内なるイメージであり、実際はただ固まっていただけだと判明するが、睦への嫉妬がほとんど殺意に近い域まで高まっていることに慄きます。コミック版の方では割合ハッキリ描いているが、初華は祥子との距離が近い睦に対し一貫して嫉妬の念を抱いているんですよね。これムジカ再結成しても延々と痴話喧嘩が続くだけでは……?
睦の内面ではモーティスとの主導権争いが依然として続く。暴力に免疫がなさそうな睦ちゃんがモーティスとキャットファイトできるの、「相手も自分だから」なんだろうな……睦ちゃんは自分が嫌いだから同根であるモーティスを傷つけられる。そして揉み合う最中に睦が手すりを破壊し、深い穴の中へ転落してしまう。モーティスが今までギターを弾けなかった(弾かなかった)のは睦ちゃんのアイデンティティを侵犯しないためで、「侵犯するとどうなるか」の答えがコレである。「役を奪われる」のは死に等しい。観客の睦(抜け殻)たちは「睦ちゃんの死」を喝采する。自己嫌悪の念が強いからこそ「自分の死」を客観視して喜んでしまうんだな……ってゾッとしました。精神世界なので「確実に死んだ」とは言い切れない状況(というかギター抱きながら落ちてるのでほぼ確実に生きている描写)だが、モーティスはこれで睦との交信が不可能になり、「睦ちゃんが死んじゃった!」と動揺する。MyGOメンバーが集まって祥子と会話しているところに海鈴、初華、モーティスの「ムジカ復活させたい勢」がやってきて対面。わかりにくいけど、コーヒーを置く手のカットで「様子を見守っている人間がいる」ことを示していますね。そして「掛け持ちしていたバンド、すべて辞めてきました」「これでも信用できませんか!?」と涙ながらに海鈴が迫ってくる愁嘆場に突入。いや掛け持ち辞めて一つのバンドに専念してくれなんて誰も頼んでないでしょ……そういうとこだよ。「守るべき睦ちゃん」を失ったことで存在意義が崩壊しつつあるモーティスは「私自身が睦ちゃんになればいい」と持ち前の演技力で睦のフリをして祥子をムジカ復活へ誘導しようとします。その様子を眺めて楽奈が「おもしれー女の子」と呟いているところからすると、睦ちゃんの状態はモーティスが懸念するほど危機的ではないのかしら。もうグチャグチャで収拾がつかなくなってきている場面へ颯爽と現れたにゃむが言葉を投げかける。「何それ……キんモ」 各自が汚泥の中をのたうち回るような話でした。ただただ拗れるばかりで何一つ解決していない……! これで本当に絆(バンド)を紡ぎ直せるのか? MyGOとMujicaはバンドの在り方として対比し合うような関係として設計されているらしいから、「それぞれがそれぞれの地獄を往く」エンドになるのは応分かもしれないが、今後「上からの圧力」(祥子のお爺様?)とも戦わなければならないのに現時点で一致団結すら出来てないのあまりに道のりが遠すぎる。毎回思ってるけどこのアニメ、ホントに全13話でまとまるのか?
次回10話のタイトルは「Odi et amo.」、「私はあなたを憎みながら愛する」。恋愛に関する詩で有名なローマの詩人「ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス」が恋人に宛てた詩の中に出てくる言葉だそうである。相反する感情が同居するアンビバレントな心境を端的に表したもので、自分を振り回す不実な恋人を責めるニュアンスが篭められている。「愛」と言えばアモーリスなので、そろそろ本格的ににゃむを掘り下げる回なのかしら。初華の抱えている「秘密」がそろそろ明らかになるのでは……という予想もあるが、さて。
来たか、ガルパピコの新作……! タイトルは変わるかもしれないが、「ピコスタッフ再集合」なので実質的にはガルパピコの続編だろう。「ガルパピコ」とはバンドリのアプリ『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』をパロディしたショートアニメ・シリーズで、過去に「無印」「大盛」「ふぃーばー!」の3シーズンが公開されています。「アニメのスピンオフ」ではなく「アプリゲームのパロアニメ」なので急にガチャ演出の再現が始まったりなどゲームやってないとよくわからないネタも混入されている。「全52話」と聞くと物凄く多いような印象を受けるが、1話あたり3分(うち30秒はED)なので156分、EDを飛ばすと130分とそんなに多くは……いや、結構多いな? 過去のシーズンはいずれも全26話なので、52話というのは2シーズン分に相当します。マイゴピコ分とムジカピコ分を合わせて52話、という勘定なのだろう。ピコ好きとしては小躍りせずにいられない。
タイミング的にマイゴやムジカのネタが多くなるかもしれないが、たぶん他のバンドのエピソードもふんだんに盛り込まれるはず。じゃないと52話もネタを捻出できないだろう。サービス開始時点では5つしかプレイアブル・バンドがなかったガルパも、今や8つ、ムジカが加われば9つになる。あと「夢限大みゅーたいぷ」というVtuberバンドがあるからそれも含めると10個になるが、ゆめみたの扱いがどうなるのか現時点ではよくわからない。ピコシリーズはほのぼのネタもある一方でカオスなネタも多く、原始時代の話が始まったり、登場人物が安否不明のまま終わるホラー回まであったりと、あらゆる事象が「本編とは別時空の出来事」として処理されます。「もう1クールありますよ!」「5週も何やってたんだ!」といったメタネタが混ざることもしばしば。やりたい放題な自由極まりないノリが見所ゆえ、きっとマイゴもムジカも本編の面影が残らないくらい弄り倒してくれるはずだ。睦とモーティスの交替ネタは絶対ブチ込んでくるだろうし、そよ・ザ・デンジャラスvsマスクド・オブリビオニスのプロレス回とかも平然とやるに違いない。「初華の正体が実は〇〇」ネタもやりそう。渡哲也の『マグロ』パロディなんてネタまでやってるぐらいなので『仮面ライダー』パロディや『スパイダーマン』パロディくらいは平気でやりますよ。「なんで春日影やったの!」弄りは無論のこと、立希の「じゃっ!」あたりも弄ってきそう。楽奈の抹茶ネタは散々やってるから「抹茶ラーメン」くらいギアを上げてくるだろう。森みなみ主演の昼ドラネタもやりかねない。あとはモニカファンの祥子とモニカメンバーとの絡みも期待したいところか。さすがに「『すべての元凶』『諸悪の根源』『黒幕』倉田ましろ」ネタはやらないと思いますが……ピコだから絶対とまでは言い切れないな。過去に「被告人 倉田ましろ」な『逆転裁判』パロディ回があったことだし。
「倉田ましろ」というのは月ノ森の高等部に通う生徒で、モニカこと「Morfonica」のボーカル。マイムジの時点だと2年生で、そよや睦の1個上です。彼女は「戸山香澄」に憧れてバンドを始めようと思い、バンド文化がない月ノ森で初のバンドであるMorfonicaを結成。お嬢様学校ゆえバンドにまったく免疫のなかった月ノ森に衝撃をもたらします。モニカの演奏を聴いた祥子(当時中学三年生)は深い感銘を受けて「自分もバンドやりたい!」と結成したのがCRYCHICであり、結成初期の段階ではモニカの曲を演奏するコピーバンドでした。ちなみに長崎そよはモニカの演奏そのものに感銘を受けたわけではないが「バンド」という絆の在り方に憧れて祥子の誘いに乗ったから、彼女もまた「モニカの影響を受けた」生徒の一人である。御存知の通りCRYCHICは解散しましたが、「CRYCHICという縁(よすが)を忘れたい」祥子は新たにAve Mujicaを結成する。MyGOもCRYCHICがなければ誕生しなかっただろうし、マイムジの10人全員が直接にせよ間接にせよ倉田ましろが為した行動の影響を受けているんですよね。もしあのときましろちゃんが月ノ森音楽祭でライブやっていなければ、CRYCHICもMyGOもAve Mujicaも存在しなかった。マイムジにおいて「モニカの講堂ライブ」は物凄いターニングポイントになっちゃってるわけです。モニカだってポピパがなければ存在しなかったし、ポピパだってグリグリがあったから結成されたわけだが……少なくとも観測できる範囲で「影響を与えたバンドが2つも悲惨な形で解散している(何ならMyGOもほぼ解散してた時期があった)」のはモニカだけ。
おかげでマイムジのメンバーがヒドい目に遭うたび「倉田ましろがバンドやらなければこんなことには……」「何もかも倉田が悪い……」「くらたまのせいだよ……あの時も、今も」と矛先がましろちゃんに向かう、という茶番がネットの一部で繰り広げられる。要は「シャミ子が悪いんだよ」や「許さんぞ陸八魔アル」系のネットミームである。もちろんこの流れを不快がるモニカファンやましろファンもいますが、当の倉田ましろが後ろ向きな性格をしていて被害妄想の強い子だけに「逆恨みで糾弾される倉田」がネタとしてハマりやすくなかなか廃れない。それこそ過去のガルパピコにも「心配性のましろちゃん」という過剰に不安を抱くエピソードがあります。ライブ後、周囲の反応がおかしいから「もしかして昨日のライブ、良かったと思っているのは私だけで、他のみんなは『新しいボーカルの子を入れよう』と考えてるんじゃ……そして邪魔になった私は地下労働施設に送られて、なんやかんやあって最後は猛獣と戦わされるんだ!」と思い詰める。だからCRYCHIC解散の報せを聞いて「私のせい」と思うようなネタも……いやさすがにセンシティブ過ぎるからやらないか。もしやるとしたら睦との領域展開バトルかな。ましろちゃんは空想癖が強く、ただ歩いているだけで空を泳ぐ魚や鯨を幻視するレベルに達しており、ムジカのモーティス劇場の描写で「ましろちゃんの空想」を連想したバンドリファンは少なくないだろう。バンドリキャラの中でモーティス劇場に迷い込んでもおかしくなさそうな子の筆頭がましろちゃんだから期待しています。あとは何より、禁断のハロハピコラボか……ハロハピこと「ハロー、ハッピーワールド!」というバンドは設定がブッ飛んでいる(お小遣い感覚でプレゼントされる豪華客船、アイ〇ンマンのような飛行能力を有した着ぐるみ、某国の王女様と瓜二つな容貌をしたメンバー等)せいで、「ただそこに存在するだけでリアリティラインが崩れる」ためマイムジでは出禁に近い扱いを受けている。他のバンドのメンバーは大なり小なりゲスト出演しているのに、ハロハピのメンバーはマジで名前すら出てきません。さすがにピコでは出禁措置も解かれるだろうから、方向音痴な松原花音とMyGOとの出会いとかもやってくれるはず。「笑顔の波状攻撃」弦巻こころと海鈴の笑顔対決も観たい。
最後に私の好きなピコのエピソードをいくつか選んで紹介します。まず無印の11話、「ハロハピスカイライブ」。こころの発案でスカイダイビングしながら空中でライブすることになったハロハピ一行……と、開始時点で既に狂っている。公式あらすじの「体に合わなかった現地の水」という一文が無駄にストーリーの広がりを感じさせます。次は大盛の8話、「カードファイト!! お姉ちゃん!」。妹キャラのふたりがカードゲーム方式でシスコンバトル(お姉ちゃん自慢)する話で、『カードファイト!! ヴァンガード』パロディでもある。これを元にした実写版(エイプリルフールネタ)もあり、「チラチラとカンペ見ながらセリフを読み上げる小澤亜李」という貴重な映像が拝めるぞ。それから大盛の12話、「ガールズバンド新聞」。毎日窓ガラスを突き破って配達されるガールズバンド新聞……って、ガルパのメインファン層に『恐怖新聞』ネタが通じるわけないだろ! ピコはホラー回がちょくちょくあり、同じ大盛の19話「ましろステーション」も都市伝説「きさらぎ駅」のパロディです。ふぃーばーの20話、「ゲームセンターともえ」。タイトルは『ゲームセンターあらし』のパロディだが必殺技は『キャプテン翼』や『キン肉マン』パロディというカオス回。なんとなくわかってきた人も多いと思うのですが、ピコのパロディは全体的にネタが古めなんですよ。だから恐らく新作も鬼滅とか推しの子とかフリーレンといった最近のパロネタはやらないはず。どうしてもギャグ回やカオス回の方が印象に残りがちだが、純粋に良い話として挙げたいのはふぃーばー24話の「ありがとう」。風邪で発声が困難になってしまった「湊友希那」のサポートをする「今井リサ」、ふたりの以心伝心な関係を描くほっこりエピソードだ。こういうのもあるから「本編の感動がブチ壊しになりそうでちょっと……」と怯んでいる人も是非勇を鼓してチャレンジしてほしい。
・マギレコこと『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』、ストーリーアーカイブ配信。3月1日から「チベットのラクシャーシー編」を配信。
サービス終了したマギレコのイベントストーリーを公式がYoutubeで配信する、という企画です。プリコネ(無印)が似たようなことしてましたね。マギレコは基本的に本編以外ボイスが付かず、テキストを読み進めるだけなのだがそれでも結構長くて、ひとつのイベントストーリーに1時間や2時間は掛かります。なかなか気合を入れないと通読は難しい。「通読は無理でも1個か2個は試しに読んでみたいな」という方にオススメしたいのがこちらの「チベットのラクシャーシー編」。イベントだけど終了後に本編へ組み込まれた、FGOのメイン・インタールードというか1.5部(Epic of Remnant)に近い位置づけのストーリーだ。現代の魔法少女たちが過去の時代に遡って歴史に干渉し、様々な魔法少女たちの活躍と末路を見届けるシリーズ「ピュエラ・ヒストリア」の一編で、モンゴルが猛威を振るっていた13世紀のチベットが舞台となっています。現地では魔法少女のことを「ラクシャーシー」と呼んでおり、救世主(ラクシャーシー)に祀り上げられ大国(モンゴル)へ立ち向かっていくハメになった少女「ヘルカ・ラマ」の短くも濃い生涯を綴っていく。
この話の主人公に当たるヘルカちゃん、意外なことに正義感はあまり強くなくて普段の生活態度も怠惰、頭は良いけど冷めた感情で達観しているヤン・ウェンリー型の子です。顔も知らない他人のために命を賭すなんて真似は到底できないが、親友である「ドルマ」を守り抜くためならどんな犠牲を払っても構わない、という覚悟で羅刹女(ラクシャーシー)になっていく。ドルマもヘルカのことを大切な親友と想いつつ、心の弱さから跪いてその顔を仰ぎ見ずにはいられない。ドルマの心を傷つけないために最後まで「ラクシャーシー」として振る舞おうとするも耐え切れず、死を目前にして年相応の弱さをさらけ出してしまうヘルカちゃんの姿に当時のプレーヤーは脳を灼かれたものでした。「こんなのってないよ、あんまりだよ」な結末にピックアップガチャを回す人が続出。「シナリオで殴る」を地で行くような内容であり、是非「このゲームやってたらクリア後に必死でヘルカちゃんのガチャ回していたかもしれんな……」と想像してゾッとしてほしい。本編のキャラも出て来るけど、あくまでヘルカとドルマ、ふたりの関係に絞ったストーリーなのでまどマギの基本知識(魔法少女と魔女の関係)さえ知っていればマギレコ知識がなくても大丈夫です。読み終わった後にふたりの平和な日常を描いた二次創作が欲しくなること請け合い。
・TVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」全話無料公開、5月までYouTubeで(コミックナタリー)
Youtubeで無料配信つってもアマプラとかで観れるだろうし……って調べたら今アマプラで配信してるのは2.5次元版だけでアニメの方はサブチャンネル契約しないと観れないのか。ならオススメしておこう。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は「舞台」――「演劇」や「ミュージカル」をテーマにしたメディアミックス企画で、アニメ版は2018年に放送されました。宝塚音楽学校をモデルにしたとおぼしき「聖翔音楽学園」で、舞台少女たちが「トップスタァ」の座を目指して激しく鎬を削る。刃を交えて「オーディション」という名の決闘に打ち勝ち、物理的に主役を掴み取れ! さあ歌って踊って奪い合いましょう。『アイカツ』みたいなアニメだと思って観たら『少女革命ウテナ』みたいなノリで『仮面ライダー龍騎』じみたバトルロイヤルが始まった、と放送当時に視聴者たちの度肝を抜いた作品です。聖翔は三年制で、アニメは主人公たちが二年に進級したあたりから始まるため人間関係はほぼ出来上がっており、いきなり観ると少し入りにくさを感じるかもしれません。コミカライズの『オーバーチュア』(序章という意味)が入学して間もない頃、主人公たちの一年時代を描いているから先にそっちを読んでおくと理解しやすくなるでしょう。ただオーバーチュアの時点ではオーディションが始まっておらず、あくまで「人間関係が理解しやすくなる」だけであって、別に飛ばしてもストーリーを追ううえで支障はありません。単純にコミカライズの出来がイイからアニメと併せて読んで欲しいですけどね。
はっきり言って最初のうちは「わけわかんないアニメ」って感想になると思います。いきなり「アタシ再生産!」と叫ばれて「なるほど」ってなる人の方が少ないでしょ。私も「演出が凝ってるな〜」くらいの感覚で観ていて、はじめの方はそんなに引き込まれなかった(「This is 天堂真矢」というキメゼリフも普通に笑った)が、第5話「キラめきのありか」で「あれ? このアニメひょっとして物凄く面白いんじゃない?」と気づき姿勢を正した。そう、九九組(聖翔音楽学園第九十九期生のうちレヴュースタァライトでメインになる9名)における私の推しは「露崎まひる」です。気の弱そうな女の子なんですけど、持ち歌である「恋の魔球」は情念たっぷりでドロドロしていて最高。「ねえ 私だけを見ててよ ほら 小さな光なんて 真昼になれば消えてしまう」 まひるちゃんがずっとお世話を焼いていた同室の少女(主人公)に「神楽ひかり」という幼馴染みが生えてきたので「光(あの子)なんて真昼(私)が消し去ってやる」と宣言してるわけですよ。とにかくレヴュースタァライトは情念の篭もった歌詞やセリフが多くて「言葉が主食」な人間にはたまらない。去年出たゲーム版の曲「Star Darling」にも「あなたになれない だからあなたを傷つけられる」なんて歌詞があって「何食ったらこんなの出力されるんだ」と震えました。
レヴュースタァライトは最初からバトルロイヤルとして構想されたわけではなく、初期案だとネウロイ的などっかから湧いてきた謎のエミネーと戦う「少女戦隊」めいたプランもあったそうだ。その名残か、舞台版ではコロス(群衆)という謎のエネミーが登場する。しかし、1クールで9人ものメインキャラを捌くとなると戦隊モノは尺が厳しいため、少女同士がぶつかり合うバトルロイヤル形式に落ち着いた。特にアニメ版は舞台版にあったコロスや教師役も消滅し、「舞台少女vs舞台少女」という構図に専念する。こう書くと「アニメ版は殺伐としているんだな」と感じるかもしれませんがむしろ逆で、お互いに全力で感情をぶつけ合うからこそ相手を認める&ともに高め合うことができる内容になっており、教師たちのもとで「競争」を意識して戦う舞台版の方がどちらかと言えばピリピリしている。イギリスからやってきた帰国子女の「神楽ひかり」に対し「なァんかスカしてんな」とこぼす「石動双葉」や、「まぁ元気だけでキラキラを売りにしている愛城さんにはわからないでしょうね」と嫌味を言う「天堂真矢」、「屍は戦場に晒すもの――ウチに敗北の二文字はおまへん」と嘯く「花柳香子」など、アニメ版からは想像しにくいシーンもある。舞台版は結構ドタバタしていて騒がしいからギスギス感もそこまで気にならないが、舞台版をベースにしたコミカライズ『舞台 少女☆歌劇 レヴュースタァライト ―The LIVE― SHOW MUST GO ON』はスラップスティック要素を抜いているせいでかなり剣呑な雰囲気を放っている。舞台版にしろアニメ版にしろレヴュースタァライトに通底しているのは「想いの強さが言葉の強さとして反映される」というロジックであり、細かい理屈はさておいて「言葉の強さ」に着目して視聴すると話を呑み込みやすくなります。涙を流して喚いている相手に「泣かないで」と言ったり「泣くな!」と命令したり黙ってハンカチを差し出したりするのではなく「泣き顔も可愛いですよ」って微笑みかける、これは強い。「お前は泣き顔が可愛いと褒められてめそめそ泣き続けるようなタマじゃないだろ?」と煽ることで泣きやむよう促しつつ「それはそれとして本当に泣き顔も可愛いですよ(はぁと)」と口説いている。あまりにもハイコンテクストすぎるセリフで好きです。
そんなTVシリーズの内容をまとめた総集編が劇場版第1弾『ロンド・ロンド・ロンド』であり、ロロロの続きを上演する完全新作の劇場版第2弾が『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(通称「劇ス」)です。TVシリーズを観た直後ならロロロは飛ばしていきなり劇スに行っても構わないかもしれません。劇スで主人公たちは三年生になり、いよいよ「今後」について真剣に考えなくてはいけなくなる。舞台少女の「卒業」と「進路」を描く、アニメ版の完結編に相当するストーリーです。一度観ただけでは咀嚼し切れないほどの情報量が押し寄せてくるムービーであり、もうBDはほとんど買わなくなった私でも買わずにはいられなくなる出来でした。去年はCSゲームとして『少女☆歌劇 レヴュースタァライト 舞台奏像劇 遙かなるエルドラド』も発売されています。まだレヴュースタァライトの展開は完全に終了したわけではありませんが、稼ぎ頭だったアプリ(スタリラ)も去年サービス終了になったし、もうあとは2.5次元方面で動きがある程度で、恐らく今後アニメの新作が制作されることはないだろう。というか、あれだけ尖った内容のアニメで劇場版を2本もやれたのは奇跡だったな。今回の無料配信でアニメにハマった人はいろいろ調べて『少女☆寸劇 オールスタァライト』というアプリ内で配信されていたミニアニメの情報に行き着くかもしれないが、ぶっちゃけアレはそんなにオススメできないです。概要としてはガルパピコ系のおちゃらけショートアニメながら、キャラの解像度が低すぎて個人的に不満大でした。あれ観たおかげで「ピコって一見メチャクチャやってるようでいて、キャラ解釈っていう守るべき一線はちゃんと守っていたんだな」と気づくことができた点のみ収穫。そもそもアプリやってないとわからないキャラばかりなのに、肝心のアプリはもうサ終してますから……。
いや、しかし懐かしいな……サ終する頃にはもうやってなかったけど、スタリラはサービス開始からしばらくはプレーしてたんですよね。「中の人が一緒だから」という理由で『探偵オペラ ミルキィホームズ』とのコラボをやったりとかなり趣味に走った自由なゲームでした。コラボイベントはいろいろあったけど、シンフォギアやラブライブサンシャインあたりはともかく、シュタゲコラボは今振り返っても「なぜやったんだ?」って首を傾げてしまう。スタリラは基本的に男キャラの出てこないゲームなんですが、オカリンだけは例外でちゃんと立ち絵もあったんですよね。バンドリコラボで歌ったカバー曲「イニシャル」は今聴いてもカッコいい。バンドリとは何度かコラボしていて、ポピパ以外にRAISE A SUILENとのコラボもあったんですよ。凛明館の5名のうち2名がRASと声優被ってるという中の人ネタだったんですけども。
最後に、「しかしなぜ今頃になって全話無料配信なんてキャンペーン打ってるんだろう?」と不思議に感じて調べたら、どうもレヴュースタァライトがスロット化するみたいで、それに合わせての施策みたいですね。スロ屋に「届かなくて、まぶしい」と再演(追加投資)を重ねたり「ショジキン・ゼロ!」と叫んだりする舞台創造科の生徒が溢れてしまうのか……補足説明しますと、聖翔音楽学園には俳優を目指すA組(アクター、アクトレスのA、正式名称は「俳優育成科」)と大道具・小道具・照明・演出・脚本など裏方仕事を学ぶB組(「舞台創造科」のB)、ふたつのコースがあり、舞台版レヴュースタァライトの観客は「B組の生徒」としてA組の面々を見守っている、という設定になっています。なのでキャストが客席に向かって「B組のみなさん!」と呼びかけるシーンもたまにある。「舞台創造科≒レヴュースタァライトのファン」というわけだ。サ終したスタリラも、当初は「舞台創造科の生徒として舞台少女たちに接する」という形式になっていました。ガルパでプレーヤーの分身が「ライブハウスの新人スタッフ」ということになってるのと似たような感じですが、複数の演劇学校が出てくる関係もあってこの設定は割とすぐ有耶無耶になりました。そのへんの文脈を延長すると「学校にも行かないでスロット打ってるB組の生徒たち」というイヤな絵面が想起されてしまうが、何であれこのスロットが大ヒットしたらアニメの新作が出来る可能性もゼロではありませぬ。スロッターからキラめきという名のショジキンを奪ってアニメ再生産できるかも、と思うと胸がアツくなるな。
・拍手レス。
いいですよねQ.E.D. マジック&マジックが堪らなく好きなんだ
覚えてないから読み返しましたけど、意識の盲点を衝く内容で面白かった。『Q.E.D』は人の死なない話でも盛り上がりがあるのがイイですね。私は初期エピソードの「ヤコブの階段」が好きです。人が死ぬ奴だと島田荘司感のある「凍てつく鉄槌」はタイトルも含めて完成度高い。