2025年1月〜
2025-02-26.・「忍者と極道」TVアニメ化!近藤信輔の描き下ろしビジュアル到着 全話無料公開も(コミックナタリー)
報せと同時に「“幻想(ユメ)”じゃねえよな…!?」が飛び交う事態となった。「忍極」こと『忍者と極道』は元ジャンプ作家の「近藤信輔」が漫画配信サイト「コミックDAYS」で2020年から連載しているアクション漫画です。主人公の名前が「多仲忍者(タナカ・シノハ)」、ラスボスの名前が「輝村極道(キムラ・キワミ)」なので当初の正式タイトルは『忍者(シノハ)と極道(キワミ)』だったのですが、「ニンジャとゴクドウ」と発音する読者があまりにも多かったため現在は『忍者(ニンジャ)と極道(ゴクドウ)』の方が正式タイトルになっています。「明暦の大火」(『明暦水滸伝』読むとイメージが湧くのでオススメ)の頃から延々と続く忍者と極道の因縁に、そろそろ決着をつけよう……という話で、「帝都八忍」vs「破壊の八極道」の構図で激しいバトルが繰り広げられる。連載は現在第六章「天秤は厄祭に堕つ」を展開中、キャンペーンで全話無料公開中なので「興味あるけど読んだことない」「途中まで読んでた」という方はこの機会にどうぞ。アニメ化される範囲は長くても第五章の「極契大壊嘯(ブロマンス・タイダルボア)」まで、尺を考えると第四章の「幼狂死亡遊戯」までが限界じゃないかしら。
ネットで一番バズったのは第三章の「情愛大暴葬」、“暴走族神(ゾクガミ)”殺島(ヤジマ)のカリスマ性も相俟ってミーム化しました。最低でもそこまで(単行本で言うと4巻まで)は確実にやるはずです。序章「忍者と極道 邂逅す」、第一章「赤坂血風狼烟」、第二章「燃える仁義のカブチカ」、このへんは比較的短い(単行本で言うと2巻あたりまで)。「幼狂死亡遊戯」からが長く、切りどころが難しくなっていく。とにかく生首が飛びまくるし、児童臓物(ガキモツ)なんてワードは出てくるし、極道はヤクをキメて戦うしで、「アニメ化不可能では?」とずっと言われ続けてきた漫画なんですが、これのアニメ化が実現したということは『Dクラッカーズ』にも期待していいのかな……ドラッグをキメた高校生たちが悪魔(デビル)を召喚して戦う話です。
SNSでは忍極アニメ化の衝撃で「アニメ化不可能」と囁かれていた作品のファンたちが希望を持ち始めているのが笑えます。『ハイパーインフレーション』『Thisコミュニケーション』『淫獄団地』『ローゼンガーデンサーガ』『サタノファニ』『パラレルパラダイス』『チンチンデビルを追え!』etc……このニュースと同時期に漫画家の「猿渡哲也」がXを始めたので「タフのアニメ化も近いのでは?」という噂が飛び交っていてカオスになっています。ネットでは「タフ語録」で有名なタフ、かつては『グラップラー刃牙』や『修羅の門』と並んで「三大格闘漫画」と呼ばれていましたが、掲載誌の関係もあってタフだけはややマイナーな存在でした。『高校鉄拳伝タフ』から始まり、続編の『TOUGH』、主人公を変更した『TOUGH 龍を継ぐ男』と3作(外伝として『OTON』、スピンオフとして『Devils×Devil』もある)続いており、既刊は延べ100冊を超える大長編。その場の思いつきとしか考えられないような一貫性のない展開の連続で、まぁそこはライブ感重視というかバキとかも大概なので別にいいんですが、サイボーグとかロボットとか「それは格闘漫画でやっていいのか?」という要素も盛り沢山である。使い捨ての敵がどんどん出てきてどんどん消えていくので久々に読み返すと「こんな奴いたっけ」ってなりますね。
あと、忍極とは何ら関係ないがコミックDAYSでは『Q.E.D. 証明終了』も全話無料公開中。『Q.E.D.』は1997年に連載開始した推理漫画で、全50巻と相当なボリュームを誇っているが金田一少年やコナンに比べるとややマイナーであまり読まれていない感じがします。現在は続編の第二部『Q.E.D. iff ―証明終了―』が終了し、更なる続編の第三部が開幕を控えている。公開期間が短く、50巻全部を読み切るのは至難ですが、とりあえず読める範囲だけ読んでみることをオススメします。比較的短めのエピソードが多いので、気軽に挑むべし。
・「火喰鳥 羽州ぼろ鳶組」マンガ化&TVアニメ化決定 ティザーPV公開(コミックナタリー)
ドラマ化じゃなくてアニメ化なのか。直木賞作家「今村翔吾」の時代小説で、「羽州ぼろ鳶組」がシリーズ名、『火喰鳥』はシリーズ1作目のタイトルです。既刊は13冊(本編11冊と番外編2冊)もある著者の代表シリーズだが、ここ3年くらいは新刊が出ていません。直木賞獲ってから仕事が殺到していて書く暇がないのかな……ネトフリでドラマやってる『イクサガミ』も担当編集が「無理を言って引き受けてもらった」みたいなこと語ってたし、スケジュールが相当ギチギチなんでしょう。マンガ化&アニメ化に際して公式サイトに3000字ものコメントを寄せており、シリーズそのものに対する愛着の深さは充分過ぎるほど語られている。もはやコメントというよりちょっとしたエッセイだ。
主人公の名前は「松永源吾」、江戸随一の火消侍として名を馳せた男で、奴の手に掛かればどんな火だってイチコロだぜ! という意味で「火喰鳥」の二つ名を持つイケイケ野郎だったんだけど、とある事故がもとで火消をやめて浪人になり、妻と一緒に内職で糊口を凌ぐ貧乏武士となってしまった。そんな彼のところに好条件の仕官話が届き、女房の圧に負けて引き受けることに……という、「落魄した男がかつての理想を取り戻していく」タイプのアツい再生物語です。「ぼろ鳶」と蔑まれる曲者集団を率いるところからタイトルが来ており、「あぶれ者たちが力を合わせて困難に立ち向かっていく」チーム物でもある。ちなみに設定年代は1770年頃で、忍極のプロローグに出てくる「明暦の大火」(1657年)からは110年以上経っています。
・木曜日になると「『BanG Dream! Ave Mujica』の放送日だ」とそわそわしますが、第8話「Belua multorum es capitums.」は八幡海鈴回……と見せて半分くらいは若葉睦回でした。
アバン、深海のような水の中を沈んでいくモーティス。CRYCHIC再結成によって苦しみから脱した睦ちゃんはモーティスを必要としなくなり、その人格(ペルソナ)も消滅しようとしていた。しかしモーティスは「死にたくない!」と足掻く。モーティスちゃん、奇しくも「死」という名前を与えられたせいで「死は死なない」という頓智みたいな状態に。Aパート、1ヶ月休んでいたせいで勉強の遅れている睦ちゃんの面倒を看る祥子。なんと学校を休んでまで睦ちゃんのケアに専念しているらしい。さすがに学校は通いながらだと思っていたので意外だ。お爺様も「まぁ睦ちゃんのためなら……」と容認しているのか? 気分転換のためお散歩に出かけた二人は、中学生のときにみんなと来た思い出の場所であるカラオケ店へ入る。睦ちゃんは例によってパスパレの曲「もういちどルミナス」を歌う。パスパレこと「Pastel*Palettes」は商業アイドルバンドで、華やかな見た目に反して初期のエピソードは割とギスギスしており、それこそAve Mujicaのように解散してもおかしくない雰囲気になったこともあった。パスパレは最初から商業バンドとして出発しており、仲良しな女の子たちが集まってバンドを組んだわけではなく事務所の思惑で集められた子たちがバンドを組まされたので、初期の段階だとあまり結束感がないんです。夢も目標もバラバラな寄せ集めの女の子たちは様々な困難に直面しつつ頑張って人気を獲得するが、それぞれがステップアップしたことにより「みんなソロで忙しいしパスパレはもう無理に続けなくていいんじゃない?」という問題に直面します。「みんなの目指すべき未来」が何であるか、考えて考えて自分たちで答えを導き出していく。せめて「やりきった」と確信が持てるまで……理想とする「最高のステージ」に辿り着くまで走り続けたい、と。「もういちどルミナス」は解散の危機に瀕しながら天上の星、絆(バンド)の輝きを掴もうと懸命に足掻いて歌う曲なので、歌詞の内容は結構切ないんですよね。そういう意味でこれから復活を控えているであろうムジカとも重なる部分のある曲だ。
幼なじみ二人によるカラオケデートの和やかな雰囲気は睦ちゃんの「もう一回、祥とCRYCHICやりたい」発言で一瞬にして暗転する。む……睦ちゃん、他のメンバーがボロボロと涙をこぼしている中で一人だけ頬を上気させて笑っていた(モノローグもなかった)の、単純に「これがCRYCHIC最後の演奏になるんだ」という事実を理解できていなかったということなの!? 「還ってくる……私たちの“黄金時代(オウゴン)”が還ってくる!!」って微笑みだったのか。「元サヤですか、よかったですね」という海鈴の発言に何の躊躇いもなく即座に頷いた理由も判明してしまった。そよが「私たち、見たいものしか見てなかったのかな……」としっとり述懐している横で本当に見たいものしか見てなかったって……こ、こいつ……! さすがに唖然としましたわ。困惑する祥子の前に浮上するモーティス。モーちゃんはアレがCRYCHICの卒業式だったことは重々承知しており、睦ちゃんを説き伏せようとするが睦ちゃんは頑として聞き容れない。モーちゃん曰く自分も睦ちゃんも元は沢山あった「役」の一つに過ぎず、かつての若葉睦は数え切れないほどの「役」を演じていたと云う。祥子が「昔の睦はもっと喋っていた、笑っていた」という伏線が回収されてしまった……その「役」はもうないよ、という残酷な真実とともに。若葉“レギオン”睦、その少女は墓(自宅地下スタジオ)に住み、あらゆる者もあらゆる鎖もあらゆる総てをもってしても繋ぎ止めることが出来ない。彼女は縛鎖を千切り枷を壊し狂い泣き叫ぶ墓の主、裁かれざる無罪(ムツミ)の軍勢なり。混沌より溢れちゃうな、怒りの日が。ちなみに「我が名はレギオン」の元ネタはマルコの福音書第5章ですが、マタイの福音書第8章にも同じ出来事を綴ったと思われる箇所があり、そちらの方だと墓で悪霊に取り憑かれている者は「ふたり」と記述されています。
「睦ちゃん」は主人格なだけで基底人格(物心ついたときに出来上がる人格)ではない、という説は以前からあったけど、「睦ちゃんは死んじゃったよ☆」のときに一瞬だけ出てきた「私は真面目」が素の若葉睦なのかな……あれはもう人格というより管理ソフトウェアみたいなムードだったけど。睦ちゃんがストレスを感じたときに観る「無数の無表情な睦」は抜け殻になってしまった「役」の成れの果てらしい。あの観客席は俺翼で言うところの「奈落」であり、並んでいるのは崖下に落とされたガダラの豚どもだったわけか。幼少期特有の不安定さで「数多の役を無意識に演じ分ける」混沌の軍勢と化していた若葉睦だったが、「睦ちゃん」がギターと出逢って演奏することに夢中になった結果、「他の役」が淘汰されていってお人形のように可愛いけどお喋りが苦手で共感能力も低いギターモンスターの睦ちゃんが主人格になった……と。2話や3話で「精神的に追い詰められた可哀想な犠牲者」として描かれていた子が実は頂点捕食者(エイペックス・プレデター)だと判明し、雲行きは一気に怪しくなります。
モーティスは睦ちゃんが「耐え切れないくらいイヤなこと」があったとき退避するために用意していた内面世界における対話型インターフェースであり、無銘である「他の役」が次々と消灯・閉幕していく中で辛うじて存続していたようだ。どちらかと言えばイマジナリ・フレンド的な存在だったみたいだが、3話で睦ちゃんが「モーティス」と呼んだ=名前が与えられたことで副人格として機能し始めた模様。しかしモーティスはムジカというバンドを守れなかったせいで睦ちゃんに失望されており、主導権を完全に奪われたわけではないしろ消滅の危機に瀕している。無二の盟友に対して「おまえはもう要らんぞ、ハイドリヒ」と言い放った『Dies irae』のメルクリウス並みにエゴエゴしくてゾクゾクするな、この睦ちゃん。「睦ちゃんは見たいものしか見ない」というモーティスの指摘。6話、楽奈の演奏で「歌ってる……」って睦ちゃんが目を覚ましたとき、TV(外界で演奏されている楽奈のギター)に夢中になっている睦ちゃんの意識を自分に向けさせるためモーティスがリモコンでTVを切るシーンがあったけど、あれは「モーティスの身勝手さ」を描写しているわけじゃなくて「そうでもしないと睦ちゃんは話を聞いてくれないから」ってことで、意味合いがだいぶ変わってくるな。CRYCHIC復活の可能性を信じてしまっている睦と、CRYCHICを諦めさせて代わりにAve Mujicaをやらせようとする(そうでもしないと自分が不用品として廃棄されてしまう)モーティスとの相剋。若葉睦の中で奇妙な綱引きが始まった。「役」に過ぎなかった他の面子と違って副人格レベルにまで昇格したモーティス、「一度生まれたものはそう簡単には死なない」を地で行くしぶとさで好きだ。
一方「元サヤになりませんか」とコナをかけたもののあえなくフラれてしまった八幡海鈴。唯一心を許している立希からも「海鈴、信用できないし」とバッサリな発言をされています。そこでショックを受けてヤケ買いに走り、大量の荷物を抱えたままにゃむへ会いに行く海鈴ちゃん、だいぶ面白いことになっている。というかベース立希に預けたままじゃん……後日回収したんだろうけど、普通に怒られただろアレ。にゃむはにゃむで若葉睦の怪物性をその母親である「森みなみ」からレクチャーされているが、紹介された仕事を断ったことに謝罪するにゃむに対して即座にその「怯み」を見抜くの、謎の強キャラ感があって面白い。実の娘に「みなみちゃん」と呼ばせたりムジカ解散後はあんな調子なのにろくなケアしてなかったの、無関心ゆえの放置かと思いきや、まさか「娘とは思えない(思いたくない)」ゆえの距離空けだったとはな……傍から見ると単なるネグレクトのカス親でしかないが。にゃむは実の母親でさえ愛することができなかった、圧倒的に格上である「演技の怪物」睦を受け容れ、呑み込まれることなく愛することができるのか? アモーリス(愛)の度量が試されている。そんなにゃむ相手に海鈴は「なぜ自分はこうなったのか」という過去を打ち明けますが、「それって長い?」とあまり聞く気のないにゃむの態度もあって悲壮感はあまり漂わない。ただ、内容自体は結構悲惨だ。最初に組んだバンドは「結構うまくやってた」が、海鈴が仕切り屋としてメンバーに指図し過ぎたため、ライブ当日にボイコットされたった一人でステージに立つことに……と、MyGO9話ラストの燈よりも辛い事態に陥っている。あの後に枠を埋めるためベースソロで演奏したのかと思うと、可哀想すぎて胸が痛む。ただ、「一致団結してた」という割には他のメンバーがすごく白けたような表情をしてるので、当時の海鈴ちゃん相当口が悪かったのでは……? ハートマン軍曹とかフレッチャー教授並みだった疑惑。
悲劇直撃の心痛から「仕事はこなすけど責任は持たない」便利屋ポジションに落ち着いた海鈴ちゃんが掛け持ちしているバンドのひとつ「ディスラプション」のメンバーもチラッと出てきます。ギターボーカルの「セーナ」とドラムの「シエラ」、二人とも人が良さそうで、その気になれば正式メンバーとして採用してくれるんじゃないかという印象を受けましたけど、どうも海鈴本人が乗り気じゃないっぽいんですよね。ディスラプションはいいバンドだけど海鈴は主導権を握ることができない。新生ムジカなら望むように舵取りできる……と期待しているのだろうか。睦に弾かせるのではなくモーティスをビシバシとしごいてギターを覚えさせる、という道を選んだ海鈴だが、その行為を憐れむように久々に登場した初華が「いくら飾り立てたとしても本物にはなれない。人形は所詮人形なのだから」と不吉ポエムを詠み上げる。今回ずっと曇り顔してばっかりでまだ具体的なアクションには移っていない初華。相方の「純田まな」はにゃむが断った仕事をゲットしたみたいで、なにげに活躍しているな。これはもう「ソロでやっていけるから」と初華を笑顔で送り出した後に一人で半分のドーナツを食べてポロポロ泣く展開来ちゃうか……? それにしても、そよといい海鈴といい『ふつうの軽音部』の厘といい、「ベーシストは陰謀家」という最近の風潮はなんなんだ。
次回第9話のタイトルは「Ne vivam si abis.」、「Ne」が否定(not)で「vivam」は「生きる」の一人称単数、「si」は仮定(if)で「abis」は「去る」の二人称単数。「あなたが去るのなら私は生きるのをやめよう」、「あなたなしでは生きられない」というような意味になるみたいだが、出典がよくわからない。諺や格言にしては内容がストレート過ぎて含意がないように感じるんだよな。こういうこと言いそうなキャラの筆頭は初華なわけで、「さきちゃんがいないと、私……!」って例のそよのポーズで縋りついてきそうなイメージしか湧かない。PVの「嫌いに、ならないで……」というセリフもそろそろ来そう? これ嫌われるようなことしてるのが前提なわけだから怖い。7話の「Post nubila Phoebus.」(雨のち晴れ)で希望が見えたのも束の間、ずっと不穏なタイトルが続きますね。この調子だと10話のタイトルは初華が遂に噴火する「Dies irae.」(怒りの日)になりそう。「鳴いてよ。さきちゃんの慟哭はぬるすぎるんだ」。11話は「Spem metus sequitur.」(恐れは望みの後ろからついてくる/希望と恐怖は表裏一体)あたり。で、12話は「Nemo ante mortem beatus.」みたいなラインナップになるんじゃないか。「誰しも死の前に幸福を得ることはできない」という意味で、ギリシャの歴史家「ヘロドトス」の書に出てくる言葉をラテン語訳にしたものです。死という結末を迎えるまで人生はいくらでも変転しうるのだから、どんな状況であろうと「めでたし、めでたし」にはならない。最終話はタイトル回収の「Ave Mujica.」かしら。そうでなければ「Sic itur ad astra.」(かくして人は星に向かう)か「Per aspera ad astra.」(苦難を乗り越えて星を目指す)か、どちらにしろ「ad astra(星へ)」が入っていると予想しています。バンドリは結局のところ星の鼓動(スタービート)を巡る物語であり、「ボーカルは星」なんですから。
・杉井光の『この恋が壊れるまで夏が終わらない』読んだ。
ライトノベル出身の作者による時間遡行サスペンス、いわゆる「やり直し物」です。蔵書整理しているときにポロッと出てきて「ああ、そういえばこんなん買ってたな」とパラパラめくっているうちに熟読してしまい、気づけば読み切っていた。これの後に出した『世界でいちばん透きとおった物語』がドデカいヒットを飛ばしていることもあってか、あまり話題に昇らない本だけど結構面白いじゃないか。杉井光というと、どうしてもあの事件(詳しく語りたくないので気になる人は「杉井光 事件」でぐぐってください)を思い出してしまって手が伸びにくかったが、そろそろ向き合って他の既刊も崩すべきかしら。
きっかり12時間、心の中のハンドルを回せば時は遡る――幼い頃から有していた特殊な能力を、「柚木啓太」はなるべく使わないようにしていた。まず単純に、身体にかかる負担が大きい。時を戻すと必ずヒドい頭痛がする。使う間隔が短ければ短いほど負担は増し、頭蓋は割れんほどに痛む。だから、よっぽどのことがないかぎり能力を鞘から抜かないようにしていた。あの夏までは……という感じで、使用に対するリスクがそれなりにあるタイムリープ能力を駆使して「よっぽどのこと」を「なかったこと」にするため主人公が奔走する話です。あらすじにも書いてるからバラしてしまうが、端的に書くと主人公が「なかったこと」にしたい事象は「先輩の死」です。彼は同じ図書委員の「久米沢純香」に想いを寄せており、彼女の関心を買うために彼女が薦めてくる本を一生懸命読破したり、「部員が少ないから入ってくれない?」とお願いされて興味もない美術部に入部したりなど、涙ぐましい努力を重ねている。「橙子」という幼馴染みの少女も出てくるが、もしこの作品がアニメ化されたら橙子派の視聴者が続出するだろうな……「啓太、純香は諦めて橙子ちゃんにしとけ!」って声が掛けられそうなほど、主人公にはハナから勝ち目がない。
つーか、「先輩の死」という物語のターニングポイントに辿り着いた時点で「先輩の本命」は既に歴然としており、主人公の片想いはほぼ確定している。どれだけ時を戻し、「先輩の死」を「なかったこと」にしても彼の失恋は覆らない。恋愛的には最初から負け戦で、もう敗戦処理の類なんですよ。何度戻ってもなぜか「先輩の死」は防げず、まるで運命に嘲笑われているかのように純香の命が指の隙間をすり抜けていく。募る徒労感。荒む心。「どうせこの周は捨てゲーだから」と割り切って先輩の死体を脇に転がしたまま手掛かりを探すシーンもあり、彼の心がどんどん壊れていくのは辛い一方で「どこまで落ちるんだ……?」というワクワク感が湧いてくる気持ちも否定できません。周回するごとに知りたくもない事実を知ってしまい、もはや「脳が破壊される」と茶化す気も失せるぐらい散々な状態になるんですが、ペース配分が絶妙なおかげで読んでいてストレスは溜まりませんでした。
実は「先輩の死」が発生するのって冒頭ではなく、仮にこれが1クールアニメだとしたら6話の終わりくらい、折り返し地点まで進んだところでようやく……なんですよね。だから「先輩の死」っつーのは結構なネタバレ要素なんですが、「主人公にタイムリープ能力がある時点でこの先輩は死ぬんだろうな」とあらすじを読んでいない私でも察したぐらいだから致命的なネタバレではありません。半分近くが前フリに当たり、この前フリ部分を丁寧にやっているおかげで主人公がどんな奴なのか伝わってくるし、「募る徒労感」「知りたくないことを知る」という重たい部分もスピーディに過ぎ去っていく構成になっています。イイ具合でダレずに一気に読み通せるサスペンスに仕上がっており、素直に上手いなぁと感じ入りました。
最終的にどんな結末を迎えるかは当然ネタバレなので書けないが、後味の良い読後感なのか、後味の悪い読後感なのか、そこに触れるだけでも相当なネタバレなのでは? と躊躇してしまい、何とか言葉を濁して有耶無耶にしようと思っていましたが、刊行からだいぶ時間も経っているしうちのサイト覗いている人も少ないだろうからハッキリ書いてしまおう。後味は、良い。苦味の多い作品ながら希望や祈りも残るエンディングになっていて、「読んでよかった」と確信できる一冊です。タイムリープという飛び道具があるせいで分かりにくくなっているけど、要するに主人公が失恋を失恋として受け容れる物語なんですよね。現実を受け容れたくないあまり目を逸らしてイヤなこと全部やり過ごそうとしていた主人公が、しっかりと現実を見据えて向き合っていく。サプライズを期待すると拍子抜けかもしれませんが、「一気読みできる青春ミステリ」を味わいたいときにオススメしたい。いやー、こういうのがあるから積読はやめられないんだよな。さすがに最近は買う冊数かなり減らしてますけど。ここんところ置き場の問題が深刻化しているため、漫画やラノベは紙から電子書籍へシフトしつつあります。電書は電書でセールのときについ買い過ぎてしまうという悩みもありますが……。
2025-02-19.・冬アニメ、Ave Mujicaの感想ばかり書いてるけど『花は咲く、修羅の如く』、『もめんたりー・リリィ』、『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』、『全修。』、『空色ユーティリティ』あたりも続きを楽しみにしている焼津です、こんばんは。
『花は咲く、修羅の如く』は漫画原作で、『響け!ユーフォニアム』の「武田綾乃」が原作を手掛けています。その関係もあって作中に武田綾乃作品が出てくる。作中作にすることで過去の小説を一場面とはいえアニメ化してしまう、こんな抜け道があったのか! と感心しました。「朗読」をテーマにした珍しい作品で、主人公が何かの文章を読み上げるたびに周囲の空間が創造位階の如く塗り替えられることから「領域展開アニメ」と呼ぶ向きもあります。登場人物たちの意見がぶつかり合う、いかにも「青春アニメ」って作品なのですが、題材が地味なせいか世間ではあまり注目されていない気配が漂う。正直言って私も主人公の「春山花奈」ちゃんが可愛いから観続けられている部分はある。第6話「原稿とパンケーキ」の「私の原稿〜♪ 私が大会で読む原稿〜♪」と歌いながら廊下を歩くシーンの可愛さ半端ないよ。本好きのほとんどは黙読派なので朗読に対する関心は薄いかと思われるが、「カレー」と「カレーパン」でイントネーションが変わるなど小ネタ的な箇所も興味深くてなかなか面白い。花奈ちゃん、引っ込み思案で人と関わるのが苦手なタイプなんだけど、気に入った相手には結構グイグイ行くし自分の意見も表明するので観ていてストレスを感じないです。ツンデレでチョロインな「夏江杏」も可愛いよ。
『もめんたりー・リリィ』は作画が特徴的な「GoHands」の新作、オリジナルアニメです。「もめんたりー」は「MOMENTARY」、「束の間の」という意味。タイトルがちょっと似ているが『アサルトリリィ』とは何の関係もありません。ほとんどの人間が消滅してしまった街を舞台に、巨大な武器を持った少女たちが謎の機械エネミー「ワイルドハント」と戦う――っていう、要素的には『アサルトリリィ』と共通する部分もある。ただ、なんで少女たちがこんなに強いのかはよくわからない。ワイルドハントが襲来する前は普通の女子高生として日常生活を送っていたっぽいんだけど……とにかく細かい説明を抜きにして話がどんどん進むので、細部が気になる人は付いていけないかもしれません。バトルとは別に「割烹」――つまり廃墟になりつつある街で料理に励むことで明日への活力を得る、という要素もあるのですが、調理シーンをザッと流して摂取シーンはバッサリとカットしてしまうため、「飯テロアニメ」にもなっていないっつー奇妙な作品だ。良くも悪くもポイントを外してばかりで、「よくわからない」んだけど謎の中毒性があって心地良い。「わからなさ」に関してはオープニング映像を観るだけでも理解できます。なんかスゴいグリグリ動いてるけど、「スゴい」こと以外何も伝わってこない。メイン級のキャラが突然死亡したり、余裕ぶっていたキャラが追い詰められて「ふざけんなよ誰も来ないじゃない!」「死にたくない……死にたくない……!」「これは夢……これは夢……」と度を失うシーンがある一方、1話丸々使って水着ではしゃぐエピソードをやったりと、ホントどういう層にリーチしたいのかまったく不明でカオスな一作に仕上がっています。切ろうかどうか迷っているうちに癖になってきて切れなくなりました。主人公が記憶喪失で、「失われた記憶」に何か鍵があるんだろうけど、鍵が見つかった程度で収拾つくんかなコレ。ちなみにコミカライズ作品もあり、キャラ自体は一緒なんだけど話がまったく異なるので読むと理解が深まるどころか混乱が増します。
『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』、略称「沖ツラ」は漫画原作。東京から沖縄から引っ越してきた男子高校生が、沖縄弁(うちなーぐち)ばりばりの女の子や沖縄独特の文化に戸惑いつつ、だんだん馴染んでいく……というユルめのラブコメだ。おまグン(『お前はまだグンマを知らない』)の味付けをめちゃめちゃソフトにしたらこんな感じになるかな、って作品。「沖縄あるある」な豆知識がメインで、ラブコメ的な進展はほとんどないんだけど、沖縄弁を通訳してくれる同級生の「比嘉夏菜」が主人公に仄かな想いを寄せている(主人公は鈍感なので気づかない)のが可愛くてホッコリする。分類上は「三角関係ラブコメ」に当たるが、修羅場までは行きそうにない感じかな。沖縄を舞台にした作品はいろいろあるけど、私の印象に強く残っているのは馳星周の『弥勒世(みるくゆー)』。1970年前後、返還前の沖縄でCIAの手先になって「薄汚いスパイ野郎」として暗躍する主人公を描くドス黒い小説です。アメリカの手先なんだけどアメリカも大嫌いなので、彼の虚無と憎悪は全方位に向けられる。タイトルの「弥勒世」は「弥勒様が治める理想の世界」を意味する。沖縄は島社会という土地柄ゆえか「偉大なる神は外(海)からやってくる」という感覚が強く、弥勒信仰が盛んです。弥勒様のおわすところがニライカナイ(遥か彼方)と呼ばれる異界で、このへんは仏教というより道教の「蓬莱信仰」に影響されているかな。私もあまり詳しくないが、沖縄における「弥勒様」って神仏よりも神仙に近い存在なんですよね。なので「弥勒様=弥勒菩薩」のイメージで解釈しようとすると混乱する。もともと道教的なニライカナイ(蓬莱/異界)と神仙(来訪神/海から来る者)の信仰があって、そこに後から仏教思想が入ってきて「弥勒」という言葉が乗っかった結果ごっちゃになった感じです。
『全修。』はアニメ監督を主人公に据えたオリジナルアニメ。制作スタジオは『呪術廻戦』で知られる「MAPPA」です。タイトルの「全修」は「全て修正」、それまでに描き上げた画を全部没にして一からやり直すという、アニメーターが一番聞きたくない言葉である。「オールリテイク」とも言うらしい。『SHIROBAKO』みたいなアニメ業界を題材にしたお仕事アニメかと思いきや、1話目で腐った弁当を食べて気絶(死亡?)したアニメ監督の主人公が何度も観たことのあるアニメ(自分が監督した作品ではない)の世界に入り込んでしまうという、「異世界転生」もしくは「異世界転移」のアニメです。主人公が入り込んだのは『滅びゆく物語』というアニメの世界。主人公が小学生の頃(平成18年という設定なので、実はそんなに大昔ではない)に公開された劇場アニメで、興行的に大コケして制作会社も潰れてしまったが、主人公は深く感銘を受けて何度も観返し、設定資料集を買って読み込むほど熱心なファンになった。『滅びゆく物語』を熟知している主人公はその知識を活かし、本来なら悲惨な末路を迎えるキャラたちを成り行きで救っていくが……という話。一種の「やり直しモノ」でもあるわけです。「描いたものが実現する」能力を駆使し、バッドエンドで終わる『滅びゆく物語』を全修してハッピーエンドにして現実世界に帰還、異世界で大冒険を繰り広げたおかげでスランプも脱して新作アニメの制作も順調になる……というのが誰もが想像する展開なんですが、果たしてそう上手く話が運ぶのか、ってところが焦点になっています。最新話(第7話)「初恋。」は主人公の幼少期と青春時代を綴る過去編で、何ならここから観始めてもOKです。
『空色ユーティリティ』はタイトルだけだとわかりにくいがゴルフアニメ。アズレンや雀魂、アクナイやブルアカでお馴染み「Yostar」の子会社「Yostar Pictures」による原作のないオリジナル企画です。ハマっていたソシャゲがサービス終了を迎えたことで暇になり、何か夢中になれるものを新しく探している女子高生「青羽美波」。彼女はひょんなことから「ゴルフ」と出会い、その魅力に取り憑かれていく……という、概要だけ聞くと「まーたオッサンの趣味を女の子にやらせるアニメか」とウンザリするかもしれない、けど演出のおかげで気楽にエンジョイできるノリになってるアニメです。「ユーティリティ」はゴルフクラブの種類で、物凄く飛距離が出るわけではないけれどラフ(刈り込まれていなくて丈が少し長くなっている芝)やバンカー(砂地)など様々な状況で使える、その名の通り万能(ユーティリティ)なクラブ……らしい。ガチ勢は状況に合わせてクラブをいろいろ使い分けるわけですが、まだ初心者で知識も技術もお小遣いも不足している美波はユーティリティ1本に頼りまくる。タイトルにもなっているユーティリティが出てくるのは4話で、結構展開がのんびりしているアニメです。スポーツ物だけど雰囲気は緩く、萌えアニメや日常系アニメの延長線上にあるモノとして気軽に堪能できます。昨今、日常系の萌えアニメはめっきり減ったもんな……日常系萌えアニメは国内のオタクには物凄く人気が出るんですけど、海外ウケが悪い(ストーリーがないこと、「日常」のベースが違い過ぎるせいで共感しにくいこと、ヒロインがあまりにも幼く見えること、以上3点が影響しているとの分析あり)ので、海外での配信が前提となると資金が集まりにくいそうだ。閑話休題、主人公の美波が割と能天気な性格をしていて、ことあるごとにゴルフをソシャゲの一種と解釈して切り抜けようとするのが好きです。お菓子でも摘まみながら観るのにちょうどいい内容なので、時間のある人は軽率に視聴しちゃってください。ちなみにこの作品、4年ほど前にパイロット版に当たる短編アニメが公開されており、今でもYoutubeで観ることができます。このパイロット版の脚本を手掛けたのがライトノベル作家の「望公太」、日清がCMのネタにしたせいで10年ぶりにバズった『異能バトルは日常系のなかで』の原作者である。TVシリーズの方には直接関わっていないため「原案協力」としてクレジットされている。あと同じゴルフのオリジナルアニメということで『BIRDIE WING』とコラボした動画もあります。
・アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」2期制作決定!監督は山本ゆうすけにバトンタッチ(コミックナタリー)
あれだけヒット飛ばしておいて2期が来なかったらおかしいので驚きはなく、ただ単純に歓喜する報せであるが、プロデューサー曰く「本当にやる予定なかった」そうです。放送前の時点で「確実に当たる」とは言い切れない状況だったから、それは確かにそうかと納得しました。青春アニメとしては1期目だけで充分完結していると言えるし、2期目以降のストーリーはライバルポジションのバンドが出てきたり、進路や将来にも踏み込む内容になって、それこそ「結束バンドのみんなは一生バンドをやるつもりなのか?」という話になっていくしな。原作の『ぼっち・ざ・ろっく!』は「はまじあき」による4コマ漫画、「コミュ症の陰キャなのにお調子者」というきらら系にしては珍しい造型の少女「後藤ひとり」(通称「ぼっち」)を主人公に据えたガールズバンド物です。その特異性から連載開始と同時に話題となり、単行本1巻の売上も好調だったため「次のアニメ化候補」と見做されていました。現在の最新刊は7巻、1期でやったのは2巻までだから2期どころか3期も余裕だ。ひょっとしたら3期目の企画も既に動いている可能性があるな……。
今は「大ガールズバンド時代」と謳われるくらいガールズバンドアニメが存在感を増しているので、その歴史を軽く振り返ってみよう。「アニメでバンド物の潮流が発生したのはいつ頃なのか」という記憶を辿っていくと、2004年放送の『BECK』とか、それ以前にマクロスとか『KAIKANフレーズ』とかもあるけど、やはり思い至るのは2006年に放送された『涼宮ハルヒの憂鬱』の第12話「ライブアライブ」、通称「文化祭ライブ回」だ。文化祭でライブをする予定だった軽音部に欠員が生じ、「このままだとライブができない!」ということで急遽ハルヒたちがメンバーに加わる……というエピソードなのですが、演奏・歌唱シーンの作画や演出が深夜アニメとは思えないくらい(当時はまだ深夜アニメ=低予算のイメージが強かった)非常に細かいことで話題になりました。制作は職人気質で有名な「京都アニメーション」。この反響を受けてか、ポニーキャニオンは当時それほど爆発的な人気があったわけではないきらら系の4コマ漫画『けいおん!』に目を付け、京アニによるアニメ化を実現させます。
当時の京アニは『となりの801ちゃん』という作品をアニメ化する予定だったのですが「諸般の事情」で制作中止になり、ちょうど手が空いていたところへ滑り込む形になった。『けいおん!』の原作は2007年に連載を開始し、翌年2008年に単行本1巻が発売、同年12月にアニメ化発表、2009年2月末に2巻が出て4月にアニメ放送開始という、本来ならありえないような早さで企画が進行しています。2009年に放送が始まったアニメ版『けいおん!』に関してはもはや解説不要なレベルだろう。劇中バンド「放課後ティータイム」は当時凄まじい人気を獲得し、CDが累計で100万枚以上も売れた。「ふわふわ時間」や「Don't say "lazy"」を文化祭で演奏した学生バンドは数知れない。現在のガールズバンドアニメ・ブームの祖に当たる存在であり、深夜アニメ界全体に影響を及ぼすほどの化物じみたヒット作となった。しかし、ライブシーンの作り込みの凄さは「京アニならでは」といった要素が多く、途轍もない労力と技術力を要求されるせいで真似しようとするスタジオが出現しませんでした。そのため『けいおん!』における「ガールズバンドアニメの部分」を継承しようとする作品はなく、『けいおん!』を構成する他の要素――「萌えアニメの部分」や「日常系アニメの部分」――を模倣する作品ばかり量産される形となる。ガールズバンドアニメ・ブームの祖でありながら直接的な継嗣が存在しないという、そういう意味でも特殊なポジションを占めています。『けいおん!』があまりに孤絶した頂点であるがゆえに、むしろ「ガールズバンドアニメ」という概念がジャンルとして認識されにくくなったのだ。2010年に放送された『Angel Beats!』も劇中バンドの「ガルデモ」こと「Girls Dead Monster」の全国ライブツアーを行ったことが話題になったが、企画立ち上げのタイミングやヒロインの造型を考えると影響を与えたのは『けいおん!』ではなくハルヒの方だろう。
『けいおん!』は2009年に1期、2010年に2期を放送し、2011年に劇場版を上映してアニメ作品としての展開は終了します(漫画作品としてはもう少し長く展開している)。2011年は『アイドルマスター』のアニメが放送された年でもあり、「ガールズバンドアニメ」よりも「アイドルアニメ」の方がジャンルとして目立つようになっていく。その傾向は2013年に放送を開始した『ラブライブ!』の特大ヒットによってより強化された印象がある。ガールズバンド物と異なり、アイドル物は「ボーカルを交替させやすい(人数分のキャラソンが出せる)」「歌だけでなくダンスなどのパフォーマンスを売りにできる」という長所もあって商業展開上の利点が大きかったのです。こうして『けいおん!』以降のガールズバンドアニメは「アイドルアニメのサブジャンル」という扱いで隅に追いやられていく。2015年に放送開始したサンリオ発の『SHOW BY ROCK!!』も主人公がガールズバンドを組むアニメなので一応「ガールズバンドアニメ」の枠には入るだろうが、ボーイズバンドがメインの回もあるし、マスコットみたいなキャラや怪物みたいなエネミーが出てくるファンタジー色の強い作風なので一般的な「ガールズバンドアニメ」のイメージを抱いて臨むと「なんだこれ」ってなるかもしれません。ライブシーンで急に二頭身のSD形態になったりする演出にも面食らうでしょう(サンリオのキャラなのでSD形態が本来の姿、六頭身は「擬人化」なのだがアニメの大部分は人間形態で進むため、ライブシーンが始まった途端に縮んだみたいに見えてしまう)。個人的には3期目に当たる『ましゅまいれっしゅ!!』(2020年放送)が好き。VRショー「キセキかもしれないレゾナンス」は無料公開されているので時間に余裕のある人は堪能してほしい。吹奏楽部を舞台にした『響け!ユーフォニアム』も2015年から京アニによってアニメ化スタート。ガールズバンド物ではないけど、近接したジャンルの作品ではあるかな。『けいおん!』の「山田尚子」監督によるスピンオフ映画『リズと青い鳥』は親友なのに気持ちがすれ違う二人の少女の悩み、痛み、悲しみ、苦しみを怖いぐらいに美しく描いていてオススメです。
そんな具合で「ガールズバンドアニメ」がジャンルとして認識されない時代が続いたわけですが、アイドルアニメ二巨頭のアイマスとラブライブが結果的にとあるプロジェクトを生み出すキッカケとなります。言わずと知れた『BanG Dream!』(バンドリ)だ。バンドリの出発点はブシロードが『ラブライブ!』のような音楽要素のある自社IPを欲していたこと、そしてブシロの社員がアイマス声優の「愛美」がギターを弾けることに着目し「楽器の演奏ができる声優を集めて劇中と同じバンドを組んだらアニメとリアルライブの相乗効果で盛り上がるのでは?」と考えたこと、この二つである。「放課後ティータイム」の声優たちも楽器の演奏はできるが基本的にライブではアテフリだったらしいし、「CVを担当する声優たちによる生演奏」を売りにしたライブは当時ほぼなかった(今でもバンドリ以外だとあんまりない)んです。
2017年にアニメが始まったバンドリですが、正直アニメ1期目に関しては成功と言いづらかった。バンド物に興味がある層からすると萌えアニメっぽいルックで観るのに抵抗があったし、逆に『けいおん!』的な萌えアニメ、日常系アニメを期待した層からするとややズレた内容であり、ハッキリ申し上げて不評の声が目立ったんです。天候不順でライブに間に合わない先輩バンドのため、まだギターの弾けない主人公が「きらきら星」を繰り返し何分も歌って繋ぐという序盤の展開が特に荒れました。あまりにも不評だったため、現在配信されているバージョンは放送時よりも「きらきら星」パートが短縮されている(代わりに新規のカットやセリフが追加されている)くらいです。私は放送当時の録画をまだ手元に残しているのでたまに観返しています。ネットで検索すると「放送版は6分あった」という記述が見つかりますけどそれは言い過ぎで、実際は4分半です。しかもずっと歌いっぱなしなわけではなく中断している箇所もある。修正版は該当シーンが3分弱になって先輩バンドがライブハウスに急いで向かう様子も挿入されているのですが、おかげで香澄と有咲の掛け合いは減ってしまった。放送版は「どうすんだよ、他に歌える曲ないのか?」「一緒に花女の校歌でも歌おっか?」「学校行ってねーから歌えねーよ!」みたいな遣り取りがあったんですけど、それもバッサリとカットされてる。
バンドリは「中村航」の書いた小説がベースになっており、そちらでは「牛込りみ」が「ニンジャに憧れる、なぜかいつも裸足の少女。学校でお米を炊いておにぎりを売ることで生活費の足しにしている」という奇抜なキャラクターになっていたり、「山吹沙綾」が「母親を亡くし、幼い弟妹の面倒を看ながら店(パン屋)の手伝いもして定時制に通っている苦学生」とかなり重い設定になっていたりしたため、アニメやアプリのターゲット層に合わせてかなりマイルドな路線に変更したのですが、根底として「今現在幸福ではない者、満たされていない者が努力を重ね、音楽の力で救われる」という「星を掴みたければ精一杯手を伸ばせ」な自助努力に基づく音楽礼讃があるので、基本的に地道な練習風景を映さずスポ根要素を徹底的に排して「音楽って楽しい! みんなで音を合わせるの最高!」という快楽原則を追い求める『けいおん!』とはノリが違うというか思想が完全に別なんですよね。端的に言うと「目的があってバンドを組む」のではなく「バンドを組むのが目的」なのがバンドリなんです。だからきらきら星を乗り越えた先でもメンバー集めに苦労したり、ストレスで主人公が歌えなくなってしまったりなど、重く泥臭い展開が続く。「明るく楽しいアニメ」を求めて視聴し始めた人からするとミスマッチ感の強い内容でした。そう言うお前はどうなのかって? おたえとグリグリ(Glitter*Green、先輩バンド)の「二十騎ひなこ」が好きなので普通に楽しめました。
ブシロ代表の「木谷高明」はアニメ版の不評を受け、「バンドリはアニメではなくアプリ(ガルパ)の方に注力する」と方針転換し、これが効を奏してガルパは成功します。バンドリは2019年に2期目、2020年に3期目を放送し、2021年にスピンオフの劇場版、2022年に本編の劇場版やスピンオフ作品を展開しました(合間に「FILM LIVE」というライブシーンのみを上映するストーリーのない映画もあった)が、基本的にアプリ版であるガルパ(ガールズバンドパーティ!)をプレーしていることが前提で、「ファンの囲い込み」に走った内容となっています。昨今言われる「大ガールズバンド時代」という用語はバンドリの2期目に出てきたフレーズであり、この「大ガールズバンド時代」が到来するまでの過程を描く企画もあった(MyGOの「要楽奈」はもともとそちらの企画に登場する予定のキャラだった)らしいが、実現しませんでした。ガルパがヒットしたおかげで盤石なファン層を築いたものの、逆に言うとガルパに触ったことがない人は入りづらいコンテンツとなっていきます。一定の成功を収めたバンドリであるが、「楽器の演奏ができる声優を集める」のがネックで展開を広げづらくする要因となっていました。ガルパに出てくるバンドのいくつかは「声優本人による演奏」を前提としておらず、アニメ業界も「やはりアイドル物に比べてバンド物は商業展開が厳しい」と改めて認識したのかガールズバンドアニメというジャンルが活況を呈することはなかった。
バンドリ1期目と同時期に『天使の3P!』というバンドアニメもありましたが、「女子小学生によるスリーピースバンド」というニッチすぎるコンセプトのせいか人気は限定的でした。3人組を演じた声優のうち1名は引退、1名は無期限活動休止を表明しており、業界に残っているのはたった1名だけに……それが誰かと申しますと『かぐや様は告らせたい』の「四宮かぐや」役で有名な「古賀葵」です。なお引退した声優はバンドリのキャラクターも演じていたので「中の人繋がり」で盛り上がったりしたのですが、引退後は当然キャストも変更されたから今や通じないネタになってしまった。スリーピースバンドと言えば、2021年放送の「セレプロ」こと『SELECTION PROJECT』にも「GAPsCAPs」という楽器を演奏する3人ユニットが出てきましたね。ギターを担当する子が小学生なので、『天使の3P!』の因子を受け継いでいると言えなくもな……いや無理があるか? それと『天使の3P!』が放送された2017年には『DYNAMIC CHORD』という、乙女ゲーム原作の、ある意味で物凄く話題になったバンドアニメもあった。ボーイズバンド物なので説明は割愛します。
業界の風向きが変わったのは2022年。「ぼざろ」こと『ぼっち・ざ・ろっく!』の放送が始まり、社会現象クラスの反響を招いたことでようやく「大ガールズバンド時代」という言葉が現実味を帯びてきました。劇中バンド「結束バンド」に様々なアーティストが楽曲提供し、アニメを視聴していない層にまで人気が届いて「結束バンドで興味を持ってぼざろを観始める」という逆流現象を引き起こすまでに至った。一方でコメディアニメとしても単純に面白く、「ガールズバンドとか興味ない」って人まで引きずり込むパワーもあった。それまで主流だったアイドルアニメが「あまりにも数が増え過ぎた」せいでジャンルとして飽和気味となり、食傷したアニメファンが「アイドル物とは少し違うガールズバンド物」に魅力を感じたというのもあるだろう。「青春」という要素をアピールするうえで、バンドアニメは「力を合わせる」過程を可視化しやすい利点がある。あとは視聴者が抱く親近感とか登場人物同士の距離感とか、そのへんが作用しているのかもしれない。なんであれ、ぼざろ人気でようやくガールズバンドアニメが「一つのジャンル」として認識されるようになっていった。
たまたまだろうけど、この流れに乗る形で始まったのが2023年の『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』。TVシリーズとしては4期目に当たりますが主要キャストを刷新し、「ここからでも入れるバンドリの新作」として心機一転スタートします。スタッフの証言によるとMyGOやAve Mujicaの企画は3期目をやっていた頃から動いており、メンバーの集まり具合によってはAve Mujicaの方が先にデビューする可能性もあったそうです。既に声優バンドをいくつもプロデュースしてきたバンドリ!プロジェクトの強みを活かし、2022年に「MyGO」を覆面バンドとして先行デビューさせ、経験と実績を積ませたうえで満を持してアニメ企画を発表。実は2022年に放送されたバンドリのスピンオフアニメ『Morfonication』の背景にもMyGOのキャラがチラッと映っています。MyGO放送開始当初は「バンドリよく知らないから」と1話すら観ずに避ける視聴者も多く、注目されていたとは言いづらい(私も録画してたけど、終わってからまとめて観ようと放置していた)状況だったが、ぼざろの影響もあってか「ガールズバンド物だし、とりあえず観続けてみよう」という層もあってジワジワと評判が広まり、7話目ラストの「なんでよ……なんで春日影やったの!」の衝撃で一気に人気が跳ね上がりました。
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』は「CRYCHIC」というバンドリファンでも知らない謎の女子中学生バンドが喧嘩して解散するシーンから始まる、過去イチ辛気臭い内容で視聴者の度肝を抜きました。3話目でようやくCRYCHICがどんなバンドだったか明らかになるのですが、解散した理由はよくわからないまま。「なぜCRYCHICは解散したのか?」という謎を追いながら新バンド「MyGO!!!!!」結成の過程を綴る、ミステリ風の構成をした異色のバンドアニメなんです。大なり小なり仲良しな女の子が集まってバンドを組むのがガールズバンド物の常道なのですが、MyGOメンバーはだいぶギスギスしていて安易に「仲良し」とは言い切り難い。とにかく作中のキャラがぶつかってばかりでなかなかまとまらないんです。7話目でやっとライブに漕ぎつけてようやくまとまるのかな、と思った矢先に春日影騒動が起こって関係にヒビが入り、9話目で完全に破綻してしまう。膝をついて「もうやだ……バンドなんて、やりたくなかった……」と泣き出してしまう「高松燈」の姿は何度見ても心が痛む。リアルバンドが先行デビューしているし、OP映像で演奏しているから「最終的にあの5人でバンドを組む」ことはあらかじめわかっていたのですが、そうでなければどんな結末になるのかまるでわからないアニメになっていたでしょう。リアルタイムで視聴していた人たちは「あれ(OP映像)って、燈が見ている幻覚では?」と疑うレベルでした。これまでのバンドリアニメと異なるムードの作品になったのはブシロードの「根本雄貴」プロデューサーが「重めのドラマをやりたい」と望み、「柿本広大」監督がとことん振り切った方向に行こうと決めたからで、脚本チームはヒヤヒヤしながらシリアスの度合いを調節したという。口コミで評判が広まり、放送終了後にまとめて視聴する人も続出、ガルパにMyGOメンバーも実装されて「バンドリのことをよく知らなかった新規層」がアプリの方にも入ってくるという好循環が生まれました。あと、なぜか中国や台湾でも異様に人気があり、向こうだとMyGO語録だけで会話が成立するレベルになったとかならなかったとか。Youtubeで「春日影」を検索するとそよさんが『呪術廻戦』の宿儺をボコって春日影演奏させる謎の中国MADとか出てくるもんな……。
MyGO翌年の2024年には『ラブライブ!サンシャイン!!』の「酒井和男」監督と「花田十輝」脚本による『ガールズバンドクライ』が放送開始。東映アニメーションが力を入れて送り出した深夜アニメの一作であり、サンライズから東アニに転職したばかりの「平山理志」が辞職覚悟で作った(フル3DCGなので物凄く予算が掛かる)企画です。インタビューによると2019年7月に入社して8月に企画をスタートさせたとのこと。オリジナルアニメは「まったく認知されていない」状態から始めねばならないため入念な下準備が必要となる。ガルクラも「リアルライブで楽器が演奏できる」メンバー集めに難航し、放送まで5年掛かってしまった。知名度を上げるため劇中バンド「トゲナシトゲアリ」の曲を放送開始前に配信するなどの施策を行ったが、当初は国内よりも海外の注目度が高いレベルだったという。「バンドものは、プロデューサー的な視点で見ると手間もコストも大変」と語っており、『けいおん!』がヒットしたにも関わらず雨後の筍みたいにガールズバンド物が生えてこなかった理由もわかってくる。原作もなく、プロジェクトとしてもこれが出発点という厳しい状況から始まった『ガールズバンドクライ』だったが、主人公「井芹仁菜」の強烈なキャラクターも相俟って無事にヒットしました。先にぼざろやMyGOがあったことでアニメファンもガールズバンド物を受容しやすくなっていたのかもしれない。周囲の期待に応えて見事軌道に乗ったガルクラであるが、5人いる「トゲナシトゲアリ」のメンバーのうち2人(ドラムとキーボード)が体調不良のため長期の活動休止を余儀なくされる事態に陥っており、先行きは見通せない。前後編の劇場版総集編や武道館ライブは決定していますが、2期や新規劇場版については今のところ音沙汰ナシだ。
ガルクラと同じ2024年には『ささやくように恋を唄う』という、第6回百合漫画総選挙で1位を獲得するほど人気の漫画がアニメ化されました。これは主人公の女子高生「木野ひまり」が新入生歓迎会で演奏したバンドのボーカリスト「朝凪依」の歌に感動し、直接本人に「わたし(先輩の歌に)一目ボレしました」と伝えたところ、相手の依先輩は「後輩から愛の告白をされた」と勘違いしてしまう……という話で、ガールズバンド要素はあるけど女の子同士の百合百合な関係がメインとなっており、主人公自身がバンドに加入するわけではない。進むにつれ依以外のバンドメンバーの恋愛模様も絡んでくるため、アニメも2期3期と長期展開することを期待された作品なのですが……制作が間に合わず、10話で一旦休止。半年後、年末になってようやく残りの11話と12話が放送されるような有様となりました。私はアニメ観ていないので出来については何ともコメントできないが、評判はメチャクチャ悪く、「とても2期なんて……」と絶望視されている。制作スタジオの「クラウドハーツ」も既に倒産しており、予定していたBlu-rayの発売も中止となりました。「声優の演技は素晴らしかった」と語る人もいるので、尚更残念な話です。あと2024年は劇場アニメとして『きみの色』という『けいおん!』の「山田尚子」監督によるバンドアニメも公開されましたが、メンバーに男の子がいるのでガールズバンド物ではない模様。まだ観てないです。
今年2025年は『BanG Dream! Ave Mujica』がいろいろな意味で話題になっています。「Ave Mujica」というバンドを巡る物語なのですが、ガールズバンド物なのにサイコ・ホラーの要素もあるというかなり変な作品だ。内容的には『It's MyGO!!!!!』の続編なので先にMyGOを観ておいた方がベター。まだ放送中なのでどういう結末に落ち着くかわからないが、キャストの一人が「鳥肌が立ちました」と語っているほどなのでワクワクが止まらない。4月からムシブギョーの「福田宏」による『ロックは淑女(レディ)の嗜みでして』も放送予定であり、大ガールズバンド時代はまだまだ終わらない。お嬢様学校を舞台に、周囲の目から隠れてロックバンドを組む話なのですが、特徴的なのは主人公たちのバンド「ロックレディ」はオフボーカルのインストゥルメンタルバンドだということ。要するに楽器の演奏だけで歌がないんです。ぼざろも最初はインストバンドとして出発して、後からボーカル(喜多ちゃん)が入ってくる展開だったが、こっちの方は今に至ってもボーカルをやってるメンバーはいません。バンドアニメは数あれど、インストロックに特化した作品なんてコレぐらいじゃないでしょうか。作中でも「歌を入れた方が観客受けはいいだろう」と説得されるのですが、主人公はあくまで自分が衝撃を受けたインストロックの可能性を信じて節を曲げない。意見のぶつかり合いが多い話ながら、マイムジに比べて熱血色が強いので男の子受けしそうな雰囲気だ。
ほか、まだアニメ化の報せはないが「いずれアニメ化するだろう」と目されている『ふつうの軽音部』。タイトル通り、開始時点ではどこにでもありそうな「ふつうの軽音部」の生々しい人間関係としょーもない自意識を連綿と綴る漫画だったのですが、登場キャラの一人が突如として信仰に目覚め、はとっち(主人公)の歌こそ至高と唱える狂信者になったことから雲行きが怪しくなる。主人公自身はただ真面目にギターと歌の練習をして少しずつ上達していくだけなのですが、その裏で狂信者が謀略を張り巡らせて「はとっちが輝ける状況」をプロデュースしようと画策する。一方、先輩たちが卒業するタイミングを狙って部の実権を握って私物化しようと目論む部員も蠢動し……と、まるでポリティカル・サスペンスのような陰謀劇が進行します。普通の軽音部ってこんな日常的に腹の探り合いしてんの? 身内(バンドメンバー)なのに読者からラスボス扱いされるキャラが出てくるのなんて、コレとAve Mujicaくらいだろう。さておき、『ふつうの軽音部』の特徴は「関係の変化」が激しいところですね。バンドブームなのか何なのか主人公含めて45人も新入部員が軽音部にやってくるのですが、みんなガンガン辞めていくしバンド組んでも「一生、バンドやる」とは行かず欠員が生じたりメンバー間の不和が原因で解散したりと組み直しを余儀なくされる。これ読んでると、CRYCHICはだいぶ長く保った方なんだな……と思えてきます。男の部員も多いのでガールズバンド物と言い切っていいかどうか迷うところもあるが、何であれアニメ化を期待している一作だ。吹奏楽部の厄介な人間模様をドタバタ調で描くコメディ『今日も吹部は!』も好きなのでアニメ化しないかな〜と願っていますが、あれはどう拡大解釈してもガールズバンド物ではないな。野球部のエースだったのに怪我のため退部することになった主人公が、女の子に誘われて吹奏楽部に入り、新たな青春が始まる……かと思いきや人間関係がグチャグチャで、常に喧嘩していて演奏どころではない! という話。「吹奏楽部って揉めてる状態が正常なのよ。」「そんな部活はない。」 女の子も主人公のことが好きだから誘っただけで、部活自体はどうでもいいというのだから終わっている。
まとめ。しばらくはうねりが続きそうな「大ガールズバンド時代」ですが、バンドリは長くアニメシリーズに関わっていた脚本家「綾奈ゆにこ」がAve Mujicaを最後にプロジェクトから抜けた(外された?)こと、ガルクラはメインの2人が長期の活動休止に陥っていて復帰の目処が立たないこと、ぼざろは監督を変更してこれから制作に入るので2期までだいぶ時間が掛かりそうなことなど、不安材料も多く「一過性のブーム」に終わらないかという懸念もあります。劇中バンドとリアルバンドを連動させる仕掛けが困難を伴う(結束バンドの声優陣も1年掛かりでやっと1曲披露できるレベルになった)うえ、クオリティの向上が著しい現在のアニメ界で「説得力のあるライブシーン」を描写するハードルがどんどん上がってきている、というのもある。というか、大ガールズバンド時代なんてふうに持て囃されるのも、先行していた「アイドルアニメ・ブーム」が下火になってきた(2023年放送のヒット作『【推しの子】』もアイドルアニメと言えばアイドルアニメだが内容はかなり変則的)せいで相対的にガールズバンド物が盛り上がっているように見えるって部分も大きいでしょう。そういう諸要素を鑑みると「長くは……続かない」かもしれないが、だからこそ今だけの輝きという可能性がある大ガールズバンド時代を噛み締めて味わっていこう。それはそれとしてぼざろ2期、「SIDEROS(シデロス)」というバンドが出てくるのですが、設定上結束バンドよりも格上なのでサウンド面でも説得力のあるものを作らねばならず、制作陣は早くも頭を抱えているという噂である。本当に2期のこととか全然考えないで結束バンドの楽曲制作に全力投球してたんだろうな……作者自ら煽るイラストまで描いてるのだから笑うしかない状況だ。
・「とある暗部の少女共棲」TVアニメ化&「とある科学の超電磁砲」第4期制作決定(コミックナタリー)
超電磁砲4期は既定路線として、『とある暗部の少女共棲(アイテム)』アニメ化か……来るとしたら『とある科学の心理掌握』の方かと思ったけど予想が外れた。『とある暗部の少女共棲』は『とある魔術の禁書目録』の数多有るスピンオフ作品の一つであり、先に申し上げておくと作中でメインになる部隊「アイテム」は既に消滅しています。要するに過去編です。禁書目録の舞台となる「学園都市」では暗殺や誘拐や破壊工作など非合法の汚れ仕事を請け負う連中が複数存在しており、そいつらをひっくるめて「暗部」もしくは「暗部組織」と呼んでいます。暗部の連中は消耗品であり、「便利ではあるがいくらでも取り替えの利く存在」なので凝った名称が付けられることもなくだいたいテキトーな仮称で呼ばれている。『ファイアスターター』の「ザ・ショップ」みたいな感じ。本編15巻で暗部組織のバトルロイヤルが勃発し、そのゴタゴタで「アイテム」は瓦解するのですが、超電磁砲とか時系列的には本編15巻よりも前のエピソードで「アイテム」のメンバーが登場することは過去にもありました。私の好きならっこちゃん(弓箭猟虎)も「アイテム」と因縁のあるキャラなんですよね。15巻のときに「『アイテム』にぶっ殺された」と言及され、超電磁砲で「アイテム」のメンバーと交戦して重傷を負うシーンがあるのですが、結局殺害シーンそのものは描かれていない。「実は生きていた」ってことにならないかなぁ、と儚い望みを抱いている。
で、「アイテム」は4人のメンバー(全員女性)によって構成されるのですが、『とある暗部の少女共棲』はメンバーがまだ3人だった時代、「4人目のメンバー」が加わるところから始まります。その4人目が『窒素装甲(オフェンスアーマー)』の絹旗最愛(きぬはた・さいあい)です。絹旗とは別に「もう一人の候補」がいた……という情報も明かされるのですが、問題は「新約」っていう本編だけどまだアニメ化されていない範囲に出てくるキャラなのでアニメしか観ていない人には「よくわからない新キャラ」でしかなく、「本編とリンクする要素」なのに「おおっ」ってならない。禁書目録は本編のアニメも3期までやってるんですが、ずっと追ってないとストーリーがわからなくなるからとっつきにくく、なかなか新展開に入れない。シリーズ全体はまだ人気があるからスピンオフばかりアニメ化される、という奇妙な状態に落ち着いています。私も新約の途中で付いていけなくなって、スピンオフを気分に任せてつまみ食いするあまり熱心ではない読者になってしまった。
暗部――学園の裏社会に生きる連中なので倫理観はドス黒く、冒頭から人を殺しまくっています。アニメではだいぶ表現が緩和されるだろうな、ってぐらいの虐殺ぶりです。非常に好戦的でアニメ映えしそうな面子ではあるのだが、正義感で動く奴らと違って「悪い奴らがいる!」→「ぶっ倒さなきゃ!」みたいなムーブができず、自分たちの利益になる状況もしくは降りかかる火の粉を払うような状況でないと行動しないので、「戦う理由を作らないといけない」と作者自らコメントしています。最初のエピソードも「何者かの悪意に晒され、仕方なく戦う」という感じで始まる。メンタルがほぼ犯罪者な連中だから、巻き込まれ型にしないと読者が辟易してしまうわけだ。そしてアニメに興味を示すような人はだいたいが「アイテム」の末路を知っているだろうから、「こんなにワチャワチャしてるけど、結局はああなるんだよな……」と諸行無常の感覚を味わうことになる。逆に言うと本編15巻の時点まで全員生存しているんだから、どんな危機が訪れても死なないって安心感がある。実家の太い「麦野沈利」がリーダー格で、設定上は「セレブ」ということになっているけど言動がチンピラなのでセレブ感は全然ないです。
それはそれとして超電磁砲4期、3期で「天賦夢路(ドリームランカー)編」までやったから、今度は「獄門開錠(ジェイルブレイカー)編」からやることになりそうだ。学園都市の少年院が施設の堅牢さをアピールするため「収監されている囚人役を外に連れ出すことができたら賞金10億円」というイカれた脱獄ゲームを開催する。こんなの能力を使えば楽勝じゃん、とタカを括る美琴たちだったが……てな感じで、最初は他愛もない催しだったはずが大騒動に発展してしまうエピソードです。その後が過去編に当たるエピソード「一年生編」で原作に追いつくのですが、この二つだけだと2クールも保たない気がするんですよね……ひょっとしたら小説版『とある科学の超電磁砲』のエピソードもやるのかな。あれ短編集みたいな形式だからアニメの尺調節にはもってこいなんですが、〆のエピソードに当たる「御坂美琴とお嬢の終わり」がブッ飛んでるんだよな……もはやギャグ、という域で凄まじい事件が発生する。ある意味、アニメで観たいエピソード・ナンバー1だったので期待しておこう。
・電撃小説大賞の大賞受賞作「姫騎士様のヒモ」TVアニメ化!諏訪部順一&小松未可子が出演(コミックナタリー)
あれ? この作品アニメ化の発表まだなんだったっけ? CMでよく見かけるからとっくにアニメ化発表された気分になっていました。『姫騎士様のヒモ』は第28回電撃小説大賞の「大賞」受賞作で、タイトルの「姫騎士」で察しがつくと思いますがジャンルとしては「異世界ファンタタジー」です。転生要素はありません。魔物によって滅ぼされた王国のお姫様「アルウィン」は、悲運の境遇であるにも関わらず迷宮都市でダンジョン攻略に勤しみ、人々の希望――輝ける偶像(アイドル)となっていた。しかし、そんな彼女の隣にいるのは身を持ち崩した元冒険者の「マシュー」。あんなヒモ野郎、姫騎士様に相応しくない! 周りは不満タラタラであるが、アルウィンは決してマシューを手放そうとせず……といった具合に、「秘密を抱えた二人」を描く物語です。
私は1巻しか読んでないので最近の展開がどうなっているのかよく知らないが、マシューのCVが「諏訪部順一」でアルウィンのCVが「小松未可子」という時点でたぶんそんなに大きく路線は変わらないんだろうな、と。主人公とヒロインを立てるために周囲のキャラを落とし気味なところは気に掛かったが、「クズ野郎と見せかけて実は……」な主人公がカッコいい、昔ながらのライトノベルです。なろう系全盛の中でこういうオールドタイプのライトノベルもアニメ化できるというのは心強い。同じ電撃小説大賞作品の『レプリカだって、恋をする。』もアニメ化するみたいだし、なんだかんだ電撃のレーベルは強いんだなって実感する。レプ恋は「自分自身の模造品(レプリカ)」をスタンドみたいに出し入れする特殊能力を持った女子高生がいて、面倒なことは全部レプリカに押し付ける(レプリカの方は「己がレプリカだ」という自覚があるので唯々諾々と従う)のだけど、レプリカちゃんは本体に内緒で一人の少年に恋をして――という、「双子ラブコメ」の変型みたいなファンタジーです。自意識を持って自律的に行動するけど従属品として振る舞う、まるでアンドロイドのような子がヒロインで、1巻の途中まで読んだけどいつの間にか見えなくなっていてどうも紛失したっぽいんですよね……セールやってるし、いっそ電子版買い直そうかな、とも思ったが他にも積読いっぱいあるから放置しています。
・「暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが」TVアニメ化(コミックナタリー)
あ、これ書籍化した当時は作者がまだ高校生だったって奴ですよね。買おうかどうか迷っているうちに続きが出なくなった(原作小説の最新刊は4巻で、ちょうど4年くらい前に発売されている)から手を伸ばさなかったけど、冒頭だけ読んだことがあります。いわゆる「クラス転移物」で、クラス丸ごと異世界に飛ばされてそれぞれにチート能力が与えられる――という、もう聞いてるだけで前例がいくつも頭に思い浮かぶ話だ。驚きのポイントは制作が「サンライズ」だということ。境ホラとかアクセルワールドとか、ラノベ原作アニメは過去に手掛けていますけど、なろう系はたぶんこれが初めてです。監督の「羽原信義」はファフナーや境界戦機の監督で、ロボット物の印象が強い。今やあのサンライズがなろう発アニメを作る時代なのか……この調子で『反逆のソウルイーター』あたりもやってくれないかしら。追放物で、主人公がネチネチした性格の小物だから裏切った連中に復讐してやろうと陰険な計画を立てるのですけれど、だんだんそれどころではない事態になってきて有耶無耶になり、やむなくスケールの大きい厨二バトルを繰り広げるダーク・ファンタジーです。バトルシーンの描写がカッコいいし、セリフ回しも端的で好き。最新刊の「三百年、待ちました。もう寸秒とて待ちたくないのです」は待望の新作が発売延期されたとき口にしたくなるセリフです。原作はなろうでの連載がもう1年以上止まっていて、エタりそうなムードが漂っていますけど……最新刊が4年前のシリーズがアニメ化するんなら、イケる……!
2025-02-14.・個人的には好きだけど世間ではあまり話題になっていない漫画をオススメしたい、ということで『魔法少女201』を何の脈絡もなくプッシュする焼津です、こんばんは。
作者は「むちゃ」、全年齢向けの商業単行本はこれが初ですが、18禁同人誌で長く活動している人なので実際に絵を見たらピンと来る人も多いかもしれない。『ちーちゃん開発日記』や『千鶴ちゃん開発日記』といった具体的なタイトルを挙げれば更に「ああっ!」ってなる人が出てくるはず。そう、「開発日記の人」が描いた一般向けの魔法少女コメディなんです。1〜3話はジャンプ+で読みます。
主人公は悪の組織「フラワーバッド(株)」に所属する「セクシーフジヤマ」こと「藤山忍」。ボンテージ衣装に身を包んで悪事を働くコテコテの女幹部なのだが、ここのところ魔法少女に負け越しているせいで組織から罰金を課され、金欠気味になっていた。なんとしても魔法少女を倒してボーナスにありつかねば……というタイミングで空き室だった隣の「201号室」に新たな住人が越してくる。その「新たな住人」こそがフジヤマの敵、仮面の魔法少女「プリンセス・マム」こと「真白まむ」だった……! ということで初期は何とか隙をついてまむちゃんをやっつけられないかと策謀するフジヤマなのですが、まむちゃん素手でもメチャクチャ強い(クマも倒せる)ので勝ち目はゼロ。そうこうするうちに懐かれて、「おすそ分け」と称して食べ物をたくさんくれるから金欠のフジヤマは突き放そうとしても突き放せず……あっという間に餌付けされてしまう情けないお姉さんと天使のように可愛らしい(でも悪魔を凌駕する勢いで強い)少女との歳の差百合を楽しむドタバタコメディだ。開発日記はエロの要素が強くてコメディ感はあまりなかった(陵辱系なので「笑い」の要素が邪魔になるという面もある)が、ギャグに特化するとこんなに面白いんだな……! と衝撃を受けました。てか最初は開発日記の人だと気づきませんでした。言われて初めて「確かに絵柄はそう!」となるくらいノリが違う。
作者が作者だけにフジヤマのサービスカットが多く、だいぶお色気寄りの作風であるが、表情の乏しいまむちゃんがどんどんフジヤマにベッタリになっていく様子をニヤニヤと見守る楽しみがあります。笑うとヴヴヴヴヴって小刻みに振動するまむちゃんが可愛い。是非ともアニメ化まで漕ぎつけてほしい作品なのですが、来月やっと3巻が出るようなペースなのでそうなるとしてもまだ結構先だろうな。ネタバレになるが、202号室に住んでいるフジヤマの逆隣、203号室にも別の魔法少女が引っ越してきて賑やかになる。照れ顔のカメリアちゃんかわいいよ。
・毎週楽しみにしている『BanG Dream! Ave Mujica』、第6話「Animum reges.」はそろそろ折り返しが近いこともあってか少しずつ希望らしき光が射し込んできます。
そよを通じて解離性同一性障害になった睦の現状がMyGOメンバーに知れ渡り、そんな睦を身内(バンドメンバー)でありながら放置していた海鈴と立希の間にも溝ができる。祥子は何もかも忘れたいと逃避的になり、バラエティー系の仕事を続けているにゃむは相変わらず睦(&モーティス)に脳を灼かれている。と、そんな具合で初華以外のメンバーの様子が描かれています。いや初華にまったく触れられないの、それはそれで怖いな……エネルギー溜めてるってことでしょ? 初華といえば最近は「スパイダーマン説」(OPの糸に操られているような動きは見せかけであり、実は自ら蜘蛛糸を射出・展開している)まで出ているので、本当に何でもありになってきている。祥子がドクター・オクトパス、睦がヴェノムになってる二次創作もあって笑ってしまった。じゃあ海鈴はエレクトロ、にゃむはヴァルチャーあたりかな。毎回恒例だった不穏ポエムも今回はなく、「状況は好転しつつある」のに不発弾から目を逸らしたまま進み出したような危うさが漂い始めています。
そんな6話は「長崎そよ」が大活躍の回でもあった。縋れる人が他にいないモーティスはそよにべったりの状態となり、なんと学校も休んで三日三晩も一緒にいたという。お風呂とかも一緒に入ったのかな……そこまで尽くしたのに肝心のモーティスは野良猫(要楽奈)にあっさり懐いてしまい、そよりんは「都合の良い女」扱いに。それでも体の主導権を巡って不安定な睦とモーティスが衆目に晒された際、「撮らないでください!」と身を挺して庇っている。「居場所が欲しい」という打算で行動する面がある一方、やっぱり根底には「献身」の精神があるんだよな、そよさん。「CRYCHICもAve Mujicaも睦も知らない」とあらゆるものに背を向けようとする祥子の姿に、イギリス留学に失敗して逃げ帰ってきた(その事実を「なかったこと」にして隠そうとしていた)愛音は一定の理解を示すが、「CRYCHICのことを一生忘れられない」そよは渾身の低音ボイスで「は?」と赫怒を露わにする。長崎そよは菩薩と羅刹、両方の性質を併せ持つ。次回、いよいよMyGO8話以来となるそよと祥子の激突が描かれるのか。公式サイトの7話あらすじで祥子と睦(モーティス?)が対面することだけは確定している。あとモーティスに懐かれていた楽奈ちゃんには「猫と会話できる」という真偽不明の設定があったんですけど、睦の二重人格を即座に見抜いたことで真実味が増してきてしまったな。ちなみにスペース跡地の駐車場で楽奈が猫たちのことを全部「ねこ」と呼んでいたのはこの動画を見ればわかるように名前で識別する必要を感じていないからです。「わかればいい」という楽奈がわざわざ「寝ている子=睦」の名前を聞いたのは「識別する必要がある」ってことだろう。OPで笑いながらギターを弾く睦ちゃんの姿を見るに、自身を取り巻く「怖いこと」に立ち向かっていく覚悟を決めることで二つの人格は今後統合が進んで「睦でありモーティスでもある存在」あるいは「睦でもモーティスでもない何か」になっていくのか。
海鈴は出番こそ少なかったものの、唯一の理解者として期待していた立希から素っ気なくされて「何が言いたいんだよ……」と一瞬地金を晒すシーンに興奮しました。今までずっと丁寧語で淡々と喋っていた海鈴が、周りに誰もいないからとやや乱暴な口調で呟く。この場面から察するに本来の海鈴はもっと口汚くて、それを表に出さないために努めて慇懃な態度を装っているってことなんだろうか。あくまで妄想に過ぎないが、中学時代の海鈴はバンドメンバーに辛辣なダメ出しをして「もっと練習しろ」と詰るようなタイプで、それが過干渉レベルに達していたから悉く失敗し、あやまちを繰り返さないよう一歩退いてサポートメンバーに徹する黒子ポジションになっていったんじゃないかな。連想されるのは、バンドリの既存バンド「Roselia(ロゼリア)」のギター「氷川紗夜」。初期の頃だとかなり当たりが強く、ロゼリアの前に所属していたバンドでも他のメンバーに対し「衣装やパフォーマンスで誤魔化して基礎的な技術を磨かずにいると後発のバンドにどんどん追い抜かれるぞ」といった趣旨の発言をして泣かせてしまい、「和を乱す」という理由でバンドから追い出されている。ロゼリアのリーダー「湊友希那」も馴れ合いを嫌う性格だったので、紆余曲折がありつつも紗夜さんはロゼリアに腰を落ち着けることができたのですが、「もし紗夜さんが友希那と出逢えなかったら――」って考えたときに海鈴の顔が浮かんでしまう。紗夜は双子の妹である「氷川日菜」へのコンプレックスを拗らせて「早くギター上手くなってアイデンティティーを確立しないといけない」と己を追い詰めていた面もあり、「バンドやりたくてギターをやってた」のではなく「ギター上手くなりたいから切磋琢磨できるバンドを探していた」わけで、「居場所となるバンドが欲しい」海鈴と単純に比較することはできませんが……ストイックな雰囲気には何かしら共通するものを感じる。過去に不本意な形でバンド仲間を泣かせてきたからこそ、自分の熱意・狂気を封印し、距離を取って傍観者じみた振る舞いをするようになっていったんじゃないかしら。
小ネタ的なところではモーティスがクレヨンでぐるぐると落書きしていた絵本「いじわるな青い魔女」、実在の本ではなく架空の書名みたい(青い魔女=祥子?)だが、作者名が「ドナルド・ダール」なんでロアルド・ダールの『魔女がいっぱい』を意識している? ダールは児童向けに書いた『チョコレート工場の秘密』が有名ですが、作家になる前は第二次世界大戦中の英国空軍でエースパイロットとして活躍したという経歴の持ち主。パイロット時代の経験(および同僚から聞いた話)をもとに書いた『飛行士たちの話』という短編集(個人的に好きなエピソードは「番犬に注意」)で作家デビューし、ゾクッとする独特な読み口が魅力な短編小説を次々と送り出します。たとえ残虐な内容であってもサラッと流すダールのドライな作風は「奇妙な味」と形容(この言葉自体は江戸川乱歩が他の海外作家を評するときに用いたものだが、現代ではダールやサキが「奇妙な味」の代表格になっている)され、意外性に裏打ちされた恐怖は多くの読者を魅了しました。「南から来た男」はその白眉、オチがついて終わりではなくオチの向こう側に幻視される風景に背筋が凍りつく。「お前らはAve Mujicaというアニメに対して『ガルパでの実装も控えているし、なんだかんだで最終的にはハッピーエンドになるだろ』とタカを括ってるかもしれんが、ダールの如き『奇妙な味』が待ち受けているぞ」という監督からのメッセージなのか? そして注目すべきは訳者の名前、「きだ はなこ」とある。そう、マイムジの世界で「はなこ」と言えば「みお」や「ういか」と一緒に「サニーサイドアップ」なる曲をリリースした謎の存在……! 私の唱えた「みおちゃん」(燈が小さい頃に一緒に遊んだ女の子)重要人物説の外堀が順調に埋まってきてるな。
与太はともあれ、他に小ネタというとにゃむが食レポした「ラーメン銀河」か。過去のバンドリアニメ作品にも登場する店であり、去年のエイプリルフールネタにもなった。RAS(RAISE A SUILEN)のドラム「マスキング」こと「佐藤ますき」のバイト先でもある。3話でにゃむの隣室に住む「レイヤ先輩」が「ますきがにゃむちゃんのドラム褒めてたよ」と発言していましたが、マスキングは口が裂けてもお世辞なんて言わない性格なので「にゃむの実力は本物」という何よりの証明になります。ちなみにエイプリルフールのページにある「DEATH GALAXY」という胡乱な言葉はラーメン銀河の店主である「太田陽」が過去に所属していたインディーズバンドの名前。メジャーデビューはしてないがインディーズとしてはかなり人気があったみたいで、睦ちゃんがギター始めるキッカケになったギタリスト「モーティン」もDEATH GALAXYをリスペクトしてたっぽい(何せ公演の名前が「ギャラクシー・リスペクト」)。3人組のバンドで、陽の担当はギターだったそう。残りのメンバーはベースヴォーカルの「宇崎宙」とドラマーの「ますきパパ」。宇崎さんは劇場版『BanG Dream! ぽっぴん'どりーむ!』にも登場しており、ますきからは「ソラねえ」と呼ばれています。ますきパパは本名不明で、普段は青果店を営んでいる(店の地下にあるライブハウス「Galaxy」のオーナーでもある)。ラーメン銀河で使われている野菜もますきパパの「銀河青果店」から仕入れているのかも。余談になるが、バンドリ3期目の劇中歌として「DEATH GALAXY」なる曲も使われている。正直まったく記憶に残っていない……ラーメン銀河のシーンで流れていたんかな? アニメではそこまで深く掘り下げられない店だが、ガルパの方では「Battle of R」というイベントまで開催されている。立希ちゃんの好きなバンド「Afterglow」のドラマー「宇田川巴」もバイトしているので、立希ちゃんもときどき行っているのかもしれない。
次回、第7話のタイトルは「Post nubila Phoebus.」。「雨のち晴れ」というラテン語の諺です。「Post nubila」は「雲の向こう」もしくは「雲の後ろ」という意味で、「Phoebus」は「輝くもの」。トロイア戦争を描いた叙事詩『イリアス』において太陽神「アポロン」について言及する際「ポイボス・アポロン(光り輝くアポロン)」という言い回しがよく出てくるので一般的に「Phoebus」はアポロンを讃える称号と受け取られ、「太陽」の代名詞となっています。アポロンは「詩歌の神」「音楽の神」「医学の神」「弓と矢の神」「予言の神」など様々な側面があるので、太陽神としての面を強調するときに「ポイボス」が付く感じです。雲の向こうに(雲の後ろに)輝くもの(太陽)、今は曇っていたり雨が降っていたりで見えないけど、雲がどけば太陽は必ず顔を覗かせる――という前向きな意味の言葉です。次でもう残り話数<やった話数になるからそろそろ希望の持てる展開にならないと苦しい。だが、次回予告にすら姿を見せない初華が大きな懸念材料なんですよね。それに第7話というのはMyGOだとあの「なんで春日影やったの!」があった回、誰かが感情を爆発させてもおかしくない頃合だ。雨がやんで太陽が顔を覗かせる。それはかつてCRYCHICの輝ける太陽であった豊川祥子の帰還を彷彿とさせる言葉だ。しかし、雲以外にも太陽を飲み込むモノはいる。そう、日蝕を引き起こす月だ。1話目のアバンで「影に飲み込まれた月」を描いており、月蝕が終わって射し込んでくる光を浴びて息を吹き返すドロリス(初華)はまさしく「月の化身」である。とりあえず純田まなは可哀想な目に遭わないでほしいが、どうなることか。
……という内容を第7話放送の前にアップロードするつもりだったが、うっかり忘れたまま放送の日を迎えてしまった。直すのもダルいのでそのままにして、第7話「Post nubila Phoebus.」の感想書いていきます。
一言でまとめると「CRYCHIC、一日限りの復活&正式解散の儀式」でしたね。アバンは祥子の登校風景で、さあここからどう話を転がしていくのか、と見守っていたら校門で待ち構えている長崎そよ! いきなりクライマックスで圧倒されました。無理矢理に連行される祥子の図が面白過ぎて笑いそうになる。合わせる顔がなかった祥子と、そんな彼女に辛く当たるモーティス。「本当に人間の血、流れてる!?」なんてセリフが飛び出すバンドアニメはなかなかないだろう。もっとすんなり睦と対面できるかと思っていたが、モーティスの抵抗はしぶとく、Aパートはひたすら祥子が耐え忍ぶ内容になっています。夜、短時間だけ睦が自我を取り戻して祥子に会いに行きますが、柵越しに抱き締めるシーンがロミジュリめいていて「初華が見たら発狂しそう」と思ってしまった。強がって意地を張っていた祥子が弱音を吐き、涙まで見せたことで元CRYCHICのメンバーたちは「豊川祥子も普通の人間なんだ」と悟ります。Bパートでモーティスが睦に主導権を渡し、元CRYCHICのメンバーたちと和解。愛音が気を利かせたことでCRYCHICは一日限りの復活を遂げる。喧嘩別れするような形で解散してしまったCRYCHICと向き合い、キチンと気持ちの整理をつけて訣別するための「春日影」。「なんで春日影やったの!」と散々ネタにされてミーム化してしまった曲だが、これでようやく供養されたな……「春日影」を演奏できるのはCRYCHICだけ、という縛りがあるせいでリアルライブで「春日影」を演ろうとしたらそのたびにCRYCHICを復活させないといけないっていう面白い状況になってしまったけど。XでCRYCHICを検索しようとすると「葬式」や「成仏」がサジェストされるのにも噴いた。
あと、立希ちゃんが燈たちの通っている羽女(羽丘女子学園)ではなく花女(花咲川女子学園)に行ったのかも明らかになりました。羽女の中等部に通っていたのだからそのまま羽女の高等部に進むのが自然だったのにわざわざ花女に変更しているの、恐らく優秀な姉(真希)へのコンプレックスがあったからだろうな……とは予想されていましたが、「真希さんの妹」扱いされるのがイヤだったと立希が明言したことで確定に。睦が「森みなみの娘」扱いされるのが一番嫌いだと気づいていたのも、「付属品扱いされる」点でシンパシーを感じていたからなんだろうな。
「椎名真希」は羽女の卒業生で、立希の3個上。既存のキャラで言うと氷川日菜、大和麻弥、湊友希那、今井リサ、瀬田薫と同学年だったことになる。羽女在学中は吹奏楽部の部長をやっており、他校にまで顔と名前が売れている有名人。祥子はバンドメンバー集めの際に真希に相談し、妹である立希を紹介してもらいました。初顔合わせ(MyGO3話)のとき、話題を振ろうと「立希ちゃんのお姉さんってすごい人なんだよ」って言ったそよに対し「今それ関係あります?」と冷たく応じている(このとき睦がちょっとだけ反応してるので、睦も立希にシンパシーを感じていた可能性が高い)。話題に上るだけでキャラクターとして登場することはなく、容姿もCVも不明ということもあってMyGO放送時は「祐天寺にゃむの本名が椎名真希」説もありました。登場しないのは「単純にキャラデザの手間を省きたいだけ」という説が有力です。姉が優秀すぎるせいで何をやっても「あの人の妹」としか見てもらえず、居場所のない息苦しさを抱えていた立希は燈の歌声を自分のドラムで支えることに喜びを覚え、自らの存在価値をCRYCHICに仮託しようとしました。CRYCHICこそは「無敵のバンド」だと。CRYCHICメンバーの中でもっとも呪縛度の低い立希であるが、そんな彼女もやっぱりCRYCHICを神聖視する気持ちがあって、だからこそ裏切った祥子を頑なに認めようとしなかったんだな……ずっとホラーみたいな展開が続いていたアニメだけど、「浄化」と表現して良い光景が描かれてようやく一息つけました。そよが渇望し、祥子が押し殺してきた「あの頃に戻りたい」という回帰願望が遂に祓われる。禁足地だったCRYCHICという花園も、大切なだけの思い出に変わる。睦とモーティスの二重人格状態は解消されたわけじゃないが、とりあえず睦周辺にまつわる問題は区切りがついたと見ていいでしょう。
そんな具合でほぼ『BanG Dream! CRYCHIC』な7話でしたけど、涙で声を詰まらせながら嬉しそうに歌声を紡いで演奏するCRYCHICの面々を目の当たりにして、唇を噛み締める海鈴はいったいどんな気持ちでいるのか。捻らずに考えれば「嫉妬」や「羨望」に類する感情が湧き上がっているのだろう。彼女にもCRYCHICのように大切なバンドがかつてあったのかもしれないけど、そちらは奇跡的な和解も復活もなく、解散したきり野晒しのまま。幾多ものバンドを渡り歩き、両手の指に余るほどの解散や自然消滅を見届けてきたけど、あんなふうに「分かり合っている」様子を目にするのは初めてなのか。ずっと輪の外縁の安全圏に留まっていた海鈴が、やっと「輪の中」に入ろうと決意した。その想いが「私とも元鞘に戻りませんか」という言葉になって溢れ出した……のかな? 「元鞘ですか、良かったですね」という皮肉にも聞こえるような祝福の言葉(それに何の蟠りもなく「うん」と頷く睦が睦すぎて笑う)から続いているせいで、真意が汲み取りづらいんですよね。立希に「本当にムジカやってたの?」と言われて「居場所は探すものではなく作るもの」という考えにシフトしつつあるのかもしれない。たぶん今まで請われてバンドに加わることはあっても、自分から「バンド組んでくれ」と頼むのは初めてなんだろうな。だからどう頼めばいいのかよくわからなくてあんな言い方になったのでは……って考えると少し可愛いな、海鈴。海鈴はMujicaメンバーの中で唯一「勧誘された経緯が不明」な子(恐らくクラスメイトの初華が祥子に紹介したんだろうが)なので、次はそのへんもやっと触れられるのかしら。問題は、祥子がバンドに拘っていたのは「CRYCHICを忘れられない(自ら脱退したのに解散したという事実を受け止め切れなかった)」からで、過去(CRYCHIC)と向き合ってケリをつけた今となってはそもそもバンド活動を続ける動機がほとんどなくなってしまったことですね。今後は隣のクラスの燈とも普通に交流できるし、睦のケアを優先する局面だろうし、もう少し落ち着いて余裕ができるまでムジカのことは考えられないだろう。乗り気ではない祥子を海鈴やにゃむや初華がどうやって焚きつけるのか、が今後のポイントになりそう。
次回、第8話は「Belua multorum es capitums.」。「汝は多くの頭を持つ怪物なり」、これも第6話のタイトルと同じく古代ローマの詩人「ホラティウス」の言葉が元です(元の言葉は「capitum」で、やっぱり「s」は付かない)。イソップ童話にもなっている寓話「老いたライオンと狐」(年老いて狩りの出来なくなったライオンが病気のフリをして巣に引きこもり、見舞いに来た動物を次々と食べてしまう。見舞いに来たけど巣に入ろうとしない雌狐に「なんで入ってこないんだ?」とライオンが尋ねたところ、慎重な雌狐は「巣に入っていく足跡はあるのに戻ってきた足跡がありませんから」と返した)を引き合いに出し、老いたライオンの如く長期的な展望もなくただ目先の利益を得ようと躍起になっているローマ市民を「多頭の怪物」と表現して批判する文章だ。考える頭はいっぱいあるはずなのに、集団心理に流されて赤信号をみんなで渡るような愚行に走ってしまう。つまり本来は「一貫した思想もなく、目先のことに囚われて愚かな振る舞いをする群衆」を指すものらしい。一言でまとめると「衆愚」?
デマだろうと何だろうとネットですぐに情報が拡散される現代において怪物の規模は途轍もなく大きくなっており、些細なことで「ムジカ復活」と騒ぐ大衆のことを指している可能性もありますが、特定の誰か(あるいは何か)が「多頭の怪物」であることを暗示しているのかもしれない。表面的には「船頭多くして船山にのぼる」とも受け取れる言葉なので各人の想いがバラバラでまとまらないムジカそのものを指しているようにも見えるし、30ものバンド(実働しているのは10個くらいらしいが)を掛け持ちしている傭兵ベーシストの海鈴を指しているようにも見える。加えて「祥子と一緒にいたい」という欲望以外に関しては一切主体性がなく周りに流されてばかりに映る初華も指している? ヴォーカリストなのに2話続けて一瞬たりとも登場しないという異常な状況に陥ってしまった初華であるが、次回予告で久々に顔を見せています。順番的に8話で海鈴の内心や過去を掘り下げるんだろうけど、次回予告でにゃむと森みなみが会話している(睦が引きこもるのをやめて楽しそうにバンドしていることを伝える?)から9話あたりでにゃむが合流するのかな。そして10話あたりから「最後の爆弾」である初華が起爆する展開に? 相変わらず諸説囁かれている初華であるが、これだけ突飛な考察が乱舞していると本編でどんな真相が明かされても拍子抜けしそうな気がするな……真相が何であれ、いい加減ムジカのフロントマンに相応しい「格」を見せつけてほしいものです。
・FPSゲーマーが最強装備と宇宙船で無双するリュートの小説、アニメ化企画進行中(コミックナタリー)
好きなシリーズだけど、アニメ化するとは思ってなかったのでビックリした。『目覚めたら最強装備と宇宙船持ちだったので、一戸建て目指して傭兵として自由に生きたい』は「やり込んでいたゲームの世界に転移する」というそれ自体はよくあるタイプの話なのだが、「ファンタジー的な異世界ではなくスペオペ的なSF世界」「設定は熟知しているもののストーリー要素があまりないゲームなので未来についてはよくわからない」というあたりに特徴があります。自分の乗る宇宙船をカスタマイズして宇宙海賊などを討伐し、稼いだ賞金で装備や設備を充実させていく……というアーマード・コアみたいな遊び方をするゲームがベースになっているので、はじめの方は「傭兵としてチマチマ仕事をこなしながら少しずつ成り上がっていく」という如何にもネット小説っぽいノリです。無双&ハーレムで、あまり細かいことを気にせず楽しめる爽快感重視の内容。単純にプレイングが上手いうえにチートなスキルも持っているので主人公が苦戦することはほぼなく、展開が淡々とした感じになってしまうのがヌルいといえばヌルいのですが、そのへんも慣れてくれば心地良い。
もう14巻まで出ているのにネタ切れの気配もなく、毎回何かしら新要素を入れて読者を楽しませるあたりも心憎い。個人的に11巻に出てくる狐耳っ娘の「クギ」が可愛くて好き。11巻は結構重大な設定が明かされたりするところなのでアニメでも観たいけど、さすがにそこまではやらないだろうな……主人公の「キャプテン・ヒロ」は割と俗物な人間だけど欲深というほどでもなく、どちらかと言えば「スローライフを送りたい」系の男なんですけれど、何せジェダイの騎士並みに強いので周りが放っておくはずもなく次々と面倒事に巻き込まれていきます。タイトルの「一戸建て目指して」という部分に「?」となるかもしれませんが、作中世界では宇宙コロニーでの生活が一般化しているため惑星上の土地を取得して一戸建ての家を持つというのはそれこそ貴族並みの特権階級でないと難しいのです。凄腕だろうと一介の傭兵に過ぎないヒロにとっては「惑星上の一戸建て」なんて高嶺の花……だったんですが、もうだいぶ出世しているので無理な話じゃなくなってるんですよね。まぁ隠居しちゃうと話が続かないので、なんだかんだ主人公はあっちこっち飛び回るハメになるわけですけども。
あと、主人公は大のコーラ好きなのですが、なんと転移先の宇宙ではコーラというか炭酸飲料が存在せず甚大なショックを受けることになります。先述した通り宇宙コロニーでの生活が主体になっている世界なので、気圧等に左右される炭酸飲料ってもの自体が成立しにくくなっているのだ。どうしてもコーラが飲みたい主人公は持てる権力を駆使して「コーラの捜索」と「コーラの再現」に躍起となっていく。作中最強クラスの力を持ちながら抱く野望は「コーラを再びこの喉に」だという、何とも気が抜けるようなところも含めて好きな作品です。
・斜線堂有紀の『星が人を愛すことなかれ』読んだ。
一風変わったミステリや恋愛小説やSFを手掛けている「斜線堂有紀」の短編集。ふと目にした「見ててね。私が最高の人生、使い切るところ――」という帯文に惹かれて読み出した。読んだ後に気づいたが、これ『愛じゃないならこれは何』や『君の地球が平らになりますように』の続編か。両方積んだままだったんで、最後の広告ページを見てやっとわかった。でも単発作品として読んでも別に支障はなかったというか、既刊を読んでいれば当然知っている内容を知らなかったおかげでちょっとしたサプライズが生まれたからむしろ良かったです。
本書は同一世界を舞台にした恋愛短編集で、「アイドル」をテーマにした4つの作品を収録している。「東京グレーテル」という地下アイドルグループ(途中でブレイクしてメジャーデビューする、物凄く雑に書くと『【推しの子】』のB小町的なグループ)周辺の人間模様を綴って、「アイドルだって女じゃん」という当たり前なんだけどタブーになっている要素を掘り下げていく。一作ごとに視点が変わり、時系列も前後するが、ひねりを利かせつつもストーリーラインは割合シンプルなエピソードばかりなので混乱せずに読み通すことができる。
「ミニカーを捨てよ、春を呪え」 … 「冬美」は自身の容姿に劣等感を抱きながら育ってきた。私は可愛くないのだから、高望みなんかしちゃいけない。知人の紹介を通じて出会った「渓介」が、「自分にとってはもっとも良い条件の男」だから深い恋愛感情もなく付き合い出して、その関係が惰性のように続いている。ただ、彼氏は熱狂的なドルオタだった……という感じで、「彼女である自分を差し置いて推し活に熱中する彼氏」を苦々しく見る女性のエピソードです。
冬美も心の底から彼氏を愛しているわけではなく、ハッキリ言って妥協の連続であり、ふたりの関係は結構ギスギスしているのだが「かと言って他にイイ人もいなんだろう」という諦念から綻びだらけの交際が保たれている。タイトルの「ミニカー」は、彼氏がSNSで呟いた「男はみんなミニカーを愛する時期があるのに、気づくと一つも手元にはなくなっている」といった趣旨の言葉が元であり、「いずれ捨て去って忘却してしまう執着対象」を象徴しています。彼氏の推しているアイドル「ばねるり」こと「赤羽瑠璃」は地下アイドルから成り上がって紅白に出場するほどのカリスマになっていき、もともと劣等感の強かった冬美は気も狂わんほど憎悪を滾らせる。「彼氏を通して女が女に巨大感情を向ける」という点では、すっごく拡大解釈する必要があるけど、百合と言えなくもない。我慢の限界に来た冬美はばねるりのライブ会場に行き、握手会で襲撃しようと計画して……という形でクライマックスに突入する。
彼氏にとってばねるりは人生を懸けるほどの最推しだが、決してガチ恋の対象ではなく、あくまで人生をともに歩むパートナーは冬美だと捉えている。その現実的な割り切りこそが冬美を苦しめる。テレビに映る豪華な料理に生唾を飲み込みつつ、テーブルの上に置かれた質素な食事をもそもそと口へ押し込むような。「自分が誰かにとっての一番ではない」ことの悲哀を切々と綴った一編だ。結局、彼氏は「もしばねるりが『付き合ってほしい』と言ってきたらちゃんと断るのか」という質問に対して一度も真面目に返答してないんですよね。「そんなことあるわけないだろ」と躱して終わり。「推しへ捧げる愛」こそが本物であり、自分と彼氏の関係は「愛の紛い物」だと知りながら、それを捨てることができない。愛などいらぬ! と叫ぶサウザーなんかになれない主人公の生き様を見届けろ。
「星が人を愛すことなかれ」 … 「東京グレーテル」の一期生として採用されたものの芽が出ず、「これ以上残っていても仕方ないだろう」という見えない圧を掛けられて「卒業」を余儀なくされた「長谷川雪里」。元アイドルとして半端な仕事で食い繋ぎながらも、スポットライトと喝采を浴びる栄光の日々が忘れられないでいた。東グレでいたかった。アイドルでいたかった。そんな彼女にVtuberの「中の人」にならないかという勧誘が来て……と、アイドルから配信者に転向した女性の「本当に欲しいもの」を巡る物語。
雪里には活動を支えてくれる彼氏がいて、Vtuberとしての人気もめきめき上がって承認欲求も経済面も満たされ、すべては順風満帆であるかのように見えるが、彼女の持つ「プロ意識の高さ」が彼女自身を追い詰めていく。彼女が演じる「羊星めいめい」は、常に完全で最高のVtuberであらねばならない。切ないほどにアイドル活動を愛した雪里は、惜しみなく時間と労力をめいめいに注ぐ。プライベートなんてものは、もはや存在しない。まるで彼女自身がめいめいのトップオタであるかのようだ。「アイドル」という幻想に心を灼かれ、魂を奪われた雪里は「理解のある彼氏」をフる覚悟すら決める。めいめいではない自分――「人間としての雪里」は当然の如く寂しさや虚しさを感じますが、それでも走り出した憧れは止まらない。ブレーキはもう壊れた。「いつか派手に事故ることが歴然としている暴走列車」を見守るような気分に陥る一編です。地上に在りながら天上に輝く星として振る舞わねばならないその矛盾、その孤独。帯にあった「見ててね。私が最高の人生、使い切るところ」はこの作品のラストに出てくる文章であり、明るく前向きな狂気が痛々しくも愛おしい。誰だって、どう生きたって、人生とは必ず使い切るものなんだから自由に選んでいいはずなのに。
まったく違う作品だけど『キマイラ青龍変』で宇名月典善が言い放った「いつかな、おれも、ああやって道端でくたばりゃあいいんだよ……」を彷彿とさせる。もしくは『本田鹿の子の本棚 続刊未定篇』の作中作「死にぎわ」で暴虐のツケとして闘争のさなかに果てる巳藤鉄六の叫び、「みじめに死ぬのじゃ!! みじめに死ぬのじゃ!!」。あるいは『少女☆歌劇レヴュースタァライト』の曲「Star Darling」か。「生まれてから死ぬまで すべて見せてあげるよ その純真も この狂気も 同じ箱に住まう人」
「枯れ木の花は燃えるか」 … 「東京グレーテル」には運営を同じくする「帝都ヘンゼル」という弟分のメンズ地下アイドルグループが存在する。通称「帝ヘン」。その帝ヘンに所属する「ミンくん」こと「民生ルイ」がファンを食い散らかしている様子がSNSで暴露され、炎上騒ぎに発展した。ルイと付き合っていた東グレ三期生の「香椎希美」は、「私という彼女がいながら舐めた真似しやがって」と立腹し、ルイをもっと燃やすために炎上の火元である「ちゃおまお」と接触するが……という、他とはやや毛色が異なる一編。
これだけ読み口が『ガチ恋粘着獣』なんですよね。「ルイへの熱はもう冷めた」と言い張りつつ「自分は本カノ」とマウントを取らずにはいられない希美はコンプレックスの塊で、子供の頃にイジメられた過去があるゆえに周囲というか「自分以外の存在」に対して根深い憎悪を抱いている。なので常に強がって、どんな攻撃を受けても「は? まったく効いてないが?」とポーカーフェイスを貫こうとする。ルイを「顔と人当たりだけはいいクズ男」と侮蔑しながらも「自分は彼にとって特別な存在」と証明することでプライドを保とうとする、女たちの身を切るようなカードバトル。手札を晒してオールレイズした結果、待ち受ける運命とは?
希美はアイドルという職業に対する強い憧れもなく、だから彼氏を作ったりもしているわけだが、自尊心を守る鎧として「アイドル」のイメージを纏っているため、本音を晒すべき場面でも鎧(アイドル)を脱ぎ捨てることができない。雪里とは違う意味で自縄自縛に陥っている子です。「綺麗な顔」だけが売りで、歌もダンスも微妙、年齢もグループでは上の方になってきている。自身の活動を「アイドルごっこ」と冷静に分析することができるのに、何を犠牲にして何を守るかという損切りの判断を誤る。結局、彼女は彼女自身の心に対して忠実ではいられなかった。根底にあるのは「自信の欠如」、もっとブレずにいられるような芯があれば少なくとも「炎上している彼氏をもっと燃やして灰も残らないようにしてやろう」なんて後ろ向きな怒りを漲らせずに済んだはずである。壊すことで大切だったものの強度を知る、そんな破壊検査じみた話でした。
「星の一生」 … 「東京グレーテル」の二期生として出発し、東グレをひと束いくらの地下アイドルグループからメジャーアイドルグループに押し上げた、カリスマ的存在の「赤羽瑠璃」。男の影がないか必死に周囲を嗅ぎ回るマスコミたちが些細な醜聞すら見つけることのできない、絵に描いたような完璧で究極のアイドル。そんな彼女にも人に言えない秘密があった……という、「ミニカーを捨てよ、春を呪え」と対になる一編。
『愛じゃないならこれは何』に収録されている「ミニカーだって一生推してろ」の続編でもあるので、先にそっちを読んでおくとより理解が深まるが、読まなくても別段支障はない。なおコミカライズ版もある。パッとしない地下アイドルだった瑠璃は、唯一自分を推してくれる存在だった「めるすけ」のアドバイスに従うことで生まれ変わり、全国レベルの人気アイドルになった。山ほど仕事をこなし、忙殺される日々の中で唯一の癒しはめるすけのSNSをウォッチすること。既刊を読んでなかったので、ばねるりは渓介(めるすけ)のことを認知していないと思い込んでいましたが、むしろストーカー並みに粘着していることが判明して驚愕しました。シリーズ読者なら知っていて当然の情報が抜け落ちていたおかげで却って楽しめました。これはアレだな、ジークアクスを先に観てから1stガンダムを履修する人の驚きに近いな。瑠璃はいつまでもめるすけの最推しでありたい、決して見落とすことがない不動の北極星(ポーラースター)でありたいと願い続け、「たった一人のオタのためのアイドル」として終わりの見えないマラソンに繰り出す。住所も特定しているのでその気になれば会いに行くことができるのですが、「トップオタにガチ恋するアイドルなんて解釈違いだ」と拒絶されたら……という恐怖に身を縛られて会いに行くことができない。そうこうするうちに渓介と冬美の結婚式の日取りが決まり、直前で式場が判明、瑠璃はすべての予定を放棄して駆けつける。
瑠璃の本心を突き詰めれば「アイドルになりたかった」のではなく「見つけてほしかった」(作者曰く「羊星めいめいは星になりたい人で、赤羽瑠璃は星になるという戦い方で愛を手に入れようとする人になってしまった」)のであり、もし渓介が酔った勢いとかで「ばねるり愛してる、アイドル活動はキリの良いところでやめて俺と結婚してくれ」とSNSで呟いていたら即座にシュバってハッピーエンドになっていたかもしれない。めるすけの内心がよくわからないから絶対とは言い切れないが、テディベアの一件から考えてもめるすけもばねるりを「肉持つ偶像」として捉えている気がするんだよな。結局、オタは推しがいつまでも(厳密に言うと、飽きたり忘れたりするまで)手の届かないところで輝く星であってほしいのか、それとも「手が届く星」になってほしいのか。愛した男が他の女と結婚する式場で、ふたりの幸せを祝福するばねるりのウエディングソング(めるすけと結婚する未来を夢想して歌った曲)が呪いのように響き渡る。冬美はばねるりのことが嫌いなので「こんな曲流すなんて」と泣き出すし、瑠璃も瑠璃で「この曲を選ぶんなら人生の伴侶も私を選べよ!」と泣き出してしまう。地獄みたいな風景で唖然としました。「私は全てにおいて、君の人生の主役でありたかった」という血を吐くような独白が壮絶だ。満身創痍になりながらも彼女はあらゆるメディアに露出し、永遠に輝き続けることで愛する男の人生という舞台から決して退場しない道を選ぶ。『千年女優』ならぬ『千年アイドル』だ。負けヒロインを超えた負けヒロイン、「超然とした理想のアイドル」という虚像を貫く永劫の徒刑囚。たとえ何者であろうとも、その歩み止めることなど許さないだろう。私の脳内で鳴り響くBGMは『Dies irae』の「Lohengrin(ローエングリン)」でした。
あまりに面白くて、積んでいた『愛じゃないならこれは何』や『君の地球が平らになりますように』も崩さずにはいられなかったが、「東京グレーテル」関連のエピソードは少なく、愛じゃないなら〜は「ミニカーだって一生推してろ」のみ、君の地球が〜は「『彼女と握手する』なら無料」のみ。読んでおくと『星が人を愛すことなかれ』の解像度は上がるが、必須というほどでもなく「お好みで」って感じ。「ミニカーだって一生推してろ」は赤羽瑠璃のエピソード、「『彼女と握手する』なら無料」は瑠璃と同じ東グレ二期生「黒藤えいら」のエピソードです。あと、愛じゃないなら〜のコミカライズ1巻にはめるすけ視点の書き下ろしSS「赤羽瑠璃を、一生推してる」が収録されているらしいので気になっています。Webでは「星が人を愛すことなかれ」や「星の一生」の後日談に当たる短編「星は星に願わない星」も公開されており、人によっては蛇足と感じるかもしれないが、「その後どうなったのか」が気になる人は必読。
まとめ。楽園には繋がっていない、どう考えても煉獄に辿り着くとしか思えない道を知ってか知らずか歩み続ける人々の姿を描いた、令和の地獄変。たとえすべてを焼き尽くす炎だとしても、永劫その熱に灼かれていたい気持ちがあるのだから、消火することなどかなわない。非常にキレの良い文章で、内容は地獄絵図なのに読後感が爽やかなのも怖い。カラーリングは明るくて軽やかささえ感じさせるのに、実際は地を砕くほど重いハンマー、そんな作品集。作者の斜線堂有紀自身も「一生小説書くからね」と言ってるから二重に重いんだよなぁ。ちなみに斜線堂有紀はデレマスの「荒木比奈」推しで、「荒木比奈を見つけた日、神の目がとろけた」というエッセイも書いています。エッセイというか怪文書? 補足するとこのエッセイだか怪文書だかが公開された翌年に荒木比奈のソロ曲「泡沫のアイオーン」が発表されている。シャニマスだと「七草にちか」推しらしい。それはそれとして、スタァライトの「古川知宏」監督と組んだ「タイトル未定作品」の続報はいつ来るんだろう……。
2025-02-06.・だいぶ前にアニメ化が決まったのに未だ詳細が伝えられていない『対ありでした。』、本棚の整理もかねてそろそろ崩すか……と読み出したら想像の50倍くらいイカれた内容で即ハマってしまった焼津です、こんばんは。
アニメはまだだけど実写ドラマ版は放送済なのでそっちを視聴した方もおられるやもしれない。『ゲーミングお嬢様』と同時期に始まった「格ゲーに熱中するお嬢様学校の少女たち」を描く青春漫画です。少年誌系の絵柄で「ゲームが上手いことを他のお嬢様たちが普通に賞賛する」というギャグ時空めいた世界を綴る『ゲーミングお嬢様』に対し、『対ありでした。』は少女漫画のように線の細い絵柄で「こそこそと周りの目から憚るように格ゲーに熱中するお嬢様たち」を描いているので、一見すると正反対のように映るが「頭のおかしさ」はドッコイドッコイです。作者の「江島絵理」は『柚子森さん』という「女子高生と女子小学生の百合コメディ」を描いていた人で、そちらのイメージが強かったから「題材は格ゲーだけどほのぼのしたテンションの微百合コメディなんだろうな〜」と思っていたが、明らかに『特攻の拓』を意識したキャラが出るなど全体的にノリがおかしい。
主人公のライバルが「白百合さま」と呼ばれる少女で、彼女はあまりにも格ゲーにハマりすぎているから心配した母親がゲームをやめさせようとする……と、このへんの展開は「まぁよくある流れだな」って感じです。直談判するために主人公が教師同伴で白百合さまの自宅へ押しかけるのも、強引っちゃ強引だけど青春漫画の範疇内ではある。でもですね、威圧してくる友人ママに対して「だったら先手必勝だァッ」って殴りかかるのは絶対おかしいでしょ! 格ゲー漫画なのに何の躊躇いもなく直接暴力(リアルファイト)に走っている! それを何なく撃退してみせる友人ママも充分に異常であり、ツッコミが追いつかない。主人公に発破をかけられた白百合さまが母親と流血しながら戦う最新刊はもはや格ゲー漫画の域を逸脱した家庭内暴力漫画と化しているけど、クライマックスでは「ここでこの技を差すのか!」という謎の感動が込み上げてくる。1話目と最新話だけ「カドコミ」で公開されているので、気になる方は試しに読んでみてください。最新話(第49話)のタイトルは「レス・バトル」であり、この時点でいろいろと察してしまうだろう。「煽り全一」と讃えられる白百合さまの雄姿を見届けろ。
・『BanG Dream! Ave Mujica』、第5話は繋ぎ回といった印象で大きな動きはなかったものの、「ここはまだ奈落の途中」と不穏過ぎるナレーションで「まだドン底ではないよ、まだまだ落ちるよ」と視聴者を怯えさせる。
アバンでバンド「Ave Mujica」の解散が確定、全国ツアーの最中だったためチケット代は払い戻しに。地方から遠征してきたファンは交通費や宿泊費も掛かっているので経済面だけでもショックは大きいだろう。砕け散った夢の中で虚ろというか空洞のような表情をする祥子が痛ましい。Aパートは解散後のムジカの面々を映していくが、睦ちゃんの姿はない。ファンの会話で解散から1ヶ月が経過していることがわかります。祥子はムジカの立上人だけあって出番こそ多いもののセリフはほとんどなく、ほぼ無言で進行する。最後にポツリと自己嫌悪の言葉を残してBパートへ。ここでようやくMyGOメンバーが介入し始め、4話まで一瞬たりとも出番のなかった楽奈が登場(といっても後頭部だけで、セリフも「蝶々? 鳥?」のみ)。燈ちゃんが「バンドやろう!」と叫んだところでED。Cパートで視点が若葉家に移り、「引きこもっている」らしい睦を訪ねてきたそよが睦の現状を知って〆となります。実質2期目とはいえ、ガールズバンドアニメの5話目で解散騒動を描くハメになるとは……アニメじゃないけど、これより悲惨なのは「お披露目ライブ直前にヒュージの襲撃でメンバーが死亡し、ステージ衣装に袖を通すことがないまま解散した『アサルトリリィ Last Bullet』の名もなきアイドルグループ」ぐらいじゃないでしょうか。
次回予告では楽奈についていく睦の姿が確認され、MyGOとの合流が本格化することが予想されますが……課題は山積みだ。燈ちゃんの「バンドやろう」の真意がまだハッキリせず、ムジカを再建しようという意味なのか、MyGOに6人目のメンバーとして入ってほしいという意味なのか(だとしたら愛音は「えっ、じゃあ!の数増やさないとだね?」とか考えそう)、それとも掛け持ちでCRYCHICを復活させようという意味なのか、現時点では定かではない。というか、燈ちゃんもそこまで細かく考えてない可能性があるな……バンドやってないと祥子はダメになってしまうと本能的に悟っているだけで、具体的な「祥ちゃんのバンド」像を思い描いていないのではないか。一番スムーズなのはムジカをやり直すために立希が初華と海鈴を、そよか楽奈が睦を祥子のところに連れてきてまず4人で話し合わせ、最後ににゃむを説得する……って流れなんですけど、メタ的に言うとあと7、8話くらい残っているのでそんなにすんなり進むはずがない。心が折れている祥子が立ち上がるのにも時間が掛かるだろう。これもメタ的な話になりますが、新宿のAve Mujica広告で新規カットの先行公開があって、そこに「スマホの画面見せられて動揺している初華のカット」と「激怒している初華のアップ」、それに「これでも信用できませんか!」と珍しく感情的になっている海鈴の声があったんですよ。話が拗れることは確定している。同居状態だった祥子が書き置きだけ残して去っていった(その後連絡も取れない)時点で「捨てられた」と感じているだろうし、祥子の態度次第ではいつキレても不思議ではない初華ですが、彼女と海鈴は抱えている「闇」の正体が明瞭ではなく、たとえば「祥子がMyGOに6人目のメンバーとして加入した(あるいはCRYCHICを復活させた)と純田まなから知らされる(スマホの画面を見せられる)ことでショックを受け、『なんで春日影やってるの!』と激怒して祥子に詰め寄る」という展開すら「まだ穏当な部類の予想」になってしまう。出演している声優も、ネタバレを防ぐためか言葉を濁しているがインタビューの端々で「初華の闇は深い」ことを匂わせています。祥子がいなくなって一人っきりになった部屋で二人分のコーヒーを淹れてる初華が怖いよ……去った直後ならまだしも、1ヶ月経ってそれということはたぶん毎日二人分淹れ続けてるんだよね……?
ネットでは「初華が抱える闇」の予想を巡って大喜利状態になっており、そのうちの一つで話題になっているのが「初華双子説」です。個人的には「面白いけど、かなり無理があるな」という仮説なので細かい論拠は割愛しますが、それによると5話で用意された「二人分のコーヒー」は去っていった祥子の分ではなく、「双子の片割れ」のためだった――ということになる。似たような傍証としては2話の祥子をマンションの部屋に連れてきた際、傘が2本あったシーンも挙げられます。双子説はここから更に「相方生存説」(二人一役説)と「相方早逝説」(入れ替わり説)に分岐し、早逝説の場合は「祥子が幼い頃に会ったのは亡くなった初華の妹(ないし姉)で、初華は姉妹の喪失を受け入れられず故人になりすましている」という感じになる。つまり、初華の本名は「初華」ではない。本物初華が亡くなった時点で双子だった彼女が「初華」と名乗って入れ替わった――ってな具合になります。極端なのだと「今の初華は本物初華の兄ないし弟で、女装している」なんて説まである始末だ。亡くなった本物初華の遺志に引きずられて行動している、中身は空っぽな操り人形……と考えると彼女のどこか空疎な部分に対して平仄が合う気もするけど、うーん、やっぱり無理があるような……でも既に二重人格者が出ている時点で「ありえない」とまでは言い切れないんだよな。
二重人格と言えば、睦ちゃんは寝ている間にムジカが解散したことにショックを受けて引きこもっているのかと思いきや、人格がずっとモーティスのままで睦ちゃん本人は依然として深い眠りに就いているという衝撃的な事実が発覚しました。モーティスも睦ちゃんを起こそうと必死になってドッピオみたいな真似しているが、手だてがなくて途方に暮れている模様。次回予告で楽奈の後ろを歩いているが、楽奈の演奏でひょっこり目を覚ますのか、それともモーティスが一からギターを習う展開に入るのか。次回6話のタイトルは「Animum reges.」(心を支配する)、古代ローマの詩人「ホラティウス」の言葉です。ただ、厳密に書くとホラティウスの言葉は「Animum rege.」(アニムム・レゲ)で「s」は付かない。理性と意志によって心というか感情・激情を抑制するように、という忠告だそう。固い意志によって感情をコントロールしないと、感情に振り回されることになってしまう。「Ira furor brevis est.」(怒りは短い狂気である)に続く言葉なので、今風に言えばアンガーマネジメントってやつかしら。
小ネタ的なところではsumimiの二人が出演している「スマイルガールズコレクション」にチラッと「桐ヶ谷透子」が映ってますね。作画ではなく3Dモデリングなので「透子に似た別人」の可能性はない。透子は月ノ森の生徒で、そよや睦の一個上、二年の先輩に当たる。祥子がバンドを組むキッカケとなったモニカ(Morfonica)のメンバーの一人です。モニカは商業バンドではないので、個人的にモデルのような活動をしているのだろうか。
ところでMyGOの頃から気になっていることが一つありまして。3話で語られる燈の幼少期に「みおちゃん」って子が出てるんですよ。燈からダンゴムシの詰め合わせをプレゼントされる被害者枠の子。セリフは「葉っぱきれい〜!」「燈ちゃんも葉っぱ好きなの?」「みおも好き〜」の3ワードのみ。エンドクレジットでは「みお」と名前のみ表示されている(CVは「七海こころ」)。後にRiNGのスケジュール表に「池本みお」という名前がチラッと出てくるので「あのみおちゃんと同一人物なのでは?」って説もありますが、裏付ける要素はない。更に7話のCパート、MyGOメンバーによる「春日影」演奏にショックを受けて祥子が街を彷徨うシーン。街頭CMか何かで「サニーサイドアップ」という曲がサブスクで配信中ってアナウンスが流れるんですが、その前に「はなこ、みお、ういか、3人が織り成すアンサンブル」って言っているように聞こえるんですよね。この「ういか」が三角初華かどうか定かではないが、別人だとしたらややこしすぎるので素直に同一人物と受け取っていいと思う。恐らくその場かぎりで組んだユニットじゃないかと思われますけど、この「みお」が「みおちゃん」なのだとしたら「三角初華は燈が小さい頃に遊んだ子と面識がある」ってことになります。そして本編で描かれていないだけで、燈とみおちゃんの付き合いがさほど密接ではないにせよまだ続いている可能性はある。
MyGO10話のプラネタリウムで燈と初華が会う場面、燈の顔をじっくり見た初華が「あっ、さきちゃんのバンド(CRYCHIC)にいた子だ」と思い出す描写が入ります。目の前にいる相手を思い出しているはずなのに思考の中で燈よりも祥子の方にフォーカスしていくの、改めて観ると怖いよ。このとき燈は特に名乗らなかった(落としたノートを初華が拾うシーンもあるが、描写からしてこのときに名前を見た感じでもない)のに、13話で「燈ちゃん、また会えたね」と声を掛けてくる。別れた後に愛音と燈が行う「初華、ともりんの名前知ってたね?」「言ってない、気がする……」という会話でも「初華が燈の名前を知っている」ことの不自然さを強調しています。タクシーの中でCRYCHIC時代の写真を眺めて「やっぱり、さきちゃんの……」と呟いていることを考えると、情報源は祥子ではない。この時点で睦からCRYCHIC時代について聞き出せるほどの付き合いがあるとも思えない。SNSの情報だけで特定したのかもしれない(CRYCHICのアカウントに「Vo.Tomori」という表記があったから、名字がわからなくて名前で呼んだという説が有力だ)けれど、ひょっとするとみおちゃんが情報源だったのでは? 例によって例の如く楽屋でCRYCHICの(というかさきちゃんの)写真を見ていた初華に「あれ? これって燈ちゃんじゃない?」みたいに言及したのが特定に繋がった可能性もある。つまり、Ave Mujicaの6話以降にみおちゃんが登場して事態を動かすキーマンになるかもしれないな……みおちゃん、端役にしてはやけに気合の入ったキャラデザになってる(幼稚園児とは思えないくらい髪が長い)から再登場はありえると信じているんですよね。純田まなとみおちゃんと謎の「はなこ」と椎名真希(立希の姉)とあと一人誰か……「森みなみ」(女優、睦の母)引っ張って来ればもう一バンドは捻出できそう。いえさすがにジョークですけども。5話まで一瞬たりとも登場しなかった「みおちゃん」が急に出てくる可能性なんてほぼゼロだと思うけど、それでも私は救いの選択肢が広がることを信じたい。
と、ここまで妄想を逞しくして語ってきましたが、実はバンドリには「みお」という名前の子が既に一人いる。「ビビキャン」こと「ViVidCanvas」の「芹澤みお」――アニメには出てこないがバンドリのアプリ、「ガルパ」のパスパレ(「Pastel*Palettes」、MyGO3話のカラオケで睦ちゃんが歌っていた曲のバンド)イベントで登場したアイドルグループの子です。パスパレと同じ事務所に所属しており、ポジションとしてはパスパレの後輩・妹分に当たる。3人組だが、メンバー全員サブキャラなのでボイスは実装されていない。外見的特徴からして芹澤みおが燈ちゃんと仲の良かった「みおちゃん」である可能性は低いが、街頭CMで流れていた「はなこ、みお、ういか」の「みお」はこっちだったのかもしれない。いや、ぐぐってもほとんど情報が出てこないキャラなんで「可能性を否定し切れない」ってレベルですけどね。
・ラブライブ、謎の新プロジェクト『イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD』始動
おっ、バンドリに影響を与えたラブライブに新たな動きが。『ラブライブ!』は雑誌“電撃G's magazine”の読者参加企画として始まったプロジェクトであり、バンドリ同様に楽曲とアニメとアプリの3つが柱になっている。既にサービス終了したがアプリ「スクフェス」こと『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』の運営はバンドリと同じ「ブシロード」で、スクフェスの成功を受けブシロが自社IPで音楽コンテンツを展開すべく立ち上げたプロジェクトがバンドリである。
「アニメよりもアプリが中心」のバンドリと違い、ラブライブはアニメ版がプロジェクトの中心に据えられています。バンドリの方はアプリ(ガルパ)がメインなので、ガルパやってない人がアニメ1期観た後に2期を観ると「知らないキャラが次々と出てきた……話飛び過ぎじゃない?」と戸惑うハメになる(1期と2期の間を埋める企画もあったけど実現しなかった、MyGOの「要楽奈」も元々はそっちの企画のキャラだったらしい)。それに対してラブライブはアニメのみで情報が完結する仕組みになっており、基本的にアニメだけ観ればストーリーを追うことができる。加えて「キャラ同士の繋がり、人間関係の広がり」を重視することでサーガ化(複雑化)するバンドリと違ってタイトルごとに話を独立させ、繋がりがあるのかないのか曖昧な状態に置くことで常にシンプルな状態を保ってきた――つまり無印の『ラブライブ!』を観ていなくても『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』や『スーパースター!!』といった派生タイトルに易々と入っていけるようにした――から、「間口の広さ」という意味ではバンドリよりも上を行っています。乱暴に言ってしまうと、バンドリは「宇宙世紀」という架空の年表に基づいて展開するUCガンダムみたいなプロジェクトで、ラブライブは「たとえ設定上繋がっていても、その繋がりがほとんど見えない」アナザーガンダム群(最近は「オルタナティブ」が公式名称なんですっけ)みたいなプロジェクトなんです。
『ラブライブ!』の歴史をアニメに絞って軽く振り返ってみましょう。まず2013年に『ラブライブ!』、通称「無印」あるいは「初代」の1期目が放送されました。女子高生たちが部活感覚で「スクールアイドル」なるものに励むという、既存のプロジェクトで言うと『アイカツ!』に近いノリを持ったアニメとなりましたが、「プロのアイドルを目指す」という目標がある『アイカツ!』に対して『ラブライブ!』はあくまで「アマチュアのアイドルとして青春を謳歌する」ところに特色があった。アイドル物なのに「芸能界」という要素が一切絡んでこない、そういう意味では非常に変わったアニメなんですよね。作中において全国一のスクールアイドルグループを決定する大会「ラブライブ!」が開催されることになったものの、主人公「高坂穂乃果」が体調を崩したため大会の出場そのものを断念する――という予想外の展開も話題になりました。基本フォーマットとしては「全国大会へ出場して優勝を目指す」というスポ根みたいなストーリーなのに、まさかの「出場すらしないで終わり」。1クールで「メンバー集め」のエピソードを丁寧に行ったので尺が足りなくなった、という事情もあるだろうが、「青春を謳歌するうえで『全国大会優勝』を目指す必要は別にない」という視点もあったんでしょう。そもそも穂乃果たちがスクールアイドルを始めたのは廃校の危機にあった「音ノ木坂学院」を救うためで、そっちの目標は無事達成されたのだからココで完結を迎えたって何の支障もありませんでした。
しかし、ファンはやはり「全国大会で活躍する穂乃果たち」の姿が見たかったのか。翌年2014年には無印の2期目が放送されます。こういう全国大会って普通は年に一度の開催なんですが、「次の大会」まで持ち越しだと上級生組が卒業してしまう――まさか全員留年させるわけにもいかない――という事情で「年内にもう一度大会が開催されることになった」とかなり無理のある展開に突入する。実のところ、『ラブライブ!』は大会の名前をタイトルに冠している割に作中の「ラブライブ!」大会はあまり詳しく描かれないんです。こういう大会を盛り上げるためにはライバルグループが次々と主人公の前に立ちはだかる……という展開にする必要があるんですが、尺の都合もあって主人公たちのグループ「μ's」以外のスクールアイドルはライブシーンがほとんど用意されていません。先攻、Aグループ! 後攻、Bグループ! って交互にライブシーンを映して「さあ判定の結果は!?」みたいな、そういう普通のアイドルアニメで見かけるような場面がマジでないんですよ。唯一ライバルとして描かれている「A-RISE」との対決さえサラッと流されているため、「あれ? いつA-RISEに勝ったの?」と困惑する視聴者もいました。「全国大会を描くアニメなのに、ライバルの存在感が薄すぎる」という批判も時折ありますが、視聴者のほとんどは恐らくライバルとバチバチにやり合う主人公たちの姿が見たいわけではなくμ'sというグループで自己実現してキラキラと青春を謳歌する主人公たちの眩しい姿を応援したかったのだろうから、作品の瑕疵にはなっていない。「なら大会形式にする必要はなかったんじゃ?」と言われたらそれはそう。今のアニメファンにとって無印はただの「古い作品」でしかないだろうが当時の人気は凄まじく、作中のμ'sを再現した声優ユニットが紅白歌合戦に出場したほどである。ちなみに私は無印だと穂乃果・海未・ことりの微妙な三角関係が好きです。
無印の2期目で上級生組の卒業に伴ってμ'sは解散し、「高坂穂乃果を主人公とする物語」は閉幕となる。2015年に最終回の続きを描く劇場版も公開され、そのラストで下級生組も全員卒業しμ'sのメンバーは音ノ木坂に一人もいなくなりました。そして2016年、舞台と主要陣を一新した『ラブライブ!サンシャイン!!』の放送が開始されます。今度は静岡県沼津市に位置する「浦の星女学院」で物語が繰り広げられていく。主人公「高海千歌」はμ'sに憧れて自らもスクールアイドルになろうと努力する――という形で無印との繋がりは示される(前作の舞台である音ノ木坂から転校してきたキャラもいる)が、本編にμ'sのメンバーたちが出演することはない。無印から何年後なのかさえ明確ではありません。浦の星女学院が廃校の危機に瀕し、それを救うために全国大会「ラブライブ!」への出場を目指す、っていうストーリーの枠組みが無印の焼き直しみたいになってしまったのは様々な事情と思惑が絡んだ結果であろう。2017年に2期目が放送、2019年には劇場版も公開され、千歌たちのグループ「Aqours」を巡る物語は完結する。2023年に異世界の「ヌマヅ」を舞台にしたスピンオフアニメ『幻日のヨハネ』も放送されましたが、どちらかと言えばスターシステムに近い形式の作品なんで『ラブライブ!』の1作にカウントすべきかどうか悩ましいところだ。一応ライブシーンもあるから広義のラブライブ!には含まれるけど……ちなみにサンシャインは渡辺曜派です。
2020年にプロジェクト第3弾となるアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の1期目が、2021年にプロジェクト第4弾となるアニメ『ラブライブ!スーパースター!!』の1期目が放送され、20年代前半はこの「虹ヶ咲」と「スーパースター」が並行して展開する形となります。
「虹ヶ咲」は無印やサンシャインから大きくキャラクターデザインを変更(アプリである「スクスタ」こと『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS』ではニジガクの面々も従来の絵柄に寄せたキャラデザだったため、アプリからのファンは驚いた)し、「全国大会であるラブライブ!への出場を目指さない」「グループ活動ではなくソロ活動に力を入れる」という異例のストーリーになっている。確かにラブライブ!プロジェクトはその根幹となる「全国大会としてのラブライブ!」が足枷になっていた面があり、そこを外すことで虹ヶ咲は新たなファン層の獲得に成功しました。が、「それはもうラブライブではないのでは?」という疑問も当然の如く発生します。主人公「高咲侑」もアプリの「あなた」(プレーヤーの分身)に当たる存在で、現状唯一の「スクールアイドルにならないラブライブ主人公」であり、このへんも異色です。廃部した「スクールアイドル同好会」を再興する……という展開はラブライブらしいっちゃラブライブらしいですけど。ファンの間でも虹ヶ咲の位置づけについては意見が分かれており、「外伝みたいなもの」「スクールアイドル物ではあるけどラブライブではない」といった見方もあります。「ガンダムの出てこない関連作品に『ガンダム』の名を冠しても良いのか?」という問いのようなものだ。一応、無印やサンシャインとは同じ世界だが、サーガ化を避けたため作品としての繋がりは物凄く希薄になっている。アプリであるスクスタでは時代の隔たりを無視して「μ's」と「Aqours」がニジガクの面々と同年代のスクールアイドルとして並存するオールスター設定になっていたものの、アニメ版ではそのへんがどういう処理になっているのか厳密には不明で、あえて曖昧にしている感触が強い。というか無印で主人公の妹「高坂雪穂」を担当した声優「東山奈央」が別のキャラのCVとして出演していることからも、無印と虹ヶ咲を繋げる意志がないことは明らかだ。2022年に2期目を放送し、2023年にOVAを発売、2024年から劇場シリーズとして「完結編」を展開しています。完結編は3部作の予定ですが、アプリから変わったキャラデザが映画でまた変更されてファンは混乱しました。ちなみに私、虹ヶ咲はゆうぽむ(侑とその幼なじみ「上原歩夢」の組み合わせ)派ですね。あと書き忘れていたが、公式4コマ漫画『にじよん』をショートアニメ化した『にじよん あにめーしょん』というスピンオフ作品もあります。
『ラブライブ!スーパースター!!』は2022年に2期目、2024年に3期目を放送して完結した、ラブライブ!プロジェクトの完結済みアニメとしては最長の作品となります。新設校である「結ヶ丘女子高等学校」に一年生として入ってきた「澁谷かのん」が2期目で二年生になり、3期目で三年生になって卒業する――と、作中の経過時間も最長になっている。舞台が新設校なので先輩となる上級生キャラが存在せず、「上級生キャラが卒業してしまうためグループが存続不可能になる」という過去の問題点を克服。後輩が新規メンバーとしてどんどん追加される、サーガというほどではないが「人間関係がどんどん変わっていく」点で過去のアニメ作品とはだいぶ印象が異なります。ただ、「過去作の焼き直しをしない」ことを目指した結果、やや迷走してしまった部分もあるかな……「音楽科と普通科の対立」をうまく捌き切れなかったように見受けられる。それとやっぱり「全国大会としてのラブライブ!」がストーリーを作るうえで大きな制約となってしまっています。これがたとえば複数のスクールアイドルグループを群像劇みたいな調子で描いていって、彼女たちがラブライブ!の大会でぶつかり合う――みたいな展開だったらスポ根的な文脈では盛り上がっただろうけど、根本的にラブライブのファンはスクールアイドルたちが勝ったり負けたりする様子を見たくないわけで。どうしても齟齬が生じてしまう。「スクールアイドルが努力の成果を披露する場」は必要なんだけど、それが「優劣を決定する大会」である必要はなく、また「全国大会としてのラブライブ!」は詳細が描かれないせいもあってあまり魅力を感じない。スーパースターの魅力も大会以外のところにあります。「澁谷かのんの成長物語」としては2期目で概ね終了させ、3期目は「最上級生として後輩たちを導く存在になった澁谷かのん」を描くという、ある意味で「無印で観たかった展開(先輩になった穂乃果たち)」を叶えてくれるアニメではあった。ちなみにスーパースターで一番好きなキャラは「嵐千砂都」です。振り返って気づいたけど、ラブライブに関しては幼なじみ好き過ぎじゃないか私。
現在はプロジェクト第5弾『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』がアプリ「Link!Like!LoveLive!」を中心に展開中であり、これもいずれアニメ化するのではないか……と思われていたところへ急に現れたのがプロジェクト第6弾『イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD』である。まだ情報公開されたばかりで何もわからないに等しいが、キービジュアルの涙を浮かべる主人公?を比較的少ない線数と色数で描いていることからしてアニメ企画ではないかと予想されます。まさか蓮ノ空アニメ化よりも先に新企画始動とは、って驚きました。蓮ノ空は2023年頃から動き出したプロジェクトで、石川県金沢市に位置する全寮制の「蓮ノ空女学院」が舞台となる。100年以上の歴史を誇る伝統校であり、スクールアイドルクラブはラブライブ!で優勝した過去もある。そんな「ラブライブ!の強豪校」に主人公「日野下花帆」が103期生として入学するところから始まります。アプリの配信日が4月で、現実の時間にリンクして主人公たちが成長し進級する、というコンセプト。なので2024年4月に花帆が二年生となり、後輩である104期生が入学。もう少ししたら花帆は三年生になり、105期生が入ってくる運びとなっています。この「共時性」が売りの一つなのでアニメ化しづらいという面もある。具体的なストーリーは公式サイトでダイジェスト動画が公開されているのでそちらを参考にしてほしい。「地方から大都会・金沢にやってきたぜ! ひゃっほう!」→「なんで学校がこんな山奥にあるんですか! しかも全寮制!? やだー!(脱走)」→「スクールアイドルになりたいから僻地でも我慢します!」という感じで猪突猛進タイプの主人公が頑張る、これまでのプロジェクトに比べてクラシカルな雰囲気というか「スポ根っぽいノリのスクールアイドル物」になっている。ストーリーを丁寧になぞろうとすれば相当な尺が必要になるだろうし、ひょっとすると蓮ノ空はアニメ化しないままフィニッシュの時を迎えるのでは……という気までしてきました。蓮ノ空に関しては詳しくないので特にお気に入りのキャラはいない、強いて言えば「藤島慈」が好み? もうちょっとで卒業してしまうみたいだけど。
さておき『イキヅライブ!』。語りたいのは山々だが、情報が……情報が少なすぎる……! タイトルに含まれる「生きづらい」という後ろ向きな言葉、キービジュアルで涙を浮かべる主人公?の絵から察するに「日々生きづらさを抱えて過ごしている女の子が『スクールアイドル』という概念に出会って生き甲斐を得る」ような話になるんだろうと思われる。交通の便が悪くて「スクールアイドルのライブに行きづらい!」と嘆く地方民の子が主人公、なんて冗談みたいな分析もあるが、ティザームービーのBGMも重苦しいし素直に「ネガティブ路線の企画」と受け取っていいはず。生きづらさを抱えている女の子というと近年のアニメ作品では『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』や『夜のクラゲは泳げない』、『ガールズバンドクライ』などが連想されます。「最近はこういう暗めの路線でも案外イケるみたいだし、『明るさ一辺倒』というイメージのあるラブライブでも翳があるというかもうちょっとアクセルを踏み込んだ企画作ってみようか」って感じになったんじゃないかと邪推している。いや、スーパースターのかのんちゃんも開始時点では割と生きづらさを感じてるタイプ(あがり症がヒドくて音楽科に入れず普通科に来た)でしたけど、あれよりも先に推し進めたムードになるのでは? それこそぼざろのぼっちちゃん(後藤ひとり)みたいな。「似た路線ばかりでは行き詰まってしまう」からこそマンネリ打破のチャレンジに踏み切ったのではないかと考えています。
アニメ企画だと仮定して、気になるのはスタッフですね。特に監督とシリーズ構成。ラブライブアニメの監督は無印とスーパースターを手掛けた「京極尚彦」、サンシャインの「酒井和男」、虹ヶ咲の「河村智之」、あと幻日のヨハネの「中谷亜沙美」とにじよんの「ほりうちゆうや」で5人います。河村智之は虹ヶ咲の完結編で忙しいだろうからまずないし、スピンオフを担当した中谷亜沙美やほりうちゆうやが来ることは考えづらいので、まったく新規の誰かでなければ京極尚彦か酒井和男の二択だと思います。シリーズ構成は無印、サンシャイン、スーパースターの3つを手掛けた「花田十輝」、虹ヶ咲の「田中仁」、あと幻日のヨハネの「大野敏哉」――監督と同じ理由で田中仁と大野敏哉を消すと、候補は花田十輝しか残らない。可能性の高い組み合わせは「京極尚彦と花田十輝」あるいは「酒井和男と花田十輝」。
あれ? 後者の組み合わせは最近どっかで見たような……とトボけるまでもなく、『ガールズバンドクライ』のコンビだ。ガルクラのインタビューで花田十輝は「これまで学校を舞台にした脚本ばっかり書いていたから学校じゃないところを舞台にした話を書きたかった」と語っており、「(〇〇が××するという展開にしたら)『ラブライブ!』になっちゃう」と言及していることからも汲み取れる通り、ガルクラでは意図的に「『ラブライブ!』とは違う路線」を目指していました。
ガルクラのインタビューで好きなところはアレですね、当初主人公の「井芹仁菜」はおとなしい子という設定で、公式サイトのキャラ紹介でも「やや引っ込み思案の普通の女の子。小中高と目立たない存在で、成績もごく普通。特に大きな夢もなく、空気を読んで、みんなに合わせて生きてきた。」と書かれていますが、本編では観た人が全員「紹介文と全然違うじゃん!」って叫ぶキャラに仕上がっています。あれは本当に企画段階だともっとおとなしい子として書くつもりだったのに、いざシリーズ構成を開始すると仁菜の反骨心が剥き出しになってしまってまったく言うことを聞いてくれず、ああいう尖った子になっちゃったそうです。あまりに企画段階から乖離したキャラクターになってしまったので制作サイドから「紹介文を書き直してくれ」と頼まれたが、花田十輝は「本編通りの紹介文にしたら誰も観ないよ!」と断って今でも偽装表示めいたキャラ紹介文が公式サイトに残ってしまっているという。ライブ感バリバリで好きなエピソードです。
ただ、花田十輝はもういい加減『ラブライブ!』の脚本を書くのがしんどくなっているのではないか、という気がするんですよね。『イキヅライブ!』で新境地を切り開くのだとしても、「過去のラブライブ作品と被らないように」「それでいてラブライブらしさが残るように」って考えながら書くのは窮屈なんじゃないでしょうか。新機軸を打ち出す以上、まったく新しいライターを外部から招くというのはありえない話ではない。さすがに虚淵玄とかはないでしょうけども。虚淵ラブライブ、メンバーに偽名の黒孩子が混じってそうだな……閑話休題、それこそ『It's MyGO!!!!!』や『Ave Mujica』のシリーズ構成を行った「綾奈ゆにこ」あたりは来ても不思議ではない。綾奈ゆにこはバンドリの1期目から一貫してアニメシリーズに関わっていたライターなのだが、どうもバンドリのプロジェクトからは外れたみたいなんですよね。過去にアイカツやアイマスの脚本も何話か手掛けているので「アイドル物」なら範疇内だろうし、予想の一つとして考慮に入れておこう。
とにかく気になるのは、「生きづらさ」を抱えているのであろう主人公ちゃんがどういう形でラブライブ!に向き合っていくのかだ。ただスクールアイドルという居場所を得るだけで満足するのか? 同じ部の面々と本音をぶつけ合って剥き出しの自分を受け入れてもらいたいのか? それともラブライブ!の大会でライバルとバチバチやり合う形でしか生の充実感を得られない狂犬だったりするのか? 結局、「大会としてのラブライブ!」をどういう扱いにするのか、ハッキリ決めないとどうにもならない気がするんですよね。虹ヶ咲みたいな「大会に出場しない」作品も既にあるわけだから、これも「大会としてのラブライブ!」をオミットしていくのかな。続報を心待ちにしている。
2025-01-24.・『BanG Dream! Ave Mujica』第4話のタイトルが「Acta est Fabula.」で思わずテンションが上がった焼津です、こんばんは。
直訳すると「芝居は終わった」、古代ローマで演劇終了時に俳優が述べる定型句めいた口上であり、これを合図に観客が拍手喝采して幕が降りる。感覚的には番組の最後に表示される「終」とか「おしまい」みたいなニュアンスの言葉です。ローマ帝国初代皇帝「アウグストゥス」が臨終の際に「Plaudite, acta est fabula(喝采せよ、芝居は終わった)」と言い遺した伝説があり、また真義は定かではないがベートーヴェンもこのセリフを意識して死の間際に「Plaudite, amici, comoedia finita est(拍手を、友よ、喜劇は終わった)」と囁いた、ってエピソードがある。要するに「遺言」としての性格が強い言葉です。『Dies irae 〜Acta est Fabula〜』とゲームのタイトルにもなっており、そちらの方では「Acta est fabula(未知の結末を見る)」と意訳されている。簡単に言うとラスボスの奥の手です。それまでに行われた内容のすべてを「芝居」として破棄し、未知の結末へ辿り着くために最初から全部やり直すという宇宙規模の卓袱台返し。味方がいなくて精神的に追い込まれた「若葉睦」も「自分を消す」ことで特大の卓袱台返しを発動させている。彼女の精神は奈落へと失墜し、新たな人格「モーティス」が浮上する。「死」の名を冠する自己愛・自己憐憫の化身――MyGOでは燈ちゃんが「自分はまるで羽根がなくて地面を転がっているダンゴムシのようだ」と感じていたし、冗談抜きで『俺たちに翼はない』との共通点が増えていくな。「人格」を指す英語「personality(パーソナリティ)」はラテン語で「仮面」を意味する「persona(ペルソナ)」が語源なので、「人形たちの仮面劇」というコンセプトの時点で「人格」に切り込んでいくサインは発されていたと言える。あと3話は純田まなの「ドーナツ半分こ」を形だけ真似した初華の「あらかじめ半分にしたドーナツを皿にたくさん並べる」シーンが地味に怖かった。
眠りに就いているだけで睦ちゃんの人格はまだ生きている、と明らかになるのが第4話の「Acta est Fabula.」。明るく快活にハキハキと喋ることでお茶の間の人気者となっていくモーティスだったが、ギターは「睦ちゃんだけのもの」なのでバンドメンバーとして演奏することができない。バンドリは1期目でプレッシャーに押し潰された香澄が歌えなくなっちゃうとか、まだ始めたばかりでろくに演奏できないメンバーがいる(MyGOの愛音もこれに該当するか)みたいなのはあったけど、ギャグ色の強いピコ含めても「人格が切り替わったせいで演奏能力が0になる」パターンはたぶん初めてじゃないかな。逆に演奏のときだけ人が変わったようになる六花とかはいたけど。バンドの主導権を睦(モーティス)に奪われ、このままAve Mujicaの世界観は形骸化していくのか……と不安になったところでようやく祥子は睦からの二人称が「祥子ちゃん」になっていることに違和感を覚える。睦ちゃんはセリフが少ないのでわかりにくいが、基本的に相手のことは呼び捨て。幼なじみの祥子は「祥(さき)」と呼んでいる。そこから睦のパーソナリティがおかしくなっていることに気づき、バンドメンバーが今後の方針を話し合っていく中で「もうこのバンドを続けるのは無理だ」という結論に至ります。
月村手毬のように子供のように駄々をこねるモーティスの言葉が過去に祥子やにゃむが発したセリフの谺に過ぎないというシーン、「本当に中身はからっぽな人形なんだな」と実感してゾッとしました。「ともに音楽を奏でる運命共同体」と口にしながら「ギター持ったことないから弾けない」って……反射神経だけで生きてらっしゃる? 継ぎ接ぎすぎて「死」というより「残響」だよこの人。いやしかし4話でバンド解散決定とかあまりにも早すぎる。ここからMyGOメンバーの介入も交えて再結成していく流れになる……はずなんだが、ホントに再生できんのかなコレ。中身からっぽとはいえ彼女なりにムジカを守るため頑張った末結局ムジカを壊してしまったモーティスの精神がヤバそうだし、祥子ちゃんはムジカがなくなったら初華のヒモになるか豊川家に戻って祖父の養子になるしかない状態だし……第5話のタイトルは「Facta fugis, facienda petis.」、「やったことから逃げて、やるべきことを求める」――過去の行いに責任を持たず逃げ出して「これからどうすればいいのか」と先のことだけを考えている、未来志向と言えば未来志向だけどどう見ても失敗を繰り返すとしか思えない副題であり、問題解決の道のりは遠そうだ。ちなみに「Facta fugis, facienda petis.」はオウィディウスの『ヘーローイデス』(「ヒロイン」という英語の語源になったギリシャ語「ヘーローイス」の複数形、日本語だと『名婦の書簡』や『名高き女たちの手紙』といった訳もある)の第七歌、カルタゴの女王「ディードー」からローマ建国の祖になった英雄「アエネーアース」へ宛てた手紙に出てくる一節。なお第2話の「Exitus acta probat.」も同じ『ヘーローイデス』の第二歌から来ている。アエネーアースはトロイアの武将だったが、例の木馬でトロイアが壊滅的な打撃を受けた際に家族や部下を連れて船に乗り脱出。あちこち彷徨ってカルタゴに辿り着き、現地を治めていた女王・ディードーと愛し合って一度は腰を落ち着かせようとしたが、なんやかんやで「ここは約束の地ではない」と判断して旅立つ。捨てられたディードーは儚くも自殺してしまう……という後味の悪いエピソードがローマ神話にあり(彼女の遺した呪いによって後世カルタゴとローマの間で戦争が起こった、ってな具合に繋がっていく)、去っていくアエネーアースに向けてディードーが「あなたは私と懇ろになったにも関わらずその責任を取らないで使命を追いかけていっちゃうような男なのね」と恨み言を手紙に綴っていた――という体裁の詩になっています。原典通りに解釈するなら「カルタゴ=Ave Mujicaを捨てて去っていく不誠実なメンバーへの非難」であり、捨てられた側は自殺したくなるほどの悲嘆を感じていることになる。更に拡大して解釈していくと「トロイア=CRYCHICから逃げ、カルタゴ=Ave Mujicaからも逃げ、今は約束の地を求めている」祥子を表していることになるけどさすがに穿ち過ぎかな。
アエネーアースの生涯はウェルギリエスの詩「アエネーイス」で描かれており、ディードーのもとを去った後も波瀾万丈である。「アエネーイス」をベースにした作品もいくつかあり、小説形式の『ラウィーニア』が読みやすいところかな。カルタゴから出発したアエネーアース一行はイタリア半島に到着し、現地を治めていた王「ラティーヌス」(「ラテン」の語源になった人)の娘「ラウィーニア」を娶り、妻にあやかって名付けた新天地「ラウィニウム」に都市国家を創り上げ、それがやがてローマ建国へと結びつく。このへんはギリシャ神話とローマ神話が混ざり合うため非常に複雑(ヘシオドスの「神統記」だとラティーヌスはオデュッセウスとキルケーの間に生まれた息子とされているが、これに準拠するとラティーヌスがトロイア戦争後に生まれたことになって時系列がメチャクチャになる)であり、ル=グウィンもかなり苦労して書いたみたいだが、ラウィーニアという「アエネーイス」に出てくるけれど詳細は不明な女性を主人公にすることでうまく想像力の翼をはばたかせています。しかし改めて振り返るとアエネーアース、クレウーサ(最初の妻、トロイア脱出時に夫とはぐれて死亡)/ディードー/ラウィーニアと3人もの女性を己の運命に巻き込んできたんだな。それに対して豊川祥子は若葉睦/長崎そよ/高松燈/三角初華と4人もの女性を己の運命に巻き込んで狂わせてきたんだからアエネーアース超えてない?
・「少女型兵器(アルマちゃん)は家族になりたい」TVアニメ化、スタッフも発表(コミックナタリー)
好きな漫画だけど、もう完結してる作品なんでビックリした。調べてみると去年の時点でセカンドシーズン『アルマちゃんは家族になりたいZ』の告知が出てるわ……気づかなかった。作者のポストによると「3巻の売り上げ好調、掲載時の反応も良好」とのことで継続が決まったらしい。アニメ化の打診があったのも同じ頃なんだろうか。作者の「ななてる」は同人出身の漫画家で、昔は「天城七輝(てんじょう・ななき)」の名義で活動していましたが、あだ名として「ななてる」と呼ばれ続けた結果2010年頃にPNを変更しました。天城七輝時代に「ハッピーホームベーカリー」という作品が“まんがタイムきらら”に掲載されたらしいが、書籍化されていないため私は読んだことはありません。ななてる名義になった後は商業だとワールドウィッチーズのコミカライズを手掛けています。同人サークル名は「蓮根庵」で、『アビーと北斎』シリーズみたいにほのぼのした作品がある一方、ブラックな労働環境に心がすり減っていく『まじめな鹿島さん』みたいなのもある。また、おにまいの「ねことうふ」と並ぶお漏らし・おしっ娘好きの作家としてごく一部で有名。『艦もれ』『ハッピー★シャワー りみっとぶれいく』『SHOW BEN ROCK!!』『ツレション SIDE:RED&BLUE』『キミの聖水に乾杯!』『100%エリチャン聖水戦争』『湿潤付与』など「いや尿ネタだけで何冊描いてるんだよ!」とツッコミを入れたくなるレベルだ。
『少女型兵器(アルマちゃん)は家族になりたい』はもともと作者がピクシブとかツイッターとかニコニコ静画で公開していた「天才科学者たちが最高のロボットをつくった漫画」というタイトルの漫画を商業連載化したものです。ロボット工学技術を極めた女性科学者「夜羽スズメ」と人工知能のエンジニア「神里エンジ」がタッグを組んで制作した少女型兵器「アルマ」――彼女はスズメを「おかあさん」、エンジを「おとうさん」と定義した。お互いを罵り合っているスズメとエンジだったが、双方とも相手を異性としてバリバリに意識しており、「あ、あくまで利害が一致しているだけだから!」と言い張りながらも家族を演じることに……という、素直になれない二人をアルマちゃんが見守る「子は鎹」なコメディです。「もう結婚しろよ」という感じですが、新作の方でもまだ結婚していないみたいだ。少しずつ情緒が育っていくアルマちゃんの姿が可愛く、たった3冊で終わってしまったのは無念だったけど、まさか知らないうちに再開していてアニメ化まで決まったとは……青天の霹靂だわ。ちなみに連載開始前に描いていた旧バージョンも同人誌として一冊にまとめている(『天才科学者たちが最高のロボットをつくった漫画』)が、紙版はさすがに現在だと入手しづらいかな。電子版はBOOTHで購入可能です。
アニメーション制作を担当するのは「スタジオフラッド」。知らないからぐぐってみたけど、2013年に設立されたやや新しめの会社で、『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』とか『4人はそれぞれウソをつく』を手掛けたところ。監督の「南康宏」はガンダムや勇者シリーズ、銀魂、ダイミダラーなどいろんなアニメの演出としてクレジットされているけど、これが初監督作品か? 「監督」と「演出」の違いは現場における権限の差らしいけど、詳しいことはよくわからん。シリーズ構成の「菅原雪絵」はラノベ原作アニメや漫画原作アニメのシリーズ構成とか脚本をちょくちょくやってるライターで、代表作はオバロあたりかしら。キャラクターデザインの「山本美佳」は作画監督であれこれやってる感じですね。うーん、なんというか、スタジオ名やスタッフ名だけだとリアクションが取りづらいな……期待していいのかどうか判断に迷う。とりあえずセカンドシーズンの『アルマちゃんは家族になりたいZ』を読みながら気長に待つか。
・あざの耕平の『東京レイヴンズ17 REsiSTANCE』、3月19日発売予定。約6年半ぶりの新刊。
書いてるとは聞いていたけど、本当に出るとは……かつてアニメ化されたこともある作品ですが2期は来ず、16巻が発売された後に展開が止まってしまったので「このままフェードアウトかなぁ」と寂しくなりかけていました。タイトルからはわかりにくいが和風伝奇バトルで、「ヒロインが男装して学校に通っている」という一部の“癖”にブッ刺さる設定となっています。「あざの耕平」は「少年少女が薬物をキメて戦う」というアニメ化しづらい内容のシリーズでブレイクした作家であり、その次に展開した『BLACK BLOOD BROTHERS』で初アニメ化も果たした。アニメ放送してたのは2006年だからもう20年近く前か……えっ、そんなに経つ? 嘘でしょ? 一昨年にコードギアスのスピンオフ小説を出したくらいでここ数年は目立つ仕事してなかったけど、ようやくこれで本格復帰してくれるのかな。とにかく続報を待たねば。
・「チャンピオンクロス」や「ヤンチャンWeb」というサイトをご存知でしょうか。
秋田書店の運営する漫画配信サイトで、チャンピオンクロスの方は以前「マンガクロス」と称していました。どちらもブラウザのみの配信で専用アプリがないためやや使いにくい面もあるけれど、刃牙シリーズがほぼ全話読めるなどチャンピオン好きにはたまらないサイトである。ピッコマが広めた「待てば無料」方式で、1日に1話は読めるというのが基本なのですが、条件を満たせば貰える「無料チケット」や課金することで得られる「コイン」を使って読み進めることができます。で、何が言いたいのかと申しますと、無料チケットは登録したての頃だといろいろ読みたい作品が多くて「足りない!」「気づけばなくなっている!」ってアイテムなのですが、ある程度時間が経つとだんだん余ってくるんですよね。有効期限はそこそこ長めだし、ヤンチャンWebとも共用なので使える作品は割と多いんですけど、チケット自体はクロスとヤンチャンWebで別個に配っているから余計に貯まりやすい。失効しちゃうのももったいないし、何かイイ感じにチケット消費できる作品ないかな〜と探すことになるわけです。
そんな流れで読み出したのが『異世界NTR〜親友のオンナを最強スキルで堕とす方法〜』、普段ならタイトル見ただけでパスしちゃうような漫画だが、「ちょっとエロい漫画を読みたい気分だしちょうどいいかな」と手を伸ばしてみた。原作は「五里蘭堂(ごり・らんどう)」という人がノクターン(18禁なろう)に連載している小説「異世界NTR〜仲間にバレずにハーレムを〜」で、だいぶ前だけどファミ通文庫から書籍版が発売されている。売れなかったのか2冊目は出ていない。原作も書籍版が出た翌年に更新が止まっているが、コミカライズの方は好調というなろうでもたまに見かけるパターンです。
タイトルに書いてある通り異世界モノで、分類上は「異世界召喚」に当たる。「魔王」を倒すために現代日本から喚ばれた「転移者(プレイヤー)」たち。魔王は複数名いて、一人の魔王を倒すたびに「あらゆる願いを叶える権利」が与えられ、元の世界に戻ることもできる(帰還できるのは願った本人のみ、「転移者全員を元の世界に戻してほしい」とかは不可だ)し、この世界に留まってチーレムを築くこともできる。ドラゴンボールのように死者を生き返らせることすら可能だ。ただし、魔王の数は転移者よりも少ない……つまり限られたパイを奪い合うゲームになっているんです。主人公「桐谷ナオト」はNTR(寝取られ)漫画に出てくるようなチャラ男で、一見すると友人の彼女を奪ってニヤニヤ笑っているような品性下劣野郎に映るが、実は親友の「木下ケンジ」を「元の世界に帰してやりたい」と願っている感情激重男なのである。
親友といっても元の世界において面識はなく、異世界で逢ったばかり。召喚直後に命を救われたことで恩義を感じており、「危険を顧みず他人の力になろうとする」彼の善性を眩しいと感じている。それだけにケンジを利用しようとする連中に対しては熾烈な怒りを抱いており、ケンジにすり寄るオンナどもを犯して快楽堕ちさせることで排除していく。本質としては「女好き」とか「ヤリチン」ではなくて「ヤンホモ」なんですよね。ケンジを曇らせないためにあらゆる汚れ仕事を引き受けてやろう、と覚悟をキメまくっている。詳細は省くがナオトはセックスすることで強くなるチートスキルがあり、欲望の捌け口として女を抱くこともあるが原則として「強くなるため(ケンジを護るため)」股間のエクスカリバーを振るうのだ。セックスそのものは好きなのに「女は全て例外なく嘘をつく」「俺はクズ野郎だから利用するのもされるのも慣れてる」「だがケンジは違う(中略)あいつを騙して利益を得てほくそ笑むような奴の存在を 俺は許さない」と独白するナオト、あくまでケンジに「お人好しの純粋なバカ」でいて欲しいだけであって直接ケンジに対して性欲を向けているわけではないし、ケンジが異性と付き合って童貞を捨てるのも別に構わないと感じているが、「相応しい相手かどうか見極めねば」とナチュラルに過保護思考を働かせているモンペ型の粘着男なんです。まるでケンジの意思を尊重しているかのような口ぶりだが、お人好しのケンジが異世界の女性と付き合ったら情が移って「元の世界へ戻るのをやめる」ことは絶対確実であり、「ケンジを元の世界に帰してあげる」というナオトの願いとコンフリクトすることになる。だから結局「誰とも付き合うことを許さない」ことになってしまう。「毒親化するヤンホモ」っつー「これなら品性下劣野郎の方がまだマシだったな……」ってな主人公が絶妙に気持ち悪くて素晴らしい。いろいろあってケンジとの仲が破綻したところで第一部が終わり、第二部はほとんどケンジ絡みのエピソードがないものの、第三部でふたたびケンジと向き合うことを決意する。原作は第三部の途中で止まっているが、漫画版は「その先」を描くのであろうか。『異世界NTR〜親友のオンナを最強スキルで堕とす方法〜』というタイトルに騙されず一度読んでみてほしいです。エロ目当てで読み始めたはずなのに、気づけば野郎のことばかり語ってしまうという未曽有の体験をしてしまった。
2025-01-15.・『BanG Dream! Ave Mujica』、先行上映視聴組の口ぶりからしてキツい展開になることは予想していたけど、覚悟していてもおなかが痛くなる内容だな……とポンポンを抱えている焼津です、こんばんは。
第2話「Exitus acta probat.」(ラテン語、「結果が行為を証明する」。なんか『Dies irae 〜Acta est Fabula〜』でラテン語の格言を調べまくっていた頃を思い出して懐かしくなっちゃうな)は仮面オフして顔バレしたAve Mujicaのメンバーが周囲から騒がれる回。案の定、睦ちゃんが一番追い込まれている。学校ではそよに詰め寄られ、バンドメンバーはみんな自分のことで忙しく、両親にも悩みを相談できる雰囲気ではない。普段から習い事漬けでろくな自由時間もなく、「居場所」と感じられるところが自宅のスタジオの片隅しかない。生放送中に「長くは続かない」とポロリ失言してしまったのも、単に祥子の発言を引用しただけってのもあるだろうが「このままだと私は壊れてしまう」というSOSでもあったんだろうな……でも誰一人として睦ちゃんに寄り添ってくれる人はいなかった。いなかったんだよ、ロック。憔悴した末に糸が切れた人形みたいに椅子へ座り込んでしまう睦ちゃん。放心してなお人形のように美しい、という壮絶な皮肉。第3話「Quid faciam?」(どうしたらいいの?)はもっとキツい内容になるらしいが、恐ろしいのは関係者が「4話は更にすごいことになる」と仄めかしていることだな……どこまで昇るんだこのジェットコースター。
・「岸辺露伴は動かない」シリーズ1作目「懺悔室」が映画化 全編ヴェネツィアでロケ敢行(コミックナタリー)
「懺悔室」は一番最初に描かれた岸辺露伴主人公作品で、調べてみると1997年に読切として発表されている。この時点でシリーズ化は決まっていなかったみたいだが、『岸辺露伴は動かない』というタイトル自体は既に付いていた。単行本の目次を見ればわかりますが『岸辺露伴は動かない』のエピソード掲載順はバラバラで、「懺悔室」はエピソード16、時系列的にはだいぶ後の話です。ちなみに現時点でエピソード01と03、12〜15は欠番となっており、映画化もされた『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』や「岸辺露伴 グッチへ行く」といった番外編、複数の小説家によって書かれた短編小説の数々はナンバリングされていません。あまり時系列を気にしなくても大丈夫なシリーズなので、熱烈なファン以外はエピソード順に関しては軽く流していいと思います。
以前制作されたOVAで一度映像化されていますが、舞台がヴェネツィアということもあって実写で撮影するのは難しく、ドラマ化はされませんでした。ドラマや映画がヒットしたおかげで「全編ヴェネツィアロケ」を敢行することができるようになったの、ファンとしては普通に嬉しい事態である。岸辺露伴が取材旅行でイタリアにいた頃、誰もいない教会で懺悔室を見かけ興味本位で告解してみようと部屋に入ったところ、間違って神父のブースに入ってしまい、謎の人物の「懺悔」を聞くことに……という話です。「自分は神父じゃない」と明かして部屋を出ればそれで終わるエピソードだったのですが、岸辺露伴はあんな性格なのでつい好奇心に負け、「懺悔」に耳を傾けることになります。そう、このエピソードは「岸辺露伴がただ何者かの懺悔を聞くだけ」で、ほとんどのページは懺悔パートに費やされている。懺悔室に入ったのも深い意図があったわけじゃないし、露伴が強い意志に基づいて主体的に行動するような部分はないんです。そこから『岸辺露伴は動かない』というタイトルも来ている。原作は50ページもない程度のボリュームだからそのまま映画化すると尺が余って仕方ないだろうし、日本からイタリアに行くまでの経緯説明パートと、ヴェネツィア観光パートを盛り込んで、懺悔室に入るまでの時間を稼ぎまくるんだろうな。「脚本の小林靖子によって映画オリジナルのエピソードが追加されている」とのことで、「ただ懺悔を聞くだけ」じゃなくなっているかもしれません。原作通りにやると「ヘブンズ・ドアー」すら発動しないで終わるから……ネットでは「懺悔室を訪れる人の数が増える」「懺悔室が異空間化する」みたいな予想もあって面白い。
原作の「懺悔室」は全編ジャンプ+で公開されているので、読んだことない方や「読んだことはあるけど内容忘れちゃった」という方はチェックしてみてください。「え? これを映画にするの? マジで?」と驚くこと請け合いです。
・「Ghost of Tsushima: Legends/冥人奇譚」アニメ化 スタッフに水野貴信、虚淵玄(コミックナタリー)
『ゴースト・オブ・ツシマ』アニメ化の報そのものには驚かなかったけど、シリーズ構成が虚淵玄とな。「シリーズ構成」というのは「1話目でこういう展開をやって、2話目〜6話目まで〇〇編をやって、最終話で××を片づけて……」というふうにストーリー全体の枠組みを決める役職です。だいたいの場合は脚本も手掛けるのですが、ケースによってはシリーズ構成だけして終わるパターンもある。最初にシリーズ構成が出来上がっていないと脚本家は各話のシナリオに着手することができないし、構成からはみ出すようなシナリオを書くわけにはいかない、という制約も課せられる。そういう意味では脚本家という仕事はシリーズ構成や監督から与えられた大喜利に必死で応えること、と言えなくもない。虚淵玄も昔インタビューで「脚本の役割は御用聞きの丁稚みたいなもの」と語っていました。
『ゴースト・オブ・ツシマ』は2020年に発売されたコンシューマ向けゲームで、いわゆる「元寇」をテーマにしています。タイトル通り対馬が主な舞台なのですが、見映えやゲーム上の面白さを重視して「現実の対馬とは異なる地理や風景」になっているところもある。本編は「境井仁」という対馬の武士が主人公だけど、今回アニメ化される「LEGENDS 冥人奇譚」は発売後に追加されたマルチプレイモードで、プレイヤーは冥府から蘇りし武人「冥人(くろうど)」となって蒙古軍や人外の存在と戦う。冥人には「役目」と呼ばれる戦闘のタイプが4つあり、あくまで予想だがアニメでは「別々の『役目』を持った4名の冥人がチームを組んで戦う」ような話になるのではないかと思われます。あくまで現実に即した内容でファンタジー要素の薄かった本編と違い、冥人奇譚は「蒙古軍が対馬に封印されていた悪鬼妖魔・魑魅魍魎を解き放ってしまった」という伝奇色の強い内容になっており、同じ『ゴースト・オブ・ツシマ』でもだいぶ雰囲気が異なる。扱いとしては劇中劇で、琵琶法師が境井仁の活躍を脚色しまくった結果トンデモない魔改造奇譚に……といった感じらしい。私は『ゴースト・オブ・ツシマ』、ちょっとだけやって投げ出しているのでぶっちゃけ冥人奇譚の方はまったく知らないんですよね。一応ベースとなるストーリーは用意されているものの、だいぶオリジナル色の強い代物になりそうです。本編の方は映画化が決定しているが、進捗がどうなってるのかよくわからん。
なお「元寇」という題材繋がりでアニメにもなった『アンゴルモア 元寇合戦記』を思い出した人もおられるでしょうが、『博多編』はまだ連載が続いています。「文永の役」(一度目の元寇、『ゴースト・オブ・ツシマ』が描いているのもコレ)が終わって今は「弘安の役」(二度目の元寇)をやっているところ。主人公の「朽井迅三郎」も既に子持ちとなっており、時間の流れにしみじみしちゃう。
・KADOKAWAのライトノベル文芸誌「ドラゴンマガジン」、2025年5月号(2025年3月発売)をもって休刊。創刊35周年を超えて遂にその役割を終える。
ドラマガがなくなるのか……ザスニこと「ザ・スニーカー」が2011年に休刊、「電撃文庫MAGAZINE」も2020年に休刊しており、これで「ライトノベル文芸誌」に分類される紙媒体雑誌は完全に消滅しました。なお、今でこそ「ライトノベル文芸誌」というジャンルで括られているが、初期のドラマガはライトノベル(そもそもこの名称は当時一般的ではなかった)もコンテンツの一つに過ぎず、何なら表紙もイラストじゃなくて「コスプレした浅香唯」だったくらい混沌としていました。そのへんの詳しいことは『ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち』という本で言及されているので興味のある方は読んでみてください。結構行き当たりばったりだったんだな……と遠い目をすること請け合いです。
私は雑誌をあまり買わない方だったのでドラマガもそんなに読んでいないのですが、スレイヤーズやオーフェン、フルメタル・パニックなどがドラマガで番外編的な短編シリーズを展開していたことは誰もが知る話であり、存在自体は意識していました。最近もフルメタル・パニックの新シリーズ『Family』の連載で話題になっていましたね。ただ、なろうやカクヨムなどの投稿サイトが定着化してきたこともあり、「ライトノベル文芸誌」なるものにピンと来ない読者も増えてきたのであろう。そもそも、今の若者は「雑誌」自体だいぶ馴染みがないモノになってきていると思われます。コンビニへの雑誌配送も今年からだいぶ縮小されるって話ですし。雑誌市場の縮小はインターネットの普及、特に動画サイトが一般化したことで「Youtubeとかで詳しい情報探せばいいじゃん」ってなっちゃったことが大きいんだろうな。時代の流れだ。
・『D.C. 〜ダ・カーポ〜』のフルリメイク作品『D.C. Re:tune 〜ダ・カーポ〜 リチューン』発表。新キャストとして「朝倉音夢」役を本渡楓さんが、「芳乃さくら」役を千春さんが、「白河ことり」役を市ノ瀬加那さんがそれぞれ務める。新ヒロイン「風祈」役は遠野ひかるさん(電ファミニコゲーマー)
「曲芸商法」と揶揄されることも多かったエロゲブランド「CIRCUS(サーカス)」の代表作『D.C. 〜ダ・カーポ〜』が令和の世にフルリメイクされるとな。大量の続編や派生タイトルがあってひと口には説明しづらい『D.C. 〜ダ・カーポ〜』だが、今回リメイクされるのは俗に「初代」や「無印」と呼ばれる2002年6月28日に発売されたソフトです。余談だが2002年6月28日は最近リメイク版が出た「それ散る」こと『それは舞い散る桜のように』の発売日でもある。さておき、初代ダ・カーポは発売翌年の2003年にアニメ化されており、そちらの方が記憶に残っている人も多いんじゃないでしょうか。「枯れない桜」が咲く架空の島「初音島」を舞台にしたファンタジー系の学園ストーリーであり、今回のリメイクではCGも声優も全面的に刷新される。レーティングに関しては広報されていないが、声優が表名義で出演するということは十中八九全年齢向けだろう。シナリオが変わるかどうかは不明だが、新キャラが追加されているくらいなので恐らくだいぶ手を入れることになるのではないかな、と。
リメイク前は「七尾奈留」がキャラデザを担当していましたが、リチューンでは「たにはらなつき」と「鷹乃ゆき」が担当。ふたりとも『D.C. 〜ダ・カーポ〜』の続編や派生タイトルを手掛けている原画家ではあるけど、七尾奈留の帰還を期待していた古参勢はガッカリするところかもしれない。
ヒロインのCVは「朝倉音夢」が「本渡楓」、「芳乃さくら」が「千春」、「白河ことり」が「市ノ瀬加那」、新キャラの「風祈(ふうき)」は「遠野ひかる」となります。音夢は初代だと「鳥居花音」がCV演っていましたが、ここ20年くらいはもう名前を見かけなくなったな……恐らく引退したものと思われる。本渡楓は最近だと『月姫』リメイクのシエル先輩を演った声優で、アニメだと100カノの羽香里あたりが有名かな。
さくらは初代だと「北都南」、いっとき狂った量のソフトに出演していた声優でしたが、最近はさすがに本数が減ってきている。それでも現役ですので、「全面リニューアルが制作側の意向なんだろうな」と察してしまう。ちなみにアニメ版のCVは「田村ゆかり」でした。リチューンの千春という声優はよく知らないので検索してみたが、以前は「帆風千春」名義で活動していて「22/7」というグループから脱退したのを機に現在の「千春」名義へ変更したらしい。バンドリの「戸山香澄」役を務める「愛美」の妹だとか。出演歴も見たけど正直ピンと来ないな……FGOの「シルビア」(カルデアの職員)は絵を見ると「ああ、あの子か」となるけど、アニメにおける声のイメージはあんまないです。
ことり役の市ノ瀬加那は「『水星の魔女』のスレッタ」で通じるはず。最近もFGOでビショーネ役として実装されました。『月姫』リメイクの翡翠役でもある。まだ発売されていないがリメイク版『To Heart』のあかり役も決まっており、もはや「リメイク請負声優」の風格が漂う。初代のことり役は「日向裕羅」でしたが、ここ10年くらいは名前を見てないですね……アニメ版は「堀江由衣」。マルチもことりもリメイク版ではほっちゃんじゃないの、ファンは頭がバグるだろうな。
新キャラを演じる遠野ひかるは最近だとマケインこと『負けヒロインが多すぎる!』、渾身の「う゛わ゛き゛た゛よ゛っ゛!」が話題になった「八奈見杏菜」役として有名。『ウマ娘』の「マチカネタンホイザ」(えい、えい、むん!)で印象に残っている人も多いかも。既にサ終したけど、スタリラの夢大路栞こそが個人的に「遠野ひかるの名前を見て真っ先に思い出す役」である。「姉と舞台で共演する」という夢を叶えるため、道を阻むものはすべて轢き潰して轍に変える「戦車」の役を熱演したりした。本人も「かわいい見た目に反してつよつよな新境地の役どころ、ヒャッハーで頑張っております」と語っている。レビュー曲「命尽きても尽き果てず」は今聴いてもカッコいい。
『水夏』まではハマっていたけど、ぶっちゃけ『D.C. 〜ダ・カーポ〜』以降に関してはそんなに思い入れがなく、新展開を目にするたび「またやってんなー」というテンションで眺めていましたが、タイミング的に『To Heart』のリメイクと重なったこともあって「懐かしい」という気持ちが溢れてしまいました。声優の布陣からすると東鳩もダカポもリメイク版のアニメ化を狙っているのかな〜、と邪推したりしています。
・今村昌弘の『兇人邸の殺人』を読んだ。
“剣崎比留子”シリーズ第3弾にして現時点における最新作。前作『魔眼の匣の殺人』でちょびっとだけ触れられた「O県I郡の大量殺人」に関連する事件が発生し、いつもの如く比留子と葉村が現場に居合わせる。今回のテーマは「超人」。超能力を研究する「魔眼の匣」と違い、単純にフィジカルの強靭な人間を作り出そうとした研究の成れの果てが立ち現れる。事件はこれ一冊で完結しており、単独で読める構成にはなっていますが『屍人荘の殺人』や『魔眼の匣の殺人』とリンクする箇所も増えてきたのでやっぱり“剣崎比留子”シリーズはスピンオフの『明智恭介の奔走』を別として刊行順に読んだ方がいい感じです。
兇人邸にまつわる噂――「そこ」に入った者は、二度と出てこられない。潰れたテーマパーク「馬越ヨーロッパ王国」を買い取り、「廃墟風の遊園地」として売り出しているH県馬越市の「馬越ドリームシティ」の中に建つ屋敷には、かつて「班目機関」に所属していた研究者「不木玄助」が住み着いていた。「廃墟風」がウリということで様々な怪しい噂が囁かれている馬越ドリームシティにおいて「兇人邸」などネットロアの一つに過ぎない……と世間では左様な扱いを受けているが、実際に関係者が何人も行方不明になっており不木玄助が違法な研究を続けていることはほぼ確定的だった。研究成果を奪取すべく動き出した男「成島」および彼が金で雇った傭兵チームに同行し、兇人邸の内部に侵入した比留子と葉村。班目機関の消息を掴む新たな手掛かりが見つかることを期待した矢先、邸内に目を疑うような巨大な化物が出現して傭兵チームのメンバーを次々と惨殺していく。あれが不木の研究していた「超人」なのか? 鍵を持ったメンバーの死体が化物のテリトリーに取り残されたため兇人邸からの脱出が困難になった一行。更に、化物とは別口の殺人者まで出現して状況は混沌としていく……。
ジェイソンとかレザーフェイスとかブギーマンみたいな、ホラー映画に出てくる「不死身の殺人鬼」が暴れ回る中、ドサクサに紛れて犯行に及ぶ「謎の殺人者」が暗躍する。「スラッシャーをやりながら人狼ゲームをやる」という非常に慌ただしいシチュエーションを描いています。ただし、実のところ「謎の殺人者」の方はあまり脅威ではないのですよ。狙われるのは兇人邸の関係者だけなので、たぶん怨恨目的か何かなのだろうが、追い詰めないかぎり成島や比留子や傭兵チームの方にその切っ先が向くことはない……と予想される。なので傭兵チームの面々も殺人者の影を見出しながら「あえて無視する」という対応を取る。彼らにとって喫緊の問題は「不死身の殺人鬼」であり、うまく対処しなければ無惨な死を遂げるだけ。いつもは快刀乱麻の推理力を発揮する比留子も「――ここでは探偵は無力なんだ」と諦めのような言葉を漏らす。たとえホームズばりのバリツが使えたとしてもジェイソンみてぇな怪力無双には通用しないだろうからな……。
解決編はエキサイティングするものの道中動きが少なくてややかったるかった『魔眼の匣の殺人』とは違って最初から最後まで目まぐるしく状況が動き続ける本書は退屈する暇もなく、そういう意味では『屍人荘の殺人』みたいな興奮が戻ってきたと言えます。その気になれば強引に兇人邸から脱出できないこともないけど、そうすると「不死身の殺人鬼」を園内に解き放ってしまうため大惨劇を巻き起こしかねない。傭兵とはいえ一定のモラルがあり、「兇人邸から脱出すること」と「無用な犠牲者を出さないこと」を両立させようと奮闘します。謎解き要素もあるけど脱出ゲー的なアクション要素が強く、『屍人荘の殺人』以上にミステリ<スリラーな話だ。正直、「謎の殺人者」が用いるトリックや動機面の作り込みがやや弱く、本格好きにとっては物足りなさが残るかもしれない。一方で屋敷の構造を頭に叩き込んで読むと「不死身の殺人鬼」の動きやそれに対処しようとする傭兵チームの考えがよくわかり、滅法面白い。『嘘喰い』の廃ビル編や迷宮編を彷彿とします。ただ、「不死身の殺人鬼」が強すぎて戦いが成立しないレベルなのでバトル面を期待するとガッカリかも。「行動を予測し、隙をついて殺人鬼のテリトリーを移動する」あたりの駆け引きが妙味として機能します。
「探偵は無力」と痛感する状況に直面したからか比留子の心境にも変化が生じ、「怪事件を引き寄せる体質のせいで生き延びるために推理力を磨くしかなく、決してホームズみたいな名探偵になりたいわけではなかった」彼女も「ホームズを目指してもいいかもしれない」と前向きになっています。『屍人荘の殺人』では「キャラが弱い」と感じた比留子だけど、ようやく名探偵としての風格が整ってきたかな。ラストでは過去の事件の生存者が顔を出して比留子たちのみならず読者まで驚かせる。いや、マジで過去作読んでないと「……誰?」ですよ、あのエンド。第4弾の内容が気になるけど、未だに刊行予定が未定なんだよなぁ……どれも手が込んでいるし、文章も丁寧で「時間が掛かるのはしょうがない」と頷く出来なんですが、それはそれとして早く続きが読みたい。ノンシリーズ作品の『でぃすぺる』があるからひとまずそっちを読もうかな。
2025-01-06.・焼津です、あけましておめでとうございます。昨年はいろいろとアレで更新もままならない状態でしたが、今年は多少マシになる……かな……なるといいな……って感じですのでゆるゆるとやっていこうと思います。
・新年ということで冬アニメの放送も開始、個人的な注目作は『グリザイア:ファントムトリガー』と『BanG Dream! Ave Mujica』の2本です。
『グリザイア:ファントムトリガー』はゲーム制作会社「Frontwing(フロントウイング)」が設立10周年を記念してスタートした“グリザイア”プロジェクトに属する、要はゲーム原作のアニメです。フロントウイングはちょうど2000年設立なので、プロジェクトのスタートは2010年。既に開始から15年にもなる一大プロジェクトと化している。新作アニメということで「とりあえず1話目だけ観てみた」という方はハッキリ言ってよくわからなかったでしょう。それもそのはず、TVアニメ版の『グリザイア:ファントムトリガー』はストーリーの途中から始まっているのです。だから舞台に関する説明もほとんどないし、キャラ紹介も概ね終わった後なので特に解説もないまま登場人物が次から次へと顔を出してくる。混乱するのも仕方ありません。
まず背景となる概要から語っていきましょう。“グリザイア”プロジェクトの作品は大きく分けて3つあります。『グリザイアの果実』『グリザイアの迷宮』『グリザイアの楽園』から成る「初期三部作」(「風見雄二」が主人公)、現在アニメ放送中の『グリザイア:ファントムトリガー』(「蒼井春人」が主人公)、ソシャゲとして配信されたけどサ終して今は買切型として販売されている『グリザイア クロノスリベリオン』(「真崎新」が主人公)。他にも『アイドル魔法少女ちるちる☆みちる』とか『グリザイア 戦場のバルカローレ』といったスピンオフもあるが、そのへんは割愛します。
もっとも知名度が高いのは2014年から2015年にかけてアニメが放送された初期三部作でしょう。学園とは名ばかりの、訳有りな少年少女を集めた鳥籠みたいな施設「美浜学園」で巻き起こる様々な騒動――風見雄二たち在校生が「巣立つ」までの過程を綴っており、ストーリーは三部作でキチンと完結しています。ファントムトリガーはその初期三部作から数年後の世界を舞台にしており、ある意味では続編とも言えるのですが主要陣は一新されているし、美浜学園もすっかり様変わりしている(一度廃校になってから運営が変わって再開した)ので「初期三部作の内容を知らないとファントムトリガーの話を理解できない」わけではありません。知っていると細かい繋がりがわかって面白いし、「タナトスさん」のモデルも判明して作品世界への没入度が高まりますが、ストーリー自体は独立している。ファントムトリガーの1話目を観て「よくわからない」という感想になってしまうのはその人が初期三部作の内容を知らないからではなく、TVシリーズ版のファントムトリガーは「いきなり第4章から始まっているから」なのです。
ファントムトリガーの原作は01から08までの全8章(番外編の5.5も含めると全9章)であり、実は第1章から第3章までの内容はOVAとして既にアニメ化されている。円盤も発売されていますが、DVDやBDなど映像関連の流通ではなくゲーム関連の流通経由で販売されたため、たとえばAmazonで「DVD」のカテゴリで検索してもヒットせず、「PCソフト」のカテゴリで検索しないと引っ掛かりません。配信サイトでもOVAは『グリザイア:ファントムトリガー THE ANIMATION』、TVシリーズは『グリザイア:ファントムトリガー』という具合に別枠扱いとなっているため、「知らないと最初から観ることができない」ややこしい仕組みとなってしまっている。サイトにもよるが第1章と第2章は単に『グリザイア:ファントムトリガー THE ANIMATION』というタイトル(01や02が付いている場合もある)で、第3章は「スターゲイザー」というサブタイトル付きで配信されていることが多いかも。で、新年早々に放送ないし配信された「マザーズクレイドル」は04、原作第4章に相当する内容なわけです。円盤は今からだと入手困難だ(入手できても少々お高い)し、動画配信サイトで第1章から第3章を視聴した後に「マザーズクレイドル」を観ましょう。1月8日までの期間限定だけどYoutubeのブシロード公式チャンネルでも無料配信されています。
「で、結局ファントムトリガーってどんな話なの?」という点についても触れておきますと、訳アリの少年少女を集めた「学園とは名ばかりの鳥籠」だった「美浜学園」が一度解体され、「特殊技能訓練校という名目で若き殺し屋たちを育成する」超物騒な組織になってしまった――という、初期三部作以上にアクション要素が強い物語です。「狂犬」と呼ばれるヒロインがヤクザをボコボコに殴って殺してしまうなど、出だしからフルスロットルで飛ばしている。ダークでシリアスな雰囲気の話かと思いきや「忍者」なるモノが現在も存続しているなど、そこかしこにB級映画めいたノリもブチ込まれています。美浜学園の姉妹校もいくつか存在しており、「防弾仕様の修道服」を纏ったシスターまで出てくる有様なので、どちらかと言えばそのイカレっぷりを楽しむタイプの作品かと。複数のライターがシナリオを担当している他の作品と違ってファントムトリガーは「藤崎竜太」がピンでシナリオを書いているため、かなり強く作家性が醸されているんですよね。そのせいか合わない人はまったく合わないが、ハマる人はがっつりハマる。なお『グリザイア クロノスリベリオン』は藤崎竜太が関わっていないため雰囲気は少々異なるが、ファントムトリガーと同時代の話なのでA組の面々も登場します。それどころか初期三部作のキャラたちが「コールドスリープの影響でほとんど歳を取っていない」というスゴい設定で「S組」として編入してくる。“グリザイア”プロジェクトにはまだ発表されていない未知の新作もあるって噂だし、このまま「グリザイア20周年!」を迎えそうなムードが漂っている。しかしFateやうたわれや神座万象やグリザイアがプロジェクトとして現役なの、冷静に考えると凄まじいな……デモベとか村正は現役とカウントしていいかどうか怪しいところ。そしてオクルトゥムは未だに幻のまま。2015年に開発中止になった『ジャスミン』が今頃になって開発再開するくらいなので0.001%くらいはまだ望みが残っている気もする。
『BanG Dream! Ave Mujica』は“バンドリ!”プロジェクトに属するアニメであり、2023年に放送された『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』(以下MyGO)の続編……というか裏面? みたいな作品です。“バンドリ!”は「ギターやベースなどの楽器が弾ける声優を集めて作中と同じバンドを作って、リアルでライブを行う」ことを売りにしたプロジェクトであり、歌唱能力や演奏能力を求められるせいで演技面がちょっと……なキャラが混じっているのがほぼ毎回の伝統となっている。メディアミックス企画で、スマホ向けアプリゲーム『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』(ガルパ)が主力商品となっているが、2017年からアニメもたくさん制作されており、TVシリーズとしてはこれが5期目となる。
と言っても1期目〜3期目のキャラはほとんど出てこず、4期目のMyGO以降はカメオ出演レベル。なので「バンドリまったく知らない」って方も1期目からではなく4期目(MyGO)から観ればOKです。もちろん、1期目〜3期目やスピンオフ作品も観ておいた方がより楽しめるので観る気力と時間があるのなら挑むが吉。特に『BanG Dream! Morfonication』はAve Mujicaの主人公である「豊川祥子(とがわ・さきこ)」がバンド結成の夢に取り憑かれるキッカケとなった「Morfonica」を描いたエピソードなので、先に見ておくと「また倉田ましろちゃんが他人の人生を狂わせている……」(MyGOの主要キャラである「長崎そよ」も中学生の頃にMorfonicaの演奏を聴いたことが契機となってバンド活動に興味を抱いた)と感慨深くなります。そのましろちゃんも1期目〜3期目の主人公である「戸山香澄」に憧れてバンド始めた子なので繋がりを意識するならやはり全部観た方がベター。劇場版やスピンオフアニメも履修することを考えると、ざっくり24時間程度――丸一日あれば事足りる。極めようとすればガルパの膨大な量のシナリオを読むしかないが、サービス開始から8年近く経っているゲームだけに隅から隅まで目を通すのにどれだけ時間が掛かるか検討もつかない。
家庭の事情で学生バンド「CRYCHIC(クライシック)」を辞め、商業バンド「Ave Mujica(アヴェ・ムジカ)」の立ち上げに奔走した女子高生「豊川祥子」――物語は彼女の荒れた家庭環境を映して終わったMyGOの続きとなります。MyGOもバンドメンバー同士が感情をぶつけ合う割とギスギスした話でしたけど、Ave Mujicaはそれ以上にギスギスしそうな雰囲気が漂っており、放送開始前から胃が痛くなりました。商業バンドとして「稼ぐ」ことも視野に入れており、「sumimi」というユニットで活躍している現役アイドルの「三角初華」、芸能人夫婦の娘で幼い頃からメディア露出していて知名度がある「若葉睦」、動画配信者として名が売れている「祐天寺にゃむ」といった話題性重視のメンバーを集めつつ、「頼まれたらどのバンドでも弾くが、一箇所に居つくことはない」という傭兵じみたベースの「八幡海鈴」を引き入れた豊川祥子。初華や睦とは絆があり、海鈴はビジネスライクな態度に徹してくれるから付き合いやすいが、問題はにゃむ。祥子の経済状況を身なりだけで瞬時に見抜くなど観察力が高く、油断すれば主導権を奪われかねない危うさが付きまとう。また、初華や睦は絆があるとはいえ初華は祥子に向ける感情が重たいし、睦は空気が読めず変な行動をするところがある(時間が経っても薄れない「ゴディバきゅうり事件」の衝撃)から最悪のタイミングで最悪なことを言い出す可能性が高いんだよな……カウントダウン画像でこんな表情をしているのが意味深。Ave Mujicaは「人形劇」がテーマなんですが、メンバーの中でもっとも抑圧され「お人形」のような扱いをされてきた子が睦なので、ストレスがそろそろ爆発しそうな気配である。前作と違って今作の睦は感情表現が豊かになりそうだけど、果たして豊かになってよかったやつなのかな、コレ。OPの映像と歌詞は「メンバーの精神がどんどん壊れていく」ことを暗示しているし、別人格が生えてきて「ルーシー・モノストーンの再誕……!」みたいなことにならないか。とりあえずsumimiの「純田まな」は可哀想な目に遭いそうオーラが凄まじくて不安になる。
それとネットの考察読んで一番怖くなったのは、CRYCHICのライブ後SNSに書き込まれて燈へショックを与えた「ボーカル必死過ぎ」のコメントがライブ会場に居合わせていた初華の捨て垢によるものだという説が囁かれていることですね……もしそうだとしたら、MyGOの第10話で燈に優しく接していたのは「罪滅ぼし」とか「もう祥子が彼女たちのところには戻らないという確信が得られたから」とかいった事情が絡んでくることになり、感動的だったエピソードの意味合いがまるきり変わってくる。想像以上にドロドロしたものを抱えているかもしれないんだな……。
・【期間限定】「2025年お正月福袋召喚(男女別×三騎士・四騎士・EXTRA別×宝具タイプ・効果別)」!
FGOの福袋、限定サーヴァントが多すぎるせいで相変わらずひと目見ただけじゃ何が何だかワケがわからないな……男女別に分けているとはいえ性別不詳だったりするせいで両方に入っているキャラもいる(たとえば蘆屋道満はほとんどのプレーヤーが男だと認識しているけど、アステカ神話の女神「イツパパロトル」の霊基を取り込んでいるため性別が曖昧になっている)し。例年ならじっくり検討して悩み抜いた末に引く袋を決めるところですが、今回は2種選ぶことができるから割合すんなりとチョイス完了。「福袋召喚2025(紅・EXTRA・A宝具【参】」と「福袋召喚2025(紅・EXTRA・B宝具【肆】」です。A宝具【参】の狙いは未所持の「上杉謙信」か「BBドバイ」ですが、青子の宝具レベルが上がるならそれはそれでアリ。B宝具【肆】の狙いはピックアップが終了したばかりの「ファンタズムーン」。ちなみにズムーンより前のクリスマスイベントで活躍した「ロウヒ」が福袋にいないのは恒常だからです。ということでさっさと回しましたが、A宝具【参】ではBBドバイが、B宝具【肆】ではファンタズムーンが引けてほぼ狙い通りの結果となりました、ヤッター。両方ともピックアップのときにそこそこ回して出なかったサーヴァントなので嬉しい。できればイベント中に引いてレイド戦で冤罪ファンタズム(ファンタズムーンの宝具は悪特攻なので、ニトクリスオルタのスキルとかで無理矢理エネミーに悪属性を付与すると物凄い火力が出る)キメまくりたかったところだけど、贅沢は言うまい。
今年のFGOは「奏章W」が春開幕で、年内に第二部終幕までやる予定とのこと。奏章Wは恐らく「ルーラー」をテーマに据えた章であり、クリアした後に「フォーリナー」と向き合う「奏章X」が来るのでは……と予想されているので、終幕は年末ギリギリになる可能性が高いです。終幕に向けて「グランドグラフシステム」という「自分だけのグランドサーヴァント」を7騎選出するシステムも搭載される。これは通常の概念礼装に加えて絆礼装も同時に装備できるという新システムであり、「聖杯を入れてレベル100以上にしていること」「保有スキル3つすべてをレベル10にしていること(アペンドスキルは含まれない)」「絆レベルが10以上であること(じゃないと絆礼装が獲得できない)」が使用するうえでの条件となります。クラスに関する縛りに関しては明言されなかった。エクストラクラスが多いし、そのへんの縛りに関してはだいぶ緩くなるんじゃないかしら。Fateの基本設定だと「聖杯によって召喚される7騎のサーヴァントのうちセイバー、アーチャー、ランサーの三騎士は固定。ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーの四騎士は非固定。エクストラクラスが召喚された場合、四騎士のいずれかが欠ける」ということになっている(アインツベルンがアヴェンジャーもしくはルーラーを召喚した冬木の第三次聖杯戦争では四騎士のどれかが欠けていたし、第四次聖杯戦争も本来は「エクストラクラスのイスカンダル」が召喚されたせいで欠けた四騎士がある。「『Fate/Zero』は厳密に言うと正史ではなくパラレルワールド」と言われる所以もそのへんにある)が、この設定がFGOの世界にまで適用されるかどうかは不明です。
ニューイヤー2025ピックアップ召喚の目玉は「Fakeのセイバー」こと「リチャード1世」、獅子心王(ライオンハート)の異名で有名なイングランド王です。アニメはこれから放送なのに真名がっつりバラされてるのは笑ってしまう。第一臨が鎧姿、第二臨が当世風の衣装で、第三臨はちょっとビックリするような格好になります。原作者(成田良悟)曰く「宝具と第三霊基は小説の最終巻ネタとかではなく、正真正銘、『FGOのための』宝具と獅子心王です」とのことなのでアレが見れるのはFGOだけ! Fakeと言えば大晦日の特番で第1話が先行公開されていましたが、普通に面白くて見入ってしまった。「キッツィーランド」という『魔法使いの夜』ネタも混ざったりしていて、「成田良悟がノリノリで好き勝手書いてる!」という原作のノリも伝わってくる。「ぶっちゃけ『Fate/strange Fake』ってFateにおいてどんな位置づけなの? 予備知識とかなくても楽しめる系?」という疑問にお答えしておきますと、感覚的には「『Fate/stay night』の後日談(第五次聖杯戦争の数年後。冬木の大聖杯はstay nightの約10年後に解体されるが、それよりは前)」なのですが、一種のパラレルワールドになっているため細かいところは整合していません。「成田良悟に好き勝手書いてほしい」というきのこの思惑から「Fakeの世界でのみ許されている例外的事象」が多く、もはやスピンオフという枠組みには留まらない。全力全壊スタァライトブレイカー的な型月クロスオーバー物語だ。成田良悟は細かいネタを拾って「アレとコレを繋げるのか!」と読者をビックリさせるのが大好きな書き手(小説版BLEACHを読むとよくわかる)だから予備知識があるとより一層愉しめますが、それ以外のネタも大量にブチ込んでいるので予備知識がなくてもないなりにエキサイティングすることができる。ただ、良くも悪くもゴチャゴチャした雰囲気がずっと続きますから、群像劇が苦手な人はキツいかもしれない。『バッカーノ!』や『デュラララ!!』の作者がFate書いたらそりゃこうなるよね、と納得してしまう内容。巻数的にはロード・エルメロイU世シリーズの方が多いけれど、「単独のエピソード」としてはFateシリーズ最長になる見込み(現時点での最新刊は9巻で、まだ完結していない)です。ZeroアニメからFateに入ってきた人は多いが、FakeアニメからFateに入ってくる御新規さんも結構いるんじゃないだろうか。
・今村昌弘の『魔眼の匣の殺人』を読んだ。
『屍人荘の殺人』の続編で、“剣崎比留子”シリーズ第2弾となる長編ミステリ。前作で「娑可安湖集団感染テロ事件」を引き起こした謎の組織「班目機関」の情報を集めるため探偵を雇って調査させていた比留子は、W県I郡の旧真雁地区に「魔眼の匣」なる施設があったという情報を掴む。曰く、そこでは超能力の研究が行われていたという。現在は研究員たちも撤収しているため研究所としての機能は喪失しているが、研究対象だった女性がまだ残っているらしい。「魔眼」の真義を確かめるべくミス愛会員の葉村譲とともに旧真雁地区へ向かう比留子、そこで目にしたものとは……? という感じで、ゾンビが大量発生するパニックホラーとしての側面があった『屍人荘の殺人』に対し、若干オカルトのムードはあるものの「予言者が住む僻村を舞台にしたミステリ」といった塩梅で特殊性はやや低い。あまり派手な要素がないので宣伝内容を見て「出版社も魅力を伝えるのに苦労したんだろうな」といろいろ察してしまう。
2日の間に男女2人ずつ、4人が死ぬ――旧真雁地区で「サキミ様」と呼ばれる女性が告げた予言。「サキミ様の予言は必ず当たる」というのが地元の常識であり、疑う者などひとりもいない。すなわち絶対の告死。予言に巻き込まれることを避けるために地元住人のほとんどが退去した旧真雁地区に、比留子や譲を始めとした客人たちが入り込む。「予言なんて本当に当たるのか?」 地元の人間ではないから半信半疑どころではない比留子たちだったが、事故としか思えない状況で突然ひとりが死んだ。予言が本当ならあと3人。外部に繋がる橋が焼け落ち、「魔眼の匣」に寝泊まりするしかなくなった一行は生き延びるために何をすればよいか考え始めるが……。
てなわけで今回のテーマは「予知」。サキミ様の予言は必ず当たる。つまり、どうやっても予言された未来は変えられない。予知や予言をテーマにしたフィクションにおいて、ソレが変えられる未来(不確定未来)であるか変えられない未来(確定未来)であるかは非常に重要であり、不確定未来の場合はソレを回避する(良い未来の場合はそこに辿り着く)ための戦いがストーリーの軸となります。しかし、確定未来の場合は「どう足掻いても絶望」であり、ストーリーの組み立てが「絶望を受け入れる」みたいな後ろ向きの路線になる傾向がある。班目機関でもサキミ様の予言は「本物」と太鼓判が押されたが、予言される内容が確定未来であるため扱いに難儀し、結局研究を放棄するハメになった――という経緯が明かされます。班目機関は内部の人間でも一部の研究者しかタッチできない「極秘案件」がいくつかあるんですが、サキミ様の予言はあらゆるプロテクトを無視して極秘案件を暴いてしまう(その案件が失敗して甚大な被害が出る、みたいな形で)から扱いが難しいんですよね。確定未来であるがためにサキミ様の予言は「警告」という形で関係各所へ知らされる、内容が多方面に知れ渡っているから悲劇が起こった後で隠蔽するのも困難。不確定未来なら避ける余地があるぶん利用価値アリと見做せるわけで、つくづく確定未来の予言者は立場がないなぁ、と痛感してしまった。
サキミ様以外にも「予知能力があるのでは?」という登場人物がいて、物語は更なる混迷へ突入していく。本書の肝は「予知を信じる人」と「予知を信じない人」、「半信半疑の人」という具合に予知能力の受け止め方が各人様々で、そのグラデーションが事件に複雑な模様をもたらすところです。たとえば「予知を信じない人」であっても、「予知されたこと」を利用して行動すれば「予知を信じる人」が「予知が当たった!」と真に受けてくれるのである程度アドバンテージを得られる。何が誰にとってアドなのか、それをいちいち考慮しないと事件の全体像が見えてこない難渋なパズルであり、特殊設定ながらも本格ミステリ度は高い。ただ、どうしても動きが少ないというか、エキサイティング要素――文庫で400ページというボリュームを支えるために読者を興奮させる工夫は少し足りないかな。犯人視点で「別の真相」が見えてくるなど凝った構造で解決編はなかなか飽きさせないのだが、解決編の手前あたりがややダルかったです。本格ミステリは丁寧に書けば書くほどダルくなる面がある(それゆえ「本格に小説的な面白さなど無用」と主張する過激派もいる)から、そこらへんは好みの問題かしら。
ちなみに『屍人荘の殺人』は8月の事件で、本書の事件は11月末。つまり前作から3ヶ月ちょっと経っています。比留子は体質的に約3ヶ月の周期で怪事件を招き寄せるので、この調子で行けば3作目で3月頃、4作目で6月頃(葉村は二回生、比留子は留年しなければ三回生になる)、5作目で9月頃、6作目で12月頃、7作目でまた3月頃……というペースで進むことになり、だいたい11作目か12作目で比留子が卒業(あくまで留年しない前提で)しますね。この“剣崎比留子”シリーズは刊行ペースがちょい遅めで1作目が2017年、2作目が2019年、3作目が2021年と概ね2年に1冊でしたが、4作目はまだ出ていません。去年出た『明智恭介の奔走』はスピンオフの短編集です。今月も来月も刊行予定にないから、“剣崎比留子”シリーズの4作目は早くても来年の2月以降となる。このペースじゃ、仮に「12作目の長編で完結」だとしても20年は先の話だ。短編作品で時間経過させるのであればもう少し早まるかな……綾辻行人の“館”シリーズだって30年以上かけてようやく完結に近づいているくらいだし、笠井潔の“矢吹駆”シリーズはフランス篇だけに限っても45年経った今もまだ完結に辿り着いていないくらいだから、根気強くないとミステリファンなんてやっていられません。ミステリのシリーズ物はその気になれば無限に続けられる(たとえ作者が亡くなっても誰かが引き継げば可能な)構造だからすべてにおいて「完結編」が必須というわけではないのだが、“剣崎比留子”シリーズは特殊設定を付けるための口実とはいえ「班目機関」と何かしらの決着をつけることを期待している読者も多いだろうから完結編は完結編として大々的にやりそうな気がします。何なら班目機関と決着をつけた後でまた新たな謎の組織を出すことも可能なんだけど、さすがにそこまでやられるとウンザリするかな。
ネタバレを避けるためかレギュラー陣以外で『屍人荘の殺人』の関係者は出てこない(出てくると誰が生き残って誰が死んだかハッキリしてしまう)から『魔眼の匣の殺人』を先に読み出してもそこまで支障は来さないが、特に事情がないのであれば素直に時系列に沿って『屍人荘の殺人』→『魔眼の匣の殺人』の順に読んだ方がベターです。そしてこの次に出ているのが、現時点での“剣崎比留子”シリーズ最新作である『兇人邸の殺人』。『魔眼の匣の殺人』の文中で意味深に言及されていた「O県I郡の大量殺人」と関係があることを仄めかしているが、果たして。