2013年10月分


2013-10-27.

【閲覧注意】オタク 「次世代萌えです」 ”単眼少女”というジャンルがいくらなんでも新しすぎる件wwwwwww(ひまねっと)

 単眼萌えが一巡した後に複眼萌えがやってきてどんふぁっくうぃずみーの人の時代が来るんですね。その後は散眼萌えで「独歩たんハァハァ」と。ジョークはさておき、個人的に単眼は「ちょっと……」って分野ですな。どうしても単眼症を連想してしまって居たたまれなくなる。隻眼ならOKというかむしろ好物だから、我ながらあまりよく分からない嗜好であるが……しかしモノアイって遠近感は掴めないだろうし、表面積が広くなればそのぶん乾燥しやすくなるはずだからドライアイにも悩まされそうだし、不便なことばかりで本人にとってのメリットはなさそうですよね。もっとこう、実際的な「単眼の利点」を押し出すことができれば萌えどころも理解できるようになる……かなぁ……あまり自信はない。

メガストア2014年01月号にライアーソフトの『Forest』が完全収録!(家宝は2次元)

 「プレーした人からは絶賛されまくった(例:奈須きのこ)けど、ソフト自体は3000本ぐらいしか売れなかった」と噂の『Forest』! 英文学、特にナルニアやアリスなど児童文学(ジュヴナイル)を主体にしたシナリオ構成となっているので、そのへんの知識がないとちょっと辛いところはありますけど、「物語」を愛する人であれば楽しめる内容だと思います。実際、英文学への造詣が浅いにもほどがある当方さえ「なんかよくわからんけど、なんとなくわかった!」と面白がれました。セリフが複層的になっている(表示しているテキストと流れる音声が一致しない)演出や、立ち絵の衣装がコロコロと変わって一貫しないビジュアルなど、実験作の様相が濃い一作。訳の分からない話が徐々にその骨組みを露わにしていく、つまり「だんだん分かるような気分になってくる」ストーリーのため、序盤がちょっとキツいというかもし体験版を配布したら1章目で挫折する人が続出しそうな代物なれど、3章目に当たる「新宿漂流」あたりから俄かに面白くなってくるので少なくともそこまでは我慢しましょう。浮世離れしていながら、不思議と地に足の付いたところもある。昔書いた自分の感想から引っ張ってくると、「しっちゃかめっちゃかのファンタジー、『リアリティのかけらもない腐れメルヘン』のようでいて根底を支えているのはやっぱり人間のドラマや情念」なのだ。ハマれば天国、踏めば地獄。当方は既に持っているから買いませんが、買う機会を逃していた人、初めて存在を知った人はこの機にチャレンジしてみては如何でしょう。「アリスはなぜ黒いの?」「手垢にまみれたから」

ガッチャマンクラウズ : アニメ第2期決定!(MANTANWEB)

 1期目まだ観てないのに、もう2期目が決まっちゃったのか。リアルタイムで観とけばもっと「うおおおお! キター!」っていう望外な歓喜を味わえただろうか。ちょっと残念だ。でも2期目やって保つようなストーリーなのかな、ガックラ。とにかくまずは1期目を観ないと。

「まどか☆マギカ」TVシリーズが低価格BD-BOX化(AV Watch)

 低価格……か? 26,250円ってまだ高い気がするんですけど。新編の公開に合わせたのだろうが、総集編の劇場版が1万円以下で買えるし、あまり需要がない気もする。熱心なファンが買い直すのだろうか。ならせめてディスク枚数を減らして交換の手間を省かせればいいものを。

『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』観てきました。2回ほど。

 待ちに待った完全新規の続編。これをネタバレ抜きで語るのはぶっちゃけ無理! なので以下ネタバレ全開で感想書きます。

(ここから) ほむらが無間大紅蓮地獄になって太・極しながら「それこそが――私の女神に捧ぐ愛よ!」と叫んでいた。神咒神威ほむら☆マギカ。あるいは、ほむ星号が「天下ほむ!」と唱えていた、とでも書くべきか。虚淵ファンには「腕にパイルバンカーとか付けている変わり果ててしまった葱太」と「あにさまと一緒になれて満悦のルイリ」を複合したビジュアルと表現した方がイメージ伝わりやすいかも。そのへんのネタがピンと来ない人には「ホーム・ベイダー」とか「ホムキン・スカイウォーカー」と言っておく。「Madoka, You are my best friend.」「Nooooooo!!!」。予想は大幅に裏切られたけど、あまり「驚愕の展開」という気はせず、「ほむらならやると思っていた」って感想に落ち着きます。ほむらは義ではなく、愛によって立っているからな! 「やっぱ円環とかクソっスわ、まどかのいない世界、まどかが幸せになれない条理なんてマジ無価値」とばかりに無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)を噴出させて宇宙の法則を部分的に破却してしまう暁美ほむらはガチレズなどではない、もっとおぞましい何かだ。今にもオラショを歌い出しそうな雰囲気が漂っています。それは、宇宙を侵す愛。正気でも曖昧でもなく、敵であろうと味方であろうと間合(全宇宙)に入ったもの全てを蝕む魔人へと変貌を遂げていた。個人的には超面白かったしヤバいくらいテンションが上がった。帰宅後、興奮しすぎてなぜか腹痛がしてくるほどだった。まどかに会った途端それまで拭う素振りもなかった顔の血べったりを慌ててゴシゴシと拭くほむらの仕草に胸を貫かれ、絶望を受け容れるシーンで心臓を抉られ、ラストのあれで脳味噌を吹き飛ばされました。

 「ナイトメア」なる謎の敵を相手にプリキュアごっこみたいなキラキラしい戦いを繰り広げる冒頭パートは状況が掴めないせいもあって、初見時は正直ちょっと退屈だった(2回目は寛いで観れた)。「放送が始まる前に抱いていたイメージはだいたいこんな感じだったよな」と懐かしみ、初めて5人全員が共闘するアクションにしんみりとしたものの、本編と矛盾しまくるシチュエーションに「いったい何がどうなってるんです?」と逸る気持ちを抑えられなかった。このへんは一回目よりも、真相が分かっている二回目の視聴の方が寛いで楽しめるはずです。それにしても「キュゥ?」と鳴くキュゥべえが殴り飛ばしたくて仕方なかった。ほむらが「なんかこの世界、おかしくね? 誰かの紡いだ妄想臭くね?」と疑い出し、真っ先にベベ(どう見てもシャルロッテ)をブッチメに掛かりる。ヨダレを垂れして虐められるベベの姿にちょっとドキドキしました。時間停止で安心し切ってベベを嬲っている最中に、止まっているはずのマミさんがインタラプト。ほむらの様子がおかしい(眼鏡ないし、髪型変わってるし、変なこと訊く)から念のため足首に例の黄色い紐を巻きつけていたらしい。ここと、予告編にもあった拳銃自殺っぽいシーンは巧いと思いました。ギミックの使い方から虚淵っぽい印象を受けたけど、アクションシーンは基本スタッフにお任せらしいからスタッフの案かもしれない。どちらにしろ、親御さんに連れられてきた幼女たちはドン引きでしょう。おとなしくプリキュアを選んでおけばよかったものを……マミほむ戦が前半最大の見せ場であり、さやかが思わせぶりな発言をして去っていくところで一つの区切りがもたらされる。このへんから「やっと面白くなってきた」と興奮し始めた次第。虚淵シナリオは立ち上がりがやや遅めなので、退屈している間も特に不安はなかったけど、状況の一端が掴めてホッと胸を撫で下ろす気持ちになったことは確かだ。

 一面に白い花が咲き広がっている丘でほむらが泣き、まどかに宥められながら三つ編みされる場面。予告編の頃から「三つ編みにする手つきがいやらしくて、あれはもうまどかとほむらの性交シーンに等しい」と評している人がいたけど、本当、ほむらとまどかが男女だったらあそこは絶対にベッドシーンになっていましたよ。非常に重要な場面というかターニングポイントで、「ほむらはこの時点で既に決心していたのか」とわかる。一回目はなんとなく観流してしまうが、二回目からは慄然とします。ここからは怒涛のクライマックス(ほむらマグラというかドグラほむらというか)へ突入であり、「体重が減る」と形容されるのもむべなるかな、といった趣。キュゥべえの発言から真意を察し、赫怒の念を噴きあげるほむらがおぞましくもいとおしかった。このへんで隣席の客がポップコーンを食べるのをやめました。どう考えても食欲が湧くような作品じゃないから売店も大変だろうな。いろいろあって最終的に「キュゥべえざまぁ! ほむら大勝利!」という結論に至るわけですが、この「いろいろ」に関しては今後議論の的になるであろうと思います。新編の肝となる部分は、ほむらが「ゆきゆきて王冠の座に駆け上り、お人好しな円環の女神を引き摺り下ろさん」とする計画であり、そのためにあえて己の心を砕く=絶望を受け容れる=魔女になる過程こそが彼女の抱く妄念の凄まじさを物語っている。こうしたロジックは、「最終的にあにさまが救ってくれるから」という理由で進んで破滅の淵に身を投げた瑞麗に通ずるものがありますね。血涙の河を越えて悲願の地へ辿り着く。マミさん等、繰り返す時間の中で仲間たちの心を何度となく踏みにじってきたことに心を痛めていたほむらは、「まどかの幸福」を願ってまどかの心すら踏みにじる道を採ったのです。自らを心ごと葬り去って、「世界とは、親友であるまどかのためだけに存在する」と定義しながら……眼鏡を捨てたほむらが近視眼的な結論を下すという、なんとも皮肉な着地っぷりです。

 計画の最終段階でほむらが首尾良く宇宙の法則を変更(上書き)する流れに「都合が良すぎじゃないか?」と感じる方もおられるでしょう。しかし、まどかの「宇宙の法則を書き換えるほどの膨大なポテンシャル」とは即ちほむらの時間遡行魔法がもたらした副作用であり、両者の因果=歯車は最初から噛み合っていた。まどかが流出位階へ昇格する存在だとすれば、ほむらはそれを押し上げるためのゾーネンキント的役割。ほむら自身が単独で流出(アティルト)できるわけではないが、Diesのマリィルートみたいにゾーネンキントとして円環(Diesでは城に相当する)の管理権と制御権を一時的にせよ奪い取ることは不可能じゃないはずだ。獅子身中のほむ。「わたしが裂けちゃう!」はエロかったな……完全に薄い本(18禁同人誌)だった。要するに、一連の計画のモチーフは「羽衣伝説」です。水浴びしている天女の羽衣(飛行能力がある)を盗み、彼女が帰れない状況を作って半ば脅すような形で無理矢理夫婦になって結ばれる――という羽衣伝説は各地に民話や伝承として散らばっており、そのため様々なバリエーションが存在するが、「羽衣を取り返した天女が男のもとを去る」パターンは特に有名だろう。新編における「羽衣」とは円環としての記憶であり、自覚だ。ほむらはこれを隠すことでまどかと擬似的な夫婦になる。羽衣を取り戻せば、彼女が飛び去ってしまうことは目に見えているから、当面隠し続けるわけです。羽衣を失うことが、ほむらの幸せである以上にまどかの幸せなので、悪魔たる身にひたすら甘んじる。血を吐きながら続ける悲しい愛の末路は、どうなるのであろうか。想像するだに暗澹とする案件です。蛇足を通り越して、これはもはや断崖の先。進めば奈落が口を開けて待っている。少女の劫火はやがて一切合財を焼き尽くすだろう。くどいくらい制作陣が「賛否両論になる」と発言したのも頷ける。これに対して意見が分かれなかったらおかしいよ。いろんなものに背を向けすぎている。まさしく神と客に弓ひく叛逆の物語。

 観終わった後、どろどろと粘着質な黒い液体が腹の中に溜まってくるような映画でした。もっと率直に言えば「心臓にありったけの泥を突っ込まれたような感じ」であり、「胆汁一気飲みにチャレンジ」しているが如き気分に陥る。「虚淵玄に『まどマギの続編を書いて』と頼んだらこんなことになるのはわかりきっていただろ!」と詰め寄られたらホント返す言葉がありません。ラストのどんでん返しについては虚淵じゃなく総監督の案が元になっているそうですが……2011年、TV版放送当時に「妖刀虚淵と魔剣新房」って書いた覚えがある。この二本の組み合わせこそが災禍を招く呼び声に他ならない。良くも悪くもエヴァQほど「どうしてこうなった」的ショックはないものの、観終わってしばらくしてからジクジクと痛み出してジワァッと血が滲んでくる静かな衝撃がある。傷口の深さに関してはこっちの方が上だ。時間差攻撃というか遅効性の毒というか、まったく七丁念仏みたいな映画である。たくさんあったセリフの中でなぜか一番効いているのは「かがやきと後悔だけしか、もう思い出せない」だ。これ以上にないくらい、ほむらの終着点を表している。鹿目まどかという「かがやき」に目を灼かれ、彼女を守れなかった(概念化も防げなかった)「後悔」に苛まれる身ゆえに、円環などという崇高なるものを理解しえぬ。ほむらは誰よりも長く太陽(まどか)を直視しすぎて、他のすべてが朧にしか見えなくなってしまったのだ。愛するがゆえに志を穢す、その愚かしさが胸に迫る。「あるべきものを、あるべきところへ」とばかりに返却されるリボンが象徴的である。ほむらはバトンの受け取り――「後続に希望を託す」という人類がずっと続けてきた営為を拒んだのだ。「まどかのいない世界に未来などあってたまるか」と。「人としてのまどか」が彼女にとっての太陽であり、ほむらはその残照を浴びて輝く「断ち割られた月」となったのである。これからもっとどんどん、欠けていくだろうけれど。

 最後に備忘録として映画館の様子などを書き留めておく。地元に最速上映館がなく、普通に仕事もあったので午後の回に観に行った。土曜日ということもあってか意外と混み合っており、「早めに出てよかった」とつくづく思った。物販もそこそこ混雑していて、とあえずパンフだけ先に買っておいた。入場する際の列が映画館入り口まで達していてうんざりしかけるが、配布物(色紙)の受け渡しがスムーズなおかげでサクサクと進んでいった。ちなみに入場特典色紙の絵柄はさやかと杏子(二回目はマミとなぎさだった)。観客は10代や20代くらいの若い層が多く、なんかちょっとヤンキーっぽい人までいた。親子連れも結構見かけた。少なくとも総集編のときより親子連れの割合が多かったように思う。子供はほとんど幼女であり、小さい男の子は見かけなかった。同じ日にプリキュアの新作も公開しているのに、どうしてこっちを選んだのだろう……両方観るつもりなのか? などと益体もないことを考えながら着席。見える範囲でかなりの席が埋まっていたけど、満席というほどではなかった。混雑に関してはエヴァQや風立ちぬの公開初日の方が上。上映している間中、付近の幼女たちはぐずったり喋ったり寝たり動き回ったりもせず、終始行儀良く座っていた。「大人しくしている」というよりは「沈黙している」とか「絶句している」とかって雰囲気だったが……前後左右から立体で伝わってくる圧倒的な無言感にちょっとドキドキ。レイトショーでもっかい観に行ったけど、そのときは2、30代くらいの男性客が多かったな。カップルもちょこちょこと。詳しい感想は上記したので繰り返さないが、館内に渦巻く熱気と冷気の対流で改めて「なんで虚淵が脚本書いたアニメがこんなメインストリームに来ちゃったんだろう……」としきりに不思議がったものでした。「明日には鎧武もある」という事実にも眩惑され、夢幻の感触を味わう。胸を弾ませて『鬼哭街』を買いに行った日がつい昨日であるかのように錯覚される。もう10年以上前なのに……懐古はさておき、また更に時間をつくって観に行きたいと思いました、まどか新編。「一回だけ観て終わりなんて、勿体無い」 自然とそう呟けるほどの密度です。当方はふたたび赴きたいのだ、乳と蜂蜜が流れ、血と泥水が注がれる、あの濃密な約束の時間へ。(ここまで)

・拍手レス。

 切継は、ハードボイルドとはちょっと違いますかね…
 切嗣は「俺が法だ!」ではなく「法が俺だ!」だから、本質的に「我」がない点でハードボイルドとはズレるかも。

 マギカ映画、もう観に行かれました?まさに賛否両論みたいですが
 これが絶賛一辺倒だったら病んでる。度肝を抜かれましたわ。

 ハードボイルドといえばいまだにフィリップ・マーロウのイメージですね。「非情でなければ生きていけない。非情なだけでは生きてる意味がない」は、ハードボイルドを体現した台詞でしょう。
 ハードボイルドの主人公はともすれば「目的のない凶器」になりかねないところがあるので、タフさと優しさの匙加減が難しいですね。


2013-10-23.

ラノベではハードボイルドでニヒルなタイプの主人公ってのがいないよなあ(ぶく速)

 ハードボイルドの定義は諸説あるが、大雑把に言ってしまえば湿っぽい感情表現や内面描写を排した客観的かつ行動主義的な形式のことです。徹底的に己を律して活動するため、禁欲主義(ストイシズム)と絡めて語られることが多い。日本語に訳せば「やせがまん」である、と言ったのは確か生島治郎だったか。「主人公はタフでなければならない」「それでいて騎士道精神も弁えていなければならない」「原則として孤高である」「権力に阿らず長いものにも巻かれない(だから主人公の職業として私立探偵はOKでも警察官とか兵士とかスパイとか公務員系はNG、「元」なら可)」など、様々な条件を持ち出す人も多いが、これはジャンルの要件というよりもその論者が愛する理想や美学や欲望の反映と見ていいでしょう。主人公はグダグダと苦悩せず、「ぼくの心は傷ついた」とか甘ったれた弱音も吐かず、立ちはだかる敵は迷わずブチ殺し、ああだここだと自省の念にも駆られない。ただ己の正義や道徳にのみ従う。加えてニヒル(虚無的)になると、「己の正義や道徳」さえ信じない。ほとんど生存本能だけで好き勝手に暮らしているような状態になる。こうして書いていくとわかるが、「成長」の要因がないためライトノベルの文脈で大河ストーリーを紡ぐには不向きなタイプのキャラクター造型と言えます。大抵のハードボイルドは、主人公に成長の余地がなくなったところから始まる。

 昔、星野亮という“ザ・サード”シリーズでそれなりに有名だったライトノベル作家が『オッドアイ』なるSFハードボイルドにチャレンジしたことがあった。よほど気合が入っていたのかご丁寧に『オッドアイ1』とナンバリングまでして火蓋を切りましたけれど、結局2巻は出ませんでした。きっと売れなかったんでしょう。ハードボイルドは「結果的に長期展開する」ことはあっても、最初から狙って長期展開させるのは難しいジャンルだと思います。キャラ(個性)は完成していても、どこかで見逃せない欠如を抱えていて、何かしら成長の余地があることを匂わせる――そういう主人公像の方が、シリーズを存続させやすい。ハードボイルド型のキャラクターを主人公に据えると積み重ねが利きにくく、どうしてもストーリーは単発主体になってしまいますからね。かなり上手にキャラメイキングができて且つ話の雰囲気を維持できる作家でないと、「ラノベでハードボイルド」は至難の業でしょう。だが、いつかその無茶振りの極地を華麗にこなしてくれる作家が現れるのではないか……密かに期待している。

『ものべの -happy end-』ソフマップで購入した人に抽選で当たる夏葉の魔法少女衣装テレカがやばい(家宝は2次元)

 溢れ出るプリズマ感。

・若桜拓海の『リア王!(1〜2)』読んだ。

 HJ文庫には主人公(主に少年)を中心として左右に美少女キャラを配したカバーイラストが多くあり、これを俗に「侍らせ系」と呼ぶのだという。その概念を知らなかった当方は、よく似た構図の表紙である『百錬の覇王と聖約の戦乙女』と本作との区別が長らく(と言ってもここ2、3ヶ月だが)付かないでいた。そうか、HJには侍らせという独自の流れがあるわけか……と興味を抱き、本作に手を伸ばしてみた。作者の若桜拓海(わかさ・たくみ)は第4回ノベルジャパン大賞(現在のHJ文庫大賞)「奨励賞」を受賞してデビューしたが、受賞作はシリーズ化しなかったため、この『リア王!』が初のシリーズ作品ということになる。最近流行りの(もう廃れ気味という説もある)やたらと長い文章系タイトルに背を向けるが如き簡潔タイトルですが、そのぶん副題は長い。1巻は「我が臣下が美少女なのは必然だッ!」、2巻は「後輩で美少女な俺への刺客が現れたッ!」。読み終わってから気づいたので支障はなかったけど、買う前にこの副題を目にしていたら確実に読む気を削がれていただろうな……。

 妹が作成したチェックシートにより、「リア充とはかけ離れた存在である」という烙印を押された主人公・御門帝人は「否! 断じて否!」と現実の認識を拒む。我はリア充の対極に位置する負け犬ではない、むしろリア充を超越せし者――即ち「リア王」である! それを証明するために、彼は立ち上がったのだった……と、あらすじだけ書けばギャグ丸出しである。「はいはい、出オチ確定の一発ネタでしょ、これだからライトノベルは」と大半の人から切って捨てられそうなストーリーであります。だが待ってほしい。こう考えては如何だろう。鳳凰院凶真(岡部倫太郎)がもし狂科学ではなく帝王学に傾倒していたら……? その仮定が分かりにくいのであれば、「頭を打ったルルーシュ」や「コラ画像でよく見かける頭の弱い夜神月」に置き換えてもいい。フハハ笑いを繰り返し、いかなる皮肉も通じない、うんざりするほど傲岸不遜で会話するたび脱力必至の帝王系男子高校生。アニメ化したら声優は福山潤か宮野真守だろうな、と確信を抱くくらいコッテコテの仕上がりとなっています。つまりこれ、主人公を生温かい目線で愛でるシリーズなんですよ。

 王として成り上がるにはまず有能な部下が必要だ、というわけで物語は「側近集め」からスタートします。「リア充を凌駕するリア王」云々といったお題目こそバカバカしいが、このシリーズは「少年漫画における『仲間集め』」に相当する過程を重点的に描く構成となっており、ギャグ臭い見た目に反して意外とキッチリ青春してるんです。超上から目線で仰々しい言動を繰り返す姿は間違いなく「イタい」のだけれど、卑屈でもなければ優柔油断でもないし、「個性的な連中に終始振り回され、ツンデレ紛いの暴力系ヒロインにどつかれまくる」という主体性に欠けること夥しいハーレム物でありがちな「巻き込まれ型主人公」に比べればずっと好感が持てる。そろそろこういう「巻き込み型君主系主人公」、言わば逆ハルヒの時代が来そうな気がするんだけど、錯覚でしょうかね。いや、何だかんだでイイ奴なんですよ、帝人くん。ちゃんと他人の苦労は労うし、恥ずかしがらずにお礼も言えるタイプだし。ただちょっと鈍いのと、勘違いの激しさが度を越しているあたりが玉に瑕なだけ。帯では「残念系」と謳っているが、良くも悪くも「残念さが足りない」主人公です。「口八丁手八丁に見えて実は……」という。なんだかんだでスペックは結構高いんですよね。

 あと、個人的に「いいな」と思ったところはヒロインたちとの関係がゼロから始まるらへんですね。主人公は三国志演義の五虎大将に倣って自分の側近たる「リア王五虎将」を組もうと画策するわけですが、員数合わせとして大人しい幼なじみの子を強引に加えるとかはせず(そもそも「幼なじみの子」なんていない、先述した通り妹はいるけど)、あまり親しくもない「有能な人材たち」に引き抜き工作を掛けるところから始めるのです。リア王云々とわけのわからない理屈を捏ねながら勧誘してくるのだから、当然相手にとっての第一印象は最悪だ。その「最悪な第一印象」を底値としてグイグイ上げていくストーリーが面白い。話の都合上で展開を足早にせねばならず、ヒロインの陥落がチョロくなってしまう、いわゆる「チョロイン化」は避けられない事態となっていますけど、可能なかぎり「好感度が上がっていく過程」を読者に見せようと腐心している。スナック菓子のように気軽に消費される娯楽と割り切りながら、せめて「美味しいスナック菓子」であろうとする健気な心意気が全編に詰まっています。

 ハーレムと言えばハーレムだけど過剰なお色気要素がなくて読みやすい、爽やか覇道の青春ライトノベル。「側近集め」が着々と進む1巻前半に対し、別の計画を動かすため「側近集め」が滞る1巻後半はやや低調な印象を受けたが、新キャラを交えて展開する2巻はその低調さを吹き飛ばす盛り上がりを見せてくれた。正直、1巻だけ読み終わった時点では「うーん、いいところもあったけど、総合的に見るとイマイチかも」という評価でした。2巻までまとめて買っていなかったら、そこでもう挫折しちゃったかもしれない。なので「『リア王!』読んでみようかな」って人は1巻と2巻まとめて購入することをオススメいたします。2巻から出てくる後輩キャラの風早リサはなかなかイイ立ちっぷりですよ。「夏場は神いわゆるゴッドだけど冬は映画版デビルマンみたいな感じ」とか「ブレイド・グラフ・オンラインのキョウカ」とか、そういったパロ系の小ネタに拒否反応を示してしまう人にはチョイ薦めがたいところだけど、個人的には3巻がすごく楽しみだ。というか、2巻終わってもまだ五虎将が揃わないなんて随分とゆっくりしているな……3巻か4巻くらいで全員揃うのか? 揃い切る前に終わったり、揃ったところで「我のリア王道はこれからだ! フハハハハハッ!」(第一部・完)になったりするのだけはやめてくださいよ。刊行ペースがライトノベルにしてはやや遅い(1巻が2012年9月末、2巻が2013年3月末、3巻はまだ予定が決まっていないが最短でも今年の11月末)ことが最大の不安。それから、もっとシリアスな「野望に燃える主人公」が見たい人には『Fランクの暴君』を推しておきます。こっちも超面白いので打ち切りだけは勘弁してほしい。

<訃報>連城三紀彦さん65歳=作家 「戻り川心中」など

 目にした瞬間、ショックで力が抜けた。田中芳樹や竹本健治、泡坂妻夫と同じ“幻影城”(探偵小説専門誌、1975年から1979年にかけて発行された)出身の作家で、ミステリを得意分野としましたが、『恋文』という作品で直木賞を受賞したことからミステリ以外の方面でも有名な人でした。雑誌で連載終了した長編小説がなかなか単行本にまとまらない、といった事態が長引いていたため、「何かあったのかな」と不安を感じていたし「今は闘病生活を送っている」という噂も聞き及んでいましたが、まさかこんなに若く亡くなってしまうなんて……ひたすら信じられない気持ちでいっぱいです。代表作として挙がっている『戻り川心中』は“花葬シリーズ”という“幻影城”に掲載されていた短編連作を中心に編まれており、構想では短編10部作になる予定でしたが、途中で雑誌が休刊になった影響もあってか8作目で長らく止まっていました。“花葬シリーズ”はその名の通り花をモチーフとするシリーズで、「戻り川心中」も元々は「菖蒲の舟」というタイトルで予告されていた。「藤の花」「菊の塵」「桔梗の宿」「桐の柩」「白蓮の寺」「戻り川心中」「花緋文字」「夕萩心中」。「桜の舞」という作品も予告はされていましたが、これは「能師の妻」とタイトルを変えて“花葬シリーズ”から外れる扱いとなった模様。1982年に発表された「夕萩心中」以降、ずっと止まっていた“花葬シリーズ”でしたが、2008年の『幻影城の時代 完全版』に26年ぶりとなる第9作「夜の自画像」が掲載され、完成まであと一歩というところまで迫っていた。しかし、結局未完となってしまいました。「能師の妻」をシリーズに含めるか否かはファンでも意見の分かれるところですけれど、もし「入れる」のであれば10作全部揃ったことには一応なる。講談社文庫版と光文社文庫版の『戻り川心中』は5作しか収録されていないショートバージョンであり、もっともフルに近いハルキ文庫版でも8作しか入っていないので、「夜の自画像」も含めた9作か「能師の妻」までカウントした10作を完全版として刊行してほしいところである。奇想が充満する作風の一方で、非常に美しい香気溢るる文章を紡ぐ方でもありました。もう新作が書かれることがないだなんて寂しすぎる……。


2013-10-20.

ROD 12巻等、SD文庫2013年12月以降の刊行予定(ラノまと)

 年内に再開予定、とは聞いていたが、こうして予定表に載ると実感の量が段違いだな……「載っただけで、どうせ年内には間に合わないんでしょ」と冷めた視線を向けてしまう面もあるが。SD文庫の刊行予定はハッキリ言って信憑性の薄い部分があり、王雀孫の新刊発売がいつの間にか立ち消えになったまま状況不明になっていたりもするので、まだ安心できる時間じゃありません。本当の戦いはこれからだ。というか、さりげなく八薙玉造の名前が載っているけど、これ新シリーズ? 今は確か『獅子は働かず 聖女は赤く』ってシリーズ書いてるんじゃなかったっけ……打ち切られたのか? この人も、ポテンシャルは秘めてる感じだけどなかなかブレイクに至らないな。そして石川博品はファミ通文庫でポツポツと書いている人。個性的な作風によって根強いファン層を築いているが、全力で明後日を向く路線のせいかなかなか話題にならず、マイナー作家状態で足踏みしている。環境の変化が良い方向に作用するだろうか。

TVアニメ「咲-Saki- 全国編」は2014年1月に放送スタート(コミックナタリー)

 1月か……思ったより早い。というか原作のストックがほとんど溜まってないけど、大丈夫なのかコレ。『咲-Saki-』の全国大会(夏のインターハイ)は52校がAブロックとBブロックに分かれて「一回戦→二回戦→準決勝」と進めていき、それぞれのブロックを勝ち抜いた各2校、計4校で「決勝戦」を行う――という手筈になっています。本編はBブロック、番外編に当たる阿知賀編はAブロックのエピソードを主体にして描く。阿知賀編は既に準決勝も終わってあとは決勝を待つばかり、といった感じですが、本編はねぇ……やっと準決勝に入ったところです。一回戦の描写をほとんど端折ったにも関わらず、ですよ。漫画としてキッチリ描かれているのは今のところ二回戦だけ。アニメは端折られた一回戦をオリジナル展開で見せるとか、それぐらいのことをして時間稼がないとすぐに原作へ追いついてしまう。今のペースだと、アニメが始まる前どころか、アニメが終わった頃になっても原作の決勝戦は決着してないだろうなぁ、って感じです。1期目は結局原作に追いついてしまったので、原作では省かれた個人戦をやったりしたんですよね。ああ、そうだ、アニメは個人戦の続きも見せないといけないんだった(原作で描かれる試合はあくまで団体戦に絞られており、一応個人戦の結果についても触れているが、本当にただ触れているだけ)。楽しみではあるけど、「どうなるんだろう……」って不安だな。監督の小野学は『魔法科高校の劣等生』も手掛ける予定だし、『境界線上のホライゾン』の第3期も裏で動いているはず(願望)だから、すごく多忙なんですよね。捌き切れるのかしら。アニメと言えばジョジョ3部もやっぱりTVアニメ化するみたいだけど、こっちは特に不安要素なし。強いて言えば尺か。2クールだとちょっとキツい。弱虫ペダルみたいな変則の3クール構成になることを期待したい。

エロゲやギャルゲに詳しい人来てくれ(家宝は二次元)

 意図的に、あるいは結果的に整合性を無視(放棄)する形になるシナリオか……全体の辻褄合わせを気に掛けない、「置き換え可能型」の設計とでも言うべきか。『かまいたちの夜』はそのへんが割と自由だったな。殺人事件の謎を解き明かす本筋に対し、スパイ合戦やオカルト展開などパラレルというか二次創作めいたサブストーリーがイイ感じに楽しかった。でもあれはボリュームインフレを起こす前の作品だったからやれたようなもので、現在の「攻略に20時間も30時間も掛かる」ようなソフトがスタンダードになっているエロゲーやギャルゲーでやると単なる「破綻」か、ただの「セルフパロディ」と見做されてしまう。それに、昨今はキャラ重視のゲームが多いから、進め方次第でコロコロと設定が変わるようなシナリオは鬼門ですね。『To Heart』のマルチが「本人のルートではマジモンのアンドロイドだけど、他のルートでは『自分はロボット』と思い込んでいるだけのイタい少女」だったらキャラクターが固まらないどころか、キャラクターとして成り立たない。同様に、ストーリーを支える類の設定を途中で変更する場合も、切り替える地点を慎重に選ばないと「話が成立しない」事態を招く。パラレル展開が可能なエロゲー(ギャルゲー)だからこそ、「どこでシナリオを整合させるか」は外せないポイントとなってきます。枝葉はともかく、根幹を忽せにしてはならない。登場人物を「固有のキャラクター」と捉えるか、「それを演じている役者のようなもの」と捉えるか、明確に決めておかないと受け手は楽しむどころか混乱します。

 これとはちょっと違う話なんですけど、たまーにヌキゲーなんかで「ヒロインの胸のサイズを自由に弄れる機能」があったりしますよね。「おっぱいの大きさ」はエロゲーにおいちゃ超重要事項であるからこそ、自由にリサイズできてしまっては「キャラクターとして成り立たない」気がするんですよ。確かに「この子はもうちょっと胸が大きかったら良かったのにな」とか「この子に関してはむしろちっぱいの方がキャラに合っているな」とか思ったりもしますが、そこで希望通りにできてしまうと、なんか御誂え向きの同人誌でも読んでいるような腑に落ちない気分に陥るわけで。思い通りにならないこと、つまり「ままならなさ」や「諦め」が各々の個性を引き締めている面がある。欠落が却って存在を埋め合わせるケースとてある。いつまで経っても真価が発揮されないことが真価、みたいなキャラもいますから……。

【速報】岡村天斎完全新作TVアニメ「世界征服〜謀略のズヴィズダー〜」始動! 制作:A-1/ Pictures、キャラクター原案:黒星紅白(ひまねっと)

 神よ、あなたは何て意地悪なんだ。いや、意外とお茶目なんだ。当方の気を揉ませるだけ揉ませておいて、今までのはジョークだったんですね……めておが動く! めておが起動するんだ! というわけで「おい、『Girls'Work』はどうなった?」な星空めてお新作発表です。ガルワもポシャったわけじゃないようですけれど、具体的な続報が全然来ません。さておき『世界征服』は黒星紅白キャラ原案による完全オリジナルアニメとのこと。監督を務める岡村天斎は過去にDTB(『DARKER THAN BLACK』)を手掛けたことで有名。めておファンは「ガルワどうなった!」と叫び、天斎ファンは「DTB続編どうなった!」と問う、そんな新作発表であるわけです。タイトルで至道流星の『世界征服』を連想したが、どう見ても無関係だ。副タイトルにある「ズヴィズダー」はロシア語で「星」を意味する言葉。ん? ロシア語で「星」を意味する言葉……? 夜明けを待つ星……ザーリャ(日の出)……うっ、頭が……!


2013-10-14.

【西澤保彦】『彼女はもういない』、文庫化に際し『狂う』に改題(ぶく速)

 最初は「文庫書き下ろしかな?」と思ったりもしたが、やはりただの改題か。『殺す』(旧題『猟死の果て』)とタイトルの路線を揃える意味もあったのだろうけど、『彼女はもういない』『狂う』だとニュアンスも全然違ってくるから「うーん……」な感じである。あ、ちなみに内容は『殺す』と関係のない単発作品です。どっちも胸糞の悪くなるような話って点では共通していますが。女性を拉致してきては陵辱し、その様子を撮影したうえで殺す、という犯行を「快楽目的ではなく」繰り返す殺人鬼が主人公で、西澤保彦のサイコ系作品群でも特にえげつない部類に属する。非常に後味の悪い「イヤミス」であり、他人に薦めるのは憚られるが、怖い物見たさで読んでみるのも一興かと。ちなみに当方の好きな西澤サイコスリラーは『夢幻巡礼』です。チョーモンイン(神麻嗣子シリーズ)の番外編だから、着手する場合は先に『念力密室!』とか読んでシリーズの概要を把握しておいた方がいいかも。ただ、チョーモンイン自体はずっと中断してる状態なんですよね……そろそろ最終章みたいなのが来ないかなー。

『翠星のガルガンティア』続編制作決定キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! (萌えオタニュース速報)

 重大発表があるらしい、とは聞いていたけど続編制作か。せいぜい総集編映画くらいだと思ってました。TVアニメかOVAか劇場版かまだ分からないけど、「続編」というからには当然新作なわけですよね。ワクワクしてきました。ただ、ガルガンティアは割合キッチリとした形で終わったアニメなので、「どうやって続けるの?」という疑問も……あの世界には様々な船団が存在するらしいから、ロボ抜き船社会メインでやってくのか? アルペジオみたいな艦戦アニメになっていくのか? 考えれば考えるほど疑問符が湧いてくるけど、なんであれ続報を心待ちにしたい。

東京でソメイヨシノが開花 なんだもう春か(暇人\(^o^)/速報)

 狂い咲き……クルイザキ……ドグラQ……うっ、頭が……!

【速報】『ストライクウィッチーズ』OVA・新TVアニメ製作決定きたああああああああ!!(ひまねっと)

 生きる希望がマシマシだ! 劇場版の後、なかなか進展がないから気を揉んでいたが、どうやら杞憂だったようです。OVAは501小隊のエピソードみたいだけど、TVアニメの方はどうなるか分からないですね。他の隊がメインになるかも。ただ、ネウロイとか、あのへんの正体は不明のままでしょうな、きっと。「空飛ぶ幼き魔女たちが謎の敵と戦う」シチュエーションを重視するアニメであって、謎の敵の正体に迫る話ではないわけですし。フミカネ画集も来年に2冊出る予定だし、まだまだ「生きねば」ですね。

・拍手レス。

 SD文庫の11月発売予定に影≒光があってびびった・・・。いや、待ってたけどさ・・・
 この分なら片山憲太郎や霜越かほるやベニー松山の名前が予定表に載る日も遠くないかもしれませんね。ベニ松と言えば来月にFF13の小説を出す模様。

 一人でエロゲ全ルート書けるライターは4クールアニメのシリーズ構成できる可能性があると考えてもいいわけか。製作に時間と資金的余裕があればねえ。いろんな人材をいろんなメディアに送り出せる供給地になれるのにね、もったいないことだよ。
 常にタイムキーピングを意識して「この動きに何秒、この会話に何十秒」と把握して決まった枠に収めなきゃいけないアニメ脚本に対し、エロゲーシナリオは「ほぼ尺の制限ナシ」って強みがある分、たとえば「バトル物なのに日常シーンが2時間続く」ような真似も可能だから、勝手の違う分野ではある。都築真紀みたいに業界を越境する才能も稀に出てきますけど、本当に稀ですからね……。


2013-10-10.

『魔法科高校の劣等生』がアニメ化決定! メインキャストやスタッフなども明らかに(電撃オンライン)

 この報に驚いたファンは皆無に近い。「やっぱり」とか「来たか」って反応がほとんど。PVにも出ていますが、既刊11冊で累計290万部、平均して1巻あたり26万部を突破している大人気シリーズであり、「アニメ化する前から『アニメが成功した作品』並みの売れ行き」と話題になっていました。『魔法科高校の劣等生』はもともと「小説家になろう」に掲載されていたweb小説であり、作者のあとがきによると、新作(『魔法科高校の劣等生』と設定を共有した別の話)を書いて新人賞に応募したが落選、でも編集者が興味を持って調べたところ『魔法科高校の劣等生』という作品の存在に気づき、出版化を勧められた――という経緯で商業デビューを果たしたそうな。1巻が発売するや否や即座に人気は沸騰、「どこにも売ってない!」と悲鳴が上がるほどの品薄ぶりを見せ付けました。1巻と2巻は2ヶ月連続刊行する予定だったため1巻瞬殺の人気を受けても増刷が間に合わず、2巻も依然「売ってない!」の大合唱が響き渡る惨状を呈しました。大急ぎで再出荷されましたから長期間に渡って難民が彷徨うほどの深刻な事態ではなかったそうですが、その売れ行きたるや凄まじく、発売1ヶ月間で合計45万部を突破したという話もあるほどだ。2年前の時点で「既にアニメ化は確定だな」と囁かれていました。2年前の今頃と言うと、ちょうど川原礫のSAOとAWのアニメ化が公表されたあたりであり、川原礫のデビューが2009年であったことを勘案して「劣等生のアニメ化発表は2013年か2014年くらいに来るんじゃないかな」と予想されたりもしていたっけ。つまり、それぐらい「アニメ化は当然」という空気だったわけです。

 一応、内容紹介もしておこう。当方はまだ途中までしか読んでいませんので、あまり詳しいことは知りません、と前置きしつつ。1999年、ある事件をキッカケにして「魔法」の存在が明るみに出た。隠匿され、真偽を疑われていたテクノロジーの体系が「本物」であると、世界中が知った。その日から100年が経った頃、魔法は「あって当然のもの」として社会の隅々にまで普及し、もはや秘術の類ではなく科学技術の一つとして人々の生活に組み込まれつつあった……という設定の、マジカルでサイバーな未来の日本を舞台にしたファンタジー小説です。魔法が技術の一つとして社会に定着している、というのは『よくわかる現代魔法』などの前例もあってさほど珍しくないが、とにかく設定の作り込みが細かい。魔法を使うにはまず想子(サイオン)という非物質粒子をデバイスに流し込み、デバイスはこれを「起動式」というサイオン情報体に信号化して使用者へ返し、使用者は起動式を無意識下に存在する「魔法演算領域」へ読み込んで座標やら何やらの変数に数値を入力して「魔法式」と呼ばれるサイオン情報体を構築、この魔法式を意識と無意識の狭間に存在する「ゲート」から外部情報世界に投射して、「エイドス」という「事象に付随する情報体」を書き換えることで本体たる事象そのものを変更する――と、ひたすら綿密な説明が続く。『よくわかる現代魔法』や『ウィザーズ・ブレイン』をもっと詳密にしたようなノリで、『魔術士オーフェン』の設定でも充分細かいと感じる身からすると正直ややクドい印象を受ける。始めから商業化を狙った作品ではないが故の細かさであり、作者自身も「本当にこれを出版して大丈夫なのか」と危惧したほどである。

 さておき、作中世界において魔法は一般化し、補助デバイスまで存在するほどだけど、実際に使用するためには生まれつきの資質と努力が必要になってくる。使えない奴はどうやっても使えない、それが魔法というもの。各国は次代を担う魔法師、「ごく限られた人材」の育成に躍起になっており、魔法教育推進のため日本では9つの魔法科高校が運営されています。魔法科に合格する――ということはそれだけでも「才能に恵まれたエリートである証」なのですが、主人公たち兄妹が在籍する第一高校は定員200名のうち100人が一科生、もう半分の100人が二科生という区分になっており、歴然とした「差」が設けられている。一科生はエリート中のエリート、二科生もエリートはエリートだけど一科生から見れば単なる落ちこぼれ。キャリアとノンキャリアぐらい身分が違う。第一高校には「毎年100人の生徒をモノにして卒業させるノルマ」が政府から課せられており、二科生は一科生の誰かに何かがあったときのための予備、つまり補欠枠でしかない。こうした事情を背景に、全校生徒は一科生を花冠(ブルーム)と呼んで特別視、二科生を雑草(ウィード)と呼んで蔑視する差別的な風土が醸成されている。主人公の司波達也は二科生、妹の深雪は一科生――兄妹でありながら「劣等生」と「優等生」に分かたれてしまう。落ちこぼれだ、出来損ないだ、と心ない罵声を浴びせられながらも、折れずに努力し続ける達也と、彼に寄り添う深雪の姿を描く……と書けば何だか泥臭い青春奮闘ストーリーの香りが漂ってきますが、実のところ達也は「様々な事情から真の実力を発揮できない異形の天才」という設定になっていて、詰まるところコッテコテの俺TUEEEEE系ライトノベルなんです。

 「つれーわー、俺の真価をお見せすることができなくてマジつれーわー」とか、さすがにそこまで露骨ではないにしろ、「認められていないけど本当はスゴいオレ」という中高生の願望を具現化したようなドリーム感の強い主人公に仕上がっている。とにかく達也の無双ぶりが凄まじくて、読んでいてあまりハラハラしないって難点があります。「ま、こいつなら何とかしてくれるでしょ」と安心してしまう。主人公も好き好んで三味線を弾いているわけじゃなく、劣等生扱いされてしまう自分にちょっと落ち込む場面もありますが、超ブラコンの妹がいて、師匠から忍術の手ほどきを受けていて、軍人の知り合いがいて、更に彼自身が有能な魔法エンジニアでもあって……とゴテゴテした盛り込みの数々に思わずゲップが出そうになる。「兄貴の方は……多分ありゃ、殺ってるな」「ヤってる?」「ああ、実際に人を殺しているな。それも一人や二人じゃない」みたいな会話を高校生たちが大真面目な顔つきで交わしているのだから、そういうのがOKな人でないとキツいかも。当方も「ちょっとやりすぎだろ」と辟易しちゃう部分がある。が、それでも、作者が抱く「壮大なストーリーを物語ってやろう」という創作の熱意はビンビンに伝わってくるし、ヒロインの深雪も可愛いので、投げ出すつもりはない。このまま読み続けていきたい。最新刊(12巻)も予約済だ。ストーリーは主人公兄妹が魔法科高校に入学するところからスタートして、11巻で初年度の部が終了、12巻から2年度の部を開始、という段取りになっている。11巻まででweb版(つまり既存)のパートはあらかた終了し、12巻以降は外伝を除けば完全な書き下ろしということになります。作者の構想では全20〜25巻程度になるそうだから、もうそろそろ折り返しってところ。アニメはいったいどこまでやるんでしょうか。少なくとも九校戦編(3巻と4巻)は消化するはずだと予測しますが……まさか1クールで入学編(1巻と2巻)だけってことはないでしょうね。

 「10巻を超える小説に挑むのは辛い」という方のために、漫画版についての案内。コミカライズは現在2種類の単行本が出ています。『魔法科高校の劣等生』『魔法科高校の優等生』、パッと見だとタイトルが一緒に見えるので、混同しないよう注意しましょう。というか、当方は『優等生』の存在にしばらく気づかなかった……スクエニから出ている『魔法科高校の劣等生』(きたうみつなが作画を担当している方)は入学編(1巻と2巻)のコミカライズ、『優等生』(森夕が作画を担当している方)は妹を主人公にしたスピンオフです。PVによると、更に九校戦編(3巻と4巻)と横浜騒乱編(6巻と7巻)、追憶編(8巻)の漫画版も続々と開始するようだ。ひぐらしみたいな遣り方ですね。ライトノベルのコミカライズは全編やり切る前に途中で終わってしまうパターンが多い(笹倉のシャナも原作だと4巻くらいのところで完結した)ことを考えると、この遣り方はイイかもしれない。しかし、アニメのPV。達也も深雪も聞き覚えのある声だなー、とボンヤリ思いながら聞いていたけど、調べてみるとこのふたりは俺妹のアニメで共演しているのか。達也(中村悠一)は京介役で深雪(早見沙織)はあやせ役。「友人の兄」と「妹の友人」を演じていた声優たちが兄妹役を務めるとは、なかなか面白い。「京介とあやせがコスプレしているようにしか見えない」なんて言う人も出てくるのかしらん。あ、ついでで何ですけど、『ブラック・ブレット』もアニメ化するみたいです。自分のところで育てた作家が他所のレーベルでアニメ化するくらい躍進しちゃって、ガガガは今頃さぞかし歯噛みしていることでしょうよ。

『HHG 女神の終焉』マスターアップ済だったが、Hシーンにおいて他社製品からテキストの転用が発覚したため発売日が延期に(家宝は2次元)

 エロゲーはよく「クオリティアップのため」というイマイチ分からない理由で延期をかますことがたびたびあるけど、ここまで具体的な事情を晒して延期するのは珍しい。『HHG 女神の終焉』はサイトウケンジ、三日堂、深山ユーキ、3人のライターがシナリオを手掛けているわけですが、形としては「サイトウケンジが代表を務める株式会社エクスにういんどみるが執筆を依頼した(つまり外注)」ってことになってるみたい。で、エクス側の説明によると、三日堂(門脇智)が担当していたHシーンの執筆に瀧本モノ(瀧本祐介)がヘルプとして加わった際、「別の作品の文章と酷似する表現の文面」を書いてしまったのだという。うーん、なんか「下請けに全部押し付けた」感がすごいし、そもそも「ヘルプというより丸投げじゃね?」という疑惑が湧いてくるけど、これ以上の真相は藪の中でしょうな……エロゲーではこういう「公表されていないヘルプ(下請け)」が仕事に関わることはちょくちょくある。そこそこ名の売れたライターが「実は……」と後になって明かすパターンもあるほどで、少し前にも大槻涼樹が『Theガッツ!−マキシマム・マタニティ−』の企画と日常シーンのシナリオに参加していたことを明かして一部に衝撃が走った。Theガッツはシナリオよりシチュエーションが売りというタイプのエロゲーだから別にライターが誰でも構わないわけだけど、「それにしても所長がかよ!」という。

 既にマスターアップも済ませて後は発売を待つばかりだったというのに、ういんどみるは該当するHシーンを削除、新たに書き直したうえで声優を呼び戻し、ボイスの再収録を行わないといけない。「Hシーン全般のシナリオ改修」と述べるからには、かなり広範囲に渡って転用の痕跡があったものと見られる。場合によっちゃ「すべてのヒロイン」が該当するかもしれない。そうなると複数の声優のスケジュールをもっぺん押さえ直さないとダメですから、作業量自体がそれほど多くなかったとしても相当な時間を取られることになります。どみる側としては問題を克服して11月中にどうにか発売へ漕ぎ着けたいみたいだけど、年内に間に合うかどうかも危ぶまれるところだ。依頼を受けたエクスは今から2年前の2011年に「EX-ONE」というブランドを立ち上げた会社で、設立発表と同時に3本もの新作開発を告知する豪胆な姿勢を見せたが、いろいろあって3本中発売まで漕ぎつけたのは2本だけ、トリを飾る予定だった3本目は凍結してしまった。以降も活動は続けているみたいである。代表のサイトウケンジは2005年にシナリオライターとしてデビューした人。代表作『あかね色に染まる坂』(2007年)はTVアニメ化まで果たしたが、アレもいろいろあったソフトで、PC版と移植版のシナリオがほとんど違う(大幅にリライトされた)。ういんどみるでの仕事は過去に『祝福のカンパネラ』や『Hyper→Highspeed→Genius』などをこなしており、昨日今日の付き合いではなかったわけだが、多忙(サイトウケンジはライトノベル作家および漫画原作者としても活動中)ゆえにプロジェクトを監督し切れなかったのだろうか……。

・御影瑛路の『Fランクの暴君1』読んだ。

 副タイトル「堕ちた天才の凱旋」。なんとなくタイトルに惹かれて購入したものの、あれやこれやで積んでしまい、半年が経過。そろそろ2巻目が発売される頃合なので、いい加減崩さなきゃな、と手に取った。作者の御影瑛路(みかげ・えいじ)は2005年に『僕らはどこにも開かない』でデビューした人です。第11回電撃小説大賞に応募し、最終候補に残った作品であり、「表紙イラストも挿絵も一切付けない」という当時のライトノベルにしてはやや挑戦的な売り方をされた。今だと確実にメディアワークス文庫行きでしょうね。2006年に3冊目の著書を出した後、ふっつりと新刊を出さなくなってしまったが、2009年に『空ろの箱と零のマリア』で帰還。さすがにもう挑戦的な売り方はされず、普通にイラストが付いていました。以降だいたい年2冊くらいの刊行ペースで安定している、「マイナーだけどコアな人気がある」タイプの作家です。ダーク色の香るサスペンスを得意としつつ、ちょっとラブコメ入った『あなたが泣くまで踏むのをやめない!』みたいな路線を試したりもしています。ちなみに、名前を略して単に「御影」と呼ばれることも多いのですが、電撃文庫にはそのまんま「御影」という二文字名前で本(『ドリームノッカー』)を出している別人もいるから混同しないように注意しましょう。後者の御影はエロゲーのシナリオが本業で、CIRCUSの『D.C.〜ダ・カーポ〜』などを経てminoriの『ef』とか手掛けています。

 さて、『Fランクの暴君』は「私立七星学園」という、全校生徒数が28187人にも及ぶ超巨大学園――通称「弱肉強食学園」を舞台にストーリーが進行していく。弱肉強食の由縁は、「下位は上位に逆らえない」という強烈な階級差別を取り入れたランク制度が敷かれていること。常軌を逸したそのシステムに生徒は誰も抗えず、ひたすらランクの上昇および維持に汲々とする日々を送っている。ランクはS・A・B・C・D・E・Fの7つ。ランクが違えば校舎も施設も違う。寮も低ランクは相部屋が基本だが、最上位のSランクともなれば「洋館に使用人付き」、まこと雲の上の世界である。現実社会のカリカチュアみたいな競争世界で、不本意な経緯からFランクに転落してしまった主人公・藤白カンナは、輝かしき頂点に君臨しすべてを睥睨するため穢れた覇道を歩み出す……ってな、『バカとテストと召喚獣』『野望の王国』を悪魔合体させたようなストーリーになっています。格差学級のギスギスしたムードという点で言えばバカテスよりも『暗殺教室』の方が近いかな。ただ、クラス単位でどうこうするシーンはほとんどなく、大半のページは主人公の個人行動か少人数の連帯に割かれている。そういう点で見ればランク制という設定はテーマというよりも「状況」として捉えた方が適切かもしれない。Fランクは他のランクからの命令に逆らえませんが、さすがに校則や法律に反する真似までは強要されず、作中で出てくる例もせいぜい「学食で座っていたら『退け』と命令される」レベルに留まります。つまりFランクの連中も心持ち人権を侵害さながらそこそこ平和に青春を謳歌しており、別段非道な奴隷待遇に喘いでいるわけではないのだ。『男組』のような血腥さは漂わないし、昭和の劇画に親しんだ人からすれば「ヌルい」「甘い」と感じることでしょう。あくまで「大衆はブタだ!」なノリがお望みの方は『キルラキル』をどうぞ。

 作者は「洗練された支配」、「整然とした統治」を作風に徹底させたかったのか、直接的な暴力は排されている。暴力的なキャラは一応出てくるけど、実際に暴力を振るうことはない。支配と統治を明瞭なものにするため、かなり細かく設定を作り込んでおり、正直いちいち説明していくのが面倒なほどである。最低限、触れなくちゃならないことは、学園に「七君主」と呼ばれる王様(女王様)的な存在が7人いて、それぞれが派閥を率いているってことですね。各君主には七つの大罪にまつわる称号が与えられており、主人公は「7つすべての称号を奪うことで学園のトップに躍り出る」という目標を打ち立てています。そのために頭脳を働かせ、狡知や奸智を巡らせ、周囲を利用する。『デスノート』の夜神光みたく賢しらな系統の主人公だ。実際、作中でも「名前を書いた人物を殺せる死神のノート」とデスノに言及した箇所が出てくるほど。コードギアスのルルーシュを連想する人もいるはず。何せ黒の騎士団やゼロに相当するモノまで出てきますからね……とにかく周りの人間を駒扱いして計算高く算盤を弾く主人公なので、好感が持てないって読者が出てきてもおかしくありませんけれど、野望に心臓を焼かれ、焦げついた魂抱えながら終わりの見えぬ闘争を繰り広げる彼の孤独、「そこに誰もいない頂」を目指して足掻く姿が当方は悲しくて切なくて目を逸らせません。最初は「ああ、小賢しいガキだな」と生温かく見ていたけど、進むにつれ、ヒロインであれ何であれ邪魔なモノや不要なモノは切り捨ててしまえる野望の飢餓の深さがどこか他人事とは思えなくなっていく。「それが敵を焼き尽くすより、我が身を滅ぼす火だとしても、魂を突き動かす霊感さえ得られたなら、それで男は雄々しく戦うことができるのだ」という『王妃の離婚』の一節が脳裏をよぎった。

 「学園の外」がフィクションに思えてくるぐらい閉鎖的かつ濃密な環境はいささか現実味を欠いていると言わざるをえないが、この視野の狭さこそが青春だよなぁ。野望のための野望、支配のための支配に取り憑かれた主人公は暴君であり、悪鬼だ。普通なら「倒されるべき存在」だろうし、破滅以外の収め方が考えつかない。ヒロインたちが彼の渇望の闇を救う光になれる可能性は、今のところ少ないです。この流れから大団円のハッピーエンドを迎えるというのは、僅かで乏しい希望だろう。しかし、か細い希望を信じていきたい。主に「このシリーズが打ち切られないで済む」という希望を……あと本書が気に入った方には『よいこの君主論』をオススメします。コミカライズ版(全2巻)もあるでよ。

・拍手レス。

 第八天 島耕作ですね、わかります。
 さすがに途中で煩悩は捨て去っているだろうけど、過程を考えると一番エロゲー向きな神格だな。

 エロゲを大艦巨砲主義の賜物とするとラノベはさながら空母艦載機のようなものでしょうか。とは言えこちらの空には核も冷戦もイージス艦も未だ存在しないようですが…
 ライトノベルはライトノベルで艦載限界を超えて詰め込もうとするところに「質より量」の気配を感じてしまう。今月の電撃文庫の新刊、18冊。先月も同数。

 飢えていればいいというのは至言ではありますが体験版をやって後の内容を妄想するのも楽しいという天魔の囁きには逆らえなかった…どいつもこいつも格好良くて辛い
 気がつくとアイコンにポインタを置いている自分に気づいてハッとなる。当方の忍耐も風前の灯といった趣になりつつあります。


2013-10-06.

・3日前に「トム・クランシーが亡くなった」と聞いて言葉をなくした焼津です、こんばんは。

 66歳って……ええっー、まだ若いじゃないですか。信じられない。先月の山崎豊子の訃報に対するショックすらまだ抜け切っていないのに。映画化したデビュー作『レッド・オクトーバーを追え』が何と言っても有名で、主人公を務めた情報分析官(アナリスト)ジャック・ライアンはその後出世に出世を重ね、遂には大統領にまで上り詰めた。アメリカ版の島耕作といった趣がある。多作家ということもあって個々の小説の評価は様々だが、間違いなく軍事スリラーの時代を築き上げた大御所の一人であった。まことに残念な気持ちでいっぱいです。3日経った今も惜しむ思いが消えない。

【速報】新連載 学生 島耕作(ひまねっと)

 むしろ「まだやってなかったの?」感さえある。確か前に「少年 島耕作」をやってましたよね。あれは夏の物語だったらしいけど、今回は服装からして夏以外の話? 島耕作は社長を通り越して「首相 島耕作」くらいはもちろんのこと、出家して「仏門 島耕作」となり「和尚 島耕作」とか経つつ悟りを開いて「如来 島耕作」まで昇り詰めてほしい。

『ゆうれいなんか見えない7巻』 おれらのよりよりが帰ってキタ━ヾ(≧∀≦)ノ━!!(ラノまと)

 解説しましょう。『ゆうれいなんか見えない!』とは2010年4月、今から3年半前に始まったシリーズであり、むらさきゆきやのデビュー作でもある。第1回GA文庫大賞「奨励賞」受賞作。九辺ケンジや裕時悠示とは同月デビューした仲だ(ただしこの2人は第2回の受賞者)。小学3年生の退魔少女、鞍馬依(くらま・より)がヒロインを務めており、彼女が作中の書き置きで「よりより」と表記した(差出人的な意味で)ことから「よりより」という愛称が定着しました。ぶっちゃけ伝奇モノとしてはイマイチだけど、とにかくヒロインの依が可愛い。これに尽きます。現時点での最新刊である6巻が発売されたのは2012年2月、つまりもう20ヶ月近くが経過しており、しかも作者のむらさきゆきやは去年から今年にかけて『覇剣の皇姫アルティーナ』『銀弾の銃剣姫』『浮遊学園のアリス&シャーリー』、3つも新シリーズを開始させた(一迅社の『小悪魔どもが俺の部屋を溜まり場にしている』もシリーズ化するなら4つ)から「『ゆうれいなんか見えない!』はもう続き書かないのかな……」とやや諦めかけのムードが流れました。しかし、よりよりの可愛さは不滅であった。このたびそれが証明された。ロリコンの自覚がある方はあらゆる迷いを断ち切って既刊ごとまとめて買うがいい。

エロゲとかで個別より共通が好きな理由(家宝は2次元)

 個別に入るとシナリオの焦点がヒロインに絞られるから、どうしても他のキャラは出番が少なくなるんですよね。特に複数ライター制の場合はそれが顕著。シナリオを分担して書く場合、共通ルート手掛けていないライターはヒロイン以外のキャラをうまく使いこなせないことが多く、「多人数のキャラを絡ませる」ような話を作ることが難しい。エロゲーは今も昔も短期間でシナリオを上げないといけない(そうじゃないと他の作業がなかなか進まない)事情があるから、細部まで刷り合わせようとするといろいろ負担が大きくなっていく。「納期がヤバい」という理由でまったく刷り合わせを行わないまま発売しちゃったソフトもいくつかあります。『残暑お見舞い申し上げます。』とか。サブライターは後からヘルプで入り、とにかく時間がないので細けェことは何もかも無視して突貫工事で書き上げたという。おかげでキャラの性格も設定も全然違う個別シナリオが収録されることになってしまった。庭こと『Garden』もヒドかったけど思い出したくない。Diesの07年版は言わずもがな。

 ただ、るい智みたいにキャラたちが打ち解けるまで長く掛かるようなタイプのストーリーだと、やっぱり共通より個別の方が面白いですね。クリアした後に分岐する前のポイントまで戻ってくると「あ、この時点ではまだそんなに仲良くないのか」とガッカリする。日常描写とかコメディ展開とか、そういうのを売りにする作品だと「終わってしまう」寂しさが強いのか、たとえ個別ルートでヒロイン以外のキャラたちの出番があまり減らないとしても、共通ルートの賑やかさ――「いつまでもこの日々が続く」と錯覚する楽しさには勝てないかもしれない。

【画像あり】「これより中二心をくすぐられる物ってあるの?」 時計柄のコンタクトレンズがかっこ良すぎるwww(暇人\(^o^)/速報)

 これできょうぞうちゃんのコスプレもクオリティアップ。

大体エロゲ一本でラノベ10冊分(ぶく速)

 ライトノベルのテキストを容量に換算するとだいたい250〜350KB程度(1KBはページ数にして1.5ページくらい)、エロゲーのシナリオ重視タイプは概ね2MB〜3MBなので、大雑把に計算すると確かに10倍相当です。シナリオを文庫本に直して3000ページ切るようなソフトは「短い」と言われてしまう、割と異常な業界。ネットで配布されている体験版は、感覚的な判断になりますけど400KBくらいが平均サイズなのでライトノベル1冊分を読み通す以上の時間とエネルギーが掛かります。ライトノベルと違って「手軽さ」に欠けますが、良く言えば「シリーズ1冊目はタダで楽しめる」ようなもんであり、「3冊や4冊で打ち切られる心配もない」のだからエロゲーに対して格別な想いを寄せている人々の気持ちも分かるでしょう。蓋を開けてみたら「途中で書いてる人が変わっていた」とか、未完成のまま発売されたとか、ヒドい例もありますけどね……ちなみに、「ちゃんと声を聞きながらプレーしたら100時間以上掛かる」とも囁かれる『Fate/stay night』(ただしボイスが付いてるのは18禁要素ナシの移植版だけ)のシナリオ量は4MB以上、エロゲーじゃないけど『ひぐらしのなく頃に』も本編全部で4MB程度(文庫版は16冊で、総ページ数が約6200ページ)、『W.L.O. 世界恋愛機構』は6MBであり、ライトノベル20冊相当。制作中の段階で既に「6MB超」だった『仏蘭西少女』など「ライトノベル36冊分」と謳われていた。ライトノベルは2〜4冊程度あれば1クールアニメが作れるので、エロゲーマーたちは言ってみれば「4クールアニメを最初から最後まで観通す」に等しい覚悟で以って一本一本のソフトに挑んでいるわけだ。

 この重厚長大路線というか大艦巨砲主義が「質より量」に傾斜してシナリオ重視系エロゲーの衰退を招いたって見方もある(エロゲー市場のピークは2003年頃で、以降の全体売上はずっと下降傾向)。開発費を圧縮するために、ライトノベル10冊分相当のシナリオを半年そこらで書き上げないといけない(無論、各メーカーの開発事情は様々で、例外はある。先述した『仏蘭西少女』は10年掛かりの規格外プロジェクトだった)のだから、どうしてもクオリティは犠牲になります。複数ライター制が多いのも「作業を分担し短期間で素早く書き上げるため」であり、統一感や均質性は二の次です。エロゲーライターはとにかく筆の早さが命、「追い詰められたらひと晩で100KB書く」ぐらいの底力がないと生き残れない。筆は早くないけど固定の熱心なファンが付いている、みたいなタイプは珍種中の珍種であり、虚淵玄や王雀孫、星空めてお、久弥直樹あたりがこれに該当する。エロゲーライターたちが活路を求めて次々とライトノベルに進出するのも、自然な流れだ。中には正田崇のように「エロゲーならではのやり甲斐」(大艦巨砲主義ゆえのビッグプロジェクト志向)を重要視してライトノベル方面に関心を示さないライターもいますけどね。1クールが主流のアニメや、いつ打ち切られるか分からない不安定な連載漫画やライトノベルだと、大河ストーリーを紡ぐことはなかなか難しい。エロゲーはそれを比較的少ない予算で実行に移すことができる。「一発外したらそれで終わり、次弾を装填する暇もなく轟沈」というシビアな世界ですが、当てればとにかくデカい。いくらでもメディアミックス展開できるしグッズの素材も豊富。衰退したとはいえ、まだまだ可能性の潜むジャンルだと思います。

・拍手レス。

 戦神館体験版きましたね。初っ端から絶望感が凄いことに・・・日常パートは面白いし、ヒロインらは全員かわいいし、演出が今までのLightのゲームとは段違いに良くなってるしで期待感が高まりすぎて来年2月まで生殺しは辛いですね
 体験版の評判は宜しいみたいで、焦らしプレイが捗ります。今やると発売までの飢餓感が深くなりそうだから、せめて年が明けるまで我慢するつもりですが……いつまで忍耐が保つことやら。

 おとボクや花と乙女は主人公CVありでアニメ的に楽しめるのがなかなか良かったなーと懐かしい
 恋楯も移植版では主人公に声が付いたし、るい智も後にフルボイス化されましたね。やっぱり主人公にボイスがあるゲームはいい。プレー時間と、メーカーの開発費が嵩むけど……。

 とらは葉っぱ買って何がしたいの?アニメイトのフロンティアワークスみたいな位置付けなの?ただコンテンツホルダーになりたかっただけなの?、あるいは他のゲームメーカーも買ってVAみたいになりたいとか。葉っぱにとっては悪い話ではないのだろうけど。
 ユメノソラホールディングス(とらのあなを運営する会社)がアクアプラスの全株式を取得した件ですね。こみパ作ったトコが同人ショップに買収されるというのもなんか皮肉な話だ。


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