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リレー小説「魔法少女忌譚修」(第13話−10/12)
2025-02-06.・だいぶ前にアニメ化が決まったのに未だ詳細が伝えられていない『対ありでした。』、本棚の整理もかねてそろそろ崩すか……と読み出したら想像の50倍くらいイカれた内容で即ハマってしまった焼津です、こんばんは。
アニメはまだだけど実写ドラマ版は放送済なのでそっちを視聴した方もおられるやもしれない。『ゲーミングお嬢様』と同時期に始まった「格ゲーに熱中するお嬢様学校の少女たち」を描く青春漫画です。少年誌系の絵柄で「ゲームが上手いことを他のお嬢様たちが普通に賞賛する」というギャグ時空めいた世界を綴る『ゲーミングお嬢様』に対し、『対ありでした。』は少女漫画のように線の細い絵柄で「こそこそと周りの目から憚るように格ゲーに熱中するお嬢様たち」を描いているので、一見すると正反対のように映るが「頭のおかしさ」はドッコイドッコイです。作者の「江島絵理」は『柚子森さん』という「女子高生と女子小学生の百合コメディ」を描いていた人で、そちらのイメージが強かったから「題材は格ゲーだけどほのぼのしたテンションの微百合コメディなんだろうな〜」と思っていたが、明らかに『特攻の拓』を意識したキャラが出るなど全体的にノリがおかしい。
主人公のライバルが「白百合さま」と呼ばれる少女で、彼女はあまりにも格ゲーにハマりすぎているから心配した母親がゲームをやめさせようとする……と、このへんの展開は「まぁよくある流れだな」って感じです。直談判するために主人公が教師同伴で白百合さまの自宅へ押しかけるのも、強引っちゃ強引だけど青春漫画の範疇内ではある。でもですね、威圧してくる友人ママに対して「だったら先手必勝だァッ」って殴りかかるのは絶対おかしいでしょ! 格ゲー漫画なのに何の躊躇いもなく直接暴力(リアルファイト)に走っている! それを何なく撃退してみせる友人ママも充分に異常であり、ツッコミが追いつかない。主人公に発破をかけられた白百合さまが母親と流血しながら戦う最新刊はもはや格ゲー漫画の域を逸脱した家庭内暴力漫画と化しているけど、クライマックスでは「ここでこの技を差すのか!」という謎の感動が込み上げてくる。1話目と最新話だけ「カドコミ」で公開されているので、気になる方は試しに読んでみてください。最新話(第49話)のタイトルは「レス・バトル」であり、この時点でいろいろと察してしまうだろう。「煽り全一」と讃えられる白百合さまの雄姿を見届けろ。
・『BanG Dream! Ave Mujica』、第5話は繋ぎ回といった印象で大きな動きはなかったものの、「ここはまだ奈落の途中」と不穏過ぎるナレーションで「まだドン底ではないよ、まだまだ落ちるよ」と視聴者を怯えさせる。
アバンでバンド「Ave Mujica」の解散が確定、全国ツアーの最中だったためチケット代は払い戻しに。地方から遠征してきたファンは交通費や宿泊費も掛かっているので経済面だけでもショックは大きいだろう。砕け散った夢の中で虚ろというか空洞のような表情をする祥子が痛ましい。Aパートは解散後のムジカの面々を映していくが、睦ちゃんの姿はない。ファンの会話で解散から1ヶ月が経過していることがわかります。祥子はムジカの立上人だけあって出番こそ多いもののセリフはほとんどなく、ほぼ無言で進行する。最後にポツリと自己嫌悪の言葉を残してBパートへ。ここでようやくMyGOメンバーが介入し始め、4話まで一瞬たりとも出番のなかった楽奈が登場(といっても後頭部だけで、セリフも「蝶々? 鳥?」のみ)。燈ちゃんが「バンドやろう!」と叫んだところでED。Cパートで視点が若葉家に移り、「引きこもっている」らしい睦を訪ねてきたそよが睦の現状を知って〆となります。実質2期目とはいえ、ガールズバンドアニメの5話目で解散騒動を描くハメになるとは……アニメじゃないけど、これより悲惨なのは「お披露目ライブ直前にヒュージの襲撃でメンバーが死亡し、ステージ衣装に袖を通すことがないまま解散した『アサルトリリィ Last Bullet』の名もなきアイドルグループ」ぐらいじゃないでしょうか。
次回予告では楽奈についていく睦の姿が確認され、MyGOとの合流が本格化することが予想されますが……課題は山積みだ。燈ちゃんの「バンドやろう」の真意がまだハッキリせず、ムジカを再建しようという意味なのか、MyGOに6人目のメンバーとして入ってほしいという意味なのか(だとしたら愛音は「えっ、じゃあ!の数増やさないとだね?」とか考えそう)、それとも掛け持ちでCRYCHICを復活させようという意味なのか、現時点では定かではない。というか、燈ちゃんもそこまで細かく考えてない可能性があるな……バンドやってないと祥子はダメになってしまうと本能的に悟っているだけで、具体的な「祥ちゃんのバンド」像を思い描いていないのではないか。一番スムーズなのはムジカをやり直すために立希が初華と海鈴を、そよか楽奈が睦を祥子のところに連れてきてまず4人で話し合わせ、最後ににゃむを説得する……って流れなんですけど、メタ的に言うとあと7、8話くらい残っているのでそんなにすんなり進むはずがない。心が折れている祥子が立ち上がるのにも時間が掛かるだろう。これもメタ的な話になりますが、新宿のAve Mujica広告で新規カットの先行公開があって、そこに「スマホの画面見せられて動揺している初華のカット」と「激怒している初華のアップ」、それに「これでも信用できませんか!」と珍しく感情的になっている海鈴の声があったんですよ。話が拗れることは確定している。同居状態だった祥子が書き置きだけ残して去っていった(その後連絡も取れない)時点で「捨てられた」と感じているだろうし、祥子の態度次第ではいつキレても不思議ではない初華ですが、彼女と海鈴は抱えている「闇」の正体が明瞭ではなく、たとえば「祥子がMyGOに6人目のメンバーとして加入した(あるいはCRYCHICを復活させた)と純田まなから知らされる(スマホの画面を見せられる)ことでショックを受け、『なんで春日影やってるの!』と激怒して祥子に詰め寄る」という展開すら「まだ穏当な部類の予想」になってしまう。出演している声優も、ネタバレを防ぐためか言葉を濁しているがインタビューの端々で「初華の闇は深い」ことを匂わせています。祥子がいなくなって一人っきりになった部屋で二人分のコーヒーを淹れてる初華が怖いよ……去った直後ならまだしも、1ヶ月経ってそれということはたぶん毎日二人分淹れ続けてるんだよね……?
ネットでは「初華が抱える闇」の予想を巡って大喜利状態になっており、そのうちの一つで話題になっているのが「初華双子説」です。個人的には「面白いけど、かなり無理があるな」という仮説なので細かい論拠は割愛しますが、それによると5話で用意された「二人分のコーヒー」は去っていった祥子の分ではなく、「双子の片割れ」のためだった――ということになる。似たような傍証としては2話の祥子をマンションの部屋に連れてきた際、傘が2本あったシーンも挙げられます。双子説はここから更に「相方生存説」(二人一役説)と「相方早逝説」(入れ替わり説)に分岐し、早逝説の場合は「祥子が幼い頃に会ったのは亡くなった初華の妹(ないし姉)で、初華は姉妹の喪失を受け入れられず故人になりすましている」という感じになる。つまり、初華の本名は「初華」ではない。本物初華が亡くなった時点で双子だった彼女が「初華」と名乗って入れ替わった――ってな具合になります。極端なのだと「今の初華は本物初華の兄ないし弟で、女装している」なんて説まである始末だ。亡くなった本物初華の遺志に引きずられて行動している、中身は空っぽな操り人形……と考えると彼女のどこか空疎な部分に対して平仄が合う気もするけど、うーん、やっぱり無理があるような……でも既に二重人格者が出ている時点で「ありえない」とまでは言い切れないんだよな。
二重人格と言えば、睦ちゃんは寝ている間にムジカが解散したことにショックを受けて引きこもっているのかと思いきや、人格がずっとモーティスのままで睦ちゃん本人は依然として深い眠りに就いているという衝撃的な事実が発覚しました。モーティスも睦ちゃんを起こそうと必死になってドッピオみたいな真似しているが、手だてがなくて途方に暮れている模様。次回予告で楽奈の後ろを歩いているが、楽奈の演奏でひょっこり目を覚ますのか、それともモーティスが一からギターを習う展開に入るのか。次回6話のタイトルは「Animum reges.」(心を支配する)、古代ローマの詩人「ホラティウス」の言葉です。ただ、厳密に書くとホラティウスの言葉は「Animum rege.」(アニムム・レゲ)で「s」は付かない。理性と意志によって心というか感情・激情を抑制するように、という忠告だそう。固い意志によって感情をコントロールしないと、感情に振り回されることになってしまう。「Ira furor brevis est.」(怒りは短い狂気である)に続く言葉なので、今風に言えばアンガーマネジメントってやつかしら。
小ネタ的なところではsumimiの二人が出演している「スマイルガールズコレクション」にチラッと「桐ヶ谷透子」が映ってますね。作画ではなく3Dモデリングなので「透子に似た別人」の可能性はない。透子は月ノ森の生徒で、そよや睦の一個上、二年の先輩に当たる。祥子がバンドを組むキッカケとなったモニカ(Morfonica)のメンバーの一人です。モニカは商業バンドではないので、個人的にモデルのような活動をしているのだろうか。
ところでMyGOの頃から気になっていることが一つありまして。3話で語られる燈の幼少期に「みおちゃん」って子が出てるんですよ。燈からダンゴムシの詰め合わせをプレゼントされる被害者枠の子。セリフは「葉っぱきれい〜!」「燈ちゃんも葉っぱ好きなの?」「みおも好き〜」の3ワードのみ。エンドクレジットでは「みお」と名前のみ表示されている(CVは「七海こころ」)。後にRiNGのスケジュール表に「池本みお」という名前がチラッと出てくるので「あのみおちゃんと同一人物なのでは?」って説もありますが、裏付ける要素はない。更に7話のCパート、MyGOメンバーによる「春日影」演奏にショックを受けて祥子が街を彷徨うシーン。街頭CMか何かで「サニーサイドアップ」という曲がサブスクで配信中ってアナウンスが流れるんですが、その前に「はなこ、みお、ういか、3人が織り成すアンサンブル」って言っているように聞こえるんですよね。この「ういか」が三角初華かどうか定かではないが、別人だとしたらややこしすぎるので素直に同一人物と受け取っていいと思う。恐らくその場かぎりで組んだユニットじゃないかと思われますけど、この「みお」が「みおちゃん」なのだとしたら「三角初華は燈が小さい頃に遊んだ子と面識がある」ってことになります。そして本編で描かれていないだけで、燈とみおちゃんの付き合いがさほど密接ではないにせよまだ続いている可能性はある。
MyGO10話のプラネタリウムで燈と初華が会う場面、燈の顔をじっくり見た初華が「あっ、さきちゃんのバンド(CRYCHIC)にいた子だ」と思い出す描写が入ります。目の前にいる相手を思い出しているはずなのに思考の中で燈よりも祥子の方にフォーカスしていくの、改めて観ると怖いよ。このとき燈は特に名乗らなかった(落としたノートを初華が拾うシーンもあるが、描写からしてこのときに名前を見た感じでもない)のに、13話で「燈ちゃん、また会えたね」と声を掛けてくる。別れた後に愛音と燈が行う「初華、ともりんの名前知ってたね?」「言ってない、気がする……」という会話でも「初華が燈の名前を知っている」ことの不自然さを強調しています。タクシーの中でCRYCHIC時代の写真を眺めて「やっぱり、さきちゃんの……」と呟いていることを考えると、情報源は祥子ではない。この時点で睦からCRYCHIC時代について聞き出せるほどの付き合いがあるとも思えない。SNSの情報だけで特定したのかもしれない(CRYCHICのアカウントに「Vo.Tomori」という表記があったから、名字がわからなくて名前で呼んだという説が有力だ)けれど、ひょっとするとみおちゃんが情報源だったのでは? 例によって例の如く楽屋でCRYCHICの(というかさきちゃんの)写真を見ていた初華に「あれ? これって燈ちゃんじゃない?」みたいに言及したのが特定に繋がった可能性もある。つまり、Ave Mujicaの6話以降にみおちゃんが登場して事態を動かすキーマンになるかもしれないな……みおちゃん、端役にしてはやけに気合の入ったキャラデザになってる(幼稚園児とは思えないくらい髪が長い)から再登場はありえると信じているんですよね。純田まなとみおちゃんと謎の「はなこ」と椎名真希(立希の姉)とあと一人誰か……「森みなみ」(女優、睦の母)引っ張って来ればもう一バンドは捻出できそう。いえさすがにジョークですけども。5話まで一瞬たりとも登場しなかった「みおちゃん」が急に出てくる可能性なんてほぼゼロだと思うけど、それでも私は救いの選択肢が広がることを信じたい。
と、ここまで妄想を逞しくして語ってきましたが、実はバンドリには「みお」という名前の子が既に一人いる。「ビビキャン」こと「ViVidCanvas」の「芹澤みお」――アニメには出てこないがバンドリのアプリ、「ガルパ」のパスパレ(「Pastel*Palettes」、MyGO3話のカラオケで睦ちゃんが歌っていた曲のバンド)イベントで登場したアイドルグループの子です。パスパレと同じ事務所に所属しており、ポジションとしてはパスパレの後輩・妹分に当たる。3人組だが、メンバー全員サブキャラなのでボイスは実装されていない。外見的特徴からして芹澤みおが燈ちゃんと仲の良かった「みおちゃん」である可能性は低いが、街頭CMで流れていた「はなこ、みお、ういか」の「みお」はこっちだったのかもしれない。いや、ぐぐってもほとんど情報が出てこないキャラなんで「可能性を否定し切れない」ってレベルですけどね。
・ラブライブ、謎の新プロジェクト『イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD』始動
おっ、バンドリに影響を与えたラブライブに新たな動きが。『ラブライブ!』は雑誌“電撃G's magazine”の読者参加企画として始まったプロジェクトであり、バンドリ同様に楽曲とアニメとアプリの3つが柱になっている。既にサービス終了したがアプリ「スクフェス」こと『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』の運営はバンドリと同じ「ブシロード」で、スクフェスの成功を受けブシロが自社IPで音楽コンテンツを展開すべく立ち上げたプロジェクトがバンドリである。
「アニメよりもアプリが中心」のバンドリと違い、ラブライブはアニメ版がプロジェクトの中心に据えられています。バンドリの方はアプリ(ガルパ)がメインなので、ガルパやってない人がアニメ1期観た後に2期を観ると「知らないキャラが次々と出てきた……話飛び過ぎじゃない?」と戸惑うハメになる(1期と2期の間を埋める企画もあったけど実現しなかった、MyGOの「要楽奈」も元々はそっちの企画のキャラだったらしい)。それに対してラブライブはアニメのみで情報が完結する仕組みになっており、基本的にアニメだけ観ればストーリーを追うことができる。加えて「キャラ同士の繋がり、人間関係の広がり」を重視することでサーガ化(複雑化)するバンドリと違ってタイトルごとに話を独立させ、繋がりがあるのかないのか曖昧な状態に置くことで常にシンプルな状態を保ってきた――つまり無印の『ラブライブ!』を観ていなくても『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』や『スーパースター!!』といった派生タイトルに易々と入っていけるようにした――から、「間口の広さ」という意味ではバンドリよりも上を行っています。乱暴に言ってしまうと、バンドリは「宇宙世紀」という架空の年表に基づいて展開するUCガンダムみたいなプロジェクトで、ラブライブは「たとえ設定上繋がっていても、その繋がりがほとんど見えない」アナザーガンダム群(最近は「オルタナティブ」が公式名称なんですっけ)みたいなプロジェクトなんです。
『ラブライブ!』の歴史をアニメに絞って軽く振り返ってみましょう。まず2013年に『ラブライブ!』、通称「無印」あるいは「初代」の1期目が放送されました。女子高生たちが部活感覚で「スクールアイドル」なるものに励むという、既存のプロジェクトで言うと『アイカツ!』に近いノリを持ったアニメとなりましたが、「プロのアイドルを目指す」という目標がある『アイカツ!』に対して『ラブライブ!』はあくまで「アマチュアのアイドルとして青春を謳歌する」ところに特色があった。アイドル物なのに「芸能界」という要素が一切絡んでこない、そういう意味では非常に変わったアニメなんですよね。作中において全国一のスクールアイドルグループを決定する大会「ラブライブ!」が開催されることになったものの、主人公「高坂穂乃果」が体調を崩したため大会の出場そのものを断念する――という予想外の展開も話題になりました。基本フォーマットとしては「全国大会へ出場して優勝を目指す」というスポ根みたいなストーリーなのに、まさかの「出場すらしないで終わり」。1クールで「メンバー集め」のエピソードを丁寧に行ったので尺が足りなくなった、という事情もあるだろうが、「青春を謳歌するうえで『全国大会優勝』を目指す必要は別にない」という視点もあったんでしょう。そもそも穂乃果たちがスクールアイドルを始めたのは廃校の危機にあった「音ノ木坂学院」を救うためで、そっちの目標は無事達成されたのだからココで完結を迎えたって何の支障もありませんでした。
しかし、ファンはやはり「全国大会で活躍する穂乃果たち」の姿が見たかったのか。翌年2014年には無印の2期目が放送されます。こういう全国大会って普通は年に一度の開催なんですが、「次の大会」まで持ち越しだと上級生組が卒業してしまう――まさか全員留年させるわけにもいかない――という事情で「年内にもう一度大会が開催されることになった」とかなり無理のある展開に突入する。実のところ、『ラブライブ!』は大会の名前をタイトルに冠している割に作中の「ラブライブ!」大会はあまり詳しく描かれないんです。こういう大会を盛り上げるためにはライバルグループが次々と主人公の前に立ちはだかる……という展開にする必要があるんですが、尺の都合もあって主人公たちのグループ「μ's」以外のスクールアイドルはライブシーンがほとんど用意されていません。先攻、Aグループ! 後攻、Bグループ! って交互にライブシーンを映して「さあ判定の結果は!?」みたいな、そういう普通のアイドルアニメで見かけるような場面がマジでないんですよ。唯一ライバルとして描かれている「A-RISE」との対決さえサラッと流されているため、「あれ? いつA-RISEに勝ったの?」と困惑する視聴者もいました。「全国大会を描くアニメなのに、ライバルの存在感が薄すぎる」という批判も時折ありますが、視聴者のほとんどは恐らくライバルとバチバチにやり合う主人公たちの姿が見たいわけではなくμ'sというグループで自己実現してキラキラと青春を謳歌する主人公たちの眩しい姿を応援したかったのだろうから、作品の瑕疵にはなっていない。「なら大会形式にする必要はなかったんじゃ?」と言われたらそれはそう。今のアニメファンにとって無印はただの「古い作品」でしかないだろうが当時の人気は凄まじく、作中のμ'sを再現した声優ユニットが紅白歌合戦に出場したほどである。ちなみに私は無印だと穂乃果・海未・ことりの微妙な三角関係が好きです。
無印の2期目で上級生組の卒業に伴ってμ'sは解散し、「高坂穂乃果を主人公とする物語」は閉幕となる。2015年に最終回の続きを描く劇場版も公開され、そのラストで下級生組も全員卒業しμ'sのメンバーは音ノ木坂に一人もいなくなりました。そして2016年、舞台と主要陣を一新した『ラブライブ!サンシャイン!!』の放送が開始されます。今度は静岡県沼津市に位置する「浦の星女学院」で物語が繰り広げられていく。主人公「高海千歌」はμ'sに憧れて自らもスクールアイドルになろうと努力する――という形で無印との繋がりは示される(前作の舞台である音ノ木坂から転校してきたキャラもいる)が、本編にμ'sのメンバーたちが出演することはない。無印から何年後なのかさえ明確ではありません。浦の星女学院が廃校の危機に瀕し、それを救うために全国大会「ラブライブ!」への出場を目指す、っていうストーリーの枠組みが無印の焼き直しみたいになってしまったのは様々な事情と思惑が絡んだ結果であろう。2017年に2期目が放送、2019年には劇場版も公開され、千歌たちのグループ「Aqours」を巡る物語は完結する。2023年に異世界の「ヌマヅ」を舞台にしたスピンオフアニメ『幻日のヨハネ』も放送されましたが、どちらかと言えばスターシステムに近い形式の作品なんで『ラブライブ!』の1作にカウントすべきかどうか悩ましいところだ。一応ライブシーンもあるから広義のラブライブ!には含まれるけど……ちなみにサンシャインは渡辺曜派です。
2020年にプロジェクト第3弾となるアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の1期目が、2021年にプロジェクト第4弾となるアニメ『ラブライブ!スーパースター!!』の1期目が放送され、20年代前半はこの「虹ヶ咲」と「スーパースター」が並行して展開する形となります。
「虹ヶ咲」は無印やサンシャインから大きくキャラクターデザインを変更(アプリである「スクスタ」こと『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS』ではニジガクの面々も従来の絵柄に寄せたキャラデザだったため、アプリからのファンは驚いた)し、「全国大会であるラブライブ!への出場を目指さない」「グループ活動ではなくソロ活動に力を入れる」という異例のストーリーになっている。確かにラブライブ!プロジェクトはその根幹となる「全国大会としてのラブライブ!」が足枷になっていた面があり、そこを外すことで虹ヶ咲は新たなファン層の獲得に成功しました。が、「それはもうラブライブではないのでは?」という疑問も当然の如く発生します。主人公「高咲侑」もアプリの「あなた」(プレーヤーの分身)に当たる存在で、現状唯一の「スクールアイドルにならないラブライブ主人公」であり、このへんも異色です。廃部した「スクールアイドル同好会」を再興する……という展開はラブライブらしいっちゃラブライブらしいですけど。ファンの間でも虹ヶ咲の位置づけについては意見が分かれており、「外伝みたいなもの」「スクールアイドル物ではあるけどラブライブではない」といった見方もあります。「ガンダムの出てこない関連作品に『ガンダム』の名を冠しても良いのか?」という問いのようなものだ。一応、無印やサンシャインとは同じ世界だが、サーガ化を避けたため作品としての繋がりは物凄く希薄になっている。アプリであるスクスタでは時代の隔たりを無視して「μ's」と「Aqours」がニジガクの面々と同年代のスクールアイドルとして並存するオールスター設定になっていたものの、アニメ版ではそのへんがどういう処理になっているのか厳密には不明で、あえて曖昧にしている感触が強い。というか無印で主人公の妹「高坂雪穂」を担当した声優「東山奈央」が別のキャラのCVとして出演していることからも、無印と虹ヶ咲を繋げる意志がないことは明らかだ。2022年に2期目を放送し、2023年にOVAを発売、2024年から劇場シリーズとして「完結編」を展開しています。完結編は3部作の予定ですが、アプリから変わったキャラデザが映画でまた変更されてファンは混乱しました。ちなみに私、虹ヶ咲はゆうぽむ(侑とその幼なじみ「上原歩夢」の組み合わせ)派ですね。あと書き忘れていたが、公式4コマ漫画『にじよん』をショートアニメ化した『にじよん あにめーしょん』というスピンオフ作品もあります。
『ラブライブ!スーパースター!!』は2022年に2期目、2024年に3期目を放送して完結した、ラブライブ!プロジェクトの完結済みアニメとしては最長の作品となります。新設校である「結ヶ丘女子高等学校」に一年生として入ってきた「澁谷かのん」が2期目で二年生になり、3期目で三年生になって卒業する――と、作中の経過時間も最長になっている。舞台が新設校なので先輩となる上級生キャラが存在せず、「上級生キャラが卒業してしまうためグループが存続不可能になる」という過去の問題点を克服。後輩が新規メンバーとしてどんどん追加される、サーガというほどではないが「人間関係がどんどん変わっていく」点で過去のアニメ作品とはだいぶ印象が異なります。ただ、「過去作の焼き直しをしない」ことを目指した結果、やや迷走してしまった部分もあるかな……「音楽科と普通科の対立」をうまく捌き切れなかったように見受けられる。それとやっぱり「全国大会としてのラブライブ!」がストーリーを作るうえで大きな制約となってしまっています。これがたとえば複数のスクールアイドルグループを群像劇みたいな調子で描いていって、彼女たちがラブライブ!の大会でぶつかり合う――みたいな展開だったらスポ根的な文脈では盛り上がっただろうけど、根本的にラブライブのファンはスクールアイドルたちが勝ったり負けたりする様子を見たくないわけで。どうしても齟齬が生じてしまう。「スクールアイドルが努力の成果を披露する場」は必要なんだけど、それが「優劣を決定する大会」である必要はなく、また「全国大会としてのラブライブ!」は詳細が描かれないせいもあってあまり魅力を感じない。スーパースターの魅力も大会以外のところにあります。「澁谷かのんの成長物語」としては2期目で概ね終了させ、3期目は「最上級生として後輩たちを導く存在になった澁谷かのん」を描くという、ある意味で「無印で観たかった展開(先輩になった穂乃果たち)」を叶えてくれるアニメではあった。ちなみにスーパースターで一番好きなキャラは「嵐千砂都」です。振り返って気づいたけど、ラブライブに関しては幼なじみ好き過ぎじゃないか私。
現在はプロジェクト第5弾『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』がアプリ「Link!Like!LoveLive!」を中心に展開中であり、これもいずれアニメ化するのではないか……と思われていたところへ急に現れたのがプロジェクト第6弾『イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD』である。まだ情報公開されたばかりで何もわからないに等しいが、キービジュアルの涙を浮かべる主人公?を比較的少ない線数と色数で描いていることからしてアニメ企画ではないかと予想されます。まさか蓮ノ空アニメ化よりも先に新企画始動とは、って驚きました。蓮ノ空は2023年頃から動き出したプロジェクトで、石川県金沢市に位置する全寮制の「蓮ノ空女学院」が舞台となる。100年以上の歴史を誇る伝統校であり、スクールアイドルクラブはラブライブ!で優勝した過去もある。そんな「ラブライブ!の強豪校」に主人公「日野下花帆」が103期生として入学するところから始まります。アプリの配信日が4月で、現実の時間にリンクして主人公たちが成長し進級する、というコンセプト。なので2024年4月に花帆が二年生となり、後輩である104期生が入学。もう少ししたら花帆は三年生になり、105期生が入ってくる運びとなっています。この「共時性」が売りの一つなのでアニメ化しづらいという面もある。具体的なストーリーは公式サイトでダイジェスト動画が公開されているのでそちらを参考にしてほしい。「地方から大都会・金沢にやってきたぜ! ひゃっほう!」→「なんで学校がこんな山奥にあるんですか! しかも全寮制!? やだー!(脱走)」→「スクールアイドルになりたいから僻地でも我慢します!」という感じで猪突猛進タイプの主人公が頑張る、これまでのプロジェクトに比べてクラシカルな雰囲気というか「スポ根っぽいノリのスクールアイドル物」になっている。ストーリーを丁寧になぞろうとすれば相当な尺が必要になるだろうし、ひょっとすると蓮ノ空はアニメ化しないままフィニッシュの時を迎えるのでは……という気までしてきました。蓮ノ空に関しては詳しくないので特にお気に入りのキャラはいない、強いて言えば「藤島慈」が好み? もうちょっとで卒業してしまうみたいだけど。
さておき『イキヅライブ!』。語りたいのは山々だが、情報が……情報が少なすぎる……! タイトルに含まれる「生きづらい」という後ろ向きな言葉、キービジュアルで涙を浮かべる主人公?の絵から察するに「日々生きづらさを抱えて過ごしている女の子が『スクールアイドル』という概念に出会って生き甲斐を得る」ような話になるんだろうと思われる。交通の便が悪くて「スクールアイドルのライブに行きづらい!」と嘆く地方民の子が主人公、なんて冗談みたいな分析もあるが、ティザームービーのBGMも重苦しいし素直に「ネガティブ路線の企画」と受け取っていいはず。生きづらさを抱えている女の子というと近年のアニメ作品では『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』や『夜のクラゲは泳げない』、『ガールズバンドクライ』などが連想されます。「最近はこういう暗めの路線でも案外イケるみたいだし、『明るさ一辺倒』というイメージのあるラブライブでも翳があるというかもうちょっとアクセルを踏み込んだ企画作ってみようか」って感じになったんじゃないかと邪推している。いや、スーパースターのかのんちゃんも開始時点では割と生きづらさを感じてるタイプ(あがり症がヒドくて音楽科に入れず普通科に来た)でしたけど、あれよりも先に推し進めたムードになるのでは? それこそぼざろのぼっちちゃん(後藤ひとり)みたいな。「似た路線ばかりでは行き詰まってしまう」からこそマンネリ打破のチャレンジに踏み切ったのではないかと考えています。
アニメ企画だと仮定して、気になるのはスタッフですね。特に監督とシリーズ構成。ラブライブアニメの監督は無印とスーパースターを手掛けた「京極尚彦」、サンシャインの「酒井和男」、虹ヶ咲の「河村智之」、あと幻日のヨハネの「中谷亜沙美」とにじよんの「ほりうちゆうや」で5人います。河村智之は虹ヶ咲の完結編で忙しいだろうからまずないし、スピンオフを担当した中谷亜沙美やほりうちゆうやが来ることは考えづらいので、まったく新規の誰かでなければ京極尚彦か酒井和男の二択だと思います。シリーズ構成は無印、サンシャイン、スーパースターの3つを手掛けた「花田十輝」、虹ヶ咲の「田中仁」、あと幻日のヨハネの「大野敏哉」――監督と同じ理由で田中仁と大野敏哉を消すと、候補は花田十輝しか残らない。可能性の高い組み合わせは「京極尚彦と花田十輝」あるいは「酒井和男と花田十輝」。
あれ? 後者の組み合わせは最近どっかで見たような……とトボけるまでもなく、『ガールズバンドクライ』のコンビだ。ガルクラのインタビューで花田十輝は「これまで学校を舞台にした脚本ばっかり書いていたから学校じゃないところを舞台にした話を書きたかった」と語っており、「(〇〇が××するという展開にしたら)『ラブライブ!』になっちゃう」と言及していることからも汲み取れる通り、ガルクラでは意図的に「『ラブライブ!』とは違う路線」を目指していました。
ガルクラのインタビューで好きなところはアレですね、当初主人公の「井芹仁菜」はおとなしい子という設定で、公式サイトのキャラ紹介でも「やや引っ込み思案の普通の女の子。小中高と目立たない存在で、成績もごく普通。特に大きな夢もなく、空気を読んで、みんなに合わせて生きてきた。」と書かれていますが、本編では観た人が全員「紹介文と全然違うじゃん!」って叫ぶキャラに仕上がっています。あれは本当に企画段階だともっとおとなしい子として書くつもりだったのに、いざシリーズ構成を開始すると仁菜の反骨心が剥き出しになってしまってまったく言うことを聞いてくれず、ああいう尖った子になっちゃったそうです。あまりに企画段階から乖離したキャラクターになってしまったので制作サイドから「紹介文を書き直してくれ」と頼まれたが、花田十輝は「本編通りの紹介文にしたら誰も観ないよ!」と断って今でも偽装表示めいたキャラ紹介文が公式サイトに残ってしまっているという。ライブ感バリバリで好きなエピソードです。
ただ、花田十輝はもういい加減『ラブライブ!』の脚本を書くのがしんどくなっているのではないか、という気がするんですよね。『イキヅライブ!』で新境地を切り開くのだとしても、「過去のラブライブ作品と被らないように」「それでいてラブライブらしさが残るように」って考えながら書くのは窮屈なんじゃないでしょうか。新機軸を打ち出す以上、まったく新しいライターを外部から招くというのはありえない話ではない。さすがに虚淵玄とかはないでしょうけども。虚淵ラブライブ、メンバーに偽名の黒孩子が混じってそうだな……閑話休題、それこそ『It's MyGO!!!!!』や『Ave Mujica』のシリーズ構成を行った「綾奈ゆにこ」あたりは来ても不思議ではない。綾奈ゆにこはバンドリの1期目から一貫してアニメシリーズに関わっていたライターなのだが、どうもバンドリのプロジェクトからは外れたみたいなんですよね。過去にアイカツやアイマスの脚本も何話か手掛けているので「アイドル物」なら範疇内だろうし、予想の一つとして考慮に入れておこう。
とにかく気になるのは、「生きづらさ」を抱えているのであろう主人公ちゃんがどういう形でラブライブ!に向き合っていくのかだ。ただスクールアイドルという居場所を得るだけで満足するのか? 同じ部の面々と本音をぶつけ合って剥き出しの自分を受け入れてもらいたいのか? それともラブライブ!の大会でライバルとバチバチやり合う形でしか生の充実感を得られない狂犬だったりするのか? 結局、「大会としてのラブライブ!」をどういう扱いにするのか、ハッキリ決めないとどうにもならない気がするんですよね。虹ヶ咲みたいな「大会に出場しない」作品も既にあるわけだから、これも「大会としてのラブライブ!」をオミットしていくのかな。続報を心待ちにしている。
2025-01-24.・『BanG Dream! Ave Mujica』第4話のタイトルが「Acta est Fabula.」で思わずテンションが上がった焼津です、こんばんは。
直訳すると「芝居は終わった」、古代ローマで演劇終了時に俳優が述べる定型句めいた口上であり、これを合図に観客が拍手喝采して幕が降りる。感覚的には番組の最後に表示される「終」とか「おしまい」みたいなニュアンスの言葉です。ローマ帝国初代皇帝「アウグストゥス」が臨終の際に「Plaudite, acta est fabula(喝采せよ、芝居は終わった)」と言い遺した伝説があり、また真義は定かではないがベートーヴェンもこのセリフを意識して死の間際に「Plaudite, amici, comoedia finita est(拍手を、友よ、喜劇は終わった)」と囁いた、ってエピソードがある。要するに「遺言」としての性格が強い言葉です。『Dies irae 〜Acta est Fabula〜』とゲームのタイトルにもなっており、そちらの方では「Acta est fabula(未知の結末を見る)」と意訳されている。簡単に言うとラスボスの奥の手です。それまでに行われた内容のすべてを「芝居」として破棄し、未知の結末へ辿り着くために最初から全部やり直すという宇宙規模の卓袱台返し。味方がいなくて精神的に追い込まれた「若葉睦」も「自分を消す」ことで特大の卓袱台返しを発動させている。彼女の精神は奈落へと失墜し、新たな人格「モーティス」が浮上する。「死」の名を冠する自己愛・自己憐憫の化身――MyGOでは燈ちゃんが「自分はまるで羽根がなくて地面を転がっているダンゴムシのようだ」と感じていたし、冗談抜きで『俺たちに翼はない』との共通点が増えていくな。「人格」を指す英語「personality(パーソナリティ)」はラテン語で「仮面」を意味する「persona(ペルソナ)」が語源なので、「人形たちの仮面劇」というコンセプトの時点で「人格」に切り込んでいくサインは発されていたと言える。あと3話は純田まなの「ドーナツ半分こ」を形だけ真似した初華の「あらかじめ半分にしたドーナツを皿にたくさん並べる」シーンが地味に怖かった。
眠りに就いているだけで睦ちゃんの人格はまだ生きている、と明らかになるのが第4話の「Acta est Fabula.」。明るく快活にハキハキと喋ることでお茶の間の人気者となっていくモーティスだったが、ギターは「睦ちゃんだけのもの」なのでバンドメンバーとして演奏することができない。バンドリは1期目でプレッシャーに押し潰された香澄が歌えなくなっちゃうとか、まだ始めたばかりでろくに演奏できないメンバーがいる(MyGOの愛音もこれに該当するか)みたいなのはあったけど、ギャグ色の強いピコ含めても「人格が切り替わったせいで演奏能力が0になる」パターンはたぶん初めてじゃないかな。逆に演奏のときだけ人が変わったようになる六花とかはいたけど。バンドの主導権を睦(モーティス)に奪われ、このままAve Mujicaの世界観は形骸化していくのか……と不安になったところでようやく祥子は睦からの二人称が「祥子ちゃん」になっていることに違和感を覚える。睦ちゃんはセリフが少ないのでわかりにくいが、基本的に相手のことは呼び捨て。幼なじみの祥子は「祥(さき)」と呼んでいる。そこから睦のパーソナリティがおかしくなっていることに気づき、バンドメンバーが今後の方針を話し合っていく中で「もうこのバンドを続けるのは無理だ」という結論に至ります。
月村手毬のように子供のように駄々をこねるモーティスの言葉が過去に祥子やにゃむが発したセリフの谺に過ぎないというシーン、「本当に中身はからっぽな人形なんだな」と実感してゾッとしました。「ともに音楽を奏でる運命共同体」と口にしながら「ギター持ったことないから弾けない」って……反射神経だけで生きてらっしゃる? 継ぎ接ぎすぎて「死」というより「残響」だよこの人。いやしかし4話でバンド解散決定とかあまりにも早すぎる。ここからMyGOメンバーの介入も交えて再結成していく流れになる……はずなんだが、ホントに再生できんのかなコレ。中身からっぽとはいえ彼女なりにムジカを守るため頑張った末結局ムジカを壊してしまったモーティスの精神がヤバそうだし、祥子ちゃんはムジカがなくなったら初華のヒモになるか豊川家に戻って祖父の養子になるしかない状態だし……第5話のタイトルは「Facta fugis, facienda petis.」、「やったことから逃げて、やるべきことを求める」――過去の行いに責任を持たず逃げ出して「これからどうすればいいのか」と先のことだけを考えている、未来志向と言えば未来志向だけどどう見ても失敗を繰り返すとしか思えない副題であり、問題解決の道のりは遠そうだ。ちなみに「Facta fugis, facienda petis.」はオウィディウスの『ヘーローイデス』(「ヒロイン」という英語の語源になったギリシャ語「ヘーローイス」の複数形、日本語だと『名婦の書簡』や『名高き女たちの手紙』といった訳もある)の第七歌、カルタゴの女王「ディードー」からローマ建国の祖になった英雄「アエネーアース」へ宛てた手紙に出てくる一節。なお第2話の「Exitus acta probat.」も同じ『ヘーローイデス』の第二歌から来ている。アエネーアースはトロイアの武将だったが、例の木馬でトロイアが壊滅的な打撃を受けた際に家族や部下を連れて船に乗り脱出。あちこち彷徨ってカルタゴに辿り着き、現地を治めていた女王・ディードーと愛し合って一度は腰を落ち着かせようとしたが、なんやかんやで「ここは約束の地ではない」と判断して旅立つ。捨てられたディードーは儚くも自殺してしまう……という後味の悪いエピソードがローマ神話にあり(彼女の遺した呪いによって後世カルタゴとローマの間で戦争が起こった、ってな具合に繋がっていく)、去っていくアエネーアースに向けてディードーが「あなたは私と懇ろになったにも関わらずその責任を取らないで使命を追いかけていっちゃうような男なのね」と恨み言を手紙に綴っていた――という体裁の詩になっています。原典通りに解釈するなら「カルタゴ=Ave Mujicaを捨てて去っていく不誠実なメンバーへの非難」であり、捨てられた側は自殺したくなるほどの悲嘆を感じていることになる。更に拡大して解釈していくと「トロイア=CRYCHICから逃げ、カルタゴ=Ave Mujicaからも逃げ、今は約束の地を求めている」祥子を表していることになるけどさすがに穿ち過ぎかな。
アエネーアースの生涯はウェルギリエスの詩「アエネーイス」で描かれており、ディードーのもとを去った後も波瀾万丈である。「アエネーイス」をベースにした作品もいくつかあり、小説形式の『ラウィーニア』が読みやすいところかな。カルタゴから出発したアエネーアース一行はイタリア半島に到着し、現地を治めていた王「ラティーヌス」(「ラテン」の語源になった人)の娘「ラウィーニア」を娶り、妻にあやかって名付けた新天地「ラウィニウム」に都市国家を創り上げ、それがやがてローマ建国へと結びつく。このへんはギリシャ神話とローマ神話が混ざり合うため非常に複雑(ヘシオドスの「神統記」だとラティーヌスはオデュッセウスとキルケーの間に生まれた息子とされているが、これに準拠するとラティーヌスがトロイア戦争後に生まれたことになって時系列がメチャクチャになる)であり、ル=グウィンもかなり苦労して書いたみたいだが、ラウィーニアという「アエネーイス」に出てくるけれど詳細は不明な女性を主人公にすることでうまく想像力の翼をはばたかせています。しかし改めて振り返るとアエネーアース、クレウーサ(最初の妻、トロイア脱出時に夫とはぐれて死亡)/ディードー/ラウィーニアと3人もの女性を己の運命に巻き込んできたんだな。それに対して豊川祥子は若葉睦/長崎そよ/高松燈/三角初華と4人もの女性を己の運命に巻き込んで狂わせてきたんだからアエネーアース超えてない?
・「少女型兵器(アルマちゃん)は家族になりたい」TVアニメ化、スタッフも発表(コミックナタリー)
好きな漫画だけど、もう完結してる作品なんでビックリした。調べてみると去年の時点でセカンドシーズン『アルマちゃんは家族になりたいZ』の告知が出てるわ……気づかなかった。作者のポストによると「3巻の売り上げ好調、掲載時の反応も良好」とのことで継続が決まったらしい。アニメ化の打診があったのも同じ頃なんだろうか。作者の「ななてる」は同人出身の漫画家で、昔は「天城七輝(てんじょう・ななき)」の名義で活動していましたが、あだ名として「ななてる」と呼ばれ続けた結果2010年頃にPNを変更しました。天城七輝時代に「ハッピーホームベーカリー」という作品が“まんがタイムきらら”に掲載されたらしいが、書籍化されていないため私は読んだことはありません。ななてる名義になった後は商業だとワールドウィッチーズのコミカライズを手掛けています。同人サークル名は「蓮根庵」で、『アビーと北斎』シリーズみたいにほのぼのした作品がある一方、ブラックな労働環境に心がすり減っていく『まじめな鹿島さん』みたいなのもある。また、おにまいの「ねことうふ」と並ぶお漏らし・おしっ娘好きの作家としてごく一部で有名。『艦もれ』『ハッピー★シャワー りみっとぶれいく』『SHOW BEN ROCK!!』『ツレション SIDE:RED&BLUE』『キミの聖水に乾杯!』『100%エリチャン聖水戦争』『湿潤付与』など「いや尿ネタだけで何冊描いてるんだよ!」とツッコミを入れたくなるレベルだ。
『少女型兵器(アルマちゃん)は家族になりたい』はもともと作者がピクシブとかツイッターとかニコニコ静画で公開していた「天才科学者たちが最高のロボットをつくった漫画」というタイトルの漫画を商業連載化したものです。ロボット工学技術を極めた女性科学者「夜羽スズメ」と人工知能のエンジニア「神里エンジ」がタッグを組んで制作した少女型兵器「アルマ」――彼女はスズメを「おかあさん」、エンジを「おとうさん」と定義した。お互いを罵り合っているスズメとエンジだったが、双方とも相手を異性としてバリバリに意識しており、「あ、あくまで利害が一致しているだけだから!」と言い張りながらも家族を演じることに……という、素直になれない二人をアルマちゃんが見守る「子は鎹」なコメディです。「もう結婚しろよ」という感じですが、新作の方でもまだ結婚していないみたいだ。少しずつ情緒が育っていくアルマちゃんの姿が可愛く、たった3冊で終わってしまったのは無念だったけど、まさか知らないうちに再開していてアニメ化まで決まったとは……青天の霹靂だわ。ちなみに連載開始前に描いていた旧バージョンも同人誌として一冊にまとめている(『天才科学者たちが最高のロボットをつくった漫画』)が、紙版はさすがに現在だと入手しづらいかな。電子版はBOOTHで購入可能です。
アニメーション制作を担当するのは「スタジオフラッド」。知らないからぐぐってみたけど、2013年に設立されたやや新しめの会社で、『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』とか『4人はそれぞれウソをつく』を手掛けたところ。監督の「南康宏」はガンダムや勇者シリーズ、銀魂、ダイミダラーなどいろんなアニメの演出としてクレジットされているけど、これが初監督作品か? 「監督」と「演出」の違いは現場における権限の差らしいけど、詳しいことはよくわからん。シリーズ構成の「菅原雪絵」はラノベ原作アニメや漫画原作アニメのシリーズ構成とか脚本をちょくちょくやってるライターで、代表作はオバロあたりかしら。キャラクターデザインの「山本美佳」は作画監督であれこれやってる感じですね。うーん、なんというか、スタジオ名やスタッフ名だけだとリアクションが取りづらいな……期待していいのかどうか判断に迷う。とりあえずセカンドシーズンの『アルマちゃんは家族になりたいZ』を読みながら気長に待つか。
・あざの耕平の『東京レイヴンズ17 REsiSTANCE』、3月19日発売予定。約6年半ぶりの新刊。
書いてるとは聞いていたけど、本当に出るとは……かつてアニメ化されたこともある作品ですが2期は来ず、16巻が発売された後に展開が止まってしまったので「このままフェードアウトかなぁ」と寂しくなりかけていました。タイトルからはわかりにくいが和風伝奇バトルで、「ヒロインが男装して学校に通っている」という一部の“癖”にブッ刺さる設定となっています。「あざの耕平」は「少年少女が薬物をキメて戦う」というアニメ化しづらい内容のシリーズでブレイクした作家であり、その次に展開した『BLACK BLOOD BROTHERS』で初アニメ化も果たした。アニメ放送してたのは2006年だからもう20年近く前か……えっ、そんなに経つ? 嘘でしょ? 一昨年にコードギアスのスピンオフ小説を出したくらいでここ数年は目立つ仕事してなかったけど、ようやくこれで本格復帰してくれるのかな。とにかく続報を待たねば。
・「チャンピオンクロス」や「ヤンチャンWeb」というサイトをご存知でしょうか。
秋田書店の運営する漫画配信サイトで、チャンピオンクロスの方は以前「マンガクロス」と称していました。どちらもブラウザのみの配信で専用アプリがないためやや使いにくい面もあるけれど、刃牙シリーズがほぼ全話読めるなどチャンピオン好きにはたまらないサイトである。ピッコマが広めた「待てば無料」方式で、1日に1話は読めるというのが基本なのですが、条件を満たせば貰える「無料チケット」や課金することで得られる「コイン」を使って読み進めることができます。で、何が言いたいのかと申しますと、無料チケットは登録したての頃だといろいろ読みたい作品が多くて「足りない!」「気づけばなくなっている!」ってアイテムなのですが、ある程度時間が経つとだんだん余ってくるんですよね。有効期限はそこそこ長めだし、ヤンチャンWebとも共用なので使える作品は割と多いんですけど、チケット自体はクロスとヤンチャンWebで別個に配っているから余計に貯まりやすい。失効しちゃうのももったいないし、何かイイ感じにチケット消費できる作品ないかな〜と探すことになるわけです。
そんな流れで読み出したのが『異世界NTR〜親友のオンナを最強スキルで堕とす方法〜』、普段ならタイトル見ただけでパスしちゃうような漫画だが、「ちょっとエロい漫画を読みたい気分だしちょうどいいかな」と手を伸ばしてみた。原作は「五里蘭堂(ごり・らんどう)」という人がノクターン(18禁なろう)に連載している小説「異世界NTR〜仲間にバレずにハーレムを〜」で、だいぶ前だけどファミ通文庫から書籍版が発売されている。売れなかったのか2冊目は出ていない。原作も書籍版が出た翌年に更新が止まっているが、コミカライズの方は好調というなろうでもたまに見かけるパターンです。
タイトルに書いてある通り異世界モノで、分類上は「異世界召喚」に当たる。「魔王」を倒すために現代日本から喚ばれた「転移者(プレイヤー)」たち。魔王は複数名いて、一人の魔王を倒すたびに「あらゆる願いを叶える権利」が与えられ、元の世界に戻ることもできる(帰還できるのは願った本人のみ、「転移者全員を元の世界に戻してほしい」とかは不可だ)し、この世界に留まってチーレムを築くこともできる。ドラゴンボールのように死者を生き返らせることすら可能だ。ただし、魔王の数は転移者よりも少ない……つまり限られたパイを奪い合うゲームになっているんです。主人公「桐谷ナオト」はNTR(寝取られ)漫画に出てくるようなチャラ男で、一見すると友人の彼女を奪ってニヤニヤ笑っているような品性下劣野郎に映るが、実は親友の「木下ケンジ」を「元の世界に帰してやりたい」と願っている感情激重男なのである。
親友といっても元の世界において面識はなく、異世界で逢ったばかり。召喚直後に命を救われたことで恩義を感じており、「危険を顧みず他人の力になろうとする」彼の善性を眩しいと感じている。それだけにケンジを利用しようとする連中に対しては熾烈な怒りを抱いており、ケンジにすり寄るオンナどもを犯して快楽堕ちさせることで排除していく。本質としては「女好き」とか「ヤリチン」ではなくて「ヤンホモ」なんですよね。ケンジを曇らせないためにあらゆる汚れ仕事を引き受けてやろう、と覚悟をキメまくっている。詳細は省くがナオトはセックスすることで強くなるチートスキルがあり、欲望の捌け口として女を抱くこともあるが原則として「強くなるため(ケンジを護るため)」股間のエクスカリバーを振るうのだ。セックスそのものは好きなのに「女は全て例外なく嘘をつく」「俺はクズ野郎だから利用するのもされるのも慣れてる」「だがケンジは違う(中略)あいつを騙して利益を得てほくそ笑むような奴の存在を 俺は許さない」と独白するナオト、あくまでケンジに「お人好しの純粋なバカ」でいて欲しいだけであって直接ケンジに対して性欲を向けているわけではないし、ケンジが異性と付き合って童貞を捨てるのも別に構わないと感じているが、「相応しい相手かどうか見極めねば」とナチュラルに過保護思考を働かせているモンペ型の粘着男なんです。まるでケンジの意思を尊重しているかのような口ぶりだが、お人好しのケンジが異世界の女性と付き合ったら情が移って「元の世界へ戻るのをやめる」ことは絶対確実であり、「ケンジを元の世界に帰してあげる」というナオトの願いとコンフリクトすることになる。だから結局「誰とも付き合うことを許さない」ことになってしまう。「毒親化するヤンホモ」っつー「これなら品性下劣野郎の方がまだマシだったな……」ってな主人公が絶妙に気持ち悪くて素晴らしい。いろいろあってケンジとの仲が破綻したところで第一部が終わり、第二部はほとんどケンジ絡みのエピソードがないものの、第三部でふたたびケンジと向き合うことを決意する。原作は第三部の途中で止まっているが、漫画版は「その先」を描くのであろうか。『異世界NTR〜親友のオンナを最強スキルで堕とす方法〜』というタイトルに騙されず一度読んでみてほしいです。エロ目当てで読み始めたはずなのに、気づけば野郎のことばかり語ってしまうという未曽有の体験をしてしまった。
2025-01-15.・『BanG Dream! Ave Mujica』、先行上映視聴組の口ぶりからしてキツい展開になることは予想していたけど、覚悟していてもおなかが痛くなる内容だな……とポンポンを抱えている焼津です、こんばんは。
第2話「Exitus acta probat.」(ラテン語、「結果が行為を証明する」。なんか『Dies irae 〜Acta est Fabula〜』でラテン語の格言を調べまくっていた頃を思い出して懐かしくなっちゃうな)は仮面オフして顔バレしたAve Mujicaのメンバーが周囲から騒がれる回。案の定、睦ちゃんが一番追い込まれている。学校ではそよに詰め寄られ、バンドメンバーはみんな自分のことで忙しく、両親にも悩みを相談できる雰囲気ではない。普段から習い事漬けでろくな自由時間もなく、「居場所」と感じられるところが自宅のスタジオの片隅しかない。生放送中に「長くは続かない」とポロリ失言してしまったのも、単に祥子の発言を引用しただけってのもあるだろうが「このままだと私は壊れてしまう」というSOSでもあったんだろうな……でも誰一人として睦ちゃんに寄り添ってくれる人はいなかった。いなかったんだよ、ロック。憔悴した末に糸が切れた人形みたいに椅子へ座り込んでしまう睦ちゃん。放心してなお人形のように美しい、という壮絶な皮肉。第3話「Quid faciam?」(どうしたらいいの?)はもっとキツい内容になるらしいが、恐ろしいのは関係者が「4話は更にすごいことになる」と仄めかしていることだな……どこまで昇るんだこのジェットコースター。
・「岸辺露伴は動かない」シリーズ1作目「懺悔室」が映画化 全編ヴェネツィアでロケ敢行(コミックナタリー)
「懺悔室」は一番最初に描かれた岸辺露伴主人公作品で、調べてみると1997年に読切として発表されている。この時点でシリーズ化は決まっていなかったみたいだが、『岸辺露伴は動かない』というタイトル自体は既に付いていた。単行本の目次を見ればわかりますが『岸辺露伴は動かない』のエピソード掲載順はバラバラで、「懺悔室」はエピソード16、時系列的にはだいぶ後の話です。ちなみに現時点でエピソード01と03、12〜15は欠番となっており、映画化もされた『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』や「岸辺露伴 グッチへ行く」といった番外編、複数の小説家によって書かれた短編小説の数々はナンバリングされていません。あまり時系列を気にしなくても大丈夫なシリーズなので、熱烈なファン以外はエピソード順に関しては軽く流していいと思います。
以前制作されたOVAで一度映像化されていますが、舞台がヴェネツィアということもあって実写で撮影するのは難しく、ドラマ化はされませんでした。ドラマや映画がヒットしたおかげで「全編ヴェネツィアロケ」を敢行することができるようになったの、ファンとしては普通に嬉しい事態である。岸辺露伴が取材旅行でイタリアにいた頃、誰もいない教会で懺悔室を見かけ興味本位で告解してみようと部屋に入ったところ、間違って神父のブースに入ってしまい、謎の人物の「懺悔」を聞くことに……という話です。「自分は神父じゃない」と明かして部屋を出ればそれで終わるエピソードだったのですが、岸辺露伴はあんな性格なのでつい好奇心に負け、「懺悔」に耳を傾けることになります。そう、このエピソードは「岸辺露伴がただ何者かの懺悔を聞くだけ」で、ほとんどのページは懺悔パートに費やされている。懺悔室に入ったのも深い意図があったわけじゃないし、露伴が強い意志に基づいて主体的に行動するような部分はないんです。そこから『岸辺露伴は動かない』というタイトルも来ている。原作は50ページもない程度のボリュームだからそのまま映画化すると尺が余って仕方ないだろうし、日本からイタリアに行くまでの経緯説明パートと、ヴェネツィア観光パートを盛り込んで、懺悔室に入るまでの時間を稼ぎまくるんだろうな。「脚本の小林靖子によって映画オリジナルのエピソードが追加されている」とのことで、「ただ懺悔を聞くだけ」じゃなくなっているかもしれません。原作通りにやると「ヘブンズ・ドアー」すら発動しないで終わるから……ネットでは「懺悔室を訪れる人の数が増える」「懺悔室が異空間化する」みたいな予想もあって面白い。
原作の「懺悔室」は全編ジャンプ+で公開されているので、読んだことない方や「読んだことはあるけど内容忘れちゃった」という方はチェックしてみてください。「え? これを映画にするの? マジで?」と驚くこと請け合いです。
・「Ghost of Tsushima: Legends/冥人奇譚」アニメ化 スタッフに水野貴信、虚淵玄(コミックナタリー)
『ゴースト・オブ・ツシマ』アニメ化の報そのものには驚かなかったけど、シリーズ構成が虚淵玄とな。「シリーズ構成」というのは「1話目でこういう展開をやって、2話目〜6話目まで〇〇編をやって、最終話で××を片づけて……」というふうにストーリー全体の枠組みを決める役職です。だいたいの場合は脚本も手掛けるのですが、ケースによってはシリーズ構成だけして終わるパターンもある。最初にシリーズ構成が出来上がっていないと脚本家は各話のシナリオに着手することができないし、構成からはみ出すようなシナリオを書くわけにはいかない、という制約も課せられる。そういう意味では脚本家という仕事はシリーズ構成や監督から与えられた大喜利に必死で応えること、と言えなくもない。虚淵玄も昔インタビューで「脚本の役割は御用聞きの丁稚みたいなもの」と語っていました。
『ゴースト・オブ・ツシマ』は2020年に発売されたコンシューマ向けゲームで、いわゆる「元寇」をテーマにしています。タイトル通り対馬が主な舞台なのですが、見映えやゲーム上の面白さを重視して「現実の対馬とは異なる地理や風景」になっているところもある。本編は「境井仁」という対馬の武士が主人公だけど、今回アニメ化される「LEGENDS 冥人奇譚」は発売後に追加されたマルチプレイモードで、プレイヤーは冥府から蘇りし武人「冥人(くろうど)」となって蒙古軍や人外の存在と戦う。冥人には「役目」と呼ばれる戦闘のタイプが4つあり、あくまで予想だがアニメでは「別々の『役目』を持った4名の冥人がチームを組んで戦う」ような話になるのではないかと思われます。あくまで現実に即した内容でファンタジー要素の薄かった本編と違い、冥人奇譚は「蒙古軍が対馬に封印されていた悪鬼妖魔・魑魅魍魎を解き放ってしまった」という伝奇色の強い内容になっており、同じ『ゴースト・オブ・ツシマ』でもだいぶ雰囲気が異なる。扱いとしては劇中劇で、琵琶法師が境井仁の活躍を脚色しまくった結果トンデモない魔改造奇譚に……といった感じらしい。私は『ゴースト・オブ・ツシマ』、ちょっとだけやって投げ出しているのでぶっちゃけ冥人奇譚の方はまったく知らないんですよね。一応ベースとなるストーリーは用意されているものの、だいぶオリジナル色の強い代物になりそうです。本編の方は映画化が決定しているが、進捗がどうなってるのかよくわからん。
なお「元寇」という題材繋がりでアニメにもなった『アンゴルモア 元寇合戦記』を思い出した人もおられるでしょうが、『博多編』はまだ連載が続いています。「文永の役」(一度目の元寇、『ゴースト・オブ・ツシマ』が描いているのもコレ)が終わって今は「弘安の役」(二度目の元寇)をやっているところ。主人公の「朽井迅三郎」も既に子持ちとなっており、時間の流れにしみじみしちゃう。
・KADOKAWAのライトノベル文芸誌「ドラゴンマガジン」、2025年5月号(2025年3月発売)をもって休刊。創刊35周年を超えて遂にその役割を終える。
ドラマガがなくなるのか……ザスニこと「ザ・スニーカー」が2011年に休刊、「電撃文庫MAGAZINE」も2020年に休刊しており、これで「ライトノベル文芸誌」に分類される紙媒体雑誌は完全に消滅しました。なお、今でこそ「ライトノベル文芸誌」というジャンルで括られているが、初期のドラマガはライトノベル(そもそもこの名称は当時一般的ではなかった)もコンテンツの一つに過ぎず、何なら表紙もイラストじゃなくて「コスプレした浅香唯」だったくらい混沌としていました。そのへんの詳しいことは『ライトノベル史入門 『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち』という本で言及されているので興味のある方は読んでみてください。結構行き当たりばったりだったんだな……と遠い目をすること請け合いです。
私は雑誌をあまり買わない方だったのでドラマガもそんなに読んでいないのですが、スレイヤーズやオーフェン、フルメタル・パニックなどがドラマガで番外編的な短編シリーズを展開していたことは誰もが知る話であり、存在自体は意識していました。最近もフルメタル・パニックの新シリーズ『Family』の連載で話題になっていましたね。ただ、なろうやカクヨムなどの投稿サイトが定着化してきたこともあり、「ライトノベル文芸誌」なるものにピンと来ない読者も増えてきたのであろう。そもそも、今の若者は「雑誌」自体だいぶ馴染みがないモノになってきていると思われます。コンビニへの雑誌配送も今年からだいぶ縮小されるって話ですし。雑誌市場の縮小はインターネットの普及、特に動画サイトが一般化したことで「Youtubeとかで詳しい情報探せばいいじゃん」ってなっちゃったことが大きいんだろうな。時代の流れだ。
・『D.C. 〜ダ・カーポ〜』のフルリメイク作品『D.C. Re:tune 〜ダ・カーポ〜 リチューン』発表。新キャストとして「朝倉音夢」役を本渡楓さんが、「芳乃さくら」役を千春さんが、「白河ことり」役を市ノ瀬加那さんがそれぞれ務める。新ヒロイン「風祈」役は遠野ひかるさん(電ファミニコゲーマー)
「曲芸商法」と揶揄されることも多かったエロゲブランド「CIRCUS(サーカス)」の代表作『D.C. 〜ダ・カーポ〜』が令和の世にフルリメイクされるとな。大量の続編や派生タイトルがあってひと口には説明しづらい『D.C. 〜ダ・カーポ〜』だが、今回リメイクされるのは俗に「初代」や「無印」と呼ばれる2002年6月28日に発売されたソフトです。余談だが2002年6月28日は最近リメイク版が出た「それ散る」こと『それは舞い散る桜のように』の発売日でもある。さておき、初代ダ・カーポは発売翌年の2003年にアニメ化されており、そちらの方が記憶に残っている人も多いんじゃないでしょうか。「枯れない桜」が咲く架空の島「初音島」を舞台にしたファンタジー系の学園ストーリーであり、今回のリメイクではCGも声優も全面的に刷新される。レーティングに関しては広報されていないが、声優が表名義で出演するということは十中八九全年齢向けだろう。シナリオが変わるかどうかは不明だが、新キャラが追加されているくらいなので恐らくだいぶ手を入れることになるのではないかな、と。
リメイク前は「七尾奈留」がキャラデザを担当していましたが、リチューンでは「たにはらなつき」と「鷹乃ゆき」が担当。ふたりとも『D.C. 〜ダ・カーポ〜』の続編や派生タイトルを手掛けている原画家ではあるけど、七尾奈留の帰還を期待していた古参勢はガッカリするところかもしれない。
ヒロインのCVは「朝倉音夢」が「本渡楓」、「芳乃さくら」が「千春」、「白河ことり」が「市ノ瀬加那」、新キャラの「風祈(ふうき)」は「遠野ひかる」となります。音夢は初代だと「鳥居花音」がCV演っていましたが、ここ20年くらいはもう名前を見かけなくなったな……恐らく引退したものと思われる。本渡楓は最近だと『月姫』リメイクのシエル先輩を演った声優で、アニメだと100カノの羽香里あたりが有名かな。
さくらは初代だと「北都南」、いっとき狂った量のソフトに出演していた声優でしたが、最近はさすがに本数が減ってきている。それでも現役ですので、「全面リニューアルが制作側の意向なんだろうな」と察してしまう。ちなみにアニメ版のCVは「田村ゆかり」でした。リチューンの千春という声優はよく知らないので検索してみたが、以前は「帆風千春」名義で活動していて「22/7」というグループから脱退したのを機に現在の「千春」名義へ変更したらしい。バンドリの「戸山香澄」役を務める「愛美」の妹だとか。出演歴も見たけど正直ピンと来ないな……FGOの「シルビア」(カルデアの職員)は絵を見ると「ああ、あの子か」となるけど、アニメにおける声のイメージはあんまないです。
ことり役の市ノ瀬加那は「『水星の魔女』のスレッタ」で通じるはず。最近もFGOでビショーネ役として実装されました。『月姫』リメイクの翡翠役でもある。まだ発売されていないがリメイク版『To Heart』のあかり役も決まっており、もはや「リメイク請負声優」の風格が漂う。初代のことり役は「日向裕羅」でしたが、ここ10年くらいは名前を見てないですね……アニメ版は「堀江由衣」。マルチもことりもリメイク版ではほっちゃんじゃないの、ファンは頭がバグるだろうな。
新キャラを演じる遠野ひかるは最近だとマケインこと『負けヒロインが多すぎる!』、渾身の「う゛わ゛き゛た゛よ゛っ゛!」が話題になった「八奈見杏菜」役として有名。『ウマ娘』の「マチカネタンホイザ」(えい、えい、むん!)で印象に残っている人も多いかも。既にサ終したけど、スタリラの夢大路栞こそが個人的に「遠野ひかるの名前を見て真っ先に思い出す役」である。「姉と舞台で共演する」という夢を叶えるため、道を阻むものはすべて轢き潰して轍に変える「戦車」の役を熱演したりした。本人も「かわいい見た目に反してつよつよな新境地の役どころ、ヒャッハーで頑張っております」と語っている。レビュー曲「命尽きても尽き果てず」は今聴いてもカッコいい。
『水夏』まではハマっていたけど、ぶっちゃけ『D.C. 〜ダ・カーポ〜』以降に関してはそんなに思い入れがなく、新展開を目にするたび「またやってんなー」というテンションで眺めていましたが、タイミング的に『To Heart』のリメイクと重なったこともあって「懐かしい」という気持ちが溢れてしまいました。声優の布陣からすると東鳩もダカポもリメイク版のアニメ化を狙っているのかな〜、と邪推したりしています。
・今村昌弘の『兇人邸の殺人』を読んだ。
“剣崎比留子”シリーズ第3弾にして現時点における最新作。前作『魔眼の匣の殺人』でちょびっとだけ触れられた「O県I郡の大量殺人」に関連する事件が発生し、いつもの如く比留子と葉村が現場に居合わせる。今回のテーマは「超人」。超能力を研究する「魔眼の匣」と違い、単純にフィジカルの強靭な人間を作り出そうとした研究の成れの果てが立ち現れる。事件はこれ一冊で完結しており、単独で読める構成にはなっていますが『屍人荘の殺人』や『魔眼の匣の殺人』とリンクする箇所も増えてきたのでやっぱり“剣崎比留子”シリーズはスピンオフの『明智恭介の奔走』を別として刊行順に読んだ方がいい感じです。
兇人邸にまつわる噂――「そこ」に入った者は、二度と出てこられない。潰れたテーマパーク「馬越ヨーロッパ王国」を買い取り、「廃墟風の遊園地」として売り出しているH県馬越市の「馬越ドリームシティ」の中に建つ屋敷には、かつて「班目機関」に所属していた研究者「不木玄助」が住み着いていた。「廃墟風」がウリということで様々な怪しい噂が囁かれている馬越ドリームシティにおいて「兇人邸」などネットロアの一つに過ぎない……と世間では左様な扱いを受けているが、実際に関係者が何人も行方不明になっており不木玄助が違法な研究を続けていることはほぼ確定的だった。研究成果を奪取すべく動き出した男「成島」および彼が金で雇った傭兵チームに同行し、兇人邸の内部に侵入した比留子と葉村。班目機関の消息を掴む新たな手掛かりが見つかることを期待した矢先、邸内に目を疑うような巨大な化物が出現して傭兵チームのメンバーを次々と惨殺していく。あれが不木の研究していた「超人」なのか? 鍵を持ったメンバーの死体が化物のテリトリーに取り残されたため兇人邸からの脱出が困難になった一行。更に、化物とは別口の殺人者まで出現して状況は混沌としていく……。
ジェイソンとかレザーフェイスとかブギーマンみたいな、ホラー映画に出てくる「不死身の殺人鬼」が暴れ回る中、ドサクサに紛れて犯行に及ぶ「謎の殺人者」が暗躍する。「スラッシャーをやりながら人狼ゲームをやる」という非常に慌ただしいシチュエーションを描いています。ただし、実のところ「謎の殺人者」の方はあまり脅威ではないのですよ。狙われるのは兇人邸の関係者だけなので、たぶん怨恨目的か何かなのだろうが、追い詰めないかぎり成島や比留子や傭兵チームの方にその切っ先が向くことはない……と予想される。なので傭兵チームの面々も殺人者の影を見出しながら「あえて無視する」という対応を取る。彼らにとって喫緊の問題は「不死身の殺人鬼」であり、うまく対処しなければ無惨な死を遂げるだけ。いつもは快刀乱麻の推理力を発揮する比留子も「――ここでは探偵は無力なんだ」と諦めのような言葉を漏らす。たとえホームズばりのバリツが使えたとしてもジェイソンみてぇな怪力無双には通用しないだろうからな……。
解決編はエキサイティングするものの道中動きが少なくてややかったるかった『魔眼の匣の殺人』とは違って最初から最後まで目まぐるしく状況が動き続ける本書は退屈する暇もなく、そういう意味では『屍人荘の殺人』みたいな興奮が戻ってきたと言えます。その気になれば強引に兇人邸から脱出できないこともないけど、そうすると「不死身の殺人鬼」を園内に解き放ってしまうため大惨劇を巻き起こしかねない。傭兵とはいえ一定のモラルがあり、「兇人邸から脱出すること」と「無用な犠牲者を出さないこと」を両立させようと奮闘します。謎解き要素もあるけど脱出ゲー的なアクション要素が強く、『屍人荘の殺人』以上にミステリ<スリラーな話だ。正直、「謎の殺人者」が用いるトリックや動機面の作り込みがやや弱く、本格好きにとっては物足りなさが残るかもしれない。一方で屋敷の構造を頭に叩き込んで読むと「不死身の殺人鬼」の動きやそれに対処しようとする傭兵チームの考えがよくわかり、滅法面白い。『嘘喰い』の廃ビル編や迷宮編を彷彿とします。ただ、「不死身の殺人鬼」が強すぎて戦いが成立しないレベルなのでバトル面を期待するとガッカリかも。「行動を予測し、隙をついて殺人鬼のテリトリーを移動する」あたりの駆け引きが妙味として機能します。
「探偵は無力」と痛感する状況に直面したからか比留子の心境にも変化が生じ、「怪事件を引き寄せる体質のせいで生き延びるために推理力を磨くしかなく、決してホームズみたいな名探偵になりたいわけではなかった」彼女も「ホームズを目指してもいいかもしれない」と前向きになっています。『屍人荘の殺人』では「キャラが弱い」と感じた比留子だけど、ようやく名探偵としての風格が整ってきたかな。ラストでは過去の事件の生存者が顔を出して比留子たちのみならず読者まで驚かせる。いや、マジで過去作読んでないと「……誰?」ですよ、あのエンド。第4弾の内容が気になるけど、未だに刊行予定が未定なんだよなぁ……どれも手が込んでいるし、文章も丁寧で「時間が掛かるのはしょうがない」と頷く出来なんですが、それはそれとして早く続きが読みたい。ノンシリーズ作品の『でぃすぺる』があるからひとまずそっちを読もうかな。
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