2025年3月〜
2025-04-30.・『アイカツ!×プリパラ THE MOVIE ‐出会いのキセキ!‐』公開のお知らせに仰天している焼津です、こんばんは。
まるでボブ・リー・スワガーとジャック・リーチャーの共演する映画が撮られるような衝撃ですよ……『アイカツ!』も『プリパラ』も女児向けコンテンツで、ハッキリ言って競合相手だったのでこういうコラボは妄想こそすれ「実際の企画」として考えた人はほとんどいなかったでしょう。かつてセガが『オシャレ魔女 ラブandベリー』で切り開いた「女児向けアーケードゲーム」なる分野において、「ポスト・ラブベリ」となるべく鎬を削ったライバル同士が手を組む……もうこの時点でドラマを感じてしまいます。『アイカツ!』は「バンダイ」のアーケードゲームを中心に据えたプロジェクトで、2012年にアニメ放送を開始し、何度かタイトルを変えながら番組を継続していましたが2021年の『アイカツプラネット!』を最後にTVアニメとしての展開を終了。現在は『アイカツアカデミー!』という配信主体のプロジェクトをYoutubeで展開しています。他方、『プリパラ』は「タカラトミー」のアーケードゲームを基幹とするプロジェクトなのですが、『アイカツ!』がプロジェクト全体を指す用語であるのに対し『プリパラ』は「プロジェクトの一部」を指す用語で、若干ニュアンスは異なる。
なるべく手短に書きますが、タカラトミーが女児向けのコンテンツとして立ち上げたプロジェクト名は「プリティーリズム」、略して「プリズム」、全体を通して指す場合は「プリティーシリーズ」と言われることが多い。当時人気のあった「安藤美姫」や「浅田真央」をイメージして、モチーフの一つに「フィギュアスケート」を取り込んでいる。2010年にゲームをスタートさせ、翌年2011年に初のアニメ作品『プリティーリズム・オーロラドリーム』(AD)を放送開始。1年(4クール)放送した後で続編に当たる『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』(DMF)へバトンタッチしましたが、このDMFを放送していた時期に『アイカツ!』無印の1期目が始まってぶつかり合う形となりました。結果、女児人気はアイカツ側に軍配が上がり、プリズムサイドは戦略の練り直しを迫られる。ADとDMFは同じ世界を舞台にして一部のキャラクターを引き継いでいたが、今度は設定を変えてキャストも一新しよう……と、気合を入れて仕切り直したのが3作目『プリティーリズム・レインボーライブ』(2013〜2014年)。作品自体の評価は高く、未だに派生タイトルの展開が続いているくらいであるが、当時のアイカツ人気はとにかく化物じみていた(ピーク時の売上は年間140億、瞬間的にはプリキュアをも凌駕した)ため歯が立たず、更なる戦略の練り直しが必要になりました。
そうして現れたのが『プリパラ』(2014〜2017年)です。「そもそも『プリティーリズム』じゃ長すぎて女の子に親しみを持ってもらえない」と、タイトルを大胆に四文字へ省略。また、シリーズの特徴だった「フィギュアスケートみたいなジャンプ」という要素も削除。「コーデとダンスと歌唱」の3つを主体にしたアイドル物になっていく。露骨にアイカツを意識した施策である。ターゲット層も小学校高学年くらいの女子から低学年くらいの女子まで引き下げ、「ドラマティック」だったストーリーを「コミカル」な路線へ変更した。これが見事に当たって、アイカツとプリズム(プリパラ)の人気は逆転します。厳密に書くと、プリパラでさえも「全盛期(2013年頃)のアイカツ人気」には及ばないのだが、プリパラやってた頃のアイカツは後述する理由で人気に翳りが出ていたため大きく差がついてしまった。『プリパラ』は続編の『アイドルタイムプリパラ』も含めると2018年まで放送を続け、『キラッとプリ☆チャン』へバトンを渡して主な展開を終了します。2020年代にスマホアプリと連動して『アイドルランドプリパラ』というWebアニメも配信しており、これも含めると全体で200話を超える。なおプリティーシリーズ自体は今も『ひみつのアイプリ』という作品が日曜の朝に放送されています。プリパラに比べると地味に映るかもしれないが、アーケードゲームの売上は「プリパラの記録を塗り替えて過去最高になった」と公式発表されているぐらいでかなり好調、アニメも2年目に突入した。アイカツがもうアニメもゲームもやってないから女児人気が一極集中した――という面もあるだろうが、アイプリの前にやっていたプリマジ(『ワッチャプリマジ!』)はコロナ禍の影響もあって売上不振で「プリティーシリーズそのものが終わるんじゃないか」と心配されたぐらいだから割と奇跡の復活劇だったりする。
プリティーシリーズが何度か設定変更しているように、アイカツのアニメも何度か仕切り直しをやっています。2016年に始まった『アイカツスターズ!』はそれまでのアイカツの内容を引き継がず、基本的に独立した作品として成立している(「基本的に」と書いたのはコラボみたいな形で「以前のアイカツ」と繋がることもあるから)。逆に言うと、無印のアイカツは2012年から2016年まで、3年半に渡って「同じ世界の話」をやり続けていたんです。実はTVアニメとして展開していた期間の長さでいうと『アイカツ!』(無印)と『プリパラ』(『アイドルタイムプリパラ』含む)は同じくらいなのだ。無印アイカツは「星宮いちご」という少女が主人公で、彼女がアイドル養成所である「スターライト学園」の中等部に入るところから物語が始まる。その後、仲間やライバルと切磋琢磨してどんどん成長&進級し、後輩に当たるキャラも登場するようになります。そして後輩キャラの一人、「大空あかり」が今回の『アイカツ!×プリパラ THE MOVIE』でメインを張る。
あかりちゃんは当初「いちごちゃんに憧れる女の子」という役どころで、髪型もいちごちゃんそっくりでした。しかし「自分なりのアイドル」を目指すようになり、オリジナリティを打ち立てていき、アニメは徐々にあかりちゃんを軸に進むようになる。3年目に入り、無印アイカツは正式に主人公をいちごちゃんからあかりちゃんへ変更。アバンで「私の熱いアイドル活動、『アイカツ!』始まります」と宣言する役もいちごちゃんからあかりちゃんになった。プリパラが放送していたのはちょうどこの「アイカツの主役交代」が行われていた時期なんです。「いちごちゃんが主役じゃなくなった」ことでメインの女児層が離れていき、アイカツ人気にブレーキが掛かり始めた。この頃にプリパラが大きく伸長したわけです。「女児市場のシェアを奪われた」アイカツ製作サイドにおいて「プリパラ」は禁句となり、「コラボなど夢のまた夢」な状況となっていきます。
しかし、もはやアイカツもゲームやアニメの展開を終了し、Youtubeにチャンネルを残すのみとなった。競合相手であったプリティーシリーズを敵視する必要もなくなり、かくしてコラボが可能になったのである。大空あかりや真中らぁらに再び会える! という事態に心沸き立つ人も多いだろう。けど、こんな想いもチラッとよぎるかもしれない。「ここに星宮いちごもいればな……」と。先述した通り、プリパラが放送していた期間の主人公はあかりちゃんなので、キャスティングとしては自然です。ただ、一度きりのコラボ映画というなら「らぁらとガッツリ共演するいちごちゃんが観たかったな……」って感情も無視することはできない。たぶんちょっとだけカメオ出演レベルで出てくるんだろうな。いちごちゃんは一昨年の映画『アイカツ! 10th STORY 〜未来へのSTARWAY〜』で卒業ライブをやったし、これ以上メイン出演させるのは難しいのかもしれない。とにかく、今は続報を待つしかないか。アイカツを無印だけ、プリティーシリーズをプリパラだけに限定しても相当な話数があるからコラボで使えるネタが多すぎるんですよね。いったいどのへんを拾ってくるやら。
・「生徒会にも穴はある!」TVアニメ化 監督は龍輪直征、制作はパッショーネ(コミックナタリー)
前回の更新で「アニメ化発表は秒読みに入ったと見ていいだろうな」って書いてたら本当に発表されたでござる。いや、ホントすごいな。もう「マガジンに連載中のラブコメ系漫画」って「アニメ化されていない作品」を挙げた方が早いんじゃないか? もう『色憑くモノクローム』と『ゆめねこねくと』の2つしか残ってないですよ。どっちも去年始まったばかりの新作です。『色憑くモノクローム』は主人公の惚れた少女が「シスターとして生涯純潔を貫く」と豪語する敬虔な子で、どうしたものかと頭を抱えていたら主人公が色欲の悪魔「アスモデウス」に取り憑かれてしまい、周囲の女性をえっちな気分にさせてしまう誘淫体質に……というテンプテーション・ラブコメです。主人公が色欲に負けて一線を越えたら封印されているアスモデウスが復活してしまうので、ひたすら我慢しないといけない。タイプとしては「寸止め系」なのだが、毎回読者が「アスモデウス様、もっとやってください!」と主人公ではなく悪魔の方を応援したり、「本気出してそれ? アスモデウス、お前には失望したよ……」とヌルい誘惑にツッコミを入れたり、そういう感じでえっちなんだけど和気藹々としたノリです。こないだ「打ち切りなのか?」ってヒヤッとする展開があったが、ひとまず「第一部・完」という感じで収まって新章に突入しました。このまま続くのであればアニメ化も視野に入ってくるだろうが、正直現状だと危ういラインかな。エロコメをやりつつエクソシスト的なバトル展開も盛り込もうとしていて、路線が確立するまで連載を続けられるかどうかちょい不安。ヒロインの聖叶さんは嫉妬深いタイプで、主人公が他の女の子とイチャイチャしていると悪魔より怖い顔で不機嫌になるっていう美味しいキャラだから応援したい。
『ゆめねこねくと』は前にも書いたけど「マガジン版『ToLOVEる』+『ドラえもん』」。宇宙からやってきたポコツン星人の「ナノ」が、いろんな商品を売りつけようとするんだけど毎回毎回暴走してえっちなトラブルが巻き起こってしまう……というドタバタエロコメ。画力に関してはまだ若干未熟なところはあるけれどセンス抜群、ちょっと濃すぎなくらい独自のオーラを出していて読む者を魅了します。エロは限界ギリギリを攻めてるし、女の子たちも個性的で可愛く、主人公がイカレていて楽しい。特にえっちでも何でもないシーンで主人公がナノのおっぱいを揉みしだいていたり、逆にナノが主人公のフニャチンを揉みまくって遊んでいたりと、無意味に爛れた関係になってるのが好き。下ネタが多すぎる、という難点はあるが「生穴る」がアニメ化するくらいだし、ゆめねこもいずれアニメ化するんじゃないかな。
って、肝心の生穴るの話をしていなかった。『生徒会にも穴はある!』(略称「生穴る」)は『生徒会役員共』の衣鉢を継ぐ下ネタコメディでありつつ、直接的なエロは少なかった『生徒会役員共』と違って直球のエロをポンポン放り込んでくる危険な一品です。高度なエロと高度なギャグを両立させつつたまに感動的なエピソードも盛り込んで〆るという、あまりに隙のない構成力。可愛くて巨乳で性欲の権化というパーフェクトすぎる生徒会長の「古都吹寿子」、一見お淑やかな美人だが暴力の化身として恐れられる会計の「照井有栖」、可哀想で可愛い庶務の「陸奥こまろ」、「男だから」という理由で乳首が描かれることを許されている広報の「尾鳥たん」と、生徒会メンバーだけでもかなり個性的だが、これにアクの強いサブキャラたちが加わって留まることを知らぬカオスな世界が展開されます。養護教諭の「狐塚稲穂」(31歳)みたいに、ほとんど本編に出てこないのに妙に根強い人気を誇るキャラもいる。ちなみに作者の前作『世が夜なら!』とも作品世界が共通しており、前作キャラがちょっとだけ出てくる回もあります。『世が夜なら!』は最終巻のあらすじが「なんやかんやあって、彼女たちはヤクザおじさんと一緒に死体遺棄作業をすることに!?」というブッ飛んだ代物なので解説不要だろう。もう不謹慎とかいうレベルを通り越している。
アニメーション制作は「パッショーネ」で監督は「龍輪直征」、『異世界迷宮でハーレムを』の組み合わせです。規制まみれには慣れている、ってことか……パッショーネは最近だと『異修羅』や『狼と香辛料』のリメイク版もやってますね。放送時期は不明だが、『ぬきたし』のアニメ版も制作している。ぬきたしに比べれば生穴るは何とかなるか、と思えてしまうから怖いぜ。
・夢枕獏の新刊『キマイラ聖獣変』、5月20日発売予定。シリーズの先行完結編。
前作『キマイラ魔宮変』から5年、久々の新刊にして先行完結編です。そもそも「先行完結編」とは何か? “キマイラ・吼”シリーズも開始から早40年以上、作者である「夢枕獏」も70歳を超え、『キマイラ魔宮変』刊行後に悪性リンパ腫の診断が下って闘病生活に入ったため、「生きているうちに完結させられるかどうかわからない」という10年以上前から本人も口にしていた懸念がいよいよ切羽詰まったものになってきました。「最終巻の構想はあるから、過程をすっ飛ばして完結編だけ先に書いてしまおう」ということで連載を開始したのが来月発売予定の『キマイラ聖獣変』なんです。朝日新聞出版が出している月刊誌“一冊の本”に2022年から掲載されていました。『キマイラ魔宮変』が終わった後に『キマイラ呪殺変』という新作を連載していたのですが、病気の発覚により2021年に休載。聖獣変の連載が終わったので、今は呪殺変の方を再開しています。「先に完結編を出す」というのは冲方丁の『カオス レギオン 聖戦魔軍篇』みたいな前例もあるが、あれは「ノベライズが1冊しか出せないので過程をすっ飛ばして最終決戦だけ書いたところ、事情が変わって続刊できるようになり『最終決戦に至るまでの経緯』を埋めていく形になった」というものだから事情はだいぶ異なります。
キマイラシリーズは文庫版と新書版でナンバリングが違う(新書版の1〜8冊目は文庫2冊分の合本なので、「新書版の9冊目以降」は「文庫版の17冊目以降」に相当する。たとえば魔宮変のナンバリングは新書版だと15だが、文庫版だと23になる)のでややこしいが、『キマイラ聖獣変』は刊行順で言うとシリーズ24作目になります。「別巻」という扱いになっている『キマイラ青龍変』も含めると25作目。でも先行完結編なので、作中の時系列における具体的なナンバリングが定まっていないんですよね。『キマイラ呪殺変』は新書だと16冊目、文庫だと24冊目になりますけど、あと何冊書けば聖獣変に辿り着けるのかよくわかりません。読んだ人の感想を聞くと聖獣変は「あまり完結編っぽくない内容」らしいから、夢枕獏の健康次第では「真の完結編」みたいなのが改めて出てくる可能性もゼロじゃないんだよな……“キマイラ・吼”シリーズは人間が人外の化生「キマイラ」に変わってしまう、という奇怪な現象のルーツを辿りながら「大鳳吼」と「久鬼麗一」、ふたりの少年が「キマイラ化」に翻弄される様子を描いていく伝奇長編です。ただし物語の途中から吼と麗一の存在感は薄まり、壮大な群像劇の様相を呈し始める。始まった時点では学園モノだったんですが、麗一の父親「久鬼玄造」が長い回想話を始め、更に回想の中に出てきた文献が本文へ挿入される入れ子構造となり、もはやシリーズ読者のほとんどは何が本筋なのかよくわからなくなってしまった。
初期の構想では「ヒマラヤの奥地に『聖地』があって、キマイラ化の宿命から逃れられない吼と麗一は俗世を離れてそこに辿り着く」みたいな展開を思い描いていたらしいが、やがて「そんな都合の良い聖地なんて存在しない」と思うようになって構想は立ち消えになった。あくまで俗世の中で生き足掻くしかない、と。あまりに長期に及んだせいで作中の時空も歪んできており、最近の巻(といっても10年以上前だが)だと「携帯電話を使えばいい」なんて文章が出てくる。“キマイラ・吼”の世界に携帯電話!? てっきり作中の時間は80年代のまま止まっていると信じ込んでいたので衝撃を受けてしまった。私はサブキャラの「宇名月典善」と「龍王院弘」が好きなので辛うじて付いて行ってはいるけど、物語を理解できている自信はないです。特にチャクラ云々の設定は齢のせいか記憶が定着せず、何度も読み返すハメに陥っている。この際だからメモも兼ねて少し振り返ってみよう。一応ネタバレなので未読の方は注意してください。
瑜伽(ヨーガ)の思想において、人体には車輪(チャクラ)と呼ばれる器官が存在している。解剖学的には存在しない。通常、チャクラは7つあるとされている。頭頂のチャクラ「サハスラーラ」は仙道における「泥丸」。眉間のチャクラ「アジナー」は仙道における「印堂」。喉のチャクラ「ヴィシュッダ」は仙道における「玉沈」。心臓のチャクラ「アナハタ」は仙道における「たん中」、臍のチャクラ「マニプーラ」は仙道における「夾脊」。脾臓のチャクラ「スワディスターナ」は仙道における「丹田」。根(会陰)のチャクラ「ムーラダーラ」は「尾閭」。一般的にこれ以外のチャクラは存在しないことになっているが、“キマイラ・吼”の世界では更に「3つのチャクラ」が存在しており、それらが「キマイラ化」という現象に関わっている。8つ目のチャクラが「鬼骨」の「アグニチャクラ」、ムーラダーラよりも下にあって、このチャクラを回すと「人が進化の過程の中で捨ててきた、あらゆる形質」が「無秩序」かつ「爆発的」に生じてしまうため、化物みたいな形状になる。この鬼骨の働きを制御するために存在するのが9つ目の「ソーマチャクラ」、通称「月のチャクラ」。「天のチャクラ」と書かれることもある。両手を特殊な形にして頭の上に立てることで「サハスラーラよりも上に位置するチャクラ」として機能し、これで「鬼骨の暴走=キマイラ化」を押さえ込むことができる。そして最後、「鬼骨よりもさらに下方」にあるという10番目のチャクラが「アイヤッパンチャクラ」。アイヤッパンチャクラの作り方はソーマチャクラの逆で、蹲踞のような姿勢を取りつつ足の裏を合わせることで「鬼骨よりも下」のチャクラを成立させる。このアイヤッパンチャクラを使って鬼骨(アグニチャクラ)を発火・爆発させることで力が身体を抜けて天に昇っていく「マハーポワ」という現象が起こる。月(ソーマチャクラ)でこのポワを制御し、抜けそうになる力を身体の内に留めることで脳の封印が解かれて「天の甘露(アムリタ)」を生じさせる。つまり、「天の甘露(アムリタ)=特殊な脳内物質?」を得ることがキマイラ化の鍵なのである。
『キマイラ金剛変』あたりまでは単純明快に面白いが、玄造のメチャ長い回想が始まる『キマイラ梵天変』あたりから少ししんどくなってきます。リアルタイムだと昇月変から玄象変まで8年以上掛かったので、そこらへんで脱落する読者も少なくなかった。紙の本は角川文庫版が比較的入手しやすいかな。電子版が割と安いし、今だとそちらから入る方が手っ取り早いかもしれません。新書版と文庫版は出版社が違うので電子版も別々に販売されており、基本的に文庫版の方が安いけれど新書版は6巻(文庫版の12巻)までKindle Unlimitedで読めます。ちなみに“キマイラ・吼”シリーズは“闇狩り師”シリーズともリンクしているんで極めたい人はそっちも押さえておこう。確かKindle Unlimitedで全部読めたはず。特に『崑崙(くろん)の王』を読まないと龍王院弘がいつ復活したのかよくわからなくなります。あと、キマイラとは関係ないけど『新・餓狼伝』も7月に約5年ぶりの新刊が出ます。「いよいよ最終章に突入!」とのことで、こちらも終わりが見えてきたようだけど……。
・新レーベル「キマイラ文庫」創刊、紙媒体なしの電子小説レーベル
キマイラ繋がりというわけでもないが……今年(2025年)の1月頃からティザーサイトを立ち上げ、今月(4月)からローンチ開始、という感じらしい。『異世界居酒屋「のぶ」』の「蝉川夏哉」含む4人の作家が集まって作ったレーベルで、「すべての作品をメディアミックス前提で展開する」というのがコンセプトの模様。アニメ化はさすがに難しいみたいだが、コミカライズとゲーム化に関しては100パーセントを目指しているらしい。現在5つの作品を公開中で、今は存在を周知させるためか、具体的な販売物はなく掲載物すべてが無料で読める。ただ、現時点で唯一コミック化されている『エトランジュ オーヴァーロード』は「小説家になろう」や「カクヨム」でも読めるので、「キマイラ文庫ならでは」の特色の今のところあまりない。「そういうレーベルが出来た」ということだけ頭に入れてしばらくは様子見する感じかな。
こういう電子レーベルって「物理的な存在感」がないぶん、実態を把握しづらいのが難点。「ダンガン文庫」という新レーベルも、創刊したのは去年(2024年)なのに存在を知ったのはつい先日だった。今「BOOK WALKER」でセール中みたいだけど、買うとしてももうちょっと巻数が貯まってからかな……とチェックだけに留めています。『明治ガラクタスクラップマーチ』という明治時代を舞台にしたスチームパンク小説がちょっと気になっている。
・歌野晶午の『館という名の楽園で』読んだ。
今から20年以上前に発行された、「税込でちょうど400円」が売りの「400円文庫」に属する一冊。消費税が5パーセントの時代だったから、本体価格は381円……今ではもう実現不能な企画だろう。もっと安いのだとダイソーで売られていた「100円文庫」というのもあるんだが、取り扱い店舗が少なかったのか実物を見かけたことないんだよな。さておき、『館という名の楽園で』。タイトル通り「館モノ」に当たるノン・シリーズのミステリ作品です。現在は絶版しており、『そして名探偵は生まれた』という中編集に収録されている――って、これ『生存者、一名』の感想のときにも書いたな。道理でデジャヴると思った。
ようこそ、我が城、三星館へ――探偵小説好きが昂じて自前の「館」まで建ててしまった男、「冬木統一郎」。彼は大学時代に同じ探偵小説研究会で駄弁っていた4人の友人を招き寄せる。出迎えにやってくるリムジン、客人をもてなす執事とメイド、そして本物の館。「冬木は大金持ちというわけでもないだろうに、いったいどうやってこれだけの資金を捻出したんだ?」 首を傾げる一行を知ってか知らずか、冬木は不敵な笑みを浮かべて「殺人ゲーム」の開催を宣言する……。
もともとはイギリスに建てられた、ベンツのマークみたいな形をした三ツ矢状の館「スリースター・ハウス」、それを日本に移築したものが「三星館」である……という設定をベースに、「甲冑を纏った亡霊が闊歩する」みたいな怪談を捏造していく冬木さん。参加者たちはみんな50過ぎなので「若い頃ならともかく、いい歳こいてミステリー・ツアーの真似事なんて」と呆れながらも稚気溢れる試みに仕方なく付き合ってあげます。要は学園モノでよくある「ごっこ遊び」(その場かぎりの設定を作って何らかの役を演じる、ちょっとしたエチュードみたいなノリ)を拡大したようなストーリーで、真面目に読むとバカバカしいって印象が強くなるんだけど、「でもミステリの根底にあるのは子供が夢中になってやり込む『ごっこ遊び』的な稚気だよな」と考えたら違和感も徐々に薄らいでいく。雰囲気としては金田一少年や名探偵コナンではなく『Q.E.D.証明終了』のそれだ。
メタ的な視点で眺めると、「こういうトリックを思いついたけど、実行するのはあまりにも現実味がないな……『ごっこ遊び』的な推理劇という形式にすれば辛うじてイケるか?」という感触のする一編で、純粋な謎解きとして読むと「無理がある」ってのが偽らざる感想です。なので本編もあまり勿体ぶらずにサクサク進んでいく。多少無理があるとはいえサプライズも仕込まれているので、「館モノ」が好きな人なら嬉しくなってしまうのではないか。歌野晶午は『葉桜の季節に君を想うということ』がブレイクしたことで「ああいう路線の作家」というイメージが強くなってしまったが、初期の“家”三部作みたいにクラシカルな「館モノ」を愛するタイプの小説家でもある。この作品は特に氏の代表作とか「必読の一冊!」みたいな位置づけの本ではないが、短い中に「らしさ」が感じられる内容で、空き時間にスッと読むぶんにはオススメです。
ただ、現状バラ売りはされていないので『そして名探偵は生まれた』を丸ごと一冊買わないと読めないのが難点なんですよね……電子書籍ってエピソード単位のバラ売りを行ったり、単行本未収録の作品を売ったりすることができる点は画期的なんですが、実際問題としてそのへんに細かく対応している作品が少なくて「この短編だけ買いたいのに……」と歯痒い思いをすることが多いです。そもそも昔の作品は電子化してないものが大量にあって、久々に読み返したくなっても「電子版がない!」と悲鳴を挙げちゃうことがしばしば。古処誠二とか、電子化している著作が10冊もなくてビックリしました。3回くらい直木賞候補にも選ばれた作家なのに、まさかこんな状況だったとは……本人が電子化に対してあまり積極的ではないのかしら?
・拍手レス。
夜が来るもリメイクしましたし、アトラクナクアもどうかな…思うところですね
夜が来る!のリメイクも超昂大戦とのコラボがキッカケだったらしいし、なくもない話ですね。分量的にはアニメ化も向いてると思うけど、18禁要素が多すぎてちょっと……という。
「5分前納品」草。そんなことあったんですねえ。人に歴史ありといいますけど、今はみんな知ってる有名監督新房さんも昔は大変だったんですね
新房監督の「5分前納品」を上回る伝説は「納品拒否」くらいでしょうね……知られているところでは押井監督や庵野監督が喰らっています。庵野監督のケースでは作り直しになったけど、押井監督のケースでは「放送に間に合わない」という理由で結局そのまま流したそうな。
2025-04-13.・春アニメ、『LAZARUS ラザロ』が「マジでこれTVアニメかよ……」って出来で瞠目している焼津です、こんばんは。
古のアニオタは公式ページのトップを見て「なんかビバップっぽいな」と思ったかもしれませんが、それもそのはず『カウボーイビバップ』の「渡辺信一郎」が監督している新作です。「総監督」を務めた『キャロル&チューズデイ』からは6年ぶり、「監督」としては『残響のテロル』以来なので10年ぶりくらいになります。制作は「MAPPA」。インタビューで語っていましたが、アメリカのカートゥーンネットワークが「全額出資するから」と依頼してきた作品とのこと。「SFアクション」というジャンルの指定だけして、後は自由にやっていいという、渡辺信一郎レベルでもなければ舞い込まないような依頼だ。「じゃあ『スペース☆ダンディ』みたいなのでいい?」と訊ねたら「ノー! もっとシリアスなの!」と言われちゃったそうですが。
時は2052年。依存性皆無で効き目抜群という夢のような鎮痛剤「ハプナ」が開発され、あっという間に世界中へ広がっていった。しかし、それは「スキナー博士」の仕掛けた罠だった。ハプナを開発したスキナー博士はひたすら環境を破壊し他の生物を殺す「人類」が地球を蝕む害獣としか思えず、ハプナの中に「服用開始から3年後に死ぬ」メカニズムを仕込んでいたと宣言する。当然、世界はパニックに陥った。その頃、888年もの刑期とともに監獄へ閉じ込められていた囚人「アクセル」が警備の隙をついて脱走。シャバの空気を堪能していたところ、謎の女に気絶させられ、「ラザロ」なる謎のチームに勧誘される……。
ハプナ特効薬のレシピを持っているのはスキナー博士のみ。あと半年以内に博士を見つけ出してレシピを吐かせなければ、大量の死者が出る。タイムリミット的な状況が設定されているが、そのへんは舞台装置みたいなもので「そんなキッカリ3年後に死ぬ仕組みなんて無理だろ」とか野暮なことを考えても仕方ないのだろう。見所は主人公・アクセルが繰り広げるパルクール。パルクールというのはフランス発祥のストリート・スポーツで、街のありとあらゆるところを「通路」と見做し、オブジェクトを障害物として扱って飛んだり跳ねたり走り回る。『アルティメット』という映画の冒頭を観たら「ああ、こんな感じか」とすぐにわかります。『バブル』というアニメ映画もパルクール要素がメインでした。何ならパルクールが出てくるエロゲーすらあります。『るいは智を呼ぶ』というソフトで、パルクールシーンは体験版の範囲内に収録されていますから興味のある方はプレーしてみてください。
とにかく、「深夜アニメでコレとか半端ねぇな」と目を疑うクオリティです。渡辺信一郎監督作品で言うとビバップの劇場版『天国の扉』の雰囲気に近いかな。タイトルの「ラザロ」は作中に出てくるチーム名で、アクセル含む5人のエージェントが所在不明のスキナー博士を捜索する。ラザロを指揮する、007でいうところの「M」に相当する「ハーシュ」という御年を召した女性が登場するのですが、担当声優は「林原めぐみ」。林原めぐみってもう新規の仕事はあまり受けないようにしているって聞くけど、やっぱり渡辺信一郎作品は別格なのかな。キャストはかなり豪華ですね。声優にあまり詳しくない私でも「おおっ」ってなる面子。「あくまで手描きがいい」とこだわった作画も必見です。
最後に、「ラザロ」の元ネタについて。聖書(ヨハネの福音書)に出てくる聖人で、詳しいことはWikipediaとかに書いてあるので省きますが、この人は「死んだ後に復活した」という逸話で有名です。図子慧の『ラザロ・ラザロ』という小説がその「蘇生」の逸話をベースにしていたので印象に残っている。露骨なほど「死と再生」をテーマに据えていると公言しているわけで、今後の展開も二転三転しそうだ。ちなみにラザロをゾンビと解釈した "Fist of Jesus" というスペインの短編映画があり、公式がYoutubeに全編アップロードしているので暇な人は視聴してみるのも一興です。あと来月には『別冊ele-king 『LAZARUS ラザロ』と渡辺信一郎の世界』というムックが、再来月には『渡辺信一郎の世界 『カウボーイビバップ』から『LAZARUS ラザロ』まで』という単行本が発売予定なので渡辺信一郎好きの人は要チェックだ。
・ほか、春アニメだと『アポカリプスホテル』も良かったです。
漫画家「竹本泉」がキャラクター原案を担当しているオリジナルアニメ。竹本泉はデビューから40年を超える大ベテランですが、不思議とアニメ作品との関わりが少なく、携わった企画が何度もポシャってきた過去を持ちます。が、この『アポカリプスホテル』は奇跡的に放送まで漕ぎつけました。人類が滅亡し、文明が崩壊した2157年の地球。東京の銀座に建つホテル「銀河楼」は今日も今日とて来るはずもないお客様を待ち続けていた。従業員であるロボットたちも耐用年数の限界を迎えて次々と壊れていく中、「明日は誰かが来る」という予感とともに働き続けているホテリエロボの「ヤチヨ」。果たしてお客様は訪れるのか? というポストアポカプリスSFです。しんみりした雰囲気だけど分類上はコメディになるかな。とにかく雰囲気が良くて、「お先真っ暗なのに明るい」という変なアニメに仕上がっています。他では出せない味があるので続きがすごく楽しみ。竹本泉によるスピンオフ・コミカライズ『アポカリプスホテルぷすぷす』もあるので併せて読むが吉。
・暁佳奈の小説「春夏秋冬代行者 春の舞」TVアニメ化、制作はWIT STUDIO(コミックナタリー)
「暁佳奈」は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の原作者です。『春夏秋冬代行者』がシリーズ名で、『春の舞』は1作目に当たるエピソード。つまりシリーズの1作目だけを1クール掛けてじっくりアニメ化してくれるみたいですね。結構分厚くて、『春の舞(上・下)』だけでも900ページくらいあるから「普通のライトノベル3冊分」って考えると「いや、じっくりというほどでもないか……?」って気もしてきますが。シリーズはその後『夏の舞(上・下)』『暁の射手』『秋の舞(上・下)』『黄昏の射手』と続き、既刊8冊です。『冬の舞』で完結するのかしら。持ってるけどちょっと読んだだけで積んでるのでよく知りませぬ。ジャンルとしては和風伝奇っぽいんですよね。「春」や「夏」といった季節が意志を持つ存在、要するに神のようなものとして設定されており、神としての役割で忙しくてプライベートがない各季節から仕事を委ねられたのが「四季の代行者」です。「季節神の威を借る者」であり、平たく言えば四季の化身、下々からすれば現人神同然である。強大すぎるせいで利用しようとする連中が後を絶たず、春の代行者だった「花葉雛菊」は誘拐されて10年も消息不明になっていました。その雛菊が帰還し、欠けていた「春」を取り戻そうとする――というところから物語が始まります。壮大なスケールの作品であり、最低でも4クールはないと完走出来ないわけですが、アニメは果たしてどこまでやれるのか。制作は「WIT STUDIO」、『進撃の巨人』や『SPY×FAMILY』などを手掛けたところです。最近だと『真・侍伝 YAIBA』をやっていますね。『真・侍伝 YAIBA』も良かったし、ひとまず期待しておこう。
・「攻殻機動隊」新作TVアニメは「THE GHOST IN THE SHELL」ビジュアル&特報公開(コミックナタリー)
キービジュアルからして「原作寄り」と思われる『攻殻機動隊』が遂に来るのか。『攻殻機動隊』は「士郎正宗」の漫画を原作としており、対テロやサイバー犯罪取り締まりを目的とした特殊部隊「公安9課」、通称「攻殻機動隊」の面々が様々な危険人物たちに立ち向かっていく様子を描いたSFアクションです。原作漫画は1989年に連載を開始して翌年に終了、1991年に全1巻の単行本を出している。これを元にした最初のアニメが押井守の劇場作品『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)で、キャラや設定は原作に基づいているが押井守のカラーを前面に押し出した作風となっており、雰囲気がだいぶ異なります。原作は結構エログロ要素があって、主人公の「草薙素子」も茶目っ気のある女性として描かれており、意外とコミカルな漫画である。しかし押井版が全世界規模でヒットしたため、後続のアニメ作品も士郎正宗版よりも『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を意識したシリアス寄りの作風となっていった。なので「士郎正宗っぽさを強調した『攻殻機動隊』アニメ」は未だに存在せず(厳密に書くと1997年に発売されたPlayStation用ゲームソフト『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』が原作寄りで、作中で流れるアニメムービーが「全攻殻アニメ中もっとも士郎正宗っぽい」と言われている)、原作ファンが長年渇望していた路線なんです。実は一年くらい前に特報は出ていたんですけど、サッパリ記憶に残っていなかった。
私は押井版がキッカケで攻殻に入ったクチだし、原作至上主義を唱えるつもりはないが、それはそれとして士郎正宗色全開の攻殻アニメが観たいな……という気持ちはずっとあったので今回のニュースは朗報です。既存のアニメシリーズの多くで素子の声を演じていた「田中敦子」は既に故人ですからキャストが変わることは「已むを得ない」と受け入れています。ARISEで素子やってた「坂本真綾」が現時点での有力候補か。豆知識の部類だが、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』のラストで素子の意識が乗り移った少女型義体のCVがエスカフローネで有名になる前の坂本真綾である。制作は『ダンダダン』で注目を浴びている「サイエンスSARU」。監督は「モコちゃん」、アニメーター出身で『ダンダダン』の副監督もやってるが、これが初監督アニメとなる。シリーズ構成・脚本は「円城塔」、ハヤカワ(早川書房)出身の芥川賞作家だ。芥川賞作家がアニメの脚本書くってなかなかスゴいことだけど、円城さんは過去にゴジラもやってるし、何なら『スペース☆ダンディ』の脚本も書いてるからそれに比べれば驚愕度は低い。ハヤカワ出身って比較的漫画やアニメに近い印象ですし。古いところだと『エイトマン』や『幻魔大戦』の「平井和正」もハヤカワ出身の作家だ。「ハヤカワの原稿料は正気じゃないほど安くて食っていけなかった」という理由でSF小説を断念したという悲しい背景もあるが……話を戻して円城塔、AIが悟りを開いて自ら「ブッダ」と名乗り始める『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』といい、SFというより「壮大なホラ話」の才能があるタイプの作家なんでかなり人を選ぶが、「よくわからないがなんか読んでて面白い」となるかもしれないので機会があれば1冊チャレンジしてみてくださいませ。
・「ジョジョ」第7部「スティール・ボール・ラン」アニメ化、渋谷でアニメ化記念企画も(コミックナタリー)
JOJO7部『スティール・ボール・ラン』、やっとアニメ化決定か。「馬に乗って大陸横断レースを繰り広げる」という設定ゆえ「馬の作画がしんどすぎてアニメ化は困難」と言われていましたが、そのへんの問題がクリアできたみたいですね。馬だけCGにして合成するのかな? CGでも動かすのはかなり大変な気がするけど、最近はAI生成技術も進歩しているというし、何かしらやりようはあるのだろう。
『スティール・ボール・ラン』は荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の第7部に当たる作品です。『ジョジョの奇妙な冒険』は「ジョースター家」の血統と魂が時代と国を越えて受け継がれていく……というロマンを描いた大河コミックで、第1部から第6部までは作中の時間が順々に進行していく(1888年→1938年→1988年→1999年→2001年→2011年)形式でしたが、SBRは1890年と第1部に近い時代まで戻っている。これは単純に時を遡った過去編というわけではなく、若干ネタバレになりますが第6部のラスボスが発動させた能力(スタンド)によって宇宙が再構築され、大まかな歴史は以前と一緒だけど細かい部分がいろいろと異なっているパラレルな世界に変貌しています。「同一人物ではないがよく似たキャラクター」が存在しており、半端にJOJOの知識がある状態だと却って困難しかねない。JOJOは「6部以前」と「6部より後」で別世界になっている(でもよく似たキャラクターは出てくる)ということを念頭において楽しみましょう。
今はもう周知の事実だから「JOJO7部」と明言していますが、連載開始当初はJOJOシリーズとの繋がりを曖昧にしていて、「スタンド」というJOJO特有の要素が出てくるまでの時間も長めとなっていました。なので序盤はJOJO知識がなくても特に問題ありませんが、スタンドバトルが本格化するあたりから「えっ、これってそういう話なの?」と新規の方は戸惑うかもしれません。JOJOは第5部あたりからスタンドバトルが複雑化していってだんだん理解が難しい内容となっていくため、スティール・ボール・ランもアニメを観ているだけでは少々飲み込みづらいだろう。しかし、それでも個性的なキャラクターたちとの息詰まるバトルは視聴するだけの価値があるはずだ。私が好きなのはやっぱりマンダム戦。「試練」そのものと化した敵との死闘を描いており、ぶっちゃけラスボス戦よりも印象に残っている。
・紀蔚然の『DV8 台北プライベートアイ2』読了。
おれは人類を憎んでいるが、人間を必要としているんだ。
台湾の小説家「紀蔚然(き・うつぜん)」によるハードボイルド小説『台北プライベートアイ』の続編。前作では台北市に住んでいた主人公が新北市に引っ越しているので厳密に言えば「新北プライベートアイ」なのだが、新北市も地域名としての「台北」に該当する(実際、新北市の旧称は「台北県」である)から別に問題はないらしい。タイトルの「DV8」は作中に出てくる店の名前で、「deviate(ディヴィエイト、逸脱する)」のもじり。大学教授という安定した仕事を辞めて私立探偵になった、という異色の経歴を持ち、インテリでナイーブでメランコリックな気質を持つ主人公がまたしても事件に巻き込まれていく。相変わらず上下二段組でビッシリ文字が詰まっており、読み応えは充分な一冊だ。
新北市の淡水(タムスイ)――山あり河ありで「台湾のベニス」とも呼ばれる港町が、「おれ」こと「呉誠(ウー・チェン)」の新たな住処となった。美人店主「エマ」が経営するバー「DV8」に入り浸り、他の客たちとも面識ができて私立探偵としての仕事を何件か請け負い、低空飛行ながらも安定した日々が続く。ある日、「何琳安(ホー・リンアン)」と名乗る女性から「幼い頃に会った名前もわからない男の子(現在は成人している)を探し出してほしい」と雲を掴むような依頼をされ、半ば途方に暮れながらも引き受けた。手掛かりはある。その男の子の家に強盗か何かが侵入し、男の子の母親を殺していったのだという。20年近く前に発生した、1992年の事件。調べるのは面倒だが不可能ってほどでもない。ネットで検索しても概要すらヒットせず、仕方なく現地に向かったおれは、協力者の手を借りながら「男の子」の名前が「石田修(シー・ティエンシウ)」であることを突き止める。あとは本人を捜すだけなのだが、石少年の母親「張秀英(チャン・シウイン)」(台湾は夫婦別姓で、子供は父親の姓を名乗ることが多い)が殺された事件はただの強盗殺人ではなく、連続殺人の一つであることが判明し……。
呉誠が過去の殺人事件について調査する一方、DV8でも別のトラブルが発生しており、メインエピソードの裏でサブエピソードが進行する構成となっています。依頼された「人探し」は割とトントン拍子で進んで肝心の「石田修」ともコンタクトすることができるのですが、肝心の石田修は「安安(琳安の愛称)のことは覚えている、でも今更会いたいとは思わない」と顔合わせを拒否してしまう。探し出した時点で「既に依頼は達成した」と見做しても良さそうなものだが、ここで放り出すのは矜持が許さない、と呉誠はお節介を焼いて琳安と石を会わせようとする。石も態度を軟化させ、「再会」は無事成功するのですが、その際に1992年の事件の話題になって琳安が気になる発言をします。「表向きは解決したことになっている事件だけど、まだ暴かれざる何かがあるのでは?」と疑った呉誠は誰に頼まれるでもなく勝手に調査を続行する。
台北を騒がせる連続殺人鬼と対決するハメになった前作と比べればやや地味な内容です。1992年9月に起きた殺人事件で、現在は2012年7月。台湾では死刑や無期懲役に相当する重大事件の訴追期間は20年(2006年に30年へ延長されたが、過去の事件には遡及しない)だからもうすぐ時効になってしまう。「裁かれざる殺人者」が存在するのであれば、あと2ヶ月足らずの間に特定して訴追にまで持ち込まねばならない。一種のタイムリミット・サスペンスになっているわけですが、「人質の命が危ない」とか「期限までに無実を証明しないと実刑が確定してしまう」というシチュエーションに比べれば緊張感は薄いです。この手のタイムリミット物で印象に残っているのはランキン・デイヴィスの『デッドリミット』ですね。細部はうろ覚えですけど、イギリス首相の兄が誘拐されて、誘拐犯から「殺人事件の真犯人を探し出して、今やってる冤罪裁判の被告を無罪にしろ」と要求される。裁判は大詰めを迎えていて、陪審員の評議(『十二人の怒れる男』でやってるアレ)が始まろうとしているところだった……というサスペンスです。
事件は過去だけど舞台は現在なので、『ONE PIECE』や「横山秀夫」や「島田荘司」といった日本のエンタメ関連のワードがちょこちょこ出てくるのが面白い。呉誠が好むミステリが「ヘニング・マンケル」や「マイクル・コナリー」だと判明し、私もそのへんの作家が好きなんで「だから読んでいて馴染むものがあったんだな……」と納得しました。実のところ「事件の真相」は早い段階で判明し、あとは容疑者を追い詰めるだけ……という展開になるのですが、その時点でだいぶページ数が残っているんです。「いったいあと〇ページも何をやるんだ?」と戸惑っていたところ、冒頭で触れられていた「とある事件」がふたたび立ち上って来る。意味ありげだったのでサブエピソードとして何らかの役割を果たすんだろうな、とは思いましたが、ここまでガッツリと本筋に絡んでくるとは思わなかったので驚きました。一応、メインエピソードとサブエピソードの接点は用意されているんですけど、ハッキリ言って「別々の事件」なので相互にリンクしているわけではなく、ミステリ的な仕掛けというより「奇妙な運命」を強調する形になっています。蛇足ではないけど正直、メインエピソードほど熱中することはできなかったかな……。
まとめ。殺人鬼との対立を描いた前作と比べて派手さに欠ける内容だが、逆に言えば「前作より落ち着いた内容」とも言えるので、前作を読んで主人公「呉誠」が好きになった人ならじっくりと楽しめる出来である。ラスト100ページくらいの展開は好みが分かれるところかもしれない。訳者あとがきによれば三作目が執筆中らしく、紀蔚然曰く「呉誠をダークサイドに落とす」とのこと。気になるけど、完成や翻訳はだいぶ先になりそうなので気長に待つしかない。翻訳だと『台北プライベートアイ』が2021年刊行で『DV8』が2024年刊行だから3年くらいしか間が空いてませんが、原書だとそれぞれ2011年と2021年の刊行で、10年掛かってるんですよね……現時点で完成してないのであれば、翻訳の手間も考慮して最低5年は待つことになりそうだ。
2025-04-08.・春アニメ、始まりましたね。差し当たって『ロックは淑女(レディ)の嗜みでして』と『ウマ娘 シンデレラグレイ』と『プリンセッション・オーケストラ』に注目している焼津です、こんばんは。
『ロックは淑女(レディ)の嗜みでして』、略して「ロックレディ」は“ヤングアニマル”連載の漫画をアニメ化したもの。原作者は「福田宏」、「ムシブギョー描いた人」と説明するのが一番通りがいいみたいだ。掲載誌が変わったせいもあってアニメが始まるまで新連載やってたなんて知らなかった、と驚く人も結構多い模様。実際、私も新刊コーナーで2巻を見つけて「えっ、ムシブギョーの人が!?」と仰天したクチである。ジャンルとしては現在流行中? のガールズバンド物です。家庭の事情(バンドやってた父親が妻子を捨て、母親は不動産王と再婚)から大好きだったギターを手放し、「絵に描いたようなお嬢様」になる覚悟を決めた「鈴ノ宮りりさ」。しかし彼女は名門女子校「桜心女学園」で、「絵に描いたようなお嬢様」でありながら激しくドラムを叩く謎の少女「黒鉄音羽」と出会い、魂をロックに引き戻されてしまう……。
「お嬢様」や「ロック」をわかりやすく戯画的に描いている部分があり、ツッコミどころも多いのですが「ギター弾きたい!」「ドラム叩きたい!」という女の子たちが己の主張をぶつけ合って最高にアガるバンドを目指す、まっすぐなストーリーで少年漫画じみた熱さを堪能することができます。演奏シーン以外は2Dですが、演奏シーンは3Dに作画を織り交ぜて制作している。「BAND-MAID」によるモーションキャプチャーを使用した演奏シーンが売りで、ライブシーンがどれだけスゴいことになるか今から楽しみだ。頭おかしいぐらい工数を掛けていたガルクラや、サンジゲン独自の技術に裏打ちされたマイムジと比べるのは酷だろうが。ストーリーの大枠としては「仲間集め」、バンドを組むために他パート担当のメンバーを探す展開に入る。このへんでひと悶着あった後、ライブハウスで対バンすることに……というのが大まかな流れです。ロックレディは「誰かがムカつく発言をする→りりさや音羽がキレる→音楽の力でギャフンと言わせてやる!」をひたすら繰り返す話なので、今のところあまり複雑な部分はありません。バンドメインだからりりさが「ノーブルメイデン」(おとボクの「エルダーシスター」みたいなの)を目指す、という要素もあまり進展しない。原作の最新刊は7巻で、ストーリーの切り所を考えるとアニメは5巻の途中あたりで終わると思う。そこでようやくりりさたちのバンド名が決まりますから。
音羽は大人しくしているときはちょっと『賭ケグルイ』の「蛇喰夢子」っぽいが、本性出しているときはかなりゴリラなのでだんだん夢子っぽさを感じなくなっています。りりさもアレで結構フィジカルゴリラなのでお似合いだ。ロックレディの特徴は主人公たちの組むバンドが「インストバンド」であること。ボーカルを入れない、楽器の演奏だけに特化したバンドです。バンドアニメは「演奏と歌唱」のふたつを軸に展開するのが普通なんで、「インストロック」中心でやっていく作品なんてこれが初だし恐らく今後も似たようなアニメは出てこないだろう。期待通りの出来になりそうで原作好きとしては嬉しい。原作の方でもライバルとなる別のインストバンドが出てきて盛り上がってきています。問題は現状ストックがあまりないので、仮に大ヒットして2期が決定したとしてもだいぶ先になりそうなことですね。それまでの間に『キラ☆キラ』とか『MUSICUS!』がアニメ化したりしないかなぁ……。
『ウマ娘 シンデレラグレイ』は“ウマ娘”プロジェクトの一つで、漫画を原作としている。TVシリーズとしては4作目。競馬好きじゃなくてもその名前を知っている「葦毛の怪物」オグリキャップを主人公に据えた物語だ。地方競馬から中央競馬に移って大活躍したオグリの葦毛(灰色、グレイ)をシングレラ(灰かぶり姫)と結び付けた心憎いタイトルだが、「いつか魔法が解ける」という残酷な暗示も孕んでいます。ウマ娘のアニメはもともとスポ根色が強いけど、シンデレラグレイはひと際「競り合い」を重視した内容で「アツさ」の観点においては全作品中一、二を争う域に達している。「ウマ娘ってタイトルは知ってるけど、一度も観たことがないんだよな〜」という人も安心してほしい。これまでウマ娘のTVアニメは3期までやっていて、他に『ROAD TO THE TOP』(無料配信されているWebアニメ、劇場向けに新規カットを追加して再編集したバージョンもある)や『新時代の扉』(劇場アニメ)もあるが、作品ごとに主要メンバーが刷新されるので「これまでのウマ娘」を知らなくても全然大丈夫です。競馬知識だってゼロでも平気というか、むしろ史実ベースでストーリー展開するぶん競馬に詳しくない人の方が「この先どうなるか」わからなくてハラハラできる。
アニメは丁寧なつくりで、この調子が維持できるなら問題なく盛り上がれそう。声が付いたことでキタハラジョーンズこと「北原穣」のヒロイン度が上がっているのは笑った。これまでのウマ娘は中央競馬がメインで、地方競馬についてはほぼ触れられていなかったから原作読んだときは結構新鮮だったな。オグリが勝負服を纏う4巻あたりからが本番なんですが、アニメはどこまでやるのかしら……分割とはいえ2クールやるからそれなりのエピソードを消化できるはず。原作2巻までがカサマツ編で、1クール目で最低限そこまではやるだろう。中央に移籍するのが1クール目の途中なのか、2クール目になってからなのか。さすがに1クール全部使ってカサマツ編をやるのは間延びしそうな感じがするけど……それはそれとしてベルノライトちゃん可愛い。
『プリンセッション・オーケストラ』は日曜の朝9時、いわゆる「広義のニチアサ」に放送されているアニメ。「狭義のニチアサ」はテレビ朝日系列で放送されているプリキュアや仮面ライダー、戦隊シリーズを指すのでテレビ東京系列のプリオケは該当しない。『キミとアイドルプリキュア』が8時半、プリオケが9時、『ひみつのアイプリ』が9時半放送と、局は違うけど今の日曜日は「プリ」三連打という異常事態に陥っている。やっぱり企画会議で「タイトルに『プリ』を付けないと女児が食いつきません!」って大人たちが真面目な顔で主張したりしてんのかな……さておき、プリオケは「キングレコード」による新規IPで、ここからシリーズ化するかどうかは不明だが現時点で「関連作」と呼べる作品は存在していません。企画原案は「金子彰史」、製作総指揮は「上松範康」――『戦姫絶唱シンフォギア』のコンビなんで、実質「女児向けシンフォギア」と申し上げても過言ではないだろう(ちなみに同じ金子・上松コンビで『クラシック☆スターズ』という新作もやってるが、そちらはまだ観てない)。監督は『プリズマ☆イリヤ』の「大沼心」、アニメーション制作は「SILVER LINK.」、シリーズ構成・脚本は『這いよれ!ニャル子さん』の「逢空万太」――本当に女児向けでやっていい面子なのか、これ? 不安になりながら本放送を迎えたが、想像以上にシンフォギアで笑ってしまった。
女の子だけが行けるもう一つの世界、「アリスピア」。そこでは流れる時間の速さすら違う。女の子たちはアリスピアで気ままに歌い、踊り、自由を謳歌していた。しかし、男子禁制の乙女の園に忍び寄る怪しい影が……という感じで、大人気アイドルのライブをやっている最中にノイズ的なエネミーが大量に湧いてきて会場を襲撃される。話の流れがほぼシンフォギア1期なんですよね。明確な死傷者が出ず、シンフォギアほど深刻な事態には陥らないが、大枠そのものは「ここまで寄せていいんか?」と心配になるほど共通している。友人が危機に陥り、主人公にも魔の手が迫る……という場面で秘めた力が覚醒し、「プリンセス」に変身するところで1話目は終了。プリキュアとシンフォギアを混ぜ合わせたような一品で、斬新さはないし作画面も「通年アニメにしては頑張っている方」という感じで、そこまでスゴくはないんだけど最低でも4クールやることは確定しているから長く楽しめそうだ。舞台が「アリスピア」で、エネミーが「ジャマウォック」、敵組織の名前が「バンド・スナッチ」とルイス・キャロル由来だからちょっと『Forest』を思い出してしまったり。何であれヒットすればシリーズ化も見込めるだろう。とりあえず日曜の楽しみが一つ増えました。
・「劇(はげ)しい光に包まれている」と囁かれた読切漫画「魔法少女イナバ」が5月20日から連載作品として新生すると聞いて「劇光の波が来ている」って実感しました。
明らかに『劇光仮面』の影響を受けている漫画なのですが、若先生(山口貴由)の反応がコレなので実質黙認状態である。面白かった読切が連載に繋がるのは素直に嬉しいことなので、ちょっと先の話だけど連載開始を楽しみにしています。
・「幼馴染とはラブコメにならない」TVアニメ化、放送は2026年(コミックナタリー)
講談社の漫画配信アプリ「マガポケ」で連載されているラブコメ漫画です。2022年に連載開始して、割とすぐ人気が出たから「思ったより発表が遅かったな」という感想。最新刊は15巻です。ヒロインが全員幼馴染で、「月見るな」「火威灯」「水萌汐」「木暮梢」「オリアナ・マリーゴールド」「日向春」と七曜に因んだネーミングとなっています。「土」枠の子がまだ出てきてないけど、今後現れるのかどうかは謎。幼馴染で距離が近すぎるゆえ、なかなか甘い雰囲気にならない……というもどかしいシチュエーションで延々と引っ張る焦れったい系ラブコメなんで、少女漫画的な「ちゃんと恋愛関係が進展するタイプのラブコメ」を期待するとイライラするかもしれません。「そういうもの」と割り切って楽しむことにしましょう。ヒロインたちの可愛さを堪能することに全神経を傾けろ。たぶん1クールだろうから、構成を変えたりしないかぎりこずねーとかオリアナとか出番の遅いヒロインは顔も見せないで終わるだろう。ちなみに私の好きなヒロインは「るなこ」こと月見るな、現状で唯一の年下幼馴染です。一番若いのに一番計算高くてイイんだよな。
原作の方は結構話が進んでいて、遂に主人公の「えーゆー」こと「界世之介」が「オレ、〇〇のことが好きなんだ……」と恋愛感情を自覚するところまで行っています。いわゆる「ヒロインレース」は決着した状態です。しかし、主人公は他の幼馴染たちからも好意を寄せられていることに気づいており、「〇〇に告白して付き合うことになったら、他の子と関係がギクシャクしてしまうのではないか」と恐れて踏み出せなくなってしまう。恋愛感情をペンディングしている状態で、他の幼馴染もグイグイ迫ってきて彼の心は激しく揺れ動く――という「八方美人で優柔不断」な主人公になっちゃっており、残念ながらえーゆーに対する読者人気はどんどん下がっている。負けヒロインを出さないための引き伸ばしが延々と続いているんですよね。ここから100カノみたいなハーレム展開に突入したらある意味伝説になるだろうけど、今更路線変更が利くとも思えないし「どうすんだこれ……」と途方に暮れながら連載を追っているところです。幼馴染同士でヒロインたちの仲も良く、そこが読みどころの一つになっているから、修羅場展開にしちゃうと読者のハートが粉々に砕けちゃう。個人的には全然アリだけどな、「幼馴染と修羅場になった」も。
放送時期は2026年、来年ですね。制作は「手塚プロダクション」、いわゆる「虫プロ」が前身のスタジオです。『五等分の花嫁』の1期目や『カノジョも彼女』の1期目、最近だと『女神のカフェテラス』を手掛けており、「漫画原作のラブコメアニメ」に関する実績は積んでいる。たぶん「メチャクチャすごいアニメ」にはならないだろうけど、それなりのクオリティーのアニメにはなるんじゃないかしら。
・アニメ「負けヒロインが多すぎる!」2期の制作が決定、本日実施のイベントで発表(コミックナタリー)
近年のラノベアニメでも特筆に値する反響をもたらした一作であり、2期決定は素直に嬉しい。結構丁寧にやったのでストックも充分あります(最新刊は来月出る8巻、1期で消化したのは3巻までです)からね。現状だと3期はちょっと厳しいかな……といったところですが。『負けヒロインが多すぎる!』はガガガ文庫の新人賞「小学館ライトノベル大賞」の「ガガガ賞」(大賞の一個下、電撃小説大賞でいうところの「金賞」に相当する)を獲って2021年からスタートしたライトノベルのシリーズです。応募時のタイトルは『俺はひょっとして、最終話で負けヒロインの横にいるポッと出のモブキャラなのだろうか』だったので、変更して大正解だったと思われる。派手さはないが秀逸なギャグセンスと「いみぎむる」(『リコリス・リコイル』のキャラデザやった人)のイラストが噛み合い、楽しく読めるラブコメに仕上がっています。ラブコメでありながらちゃんと「失恋」に向き合っている、というあたりに独自の色もある。
人気が出てアニメ化したことには驚かなかったが、アニメの出来自体にはビックリした。ガ、ガガガ原作のアニメとは思えないくらいクオリティが高い! ハッキリ言って「ガガガ文庫から出ているライトノベルを原作にしたアニメ」って「面白いかどうかはともかく作画面のクオリティは低い」というのが共通認識でしたからね……ヒットして3期までやった俺ガイル(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。)も1期目の作画はお察しレベルでした。特にヒドかったのは『俺、ツインテールになります。』、1話目が結構良かったので期待していたらどんどんクオリティが下がっていき、遂には紛れもない「作画崩壊」を起こして放送終了後も擦られる作品になってしまった。下セカ(下ネタという概念が存在しない退屈な世界)は特に不満を感じなかったけど、『弱キャラ友崎くん』は期待が大きかったぶん不満の残る出来だった。
なので『負けヒロインが多すぎる!』も放送前はイマイチ期待できなかったが、いざ放送が始まると「なんだ、これは……」って目を疑うぐらい作画と演出のクオリティが高くてビックリしましたね。劇場アニメならともかく、深夜アニメでここまでライティングにこだわるのか!? って度肝抜かれましたよ。「屋内のシーンでも明るめのところと暗めのところでライティングのパターンを変えている」とインタビューでも語っており、徹底して「映像の空気感」に力を入れています。ミーム化した「う゛わ゛き゛た゛よ゛!」も原作だとサラッと流しているところであまり印象に残らないのですが、アニメ効果でインパクトがスゴいことになりました。一時期は「ガガガ文庫全体の売上の8割を占める」くらい売れたのだから、「アニメが当たるとデカい」ことを再確認した次第。とりあえず、監督や制作会社が変わらないかぎり2期も期待して構わないでしょう。気になるのは放送時期か。さすがに今年中は無理だろうから早くて来年の春あたりかな。
・「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」未放送エピソード全3話、YouTubeで期間限定公開(コミックナタリー)
未放送エピソードなんてものがあったこと自体知らなかった……ロロロ(総集編映画)と劇場版のBDは買ったけど、TVシリーズのBDは「放送版を全部録画しているから別にいいや」ってスルーしちゃったんですよね。TVアニメのBDってディスクの入れ替えが面倒で購入しても再生せずに仕舞い込むコレクターアイテムになってしまいがちだから、ある時期からほとんど手を出さなくなってしまった。
未放送エピソードはBlu-ray BOXの1に収録された「99.419 採寸」と2に収録された「99.419 討論」、3に収録された「99.419 開演」で、すべて8分程度のボリューム。全部合わせてTVアニメ1話分といったところです。内容としては「舞台少女たちの日常」といった感じで、謎空間で戦う「レヴュー」要素は一切ありません。時系列的にはTVシリーズの最終回以降、第100回聖翔祭(年度末に開催される行事)までに位置する。簡単に言うと「2年生の冬」ですね。レヴュースタァライトのアニメは「2年生の春」に始まって、夏と秋をほとんど飛ばし「冬のはじまり」を迎えたあたりで終わる構成となっています。日常エピソードではあるが後日談の一種なんで、TVシリーズを全話観終わってから視聴することをオススメします。
「99.419 採寸」は第100回聖翔祭で上演する劇「スタァライト」の衣装作りのため、大場ななと露崎まひると石動双葉と神楽ひかりの4人がB組(舞台創造科)の採寸に付き合うエピソード。胸が大きくなっていることを気にするまひるの描写がやたら執拗なの、「レヴュースタァライトって初期は男性人気を当て込んでいた節があるよなぁ」って思い返して懐かしくなった。既にサ終したアプリゲーム「スタリラ」にはホーム画面で舞台少女の胸のあたりをタッチすると恥ずかしがる、いわゆる「パイタッチ」機能が付いていたけど不快がるプレーヤーが続出したせいで廃止になりました。私はそもそもそんな機能があること知らなくて、廃止の報せで初めて存在を認識し、残念なような、聞かなくて済んで良かったような、複雑な気持ちに陥りました。「99.419 討論」は階段で突然言い合いを始めた天堂真矢と神楽ひかりの間に挟まれた星見純那が困惑するエピソード。「聖翔祭まであと29日」という張り紙が出てくるので、2月ですね。主役の座を射止めることができなくて悔しがる、珍しい真矢を目にすることができるので真矢ファンは必見。この真矢は「まぁ元気だけでキラキラを売りにしている愛城さんにはわからないでしょうね」ってちょっと言いそう。「99.419 開演」はいよいよ聖翔祭当日、戯曲「スタァライト」の開演時間が迫る中、主役の愛城華恋は控室ではなくバッティングセンターにいた……というわけで、「採寸」や「討論」で素振りしていた華恋の伏線が回収されるエピソード。クロちゃんと香子が惚気合うシーンにニヤニヤしよう。
最後まで視聴して「で、99.419って結局何だったの?」という疑問が残るわけですが、これは99.419マイル=約160キロメートル、つまり華恋がバッティングセンターで打った球の球速です。なんと大谷翔平や佐々木朗希の投球並みだ。いやそんなん解説されないとわかんないよ! 今回の未放送エピソードお蔵出しはレヴュースタァライトのパチンコ化に合わせての施策であり、もしこの調子でパチが超絶ヒットしたらアニメの新作も来るのかな。仮に来るとして、何をやるのかって話ですが。アニメでやってないのは華恋たちが1年生だった頃と、2年生でひかりがいなくなった夏と秋、3年の秋から冬にかけてですね。1年時代がもっとも空白が大きいけど、この頃はオーディション開始前であり地下演劇場でのレヴューはまだ始まっていないはずだからパラレル展開にでもしないかぎり日常エピソードしかやれない。「ひかりがいなくなった夏と秋」はひかりが出せないし、華恋の精神状態もヤバいから捻じ込めるエピソードがなさそうなんだよな。となると、3年の秋とか冬ぐらいしか隙間が残っていない。劇場版が3年の春、5月頃のエピソードで、『遙かなるエルドラド』が「夏の公演」だから7月前後のエピソード。サ終したアプリ「スタリラ」で描かれた劇フェス(全国学生演劇フェスティバル)の開催時期が不明(というか曖昧)だから「秋の出来事」として捻じ込めなくもないが、スタリラは「アニメ本編には登場しないオリジナルの他校キャラ」が山ほど出てくるから今更新作アニメとして展開される望みは極薄と言えよう。スタリラのアニメPVとかも作られたけど、絵柄が結構違うんですよね。後に作られた別のアニメPVの方が本編に近いという。パチ化を前提にしてスタリラがアニメ化する未来もあるかもしれない、と儚い希望を胸に空を見上げてスタァライト探すとするか。
・アニメ「BanG Dream! Morfonication」とTVアニメ「BanG Dream!(バンドリ!)」の地上波再放送が決定!
Ave Mujicaも終わったし、MyGOの再放送が来るかな〜と思ったらまさかの1期目再放送か。ひょっとして新作まで延々と過去のシリーズを再放送するつもり? 今春:1期目、今夏:2期目、今秋:3期目、来冬:MyGO、来春:Mujicaで早ければ来夏(2026年7月)から新作放送かもしれない。バンドリのアニメはTVシリーズ以外に劇場版の『Episode of Roselia』や『ぽっぴん'どりーむ!』、ライブシーンのみで構成された『FILM LIVE』、ガルパ5周年を記念して制作された『CiRCLE THANKS PARTY!』、そしてショートアニメシリーズの『ガルパピコ』があるのでこれらを総動員すれば更に2クールくらいは時間が稼げそうだ。ほとんどは配信で観られるから別にやらなくてもいいけど、公開から3年以上経つのに未だに配信が来ないぽぴどりだけは再編集版でもいいんでやってほしいな。MyGOは去年に総集編映画を上映したが、そちらは配信どころか円盤にすらなっていない。TV版MyGOのBDも放送終了から半年経ってようやく発売されるような有様だったし、バンドリは円盤売るのにあまり熱心じゃないんですよね……。
さておき、4月17日から再放送される『BanG Dream!(バンドリ!)』は2017年の1月から4月にかけて放送された作品です。通称「1期目」。いわゆる「冬アニメ」だったのですが、放送開始が遅かった(最短の局でも1月21日)ため最終回が4月下旬までズレ込んでいる。何かトラブルがあって遅れたわけではなく、「年始の慌ただしい時期に放送してもあまり注目されないからあえて遅めに開始しよう」という狙いがあったそうだ。バンドリはメディアミックス・プロジェクトとして2015年にスタートしたが、初期の設定では主人公の「戸山香澄」が「気弱なぼっち」だったりベースの「牛込りみ」が「忍者に憧れる変わり者」だったりとかなり癖が強かったため、2016年頃にいろいろと設定変更して「アニメやソシャゲ向けの話」に作り直しています。「キラキラドキドキ」を合言葉に、脳天気なぐらい明るくて前向きな香澄ちゃんがギターと出会ってバンド活動にのめり込んでいく様子を描いている。
バンド要素と萌え要素をどの程度盛り込むか、まだ制作陣も匙加減が掴めていなかった時期の作品なのでかなり手探り感が強いです。現在は「3DCGアニメ」として認識されているバンドリシリーズだが、この1期目は手描き作画が基本で、3DCGは部分的にしか使用されていない。アニメ制作は今はなき「XEBEC(ジーベック)」だ。監督は「大槻敦史」、最近だと「まほあこ」こと『魔法少女にあこがれて』を手掛けた人。元請けのXEBECが外注に回したいわゆる「グロス回」も多く、作画が不安定で素直にオススメはしづらいけど、香澄と有咲の掛け合いとかはやっぱり今でも好きですね。3話でやった「きらきら星のアレ」が不評だったこともあってアニメは「成功」と言いにくい結果になったものの、放送中に配信が始まったアプリ「ガルパ」こと『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』はヒットしたため、アニメも2期、3期と続くことになります。今はもうだいぶ人気が落ち着いているガルパだけど、全盛期の勢いは本当に凄まじかった。アクティブ数が100万人を超えていたし、ブシロードの決算で「バンドリの売上高が100億円を突破した」と発表されるくらいでした。
バンドリのアニメなんて今なら配信でまとめて観れるから再放送の需要があるのかどうか半信半疑だが、とりあえず私は昔を懐かしんで録画しようかな。当時の録画はまだ残ってるんですけど、録画機器が古かったせいでSD画質なんですよね……特有の滲みが「味」になっているからあれはあれで趣深いんですけども。あと不評すぎて修正された3話のきらきら星パート、無修正版が観れるのも当時の録画しかない(以前はアマプラで無修正版が配信されていたらしいが、一旦ラインナップから消えて、復活したときには修正版になっていたという)から結構貴重なんです。
・アマプラで『侍タイムスリッパー』を視聴。
2024年8月に公開された邦画(映画祭での上映は2023年に何度かされている)ですが、インディーズ作品ということもあって当初は公開規模が小さかった……というか1館のみの上映だった。それが公開後に話題となってどんどん上映規模が拡大していき、更にブルーリボン賞や日本アカデミー賞を獲ったことも話題になって今年になってもまだ上映館が増え続けている。つまり『カメラを止めるな!』みたいな感じで成り上がっていった作品です。ただ一種の時代劇なので制作費はカメ止めよりもずっと掛かっており、その額、約2500万円(カメ止めは約300万円)。監督の「安田淳一」は自身の預金1500万円と文化庁の補助金600万円に加え、所有していたスポーツカー(NSX)を400万円で売ってどうにか工面したとのこと。企画発足がちょうどコロナ禍の頃でいろいろ難儀したそうだが、東映京都撮影所の全面協力もあって何とかなったらしい。通常版と、5分くらいの追加シーンがある(というよりカットしたシーンを復活させた)「デラックス版」が存在していて、アマプラで配信してるのは通常版の方です。
時は幕末。夜、会津藩士の「高坂新左衛門」は同志とともに物陰に潜み、長州藩士の待ち伏せをしていた。相手はなかなかの手練れで、一瞬の間に同志は倒れ、一対一のさながら決闘じみた状況に。突如降り出した大雨に濡れながらいざ決着をつけんと刀を振りかぶったところ、轟音とともに視界が真っ白になった。どうも落雷が直撃したらしい。気が付くと新左衛門は「江戸」にいたが、何だか妙な雰囲気が漂っている。混乱の末、彼はここが自分の生きた時代の140年先にある未来であることを知って……という、幕末の佐幕武士が現代の撮影所にタイムスリップしてしまう映画です。コメディ要素は多いけど、シリアス要素も混ざっているので「コメディ作品」と言い切っていいかどうかは迷うところ。
幕末からタイムスリップしたことを悟った新左衛門はどうにかして元の時代に戻ろうとするが手だてもなく、途方に暮れる。寺の和尚に拾われて「記憶喪失の男」として住み込みで働くことになるが、成り行きで時代劇の「斬られ役」を演じることに……という具合に俳優への道を歩み出します。監督曰く、発想のベースにあったのは「現代にタイムスリップしてきた侍(役所広司)が出てくる宝くじのCM」で、そこに「5万回斬られた男」の異名を持つ「福本清三」のイメージを重ねた、とのこと。その福本さんが主演する作品として『太秦ライムライト』という映画があり、ストーリー上の繋がりはないが「精神的な意味合いでの『太秦ライムライト』の続編」と言えるかもしれません。作中に「関本」という殺陣師が出てくるんですけど、これも福本さんをイメージしたキャラクターで、可能なら福本さんに演じてほしかったそうだが脚本執筆中に福本さんが亡くなったため実現しなかった。
クライマックスの展開がちょっと強引でノり切れない部分はあったが、極力無駄な描写を排して必要なパーツだけで映画を組み立てており、「低予算映画」のムードこそ漂っているもののアイデアと情熱と演出で充分にカバーできている。最後にクスッとするようなネタを仕掛けていくのも心憎い。予算カツカツで「地獄を見た」と監督は語っているが、そういうバタ足めいた苦労は本編に出ていないので気楽に観れると思います。ちなみに興収は10億を突破したそうで、米農家を兼業している監督は経済的にも救済された模様。
まとめ。「タイムスリップしてきた侍が『斬られ役』の俳優として新たな人生を歩き出す」というシンプルな内容を複雑になり過ぎない程度にヒネって完成させた、ごくストレートなエンタメ作品。「最近の映画はどうも騒がしくて付いていけない」という、「昔は映画が好きだったけど近頃はあまり観ていない」タイプの人に特にオススメしたい一本だ。ちなみにヒロインの「山本優子」の部屋の本棚、司馬遼太郎の文庫本が並んでいるのはわかるとしても西村寿行の鯱シリーズがあるのは何なんだ……作中の設定年代は2007年で今から18年くらい前だが、それでも寿行の本があるのはだいぶ違和感強いぞ。
・呉勝浩の『爆弾』読了。
作者名は「ご・かつひろ」と読ませる。「江戸川乱歩賞」を受賞してデビューした小説家で、これまでに「大藪春彦賞」「吉川英治文学新人賞」「日本推理作家協会賞」などを受賞しているタイトル・ホルダーです。直木賞の候補にも三度なっているが、今のところ受賞には至っていません。この『爆弾』も直木賞候補作で、「このミステリーがすごい!」や「ミステリが読みたい!」の1位を獲った作品だけに期待されたが、結果はさっき述べた通り。「三浦しをん」と「角田光代」からは評価されたが、それ以外の選考委員からはあまり色よいコメントを貰っていません。ちなみにこのときの受賞作は『夜に星を放つ』です。
東京の各地に爆弾が仕掛けられた――前代未聞と表現していい規模のテロ計画に動揺する警察。幸いにして最重要容疑者は既に確保されている。酔って自販機を破壊した、という罪で連行された、だらしない風体の男。彼は「スズキ・タゴサク」と明らかな偽名を口にして、「霊感」と称し爆破の時刻と場所を予告していく。失うものなど何もない「無敵の人」を、いかにして陥落させるか。テロを食い止めたい警察官たちは掴みどころのない悪意を撒き散らすスズキに立ち向かっていくが……。
へらへら笑いながら「お金を貸してください」と無心してくる絵に描いたようなダメおっさんが、急に大規模テロの主犯格として扱われる存在になる、冒頭数十ページの暗転感が鮮やかな一作。雑談とクイズを織り交ぜて爆破場所についてのヒントを出していく愉快犯はエンタメ映画にもよく出てくるが、そういうタイプはどちらかと言えば知能な高そうな「インテリ」のイメージが強く、スズキ・タゴサクのような「ザ・人生の落伍者」といった雰囲気のオッサンがのらりくらりと追及の手を躱しながら遣り取りするのは斬新でなかなか読み応えがあります。
ただ、どうにも長いので緊張感が持続しない、という難点があります。文庫版で500ページ、一気に読み通そうとするとダレる部分があるのは仕方ないですが、取調室の中で繰り広げられるスズキと刑事の駆け引き、取調室の外を駆けずり回る捜査官たち、そしてテロ計画が露見してパニックに陥る一般民衆と、いろんな視点を盛り込んだせいで少し冗長になってしまった印象はありました。極限状況に追い込まれて現実味を失い、「別に誰が死んだっていいじゃないですか、自分と関係のない人なら」というスズキの言葉に納得しそうになる警察官たちの姿が見所の一つなんでしょうが、「爆破に巻き込まれた被害者たち」の描写を控え目にすることで凄惨なムードを減らしており、「今の時代だったら現場の状況があっという間に拡散されるだろうから『現実感がない』で押し切るのはちょっと無理があるのでは?」と思いました。舞台を取調室に固定した方が良かったのではないか、という直木賞選考委員のコメントがしっくりと来る内容です。
多少ダレるところがあるにせよ一気に読めるし、ドンデモ返しもあって、最後の一行もキマっている――「傑作」の条件は満たしているのに「盛り込み過ぎ」なせいもあっていまひとつハマり切れず、個人的には「惜しい」一冊でした。続編として『法廷占拠 爆弾2』が発売されている、というかこれを読みたくて崩したんですよね。実は『法廷占拠』も既に読み終わっているが、前半は『爆弾』をも凌駕する勢いでワクワクさせてくれたけど後半は尻すぼみで少しガッカリした。続きそうな終わり方だったから『爆弾3』に期待。あと今年実写映画が公開される予定なので、「500ページもある小説を読むのはダルいな」って人はそっちを鑑賞するのも手です。
2025-03-30.・マンガ大賞2025、大賞作品は売野機子「ありす、宇宙までも」(コミックナタリー)
おっ、知ってる漫画だ。『ありす、宇宙(どこ)までも』は宇宙飛行士を目指す少女が主人公の青春漫画です。主人公「朝日田ありす」は両親が英語と日本語、両方喋れるバイリンガルの子として育てようとした結果、英語も日本語も中途半端で周りとの会話が困難な「セミリンガル」になってしまった。会話に難儀するだけで、地頭は悪くない、だから何にだってなれる。そう指摘されたありすは、問題を克服して「宇宙飛行士になる夢」を目指そうと決意する――という、「夢に向かって努力する」頑張り屋な少女を描くシンプルな物語だ。「マンガワン」というアプリで配信されていて、「これの1話目を読んだらSPライフ(漫画を読むためのアイテム)あげるよ」というミッションがあったからSPライフ欲しさで「じゃあ1話だけ」と読み出したところ、止まらなくなってしまった。売野機子作品はどことなく「通向け」という印象があったけど、これは個性を出しつつエンタメ要素もしっかり押さえていて読みやすい。協力者となる少年「犬星くん」との距離感も絶妙で、ラブコメに頼らず話をまっすぐに盛り上げてくれる。とにかくありすの直向きさが可愛くてオススメです。まだ3巻が出たばかりであまりストックが貯まってないが、これもいずれアニメ化するんじゃないかな。
・Leaf、Key設立メンバーと振り返る「90年代美少女ゲーム界」最前線──『ときメモ』に挑んだ『ToHeart』、伝説の名曲『鳥の詩』制作秘話、時代を変えたKeyの「泣きゲー」etc……あの時代の“熱狂”に迫る(電ファミニコゲーマー)
「下川直哉」と「折戸伸治」の対談という非常に貴重な記事です。今は「Key」の方で有名だけど折戸はもともと「Leaf」に所属していたんですよね。折戸のLeaf時代は私もよく知らないので興味深く読ませてもらった。下川が「TYPE-MOONの奈須さんやニトロプラスの虚淵さん」と具体的な名前を挙げているが、このふたりがLeafの『痕(きずあと)』をプレーして「アダルトゲームってこういうのもアリなんだ!」と衝撃を受けた話はあまりにも有名です。さすがに時間が経っているからか二人とも結構ぶっちゃけており、下川が「鳥の詩」に対して「腹立つわ〜」「うちから出て行ったあとに当てとるな〜」「いい曲すぎて悔しかったですね」とコメントしているのは微笑ましい。Leafを立ち上げて3作目の『雫』が当たるまでは「生活的にかなり苦しかった」とコメントしているのはまぁそうだろうな、と。『DR2ナイト雀鬼』や『Filsnown』の頃からLeafに注目していた筋金入りのオタクは葉鍵好きの中でもかなり少数派でした。対談の中でも語っているが、『DR2ナイト雀鬼』なんて2500本出荷して700本しか売れなかったそうだ。当時はWindows95が上陸する前で、エロゲーの売上が下降気味になっていた「谷間の時期」だからというのもあるのかもしれない。
「『同級生』や『ときメモ』のような、青春っぽいもの」というコンセプトで制作されたのが『ToHeart』だというが、驚くことに開発がギリギリで「社内でテストプレイして意見を交わしたり」するようなこともなかったという。バクチみたいな制作体制で唖然とする。そういえば下川はホワルバ2も丸戸史明にだいぶ好きにやらせていたけど、当時から割とこういう放任主義だったんだな。折戸は代表曲である「鳥の詩」について語っているが、当初予定していた歌手は「Lia」じゃなく、別の人が歌うはずだったけど急遽キャンセルになって、「ロサンゼルスのスタジオでレコーディングをすることは決まっていた」からたまたまスタジオにいたLiaが歌うことになったという……エロゲーのシナリオでも「御都合主義」と言われそうな展開だ。ちなみに「鳥の詩」はフルだと6分くらいあるんですが、ゲームのOPでは3分程度に縮められたショート版が使用されており、更にTVアニメでは1分半に編集されたバージョンが採用されているので、人によって「鳥の詩」のしっくり来る長さはバラバラだったりする。私はやっぱりゲームで使われたショート版が一番馴染みますね……。
ほか、面白いトピックは「下川は若い頃に結婚式場でバイトして、式の進行に合わせて照明変えたり音楽流したりしてたおかげで『どういう曲をどういうときに流せば人は泣くか』の感覚が掴めた」とか「Steamは審査が厳しい」「審査を担当する人によっても基準が変わってくる」とか「『3Dキャラの踊るシーンで胸が揺れている』と指摘されてボーン(骨組み)を外して再審査の依頼をしたら『まだ揺れている』と返ってきた(目の錯覚?)」とか、いろいろあるので是非目を通してみてほしい。
・『BanG Dream! Ave Mujica』、最終回に当たる第13話「Per aspera ad astra.」が放送されました。
マイゴとムジカのライブ回であることは次回予告の時点で判明していましたが、本当に最初から最後までずっとライブ! 開始前の掛け合いとかMCとかムジカ特有の寸劇もありますけど、それ以外はひたすらずーっとライブシーンです。なんと途中CMすらナシ、ぶっ続けでやっています。本来ならCM入れる枠にまで本編を押し込んでるから最終話だけ27分ある(いつもは24分弱)。スゴい真似するな、本当に……感覚としてはほとんどFILM LIVE(ライブシーンだけで構成されたバンドリの劇場版作品)です。ムジカはこれまでライブのことを寸劇含めて「マスカレード」と呼んでいましたが、もう仮面外しちゃってるし「仮面舞踏会」という形式にこだわらなくてもいいかな、ということなのか今回は「ミソロギア(神話)」と称している。「私の神話になって(はぁと)」→なった。
尺の限界まで詰め込んだ曲は5曲。構成としてはマイゴの曲を2つやって、それからムジカの曲を3つやって終わり。1曲ずつ交互にやるのかな、と予想していたけど、あまり頻繁に舞台が切り替わると没入できないからかシンプルに「ライブを見せる/ライブで魅せる」内容となっています。マイゴがやった曲は「聿日箋秋」と「焚音打」。一曲目、「聿日箋秋(いちじつせんしゅう)」は祥子を想って歌ったと思われる新曲。「聿」は筆、「箋」は紙……祥子に毎日付箋でメッセージを送っていた日々を振り返り、わかれ道の先でまた交差することを願ってこれからも歌い続けると決意表明する歌だ。ギター勢の愛音と楽奈が向き合ってギターを弾いた後に背中合わせになるシーンがいいですね。燈が歌っている後ろをトコトコ歩いて定位置に戻る楽奈も地味に好き。「ここ好き」ポイントはイントロで映される「MyGO!!!!!」のロゴと、ギターヘッド視点から見た愛音ですね。ファンサしてたせいでコーラスに入るのが遅れて慌ててマイクに向かう愛音をジト目で見るそよや呆れた顔をする立希もスゴくイイ。MVも公開されているが、「新しい風に吹かれてた」でCRYCHIC解散の悲しみから足踏みしていた燈の手を愛音と楽奈が引っ張っていくところが最高。二曲目の「焚音打」は「たねび」と読ませる。発表済みの曲ですが、アニメでやるのは始めて。こちらはマイゴのメンバーに向けて歌ったような曲ですね。「『焚き』つけられない」「『燈り』火」「ほ『らあな』」「『そよ』ぐはずのない風」「『ア』ン『ノ』ウ『ン』」とメンバー全員の名前を歌詞に織り込んでいる。隙あらば目立とうとファンサに励む愛音の姿に呆れる立希が相変わらずイイ味を醸しています。新曲の「聿日箋秋」はシングルが発売される予定ですが、カップリングとして「掌心正銘(しょうしんしょうめい)」なる新曲も収録される模様。「曲名の読みがクイズみたい」と言われるマイゴの中でもっとも読みやすい曲名ではなかろうか。
視点が切り替わり、今度はムジカのミソロギアへ移る。マイゴとは大きく異なる広々とした会場「G-WAVE」。MyGOの13話でムジカが「Ave Mujica」という曲をやったところですね。Ave Mujica、アニメのタイトルでもあってバンド名でもあって曲名でもあるのでややこしい。私は詳しくないのでただの受け売りだが、構造的に「Kアリーナ横浜」(キャパ2万人)がモデルとなっているらしい。4月にそこで合同ライブを開催予定だからその兼ね合いもあるのかな。演奏した曲は「八芒星ダンス」と「顔」と「天球(そら)のMusica」、なんと全部新曲です。「八芒星ダンス」は繰り手のいなくなった操り人形みたいなパフォーマンスからいきなりド迫力の曲が始まる。「八芒星」はサーカスのテントの「放射状の天井」を表しているらしいが、「ベツレヘムの星」のイメージも混ざっているようだ。比較的短い曲なのですぐに終わるが、これまでライブであまり激しいパフォーマンスをしていなかったモーティス(睦)が結構積極的に動いていて明瞭な「変化」を感じます。まさかギター回しまでするような子になるとは……あとにゃむが猫のポーズを取るところ、一時停止してよく見ると髪先の影が瞳に掛かって猫の瞳孔みたいになっているのがわかって「細かい!」と唸った。歌詞が聞き取りづらいので、字幕表示できる環境の方は一度聞いた後に字幕見ながら聞き直すのがベター。「顔」は初華の舌打ちから始まる挑発的・嘲弄的なソング。何せ「顔」、シンプル過ぎていくらでも意味を汲み取れるが、英題は「Alter Ego」(別人格)とかなりストレートな曲名になっている。海鈴のプリケツがやたらと印象に残る一曲だが、モーティスキックが前半のラーナキックと照応している演出が心憎い。睦ちゃん、習い事でバレエやってるおかげもあって体幹は抜群なんですよね。森みなみは母親として睦ちゃんを愛することはなかったけど、その才能を見抜いて「将来役に立つこと」はしっかりやらせていた。いろいろと複雑な気分になる事実だ。
ラストを飾る「天球のMusica」……の前に挿入される寸劇。「人間に捨てられた人形たち」が「欺瞞に満ちたパラディースス(楽園)の騎士」になっています。「忘却の女神」と化したオブリビオニスとそれに忠誠を誓う4人の騎士。「黙示録の四騎士」をイメージしているのかしら。ムジカ再結成に乗り気ではなかった祥子を担ぎ出す他の4人という10話の内容を脚色したような筋立てだ。満を持して始まるトリ、「天球のMusica」はムジカの代表曲であり集大成とも言われる「Ether(エーテル)」を意識した一曲というか、ほぼ「Ether」のアナザー版ですね。「人は忘れてく」「いつかは消えてく」と歌詞だけ見ればかなり後ろ向きな諦念を湛えた曲のように思えるが、奏でられる音は美しく、「それでも」「だからこそ」という非常に前向きな意志が漂っている。「Ether」の「決して忘れてはいけない」という歌詞に対して否定的な曲のようにも感じられるが、作詞したDiggy-MO'が語るところによれば「Ether」は「巡り巡る輪廻と因果を魂が悟り、次第に一面のハイライトに溶け込んで、やがては消えていくイメージです」なので、イメージとしては「永遠」だけど「不滅」ではない、忘却と消滅の果てに合一が訪れる……という「宇宙規模の巨視で見下ろす輪廻」になっています。月や星といった天上のモノ、遥かな存在に比べれば地上のアレコレは風に吹かれて舞う塵芥の如きモノでしかないが、砂粒のような己でも手を伸ばし続ければ「星の鼓動」を享受することができる。BanG Dream(夢を撃ち抜く)というプロジェクト名に相応しい、総決算めいた曲に仕上がっていて普通に感動してしまった。晴れ晴れとした顔で歌い上げる初華に惚れ惚れとする。「女神を守る騎士」を女神の方こそが守護している、という倒錯を暗示するとともに閉幕(カーテンフォール)。
締め括りはマイゴの挨拶。ライブ終了後、センターを奪取すべく行動した愛音のせいで燈と手を繋げなくなった立希が「お前なぁ……」という顔をするところも好きです。愛音ちゃんは部外者なのに巻き込まれまくって可哀想だったから、これくらいの役得はあっていいよね。手繋ぎバンザイのシーンで端っこだからと片手だけ挙げて済ませているそよりんも本性隠す気ゼロで笑っちゃった。いろいろ激動しまくった結果、「睦とモーティスに尺を喰われまくって海鈴とにゃむが割を食った印象が強いな……あとまなちゃんの扱い……」という感想に落ち着いたAve Mujicaであるが、最後に最高のライブが見られて満足――と余韻に浸りかけていたところで「It's MyGO!!!!!」「Ave Mujica」アニメ続編シリーズの制作が決定というニュースで何もかも吹っ飛びましたわ。来てほしいとは願っていたが、もう少し時間が掛かると想像していただけに最終回のタイミングで発表してくれたのは超嬉しい! 想像でしかないが、It's MyGO!!!!!放送時はまだAve Mujicaしか予定がなくて、放送後の手応えから急遽続編が決まったのではないか。国内だと「そこそこ」止まりながら、中国語圏で異様なくらいヒットを飛ばしましたからね。「向こうでは二次創作が盛ん過ぎて、まるで東方プロジェクトみたいになってる」って話もありますし。羽丘に転校してきたばかりの愛音ちゃんが話しかけたクラスメイト3人組にまつわるネタまであるというんだから凄まじい。
「続編シリーズ」という表現から察するに、恐らくIt's MyGO!!!!!やAve Mujicaと同じくTVアニメとして放送する予定だと思います。ガルパンや『プリンセス・プリンシパル』みたいな劇場版連作の可能性もあるが、それなら「続編劇場化」って書くだろうからたぶん違うでしょう。クール数については、1クールか2クール、少なくともそれ以上ってことはないはずです。仮に2クールだとしても分割になるでしょうね。バンドリのTVシリーズは「Ave Mujica」が5期目に相当するので、ひとまず通算6期目が確定したことになります。無印バンドリが1〜3期目、MyGOが4期目、Mujicaが5期目という内訳で、6期目がマイムジの続編なわけだから「マイムジ系列の長さが無印とほぼ並ぶ」勘定になります。「ほぼ」と書いたのは、バンドリのTVシリーズは基本的に1クール13話構成なのですけれど、無印の1期目はOVAとして水着回に当たる第14話が制作されているため他より1話多いからです。告知動画を見ていただければわかりますが、OVA「遊んじゃった!」はガールズバンド要素がキレイに消え失せていて「バンドリにもこんな時代があったんだ……」と驚くこと請け合い。Roseliaの設定が固まっていなかった頃に作られたのか、今視聴するとかなり違和感があって逆に面白い。しかし、これで「マイムジの続編」が2クール以上だった場合は明確に「無印よりもマイムジ系列の方が長くなった」ことになるな……「プリティーリズムよりもプリパラの方が長くなった」みたいな現象だ。
古くからのファンは「無印バンドリの続き」を熱望し、「ムジカが終わったら再び香澄たちが主役の4th Seasonをやってくれ!」と祈っていたわけで、そういう人たちは「マイムジの続編」と明言されて嘆いているかもしれません。なお「無印」「マイムジ」と呼び分けているが、バンドリのTVシリーズは一貫して「同一世界の物語」をやっているから両者で大きく設定が異なるというわけではない(制服のデザインをマイナーチェンジしたり舞台となる校舎の設備を新しく作ったりなど、細かい部分でリファインしているところはある)。ただ、無印は「ポピパ」こと「Poppin'Party」のメンバーが主役みたいなポジションだったのに対し、マイムジはポピパのメンバーがカメオ出演的にチラッと出てくるシーンこそあるものの完全に脇役に回っており、作品としてのムードが全然違います。「キラキラドキドキ」がモットーだった無印に比べ、マイムジは露骨に「ギスギスドロドロ」だったし……いや、無印も結構すれ違いによってギクシャクするシーンが多くて「ギスギス」なところはあったし、マイムジもラストはちゃんと「キラキラ」してたから完全に塗り分けされているわけじゃありませんが。
しかし、冷静に考えると無印バンドリの1期目が放送されたのって2017年ですからもう8年前、3rd Seasonすら2020年で5年くらい前です。マイムジから入ってきた新規層が旧作に興味を抱いてサブスク等で視聴する流れも発生していますが、「4th Seasonを制作するよりも素直に『マイムジの続編です』と謳った方が反響は大きいだろう」とブシロ側が考えるのは至極当然のことだ。なので既存ファンを納得させるために「つれづれポピパ」というポピパにフィーチャーしたショートアニメを作ることで埋め合わせしてるんだと思います。「つれづれポピパ」、それに全52話のショートアニメ(実質ピコシリーズの新作)、トドメに「マイムジの続編」と、ブシロは社運を賭けてバンドリ!プロジェクトを推しまくっている。今はそのことを寿ぐとしよう。まだまだ大ガールズバンド時代は終わらない……!
続編が来るのは早くて来年の秋頃、順当なら再来年の春頃かしら。告知PVは内容について細かく触れていないが、「ぜんぶ……自分のために、自分の想いを書いてきたっ……」という燈とおぼしきセリフ(モノローグ?)と「…わかってる。ムジカにふさわしい歌詞、絶対、書くから」っていう初華(初音)っぽいセリフが出てくることを考えると、「燈と初華(初音)」を対比させる狙いでマイゴとムジカが引き続き主役ポジションに収まることが予想される。年度を跨ぐと細かい設定の擦り合わせが大変になるから燈たちは高校1年生のままじゃないでしょうか。後述するが「ムジカが9月に解散して10月に再結成した」という無茶なスケジュールになっているのも、続編のストーリーを押し込むために「本当は年明けくらいに再結成って流れにするつもりだったけど年内へ前倒しにした」んじゃないかと疑っている。新キャラや新バンドは出てくるかもしれません。
そして何より気になるのが「北欧ロケ敢行」、PVに映っている街はヘルシンキ(フィンランド)、オスロ(ノルウェー)、ストックホルム(スウェーデン)で、「北欧三国のどこか」ではなく「北欧三国のすべて」が舞台になる可能性が高まってきました。バンドリはこれまでぽぴどり(劇場版)でグアムに行っていますし、愛音はイギリス留学の帰り、祥子はスイスに行かされそうになるなど「海外」を意識した展開があったが、TVシリーズでここまで大掛かりにやるのはもちろん初だ。ちなみに8話の珈琲店で出てきたバイト店員「若宮イヴ」は「母親がフィンランド人」という設定なので何らかの形で絡んでくるかも。一番扱いが気になるキャラは「sumimi」の「純田まな」ですが……初華のパートナーなのにろくな出番がなく、「尺キツいしこの子は続編の方でどうにかしよう」って途中で放り出したんじゃないかと邪推してしまう。合同ライブにも出演するくらいなんだからもっと優遇してほしいぜ。「森みなみ」とか「豊川清告」とか「豊川定治」とか、そのへんはもういいかな……「豊川の恐ろしさ」なんていうフレーバーを掘り下げるくらいなら燈ちゃんの幼なじみの「みおちゃん」とかを出してほしいです。あともうAve Mujicaみたいなライブ感重視の展開は控えてもらえるとありがたいかな……話の前提を何度もひっくり返されるのはさすがにしんどかったですから。
余談。MyGOの頃から「作中の日付設定ってどうなってるんだろう?」とずっと気になっていたので、この機会に少し整理してみます。MyGOの1話目、愛音が羽丘に転入してきたとき教員が「もうすぐゴールデンウィークですが」と言っているから4月の終わり頃と推定できます。で、MyGOだとこれ以降は日付を特定できる明確な手掛かりがほとんどありません。7話のライブでもポスターに書かれているのは開催時間だけで何月何日なのかはまったく書かれていない。具体的な日付を書いちゃうと「えっ、このときのポピパやアフロって〇〇してたんじゃない?」ってガルパとの矛盾が生じてしまいかねない(マイムジで描かれている年はアフロの解散話が出ていた時期だからそのへんかなりセンシティブだ)から、辻褄合わせの労力を省くために割愛しているんだろう。日付考証って地味な割にひたすら手が掛かりますからね。
MyGOの9話で月ノ森吹奏楽部の定期演奏会ポスターが張られていて、ようやく日付が示される。「6月6日(土)」と「6月7日(日)」。カレンダー的にマイムジは2020年がベースと判明します。定期演奏会に合わせて立希がそよに会いに行くので、胸ぐら掴んだシーンが6月6日か7日ですね。愛音が「そよさんとCRYCHICやりなよ」と言ったのは最短で6月8日(月)ということになります。次の10話を機にキャラがみんな夏服に衣替え。監督によれば「1ヶ月は経っていない」ということなので、7月の頭くらいだと思われる。尺の都合で省かれたが、燈のポエトリーリーディングやってた期間が割と長くて「詩超絆」による再結成は短く見積もっても7月中旬頃になります。最終話の13話、Ave Mujicaのマスカレードにて「7月25日(土)」とまた日付が出てくる。にゃむが「お披露目ライブ」と言っているので、この日がムジカの正式なデビューと見做していいだろう。祥子が「初華」に「全部、忘れさせて……」と電話したのが5月の下旬くらいで、6月中にメンバー集めが終了し、そこから1ヶ月くらい掛けてデビューの準備をしていたことになる。Mujica1話目は通学シーンがないことを考えるとまだ夏休み期間中、8月の終わりぐらいかもしれない。2話目は通学シーンがあるので9月になっていると思います。で、Ave Mujicaの解散が9月20日。曜日は書かれていないが2020年ベースと考えれば日曜日ですね。そして最終回で描かれたMujicaのミソロギア(ライブ)は10月18日(日)。解散から4週間後、つまり5話〜13話は一ヶ月足らずの間に起こった出来事ということになります。5話でモブが「ムジカ解散してから一ヶ月くらい経つよね」と言っていたことや6話で海鈴が「あれから一ヶ月」と発言していたことを考えると辻褄が合わないし、ライブの準備(段取りの打ち合わせ・会場の手配)やチケットの販売期間を考慮するとミソロギアの日付設定は本来もっと後ろ、12月か翌年の1月ぐらいにするつもりだったんじゃないか? でも急遽続編が決まって、「途中でクリスマスの話を入れたいから新作の話は11月スタート、Ave Mujicaのアレコレは10月で終わったことにしよう」みたいなことを考えた結果タイムスケジュールがおかしくなってしまった……というふうに解釈しています。
どういう事情であれ、日付が明示されちゃった以上マイムジのアニメは「愛音が羽丘に来てからざっくり半年間に起こった出来事を綴っている(当然ながら回想シーンは除く)」ことになります。内容が濃すぎて1年くらいは経過している気分になるなぁ。愛音と燈たちが知り合う前の中学生時代については日付を特定できる材料がほぼなく、大雑把に季節単位で捉えるしかない。祥子がバンドを始めるキッカケになった「月ノ森音楽祭」の具体的な開催時期は不明ですが、月ノ森に入学した「倉田ましろ」が「自分を変えたい」と願ってバンド(Morfonica)を組み、ファーストライブが不首尾に終わって「バンドってもっと楽しいものだと思ってたのに……」と不貞腐れあわや解散の危機!となるもなんやかんやで乗り越えて絆を結び直し月ノ森音楽祭でライブ、今度は大成功――って流れを考えるとそれなりに日数が経過しているはずなので、4月の終わりか5月のはじめ頃だと思われます。なので瑞穂(祥子の母親)が亡くなったのも、祥子が燈たちと出会うのも、同じく春頃。何せ「春日影」という曲があるくらいだし、CRYCHICの主な活動時期は春。最初で最後のライブを開催してから間もなく解散してしまうので、夏や秋や冬の思い出がまったくありません。初音の養父が亡くなって単身上京し、「純田まな」と出会って「初華」名義で「sumimi」というユニットを組んでアイドルデビューをするのもこの春。春は出会いと別れの季節とはいえイベントが集中し過ぎている……!
Morfonicaがライブの予定をいっぱい詰めた夏休みに向けて「夏モニカ計画」を発動させる様子を描いた『BanG Dream! Morfonication』というスピンオフ作品があるのですが、「CRYCHICが解散した後の夏」だと思って観ると当時とは異なる感触があって味わい深い。後編の開始1分あたり、背景にそよと睦がチラッと映っているシーンがありますけど、どんな会話してるか想像すると少し胃が痛くなる。祥子も中等部を卒業するまでは月ノ森に在籍していたことになるが、その間そよに付きまとわれて相当鬱陶しかっただろうな……羽丘に行ったの、学費の問題もあるだろうがそよと顔を合わせなくて済むからという面もあったのでは?
中学を卒業して高校に進学したところで祥子と燈は再会を果たすも、話しかけようとする燈を祥子が拒絶してしまう。そんな傷心の燈に話しかけてきたのが変な時期に転入してきた愛音だった――という形でMyGOへ繋がっていく。振り返ってみるとCRYCHICが解散した後の夏から冬にかけては空白だらけですね。解散しているんだから書くことないだろ、と言われたらそりゃそうですけど。あと祥子のクソ親父介護生活は中3の春から高1の秋まで、だいたい1年半続いたことになります。最後の方は初華(初音)の部屋に転がり込んで放置していたから実際はもっと短いか。
整理すると、「CRYCHICはひと春しか保たなかった(最長でも1ヶ月ちょっと、短いと1ヶ月足らず)」「MyGOは愛音が動き出してから『なんで春日影やったの!』まで1ヶ月掛かっていないくらい」「『そよさんとCRYCHICやりなよ』から詩超絆のライブまでも1ヶ月掛かるか掛かってないかくらい」「『全部、忘れさせて……』からMujicaのデビューまでは2ヶ月くらい、だいたい1ヶ月程度でメンバーを集め、残り1ヶ月を準備期間に費やした」「Mujicaのデビューから解散までは2ヶ月足らず、解散から再結成までは1ヶ月足らず」って感じになる。爆速で解散した印象のあるAve MujicaよりもCRYCHICの方が短命だった(準備期間も含めるとMujicaは3ヶ月くらい保った)んだな、とわかったりして面白い。
マイムジのストーリーはガルパから半ば独立しているためクロスする要素はあまりないが、実は作中の時期って月ノ森で「音楽祭を中止にしよう」って騒動があった頃なんですよね。昨年の音楽祭で行われたモニカのライブ(祥子が目を輝かせていたやつ)が歓声や手拍子で騒がしかった、という理由で理事長が一方的に中止を宣言してしまう。納得できないモニカの面々は中止撤回に向けて署名活動を主導します。最終的に中止は撤回され、月ノ森音楽祭は無事開催されるのですが、それがアニメの何話目あたりに当たる出来事なのか、辻褄合わせが大変だからかハッキリしていません。開催時期は春のままみたいだから、MyGOの1話〜9話の間だと思われる。あるいは愛音の転入より前にあった出来事かもしれない。ガルパでは年度ごとの出来事を「シーズン」という単位で区切っており、「戸山香澄」たちポピパのメンバーが高校1年生だった頃(アニメの1期目)がシーズン1、高校2年生だった頃(アニメの2期目や3期目)がシーズン2、そしてマイムジの出来事がシーズン3に該当します(ただしCRYCHICの結成・解散はシーズン2の時期)。月ノ森音楽祭中止騒動はシーズン3のはじめあたりに位置している。なおアニメの2期目と3期目は正確には「2nd Season」「3rd Season」と表記するのですが、バンドリファンの間だと「3rd Season」と「シーズン3」の意味が明確に違うためややこしい。改まった場以外ではなるべく「2nd Season」や「3rd Season」という表記を使わないようにするのが無難です。
シーズン3の大きな出来事として、冒頭でも少し触れたが「Afterglowの解散騒動」がある。アフロの面々が高校3年生になったこともあり、将来や進路のことを見据えて高校在学中に有終の美を飾ろう、という話になります。アフロはプロバンドではなく幼なじみが集まって作ったアマチュアバンドなので解散したかしてないかの境目がかなり曖昧なんですが、一時ほぼ解散スレスレの状態に陥って、そこから再結成する――というのがシーズン3での大まかな流れです。再結成絡みのエピソードをやっていたのが衣替えの後だったんで、MyGOの10話あたりですね。MyGOが大変な時期に実はアフロも大変なことになっていた、という事実が明かされる(アフロの解散騒動を本格的に追及したのはMyGOの放送終了後だった)。ただ、先述した通りアフロはアマチュアバンドですから、「再結成」というのも内々の話であって対外的には「そもそも解散していない」ことになっています。もしあの夏、アフロが正式に解散を告知していたら立希ちゃんの情緒はとんでもないことになっていただろうな……。
ちなみにガルパはソシャゲの常としてバレンタインや水着やハロウィンやクリスマスといったリアルの季節に因んだイベント、いわゆる「季節イベント」がちょくちょく開催されるのですが、このへんの時系列処理に関しては曖昧というかパラレルというか「それはそれ! これはこれ!」という扱いになっています。たとえばお花見イベント、「桜が咲いている時期はまだイギリスに留学中だったはずの愛音が平然と顔を出している」という明確な時空の捻れが生じている(てか、夏にようやく「MyGO!!!!!」というバンド名が決まったはずなのに「マイゴのみんな」が花見に来ていること自体おかしい)が、細かいことを気にしちゃいけない。だって、そんなこと気にしてたらムジカ(再結成後)の水着イベントなんてシーズン4にならないと拝めないことになるぞ。みんなも見たいでしょう、ムジカの面々が無人島に漂着して水着姿でサバイバルするトンチキイベントを……! 念のため書いておくと、いくらガルパでも「無人島に漂着してキャスト・アウェイする」なんてピコみたいなエピソードはありません。パスパレのメンバーがTVの企画で無人島に行ってサバイバル生活を送るイベントがある程度。同じブシロのレヴュースタァライトのソシャゲにはマジでありましたけどね、「舞台少女漂流記」という無人島漂着イベントが。トンチキと見せかけてシリアスな遣り取りがあったり、ちゃんとオチも着いたりとなかなか印象深いイベントでした。
・アマプラで『ソウX』観ました。
「ソリッド・シチュエーション・スリラー」(密室などの「限定された環境」における極限状況を描くスリラー)と銘打たれた“ソウ”シリーズの10作目。アメリカでは2023年に公開されたが、日本での公開は2024年。“ソウ”シリーズは2004年にスタートしているので、去年はちょうど20周年でした。シリーズを公開順に並べると『ソウ』→『ソウ2』→『ソウ3』→『ソウ4』→『ソウ5』→『ソウ6』→『ソウ ザ・ファイナル』→『ジグソウ:ソウ・レガシー』→『スパイラル:ソウ オールリセット』→『ソウX』になります。「えー、そんなにあるの? 順番に観るのダルいな……」と感じる方もおられるかもしれませんが、実のところ『ソウX』からいきなり視聴しても大まかなストーリーは理解できます。「なんか『皆さんご存知の』みたいな雰囲気で知らんキャラが出てきたな……シリーズファンなら『おおっ』ってなるところなのか?」と首を傾げてしまうシーンもあるだろうけど、むしろシリーズ知識ない方が先の展開読めなくて却って面白い可能性が高いです。
死病に取り憑かれ、余命幾許もない男「ジョン・クレイマー」。絶望する彼は、癌患者の集いで知り合った「ヘンリー・ケスラー」からブラック・ジャックじみた闇医者「セシリア・ペダーソン」を紹介されて「本当にそんなウマい話があるのだろうか?」と半信半疑ながらも手術を受けるため遠路遥々メキシコへと向かう。麻酔を掛けられ、意識を取り戻した頃にはもう「手術」は完了していた。これで生きながらえることができる――喜びを隠し切れないジョンは多額の手術費を払い、後日セリシアへのプレゼントを手に施設へ向かうが、そこはもぬけの殻と化していた。「手術の様子」として見せられた映像は既製品のDVDに過ぎず、頭に巻かれた包帯を解いてみれば開頭の痕跡どころか頭髪を剃った形跡すらなかった。全部詐欺だったんだ! 怒髪天を衝く勢いでキレたジョンは「協力者」の手を借りて詐欺犯一行の所在を突き止める。ジョン・クレイマー、彼こそはアメリカ各地で猟奇的な「ゲーム殺人」を繰り返すイカれたサイコ・キラー「ジグソウ」だったのである……!
というわけで『ジグソウ 怒りの詐欺師皆殺し』なエピソードです。シリーズ全部観ている人だと「過去にも似たような話(重箱の隅をつつくような「契約違反」を指摘して保険金を払おうとしない悪徳保険会社のクソ社員どもを抹殺するエピソード)あったな……」って思い出してしまってあまり新鮮味は感じない。さすがに10作もやってるとマンネリな部分が出てくるのは仕方ないです。相変わらずジグソウの仕掛けるゲームは悪趣味極まりなく、「痛そう」度は過去イチのレベルに達しているかもしれません。良く言えば原点回帰、悪く言えばワンパターンな展開。シリーズの熱心なファン、特にジョン・クレイマー(トビン・ベル)が好きな人、あるいはシリーズの知識がほとんどない人は楽しめるが、半端にシリーズを知っている人だと「またこれか……」ってノり切れないタイプの映画です。
「で、そもそも“ソウ”シリーズってどんな映画なの?」という問いに答えるためシリーズ全体を振り返ります。ネタバレ全開なのでこれから観る予定の人は飛ばしてください。公開順に行きますと、『ソウ』(2004)――シリーズの始まりなのでとりあえず押さえておいた方がイイです。殺人鬼「ジグソウ」について細かく説明し、ラストでその正体が末期癌患者のジョン・クレイマーだと明かす。ジグソウは残酷なゲームを仕掛けるが、絶体絶命というわけではなく「助かる道筋」は一応用意している。ただそれが「脚を切り落とす」といった過酷な手段であるというだけ。正体を晒したジグソウが「ゲームオーバー」と告げて去っていくところで1作目は終わる。ちなみに『ソウX』は時系列的に1作目と2作目の間に位置するエピソードなので、内容準拠で言うなら『ソウX』というよりも『ソウ1.5』だ。『ソウ2』(2005)はジグソウが警察に追い詰められて一時は拘束されるが、なんやかんやで捜査官の裏をかいて罠に嵌める。ジグソウの協力者である「アマンダ・ヤング」が初登場するエピソード。“ソウ”シリーズ、主犯はジグソウ(ジョン・クレイマー)なんですけれど協力者やら後継者やら模倣犯やらが次々と出てくるのでだんだん収拾つかなくなっていくんですよね……そういう混沌ぶりが楽しめる人向けのシリーズではある。
『ソウ3』(2006)、このへんから話が入り組んでくるのでなるべく短期間で一気に観るか、メモ取りながら視聴した方が吉です。残虐(ゴア)シーンのグロさもエスカレートしてくる。ジグソウは病状がかなり進行し、もうまともに身動きが取れない状態に陥っています。協力者のアマンダが実行犯として動き回るが、最終的に二人とも死亡する。アマンダに関してはいくつか謎が残り、だいぶ後になって回収されることになります。これ以降は「ジグソウの死後」に当たるエピソードで、ジョン・クレイマーは回想シーンか時系列的に過去に当たるエピソードにしか登場しなくなる。『ソウ4』(2007)はジョンの遺体を解剖するシーンから始まり、胃の中から彼の「遺言」を収めたテープが発見される。登場人物の中にジョンの遺志を継ぐ「ジグソウの後継者」が混じっている、という展開なんですが、4作目でだいぶ登場人物も増えてきたため情報を整理しないと誰が誰だかわからなくて混乱すること請け合い。『ソウ5』(2008)はゲームの生還者となった刑事がとある人物を「あいつ、ジグソウの後継者じゃないか?」と疑って捜査する話。ジョンの元妻である「ジル・タック」がジョンの遺品を受け取るシーンがあるものの、中身が何なのかは見せない。3以降はこんなふうに勿体ぶる描写が多いです。「後継者気取りのあいつ」は『ソウX』にも出てくるが、久しぶり過ぎて名前覚えてなかった。『ソウ6』(2009)はアマンダにまつわる謎、ジルが目にしたジョンの遺品といった伏線が回収されていく。『ソウ ザ・ファイナル』(2010)は「ジグソウの後継者」を巡る争いに区切りがつくエピソードで、「だいぶ話が複雑になってしまったしこれ以上続きは作らない」というアメリカ側のコメントを信じて日本の配給会社が「ザ・ファイナル」と銘打った結果「終わる終わる詐欺」になってしまった。3D映画として公開されることを前提に作った作品なので「臓器が画面に向かって飛んできたり凶器の先端が画面に迫る」グロシーンが多い。真の後継者はいったい誰なのか――曲がりなりにも「完結編」として作られた一本なので、シリーズの締め括りに相応しいラストを迎える。同時に「ジグソウの後継者がどうのこうのって話にもう付き合わなくていいんだな」ってホッとします。
『ジグソウ:ソウ・レガシー』(2017)は7年ぶりに制作されたシリーズ8作目。「人気があり過ぎて終われない」というヒットシリーズ特有の悲しみを背負うハメになりました。ジョン・クレイマーの死後から10年以上経ったというのに、またしても「ジグソウ」を彷彿とさせる猟奇的事件が発生する。生前のジョンと付き合いがあった後継者による犯行か、それともジョン本人とはまったく接点のない模倣犯によるものか? 一応「仕掛け」も用意されていて“ソウ”シリーズらしい出来にはなっているが、ジグソウの「語られざる後継者」が新たに生えてくるという「もういいっつってんだろ!」な展開にゲンナリします。『スパイラル:ソウ オールリセット』(2021)は当初2020年に公開される予定だったが、コロナ禍のせいで1年遅れて2021年に公開された。「オールリセット」と謳うだけあってこれまでの“ソウ”シリーズの設定はほとんどストーリーに絡んでこない。「ジグソウの後継者」云々にいい加減ウンザリしていたのでそこは良かったですけど、要は「ジグソウの手口を真似た模倣犯」のエピソードなので二次創作感が強い。“ソウ”シリーズは基本的に悪人を標的にして、しかし「必ずしも相手を殺すわけではない」点で仕掛人とか闇狩人とかブラック・エンジェルズとかとは方針が異なる(相手が壮絶な覚悟を示せば生き延びられる選択肢は与える)のですが、『スパイラル』は「ゲーム」というより「処刑」のムードが強くて単なる「邪悪な仕掛人」になっている印象。というより後継者を自負している連中は「拷問して処刑するためにゲームをやってる」パターンが多く、「死期を目前にしたジョンが神か何かのように人々へ試練を与える」という純粋な狂気に比べて傲慢さが鼻に付くんだよな。
で、話を戻して『ソウX』(2023)。「やっぱり“ソウ”シリーズといったらジョン・クレイマーだろう」と割り切って後継者だの模倣犯だのが出てこない過去編にしているわけです。協力者のアマンダや、後に後継者候補に名乗り出る某キャラも出演しますが、『ソウ・レガシー』みたいに「新たな後継者」が生えてくることもなくファンサービスに特化した内容になっている。10作もある長期シリーズながら、実はジョンがゲームマスター然として振る舞うエピソードはコレが初なんですよね。これまでのエピソードではどれも変則的な役割を演じていたので、意外とこういう審判めいたポジションでストレートにゲームを運営する様子は描かれてこなかった。シリーズの設定をよく知らない新規の人も、「『イコライザー』や『ビーキーパー』みたいな『舐めていたオッサンがヤバい奴だった』系譜の映画なんだな」と思えば楽しめるかもしれない。かなりグロいシーンがあるので、そういうのを受け付けない人はやめた方がいいですが……。
まとめ。シリーズ作品なので初見の方はどうしても「入りにくさ」を感じてしまうだろうが、グロ耐性さえ備えているのであれば問題なく観れる内容なので気軽にチャレンジしてみてください。ところで続編の『ソウ11』は今年9月に公開予定だったのですが、「ライオンズゲートとプロデューサー陣が対立している」せいで製作が進まず、公開予定がキャンセルになってしまったらしい。『ソウ11』、最初の公開予定は2024年9月で、そこから2025年9月へ延期となっていたのですが、今や「未定」という有様に……内容どうこうではなく経営レベルの揉め事が原因だそうで、残念な話だ。Xは生存者がいるから、11で「〇〇の逆襲」みたいなエピソードをやるのかな、と想像していたのに。あと、「ジグソウの後継者」は生死不明を含めて現在5人くらいの候補がいるので、全員集めてバトルロイヤルを開催したら一部のファンは喜ぶかもしれない。いや、どう考えてもシナリオがまとまらないというか面白い話にはなりそうもない、っていう致命的な欠点があるのですけれども。
・拍手レス。
キルコ知らなかったので読みに行ったら面白かった。読み切りならてはの勢いがいいけど、連載も見たかったですねー
やられ役のホストもそこそこ強そうな感じが出ていて良かったし、いろんな連中とのバトルを描いてほしいなぁ、って思います。
2025-03-23.・マンガワンの10周年企画で配信された読切「太刀んぼ キルコ」が百合版『刃鳴散らす』だったので軽率にシェアしたい焼津です、こんばんは。
格差拡大に伴う治安の悪化であらゆる都民が武装し、「刀狂」と呼ばれるようになった東京で、生活費のために金を賭けた野試合を繰り返している女流剣士「キルコ」、人呼んで「太刀んぼキルコ」。3歳の頃から刀を振るっていたと豪語する彼女はある日、歌舞伎町で凄腕の少女剣士と出会い――っていう殺し愛な百合ソード・アクションです。「刀狂」あたりの言語感覚は森橋ビンゴのデビュー作『刀京始末網』を連想させる。なにぶん読切なので主人公とヒロインの因縁が始まったところで終わっていて物足りないが、連載に繋がるかもしれないので一応注視しておこう。
・『BanG Dream! Ave Mujica』第12話「Fluctuat nec mergitur.」、構成上次回(最終回)でムジカとマイゴ両方のライブを行う必要があるので諸問題は今回でほぼ片付くはず……と固唾を飲みながら見守りました。脚本はシリーズ構成を担当している「綾奈ゆにこ」、It's MyGO!!!!!だとあの「なんで春日影やったの!」の7話を手掛けた人です。それ以外だと1話、3話、13話もやっている。Mujicaは1話で「後藤みどり」と共同して脚本を書いているが、単独でやるのは12話が初です。
冒頭、空港に乗りつける豊川家の車。自家用機で着の身着のままスイスへ向かうことになった祥子。タラップに足を掛けようとした彼女の脳裏にこれまでの日々がよぎる。運命に抗おうとするたび濁流に呑み込まれてきた……今日もまた呑み込まれるのか? 短い葛藤の末、スイス行きを拒否して脱走。さすがに人目のある場所で女子高生を取り押さえて無理矢理飛行機に乗せるわけにもいかず、棒立ちで見送る豊川家の使用人たち。あそこで力尽くを選んでいたら通報されて未成年者略取で逮捕されかねないから仕方ない。結局豊川の抑圧って「祥子が大人しく従う」ことが前提で成り立っているから、祥子が母親譲りのじゃじゃ馬っぷりを発揮したら止められる立場の人間がいないんですよね。そしてOP、曲が「KiLLKiSS」ではなく「Georgette Me, Georgette You」! 普段はEDで流れる曲です。「もう終わったのか、早かったな……体感2分だ」とボケたくなるが、単にOPとEDを入れ替える特殊演出ですね。同期のアニメ『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』も、EDがコミカルなのでシリアスな引きだと雰囲気が合わないからたまにやっています。
Aパート、細かい経緯をすっ飛ばしてフェリーに乗って島へ向かう祥子。なんとかフェリーの運賃くらいの手持ちはあったらしいが、残金が「雀の涙」になってしまった彼女をたまたま通りかかったタクシーが乗せてくれる。豊川家と関係のある運転手らしく、三角家の現状についても言及。一家は本土に引っ越ししてもう島にはいないらしい。ただ、最近になって姉の方が帰ってきた、と……結局「本物の初華」とは再会しない流れですが、やっぱりこれ当初のプランだと養父じゃなくて「双子の妹の初華」が亡くなっていたんじゃないかな。定治から斡旋されたとおぼしき別荘の管理に従事していた初音に、どういう距離感で接していいかわからず「初音さん」と他人行儀な呼び方をする祥子の姿が切ない。初音自身の口から「定治の隠し子」「初華のフリをして近づいた」「祥子との思い出はひと握りしかない」事実を確認して驚きつつも、祥子が欲していたのは「『初華』を演じる初音の音楽」なので大筋としては問題ない。躊躇う初音の手を引っ張って東京行きのフェリーに連れていくシーン、「獣道だよ!」という叫びがまんま二人の将来を現していて笑ってしまった。
祥子はフェリーの甲板で「いい加減うんざりですわー!」と叫び、バンドをやりたいからバンドを組むのだと腹を決める。祥子はプライドが高いから人前で大声を出すようなはしたない真似は普段しないのですが、燈と一緒に歩道橋にいたときと、初音と一緒にフェリーに乗ったときだけ大声で叫んでるんですよね……祥子と初音、まだまだ分かり合えているとは言えない二人ですが、祥子も少しずつ心を許しつつあるのではないか。そして深夜の豊川邸で定治に向かって豊川家から出ていくことを宣言、さりげなく「お父様のこと、よろしくお願いします」とクソ親父を押し付けていくのには噴いた。清告は娘に頼らず自力で立ち上がってもらうしかないので、祥子がどうこうしなければならない問題じゃないのは確かですね。戻ってきた初音のマンションのロフトで天井を見上げながら初音の淹れるコーヒーを待つ。漂う香りを嗅ぎながら「この匂い……嫌いですわ」と呟く祥子。祥子ちゃんは大の紅茶党だし、やっぱりコーヒーは好きじゃなかったんだな……居候の身だから初音に対して「コーヒーは嫌い」と言いづらかっただけで。MyGOでも回想含めて何度か「羽沢珈琲店」に行くシーンがありますけど、コーヒーを頼んだことは一度もなかったはず。「こんなふうに祥子ちゃんは今後も周りに本音を隠してやっていくつもりです」と示すカットなのだろうが、飲み物の好みくらいは素直に打ち明けた方がいいよ! まぁ初音ちゃんの性格的に打ち明けた直後「さきちゃんに嫌いなコーヒーをずっと飲ませてたなんて……!」とショック受けてコーヒーメーカーを捨てて紅茶セットに差し替えそうな怖さがあるから言いにくいんだろうけど……いつか「コーヒーよりも紅茶が好き」という言葉を深刻にならないで受け止めてくれる日が来るといいな。
Bパート、RiNGに集まっているメンバーのもとへ向かうシーン。途中で「すべての元凶」とも揶揄されるモニカの面々とすれ違いますが、「ごきげんよう」と挨拶するだけで立ち止まりもせず歩み去っていく。祥子にとって「運命共同体」のシンボルであったモニカも、もはや「憧れ」ではなく「敬意を払って通り過ぎるだけの先輩バンド」になった。反射的に「ごきげんよう」と返してしまったが、なんで挨拶されたのかわからなくて戸惑うモニカが微笑ましい。集結したムジカのメンバーに対し「運命を甘んじて受け容れる必要はない」と語った祥子は「わたくしが神になります」と豪語する。変なクスリでもやったのか? と問いたくなるが、バンドリはこれまでも「私の最ッ強の音楽で、ガールズバンド時代を終わらせる!」と宣言したような子もいるから変人度はそこまで高くないんですよね。「神」という発想は唐突に出てきたわけではなく、10話の「今夜私の神話になって」へのアンサーでもあるだろうし。祥子が影響を受けたモニカの「倉田ましろ」も、ピコのネタですけど黒歴史ノートを「大魔姫あこ」こと「宇田川あこ」に拾われる回(ふぃーばー!の第10話「漆黒のラヴィアンノート」)があって、ノートを読んだあこが感化されて「我こそが神!」と叫んでいました。この画像見るとなんだかんだ祥子ちゃんはましろちゃんと魂が共鳴する部分あるんだな……と感じてしまう。ムジカピコでのゴッド・ウォーズ開戦を心待ちにしています。
利用できるものは何でも利用してバンドを存続させようとする、「高松燈」たちマイゴの「一瞬一瞬を積み重ねて一生」とは違う形の、どこかで壁にブチ当たって破滅しそうな危うさが醸し出される「人為的な永遠」に向かって船出するムジカ。何度も壁が立ちはだかるなら、悉く壁をブチ壊せばいい。そう嘯くかのようにオブリビオニスの眼差しは揺るぎない。やっと豊川祥子が「光と闇が両方そなわり最強に見える」つよつよ令嬢になってくれた。ライナスの毛布みたいに執着していた母親の形見(お人形)を豊川邸に置き去りにしていくカットは象徴的。でも燈ちゃんの付箋を集めたノートは持って行ったので、過去への未練ありありなのがわかって可愛い。初音はバンドメンバーだから手放すつもりはないけど心の本命は燈のまま。忘却したのではなく、忘れたフリをしているだけ。でも頑張れば初音もいつか燈のことを忘れさせることができるかもしれない。それにしても「人間になりたいって、こういうことですのね」と泣いた子が「神になります」と決意するの、ほぼ「理紗が望むなら、僕は人をやめて、神にでもなんでもなろう」の『CARNIVAL』だな……あれはゲームだと決意するところで終わっていて、続編となる小説版で「その末路」について触れられるのですが、小説版は電子化されておらずプレミアが付いていてスゴい価格になっているっていう。しがらみすべてを忘却し、無慙無愧の荒野を征くと吼えたところでOPの「KiLLKiSS」が流れるの、曲のイメージが反転する感じで好きです。
「豊川の恐ろしさ」とやらが何なのかはわからない(弦巻家と一緒で細かいところまで設定していないと思う)が、要点として押さえるべきなのは「親族一同に初音という隠し子の存在が知れ渡ったら定治が失脚する→連鎖的に祥子も生活が危うくなるかもしれない」という部分だけ。だから祥子が大切な初音は身動きが取れなくなったわけですが、「わたくしの生活が危うくなろうと一向に構いませんわ!」って覚悟を決めた祥子が「初音の件をバラしますわよ」とお爺様を脅せば圧力なんて屁でもなくなるんですよね。全身にダイナマイトを巻いて「自爆するぞ!」と叫ぶような交渉手段ですけど、致命的な弱みを握られている以上、定治は破れかぶれの孫娘に譲歩するしかない。清告が豊川から追い出された時点で交渉材料となる初音の存在を知らず、仮に知っていたとしても当時の祥子では自爆上等のネゴシエーションをする覚悟がなかった。でも疾風怒濤の日々を経て、怒りと信念を胸に理不尽へ立ち向かっていく「錨」を得た。そう考えるとマイゴよりも迷子しまくったムジカのあれこれは無駄じゃなかった……のかもしれないが、やっぱり相当変なアニメですよ、『BanG Dream! Ave Mujica』。「箱庭から出られないのなら箱舟にすればいい」ぐらいの飛躍で片付けにきている。「結論は最初から決めていたけど、そこに至るまでの過程はライブ感重視で詰めていった」せいで何とも形容しがたい味わいに仕上がった。監督のインタビューを読むかぎり「神の如く横暴に振る舞うお嬢様」こそが本来の祥子像であり、彼女が完璧に開き直るまでの紆余曲折を描いたのが『It's MyGO!!!!!』と『Ave Mujica』、ふたつのアニメ作品だったってことになる。
問題のほとんどが解決しないまま「一応の結束」によって再開を目指す、綻びだらけのバンド「Ave Mujica」にまつわる物語は今回でほぼ決着と捉えていいのかな。最終回は予告で「ムジカとマイゴの新曲やるよ」とアピールしているので、ストーリー部分は正味10分程度しかないだろう。初音の生い立ちに関しては本人と祥子のみが知り、睦とモーティスの件も有耶無耶(解離性同一性障害にも程度がいろいろあって、投薬が必要なケースもあれば地道なカウンセリングで何とかなるケースもあるのだが、そもそも睦は正式な診断を一度も受けていないから程度に関しては語りようがない)になって、海鈴のトラウマ云々はさして掘り下げず、にゃむが睦に対して複雑な想いを抱いていることは他のメンバーにとってはどうでもいい。バンドリにおけるプロバンドはある程度「ビジネスライクな関係を受け容れつつ絆を育む」という要素があるのですけれど、バンドリーダーが「すべてを支配する神になってメンバー全員を束縛し、死ぬまで人形遊びを続ける」という極端な結論に至るのは初であり呆然とした。こういう変な方向に突っ走っちゃうの、ある意味「後ろに向かって全速前進!」な倉田ましろと同じタイプなのかもしれない。
ムジカの行く末はさておき、とりあえず目先の問題としてsumimiの解散は防げそうな雰囲気で良かった。相方の「純田まな」はずっと蚊帳の外に置かれていて、「初華がピンのアイドルではなくsumimiというユニットを組んでいたストーリー上の意味は何だったのか」はよくわからなかったが……sumimiがあることでムジカ解散後に「アイドル『初華』の帰る場所」を用意できる、というのはあるが、これまでのストーリーを振り返ると初華(初音)がピンアイドルでも充分話は成立する(むしろ初音がまなのような明るいアイドルを演じることで本人とのギャップが際立つ)気がするんだよな。ひょっとしたら最終回でいきなりまなちゃんをメインにした新バンドが生えてくる可能性もある? 「妹の方の初華」を脇に措いても、サブキャラ掻き集めればもう1バンドくらいは組めそうなんですよね。純田まな、燈ちゃんの幼なじみ「みお(池本みお?)」、初華とアンサンブルしたらしい「はなこ(きだ はなこ?)」、りっきーの姉「椎名真希」、にゃむと同じオーディションに参加していたハードランディング所属の「御家林さくら」、この5人が新バンド結成するオチ、確率として0.001%くらいはあると思います。
最終回に当たる第13話のタイトルは「Per aspera ad astra.」、「苦難を乗り越えて星を目指す」という大方の予想通りになりました。アニメ化した漫画『彼方のアストラ』でも使われていたラテン語の成句で、割とあっちこっちで見かける言葉ではある。FGOのプレーヤーだと「ロムルス=クィリヌス」の宝具「我らの腕はすべてを拓き、宙へ(ペル・アスペラ・アド・アストラ)」で印象に残っているかもしれない。ハッピーかどうかはともかく希望の灯が見える終わり方になりそうで良かった。最後の最後で卓袱台返しになりそう、という不安がゼロでもないけど……次回予告にチラッと映っていたノリノリで体を左右に揺する睦ちゃんがとりあえず楽しみ。ちなみに他のメンバーの様子をポツポツと映すところで睦ちゃんの「その後」もチラッと描かれていたが、ベースは睦ちゃんだけど受け答えの速度が微妙に良くなっていて、「どこかボンヤリした感じ」はなくなっている。今後は失言もあまりしなくなるのかな。そう考えると少し寂しい。あと迷惑をかけた立希に謝ろうと話しかける初音に「浮気ですか? 出るとこ出ますが」と威嚇する海鈴が面白過ぎた。「これを浮気と呼ぶ辺りやっぱ海鈴ちゃんにとってこれ求愛行動だったんだ」と指摘するコメントがあってツボに入った。立希と初音、クラスメイトというだけで特に接点がなかったけど、仲良くしようとしたら海鈴が邪魔するんだな……とわかって修羅場好きには楽しかったです。
・「ふつつかな悪女ではございますが」アニメ化!監督は山崎みつえ、制作は動画工房(コミックナタリー)
やっぱりアニメ化するのか。原作の人気があるうえにコミカライズの評判もいいから時間の問題、と感じていたファンも多いだろう。
原作は「小説家になろう」で5年ほど前に連載を開始したWeb小説だが、書籍化に伴って現在は公開終了となっている。悪役令嬢モノっぽいタイトルながら、転生ネタではなく入れ替わりネタ。5人いる妃候補のうち、もっとも評判が悪く「どぶネズミ」と蔑まれている女性が秘術を行って妃候補のトップ――「胡蝶」と謳われる主人公と魂を入れ替えてしまう。かくして皇太子の寵愛がもっとも厚かった主人公は、誰からも冷たい目で見下される「どぶネズミ」として生きていくことに……と、あらすじでは主人公が悲劇のヒロインみたいだが、何せファンから「鋼様」と呼ばれたメンタル強者の主人公、この程度ではへこたれない。主人公の元の体は病に冒されており、「それでも妃候補としての務めを果たさねば」と血の滲むような努力を重ねてきたのである。魂入れ替えの犯人はまさかここまで病苦が激しいとは思わず七転八倒。一方、主人公は健康な身体を手に入れたことでウキウキ気分。周りに何と思われようが気にせず人生を謳歌します。
2巻でひと区切りついて3巻から新展開が始まるので、1クールならたぶん2巻までの範囲をやって終わりでしょう。原作は来月出る最新刊が10巻、ストックは充分なので2期目、3期目も余裕だ。とにかく主人公が明るく前向きな性格で、イケメンに靡かず己の意志を通すタイプだから男性読者が読んでも気持ちいい。悪役の子もそんな主人公に絆されていくんでシスターフッド小説としても充分イケる内容。スタジオは「動画工房」だし、断然期待してしまうな。いや、動画工房でも「アタリの動画工房」と「ハズレの動画工房」があるので不安がゼロというわけじゃありませんが……ハズレの筆頭格は『幼なじみが絶対に負けないラブコメ』、作者がアニメの出来に絶望して酒浸りになったという。
動画工房というスタジオ、昔は『恋姫†無双』とかエロゲー原作アニメを手掛けていたのですが、2011年の『ゆるゆり』あたりから「日常モノや萌えアニメ」の分野で評価されていくようになりました。作画が丁寧、且つコミカルな演出も得意としている。最大のヒット作は2023年の『【推しの子】』。3期も決まっているが、この調子ならファイナルシーズンとなる4期までやるんじゃないかしら。
・とよ田みのる「これ描いて死ね」TVアニメ化 相&ポコ太を描いたティザービジュアル(コミックナタリー)
原作は好きだけど、「とよ田みのる」の絵柄はあまりアニメ向きじゃないから大丈夫かな……と心配する気持ちが強い。『これ描いて死ね』は簡単に言うと「令和版『まんが道』」。漫画好きの女の子が、「漫画って自分で描くこともできるんだ!」と気づいて創作の道のりを歩み始める。漫画研究会を立ち上げ、少しずつ同志が集まって来る展開は「青春部活モノ」のテイストが強い。しかし、元漫画家である漫研顧問の過去を描くシリーズ「ロストワールド」も読み応え充分であり、「部活モノ」だけでは括れない面白さがある。「ロストワールド」は1話目だけネットで公開されているので興味のある方はどうぞ。
・澤村伊智の『アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿』
映画『来る』の原作『ぼぎわんが、来る』でデビューした「澤村伊智」によるミステリ連作集です。「アウターQ」というマイナーなWebマガジンの周辺で巻き起こるいくつかの事件を描いている。オカルトというか超常現象みたいな要素も一部入っていますが、どちらかと言えば「人間の悪意や作為」が主眼に据えられています。例によってヤンチャンWebのチケットが余っていたので消化するためにコミカライズ版を読み始めたところ内容に引き込まれ、「続きが読みたい!」となって原作に手を伸ばしちゃった。原作は7つの短編から成っており、コミカライズは5つ目のエピソードに差し掛かったところなので、漫画で読みたい人はもうちょっと待ってコミカライズが完了してからまとめて目を通した方がいいかもです。
エピソードによって視点人物は微妙に変わるが、「主人公」と言って差し支えないレベルでよく登場するキャラクターは「僕」こと「湾沢陸男」。Webライターとしてカツカツの生活を送っている27歳、そろそろ従来の路線から脱して新機軸の企画を立てねば……というところで街に潜む怪しい「謎」を追うことに……という具合に怪異の類を「取材」のために解き明かしていく形式です。冒頭一発目、「笑う露死獣」は読者に「こういう路線ですよ」と伝えるためのウェルカム・ドリンクみたいなもので、作りはシンプルながら「謎」の答えを探り当てるために街のあっちこっちを回る感覚がADVゲームじみていてなんか懐かしくなります。私はプレーしたことないけど『都市伝説解体センター』がこんなノリなのかな、と思ったり。公園の土管に書き込まれた謎の落書き、通称「露死獣」の真相とは? 胸糞の悪いオチで、「この本は基本的にスカッとする話じゃありませんよ」と丁寧に教えてくれます。
2編目は「歌うハンバーガー」。「わたし」こと「守屋雫」が視点人物となるエピソードで、湾沢くんは脇役に回っている。かつては「新世代フードライター」と持て囃された「わたし」だったが、現在は拒食症に悩まされ、仕事も減る一方だった。こんなんじゃダメだ、焦る「わたし」はアウターQで「見るからに入りにくい雰囲気を放つ『怪しい店』の取材」という企画に乗り出すが……という具合で、焦点となる「怪しい店」の店名が「シンギン・ハンバーガー」だからタイトルが「歌うハンバーガー」。全体から見るとこれが一番マシというか、比較的ホッコリするエピソードなんですが「ハッピーエンド」とは言い切れない部分もあってモヤモヤした感想が残ること請け合い。
3編目、「飛ぶストーカーと叫ぶアイドル」。ライター稼業が軌道に乗った「僕」こと湾沢陸男は「やれることを増やしたい」という理由で撮影の手伝いを始め、ある日地下アイドルのライブを撮影することになった。かつて大きなグループで活動していたものの、握手会に来たファンに襲撃されて怪我を負い、「卒業」を余儀なくされた少女。名義を変えて地下アイドルとして再出発することを決意した彼女だったが、ライブの最中にまたしても事件が起こって……新キャラとして「地底アイドル」と自虐する「練馬ねり」が登場、ステージ上で料理を作ってそれを食べながら酒を飲むパフォーマンスが売りという、説明されてもよくわからない子です。ぼざろで喩えると「SICK HACK」から追い出された「廣井きくり」みたいな……いや、あっちほど酒癖は悪くないけど……今回は探偵役もねりちゃんが務めるので、湾沢くんの影は薄い。どちらかと言えばねりちゃんの顔見せという性格の強いエピソードかな。
4編目、「目覚める死者たち」。花火大会の夜、歩道橋で起こった将棋倒しの事故――被害に遭った一人である湾沢陸男は、あれが「怪談のネタ」として語られていることに何とも言えない居心地の悪さを感じていた。実話怪談である以上、実際にあった事故がネタにされるのは当然と言えば当然かもしれない。だが……消化し切れないモヤモヤを抱える中、歩道橋の近辺で奇妙な「謎」がいくつか散らばっていることに気づき……一つ手前のエピソードに登場した「地底アイドル」練馬ねりが再登場、「謎」自体は解き明かされるが、主人公が歩道橋の事故で目撃した「ピアスだらけの赤い髪の青年」に関しては特に追及されなないまま終わる。作中に描かれている事故は「兵庫県明石市の歩道橋事故」がモデルで、当時「金髪のヤンキーが暴れていた」という噂が流れましたが、結局デマということで立ち消えになりました。むしろ人命救助に奔走していたのでは? という説もあったので、そういう事実が反転するオチなのかな……と思ったら特にそんなこともなかったという。
5編目、「見つめるユリエさん」。湾沢の先輩に当たるライター「井出和真」が友人の依頼を受けて「肖像画に描かれた女性」の身元を割り出そうとするエピソード。視点人物は井出の友人、「ぼく」こと「浅野将太」です。夢に何度も同じ女性が出てくる――「ぼく」が遭遇した怪現象は、その女性にそっくりの絵が家の中から見つかったことである程度は道筋がついた。20年ほど前、親が蚤の市で買って、引っ越しの際に物置に放り込まれていた肖像画。子供の頃の「ぼく」は、絵に描かれた女性を密かに心の中で「ユリエさん」と呼んでいた……という感じで「ユリエさん」のモデルになった女性を特定しようとする話です。湾沢くんも脇役として登場する。結論を書いてしまうとモデルは無事に特定されます。ただ、めでたしめでたし……とはならない。素直に解釈すればバッドエンドなのだろうが、人によっては「ここからハッピーエンドに持ち込むことも可能」と前向きに受け取れるかもしれない。際どいラインに位置しているエピソードだ。
6編目、「映える天国屋敷」。前後編の前編に当たるエピソードなので、これだけではストーリーが完結しない。タケコ・インターナショナルという巨漢女装タレント(モデルが誰かは言うまでもない)の番組に出演したことでバズりまくって仕事が激増した湾沢陸男、彼は「東京都青梅市に奇妙な家がある」ということで忙しいなか取材に赴いた。自殺未遂の末に記憶を失い、一人でひっそりと奇怪なオブジェを作り続けている男性「羽山誠太郎」。変人と言えば変人だが思ったよりも物腰が柔らかく「自分が作ったものをみんなに見てほしい」と語る姿に感銘を受け、羽山邸を「天国屋敷」と名づけアフターQで大々的に取り上げる湾沢だったが……という感じで、物語は終幕に向けて加速していきます。湾沢くんに悪意はまったくなく、「みんなもコレを見て感動してほしい」と率直に思って紹介したのですが、それが予想もしなかった惨事を引き起こしてしまう。そして次のエピソードへ続きます。
最終章は「涙する地獄屋敷」。タイトルで察することができると思いますが、「映える天国屋敷」と対を為すエピソードと申しますか前後編の後編に当たるエピソードです。大惨事によって一転、「天国屋敷」は「地獄屋敷」に変貌した。金を取って営業していたわけではない羽山さんを責めづらかったのか、非難の矛先は紹介記事を書いた湾沢に向かう。記事を掲載したアウターQにも迷惑を掛けてしまった……自責の念に駆られる湾沢だったが、羽山邸で起こった「惨事」がただの事故ではなく何者かが意図的に発生させた事件なのではないかという疑いが深まり、真相を究明せずにはいられなくなる……という具合に「解決編」的な内容を綴っています。前編で張られていた伏線、のみならずこれまでのエピソードに埋設されていた伏線まで回収され、本書の総決算めいた結末を迎える。単なるキャラ立て要素だと思っていた部分が真相の一部だったと判明するなど、驚きに満ちたネタバラシである。事件解決後は、これまでのエピソードの「その後」についても少し触れている。そのまま劇的な展開もなく、しんみりとした雰囲気で閉幕となります。
まとめ。収録されている短編は雑誌に掲載されたモノと書き下ろしの2種類あり、雑誌掲載された方はエピソードの完結性が高く、書き下ろしの方はエピソードの連動性が高い仕組みになっています。「全体のオチ」がついたから『アウターQ』はこれで完結、ということなのでしょうが、その気になれば続編をやれないでもない雰囲気だ。是非ともシリーズ化してほしい、と願うほど特色の強い作品ではないが、もし続きが出たら買っちゃうだろうな……と感じるところはあります。正直、湾沢くんに関してはもうそんなに興味がないんだけど、練馬ねりに関しては掘り下げが欲しい。彼女は如何にして地底アイドルなるものに成り果てたのか、オリジンを辿るのもいいし、そのへん無視して今後も事件に巻き込まれ続ける形式でもいい。著者インタビューによると「切羽詰まって数秒で思いついたキャラクター」らしく、道理で3話まで影も形もなかったんだな……と納得しました。この口ぶりだと続編の構想とかはなさそうだけど、それはそれで別の新作を楽しみにしようかな。
・映画『Pearl パール』を観ました。
『X エックス』というホラー映画の続編。といっても時系列的には『Pearl パール』の方が過去なので、いわゆる前日譚(プリクエル)に該当します。観る順番としては『X エックス』→『Pearl パール』、『Pearl パール』→『X エックス』どちらでも構わない。ぶっちゃけ『X エックス』を先に観ていると逆算で『Pearl パール』の大まかな展開がわかっちゃうし、『Pearl パール』を先に観ていると『X エックス』の核心を最初から知っている状態で臨むことになるので、どっちのルートを選んでもメリットとデメリットがあるんですよね。そもそもショッキングなシーンが見所の映画なんで、ストーリー部分に関してはそこまでネタバレに対して神経質にならなくてもいいのかもしれませんが……。
1918年、第一次世界大戦中のアリメカ。テキサスの農場で鬱屈した日々を送っている女性「パール」は、ずっと「ここではないどこか」に憧れていた。ミュージカルが大好きな彼女は、ダンサーになって欧州へ渡り、喝采を浴びて華々しい生活を送る日々を夢見ている。しかし現実は厳しい。ドイツ系移民の生まれということもあって時節柄差別が厳しく、農場で働く以外に仕事の当てはない。また、病気で車椅子から離れられない父親を介護しなければならないという問題もある。パールは既婚者だが、夫は欧州の戦場に出征中で、最近は便りも途絶えて安否不明。若さを持て余してどこにも行けない現実に絶望するパール。彼女の鬱憤はやがて、凄惨な形で爆発する……。
ネタバレを避けて語るのが難しいから前作含めてネタバレ全開で綴っていきますが、『X エックス』で大暴れした殺人鬼の老婆「パール」がいかにしてサイコキラーとして覚醒したかを描くエピソードです。『X エックス』のヒロイン「マキシーン」を演じたのは「ミア・ゴス」という女優なんですが、実は殺人鬼ババアの「パール」も一人二役で演じていた。特殊メイクがスゴいせいもあって言われないと気づかないレベルなんですが、そうした流れもあって『Pearl パール』の主演も引き続きミア・ゴスです。もはや「ミア・ゴスの怪演を眺めるためのシリーズ」と申し上げても過言ではない。ハッキリ言ってしまうとヒロインがひたすら鬱憤を溜め続けていく前半は退屈なのだが、遂に臨界点を超えてブチギレてしまったときの表情が凄まじくて「うっ」となる。死体をバラバラに斬り刻んだり腐った肉に蛆が湧いたりといったグロい描写もちょこちょこ出てくる映画ながら、そうしたゴアシーンよりも「ヒロインの顔」の方が何倍も怖い。子供が観たらトラウマになりそう。とにかくミア・ゴスの演技力と表現力が図抜けていて圧倒されます。外の世界へ飛び出すことを夢見てオーディションを受ける場面、残念ながら失格となってしまうのですが、嫌だ嫌だと顔を真っ赤にして泣き叫び駄々をこねる演技が迫真すぎて殺人シーンよりもショックを受ける。『X エックス』の殺しまくりっぷりに比べると殺害人数が少ない(片手で足りる程度だ)からスラッシャー映画としてはやや拍子抜けの部分もあったが、「悪夢を見そう」度は本作の方が上です。
パールは殺人鬼だし、「やむにやまれぬ事情で殺した」というほどでもないので本来なら同情に値しない人物のはずなのだが、ミア・ゴスが全身全霊で演じ切った結果うっかり「かわいそう」と思ってしまう瞬間が何度かあります。抑圧的な態度で接する母親には怒りを覚えちゃうし、「こんな家庭環境で幸せな未来を思い描けと言われても……」なところがある。なんとか彼女が幸せになる道はなかったのか、とありもしない希望を探し出そうとしてしまう。最終的には怖さよりも切なさが勝つ映画。三部作の完結編『MaXXXine マキシーン』はアメリカだと既に去年公開済み、日本では今年の6月6日に公開予定です。『X エックス』の6年後を描く。舞台は1985年のハリウッド、実在の殺人鬼「ナイト・ストーカー」がストーリーに絡んでくるらしい。当然、主演はミア・ゴスです。
2025-03-16.・アニメやってるし続編も始まったし……ということで久々に読み返していた『ユーベルブラット』を最終巻(23巻)まで読み切った焼津です、こんばんは。ユーベルブラットは0巻からスタートするので、23巻が最後だけど冊数としては24冊目になります。電子版を購入するときこのへんで混乱しがちなので注意しましょう。
「聖なる槍」を手に旅立った14人の勇者たち――3人は旅の途中で命を落とし、残る11人が「闇の異邦(ヴィシュテヒ)」に足を踏み入れた。生きて帰ってきたのは7人。彼らは言う、「4人の若者が闇の異邦へ寝返ろうとしたので、やむなく誅伐したのだ」と。かくして生還した7人は「七英雄」と讃えられ、帰ってこなかった4人は「裏切りの槍」として唾棄されることになった。しかし真実は異なる。「七英雄」こそが怖気づいて敵前逃亡した臆病者たちであり、「裏切りの槍」と貶められた者たちはたった4人で目的を果たして戻ってきたにも関わらず、かつての仲間たちによって嬲り殺しにされ手柄を奪われた哀れな犠牲者だったのだ。「裏切りの槍」の1人であり、帝国最強と謳われた剣士「アシェリート」は「ケインツェル」という偽名を名乗り、変わり果てた姿となって「七英雄」への復讐を遂げるべくサーラント帝国に舞い戻ってきた……という、大枠としては復讐譚に当たるダーク・ファンタジーです。0巻には「裏切りの槍」の名を騙る4人の偽者が登場し、偽アシェリートに対してケインツェルが「俺こそが本物のアシェリートだ」と明かすシーンが見せ場になっているのですが、尺の都合かはたまた話が複雑になるからか、アニメ版では0巻の内容がバッサリとカットされてしまった。アニメから入った方は是非とも原作の0巻に目を通してほしいところです。ケインツェルが帝国に戻ってくるまで20年も掛かった理由についても言及されている。
さて、私はユーベルブラットをリアルタイムで読んでいたのですが、途中までは素直に楽しんでいたのに途中から「う〜ん……」な感じになって、最後の方は半ば惰性で付き合っていました。今回読み返してわかったんですけど、この漫画、まとめて読むと面白いんですよ。でも完結まで14年くらい掛かっているので、リアルタイム勢だと何度も読み返すような熱心なファン以外はダレ気味になってしまう。「七英雄」を血祭りに上げていくペース、だいたい3人目くらいまでは程好いリズムでサクサク進むんですが、4人目に当たる「レベロント編」から長くなってくるんですよね。レベロントにはたくさん子供がいて、そのへんのエピソードにもそこそこ筆が割かれるし。なかなかレベロントが倒せないなー、と思いながら見守っていると、殺したはずの3人目(グレン)がなぜか蘇って、しかも皇帝の座を狙うレベロントと争い始める……という七英雄同士の戦争、「英雄戦争編」へもつれ込んでいく。2人死んで5人になった「七英雄」がふたつの陣営に分かれるのだが、レベロント側に付いた奴が誰だったか思い出せなかったので再読なのに新鮮な気分で楽しめました。この「英雄戦争編」に差し掛かって、復讐要素がだいぶ薄まってしまったからリアルタイムじゃテンションが落ちてしまったんですよね。これじゃケインツェルの復讐が「サーラント帝国戦記」の添え物になっちゃうな、って。「七英雄」が勝手に味方割れを始めたことで「ケインツェルにとっての戦い」に対する落としどころを見つけやすくなった(戦争前の時点だと「いくら私怨があるからって帝国にとって重鎮である七英雄を殺しまくれば平和が乱れてしまうのでは?」という問題があった)けど、反面でケインツェルの存在感も減ってしまった憾みがあります。
最終決戦ではこれまでのキャラがドワッと出てくる定番の展開に突入。初読時には忘れていた連中もまとめ読みのおかげで「ああ、こいつか」とわかるからテンションがブチ上がりました。アニメの1話目に出てくる伊藤健太郎声の僧兵長(ラシェブ)とか、結構終わりの方まで生きているからアニメでの再登場を心待ちにしている。あと初読時だと活躍していた印象のあるマスコット役「ピーピ」が思ったほどは出番なくて「記憶が美化されていた……!」とビックリしたり。ヒロイン?と言っていいのかどうかわからないけど出番は多い「エルサリア」も、私の中ではもっとラブコメシーンの多いイメージだったので「この漫画、女の子を差し置いてこんなにオッサンばっかり次々と出てくる話だったっけ?」と戸惑うハメに陥った。ぶっちゃけ初読時はオッサンに対する関心が薄かったからだんだん見分けつかなくなっていったんだよな……さすがに再読では見分けがつきました。サブキャラだけどレベロントの息子(四男)「バラント」がイイ味出している。家族を殺したケインツェルは憎いが、道を誤った家族が悪いのだからグッと呑み込むしかない……という辛いポジション。準レギャラーキャラだと「ロズン」も美味しい成長を遂げています。ロズンは0巻から出ているキャラなんで、アニメ派はケインツェルに向ける複雑な感情がわかりにくいと思いますが……。
続編となる『ユーベルブラットU 死せる王の騎士団』が出ているから大まかな結末はバレバレだろうし書いてしまうが、ケインツェル(アシェリート)の復讐は無事完了して「七英雄」全員を葬り去ることができました。「裏切りの槍」の汚名を雪ぐこともできたし、もう心残りはない――と自身含む14人の墓(「七英雄」は憎い仇だったが過酷な旅をともにした仲間ではあった、ということで一緒に弔っている)から立ち去るシーンで「Ende」。英雄戦争のゴタゴタもあって帝国の体制は盤石とは言えず、再建を図っているさなか「死せる王の騎士団」と名乗る新たな敵が現れて……というのが今連載しているUです。アニメ化に合わせてか去年始まったばかりで、まだ2巻分くらいしかストーリーが進んでないからどういう話になるか現時点ではよくわからない(風呂敷が畳めなくなることを恐れたのか「闇の異邦」関連にはあまり踏み込まなかったので、今度こそ踏み込んで欲しい気持ちはある)が、ケインツェルたちの「その後」を拝めるとあってワクワクが止まらない。なんとか打ち切られずに続いて欲しいものだ。
・久々にFantiaの正田崇・Gユウスケのページをチェックしたら第零神座の『事象地平戦線アーディティヤ』が止まって第五神座『Dies Entelecheia』が始まっていた件。
どうもアーディティヤが行き詰まってしまったので一旦ペンディングして、空白の多い第五神座を先に埋めることにしたみたいですね。第五神座は「輪廻転生(サンサーラ)」がテーマで、インド神話がモチーフになっている点で第零神座と共通しているから内容的に連動させる必要もあったようだ。神座シリーズのファンからすると「すべてのはじまり」であるアーディティヤも興味深いが、第四神座(Dies irae)と第六神座(神咒神威神楽)を繋ぐエピソードである第五神座の方が早めに埋めてほしい箇所だったので、アリと言えばアリかもしれません。アーディティヤ自体、大元の『Dies irae PANTHEON』では隠しエピソード的な扱いだったらしいし。ただ、第五神座は空白が多い=書かないといけないことが膨大なので、埋め切れるのかどうかが心配になるところだ。『黒白のアヴェスター』は比較的順調に進んで2年程度で連載が終わったが、『事象地平戦線アーディティヤ』は難航したみたいで連載から3年経ったところで中断(全5部構想で、第3部の途中まで進んでいた)。アヴェスターのゲーム化など他の作業も重なって忙しかったんだろうけど、この調子だとEntelecheiaも順調に進んだとして連載完結は2027年頃、少し掛かれば2028年、難航すれば2029年か2030年くらいになりそうだ。アーディティヤの方も、再開が決まったとしてもそこから完結まで2、3年掛かるかもしれない。もう正田信者のほとんどは長期戦を覚悟しているだろうし、腹を括って待つしかないですね。
・「勇者のクズ」TVアニメ化、勇者とマフィアの現代異能バトル 制作はOLM(コミックナタリー)
えっ、あの8年くらい前に1巻が出たけど打ち切られて2巻が発売されなかった『勇者のクズ』がアニメ化!? めちゃくちゃビックリして調べたけど、どうも原作ファンの漫画家が打ち切られた後に自腹で(原稿料貰わないで)辛抱強くコミカライズを続けた結果、2022年にリイド社で商業化し、人気に火が点いてアニメ化まで到達したらしい。す、すごい話だな。これに伴って原作の小説版も再書籍化される模様だ。まさかこんなミラクルが起ころうとは。原作者の「ロケット商会」は『勇者刑に処す』という作品が当たって今年アニメ化される予定なんですけど、この勢いなら『魔王都市』までアニメ化しかねないな。一度打ち切られた作品がアニメ化&再書籍化するの、夢があっていい……是非『Fランクの暴君』や『剣と炎のディアスフェルド』あたりも再評価されて続きを出してほしいぜ。
・『BanG Dream! Ave Mujica』第11話「Te ustus amem.」、遂に「三角初華」と名乗っていた少女の正体が明らかになる回でした。
本名は「三角初音」、父親は豊川祥子の祖父である「豊川定治」で、母親は島で豊川家の別荘を管理していた女性。つまり「お爺様の隠し子(婚外子)」という一部のバンドリーマーによる予想が当たった形になります。ただ、「本物の三角初華」は双子ではなく父親の違う妹、異父妹でした。「なぜお爺様は初音を娘として認知しなかったんだ?」という疑問は、「清告だけではなく定治も婿養子だった」という事実が判明したことで氷解。お爺様がお父様に対して辛辣な対応をしていたのは自身の立場もそれほど盤石ではなかったからだったのか……。
母と結婚した養父(この人の姓が三角)は悪い人じゃなかったみたいだが、「自分とは血の繋がりがない」ことで蟠りを抱いていた初音。そんな中、豊川の別荘へ避暑に来た祥子と妹の初華が仲良しになる。初音と祥子は叔母と姪の関係に当たる(JOJOの杖助と承太郎の関係に近い)が、初華は血縁的には完全に他人なので特に問題はない。だが、定治の隠し子である自分と祥子が親密になったら要らぬ騒動が起こるかもしれないから、という理由で接触を躊躇う初音。しかし、「本当は自分がそうなっていたかもしれない豊川の子」への興味は押し殺せず、祥子を見に行って、顔が似ていることから初華と誤認されてしまう。素性を探られたくなかった初音は初華のフリをして祥子と遊ぶうち、彼女に魅了されていく――島へ来たときに祥子が持っていた人形を初音が知らなかったこと、「瑞穂(祥子の母親)と会ったことがある」と指摘されて焦ったような顔をしていたこと、思い出話が微妙に食い違っていたこと、虫捕りに行ったときと星を見ていたときで服装が違うこと、過去にちりばめていた伏線が一気に回収されました。自分の複雑な生い立ちを知らない祥子と一緒にいるときだけ、初音は「かわいそうな子」ではなく「人間」でいられる。でも昼間に行くと妹の初華とカチ合う可能性があるので、夜の間しか逢うことができなかったという……「太陽」の初華と「月」の初音。たぶんバンドリに合流する前の設定では初華と初音は双子で、「亡くなった初華になりすましている」という真相だったのではないかと思われるが、「あまりに重すぎる」って理由でナーフされて「異父妹で存命中」に変更されたのではないだろうか(特にソースとかはなく、単なる私の妄想です)。
「同じ男(定治)の血を引く者」でありながら「豊川の子」としてお姫様のように過ごしている祥子を妬みつつ惹かれていく初音の心情はそれこそ「Odi et amo.」で、妹のフリをしながら接しているうちに自分の本当の気持ちが何なのかグチャグチャになってしまって本人でもよくわからなくなってしまったのだろう。そんな初音の人生は養父の死をキッカケに暗転する。海の事故で帰らぬ人となり、「姉だから」という理由で気丈に振る舞っていた初音は妹から「パパが違うから悲しくないんだ!」と責められる。その言葉に傷つきながらも、「事故で急に亡くなったというのに、妹みたいに動揺して度を失ったりしないのは、本当に悲しくないからなのでは?」と自分自身に対して懐疑を向けてしまう。「悲しみ」に自信を持てない彼女が「ドロリス(悲しみ)」と名乗っていた皮肉な構図。島に居場所がないと感じた初音は貯めていた小遣いを握って船に乗り、遠路遥々上京する。このへんで気になるのは「初音や初華は学校をどうしていたのか」という問題。初音が「初華」と名乗ってTVに出演するほど活躍していれば、妹はもちろんのこと小学校や中学校で一緒だった子は当然気づいて騒ぎになるはずなのに……過疎地の島だから『のんのんびより』の旭丘分校みたいに小中合同で生徒が数人しかいなかったのかな?
顔が良いからか上京早々にスカウトされた初音は、妹の初華が「東京へ行ってアイドルになる!」と祥子に夢を語っていたことの辻褄合わせとして、「三角初華」と名乗ってアイドルを目指す。つまり初音自身は別にアイドルに憧れておらず、「デビューすればさきちゃんと再会できるかも」という期待から芸能界入りしたことになる。sumimiの活動で疲れたような顔をしていたのもアイドル稼業そのものに対するモチベが低いからだろう。というか時系列的に初音が「初華」としてデビューするのはCRYCHIC解散前なので、まだ中学生だったはず……まさか中学校を中退してアイドルになったのか? 小卒アイドル? いや、花咲川女子学園に通っているんだからそのへんは定治が手を回して権力で卒業扱いにしたか、あるいは本土の中学校に転校したのかな。バンドリは日本なのに飛び級の子もいる世界だから、学歴設定に関しては割とユルめです。祥子に対して「同じ歳の姪」とハッキリ明言しているので少なくとも年齢詐称はしていないはず。
そこから先が少し入り組んでいますね。スカウトされて、「純田まな」とユニットを組むことになったが、未成年なので保護者の許可が必要になる。事務所の社長に「豊川定治の婚外子」であることを明かし、定治が手を回したことでまなとのユニット「sumimi」は同時に大々的に取り上げられる。デビュー前、大きなビルの落成式で祥子の父親である「豊川清告」を見かけ、祥子ともう一度会いたい一心の初音は洗いざらい己の出自を告白してしまう。清告は「初音を豊川の子として認知すべきだ」と定治に訴えるが、豊川本流の血筋でない定治の婚外子を迎えることなど他の親族が許さない、そんなことをすれば定治が失脚し、孫娘の祥子も路頭に迷う恐れがある……と突っぱねられる。このへんの遣り取りは清告から直接聞いたのだろうか? で、直後に清告が追い出される。
厳密なタイムテーブルはわからないが、だいたいの流れとしては「瑞穂(祥子の母)が病により逝去→消沈する祥子、月ノ森の講堂でモニカのライブを睦と一緒に鑑賞→バンド、ですわ!→吹奏楽部のそよを勧誘、帰り道で燈と邂逅→椎名真希(立希の姉)から立希を紹介してもらい、CRYCHIC結成→同じ頃に初音の養父が事故死→初音は単身上京し、即スカウトされる→事務所の社長に素性を明かし、まなとのユニット『sumimi』でデビューすることが決定→デビュー前のイベントで清告と会って定治の婚外子であることを打ち明ける→祥子にデビューが決まったことを伝える(連絡先をいつ交換したのか、祥子が妹の初華と連絡先を交換していない確信があったのか、など細かい疑問点はあるがひとまず無視)→CRYCHIC初ライブを開催、初華も駆けつける→ライブ終了後、清告から『もう一緒に暮らせない』と連絡が来る→CRYCHIC解散、ほぼ同時期にsumimiもデビュー」、こんな感じだろう。燈ちゃんはもともと芸能人に興味がない、ってのもあるだろうけどsumimiがデビューしてメディアに大きく取り上げられていた頃はCRYCHICが大変な時期だったから初華の顔や名前も全然覚えてなかったんだろう。清告は娘が組んだAve Mujicaというバンドに「娘の血縁者がいる」ことを知っていたことになるが、その後酒に溺れたこともあってどうでもよくなってしまったのだろうか。
初音の主観では「初音の処遇を巡って対立した」ことが原因で清告は豊川家から放逐されたことになっているが、瑞穂が亡くなっていたことも知らなかったくらいだし、168億の詐欺事件も十中八九把握してないだろう。なので視聴者からすると初音の主観が正しいのか間違っているのか判断しがたい。「168億事件は口実だった」と定治本人が認めないかぎりこの件は決着しないでしょう。事実はどうあれ、初音視点では「自分の迂闊な行動がもとで清告が豊川家から追い出され、父親を見捨てられなかった祥子も家を飛び出し、没落令嬢さながらの苦労をするハメに陥った」ことになる。いや……やけに祥子の境遇に詳しいけど、ずっと監視してたのか……? まずそこが怖いんだけど。sumimiとして忙しく活動する傍ら、プライベートの時間を姪っ子のストーキングに費やしていたなんてファンが知ったら失神してしまうだろう。
祥子に対して愛憎入り混じる気持ちがあったとはいえ、辛い目に遭ってほしかったわけではない初音は罪悪感を抱くことになり、罪悪感ゆえに盲目的な愛を捧げることになる。なんというか、『プリンセス・プリンシパル』の「委員長」を思い出しちゃったな……スパイ養成所に送られ、成績優秀だったものの幸せな思い出がろくになく、ミッションをサボってドロシーと一緒にいった移動遊園地の記憶だけが唯一の拠り所だった子。「あのとき初めて遊園地に行ったのよ。楽しかったなぁ……今でも夢に見るのよ、あなたと遊んだこと、笑ったこと」 空虚に苛まれ「自己」を保てず滅んでいく、心弱き者。「自分の醜さ」から目を背け続けてきた初音はもう薬物に依存するような調子で祥子に依存しているのだろう。ちなみに上京後、初音が学業をどうしていたのか語られていないから明瞭ではないが、花咲川に入ったということは最低限受験はしているはずだ。芸名はまだしも戸籍をイジって「三角初華」にしてしまうと本物の初華に累が及んでしまうので、恐らく学籍上は本名の「三角初音」になっていると思います。特別な事情があれば通称使用も許可されるだろうが、初音の事情では無理だろう。同級生の立希や海鈴は「三角さん」としか呼んでいないし、他のクラスメイトも「初華」ではなく「sumimiの初華」と呼んでいるので、「本名と芸名が違う」ことを知りつつ大して気にしていないのだろう。バンドリの既存バンドであるRASこと「RAISE A SUILEN」のメンバーも本名とバンドネームは別(たとえば「チュチュ」の本名は「珠手ちゆ」だが、彼女を本名で呼ぶキャラはほとんどいない)です。
とはいえ、本名「三角初音」が妹である「三角初華」を騙って「初華」という芸名でデビューし、ムジカでは「ドロリス」というバンドネームを使うというバンドリ史上もっともややこしい子になっていることは確か。クラスメイトの海鈴がうっかり「初音」という本名をバラしてしまうだけで瓦解しかねない、薄氷の上で成立している仮面生活です。20分近く使って「初音の一人芝居」という形式で真相を明かした後、物語は定治が「初音、帰りなさい」と言ったポイントへ戻ります。これ以上祥子と初音の独断を座視できなくなった定治は「祥子をスイスに留学させる」という強硬手段に打って出る。「短い夢が終わった」ことを悟った初音は荷物をまとめ、故郷である島へ戻る。祥子は軟禁状態で家から出られず、初音は既に東京から去った。復活した直後にメンバー2人が欠けて機能不全に陥ってしまったムジカ。危機的な状況なのに「こういうのやめてほしいんですよ、トラウマなんですよ!」と叫ぶ海鈴の味が独特すぎてシリアスなムードが吹っ飛んでしまった。というかなにげにsumimiも解散の危機じゃないかコレ。最近はまなちゃんもソロの仕事が増えてきてるみたいだから解散してもやっていけるだろうけど、いきなり辞められたら戸惑うなんてものじゃないでしょ。どういう結末を迎えるにしろ、初音はいっぺんキチンとまなちゃんに謝った方がいいのではないか。
さておき初華(初音)の秘密が明かされたことで、後は「祥子が初音を受け容れるかどうか」と「定治の妨害をどうやって乗り越えるか」、問題はふたつに絞られました。お爺様がスイス留学という強硬手段に出たの、「他の豊川家の連中の手前仕方なく」ということなんだろうが、「むしろ今までのムジカの活動は容認していたんだ」ってビックリしますよね。豊川本流の血を継ぐ祥子が「弄られて垂れ流す」とか「code 'KiLLKiSS' uh……」とかやってるのはOKだったんだ……大ガールズバンド時代だからか?
残りあと2話、捻らずに考えれば「瑞穂に似てじゃじゃ馬」な祥子が豊川邸を脱走し、単身でか他のメンバーを率いてかはわからないが島に向かって初音を迎えに行く。身を引こうとする初音を説得して島から連れ出し、定治や清告としっかり話し合ったうえで自分の意志を押し通す。拗れたら豊川の家から出ていくことになるかもしれませんが、それはもうCRYCHICのときにやってるから「うまく交渉して豊川家に居残りつつムジカを続ける」方向で調整するのではないかな。「子供たちが大人の権力に立ち向かう」というのは昔のアニメでよくあった展開だが、「大人の権力」をあまり詳細に描いても面白くならないので大雑把に「音楽の力でねじ伏せる」感じになるんじゃないかと思います。CRYCHICの卒業式を終えた祥子にとって大切なのは過去ではなく「これから」なので、初音が嘘つきまくっていたこともそこまで致命的じゃない。詰まるところ祥子が「初華と名乗る初音」を選んだのは「初華が昔馴染みだから」ではありません。MyGOの春日影にショックを受けてRiNGから飛び出した祥子が見上げた街頭ビジョン、そこにあった「星」が初音だったからです。あとはそこをどう初音に納得してもらうかですね。ギリギリ尺に収まりそうだけど、まなちゃんは最後まで蚊帳の外になりそうなのが不憫だな。「全国のど自慢大会5連覇」という過去が明らかになったまなちゃん、祥子と同じタイミングで島に上陸して初音を取り合ったら修羅場好きの私としては大興奮なのだが、果たしてあと2話という限られた尺の中でまともな出番が用意されているだろうか。
今回ほぼ初音の一人語りだったので「どこまでが真実なのか」不明瞭であり、極端の場合だと「初華ちゃんなんて最初からいないよ?」なイマジナリー妹のパターンもありえるんだよな……初音が「初華」という役を演じていただけっていう。睦/モーティスと被るからさすがにそれをやるのはクドいだろ、普通に「本物の初華」が出て来るんじゃないか、と思いますが。本物の初華は「東京でアイドルになりたい」という夢をとっくに見なくなっていて普通の中学生になっているのかもしれません。自分の名前を騙っている姉をどんな気持ちで見ているのかが気になるところだ。
次回第12話のタイトルは「Fluctuat nec mergitur.」、パリの標語として有名な「たゆたえども沈まず」という意味の言葉だ。風が吹いたり波が来たりして揺れることはあるけど、決して沈まない。久しぶりに希望の見える題名です。原田マハの小説にこの言葉を元にした『たゆたえども沈まず』という本があるし、少し違うが白川道の小説にも『漂えど沈まず』という本がある。『病葉流れて』というシリーズの6冊目だ。Ave Mujicaという病葉はいったいどこへ流れ着くのか。
・三枝零一の『魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】』読んだ。
2001年に始まって2023年に完結した(後日談含む短編集も含めると2024年に完結した)『ウィザーズ・ブレイン』の作者「三枝零一」が放つ24年ぶりの新シリーズ第一弾である。『魔剣少女の星探し』がメインタイトルで『十七【セプテンデキム】』は1巻のサブタイトル、主人公「リット」が所持する魔剣の銘です。この調子だと2巻や3巻も魔剣の名前がサブタイトルになるのかしら。SF色の強かった前作に対し、今回はファンタジー色が強めで、ややSFっぽい雰囲気が残っている感じ。「魔剣」を始めとするオーパーツじみた技術が存在する世界で主人公たち「魔剣少女」が壮絶なソード・アクションを繰り広げる。
2000年以上続いた「魔剣戦争」が、遂に終結――少し前まで英雄と崇められた「魔剣使い」は、今や無用の長物と化していた。彼・彼女らは「廃剣令」によって居場所を失い、大国の威光が届かない聖地「セントラル」でのみ存在が許されている。南の国「オースト」からやってきた少女「リット・グラント」は、亡き母との誓いを果たし「天下一の魔剣使い」となって己が名を世界中に轟かせようと、意気軒昂セントラルの門を潜った。しかし、立ちはだかる現実は厳しかった。もはや魔剣使い同士が刃を交えて強さを競うなど、時代錯誤も甚だしい。片っ端から決闘を申し込んでも断られ、勝ち負けどころかマッチメイクすらできない。仕方なく「ギルドに所属して犯罪者捕縛や魔獣退治の依頼でもこなそう」と考えるが、戦争終結からこっち、食い詰め者となった魔剣使いが各地から押し寄せているセントラルでは「腕が立つかどうか」ではなく「信頼できるかどうか」が重要視されており、紹介状の一つも持たぬ少女なんてどこも門前払い。仮に誤チェストしてしまった場合「誰が損害を補償するんだい!」という問題に発展するため、紹介状などそう簡単には書いてもらえない。天下一になるどころか明日の生活さえ危ぶまれる窮地に立たされたリット。途方に暮れかけていたところ、東の国「エイシア」のお偉いさんが賊に襲われている場面に遭遇し、これ幸いと撃退したところあれやこれやの末「神前決闘裁判」に出場する運びとなって……。
天下一の魔剣使いとなるべく旅立ったのに肝心の戦争が終わってしまった! というトホホな状態から始まるソード・アクション・ファンタジーです。主人公のリットちゃんは好戦的で、決闘を拒む相手に「鍔迫り合いだけ! 鍔迫り合いだけでもいいから!」と懇願するお茶目なところもあって可愛いです。助太刀したにも関わらず賊の一味と間違われお偉いさんの護衛と剣を交えるハメになり、つい勢いで相手の腕をへし折ってしまって、彼が出場する予定だった決闘裁判に代理で参加することになったリットちゃん。決闘相手は巨漢だと聞いていたのになぜか細身の美少女が出てきて混乱するハメに。なんてこたぁない、この子も出場する予定だった男をブチのめしてしまったせいで代理参加する運びとなっていたのである。ドキッ!代理だらけの神前決闘裁判、ポロリもあるかもよ!(胸に差した一輪の花がポロリと散れば決着というルール)
さて、本書の読みどころは何と言っても魔剣使いたちによる剣戟シーン。特にリットちゃんの殺陣はかなり映像向けなので「はやくアニメ化しねぇかな」と読んでて気が急いてしまう。リットちゃんが操る魔剣「十七(セプテンデキム)」はその名の通り17もの刃を重ねて構築された大剣であり、あまりのデカさに鞘に納めることなどできない。腰に提げることも背負うことも不可能。じゃあどうするのかと申しますと、重力制御のような魔法を使ってセプテンデキムを宙に浮かせているんです。抜き身のまま、ふよふよとSTGのオプションみたいにリットちゃんに追随するセプテンデキムくん、想像すると微笑ましいようなちょっと怖いような。狭いところを通るときにちょっと傾ける描写も出てくるのが細かいです。リットちゃんはこのセプテンデキムくんを遠隔操作して戦うわけですが、本体も後方主人面してただ突っ立っているわけじゃなく、鍛え上げた体術を駆使して敵をブチのめさんとする。つまり蹴ったり殴ったりしながら魔剣を薙いだり斬り下ろしたり、という実質タッグマッチのような塩梅になっているのだ。血の滲むような努力によってセプテンデキムくんの制御は完璧になっているから、その刃を足場にして跳躍したり、自分自身を野球のボールみたいに打ち出して特攻(ブッコミ)をかけたりすることもできる。アクロバティックすぎて「お侍様の戦い方じゃない……」ってなるけど、リットちゃんはサムライじゃないから別にいいか。感覚的には「ファンネル使いながら接近戦を挑むモビールスーツ」であり、まるでロボットアニメでも観てる気分になります。頭の中で響いていたBGMは『装甲悪鬼村正』の「BLADE ARTS V」だ。
リットちゃん以外にも、「自分より強い方とお付き合いしたい」と願って北の国「ルチア」からやってきたレイピア状魔剣「山嶺(モンストゥルム)」(重さを任意で変更することによりブギポのモービィ・ディックみたいに当たったときの威力を操作できる)の使い手「クララ・クル・クラン」や、かつてとある「結社」に所属していたが今は独自の目的を果たすために短剣型魔剣「全知(オムニシア)」(他人の魔剣の制御を奪い取る、ただし固有の権能までは奪えない)を駆使して暗躍する「ソフィア」といった魔剣少女たちが登場します。冒頭120ページくらいは3人の魔剣少女を順々に紹介する形式となっており、雰囲気がちょっと群像劇っぽい。ソフィアちゃん曰く、魔剣戦争よりも前(つまり2000年以上前)に「最初の魔剣使い達」が「七つの厄災と魔物の軍勢」と神話的な争いを繰り広げ、魔剣の力でそれらを「聖なる門」に封じ込めたという。「結社」と呼ばれる集団は「聖なる門」の封印を解いて「七つの厄災と魔物の軍勢」を世界に呼び戻そうとした。既に「結社」は崩壊したが、その残党どもが諦め悪く計画を続行しようとしている。あまりにもスケールが大きくて俄かには信じがたいリットちゃんであったが、問答無用で追われる立場になってしまい、否応なくクララやソフィアとチームを組んで戦うことになります。
主人公の目標は「最強の座」に到達することで、この点に関しては単純明快なんですが、成り行きで「世界滅亡」を防ぐ戦いに巻き込まれ、「ならず者」として追い回されることになってしまうなど、思い描いていた英雄譚とは全然違う方向に突き進む。崩壊したとされる「結社」の規模は想像を超えており、2000年続いた魔剣戦争すら「聖なる門を封印するために使用されている魔剣を各国が消費するよう仕向ける」ために「結社」が引き起こした壮大な陰謀劇だった――という凄まじさ。人里離れた山の奥で育てられたリットちゃんには咀嚼することすら難しい。リットちゃんの「グラント家」は十七(セプテンデキム)という規格外の魔剣を継承しながらも、規格外すぎるがゆえに開祖以外誰も使いこなせないという窮状に直面し、没落の末にリットちゃんの母の代で廃嫡してしまったという悲しい経緯を持つ。廃嫡した後にリットちゃんという初代以来の使い手が現れ、なのに魔剣戦争すら終わってしまったというのだから皮肉な話だ。こういった事情から「リット・グラント」はリットちゃんが勝手に名乗っているだけであり、グラント家なるものは現存していない。一般的にイメージされる「家」のイメージもなく剣の修行に明け暮れ続けた娘の人生を想って「ごめんなさい」と謝る母と、「いえ、あなたの娘として生まれて幸せだった! あなたの夢と願いは必ず果たします!」と誓うリットちゃんの件は何度読んでも泣ける。やがて「結社」の残党によって「聖なる門」の封印は解かれ、その向こうから「災い」がやってくる。食い詰め者とはいえ魔剣使いが集まる街なので易々と「災い」に屈することなく名もなきモブたちが抗う展開はアツいが、神話級の事態にあっては焼け石に水。世界の命運は三人の魔剣少女に託されることとなります。
訳有り魔剣少女のスクワッドが成り行きで世界を救う! という、ウィズブレと比較して割とストレートというか痛快娯楽活劇なノリで「三枝零一らしさ」はやや希薄ですけれど、冒頭に出演したチョイ役の魔剣使いが意外な活躍を見せたり、諦めそうになった主人公を在りし日の母の言葉が奮起させて立ち上がらせたりなど、丁寧に盛り上がる要素を積み重ねていってドカーンと見せ場を演出してくれます。まだまだ壮大な物語は始まったばかりってムードなので続きが楽しみだ。作者の呟きからすると2巻目の原稿を執筆中みたいで、3巻への布石を着々と打っているみたいだから売上面で厳しいことにならなければまだまだ「先」があるはず。ただ、あとがきで他の小説も書きたいというようなことを語っているので10巻以上続く長期シリーズにはならないかもしれません。理想としては3つくらいシリーズを並行して展開してもらいたいところだけど、三枝零一にそこまで求めるのはさすがに無茶と申しますか……とにかくこの『魔剣少女の星探し』を円満完結するところまで持って行ってほしいものです。
・映画の『ビーキーパー』を観ました。
「ジェイソン・ステイサム」主演作品。そのうち配信されるだろうな、とは思っていましたがこんなに早く配信が来るとは予想していなくてビックリしました。アメリカで公開されたのは2024年1月だからもう1年以上も前なんですけど、日本公開はかなり遅れて2025年1月、ほんの2ヶ月前です。監督は「デヴィッド・エアー」、ブラッド・ピッドが戦車に乗る映画『フューリー』とかを撮った人。旧『スーサイド・スクワッド』の監督でもあるのでアメコミファンからの評判は宜しくないが、あれに関しては「自分のコントロールの効かないところで全然違うものにされてしまった」と語っているから監督自身にとっても不本意な出来だったようだ。脚本は「カート・ウィマー」、あの『リベリオン』の監督と脚本を務めた人で、一部のマニアの間では有名。この映画はカート・ウィマーのドイツに住んでいる伯母が特殊詐欺の被害に遭ったことが企画の発端ということで、詐欺犯どもに対する怒りが漲っている。「悪党は死ね!」 それ以外のメッセージ性はほぼなく、スカッと単純明快に楽しめるアクション映画に仕上がっています。
かつては「養蜂家(ビーキーパー)」と呼ばれる超法規的な任務に従事する秘密工作員だったが、引退後の今は田舎で普通の養蜂家として暮らしている男「アダム・クレイ」(偽名、経歴は抹消されており本名不詳)。しかし、納屋を貸してくれる隣人「エロイーズ・パーカー」が特殊詐欺の被害に遭い、自身の資産のみならず管理していた慈善団体の預金まで奪われたことに責任を感じて自殺したことをキッカケに、「因果応報」の化身として最前線に舞い戻ってくる。俺はビーキーパーだ、群れを守るために邪魔なモノはすべて排除する――という典型的な「話し合いではなく暴力で解決する」タイプの話です。要は『ジョン・ウィック』と『イコライザー』を混ぜたような映画。パーカーさんをハメた実行犯は古巣に連絡して即座に特定、悪しきコールセンターにガソリンを撒いて焼き払う爆速ぶりが気持ちいい。30分もしないうちに拠点の一つがバーニングしてるんだから笑ってしまう。ホント、脚本から伝わってくるカート・ウィマーの怒りが凄まじい。後は元締めの連中を殺しに行く展開へ突入するのですが、押し寄せるライブ感はハッキリ言って漫画の『タフ』級なので細かいツッコミどころは無視してエンジョイしましょう。「なんで引退したのに権限が生きているの?」など、養蜂家(ビーキーパー)なる組織の実態がふわふわし過ぎなほどふわふわしている。「アダム・クレイはもう組織を抜けた身だし消しちゃおう」と安易に追っ手を差し向けて返り討ちにされ、ビビって静観の構えに徹する途中の展開といい、組織としてあまりにもグダグダだ。すべてはステイサムが無双するための舞台装置と割り切ろう。あと、ところどころで蜂蘊蓄が挿入されるノリは村田真哉原作漫画っぽいな、と思いました。
製作費が4000万ドルほどと比較的低予算で作られた映画だけに大作感はなく、「ちょっとここの絵はショボいな」と感じる箇所もあったが疾走感が抜群なおかげもあって退屈せずに最後まで観ることができた。今のハリウッド映画、コロナ禍のときに離れた観客があまり戻ってなくて、ストリーミング配信による自宅での視聴へシフトしちゃった人が多く、興行収入やDVD・BDの売上が下降気味らしくて「大作映画」そのものが減っているらしいんですよね。日本の映画館でも海外実写映画の存在感が弱くなり、ランキングの上位はアニメや邦画が占める傾向になってきている。ほぼ毎月のように海外実写映画を浴びていた身からすると寂しい状況だ。話を戻してビーキーパー、世界的にスマッシュヒットを飛ばしたこともあって早くも続編企画が動いている模様です。監督のデヴィッド・エアーは今ブラピ主演の映画 "Heart of the Beast" (元特殊部隊所属のブラピが飛行機事故でアラスカの荒野に放り出され、引退した軍用犬と一緒にサバイバルする話らしい)の撮影で忙しいらしく、「プロデューサー」というポジションで『ビーキーパー2(仮)』に関わるらしい。新たな監督は「ティモ・ジャヤント」、インドネシア出身の若手でホラー方面が得意、ゴア表現に定評があるそうだから続編はグロい描写増えるかも。『ビーキーパー』と似た路線のアクション映画『Mr.ノーバディ』の続編『Mr.ノーバディ2』(今年8月にアメリカで公開予定)も手掛けており、うまくいけばこのまま続編請負人として重宝されるか? 脚本はカート・ウィマーがそのまま続投です。なので組織のグダグダぶりも恐らくそのままでしょう。撮影開始は今年の秋からということで、早ければ来年の春くらいには公開されるかしら。
まとめ。ストーリー面はかなり粗いけど「ステイサムが無双するだけでスカッとする」層にはうってつけの1本。ちなみにエアーとステイサムのコンビは "A Working Man" という新作にも携わっており、こちらも「引退した元特殊工作員が誘拐された家族同然の少女を取り戻すため巨大な人身売買組織と戦う」という『ビーキーパー』系の映画です。アメリカでは今月28日公開予定なんですが、邦題がないことからわかるように日本での公開予定は不明。下手すると劇場公開ナシで配信や円盤のみかもしれないな、これ。
2025-03-09.・迫稔雄の最新作『げにかすり』、ヤンジャン!アプリなら全話無料キャンペーン開催中、3月19日まで
『げにかすり』、どんな漫画かと言うと『嘘喰い』の作者によるボクシング物です。これ以上の予備知識を入れないで1話目から読んで欲しい。「全話無料ったって、まだ5話じゃん」と思うかもしれませんが、1話あたりのページ数が多いので5話全部合わせると200ページ以上、単行本1冊分くらいのボリュームがあります。切りどころを考えると4話目で1巻を終わらせて、2巻は5話目からって構成になるかな。読むならまさに今ってタイミングだ。あと同一人物なのかスターシステムなのかよくわからないがオッシーこと「緒島ケン太」そっくりのキャラも2話目に出てきます。『嘘喰い』ファンは要チェック。
・Interview: Director Kodai Kakimoto on Ave Mujica and Its Unique Direction(Anime Corner)
「Anime Corner」という海外のアニメサイトに掲載された、『BanG Dream! Ave Mujica』の監督「柿本広大」のインタビュー記事です。読み応えのあるボリュームですが、比較的平易な英語で綴られているため機械翻訳に掛ければだいたいの内容はわかります。企画の経緯などについて言及されており、興味深い。国内のインタビュー(これとか『メガミマガジン』とか)でも語っていますが、もともとMyGOとMujicaは「シリアスなバンド物をやりたい」という思いから出発したプロジェクトであり、初期の段階ではバンドリから完全に独立したワールドとなる予定だったそうです。途中でバンドリに合流することが決定し、キャラデザ含め一部の設定は作り直すことになった。合流前の設定だと「もっと辛辣なキャラクターや展開」だったそうで、あれでもだいぶギスギスが軽減されているんだ……と衝撃を受けます。特に初期案の祥子は「かなり嫌な子」だったらしく、どうやってもバンドリのキャラにならないので相当作り直した模様。
また当初のプランではMyGOとMujicaに分かれておらず、全26話の一貫した2クールアニメとして構想されていて、4話目まで脚本作業も終わっていたとのこと。10人の少女たちの思惑が交錯してふたつのバンドが生まれていく過程を同時並行で描く群像劇みたいな作りにするつもりだったらしい。現状の「全13話の1クールアニメをふたつやる」方針に決まった後もMyGOを先にやるかMujicaを先にやるかはしばらく迷ったが、リアルバンドのメンバーの集まり具合やスケジュールの都合もあってMyGOを先行させることになった。過去の『BanG Dream!』は「担当声優をイメージしたキャラクターデザインにすることで演じやすくする」工夫もしていたけど、マイムジに関しては先にキャラクターデザインを固めて、それからキャスティング作業を始めたというのでアプローチの仕方がだいぶ異なるみたいですね。それとクールが分かれたことでMyGOの問題が先に解決し、Mujicaの問題にMyGOメンバーが助力する展開になったが、初期の構想ではCRYCHICを忘れ去りたい祥子がその面影の残るMyGOを忌々しく思い、もっと激しくMyGOメンバーを敵視する展開になるはずだったらしい。そのルートだとレインボーライブの「速水ヒロ」みたいなポジションのキャラになっていたかもしれない。
MyGOの5人に関しては「詩の才能はスゴいけどコミュニケーション能力に難がある」燈を中心に詰めていったと語っています。燈の才能を見出して舞台に引っ張り上げる「温かい手」の持ち主である祥子、燈の才能に惚れ込んでメロメロになってしまう立希(それにしたってこの表情はメロメロの度が過ぎるだろ!)、燈の才能に気づかない(忌避感から目を逸らしてしまう)そよ、どちらにも転びうる睦……という配置。これを見ると初期段階では立希とそよがもっと対立するような関係として考えられたのかな。実際にキャラクターを動かす段階に入って感情の掘り下げが行われたが、みんな思ったように行動してくれないせいで苦労したそうである。プロット段階では順調に進むのに、シナリオ起こしの段階に入って「しまった、こいつはこの状況じゃこう動かない! こっちに行ってしまう!」と発覚するのは割とあるあるだ。「虚淵玄」も同じような現象に悩まされたことを過去のインタビューで語っている。だから、極端なクリエイターだとプロットを一切組まないこともあります。代表格は「菊地秀行」、初期はキチンとプロット組んでたらしいが途中から「作者も先の展開を知らない方が面白く書ける」という理由で荒野を突っ切るようなスタイルになっていった。MyGOもMujicaもだいぶライブ感のあるストーリーなので「初期のプロット通りには進まなかったんじゃないか」と疑っていたが、やっぱりそうだったんですね。MyGOのインタビューでも脚本の人が「9話の時点で『本当にこの子たちバンドが組めるのか?』と制作陣も心配になった」って明かしてたもんな。
「Ave Mujica」というバンドのコンセプトは既存のゴシックメタルバンドである「Roselia」との差別化を図る狙いもあったと語っています。「仮面を付ける=本音を隠す」というのも「扉は開けておくから」(Neo-Aspect)なロゼリアと対比する意味合いがあるんでしょう。これまでのバンドリは「信頼によって絆や友情が生まれる」という前提を崩すことができず、どうしても話がワンパターンになってしまうウィークポイントがありましたけど、「問題を解決できないまま、心に闇を抱えたまま繋がるバンドもあっていいのではないか」とアンチ成長ストーリーを謳うことで幅を広げようとしている。とにかく各キャラが好き勝手に動くせいか、「迷路の出口を探しているような感じ」とコメントする監督に笑ってしまった。
もっとも扱いに苦労したのは? と訊かれて「若葉睦ですね」と即答しているのにも笑う。初期段階では「モーティス」という人格が存在しておらず、「もうひとりの登場人物」として後からシナリオに追加したことを述べている。そのせいで既に書き上がっていた4話までの脚本を書き直すことになったみたいだから、モーティスはムジカのライブ感を象徴するキャラと見做していいのかもしれません。またバンドリの新作アニメを手掛ける機会があったら何をやりたいか、という質問に対してはRAS(RAISE A SUILEN)と返答している。ゼロからバンドの立ち上げに関わったので愛着があるらしい。他の候補としてはロゼリアの新作を挙げている。ロゼリアの劇場版アニメはガルパのシナリオをベースにしているので、オリジナルもやってみたい、と。最終的には「全部のバンドやりたい」と語っていますが。
しかし英語のインタビュー記事が出てくるのはビックリしたな。ムジカは英語圏でもジワジワ人気が広がっているらしく、いろいろとふざけ倒している英語圏の公式アカウントも盛況だ。グアムが舞台だったぽぴどり(バンドリの劇場版)みたいに、今後は海外で展開する話もあったりするのかな。愛音が逃げ帰ってきたせいで「魔境」扱いになっているイギリスを舞台にした新作ストーリーとか観てみたいかも。
・「さわらないで小手指くん」2025年TVアニメ化、スポーツ強豪校の“マッサージラブコメ”(コミックナタリー)
なにっ、最初はスポーツドクターを目指していたのに最新エピソードではなぜかエムバペ似の黒人男性にメンズエステの指導をしている小手指くんがアニメ化だと!? 初期の頃はよくあるちょいエロ系のお色気漫画で、肉体に関する何らかの悩みを持っているアスリート女子高生たちへマッサージを施して問題解決していく……という軽めのラブコメだったのだが、主人公のマッサージ技術が「人を殺さない北斗神拳」みたいになっていってどんどん常軌を逸していくため、ラブコメというより『揉み払い師』的なお色気ギャグになってしまった一作だ。キメ技の一つに「だんちゅう」という胸の中心にあるツボを突くのがあるんですが、「ドゥルルルル ピンッ!」と最後に乳首を弾いてフィニッシュする。乳首弾く必要ないだろ! と総ツッコミが入るシーンです。途中から見せ場で急にカラーページになる演出も盛り込まれており、その演出が派手なことから「パチンコカラー」とも形容されている。
キービジュアルでは5人の女の子が映っているが、進むにつれてどんどん女の子が増えていくのも小手指くんの特徴で、正直もう何人の子に施術したのか思い出せないくらいだ。「そんなに女の子の肌に触れて、年頃なのに小手指くんはムラムラしないのか?」という疑問を掘り下げるエピソードもあるのですが、少なくともアニメの1期目ではそこまで進まないだろう。「小手指くんの血流(性欲を意味する隠語)問題」は結構重要で、中には股間を触られながら「施術中に勃起しないかどうか」確認される場面すらある。そこまでやると逆に小手指くんへのセクハラになってしまうだろ……という別の問題も発生し、いろいろとセンシティブな漫画である。ゆえにアニメ化は困難と思われていましたが、講談社もよっぽどタマがないんだろうな。最近始まった講談社系のちょいエロラブコメの中では『それがメイドのカンナです』っておねショタ漫画も好きなのでゆくゆくはアニメ化してほしい。
・『BanG Dream! Ave Mujica』は第10話「Odi et amo.」でようやくバンド再結成……するのだが、こんなに連帯感が欠けたまま復活するバンドがあっていいのか!? とブッ魂消る内容でした。
今回はライブシーンを入れるため尺がキツキツでOPとEDはカットされています。Aパートの出だしはにゃむにオーディション参加のオファーが来たけど断ったため、最終的にsumimiの「純田まな」が採用された劇の上演。まなちゃんが断頭台の露と消える、劇中劇にしてもなかなか攻めた内容の導入だ。CMを挟んだ後、にゃむがRiNGで「キんモ」と発言したシーンから再開。楽奈同様「モーティスが睦を演じている」ことを即座に見抜いたにゃむ、彼女は森みなみから「睦は演技の化物」と聞いているので「二重人格者ではなく『自分が二重人格だと思い込んでいる子』」だと受け取っており、「内面が壊れている」点も含めて「若葉睦」なのだと捉えている。だから睦の状態を病気とも思っていないし、治療が必要とも考えていないので態度がドライになるんですね。それに対してそよはモーティスがいろいろと限界なのを悟り、タオルを投げ込むような勢いで彼女を店の外へ連れ出す。モーティスは睦ちゃんについて「勝手に落ちた!」と叫んでいますが、監督のインタビューを要約すると「本当に助けるつもりがあるなら奈落に飲み込まれないよう防ぐ手立てはいくらでもあったのに、それをしなかった時点でモーティスに『このまま睦ちゃんが消えてくれた方が都合が良い』と願って座視する気持ちがあったことは確か」なわけで、初華みたいな「明確な殺意」こそ抱いていないものの、「未必の故意」ぐらいは存在していたことになります。睦ちゃんを心配して後を追う燈ちゃん、燈ちゃんの後を追う(前にちゃんと楽奈ちゃんにも確認を取るほど抜かりない)愛音ちゃん、「お前も追いかけるんだよ!」とばかりに海鈴を連れ出す立希ちゃんと、バラバラに動いているようでいて連帯感のあるMyGOメンバーにジーンと胸が温かくなる。それに引き替えMujicaメンバーの寒々しさよ……誰も! モーティスを心配していないのである!
祥子に「Ave Mujicaやろう!」と誘って袖にされた(祥子からすると「それどころじゃねえですわ」という感じだろう)初華、自宅の真っ暗な風呂場でシャワーを浴びるシーンはシンプルに「病み」を表現している。真っ暗な風呂場でシャワーを浴びる人間なんて、よっぽど電気代を節約したい人間かメンタルがヤられてる人かの二者択一ですよ。ロフトに上がり、抱き枕かマネキンかわからないが「何か」に廃棄予定だったオブリビオニスの衣装を着せて同衾するシーン、病んでる子が好きな私でも素直に気持ち悪いと思いました。これスリラー映画でサイコキラーが行きずりの女を殺して死体に母親の遺した服を着せるシーンの演出だろ! 祥子が泣くほど感動した燈の歌詞に打ちのめされ、「このままじゃ燈ちゃんに取られちゃう」と危機感を募らせる初華は新たな歌詞というか激重ラブレターを自主的に紡ぎ始める。誰がどう見てもラブレターなのでさすがに投稿を躊躇うが、どこからともなく現れたにゃむがスマホを取り上げ勝手にアップロード。例の「スマホの画面を見せられて絶望の色を顔に浮かべる初華」はこのシーンだったのか……海鈴の行動力に当てられたのか「熊の場所」へ戻るためMujica復活の意志を固めたにゃむは初華から聞き出した豊川邸へ一緒に乗り込む。初華、やっぱり豊川邸の住所を把握していたけどあえて近寄らなかったんだな。インターホン越しにお手伝いさんが初華の顔を見て「お入りください」と告げたことから豊川家の関係者である可能性も高まった。ヘッセの『デミアン』を読んでいた祥子のところへ突入した二人、初華が縮こまって居心地悪そうにする中、にゃむは「人生よこせって言った責任を取れ」と迫ります。祥子は「知りませんわ」と例によって逃避癖を発動させようとするものの、夜に一人、燈の付箋に綴られた文章と向き合って「やはり自分で蒔いた種なんだから何とかせねば」と決意する。最終的に祥子の心を動かすのがMujicaメンバーではなく「昔の女」である燈の言葉だというのがホントにもう……。
外堀が埋まったことで「正しい答えではない」と知りながらも義務感から祥子はMujica再結成を承諾し、「病めるときも健やかなるときも」共に在ることを誓うよう強いる。初華の「はい……」は声の湿度が凄まじく、「帰りにゼクシィ買お(はぁと)」ぐらいのことは考えてそうだ。そこからトントン拍子で復活ライブへと話が進んでいく。TGWコネクションを使えないから大きなハコは押さえられず、RiNGでライブを行うことにした面々。「シャンデリア、頑張ってみたけどちょっと難しくて」と凛々子さんが伝えるように、最速で武道館まで行った商業バンドが復活の狼煙を上げるにはこぢんまりとした規模に留まってしまう。MyGOの13話やMujicaの1話に比べるとどうしても「ハコの小ささ」を意識せずにはいられず、劇っぽい演出をするにはやっぱりある程度の空間が要るんだな、と実感しました。ハッキリ言ってこれまでのMujicaのライブに比べてスケールはショボいのですが、フロントマンである初華が歌い出せばそんな些事は吹き飛ぶ。どれだけハコが小さくても、普段あんなに情けない弱々な姿ばかり晒している子でも、パフォーマンスの力で覆してみせることが可能なのだ。メンバーそれぞれ人間的にダメな部分がたくさんあって、不和だらけでまとまりのないバンドであっても、演奏が素晴らしければ蔽い隠すことができてしまう。「音楽の力」を露悪的に証明する演出であり、何もかもMyGOの10話「ずっと迷子」とは正反対だ。客席に背を向けてまでメンバー同士見つめ合って気持ちを通じ合わせるMyGOに対し、Mujicaのみんなはバラバラで誰かが誰かを見ても目と目が合うことはない。「さきちゃんを独占したい! 這い上がれないから引きずり下ろしたい!」と欲望剥き出しのドロドロソングを圧倒的な歌唱力で歌い上げる初華は祥子に熱視線を向けますが、白けたように無表情な祥子は「音楽へ奉仕するマシーン」に徹して初華の激重感情をのらりくらりと躱す。初華が視線を送っているときは俯いて決して目を合わせようとせず、初華が視線を前に向けてからようやく顔を上げて複雑そうな面持ちで表情を窺う。「なんだかわからないけど初華を本気にさせてしまいましたわ……因果応報なので諦めますけど、できれば逃げ出したいですわ……」という祥子の心の声が聞こえてくるかのようだ。
燈の詩(うた)が心の叫びであるように、今回の初華の詩(うた)も心の叫びではあるんですよね。それが相当独り善がりというだけで。「人間になりたい」と切実に願った燈に対し「今夜私の神話になって」とねっとり絡みつく初華、対比にしても差があり過ぎてエグい。「CRYCHICや昔の女(燈ちゃん)なんて忘れて私を見て!」と金切り声で訴えるような歌詞なのに、メロディはCRYCHICを彷彿とさせる綺麗で温かみのある雰囲気……「忘れたくても忘れられませんわ」というのが祥子の「答え」でしょう。あまりにも高度なすれ違いで唖然とする。叫んでも叫んでも愛が谺しない。この「Imprisoned XII」のPVでも祥子は寄り添う初華に気持ちを向けることはなく(階段から足を踏み外しそうになったとき抱き止めたくらい)、悲しいくらいに一方通行だ。泣いてるのを見てハンカチ差し出す初華に目もくれず出口へ向かおうと駆け出す祥子の視野狭窄ぶりにはちょっと笑った。タイトルの「XII」は聖書モチーフで「十二使徒」かな? と思ったがタロットの12、「吊された男(ハングドマン)」を指しているんじゃないかという説もある模様。OPアニメにもハングドマンっぽいカットがありますもんね。
初華が気持ち悪い矢印を向けている最中、「アテフリでいい、でも完璧にやれ」と言われていたモーティスの内面にも変化が訪れていた。「睦ちゃんなんていない方がいい」と思って奈落へ墜ちていくのを座視してしまったけど、やっぱり「ギターは睦ちゃんだけの物」なんだ……と己の中にある譲れない一線を再確認し「我、死を恐れる勿れ」とばかりに自ら奈落へ身を投じる。そして奈落の底の底、深海のような場所で消えかかっていた睦ちゃんへ抱きつき、笑ったまま涙を散らして共に消滅します。モーティスが本当に欲しかったのはギター(「生存」の象徴)ではなかった。睦ちゃんに気持ちを受け止めてほしかった。ただ存在を認めてほしかった。一言でまとめると「ほめられたいよ」だろう。残された一本のギターは滄溟の暗闇へ静かに沈んでいく。「ふたりが交わって一つになる」のではなく「共に消える」演出なのは、ギターを弾き始めた「若葉睦」は睦ちゃんでもモーティスでもない、ふたりの要素を受け継いだ「新たな存在」なんだ――と告げているかのようで切なくなった。タイトルの「Odi et amo.」(私はあなたを憎みながら愛する)は「若葉睦」に対してアンビバレントな感情を抱く「祐天寺にゃむ」を指すものであると同時に「祥が好き」な睦ちゃんと「祥子ちゃん嫌い」なモーティスがコインの裏表であることを示し、そして自己嫌悪と自己愛の狭間で揺れ動く若葉睦自身をも表しているんだろう。監督インタビューで8話の「もう一回祥とCRYCHICやりたい」と発言していた頃の睦は「半分寝ているような状態」だから意識朦朧としていて理性があまり働いていない、と語っていましたけど、愛憎半ばするにゃむの言葉を聞き「心はそういう未整理なマーブル模様であってもいいんだ」と納得して目を覚ましたのではないか。つまり10話のライブ以降の睦は「長い夢から醒めた睦」という意味で「覚醒睦」と呼んでいいのかもしれません。これから彼女は一人で冴え冴えとした現実を生きていく。身代わりになってくれるモーティスはおらず、「もう逃げられない」。まぁ仮にモーティスが完全消滅していたとしてもムジカピコでは何事もなかったように復活するんだろうけど。
いやー、しかし「もっともエモーションが高まるポイントでライブに雪崩れ込む」というのがバンド物の鉄則だというのに、感情的な盛り上がりを無視して欲望と野心と責任感だけで再結成したバンドが粛々とライブに臨むの、あまりに無茶苦茶すぎる。こんなの『ギャグ漫画日和』のネタか何かとしか思えない。こんな性急すぎる流れで幕の上がったライブに乗れるわけが……と思っていたのにいざ始まるとパフォーマンスの力で殴られて「初華の歌すっげぇ」となるから観ているこちらの情緒はグチャグチャ。みんな心はバラバラなのに演奏だけは素晴らしく、「才能のゴリ押し」を見せつけられている気分。でも祥子にとってはあの音もあまり合わなくて燈の歌声もグズグズだったCRYCHIC解散ライブの方が涙を流すほど幸せだったんだよな……って想って心が引き裂かれる。それはそれとして「Crucifix X」のくるくる回る海鈴と睦が好き。Crucifixって知らない単語だから調べてみたけど「イエス・キリストが磔にされている十字架」、よく教会にあるアレを指しているみたいです。「X」は「斜め十字架」をイメージしているんだろうか。「歯車」という歌詞からするとタロットの10、「運命の輪(ホイール・オブ・フォーチュン)」を指している可能性もあるが。なんか女子高生のガールズバンドアニメなのに荊冠を被って十字架背負って裸足で頭蓋骨(ゴルゴタ)の丘を目指すような話になってきてるな。この人を見よ(エッケ・ホモ)だよ。でも磔刑になるのは祥子だけで、他のメンバーは「あなたはそこで待っていなさい」と命令された靴屋みたいに怒りの日まで放置プレイ喰らいそう。
与太はさておき。ハコは小さくなったけど、小さくなったおかげで却って程好い距離感になり「Ave Mujicaはこれぐらいの狭さでやっていくのがちょうどいいんじゃないかな」って気がしました。ホント人間的にはアレだけどフロントマンとしての才能は抜群なので、ハコが小さかろうと大きかろうと初華が喉を振り絞るだけで容易に領域展開できてしまう。今回は過去イチ感情篭めて歌っているから祈りと呪詛が絡み合ったようなスゴい曲になってるんですよ。「狂おしいほど」って漏らしている人が本当に狂おしいんだからたまらない。狂おしいんだけど狂い切れない(睦への害意も発露させず踏みとどまった)んだよなぁ。しかし、上からの圧力で復活を阻止されているムジカが比較的小規模とはいえ勝手にライブなんかやっていいのか? と疑問に感じていたらスーッと豊川定治(祥子のお爺様)の車がインサートして「あっ、やっぱり大丈夫じゃなかった」という場面、定治が初華に対し「初音(はつね)、帰りなさい」と呼びかけたことでTLは混沌の渦へ叩き込まれました。どさくさに紛れて「三角初華=比良坂初音」説を唱えている人までいるのは噴いた。髪の色からすると「柏木初音」の方が妥当だろ。
ようやく初華の抱えている「秘密」の一端が明かされましたが、つまり初華の本名は「初音」ってこと? 確かに学校のシーンでも「三角さん」か「sumimiの初華」としか呼ばれていないので、「初華」が芸名という可能性はありましたが……いや、MyGOのキャラ紹介で「本名は三角初華」とハッキリ書いているし、昔からの知り合いである祥子が「初華」と呼んでいるので、「初音」が本名で「初華」が単なる芸名というのはおかしいんですよね。お爺様の反応といい、彼女が「スキャンダラスな出生の秘密を抱えた豊川家の関係者」であることはほとんど確定的だろう。ここのところ大人しくなっていた「初華双子説」論者も息を吹き返しており、考察勢は混沌を極めている。双子片割れ死亡説の場合、三角初華と三角初音の双子姉妹で、祥子と一緒に遊んだ初華が既に亡くなっていて初音が「初華」という芸名を使っていると考えれば、MyGOのキャラ紹介以外は平仄が合う。一方、双子両方生存説の論者も「10話でオブリビオニスの衣装が膨らんでいたのは詰め物じゃなくて双子のもう一人(本物初華)が着ていた」と主張しており、もうワケがわからない。というか、見分けがつかないほどそっくりな双子だったら定治が瞬時に「初音の方」と見抜くのは変(車内に初華がいるとかならともかく)なので、もし一卵性双生児だとしても初華の方は亡くなっていると思います。
次回第11話のタイトルは「Te ustus amem.」、「(私の亡骸を)焼かれてもあなたを愛したい」。ローマの詩人「プロペルティウス」の詩に出てくる言葉です。「死がふたりを分かつまで」ではなく「死がふたりを分かつとも」であり、「死後強まる念」めいた不穏なニュアンスを感じる。冒頭で断頭台の露と消えた相棒のまなちゃん同様、正義の柱(ボワ・ド・ジュスティス)の刃が落ちてくるのを待つ身になった初華(初音)。予告カットが既存絵ばっかりで新規カットが一枚もないの、「初音に関する秘密すべて明かします」と宣言しているかのよう。事情を明かした定治が「こういうわけでムジカの復活は認めん」と立ちはだかる壁になるんだろうが、音楽への情熱を失いただ流されるままになっている祥子がキチンと己の欲望に向き合い己の意志で立ち向かって、諦めて身を引きそうになっている初音の手を掴み「貴女が嫌だと抵抗しても、私が必ず貴女を奪って行きますわ!」と本当の意味で初音を「選ぶ」エピソードになってほしい。祥子ちゃんは詰まるところ「手の温かいメフィストフェレス」ですからね。
2025-03-03.・深夜アニメなのに昼ドラ度が加速している『BanG Dream! Ave Mujica』の第9話「Ne vivam si abis.」、想像以上に混迷を極めた状況になって一度観ただけでは理解し切れず翌朝再度視聴しました。
簡単に言うと、ここ数話ずっと影の薄かった「三角初華」が遂に行動する回です。アバンは移動中の車で楽しそうに話しかける「純田まな」の言葉が一切耳に入らない様子でMyGOのアカウントをチェックする様子が描かれている。うっすら漂っていた「SNS監視ガール」のイメージがこれで確定的になってしまった。というか相棒の情緒をここまで狂わせている豊川祥子に対してまなちゃんは怒る権利があると思うよ……OPが明けてAパート、過去のライブ映像を観ながら睦のギター演奏をコピーしようと励んでいるモーティス。ギターというアイデンティティを奪われそうになっている睦はモーティスにやめるよう訴えかけるが、存在が懸かっているモーティスは頑として抵抗する。ここの会話で睦がなぜムジカではなくCRYCHICをやり直したいのかが判明します。CRYCHICやってた頃の祥子(いわゆる「光の祥子」)は楽しそうだったが、CRYCHICを忘れるためにムジカに打ち込んでいた時期の彼女(「闇の祥子」)は苦しそうだった。祥子に苦しんでほしくないからCRYCHICをやってほしい……つまり、睦ちゃんが本当に欲しいものはCRYCHICではなく「光の祥子」。CRYCHICはあくまでそのための手段に過ぎない。根本的な要件を理解しないまま久々に羽丘へ登校した祥子は燈と愛音に頭を下げ、「睦のためにCRYCHICを復活させてくれないか」と頼み込む。MyGOに迷惑をかけるつもりはないと言い切るが、燈ちゃんは掛け持ちなんて器用な真似できると思えないし無理なんじゃないかな、というのが率直な感想。
もうこの時点ですれ違っているのが辛すぎるな……睦ちゃんは「光の祥子」とキャッキャウフフしたいだけなのに、無理矢理CRYCHICを再結成させようとすればするほど祥子は曇る一方になってしまう。「睦のためならどんな苦労も背負い込んでやろう」と決意したことで祥子ちゃんはどんどん「光の祥子」から遠ざかっていく。皮肉としか言いようがない。モーティスがムジカ再結成のためにアテフリ(楽器を演奏しているフリ)猛特訓してるのを「睦がCRYCHICやり直すためにギターの練習してる」と勘違いして「邪魔しちゃ悪いですわ」とばかりに顔を会わせずに去っちゃうの、さすがに脚本の悪意を感じたよ。祥子をいじめることに余念がない。
祥子のCRYCHIC復活要望に絶賛戸惑い中の愛音は熟慮する間もなくSNSを通じて初華からメッセージを受け取る。呼び出されて向かった先は羽沢珈琲店。りっきーの好きなバンド「Afterglow」のメンバー「羽沢つぐみ」の家で、MyGOのときも何度か出てきた場所です。来店と同時に出迎えて愛音を驚かせた銀髪の子は「若宮イヴ」、先週睦がカラオケで歌っていたパスパレのメンバーの一人です。フィンランドからやって来た日本文化好きの女の子で、「ブシドー」を愛するあまりガルパピコでは「ブシドー!」が鳴き声になってしまった。ちなみに祥子が好きなバンド「Morfonica」のメンバー「二葉つくし」もここでバイトしています。初華との密会にドキドキ気分な愛音であるが、観てるこちらは違う意味でドキドキさせられる。CRYCHICの元メンバーだった燈ちゃんはMyGOの現メンバーだから、MyGOの一員である愛音は何か知っているのではないか……と藁にも縋る想いで連絡した初華だったが、幸か不幸か大ビンゴで愛音の口から「祥子ちゃんCRYCHIC続けたいんだって〜」と告げられます。細かい説明を抜きにして伝えたせいで祥子がメッチャ乗り気でCRYCHICを復活させようとしているようなニュアンスになってしまい、ショックを受けた初華はアイドルがしちゃいけない表情で愕然とする。とにかく今回は初華の「顔」がいろいろと印象的なエピソードだ。
一方、にゃむは本来志していた演技の道へ踏み込もうとオーディションに臨むが、フラッシュバックする睦の姿に委縮してろくに演技もできない。舞城王太郎の短編「熊の場所」がふと脳裏をよぎりましたね。「熊」(概念的なもので、他の何かに置き換え可能)に遭遇した者は、咄嗟に逃げ出しても構わないが態勢を立て直してすぐに「熊の場所」へ戻らないと、その後一生「熊」の恐怖から逃げ続けることになる。にゃむにとっての「熊」が睦であり、「熊の場所」がムジカなのだろう。立希はCRYCHICを復活させようとしている祥子とムジカを復活させようとしている海鈴の間に挟まれてどう振る舞えばいいのかわからなくなってきている。海鈴との会話も噛み合わずもどかしいが、そこにやってきた初華が「私、Ave Mujicaやるから!」と宣言したせいでますますワケがわからない事態に。CRYCHICの元メンバーである立希に「さきちゃんは渡さないから!」と威嚇する意図だったのであろうが、文脈がわからない立希と海鈴はただただ戸惑うばかり。まともな……まともなコミュニケーションが一切行われていない!
ムジカを蘇らせることで祥子との縁を取り戻したい初華は事務所の偉い人に頭を下げて再結成を懇願するが、「事務所の一存じゃ決められない」「上から止められている」と、何らかの(TGWグループの?)圧力が掛かっていることを仄めかす。「それじゃ私の……」と何か言いかけていたところから察するに、初華も豊川家の関係者なのか? 豊川家とは別に三角家も何かの権力者で圧力を掛けてきた可能性もあるが、今更三角家云々を盛り込む余地もないだろうし素直に「豊川家の関係者」と考えた方が良さそう。瑞穂(祥子の母)の葬儀に参列していなかった(それどころか亡くなったことも知らなかった)こと、祥子から瑞穂の話を持ち出されてドキッとしていたことを考えると、スキャンダラスな「出生の秘密」が絡んでいるような気もするが……5話で祥子の祖父が「あれ(祥子)は瑞穂に似て意外とじゃじゃ馬だからな」と言及するセリフがあったことを考えると、瑞穂が清告以外の男と駆け落ちして産んで、島の三角家へ預けられた子? って考えたけど、祥子の誕生日が2月14日であることを考慮すると、仮に初華がプロフィールを偽っているとしても年子設定にするのは無理がある。他に「清告の隠し子」とか「祥子のお爺様が島の愛人に産ませた私生児」とかいろいろ考えたが、いずれにしろバンドリでそこまではやらない……と思いたい。あと考えられるのは清告の旧姓が「三角」で、実は父方の従姉妹同士とか、あるいは初華が歳の離れた清告の妹(つまり祥子にとっては同い年の叔母)ってパターンか。先述の「じゃじゃ馬」発言といい、瑞穂は周囲の反対を押し切って清告と結婚した節がある。それで元々お爺様は三角家を快く思っていなかったけど、168億の事件が起こったせいで本格的に縁を切ろうとしたのではないか。祥子と連絡が取れなかった時期、真っ先に候補として挙がるはずの豊川邸を初華が訪問する気配まったくなかったの、「三角家の人間は豊川邸の敷居を跨げない」からなんじゃ……ただの妄想に過ぎないが、他のメンバーは大なり小なり親や兄弟について触れるシークエンスがあるのに初華だけは家族に関する話題がまったくなく、絶対出自に何かあると思うんですよね。ちなみに初華の故郷とされている島は香川県の「小豆島」がモデルという説が囁かれている。さておき、諦め切れない初華はムジカ時代の衣装について問い質し、「あの衣装は廃棄予定」と無情な答えを得る。倉庫を漁って見つけ出したオブリビオニスの衣装袋には「廃棄」の判子が大きく押されており、初華は唇を噛んで落涙しながら袋を抱き締める……絵面が完全に「捨てられた犬」のそれで胸が苦しくなった。
Bパート、にゃむは本業である配信活動も休みがちになり、移り気な大衆は「にゃむち」を見放しつつあった。しかしムジカ復活に賭ける情熱もなく、しつこく誘ってくる海鈴を追い出してしまう。他方、ギター特訓のために海鈴のアパートへ通っているモーティス。上達こそしているものの技術面は睦に及ばずダメ出しされて不貞腐れる。その帰り道、気が緩んだのか支配力が弱まっているのか、睦が意識を取り戻す。睦は燈の家に向かい、星を見るため連れ立って移動する二人はプラネタリウムの近くで初華と遭遇。祥ちゃん好き好きトリオが期せずして集まる形になり、修羅場好きの私は大興奮です。燈に作詞ノートを見せられ、同じ作詞担当のボーカリストである初華はそこに篭められたメッセージを正確に読み取って動揺する。睦から「ムジカはCRYCHICを忘れるために作った代用品だった」という残酷な事実も告げられ、もう初華ちゃんのメンタルはボロボロ。「この詩は違うね、CRYCHICじゃない。今の燈ちゃんの、MyGOの詩だよ」と牽制を入れてCRYCHIC復活を阻もうとするの、あまりに弱々しい抵抗でかわいい。相変わらず失言癖の抜けない睦ちゃんは「初華黙ってて!」の一言で会話を打ち切って蚊帳の外に置き、初華を激昂させる。「私からさきちゃん盗らないで!」と叫ぶシーンの初華、まさかバンドリでこんな形相が拝めるとは思わなかったですよ。投げ飛ばされた睦がゲームみたいな吹っ飛び方するのは笑ってしまった。ハッと正気に戻るシーンでさっきの激昂や突き飛ばしは初華の内なるイメージであり、実際はただ固まっていただけだと判明するが、睦への嫉妬がほとんど殺意に近い域まで高まっていることに慄きます。コミック版の方では割合ハッキリ描いているが、初華は祥子との距離が近い睦に対し一貫して嫉妬の念を抱いているんですよね。これムジカ再結成しても延々と痴話喧嘩が続くだけでは……?
睦の内面ではモーティスとの主導権争いが依然として続く。暴力に免疫がなさそうな睦ちゃんがモーティスとキャットファイトできるの、「相手も自分だから」なんだろうな……睦ちゃんは自分が嫌いだから同根であるモーティスを傷つけられる。そして揉み合う最中に睦が手すりを破壊し、深い穴の中へ転落してしまう。モーティスが今までギターを弾けなかった(弾かなかった)のは睦ちゃんのアイデンティティを侵犯しないためで、「侵犯するとどうなるか」の答えがコレである。「役を奪われる」のは死に等しい。観客の睦(抜け殻)たちは「睦ちゃんの死」を喝采する。自己嫌悪の念が強いからこそ「自分の死」を客観視して喜んでしまうんだな……ってゾッとしました。精神世界なので「確実に死んだ」とは言い切れない状況(というかギター抱きながら落ちてるのでほぼ確実に生きている描写)だが、モーティスはこれで睦との交信が不可能になり、「睦ちゃんが死んじゃった!」と動揺する。MyGOメンバーが集まって祥子と会話しているところに海鈴、初華、モーティスの「ムジカ復活させたい勢」がやってきて対面。わかりにくいけど、コーヒーを置く手のカットで「様子を見守っている人間がいる」ことを示していますね。そして「掛け持ちしていたバンド、すべて辞めてきました」「これでも信用できませんか!?」と涙ながらに海鈴が迫ってくる愁嘆場に突入。いや掛け持ち辞めて一つのバンドに専念してくれなんて誰も頼んでないでしょ……そういうとこだよ。「守るべき睦ちゃん」を失ったことで存在意義が崩壊しつつあるモーティスは「私自身が睦ちゃんになればいい」と持ち前の演技力で睦のフリをして祥子をムジカ復活へ誘導しようとします。その様子を眺めて楽奈が「おもしれー女の子」と呟いているところからすると、睦ちゃんの状態はモーティスが懸念するほど危機的ではないのかしら。もうグチャグチャで収拾がつかなくなってきている場面へ颯爽と現れたにゃむが言葉を投げかける。「何それ……キんモ」 各自が汚泥の中をのたうち回るような話でした。ただただ拗れるばかりで何一つ解決していない……! これで本当に絆(バンド)を紡ぎ直せるのか? MyGOとMujicaはバンドの在り方として対比し合うような関係として設計されているらしいから、「それぞれがそれぞれの地獄を往く」エンドになるのは応分かもしれないが、今後「上からの圧力」(祥子のお爺様?)とも戦わなければならないのに現時点で一致団結すら出来てないのあまりに道のりが遠すぎる。毎回思ってるけどこのアニメ、ホントに全13話でまとまるのか?
次回10話のタイトルは「Odi et amo.」、「私はあなたを憎みながら愛する」。恋愛に関する詩で有名なローマの詩人「ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス」が恋人に宛てた詩の中に出てくる言葉だそうである。相反する感情が同居するアンビバレントな心境を端的に表したもので、自分を振り回す不実な恋人を責めるニュアンスが篭められている。「愛」と言えばアモーリスなので、そろそろ本格的ににゃむを掘り下げる回なのかしら。初華の抱えている「秘密」がそろそろ明らかになるのでは……という予想もあるが、さて。
来たか、ガルパピコの新作……! タイトルは変わるかもしれないが、「ピコスタッフ再集合」なので実質的にはガルパピコの続編だろう。「ガルパピコ」とはバンドリのアプリ『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』をパロディしたショートアニメ・シリーズで、過去に「無印」「大盛」「ふぃーばー!」の3シーズンが公開されています。「アニメのスピンオフ」ではなく「アプリゲームのパロアニメ」なので急にガチャ演出の再現が始まったりなどゲームやってないとよくわからないネタも混入されている。「全52話」と聞くと物凄く多いような印象を受けるが、1話あたり3分(うち30秒はED)なので156分、EDを飛ばすと130分とそんなに多くは……いや、結構多いな? 過去のシーズンはいずれも全26話なので、52話というのは2シーズン分に相当します。マイゴピコ分とムジカピコ分を合わせて52話、という勘定なのだろう。ピコ好きとしては小躍りせずにいられない。
タイミング的にマイゴやムジカのネタが多くなるかもしれないが、たぶん他のバンドのエピソードもふんだんに盛り込まれるはず。じゃないと52話もネタを捻出できないだろう。サービス開始時点では5つしかプレイアブル・バンドがなかったガルパも、今や8つ、ムジカが加われば9つになる。あと「夢限大みゅーたいぷ」というVtuberバンドがあるからそれも含めると10個になるが、ゆめみたの扱いがどうなるのか現時点ではよくわからない。ピコシリーズはほのぼのネタもある一方でカオスなネタも多く、原始時代の話が始まったり、登場人物が安否不明のまま終わるホラー回まであったりと、あらゆる事象が「本編とは別時空の出来事」として処理されます。「もう1クールありますよ!」「5週も何やってたんだ!」といったメタネタが混ざることもしばしば。やりたい放題な自由極まりないノリが見所ゆえ、きっとマイゴもムジカも本編の面影が残らないくらい弄り倒してくれるはずだ。睦とモーティスの交替ネタは絶対ブチ込んでくるだろうし、そよ・ザ・デンジャラスvsマスクド・オブリビオニスのプロレス回とかも平然とやるに違いない。「初華の正体が実は〇〇」ネタもやりそう。渡哲也の『マグロ』パロディなんてネタまでやってるぐらいなので『仮面ライダー』パロディや『スパイダーマン』パロディくらいは平気でやりますよ。「なんで春日影やったの!」弄りは無論のこと、立希の「じゃっ!」あたりも弄ってきそう。楽奈の抹茶ネタは散々やってるから「抹茶ラーメン」くらいギアを上げてくるだろう。森みなみ主演の昼ドラネタもやりかねない。あとはモニカファンの祥子とモニカメンバーとの絡みも期待したいところか。さすがに「『すべての元凶』『諸悪の根源』『黒幕』倉田ましろ」ネタはやらないと思いますが……ピコだから絶対とまでは言い切れないな。過去に「被告人 倉田ましろ」な『逆転裁判』パロディ回があったことだし。
「倉田ましろ」というのは月ノ森の高等部に通う生徒で、モニカこと「Morfonica」のボーカル。マイムジの時点だと2年生で、そよや睦の1個上です。彼女は「戸山香澄」に憧れてバンドを始めようと思い、バンド文化がない月ノ森で初のバンドであるMorfonicaを結成。お嬢様学校ゆえバンドにまったく免疫のなかった月ノ森に衝撃をもたらします。モニカの演奏を聴いた祥子(当時中学三年生)は深い感銘を受けて「自分もバンドやりたい!」と結成したのがCRYCHICであり、結成初期の段階ではモニカの曲を演奏するコピーバンドでした。ちなみに長崎そよはモニカの演奏そのものに感銘を受けたわけではないが「バンド」という絆の在り方に憧れて祥子の誘いに乗ったから、彼女もまた「モニカの影響を受けた」生徒の一人である。御存知の通りCRYCHICは解散しましたが、「CRYCHICという縁(よすが)を忘れたい」祥子は新たにAve Mujicaを結成する。MyGOもCRYCHICがなければ誕生しなかっただろうし、マイムジの10人全員が直接にせよ間接にせよ倉田ましろが為した行動の影響を受けているんですよね。もしあのときましろちゃんが月ノ森音楽祭でライブやっていなければ、CRYCHICもMyGOもAve Mujicaも存在しなかった。マイムジにおいて「モニカの講堂ライブ」は物凄いターニングポイントになっちゃってるわけです。モニカだってポピパがなければ存在しなかったし、ポピパだってグリグリがあったから結成されたわけだが……少なくとも観測できる範囲で「影響を与えたバンドが2つも悲惨な形で解散している(何ならMyGOもほぼ解散してた時期があった)」のはモニカだけ。
おかげでマイムジのメンバーがヒドい目に遭うたび「倉田ましろがバンドやらなければこんなことには……」「何もかも倉田が悪い……」「くらたまのせいだよ……あの時も、今も」と矛先がましろちゃんに向かう、という茶番がネットの一部で繰り広げられる。要は「シャミ子が悪いんだよ」や「許さんぞ陸八魔アル」系のネットミームである。もちろんこの流れを不快がるモニカファンやましろファンもいますが、当の倉田ましろが後ろ向きな性格をしていて被害妄想の強い子だけに「逆恨みで糾弾される倉田」がネタとしてハマりやすくなかなか廃れない。それこそ過去のガルパピコにも「心配性のましろちゃん」という過剰に不安を抱くエピソードがあります。ライブ後、周囲の反応がおかしいから「もしかして昨日のライブ、良かったと思っているのは私だけで、他のみんなは『新しいボーカルの子を入れよう』と考えてるんじゃ……そして邪魔になった私は地下労働施設に送られて、なんやかんやあって最後は猛獣と戦わされるんだ!」と思い詰める。だからCRYCHIC解散の報せを聞いて「私のせい」と思うようなネタも……いやさすがにセンシティブ過ぎるからやらないか。もしやるとしたら睦との領域展開バトルかな。ましろちゃんは空想癖が強く、ただ歩いているだけで空を泳ぐ魚や鯨を幻視するレベルに達しており、ムジカのモーティス劇場の描写で「ましろちゃんの空想」を連想したバンドリファンは少なくないだろう。バンドリキャラの中でモーティス劇場に迷い込んでもおかしくなさそうな子の筆頭がましろちゃんだから期待しています。あとは何より、禁断のハロハピコラボか……ハロハピこと「ハロー、ハッピーワールド!」というバンドは設定がブッ飛んでいる(お小遣い感覚でプレゼントされる豪華客船、アイ〇ンマンのような飛行能力を有した着ぐるみ、某国の王女様と瓜二つな容貌をしたメンバー等)せいで、「ただそこに存在するだけでリアリティラインが崩れる」ためマイムジでは出禁に近い扱いを受けている。他のバンドのメンバーは大なり小なりゲスト出演しているのに、ハロハピのメンバーはマジで名前すら出てきません。さすがにピコでは出禁措置も解かれるだろうから、方向音痴な松原花音とMyGOとの出会いとかもやってくれるはず。「笑顔の波状攻撃」弦巻こころと海鈴の笑顔対決も観たい。
最後に私の好きなピコのエピソードをいくつか選んで紹介します。まず無印の11話、「ハロハピスカイライブ」。こころの発案でスカイダイビングしながら空中でライブすることになったハロハピ一行……と、開始時点で既に狂っている。公式あらすじの「体に合わなかった現地の水」という一文が無駄にストーリーの広がりを感じさせます。次は大盛の8話、「カードファイト!! お姉ちゃん!」。妹キャラのふたりがカードゲーム方式でシスコンバトル(お姉ちゃん自慢)する話で、『カードファイト!! ヴァンガード』パロディでもある。これを元にした実写版(エイプリルフールネタ)もあり、「チラチラとカンペ見ながらセリフを読み上げる小澤亜李」という貴重な映像が拝めるぞ。それから大盛の12話、「ガールズバンド新聞」。毎日窓ガラスを突き破って配達されるガールズバンド新聞……って、ガルパのメインファン層に『恐怖新聞』ネタが通じるわけないだろ! ピコはホラー回がちょくちょくあり、同じ大盛の19話「ましろステーション」も都市伝説「きさらぎ駅」のパロディです。ふぃーばーの20話、「ゲームセンターともえ」。タイトルは『ゲームセンターあらし』のパロディだが必殺技は『キャプテン翼』や『キン肉マン』パロディというカオス回。なんとなくわかってきた人も多いと思うのですが、ピコのパロディは全体的にネタが古めなんですよ。だから恐らく新作も鬼滅とか推しの子とかフリーレンといった最近のパロネタはやらないはず。どうしてもギャグ回やカオス回の方が印象に残りがちだが、純粋に良い話として挙げたいのはふぃーばー24話の「ありがとう」。風邪で発声が困難になってしまった「湊友希那」のサポートをする「今井リサ」、ふたりの以心伝心な関係を描くほっこりエピソードだ。こういうのもあるから「本編の感動がブチ壊しになりそうでちょっと……」と怯んでいる人も是非勇を鼓してチャレンジしてほしい。
・マギレコこと『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』、ストーリーアーカイブ配信。3月1日から「チベットのラクシャーシー編」を配信。
サービス終了したマギレコのイベントストーリーを公式がYoutubeで配信する、という企画です。プリコネ(無印)が似たようなことしてましたね。マギレコは基本的に本編以外ボイスが付かず、テキストを読み進めるだけなのだがそれでも結構長くて、ひとつのイベントストーリーに1時間や2時間は掛かります。なかなか気合を入れないと通読は難しい。「通読は無理でも1個か2個は試しに読んでみたいな」という方にオススメしたいのがこちらの「チベットのラクシャーシー編」。イベントだけど終了後に本編へ組み込まれた、FGOのメイン・インタールードというか1.5部(Epic of Remnant)に近い位置づけのストーリーだ。現代の魔法少女たちが過去の時代に遡って歴史に干渉し、様々な魔法少女たちの活躍と末路を見届けるシリーズ「ピュエラ・ヒストリア」の一編で、モンゴルが猛威を振るっていた13世紀のチベットが舞台となっています。現地では魔法少女のことを「ラクシャーシー」と呼んでおり、救世主(ラクシャーシー)に祀り上げられ大国(モンゴル)へ立ち向かっていくハメになった少女「ヘルカ・ラマ」の短くも濃い生涯を綴っていく。
この話の主人公に当たるヘルカちゃん、意外なことに正義感はあまり強くなくて普段の生活態度も怠惰、頭は良いけど冷めた感情で達観しているヤン・ウェンリー型の子です。顔も知らない他人のために命を賭すなんて真似は到底できないが、親友である「ドルマ」を守り抜くためならどんな犠牲を払っても構わない、という覚悟で羅刹女(ラクシャーシー)になっていく。ドルマもヘルカのことを大切な親友と想いつつ、心の弱さから跪いてその顔を仰ぎ見ずにはいられない。ドルマの心を傷つけないために最後まで「ラクシャーシー」として振る舞おうとするも耐え切れず、死を目前にして年相応の弱さをさらけ出してしまうヘルカちゃんの姿に当時のプレーヤーは脳を灼かれたものでした。「こんなのってないよ、あんまりだよ」な結末にピックアップガチャを回す人が続出。「シナリオで殴る」を地で行くような内容であり、是非「このゲームやってたらクリア後に必死でヘルカちゃんのガチャ回していたかもしれんな……」と想像してゾッとしてほしい。本編のキャラも出て来るけど、あくまでヘルカとドルマ、ふたりの関係に絞ったストーリーなのでまどマギの基本知識(魔法少女と魔女の関係)さえ知っていればマギレコ知識がなくても大丈夫です。読み終わった後にふたりの平和な日常を描いた二次創作が欲しくなること請け合い。
・TVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」全話無料公開、5月までYouTubeで(コミックナタリー)
Youtubeで無料配信つってもアマプラとかで観れるだろうし……って調べたら今アマプラで配信してるのは2.5次元版だけでアニメの方はサブチャンネル契約しないと観れないのか。ならオススメしておこう。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は「舞台」――「演劇」や「ミュージカル」をテーマにしたメディアミックス企画で、アニメ版は2018年に放送されました。宝塚音楽学校をモデルにしたとおぼしき「聖翔音楽学園」で、舞台少女たちが「トップスタァ」の座を目指して激しく鎬を削る。刃を交えて「オーディション」という名の決闘に打ち勝ち、物理的に主役を掴み取れ! さあ歌って踊って奪い合いましょう。『アイカツ』みたいなアニメだと思って観たら『少女革命ウテナ』みたいなノリで『仮面ライダー龍騎』じみたバトルロイヤルが始まった、と放送当時に視聴者たちの度肝を抜いた作品です。聖翔は三年制で、アニメは主人公たちが二年に進級したあたりから始まるため人間関係はほぼ出来上がっており、いきなり観ると少し入りにくさを感じるかもしれません。コミカライズの『オーバーチュア』(序章という意味)が入学して間もない頃、主人公たちの一年時代を描いているから先にそっちを読んでおくと理解しやすくなるでしょう。ただオーバーチュアの時点ではオーディションが始まっておらず、あくまで「人間関係が理解しやすくなる」だけであって、別に飛ばしてもストーリーを追ううえで支障はありません。単純にコミカライズの出来がイイからアニメと併せて読んで欲しいですけどね。
はっきり言って最初のうちは「わけわかんないアニメ」って感想になると思います。いきなり「アタシ再生産!」と叫ばれて「なるほど」ってなる人の方が少ないでしょ。私も「演出が凝ってるな〜」くらいの感覚で観ていて、はじめの方はそんなに引き込まれなかった(「This is 天堂真矢」というキメゼリフも普通に笑った)が、第5話「キラめきのありか」で「あれ? このアニメひょっとして物凄く面白いんじゃない?」と気づき姿勢を正した。そう、九九組(聖翔音楽学園第九十九期生のうちレヴュースタァライトでメインになる9名)における私の推しは「露崎まひる」です。気の弱そうな女の子なんですけど、持ち歌である「恋の魔球」は情念たっぷりでドロドロしていて最高。「ねえ 私だけを見ててよ ほら 小さな光なんて 真昼になれば消えてしまう」 まひるちゃんがずっとお世話を焼いていた同室の少女(主人公)に「神楽ひかり」という幼馴染みが生えてきたので「光(あの子)なんて真昼(私)が消し去ってやる」と宣言してるわけですよ。とにかくレヴュースタァライトは情念の篭もった歌詞やセリフが多くて「言葉が主食」な人間にはたまらない。去年出たゲーム版の曲「Star Darling」にも「あなたになれない だからあなたを傷つけられる」なんて歌詞があって「何食ったらこんなの出力されるんだ」と震えました。
レヴュースタァライトは最初からバトルロイヤルとして構想されたわけではなく、初期案だとネウロイ的などっかから湧いてきた謎のエミネーと戦う「少女戦隊」めいたプランもあったそうだ。その名残か、舞台版ではコロス(群衆)という謎のエネミーが登場する。しかし、1クールで9人ものメインキャラを捌くとなると戦隊モノは尺が厳しいため、少女同士がぶつかり合うバトルロイヤル形式に落ち着いた。特にアニメ版は舞台版にあったコロスや教師役も消滅し、「舞台少女vs舞台少女」という構図に専念する。こう書くと「アニメ版は殺伐としているんだな」と感じるかもしれませんがむしろ逆で、お互いに全力で感情をぶつけ合うからこそ相手を認める&ともに高め合うことができる内容になっており、教師たちのもとで「競争」を意識して戦う舞台版の方がどちらかと言えばピリピリしている。イギリスからやってきた帰国子女の「神楽ひかり」に対し「なァんかスカしてんな」とこぼす「石動双葉」や、「まぁ元気だけでキラキラを売りにしている愛城さんにはわからないでしょうね」と嫌味を言う「天堂真矢」、「屍は戦場に晒すもの――ウチに敗北の二文字はおまへん」と嘯く「花柳香子」など、アニメ版からは想像しにくいシーンもある。舞台版は結構ドタバタしていて騒がしいからギスギス感もそこまで気にならないが、舞台版をベースにしたコミカライズ『舞台 少女☆歌劇 レヴュースタァライト ―The LIVE― SHOW MUST GO ON』はスラップスティック要素を抜いているせいでかなり剣呑な雰囲気を放っている。舞台版にしろアニメ版にしろレヴュースタァライトに通底しているのは「想いの強さが言葉の強さとして反映される」というロジックであり、細かい理屈はさておいて「言葉の強さ」に着目して視聴すると話を呑み込みやすくなります。涙を流して喚いている相手に「泣かないで」と言ったり「泣くな!」と命令したり黙ってハンカチを差し出したりするのではなく「泣き顔も可愛いですよ」って微笑みかける、これは強い。「お前は泣き顔が可愛いと褒められてめそめそ泣き続けるようなタマじゃないだろ?」と煽ることで泣きやむよう促しつつ「それはそれとして本当に泣き顔も可愛いですよ(はぁと)」と口説いている。あまりにもハイコンテクストすぎるセリフで好きです。
そんなTVシリーズの内容をまとめた総集編が劇場版第1弾『ロンド・ロンド・ロンド』であり、ロロロの続きを上演する完全新作の劇場版第2弾が『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(通称「劇ス」)です。TVシリーズを観た直後ならロロロは飛ばしていきなり劇スに行っても構わないかもしれません。劇スで主人公たちは三年生になり、いよいよ「今後」について真剣に考えなくてはいけなくなる。舞台少女の「卒業」と「進路」を描く、アニメ版の完結編に相当するストーリーです。一度観ただけでは咀嚼し切れないほどの情報量が押し寄せてくるムービーであり、もうBDはほとんど買わなくなった私でも買わずにはいられなくなる出来でした。去年はCSゲームとして『少女☆歌劇 レヴュースタァライト 舞台奏像劇 遙かなるエルドラド』も発売されています。まだレヴュースタァライトの展開は完全に終了したわけではありませんが、稼ぎ頭だったアプリ(スタリラ)も去年サービス終了になったし、もうあとは2.5次元方面で動きがある程度で、恐らく今後アニメの新作が制作されることはないだろう。というか、あれだけ尖った内容のアニメで劇場版を2本もやれたのは奇跡だったな。今回の無料配信でアニメにハマった人はいろいろ調べて『少女☆寸劇 オールスタァライト』というアプリ内で配信されていたミニアニメの情報に行き着くかもしれないが、ぶっちゃけアレはそんなにオススメできないです。概要としてはガルパピコ系のおちゃらけショートアニメながら、キャラの解像度が低すぎて個人的に不満大でした。あれ観たおかげで「ピコって一見メチャクチャやってるようでいて、キャラ解釈っていう守るべき一線はちゃんと守っていたんだな」と気づくことができた点のみ収穫。そもそもアプリやってないとわからないキャラばかりなのに、肝心のアプリはもうサ終してますから……。
いや、しかし懐かしいな……サ終する頃にはもうやってなかったけど、スタリラはサービス開始からしばらくはプレーしてたんですよね。「中の人が一緒だから」という理由で『探偵オペラ ミルキィホームズ』とのコラボをやったりとかなり趣味に走った自由なゲームでした。コラボイベントはいろいろあったけど、シンフォギアやラブライブサンシャインあたりはともかく、シュタゲコラボは今振り返っても「なぜやったんだ?」って首を傾げてしまう。スタリラは基本的に男キャラの出てこないゲームなんですが、オカリンだけは例外でちゃんと立ち絵もあったんですよね。バンドリコラボで歌ったカバー曲「イニシャル」は今聴いてもカッコいい。バンドリとは何度かコラボしていて、ポピパ以外にRAISE A SUILENとのコラボもあったんですよ。凛明館の5名のうち2名がRASと声優被ってるという中の人ネタだったんですけども。
最後に、「しかしなぜ今頃になって全話無料配信なんてキャンペーン打ってるんだろう?」と不思議に感じて調べたら、どうもレヴュースタァライトがスロット化するみたいで、それに合わせての施策みたいですね。スロ屋に「届かなくて、まぶしい」と再演(追加投資)を重ねたり「ショジキン・ゼロ!」と叫んだりする舞台創造科の生徒が溢れてしまうのか……補足説明しますと、聖翔音楽学園には俳優を目指すA組(アクター、アクトレスのA、正式名称は「俳優育成科」)と大道具・小道具・照明・演出・脚本など裏方仕事を学ぶB組(「舞台創造科」のB)、ふたつのコースがあり、舞台版レヴュースタァライトの観客は「B組の生徒」としてA組の面々を見守っている、という設定になっています。なのでキャストが客席に向かって「B組のみなさん!」と呼びかけるシーンもたまにある。「舞台創造科≒レヴュースタァライトのファン」というわけだ。サ終したスタリラも、当初は「舞台創造科の生徒として舞台少女たちに接する」という形式になっていました。ガルパでプレーヤーの分身が「ライブハウスの新人スタッフ」ということになってるのと似たような感じですが、複数の演劇学校が出てくる関係もあってこの設定は割とすぐ有耶無耶になりました。そのへんの文脈を延長すると「学校にも行かないでスロット打ってるB組の生徒たち」というイヤな絵面が想起されてしまうが、何であれこのスロットが大ヒットしたらアニメの新作が出来る可能性もゼロではありませぬ。スロッターからキラめきという名のショジキンを奪ってアニメ再生産できるかも、と思うと胸がアツくなるな。
・拍手レス。
いいですよねQ.E.D. マジック&マジックが堪らなく好きなんだ
覚えてないから読み返しましたけど、意識の盲点を衝く内容で面白かった。『Q.E.D』は人の死なない話でも盛り上がりがあるのがイイですね。私は初期エピソードの「ヤコブの階段」が好きです。人が死ぬ奴だと島田荘司感のある「凍てつく鉄槌」はタイトルも含めて完成度高い。