2016年7月〜8月


2016-08-29.

『君の名は。』観てきた焼津です、こんばんは。

 新海誠の監督作品を映画館で観るのは『雲のむこう、約束の場所』以来だ。あの頃はまだ東京に住んでいたから渋谷シネマライズへ行ったんだよな……2004年11月23日付の日記に詳しい感想を書いていますが、「北海道が占領されて『蝦夷』に戻ってしまった世界。青森に住む中学生の少年ふたりが飛行機をつくり、国境を越えて蝦夷に聳える『天を衝く塔』まで飛んで行こうと計画していた。彼らはひとりの少女と、『君も連れて行く』と約束する。けれどそれは守ることのできない約束だった……」な日本分割モノで、『東海道戦争』『群青の空を越えて』と併せて視聴すると面白いかも。『刃鳴散らす』はちょっと違うか。設定を活かし切った物語とは言えず、あくまで情感を重視した映像作品となっているため、「雰囲気だけのアニメ」と謗る声もありましたが今となっては何もかも懐かしい。ちなみに『雲のむこう〜』の前月には『デビルマン』が、翌月には『ゴジラ FINAL WARS』が公開されていた、と書けば「あー、そんな頃か」って時代の空気を読み取ってもらえるかもしれない。

 さておき、『君の名は。』は新海誠の劇場用アニメとしては5本目に当たります。『雲のむこう〜』をはじめとするこれまでの作品は主に背景映像表現で高い評価を得つつも「雰囲気だけ」とか「独りよがり」とか「大衆向けではない」等ややマイナスなイメージで語られる局面が多かった。そんな新海の新作が公開館数300近くの東宝配給大作として上映されるわけですから「大丈夫なの? 新海だよ?」と危ぶむ向きも当然ありました。結論から言いましょう。「雰囲気だけ」という声を真っ向からねじ伏せるような王道的娯楽大作にキチンと仕上がっていました。初週の客入りも実際イイみたい(アニメ映画「君の名は。」が2日間で59万人動員)で、大ヒットは確実の情勢です。田中将賀のキャラデザもハマっているし、これはいろんな意味ですごいことになっていきそうだ。さっきのリンク先にも「最終的な興収は60億円が見込まれる」とあったが、60億ってコナン映画クラスですよ。正直ここまでの勢いは想像していなかった。『シン・ゴジラ』といい、映画は蓋を開けてみたいとわからないな。

 かつてないほどの宣伝攻勢でPVが流れまくったからご存知の方もおられるでしょうけど、今回は「男女入れ替わり」を主軸にした現代ファンタジーです。男子高校生の立花瀧(CV.神木隆之介)と女子高生の宮水三葉(CV.上白石萌音)の体と心が入れ替わってしまう。「入れ替わる時間は基本的に起きてから寝るまでの約一日間」「入れ替わっている間の出来事は本人たちにとって夜に見る夢のようで、目を覚まして元の体に戻ると徐々に記憶が薄れていく」「入れ替わりの頻度は週に2、3回程度だが不定期的、具体的なタイミングの予測は不能」ってルールで、最初から最後までずーっと入れ替わっているわけではなく、入れ替わったり戻ったりを繰り返します。通常、男女入れ替わりモノは「近隣の知人と……」ってパターンがほとんどなので、居住地の離れた他人と不定期的に入れ替わるケースは皆無でないにしろやや珍しい。異世界のお姫様と何度も入れ替わってしまう『パートタイムプリンセス』が比較的近いかな。「朝起きると体が異性になっていた」というのは「TS(トランス・セクシャル、性転換)」をテーマとする作品では鉄板の導入ですが、いわゆる「フィクション・ジャンルとしてのTS物」を愛好する人にとって『君の名は。』は不満の残る一作かもしれません。「フィクション・ジャンルとしてのTS物」の妙味は「心が男/女のまま体が異性になってしまったことに対する戸惑い」や「徐々に順応して異性的な振る舞いを自然と出来るようになっていく過程」を描き、「性って何だろう?」という意識に到達するところにあると個人的に感じていますが、『君の名は。』だとそのへんのプレミアムな日常シーンをあらかたダイジェストですっ飛ばしていますからね……「テーマ曲を流して『早送りのカッコイイ演出』にするな! 『あっという間に過ぎていく日々』で片付けないでちゃんと細部を描け!」って悲鳴を上げた人もいるはず。私自身は「勿体ないな」と少し残念に思いつつ、同時に「英断だな」と感心しました。そうしないと尺に収まりそうもないし。「男女入れ替わり」は主軸ながら冒頭で一気に観客の興味を惹くためのフックに過ぎず、ジェンダー云々には一切踏み込まない。割り切りが良いと受け取るかどうかは観客の嗜好次第といったところです。

 瀧と三葉が入れ替わり現象に慣れてきたあたりから物語は次の段階に移っていき、あれこれサプライズを仕掛けた末に怒濤のクライマックスが待ち構えているわけですが……典型的な「予告編がネタバレしすぎの映画」ゆえ、後半の展開は七割方読めてしまいます。これは「ふっ、俺にとっては見え見えだったぜ」という自慢などでは決してなく、「ああ……事前情報抜きでこの映画を観たかった……」という嘆きでしかない。幸運にもPVや予告編を一度も目にしたことがないって方はそのまま即座に劇場へ向かってほしい。「まあ、良くも悪くも新海誠だしな」とさして期待していなかったせいで情報封鎖という護身が発動しなかったこの身が恨めしい。予告編観たときに「いろんな要素詰め込み過ぎだろ、まとまるんかいなこれ」と危惧したものの、「切るべきところは切って残すべきところは残す」で結果的にうまくまとまっていました。なんというか、かつてないほどまっすぐで衒いのないストーリー構成です。良い意味での捻りだけ利かせて、悪い方向の捻りはまったく入れていない。新海作品を苦手とする人たちがよく指摘する「自分のセカイに閉じこもっているナルシシスティックなポエム感」も過去最小。ひたすら大衆受けに特化した娯楽長編として仕上がっており、「ワシは新海の濃厚陶酔ポエムが大好きなんじゃ! それをこうも脱臭しおってからに!」と怒って文句を言う人もいるかもしれませんが、そういう人は文句言いつつも結局観に行って要所要所で新海スメルを嗅ぎ取るわけだからつまり誰でもウェルカムな一作です。そりゃツッコミどころは多少ありますが、エンターテイナーとしての新海誠の集大成にして到達点、娯楽分野における新海映画のマスターピースといった趣があることは確か。

 「少年と少女の距離」を意識させる時点で『ほしのこえ』をも彷彿とさせる作品であり、私の中でやっと新海が『ほしのこえ』の衝撃を凌駕してくれた。大々的な宣伝のせいで却って気持ちが冷めている方もおられるでしょうが、なるべくフラットな心理状態でこの夏のうちに(ってもうすぐ終わるけど)臨んでほしいと思います。つーか「この監督、昔エロゲのムービーを作ってたんだぜ」と言っても冗談扱いされて信じてもらえなくなる時代がいよいよ到来してしまった感覚がある。あとこれまで出ていた『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』のノベライズに関してはイマイチ食指が伸びなかったけれど、『君の名は。』はもう即座に買っちゃいました。過去作のDVDやBDも観返したくなったし、こりゃ9月は新海強化月間に突入かな。

【速報】 小川一水さんのSF小説「導きの星」のアニメ化企画が進行中!(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 えっ、『導きの星』!? コミカライズもある『第六大陸』『復活の地』ならひょっとして……と考えたこともあるけど、そっちに関しては完全に予想外だった。『導きの星』は宇宙進出を果たした人類が他惑星の生命体をなるべく干渉しないで支援していくために「C・O(外文明観察官)」という役職を作って「後輩たち」が絶滅しないように導く、『ポピュラス』とか『シムアース』とか『シヴィライゼーション』とかのシミュレーションゲームを小説仕立てにしたような作品であり、滅法面白い。火・製鉄・大航海時代など、文明史を追体験していく感覚が味わえる。作中において観察官が導く知的生命体「オセアノ人」はリスに近い姿をしており、慣用句的な言い回しにも「尻尾」が出てくるなど、地球人類とは微妙に言語感覚が異なっている描写があったりして細部まで心憎い出来栄えです。箱庭系の世界が好きな人は一発で気に入ると思います。オチというかクライマックスの展開で「コレジャナイ」になる可能性もありますが……。

 ついでに作者、小川一水(おがわ・いっすい)についても軽く解説しておこう。1975年生まれ、新海誠(1973年生まれ)とほぼ同年代。当初は河出智紀という筆名で活躍していました。デビュー作は『まずは一報ポプラパレスより』。2年くらい経って筆名を現在の小川一水に変更、今はなきソノラマ文庫を中心にしてSF色の強いライトノベルを次々と送り出す。この時期一部のコアな読者から支持されたものの知名度は低く、パッとしなかった。作品によって出来不出来の差が激しかった頃でもある。2002年に始まった『導きの星』(全4巻)が転機となって、ライトノベル方面からではなくSF方面から注目されるようになります。『導きの星』はハルキ文庫の「ヌーヴェルSFシリーズ」というレーベルから刊行されており、ヌーヴェルSFシリーズはその名の通り「新しいSF」を謳ったレーベルでしたが定着はせず……検索すれば一目瞭然のことながら、僅か十数冊で打ち止めとなった。そもそも『チェンジリング』『カラミティナイト』など、シリーズの2冊目をいきなりこのレーベルにブチ込む強引な遣り口も相俟って購入者側の心象は良くなかったです。カバーデザインがガラッと変わっちゃって、同じシリーズなのに本棚に並べたときの収まりが悪いの何のって。さておき、2003年の『第六大陸』でハヤカワデビューを果たして以降、新鋭のSF作家として認知されるようになった小川一水。彼の作品に興味があって、「まず何を読めばいいんだろう?」と迷っている方には『時砂の王』『老ヴォールの惑星』をオススメしたい。『時砂の王』は300ページ満たない分量の中へ小川一水の個性を余すところなく注入することに成功した、入門書としてうってつけの一冊。未来からやってきた使者が卑弥呼と共闘して「人類の敵」と戦う時間遡行SFです。ハリウッドで実写化するかもしれない、って話もありましたが、現在どうなっているかは不明。『老ヴォールの惑星』は短編集、一つ一つが程良い長さにまとまっていて読みやすい。書き下ろしの「漂った男」は『火星の人』(映画『オデッセイ』の原作)と似た設定ながらまた違った読み口になっており、『オデッセイ』好きの人なら尚の事楽しめるはず。現在の小川さんは全十部から成る大作『天冥の標』に取り掛かっており、開始から7年近く経ってやっと第九部の途中まで進みました。早ければ来年中に完結しそう。

あかべぇそふとすりぃの新作『愚者ノ教鞭』、公式サイトOPEN

 タイトルでなんとなく『悪の教科書』を連想したが、特に関係はなさそう。シナリオライターもinsiderじゃないし。「泰良則充」という新人がシナリオを担当する模様。企画の中島大河曰く「入社していきなり社内ロリコン四天王に名を連ねた期待のロリコンライター」とのこと。あかべぇがロリゲーとは、珍しい気がしますね。規制絡みで頭身はやや高めになっていますが。商業エロゲーでは2005年頃から「五頭身未満のロリキャラはH禁止」というルールが出来上がったため、エロゲーでは全体的に胴や足が長く描かれる傾向にあるんですよね。なので比率がおかしいように見えてもあまり気にしないでくたさい。価格を確認するためグーッと下の方にスクロールしていったら未だに「イベントCG枚数」なんて項目があって「『銃騎士 Cutie☆Bullet』の傷は深いな……」と慄いたり。一応解説しておきますと、2年半ほど前にあかべぇ系列から発売された『銃騎士 Cutie☆Bullet』というソフトのCG枚数が差分抜きで35枚しかなかった(追加パッチを当てても37枚)ことから炎上騒ぎに発展したんです。以降、あかべぇ系列では発売前からあらかじめイベントCG枚数を発表するようになったんですが、その習慣が現在も続いちゃってるんですね……今回は税抜6800円のミドルプライスなのに銃騎士よりもCG枚数が多いみたい。ストーリーに関してはまだよくわからないから、もうちょっと様子見かな。

【朗報】 ラノベ「R.O.D」の新作アニメ制作が検討中!(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 倉田英之は制作プロダクション「スタジオオルフェ」に所属する脚本家であり、数多くのアニメに関わってきた人だから「『R.O.D』の再開もアニメ企画含みかも」という予感はないでもなかった。しかし、なにぶん『R.O.D』は16年も前に始まったシリーズで、ここ10年くらい原作の新刊が出ていなかった(『R.O.D REHABILITATION』というスピンオフ漫画は出ている)から難しいだろうな、とも感じていました。ちなみにスーパーダッシュ文庫の作品は『R.O.D』以外に11個がTVシリーズ化しています(『電波的な彼女』はOVAのみ)けれど、その中で2期が来たものは一つとしてありません。『紅』と『パパのいうことを聞きなさい!』が漫画版や原作の特典としてOVAを制作した程度。『R.O.D』の新作アニメがOVAなのかTVシリーズなのかは不明だが、もうすぐ完結する(本当に? という疑念はまだあるが)ことを考えると労い的なOVAの方が妥当かな。いや深刻な弾不足に陥っているダッシュエックス文庫なら『R.O.D』に縋りついてTVアニメへ押し上げても不思議ではない。『R.O.D』は10年以上前にOVAとTVシリーズが制作されていますが、実はどちらも原作から独立した内容だった(原作自体があまり進んでいなかったせいもある)ので、ファンにとって悲願の「原作に忠実なストーリーでのTVアニメ化」というコンマ数パーセントの可能性も捨てきれない。果たしてどうなることか。

 そういえば、完結に向けて『R.O.D』の既刊をちょこちょこと読み直しているところですけど、やっぱ面白いですね。下手するとリアルタイムで読んでいた頃より楽しんでいるかもしれない。当時は「文章があっさりしていて少し物足りないな」という感想だったんですが、好みが変わったのか「これくらい簡潔でさっぱりしている方がちょうどいい!」と満悦しています。まだ「ライトノベル」という呼称が普及する以前の作品だから作中では「ジュヴナイル小説」「ジュニアノベル」等の表記になっていて時代を感じる。

・拍手レス。

 ゴジラVSガメラは逆にやってほしくないですねー。どっちが勝っても両方のファンの間で荒れるの予想できますし
 仮面ライダーみたいに投票でエンディングを決める方式でもやっぱり荒れそうではある。でも観たい。

 虚淵ゴジラの情報を聞いて、まどか☆マギカの脚本の初期稿でのワルプルギスの夜が、虚淵氏のイメージでは完全にゴジラの姿だったというエピソードを思い出しました。なので、もしかしたら虚淵ゴジラはまどか☆マギカと話がリンクするのではと一瞬考えてしまいました。
 そういえばまどか☆マギカの新作はどうなってるんだろう……企画が動いている、って噂はありますが。時期によってはゴジラ対エヴァンゲリオンみたいなノリで「ゴジラ☆マギカ」コラボとか本気でやりかねん雰囲気を感じる。


2016-08-19.

ゴジラ:初の劇場版アニメに! 「まどマギ」虚淵玄の脚本で17年公開(まんたんウェブ)

 18日に本人のツイートで「実は16ヶ月に渡ってこっそり仕込んでた新作が、いよいよ明日に告知解禁。正直なとこ自分でも……つかもう決定稿納品した後だってのに……未だに信じがたいビックリ企画です」とあり、「すわ虚淵ガンダムか」と色めき立っていていたら、GはGでもゴジラだったよ! 「獣になりなさい。 誰もが恐れる獣に」というエピグラフめいた囁きとともに幕が上がり、一人の少年が夜道で妖しい美女に血を吸われるシークエンスから始まる。翌日剽げた男に頸動脈を掻き切られて死に瀕した瞬間に全身の細胞が超活性化し糾血殲鬼ヴェドゴジラとして覚醒、BGMは当然「WHITE NIGHT」。成す術もなく蹂躙される人類、打つ手なしかと絶望に沈む間際で立ち上がる濤羅の大哥(見た目は○○)! 汎用人型サイバネティクス兵器「鬼哭鎧」に搭乗して六塵散魂無縫拳を繰り出しヴェドゴジラと格闘戦を繰り広げるも倒し切れず、オルゴールの鳴り終わるタイミングで両者同時に放射熱線と双撃紫電砲を撃ち合って相討ち気味に消滅、廃墟と化した街に降り積もる雪を眺めながら「灰は灰に、塵は塵に」と口ずさむ東欧風の年齢不詳美少女、終末世界で馬を乗り回し逞しく生き延びるアバズレたちをスクリーンに映して「終」。星を抱きしめる巨大な沙耶をバックに小野正利といとうかなこのデュエット響かせながらエンドロールが流れるわけですね、わかります。

 くだらんジョークはさておき。16ヶ月前ということは、2015年の4月頃ってことですよね。その頃から仕事に取り掛かったのだとすれば、オファーはもっと前。でじたろうによると「ゴジラのお話を頂いたのは2年前」だそうだから、2014年か。ギャレゴジことギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA ゴジラ』が公開された年です。あれが世界的にヒットしたことから持ち上がった企画だと思われる。整理しておきますと、『シン・ゴジラ』に関して東宝のプロデューサーが庵野秀明に話を持ち掛けたのが2013年1月末。庵野が樋口真嗣と組んで作った『巨神兵東京に現わる』(2012年、エヴァQと併映されたアレ)をキッカケにした縁で打診されたものの、当初庵野は難色を示す。しかし周囲から説得されて乗り気になり、同年3月に正式なオファーを受ける。脚本作業に難航し、プロジェクトそのものに支障が出そうなほど遅れた(准監督・特技統括の尾上克郎曰く「最終決定稿が印刷されてきたのはクランクインの4日前」)が、2015年8月から撮影に入り同年10月に撮影完了。つまり、虚淵ゴジラの企画はまだ庵野がシンゴジの脚本を書いていた頃に発注され、役者を集めて撮影に入るよりも前の段階から虚淵がアニゴジの脚本に取り掛かっていた、ということになる。察するまでもなく、シンゴジとは完全に独立した別個の作品になりそうな雰囲気です。「あれはあれ、これはこれ」ってふうに。うーん、それにしてもニトロプラスがゴジラ企画に関わるなんて、デモベでぶいぶい言ってた時期ですら想像つかなかったな……北村龍平を監督に起用した過去と比べれば東宝的に「冒険」ってほどのことでもないが。

 実のところゴジラがアニメ化されるのはこれが初めてではない。「ハンナ・バーベラ版」と呼ばれる『Godzilla』(ゴジラが目からビームを出す)が1970年代後半に、ローランド・エメリッヒが監督した『GODZILLA』の続編に当たる『Godzilla: The Series』(エメゴジ本編よりも評価は高いが知名度は低い)が1990年代後半にアメリカで放送されている。日本でも『すすめ!ゴジランド』という教育ビデオ用のSDアニメがあったらしい。「劇場版アニメとしてのゴジラ」はこれが初となりますし、前3作は子供向けの色合いが強いので「大人もターゲットに含めたゴジラアニメ」は恐らくこれが最初になるでしょう。まだ詳細は出ていませんが、近未来を舞台にしたフルCGアニメになるのかな? これが呼び水となって鋼屋ジン脚本の『デモンベイン VS ゴジラ』が実現するかも、と妄想しています。コラボくらいはマジで可能性ある。2016年の『シン・ゴジラ』、2017年の虚淵ゴジラと来て、ハリウッド版のゴジラも次回作と次々回作が進行しているからゴジラブームはまだ当分続きそうだ。ただ、ハリウッド版のゴジラ(製作がレジェンダリー・ピクチャーズなのでレジェゴジとも称される)は前作の監督を務めたギャレスが降板してしまって、次の監督も決まっていないみたいだから制作は遅延している模様。もともとは2018年6月8日に全米公開と告知されていたが、今は「2019年3月22日公開予定」となっています。2020年には『ゴジラVSキングコング』の公開も予告されており、更に具体的な時期は不明ながら『パシフィック・リム3』にもゴジラのゲスト出演がほぼ内定しているという。『ファイナルウォーズ』が興行的に失敗したせいで長く冬の時代が続いてきたゴジラにもいよいよ春が来るか? 勢いづいて『MM9』の山本弘によるゴジラや『ウルトラマンF』も書いた小林泰三によるゴジラも出してほしい。そして行く行くは『ゴジラVSガメラ』をやってくれ。いや、ジョーク抜きでだんだん実現しそうな気がしてきたぞ、『ゴジラVSガメラ』。これが3年前とかだったら鼻で笑われていただろうけど。

ハイクオソフト新作「面影レイルバック」が発売延期。9月30日から2016年冬発売予定へ(つでぱふ!)

 どうせそんなことだろうと思って予約は入れておりませんでした。9月は注目作が多いから「助かった」という気持ちがないでもないが、やっぱり恒例の延期連打をかまされるとウンザリするな。そろそろ「見送っていいかも」という気分になってまいりました。ま、忘れた頃に発売しているでしょうよ。

・拍手レス。

 され竜のアニメ化にびっくりして感想を見に来たら宮城さんが降板していたと知って2重にびっくりした
 降板は悲しかったが、シリーズが続いたことはよかったかな、と。アニメのキャラデザはざいん基調で行くのかしら。


2016-08-18.

【速報】ガガガ文庫のラノベ「されど罪人は竜と踊る」のアニメ化企画が進行中!(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 遂にこの時が来てしまったか……『されど罪人は竜と踊る』、略称「され竜」は浅井ラボの代表作であり、デビュー作も含んでいる。異世界を舞台にした剣と魔法のファンタジーですが、中世ヨーロッパ風ではなく銃や車が普及する程度には文明が発達している。魔法(作中の用語では「咒式」)もオカルトな秘法という扱いではなく「プランク定数に干渉して局所的に物理法則を変異させる」技術として社会に根付いており、単にゲーム的なノリって言うよりもベニ松WIZの「ティルトウェイトは異次元で引き起こした核爆発の火炎と衝撃波のみこちらの世界に引っ張り出し、放射性物質やら何やらは向こうの世界に廃棄する」みたいな理屈付け感覚が徹底している。このため設定が非常に細かいものとなっていて、アニメ化のし辛さでは『境界線上のホライゾン』並みと目されていた。やるとなったら相当なカロリーが必要になるだろうから、どこの制作会社も尻込みするだろうと。しかし、スニーカー時代から一定の人気を誇り続けているシリーズだったので、「いつか弾がなくなったら映像化の話が持ち上がるだろうな」とも見られていました。

 「スニーカー時代」も含めてザッと解説しましょう。され竜の刊行開始は2003年1月、副題も何もないただの単なる『されど罪人は竜と踊る』としてスニーカー文庫から出版されました。第7回スニーカー大賞「奨励賞」受賞作で、応募時は「罪人」ではなく「咎人」、つまり『されど咎人は竜と踊る』というタイトルでした。ちなみに第8回スニーカー大賞「大賞」受賞作は言わずと知れた『涼宮ハルヒの憂鬱』であり、され竜発売からほんの4ヶ月後くらいに刊行されている。そうなんですよ、実はハルヒよりも古いシリーズなんですよ、これ。ガユスとギギナ、男ふたりのコンビが様々なトラブルに巻き込まれては死に物狂いで切り抜けるバディ物で、両者の繰り広げる饒舌な掛け合いが特徴。私もなんだかんだでハマりましたが、1巻目は正直ちょっとキツかったですね……読んだ当時に引用した文章をもう一回引用しますと、

 その両掌の中の、魔剣ネレトーの回転式咒弾倉が咒弾開放の火花を吹く!
 ギギナの発動した生体強化系咒式第五階位 <金剛鬼力膂法(バー・エルク)> により、筋肉繊維の遅筋にグリコーゲン、速筋にグルコースとクレアチンリン酸が、両方にアデノシン三燐酸と酸素を送り込み乳酸を分解、ビルピン酸へと置換。脳内四十六野と抑制ニューロンによる筋肉の無意識限界制動を強制解除する。同時に甲殻鎧の各部を締める螺子を弾き飛ばすほどに、瞬間的に筋繊維容量が増大する。
 脚部の大臀筋、中臀筋、大腿四頭筋、縫工筋から下腿三頭筋が。
 胴部の大胸筋、前鋸筋と外腹斜筋と腹直筋が。
 背中の大菱形筋、広背筋、僧帽筋が。
 肩の三角筋、腕部の上腕三頭筋、上腕二頭筋が。
 全身の約四百種類六百五十の強化筋肉が限界まで膨張。そして超人化した全身の筋力が生む剛力を束ね、竜の下顎に刺さった屠竜刀に一点収束、前方へ振り抜くっ!

 こんな調子ですよ。さすがに2巻以降はもう少しこなれて読みやすくなっていきますが、ここで挫折する読者も珍しくなかった。慣れてくると苦痛は抜けてくるし、2巻以降は様々な情勢が加速的に変化していく。大作アクション映画のような派手さとB級アクション映画のようなマニアックさが混ぜ合わされた白熱の展開も目白押しです。2冊目の『灰よ、竜に告げよ』はシリーズでも一、二を争う面白さですので、もし興味があるなら最低限そこまでは読み進めてほしいところだ。スニーカー文庫から出ていた時代は長編作品が少なく、『されど罪人は竜と踊る』と『灰よ、竜に告げよ』以外は『くちづけでは長く、愛には短すぎて』『そして、楽園はあまりに永く』だけ。しかも「くちづけ〜」と「そして〜」は前後編のようなもので、まとめて一つのエピソード「アナピア編」と成っています。他に出ていた『災厄の一日』『追憶の欠片』『まどろむように君と』『Assault』はすべて短編集。当時は“ザ・スニーカー”というラノベ雑誌がまだあったから、そこに発表された作品を適宜集めて収録する感じでした。『Assault』は過去編に当たる一冊でして、ガユスとギギナが所属していた「ダラハイド咒式事務所(所長の名前がジオルグなのでジオルグ事務所とも呼ばれる)」の黄金時代というか蜜月時代を綴る。2006年に刊行されたこの本を最後に、角川との蜜月も終わった。様々なトラブルから編集部との関係は急速に悪化。2年間に渡ってされ竜の新刊が出版されないという、ファンにとっての暗黒期へ突入する。険悪な関係は解消されず、2008年にラボは小学館のガガガ文庫へ移籍。『されど罪人は竜と踊る Dances with the Dragons』のタイトルでまた最初から書き直すことになりました。ストーリーは大きく変わっていませんが、新キャラが追加されたり、文章が細かいところまでリライトされていたりなど、読み口がだいぶ異なっている。ファンの間でも「文章はスニーカー版の方が良かった」「いやガガガ版の方が」みたいな議論になることがあったりなかったり。特に2巻は「ページをめくった途端に……」というスニーカー版の仕掛けがガガガ版ではなくなっていてガッカリ、という声も。

 文章の違いが気になるくらいハマったらスニーカー版とガガガ版を読み比べてみるのも一興ですが、ただストーリーを追いたいだけなら現行のガガガ版のみ目を通せばOKです。ややこしいことにスニーカー版とガガガ版では巻構成が異なっていて、「スニーカーの○巻がガガガ版の○巻」ってふうに逐一対応しているわけじゃないんですよね。1巻と2巻はどっちも一緒なんですが、ガガガ版の3巻と4巻は当時のファンにとって待望だった書き下ろしの完全新作長編で、スニーカー版にはまったく存在しなかったエピソードが紡がれている。ガガガ版の5巻と6巻は短編集ですが、書き下ろし新作が追加されたり文庫未収録作品(ザスニに掲載された後ずっと放置されていた短編)が拾われたりしています。ガガガ版の7巻と8巻が『くちづけでは長く、愛には短すぎて』と『そして、楽園はあまりに永く』、つまりアナピア編のリライト。9巻からまた書き下ろしの完全新作長編が始まります。『Assault』は0.5巻として11巻と12巻の間に刊行されました(書き下ろしの追加章あり)。そしてスニーカー時代からイラストを担当してきた「宮城」(『六花の勇者』も手掛けている人)は13巻を最後に降板、イラストレーターが「ざいん」に交代となった14巻から第二部へ突入する。この14巻が2014年9月刊行だから、もう2年近く前か。最新刊は今月もうすぐ発売される18巻。第二部は積んでいるから全然読んでいませんが、巻数的にそろそろアニメ化か完結の話題が出てくるだろうな、という気配を感じていました。過去にコミカライズやドラマCD化もされておりメディアミックスの経験がないでもなく、ある意味で順当な結果とも言える。余談ながらコミカライズ版を描いたのは『応天の門』の灰原薬です。

 蓋を開けてみたら原作の初回限定版に付いてくるOVAでした、となる可能性も捨てきれないが、もしTVアニメ化だとしたら……アナピア編とか「何が出るかな♪」とか一体どうすんだよ、無理だろ。エログロのレベルは平井和正や菊地秀行が流行っていた頃の伝奇バイオレンス並みで、胸糞悪かったり遣る瀬無かったりする読後感を売りとしている話だけに、規制やら何やらを考慮しながらシリーズ構成するのは甚だ困難だろうな。まぁもしTVシリーズだとしても範囲は1巻+短編いくつか、あるいはせいぜい2巻あたりまでか? よほどヒットしない限り本格的にヤバいところはやらないはずだ。クドクドと並べ立ててはみたが、「結局お前はされ竜のアニメに期待してんのかしてないのか、どっちなの?」と訊かれたら……「あんまりしてない」ってところです。咒式戦の攻防って解説抜きで映像にすると何が何だかわからないだろうし。でも、やっぱり動くガユスやギギナは観たいな、という気持ちもあって複雑。「刃の宿業」がアニメ化されるんだったら即座に態度を豹変させる用意がありますけど……

 トリニトロトルエンを鞘の内部で炸裂させ、秒速六九○○メルトルという高速の爆風を放つ。鞘の内部で圧縮された爆風の力を刃に乗せて放つと、気温十五度下では秒速約三四○メルトルという音の速度すら遥かに超える一刀となる。

 爆炸刀! 爆炸刀!

『コップ・カー』という映画を観た。

 タイトルは警察車両、要するにパトカーのことです。ケヴィン・ベーコン主演。家出のつもりで遠出してきた10歳くらいの少年ふたり、森の入り口で無人のパトカーを見つけたものだからサア大変。度胸試しにちょんとタッチして猛ダッシュして帰ってくるぐらいはまだ可愛いものだったが、ドアの鍵が掛かっていなかったこと、車のキーが中に置きっぱなしだったことから、調子こいて運転し始めちゃった! という「クソガキが騒ぎを引き起こす」系の映画なんですが、そもそもなんで人里離れた森の近くに無人のパトカーが駐まっていたのか? って疑問が当然湧いてきますよね。ここから少し時間が遡って、ケヴィン・ベーコン演ずる保安官(役名はミッチ・クレッツァー)がパトカーから降りてくるシーンに移る。ネタバレですが、このケヴィン・ベーコンはかなりの悪徳保安官で、どうもシャブの取引にまつわるトラブルから売人か何かの兄弟をブッ殺してしまったらしい。死体を森に捨てるためパトカーを駐車していたわけだ。「どうせこんなところ、誰も来ないだろう」とタカを括ってたんでしょうね。一つ目の死体を捨て終わったところで戻ってみたらパトカーがなくなっていることに気づいて茫然、ってわけです。クソガキどももいい加減「自分たちが相当ヤバイことを仕出かしてしまっているのでは」と悟り始めた頃、トランクに積まれた「もう一つの荷物」の存在に気づいて……というふうに話が転がっていく。

 『スタンド・バイ・ミー』っぽいどこかノスタルジックな雰囲気から一気にクライム・サスペンスの世界へ暗転する、鮮やかなストーリーテリングが際立つ風変わりな映画です。クソガキどもを乗せたパトカーが街に繰り出して大騒動が巻き起こるのかと思いきや、そこまで大事にはならなかった。ほんの数名の主要人物たちだけでストーリーが進行していくあたり、何となく舞台劇めいた感触。ド派手なハリウッド映画に慣れている人だとスケールの小ささに戸惑うかもしれませんが、「こういう要素を絞り込んだ限定的な作劇も面白いなぁ」って感銘を受ける方もおられるでしょう。ラストが悪党同士の殺し合いに収束していく点は少しありきたりだと思いましたけど、その後も二転三転して飽きさせない。90分ないくらいでサクッと終わりますし、ちょっとした空き時間に観るのにちょうどいい一本。しかし、エンジンが掛かった瞬間に思わずビビって逃げ出しちゃうシーンとか、「アメリカのクソガキも日本のクソガキと大して変わらんなぁ」としみじみ思ったり。話の都合で動かされる模造クソガキではなく、「あーあー、本当にいそう、こんな奴ら」って頷きたくなる立派なクソガキ像で大変素晴らしい。ケヴィン・ベーコンが好きな人にとってはケヴィン映画として、そうじゃない人にとってはクソガキ映画として印象に残りそうです。

・映画と言えば『HiGH&LOW THE MOVIE』も観てきた。

 一言で表すなら「『猿の惑星』と『MADMAX』を足して邦画的な演出で割った一本」。チケット買うときにうっかり『LAW & ORDER』と言いそうになるくらい関心の薄い私がなぜわざわざ観に行ったのか。それは「予告編でなんかルーレットみたいなタイトルの映画があったけどさ、キャスト多すぎて何が何だか全然わけわからんかった」って白痴めいた感想を述べる私に懇切丁寧に基本設定を解説してくれた人がいて、その方の情熱に押されて「いっぺん観てきてもいいかも」とつい翻意しちゃったんです。7月16日公開だからもう1ヶ月近く経ってるし、空いてるかと思って映画館に行ったけど、結構混み合っていて「人気あるんだなぁ」と驚きました。パッと見ながら半分以上が女性客って感じでしたね。冒頭の見せ場としてイケメンがドアップで見得を切るシーンが入っており、「ああ、歌舞伎みたいな感覚で受容されているんだな」と納得したり。内容としてはTVドラマの続編なので映画単体として評価することは難しいが、「基本設定を呑み込んだうえで」「いくつかの点に目を瞑れば」充分楽しめる代物だと思う。

 『HiGH&LOW』は深夜帯に放送されたTVドラマ(1期と2期)を中心とするメディアミックス作品で、『クローズ』みたいに治安の悪い街で不良グループがひたすら喧嘩に明け暮れているという大枠自体は「よくあるヤンキー漫画」のノリなんですが「主人公に当たる人物が存在しない」『獅子の門』じみた群像劇特化の構成が特徴。映画ではコブラが比較的主人公に近いポジションにいるが、出番はあまり多くない。最初に基本設定をおさらいしておきましょう。まず「ムゲン」というチームが街の全域を統一・掌握していました。この「ムゲン」は琥珀と龍也のふたりから始まったバイク集団で、「相棒と走り回るこの時間がいつまでも続けばいい」という願いから無限(ムゲン)のチーム名を冠している(永遠の刹那さん……)。しかしその願いは儚く、龍也の死をキッカケにムゲンは解散へ向かっていく。無二の相棒を喪ったショックから琥珀は街を去った。ついでにたった二人でムゲンの支配に逆らっていた「雨宮兄弟」も姿を消しますが、この連中に関しては次の劇場版でクローズアップされるみたいなので今回は無理に覚えなくてもいい。で、空白地帯となった街はお定まりのように群雄割拠する修羅の巷と化します。最終的に5つの不良グループによって分割された街は、それぞれのチーム名「山王連合会」「White Rascals」「鬼邪高校」「RUDE BOYS」「達磨一家」の頭文字を取って「SWORD地区」と呼ばれるようになる。五大グループは抗争を繰り返しつつも均衡を保っていたが、ムゲンの元総長である琥珀が区外の兵隊を引き連れて帰還し、SWORDすべてを潰そうと動き出す……。

 つまり今回のTHE MOVIEは「伝説のチームのTOP」である琥珀がラスボスとして君臨し、共通の敵を見出した五大グループは互いに手を取って闘う――といったストーリーになっています。ドラマ版で争い合っていた不良たちが一時休戦して連合軍を組む、ってあたりが劇場版の見所なわけだ。ネウロイと戦うために国境を越えて協力するウィッチーズみたいな感覚だろうか(たぶん違う)。「『ゲーム・オブ・スローンズ』『境界線上のホライゾン』よりはマシ」程度の凄まじい大人数ゆえ、個々のキャラクターに関して語っていたらキリがないです。というか覚え切れなかった。何せ公式サイトのキャスト紹介には70人くらい載っていますからね。観ていて「こいつ誰だっけ?」ってなることがしばしば。ROCKYとICEを混同しそうになったこともあったし、村山とスモーキーも辛うじて服装で判別している有様だった。関係ないがツンデレの轟には萌えた。公式の人物相関図は結構役に立ちますが、あくまで「観ながら」ないし「観た後に」役立つのであって、観る前に眺めてもサッパリ把握できないと思います。把握できないと面白くないのかと申しますと、実はそれほど支障もない。前述した通り、『猿の惑星』や『MADMAX』みたいな「個が群の一部に還元される」混沌渦巻く荒廃した世界を邦画テイストで紡いでおり、「邦画はダメ! アレルギーが出る!」って人でもなければどこかしら楽しめるポイントは見出せるはず。大乱闘!SWORDブラザーズと言わんばかりに入り乱れるクライマックスは圧巻です。あらゆるところで各チームのテーマ曲が流れるなど「マンガチックなケンカ・ファンタジーを描くお祭りムービー」としては豪華なつくりで飽きさせません。それにしてもこの街、治安が悪すぎというか、よく成り立っているもんだな。『暁の護衛』の「禁止区域」みたいなスラム街(「無名街」というらしい)もあるし……漫画誌で言うと完全にチャンピオンのノリです。

 無名街が爆破される冒頭のシーンは「掴み」として充分だし、クライマックスのSWORD連合軍が総出撃する場面もテンションMAXで盛り上がる。しかしながら、「説明的なセリフが多すぎる」ことと「ラストで泣かせようと執拗にクサい演出を入れる」ことは鼻に付いた。誰がどう見たって龍也は復讐を望むような人物とは思えないから、「龍也は復讐なんか望んでいない!」って当たり前すぎる事柄をわざわざセリフにしてキャストに言わせる必要は微塵もない。なのに龍也の妹にそのセリフを言わせた挙句、ダメ押しのように涙まで流させる。ここまでしなくてもメイン客層の理解は充分追いつくでしょう。ラストに向けてのクサい演出連打も辟易することしきり。泣かせなきゃ、感動させなきゃ、という強迫観念をいい加減に捨ててほしい。やりすぎて完全に間延びしている。特に回想の長さが半端ではなく、「あれはトイレ休憩用だから」という意見に納得するしかないレベル。細かいところではアレですね、ソファに座っていた九十九が「すべてが終わったら琥珀に渡してほしい」みたいなこと言ってコブラにキーを投げ渡すシーン。直後にソファから立ち上がってコブラの肩を叩きながら去っていくわけですが、そんな近距離を通り過ぎるなら直接手渡ししてもいいだろ! たぶん「投げ渡す方がカッコイイから」という理由でああしたのだろうが、それなら立ち去るシーンはカットするべきだった。路線や素材そのものは悪くないのに、あちこち刈込が足りなくていささかモッサリした印象が残る映画でした。

 けど、なんか妙に中毒性のある作品でもあって、観終わった直後はそんなにでもないのに数日するとまた観たくなってくる。予告でも使われている「SWORDを潰してくだサァイ」とか、ボンネットをカウチにして「SWORDの祭は達磨通せや」とか、発生可能上映したら盛り上がるだろうな〜ってシーンもあります。不満点はあるにせよ、全体として是か否かで言ったら是ですね。雨宮兄弟がメインになる次回作『THE RED RAIN』では回想シーンばっさり削ってモッサリ感の解消を成し遂げてほしい。雨宮の失踪した長兄「尊龍」を捜す中で陰謀劇に巻き込まれる、って話になるらしい。尊龍……どうしても『TOUGH』の尊鷹を思い出してしまうな。あっちも三兄弟だったし。

・拍手レス。

 >法廷物と言えば「二転三転する状況」「曲者揃いの弁護士・検事・被告人・証人・裁判官・陪審員」「明らかになっていく真実と、その裏に秘められた人間ドラマ」「繰り出される奇抜な法廷戦術」「あっと驚くようなどんでん返し」などの要素 逆転裁判シリーズですね分かります
 そういえば逆裁も実写映画化してましたっけ。リーガル系はランキン・デイヴィスの『デッドリミット』も傑作。そろそろ復刊されないかな、あれ。

 驍勇、面白かったです。紹介感謝。あわむら赤光さんと言えば、個人的にはデビュー作の無限のリンケージが好きですね。SF・スポーツ・バトルという要素が人を選ぶかもしれないけど。今見ると主人公の表紙率も高い(4/5)し、桃色表紙が苦手な層にも、ひとつ。
 驍勇は2巻が来月発売予定ですね。3巻以降も出そうで安心して買える。『無限のリンケージ』はもし今やってたら5巻まで出せたかどうか微妙だったろうな……全然別の作者ですが、『仮面魔女の解放戦記』あたりはハラハラしながら2巻を買いました。あとがき読むの怖くて積んだままだけども。

 ピュアコネクト5分だけでもやってほしいです。シナリオらしきものがなく、CGもBGMも格別優れているわけではないと思うのにテキストだけで高評価されているのはだてじゃないと思うので。
 とりあえずインストールはしとこうかな。今はふと思い立って『モエかん』再プレー中。改めてやってみると無茶苦茶極まりない設定なんですが、やっぱり面白い。ずっと積んだままだった『モエカす』もやっと崩せそう。


2016-08-10.

・更新しようしようと思いつつ忙しくてつい忘れていた焼津です、こんばんは。

 何に忙しかったって、そりゃエロゲーとかですよ! 気になっていた『ピュア×コネクト』を遅まきながら購入した直後にDMMの50%OFFセールが始まって臍を噛んだ。悔しかったので『フレラバ』(HD Renewal Editionの方)買いました。さておき、Gユウスケの夏コミ新刊『dies irae GM2』がもうすぐ出るみたいです。とらのあなでも予約受付中。2というからには1もあるんですが、そっちは買い逃しました……再販される可能性に一縷の望みを懸けます。GM2はルサルカとシュピーネがメインという珍しい取り合わせ。シュピーネはあんなキャラですけど雑用を引き受けてくれる便利屋ということもあってか他の団員たちからは意外と高評価なんですよね。糸使いだし、人捜しもやってるし、あとはせんべい屋を営んでいれば完璧だったな。それでも顔の差は覆せなかっただろうけど。

ソードアート・オンライン:人気ラノベがハリウッドで実写ドラマ化(まんたんウェブ)

 最初聞いたときは「ジョークでしょ? フフッ」と笑っていたが、どうも本当らしいと知ってどんな顔をすればいいのかわからなくなった。クラインが面白黒人枠でエギルがドウェイン・ジョンソン枠になるの? まだ実写映像化権が買われた程度の段階だから実際に放送まで漕ぎ着けられるかどうかは不明。以前“フルメタル・パニック!”にも同じような話が持ち上がった(あっちは映画だったっけ)けど、進展している雰囲気は全然ないしな……調べてみたら7年前のニュースか、アレ。ハリウッドの映画やドラマはスタッフ集めやキャスト集めでなかなか交渉がまとまらなかったりするんで、話半分くらいに聞いておいた方が良さげです。仮にマジで実写化するとしても、キリトやアスナの年齢が原作より上がる可能性ありますね。「原作にならったストーリーになる」と記事にありますが、10代のキャストをそのまま使うと短期間で成長しちゃって続編を見込んだ制作がやりにくくなりますし。ハリーポッターとか、最後の方はかなり無理が出ていた。かと言ってあんまり上げ過ぎると『ピクセル』みたいなノリになっちゃいそう。「たぶん実現しないだろうな」と思いつつ続報を待ちたい。ちなみに私がハリウッドで実写化してほしいライトノベルは『ブライトライツ・ホーリーランド』。2億ドルくらいの規模で頼む。

皆はいつから萌え表紙のラノベを平然と買えるようになったの?(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 中学生の頃から平気で『プリンセス・ミネルバ』とか買ってた。しかし、当時は「肌面積の多い表紙だなぁ」と呆れていたが、今となっては露出度が低めに見えるのだから恐ろしい。こんなのが平台に並んじゃう時代ですからね。もっとヤバイのはロリ系で、『Kaguya』あたりはさすがに目を疑いました。これを書いてた人がガンダム(オルフェンズ)の脚本手掛けてるんだから世の中わからないものだ。

 ソノラマの頃は『魔界都市〈新宿〉』の十六夜京也など、表紙にかなり目立つよう主人公が描かれていて、ヒロインの存在感はやや薄かった(リンク先は新装版で、旧装版だともう少し目立っていたが)。最近でも『百錬の覇王と聖約の戦乙女9』みたく主人公がピンで表紙を飾る例はありますが、ヒロイン単一(ないし複数ヒロイン)の方が主流になってきています。振り返ると、『ブギーポップは笑わない』らへんから「白っぽい表紙に女の子がポツン」系が広まっていった感じかな。でもすぐにあのフォーマットが定着したわけではなく、たとえば2000年の『ダブルブリッド』は表紙に男キャラがハッキリと描かれていた。イラストレーター交代(1、2巻を手掛けた人が事故で亡くなったため)直後の3巻でも太一朗はしっかり描かれている。が、4巻で背を向けて顔が見えなくなった(この巻でヒロインとの間に溝ができるから、その暗示でもある)。5巻から遂に優樹オンリーとなり、太一朗の存在は表紙から消えます。太一朗は人間で優樹はアヤカシ、という設定から読者も当初は太一朗を主人公と見做していたですが、進むにつれて優樹の方がどんどん主人公っぽくなっていくので表紙の変化は自然っちゃ自然です。しかし、ここまで完全にイレイズされてしまうとは……と改めて驚く気持ちも湧いてくる。

 遡ればゲーム原作の『サクラ大戦 前夜』なんかもあるにせよ、大雑把に言って2000年〜2002年あたりでいわゆる「買いづらい萌え表紙」のスタイルが固まった印象です。「表紙で躊躇った」という声が結構あった『パラサイトムーン』、「はいてない」が合言葉だった『イリヤの空、UFOの夏』、「ギャルゲー?」と揶揄された『インフィニティ・ゼロ』、比較的買いやすい『アリソン』、一見するとハーレム系の『ヴァルキュリアの機甲』(実際は……)と来てのいぢ絵の『灼眼のシャナ』でトドメ。『天国に涙はいらない』は作風的に刊行時期がもうちょっと後だったらたまちゃんピンの表紙になっていた可能性が高い。言うまでもないが、2003年以降も『バッカーノ!』『されど罪人は竜と踊る』などヒロインがさほど目立たないシリーズでは男キャラが表紙を飾っています。完全に萌え系の表紙で支配されたわけじゃない。でも『9S(ナインエス)』とか『とある魔術の禁書目録』とか、2、3年前に出ていたらきっと坂上闘真や上条当麻が表紙の半分くらいを占めていたはずですよ。ふたりとも2巻では表紙に登場していますが、1巻からバッチリ表紙に出ていた『さよならトロイメライ』の藤倉冬麻に比べて不甲斐ない。そうそう、今は「トウマ」と言ったら上条さんしか連想されないだろうけど、あの頃(2004年)にはトウマが3人もいたんですよね……エロゲの『DUEL SAVIOR』も主人公が「当真大河」で本当にややこしかった。話が脱線してきたからそろそろまとめに入ろうか。

 結論。買いづらいならネット通販を使えばいいじゃない。というのは冗談で、「こういう表紙はちょっと……」と本気で憂うなら「こういう表紙」じゃない奴を頑張って探し出してせっせと買い支えてSNS等で評判を広めていって「こういう表紙」以外がちゃんと主流に食い込めるよう草の根的なキュレーション活動をしていくのが、回り道だけど結局一番です。出版社だって売らんがために「こういう表紙」にしている(ラノベじゃなくて漫画だけど表紙を途中で男にしてみたら売上がガクンと落ちた、なんて話もある)わけで、そうじゃなくても売れるんだったら自然と「買いやすい、萌え系じゃない表紙」になっていくはずです。

ダッシュエックス文庫がいまいちパッとしない(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 まず「ダッシュエックス文庫」の概要について語る。ダッシュエックス文庫(以下DX)とは「スーパーダッシュ文庫(以下SD)」を前身とする集英社のライトノベルレーベルで、建前上はSDから独立した別個の存在ということになっている(たとえば先月の『パパのいうことを聞きなさい! after 1』はDX作品ではなくSD作品として刊行された)が、『カンピオーネ!』『六花の勇者』『後宮楽園球場』『紅 kure-nai』などSDからの移籍作品も多く、実態としては単なる「看板の付け替え」である。DX創刊時(2014年11月)とその直後は大量の作家を動員して新作ラッシュを仕掛けましたが、すぐに勢いは落ちてしまった。

 具体的な数字も出して行こう。2014年11月から翌年2015年の1月まで、最初の3ヶ月間で出した24冊もの新刊(うち3冊はSDの新装版)のうち、移籍作品やノベライズ作品を除いた純然たる新作は17個。このうち更にシリーズ化した作品は15個。で、現在「確実に続いているだろう」と言えるシリーズは『クロニクル・レギオン』『文句の付けようがないラブコメ』『英雄教室』、それと複数作家によるレーベル横断シェアワールド作品なので扱いに迷うが、『クズと金貨のクオリディア』(今アニメやってる『クオリディア・コード』の前日譚に当たる)。少し多めに見積もってもこの4つだけです。『はてな☆イリュージョン』は挿絵が矢吹健太朗ということもあって人気があったけれど、作者の松智洋が亡くなられましたからね……アニメ化はほぼ確実とされていたシリーズだけにDXにとっても痛恨事だったでしょう。それから『始まらない終末戦争と終わってる私らの青春活劇』は続いているかどうか微妙なところだな。王雀孫はもともと筆の遅さで有名ですし。年1冊ペースでもファンは驚かない。十文字青の『サクラ×サク』も判断に迷うところ。グリムガルに手を取られて止まっているだけなのか、はたまた打ち切りなのか。特設ページまで作っている割に「最新刊」が02巻のまま(現時点での最新刊は04巻)でまったく更新されておらず、DX側も熱心に売り込もうとしていません。移籍組も、『カンピオーネ!』は『クロニクル・レギオン』という別シリーズに力を入れているせいで展開がストップしていますし、『後宮楽園球場』は打ち切り臭い。『紅 kure-nai』は1年半経っても次回作の動きがなく、まともに稼働しているのは『六花の勇者』だけだ。あれもライトノベルにしては刊行ペースが遅めで、レーベルの柱と見做すのは難しい。

 2015年2月以降もひと月あたり5〜7冊のペースをどうにか維持していて、2015年一年間での刊行点数はなんと70冊を超えています。SD時代は68冊がピークだったので、品数を揃えることに関してはかなり頑張っている。しかし、ビックリするくらいシリース作品が育っていません。単発レベルではちょこちょこと面白い作品も出ていますが、とにかくレーベルの顔になるような看板シリーズが不在。とりわけ新人の生育不足は目を覆わんばかりである。今年デビューしたばかりの2人(大桑康博、望月充っ)が次回作を出せていないのはまだいいとしても、去年デビューしてから未だに2冊目を出すことができず1冊こっきりのまま止まっている新人が5人もいます(摩周まろ、狗彦、紙城境介、大保志雄二、ノギノアキゾウ)。既存の作家たちもいまひとつ振るわず、一番調子がイイのは新木伸(『星くず英雄伝』『GJ部』の作者として知られる)だったりする。『英雄教室』は6巻まで刊行が決まっていて、もう一つのシリーズである『異世界Cマート繁盛記』は今月4巻が刊行される予定です。なので強いて言えば新木伸が看板ってことになる。それが悪いというわけではないにしろ、率直に言ってフレッシュな印象は欠けている。

 移籍組の六花やレーベル横断のクオリディアを除くと、アニメ化作品はゼロ。まだ立ち上がって2年も経たないからしょうがないことはしょうがないが、この調子では認知度の低さが改善されることはなく、レーベルイメージはのたりのたりと地を這い続けるだろう。早く『紅 kure-nai』と『始まらない終末戦争と終わってる私らの青春活劇』の刊行ペースを上げて、「これがDXだ!」と強く訴えるイメージを形成してほしい。ぶっちゃけカタケンとジャクソンと、後はるーすぼーいと滝川廉治あたりが活躍してくれたら個人的には存在意義が充分を突破して有り余る。何ならベニ松も連れてきてほしい。が、まずはアニメ化作品を輩出するところからですね。『英雄教室』、あるいは『クロニクル・レギオン』あたり来るか?

『魔術士オーフェンはぐれ旅』のコミカライズ新連載が決定 シリーズ累計売上1,000万部の大人気ファンタジーが蘇る(ライトノベル総合情報サイト ラノベニュースオンライン)

 前のコミカライズは沢田一か……そういえば読んだことなかったな。この手のコミカライズは大抵話の途中で終わってしまうし、「最初から原作読んだ方がええやん」ってなるからあんま手が伸びなかったんですよね。いきなり第4部からやるのかな、と思ったけど記事によると『我が呼び声に応えよ獣』、つまり第1部の頭から丸きりやり直す模様。シリーズの第1巻なわけですが、原作だとこの頃はまだ設定を固めていなかった(というか続ける予定もなかった)のでストーリーは割とこぢんまりしています。ドラゴンの六種族がどうの、宮廷魔術士の十三使徒がどうの、教会総本山キムラック擁する「死の教師」がどうの……といった設定は2巻から語られる。そのへんを描かないとオーフェンワールドの広がりが感じられないのでなるべく続いてほしいものだが、公式サイトのキービジュアルを見る限り『我が呼び声に応えよ獣』だけコミカライズする雰囲気だなぁ。2巻以降の分は反響次第ってことでしょうか? 個人的に気になるのはコミクロンの扱いですね。オーフェンと同じチャイルドマン教室の出身ながら、原作ではろくな見せ場もなく即死。しかも死んだ後になって「彼がコミクロンだったのか」とようやく気づかれる始末。後付けでキャラが作られてなかなか面白い奴になっていたけど、果たして救済措置はあるのだろうか。牙の塔時代のビジュアルが出てきたら「艦これの北上?」って言われそう。

『砂上の法廷』という映画を観た。

 ゴジラ映画が観たかったけどほとんど貸し出されていた(あの『ファイナルウォーズ』すらケースが全部空っぽだった!)ので、「じゃあ代わりに何か面白そうな洋画を」とピックアップしたうちの一本。法廷物で、キアヌ・リーヴスが弁護士役を演じる。役名は「ラムゼイ」だが、俳優の名前で書いた方が分かりやすいと思うので以下「キアヌ」や「キアヌ弁護士」で通す。

 「砂上の楼閣」をもじったようなタイトルで昭和時代の推理小説を彷彿とさせるが、原題は "The Whole Truth" 。直訳すると「すべての真実」です。これは法廷に喚問された証人が証言を行う前に裁判官が言い放つ決まり文句の一部で、要するに隠し事をするな、自分にとって都合の悪い事実を伏せたりするな、と誓わせるわけですね。相手を騙す際に必ずしも嘘が必要というわけではなく、「真実の一部」を語る/隠すことで事実を誤認させることは容易だ。たとえば、ある人物が「てめえ、ぶっ殺すぞ!」と凄んだ後にすかさず破顔して「ジョークだよ、ジョーク」と笑い飛ばした出来事の前半だけ語って後半を語らなかった場合、あたかもその人物が本気で相手に殺意を表明したかのようなイメージが醸成されてしまうわけです。裁判で嘘の証言をすると偽証罪になってしまう(アメリカだと懲役刑だ)から、「なんとなく」で嘘を言う人はあまりいない。けど、「実はサボって持ち場を離れていた」というような、バレたら仕事をクビになってしまう事柄に関してはつい嘘をついたりごまかそうとするのが人情というもの。キアヌ弁護士は「証人が嘘をつくこと」は当然の事態として受け容れつつ、「相手が嘘をついているかどうか高確率で言い当てることができる」才能を持った女性を助手に迎え、いかにも勝ち目のない不利な裁判の弁護に赴きます。

 まだ16歳の少年が殺人容疑で捕まった。被害者は少年の父親。兇器からは彼の指紋が見つかっており、キアヌ弁護士も罪状認否の段階で争うつもりはさらさらない。焦点となるのは、殺ったか殺っていないかでなく動機……情状酌量の余地があるかどうかだけ。少年は犯行後ずっと黙秘を続けており、弁護士であるキアヌに対してもまったく心を開く兆しがない。父親が弁護士で、本人も法律家を目指しているということだから、こうした事件での完全黙秘が様々なリスク――たとえば陪審員の心象悪化とか――をもたらすことは重々承知のはずなのに。いったい何を考えているのか? 予想通り、思わしくない方向へ審理は進んでいく。打つ手が見えない中で、いかにして陪審員の同情を引こうかと頭を悩ませるキアヌ。どんどん弁護側の劣勢が露わになっていく中、遂に少年が「証言台に立つ」と意思を表明するが……。

 法廷物と言えば「二転三転する状況」「曲者揃いの弁護士・検事・被告人・証人・裁判官・陪審員」「明らかになっていく真実と、その裏に秘められた人間ドラマ」「繰り出される奇抜な法廷戦術」「あっと驚くようなどんでん返し」などの要素が肝となるわけですが、ぶっちゃけこの映画は結構地味な調子です。キアヌは傍から見れば負け戦も同然な弁護に駆り出され、本来なら最大の協力者である被告人もダンマリを貫いている。やる気満々には見えないが、さりとて完全に仕事を投げているふうでもない。何か勝算でもあるのだろうか? と訝っているうちに30分が終わる。この映画は全体が90分ちょっとなので、約1/3ですね。個人的に「娯楽映画は90分くらいがちょうどいい」と思っていまして、2時間もあるような奴はどうしても途中で集中力が切れてしまいがちになる。もし本作が120分くらいの尺だったら、「まだまだダルい展開が続きそうだな……」と辟易して一旦視聴を中止していたかもしれません。しかし、いくら何でも1/3を過ぎたら事態も動き出すだろう、と観守っているうちに急展開を迎えて面白くなってくる。あとは最後まで一気に引っ張られました。やっぱり映画は90分くらいがいいな。『秘密 THE TOP SECRET』も気になっていたけど、上映時間が150分くらいと聞いてさすがにやめました。そんなに座っていたらケツが爆発してしまう。

 脱線してしまった。法廷物で、最初から優勢で特に何の波乱もなく勝訴して終わり、あるいは最後まで劣勢が続いてあっさり敗訴して終わり、なんて一本調子の話じゃつまらないから、当然ぎっこんばったんとシーソーゲームが演じられて「勝つか? 負けるのか?」とハラハラさせられるわけですよ。先述した通り地味めの映画なんで、「手に汗握るような」とまでは行かない。逆転裁判のノリを期待して観たら、淡々とした雰囲気に物足りなさを覚えるかもしれません。「主人公(ロバート・ダウニー・Jr.)が実の父親を弁護する」『ジャッジ 裁かれる判事』は法廷闘争よりも人間ドラマの方がメインで、裁判そのものは平坦な推移を辿ったが、ロバート・ダウニー・Jr.演ずる弁護士の存在感は全編に渡って余すところなく漲っていた。『砂上の法廷』は人間ドラマが少なく法廷闘争をメインに据えており、しかも戦術がごくシンプルなので観る側も専門的な法律知識を一切必要としない。最低限「陪審員制度」さえ知っていれば充分なくらい娯楽作品として短くスッキリとまとまっています。そのぶんキアヌの存在感がやや弱く、また「嘘を見抜く」助手も設定ほどは目立っていない。こういったムードを「抑制の効いたタッチ」と取るか、「盛り上がりに欠ける展開」と取るかで評価が分かれるところでしょう。個人的には前者と受け取り、気に入った。

 リーガル・サスペンスでは「法廷は真実や正義を探る場所ではない、一定のルールに沿って二者の言い分を判決へ落とし込むだけの場所」という、ある種のゲームに見立てるような冷めた視線で進行していくのが常だ。本作も例外ではない。娯楽作品だから「なぜ被告人は口を噤んでいるのか?」という疑問点はちゃんと解明されるし、最後にいくらかの「真相」も開示される。だがそれら以上に駆け引き、つまり「こいつはいったい何を考えているのか?」と腹を探っていく部分が見所の映画でした。駆け引きが見所の映画というと、『ダウト/あるカトリック学校で』もオススメ。

・拍手レス。

 個人的には、今回のゴジラのCGモーションアクターを担当したのが、野村萬斎だったというのが驚きです。
 ずっしりと重々しい動きで「呉爾羅ノ山、土俵入り」といった趣がありました。


2016-07-30.

『シン・ゴジラ』観てきた焼津です、こんばんは。

 総監督が庵野秀明、国産としては12年ぶりのゴジラ映画ということで「とりあえず足を運んでおこうか」と大して期待しないまま映画館に向かったが、面白いやんけコレ! 普通に楽しんじゃって我ながらビックリですよ。ストーリーは全10話のテレビドラマを無理矢理2時間の尺へ押し込んだような調子で終始慌ただしかったし、予算の都合かディザスター描写は限定的だったが、単純明快な「人類VSゴジラ」の図式で割とすんなり没入させてくれる。間がほとんどなく、ひたすら登場人物たちのセリフを並べ立てる構成なので批評家ウケは悪そうながら、ゴジラが大暴れするシーンと近代兵器がバンバン投入される展開で童心に帰って興奮できるタイプの観客にとっては無上の出来。「庵野、すっげぇノリノリじゃん!」と笑ってしまった。EVA通り越して「帰ってきたウルトラマン」あたりまでマインドが戻っている疑惑あります。全編に渡って力の限り調子こいてる。素晴らしい。強すぎるくらい無敵なゴジラへ対抗するため様々な戦術が繰り出されるわけですが、中んずく無人在来線爆弾には噴いた。その響きの良さは映画を観終わった後も延々と残り続ける。ダメな部分もいろいろとあることはあるんですが、「それについて考えるのはまた後でいいや!」ってなるくらいテンションMAXで盛り上がりました。ホント、イイ意味で好き勝手していてたまらない。あんまり期待を膨らませると「あれ?」ってなる可能性もありますが、『パシフィック・リム』と同じく劇場で観るべき案件だということは間違いないですので、皆様も是非公開中に映画館へ寄ってみてください。「どうせ地上波でやるだろ」と待ちの姿勢に入ったら放送当日に「なぜあのとき観に行かなかったんだ!」と後悔すること請け合いです。ただ合うにしろ合わないにしろ、観ていて結構疲れるというかグッタリ来る映画ゆえ、体調が万全のときに視聴されたし。寝不足の状態で観に行くと途中でバテるかもしれません。

レガリア:放送中のアニメが4話でいったん終了 「意図していたクオリティと相違」(まんたんウェブ)

 頑固親爺のラーメン屋でもあるまいに、「出来に納得がいかないから中止」って……制作はガルパンのアクタスだからそろそろ「紹介します!」が来るかもしれない、という揶揄はあったけど、まさかそれすら通り越してくるとは。デレアニとかゴッドイーターとか、現場がヤバそうなアニメ増えてきていますが、ここまで万策尽きた例は稀有じゃないか。個人的に『レガリア』は石川賢マインドがほんのり混じったロボアニメとして注目していましたけれど、話ブン投げる(物理)ところまで似せなくて良かったのに。しかし、5話以降の制作体制がよっぽど酷かったのだろうか……延期は残念だけども、俺ツイの二の舞を踏むよりはマシかもしれない。

時間経過あるエロゲ教えて(2次元に捉われない)

 真っ先に思い出すのはやっぱり君望(『君が望む永遠』)。マイナーなところでは『残暑お見舞い申し上げます。 〜君と過ごしたあの日と今と〜』があったな。「君と過ごしたあの日」が学園編に当たる第一部で、「今」がヒロインとくっついた後の第二部。舞台となる村にダムが建造されて、学園廃校どころか村全体が水没することになる――という設定だった。ただこのゲーム、メインライターとサブライターの間でシナリオのすり合わせがまったく行われなかった(納期が厳しい中でサブライターの起用が急遽決まった)せいでルートによってヒロインの性格も設定も大きく異なる。「矢木沢 壬生」と「鳴子 華菜」のふたりがサブライターの担当分です。そのサブライターというのが、グリザイアシリーズにも参加している藤崎竜太だったり。

 1年や2年だったら立ち絵も使い回せますが、それ以上の時間経過があるとキャラのグラフィックを刷新する必要も出てきますので、単純に手間が掛かりますね。そのうえ「学園編→社会人編」みたいな構成にしても、「学園編の方が良かった」「社会人編のシナリオを削って学園編のエッチシーンをもっと増やしてほしかった」という要望が出てきがち。時間経過の要素を効果的に取り込むのはなかなか難しい気がします。「学園編→社会人編」どころか、学園編を2年や3年というスパンできっちり描くソフト自体少ないですし。学園物は一年周期で同じイベント(行事)が発生するから、入学から卒業までの3年間をプレーヤーに追体験させようとなるとどうしても話がくどくなってしまう。かと言って省略を多用すると、話が飛び飛びになって没入感も薄れてしまいますからね。はっきりとしたストーリーの軸を据える、たとえば主人公が特定の部に所属していて、3年かけて全国大会への出場や優勝を目指す、みたいな感じにしないと厳しいかもしれない。これはこれでマルチシナリオの特性を活かしにくくなる(どのルートを辿っても結局似たような展開になってしまう)という難点がありますけれど。『れすとあ』がそうだった。来月出る『銀色、遥か』は「中学編」「学園編」「アフター編」の三部構成で10年くらいのスパンを綴っていく意欲作みたいで注目していますが、まだ購入する踏ん切りはつかない。これで「倦怠期編」や「浮気編」、「破局編」も実装されていれば完璧なんですが……ってよく考えたら君望じゃねぇかそれ。

ダメ天使が下界で自堕落生活「ガヴリールドロップアウト」テレビアニメ化(コミックナタリー)

 ガヴドロがアニメ化!? あまり話題になっている気配もなく、「打ち切りだけは勘弁してよ〜」と祈りながら新刊を買うタイプの漫画なのに。最近打ち切り作品とアニメ化作品の差がどんどん紙一重になってきているな……この調子で行くと『あしたの今日子さん』『ひとりぼっちの○○生活』あたりにもアニメ化の可能性が? さておき『ガヴリールドロップアウト』は天使学校を主席で卒業した天使が地上に降りて堕天使ならぬ駄天使と化してしまう、一言で述べれば「カズフサ抜きの可愛い『ラブやん』」です。試し読みを見れば分かりますが、ギャグテイストを基調としつつもこれといって強烈なネタは仕込まれていない。しかし、このぬるま湯のようなテンションが心地良くてついつい読み耽ってしまう。制作は動画工房だし、危なげのない出来になりそう。

 漫画関連のニュースと言えば、アライブで「アイリス・ゼロ」再開にも驚いた。また連載が止まっていたのかよ、と。そういえばしばらく新刊が出ていなかったな。『アイリス・ゼロ』は連載開始が2009年でそろそろ七周年を迎えます。当初は順調に巻を重ねていましたが、作画担当の蛍たかなが途中で病気になり、療養のため1年くらい連載を中断。2013年に再開しましたが、その後もちょくちょく休載していたみたいですね。最新の単行本(6巻)が出たのは2014年。巻数では追い越されてしまったが、実のところ『のんのんびより』よりも古株です。なんせ『断裁分離のクライムエッジ』と同時期に始まった作品ですから。「コミックアライブの漫画で次にアニメ化するとしたら『ディーふらぐ!』か『アイリス・ゼロ』だろうな」なんて言われていた時期もありました。瞳にまつわる特殊能力が一般化した世界で、無能力者(アイリス・ゼロ)と蔑まれる主人公が機転と観察力で事態を解決していく、喩えるなら「KEY作品っぽい雰囲気の『氷菓』」。未読の方は7巻が発売されるくらいのタイミングで一括購入してみては如何だろう。

・あわむら赤光の『我が驍勇にふるえよ天地〜アレクシス帝国興隆記〜』読んだ。

 「わがぎょうゆうにふるえよてんち」と読む。「驍」は「強い、勇ましい」といった意味合いの字で、小説だと「驍将」という単語をよく見かけるかな。今月始まったばかりの新シリーズです。中世ヨーロッパめいた異世界を舞台にした戦記風ファンタジーながら「主人公は現代日本から転生してきた戦史に詳しいニート」みたいな設定ではなく、ごく普通にその世界で生まれ育った人物が主人公を務めている。魔法が飛び交ったりモンスターが出てきたりするような感じの話でもない。王道的なノリの奴です。同じライトノベルで喩えると『覇剣の皇姫アルティーナ』に雰囲気が近いかな。アルティーナは細身の少女が大剣を振り回すあたりが現実離れしているし、こっちはこっちで「動物と心を通わせることができる少女」が登場したりするので、「リアリティがある」とかそういうタイプの小説ではありません。どこか御伽噺チックな英雄譚に仕上がっています。

 作者のあわむら赤光(あかみつ)は第1回GA文庫大賞「奨励賞」受賞者で、GA生え抜きのライトノベル作家であり、シリーズとしてはこれが4つ目……なんてふうに書いてもピンと来る人は少ないでしょう。たぶん「ワルブレの原作者」と言った方が通りはいいはず。そう、あの「思い……出した!」「綴る!」で有名になってしまった『聖剣使いの禁呪詠唱』です。アニメのせいでネタ作品的なイメージが強いかもしれませんが、原作は結構アツいというか割と真っ直ぐな熱血少年漫画テイストなんですよ……ポリフォニカという例外を除けばGA文庫最大級の巻数を誇る看板シリーズの一つなのに、どうも見縊られ過ぎている気がしてならない。さておき、『我が驍勇にふるえよ天地』。略称は「驍勇」か「わっふる」あたりか? 主人公は皇子なんですが、母親の身分が低かった(というか完全に庶民だった)せいで周囲から「雑種」と罵られています。そんな嘲りにもめげず、彼は帝国最北領のアレクシス州ですくすくと育ち、立派な若武者として成長する。強いか弱いかで言ったらそりゃもうメッチャ強いです。個人レベルの武勇で述べるなら「無双」の一語ですよ。手にした大薙刀をひと振りするだけで敵の首が3つとか5つとかまとめて飛ぶんですからね、もう『キングダム』の世界です。まだまだ成長の余地はありそうなので、将来的には王騎クラスになるのかもしれない。ただ、数百数千数万の軍勢が衝突する戦場において個人の武勇は決定打になりません。ガンダムが一体あってもそれだけで戦争に勝てるわけではない。そこでお呼びとなるのが軍師なわけですが、この軍師様というのがおっぱいの大きい美少女なんですよね。しかも主人公にベタ惚れなんですよね。周囲にはバレバレなんですよね。主人公は朴念仁だから全然気づいてないんですけどね。背中に指を這わせて「きらい」と書いた後「ほんとはすき」と訂正するけど甲冑越しだから当然気づかれない、みたいな甘酸っぱいイベントもあったりする。が、可能な限り日常イベントを削って物語を進めることに注力しているので、戦そっちのけで延々とラブコメシーンが続くようなことはないです。安心してください。

 大枠としては、「貴族や帝族がすっかり腐敗してしまった『こりゃ遠からず滅びるわ』な末期状態の大帝国で、味方の策謀によって故郷たるアレクシスを失ってしまった皇子が、それを取り返すために立ち上がる。ついでに裏切者どももブチ殺す」という失地回復&復讐譚。主人公の目的がハッキリしているので進路を見失うこともなく、非常に読みやすい。周りから「雑種」と罵倒されている皇子が見事な手際で手柄を立てて、小うるさい連中をぐうの音も出ないようにしてやる、という流れはベッタベタながら胸がすく。逆境を跳ね除けていくのはやっぱり気持ちがいい。普通だったら2冊は掛かる(引き延ばしがヒドい作家だったら3冊は掛かるかもしれない)内容を一冊に圧縮してくれているので読み応えは充分。最近の新シリーズは打ち切りを恐れてか、初手から密度を上げていく傾向にありますね。一応戦記の体裁は取っていますが「主人公カッコイイ!」な場面に筆を多く割いており、楽しみ方としてはヒロイック・ファンタジーの領分に属するかも。派手さや重厚さはないが堅実かつ軽妙で面白い。文章も程好く砕けている部分があり、普段戦記系ファンタジーを読まない人にも薦めやすい。ただこれ、口絵のイラストに若干ネタバレが入っているんですよね。あくまで軽いネタバレであってそこまで致命的ではないが、なるべく情報をシャットアウトして読んだ方が吉です。

 現時点では「州」でしかないアレクシスが、いかにして「帝国」となっていくのか。前途はまだ深く厚い霧に包まれていて茫と煙っています。しかし、ガイドラインとなりそうな逸話が作中に出てくる。およそ300年ほど前、大陸は「渾沌大帝」なる英雄によって統一されていたという。大帝の死から100年経った頃に帝国は7つに分かれ、群雄割拠の時代に突入した。皇子は第二の渾沌大帝として大陸を手中を収めていく……ことになるのかなぁ、という気配です。少なくとも後に「アレクシス大帝、レオナート一世」として語られる存在になることはあらすじの時点でバラされちゃっている。あらすじには「群雄する大国全てと渡り合っていく!」とも書かれているので、なんともスケールの大きい話になりそう。ワクワクしてしまうが、キチンと完結させようと思ったらいったい何冊掛かるんだろうな、これ。20冊くらい? 絵に描いたような腐敗貴族どもが「我らこそは悪役でござい」とばかりに次々出てくるあたりちょっと辟易するものの、また楽しみなファンタジー戦記シリーズが増えました。2巻は9月発売予定GA公式ブログの記事によると売れ行き好調で緊急重版も決まったみたいだから、差し当たって打ち切りの心配もなさそうです。ケレン味はないけど芳醇な喉越しのファンタジー、あなたも是非どうぞ。


2016-07-18.

『ロウきゅーぶ!』作者の新作ラノベ「ステージ・オブ・ザ・グラウンド」まさかの女子小学生要素0! なにがあったし・・・(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 当然のように『若草野球部狂想曲』思い出した。あれ結構面白かったけどあまり長く続かなかったな……「ステージ・オブ・ザ・グラウンド」のタイトルで女子小学生アイドルグループが校庭に野外ステージ作ってライブするような内容を勝手に想像していたけど、まったく違っていて笑うしかない。メディアワークス文庫あたりだと萌え要素抜きのスポーツ物はちょこちょこ見かけるが、やっぱり電撃文庫だと珍しいジャンルですね。スポーツ小説は漫画や映像作品に比べて動きのイメージを伝えにくい、という難点はあるものの、内面描写を積み重ねたり、シチュエーションを丁寧に説明したり、細かい部分で臨場感を出せる強みがある。最大の利点は、「1冊でそれなりにストーリーを進展させられること」。漫画でスポーツ物やろうとすると盛り上がってくるまで何巻も掛かってしまいがちですが、小説形式なら話詰め込んで1冊に起承転結を盛り込むことも容易い。野球じゃないけど森絵都の『DIVE!!』はスポーツ小説の白眉ですし、ちょっとマイナーながら水原秀策の『キング・メイカー』は「地味なボクサーのスキャンダルを捏造し、悪役ボクサーとして脚光を浴びせる」という風変わりな趣向で楽しませてくれた。水原秀策は野球小説も多く手掛けているみたいだが、そちらは読んだことない。とりあえずサグの新作は買ってみるつもりです。

・最近の読書。積んでいた『百錬の覇王と聖約の戦乙女』『落ちてきた龍王と滅びゆく魔女の国』をまとめて崩しました。

 両方とも異世界を舞台にしたファンタジー戦記ライトノベル。作者も出版社も違うから当然シリーズとしての繋がりはありませんが、ふたつとも織田信長が出てくるという共通点があります。正直、これに気づいたときは笑ってしまった。「まーた異世界に来てるのかノッブは」って。ともあれ、こういうファンタジー戦記物は進むにつれてキャラが増えていくせいもあってだんだん物語の密度が下がってゆき、新刊に近づくほど1冊あたりの満足度が減る傾向にあります。長期シリーズを途中で投げ出してしまいがちなのは単なる「飽き」というよりも、この必然的な「満足度の減少」にあるのではないかと思う。なので巻数が溜まってくるまで待ち、一気に読むことにしたのです。おかげで「このへんちょっとダレるな〜」という箇所も無事に通過することができ、両方とも「新刊はまだか!」と逸る気持ちを維持することができるようになった。

 『百錬の覇王と聖約の戦乙女』は中学生の少年が異世界に飛ばされ、たった2年で宗主(パトリアーク)というリーダー的な存在に成り上がる、立身出世系のストーリーです。主人公個人の武勇は大したことがなく、ヒロインたち戦乙女(ヴァルキュリア)が主に戦闘を行う。一応、男キャラも戦いますが「女の陰でバトルの解説」が嫌いな人にはオススメしがたい。シリーズの特徴としては、「主人公を召喚した神器(鏡)を通じて現代日本と連絡を取ることができる(通信手段はスマホ)」「現代日本に主人公の想い人がいるので、戦乙女たちの誘惑に耐える展開の説得力が多少ある」あたりですかね。特殊な力を持った連中が「エインヘリヤル」と呼ばれているなど、ベースになっているのは北欧神話です。1巻のプロローグが明けたらあっという間に2年経過していて主人公はもう宗主になっている、つまり異世界にやってきた直後のエピソードが思いっきり端折られている構成のため読み始めは困惑するかもしれませんが、「空白の2年間」は過去編に当たる3巻で触れられますから気にせず読み進めるが吉です。

 1巻から3巻までが「こんな感じで主人公が成り上がっていく話なんですよ」と読者に伝えるための序章であり、4巻からは主人公を苦しめる敵「フヴェズルング」が出てくる。フヴェズルングというのはロキの別名ですね。4巻から9巻までが言わば「フヴェズルング編」に当たります(ただし5巻は番外編)が、このへん巻数が多くてちょっとダレ気味になる。ぶっちゃけフヴェズルングは小物感が強いキャラですし……7・8巻がダレるピークですので、6巻から9巻あたりまでは短期間で一気に読むことを推奨したい。9巻以降はまたグンと面白くなってきます。具体的に書くと、「異世界」に骨を埋める覚悟を決めた主人公がヒロインと結ばれます。この「結ばれる」というのは比喩でも何でもなく、本当に男女の肉体関係を持つに至るのだ。ただし濡れ場の描写自体はスキップしています、いわゆる朝チュン状態。どのヒロインと結ばれるかは伏せておいた方がいいかもしれませんけれど、ネタバレを気にしない人向けに書いておきますと一人や二人じゃありません。「世界の秘密」も明らかになりますし、シリーズとしては9巻からが本番でしょう。10巻や11巻でもまたいろいろと盛り上がる展開になっていますが、ネタバレ要素が多くて書きづらい。是非各々の目で確かめてほしい。でもこの調子で行くと、完結するのって30巻くらいになるんじゃないかな……最低でも20巻は要りそう。

 『落ちてきた龍王(ナーガ)と滅びゆく魔女の国』は「落ちナガ」とか「魔女の国」とか呼ばれているシリーズ。ベテランの舞阪洸が手掛けている。舞阪洸は一度始めたシリーズをなかなかうまく終わらせることができないことで知られており、「魔女の国」も出だしはまずまずながら先行きが危ぶまれておりましたが、刊行ペースが遅い(年2冊)ことを除けば比較的順調に推移しています。生まれつき特殊な能力(水を操るとか、肉体を鋼鉄並みに硬質化させるとか)を持っているせいで忌み嫌われ、迫害の末に森の奥へ逼塞することになった「魔女」たちを引き連れて異世界からやってきた青年が獅子奮迅の大活躍! という、分類上は戦記物かもしれませんが結構ヒロイック要素の強いファンタジーです。百錬の方と違ってこっちは主人公も先陣に立って敵と戦ったりする。が、魔女たちみたいな特殊能力は持ち合わせていないので、直接戦闘での活躍は少々印象が薄い。戦略を立て、その意図を教え、実地での戦術を叩き込む。「戦う」よりも「導く」の様相が濃く、魔女たちが次第に主人公へ心酔していく流れが自然なものとなっています。が、主人公に対して好意を寄せているだのいないだので言い合いになったり、おっぱいが小さいだの大きいだので言い争って議論が脇に逸れたりなど、セリフの掛け合いが冗長になっているあたりは玉に瑕。あと「新聞の連載小説なのか?」と疑うくらい同じような説明が何度も繰り返し出てくるので、ほどほどに読み飛ばすスキルも必要になります。正直、コメディパートはあまり面白くないのだが、戦の趨勢を淡々と一定のリズムで綴る筆致の冷静さがダレを防ぐ要因としてうまく機能している。毎回ちょうどいいところで話を切ってくれるのはありがたい。

 「魔女の国」が位置するのは半島の端で、主人公はまず半島制圧を目指して動いていく。9巻で概ね道筋が立っており、もうすぐ出る10巻でいよいよ半島の支配が完了するのではないか、という雰囲気になっています。そうなると次はいよいよ大陸を攻めていくことになるわけですが、異世界からやってきた主人公は「いずれ元の世界に戻されるのではないか」と予感しており、あとがきで「佳境」と言い切っている作者の口振りも考慮すると、あと数冊で完結しそうな気配。複数の魔女から慕われるハーレム的な状況にありながら、結局誰にも手を出さないで去っていくことになりそうですね。寂しい。いっそ元の世界に返らないで魔女の国に留まらないかな〜、なんて思ったりしないでもないが、作者によると終わり方はもう決まっているみたいです。いろんな意味で映像化が難しい(単純に魔女キャラが多いうえに設定上みんな非常に露出度が高いので、ただ立っているだけで規制を食らいかねない。あと戦争シーンが深夜アニメレベルじゃ再現困難である)作品だからアニメ化しないまま終わっても「仕方ないな」って感じなんですが、動く魔女たちは観たかったです。ドラマCDは出ていますが、本編の合間のエピソード(あらすじから察するに2巻あたり?)みたいなので先に原作を読んでおいた方がベター。本編に目を通した後にキャストを確認すると笑えます。最後に私の好きな魔女を3人挙げておきますと、イクシーヌ、エリュシオーネ、ハンネゥイ。

 さて、この2シリーズを崩しても『魔弾の王と戦姫』『天鏡のアルデラミン』がまだ結構な高さで積まれている……他にもいろいろ。私のファンタジー戦記巡りはまだ終わりそうもありません。ファンタジー戦記と言えば『覇剣の皇姫アルティーナ』は続刊が出なくなっちゃって心配ですね。イラストレーターに何かあったみたい(他社のシリーズでも挿絵のない巻があるとか)ですが。

ラノベ「ノーゲーム・ノーライフ」劇場版の制作が決定!(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 劇場版? ってことはまさか6巻をやるのか? 『ノーゲーム・ノーライフ』の6巻はいわゆる「過去編」に当たる内容で、本編より6000年以上も前の時代が舞台となっています。天変地異が日常茶飯事の「大戦」時代を描くとあって、「仮に2期が来ても6巻部分の映像化は難しいだろう」「劇場アニメならまだ可能性はあるかも……」とファンの間で囁かれていたものでした。シャナで言うところの『X Eternal songー遥かなる歌』みたいなもんですからね……あれも映画版を夢想したものでした。マジで今からでも劇場化しないかな、エタソン。さておき、この劇場版がヒットすれば2期の可能性も現実味を帯びてくるかしら。他のラノベアニメもどんどん劇場化して2期へ繋げていってほしい。『六畳間の侵略者!?』とか、やっぱり「青騎士編」(正式なタイトルは「白銀の姫と青き騎士」、原作の7.5巻と8.5巻)はアニメで観たいですよ。ドラマCDだけじゃ物足りない。『魔弾の王と戦姫』は合戦シーンの端折られっぷりが凄かったし、劇場版に望みをかけたいところだが……仮にやるとしてもアスヴァール編だけになっちゃうか。魔弾〜は5巻ごとに区切りがあって、TVシリーズは第一部の終わりまで、つまり第5巻までのエピソードを消化しました。となると次は6巻以降になるわけですが、第二部の内容を劇場アニメ一本に落とし込むのはどう考えても厳しい。なので序盤に当たるアスヴァール編を消化するのがせいぜいかな、と。前後編ならウルス編もギリギリやれるか? ただ、どっちみち第二部はシリーズの中でも盛り上がりに欠けるあたりなんですよね。劇場版向けに新規エピソードを作るのも難しいし、望みは薄そう。『境界線上のホライゾン』は……さて劇場何部作だったら収まるだろうかな。


2016-07-09.

『ラブライブ!サンシャイン!!』の第1話を視聴した焼津です、こんばんは。

 「9人もいっぺんに出すなよ……」とは思ったが、各々のキャラは立ってるし今回も無事に楽しめそうで安心した。でもまだ全員の顔と名前が一致しない(名前もフルでは覚えていない)んですよね。ネタも含めてちょっと確認していきましょうか。

 今回のグループ「Aqours(アクア、綴りは「Aqua」じゃないので注意)」もμ'sと同様にグループ構成は各学年ごと3人の計9名です。まず2年生組。いかにも元気そうな、やや髪が短めの高海千歌(たかみ・ちか)が主人公です。実家が旅館でもろにハノケチェンポジション。廃校の危機とか状況に迫られてではなく、ただμ'sに憧れてスクールアイドルになろうとしている。輝きたい衝動に素直でいる子。「チカ」だけじゃいまいちピンと来ないので、私は勝手に脳内で「チカチーロ」という愛称を付けていますが、この呼び方は他のファンの前では絶対にしない方がいい。ちなみに冒頭でスクールアイドル部の部を「陪」と書き間違えて訂正していたが、あれは彼女がアホの子であることをアピールするのだけが目的ではなく時系列を分かりやすくするための仕掛け(旅館のシーンでは「陪」のままになっている=勧誘よりも前の出来事)でもある。渡辺曜(わたなべ・よう)はチカチ……チカちゃんの友達。海未とことりを合わせたようなポジション。水泳部所属で飛び込みの選手、つまり『DIVE!!』だな。『バッテリー』が来るくらいだからあれもノイタミナあたりでアニメ化されそう。わずか一・四秒の空中演技に青春のすべてを注ぎ込むストイックな競技である。外見は比較的地味めで、最初は「ひょっとしてモブキャラ?」と疑ったが、付き合いの良さで1話時点においてもっとも視聴者に好感を与えたキャラと言え曜。ってな具合に「嬉しいよう」とか「苦しいよう」とか「○○だよう」というセリフに名前を当てはめるネタが横行すると予想。桜内梨子(さくらうち・りこ)、東京からの転校生(サンシャインの舞台は静岡県沼津市)。小さい頃からピアノをやっていて作曲能力もあり、スタア西木野こと真姫ちゃんのポジション。元は音ノ木坂学院の生徒だったが、μ'sやスクールアイドルに関しては疎い模様。彼女との出逢いがなければチカちゃんは夢を諦めていたかもしれず、そのことを考えるとリコちゃんは実質的なヒロインと言っていいのでは? 海の曲のイメージを掴むために4月の海へ飛び込もうとする(しかし下着の替えは用意していたのか、あれ)真面目というか凝り性というか頭の桜が満開な少女であり、善子のリクエストに合わせて厨二要素満載の曲を作ろうと懊悩した挙句「人が死ぬところを見たい」とか言い出して『少女』みたいになりそう。ならないか。

 続いて1年生組。黒澤ルビィ(くろさわ・るびぃ)、かつて網元として有名だった名家・黒澤家の次女。極度の人見知りで、「人前でライブをする」と想像しただけで錯乱する。海未と花陽を合体させたようなポジション。家が厳格だった(厳格なのにネーミングセンスはこれなんだ……)反動もあってアイドルに憧れているそうな。花丸ともども作中でハッキリ「美少女」と認められているキャラ。「ルビィが青くなった!」「サファイアだ!」みたいな遣り取りがありそう。国木田花丸(くにきだ・はなまる)、日本文学をこよなく愛する少女。『文豪ストレイドッグス』が始まりそうな名字だが、それ以上に「ずら」という語尾(鳴き声?)のインパクトが凄まじい。『Rewrite』の小鳥ちゃんと一緒に『銭ゲバ』ならぬ『小銭ゲバ』やるズラ? しかし『Rewrite』と『ReLIFE』が同じクールでやってるとややこしいな……さておき、あまり大きな身長差がないので分かり辛いが、メンバーの中では一番背が低い。152cmなので矢澤にこ(154cm)よりも小さいです。ちなみにルビィがにこと一緒。津島善子(つしま・よしこ)、自称「ヨハネ」。涼野いとが「クロス」と言い張っているような感じ。もはや類型としてスッカリ定着した「自分で作った設定を生身で演じている」タイプのキャラで、俺妹の黒猫やデレマスの蘭子、中恋の六花などの系譜に連なる。いわゆる「中二病(厨二病)キャラ」だ。『AURA〜魔竜院光牙最後の闘い〜』あたりからキャラ造形の一種として普及していったが、もともと実際にこういう振る舞いをする人たちがいたから生まれたのであって、何を源流とするかは難しい。だいたい、ヨハネちゃんみたいなタイプは本人がどうこうというより、周囲がそれをどう受け止めているか、「作品世界においてどういう位置付けにあるのか?」の方が重要です。周囲がまったく理解を示さず、当該少女が自意識を暴走させて厄介事引き起こした結果、逃えげ場を与えない正論に押し潰されていく――みたいな「弾かれるべくして弾かれる凡庸な異端」として描かれれば、阿部共実の漫画みたいになってしまう。ヨハネちゃんの場合は花丸と幼稚園が一緒だったという縁から、普通に「善子ちゃん」と呼ばれていて「堕天使ヨハネ」というキャラは受け流されている。典型的な空転タイプです。1話時点で既にネタキャラと化した感がある。にこと並ぶ弄られ役になりそう。しかし善子ちゃん、ヨハネって英語で言うと「ジョン」だよ……堕天使ジョン。いっそ「賭神ヨシコウ・ジョン」にしないか。タラタータッタラター(『ゴッド・ギャンブラー』勝ち確BGM)。しかし花丸ちゃんの「国木田」のせいで、どうしても津島修治(太宰治の本名)を連想してしまうな。「善子ちゃん、玉川上水の水を飲みに行こう! 文学の味がするずら!」

 最後に3年生組。黒澤ダイヤ(くろさわ・だいや)はルビィの姉で生徒会長。厳格(でもネーミングセンスは……)な家で育ったため、名前に負けず劣らずの堅物に。「硬度10」の異名も取るが、モース硬度は「引っ掻いたときに傷が付きにくい」という尺度であって、実のところダイヤモンドは瞬間的で激しい衝撃に対しては弱い。ダイヤちゃんも会長室の机をぶっ叩いて痛そうに手を押さえていました。そんなことじゃ机壊し(デスクブレイカー)にはなれないよ、ダイヤちゃん! 前作でいうエリーチカこと絢瀬絵里のポジションに就いていることは明白だが、化けの皮剥がれるの早すぎというかもう既にポンコツキャラとしての萌芽が……髪の色や長さがヨシコウちゃんと似ているせいで、引きで見ると一瞬どっちがどっちか区別が付かなくなります。名前もヨハネ以上にキラキラしているし。これは案外、ヨハネをも凌ぐネタキャラと化すかも。松浦果南(まつうら・かなん)、ポニテの子。1話目は休学中とのことでダイバースーツを着た姿のみ。家庭の事情で大変そう、あまんちゅと呼ばれそう、大学に進んだらぐらんぶりそう、というくらいしかわからなかった。あとは名前見て『果南の地』思い出したくらい。ラスト、小原鞠莉(おはら・まり)。金髪ハーフ。出番は一瞬だけだったが、「2年ぶぅりですか」(外国人風発音)とオウオウな謎BGMのおかげで変に印象に残る。この子、家ではたぶん「マリィ」とか呼ばれているだろ。姉は栖華亜列島(嘘)。風と共に去りそう。てな感じで、放送開始前は善子ちゃんに注目していたが、1話終わってみると曜とルビィのふたりが可愛かったな、という感想。善子ちゃんは現状だとただのイタい子なので、次回以降に期待。

小説「ノーゲーム・ノーライフ プラクティカルウォーゲーム」と「ねんどろいど空」がセットになった特装版が発売決定!(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 で、その「プラクティカルウォーゲーム」って何? 新手のスピンオフ? と気になって検索したら、「大戦時のシンク・ニルヴァレンを描いた外伝+円盤特典小説」ということでつまり短編集ですね。シンク・ニルヴァレンはフィール・ニルヴァレン――アニメしか観ていない人に向けて分かりやすく書くとクラミー(CV.井口裕香)に「フィー」と呼ばれていた巨乳エルフ(CV.能登麻美子)――の祖先に当たり、アニメだと出番はなかったが原作の6巻に登場している。「大戦」というのは本編から6000年前に神霊種(オールドデウス)たちが唯一神の座「星杯(スーニアスター)」を巡って争ったクソ長い戦争のことで、アニメだとほとんど語られていなかったはず。いろいろあって(詳しくは原作6巻参照)遊戯の神「テト」が星杯を我が物とし、「十の盟約」を定めた。シンク・ニルヴァレンは6巻だとほんのワンシーンくらいしか出てこなかったが、割と存在感があったので覚えている人も多いはず。一番存在感が強かったのは妖怪首おいてけのあいつですが……特典小説はBDやDVDのブックレットに書き下ろされた6本の短編で、ジブリールが龍精種(ドラゴニア)の王に挑むエピソードがあったけど、確か作者がやる気出し過ぎてストップ掛かったんじゃなかったっけ。あれどうなるんだろ。ノゲラの特典小説は他にもいろいろあるが、そのへんもいずれ収録されるのだろうか。


2016-07-02.

『日本で一番悪い奴ら』観てきた焼津です、こんばんは。

 日本版『ブラック・スキャンダル』であり、一言で要約すると「超豪華なVシネマ」。主に札幌、特に歓楽街「ススキノ」を舞台として悪徳刑事の欲と金にまみれた無軌道極まりない捜査と必然的に待ち受ける破滅を描く。筋立てはまんまVシネ路線なんですが、映像作りが非常に凝っていました。起き抜けに鳴ってる電話を取ろうとして間違えて銃のトリガーを引き賞状入りの額を撃ち抜いてしまう場面など、皮肉と諧謔が綯い交ぜになった演出もいい。濡れ場が入るたびにストーリーが止まるのはちょっとストレスだったけど、シーン自体はそんなに長くないから我慢できる。ソープの子が可愛かった。北海道県警を揺るがせた一大不祥事、通称「稲葉事件」をモデルにした映画で、原作は稲葉本人による告白書『恥さらし』となっているが、タイトルは不祥事発覚翌年に刊行されたノンフィクション『北海道警察 日本で一番悪い奴ら』からですね。道警最大のスキャンダルだけあって問題を追及した関連書籍は多く、札幌の出版社「寿郎社」からも『北海道警察の冷たい夏』が刊行されている(文庫版は講談社)。『笑う警官』(旧題『うたう警官』)から始まる佐々木譲の“道警”シリーズでも稲葉事件ならぬ「郡司事件」としてストーリーに大きな影響を与えている。この映画でも個人名は変えられており、主人公は「稲葉圭昭」ではなく「諸星要一」となっています。

 監督が『凶悪』の白石和彌とあって身構えていましたが、あれに比べると今回は胸糞の悪さが控え目で、多少のバイオレンスはあるけれど胃にズンと来るような衝撃はない。とはいえ諸星の転落ぶりは凄まじいものがあり、「ここまで行かないと破滅できないのか」って唖然とする。26年に渡る刑事生活の中でブレーキを掛けられる転換点は何度もあったはずなのに、結局崖の向こうまでダイブしてしまった。『残念な警察官』で言うところの「腐った果樹園」たる道警が丁寧着実に地獄までの道を舗装していった感覚がある。「充分に発達した警察組織は、暴力団と見分けが付かない」というアーサー・C・クラークの第三法則(違う)を思い出した。道警に関しては裏金疑惑を追及中だった北海道新聞と裏交渉し、映画の後半で描かれた「泳がせ捜査の失敗」報道を「捏造記事」として潰そうとした後日談もある(『真実 新聞が警察に跪いた日』に詳しい)。これも映画が一本作れるレベルだから、道警はネタの宝庫だ。

【速報】 ラノベ「終末なにしてますか 忙しいですか 救ってもらっていいですか」のアニメ化企画進行中! 打ち切り作品がついにアニメ化!!(まとレーベル@ラノベ新刊情報サイト)

 そのとき 焼津の 心臓が止まった。ほんの数日前に「あれがアニメ化したら驚愕のあまり心臓止まりそう」と書いたけど、まさかこんなに早く伏線を回収することになるとは思わなかった。いやー、マジでビックリ。惜しまれつつも決してアニメ化されないポジションのシリーズだと思っていました。まず作者の枯野瑛についてザッと書いておこうか。枯野瑛(かれの・あきら)は2002年に『Wind』のノベライズでデビュー。つまり、よくいる「ノベライズから出発して徐々にオリジナルも書くようになった」タイプの作家です。『Wind』は当時『ほしのこえ』で話題になっていた新海誠がOP映像を手掛けたことでエロゲーマーたちの度肝を抜いたソフトなんですが、今だと知らない人も多いのかな……みなもちゃんの長ゼリフ、通称「問い詰め」も有名でした。アニメ版もあるらしいが、そちらはよく知らない。ゲームのノベライズは概ね原作とかけ離れた雰囲気になってしまい手に取ったファンがガッカリするというのが相場なんですけれど、『Wind』に関しては異例なほど評判が高かった。「原作以上に原作の雰囲気が表現されている」という謎めいた評価まで下される始末。その後、枯野はノベライズや企画物を中心にしつつもポツリポツリとオリジナル作品を単発で手掛けるようになった。ライトノベル読者から認知されるようになったキッカケは2006年の『銀月のソルトレージュ』(全5巻)。異世界だけど銃や車が一般化する程度には文明が発達している世界で、不死者(レヴナント)と呼ばれる魔法使いたちの闘争に巻き込まれていく――というファンタジー。文体は柔らかめながら内容は割とシリアス。バトルそのものはやや盛り上がりに欠けるけど、ドライブ感のあるストーリーで読者を引き込む作品でした。3巻が出た頃にとらのあなで特集が組まれたこともあったし、読んだ人の間では評価が高かったんですが、スロースターターだったせいもあってか限られた範囲にしか広まらず。2巻の帯がひどくて別の意味で話題になったりしましたけどね……確か「アリスむっちゃかわいい〜激萌萌(はあと)」だったっけ。作風と全然マッチしていなくて笑うに笑えなかった。ちなみにイラストレーターは得能正太郎で、もうすぐアニメが放送される『NEW GAME!』(「今日も一日がんばるぞい!」がやけに流行ったアレ)の原作者です。

 ソルトレージュの最終巻が発売されたのは2008年4月。以後、新作が出るという話もなく月日は流れ、枯野瑛の「瑛」は何と読むんだったかな? と記憶が薄れかかっていた2014年10月、まさかの新作が発売されます。それこそが「すかすか」こと『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』。実に6年半ぶりの復活劇でした。当初から人気があって売れまくり……だったわけではなく、むしろ販売不振で2巻目にして早くも打ち切りが決まってしまった。しかしネット上での人気が根強く、ファンが熱心に情報を発信し続けた結果じわじわと売れてなんと「打ち切り」の判断も撤回されることになった。シリーズは一旦5巻で区切りが付き、現在は続編『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』を展開中です。奇跡的に打ち切りを回避した作品が奇跡的にアニメ化を果たす、言わば二重奇跡を成し遂げた作品ですが、じゃあアニメに期待しているのかと問われると……そもそもアニメ化に向いてるとは言い難い。ベースとなっているのは人類がいて亜人がいてモンスターがいて魔王や勇者がいて魔法や聖剣がある、RPGっぽい中世ヨーロッパ風ファンタジーだが、500年ほど前「十七種の獣」と呼ばれる侵略者たちに蹂躙されて地上に住むことのできなくなった人々が天高く漂う百以上の島から成る浮遊大陸群へ逃れることになった――という設定が背景に敷かれており、「500年前に何があったのか?」を興味の一つにしつつ、とっくに人類が滅んでしまった世界で「もういるはずのない人間」と「人間のような妖精たち」が終末的な獣どもに立ち向かっていくことになります。さすがに『ばいばい、アース』ほど濃密ではないが、細かい設定が多くて「文章でさりげなく書いてある箇所」までキチンと表現するとなると非常に体力が要る作品です。「浮遊島にはそれぞれ番号が振られていて数が大きいほど外縁近く、つまり辺境に位置する」みたいな設定も、アニメでわかりやすく映す場合は「百以上」とされる島群の位置関係を図に起こさないといけない。また、内容的にも「バトルが売り」とは言いにくく、戦闘の前後こそが肝心となっている。明らかに「喚起された読者のイメージ」に依拠するシリーズであって、「映像化を前提に練った企画」ではありません。それにKADOKAWAお得意の「全10話+OVA」形式だと、ストーリーもかなり端折られそう。1話でいきなりクトリと手合わせする(原作だと190ページ〜200ページあたりのイベント)なんてこともないとは言い切れない。アニメの出来はスタジオがどこにかもよるけど、「概ね予算が乏しい」と噂されるKADOKAWA系だけに不安が募る。これで『空戦魔導士候補生の教官』クラスの奴が来たらファンは1巻表紙クトリをも凌ぐ勢いで涙に暮れるか、鶯賛崩疾でスタッフに飛び掛かるかだぞ……「KADOKAWなにしてくれますか? やる気ないですか? 作り直してもらっていいですか?」。

 スニーカーと言えば林トモアキの新刊も出ましたけど、「累計160万部突破の天界クロニクル最前線!!」と書いてあってビックリした。「えっ、トモアキサーガのシリーズ名って“天界クロニクル”だったの?」っていう。ここ2年くらいのは積んでいるから知らなかった。それはそれとして160万部か。スニーカー文庫から出ているトモアキ作品はほぼすべてこの“天界クロニクル”に属する(『現役プロ美少女ライトノベル作家が教える! ライトノベルを読むのは楽しいけど、書いてみるともっと楽しいかもよ!?』は例外)ので、最新刊含めて39冊……1冊あたり41000部か。非アニメ化シリーズにしては多い方だけど、やはり200万部突破したこのすばに比べるとインパクトは弱い。巻数が多いだけに一部ブレイクしたら全体の売上が鰻登りになるだろうから、冗談抜きでスニーカーは“天界クロニクル”映像化に向けて動き出している可能性があるな。これで「『ばいおれんす☆まじかる!』アニメ化!」とか来たら笑い死ぬ。

Waffle人気シリーズ最新作「巨乳ファンタジー外伝2after オスタシアの野望」の公式サイトがOPEN!主人公はリュート!新ヒロインも登場!(ニュー速VIPブログ(`・ω・´))

 すっかりWaffleの看板タイトルと化した感がある『巨乳ファンタジー』シリーズの新作。作品数が多くなって「外伝2after」と言われても何のことだかわからないって人もいそうだから解説しましょう。シリーズは2009年発売の『巨乳ファンタジー』から始まる。ライターは鏡裕之。先に書いておきますが、シリーズのシナリオは一貫してこの鏡裕之が執筆している。キャリア20年を誇るベテランであり、2003年の『MILKジャンキー』あたりから「巨乳モノ御用達ライター」と認知されるようになっていった。その流れとして『巨乳ファンタジー』の仕事が回ってきた、というわけです。かつては「ミラーマン」と呼ばれ、「書き慣れているおかげかテキストは読みやすいけど、内容が特に面白いわけでもエロいわけでもない」と辛辣な評価を下されていた鏡裕之ですが、この企画の担い手としてはハマり役だった。成績最下位のまま騎士学校を卒業した落ちこぼれ騎士「リュート」が巨乳のヒロインたちとセックスしながら成り上がっていくファンタジー版島耕作といった趣の立身出世ストーリーで、シンプルと言えばシンプルだが無駄のない構成が気持ち良い。鏡作品としてはかつてないほどの面白さであり、それに見合うだけの高評価も得た。かくして彼をメインスタッフとする“巨乳”シリーズの継続が決まります。Waffleは当たった企画をシリーズ化させてひたすら続編を作りまくるというスタイルのブランドであり、“巨乳”シリーズ以前はレイプ魔「毒島音露」を中心とする“接待”シリーズがブランドの柱となっていた。

 なぜ先ほど「“巨乳ファンタジー”シリーズ」ではなく「“巨乳”シリーズ」と表記したのかと申しますと、『巨乳ファンタジー』発売の翌年、2010年にリリースされたシリーズ第2弾『巨乳魔女』が現代を舞台とした話に変わっていたからです。一応作中の世界は共通していて「『巨乳ファンタジー』の数百年後」という設定になっていますが、当たり前のように物語は様変わりしている。ユーザー受けがいまいちだったため、これ以降は現代舞台の“巨乳”シリーズは作られておりません。翌2011年の『巨乳ファンタジー外伝』でまた「西洋風の異世界で主人公が成り上がる」路線に回帰し、シリーズのフォーマットとなっていく。だいたい年1本のペースで制作されることになりますが、ややこしくなるのはここらへんから。2012年に発売された『巨乳ファンタジー2』はシリーズ初のナンバリングタイトルながら時代は無印以前、およそ150年も昔に遡っている。むしろ『巨乳ファンタジー0』と言っていい内容だ。『巨乳ファンタジー外伝』が無印の後日談みたいな内容で主人公は引き続きリュートだったから、こっちの方を2と呼んだ方がしっくり来る。リュートは1作目の主人公ということもあって人気があり、2013年の『巨乳ファンタジー外伝2』でも続投している。今回出る『巨乳ファンタジー外伝2 after オスタシアの野望』は「リュート3部作完結編」とされたこの外伝2の更なる後日談なのだ。

 (巨乳シリーズ) 01.『巨乳ファンタジー』(2009)→02.『巨乳魔女』(2010)→03.『巨乳ファンタジー外伝』(2011)→04.『巨乳ファンタジー2』(2012)→05.『巨乳ファンタジー外伝2』(2013)→06.『巨乳ファンタジー2 if』(2014)→07.『巨乳ファンタジー デジタルノベライズ版』(2015)→08.『巨乳ファンタジー3』(2015)→09.『巨乳ファンタジー外伝2 after オスタシアの野望』(2016) ※赤字がリュート主人公

 こんな感じ。こうして一覧にすると、リュート物と非リュート物が交互に出てることがよくわかるな。6作目の『巨乳ファンタジー2 if』と7作目の『巨乳ファンタジー デジタルノベライズ版』については少し説明が必要だろう。“巨乳”シリーズはすべてノベライズ版が刊行されており、これに関しても鏡裕之が執筆を担当している。大筋はゲーム版と一緒だが、設定やストーリーが小説向きに一部変更されている。たとえば、『巨乳ファンタジー2』の主人公「ルイン」は当初の設定だと「全教科最下位」だったが、小説版では「口が達者で『弁舌』という部門だけはトップ」という設定に変わっていた。この変更点をゲーム版に逆輸入したのが『2 if』で、主人公はルインのまま新ヒロイン2名が追加され、上位互換めいた仕様となっています。『巨乳ファンタジー デジタルノベライズ版』は小説版の内容をそのままゲーム仕立てにしたもので、『巨乳ファンタジー(上・下)』『巨乳ファンタジー外伝(上・下)』『巨乳ファンタジー外伝2(上・下)』の「リュート3部作」6冊分が一気に収録されている。実はこれ以前にも小説版『巨乳ファンタジー2(魔乳辺境・貴乳争乱篇)』のデジタルノベライズ版が作られていますが、ゲーム版『巨乳ファンタジー2 if』のオフィシャル通販特典として配られただけで、一般販売はされなかった。2 ifのデジタルノベライズ版も同様に『巨乳ファンタジー デジタルノベライズ版』のオフィシャル通販特典という扱い。2と2 ifのデジタルノベライズ版は去年末頃にオフィシャル通販限定で単品発売され、この記事を書いている時点ではまだ在庫があるみたいでしたが、「一度限りの数量限定生産」とのことだから捌けたらそれでオシマイでしょうね。

 現時点での最新作『巨乳ファンタジー3』は設定を根幹から刷新したもので、舞台となる世界自体が1や2とは異なる。これまでと違って既存ソフトと話の繋がりは一切なく、完全に独立した内容となっています。ドラクエで言うと4みたいな位置づけ。ノベライズ版は既に刊行中だが、デジタルノベライズ版はまだです。長々と書き綴ってしまったが、巨乳ファンタジーはフォーマットが完成しているシリーズなのでぶっちゃけどこからプレーしても大丈夫である。『巨乳ファンタジー』から『巨乳ファンタジー2 if』までは「破格版」と称する廉価版が出ているのでお求めやすいと思います。新しい方がいい、という方は『巨乳ファンタジー2 if』や『巨乳ファンタジー3』がいいかも。『巨乳ファンタジー』なんて古いからワイド画面じゃないですもんね。調べたら『巨乳魔女』以降はワイドな模様。『外伝2 after』をやってみたい、という方は『巨乳ファンタジー デジタルノベライズ版』で大まかなストーリーを押さえておけばOK。今なら破格版もあるし、あるいはゲーム版リュート3部作(リストの01と03と05)をまとめ買いしてもそんなに高くはつかないです。

 まとめ。今度出る『巨乳ファンタジー外伝2 after オスタシアの野望』は“巨乳”シリーズ通算10本目(一般販売されていない2や2 ifのデジタルノベライズを含めると12本目)のソフトですが、リュートを主人公に据えたシリーズとしては5本目(デジタルノベライズ版を勘案しなければ4本目)。滅茶苦茶ハマった、全バージョンコンプしたい、って場合以外はゲーム版3作(無印・外伝・外伝2)かデジタルノベライズ版かのどちらかをプレーすれば余裕で追いつくことができます。こまごまとしたDLCが多く、極めようとすれば茨の道は必至なので肩の力を抜いていきましょう。さすがにこんだけ続いていれば「マンネリ」と批判する声も当然出てきますし、だんだんシリーズ作品としての刺激や新鮮味が乏しくなってきていることは確かですが、程好いバカさ加減と底抜けの楽しさを保ったシリーズとして末永く継続していってほしい気持ちもある。差し当たって『外伝2 after』が楽しみだ。

・ならばの『大上さんとケルベロスゥ!(1)』読んだ。

 タイトルに「ゥ」が付くのはスラング的なニュアンスを付加しているからではなく、「ケル」「ベロ」「スゥ」の三つ子がメインキャラを務めるからであり、つまり「ベムベラベロ!」のようなもんであります。由来はもちろん地獄の番犬ケルベロス。大上(おおがみ)さんという、ぶっちゃけ渋谷凛みたいなクール系の女子と三つ子姉妹の掛け合いを軸にした4コマ漫画であり、百合と言えば百合なんだが……三姉妹全員が大上さんに対して恋愛感情を有しているわけでもなく、感覚的には「百合要素を含んだゆるゆる学園コメディ」だ。絵柄はなもりっぽいし、『ゆるゆり』が好きな人だったらすんなり馴染めるであろう。

 「耳人(みみびと)」と呼ばれる獣の耳と尻尾を持った獣人(?)が存在するちょっとパラレルな世界が舞台だけれど、「耳人とはいったい何なのか?」という生物学的なアプローチは一切なく、「社会における耳人の位置づけとは?」みたいな設定もすごくあやふやで、概ね「単なる外見的特徴の一つ」程度で片付けられています。設定面に引っ掛かってモヤモヤするものを感じる方もおられるやもしれませんが、そのときは『セントールの悩み』でも読んでモヤモヤを晴らしましょう。絵は可愛いし、ちゃんと毎回オチがつくし、設定さえ気にしなければオーソドックスな4コマ漫画として楽しめるんですが、如何せん「ただの人間と耳人との関わり」が不明確ですからね。大上さんとの恋愛に種族の壁が障害となるのかならないのか、それすらハッキリしません。百合だから直接関係してこないけど、異種交配可能なのかどうかは心底気になる。とにかく「難しいこと抜きでゆるーく行こうぜ!」ってノリなので、そこを受け入れられないと厳しいかも。

 さておき、内容紹介を続けましょう。前述した通り、メインキャラは「ケル」「ベロ」「スゥ」の三つ子。ケルはさばさばした性格のスポーツ少女で、バスケ部に所属している。みんなをまとめる苦労性ポジシション、『ゆるゆり』で言うところの船見結衣です。ベロは元気いっぱいだけど大雑把、考えなしに行動するタイプ。『ゆるゆり』で喩えるなら「歳納京子と大室櫻子を足して割った感じ」か。スゥは引っ込み思案で恥ずかしがり屋、大上さんのことが好きなんだけど意識しすぎて近寄ることもままならない。そんな焦れったい妹を焚き付けるべく、ベロがスゥのふりをして大上さんに告白する――といったふうに物語が始まります。大上さんに友達以上の想いを寄せているのはスゥだけで、ケルとベロのふたりは普通に友達感覚で接してくる。一応、「ケルは私の嫁」と言い張るクラスの子や危なっかしいロを気に掛けている風紀委員のシャムちゃんなど百合ん百合んな空気に発展しそうなキャラは何人か配置されていますが、そのへんは完全にサブで出番もほとんどない。特にシャムちゃん、読み終えた頃には丸っきり存在を失念していました。1話あたり8ページくらいで13話収録していますが、シャムちゃん出てくるのって第2話だけ……サブキャラが多い割にほとんどのエピソードはメインキャラで回していて配分が偏っている気もするが、「不必要にサブが目立ってメインの存在感が薄くなる」みたいなパターンよりはいいか。

 あと、三つ子なので姉妹の外見は割と似通っています。特にケルとベロはどっちがどっちかわからなくなって混乱することがたまにありますね。さばさばした体育会系と大雑把な元気っ娘で、性格的にも若干被っていますし。ビジュアル的に見分けるコツは服装と後ろ髪のハネ具合。後ろ髪が外に跳ねていてほんのりボサボサ感のある方がケルです。ベロとスゥは髪型が似ているけど、表情と耳(スゥは垂れ耳というか伏せ耳)で直感的に見分けられるから楽。究極的には髪留めで判別できます。本人から見て左側に髪留めを付けているのがケル、右側がスゥ、ベロは付けない。ただ1話目ではベロやケルがスゥに成りすまスゥため髪留めを右側に付けています(18ページ左参照)し、プール回では全員外している。やはり表情と髪型で見分けた方が手っ取り早い。

 まとめ。「耳人」にまつわる設定が不明瞭など細かい部分で気になるところはあったが、そういう箇所に目を瞑れば充分楽しめる仕上がりであった。「女の子が可愛い」「オチがつく」、やはりこの二点は重要だと再確認しました。メインでは大上さん、サブではサキ様親衛隊の二つ結びの2年生が気に入った。二つ結びの2年生(名前不明)は「クール系どストライク」らしいので、話の転がり方次第ではスゥちゃんのライバルになる可能性も……それとサブを通り越してモブだけど、15ページ左に出てくる幼稚園(保育園?)の頃から大上さんのことを気に掛けているサイドテールの子もいい。マジで本編に絡んで来ないかな、この子。

・拍手レス。

 >あれがアニメ化したら驚愕のあまり心臓止まりそう  アニメ企画始まってますよー。
 本当に「まさか……」って感じでした。打ち切りの決定を覆しただけでも奇跡だったのに。


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