2008年11月分


・本
 『日と月と刀(上・下)』/丸山健二(文藝春秋)
 『ちはやふる(2)』/末次由紀(講談社)
 『ラズベリーフィールドの魔女(1)』/宮城とおこ(角川書店)
 『貧乏神が!(1)』/助野嘉昭(集英社)
 『黒い太陽』『女王蘭』/新堂冬樹(祥伝社)
 『ツマヌダ格闘街(1〜4)』/上山道郎(少年画報社)
 『ジョーカー・ゲーム』/柳広司(角川書店)
 『聖域』『生還』/大倉崇裕(東京創元社、山と渓谷社)
 『告白』/湊かなえ(双葉社)

・ゲーム
 『コンチェルトノート』体験版(あっぷりけ)
 『漆黒のシャルノス』体験版(ライアーソフト)


2008-11-28.

・今月初めに「多少圧縮して巻数を減らしてくれるといいなぁ……」と漏らした文庫版『孤拳伝』を確認したら本当に圧縮されていて、「我が祈り天に通ず!」と快哉を叫んだ焼津です、こんばんは。

 文庫版の1巻は新書版の1巻と2巻を合本したとのことで、「それにしちゃあ、やけに薄いな」と首を傾げつつページめくったらビックラこいた。魂消た。なんと文庫本なのに上下二段組ですよ。前例はないでもないけど、ブレイクを果たし、まさしく今が旬という作家に「私にとっての一里塚」とまで言わしめる作品をこんなふうにするとは……元が11冊のところを文庫版は全4巻に収めるそうで、経済的にはとても助かります。ただ、ギュウギュウに詰め込んでるんで正直ちょっと読みづらい。気のせいか活字も小さくなっているような……そこが悩ましいところです。確か『黎明に叛くもの』も、二段組でこそないもののページの端ギリギリまで印字してあってえらく窮屈な感じになっていた記憶があります。中央公論新社ってなにげにギュウ詰め精神旺盛なのかしら。

・湊かなえの『告白』読了。

 町田康の同題書籍が念頭にあったせいで「『告白』って小説がすごいらしい」という噂を聞いてもしばらく勘違いしたまま過ごしておりましたが、ある日に掲載された新聞広告を見てようやく別作品であるとの理解が脳に染み渡りました。それから数日後、書店の平台で目にした折のこと。まだ買う気があったわけではなく、単に「話題作ならとりあえず触ってみようか」という程度の軽い気持ちで手を伸ばし、パラリと冒頭をめくった途端――ひとつのインスピレーションが風となって胴を吹き抜けていった。言わば「・・・チガウ・・・今までの本とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルな感覚がアタシのカラダを駆け巡った・・」的なアレです。指先から静電気の如くピリピリと伝わってくるものがあり、財布の中の残金も確認せず甘く微かな痺れに酔い、霊髄を回しながらレジへ即座に持っていきました。

 湊かなえは本書でデビューとなるまったくの新人です。『告白』冒頭に収録されている「第一章 聖職者」を雑誌“小説推理”の新人賞に応募し受賞、つづく第二章と第三章も“小説推理”に掲載して、残りの章すべてを書き下ろしとして加えることで一冊の本に仕立て上げています。経緯が経緯だけに、冒頭一章だけでも独立した短編として読むことができます。が、章を重ねるごとに事件の輪郭がより鮮明になってくるという連作形式の強みを活かした構成でストーリーを紡いでおり、読めば読むほど引きずり込まれていく底なし沼じみた魅力が大口を開けて待ち受けています。

 幼い娘の死を契機として退職する決意を固めた中学校の女性教諭、彼女の独談による「第一章 聖職者」。終業式の日、教室を舞台に淡々としたテンポで綴られるこの章は「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺された」という言葉とともに雰囲気が変転し、重苦しくもどこか底が抜けたような空虚極まりないムードでひたひたと終局に向かっていく。これだけでも充分に圧倒されましたが、「第二章 殉教者」や「第三章 慈愛者」など、続編となる章を読むにつれてページをめくる手がしっとり汗ばみつつも止まらなくなった。一つの事件が湖面に投げ込まれた石となって様々な波紋を広げ、いくつかの新たな事件を誘発する――というのが大まかな構図で、「一つの事件=幼い少女の死」をあらゆる角度から追っていくうえで多少重複する箇所が生じており、若干くどい印象はありますがダレるほどではない。重複よりも、物語と物語が合流することで増す勢いの方が目を引く。間然するところなき緊張感を保ったまま、群れ成す物語は「真の終局」へと突き進みます。出色のサスペンスと謳っていいクオリティでしょう、これは。

 章ごとに視点人物が切り替わる、という叙述の手法自体は斬新でも何でもないが、それを意識的かつ効果的に使いこなしている点については舌を巻く。一言でまとめてしまえば、「人は見たいものしか見ない」という「主観」を描く以上避けられない命題を、避けるどころか真っ向から迎え撃たんと徹底的に見据え、ここぞというタイミングに筆の芯で捉えている。語り手たちは皆、明確な偏向を抱えたまま言葉を垂れ流しており、章と章を読み比べることで「偏りの差」が見えてきます。「藪の中」みたいなハッキリとした矛盾は発生しませんが、個々の情報に対する感情の働きや、何が重要で何が重要でないかを判断する口ぶりから、誰もが狭窄した視野の中で生き、己の世界から一歩も出ることができない息苦しさが伝わってくる。胸に蟠る想いを吐き出すかのように「告白」を行って、ますます傾いて偏った自我の内に閉塞されていく。「藪の外」には出たくない、だが「藪の中」にはいられない。かくして語り手たちは「藪の境目」に身を置き、不安げに外を向いて、あるいは一心不乱に中を見つめながら、結局どちらにも赴かず「自分の定位置」に佇み続けるのです。単に「辛い孤独」とか、単に「分かり合えないもどかしさ」とかではなく、「自分という場所から動けない」、語り手たるの宿痾を振り撒いて読み手たるの呪縛を振り払えぬ我々の、その肝を存分に冷やしてくれます。

 失われたものは取り戻せない。復讐には意味がない。どんなに費やしたって癒されないものもある。「死を贖うこと」をテーマとするうえで従来欠かせなかったこれら諸要素をあっさり認めて、なのに跨いで通ってみせる。いっそふてぶてしいほど、省みない。喩えるならば威風堂々たる冷血漢。「罪と罰」云々といった通り一遍の腑抜けた感想などぬかせばたちまち門前払いを仕掛けかねない気迫が静かに漲っている連作長編です。心優しくも心強くもない、心厳しく心弱き人々の足掻きが強烈ではあるものの、前景となる喪失感の描写が「浅い」と思えるくらい希薄なのが却って印象深かった。仰々しく書き立てられないせいで、逆に錐の鋭さを有した痛みがたびたび襲ってきます。書店で手に取った際に感じた指先の電流は、これの予兆だったのだろうか。まさにスピリチュアルな感覚。

・拍手レス。

 恋楯のレビューを楽しみにしております。しかし、良移植でホント良かった
 まずはどこかで隠れんぼしているPS2本体を見つけないと……。

 焼津さんならきっと買ってくれたはず http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1193081.html
 この不協和音感は『終ノ空』に通ずるものがありますな。

 来月で、あの怒りの日から1年…
 「Holocaust」や「Deus Vult」がまるで昨日のことみたく鮮明に脳裏に響き渡る。

 シャルノスは「娘を見守るパパの気分になりたいのなら当たり」との評判で。まったくライアーらしいというか何というか…
 それにしてもシャルノスのデモムービー見てると発作的にダンシングクレイジーズを思い出してしまう……。


2008-11-25.

・我慢は体に良くない、と自分に言い聞かせてポチった『恋する乙女と守護の楯〜-The shield of AIGIS-』が本日到着。まこと意志の惰弱な焼津です、こんばんは。

 CS移植ソフトとしてはアタリに属す出来らしく、結構評判宜しいみたいですね。しかし注文した日は発売日前なのになんで今頃になって届いたかと申しますと、konozamaを喰らったから……ではなく発売日の遅い予約商品(本)と一緒に注文しちゃったせいです。別に「もし評判が悪かったらキャンセルできるように手を打とう」と思ったからではなく、単に受け取る荷物の個数を減らしたかったからで……って、なんで言い訳がましく弁解しているのだろうか自分は。ともあれネット通販は便利ですけど、宅配業者からの受け取りが微妙にネックですよね。「そろそろ来る頃合だな」という時間帯に差し掛かると、外出はおろかトイレに行くことさえ控えてしまう。届くまでソワソワしながら待っているあの宙ぶらりんな感じ、決して嫌いではないんですが……物欲に飽かして予約注文ばっかり繰り返していると、荷物の着弾するタイミングがバラついてしまって連日サスペンスフル・タイムを味わうハメになりかねない。要注意だ。つまり、どう見ても自業自得なんですが。

 あと、宅配業者が訪問しない日に欲求不満を覚えたり、あるいはむしろ安息感を噛み締めるようになったりしたら、それはもう完全に通販依存症です。因みに「通販依存症」でぐぐったら佐々木譲の日記が引っ掛かって噴いた。

チキンラーメンの最高に美味い食い方(特設ニュースちゃんねる)

 麺が半分漬かる程度お湯を注いでから引っくり返し、またお湯を注いで軽くほぐした後にもっぺん引っくり返して即座に食べる。ふやけてしまったら終わりなのでとにかく急ぐ。やっぱチキンラーメンは硬さが残っているうちじゃないとダメです、個人的には。おかげで急ぎすぎて噎せたりすることもありますが……噎せた勢いでチキラが鼻腔を遡流したことも。It's a solution.

お前らの好きなエロゲ-ライター四天王を教えて下さいよ(アルファルファモザイク)

 まず虚淵御大は筆頭なので外せないとして、あとの3人は田中ロミオ、奈須きのこ、星空めてお、王雀孫、鋼屋ジン、大槻涼樹、藤崎竜太あたりから選ぶことになりそうかな。奈良原一鉄も『村正(仮)』の出来次第では食い込んできそう。瀬戸口廉也も挙げたいところだけど既に引退済だし、蓮海もぐらや山田おろちは「現役のライターかどうか」で見ると迷うところ。そして正田崇とトノイケダイスケは……判断保留と致したい。SCA-自に関しては『陰と影』、荒川工に関しては『はるはろ!』を完成させてからでないと検討できません。

 ただ、同じライターでもアタリハズレはあるし、すごく好きなシナリオを書いた人の手掛ける新作であってもコンセプトによってはまったく興味が湧かないこともありますので、四天王やら十傑集の選出ってあんまり意味ない気がするんですよね。たとえば『アトラク=ナクア』なんか「好きなエロゲー5本挙げろ」と言われたら確実に選ぶであろうソフトながら、ライターであるふみゃ自身の活動にはさほど注目しておりませんし……小説にしても近頃は「好きな作品」を列挙できても「好きな作家」を考えるのは難しくなってきました。読めば読むほど「内容が好き」なのか「作風が好き」なのか、両者の違いを見極めがたくなってくる始末です。

・大倉崇裕の『聖域』『生還』読了。

 山岳を舞台に据えた長編ミステリおよび連作ミステリです。一部のキャラクターが共通して登場しますが、内容自体は独立しているので「両方読まなきゃダメ」ということはなく、個別に堪能しても一向に問題ありません。作者の大倉崇裕は落語好きの推理作家で、「三人目の幽霊」という短編で賞を受賞してデビューしましたが、個人的にはその前に応募されて最終候補に残った「崩壊する喫茶店」という短編のタイトルが印象強くて未だに忘れられません。両作ともに『三人目の幽霊』に収録されています。『七度狐』なる上方落語の演目をそのまま題名に使った小説もあるくらいで、「大学生の頃はきっとオチケン(落語研究会)に所属していたんだろうな」と信じて疑いませんでした。だって『オチケン!』って本も出してるし。そしたらなんと山岳系の同好会に所属していたってんだから驚いた、たまげた。『聖域』は執筆十年を費やした力作だそうで、山への想いは如何ばかりかと察するにつれ気が遠くなります。

 今後著者の代表作として掲げられる運命が確定している長編『聖域』は、短いプロローグを挟んだのち、主人公が大学時代の「目標」であった親友と連れ立って久々に山へ行くシーンから幕を上げる。後日、その親友が滑落したという情報が入り、主人公は衝撃を受ける。マッキンリーを征した経験すらある男が、国内の、それもさほど難易度が高くない岳で滑落したのか。山には危険が付きもの、誰だって事故に遭遇することはある。しかし、だからと言って……考え、調べを進めるうち、滑落がただの事故ではなく何者かの故意によるもの、即ち「殺人」であるという疑いを深めていく主人公。彼は謎を解き明かすため、離れたはずの山とふたたび向き合うことになる……。山岳モノのお約束たる「山で死んだ恋人」と「自分のミスによって引き起こされた死」がダブルで(と言っても「山で死んだ恋人」=「自分のミスによって引き起こされた死」ではなく、それぞれが独立したエピソード)盛り込まれた、ある意味ベタベタなストーリーです。しかし、この場合の「恋人」は「滑落した親友」の恋人であって、主人公自身のロマンスが一切挟まれないあたりやや異色か。「自分のミスによって引き起こされた死」は主人公本人の体験であり、悪夢となって主人公を煩悶の淵に追いやる。

 山岳モノということで『孤高の人』(漫画版)『岳』を思い浮かべながら読んだ。実のところ当方自身は山嫌いで、遠足なんかで山を登らされるたびにイヤな思いをした(おかげで「山は登りよりも下りがキツい」を実感として受け止めることもできるのだが)し、どうしても「登山」に「遭難」というイメージが付きまとって「なぜ危険を冒してまで山に行くんだろう、えっ? 趣味? 生き甲斐? ハァ、数奇にもほどがあるよ……」と呆れる気持ちが抜け切れない根っからのインドア志向者であり、正直に申せば主人公たちの熱情にはあまり感情移入できなかった。しかし、たかだか山ごときにここまで熱くなれて、暗い過去を踏み越えてまで山へ山へと向かう彼らの一途さが、傍から読んでいて不思議と羨ましくもあった。終盤に差し掛かってからの展開はちょっと肌に合わなかったものの、「自分とは縁のない世界を想うこと」の面白さを少しだけ味わわせてもらった。

 『生還』は遭難者の救助および山岳で発生した不審な事件の捜査に取り組む「山岳捜査官」を軸とする連作短編集で、表題作含む4編を収録している。『聖域』に登場した松山という人物がこちらでも顔を見せますが、関連を知らなくてもまったく支障はありません。滑落し、まるでダイイング・メッセージのような奇妙極まりない痕跡を残して死亡した女性の謎を追う「生還」、落石事故のようでいて故意の傷害にも見える事件を捜査する「誤解」、山に入ったかどうかも分からない行方不明者の捜索を巡って対立する「捜索」、そして書き下ろしの「英雄」。どれもミステリとしては地味で、大胆奇抜なトリックや論理のアクロバットを求めて読めば肩透かしを食うかもしれない。地道に捜査して情報を集め、真相を構築し事態を解き明かしていく警察小説的なノリが好きな人なら楽しめるでしょう。個人的には『聖域』よりも『生還』の諸作が気に入りました。斬新さは欠くにせよ、一つ一つ幕切れのワンシーンが印象的で、「山の世界」というイメージをくっきり写し取ってくれる。山だ何だと言っても、根本にあるのはあくまで素朴な人間関係です。

 巷での評判はたぶん『聖域』の方が上でしょう。「執筆十年」は伊達じゃなく、全編に力が漲っていて、かつ硬さがなく読みやすい。何事も時間掛ければイイってもんじゃありませんが、時間を掛けることで生まれる価値も何かしらあるものです。けどやっぱり、オススメするとしたら『生還』の方かな。是非ともシリーズ化を希望したいところ。そういえば上述した『孤高の人』、最近新刊(4巻)が出ましたけど、新展開を迎えてかなり面白くなっています。山に懸ける情念は無論のことながら、ヒロインのビッチ化も凄まじくて度肝を抜かれた。

・拍手レス。

 本で9000円ってそんな高かったっけ…?と一瞬思ってしまった自分ガイル。
 専門書や学術書、そして稀覯本とかになると青天井の世界ですからねぇ。

 シャルノス面白かったですよ。インガノックをダークにした感じで。
 インガノックのことがあって尻込みしていましたが、まずはシャルノス方面から攻めてみようかしら。

 ドラエさんは良いですよね。上山先生の日記絵であれが初出した時はどうしようかと思いましたが。
 最初は割と拒否反応が出たのに、いつの間にかすんなり馴染んでいるドラエ・マジック。

 漆黒のシャルノス、面白かったです。いろんな意味でハアハアしまくりでした。
 体験版ではモラン大佐にハアハアしました。あと追われているときのメアリの表情がエロい。

 沃野、友人が本の形にしてくれました。イラストどおり完全再現ですよ
 おお、まさしく世界で一冊しかない本ですね、それは……げに光栄。

 アニメイトに普通においてあったのでソリッドファイター購入しました。みんな大好きな鈍器です。
 住んでいるところがアニメイトのない県で涙目。

 絵は良いけど眼が露骨すぎると思います
 『Like a Butler』のことかな? 確かに瀬之本久史は眼の描き方にちょい癖がありますね。


2008-11-22.

・本日のトリビア。フルプライスのエロゲーと同じ価格の本が存在する。読んだのはだいぶ前だけどふと思い出した焼津です、こんばんは。「遠近法」と「破壊王」四部作、掌編では「傳説」が好きでした。

AXL、新作『Like a Butler』の紹介ページを公開

 またお嬢様学園か……「Butler」というだけあって今回は主人公が執事を務める模様です。しかし、力点となるのは執事云々よりも「セレブの中に放り込まれた庶民」って要素のところかな。なんとなく『プリンセスラバー!』を連想させる。とりあえず、体験版が出るまでは待ち姿勢で臨む所存。

アニメキャラで中の人が同じでビックリしたの挙げてけ(カナ速)

 アニメじゃないけどアル・アジフとアナザーブラッド、完全に中の人が別人だと思い込んでました。古いところだと来栖川姉妹も中の人が同一人物とは分からなかったな……姉の方がほとんど喋らないせいもありましたが。声優さんの演技は目を瞠るものがあるわ。

・柳広司の『ジョーカー・ゲーム』読了。

「何かにとらわれて生きることは容易だ。だが、それは自分の目で世界を見る責任を放棄することだ。自分自身であることを放棄することだ」

 死ぬな。殺すな。とらわれるな。この三拍子を謳い文句とする連作小説集です。表題作含む5編を収録、うち3編が書き下ろし。冷戦構造の終結からこっち、めっきりと寂れてしまった「エスピオナージュ」――いわゆる「スパイもの」ですが、最近になってエリック・アンブラーの新訳が刊行されたり、サマセット・モームの『アシェンデン』が復刊されたりと、完全に死に絶えた気配でもない様子で、戦前の陸軍スパイ養成学校「D機関」をメインに据えたこの『ジョーカー・ゲーム』もかなり力を入れて広報展開されました。専用ページまで設けられ、「仕掛けて売りたい」という気迫がヒシヒシと伝わってきます。柳広司は今年でデビュー8年目を迎える作家。旺盛な執筆活動の賜物として結構な数の著書を送り出していますがブレイクする機会には恵まれず、それこそスパイの如く「隠れた存在」という立場に甘んじてきました。一昨年の長編『トーキョー・プリズン』はなかなかの意欲作であったものの、いまひとつ芳しい評価を得られなくて注目作・話題作の座を逃していた。連作なのに3/5が書き下ろしという異例の構成といい、本書が雪辱のために放たれた乾坤一擲の勝負球である……と見做すのは邪推でしょうか。

 暗躍ぶりがあまりにも荒唐無稽で、誰が読んでもすぐにフィクション組織と分かる「D機関」ながら、実在した陸軍中野学校をモデルとしていることは巻末の参考資料からも明らかです。「D機関」という名称は西村京太郎初期の傑作エスピオナージュ『D機関情報』を彷彿とさせますけれど、あれは別にスパイ養成モノじゃなかったから関係ないのかな……なぜ「D」なのか、由来がハッキリしないままでモヤモヤしましたが、内容そのものは短くスリリングにまとめられていて面白かった。どれも50ページ前後と、比較的少ない分量で終わるものの、読んでいて「短い、物足りない」と感じさせない巧さがあります。冒頭で気を惹いて、ゆるゆると説明段階に移り、充分に仕込みが済んだところでキレの良いな結末に向かう。ストーリーテリングの手際は実に鮮やかで、最後まで退屈させられるということがなかった。

 表題作の「ジョーカー・ゲーム」は「ワタシ、日本文化大好きです。ゲイシャ、フジヤマ、もう見ました。あとはハラキリ・ショーだけ。ショー・タイム、楽しみです。サア、ドウゾ!」という怪しげなガイジン喋りから始まるのでいきなり萎えますが、これは軽いジャブ、じきに「おっ」と思うような展開に差し掛かって作品世界に引きずり込まれていく。タイトルに冠された「ジョーカー・ゲーム」は、一見すると単なるカードゲームのようでいて実は明確なルールがなく、その場の状況に応じて腹の探り合いと騙し合い、協調と結託、裏切りと調略を並列して行う、原理上イカサマが存在しない「何でもあり」のゲーム。まさにスパイ遊戯といった趣で、全体を象徴するエピソードとなっています。ジャンルとしてはエスピオナージュに属するにせよ、基調となるカラーはコン・ゲームなんですよね。

 つづく「幽霊(ゴースト)」は語り手が交代となり、スパイ容疑の掛かった人物を調査して「本当にスパイなのかどうか」を決する話。3編目の「ロビンソン」や4編目の「魔都」では語り手どころか舞台も変わり、日本国外で怪しく蠢動する。『ジョーカー・ゲーム』は特定の主人公が存在せず、あえて言えば「スパイ」という観念そのものが主役を張っている。しかし、それだけでシリーズを保たせるのは難しいからか、主人公じゃないにしろたびたび重要な場面で顔を出すキャラクターがいます。右手の白手袋、常に持ち歩く杖、引きずる左足。彼こそが表紙イラストを飾る結城中佐、人呼んで「魔王」。「幽霊(ゴースト)」ではシューベルトの曲も引き合いに出されるくらい念入りです。現役スパイ時代に敵の手に陥ち、なんとか脱出したものの拷問による肉体の損傷から引退せざるを得なくなった彼はD機関の長としてスパイたちの頂点に君臨する。「死ぬな。殺すな。とらわれるな」の三拍子を説き、己以外の何ものも信じず、危険な任務をゲームと割り切って「自分にならこの程度のことは出来なくてはならない」と嘯くほど自負心が強い、「スパイ」と呼ばれる精神的怪物たちに様々な心得を叩き込み、あらゆる技術の手ほどきをする。最終話「XX(ダブルクロス)」ではチラリと意外な真情も晒すが、あれもまた「欺き続けてでも生きる生」を肯定する一環なのだろうか。

 読み応えを単純に比較すれば、短編集ということもあって『トーキョー・プリズン』よりも胸にズッシリと来る感じがやや弱いが、サクサクとページをめくることができる軽快な読み口は人に薦めやすい長所でもあります。コン・ゲーム要素を孕んだ、気軽に読めるスパイ・ミステリ。肝心の結城中佐に関する詳しい事柄は語られず終いだし、「D機関」についてもネタにする余地はまだまだありそうで、そのうち続編が発売されるやもしれませんね。ただ、面白いし退屈しない一冊ではあったが、必読の話題作、ってほどインパクトがあるわけじゃなく、出版社の売り方はやや過剰広告気味かな……あんまり期待しすぎないで手を伸ばすが吉です。余談ながら、カバーを外したときに見える本体のデザインがカッコ良くて痺れました。

・拍手レス。

 最近(ここ数年くらい?)はそのレビュー自体も若干オールドタイプ気味で、今は「好きなものがあったらそれ関連の二次創作を作って広める」って流れが出来てると思います。面白さを文章で伝えるのって難しいですからね。
 思えば「国際軽率機構」みたいなネタ系レビューサイトがきっかけでプレーしたマイナーエロゲーも数多く、昨今の情勢は少々寂しいです。「ALL or NOTHING」もいつの間にか閉鎖してますし……。


2008-11-19.

・木村紺の新作『からん』が割とツボに入った焼津です、こんばんは。

 京都のお嬢様学校を舞台にした柔道マンガで、長身の少女・高瀬雅とちっちゃい同級生・九条京がメインとなりますが、群像劇の様相が強くて他にもいろいろなキャラクターのところへ視点が飛びます。入学前の第0話からいきなり多数の主要人物が登場するため、最初は誰が誰だか整理が追っつかず混乱する。そもそも、読む前に「柔道マンガだ」と知らなければ何の話かも分からなかったであろうほど、バタバタしてとっちらかったノリ。「対照的なふたりの少女を軸にしたスポーツもの」というフェイバリットなお膳立て(『武士道シックスティーン』とか、実にいいよなぁ、おい)でなければ読む気が挫けていたかもしれません。柔道部にスポットが当てられる中盤以降からやっと面白くなってきて、イイ感じにテンション上がってきたところで「次巻につづく」。ストーリー自体はまださほど見るところがないけれど、真っ直ぐに生きてる九条京の可愛(かい)らしさに心動かされてニタニタすればいいじゃない。当方は思う存分ニタニタしました。

ネットはエロゲ雑誌を超えられない「独り言以外の何か」経由)

 昔はエロゲ雑誌をこまめに買っていましたが、やはり雑誌は「だんだんバックナンバーが溜まってくる」という難点があり、処分に困って結局買わなくなりました。リンク先については「■ネットは見たい情報「しか」手に入らない」の項にやや疑問。そういう面もあるでしょうし、そうでない面もあるでしょう。当方はここ数年に渡ってエロゲー板に毎月立てられる「購入検討&感想スレ」、いわゆる「月別スレ」を覗き、「その月に発売される予定のエロゲー全部」をひと通りチェックするのが日課ならぬ月課になっていて、エロゲ雑誌を買わなくなってからの方がより広範に情報を漁る習性がついた気がします。

 で、買わなくなって久しいエロゲ雑誌ですが、買っていた頃に感じていた不満は「これが本当に自分の欲しいソフトである」という確信を得たいときにキッチリ背中を押してくれないことなんですよね。「最初の一歩」を与えてくれても、「あと一歩」のときにいまいち役立たない。書き手個人が己の嗜好を反映させ、面白いものは面白いと誉め、つまらないものはつまらないと指摘できる率直さ――俗な言い方をすれば「生の声」――を発露しないと、「購入するきっかけが欲しい」ってときの踏ん切りをつける材料とはなってくれません。別に記事の良し悪しという問題じゃなく、「迷いを断ち切ってくれるか否か」という点で見るにエロゲ雑誌は公平というか消極的で、物足りなかった。

 ネット一番の利点は、「自分に好みが近い人の意見を拾える」ことだと今でもなお痛感致しております。正直、雑誌で初めて『ファントム』の紹介を見たとき少しも面白いとは思えなかった……『秋桜の空に』も同様。両作とも評判を聞いて気になって「でもあの絵はちょっとなぁ……好みじゃないよなぁ……」と渋っていたとき、「確かに絵はアレだけど、大丈夫、すぐ慣れるよ! というか愛しくなるよ!」ってな調子で熱心に薦めてくれるサイトがなければ迷いを振り払うことはできなかったと確信している。エロゲ雑誌も旧来のテンプレ文面を排し、アクセル全開でハンドル限界まで切って「絵はアレだけどシナリオは買い」とか「エロが完璧に中学生の妄想レベルで逆に素晴らしい」とか「筋立てや文章は至って眠たいもののCGが綺麗で音楽も素敵だから、クライマックスへ差し掛かると自動的に涙腺が緩んで何となく感動できる」とか「超展開で最後あたりは言ってる意味さっぱり分かんねぇけど、妹が可愛いから許せ。俺は許した」とか、あるいは読者に対し「頭が良いつもりでいる、いい歳こいてスノビズム満載のアナタなら絶対ハマるはず」とか「人間として終わっているユーザー、つまりアナタにうってつけ」とか「さあ、こいつをプレーしろ。そして自分がクズである喜びに打ち震えるがいい」とか「お前の好み? どうでもいいよ」とか「たまにはクソゲーやろうぜ、な!」とか「いま、人類からの卒業を果たすとき」とか「新しい、価値観……!」とかズケズケ書く生っぽさを備えれば……無理か。書いてて「こんな馴れ馴れしいクソ雑誌、実在したら必ず投げ捨てるだろうな」と思いました。

『コンチェルトノート』の体験版と『漆黒のシャルノス』の体験版を立て続けにプレー。

 つ…か、これ両方ともメインヒロインの声優が「かわしまりの」じゃないですか! あれか、当方を凛々しいかわしまボイスでウォッシュウォッシュと洗脳しようって魂胆なのか。隈取塗ったキンカンが「ようこそ、かわし間へ」って微笑む寸法か、これは。ならば大成功といったところですよコンチクショウ。最近「いいな」と思い始めていた声優だけに一気に傾斜、目も当てられぬほどドドハマりの惨状を呈した次第であります。メアリも莉都もどっちもイメージばっちりでエラいこっちゃ。彼女の声聞くとどうしても櫻井螢を連想して胸が苦しく……なりますけど泣いてませんよ、泣いてませんからねっ。「明日からは決して風にはためくことのない旗であった。空を泳ぐことのない旗であった」という『だいにっほん、おんたこめいわく史』の一節を掘り返しっ、「夜空を泳ぐことのない螢であった」に置き換えっ、「うっうっうっうっ(涙)」と泣き崩れたりなど断じてしておりませんからねっ。

 さて、いささか錯乱気味のテンションになってしまいましたが、軽くトラウマをほじられつつもKawashimaの威力はキチンと発揮されて胸に染み入りました。『コンチェルトノート』の方は話が動き出す前にあっさり体験版終了となってしまったのでどういう内容なんだかいまいち分からず、結局ヒロインたる莉都の素晴らしさしか頭に残らなかった。さすが「莉都ゲー」と言われるだけのことはある。逆に『漆黒のシャルノス』は予想以上に体験版の範囲が長く、区切りの良いところで一旦「つづく」って出たにも関わらず、平気ですぐ再開しやがります。「まだ終わらないの!?」と叫んでしまったのもむべなるかな。たっぷり味わえるのはありがたいことながら、さすがにちと疲れた。ただ、ちゃんと冒頭から丹念に見せてくれることもあり、話の途中から始まる『赫炎のインガノック』の体験版と違って入っていきやすかった。インガノックは雰囲気に馴染めないまま体験版が終わってしまったのでスルーしましたが、シャルノスはうまく皮膚に浸透する感じ。メアリかわいいよメアリ。「桜井光のシナリオは自分に合わない」という考えを、少しとはいえ改めさせてくれました。終わり近くに使われたセリフ、「 残 念 だ っ た な ! 」が非常に印象的で、作品スレ覗いたら案の定流行っていて笑った。

 どちらもなかなか魅力的で、続きがやりたいかと言えば頷くところながら、現状からして購入したら積むことは目に見えているし、ここのところ浪費が激しいというかヒドいのでまずは判断保留。来年になるのを待って結論を下したい。それからかわしまりのに白旗を上げても、遅くはないだろう。陥落の日を震えて望むばかり。


2008-11-16.

・10000円の臨時収入があったからパッと使ってしまおう、ふふん、なってやろうじゃねぇか、お大尽。と豪儀な気分になり、森奈津子の“お嬢さま四部作”(計10080円)とロレンス・ダレルの“アレクサンドリア四重奏”(計10290円)エル・カミニート・デル・レイからスパイラルマタイする思いで一括購入した焼津です、こんばんは。

 何度明細を眺め返しても予算割れしてるようにしか見えないMystery。この2つ、「すんごい欲しいけどお値段が張るせいでなかなか買えずにいた」という点で共通しているシリーズであり、どちらかひとつに絞るべく散々に呻吟を重ねて、結局難局、果たせなかった。迷った末、耳元に降りてきた「倍プッシュだ……!」という囁きに負けた。やんぬるかな。臨時収入でちっとは潤うかと思いきや、余計に財政が逼迫してしまった仕儀であり、超自業自得。

バンクーバー近郊に漂着する片足の謎、7本目見つかる

 マイケル・スレイドの騎馬警察シリーズに出てきそうな事件ですね……。

「最後の鳴き声、かわいそうだった…」 子供たち、飼育したブタとの涙の別れで「命と食の大切さ」学ぶ…新潟(痛いニュース(ノ∀`))

 飼育はしなかったけど、確か中学生くらいのときに豚の解体ビデオを見せられたなぁ……当時の教科書に載っていた「命ということ」に関連して上映会となった記憶があります。タイトルじゃピンと来ないかもしれませんがアレです、マドンナB(ブリギッテ)が豚の死体に手を突っ込んで「うわぁ……ブタゴリラの中……あったかいナリぃ」「温かいわ、本当に温かい」に言う奴です。見せられたところで別にトラウマになることもなく、相変わらず今も豚肉が大好きで「むちむちポーク」を口ずさみながらミリアム・ポークウを思い出し、「むちむちポークウ」と言ってしまわないよう気をつけている昨今です。最近も『トンコ』を読んでホロリと来たけれど、同時に「ああ、豚肉の生姜焼きが食べたいなぁ」と涎が湧いた始末。サクサク感溢れるとんかつも大好物です。

スーパーダッシュ文庫HPのリレーエッセイ第47回は『円環少女』の長谷敏司

 ああ……これ読んでやっと「裸の錬金術師」が腑に落ちました。

唐辺葉介の『犬憑きさん』、第2話公開

 今回は「管狐」。このシリーズ、文章は読みやすいけど結構ボリュームがある(第1話は100ページ、第2話は150ページ)のでちょっと疲れますね。前回は一気に読んだけど、今回は2度に分けてなんとか読み通した。やっぱり小説を読むときは紙がいい、と再確認。話自体は面白くなってきているので、素直に第3話を期待しています。次回は12月18日。どうでもいいけれど作中に「ご存じないんですか?」というセリフがあって、思わずキラッ☆としてる超時空犬憑きさんを想像してしまった。

・上山道郎の『ツマヌダ格闘街(1〜4)』読んだー。

 「格闘街」と書いて「ファイトタウン」。地域を盛り上げるイベント、いわゆる「村おこし」の一環としてストリートファイトが盛んに行われる千葉県北西部の町・妻沼田を舞台にしてストーリーを繰り広げる格闘マンガです。タイトルをずっと「格闘術」と見間違えていたので実物を目にした瞬間「ああああ!」ってなりました。なかなか検察に引っ掛からなかった理由が氷解。見るからにヒョロヒョロとしたモヤシ青年が主人公で、イラストレーターになるため郷里を離れて妻沼田へやってきたはずが、青髪のメイド「ドラエさん」に導かれいつしかストリートファイターの道のりを歩み出すことに……ってな筋立てになっております。

 青髪で赤眼ということから最初は綾波レイを連想していましたが、青いメイド服を着て白いエプロンをまとった姿――ひとつの直感が駆け抜けた。「おい……ドラえもんじゃねぇか、このデザイン!」。よくよく見れば名前もまんまでした。主人公の義妹・ラミィ(金髪翠眼赤リボン)が黄色いメイド服着て横に立っているカラーイラストを眺めるだに笑いが漏れる。他にライバルとしてジロー・王(本名は王次郎、O次郎以外の何物でもない)、その姉クインシー(唇が明らかにQ太郎)や、しずちゃんならぬ柚ちゃん(小学生)、ハットリくんならぬ羽鳥さん(忍者)も登場。主要キャラクターは概ね藤子ネタで占められているのです。ヒロインがなんでメイドなん? と読みながら疑問を覚えていましたが、なるほど、ドラえもんの存在を「萌え漫画」の流れで解釈するとメイドって位置づけは相応しいところがありますね、役柄からして。

 1巻の表紙が「綾波みたいなメイドが刀を抜いている」という代物だったため、「まーた安易な『戦うメイド』ものか、どうせパンチラとかラッキースケベが多発するんだろ」と偏見を抱いてしまった(まぁ実際にお色気要素は多く含まれますが……)けれど、いざ本編を手繰ってみると案外しっかりした格闘マンガで襟を正しました。それも『グラップラー刃牙』『修羅の門』みたいな派手さがあるタイプじゃなく、『ホーリーランド』並みに地味で薀蓄が詳しい路線。ホリランに終始漂う暗く煤けたムードに比べると明るく前向きで、「互いに傷つけ合う」という凄愴さが若干薄いものの、バトル描写はしっかりしている。よく言う「体術」、つまり「体を如何に効率的に運用するか」を重視した内容であり、「根性だけで勝利」みたいな安直さ、あるいは「窮地に陥った瞬間、爆発的なパワーが覚醒する」というイヤボーン展開はなく、読んでいて安心感があります。ストリートファイトとは直接関係のない、「早く走る方法」を紹介する番外編的な回があったり、構成も伸び伸びとしていて寛いじゃう。「強さ」とは何か、っていう根本的な問いを早めに発しておいたりと、物語の迷走を未然に防ぐ前処置も行われていて実にポイントを押さえたつくりです。どう見ても「ひ弱なオタク」でしかなかった主人公が肉体面、技術面、何より精神面で成長を遂げていく過程が清々しい。

 ドラエさんが抜刀している1巻カバーイラストはあくまでイメージであって、武器を使った戦闘シーンはほとんど描かれず、ひたすら肉体と肉体をぶつけ合う「格闘」の要素を突き詰めている。「なぜかメイドがヒロインの地域振興ストリートファイト」という色物っぽさ全開の設定に怖じることなかれ、です。格闘マンガ好きならもちろん楽しめるでしょうし、格闘にそれほど興味がなくとも、緩い笑顔を振り撒きつつ時には感極まって涙ぐむこともあるドラエさん、怒りっぽいけど「お兄ちゃん大好きオーラ」を立ち上らせているヤキモチ焼きの義妹ラミィなどを目当てに軽い気持ちでサクッと読んでみるのも一興。ヒロインたちの存在が殺伐とした雰囲気を中和することにうまく貢献しています。最後に、念のため書いておきますが「ツダヌマ」ではなく「ツマヌダ」です。あしからず。

・拍手レス。

 「1999年」よりも「90年代」と言った方が我々には相応しいでしょうな。「80年代」などとはまた少し違った意味で。
 「90年代」という響きがだんだん昔話の感覚に近づいてくるのには慄然とします。

 貧乏神を薦めようと思っていたところなのでちょっと嬉しい
 タイトルで敬遠されそうな気もしますが内容は文句なく面白いですね、貧乏神。


2008-11-13.

・薦められて読んだ『貧乏神が!』がなかなかの収穫で浸っている焼津です、こんばんは。

 生まれつき超絶的な幸運を持ち合わせている少女、その全幸運を掻っ剥いで普通へ少女に転落させてやろうと、陰気で愉快な貧乏神の女があれこれ仕掛けるドタバタコメディです。ラッキーガールのヒロインは巨乳、対する貧乏神はまったいらで「貧乏神じゃなくて貧乳神じゃないの?」と笑われる始末。しかしヒロインはヒロインで、なまじ持ち前の幸運が大きすぎるせいか、今まで努力も研鑽も懊悩も何一つしたことがなく内面未発達、故に貧乳神貧乏神から「外面だけで中身は空っぽ」と嘲笑われる次第。お互いに憤怒を募らせながらも不思議と溝が深まらない、「喧嘩するほど仲がよい」なストーリーになっている。ガチで殺そうとする場面も頻繁にありますけど、そこはギャグってことで。

 絵柄は若干クセがあり、全体的にゴチャゴチャしているものの、新人としては巧い部類に入るのではないでしょうか。小ネタも凝っていて個人的には好みのタッチです。ヒロインが巨乳の割に意外と萌え色が薄く、むしろ『銀魂』のような弛緩したムードがところどころに漂っている。それでも締めるべき箇所はちゃんと締めているので、読み心地良好。「喧嘩するほど仲がよい」けど根本では馴れ合っておらず、毎回ヒロインと貧乏神の対立がしっかり保たれているのもグッドな判断だ。ふたりが和解しちゃったらこのマンガは終了してしまう。仕方ないから他の神々が出てきて「誰が最強の神か」を決めるトーナメント突如開催、コメディ作品だったはずなのに気づけばバトルマンガに移行、なんてことも今のジャンプだったらないでしょう……たぶん。

『恋する乙女と守護の楯』、「アニメ化も決まった」は誤植

 念のため「誤報かもしれない」と予防線を張っておいたけど、まさか本当に誤報だったとは……。

こ  こ  だ  け  1  9  9  9  年(暇人\(^o^)/速報)

 9年前か……確かアニメ版およびPS版の『To Heart』にハマってた頃だなぁ。まだ新本格ミステリに耽溺している最中で、京極夏彦や森博嗣、浦賀和宏あたりを読み耽っていた記憶がうっすらと残っている。ライトノベルなら上遠野浩平のブギポシリーズらへんかな、時期的に言って。うーん、あんまり覚えていません。

・新堂冬樹の『黒い太陽』『女王蘭』読了。

 キャバクラを舞台に、熱血漢だった青年が「白いままでは生き残れない」と心を黒く塗り潰しながらのし上がり、「風俗王」と畏怖される男に真っ向から対峙するハードロマン小説シリーズ。『黒い太陽』はドラマ化され、現在文庫版も上下巻で刊行されています。『女王蘭』はその続編。主人公・立花篤と「風俗王」藤堂猛、このふたりが軸となってストーリーを展開する。『黒い太陽』前半では一介のボーイに過ぎなかった立花が藤堂に才能を見出されてホール長に抜擢されたりなど、師弟に近い状態だったんですけれど、後半いろいろあって2作目の『女王蘭』ではライバル同士という関係に変わっています。過激なバイオレンスとセックス描写が多い黒新堂(新堂冬樹はダーク系とピュア系、2種類の作風を使い分けており、闇金融や風俗業などを題材に取ったダーク路線は「黒新堂」とも呼ぶ)にしてはややヌルいというか抑え目ながら、人間関係のドロドロした部分を掬ってイイ具合に暗くえげつないムードを盛り上げてくる。ただメロドラマチックな部分も相当含まれているため、ノワールを期待すると辟易するかもしれません。

 第一部『黒い太陽』はハードカバーで500ページを超える分量もあって読み応え充分、それでいてダレることなく最後まで付き合えるテンポの良さを備えています。植物状態となった父の入院費を稼ぐため、そしてキャバクラで出会ったナンバーワンキャスト・千鶴を苦界から引き揚げるため、がむしゃらに情を捨てて成り上がる立花。しかし成り上がれば成り上がるほど情を失っていくせいで、次第に自分が何のために頑張っているのか分からなくなる。目的を果たすために忘我して努力し、挙句に目的を果たす意味さえ見失う。守りたいものがあって戦い始めたはずなのに、必要とする強さを得るに従って冷酷さも増し、「守りたい」という根本的な気持ちが掠れていくジレンマ――それが『黒い太陽』の読みどころとなります。ジレンマとは別に、キャバクラの業務に関する説明も分かりやすくまとめられていて単純に興味深い。残念なのは、今回文章が真面目というか、ギャグがほとんど混ざってなかったことか。黒新堂は文章のところどころに笑えるネタを仕込むことにおいて定評があり、ショッキングなシーンが減ったことよりもよほどガッカリしました。

 第二部『女王蘭』は『黒い太陽』から5年が経過し、ヒロイン役も優姫という新たなキャラクターが務める。筆自体に衰えはないにせよ、主人公やライバルの立場がだいぶ固定してしまったため変化が乏しく、ストーリー展開は『黒い太陽』に比べると少し退屈。ですが、半分くらいに差し掛かったあたりで事態が急変し、一気に眠気が吹っ飛びます。なんとここでまさかの「青い鳥企画」登場。そう、某評論家から「あまりにも下品」と唾棄された『溝鼠』および『溝鼠 VS. 毒蟲』の主人公であり復讐代行屋・鷹場英一がゲスト出演するんですよ。ビックリしました。まさかこの人が……ってマジマジと該当箇所を読み返してしまった。鷹場英一、通称「溝鼠」は金銭と引き換えに他人の復讐を代行する仕事を天職としており、本人もかなり恨み深い性格で「受けた恩は三分で忘れ、受けた屈辱は三十年経っても忘れないという、下劣と卑劣の間に生まれたような男」。またメチャクチャにセコくて、タバコ分けてもらうときも最初の一本を懐に仕舞ってから改めて二本目を催促する吝嗇ぶり。あくまでゲストの位置づけなのでチョイ役程度の出番しかありませんが、彼が顔を見せるシーンの文章は非常に活き活きとしてエネルギーに満ちていました。やっぱり新堂冬樹はこういう最低感溢れるノリの方が向いてるよなぁ。ちなみに『女王蘭』本編は「やられたらやり返す」に終始する内容でチト単調だった。

 『女王蘭』でそれなりの決着はつくけれど続けようと思えばまだ続けられる状態であり、また2、3年くらいしたら第三部がお出ましするやもしれません。しかしそろそろ話の展開がパターン化してきているので、第四部まで引っ張るのは難しいでしょう。だから、もし第三部が幕上げするとしても、『黒い太陽』シリーズはそれで完結のはず。てか、よく考えてみると新堂冬樹の小説でキッチリ終わったシリーズもの(つまり、「○○シリーズ、遂に完結!」と銘打たれた奴)ってまだないんですよね……著書のほとんどが単発作品で、本シリーズと上記した溝鼠シリーズの他は『悪の華』『聖殺人者』から成るガルシアシリーズがあるだけ。3作以上出版されたシリーズは未だ存在しない。溝鼠は今後どうなるか分かりませんが、少なくともガルシアシリーズはまだ先があるはず。復讐モノなのに肝心の復讐が全然済んでいませんから。けど、正直に申せばシリーズものは緊張感が薄らぐしマンネリ化する恐れもあるので、黒新堂には初期の闇金融モノみたいなのを単発でバンバン書いてほしいところだ。あれもあれでマンネリには陥っていますが、『無間地獄』以降の『炎と氷』『底なし沼』も結構好きなんですよね。何より、随所で光るギャグとバイオレンス描写のグロテスクなギャップがたまらない。暗黒小説においてマンネリの大家たる馳星周も今年は『やつらを高く吊せ』みたいな良い意味で低俗な新刊を出してくれたし、黒新堂にも本領発揮を期待したい。

・拍手レス。

 恋楯アニメ化は誤植だったそうです。
 ソースはhttp://gemaga.sbcr.jp/archives/2008/11/12_6.html

 こうなることを、当方はあらかじめ予測していました。

 エロゲギャルゲの方法論だとどうしても“いらない子”は出てしまいますね。映画や舞台だとそうでもないのですが。
 中には「いらん子贔屓」と言うのか、巷で人気がないからこそ余計に熱を入れる性格のユーザーもいますけどね。

 昔、風呂で「ぼのぼの」を読むのを習慣にしてたことがありました。本がむっちゃ黴びました
 風呂で本を読む習慣はないです、子供の頃にマンガ本を浴槽へ落っことした経験があるため。

 恋盾アニメ誤植ですってよ奥さん、いやねーホントもう(血涙)
 謀った喃、謀ってくれた喃、ゲーマガ。

 誤報ですってよ恋盾
 要は皮一枚、誤植によってもファンは死ぬのだ。


2008-11-10.

『恋する乙女と守護の楯』がアニメ化する――という噂を先ほどキャッチして電流走ってる最中の焼津です、こんばんは。雑誌記事に載っていたとのことですが、まだ「誤報かもしれない」という疑念を捨て切れない段階。しかしノベライズにコミカラズ、ドラマCDにコンシューマ移植と、ひと通りメディアミックスしている現状を考えればありえなくもない話です。続報を待つ次第。

考察:ギャルゲーとはヒロイン達の抱き合わせ商法なのか「独り言以外の何か」経由)

 たとえばヒロインが5人いたとして、うち2人に好感を覚え、更に2名を「まあまあだな」と思っても、最後の1人が著しく苦手意識を誘うキャラクターであれば途端にプレーする気が消え失せる――当方自身もこういった傾向があり、『好き好き大好き』も首長族(みるく)のせいで投げ出してしまいました。「樽いっぱいのワインにスプーンひと匙の汚水を注げば樽いっぱいの汚水になる」に近い心理と申しますか、まさに「大を殺す猛毒の小」(『デンドロバテス』)。ただ、ああいう極端な例さえ除けば「美味しそうなものは後に取っておく」という性格をしている関係上、いきなり最初から目当てのヒロインをクリアしにゆくのは勿体ない&落ち着かないので、まずは小手調べとして他のシナリオを読んでみる、ということができるエロゲーは肌に合います。肩慣らしが済んでイイ具合に温まってきた(=作品世界に馴染んできた)ところでおもむろにメインディッシュをいただく、この焦らしに焦らした末の御馳走がまた甘美なわけで。話題の新刊を読む前に過去の著作をチェックしとく、みたいな感覚です。準備運動気質と申しますか、「お祭りに向けて用意する過程」を楽しんでしまう。肝心の本番が始まる頃にはとっくに疲れ切っていたりして、実に本末転倒。

お前らガチで面白いラノベって何だ?(VIPPERな俺)

 『ディバイデッド・フロント』が挙がっていることに安心した。根暗ヒロインが嫌いでなければ是非オススメしたい。「面白いのに認知度が低い」という基準で選びますと、『護樹騎士団物語』『鉄球姫エミリー』『たたかう!ニュースキャスター』『毛布おばけと金曜日の階段』『BLOODLINK』。最近の作品はあんまり読めていなくて推す幅が広がらない……。

正直エロマンガ描いて欲しい漫画家(VIPワイドガイド)

 岡本倫なら恐ろしく違和感がないと思う。ただ、一般で描いている作家も結構エロ同人やっていたりしますから、切実に見たいんなら同人ショップやヤフオクで漁れば概ね事足りるという散文的な現実。むしろ普段エロ方面やっている人が一般向けのものを描くと無性にムラムラしますが、あの心理はいったい何なんだろう。具体例を挙げると、マンガじゃないんですが『機神飛翔デモンベイン』とか。「エロは必要不可欠じゃない」と口では言っておきながら、いざないとなると切歯扼腕してしまう罠。

・宮城とおこの『ラズベリーフィールドの魔女(1)』読んだー。

 全寮制の女学院を舞台にした、ややまったり系のファンタジー。著者は既に何冊かマンガを描いているようですが、個人的にはイラストレーターとしての印象が強い。内容はよく分からないけど、好みの絵柄だし、もし出来がアレでも白黒イラスト集と考えれば元が取れるだろう……みたいな思惑で購入しましたが、意に反してマンガとして読んでも充分楽しめる代物でした。絵買いして内容も良かったときって、こう、射倖心をくすぐられる感じで気持ちいいですね。

 ヒロインのアリスは悪魔のように貪欲な胃袋を抱え、いつも常に食べ物を求めている女の子。ある夜、空腹に耐えかねて寮の食料庫を襲撃しようとしたところ、何の間違いか正真正銘本物の悪魔と出会ってしまう。小さな男の子の姿をした悪魔ロードは、「秘密」に飢えていた。比喩でも何でもなく、文字通り、彼は「秘密」を食べる悪魔なのだった。人間の秘密を物質化し、それを糧とすることで存えているロードは、アリスに頼んでレーンフィールド女学院へ通う乙女たちの心に潜む秘密を探らせるが……。

 ヒロインが大食いの女学生で、パートナーは秘密に飢えている悪魔。組み合わせがネウロと被っていますが、タッチの違いも影響してネウロを思い出すことはほとんどありません。「魔女」とはいえ、ほのぼのとコミカルな雰囲気に包まれており、殺人が発生したり壮絶なトラウマが明かされたりするような「秘密」は、今のところない。従って話自体もまだ大して動かず、1巻での見所はやっぱり絵とか細かい遣り取りとかに尽きますね。イラストレーターが描くマンガって大抵どこか物足りないんだよなー、という偏見を抱いたままページを開いたものの、いざ読み進めてみれば「物足りなさ」を覚える局面がほとんどなくて驚いた。ヒロインが割と落ち着きのない女の子で、始終パタパタしているのですけれど、そういう慌しい面に反して笑顔は緩めというか天然の輝きを発しており、なんだか微笑ましくて寛げますわ。はは、実に楽しい。デフォメルを入れるタイミングとか、読み手の呼吸に合っていて心地良いです。「かざす。」と「※とっさにドロワーズの中に隠した。」がお気に入り。

 絶賛したい、布教したい、と願うような作品ではないにしろ、「なかなかの拾い物だった」と思わず自慢したくなる一冊。舞台が舞台だけにおにゃのこはたくさん出てくるけれど、一番気に入ったのはやっぱりアリスですねぇ。あざといっちゃあざといけど、可愛いんだから仕方がない。可愛ければ、あざとさなどみな帳消し。でも、お色気重視のマンガでもないのにやたらとヒロインの巨乳ぶりが目立つのは不思議。誰も指摘しないけど、明らかにデケェっスよね、アリスさんのパイオツ。もしかして、バストが膨らむ分だけ腹が減るという仕組みか? さすがに胸が肌蹴たり、谷間が強調されたりする露骨なサービスシーンはないけれど、服の上からでもハッキリと分かる豊かさがすこぶるエロいです。着痩せするという意味ではなく、特段話題に挙がらないという意味での「隠れ巨乳」――言うなれば「沈黙の巨乳」か。そう書くとセガールが出てきてテロリストの首をへし折りそうだな。

・拍手レス。

 その…眼鏡が曇りますので…って思い付いてそう言われたいとも思いました。じゃあ一緒にお風呂に入るのはおーk略
 意外とレンズってお風呂で曇りませんね。

 私も風呂でも眼鏡は
 外しません。洗髪のときは流石に外しますがw

 当方も髪洗うときは分離させます、もちろん。

 風呂の中、メガネをかけて湯船に浸かる人間が居てもいい、自由とはそういうことだ≠ナすね、わかります
 ぐぐると「レンズが傷むから良くない」って叱られますし、他人にはあえて薦めませんが……。


2008-11-07.

・風呂に入るときも眼鏡を掛けたままの焼津です、こんばんは。それじゃ洗髪するときはどうするの? って話になりそうですが、洗いません。なんて書くと語弊があるな……当方の場合は朝に洗髪と洗顔を行い、夜は入浴して体だけを洗う完全分業スタイルを保持しております。だからどうってこともないのですが、つまり眼鏡着用者の全員が全員眼鏡を外して風呂に入るわけじゃなく、「風呂に入るときも掛けたまま」っつー眼鏡っ子がもっといてもいいんじゃないかな……。

“公務員ハンター”全国で増加…クマ、サルなどによる被害対策

 一瞬「公務員を狩る」という意味かと思いましたが、「公務員が狩る」という意味での“公務員ハンター”なんですね。うーん、如何にも小説とか漫画に転用できそうな話だなぁ。冒頭、山歩きしている男が熊に襲われ、危機一髪の瞬間に銃声が鳴り響く――振り向くと、銃口から硝煙を燻らせて佇む主人公の姿が。「あ、あんた、猟師か?」(それにしちゃえらく若い……)とモノローグを挟みつつ訊ねると、主人公は「違う――公務員だ」と眉一つ動かさず言い放つ、みたいな。我ながら連想するノリが古臭くて閉口。

講談社「書き下ろし100冊」のページ公開

 新聞の一面丸々使ってデカい広告打ったこともあり、それなりにインパクトはある企画ですね。今後の予定や浅田次郎の寄稿、本多孝好のメッセージなどが載っています。「僕は何も考えずに小説を書き始めます」って、なんとプロット組まないタイプだったのか、本多孝好……小説家では内田康夫や菊地秀行あたりが「先のことは考えずに書いている」と豪語していますけど、全体としてはプロット派かライブ派か(川上稔の分類)がハッキリ判明している作家って少ないんで、そのへんいろいろと気になりますよね。有川浩はライブ派を広言。成田良悟もライブ派、高橋弥七郎はプロット派と『遭えば編するヤツら』で暴露(?)されていますね。川上稔本人はプロット派のはず。A4で780ページの企画書作るくらいですし。竹宮ゆゆこもだいたいプロット通りのものを仕上げる、と言われています。浅井ラボはプロット組むけど必ずそこからストーリーを変更し、「入稿後のゲラの上で考える」んだとか。浅田次郎はフッと着想が降りてきてバーッと書く天啓型らしいのですが、プロット自体の有無については不明。夢枕獏は……完全にライブ派でしょう。いつまで経っても終わらないキマイラや餓狼伝やその他代表シリーズを見て「キッカリしたプロットを組んでいる」と思う読者はおりますまい。前田光世の物語を書こうとして、前田光世が登場する以前の話を10年以上懸けて2000枚も書くとか、興が乗るにもほどがあろうぞ。

リア充の最終形態「リア王」ってどんな生活だったんだろうな (名前を付けて保存する。)

 ちょうど『新リア王』のことを考えているときにスレタイ見かけたから噴いた。童貞王と戦ったらどっちが強いだろうかな。

おまえら本の整理ってどうしてる?(ニュースウォッチ2ちゃんねる)

 今年に入ってからダンチョネの思いで1000冊ほど処分したのに、全然減った気がしないという不思議。ひょっとしたら同じくらいの冊数を買っているのかもしれない。もちろん、本棚はもうパンパンで用を成しません。届いた品物はすべて床行き。すぐに読むつもりで布団の脇に置いた本の群れがいつしか堆く積まれ、四方を覆い尽くすや檻の如くとなり、気分はさながら書の柩に閉ざされて眠るかのようです。

アニメ化確実だと思う漫画・ラノベ(カゼタカ2ブログch)

 『ゾンビ屋れい子』は畳み掛けるような展開の速さで魅せるタイプですから結構アニメ向きだと思いますけど、さすがに無理か。塩野干支郎次作品もそろそろ来そうな予感しますが、『ユーベルブラット』だとスケール大きすぎるから『ブロッケンブラッド』が妥当かなぁ。ヤンガンは『死がふたりを分かつまで』あたり。チャンピオン系なら『GAMBLE FISH』『へうげもの』『キングダム』みたいな時代・歴史モノも案外とありそうで、『チェーザレ』なんかも風向き次第では……ライトノベルは『円環少女』『レンズと悪魔』『ミスマルカ興国物語』(スニーカー方面)、『付喪堂骨董店』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『9S』(電撃方面)、『生徒会の一存』『黄昏色の詠使い』『SH@PPLE』(ファンタジア方面)、『ギャルゴ!!!!!』『えむえむっ!』(MF方面)、『バカとテストと召喚獣』『おと×まほ』『人類は衰退しました』(その他)……と列挙してみましたが、さて、下手な鉄砲も当たるかしら。

・末次由紀の『ちはやふる(2)』読んだー。

 「青春ぜんぶ懸けたって強くなれない」と呟く少年に向かって放たれる言葉、これがまた振るっています。

「懸けてから言いなさい」

 てなわけで島本和彦の作品に匹敵するほどの熱さが篭もった競技かるたマンガ、2冊目です。前巻で夢中になったものの、「ひょっとしてあれはフロックだったのではないか」と疑念が消えなくて恐々と手を伸ばしたのですけれど杞憂もいいところ、あっさりと1巻を上回る熱量のパトスに迎え撃たれました。詠み上げられた歌に対応する札を、相手より早く畳の上から取る――ただそれだけの内容である「かるた」が、こうまでも情熱を孕めるとは思ってもいませんでした。

 今回の途中で小学生編が終わり、一気に時間が流れて第2部たる高校生編が始まるのですが、相変わらず周りは「競技かるた」というものに理解を示してくれず、それどころか小学生編で一緒にかるたをやった仲間さえも遠のいてしまう。グングンと背が伸び、モデルを営む姉に追随するレベルの美しさを身に付けながらも、ヒロインは未だ「充実した青春」を送れないでいるのです。なんとも不遇。少女マンガというジャンルも影響してか、淡い恋愛要素が盛り込まれ、「熱いのに切ない」と申しますか「切なくて、だからこそ熱い」と申しますか……とにかく、「情熱」をキーワードにしながらも決して暑苦しくない切々とした雰囲気が全編を支配しており、「いまどき熱血なんて流行らない」という意見にも再考を促すに足るのパワーが漲っています。

 「可愛い女子高生が、仲間との絆を軸として競技かるたに夢中になる」。こう紹介しても間違いはありませんし、あるいはこれだけで「読んでみようかな」と思う方も現れるやもしれませんが、そのくらいでは言い表せない類の面白さがこの本には詰まっています。筆致自体は至って少女マンガらしい繊細さなのに、どうしてこうも滾るのか。「懸けてから言いなさい」に代表されるセリフ回しのキレの良さもあるにせよ、ヒロインである千早の、己の美貌も省みずに喜怒哀楽が激しく入れ替わる表情で猪突猛進して「無駄美人」と溜息をつかれる一途さがやっぱり爽快なんですよね。終始思考にブレがなく、たとえ突っ走る場面があっても直線でダーッと行くから追っかけやすい。タイトルになっているくらいだし、当たり前と言えば当たり前ながら、結局のところ千早の存在感ありきなマンガだわ。かるたに惚れる、その千早に惚れるためにも、もっと広く男性読者に読まれるべき作品と思います。あと、今回は巻末おまけページくらいしか出番なかったけど、性格悪い姉との絡みも好きだったりする。「ちとせとちはや」だけで一冊分描いてくれないかな……無理か。

・拍手レス。

 「ルートが複数あるエロゲに“メインヒロイン”など存在しない」という新説は如何ですか?
 当方個人は「一応のメインヒロイン」を立てておいた方が語りやすくて都合が良い、と考える派です。メインヒロインを「不在」と見做す論には、今のところメリットを感じないかなぁ。

 まさか税込4千円を切るとは…
 ちょっと高めのハードカバー2冊分程度の値段ですね。


2008-11-04.

・特定の巷では「エロゲーといえば延期、延期といえばエロゲー」が半ば合言葉になっていますが、近頃は書籍方面でもやたらと延期が目立つなぁ、と溜息をつく焼津です、こんばんは。

 ネット書店で予約した本が延期して、一緒に頼んだ本まで道連れに飛ぶという悲劇が現在5件ほど進行中。たとえば当初は8月予定と告知されていた佐々木譲の『警官の紋章』は、紆余曲折あって「12月予定」になったみたいです。ああ、来月になれば、同時注文した『テンペスト』がやっと家に届く……そりゃあ注文するときに「延期するかもしれないリスク」は考慮しましたし、1、2ヶ月の日延べは覚悟していましたが、よもや年内に到着するかどうかすら危ぶむハメになるとは思わなんだ。正直なところ「届いてもどうせ積むだけ」という当方にそれほど深刻なダメージはありませんが、立てたい予定も立てられないこんな出版業界じゃポイズン。

画像にこれ貼ってせつなくしようぜ(ワラノート)

 ネタの発想自体も面白いが、オチが秀逸。まさか○○○が来るとは。ちなみにこの手の言い回しを流行らせたのは松本清張の『ゼロの焦点』だと小耳に挟んだが、真偽は不明。

Clochetteの新作『スズノネセブン』、シナリオライターに冬雀の名前が

 最初にPRODUCTのページを開いたときは「なんだ、複数ライター制か」と思っただけで見逃してしまいましたが、冬雀って今は亡きClearに所属し、当方がまきいづみにハマる契機となった『てのひらを、たいように』の「てのひら編」を手掛けたライターじゃないですか。「たいよう編」を担当した秋津環はねこねこソフト→コットンソフトと、その後の消息が掴めていましたけど、冬雀の方はどうしてるかよく分からなかったんですよね。懐かしい名前を見ました。てのたいは今もなお好きなソフトと申しますか、率直に明かしますと、まきいづみのイメージが当方内部じゃ未だに夏森永久で止まったままです。それこそ、永久に……ってありゃ、なんか拙いオチが着いちゃった。

メインヒロインって正直どうよ?(ゲーム板見るよ!)

 ヒロインのカタログ化が進行するにつれ、メインとサブの区別は便宜上のものでしかなくなっていく……みたいな議論は前々からあって、特にマルチシナリオ形式を主流とするエロゲーでは「メインヒロイン=カタログの先頭」とだけ見做されている面も少なからず存在します。しかし、カタログのもっともイイ位置を陣取っているにも関わらず、まったく注視されないメインヒロインってのも中にはいるわけで……具体例挙げちゃうと『Dies Irae』とか。ショップが発注した描き下ろしテレカの図案において攻略可能なヒロインが一人もいないという驚異。

 とりあえず、メインヒロインは無難な方向で……というソフトが多い中、異彩を放っていたのは最近だと『とっぱら』あたりですかねー。知らない人が見たら真ん中の金髪狐耳か、その左にいるロリ(ちぢゅみ)がメインと錯覚しそうですけれど、左端に佇む暗くて地味っぽい長髪の女性が一応メイン張っていたりする。意外性があって、しかもそれでいて他に埋もれない存在感があり、体験版をプレーするなりすぐに購入を決意したものでした。

 そして一番複雑な気分に陥るのは、「メインヒロインと思ったら主人公(♂)だった」というパターン。おとボクハナチラ夢幻廻廊恋楯るい智……プレーヤーを違う次元の趣味に誘いかねない脅威を秘めています。

・丸山健二の『日と月と刀(上・下)』読了。

 天体からのはるか以前の光に満たされた夏の夜に鳴り響く平家琵琶がとめどなく滲出させているのは、けっして人心を支配したがるたぐいの音などではなく、あるいは、個々別々の弱者を一様に奮起せしめる音でもなく、あるいはまた、いたずらに情緒の威力を誇示するための音でもなく、まして、永遠の喜悦や底無しの悲嘆へとひきずりこむ音では断じてなく、
 それは、大地の鼓動に波長を合わせようとする妥協の精神に富んだ調べであり、煩悩への隷従を容認する大らかな語りであり、満ち足りた情操を間断なく差し招く妙なる楽の音であって、健やかな耳を持つ万人の心に速やかに侵入し、高遠きわまりない、この世ならぬものを生みだし、同一の優しげな感慨に浸らせ、その場限りで死んでいく命を再確認させながらも回転する現世に新たな価値をさりげなく添え、卑小で儚い存在でしかない自分自身にいくらかでも満悦させてくれる、そんな芸のなかの芸であり、(以下略)

 名前は知っているけど読んだことはない、そんな作家の一人である丸山健二が全編書き下ろしで物した雄渾なる時代小説。上下併せて900ページ近くにも昇る分量と、それに反して32×18という天地の余白がやたら目立つ密度の低いレイアウト、書き出しの一文を空行と太字で見出しのように強調し、句点が最後の一つしかなくひたすら読点だけで区切って繋げて、可読性を高めるためにかちょくちょく「読点での改行」をおこなう特異な文体、何より偏執的とも言える濃密さを湛えたその語り。ひたぶるな個性の強さが煌々と輝く一作であり、読み手によって好悪はハッキリと分かれることでしょう。癖が強く、慣れなければ痛苦に苛まれること請け合いながら、一度肌に馴染んでしまえば、他のものと置き換えることができぬ強烈な魅力に足を取られて底無し沼の如き小説世界に引きずり込まれること必至であります。

 個人名は極力記さず、「舌切り童女」などキャラクターごとの特徴を呼称に代えて綴っていますが、「京洛」や「将軍」といった言い回しが出てくることから察するに室町時代あたりが舞台となっているはず。盗賊の頭目に陵辱目的で攫われ、運んでいる途中に身重と判明して打ち捨てられた女こそ主人公の母親であり、死屍たる母胎より生まれ出で、盗賊たちが追っ手を撒くために放った火に焼かれる瞬間を辛くも凌ぎ、程好く焼けてしまった母の遺骸を貪り食った牝熊に抱かれて夜の寒さも超え、通りがかった刀工に拾われて生き延びたという出自からして凄まじい。また主人公は刀工夫妻が実の両親ではないと知り、彼らが付けた名前を捨て、「無名丸」と名乗る捨て鉢な荒々しさを発揮し、このあたりからしても後の波乱も容易に予測される。食い荒らされた母の屍のそばにあった玉鋼を自らの手で打ってつくった「草の刀」と、育ての親たる刀工が「草の刀」に対抗するため先祖代々伝えられてきた家宝である隕鉄を材料としてつくった「星の刀」、二つの業物を帯びた無名丸は故郷を抜けて当て所ない旅に繰り出し、行く先々で様々な人間や事物と出会い、時に迷い、時に憤り、時に二本の刀を血で汚し、時に停滞し、時に流動しながら苛烈な勢いで成長していく。「十七人の女と肉欲の日々に耽る」「遊郭で美食と美酒と美女に耽溺する暮らしを送る」など、ややオッサン臭い展開も挟みながら、得体の知れぬ連中、卓越した技能を有した者ども、どこまでも欲深で生臭な輩、または純真な魂を貫く人々との遭遇によって生み出される、ひねくれているようで真っ直ぐで、なのに不思議と解きほぐしにくいエピソードの数々は、文学的云々といった言辞を唱えるまでもなく切々と胸に染み渡ってきます。

 上で引用したような、「〜でなく、〜でもなく」と否定を連打してイメージを限定し、「〜であり、〜でもあり」と肯定を重ねてイメージを厚塗りする文章は随所に見られ、率直に言ってしまえば表現がくどい。あまりにもくどすぎて胸焼けがしますが、もはや胸焼けと心臓の熱とが区別できず、作者が一つの境地に達していることは確実であり、読んでいて圧倒されることしきりです。丹念に精密に彩られていく小説世界は総天然色の映画にも似て、ああ、このやけに余白が強調されているページ構成はひょっとして銀幕の「見立て」なのか、とまで勘繰らせる。作者インタビューによれば、絵巻物を意識した形式らしいのですが。旅の先々でひょっこり出てきて草鞋と警句を投げかけていく行者や、進むにつれて次第に崇拝の対象へ近づいていく美しき白拍子、麒麟に喩えられるほどの異貌を持つ姫君と、尋常ならざるキャストに占められた物語はほとんど伝奇の域に足を突っ込んでおり、空想の働きがどれだけ時代という大河に色鮮やかな楔を打ち込めるかを試しているかのようだ。細かい理屈は捨て置いて、「乗るしかない、このタイダルウェーブに」と嘯いて楽しむが吉。

 特殊なレイアウトのせいで1ページあたりの字数が限られているとはいえ、さすが900ページもあると読み応えは充分。原稿用紙に換算すれば1300枚に及ぶそうです。「日月山水図」という重要文化財の屏風絵がモチーフになっていて、実際は作者不詳となっているこの絵を描いたのは、一刀を腰に帯び、一刀を背に負った、生涯通じての放浪者・薬王寺無名丸である――そんな壮絶極まりない法螺話を支える言葉の柱はもちろん太く、会話文をなるべく廃したおかげもあって、何らの束縛もない「融通無碍」の音色を殷々と耳朶の奥に響かせてくる。読み終わると同時に心地良い疲労が襲ってくる一作でした。

・拍手レス。

 エロゲなら、先月末のリリースですが、「コンチェルトノート」が良かったですよ。
 ではまず体験版を落としてみんとす。

 桜坂洋はAll You Need Is Killが面白かったなぁ
 AYNIKは桜坂の代表作と断じても過言ではない。あと個人的には『スラムオンライン』も気に入ってます。

 一つ質問があるんですが、今野敏の作品の中で、「仏陀の拳法」って、設定があったのはどの作品でしたっけ。伝奇物だったような記憶があるんですが。
 今野敏の伝奇小説はまだ読んだことないですし、思い当たる作品はありませんねぇ……お役に立てず、すみません。

 さみだれはここの紹介で買い始めた覚えがあるんだが…白道が雨宮を、南雲が茜を癒して退場しそうで怖いな。巻末の退場キャラの台詞がまたなんというか、泣きそうになりますね
 当方もあちこちで紹介を見ましたけど、みんなパンチラとかパンモロとか強調するので「ああそういうマンガなのか」と長いこと勘違いしてました。「泣けるマンガ」みたいな形での紹介はされませんけれど、ちょいちょい涙腺にクる作品ですね。


2008-11-01.

・今ハマっているマンガの一つである『惑星のさみだれ』の最新刊を読んで見事に泣かされた焼津です、こんばんは。見た目の明るさとは裏腹に、結構あっさりと死人が出るんですよね、この作品。全体としてはバトル描写が多いけれど、さりげない筆致で日常の風景を紡ぎ出す手際もウマいので「大切な人を喪った悲しみ」がジワジワと、しかし強烈に染みてくる。個人的に気に入っているキャラ、白道八宵も地味に死亡フラグを立てていて続きの展開にハラハラしますぜ。

しゃんぐりらの新作『暁の護衛〜プリンシパルたちの休日〜』、12月25日に発売予定

 年内は無理かな、と思っていたらギリギリで間に合わせにきましたよ。amazonやソフマップ、それにげっちゅではもう予約が始まってますね。製作期間の短さと値段設定の安さからしてボリューム薄いんじゃないか、と不安になりますが……シナリオ容量1.2M CG枚数42枚(2008/10/31付)とのことで、『暁の護衛』本編のシナリオが2MB強と目にした記憶がありますから、だいたいそれの半分程度? げっちゅブログの記事にて大まかな収録内容が明かされており、妙ストーリーの「必ず侑祈を直すと誓った妙、しかし、その誓いは日に日に薄れていく」はありありと想像できて抱腹しました。さすが妙ちん、初志貫徹できぬへっぽこぶり。今読んでいる『比類なきジーヴス』の主人公でありダメ男の若旦那、バートラム・ウースターに通ずる戯けた魅力を感じます。あとは海斗が有能なる執事・ジーヴス的な役をこなせればうまいところ収まりそうですが、果たしてどうなることか。

桜坂洋の『よくわかる現代魔法』がアニメ化決定(MOON PHASE 雑記)

 それより、早く新作を……改稿版は別として、シリーズ最新刊からもう3年半は経っています。

・今月の購買予定はこちら。

(本)

 『ダンタリアンの書架1』/三雲岳斗(角川書店)
 『ダークエルフ物語 ドロウの遺産』/R・A・サルバトーレ(アスキー・メディアワークス)
 『Guns for Nosferatus 1 此よりは荒野』/水無神知宏(小学館)
 『護樹騎士団物語\ 夏休みの闘い』/水月郁見(徳間書店)
 『ルルージュ事件』/エミール・ガボリオ(国書刊行会)

 文庫化情報。今野敏のアクション巨編『孤拳伝』が遂に文庫化開始されます。新書版は全11巻でしたが、文庫版は多少圧縮して巻数を減らしてくれるといいなぁ……『虎の道 龍の門』を全3巻のまま文庫化した中央公論新社に期待しても望み薄か。今野敏は他にも『白夜街道』や『賊狩り』が文庫化される模様。それと、驚いたのが、ジョン・クロウリーの『エンジン・サマー』が文庫化されるという報せ。長らく絶版していた名作が復活、という意味で行けば『ハローサマー、グッドバイ 』に続く第二の「サマー」到来ですよ。

 『ダンタリアンの書架』は『アスラクライン』がアニメ化決定してようやく波に乗り始めた三雲岳斗の新シリーズ。この人、キャリアが結構長い割に不遇で、今までアニメ化した作品ってなかったんですよね。実力はあるけど全体的にムラがあり、いまいちブレイクしなかった。「アタリも多いがハズレも多い」って印象。ダンタリアン〜はイラストがGユウスケということもあって期待を寄せています。『ドロウの遺産』は待ちに待ったドリッズトシリーズの新刊。本国ではもうかなりの巻数が出ているのに、邦訳は遅々として進まずファンは涙にくれてます。これに関しては話が長くなりますので別項にて。『此よりは荒野』は聞いてビックリ、『Crescendo〜永遠だと思っていたあの頃〜』でコアな人気を持つエロゲーライター、水無神知宏の復帰作です。『装甲戦闘猟兵の哀歌』から実に14年ぶりのライトノベルとなる。タイトルからして『キリエ〜吸血聖女〜』みたいな内容かしら。それにしてもガガガのエロゲーライター強化っぷりには慄くばかりです。

 『夏休みの闘い』は護樹騎士団物語シリーズの最新刊。「\」なので9冊目と勘違いしそうになりますが、「Z」が上下巻だったから10冊目に当たります。異世界を舞台としたSFファンタジーで、「主人公がヘタレ」「やたら展開が遅い」という二重苦を背負いつつも肝心のストーリーが滅法面白いため途中離脱できない、素晴らしく酷なシリーズとなっている。「騎士型巨大ロボット」に心ときめく人は是非読んでいただきたい。そして我々と同じ苦しみ(主に「続きが気になる!」「早く新刊が読みたい!」「シュエット様の出番まだー?」)を分かち合ってほしい。『ルルージュ事件』はミスヲタが「ミステリの歴史」を学ぶうえで絶対一度はそのタイトルを目にする古典中の古典。長編ミステリの嚆矢とされており(もちろん異説はあり、ディケンズの『バーナビー・ラッジ』等を挙げる向きもある)、ミスヲタの誰もが知っているけれど実際に読んだ人はあまりいない「読まれざる古典」でもあります。たぶん買っても読まずに死蔵するんだろうけれど、それでも収集欲を掻き立てられてやまない一冊だ。

 他では電撃文庫の新刊――シャナや禁書目録、ダブルブリッドの短編集など。それから『東天の獅子』も第三巻が発売されますね。米澤穂信の『儚い羊たちの祝宴』、恒川光太郎の『草祭』、佐藤賢一の『小説フランス革命』1巻と2巻も楽しみだ。月末には天童荒太久々の新作『悼む人』、桜庭一樹の『ファミリーポートレイト』、『バカとテストと召喚獣』の最新刊が。マンガは30冊くらい購入予定があって、いちいち書いていくのも面倒。なんだかんだで積読は減らないだろうなぁ……。

(ゲーム)

 なし

 『恋する乙女と守護の楯』の移植版が延期して今月に来ましたが、相変わらず様子見のつもり。エロゲーの注目作は……強いて書けば『さかあがりハリケーン』かな。9月に買ったソフトすらまだ片付いてませんので、購入する気はありませんが。

・さて、R・A・サルバトーレの『ダークエルフ物語 ドロウの遺産』について。

 『ダークエルフ物語 ドロウの遺産』はD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)における世界観の一つフォーゴトン・レムルを舞台に、ダークエルフの主人公ドリッズト・ドゥアーデンが成長していく過程を描く“ダークエルフ物語”シリーズの第3弾。平たく書けば、愛と友情と冒険と裏切り、全部盛りの海外ファンタジーです。全体はかなり長大なシリーズですが、『ドロウの遺産』(“Legacy of the Drow”)自体は4部作から成り、今回出版されるのは第一部「Legacy」(原題)。なので「ドロウの遺産」を冠した本はあと3冊が未訳で残っています。『ドロウの遺産2』は来年の春予定らしい。

 ドリッズトのシリーズで一番最初に書かれたのは『アイスウィンド・サーガ』なのですが、時系列的には『ダークエルフ物語』が一番古い。『ダークエルフ物語』は故郷から旅立つドリッズトを描いた青春編であり、新規の方はできれば『ダークエルフ物語』→『アイスウィンド・サーガ』→『ドロウの遺産』という順で読むのがオススメなんです。

 しかし、困ったことに現在邦訳されたシリーズの大半が絶版・品切で入手困難になっている。『ダークエルフ物語』は全3巻で、すべて絶版中。『アイスウィンド・サーガ』は『暗黒竜の冥宮』が出たばかりで、これは比較的簡単に購入できますが、実は3部作の2冊目――ちょうど真ん中に当たる巻なのです。3部作の1冊目に当たる部分は3分冊、つまり3冊に分けて復刊された(旧刊は2分冊だった)のですが、とっくに品切状態。3冊目に当たる部分は「復刊検討中」となっている。姉妹編の『クレリック・サーガ』も、全5巻中2巻までしか訳出されていません。図にすると、

タイトル第一部第二部第三部第四部第五部
ダークエルフ物語×××
アイスウィンド・サーガ××
ドロウの遺産
クレリック・サーガ

(※○…入手可能、×…絶版・品切、/…未訳)

 ってな状況に陥っているわけです。嗚呼。このシリーズ、内容的に面白いことは面白いんですよ……ハリポタで海外ファンタジーに興味を示し、あれこれと読み漁ってすぐに熱が冷めた、まことミーハー極まりない当方の忘却力に打ち勝って今も記憶に残り続けているシリーズは、これと“氷と炎の歌”くらいのもんです。けども入手可能な巻がこんな虫食い状態では薦めるに薦められず、ジレンマに苦しむ日々を送っております。ドリッズトシリーズは“Legacy of the Drow”の後にも“Paths of Darkness”4部作、“Hunter's Blade”3部作、“Transitions”3部作(未完結?)と続いていて、更に番外編の“Sellswords”3部作(一部“Paths of Darkness”の巻と重複)、『ダークエルフ物語』の世界をシェアワールド化してサルバトーレ以外の作家がリレー形式で書いた“War of the Spider Queen”6部作、息子との合作“Stone of Tymora”3部作(未完結、ドリッズトがゲスト出演?)まであるらしい(英語版Wikipediaを参考にしましたが、正確に把握できた自信はなく、間違っているかもしれません)。これら全部が読める日は訪れるのだろうか……。


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